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久しぶりの、「...またか」
この金曜日の朝からテレビのニュウスからインドはムンバイでの事件についてカルティエ・ヂュイフ le quartier juif 、=ユダヤ人街というキーワードが聞こえてくるようになりました。短絡的に要約すれば「イスラーム過激派がユダヤ人街内の複数施設で命がけの立て籠もりをしている」ことになりますが、 どうも日本語報道の記事をざっと眺めますとミュぢゅるマン(musulmans, =イスラム教徒)が立て籠もった建物をピンポイント扱いで「事件現場」とし、そこがたまたま「ユダヤ教施設」であるという記事が多いようです。日本國向けにはこれくらいの浅い説明でいいのでしょうか。が、ユダヤ教の、それもその一帯にウルトラオーソドクスまで住んでいるとなると彼らの生活形態から考えれば「ユダヤ人居留区」内での多発事件と頭の隅っこに置きつつ今回の事件を眺めた方がいいように私は思います。オーソドクスのウルトラ度が増せば増すほどシナゴーグが徒歩圏内にあるところにしか彼らは住まいを持ちませんからして。事件現場となったホテルズもユダヤ人居留区内にあるか隣接しているのではないでしょうか。

このような国際配信になるほどの事件は久しぶりにしても、この手の宗教上のいざこざについては地球上の其処此処彼処でよくあることで滅多にないことではありません。これまでの礼拝堂の放火やら破壊、墓荒らしなどを思い出しつつ、私が「またか」とつぶやいてしまうのは事件の流れの中に「金曜日」が入っていることです。金曜日はユダヤ教にとってもイスラム教にとっても一週間のうちで特別な日です。へ?ユダヤ教の特別な日は土曜日でしょ?とつっこみたくもなりますが、ユダヤの暦では日没から日が変わるので金曜日の日没からシャバート(安息日)が始まります。フランスでも金曜日のユダヤ人街を覗けば、キッパを頭に乗せている人が関わっているお店は金曜昼までの営業で、しかも他の週日より早めの店閉いだったりします。かのイスラエルでは金曜日の日没直前から黒服黒帽くるるんもみあげの方々がシャバートを迎える喜びの踊りを路上でなさったりもする、それが世界中のユダヤびとの金曜日です。日没後、シナゴーグに足早に向かう人々を見かけるのもフランスでもそこここで見かける金曜の夕暮れと土曜午前の日常であります。一方、イスラームの金曜日も特別な礼拝日です。わが地元のイエメンびと♂は金曜の授業は礼拝出席のため来ることはないと教授に宣言していたほどです。この金曜日の意識はユダヤんにとってもミュヂュルマンにとっても信仰生活に熱心であればあるほど強いものでもありましょう。

なのに、なのに、です。
世界の一神教の三大派閥、ユダヤ教、キリスト教、イスラームにおいて、時に「三位一体などという空論などありえるわけない、神は唯一の神のみ」とユダヤ教徒とイスラームが手を取り合ってキリスト教を省いて仲良くしているにも関わらず、今回のような事件も起こり、しかも何が心の起爆剤になっているのかあまりに残虐な事件になってしまったりします。宗教違えど同じ唯一の神を信じる者同士、互いにとって特別な金曜日を互いに静かに喜びのうちに迎えられるようにできないものなのでしょうか。なにも金曜日という日に、通りどころかゾーンで火煙もうもう、血が飛ぶほど暴れなくても。

漏れ聞けば、事件があった地区はカルティエ・ヂュイフのうちでもカルティエ・ヂュイフ・オクシデント Quartier juifs occidentaux、つまり欧米系ユダヤん居留区で、必ずしもスファラディやミズラヒばかりではなさそうです。ああ、だからウルトラ・オルトドクス(超正統派)というキーワードが出てくるのですね。インドとは言え、この界隈にはアシュケナヂ系の方々が多くお住まいなのでしょう。Nariman House のキーワードで調べたところ引っかかったのがこちら。http://www.chabad.org.in/index.htm 左サブメニュウのムッシュウから拝察して、もしかしてウルトラオルトドクスと報道されているものの、ユダヤでは新興であり、世界中で布教活動をしているルバヴィッチの方々?
11月27日夕方、France 5 の生討論番組C dans l'air のテーマが
Bombay : les enfants terroristes ボンベイ:テロリストの子供たち
cf. http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1027
でした。この番組の冒頭で論客であるインド人女性が事件が勃発したあたりがボンベイで最も治安が良く、欧米人が多く集う華やかな場所であると説明しています。それに加え、欧米系ユダヤ人居留区であるならば、確かに国境を越えた人脈やら金脈で目に見える富やら繁栄が漲っているでしょう。が、それを力づくで破壊したところで世の中の美は醜に、きらびやかなものは単なる灰やら炭やら愚塊に変化するだけで、自分の身には何らかの変化が生じるかもしれませんが、自分の心や魂についてはいったい何が変わるのでしょう。

インドにもユダヤ系がいます。
数年前に漏れ聞いた話ですが、ユダヤ系である自分が生まれた国の政情が不安で、イスラエルの帰還法を頼りに例えばインドやイランで生まれたユダヤ人がイスラエルに永住を求めても、時に政府からあてがわれる住まいはかのウェストバンクに接する地区だそうです。「ユダヤ人」というレッテルだけで中の選り分けを見ずにユダヤ人でない者がアタックするのは短絡的ですし、目に見える繁栄や豊富な物資だけでユダヤ世界に関わらない第三者に選り分けられた欧米系ユダヤ人をターゲットに攻撃するのも なんだかなあ です。ユダヤ系であることで生まれ育った国でこんな生命に関わる恐ろしいことを経験し、だからと言って帰還法を頼りに本当の祖国に戻ったところで決して桃源郷を見れるわけではないという運命。この事実は宗旨違えど同じ国土で生まれ育った人々が互いに思いやることができ、こうして生れ落ちたインドで国民が世界中の誰よりも幸せになろうぢゃないかと前向きになれたりしないのでしょうか。(・・・・とココまで書いて、ヒンドゥの教えだと難しいのかな・・・とふと思った)。
フランスも土着宗教からキリスト教改宗、やがてカトリック国となったものの、現在は社会主義寄りの政教分離共和国で、現状から眺めると今世紀中にイスラームとの内戦があるだろうと予想されていたりもします。今のところ、その戦を防ぐ見えない盾は1905年のライシテ(Laïcité, =徹底政教分離法)でしょう。
Jésus/Mahomet : les frères ennemis 
イエズス/マホメット:敵対する兄弟
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1014
ヒトというものは敵がいないと生きていけない弱い生物なのかもしれません。
数日前もニュウス番組の中で同じインド国内のオリッサ州で起こったヒンドゥ過激派によるキリスト教徒居留区への無差別襲撃の傷跡について見たばかりです。こうもこのような宗教対立が続くと、脳裏に「弱肉強食」「下克上」などの単語が徒競走を始めてしまいます。ヒトが決めた国境の中でマヂョリティとなった宗教にとって、マヂョリティが不安になるほど急激に信者数を増やしている異教はやはりつぶさねばならない存在なのでしょうか。

フランスでは最近聞くようになったかもしれませんが、日本でしばしば耳にするのは「ライバル」です。「ライバル」は競り合うために存在するのか、それとも叩きのめしたり、つぶしてまでライバルを消し去り自らが唯一のモノにならなければならないと誰か決めたのでしょうか。掌に乗れる大きさの物を手を握ることでつぶすのは簡単ですが、ヒトには思考する喜び、対話できる力もあるのにそれを使わずに最短安直に他者を消すことで心が満たされるというのはいかがなものでしょう。
Les talibans menacent la France フランスを脅すタリバン
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1025

この世における究極の人類の救済はイスラームで生きることだとしても、この21世紀、誠意を尽くした対話の中で新しい理想の形を発芽でき、その芽を宗旨を超えて喜びあえれば良いのですが。

le 29 novembre 2008, Saturnin
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by ma_cocotte | 2008-11-29 17:24 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
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