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«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
『死、それは人生で最も美しい日です。』
10月20日に帰天したスール・エンマニュエル Sœur Emmanuelle が生前、常々口にしていた言葉だそうです。
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Photo Ouzounoff/Ciric

99年と11ヶ月というスールの人生におかれましては喜怒哀楽はもちろん、悲喜こもごもの出来事が多々お身近にあったかと思いますが、どんなにうれしくても、どんなに楽しくても、スールにとってはその嬉楽に感謝しながらもご自分が天に呼ばれる瞬間こそが最も美しく、喜び溢れ、その思いはその瞬間の一度しか味わえないものであるという確信があったのですね。そう思えるなんて、
凄いなあ、マ・スール。
私は人生のターニングポイントを過ぎた今も尚、死が怖いです。恐怖です。自分の死の瞬間を想像すると、この世への未練で「死にたくない」と醜くもがくに違いないとわかっています。私の母は看護士さんが見つけた時には既に息を引き取っており、母が果たしてもがき苦しんだのか、眠るように亡くなったのかも誰も知りません。できれば後者であって欲しいと思います。なぜなら元気だった頃の母がそう願っていたから。が、死ばかりは死ぬ本人にしかわからない何かがあり、それが何なのかは自分が死ぬ時が来ないとわかりません。死こそ我が神秘よ、輝く光なら、ま、いっか?

スールは生前から
«La mort est une très grande bénédiction.»
死はとてつもなく大きな天からの恵みです。
ともおっしゃっていたそうです。だからでしょうか。スールは日曜日から月曜日にかけて、すーっと旅立ってしまわれました。死そのものがプレゼントだとするなら、子供がお誕生日プレゼントの箱に駆け寄るように、スールの魂も身体から抜けて天に向かっていったのかもしれません。

冒頭の«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»はスールが奉献生活を送られたシオンの聖母修道女会の創立者であるテオドル・ラティスボンヌ Théodore Ratisbonne 師(カトリックに改宗したユダヤ人)が残した言葉の一部だそうです。全文はこう。
“La mort, mes sœurs, c’est le plus beau jour de la vie parce que, enfin, nous allons voir Celui que nous avons tant aimé. Nous allons être face à face avec Lui...” C’est merveilleux ; ça, c’est la porte qui s’ouvre tout à coup. Seulement, avant, il y a cette terrible agonie qui me fait trembler. Mais avec l’aide de la Sainte Vierge, je l’accepterai...
なんだ、神父さまがおっしゃりたいことは決して死を快楽的に美化した話ではありません。死の瞬間、震えるほどの断末魔があるけれど、聖母がそこから助けてくださる、だから私は死を受け入れる・・・・んだと神父さまはおっしゃっております。死の瞬間、自分の目の前で天国の門が突然開かれるのだそうだ。本当かなあ。開いたところでよくて煉獄Uターンですからね、わたくしは。・・・・なんて思いついちゃうから、死の瞬間に私がもがくのは確定であります。だーめだ、こりゃ。いつになったら悟れるんだか。

le 24 octobre 2008, Florentin

来月16日に100歳のお誕生日を迎えることになっていたスールは、その日にサルコぢ閣下にお目にかかることにもなっていたらしい。このお誕生日を目前に控え、多くのマスメディアがスールとのインタビュウを既に行っておりました。Lisez-les.
parismatch.com : Sœur Emmanuelle : sa dernière interview à Paris Match
Le Figaro : «La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
そうだ、スール・エンマニュエルの告白録が10月23日に発売されまして、ちょっとフランスの世の中で中騒ぎ中です。
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LES CONFESSIONS D'UNE RELIGIEUSE

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by ma_cocotte | 2008-10-24 03:05 | 『?』なKTOりっくん | Comments(10)
Commented by Mark W. W. at 2008-10-25 00:19 x
>だーめだ、こりゃ。いつになったら悟れるんだか。

諦めが肝心です。
私の場合は、悟りよりも、そのときまでにボケることを願っています。
(すでにボケていると言われもしますが。)
Commented by ma_cocotte at 2008-10-25 04:38
★ マルクス先生、
いやー、たとえボケても心が健全であれば天の門は開かれるぅううう



......と信じたい。信じる。信じれるか。
私達が子供のようであれば、子を愛さない親があろうか、と小テレーズが
言ってたような記憶があります。ぶらヴぁ、ボケ
Commented by Lucia at 2008-10-25 09:34 x
平生は、もう十分生きたから、いつ死が訪れても良い、と思っているのですが、その私でも、阪神大震災の時、地下を怪獣が走り回っているかのような衝撃で家が上下に飛び跳ねるのに振り回されながらベッドの下に潜り込むと、「いよいよ死ぬ!」と感じ、同時に、自分の生涯はこれで良かったのかと、本当に走馬灯のように色々な出来事が思い出されました。
本当に安らかに死を迎えられるまでには、まだまだ修行が足りません。
Commented by みりん at 2008-10-25 14:58 x
子供の頃、お年寄りはお年寄りとして生まれてきて、自分はいつまでも子供のままなのだとどこかで思っていました。
いや、成長していることもいつか大人になることも分かっていたのですけど、なんというか実感がなかったというか。
大学生になって初めて祖母の家へ1人で遊びに行った時、いつも強気な祖母が「この年になっても、やっぱり死ぬのがこわいのよ…」とつぶやいたのを聞いて、人は自然にいなくなるのではなく、いなくなる前に必ず死が訪れるんだ、とようやく実感として気付いたことがありました。
彼女は結局子供に還って、死が近付いていることに気付くこともなく亡くなりました。
あたしは死ぬのがこわいような、ぼけるのがこわいような…
あ、あたし両方こわいのか。なぁんだ。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-25 17:31
★ Lucia さまはもしや六甲であの地震の日を迎えられましたか?
私の友人夫妻も六甲中腹のマンション一階であの日を迎えました。
あの日からちょうど一年後、私は彼らの家に泊まる機会があり、あの日の
話を彼らから聞きましたが、横になっている枕の、その向こうからゴーと
いう音がドップラー効果のようにじょじょに大きく聞こえ、最後にドンと来た
と説明してくれました。しかも彼らが六甲に引っ越すにあたり、最終候補の
2マンションのうち、彼らが選ばなかった方のマンションは全壊という事実。
同じく当時、六甲の某修道院に住んでいた某師は眼鏡を探せずに大変な
思いをしたそうで、たかが眼鏡だけどされど眼鏡であって、身の回りの
必需品のあり方さえ熟考するようになったそうです。

私がもしそうなって、Lucia さんのように「私の人生はこれでよかったの
だろうか」と思い起こせるかというと、思い起こせないほどの「人生のing」
でありまして、もう委ねるしかないンだろうなあ・・・と想像したりもしますが。
おそらく死にたくなくて無意味にベッドを下から抑えようとするかも。
まったくもって情けない私です。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-25 17:40
★ みりんさま、私も同じです。心身のギャップとでも申しましょうか。
運良くピーターパン症候群に陥る前にある程度の現実を受け止められた
とは自覚していますが。でも、永遠にどこか少年少女のような気持を
持ち続けるのも大切というか、ヒトを魅了する何かがあるようにも思います。
スール・エンマニュエルですが、数十年前の記録ビデオを拝見すると
左傾闘士のような強さが見受けられ私にはちょっとついていけない雰囲気
が醸し出されていますが、スールが引退修道女として祈りを中心とした
生活に戻ってから、少女のような愛くるしさが語り口だけでなく特に目の
動きに現われるようになり、おっしゃることを無視できないような魅力を
備えたように思います。

私も自分の母の闘病を見ていて、ボケるのが怖いです。自覚がありませんものね。
でも、ボケた自分に誰かがいぢわるするとしたらそれは自分がボケる
以上に悲しくてつらいかも。確かに大人の皮をかぶった子供の心を
理解するには根気がいるのですが。こういうことも互いに愛し合うこと
なんでしょうね。そうすれば優しくなれるけど、甘くはなりません。
Commented by Lucia at 2008-10-26 12:56 x
9年間福井に住民票があったのですが、福井での大震災の話を聞くたびに、「神戸は大丈夫!」と思っていたのに、あの日は本当に度胆を抜かされました。
今でこそ大震災があるとすぐにニュースになり、政府も動きますが、ラジオのニュースで、「家に閉じ込められた人○○人」などと聞いて、「私も閉じ込められているのに、誰も調査に来ていないじゃない~!」等と文句を言っていました。その一カ月余り前に、骨盤の亀裂骨折のために身動きできなくなっていて、ようやく動けるようになった時のことでした。
家族全員奇蹟的に助かったのですが、未だに震災を記念する行事などには目が向けられない私です。
そんな経験もまた、災害や戦争で苦しむ難民に思いを寄せることができる一つのきっかけとなったのかも知れません。
でも、阪神大震災で集められた多額の寄付金がどこに消えたのか分からないように、他の地域でも同じようなことが起こっているようですネ。それが人間社会の常?…。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-26 21:48
★ Lucia さま、
先に述べた当時、六甲在住だった友人夫妻から聞いた話ですが、彼らの
近所に某Y口家の本宅があり、震災直後から門前で生活必需品を配布した
そうです。そこでいただける品物が有名援助団体で配布されるような
物ではなく、おむつや女性の生理用品など私達の痒いところに手が届く
品々ばかりだったそうで、「目の付け所が違うな」と世知辛いことを抜きに
感動し感謝だったそうです。
私達にも何ができるかわかりませんが、今後のために、私達も目の付け所
を変えてみたり、発想を柔軟にすることで、新たな知恵や提案が出て来て、
何かのために役立てられそうです。
Commented by Lucia at 2008-10-27 11:14 x
そのご一家(?)が震災直後には活躍されたというお話は私も聞きました。我が家の母屋は、土台から柱がずれて縦割りになりながらも、潰れはしなかったので、災難時に備えて買ってあった物を妹が避難所(小学校)にもって行って、近くに陣取っていた皆で分けましたが、最初の日に配られたのは固いビスケットの小さな包みだけでした。
幸い理科室に場所が確保できたので、年老いた両親のためだけにマットを使わせていただき、私たち姉妹は教壇の下に身を寄せていました。
母は、事細かに状況を記録していたようですが、その記録をどなたかに差し上げたので、何を書いていたのかさえ、私たちは知りません。
ただこの震災のお蔭で、母は弟たちの住む埼玉に父と身を寄せることになり、久しぶりに兄弟の暖かさに包まれました。
命を失われた方々、ご親族を亡くされた方々のためにも、11月2日にはお祈りしましょう。
Commented by ma_cocotte at 2008-10-27 21:09
★ Lucia さま、やはりご存知でしたか。
他の援助団体では見つけられないものばかりが無料配布されていた
そうですね。こういう発想は震災に限らず各自がやわらかい思考で携え
るべきではないかと思いました。
何かをきっかけに人の優しさ、冷たさやら融通の利かなさなど気づくことも
多々あり、そういうことに直面しても自分なりに応用して何事も良い方向に
考え実行することも大切なのだと(状況違いますが)母の死を境に実感
していたりします。
11月は死者を思い、月末からはクリスマスの準備ですね。生まれてくる
命と永遠の命について考えてみましょうか。
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