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マルタン、マルタン、マルタンタン。 Saint Martin@Ligugé
Poitiers ポワチエの南西10kmの山中にLigugé リギュヂェという名の小さな町があります。三方を山に囲まれ、一方に川が流れているようなこの町にはポワチエの外環道を出てから背の高すぎる木々に覆われた曲がりくねった道を抜けねばなりません。リギュヂェに辿り着いてもメインストリートが一本だけ。そんな不便な町がなぜかすこぶる有名だったりします。
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なぜかというと、この町のど真ん中、市役所の隣に西欧諸国内で現在も活動する最古の歴史を持つ修道院があるからです。この写真↑の右側の城壁の向こうが現在はベネディクト会が管轄するL'Abbey de Saint Martin 聖マルタン大修道院で、西暦361年に聖マルタン自らがこの地に修道院生活の基礎を作ったのだそうです。

さてさて、このリギュヂェについて語るのにどっからどう語れば良いのやら考えあぐねてしまいました。まずは大修道院の守護聖人名であるSaint Martin 聖マルタン(ラテン語だとマルチノ)について語りましょうか・・・だとしても、聖マルタンのどこから語るべ?と悩むくらい、聖マルタンという人物はおフランスでは重要人物だったりします。というのも、まず第一に聖マルタンはフランス共和国の守護聖人のひとりであります。共和国内で最も多い市町村名はSaint Martin、現在の共和国内で最も多い苗字はMartin、男子のMartin マルタンくんも女子のMartine マルチィヌちゃんもそこいら中にうぢゃうぢゃおり、名前がMartinで苗字がMartin というマルタン・マルタンさんもおフランスのどこかに存在するでしょうね。いや~、それは流石にいないかもしれないけれど、Jean-Martin Martin さんやMarie-Martine Martin さんはほぼ絶対間違いなく存在するでせう。それくらいSaint Martin 聖マルタンはおフランスで愛されている存在なのです。

聖マルタンさんご本人の話に戻りましょう。
西暦317年生まれのマルタンさんですが、ハンガリー生まれイタリア育ちのガイジンなんであります。父上がローマ軍の司令官だったのでマルタンは15歳でローマ騎兵隊に入隊し、フランスに派遣されました。ここから耳かっぽぢってよく読んでくださいね。(なんのこっちゃ)
る大雪の日のことでした。馬に乗って移動中の美騎士マルタンが偶然路上で貧しい者に出会い、自らまとっていたマントを刀で二つに裂き、彼に与えました。こんな感じ↓
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その夜、マルタンの前に彼が貧者に与えた布をまとったイエズスが現れ、「あなたがマントを切って与えた男こそ、この私である」と言われたのです。軍務を遂行しながら要理を学び続けた彼は18歳で退役を決め、334年受洗、その後ローマ巡礼中にポワチエ司教のヒラリオ(Hilaire イレール、=現在ポワチエの守護聖人)と出会い、彼の指導で修道生活を始め、360年マルタンはガリア(今のフランス)に行き、翌年361年リギュヂェにヨーロッパ最初の修道院を創り、祈りと労働に打ち込んだのでした。この精神は後にベネディクト会の会則の手本になりました。370年、マルタンはTours トゥールの司教に任命され、リギュヂェを離れましたが修道生活を続け、397年に帰天。殉教者ではない聖人として初めて認められたのがこのマルタンなのだそうです。

貧者を哀れみ、自分の富を分け与え、統率力がありながら慈愛を持って仲間との修道生活で祈りと労働の日々・・・おいろっぱの方々の考えにおいてはマルタンは言うことなしの理想人。てなわけで子供ができればその名を与え、苗字を持つことが許されればマルタンそのものを屋号にして守っていただこうとかつては誰もが思い願ったのですわね。

で、なぜ360年にポワチエを訪れ、イレールに再会したマルタンが21世紀の現在もすばらしく、恐ろしいほどド不便なリギュヂェの町に足を運んだのか理由がわかりません。前出最初の写真の左下、教会の壁にそって路地があり、その突き当たりにこのような建物が建っております。
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近寄って見ると、
Ici au IVème siècle St. Martin ressuscita le catéchumène
4世紀にここで聖マルタンが洗礼志願者を蘇らせた
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なんて書いてあります。石板の下の彫刻、ゼンマイ棒を持った方はイレールでせうか?
この小さな建物の中に入ると、畳一畳くらいの広間の正面にこのようなステンドグラス。
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このステンドグラスの右の壁に成人の顔の大きさ程度のドアがありました。ドアの向こうは観想修道院の聖域になりますが、昔はここから施しのようなものを修道者に納めていたのかもしれませんね。

そーんな妄想を抱きつつ、この建物から表に出れば突然、ハツがびびる爆音。なんとこの建物の背後には現在線路が敷かれ、TGV(新幹線)が右に左に爆走しているのでありました。このリギュヂェに限ったことではありませんが、修道院のそばに鉄道が通っていることが多いおフランス国内であります。
なんでだろうね?
リギュヂェ探訪、更に続きます。


le 25 septembre 2007, Hermann


おセシリア・おサルコぢさまの前夫さんの苗字もMartin 、フランス共和国守護聖人のひとりであるThérèse de l'Enfant-Jésus、小さき花のテレジアの苗字もMartin ぢゃったよ。
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by ma_cocotte | 2007-09-25 02:22 | 『?』なKTOりっくん | Comments(4)
Commented at 2007-09-26 22:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-09-26 22:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-09-26 22:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2007-09-26 23:57
✝ 22H33-35@26092007 鍵さま、おおおおおおっ!
たふたふいらっしゃいましたか!?
コメントがあまりにすばらしく、鍵コメなのがもったいのうございます。
もうリギュヂェに呼ばれちゃったような小旅行でしたね。
中庭や食堂にいらっしゃれるとは、私はまだ未経験です。
聖堂でのお昼前のごミサにあずかったことと売店、博物館を拝見したのみです。

そうそう、SCOFAはフレールがいらっしゃる会計場所斜め前の冷蔵庫に
納まっていますよね。一人用でも大きめだったでしょう?おっしゃるとおり
ダグワースにどこか似ているかも。バタアは入っていると思います。
と言うのも、この地方の名産は乳製品で、バタアはテレビCMでヂョエル・
ロブションが宣伝しているでしょう?私は間のクリームの重さが丁度
良いのに感動しました。お腹にもたれません。

リギュヂェのような町での時間つぶしはさぞかし長く感じられたのでは、
と拝察します。振り返って良い旅と思い出せる旅になりますように。
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