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ハイチ、あれから第五日 Haïti. J+5
2010年1月17日、月の第三日曜日。
ココんちあたりは靄の朝で始まり、お昼過ぎには昨日までとは異なる陽光を肌で感じ取ることができました。耳には今年に入って初めて鳥のさえずりが入りました。春はもうそこまで来ているのかもしれません。

午前11時、ココんちから車で5分ほどにある旧市街のカトリック教会のごミサにあずかりました。入祭の直後にアナウンスがあり、仏蘭西司教団の判断で今日17日、仏蘭西共和国内すべての教会でささげられたごミサで集められた献金をハイチ救済のために用いるとのこと。聖堂内を見渡すと500人近い人が参列していたので、ひとり1ユーロを籠に入れたとしても、この聖堂だけで500ユーロ集まります。同時刻に同じ旧市街の教会でもミサがあげられているので、共和国内のすべての教会の献金となると少しはハイチ救済のために役立てられるでしょうか。被災者のためにも、被災者を救出するために働く方々のためにも微力となりますように。以下 ↓ は花の都は巴里のノートルダムでの1月16日夕方にささげられた主日ミサの様子です。ハイチ地震の犠牲者のためにささげられました。司式は巴里大司教ヴァントワ枢機卿 le Cardinal André Vingt-Trois です。
DIRECT à NOTRE DAME
Messe pour les victimes du séisme en Haïti

http://www.ktotv.com/videos-chretiennes/emissions/nouveautes/direct-a-notre-dame-messe-pour-les-victimes-du-seisme-en-haiti/00048949
帰宅後、友人からハイチ国内で奉献されている日本人シスター(レデンプトリスチン修道会の飯村シスター)の現地報告がインターネット上で拝読できることを知りました。
ハイチ里親運動 ハイチ地震関連
http://www1.bbiq.jp/haiti/
ひとつ前のエントリーに記しましたが、シスターの報告で首都ポルト・プランスの大司教さまの他、お二人の司教さまの帰天も知りました。





仏蘭西という国は被災地の映像を容赦なく流すこともあり、時間を追うごとに心身につらい事実を目の当たりせざるを得なくなりました。放置された犠牲者の遺体、市内の暴動の様子。魂の抜けた亡骸はこういう扱いを受けてしまうのか!?と泣けても来ますが、私の母の死を通して魂が抜けた身体ほど空しい物はなく、あれほど母が生前、火葬を恐れていたことを知ってはいても、刻々と様子が変わっていく母の亡骸を見、「このままにはしておけない」と思うようになった自分自身に驚きもしたことを思い出しました。ハイチはキリスト教国ということもあり、埋葬には棺を用いますが、棺が間に合わないのだそうです。そのせいで埋葬も人々が納得いかない形となってしまっていますが、伝染病の発生を遅らせるためにはこうせざるを得ません。亡骸がこういう形で埋葬されることはもしかしたらご本人の魂にとってもつらいことかもしれませんが、どうか天に帰ったハイチ地震の犠牲となった方々の魂が今は肉の痛みから解き放たれ、平安の光の中にありますように。

そして、地上に生きる運命を受けた被災者方。どうか暴力で自分の空腹を満たそうという思いから離れられますように。きょうのごミサの中で私の聞き間違いかもしれませんが、神父さまが「ハイチの人々のためにワインが水に変わりますように」とおっしゃったのです。世界中からハイチに救援に行ったとしても、電気もガソリンもなかったら思うように動けませんし、救援隊員が共倒れになってしまったらどうなりましょう。どうか善意ある人々に力が与えられますように。ひとつのパンを百にも千にもちぎるという心の余裕はないかもしれません。ですが、聖書に書かれているマナの奇跡のようにパンが全ての方々の手に届けられますように。きっと、あの被災地における互いを思い合う心は必ず新しい良い芽を生やすと信じたいです。

きょうのニュウスで気付いたことですが、どうもハイチの空港管理を国連ではなくエイメリカ合衆国が引き受けたらしく、各国の救援活動のための飛行機やヘリコプターの離着陸の認可は合衆国が出す形のようです。これが不便なのか便利なのかも素人の私にはわかりませんが、知った瞬間はついうっかりちょっとムっとなってしまいました。大義のための不便と考えるようにしようかと。

ハイチは19世紀はじめに世界で初めての黒人による独立国だそうですが、その後の国内の混乱は現在まで続いており、そのハイチにこのような天災があったことになります。世界の最貧国のひとつということで、欧米からはキリスト教聖職者も世俗も多くハイチに入り、人道支援を続けています。どうかこの悲惨な現状においても善意から平安が生まれますよう。

le 17 janvier 2010, Antoine le grand


実は昨夕のことですけれど、ココんちの地元のスゥパァに買い物に行きました。レジで支払いとなり、12ユーロ某とのことだったので20ユーロ札を出しました。レジのマダムが最初に私に小銭2ユーロといくつかのサンチームのコインを私の手に乗せ、一度私の目の前に置いた5ユーロ紙幣をレジの中に仕舞い込んだのです。

・・・・これって悪質だと思われませんか?

仏蘭西のレジで紙幣やコインが収まっている箱は一客につき一度しか開けないようになっています。もし私がこのことに気づくのが遅く、彼女が箱の蓋を閉めてしまったらどうなっていたことか。気持悪いことに、私が「まだ5ユーロ札をいただいていません」と掌に乗せられた小銭を見せたところ、そのレジのマダムは「あら?まだ渡していなかったかしら?」とそそくさ閉めかけたレジの蓋から5ユーロ札を出し、私に渡しました。不快になってしまうほど臭い対応だったのでこちらも内心泣けましたが、既に週末の夕方だったので彼女も疲れているのよ、きっと!と思うことにしました、まる

で、その直後からハイチの現状をテレビで見てしまうと、ついうっかり「あの婆!天誅!」と思ってしまう。神さま、ごめんなさい。
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by ma_cocotte | 2010-01-17 23:37 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(0)
Hourra! Ingrid Bétancourt enfin libre!
昨晩、22時過ぎだったと思います。突然、テレビ画面の下方にテロップが出、2002年2月23日に誘拐されて以来6年間、南米はコロンビアのジャングルの中で左傾ゲリラの人質となっていたイングリット・ベタンクール Ingrid Betancourt 女史(↓)が無事救出されたという速報が流れました。
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思ったよりふっくらしていて、元気そう。釈放されて得た久しぶりの自由が彼女に力を与えるお薬となっているのかな?A pein descendue de l'avion qui a atterri à l'aéroport militaire de Bogota, Ingrid Betancourt s'est montrée souriante. RODRIGO ARANGUA/AFP

昨年11月30日 にコロンビア政府が公式HPに掲載した人物(↓)とは同じ人物とは思えないほど、ベタンクール女史がイキイキとして美しく、少女のようにかわいらしくさえ見えます。
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Photo par Presidencia de la República de Colonbia

空港にベタンクール女史の母上とご夫君 Juan Carlos Lecompte 氏が出迎えていたこともあるのでしょうね。一夜明けて、フランス共和国国内の今朝のニュウスでは繰り返し母と娘の抱擁の姿が流れました。cf. http://jt.france2.fr/8h/

いろいろボヤく前にまずは参考資料として、以下の記事をご覧あそべ。

<コロンビア>トリック作戦で人質救出 ベタンクールさんも
7月3日11時14分配信 毎日新聞

【メキシコ市・庭田学】コロンビア国軍は2日、同国最大の左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」に誘拐されていた元大統領候補で仏国籍を持つ女性、イングリッド・ベタンクールさん(46)ら人質15人を救出した。FARCを欺くトリック作戦で、銃弾を一発も発射せずに人質を電撃的に奪還した。
 ベタンクールさんは大統領選運動中の02年2月、誘拐された。他に救出されたのは、03年に拘束された米民間軍事会社の米国人3人とコロンビアの兵士・警官ら。10年以上拘束されたコロンビア人もいる。
 会見したサントス国防相によると、救出は「王手作戦」と名づけられ、まずFARC内部に国軍スパイを仕立てた。スパイはFARC上官をだまし、3グループに分かれ拘束されていた人質15人を同国南部のジャングルに集結させた。そこへ2日朝、民間機を装った国軍の白いヘリが到着。15人を乗せ、奪還に成功した。
 人質は離陸後に救出を知らされたといい、ベタンクールさんは「うれしくてみんな跳び上がり、ヘリが墜落しそうだった」と話した。AP通信によると、FARCの上官ら計4人が機内で逮捕された。
 だが、FARCは依然として25人前後の兵士・警官らを政府との交渉のために拘束。また、身代金目的で約700人の民間人を人質にしているとされる。ベタンクールさんは会見で「残された人質を救出しなければならない」と語った。
 ベタンクールさんは欧米で、FARCが拘束する人質の象徴だった。フランス当局は03年、極秘に仏軍機をコロンビアに送り込みベタンクールさん救出作戦を試みたが失敗。当時内相だったサルコジ大統領は昨年、ドイツでの主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)で人質問題を取り上げていた。



___φ( ̄^ ̄ ) フムフムフム.....
更に、よろしかったら、こちら(↓)をご笑覧くださいませ。
おチャベスさまの、ご来仏。http://malicieuse.exblog.jp/7729489/
実は、このフランス国籍を持つコロンビア人であるイングリット・ベタンクールさまの誘拐人質事件につきましては、ガイジンヲッチャーのひとりだった私には昨晩の無事釈放を知ったことでひとつのカンマ(,)を打つことができ、その役目どおりに一息つくことで、さまざまな思いが脳と心を駆け巡っている次第でございます。まずは
コロンビア国軍がチャベスいらずで人質15人を救出した
こと、これが私には祝着至極に存じます。これまでコロンビアのウリベ大統領がガン!としてヴェネズエラのチャベス大統領からの「余がゲリラとの仲介と和解をするあるね」という申し出を受け付けなかったことは、賛否両論ありましたし、人質救出までの時間が経過すればするほど、ベタンクール女史が誘拐時にコロンビアの大統領候補であったがために実はウリベ大統領が彼女の存在を快く思っていないだの何だの噂にもなりました。つまり「救っているようで救うつもりは全然なーい」という憶測ですね。これまでにチャベス大統領のネゴも失敗し、フランス共和国軍の救出作戦も失敗に終わったにも関わらず、こうしてコロンビアの軍が自らの作戦で救出に成功したことは国際政治上でも論点やら観点が見直されるきっかけになったように思います。中南米の現状は不気味なほどヒダリに急旋回中でもありますので、この結果がどう中南米大陸中に影響するのか見守りたいものであります。

次に、フランスという国についてです。
このイングリッド・ベタンクール女史が極左ゲリラに誘拐されて以降、フランス共和国内では特にフランス社会党(PS)が中心となって定期的にベタンクール女史の救出キャンペーンを大々的に行ってきました。共和国内中、PSの市長が君臨する市町村役場には美しいベタンクール女史の大ポスターが一年中掲げられてもいました。
で す が ね 、
ベタンクール女史はフランスで生まれたわけでもなければ、ご両親のうちどちらかがフランス人というわけでもなく、1981年にフランス人男性 Fabrice Delloye 氏と結婚したことでフランス国籍を手にした女性なんですね。この二人の間には一女一男(Mélénie, Lorenzo)がいますが、この二人の婚姻関係は1990年に離婚という形で終わっています。しかも離婚と同時に、ベタンクール女史は子供二人をフランスに残したままコロンビアに帰国し、政治家としてデビュウ、新党を結成し、2002年のコロンビア大統領選に立候補した直後に誘拐され、昨晩の無事救出に至ります。

イングリット・ベタンクールさまが46年の人生のうち、おフランスにおフランス人として滞在したのは9年なんですね。しかも、離婚直後に彼女の母国コロンビアにお帰りあそばしたのに、2002年の事件発生後からこんにちに至るまでフランス政府は彼女を「フランス人」として世界中に救出をアピールし続けたことになります。
こんなこと、普通、ありえないでしょ?
と、ついうっかり口から言葉が零れ落ちてしまいますが、この零れ落ちる疑問は市井のフランスびとにとっても実は同じだったりします。イングリット・ベタンクール女史がコロンビアで教育相を務めた父を持ち、姉は駐仏コロンビア大使(2000-2004)だったり、幼少時に一時期過ごした花の都パリにBAC(大学入学資格試験)合格後、留学生として戻り、出国する1990年までにベタンクール女史にはフランス国内で力ある人物たちとの人脈がしっかりできていたことで、ここまでフランスという国が彼女の無事救出に拘り続けたのではないか、という話もしっかり底辺で流れています。
だよねぇええええ。
イングリット・ベタンクールという女性はコロンビアにとっても、フランスにとっても「特別扱い」に値する女性なのですよ。

例えば、フランス国内のごくごく普通の市井において、です。某宗教を生活信条とする移民男性と結婚したフランス人女性の子供が、フランスと父親の祖国の二重国籍を持っているにも関わらず、両親の離婚を契機に「母親が異教であることを理由に」子供が父親の祖国に連れ去られたきり行方不明という話がゴマンとフランスにはあっても、ベタンクール女史のための救出キャンペーンのような運動は表向きにはございませんのよ。フランス国籍を持つ子供を誘拐したのがゲリラならば世間様で救出キャンペーンが活発化するのかな?

下世話な話では、イングリット・ベタンクール女史の美貌だけでもフランス社会党の広告塔としての条件に当てはまっていたなんて噂もあります。確かに、ベタンクール女史が才色兼備だけでなく財力・政治力まで備えた46歳のコロンビア女性であることは間違いないでしょうけれど。そういうベタンクール女史個人にまとわりついているタレントを省いて、全共和国民に当てはまる「救出条件」はたった9年とは言え、イングリット・ベタンクール女史が結婚によってフランス国籍を持つ一人格であり、フランス人男性との間の子供二人がフランス国籍を持つ共和国民で、2002年の誘拐当時はこの二人は未成年だったからベタンクール女史には「未成年のフランス共和国民の母」という身分も加わっていたことでしょうかねぇ。

Liberté Egalité Fraternité 自由・平等・博愛というスローガンに近年は第四スローガンのSolidalité 連帯がくっつくおフランス共和国ですけれど、本当に共和国民が平等なら、これからも政治やら文化やら宗教やらの理由で見つからない共和国民のみなみなさまを救い続けてください。

ま、ベタンクール女史が無事救出されたこと、よござんした。
まもなく我らがベルナール・クシュネ Bernard Kouchner 外相を団長とするベタンクール女史のご家族@おフランスのご一行サマがコロンビアに到着し、感動の再会ショウを繰り広げられるかと思います。

正直申し上げて、ベルナール・クシュネ Bernard Kouchner の方が、サルよりはるかに「良い仕事」してますね。神聖皇帝サルコぢ一世の傲慢独善の暴れぶりを早くなんとかしてくれんかと思います(彼に投票した共和国民は反省すべし)。そのお話はあらためて、後ほど。

le 3 juillet 2008, Thomas

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救出後、到着した軍の空港で跪いて祈りつつ、司祭の到着を待つベタンクール女史
Former hostage Ingrid Betancourt, bottom right, kneels to pray with her mother Yolanda Pulecio for a group prayer with other freed hostages upon arrival to a military base in Bogota(AP Photo/ Fernando Vergara)

でねでね、ニュウスで拝見したところ、その神父さまの装束が三角に見えるフード付の真っ白い修道服なのです。南米版のフランシスカーンでしょうかしら?
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by ma_cocotte | 2008-07-03 15:54 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(10)
Il y a urgence à libérer Ingrid 一刻も早く。
自由になれますように。
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Photo par Presidencia de la República de Colonbia

写真は11月30日コロンビア政府が公開したイングリッド・ベタンクール Ingrid Betancourt 女史です。フランスでは30日お昼過ぎのニュウスからベタンクール女史の近影とされるビデオ映像が流れ、"Elle est vivante. 彼女は生きている!"と繰り返されていますが、久しぶりに拝見した印象を率直に語れば、やつれが目立ち、髪の毛はこの5年一度も切っていないように見えました。
左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(Revolutionary Armed Forces of Colombia、FARC)」のメンバーから押収したとされるこのビデオではベタンクール女史の他、3名のアメリカ人男性捕虜が映りましたし、コロンビア政府のHP では現在、ベタンクール女史はじめ複数の捕虜の写真を見ることができますが、素朴な疑問ですけれど、ベタンクール女史以外の捕虜の方々が小奇麗で妙に元気そうに見えるのはなぜでしょうか?Le Figaro.fr (全国紙ル・フィガロのHP)に掲載された記事に寄せられた一般読者からのコメントでも懐疑的なものが多いです。明らかにベタンクール女史のビデオも写真も他の人質とは別の時期に撮影されたものでしょう。あまりに日差しが異なります。コメントの中には公表されたビデオさえ実は単なる写真をビデオに撮っただけだと推察している意見もありました。それに対し「よく見ると頭上がかすかに動いているからビデオだ」という反論もありましたが、いずれにせよ、誰もがベタンクール女史の生存と一日も早い解放を願えばこその凝視であり注視であります。

おチャベスさまの来仏 を11月19日に歓待したばかりのフランス政府は30日になって、おチャベスさまの仲介は「既に過去のもの」になった、と発表しました。外交マナーを欠いたおチャベスさまの態度に立腹したコロンビア政府は既にチャベス氏を外す形で人質解放に向けての交渉を続けることを 11月21日に発表 しています。

コロンビアの首都ボゴタで拘束されたFARCメンバーから押収した物の中にはベタンクール女史が母親ヨランダ・ピュレシオ Yolanda Pulecio さんに宛てた12ページにも及ぶ手紙も含まれていたそうで、Le Figaro.fr ではこの手紙を«La lettre de désespoir» d’Ingrid Betancourt イングリッド・ベタンクールからの「絶望の手紙」と命名しており、このタイトルだけでも目頭が熱くなってしまうのは私だけではないと思います。30日、ビデオを見たベタンクール女史の前夫であるファブリス・デロワイエ Fabrice Delloye 氏も、息子ロレンゾ・デロワイエ Lorenzo Delloye 氏も女史の健康状態が良くないのが明らかでビデオを注視できないほどだったそうで、兎にも角にも一刻も早い救出を改めて世論に訴えました。

12月です。

フランスは12月2日の待降節の始まりをもって本格的にクリスマスを迎える準備に入ります。
どうかベタンクール女史がクリスマス前に解放されますように。5年以上、ママンのいない食卓でクリスマスを過ごしたお子たちが今度のクリスマスにはママンのぬくもりを感じることができますように。

le 1er décembre 2007, Florence
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by ma_cocotte | 2007-12-01 05:51 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(4)
カっとして、グっと来て、パっと断交を宣言しちゃうのだから。
今から10日ほど前の11月19日、突然、ヴェネズエラのおチャベス大統領閣下がご来仏あそばして、5年以上前からコロンビアの極左組織に誘拐拉致されたままのイングリット・ベタンクール女史の救出をほのめかしました。フランス皇帝サルコぢ一世が住まうエリゼ宮殿においてもその意向は大歓迎され、フランスで母上の救出を祈るベタンクール女史の二人の子供や支援者もモアイにお似ましのおチャベスさまを潤んだ目で神を仰ぎ見つつおチャベスさまの今後のご活躍に祈りを捧げたのでありました。
ところが、です。
ヴェネズエラにお戻りあそばしたおチャベスさまがコロンビア政府と極左ゲリラ(コロンビア革命軍、FARC)の仲介交渉を始めるに当たり、どうもコロンビア政府を無視してコロンビア国軍との交流をとり始めたことで、コロンビア政府側が大統領の名の下にチャベス大統領を介した交渉を打ち切ると21日に発表しました。今後はおチャベスさま抜きで交渉を続けるそうです。この世には時差がありますので、おチャベスさま来仏3日未満でこんな展開を見たのです。コロンビア政府の措置を知ったフランス皇帝サルコぢ一世におかれましてはコロンビア政府に「おチャベスさまに今のあなた方は従うべきです」とご進言。コロンビア側は皇帝サルコぢ一世の意見を受け入れませんでした。
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↑ 左がウリちゃん、右がチャベたん ↑
こんなべっとりねっとり密蜜な時もありますた。

Photo par AFP

つくづくおチャベスさまの感情は蛍光灯のごとく、電流の流れの悪い豆電球に譬えられます。25日、おチャベスさまはスペイン、コロンビアの二国との関係を凍結すると発表しました。なぜなら15日前の11月10日、チリのサンチアゴでスペイン国王から Por qué no te callas! 黙らっしゃいっ! とテレビ生中継中の会議の席上で一喝されたこと、続いて4日前にコロンビアに人質救出交渉の仲介役から外されたからです。「スペインはベネズエラの尊厳を傷つけた」「コロンビアはベネズエラ国民の顔につばを吐きかける行為をした」ので「スペイン国王が謝るまで」「コロンビア政府の人間は信用できない」、ゆえにスペインおよびコロンビアとの関係をベネズエラは凍結するンだそうです。「ベネズエラの尊厳」というよりおチャベスさま個人のプライドを傷つけられたことでおチャベスさまのご体内の「お疳の虫」が治まらないだけぢゃないのかすらね?

それでもスペインもコロンビアも 無視 しか示さなかったことで、おチャベスさまのご体内の電圧器まで調子が悪くなり始め、とうとう28日になっておチャベスさまはコロンビアとの国交断絶を宣言しちゃったのでした。コロンビアのウリベ大統領の任期中はぜーったい国交を回復しないって決めちゃったんだそうです。凄いよね、おチャベスさまは自称「我こそは本物のマルクス主義者」だよ。他者を威圧するほどエラいけど、底辺の人なんだよねぇ。

なぜかわざわざパリまでいらして『イングリッドは生きている。私はそれを確信している。』と滞在先ホテルに入る手前でつぶやいた(!)のがベネズエラに生中継されるという演出までしてベネズエラ国民に「我こそは全知全能」をアピールしたおチャベスさまは28日には「僕に縁を切られたら60億ドルの両国間貿易に打撃をもたらしちゃうンだからね♪」と断交宣言の中で述べて、ベネズエラ国民にまたも「我こそは全知全能」を見せ付けました。とっころが、
今もって、コロンビアからは無反応。
チャベたんは無視されてるらしいよ・・・・。おばちゃんはスペインやコロンビアがベネズエラにイヂメなんかしていないと思うよ。おチャベスさまは過去にもメキシコやペルーからの大使を召還し、ベネズエラ国民には「全知全能の絶対権力」を見せつけ国内を威圧していましたが、国際的に傍観するとおチャベスさまがそうしたところで貿易にはほとんど影響がなく、今回の「おチャベスさま断交宣言ショウ」が興行されたからとて両国間の外交のみの対立のみで経済はプルンとも動かないでありましょう。
おチャベスさまってハッタリかまし屋だよね。(-。-) ボソッ
フランスの共和国民の反応はベタンクール女史を救ってくれると宣言したおチャベスさまを「信じ」、「従おう」と主張する人と、救うにしてもそこに民主主義はあるのか?目の前の甘いエサに騙されずフランスは熟考して前進すべし、と慎重論を唱える人に二分しつつあります。確かにベタンクール女史の子供の立場になれば「一日も早い救出を願う」のは当然なんではありますが、子供達が「ママンを救ってくれるおぢちゃん」を盲目的にお慕い申し上げ始めているのもテレビの画面からぢっとり感じ取れる現状です。
こちら(↓)、昨晩放映された生討論番組のビデオです。深夜の大舌戦!
Ce soir (ou jamais!) : L’Amérique latine de Chavez
さて、現代フランスの帝政の中におります一ガイジンとしましては、皇帝サルコぢ一世が内政におかれましては極右でありながら、外交におかれましては 中國さま やベネズエラさまとベットリぬるぬるしつつ任期一年未満の小ブッシュにワンワンという理解に苦しむ「珍帝」にしか見えません。本当にこの地球は21世紀から7年、まもなく8年目に入るのか・・・おフランスはどうも近世どころか中世時代にタイムスリップしつつあるのではと思いつつ、私は少しずつ荷物をまとめようかな・・・と。

le 29 novembre 2007, Saturnin
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by ma_cocotte | 2007-11-29 18:37 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(6)
おチャベスさまの、ご来仏。
昨晩、ヴェネズエラのチャベス大統領閣下殿様が来仏あそばされました。
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Copyright © 2007 AFP

今回のチャベスさまの来仏の主たる目的ですが、サルコぢ大統領閣下との『対等な面会』ではなく、イングリッド・ベタンクール Ingrid Betancourt という一女性について、でなのであります。
この女性、フランスとコロンビアの二つの国籍を持ち、2002年当時、コロンビアの次期大統領候補のひとりでありました。ところが、2002年2月、コロンビア最大の左派ゲリラFARC(コロンビア革命軍)に誘拐されたまま、いまだ行方も生存も不明のままです。今年46歳を中南米のどこかで迎えられたと思われます。フランスにはベタンクール女史の二人の子供(メラニ Mélanie と Lorenzo ロレンゾ)、そしてこの二人の父親である前夫と中道左派より左が中心となって救出運動(主にデモ行進)を繰り返し行っています。
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私が住む町の役所も、市長がPS(社会党)なので正面玄関にこのようなベタンクール女史救出をアピールするポスターが常に掲げられています。誘拐後こんにちまで、テレビやラヂオの報道番組では定期的に長女メラニィが出演し、母親がコロンビアで行方不明になっていることをフランス共和国民が忘れないで欲しい、一日も早く救出して欲しい、と訴え続けています。
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左がメラニィちゃん、真ん中がロレンゾくん
@11月19日パリで行われた救出祈願デモ
Photo par Reuters

この件についてフランス共和国政府がまったく動いていないわけではありませんが、2003年夏、フランス当局がベタンクール女史を救出しようとした作戦を試みたことでブラジル政府が主権侵害を理由にフランスに抗議した事実もありました。この時、フランス政府の言い分はベタンクール女史の家族の要望を受けて、ゲリラ側との解放交渉をする目的でコロンビア国境近くのブラジル側アマゾン川中流のマナウスに軍輸送機ヘラクレスを派遣しましたが、この救出作戦が失敗に終わったことが、おル・モンドさまの報道で明るみになったのでございますね。で、当時外相だったド・ヴィルパン氏(後の首相)がブラジル政府に事前に承諾を得ていたと正当な作戦だったと主張したましたが、ブラジル政府は駐伯の大使を呼び、説明を求める一方、ブラジルの下院外交国防委員会は「ド・ヴィルパンの嘘つき」と批難し、フランスから事前連絡がなかったと主張しました。これを受けてド・ヴィルパン氏があっさり事前連絡が「できなかった」と謝罪して炭火が消えたかのようになった、なんてことがかつてあったのです。
で、おコロンビアのおゲリラですがベタンクール美女史の解放条件として、病気中の幹部の治療と多額の身代金をフランス側に要求。前出のおフランス救出隊には医療チームが参加していたという噂もありました。

大統領選に立候補宣言しながらも誘拐されて見つからないままのベタンクール女史ですが、コロンビア国内ではこの誘拐事件についてあまりニュウスになっていないようです。現在のコロンビア大統領はアルバロ・ウリベという新自由主義者を自称する方で、2002年8月に就任。この方のご両親はゲリラに殺されており、その恨みを背景に対ゲリラ武力行使強硬を唱えての就任にも関わらず、就任後すぐ極右武装集団AUCの武装解除交渉に成功したことで一時は65%もの驚異的支持率になったほどです。ベタンクール女史はウリベ現大統領に比べると穏健対話を左派ゲリラに求めていたのに誘拐されてしまったのです。

イングリッド・ベタンクール女史の誘拐から5年以上が過ぎ、突然チャベスさまから絶望しそうになっているフランスに残された家族に「ママンは生きているよ。おぢちゃんが救出してあげよう。」と話が持ち込まれたのでありました。
11月20日午前0時54分着の AP 電によりますと、
"Ingrid est vivante, j'en suis certain", a déclaré le président vénézuélien à des journalistes devant son hôtel parisien. Ses propos étaient retransmis en direct sur la télévision publique vénézuélienne.
『イングリッドは生きている。私はそれを確信している。』とパリの宿泊先前で報道陣に向かい、ヴェネズエラ大統領は宣言した。彼の談話はヴェネズエラ公共テレビ局に生中継された。
ε= (´∞` ) Bof。 どうやら自らが救世主であることを自国民にアピールするのが深層目的のようでございますね。マルクス教徒のチャベスさまがどのように極左ゲリラからベタンクール女史生存の情報を得たのでありましょうか。こんな宣言をするためにパリにおみ足運び、家族を慰め癒す救世主を演じるなら、いっそナマのベタンクール女史と一緒に来仏あそばされた方がフランスの平らで凡な民に神を忘れさせられるほどの存在になれたでありましょうに。そして、マルクス教で頭飛ばしの大躍進出世、つまり世界の全ヒダリから崇敬のナマ神扱いになれましたものを。リビアからブルガリア人を救った前妻を持つサルコぢとまさに「対等の分かち合い」もできたでしょう。このもったいぶった来仏がおチャベスさまの自国民向けパーフォーマンスだけで「なかったこと」にならないよう、真のベタンクール女史救出が一刻も早く実現するよう祈ります。

さて、おチャベスさまと言えばスペイン国王陛下に Por qué no te callas! 黙らっしゃいっ! と公の席で一喝されたことが記憶からなかなか消えてくれない事実ではありますが、なんとこの国王陛下の Por qué no te callas! 黙らっしゃいっ! がスペインで大人気となり(そりゃ、なるわなヾ(`◇´)、この"Por qué no te callas!"をあしらった商品が大ヒット、おまけにきょうび、この一喝が着メロとして出され、事件から10日経つか経たないかのうちに約50万人がダウンロードし、150万ユーロ(2億5千万円弱)の収益を得たそうです。更におまけに「www.porquenotecallas.com」がオンライン競売に出されており19日時点で入札価格は1万ユーロ以上に跳ね上がっているそうで。なんつうかスペイン・ラテンなノリがリアルになっているなあ、と思う次第。誰も「そういうことをしたらチャベスさんをいぢめていることになりませんかあ?」と言わないところが国力は日本よりないにしろ成熟したオトナの感性の国ですわなあ。

おあとよろしいようで。(-。-) ボソッ

le 20 novembre 2007, Edmond
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by ma_cocotte | 2007-11-20 15:54 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(4)
接触の悪い蛍光灯。
こんな記事を見つけたよ。


ベネズエラのチャべス大統領、スペインとの関係見直しに言及

11月15日19時17分配信 ロイター

[カラカス 14日 ロイター] ベネズエラのチャべス大統領は14日、国際会議の場でスペインのフアン・カルロス国王から「黙りなさい」と一喝され論争となったのを受け、スペインとの外交および商業関係の見直しに言及した。
 同大統領は、同国王による叱責に対して謝罪を要求しているほか、主に銀行などスペインからの投資にも対抗的な措置を講じるとの意向を示した。
 同大統領は、地元のテレビ番組で「両国関係を損ないたくはないが、私は今、スペインとの政治、外交、経済関係について詳細な再検討を行っている」と述べた。
 資本主義者を「帝政」と揶揄する同大統領は、銀行大手サンタンデールやベネズエラ大手銀行のオーナーでもあるバンコ・ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア(BBVA)の名を挙げ、これらのスペイン系企業を必要としていないと話した。



どうもヴェネズエラの国家元首であらせられるチャベス大統領閣下は去る10日に、スペイン国王陛下から Por qué no te callas! 黙らっしゃいっ! と公衆で叱られたことにかなーり根を持たれたようで3日もかかって怒りを公衆で爆発させたようであります。素朴な疑問ですが、
なんで怒りが爆発するまで3日もかかったんでしょうね?
ここまでチャベスさま本人が爆裂するためのエネルギー供給が速やかに行われなかったので3日もかかったのかと拝察いたします。「21世紀の最高級マルクス主義者」を自認するチャベス大統領閣下がテレビ生中継の席上でスペインの王様に叱られた腹いせをどう表そうかと泣きついたのはキューバのご隠居さんであることは間違いないでしょうし、未来の南米を理想的アジア型中華思想に満たすためには中國さまのエラい方々にも相談申し上げたでしょうし。仲良しの弟分であるボリビアのエボ鯛、いや、エボ大統領にも「おぼえてろよーっっ!」とゲンコがつんのポーズでにいちゃんが決して負けたわけではないことを見せ付けたでしょうし、弟二人でチェ・ゲバラさまに手を合わせて祈ったかもしれません。もちろんマルクスブラザース方々からの意見をいただいたところでキューバのご老公さまのご意向が最優先されたではありましょうが、チャベスさまが動くためのエネルギーをそそいで下さる先の電圧を統一するのに3日かかったんだろうな。こんにち世界中の新聞が掲げた内容ぢゃ、電圧のせいで蛍光灯が切れちゃいそうな予感もいたします。
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闘牛さん(左)と鈍牛さん(右)がごっつんこ。

チャベスさまは「黙らっしゃいっ!」と公の席でご自分に叫んだスペインの王様を闘牛にたとえました。が、その場で怒りを表さず、ホテルでぶちぶち、翌日はスペインの新聞社にグチグチ、事件から3日も経って仕返し開始を宣言したチャベスさまは瞬発力の鈍い牛のようにも見えます。チャベスさま個人が無断で暴走しすぎたことで第一幕が盛り上がりましたが、結局はマルクスブラザーズのエラい方々が全体案をまとめて、チャベスさまに第二幕を踊ってもらうショーが始まったようです。

だがなー、確かに中南米にはスペイン出身の「豪族」のような人々が各国の機能をツンツンいぢれるような部分にドデンと居座っているだろうけれど、もし現時点で中南米がスペイン系企業やスペインと二重国籍を持つようなおブルヂョワをいたぶったところで、中南米国内がまだ成熟しきっていないのだから国内混乱をチャベスさまの私怨がきっかけで巻き起こすことになりかねません。現に中國さまから大量の「優良」移民を受け入れ続ける中南米の左傾各国であります。人材を他国に頼っているのは間違いないし、今回の事件がきっかけでスペインとの関係を薄めたところで、中國さまからその穴埋めを理由にコッテリとした関係を求められるのもミエミエだったりします。チャベスさまにおかれましてはここはひとつ冷静に、国内臣民のあらゆる質の向上にエネルギーを注ぐことがチャベスさまが「真のヴェネズエラ皇帝」になれるための基礎作りではないかとも思われます。マルクス主義者で「皇帝」というのも摩訶不思議ではありますが、マルクス主義者だからこそチャベスさまはホアン・カルロス一世スペイン国王陛下に対し、「Monseiur le Roi 国王さん」と呼びかけたのでありましょうし、事件後、ホテルの自室において「大統領に向かって「黙れ!」とはなんて軽率な国王だっっ!」と絶叫したのでありましょう。
右と左では常識と非常識も逆だったりいたしますしね、はい。
でもですね、今回の事件ですけれど、右も左もあったもんぢゃなくて、成熟した大人の一般常識の問題だと思います。今回の事件の舞台はテレビで生中継されており、事件発覚直後からYou Tube には大量投稿され、誰もが国王陛下が理科実験の豆電球のごとくパっ と発火した瞬間を拝見できるのです。
King Juan Carlos to Chávez: "Shut up" (ENGLISH SUBTITLES)
これ ↑ にゃんて、英語字幕つきなので状況把握がつきやすかったりしますが、この会議でスペイン首相ザバテロ氏が演説を始めたあたりからチャベスさまのお口のチャックが緩み始め、テレビ局側がチャベスさまのためのマイク音声をオフにしたにも関わらず、チャベスさまが延々とザバテロ氏の発言妨害を始めたのです。
これ、右だろうが左だろうが中道だろうがノンポリだろうが
しちゃいけねえです。
大統領が国王よりエラいということと「黙らっしゃいっ!」と国王が大統領に軽率に叫ぶことと何の関係もありません。もしあの会場に幼稚園児がいたとしたら、間違いなく「おぢちゃん、うるさくて聞こえないよ」とチャベスさまに言うでしょう。幼稚園児には国王だろうが大統領だろうが「大人の男のヒト」です。チャベスさまの疳の虫が治まらないのなら、スペインに絡むよりまずはマイク音声をオフにしたヒトを威圧したらどうかね?と思いますね。なんで首相なんかのマイクをオフにしないで大統領閣下さまのマイクをオフにしたのだ!?と激怒ってみてはどうでしょう。・・・・・もしそこまでアホ晒したら、飛鳥時代の恐怖政治みたいというか、お上にはむかったら火あぶりショーな中世ですかねぇ。こんな山から出てきたばかりの田舎っぺな暴君のようなチャベスさまがなぜ大統領なのか理解に苦しみますが、国際舞台に「中南米の最優秀マルクス主義国家」代表としてお出ましあそばすなら、出席者の身分がナンであろうと平等に相手を尊重し、それぞれの意見に耳を傾けるという会議マナーを身につける必要があるのではないでしょうか。大統領も、国王も、中南米も、欧州も関係なく、ヒトとして。

le 15 novembre 2007, Albert
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by ma_cocotte | 2007-11-15 18:16 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(10)
Por qué no te callas! 黙らっしゃいっ!
昨晩から私的にバカ受け中で爆笑が止まりません。
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チャベスよ、黙らっしゃいっっ!

動く映像はこちら→ http://www.youtube.com/watch?v=jv-DgAJ1ncM&NR=1


11月8日から10日まで南米はチリのサンチアゴで中南米諸国とスペイン、ポルトガルによるイベロアメリカ首脳会議が開催されていたのですが、最終日の会合で反米左翼として知られるヴェネズエラのチャベス大統領がイラク戦争への参戦を決めたスペインのアスナール前首相を「ファシストだ」などと強い口調で繰り返し批判し、止まらなくなっちゃって、マイクのヴォリュームをオフにされても叫び続けたところで、国王陛下が
黙らっしゃいっっ!
と、一喝。なんでもこの日の会議はテレビ生中継だったそう。
上の写真ですが、われらがホアン・カルロス一世スペイン国王陛下のむこうに控えしスペインの現首相ザバテロ氏がチャベス氏に「この方をどなたと心得る?あなたは畏敬の念に欠ける」と制した・・・・というのは、嘘 ヾ(`◇´)で、本人も社会党員(つまり左派)であるザバテロ氏はチャベス氏に「スペイン前首相も民主的に選ばれた。敬意を払うべきだ。」と反論したそうです。

この件についてフランスの各誌をざっと読むと、おル・モンドさまの記事なんぞ国王陛下は「口を閉じろ」とチャベス氏に命じたとも書かれていますし、他の新聞にはこの一件の後、ホテルの私室に戻ったチャベス氏が「大統領に向かって口をつぐめとは国王が軽率だ」とか
"M. le roi, nous n'allons pas nous taire"
国王さん、あたしたちは黙れません。
と改めて断言したそうです。ε= (´∞` )Bof
しっかーも、日曜日になりチャベス氏はスペインの日刊紙"El Mundo"紙に対し、「ホアン・カルロスは怒った闘牛のよう "comme un taureau en colère" だった」と語り、「あたしゃ闘牛士ぢゃないが、「オーレ!」と言ったんだ」 "Je ne suis pas un torero, mais 'olé'!" と宣言しました。
これ、チャベにおかれましては自己弁護のつもりでしょうか、
あてくしには喧嘩上等に思えますが。
ここまでくると噂のチャベ・キャラもぶらヴぉ、絶好調としか思えません。なんでも国王陛下が一喝するまで、チャベたんはスペインのザバテロ首相の演説を常にさえぎっていたそうな。しっかもブラジルのルラ大統領を「石油成金」と皮肉ったそうです。まあ、これについてはブラジル政府が先週、海底油田を発見したことで「これでおらが国もヴェネズエラ並みの石油大国だ」なんて軽口を叩いたのがきっかけだったそうですが。いずれにせよ、なんともいかにもラテン・アメリカな世界かも。

偶然にもこの会議の開催地が南米とは言え、チリの首都「サンチアゴ」。「サンチアゴ」という音で思い出すのはスペイン北西部の大巡礼地サンチアゴ・デ・コンポステッラざますね。21世紀に再びレコンキスタがあるかもしれんと其処此処彼処で噂されたりもしますが、今回の事件はその前触れなのかもしれません。んなこたあないか。ヾ(`◇´)
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ま、私は「美」の観点で国王陛下側に畏れながら就かせていただきまする。


le 12 novembre 2007, Christian

【参考】
*Le Monde : Incident entre le roi Juan Carlos et le président Chavez
*La Tribune.fr : Hugo Chavez entretient la tension avec Juan Carlos

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by ma_cocotte | 2007-11-12 16:05 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(4)
ボリビアはコチャバンバの話
私の恩師はつい最近まで南米はボリビアのコチャバンバに住んでいました。彼女はカトリック修道女(シスター)で長く日本国内で女子教育に携わってきましたが、大阪の耶蘇女学校で数年使命を果たした後、自分から教育修道女ではなく宣教修道女になることを志願しました。修道会が彼女に与えた使命はボリビアでの宣教でした。ボリビアには沖縄県を中心とした日系移民が多く住んでおり、高齢となった日系一世、二世のお年寄りが日本語で分かち合えるカトリック聖職者を望んでいるためでした。彼女はコチャバンバを中心に年老いた日本人移民の微力となるべく日々を過ごしました。恩師自身すでに高齢で日本への帰国もたびたび思うこともありましたが、日系移民の老人方それぞれに「私が死ぬまではせめていらしてください」と嘆願されて日本に戻るに戻れない年月がしばらく流れていました。

日本人が一度日本国籍を捨ててしまうと、再度日本国籍取得の労力は破棄する時とは比にならないほど大変なのだそうです。でも、海外に暮らし続ける日本人は年を取れば取るほど「望郷の念」が募るそうです。「帰りたくても帰れない故郷」「どんなに長くても3か月しか滞在できない母国」(長期ヴィザ無しの場合)、それが日本國です。恩師はただただ血が上手に通わない高齢の方々の手足をさすってあげるだけなのにご老人方は母国を懐かしんで大泣きするのだそうです。
・・・私の近未来とも重なりました。
最初の宣教で一度はボリビアを引き上げて大阪に戻った彼女ですが、その後2年もしないうちにボリビアに舞い戻りました。思うことあったのでしょう。


さて、私は結婚してから太りました。夫も太りました。ですから着ることができなくなった衣服をどうしましょう?ということになりました。私の脳裏にボリビアの恩師への送付が何度も思い浮かびました。というのも、彼女は私が中学一年生の時の担任でしたが、私は悪事の限りを尽くして彼女の心を痛めてばかりいたのです。「罪滅ぼしかな・・・それとも、償い?」と、洋服を手に取ってちょっと思ったりもしました。
母校には私から古服をボリビアに転送したい旨をメールで連絡し、ボリビアの送付先を教えていただけないか?と問い合わせました。ところが、母校からの返答は「残念ながら・・・」で始まるものでした。手紙にはボリビアはカトリック国なのに恩師が母校に不足しているものの送付を依頼し、母校がそれに応じて物品を送付しても恩師の手元まで届くことは「稀」という現実が書かれていました。恩師が日本管区に願う送付物は衣類ばかりでなく医薬品が多いそうです。本来、カトリック国ならば送付元にカトリック修道会の名前があれば「特別扱い」となることが多いのです。それでもカトリック修道会の名があろうと小包は盗まれてしまう・・・ボリビアの貧困は本当に深刻です。

母校から私への手紙には
「お気持はありがたく頂戴いたします。が、あなたの視点をもう少し身近に動かしてごらんなさい。きっと赤十字などあなた方の申し入れを喜んで迎えてくださる団体があるでしょう。ボリビアのシスターにはあなたの気持と祈りをお伝えします。」
とありました。フランスにはもちろんCroix Rouge Française フランス赤十字社があります。「Secour Catholique(カトリック救済団体)」をはじめとするボランティア団体、ピエール修道士(=毎年フランスの国民投票で尊敬する男性ナンバーワンに選ばれる方)が創立した「Emmaüs エマウス」というリサイクル団体もあります。

自分が何かしようと欲した時に遠くばかり見るのではなく、自分の足元から改善していく・・・目が覚めたような気がしました。母校を卒業してかなり経っているのに、いまだ母校には教えられることばかりです。

以前、私が母校を訪ねた時にシスターから伺った言葉を書き留めます。
「世界の平和を考えるなら、まず自分の家庭を幸せ一杯にしましょうよ。
そのつながりが社会全体の平和になると思うわ。ね?」
【Rétroliens*Trackbacks】
*園丁日記*:大寒(おおさむ...)の日に。 
そして、チマッチ神父 さまにそこはかとなく関連づけできる話だったかも。


le 21 janvier 2006, Agnès


「今もボリビアでどうしていらっしゃるかしら?」と私が心配していた恩師はご自身もかなりの高齢になられたので後輩に使命を引き継いで、ご自身は東京の修道院に昨年戻られました。
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by ma_cocotte | 2006-01-21 00:13 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(6)
ある日、空を仰いだら。
2005年10月25日朝、7時58分、ココんちのベランダから仰いだ空です。
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10月下旬午前8時頃の南仏の空は太陽が昇りきっておらず、その日の天気を判断するのも難しいのです。空が完璧に明るくなるのは約40分後。子供たちは薄暗い中、それぞれの学校に向かいます。10月下旬の南仏の日中最高気温は21℃前後、旭川とほぼ同緯度ですが東京より暖かいでしょうか。
今度の日曜日からフランスは冬時間、30日早朝午前2時に針を一時間前に戻します。日本との時差は-8時間になります。それでも日はどんどん短くなり、午前9時ごろ空がはっきりと明るくなり、16時頃には真っ暗が冬至頃の空模様です。


さて、空を仰いで思い出した話がありました。

私のかつてのクラスメート、Lola ローラはボリビアはコチャバンバで生まれ育ちました。物心ついた時、兄から「僕たちは孤児なんだよ。本当の親よりちょっとお金があるこの家に引き取られたんだ」と聞かされて、目の前にいるお父さんとお母さんは本当の親でないことを知りました。本当の親よりちょっとお金があるその家で就学年齢を迎えたローラはボリビアの教育制度に従って「午前教育」、「午後教育」の2択から午前教育を選びました。午後はお肉屋さんで奉公し、わずかな給金を貰い、帰り道途中で人が列を作っていれば意味もなく真似して並んでみます。運良く列がいきなり解散せず自分が最前列になれば、目の前の扉の向こうの誰かから簡単な仕事(例えば靴磨き、皿洗い、など)を貰って駄賃を得ます。そして再び家路の途中に仕事待ちの列があれば並んでみる・・・を繰り返しながら家に着けば、お義母さんの手伝い、それがローラの子供時代でした。

中学生になってまもなくお肉屋さんでの奉公の日、ローラは裏庭で休憩を取りました。ドカっと腰を下ろし四方からそびえるアパートの壁を辿り、その果ての四角い空を見上げました。するとある窓辺でたばこをふかす20歳代の女性と目が合ってしまいました。インディオの血を引くローラとは違う肌が白くて明るい髪色を持つ女性です。最初は中庭と窓辺の会話だったのに、いつのまにか二人は並んでおしゃべりをするほどになりました。

ローラと目があった女性はフランス人、Natalie ナタリーという名前でした。彼女の父親は国際赤十字所属の薄給医師、母親は在俗宣教者でボリビア派遣となり、娘であるナタリーもコチャバンバに同行したのでした。ナタリーはローラが明るく笑いながら話す「悲しい生い立ち」を聞き、それを両親に話しました。ナタリーの親はローラの教育援助を提案しローラは地元の高校を卒業することができました。ナタリー一家との交流でフランスの生活を垣間見たローラは近所の友達と違う自分の運命にうれしくなったりもしました。
ローラが高校生だった頃、独身のナタリーが妊娠しました。父親はナタリーの友達の夫でした。互いが同意しての関係だったそうです。やがて女の子が生まれ、Sarah サラと名づけられ、出生証明書には父の名はない、母のみの名が記入され、サラには母親の苗字が与えられました。

ローラが卒業した年、ナタリー一家がフランスに戻ることになりました。それまでの数年でローラはフランス語をかなり理解できるようになりました。ナタリー一家から「よかったら一緒にフランスに行くか?」と問われ、大好きな男性がいたにもかかわらずローラはこくりとうなずきました。

こうしてローラはナタリーの父親の生まれ故郷である南仏プロヴァンスの小村に一家と共に落ち着きました。ところが最初に借りた家は2DK、そこに大人4人と子供一人です。しかもローラが登録した街の語学校まで長距離バス通学だったので、18歳になったばかりの好奇心旺盛なローラには遠距離通学は不満の種でもありました。
ボリビアに比べればフランスは異常な物価高、父親の失業手当、家族手当、サラの扶養手当と教育補助金申請、おまけにナタリーは全国を股にかけての就職活動と、あらゆる役所通いを繰り返しつつ手続を行っているうちに、父親はなぜか「ボリビアに戻って赤十字活動を続ける」と言い始めました。一方、その妻は一日中部屋に篭りきり、篭って何をしているのか、というと「ファティマの聖母」に祈りを捧げっぱなしing。そう、このお母さん、自称カトリック信者ではありますが、「ファティマの聖母」の狂信者で家族が手ぇつけられない精神状態だったのです。
「ファティマの聖母」というのは1916年ポルトガルはファティマで羊飼いをしていた子供たち3人の前に聖母が現れて預言したという実話です。その預言の内容はフランスのルルドに現れた聖母の預言とは異なり現世の生臭い話が多く、それに恐れをなした一部の人々が狂信者と化して、ヴァチカンも異端と宣言できぬまま手の施しようもなく現在に至っています。参考までに。


話し戻り、ある日ナタリーの父親はふらりと一人でボリビアに行ってしまい、残された4人の中でまともにフランス政府と諸手続きを行えるのはナタリーのみとなりました。父親関連の補助が切れたこの一家はエクサンプロヴァンスの台所付ホテルに引っ越してきました。ローラにとって古都エクサンプロヴァンスに引っ越せたのはうれしいことでした。町には南米系の「踊れるお店」だってあります。フランスでは滞在型ホテルの宿泊料は家賃とみなされ生活保護補助範囲内です。ホテルの住所で公立学校登録もできます。
夏のある日、ローラが私をホテルに招待してくれました。宿泊者専用プールがあるので楽しみませんか?と。私はローラの自宅である部屋を訪ねると、3歳になるサラが一糸まとわず素っ裸でくつろいでいました。ボリビアの子供なら普通だそうです。部屋はダイニングキッチンと簡易壁で区切られた寝室のみで、お昼ごはんね、とクスクスにケチャップをかけたものと茹でたソーセージをローラは私に出してくれました。テーブルそばの簡易壁の隙間からファティマの聖母に祈るナタリーの母親がちらりと見えました。一日中目が開いていれば深夜だろうと祈祷を始める母親を広い寝室に置き、ナタリー、ローラ、サラの三人はリビングのソファベッドを広げて寝ている、と説明されました。セミダブルほどのサイズに川の字。それを聞いたところで
私には納得いかないローラの生活でした。
語学校ではローラの生活環境が噂になっていました。ナタリー一家がなぜローラをボリビアから連れてきたのか? ローラに真相を聞いてみると養女前提とした申請をしての生活保護金目当てだったのです。そしてローラは泣きながら、
「あなたたちには考えられない生活でも、ボリビアの生活より今の生活は
はるかにすばらしく、私が満足していることなの」
と言いました。それを見たスウェーデン出身のクラスメートMarie マリと彼女のフランス人の恋人Anthony アントニがその日から彼女を妹のようにいたわり始めました。ちなみにAnthony はフランス人女性とヴェトナム人男性の間に生まれ、この母はNiger ニジェールというアフリカの一国で派遣教員職に就いていました。フランスではもう珍しくない国際家族の一例です。


ローラは地球で国家がどういうもの、自治体がどういうものなんて知りません。自分がコチャバンバに生まれ育ったこと、偶然知り合ったナタリーがフランス人で一緒にフランスを来たこと、自分はスペイン語とフランス語を話せるということ、単純にそれが「世界」と思って南仏に来ました。ところがフランスで語学校に入ったら誰もが英語を話しているのを目の当たりにし、世界共通語がフランス語ではなく英語だと知りました。そして教室でも町でも南米人である自分が思うようにいかないことに多々遭遇しました。ある日教室で彼女は突然、担任とクラスメート全員にこう言いました。
「今日から私はLolie ローリィです。Lola ローラではありません」
18歳の彼女が思いついたFranciser (フランス化)が「改名」でした。

初夏を迎えた学期末、担任が生徒全員をご自宅に招いてくださいました。郊外の一軒家で初めて訪ねる者にはわかり難い場所でした。クラスメートが地図を持ち寄って検討していてもローリィにはちんぷんかんぷんで、私に「何、あれ?」と地図そのものが何なのか質問するのです。「先生の家に行く地図だよ」と返事すると「それを見て何がわかるの?」とまた質問してきます。ローリィは絵を描けません。見た物を描写するという術も知りません。
私が「だって地図は上が北で、下が南でしょう。」と言ったところで、ローリィが
そんなこと知らなくても人間は生きていけるのよ。」
と私に言いました。私が一般教養だと思っていたことは彼女に一蹴されてしまいました。この一言はものすごく考えさせられた言葉で、今も考え続けている言葉です。

そして担任宅訪問の日が来ました。各生徒が料理一品を提供する持ち寄りパーティでした。私は蜂蜜焼豚を持参。ローリィは彼女の大好物のボリビア料理を持ってくることになっていました。いざ、テーブルに料理が並び、ローリィの手料理もそこにありました。それは豚肉をコチコチになるまで塩茹でしたものでした。口に入れましたが獣臭さだけが口に残る料理でした。結局、誰もが一口食べただけで進むことができず、一方でローリィが
「どうしてこんなに美味しいものを食べないの?」
とパクパク食べながら、疑問を無邪気に口にするのです。
ローリィには嫌いなものがあります。それは海産物すべて。フランスで初めて食べて、海の臭さで吐き気をもよおしたそうです。南米の内陸国ボリビアであり、高地の都市コチャバンバに海産物が来ることはないとローリィは教えてくれました。


語学校が終わり、クラスメートそれぞれが母国に戻っていきました。ローリィはその後もう1学期だけ語学校に残った後、フランス人向け法学講座(学費は登録料のみ)に在籍したようです。私も語学校を終えた後エクスを去り新しい生活に入りましたが、一度だけエクスでローリィに出会ったことがありました。20歳を過ぎてそれは美しい女性となっていました。


今、ローリィはどこで何をしているのかな・・・。今朝、空を仰いでローリィを思い出しました。


10月5日のエントリー、「この子の運命。」のようにフランス人との養子縁組で夢のような現実を味わうJade ジャドゥちゃんのような子供もいれば、ローリィのような境遇の子もいる、それがフランスの現実です。


先週は ブルガリア系新生児売買 が露見したフランスです。
これについては改めてまとめます。


le 25 octobre 2005, Crépin
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by ma_cocotte | 2005-10-25 18:32 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(14)