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白い日、赤い日、黄金の日
まもなく半年振りに東の果て、日出づる國に向かいます。
母のせいだか、おかげだか、今年は二度も里帰りすることになりました。

母の足腰が弱って、それまで二階の寝室に寝ていたのに、一階のリビングに介護用ベッドを入れ、母はそこで寝起きし、やがて寝たきりになってしまいました。父は添い寝はせず、二階の寝室で寝起きしていましたが、父が二階に向かう時も母がいる部屋の照明は薄明るくつけたままにして、決して消灯しませんでした。
母が今年2月24日に帰天して、私が26日夜10時過ぎに帰宅すると母はリビングで両肩に重たいドライアイスを抱えてカチコチになって横になっていました。脳を検体したことで、頭にはガーゼが巻かれ、更にりんごを保護するようなネットをかぶされていました。なんでも家を出るまでお線香を絶やしてはいけないそうで、渦巻状のお香が焚かれていました。その時も父から母が横たわっている部屋の電気を決して消さないでくれ、と言われました。翌々日、母は骨壷に入って実家に戻り、棺に入れられて家を出るまでと同じ部屋にしつらえられた仮仏壇にちょこんと置かれました。日が暮れて、各自が寝室に戻る時間になったら父が母の骨壷が置かれている部屋の電気を消さないでくれ、と言ってきました。3月の終わり、私が実家を出る日までそれは守られ、私がまもなく帰宅してもそれは守られていて、納骨の日まで守られるでしょう。でも、母の骨壷がお墓の下に収められたら、もう夜間に電気をつけておくことがなくなってしまいます。浄土宗では仏壇の中央に掛け軸のようなものをかけるそうですが、納骨の時、そのかけじくも持参して入魂(?)もしていただくそうです。(お盆にちょうちんをお墓に持って行き、お墓の前で火をいれて持ち帰るようなものでしょうか?)

納骨をしてしまうと、母が本当に実家から離れてしまうような気がして気持複雑だったりします。納骨の日まで、身体の自由が母の思うようにならなくても、おそらく母の健全な心は毎晩、一階でひとりぽっちになってしまっても薄明るい光が点っていたから、娘(=私のこと)が子供の時のように真っ暗が怖くて泣いたりせずにいられることを父に感謝していたかもしれません。ふと、日没後のお墓は真っ暗で母が寂しい思いをしないかな、と心配になったりします。日中は、母の葬儀でお経をあげてくださったお坊さまや他のお坊さまが入れ替わり立ち代り墓地のお掃除をしているそうです。お坊さまはハンサムな青年でしたから、お昼間は母も母なりに楽しめるでしょうけれど。(ああ、なんだか「もーれつア太郎」ちっくな話だ)

母の死から約一ヶ月、私は実家にいたものの、再び10000kmも離れた住まいに戻ってしまったこともあり、動かない母も、骨になった母もしっかりと自分の目で見たのに、ふとまだこの大地をつたって行けばどこかで母が元気にしているのでは?と思ったり、わがままなもので実家を出て10年近くなるのに母の味が恋しくなってどうしても食べたくなったりしまうけれど、母から料理を習ったこともないのでそれは叶いません。母はどこにいるのかなあ?ココんちの近所の神父さまは母は既に天国にいて光のように輝いているんだ、と慰めてくださいました。母校のシスターは私の母が10年近く闘病し、晩年は寝たきりでこの世で既に煉獄を知ったからもう天国ですよ、とおっしゃいます。でも、娘の私は母のわがままや毒っ気な部分を知らなくもないので、今もまだ母が煉獄にいるのではないかと疑ったりしてしまいます。煉獄滞在中の魂は祈れないそうだから、祈りを配達しないといけませんね。

で、これ(↓)、ご存知ですか? 江戸の下町の耶蘇教会の聖堂出入り口で見つけました。
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う よ し ま り 祈 に 為 の 魂 霊 の 獄 煉

と書いてあり、額の下方の右側のポケットに数字が書かれた玉がたくさん入っており、無意識にひとつひき、番号を確認して、額に書かれている意向を読んでひと祈りを捧げ、玉は左側の箱の穴の中に戻します。ちょっと寄って見ましょう。
b0070127_4111883.jpg

どうやら煉獄の魂のために祈る意向は80種類あるようです。日本語の表現からして昭和20年代のものでしょうか。玄関先なのでつい引いてみたくなっちゃうし、煉獄滞在中の魂も知らない人からの祈りの花束を喜んでいることでしょうね。
b0070127_4113350.jpg


母は今どこかなあ?

どうもまだ不安。私のこんな複雑な思いに安らぎを与えてくださったのは9月12日から15日までフランスに滞在された教皇さまの説教でした。「聖母に向き合い、聖母を愛しましょう。聖母は私達みんなの母なのですから」と。それが本当なら聖母は私の母の母でもありながら、私の母でもあります。この世で母を見つけられなくなってしまった私も母である聖母に甘えて愚痴れるのかもしれません。私の母は母で、天国で既に聖母といつも一緒なら幸せでしょう。教皇さまに慰められました。畏れ多いことです。

13日のパリ・アンヴァリッドのごミサでは白の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040858&vl=video_nouveautes
14日、ルルドのごミサは赤の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040861&vl=video_nouveautes
15日のルルドのごミサは金色の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040884&vl=video_a_la_une

でした。どのごミサも説教で感動し、泣けました。
この4日間で私も「みんなのお父さん」B16をますます好きになりました。

以下がフランス滞在中の教皇さまの関連ビデオ一覧です。だうぞ。
http://www.ktotv.com//cms/pape_france
13日夜ルルドでの 光の聖母行列 ←クリック! や14日午後の 聖体顕示式 ←クリック! もぜひ。超ウルトラ感動。
щ(゚Д゚)щ 香炉が4つだよーん。
ではでは、あとでね。
 
le 16 septembre 2008, Edith
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by ma_cocotte | 2008-09-16 04:43 | 『?』なたわ言 | Comments(31)
Commented by tama at 2008-09-16 11:24 x
今ルルドでのミサをみおわつたところです。ミサでは雨が降らずによかつたですね。このミサでのB16は本当に人民の奉仕者、慈父ですね。病人の塗油、また聖体拝領にみせるやさしい慈父の表情に涙しました。ヴィデオは現場にいるより、大事なところが写されますので、病人の表情など、みられて、とても感激しました。
ご帰国の旅が無事でありますように!御骨を納められるのはおさびしいこととおもいます。お母様と同じかそれ以上の年齢の私からみれば、ま・ここつとさまのお母様にたいする愛情で、お母様は救われておられると確信します。私の娘はそこまでおもつてくれるかのう~^^^^。
Commented by tama at 2008-09-16 11:37 x
ながくなりましたので、2回にしました。ヌベール会のカト校に6年いた私はルルドに特別な愛着があります。だつて、ベルナデツトと同じ修道服のマ・メールをみて思春期をすごしたのですから。当然、聖母にも愛着が。私は母を22歳で突然なくしました。母は47歳で脳卒中でした。朝、おくりだしてくれた母は夜にはこの世の人ではありませんでした。
それからは聖母が私の母になりました。聖母は私たちの母、とおもえるのはとても幸せです。それを拒否する方がなにか、気の毒におもえるのですが・・。ルルドのB16のミサをもう一度みて、今度はお説教に集中してみます。聞こえない・・なんて、いつてないで・・。甘えるなよ。とB16にいわれるみたいですからね。
Commented at 2008-09-16 11:38 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-16 16:11
★ tama さま、お天気ですが、実は天気予報ではパリもルルドも雨という
予報でした。が、見事晴れましたね。教皇さまのごミサで雨が降ったのは
なぜか独逸・オーストリア訪問の時でした。でも、雨の中の野外ミサも
感動。それはどうしてかというと私達が知る黒革の聖歌集に掲載されている
聖歌がたくさん唄われたのです。言語違えど同じ聖歌を口ずさめるなんて
これぞザ・カトリクだと感動しました(子供の頃からシスター方が繰り返し
教えてくださったことの事実を確認できた心持ちでした)。
ルルドに長期滞在されている患者さん方は本当に重病の方が多く、ルルド
で目の当たりにするとショックを受けたりもします。が、子供から大人まで
自分でできることをルルドでするという精神は自分も動かずにはいられ
なくなりますね。私もChariot と呼ばれるあの寝台を運ぶ手伝いを
かつてルルドでしました。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-16 16:18
★ ヌヴェール修道女会の長上さまであろうシスターがミサ中継時に
登場されましたが、フランス国内の「せい」か私服でらっしゃいましたよ。
ちなみに私の母校のシスターもフランス国内「のみ」私服着用が認められて
います。ライシテの「せい」だか「おかげ」だか。

tamaさんが次回フランスにいらっしゃったらぜひヌヴェールにおみ足
運ばれてくださいませ。ベルナデットの資料館でも涙を禁じえませんが、
ベルナデットが毎日黙想したという修道院の裏庭は普通のお庭なのに
心にぐっと来るものがあります。ベルナデットは入会後、二度とルルドに
戻りませんでしたが、裏庭の奥の奥にベルナデットが毎日祈りを捧げた
という聖母像がそのまま置かれています。
が、フランス人の中にはルルドには行っても、ヌヴェールにはわざと
行かないようにしている方々もいます。人物崇拝になりかねないから
かもしれませんが、私はルルド・ヌヴェールを訪問すると心と脳で
ベルナデットと聖母の物語がまとまるような気がします。

教皇様の司式ミサは3回ともすばらしいです。が、教皇さまのおっしゃりたい
ことは実はいつも抜本が同じだと思いました。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-16 16:28
★ tama さま、
教皇さまの今回の訪仏の目的は「巡礼」ですから、滞在期間中のお説教で
「聖母」という鍵語が出ない日はありませんでした。
私は恥ずかしい話ですが「人の死」というものに慣れないまま、人生の
ターニングポイントを過ぎました。母の死を目の当たりにして、それが
丁度、四旬節だったので「朽ちる肉体」と「永遠の魂」についても考察
する機会を神さまから与えられたような気もしています。
(独善的な思い過ごしかもしれません)
それでもまだ母がどこにいるか、など疑っていたり情けない。が、これも
偶然でしょうけれど、教皇さまの訪仏で説教を通して自分の心の不足が
満たされたことを実感しています。フランス・カトリックでしばしば使う
Combler を体感したような気分です。
自分のことばかりではなく、エヴァンジェリゼ国から何ヶ月も船旅をして
ミッシオン国日本にいらした宣教者方、召命を聞いて聖域に入った方々、
戦争が原因で孤児になった方、家庭事情で親と住めない方、誰にとっても
聖母は「お母さん」、この気持が誰にもあるから成長し続けていられるのだと
B16のお話を聞いた今、改めて確信しています。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-16 16:36
★ 鍵11H38@160908さま、はじめまして。ようこそ。
教皇さまですが、繰り返し N'ayez pas peur おそれるな という言葉を
用いたので、この4日間は一過性流行語になったように見えるくらいです。
誰に恐れるな、なんだろう?とか深読みしちゃうと、別ベクトルで爆笑
だったりしますが、教皇さまは口酸っぱく「恐れるな」、「神と向き合おう」
「召命の声に耳を澄まそう」と若者達、ミサでは世俗信者全員におっしゃい
ました。一方で司教会議では要理教育の強化を聖側に命じたので
これまたおフランス司教方がどう判断されるか今後注視です。(まあ、
既に1968を境に大きく二分、JPIIの死をきっかけに保守若年層の
誕生などヲッチ楽しくもありますが)

フォークミサは私も苦手ですが、かつて教会学校リーダーだった時は
「できることは何でもします、心で泣きながら」でしたよ(爆笑
これもささやかな奉献 consacration と思えば(号泣

で、写真ですが、江戸の極北の下町にある教会です。近年、ドラマロケ
でしばしば登場・・・で、おそらくお察しがつくかと。教区ではなく修道会
管轄小教区です。(^_^)
Commented at 2008-09-16 18:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-09-16 20:29 x
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Commented at 2008-09-16 21:07 x
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Commented by ma_cocotte at 2008-09-17 21:48
★ 鍵18H07@18092008 さま
ご自身が考えられるB16世代とは何だと思われますか?
日本で噂されるB16像はB16の実像と違うかもしれませんよ。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-17 22:00
★鍵20H29@16092008さま

なんとか実家に着きましたが、今回も波乱万丈でした。
私はクレネのシモンとヴェロニカの生き方にいつも考えさせられます。
勇気と奉献と謙遜でしょうか。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-17 22:06
★ 鍵21H07@16092008さま
今回の帰国もひとりなのですよ。
おっしゃるとおりですね、イヴェントが遺族にとっての心の整理でも
ありますね。現在のわが胸中のあり方は過去に似たようなものさえ
見つけられません。人が生きていくための通るべき道でしょうけれど、
教皇さまの言葉に励まされてその道を進まねばなりませんね。
Commented by きなこもち at 2008-09-18 12:48 x
ma_cocotte さま、長旅おつかれさまです。無事の御帰国なによりでございます。
ここ数日の教皇さま訪仏の記事を読ませて頂きましたがma_cocotte さまを含め本当に大勢の方々お一人お一人の迷う心が救われ満たされ勇気付けられている様をひしひしと感じとる事が出来ました。(シンプルなお言葉で基本原則からブレないお話は信仰と無縁の人間の心にさえ響くものがある様に思いました)
しかしおん齢81歳とは・・七面六皮のご活躍にただただ感服でございます。お若い頃からなかなかイイお顔ぢゃないですか、出ますね、生き方が。
ところで、お母様のわがままや毒っ気な部分・・・ちょっと気になります(笑
Commented by tama at 2008-09-18 17:50 x
お帰りなさいませ、と申し上げてよろしいのでしょうか。フランスにもお帰りなさいませ。といわねばなりませんから。長いコメントいただきありがとうございました。私は1998年に白柳枢機卿さまのグループでルルド、ヌヴェールにまいりました。でも知識が今少し、たりませんでしたね。ま・ここつとさまに教えていただいてからゆけば、また見る目もかわつたことでしょう。
お説教、聞いて、聞いて、いろんなところに、La vielge marie,
Sainte marieがでてくることだけはわかりました。ヨーロツパではMere marieとはいわないということも。聖母といういい方は日本だけですね。マテルテウとか、テオトコスとも少しちがうニュアンス。
母と早く別れた私は、なくなつて、ものを言わない母が力になりました。生きているときの母の心配症に付き合うのは、つらかつたです。ずつと生きていれば、どんなに心配ばかりしたかとおもうと、その母をいつかはしんどくなつたにちがいないな・・という気がします。天の母はいつも力になつてくれますので、大好きです。負けおしみでなくね。

Commented by ma_cocotte at 2008-09-18 20:45
★ きなこもちさま、

まさにこれですね。

  >シンプルなお言葉で基本原則からブレないお話は信仰と無縁の
  >人間の心にさえ響くものがある

それもさらにシンプルなのは「神と神を産んだ母への愛、信頼」がご自身の
中で疑いも何もなく、ご自分がそうであるからこそ私たちに「恐れず一緒に
そうしよう」と声をかけてくださっていることですね。
難しい話だったら途中でうつむいて船を漕いでしまう私ですが、「みんなに
できること」「私だってできるかも」・・・私には水底から救われたような思いでも
ありました。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-18 20:57
★ tama さま、ただいま帰りました。
ヌヴェールにもいらっしゃったのですね。記念館に展示されている
ベルナデットの所持品や教皇さまへの自筆のお手紙など胸に来るもの
がありますよね。私は個人で訪問したので、偶然、裏庭にも行くチャンスが
ありました。ベルナデットが数年埋葬されていた場所も見ることができました。
私にとってもルルドもヌヴェールも何度も巡礼に行きたいところです。
既にルルド巡礼回数30、40回などという方々もいらっしゃいます。健常
であれ、病者であれ、若くても、幼くても、ルルドに集って「私ができることを
する」ですし、各自「できること」が違います。でもみんなでできることは
ひとつになって祈りを霊的花束にして捧げることですよね。あの独特な
雰囲気は各自の徳があの聖域で香っているからなのかもしれません。
Commented by tama at 2008-09-19 17:52 x
お返事ありがとうございました。ヌベールでは、見落としたものが沢山あります。記念館もいかなかつたようですし・・。
テレーズのご両親が10月19日福者になられるとのニュースをいただき、リンクしてくださつた記事をよみました。ご両親は4人のお子さんを幼くして、なくされているんですね。イタリア人の男の子が肺の異形で生き延びられないのを、カルメル会修道士がノベナの祈り(なんと懐かしい)を、この苦しみをになえますように!と親にすすめたのに、母は子どもを治してくださいと、テレーズの両親に2度も9日間いのつて、治癒を得たということをしりました。この子はもう21歳のはずで、お礼参りにリジューにきたんですね。
私はリジューにもゆき、復活祭のミサにあずかることが、偶然にもできました。いまそのカルメル会聖堂がありありと、瞼にうかびます。ありがとうございました。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-20 00:25
★ tama さま、
小テレーズのご両親の列福式はリジューのバジリカ聖堂で行われる
らしいです。
私も一度だけリジューに行きました。個人で参りましたので、地図を
頼りにしてのゆかりの場の訪問でしたが、今も印象に残っているのは
テレーズの美しい巻き毛でした。あまりにもきれいで、私にしてみれば
「もったいない。こんなに長く切ってしまうなんて」ですが、小テレーズ
ご本人はその瞬間、喜びのうちにあったのですよね。
私はリジューの市内の教会に置かれていたビラで、ラ・サレットの聖母の
話を知りました。まだまだ知らないことがいっぱいですが、知る喜びに
感謝ですね。
Commented by tama at 2008-09-20 10:01 x
そうそう~あの巻き毛のうつくしかつたこと!!先ずはじめにおもいだすのはあの巻き毛です。親がみていたら泣き出すでしょうに!!テレジアの内面は神さまへの愛で喜びで一杯だつたんでしょうけど・・なんだかせつない・・。
一番気の毒におもつたのはお父様が娘が次々カルメルに入り、気が狂つてしまわれたことですね。今では顔は部屋違いですが、充分あえますので、今ならお父様も気が触れなくてよかつたでしょうに!!
カルメルはけつこう召命があつて、西宮も伊那に半数行かれて、発展しているらしく嬉しくおもつております。
Commented by ma_cocotte at 2008-09-20 11:51
★ tama さまも、そうですか!(うわー、ガシっと握手です。
あの巻き毛は見るなり涙があふれてしまいますし、ですが、念願が
かなったテレーズを思うと涙の種類も「喜び」であれば、天国のテレーズ
も喜んでくださるのでしょうね。

最新エントリーで紹介した小テレーズと神学生モーリスとの文通について
書かれた本の中に、テレーズ本人が語る家族の思いと、それとは逆に
解説には病気になった父についてリジューの住民がテレーズのわがままの
せいだと噂した話についても書いてありました。テレーズにしても、
ベルナデットにしても「家族」について考えさせられますね。先の教皇さまの
お説教の中でも「ベルナデットがどういう家に生まれ、なぜ聖母が
ベルナデットを選んだのか考えてみましょう」とありました。そして、
「聖母と向き合えば、召命の声がよく聞こえる」とおっしゃってました。
教皇さまは考える種を私たちの心に撒く方ですね。o(^-^)o
Commented by Lucia at 2008-10-25 12:01 x
パパ様のごミサのご様子はまだ見ていません。これからゆっくり拝見します。
ところで、仮死状態で生まれて、保育器の故障で死にかけて、それからも何度も死線を彷徨った私ですが、イタリアの留学中、カトリック大学からの団体旅行で一度だけルルドに参りました。もう余り歩けなかったけれど自力で歩いていたので、ルルドでも洞窟とプールしか知りません。その水は郡かと思われる歩と冷たかったですが、噂どおり、出た途端に全身は乾いていました。
その後も、ほぼ全身に病を得、何度も人工関節置換術を受けて、c型肝炎のヴィールス・キャリヤーにもなり、薬の副作用にも敏感で、まあ良くも定年まで働けたと不思議なくらいですが、妹に言わせれば、何もかも、ルルドのお水に浸かったからだということになります。
実際、ある時右手中指先端をうっかり切断してしまったのですが、ルルドのお水だけで、跡形もなく治って、今でもキーボードを打つのはその指なのです。そんな小さな奇蹟も実際にあるのですヨ。
Commented by Lucia at 2008-10-25 12:16 x
氷と書いたつもりだったのに、「郡」に変換されていました。この文には間違いが多いですね。「氷かと思われるほど冷たかった…」

ma_cocotte 様のお母様のご逝去の経緯、今知りました。私の母は、90歳でしたが元気に外出もしていたのですが、そのために、自分の部屋を目の前にして、不注意運転の車の犠牲となりました。救急車の中だ一瞬意識を取り戻して、氏名と住所電話番号まで告げたそうですが、聖ヨセフの日になるのを待ったように、夜中過ぎに旅立ちました。
開頭されたまま、頭がい骨の一部は脇に置かれての旅立ちでした。
その母のためのお祈りをJPII様にお願いしにローマに行ったところ、秘書の枢機卿様の代筆でしたが、パパ様からのお優しいお手紙が家に届き、感動しました。母はJPII様にお会いしたことはなかったけれど、いつもお写真や写真集、新聞記事を前に満ち足りた笑顔を見せていたのです。
ma_cocotte 様のお母様、tama 様のお母様と私の母も、今は出逢っているかも知れませんね。
ローマの聖ピエトロ大聖堂の祭具室に行くと、特定の死者のためのお祈りを申請できます。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-25 17:06
★ Lucia さま、日本だけでなく世界中のマスコミでB16が「伝統主義者」
だと短絡的に評していますが、こうして教皇さまのごミサをビデオであっても
拝見する機会が増えますと、教皇さまが「伝統の形」を重んじているのではなく
「伝統の中身」を重んじてらっしゃる。司祭が知るべき難しいことを知らず
とも世俗にどうその中身をわかりやすく教え、与えるかを常に考えて
らっしゃる方だとわかってきますね。つまり「まず中身」を知れば、自ずと
伝統の形も体得するでしょう、であって、中身を理解しないヒトに形を
押し付けてはいません。フランスの人々は「教皇たる者が今、教皇で
あっても、元は叙階を受けた一司祭であることを忘れるな」と言います。
司祭に育てられている自分達が司祭を育ているという自覚があるので
司教や教皇さまに従順であっても、彼らに対しての厳しい目も持ち
続けていますね。

(続きます)
Commented by ma_cocotte at 2008-10-25 17:13
★ ルルドの水はあの乾き具合が独特の速さと申しましょうか。決して
ピレネーの気候のせいではありませんね。なぜならルルドのあたりは
真夏でも朝靄が立つほど潤いある土地でもありますから。
聖域外の商売っ気たっぷりの雰囲気と聖域内で醸し出される雰囲気の
ギャップも訪問初日には付いていけなかったりしますが、あのはっきりした
国境線のようなメリハリの意味も数日滞在するとなんとなくわかってきたり
もします。近年はイスラームの女性信者の人気観光地(彼らは聖母には
祈らないし、取次ぎも願わないので、単にコーラン登場人物が現れた
場所として訪問します)がルルドなので、聖域内には異教徒の数も
増えましたが、ルルドでは永遠に祈りの花束が作られる場所であって欲しいです。
確かにルルドの現場で聖母に取次ぎを願うと聞き届けられるかも。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-25 17:23
★ 更にLucia さま、
人の生も死もひとつとして同じではありませんよね。だから別項の話題に
つながってしまうかもしれませんが、「個の命」とは何であって、それが
いかに重いのか各自が知らないと、なんら世の中の諸事情に改善が
起こらないような気もしています。

Lucia さんのお母さまは聖ヨゼフに導かれたのですね。聖ヨゼフの生き方や
今尚、聖ヨゼフが保護されている対象を思うと、お母さまの生き方に
なぞらえ黙想することもできますでしょうか。
私の母はカトリックではありませんが、死を境に、たくさんのカトリック的な
祈りの花束を母の魂のためにいただきました。葬儀は浄土宗だったのに
友人の好意で主日ミサでも名をあげて集ったみなさまがたに祈って
いただけました。私もこの展開に驚きましたが、母が一番驚いていたでしょうね。
おりしも母の死は四旬節だったので、ミサに行くたびに「永遠の魂と朽ちる
肉体」をテーマにしたお話ばかりでしたが、死を恐れる私には心の安らぎ
やら納得を導く良いチャンスでもありました。何事も感謝ですね。
Commented by tama at 2008-10-26 11:10 x
Luciaさまのお母様、90歳、ま・ここつとさまのお母様、74歳少しまえ、私の母、47歳。みななくなり方も年齢もことなりますが、彼女たちはこの世で私達3人がブログにせよ、レアにせよ、神様のなか繋がり、支えあつていることを、天国で微笑み、驚いてみていることでしょう。
このことは、生きている意味を深く考えさせてくれます。私が平凡でなにもできない人間であつたとしても生きているということは、何人かの人をつなぎ、支えてもきたのだとおもえるのです。また支えられてもきました。これが、人間の生存の意味かもしれません。「生」をささえるためにお互いにできることを、やつてまいりましょう。年をとつてもできることつて、案外おおいのです。宜しくお願いいたします。
Commented by Lucia at 2008-10-26 14:59 x
tama 様、ma_cocotte 様、これからも宜しくお願いします。
伝統の中身を本当に良く理解しておられる方を教会の最高指導者にいただくことができるのは、何という幸せでしょう。
上に立つ方はいつも大変なご苦労を一身に引き受けておられるのでしょうね。そのことを理解せずに、批判するのは間違っているでしょうし、神学も知識として受け売りするのではなく、様々なご経験に基づいて洞察を深め、真理を探究し続けられながら、慣習も、物事の考え方も違う全世界の信徒を教え導かれるパパ様は、やはり偉大な方ですね。
聖霊の光が確かに教会を照らし導いて下さっているのでしょう。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-26 21:34
★ tama さま、
本当に神の御心は計り知れず、ですね。今となっては何がきっかけかも
わからなくなりつつありますが(おそらく、あんとに庵さんのブログが交差点
かと思いますけれど)、こうして会話や意見を交わせること、不思議です。
私の母は例えるなら「昭和の人」で、平成になってからのこのようなコンピュータ
などの機器についていけないまま病が進行するばかりでした。ですから、
尚更のこと、こういう文明機器やらインターネットという国境も地形も
関係ない空間で交流できる時代に私達がいることもDeo Gratias!
かもしれませんね。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-26 21:41
★ Lucia さま、
私が知る或る司祭は「信仰なくして神学はできない」という持論を持って
らっしゃいます。彼いわく「神学を学ぶ」ではなく「神学する」がカトリック
においては良いそうです。確かに学問だけで知識を広めたところで、
なぜか神学に無知な子羊でさえ何か物足りなさを覚えるもので、何が
不足しているのかというと深さなのでしょう。その深さは真理であり、自らの
経験なのかもしれませんが、今やカトリックは部屋に篭って学んだり
祈ったりするだけでなく、社会での実践も求められているのかも。
ですが、どちらか一方を軽んじてしまうと、やはり「何か物足りない」
「何かバランスの悪い」印象を醸し出したり、持ってしまったりもするの
でしょう。難しいですが、そうだからカトリックが面白い?
Commented by Lucia at 2008-10-28 10:08 x
そのバランスが難しいのですね~。
でも教会という共同体は大勢で構成されているから、自分が何のために神様から呼ばれているかを知って、そこで頑張ればいいのでしょうね。
とはいえ、それを知るのもむつかし~い!
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