カテゴリ:『?』な大英帝國( 14 )
「優しい」と「甘い」は同じではない。
大英帝國はEU国内だろうが、その他の国からだろうが「移民に甘かった」のではないでしょうか。
その結果がBrExit。

昔、母校の修道女から「イエスさまは優しい方ですが、甘い方ではありません。そこを間違えないように」と私は注意をいただいたことがありました。これ、誰か一人の対応について判断することは非常に難しい。当事者と傍観者でも印象、感想は違うでしょう。

大英帝國が移住者に対して善意で実行していたことが長年を経て、自国民から「甘い」と判断されてしまったとするならば、今回の結果は理由のある結果になると思います。

私が漏れ聞いた限りでは大英帝國の移住者への善意を基準にしたならば仏蘭西なんぞ移民に対していぢわるとしか言いようがないそうです。それくらい、大英帝國は長年に渡り、移住者に寛容だった国です。


le 25 juin 2016, Prosper

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by ma_cocotte | 2016-06-25 23:04 | 『?』な大英帝國 | Comments(4)
530年後のお見送り
昨日の午後、知ったことですけれど、2012年に大英帝國中部の都市レスタア Leicester の駐車場から掘り起こされたリチャアド三世の葬儀が彼の死から530年後の今、行われ、遺骨が再び埋葬されたとのこと。

で、彼、国王リチャアド三世のための慰霊ミサがローマン・カトリックの聖堂で大司教司式でささげられたとか。
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Photo@http://www.catholicherald.co.uk/

はてさて、きょうび21世紀、大英帝國国王は大英帝國国教会、=聖公会の最長上さまであり、歴史を振り返れば、名誉革命以降、大英帝國では長年に渡り、ローマンカトリック教徒を差区別してきた過去があります。なのに、イングランド国王のリチャアド三世の再埋葬を前にローマンカトリックの聖堂で葬儀とは・・・。

そう、リチャアド三世は大英帝國国教会を起こし興したヘンリイ八世の二代前のイングランド国王なのです。生前のリチャアド三世はローマンカトリック教徒だったし、「英国国教会?聖公会?ナニソレ?」なのでありました。ですから、530年後のこととは言え、ご本人の宗旨を何より尊重いたしますと、この世からのお見送りはローマン・カトリックの典礼で送るのがおあとよろしいことなのでした、まる

le 24 mars 2015, Catherine de Suède

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by ma_cocotte | 2015-03-24 16:43 | 『?』な大英帝國 | Comments(6)
「女王陛下の忠実な僕」の群れから外れるということ
大英帝國より一時間早く暦をめくる仏蘭西ですけれど、今日の朝の仏国営放送のトップニュウスは昨日投票日だったスコットランド独立に関する国民投票の結果について、でした。結果は「独立しない」

・・・・今ンところ、今回は。(と、本当に中継でこの台詞で締めくくっていた)

私個人におけるスコットランドは、幼い頃にベイシティローラーズで萌えに萌え、007のショーン・コネリーに萌え、映画「炎のランナー」でエリック・リデル Eric Henry Liddell に萌えに萌え萌えの果て、1999年の6月にはエジンバラ大学に「留学」中の英国人友を頼りにエジンバラを拠点にスカイ島まで旅したことですかねぇ。その時、エジンバラ市内の肖像画美術館でエリック・ディデルご本人が描かれた肖像画を目の当たりにし、涎と鼻水がついうっかり漏れました。スカイ島までの道の途中(バス旅行でしたので)、ロブ・ロイのお墓参りをしたことも自分がぐいぃいいいんと時の流れを逆行したような錯覚を覚えた快感がありました。

エジンバラでの日々ですが、1999年当時でもスコットランドというところはどこかイングランドと違いました。
第一に紙幣が英国ポンドと等価価値であっても独立紙幣だったこと。エジンバラ滞在の途中で、私は列車に乗り、国境を越え、友人の実家があるダーハム Durham まで南下したけれど、大英帝國側でスコットランド紙幣は受け付けてもらえることもあれば、拒否する権利も大英帝國びとにはありまして、もし受け付けてもらえたとしてもおつりは(もちろん)大英帝國側の紙幣通貨で戻されるという形でした。
食事は、スコットランドは食事もデザートも美味しいです。ハズレなしでした。

そして、シューキョー。
スコットランド側は英国国教会ではなくスコットランド国教会が主で、礼拝のスタイルは英国国教会とは全く異なるものでした。これは映画「炎のランナー」の中でもはっきり違いがわかります。エリック・リデルは牧師先生でしたけれど、礼拝のスタイルはカルヴァン派とそっくりです。(英国国教会においての礼拝はハイチャーチはローマ・カトリック典礼とそっくりですし、ローチャーチはメソジストのスタイルに近く、スコットランド国教会のスタイルとは異なります) もちろん、聖堂内装飾や配置も違います。お地味よ。



大英帝國の国王陛下は毎年7月になるとエジンバラに近いお城に滞在され、毎週日曜日はそのお城のすぐそばの教会の礼拝にあずかりますが、そこもスコットランド正教会です。カノンゲイト・カアク Canongate Kirk という名の教会であります。聖堂訪問した時にたまたま教会員のマダムがいらして、次の日曜礼拝に女王陛下がおでましになるのであなた方もいらっしゃい、と声をかけられたこと、今でもナマナマしく覚えています。けれども、そのせい、つまり、女王陛下のスコットランド来訪日と私の離日が重なり、私が乗る飛行機がそのために遅延したことで、私は予定通りにマルセイユまで戻れず、経由地のベルギーの空港に半日以上いなければならなくなってしまいました。・・・だから、今になっての独立騒動でもスコットランドと大英帝國の女王陛下の関係がつながってしまうし、何よりチャアルズ皇太子はエジンバラ公という称号だし、皇孫ウヰリアムはスコットランド国内の大学を卒業しているぢゃんね・・・と、そんなことが脳内をぐるぐるぐる。

まあ、脳みそツルツルの私のレベルですから、当初、スコットランド独立の話題を見聞しても、1999年当時の独自色を思い返し、「どうぞご勝手に」でしたけれど、イングランドと同様にスコットランド内の上質の美術館、博物館が無料で見学できることなど独立することで改悪されてほしくないなあ、とこの点だけちょっと引っかかっていました(どんだけビンボーびとなミー)

ところが、投票日間近になり、ようやく私の耳やら目にこの国民投票の奥底に近年の限りなく極右に近いナシオナリズムがうごめいていると入り、同時にドンビキ。私は灰色から突然、「独立反対」側に急旋回しました。ほぼ同時に大英帝國側がスコットランド領内の石油利権を手放せないことももちろん知りましたけれどねぇ。ああ、ザ・ブリティッシュ・ペトロリアル、BPのロゴがこれまた脳内に飛び交う始末。

でも、中近東での「イスラム国」絡みの現状からして、大英帝國はスコットランドを含めて独立どころぢゃないと昨日、今日の私は思ってます、まる たぶん明日もそう思っているわ。だって、深刻だもの、中近東。余談、昨夕、仏蘭西のオランド王がイラク北部の空爆参戦を発表しちゃったし。

そのせいでしょ、スコットランド独立についてのこの結果。

だから、「今ンところ、今回はね。」で、コンクルウヂョン。


le 19 septembre 2014, Emilie

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by ma_cocotte | 2014-09-19 16:41 | 『?』な大英帝國 | Comments(2)
胸に輝くご尊影
昨日の午後4時以降、繰り返し繰り返し、ひつこいくらい繰り返し仏蘭西でも放映されている、未来の大英帝國国王であらせられるヂャウヂ王子の洗礼式のニュウスビデオ。

そこに登場する聖職者のおひとりの装束が、ワタクシだけかもしれませんが、気になってしかたありません。夢に出てきそう。これ ↓
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胸元のヂィザァス・クライストのご尊影w
Photo: http://www.news.com.au/

ナニコレ?意味不明・・・いや、信仰宣言、くれど、くれどで、絵の意味はわかっちょるわい。が、しかし。
(司 祭)このご尊影が目に入らぬか!?
(おいら)いや、見たくなくても見えてしまいましてね・・・妙にデカすぎませんか。
(司祭)こっかーい!
大英帝國国教会の習慣で幼児洗礼式に司祭がこのような装束をなさるのか、はたまた、この神父様個人のセンスなのか。「おお、愛のしるし、神の首飾り」(← わがる奴にだけわがればいい)なのか、それとも、マントのブローチ?真面目にワタクシには謎だわ、デカいヂィザス・・・・

「肩に霊が乗って重い、重い」ではなく、お首に聖霊がぶらさがって重すぎませんかね・・・(そぼくなぎもん

le 24 octobre 2013, Florentin



【追 記】 le 25 octobre, 2013
洗礼式から二日経ち、ご家族の記念写真が次々と。
これ ↓ は注目の一枚。なんと、大英帝國国王四世代が一枚に写っていることになります。
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by ma_cocotte | 2013-10-24 18:39 | 『?』な大英帝國 | Comments(4)
Ans. His name is George Alexander Louis of Cambridge
7月23日午後7時前、退院時の病院玄関前ぶらさがりインタビュウでのウヰリアム王子の語りっぷりっからして、生まれたてのほやほや王子の命名発表は来週だろうと思いきや、あっさり翌日夜に発表となりました。
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George Alexander Louis
ヂャウヂ・アレクサンダァ・ルイス
Photo:Le Point.fr

今後はヂャウヂ王子 Prince George と呼ばれることになり、ご本人は学校などにおいてヂャウヂ・オブ・ケィンブリッヂ George of Cambridge をお使いになるだろうとのこと。ちなみにウヰリアム王子は結婚前まではWilliam of Wales を使ってらっさいました。

ということで、私がこの世を去った後になりますでしょうが、生まれたてのほやほや王子は未来のヂャウヂ7世国王 The King George VII ざます。脳内BGMはヘンデルの「ヂャウヂ二世の戴冠式アンセムw」のKing of Kings♪だけれど、まずは大英帝國国歌斉唱。以下、本物の中の本物の斉唱w



兎にも角にも、祝着至極に存知まするるるる。

le 25 juillet 2013, Jacques

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by ma_cocotte | 2013-07-25 16:52 | 『?』な大英帝國 | Comments(0)
ヂャウヂ、それともヂェイムズか。
ココんちあたりは百年戦争(1337年11月1日-1453年10月19日)やら薔薇戦争(1455年5月-1485年にテューダー朝が成立するまで)の戦地だったこともあるせいか、大英帝國本土より少しばかり南に位置するせいか、仏共和国内でも大英帝國びとがうぢゃうぢゃ住んでいる土地でありますが、7月22日の夜は仏蘭西共和国全土がまるで大英帝國のコモンウェルスであるかのような大騒ぎとなりました。
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Le Monde FB版の速報から ↑

22日の夜は(とは言っても外はまだ明るかったけれど)、速報で大英帝國に世継ぎの王子が誕生とテロップが流れ、以降、何時のトップニュウスはココが仏蘭西にもかかわらず王子誕生の話題。毎度、仏蘭西でこの手の欧州王室ネタの大騒ぎが始まると、こちとらガイジンは共和国民の異常なノスタルジィに追いつけず、脳内では「だったら首を落とすほどひどいことをしなければよかったのに」なんて発想してしまうものです。特に今回は7月14日の革命記念日の大騒ぎと同時に連日テレビニュウスではロンドンの病院前からの中継が放映されていたので、屁理屈大好きな仏蘭西という国が珍しくロジックがつながらなくなっているなあと口角が上がってしまいました。

さて、翌日23日。
大英帝國と仏蘭西は隣国とは言え、時差が一時間あることもあり、23日の夜8時のニュウスは始めからケンブリッヂ公爵一家の退院の様子が生中継でした。ぶら下がりインタビュウに快く応じたウヰリアム王子から誕生した王子の名前についてはまだいろいろ夫婦で考えているところです、と明らかにされました。ふーん、そうですか、とこれまでの大英帝國の国王名一覧をおさらいすると、どうもヂャウヂ George とヂェイムズ James が「欠番」で、他の国王名、例えばウヰリアム、チャアルズ、ヘンリー、エドワード、フィリップは王室内に存命中です。ゆえにヂャウヂかヂェイムズだろうと予想を立てたところで、王室内ではないといえ、キャサリン妃の弟がヂェイムズなので、ヂャウヂで決まり?となりそうですが、なんでもケィンブリッヂ公爵夫妻は新しいお考えの持ち主なので、伝統から逸脱した命名もありえるのではないかという話も出ております。
いやあ、結局は保守だと思いますけれどねぃ。
そして、仏蘭西という国では王子誕生の報道と同時に、洗礼式がいつ行なわれ、代父母は誰が選ばれるのかという予想まできちんとしたニュウス番組で流れます。おそらく日本國内ではお誕生で喜んでも、洗礼の話題にまでは至らないでしょう。識者の予想では王子の洗礼式は9月下旬から10月はじめで、ウィンザ城の聖ヂャウヂ聖堂でカンタベリ大主教によって授けられるだろうとのこと。そして、代父母は王室の子女には伝統的に6人選ばれるけれど、ウヰリアム王子の受洗では8人の代父母がついたので新しい王子にも8人の代父母がつくかもしれないそうです。うちひとりはウヰリアム王子の幼馴染の男性らしい・・・よくもここまで予想を流すものだ、仏蘭西という国で。

お名前はいつ発表になるのやら。楽しみです。

余談、ココんちからもう少し南下すると、はるか昔、長いこと大英帝國領だった大西洋岸の村々があり、そこでは今でもヂャムズという名の仏人男子がたくさんいます。ヂャムズと言われてもぴんと来ませんが、文字にすると James 、そう、ヂェイムズなのです。

le 25 juillet 2013, Ségolène

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by ma_cocotte | 2013-07-24 23:48 | 『?』な大英帝國 | Comments(0)
高砂や、この浦舟に帆を上げて
2011年4月29日午前11時から倫敦はウヱストミンスタ大聖堂で挙げられた婚姻式において、
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Kate Middleton's bouquet, say florists, follows the 'language of flowers, a code made popular by Queen Victoria.
Photograph: Ian West/AFP/Getty Images

花嫁の手にはワイヤリングバンチングのオーヴァルブケーでしたね。

ブケーはhyacinth ヒヤシンス、lily of the valley スズラン、Sweet William ナデシコ、sprig of myrtle ギンパイカ(フトモモ科の低木)の若枝と蔦の葉で組まれており、マグノリアの若枝はどうもヴィクトリア女王がご自身の婚姻で持たれたブケーに組まれていたマグノリアの若枝を大地に刺したことで大木となった木からつまれたもののようです。ブケーの担当はShane Connolly 氏。

婚姻の日を境に愛称ケイト Kate で呼ばれることがなくなったケンブリッジ公爵夫人キャサリン Catherine, the Duchess of Cambridge ご自身が、婚姻の日のウェディングブケーに用いる花を決める際、ヴィクトリア女王の定められた花言葉を照らし合わせて選ばれたそうです。スズランは"trustworthy 信頼"、 ギンパイカは"hope and love 希望と愛"など。



そして、大聖堂内の装飾で用いられた植物についても花言葉を考慮したとか、しないとか。と言うのも、シデには"resilience 快活"、メープルには"humility and reserve 謙遜と慎み"という花言葉が添えられていますが、ライラックには"youthful innocence 若気の純真(・・・と、できるだけ良い和訳を選んでみた)" や"disappointment 失望"という花言葉があるのです。うみゅみゅみゅう。

何はともあれ、復活祭直後の、ケンブリッジ公爵夫人と同じ名前の聖女シエナのカタリナのための祭日(4月29日)にこうして婚姻のお式にあずかられたのですからして、どうぞ善い道をお二人で歩まれ、大英帝國のよき國父母となられますように。

le 30 avril 2011, Robert

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by ma_cocotte | 2011-04-30 16:51 | 『?』な大英帝國 | Comments(0)
ああ、勘違い -Land of Hope and Glory-
少女の頃から気分が落ち込んだ時に聞いていたりなんかします。
エルガーの「威風堂々」 Land of Hope and Glory by Edward ELGER
きょうびYouTubeがございますので、お天気やら世知辛いことで気分が滅入ったら、
これ ↓ (どうぞ画面をクリック!)を見るようにしています。




ど、アホや、エゲレスびと....
今日の今日までこの勘違いが受け継がれてエゲレスびとは生きているンだなあ。
この映像を見るたびに、
留学先でハメをはずすのはエゲレス人とドイツ人
という定説を思い出し、この目でしかと英國人についてはそれが事実であると確認するのであります。実に幸せそうに、楽しそうにみんなでぴょこぴょこ、みぴょこぴょこしてますよね。パピヨンにタキシードをお召しなのに両こめかみにユニオン・ヂャックをはためかせたら、赤塚富士夫の世界になっちゃうんですけれど...。
それにしても気になるぞ、最前列のヴァチカンの国旗。
気持ちよく大きく振ってらっしゃる方のお首元がパピヨンではなくて白一文字のローマンカラーだったら大爆笑ですけれど、この自己中心的、独善の「ああ、勘違い」な雰囲気、

好きだわぁああああ。


まここっつぁんの夢は死ぬまでにこのロイヤル・アルバート・ホールの特上席に、頭の天辺から足のつま先までぬかりなくめかし込んで、日の丸持って、上下にぴょこぴょこすることでさーね。

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このぉ、身の程知らずめがっっ!


b0070127_1873021.gif単なる夢でごぜぇます、どうかおゆるしを。

もしこの夢の日を迎えるとしたら数日前から徹底的禁欲をしないと、同じ場に集う大英帝國民とはひとつになれないまま「夜明け前のハイド氏」になっちゃいそうざます。偽善はこういう愛国心ソングで発散しちゃうとよろし。他人が見ると「愛国のあまり発散しているんだ」にしか見えないという、ああ、勘違い。脳内便秘をすっきりさせるにはめかし込んではじけちゃいましょう。

le 17 janvier 2009, Roseline

さあ、みんなたち。はじけきっちゃいましょー!
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by ma_cocotte | 2009-01-17 18:50 | 『?』な大英帝國 | Comments(2)
Tony Blair、ようやく堂々のデビュウ
今年6月27日をもって大英帝國首相の座を降りたトニー・ブレア Tony Blair 氏が今月18日、エイメリカはニュウヨオクのヲルドルフ・アストリアホテルで開催されたGotham's Al Smith Dinner ゴッタムス・アル・スミス晩餐会に出席しました。
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ニュウヨーク大司教Edward Michael Egan 枢機卿とトニィ。
Photo par Kathy Willens@AP

この夕食会は今年60周年を迎えるエイメリカのカトリックにおいて最も知られる食事会であり、出席男子にはホワイト・タイ着用が求められるこのチャリティーディナーの最低参加寄付金は1000米ドルだそうです。トニィはチェリィ Cherie 夫人と共に初めてこのチャリティ・ディナーに出席。まあ、トニィがこの行事に参加できるのも大英帝國首相の座を降りた自由の身だからこそでありますが、(英國風に言うならばローマン)カトリックの世界にこうして堂々と御身をお披露目するまでトニィと彼の家族には並々ならぬ苦労があったと言われています。

というのも、トニィの妻チェリィさんはローマン・カトリック教徒であり、常に堂々とした信仰生活を送っていることでもつとに知られる女性でありました。トニィとの間の4人の子供もカトリック洗礼を受けており、かつてはロンドンのウェストミンスター聖堂(但し、つとに有名な英國国教会のウェストミンスター寺院とは別のカトリック司教座聖堂)で諸秘跡を受けたり、活動を続けています。つまりブレア家でトニィのみがカトリックではありませんでした。そんなわけで事ある毎にトニィのローマンカトリックへの改宗が噂になっていました。

1996年には英國国教会のバジル・ヒューム大司教(前ウェストミンスター大主教)がトニィにチェリィさんが通うイスリントン Islington のローマン・カトリック教会(調べてみましたが、おそらくココ、St John the Evangelist 福音史家ヨハネ教会)での聖体拝領を止めるように求めたところ、トニィから「賛成しかねる」という返答をもらったのだそうです。そこには
"I wonder what Jesus would have made of it."
と書いてあったんだと。英國国教会大主教に対して聖変化 Transubstantiation の肯定をしたことになりますか。(((゜Д゜;;))) 凄いよ、その勇気。(英國宗教改革以降、公職就任の際、聖変化を否認する宣誓を強制する諸法律が1829年まであった。)その後、イラク派兵やロンドン・テロによって大英帝國内、特に首都ロンドンは政府高官への治安上の問題でトニィ一家はカトリック教会へのミサに行くことも難しくなってしまいました。
ところが、です。
聖体拝領なしには生きられないヾ(`◇´) チェリィさんが決めたことは、首相官邸の私室にローマン・カトリックの司祭を招いて家庭のミサ private Masses for the Blairs in their Downing Street flat をあげていただくことですた。

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チェリィさんと一緒に映る
ブレア家の指導司祭
マイケル・シィド Michael Seed


このマイケル・シィド師について調べてみるとどうやら The Franciscan Friars of the Atonement の司祭であります。アトンメントのフランシスコ会は確か日本管区は鶴見にありますね。アメリカに本部がある1909年に法王庁に認可されたアングリカンからローマンに改宗した男子修道会です。 

さて、こうしてどんどんトニィの信仰私生活は秘められていくようになる一方で、巷ではますますトニィがローマンカトリックに改宗したのではという噂が流れるようになりました。この噂に最も神経質だったのはトニィ本人よりも首相官邸関係者でした。というのも、大英帝國歴代首相にはひとりもローマン・カトリック教徒はおらず、現役首相がローマン・カトリックに改宗したとなると英國国教会最長上である女王への不忠義になります。1996年に英國国教会大司教がローマンカトリックの教会に通うトニィに意見したのも「立場をわきまえよ」と言いたかったのでありましょう。兎に角、首相官邸関係者は何が何でもブレア首相一家がダウニング10番(=首相官邸)から完全に引っ越すまでこのタブーな件に対してはひた隠しを決めました。それでも、ブレア首相夫妻は退任直前の週末をローマで過ごすことを決行。にゃんとトニィはヴァチカンで我らが教皇B16と私的謁見をしてしまったのでした。
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6月23日、「お別れの挨拶」と称した大英帝國首相として最後の謁見

この謁見時にトニィは教皇さまに「実は私、永久助祭になりたいのでございます」と告白したと言われています。cf. Blair 'may become a Catholic deacon'@The Daily Mail
щ(゚Д゚)щ カッモ~ン。
永久助祭とはこりゃまた半万年の我慢が爆発しちまったような決意ですわね。告白されて「よよよ」と喜び、泣き崩れる妻チェリィでありましょうか。ブレア家家長の改宗に大きく働いたのは妻チェリィさんと長女カトリン Kathlyn さんだと言われています。白のアッパッパァにサンダーバードなタスキがけのトニィ・ブレア氏ぢゃなくて師を拝見できるのは近未来かも。
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大漁苑のお魚のようにピチピチ生き生きのトニィ

10月18日に無事、カトリックデビュウしたことで、今後、トニィ・ブレア氏がカトリック界で大きな活動を始めると言われています。さーてさて、「子ブッシュの犬」と長年揶揄されたトニィは「ヴァチカンの猫」となるのでありませうか。以上、日本ではまったく取り上げられないけれど、欧米ではかなり話題なニュウスでした。Stay in tune!

そいや、我らがサルコぢ大統領閣下は子ブッシュ訪問と愛するラシダちゃんの父方の母国モロッコは訪問したけれど、ヴァチカン謁見はまだですね。

le 29 octobre 2007, Narcisse
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by ma_cocotte | 2007-10-29 02:34 | 『?』な大英帝國 | Comments(6)
La soirée fatale d'août 1997 既に盛り上がり始めています。
あの事故から10年。
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Photo par AP

Diana Frances Spencer ダイアナ・フランシス・スペンサーがパリのアルマ橋トンネルで交通事故により帰天して10年。
明日8月31日には遺児であるウィリアム王子とヘンリー王子が主催するダイアナ元王太子妃追悼礼拝が遺児二人が関わる陸軍近衛騎兵連隊ウェリントン兵舎の聖堂でカンタベリー大主教の司式で行われるのだそう。おフランスでは国営放送France 2 で前日夜に追悼番組が、31日は12時40分から追悼礼拝の生中継が放映されます。(13時のニュウスは14時15分から放映予定)
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Photo par AP

あれから10年も経つというのに、その日のことを今も鮮明に思い出せる私です。そう、1997年8月31日は日曜日でした。お昼近くになってTBSの「アッコにおまかせ」を見ていたら、ニュウス速報が流れ、それを読んだ和田アキ子さんが「・・・・う、嘘!?」とボソっとつぶやかれた。その瞬間の和田さんの立ち姿まで覚えていたりします。

【 La soirée fatale d'août 1997 1997年8月、運命の夜 】
それがダイアナ元妃の運命だか天命とは言え、花の都はおパリのアルマ橋トンネルで恋人のエジプト人実業家と共に無念の事故死というのはあらゆる意味でお仏蘭西ビトのハツを揺るがしたと言えましょう。
フランスびと、républicains (レピュブリカン、=共和国民)というのは不思議なもので彼らの母国が世界初の民主革命を起こしたと誇りにしつつ、現代フランスに王がいないことをどこか不満に感じ、テレビや雑誌で欧州各国の王室特集をすると視聴率が上がったり、売り上げが伸びたりするのです。今更、他国の王族に満たされない思いを投影してどうするよ?特に隣国大英帝國については永遠の精神的不仲国(いまだに百年戦争だの薔薇戦争だのに互いに拘る両國であります)なのに、ダイアナ元妃についてはご先祖さまにアンリ4世がいるのでおフランスと縁戚だと大喜び。生前のダイアナ妃がしばしば王子達と共に夏冬復活祭のヴァカンスを過ごしたり、長期政権を維持したブレア前首相が必ずヴァカンス先にフランスを選べばフランスびとは大満足で、「フランスは美しい国だから」などとこぢつけたりします。おまけにフランスが真の移民共存国家だと信ずる人々にとってはダイアナ妃の恋人がエジプト人のミュヂュルマン(=イスラーム教徒)であることもこの事故について語る上で心ときめく話題の複線だったりしました。そうそう、悪乗りフランスびとがPalais Royal! (パレ・ロワイヤル)なんて大英帝國王室とモナコ大公家のスキャンダルをかき集めて抽出した皮肉やイヤミを映画にしたりもしました。(結構、私としては面白い映画でした)

1961年7月1日生まれのダイアナ元妃が帰天したのは36歳。もしあの事故がなければ今年の彼女は46歳。46歳のダイアナさんってあのまま、美しいままだったのでしょうか?それとも多くの英國女性のように妙に太ってしまったり、足がサリー足になってしまったり、オレンジスキンで悩んでいたりしたのでしょうか。おそらく最も美しい時にダイアナさんは天に帰ってしまった・・・それとも更に美しさを増していたのか。10年前、どこか幼さの残っていた15歳と12歳だった二人の王子が10年を経て成人し、恋もし、結婚まで噂されるようになり、と王子の目に見える成長振りでこの10年の流れを実感し、ぢっと自分の脳天から天を突く白髪や手の甲の皺を凝視したりしつつ、我が10年を振り返ってみたりしています。


le 30 août 2007, Fiacre

確かにダイアナさんが帰天されてすぐ多くの人々が悲嘆にくれたけれど、この10年でチャールズ王太子は再婚し、お二人の間のお子たちの愛だの恋だの仕事だのの話を聞けば、この世に残った人々はそれでもこの世での幸せを謳歌しているのだ、とわかりますね。「人がこの世に生きる」意味を学べたりします。
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by ma_cocotte | 2007-08-30 20:50 | 『?』な大英帝國 | Comments(18)