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「愛」なのか?「愛徳」なのか?それが問題だ。
一昔前までの日本國では弥生三月を迎えると「春の結婚シーズン到来!」などとしばしば見聞したものです。私の両親も3月に挙式、神道によるものでした。きょうび流行のキリスト教(っぽい)挙式が流行りだしたのは昭和40年代に入ってからでしょうか。私は今でも「キリスト教結婚式」という語を聞くと、なぜか目の前に赤レンガの霊南坂教会が浮かんでしまいます。KWはヘイちゃん、トモカズ、ヒロミ・ガウ、対してルリ子、モモエ、ユリエだな。

私もこれまで友人、知人のキリスト教式結婚の儀に数回出席したことがありますが、ほとんどの式で読まれた聖書の箇所が新約聖書の中のひとつ、パウロによって書かれたとされる「コリント人への第一の手紙13章1-13節」でした。
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もしがなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。(コリントⅠ13:1)
で始まるこの章節は「愛の賛歌」とも呼ばれており、日本でのキリスト教(っぽい)結婚式では以下の文が必ず朗読されると言っても過言ではありません。
は寛容であり、は情け深い。また、ねたむことをしない。は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。はいつまでも絶えることがない。(コリントⅠ13:4-8)
以上、「本日のメーンエヴェント」的文章で読み手の声が朗々として間が上手だったりすると「ぢ~ん」と乙女心に染み入る文面でありますね。このパウロによる「愛の賛歌」全13節の中に「」という単語は9回出ており、賛歌の最後は以下の文で締め括られています。
いつまでも存続するものは、信仰と希望とと、この3つである。このうちで最も大いなるものは、である。(コリントⅠ13:13)
                   以上、新約聖書(1954年改訳)日本聖書協会から引用
結婚式の参列に慣れてしまうとついうっかり「ああ、またこれ?」なんて思ってしまったりもしますし、挙式終了直後に誰かがこぶしをまわしながら「愛、あ・な・たとふ~ぅたり~ん♪」とわざと感動している友の耳元で唄ったりするものです。愛、らヴ(Love)、アム~ル(Amour)♡ 私は「愛」と聞くと高校時代、倫理の授業で学んだ三種の愛をまず思い出します。確かέρως(エロース、性愛)、φιλία(フィッリア、友愛)、αγάπη(アガペ、無償または究極の愛)ぢゃなかったっけか。とっころがパウロさんは信仰と希望と愛の3つを挙げてらっしゃる・・・はて? いや、この愛は若い二人のためにはそりゃあ究極の無償の愛に決まってはいるンだろうが。なぜか我がツルツルおつむに引っかかったのでちょいっと調べてみました。

するとどうでしょっっ。日本語では「愛」と訳されている語はフランス語聖書(フランスで最も信頼され、読まれているCERF版)だと「愛」はL'amour(ラムール) ではなく la charité(ラ・シャリテ)が置かれているのです。la charité(ラ・シャリテ)と言うのは英語のCharity(チャリティ)にあたる語で、隣人愛や慈愛、思いやりを意味します。耶蘇教っぽく表現するなら「愛徳」がよろしいでしょう。
英米語でこの箇所を検索してみますと、English Standard Version またはNew American Standard Bible ですと「愛」は Love と訳されていますが、かの大英帝國は欽定訳聖書(King James Version)ですと、「愛」は Charity と訳されておりますのです。
これ、どちらが本当なのでしょう?
日本國のようにこの「愛の賛歌」が結婚式において好んで読まれるならば、「愛=love、amour」がこの上なくしっくりする訳なんでありましょうが、上述日本語訳の文中の「愛」をフランス語聖書のごとく「愛徳」または「慈愛」に置き換えて読んでみると文章の意味や重みが違ってくるように思えます。パウロが伝えたかったことは果たしてどちらなのでしょう?ちなみにフランスでは「la charité(ラ・シャリテ、=愛徳、慈愛)」が主流なので、待降節(クリスマス前)または四旬節(復活祭前)の節制月にこの箇所が好んで読まれるようです。うむむむむ。

le 22 mars 2006, Léa
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by ma_cocotte | 2006-03-22 03:09 | 『?』なたわ言 | Comments(22)
Commented by miepon61 at 2006-03-22 08:42
高校の時(だったと思う)、何の授業だったか忘れたが
日本に渡った宣教師がキリスト教の愛を伝えるのに「御大切」と
使っていたというのがずっと記憶に残っています。
四旬節ってほんとは結婚式はしないんですよね。私たちの時も
そんなこと言われた覚えが....待候節もそうだとか。。。
私たちどちらかの誕生日に近い時に式を挙げたかったので、どっちも
それに引っ掛かったのだわ。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-22 16:57
■mieponさま、勉強になります。
愛徳というのはどういう感覚かなあ?と考えていたところです。mieponさんが
習ったことからたぐってみると、ものを大切にするとかいとおしむ(=慈しむ?)
感覚に近いものなのでしょうね。物質や金銭に恵まれると最初に忘れそうな感覚かも。
カトだとグロリアを唄わない期間は結婚式はありませんね。四旬節は
告解と葬儀で神父さまが大忙しでしょうか。そのかわり、復活祭後は
毎週のようにお祭りがありますね。白衣の主日の初聖体式。子供たちが
かわゆ~い♡ 堅信式も多いかも。
Commented by hi-vison_1103 at 2006-03-22 20:17
ほんまや〜(^ー^)
両方とれるね。
チャリティって大元はこういうことなのね。
そーなんだ...(脳みそに浅い溝が1本追加)byクロエ
Commented by ma_cocotte at 2006-03-22 20:37
■hi-visonクロエさま、どちらが本物なんでしょうね。
私は頭っからこの愛はL♡VEと信じていたので、フランス語聖書で
la charité の文字を見つけてヴぃっくらしました。
愛徳を当てはめると「愛の賛歌」は「愛徳の賛歌」になって、道徳的文章
と化しますね。いずれにせよ、こころにしみる文ではありますが。

Commented by しぇリ~ at 2006-03-22 23:20 x
日本は自然を表す形容詞や名詞がたくさんあるように、欧州では人をいつくしむための言葉の表現が豊かなのでしょうか?

まさに準備中の私。。。運良く?日本から聖書を持ってきておいて本当によかった。
教会からいただいた資料にTobieとSiracとあり、日本語の聖書のどの節かみつからず。。。もしかしてカトリックとプロテスタントでは聖書そのものが違うということはありえますでしょうか?

これから賛美歌も選ばなければならない。。。
不真面目学生だった私は番号をすっかり忘れてしまいました。
今週の土曜日、牧師の前でとりあえず歌ってみようと思います。。。(苦笑)


Commented by ma_cocotte at 2006-03-23 00:43
■しぇり~さま、フランス語だと身近な語は豊富に分類されているような
気もします。例えば栗がシャテーヌとマロンだったり、らくだはひとこぶと
ふたこぶでまるで違う単語だったり、と。感情もその延長線だとすると、
日本人よりフランス人の方が感情の起伏が激しいのかな?と思ったりも
します。

愛と聞けば、アガペ、フィッリア、エロースの三種が閃くけれど、愛徳だと
すると慈愛や謙遜など別の語を連想するものですね。どちらが本当なの
だろう? 

聖書ですが、新教の方が旧教より掲載数が少ない、と聞いています。
が、私も現在手元に置いてあるのは日本基督教団のものです。カトだと
新約旧約は別の場合が多いので、とりあえずこれを持って来ました。

しぇり~さんの挙式はもちかしてプロテスタント教会で?
フランスはReforme が多いものね。わが地元もかなりいますよ。
Commented by しぇリ~ at 2006-03-23 04:11 x
感情も理論的に説明するためには言葉は不可欠ですよね。
3つの愛は愛の種類で、慈愛や謙遜などは内なる尊敬から生まれる表現のような気がします。

やはり聖書、違うのですね。トホホホホ

>プロテスタント教会で?

いえいえ、ばりばりのカトリックですよ。(セレブレーションのみですが)
私は仏教徒だけれど、教会で神様に愛を誓うということで、敬虔なカトリック教徒が多いロワールより西地方の親戚中が喜んでいるとか。。
改宗は無理強いされませんでした。


Commented by あんとに庵 at 2006-03-23 04:40 x
夫婦となると、エロスの愛よりも、フィリアやアガペーの要素を要求される気がしますです。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-23 16:17
【しぇり~さま】Amour とCharité だと前者が自己が自己のための、
後者は自己が他者のための行為や感情なのかな?とここ数日考えて
みたりしております。

>ロワールより西の親戚
夫の父方がそうですよ。ポワチエの西になります。
あのあたりは次期大統領有力候補、セゴレーヌ・ロワイヤル氏の地盤で、
彼女は現在ポワトゥ・シャラントゥ地方の長です。PSが強い地方かも。
宗教婚と市民婚は面倒でも同日に行ってしまった方が後々楽ですよ。
世間の目も痛くありません(なぜか結婚に関しては伝統を重んじるヒトが
多いみたい)。フランスだと就職活動やヴィザ申請時に結婚の種類を
聞かれます。なんかヤーね。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-23 16:24
【あんとに庵さま】コリントⅠ13:1-13ですが、フランシスコ会訳でも「愛」ですか?
フランスのカトリックではCERFという出版社の聖書がお勧め聖書ですが、
「愛(amour)」の部分が「愛徳、慈愛、慈善」にあたるCharitéという単語
なので文全体の意味が結婚より施しなどに見合う内容になるのです。
結婚式という時点だと「愛の賛歌」として「愛」を当てはめるとしっくりしますが、
「慈愛」となると他者への、または互いのための愛に変化する?

どちらが本当なんでしょうね。謎です。
Commented by あんとに庵 at 2006-03-23 20:28 x
フランシスコ会訳ではまぁ「愛」と訳されていますが、解説には「兄弟愛」と指摘があり、同朋への愛、人間同士の「愛」と解されますね。
ヴルガタでもcaritasです。
結婚はそもそも男女のエロスの愛というよりは、共同生活を営む「同士」的要素のほうが高くなると思います。「愛は盲目」となるようなエロスの愛よりも、むかつく相手も同朋ゆえに赦し、友愛を持って家庭経営しよう。という要素が強いと思うんで、あの個所が読まれるのはよろしいのでは。
そもそもが中世ヨーロッパの結婚は契約であり、実はエロスの愛は介在していなかったわけです。当時の「エロスの愛」は騎士が夫人にささげる愛とか、アーサー王伝説の不倫カップルとか、まぁ結婚契約外で生じていたりしますね。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-23 21:55
【あんとに庵さま】「兄弟愛」がCharitéに相当する訳かもしれませんね。
フランス語だとAmour とCharitéは別物ですが、愛徳は愛に含まれると
理解すれば良い?
むっか~し、不倫という言葉が流行っていた時、芸能人との不倫がバレた
ある芸能人♀が「同志愛です。」と高らかに発言していたことを思い出しました。
恋愛結婚をしたわが友人も結婚後、双方に子孫繁栄のような意識が芽生える
のが不思議だ、と言っていました。自分に動物を感じるって。面白い話ですよね。

おお、Arthur!アルチュ~ルゥ。
偶然で驚きですが、昨晩のアルチュールパロディ。
お妃ジュヌヴィエーヴに不倫がバレたアルチュール王でしたよ。
王、王妃の双方が堂々と淡々と事実を確認しあっているのが笑えました。
Commented by hi-vison_1103 at 2006-03-23 22:12
右上は聖骸布?ほんまにお彼岸や〜(^^;)まここっとって....byクロエ
Commented by ma_cocotte at 2006-03-23 23:07
【hi-visonクロエさま】よくご存知で。なぜご存知?
そうです、写真はトリノの聖骸布です。没薬と布地の化学変化による、と
いう偽物、いや、代物です。どははは。
私、実物を見に行きましたよ。大聖年(=1000年に一度)だった2000年の夏。
Commented by hi-vison_1103 at 2006-03-23 23:54
こんな特集番組(NHK)とか見るの大好きでね(^^)以前BSで見たと思います。いろんな仮説をトライしてましたよ。へ〜、まここっつぁんは見たんだ。私も見てみたいですー。大聖年という言葉、知らなかった...。byクロエ
Commented by FRANK LLOYD at 2006-03-24 16:20 x
このエントリーを読む前に、
http://dsarcade.blog54.fc2.com/ で、
>性本能なしにはいかなる恋愛も存在しない。
>恋愛はあたかも帆船が風を利用するように、この粗野な力を利用する。
>by オルテガ・イ・ガセー
なんて格言を引用してしまいました。。。_| ̄|○
愛の賛歌、愛徳の賛歌から対極にあるようで。。。

結婚式がその愛の頂点ではありませんように。。。

さらに、人生は続く。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-24 18:31
【Hi-vison クロエさま】紀元1世紀の布地が残っているというだけでも
「うっそ~」な話ですよね。ユダヤにおける遺体処理に用いるもつ薬との化学
反応による反転らしいけれど。もつ薬は幼子イエスを訪問した「三賢人」の
ひとりが捧げた宝物のひとつにあたります。そんなことがあるのかなあ?
現在、鑑定中のジャンヌ・ダルクの骨だって「?」の私。なんだけれど、
人骨にまじって猫の骨(両方とも炭化)が出てきて、猫と一緒に火あぶり
されたのかも、という仮説が出ています。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-24 18:36
【Frank Lloyd さま】ここ数日の愛の格言シリーズ、楽しんでおります。
面白すぎだけれどうなずいたり首を振ったり、と勉強になります。

ストイックな愛は果たして「愛」なのか?

結婚式が愛の頂点の場合の先は・・・ですなあ。
ある挙式におけるある司祭の話ですが
「夫婦生活は濃厚なコーヒーにしずめた砂糖のごとくあれ。
飲めば飲むほど甘くなるように努めよ」
でした。私はコーヒーに沈めた砂糖はすぐにかき混ぜる性格です(笑。
And you?
Commented by home-9 at 2006-03-25 10:21 x
ma_cocotte様
近代以前の日本語では、愛は仏教用語で煩悩の一つを現していました。現在私たち日本人が使っている愛は、近代以後に形成されたもので、キリスト教でいう愛、あるいは恋愛至上主義でいう愛など、複数の概念が混ざって出来上がっています。
では明治以前に、今で言う愛は何と言ったのか、それは「惻隠の情」が最も近い表現だそうです。
だとすれば、フランス語のla charitéが最適なのかも知れません。

そういえば数十年前、ある女性に「惻隠の情」を感じて、ついつい結婚してしまいました。この表現、身に覚えがありますね。
Commented by ma_cocotte at 2006-03-25 22:05
■home-9さま、愛は煩悩だったのですか・・・Oh! No!
「愛」というものは高校の倫理の授業だと「アガペ・フィッリア・エロース」の
三種類と習った記憶があります。「愛徳」というのは「愛」とは別モノであろう
というのが私の仮説なんでありますが。「惻隠の情」というのはなんとも
美しい表現ですね。結婚という意識を持つにあたり、「愛情」のあり方も
変わるというのはしばしば聞く話でありますが、home-9家はお孫さんも
授かって子々孫々の繁栄!祝着至極!「愛」や「徳」を常に感じる家庭を
築きたいものですね。
Commented by at 2006-03-26 12:49 x
>>「愛」というものは高校の倫理の授業だと「アガペ・フィッリア・エロース」の
三種類と習った記憶があります。

あは そうだったね~エロス?先生のエッチ~なんて思ってましたよ

私も結婚式に何度か出ました 私のメモリーブックに書く言葉はいつも
「信仰と希望と愛と・・・     コリント」 でした
語呂合わせしていたわけでないけれど 耳に気持ちよかったのだもの

こんなにじっくり 結婚式の言葉を考えたことが無かったわ
ま・こことさま ありがとう

そうそう いまね 日本に来ています
娘のアトピーがひどくなってねまた田舎の自宅で療養です
1ヶ月して巴里にもどり(娘をパックのバカンス終わり前につれてかえるの)その後日本に今度は一人でもどり ちっこい田舎の会社の役員をしていますので 査察^^にはいる あはは 
は~~~業績をみると泣きたくなる
愛 なくしては ミーティングにいどめませんよ
Commented by ma_cocotte at 2006-03-26 17:03
■7septさま、日本にいらっしゃるのですね!
お巴里は例のanti-CPE運動で気持ちよく歩けませんので、丁度良かった!
私も日本語の聖書ばかり読んでいたので、初めてフランス語でこの箇所
を見て驚きました。Charité だと文章の意味が変わってくるなあ、と思い
つつ読みました。

お仕事、万事捗りますように。
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