<< ヒ ト や 道 徳 の 価 値... 『白と赤と黒』のうちの『黒』 ... >>
Requiems あの世のあの方やらこの方へ
2008年1月21日はフランス国王ルイ16世 Louis XVI のご命日でした。
今から215年前の1793年1月21日午前10時22分、パリは革命広場(現在のコンコルド広場)にてシャルル・アンリ・サンソン Charles-Henri SANSON (1739-1806) によってギロチン斬首による帰天でした。ちなみにサンソン家は1688年から1847年まで政府公認の死刑執行をする家で、シャルル・アンリは4代目でした。
b0070127_332115.jpg
観衆は約2万人だったとか。ルイ16世の最期の言葉は次の通り。
« Je meurs innocent des crimes qu'on m'impute. Je pardonne aux auteurs de ma mort, et je prie Dieu que le sang que vous allez verser ne retombera pas sur la France ».
「私は無実のうちに死にます。私は私の死を決めた張本人達を許します。そして、私の血が二度とフランスに落ちることのないように私は神に祈ります」。
ルイ16世のご遺体は旧マドレーヌ教会に運ばれ、祈りが捧げられた後、石灰を敷き詰めた墓穴に埋められ、1815年1月19日掘り起こされ、パリ北部の聖ドニ大聖堂 Basilique cathédrale de Saint-Denis の王家墓地に移送、再埋葬されました。
2008年、フランス共和国には今もRoyaliste ロワイヤリストと呼ばれる「王党派の共和国民」が存在します。この名称の下に一致団結はしておらず、苗字にドつきの元貴族階級やら政治的に過激な方々から大革命時に革命政府から迫害を受けた先祖を持つ方々など色々で、地域別の特徴も絡められたりもします。
毎年1月21日にはこれらの団体が中心となってルイ16世追悼イヴェントのようなものが開かれますが、今年は帰天215年目ということもあり、王党派でなくとも各地でルイ16世を偲んでのミサもあげられたようです。例えば、花の都はおパリは9区にござる聖ユヂェエヌ教会 Saint-Eugène でもルイ16世のために1962ミサ (=ラテン語による背面ミサ)があげられました。ミサ式次第 を拝読いたしますと、フランス語訳のついたラテン語の式次第の途中にルイ16世が1792年12月25日にタンプル塔で記した遺書が全文掲載されていますが、
emoticon-0106-crying.gif ...泣けるやね。
遺書の前半はカトリック教会と神への告白、後半はこの世に残される家族への希望ですが、ルイ16世ってものすごく「イイヒト」ぢゃーん。死刑賛成361人に対して反対360人(他に執行猶予希望が26名)という一票差での死刑というのは、いやはやなんとも。国王の信仰篤く、家族愛で溢れた遺書を読んだら後悔するよ。とは言え、当時の人々は皆、この世から去られております。( ̄人 ̄) もしかしたらまだ煉獄に滞在中かもしんない魂のために。


さて、翌日1月22日は物品改修再利用運動を中心とする Emmaüs エマユスを創立したピエール師 l’Abbé Pierre の帰天から一年目でした。生前、「共和国民に尊敬され愛される男性」の常に上位であったピエール師を回想する式典が共和国内各地で行われました。
TF1 13Hのニュウス
Un an après, l'hommage à l'abbé Pierre est quotidien

首相官邸の公式声明 : ピエール師の死についての追悼文
Commémoration du décès de l’Abbé Pierre
実はピエール師に関しては「カトリック左派のアイドル」であって、決してフランスのカトリック全てがピエール師の生き様や残したものについてニコニコ笑って受け入れているわけではありません。元々はカプチン・フランシスコ会に所属する司祭であったピエール師ですが、エマウスの活動を始めてからは修道生活は「していなかった」と言っていいでしょう。家出状態。ピエール師に共和国民からまんべんなく人気が集まった理由は、ピエール師が修道生活から離れたこと、従順や礼儀作法を軽蔑、反抗したことでありました。それでもピエール師はカトリックですからね。その上、晩年近くなってピエール師が女性司祭や聖職者の妻帯、同性愛カップルによる養子を認めてカトリックから批判されてもいましたし、彼の最後の著書で女性との関係が何度かあったことも公表しました。が、ピエール師の人気は75Wの電球が60Wになった程度の違いでした。一年前、彼の葬儀がノートルダムで執り行われたのは「彼がカトリック司祭だ」からではなく「彼がカトリック信者だ」からです。カトリック信者であるピエール師が確かにエマウスという団体を創立しましたが、創立者本人はエマウスの非宗教性を常に主張してもいました。国民に人気があったこともあり大統領や閣僚、社会党員までが参列するほどのまるで国葬のような葬儀の後、彼の棺はカプチン会の墓所ではなく、エマウス創立時のスタッフが眠る共同墓所、彼の最初の女性秘書の隣に埋葬されました。

一年経った2008年1月22日もピエール師が息を引き取った ヴァルドワーズ陸軍病院の聖堂 でのミサにはフランソワ・フィヨン首相が出席し、エマウス発足と縁あるパリは1区のブゥルドネ通り rue des Bourdonnais での記念板設置のお披露目会には社会党員でもあるドゥラノエ市長が出席するという感じ。生前からピエール師は左派お勧めの「理想のカトリック信者(=伝統軽視の新しいカトリック、catholique ouvriere)の一例であり、これからもしばらくはピエール師が政党左派の票集めのために表に出されることは続くでしょう。

昨年12月20日、神聖皇帝サルコぢ一世さまはヴァチカンに ピエール師を支持するカトリック司祭を同伴 しました。サルのおっさん、何考えてンだか。

帰天してもなお政治のためにお呼びがかかるルイ16世、ピエール師なのでありました。


le 24 janvier 2008, François de Sales
[PR]
by ma_cocotte | 2008-01-24 03:10 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(3)
Commented by Leonie at 2008-01-24 13:06 x
およよ~!そうでしたね。ルイ16世のご命日だったですね。いま、ベルばらの家族で泣きあっている場面をおもいだしております。(号泣)
ルイ16世小公園にも行きました。地下のくらくてかなしい道とご遺体が発見されたところに設置された祭壇をおぼえておりまする。
あそこのルイ様の像の台に「遺言書」全文のプレートがありました。写し取りたかったのですが、こんまい字だったのでできませんでした。
リンクありがとうございます。さっそくうるうる泣きながら読ませていただきます。

ピエール師のことはおフランスにいったときに初めて詳しく知りました。
ピエール師よりはエヴルーの司教様が話題になっていました。ガイヨー司教さまだったかな?おフランスには右、左、熱いのも冷たいのもいろんな信者、司祭がいるもんだ~と思いました。

イエズス会の総長様のニュース+アルペ神父さまのご紹介ありがとうございました。スーパーマン×2ですね。神様はすごい人たちをこの世にお送りなさいます。
Commented by ma_cocotte at 2008-01-24 17:41
❒ Leonie さま、ルイ16世の遺言は泣けるやね。読後感は「もしや
殉教にあたるのでは」と思ってしまいました。彼はどうしてもツヴァイクにしろ
ベルばらにしろ野暮ったい国王として描かれてしまいがちですが、いや~、
それらの表現は平べったい、浅い見地に過ぎず、この遺言状で彼の深さを
知ることができました。
ルイ16世の帰天直後の遺体の扱いは映画アマデウスで表現された
モーツァルトの遺体の扱いを思い出しました。
かなり昔、聖ドゥニのルイ16世&王妃の墓所に参りましたが、心にズンと
響くものを感じました。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-01-24 17:43
❒ Evreux ですがJacques Gaillot 師ですよね。ヒダリつきあたりというか。
こんなHPをもってらっさる。(((゜Д゜;;)))
http://www.partenia.org/

なんちか日本國の富士山より北東で前世紀末にあった件を連想したり
しません?
ラベ・ピエールの生前の行動は明らかにカトリック修道者生活から逸脱
しているし、彼の思想もカトリックではないですよね。プロテスタントと
言っていいかも。素の彼個人が臨終を前の「ゆるし」があった(と前提
しての)カトリック教会での葬儀だけど、埋葬については「一世俗」ですね。
私の地元でもラベ・ピエールの追悼をする教会は限られています。
フランスのカトリックはいろいろなタイプがありすぎでため息がうっかり
出ることが多いかも。

アルペ神父さまの語録は良いですね。総会をきっかけに読み直しています。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< ヒ ト や 道 徳 の 価 値... 『白と赤と黒』のうちの『黒』 ... >>