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「死んだらそれでオシマイのひとびと」にとっての聖夜
私にとっての今年の年末はなぜだか慌ただしく、それは「ポケ森」で遊ぶようになってしまったせいもありますが、少し立ち止まって考えてみたら、今年の待降節は12月に入ってから始まり、クリスマスイヴが12月24日日曜の日没から始まるので例年に比べ待降節の日数が少ないのですね(おそらく)。ココんちの室内の装飾はなんらしないままこんにちを迎えましたが、確かクリスマス近くになると朝市でヤドリ木が配布されるので、今年はそれを多めにいただくことにしようかしら。親戚縁者がいないヒトのクリスマスってこんなものでしょうか。24日の夜に教会に行けば、普段いらっしゃらない「熱心でないカトリック信者さん」方も多くいらして、どこか華やいだ雰囲気に混ぜてもらいながら、ごミサにあずかれればしあわせかも(と、タイプしている今、脳内には「ブラザーサン・シスタームーン」のサン・ダミア~ノでの礼拝シーンが感動的に。



カトリックヲールドで「熱心でない信者さん」と言うのは年に二回、クリスマスと復活祭にだけ教会に顔を出す信者さんを連想します。日本國で例えるならばお彼岸とお盆しかお墓参りしない感覚に近いかも。仏蘭西だとそういう年に二回しか教会聖堂の敷居を跨がない、いえ、違う、礼拝に参加しないひとびとの中には離婚経験者やら再婚済の方もいらして、カトリック教会での決まり事を知らないので普通に子供の頃に教えてもらったように聖体拝領したりします。ほれ、日本でクリスマスに教会に行ったら、みんなが列を作って何かもらっているので、自分もマネして並んでナニカをもらったよ、という話とほぼ同じ。これは無知による行いだから罪になりませぬw でも、もし該当者さんがカトリックでの離婚やら再婚についての決まり事を知ったら、この行いはアウトでごわす。ひとそれぞれに決して何もかもが同じにならない事情がありますから、私個人はクリスマスや復活祭だからと久しぶりに教会聖堂に足を運んだひとびとがそれをきっかけに「始まり」、いずれ通うようになり、「終わる」ようにひとりでも多くそうなりますように、と願いますけれど、悪魔っちゅう野郎は狡猾ですからね。そう簡単にてめぇの思い通りにはさせねえよっ、といぢ悪く微笑むのです。

ここで、おととい土曜の話。
いつもどおり旧市街の向こうに建つ教会で夕ミサにあずかり、その後、旧市街のクリスマス市を冷かしに行きました。市運営の小屋で1ユーロのヴァン・ショ Vin chaud、hot wine=熱したワインをいただいたところで、私の目の前でその小屋の木戸が閉められてしまいました。はい、閉店。土曜日最後の客がワタクシでありました。たった1ユーロのヴァンショですから、口に含んだところでアルコールが鼻腔に登って上手に飲めないし、ちょっと口に含んだところでワインとお砂糖、シナモンの単純な味を見出せますが、あっと言う間に体内からぽかぽかになり、この温かさを体内に携えているうちに家路につけばよろし、とクリスマス市を背に歩き始めました。

すると、旧市街の広場(ココは10年前は車道がありましたが、今は車道をなくし、ロオマのナヴォナ広場をシャビーにした感じになっています)の中心のドでかいクリスマスツリーの根元にヒトがうぢゃうぢゃいるのを発見。でも、何をしているのか、電飾だけの暗闇の中ではよくわかりません。たまたまそのツリーのそばに宝飾店があり、ガードマンさんがいらしたので「これはなんの集まりですか?」と質問したら、「コミュニストですよ」と即答。ああ、ほー、コミュニストですかあ・・・と脳内に単語が滑走。はい、飛び出てきたのは「共産主義者」。社会主義者ではありません、共産主義者です。

それをきっかけにドバドバ思い出したことは(まるで動かなくなった車のボンネットを叩いたら車が生き返るがごとく)、おフランスにおいて共産主義の世界ではクリスマスは「メシア(救世主)誕生の日」ではなく、「家族(=同胞ねw)と愛と絆を確認、深め合う日」なのです。仏蘭西だと社会主義左派から極左さんは12月24日夜から25日を家族や認め合った友人知人が揃って美酒美食をあおり、快楽と悦を極めます。彼らにとってクリスマスと復活祭は年に2度の「愛と結束を確認する日」で全員集まって互いの愛を確認し合うのね。そもそもコミュニストの概念には天国は存在しないので自らは「死んだらそれでオシマイ」、それゆえ「地上で(宗教を信じるバカどもが信じる)天国を実現する」のです、みんなで。こういうお祭りを広めた極左ユダヤん、たいしたもんですよ。余談だけれど、南仏はマルセイユ北部の小村の廃れた教会建造物を共産主義者が買い取り、そこを集会場にして、周囲に共産主義のひとびとが移住して地上天国を表す集落を造っております。地上ではありませんがパリの地下にある共産主義世界は有名だけれど、マルセイユにこのような地上天国実現村があるくらいですから、共和国内のほうぼうにこういう集落が点在しているのでしょう。

おととい土曜の夜、私が目撃した共産主義者さんたちのクリスマスツリーの下での集会には移民さんが多くいました。寂しい思いを忘れられたかもしれないし、こういう集いの直後にひとりに戻って寂しさが再び襲ってくるのかもしれませんが、今が喜びとしあわせでいっぱい!という気持が地上天国の実現のための石であり、木柱なのでしょうね。

傍観している私には彼らおヒダリさん方の思考がどこか途中で止まってしまっているように思えるし、それは例えるならばパウロの目にこびりついたウロコはたまた雪の女王の心かもしれませんが、もっとご自分の頭と心で智をもって思考を深めてみようよ、と。いくら深めても深めても終点は見えないとは思いますけれど。それもまた楽しいと思えるようにな(りたいですよ、アタシもw)



le 18 décembre 2017, Gatien


【追 記】クリスマスの日に救世主のご降誕を祝わず(または、祝えず)、家族愛をにぎやかに確かめ合うひとびとの家庭にはクリスマスツリーはあれど、プレセピオ(仏語だとクレシュ、日本語だと馬小屋飾りとでも申しましょうか)は飾られておりません。そういうひとびとの中にはクリスマスパーリーだと招かれた家にプレセピオを見つけると失礼にも平気で「気持ち悪い」「吐き気がする」「布でもかけて隠してよ」とおっしゃる方々もおりますので、要注意でありんす。そんな底辺を知っておりますと、ミュヂュルマン(=イスラム教徒)やユダヤんのご家庭でも原理教条主義でなければ、やんわりとクリスマスツリーを飾っているお宅もございます。まあ、ユダヤんの生活慣習だとたいていいずれの年もクリスマスとそんなにズレずにハヌカという光のお祭りがあります。窓辺に独特の蠟燭たてを置き、ハヌカ当日まで一本一本灯す火の数が増えていくというもの。エルサレムは砂漠ですのに、雪が降る。冷たい空気にハヌカの灯りは実にこころを温めてくれます。今年
2017年のハヌカは12月12日の日没からこんにち20日の日没までだそうです。
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by ma_cocotte | 2017-12-18 15:34 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
こうしてカトリックで生まれたからにゃ、カトリックで死ぬンだろう。
的な?w

« Comme je suis né catholique, et mourrai catholique »

この台詞は先の土曜に行われたヂャニ・アリデ Johnny Hallyday の葬儀での数ある弔辞の途中で私の耳に届いたものです。別にこれは生前のヂャニの言の葉ではなく、お仏蘭西のそれは壮大で麗しい歴史の中で多くの偉人が口にしたり、書き残したのだそうだ。カトリック家庭に生まれたのでもなく、今後果たしてカトリックとして死ぬかどうかもあやふやである員数外の私でしたが、この一文を耳にすると同時に、なぜか良心が喜び踊る感覚におそわれました。まるで聖母を迎えたエリザベトのように。ヂャニ・アリデの棺は仏蘭西時間の月曜夜にカリブ海に浮かぶサン・バルテレミ島の墓地に埋葬されたのでヂャニについての報道は昨日火曜の夜まで繰り返されました。ですから、こんにち水曜の朝から共和国内は「ほぼ平常運転」に戻るのではないかと期待しています。まぢ、本当に「もう勘弁しちくり」レベルのヂャニアリデ関連ネタの波で、あたしゃ、降参です。というのもですね、月曜の夕方遅く、義母から電話。なんでもヂャニ他界をきっかけに30年も前に離婚した元夫、つまりココんちの仏蘭西びと♂の父親に電話をかけ、二人で平和に語り合ったのだそう。このお二人はまさにヂャニ・アリデとシルヴィ・バルタンと同世代で、彼らの歌をBGMに出会い、恋愛し、結婚し・・・そして、彼らと同じように離婚しての今です。父親は再婚したけれど、母親は再婚しないまま現在に至る。双方とも、ヂャニ他界をきっかけに半世紀近く前のロマンスを思い出してしまったのでしょうねぃ。
はー、そこまでの影響力ですか。
こればかりはガイジンで員数外のあたしにはなんら「分かち合い」できないな・・・と改めて実感しました。

で、土曜のマドレエヌ寺院(なぜ寺院と和訳されているのか存じませんが、ココはヴァティカンにつながるローマ・カトリック教会聖堂のひとつ)でのヂャニの葬儀。マクロン大統領夫妻、オランド前大統領と現在の恋人さん、サルコぢ元大統領と現在の妻であるカルラ・ブル~ニに、現在のフィリプ首相が棺に近い席に並んで座ってらっしゃいました。参列者にはヂャン・レノさんやらキャロル・ブケーさんなど日本でも知られる俳優さんも多々。そして、家族席には亡くなったヂャニ・アリデの最初の妻であるシルヴィ・バルタン、元恋人でヂャニとの間に一女を産んだナタリ・バイェ、そして現在の妻であるレティシアが揃い、それぞれの子供、孫も列席。レティシアと結婚後、養子縁組したヴェトナム人の女児二人ももちろんおりました。おそらく、このお三方だけではなく他の元恋人さんもいらしたのかもしれません。ヂャニ・アリデとレティシアの市民婚を司式したのは当時、ヌイィ市長だったサルコぢ。

こうしてカトリックの聖堂で司祭方が登場してのヂャニ・アリデの葬儀でしたが、ミサではなく、カトリック用語で引っ張ると「みことばの祭儀」のみ。聖書朗読や仏訳を改訂したばかりの主の祈りは唱えても、信仰宣言は唱えず。みことばの祭儀のみだから聖体拝領も無し。聖体拝領がないことに気づいた時にココんちの仏蘭西びと♂は「ユダヤ人が多いから?」とつぶやいていましたが、ヂャン・レノさんや歌手のパトリック・ブリュエルさんはユダヤんなれど、ヂャニ・アリデとレティシアの最初の養女のカトリック洗礼の代父(仏蘭西では洗礼時、本人の性別がなんであれ代父母を選べるし、代父母以外に数名の代父母を選ぶこと、その代父母が異教徒でも可能なので日本のカトリックの習慣と異なります)だったし・・・とこちらの脳を動かしてみると、ああ、もしかして、家族席も政治家さんや芸能人さんのほとんどがカトリック教¨会では「聖体拝領禁止」のお立場だから?と邪推←第八戒に触れまくるw

葬儀のBGMは生前のヂャニ・アリデのコンサートのギタリストたちがエレキではなくアコースティックギタアで次々とヒット曲を弾かれ、ココ数日の追悼番組でうんざりしつつもヂャニ・アリデの歌がそんなに嫌いではない私には好感が持てました。聴いているうちに既に前世紀のことではあるけれど、ダイアナ妃の葬儀礼拝の音楽とどこか重なりを覚えました。ヂャニのヒット曲の合間にクラシックもチェロとピアノ、時には歌唱を交えてありましたし、聖歌隊がイグナチオ・デ・ロヨラのアニマ・クリスティを唄ったのも良かったです。

そうそうそう、葬儀中のどこだったか、カトリックの十字を右手で切るところで、オランド元大統領やマクロン大統領はまったく右手を動かさなかったけれど、オランドさんの恋人さんもマクロン夫人も十字を切ってたよ(笑。翌日だったか、カトリックの葬儀の習慣で式の最後に参列者が棺を聖水棒を持ちつつ十字を切り清めるというものがあるけれど、マクロン大統領がそれをしなかったと報道していました。棺に手を置いただけだったンですと。まあ、そんなマクロンちゃんもヴァティカンと仏蘭西との間の伝統で国家最高権力者に教皇から与えられる勲章はしっかりもらうらしいからね。たいしたもんだと思います。

葬儀をテレビでヲッチしながらつくづく葬儀っちゅうもんはこの世に残された者者の心を慰めるためにあるようにまず思えたし、いやいや、(ヂャニさんの奥様方とお子たちを眺めつつ)ヂャニさんの霊魂は未だ練獄にいるかもしれないからこうしてこの世に残る縁者がヂャニさんの少しでも早い天国入りをこうして祈っているのだと思ったりもしましたが、そうではなく、肺がんと闘い亡くなったヂャニさんは生きながらにして練獄を闘病のうちに経験したのだから既に天国にいるのさ、と想像したり。私だけかもしれませんが、ヂャニ・アリデが今の奥さんレティシアさんと結婚後、ヴェトナムの極貧の環境に生まれた女児を二人引き取り育てていることや、この晩年の数年間は磔刑の十字架の首飾りを常に胸の真ん中の位置に露わに見せていたことなど、ご自分の回心を我々にアピールしていたようにも思えました。放蕩息子のたとえが私のツルツル脳を滑走しました。そして、「カトリックとして生まれ、カトリックとして死ぬ」に至る、と。

ヂャニさんは養女に迎えた二人のカトリック洗礼もしっかり行いました。それを受け付けた教会側もたいしたもんです。私たちの目に見えない、知らない、わからないところで真剣な関りがカトリック教会とヂャニさんの間で続いていたのでしょうね。ヂャニの葬儀で、レティシアさんの首に磔刑の十字架の大きな首飾りがかかっていたけれど、あれはきっとヂャニが生前身に着けていた首飾りだと思いました。あんなに大きな十字架、きょうび高位聖職者が御身につけるくらいで、シスター方の十字架はどんどんちっこくなっているのにね。

ヂャニさんのお葬式、良かったと思いました、まる

RIP


書き忘れそうになりましたが、ヂャニ・アリデの棺が仏蘭西共和国本土からカリブ海のサン・バルテレミ島に移動しましたが、埋葬の前にはサン・バルテレミ島の教会でもう一度葬儀ミサがおこなわれました。二度も見送られるなんて、ヂャニさんって。やっぱ、葬儀っちゅうもんはこの世に残されたひとびとの心を穏やかにするためにあるのかもしれません。


le 13 décembre 2017, Lucie

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by ma_cocotte | 2017-12-13 18:40 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
こういう時 Assez! を使うのかなあ。
先日12月6日明け方に他界したとされるヂャニ・アリデ Johnny Hallyday の葬儀が土曜にパリで行われ、こんにち11日にはカリブ海に浮かぶ仏領サン・バルテレミ Saint Barthélemy 島の墓地に棺が埋葬されるのだそう。おそらくその埋葬をもって、お仏蘭西のテレビ業界は通常放送に戻るのではないかとガイジンの私は予想しているのですけれども(甘いかなあ・・・)。

土曜日は午前中に買い出しに出、お昼手前に帰宅し、テレビに火ぃ入れてとりあえずFrance 2(日本國に例えたらNHKの総合みたいなチャンネル)を選んだら、なんだか凱旋門を遠くにおシャンゼリゼ通りが大変なことになっているとしか想像できない映像が流れており、それが歌手ヂャニ・アリデの棺を乗せた車が葬式会場のマドレエヌ寺院までパレエドしているのだとわかりました。で、その番組が16時頃まで続いた。13時のニュウスも放映されませんでした。こういうの、個人的にはとても困ります。日々の報道についてはフェイスブックでも日仏全国紙それぞれに「いいね!」を押しているので次々と見れる(必ずしも私は読んでいませんのでw)ようにしていますが、ヂャニ・アリデの他界を境にフェイスブックにはヂャニのネタばかりで、それ以外の報道をそう簡単に見つけることができなくなってしまいました。こういうの、個人的には甚だしく困ります。

私はヂャニ・アリデが嫌いではありません。でも、ヂャニと同世代の義母は食事がのどを通らないほどのショックを覚え、涙も流したそうですし、ココんちの仏蘭西びと♂もテレビ中継を見て、涙ぐんでもいたし、朝から晩までスマホのスピーカーからヂャニ・アリデの歌唱を流すので(週末ってことも私には災いだったわけよw)、いや、もう、本当にサ・スフィ Ça suffit ! アッセ! Assez! 降参です。うんざり。

ちょっとココで小休止。
このネタをタイプしているだけで気分がちょっと。


le 11 décembre 2017, Daniel

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by ma_cocotte | 2017-12-11 19:09 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
昨日の結婚式
七月の第一日目。
昨日は午後4時から知人の結婚式でした。
ニオール市内に十近くある教会の中で最も小さな聖堂にてそのお式があげられました。
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先週後半までココんちあたりでは40度前後の熱暑の日が続き、6月最後の週は挙式前日まで暴風雨の日々。挙式当日の天気が心配でしたが、曇りがちではありましたが風雨は止み、気温も20度ちょっと。誰もが快適に慶事を迎えることができました。ほ。

さて、結婚式。
上の写真で背中を向けているお二人が新郎新婦。
新郎は隣村担当の郵便小包配達員。新婦はフランスの海外県グアドループの出身で、かつてパリのアンヴァリッドで仏軍大将方につくお仕事(事務官みたいなもの?)をなさっていました。このお二人、既に2008年だったか市民婚を済ませており、2歳半になる坊やがいます。市民婚から9年後の今、このお式は教会での婚姻になります。なぜ市民婚と宗教婚を同日に挙げなかったのか。それは新郎が無宗教だからです(今もそう)。彼は幼児洗礼も受けていません。なんと1968年生まれだそうですから、おそらく新郎の親御さんはもろに学生革命の影響をアタマに受けたのでしょう。だから、肌の白い、イスラム国兵士に十把一絡げで十字軍のレッテルをはられてしまいそうな新郎はキリスト教のキの字も知りません。一方のグアドルーペ生まれの新婦はまじめなカトリック信者で、地元のカトリック系の高齢者施設で毎日行われているロザリオ(=カトリックの数珠のようなもの)祈祷会の責任者でもあります。彼女の念願は教会で婚姻の秘跡にあずかることだったので、長年の祈りがようやく天に届き、良き日を迎えることができたのでした。こうして婚姻の秘跡(正確には旦那さまが信者ではないので準秘跡の扱いになるのかもしれませんが)を終えた彼女の次の目標は愛する旦那様がいつか洗礼を受けてくれることだそうです。お二人のひとり息子さんは幼児洗礼をすでに済ませています。昨日、彼女から聞きましたが新婚旅行はルルドに行くのだそうです。

なんとなーくですが、1968年前後に生まれて、それまでのフランスで当たり前だった幼児洗礼も受けずに成長した仏蘭西びとにはカトリックについて食わず嫌い、毛嫌いしているひとが多いので、彼女の旦那さまは子供の洗礼にもOKを出し、こうして10年近く経った今、教会での婚姻を受け入れるというのはかなり珍しいタイプに思えました。私は今回、聖堂内装飾と花嫁さんのブケーを作ることに関わったので、事前に彼に会う機会もあり、この点についてぶっちゃけたところ、ご自分はスピリチュアルやら不思議なことに興味があるので3回の結婚準備講座で指導司祭から聞く話も受け入れられたよ、とのこと。確かに聖書に書いてあることは「ありえねー話」ばかりだし、日本国で人気のアメリ・ノトンbなんぞ「聖書なんか童話ぢゃないの!」と鼻の穴膨らまして声をあらげますもんね。こんなことでも見下したらオシマイよ、なんだとあらためて新郎さんからの言葉を聞いて気づきました。
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↑ごミサの聖変化で跪く新婦と起立のままの新郎↑

挙式の後、場所をかえて、日本で言うところの披露宴があり、私も行きましたが、そこでもまた、日ごろごミサでお目にかかるご婦人方の配偶者に「お初にお目にかかります」という機会がゴロゴロありました。教会では子供を連れてミサにあずかるご婦人が結構いらっしゃっても、必ずしもご夫君がそばにいるとは限りません。もちろん必ず一緒に教会にいらしているご夫妻もいらっしゃいますが。フランスのカトリックの場合、子連れのご婦人であっても必ずしも夫君がいらっしゃると断言できず、彼女がシングルマザー、離婚経験者である可能性も「かなり高い率である」と言ってもいいくらいセンシティヴなポイントです。昨日、結婚したお二人だって、彼女と子供を教会でよく見かけても、彼を見たのは教会で近々婚姻することがわかってからです。よほど当事者と親しくならない限り、私生活がわからないのもフランス的かもしれませんが。兎にも角にも、昨日は教会のミサには絶対に現れなくても、おめでたい結婚式やら披露宴にはしっかり現れるパートナー方に会ったので、私としてはとても面白く愉快でもありました。

と、一夜明けた今日も今にも雨が降りそうな空模様で気温も20度あるかないか、初秋のようなココんちあたりですが、仏蘭西の世の中は7月に入ったのでおヴァカンスの始まり。誰もが互いのヴァカンス日程を確認しあって、次の予定を立てています。私は結婚式のお手伝いを無事終えて、今度は3日の夜にココから900kmくらい遠くのグルノーブルにお引っ越しするご一家の送別会のお手伝いです。仏蘭西では6月が年度末なので6月末日を最後に異動になる成人も多く、6月の終わりから7月はじめは「別れの季節」と呼べるかもしれません。

ちょっとしんみり。カレンダーも裏面にしなくちゃね。2017年後半の始まりです。


le 2 juillet 2017, Martilien




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by ma_cocotte | 2017-07-02 18:35 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
SFR、天誅!
6月8日に突然機能しなくなったココんちの光ファイバー。
先ほど午後5時55分に再開通しました。
なんと2週間と1日ぶりのインターネット、電話にテレビでございます。

そもそも予告なしに突然、使用不可能になり、その後、何度電話で問い合わせても再開日は未定であり、この修理はオタクだけでなく県内全体ですから「仕方あーりません」としか返答しないSFR。ざっけんな、ヴぁっきゃろー、ハーゲー、デ~ベソー。ぼっこんとぶん殴りたくても、電話の向こうぢゃ実行できん。ッキショーでありました。

もちろん再開についてもたまたま自分が気づいたからであって、SFRからは何の連絡もありませんでした。

SFRっちゅうのは共和国内の電話会社の二番手あたりの位置ですかねぇ。
日本の固定電話には無料で通話できるので契約しているのですが、正直、予告なしであり、再開日未定のこの半月の不通はちょとストレスでした。皮膚が痒くなり始めたのもこのストレスのせいなのか、それとも熱波のせいなのかわかりません。熱波ですが19日の午後、ココんちあたりはなんと42度!おとといまで連日午後は35度を超えていました。その異常気象は昨晩からかなり和らぎ、今日金曜日は曇りだったこともあり、久しぶりに汗もかかずに快適に過ごせたように思います。ほ。

しっかし、SFR。
この一か月の間に二度の予告なし不通です。
今こうして使ってはいますが、またいつ、突然に不通になるかもしれず。
ただでさえ信用されていないのに、こんなことで更に信用されなくなってしまうでゎないか。ふぅ。

le 24 juin 2017, Jean-Baptiste




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by ma_cocotte | 2017-06-24 02:03 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
冬休み、最後の日。
こんにち、2017年3月5日日曜日、世界中のOlive オリーヴちゃん、おめでとう!の日はどうやらココんちあたりのお子たちにとって冬休み最後の一日のようです。明日の朝からガッコ通いがまた始まる。

こんな話題もココんちには未成年者がいないので追いつくまでに疎く、いつも世間で子連れの老夫婦を目の当たりにしてようやく「もしかして、今、休暇中?」と察し、調べてみると案の定、休暇というパターンというかマンネリであります。ところが、この冬休みに新しい発見がありました。それは、ココんちあたりの休暇ゾーンがBからAに変更していることです。今までは(おそらく去年の9月より以前?)はココんちの仏人♂が主張していたとおり、ココんちあたりの就学者の休暇はプロヴァンス地方と同じZone Bで、彼が子供の頃はプロヴァンスの学校に通っていても休暇が共通だったのでプロヴァンス(=母方の本拠地)からココんちあたり(=父方の本拠地)に移動し、休暇を楽しめたのだ、と。

ところが、今。
2016年9月に新学年が始まって以降、初めての3ゾーン別の休暇となり、ココんちあたりの休暇がどこか変だぞ?と。明らかにプロヴァンス地方から知らされる休暇ネタと時間がズレている・・・そこで調べたら、なんとまあ、昨年の地方再編でココんちあたり(旧ポワトゥ・シャラント地方)がヌーヴェル・アキテエヌ地方に飲み込まれたことで、ヌーヴェル・アキテエヌ地方最大の年ボルドーと同じゾーンに変更されたのでした。それが3つのゾーンABCのうちのAゾーン。

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この地図 ↑ が共和国本土を三分割した休暇の分担ゾーンで、オレンジ色がAゾーン、水色がBゾーン、緑色がCゾーンです。
と、これをご覧になって「ああた、間違ってますよ」とおっしゃる貴兄貴女は今も相当数いると思います。なぜなら、私もこの地図を見るまでボルドーはパリと同じゾーンだと知っていたからです。この地図 ↑ だと明らかにボルドーとパリは別グループではありませんか。

調べてみたら、以下の通りでござった。左の共和国の地図は以前の分担、右の地図が上と同じ現在の分担図になります。
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ですから、ココんちの仏人♂の主張通り、彼が幼かった当時というかつい一年前まではプロヴァンス地方とココんちあたり(首都パリを包囲するあんまりパっとしない地方ズw)は同じBゾーンで、ボルドーは私の記憶が正しくパリと同じCゾーンだったのです。とっころが、新しい分担だとボルドーはパリとご縁が切れてしまったことになりますねぇ。ココんちにおいては新しい分担でパリともプロヴァンスとも縁切れとなりドツボにはまってドッピンシャンな気分です。いっそー、つまんねーw

そして、ココ数日。いつも頼っているパン屋さんもお惣菜屋さんも冬休みに入ってしまい、ライトに困っています。でも、少し考えるとパン屋さんもお惣菜屋さんもクリスマスと新年に猛烈に働かれたので、この冬休みこそ彼らにとっては年末年始に値する骨休めなのでしょうね。感謝と共に尊重せねばなりませぬ。ところが、せっかくの冬休みですのに、ココんちあたりは連日の暴風雨で、晴れ間が見えたらちゃっちゃか用事を済ませる繰り返しの日々を送っています。なんだかな、ここまで悪天候が続くと、うつむきがちになってしまいますですよ。

でも、悪天候が続いても、この冬休み中、先週水曜日から暦の上では四旬節に入り、春はもうすぐ、そこまで迫っていることになります。あたすもムクムクと庭の労作に動き始めました。鼻歌は「主にまかせよ 汝が身をぉおお」ですかねぇ。で、今はたまに「おとなの掟」を口ずさむときたもんだ、まる


le 5 mars 2017, Olive









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by ma_cocotte | 2017-03-05 19:06 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
ようやく仏蘭西向けEMSに安心できるようになった。
タイトルの話題。
もしかしたら仏蘭西共和国(本土)の中でも花の都パリではなく地方限定の話題かもしれません。

これまで長らく日本国から仏蘭西向けの小包送付で、日本国内でEMS(国際スピード郵便)またはSAL(エコノミー航空便)の選択が主流で、前者の方がやや高額ながら速やかに届くという利点、後者は届くまでに2週間ほどかかるけれど廉価という利点がありました。繰り返すけれど日本国内で、です。

誰しも仏蘭西で早く受け取りたい、受け取っていただきたいならばEMSを選ぶでしょうし、急ぐ必要のない物品の転送(長期滞在者にありがち)ならばSALを選ぶことも多いです。仏蘭西共和国内の、近所にトリポスト(郵便物集配拠点)がある町だと日本からEMSで送ろうがSALで送ろうが大して日数が違わないこともありますた。

・・・・確かに日数はそんなに差がないのかもしれませんが、日本から同じ郵便局から送ったEMSまたはSALの運命は仏蘭西到着後、運命が分かれていました。それはEMSは私立運送会社(通称 Chronopost)に委ねられ、SALはラ・ポスト(共和国の郵便公社、通称Collissimo)に委ねられるのです。これ、たいした問題ではないように思えますが、実は小包が自宅に届いた時に留守だとまったくその後の動きが違うのですた。少し前までEMSで送った小包を留守で受け取れないとポストに入った知らせの紙にある電話番号に連絡し、再訪日について「協議」しなければなりませんでした。この電話代が留守した側の支払いになり、しかも高額設定(普通の市外局番ではない)。しかも、通話が始まってから5分以上の待機も当たり前(電話代がどんどんかさむ)。そして、集配拠点が私立運送会社なので場所によっては一地方に一拠点なので、こちらの指定日に対して、運送会社が平然と「ああ、その日、うちの車はあなたの住む地方に行かない」と断ってきたりします。どこがEMSなんですかね?

一方のSALはラ・ポスト経由で集配されるので、もし私たちが留守をしたとしても地元の集配所に再送を頼むか、そうでなければ地元の郵便局に荷物を預けてあるので自分で身分証明を持参して取りに行けばいいのです。

こうなっちゃうと、日本国から仏蘭西への小包送付はSALの方が便利(と思ったのは私だけかもしれませんが)。

それに、私だけの偶然かもしれませんが、日本からの仏蘭西への小包をEMSで頼んだ時に限ってなぜか関税に引っかかり、会社がはっきりしないひとから関税を小切手で渡せ、と強く命じられることが数回ありました。必ず小切手で、と言ってくるし、こちらが怪しむと「小切手を渡さないなら、こちらもこの荷物を渡さない」と平気で言ってきました。これには本当にイヤな印象しか残っていません。荷物を受け取りたい(だって、荷物が持ち運ばれてしまったら、また高額の電話代で交渉しなければならなくなります)気持が第一になるので、まとまった金額の小切手を渡すことを選んでしまう自分ですが、本当にスッキリしない。これが本音。

と、こ、ろ、が、です。
最近になって大きな変化があったのです。
それは Chronopost が大手国際運送会社の DPD と合併(いや、吸収されちゃったのかもしれません、でなけりゃ提携)したのです。これまで何のアイデンティティもない白いバンで小包を届けられていたEMS便がきちんとDPDまたはChronopostのロゴが描かれたバンで届けられるようになり、万が一、留守にした場合も郵便局または指定の店舗で荷物を引き取れるようになりました(その代わり、再訪がなくなった(我が地元だけかもしれません)。今までのようにどこにつながっているのかわからない怪しげな電話応対もなくなりました。

そして、ようやく仏蘭西も日本に追いついたようで、EMS-Chronopost も SAL- Colissimo も荷物の集配番号をインターネット上で追跡すれば自分の荷物が今どこでどういう状態なのかわかるし、だいたいの到着日と時間が把握できるようになりました。でも、仏蘭西ではまだこちらが集配時間を指定できるようにはなっていません。集配者は一日に何度も訪問してもくれないので、一日につきワンチャンスです。日曜祝日の配達もありませんし、土曜の午後も彼らは動きません。この点は以前とまったく変わらないし、変わる可能性も限りなく低いです。

それでも、仏蘭西向けEMSを安心してお願いできるようになったのは、こうして超ウルトラスーパーど田舎に住む日本人にとっては本当にうれしいことです。二択できるというのは心理的にありがたいです。

と、きょうは大英帝国から荷物が届くココんちなのでした。
これについても大躍進中のDPD社経由。昨日、大英帝国側からの知らせではココんちに届くのは木曜でしたが、今朝一番でChronopost International (! つまり、海外でDPDから発送しても共和国内ではChronopostに移管されるっちゅうことですな)から届いたメールにはきょう23日の午前8時から18時の間にココんちに届けますよ、と。ほらね、10時間もの間、あたしゃ、ココんちから動けないの。こんなもんです、おフランス。


le 23 novembre 2016, Clément

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by ma_cocotte | 2016-11-23 15:45 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
もう、いいかげんにして。 Stop! Ça suffit!
パァパ・フランチエスコが日々、善行と奉献につとめられておりますのに、隣国のお仏蘭西では10月3日にパップ・フランソワ(=パァパ・フランチエスコと同一人物)から仏蘭西の公教育における性差の教え方について名指しで難癖つけられたことで政府上層がパニック状態になり、その話題でマスコ゛ミ主催のお祭り状態がきょうもまだ続いておりましてね(失笑。

かつて一度は「カトリックの長女国」と渾名されたフランスという国では長女だからとカトリック教会にたてついても「たいして叱られないわよ」という驕り高ぶり甘えに満ちた傲慢がしっかりあるので、今回の騒動もそのうちのひとつのように思えてなりません。1905年12月以降、完全なる政教分離法が存在するしぃ、1968年の学生革命で教会にトドメを刺したンだからさーと仏政府は不定期に暴走し、長い歴史でがんじがらめにされていたカトリックの生活道徳に楯突いて新しい教えを生み出そうと躍起になっており、そうゆうことをしても「あたしは長女だからパパ(いや、教会はママンだな)はアタシを甘く見てくれるのよねー」と。ところが、今回のようにママンから「おフランスちゃんのこういう考え方やら行いは間違ってる。ダメダメねー。」と反論が出ると、仏政府は瞬時に塩をかけられたなめくじみたいになって身悶えながら「ママンったら古いわね。理解できないなんてバッカみたい。」と反論が多弁になるというみっともなさ。毎度この手のおフランスvsヴァチカン騒動を傍観している私には仏政府のよぢれ身悶える様子は面白くもあるのですが。

どーなるんでしょー ←抑揚まったくなしでどうかひとつw


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というか、10月3日に始まったこの騒動より前に、既に現在のフランスの公教育の諸問題について共和国内のカトリック世俗が抗議運動を行うことが決定されていたのです。パリでの総決起集会は10月16日日曜に行われます。これが私が手にした勧誘チラシね。10月2日のごミサの後、聖堂の出口で受け取りました。
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公教育だけでなく同性婚姻法への抗議集会でもあり、カトリックだけでなくイスラーム、ユダヤ教の生活宗旨で日常を過ごしている方々も参加しています。彼らには彼らの理詰めの屁理屈がしっかりあり、それぞれが仏政府を論破できる自信があるのも、それが「真理」だから。(「まり」ではなく「しんり」です)政府変われば変わるかも、と絶望しないでいられるのも「真理」を信じるがゆえでしょう。いや、ヒトがそれぞれ真理を信じなくても真理の中身はなんら変わらん。

ココんちあたりもカトリックゾンビが多数参加。
夜明け前にパリに向かうチャーターバスが出るざま。

ただ、公立学校の性教育うんぬんは前世紀後半にはアジャパーのハラホロヒレハレ状態なので、カトリックのおブルヂョワ家庭においては幼稚園・小学校は私立でなけりゃ自宅教育申請しているし、ユダヤ教家庭もユダヤ教私立学校が共和国内で充実しているし、イスラーム家庭は教義によって徹底した父長制度でしっかり伝播されているので、どうしても公立校に子女をいれなきゃならないひとびとへの思いやりとでも言うのですかね。政府にしてみりゃ「余計なお世話。嘴突っ込むな」なワケです。

まあ、ナンピトも(届出やら認証の手続きを守れば)抗議集会は認められるのがお仏蘭西なんざんす。


話戻って、10月3日のヂャウヂアからの航空機内での教皇発言が来る10月16日の抗議集会の主旨と連動しているのか否かは、今の私にはわからん、まる

だけれど、傍観している限り、おフランスの公立校の性教育について多くの方々からナンクセつけられてもしかたないんぢゃないかなあ? だって、ガイジンにしてみりゃ、ありゃ、普通ぢゃないもんw



le 5 octobre 2016, Faustine

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by ma_cocotte | 2016-10-05 17:38 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
夏の最後にブルキニ水着のお話
9月も1/3を過ぎたと言うのに、まだ共和国内には酷暑の波が西から東に繰り返し動いてもおり、日替わりとは言え、或る日は大西洋岸で35度超え、別の日には地中海側で35度超えの状態が続いています。

共和国の市井においては9月に入ったことで、ほとんどのひとびとは職場、学校に戻り、新年度の様子に慣れつつあります。

が、冒頭に書きなぐったような気象であるため、週末に海岸を冷やかしに行くひとは多いです。そういう状況で今思い出すのは先月、共和国内で騒がれ、国際配信までされちゃったブルキニというムスリマが公衆海水浴場やプールで着用する水着についての話題です。確か私の記憶が確かならば地中海側の海水浴場に面するいくつかの市町村でブルキニの着用を禁じる令が出たとか。それについてもちろん人権団体諸々が人種差別や不平等をあげて抗議しました。8月末の時点で、カズヌーブ内相は多くのムスリマが着用する全身を覆うブルキニ水着の着用を共和国内で禁止することは違憲かつ無効であり、法制化されれば取り返しのつかない緊張をもたらすとの考えを示しもしました。

この件については先月26日に共和国の最高裁判所にあたる国務院がブルキニ着用禁止を凍結する決定を下しましたが、ココでは何の因果か仏蘭西共和国に長期滞在中の日本人である私の印象をつぶやかせていただきます。

内相やら国務院など三角形の頂点方面のアタマが良くてエラいひとびとは横に置いて、ガイジンであり、日本婦女子の私が眺めているかぎり、これまで仏蘭西の、特に地中海沿岸で当たり前である海水浴場での女性の上半身または全身のすっぽんぽんを目にするよりブルキニ着用の女性の方が傍観者としてハラハラしません。私のように肌や皮膚が弱い者にはむしろブルキニをまとってみたいほどです。(註:全身のすっぽんぽんはマルセイユあたりのカランクならば朝一番で全身スッポンポンが泳ぎ始めたら、そのカランクは一日全身スッポンポンの溜り場になります。法なんぞ「なにそれ?」の域の人種ですけれどね。そんなもんですよ。)ついでに、仏蘭西国内で販売されている水着には裏地がありませんし、胸にカップもついていません。生地そのものもかなり薄いです。こんな素材だからつけても、つけていなくても同じという考えになり、すっぽんぽーんになるのでしょうかね。もちろん肩や胸に水着の跡を残さず真っ黒けになりたいというセンスも存じておりますよ。

そうかと言って、今年7月14日の終わりにニースでトラック暴走による無差別殺人があったことを忘れてはならず、今年のヴァカンス中に起こった事件でもあるから、事件直後に犠牲者や当事者でなくても(残念ながら)ブルキニを見ると同時にパニックに陥るひとびとが存在しても不思議ではないし、そういう弱っているひとびとへの刺激をなんらかの方法で止めたいという気持が「ブルキニ着用禁止」という安直な言動に出たのかもしれません。この安直な言動については賛成しかねますが、ああいう恐ろしいテロの直後にパニックなどに陥るひとびとへの同情は私にも強くあります。

ですが、しかし、どちらでもない立場の私の正直で素直な気持は誰にとっても楽しく穏やかなヴァカンスを過ごしてほしいということ。
イスラームの生活慣習において、公衆において男性は男性だけ、女性は女性だけで行動するということも私は知っているし、それについて批判もしません。未成年というか中学入学前までの男児、女児は性別に関係なく公衆では母親と一緒にいることが多いです。しかも、ムスリマのママンはまるでイタリアのマンマのように子供に愛情深いことが常なので、どんな装束であれ、ムスリマの母子が海水浴場で楽しく夏を過ごすことは権利だと思います。でも、その様子を偶然見て、ニースの惨劇がフラッシュバックしてつらく苦しい思いを発するヒトもいるとなると・・・。

私見による愚案に過ぎませんが、ブルキニ禁止という極端な決まりを発するのではなく、しばらくの間は海岸を「ブルキニを見たくないヒト向け」「ブルキニ着用者向け」「そんなのどっちでもかまわないで仲良く楽しみましょうよ向け」の3分割するしかないのでは?と私は発想しました。ところが、こういうことを口にすると仏蘭西という国では「それはコミュノタリズムにつながる」とか反論してくるひとがいるわけです。私個人はコミュノタリズムを100%否定する立場ではないので、どうにもコミュノタリズムの単語を出してヒステリーに他人をぶった切るひとびとがパーに見えて仕方ないのです。が、今年の夏はある意味、ニースのテロ、ノルマンディの教会テロ発生など緊急状態のうちだっただけに、第三者のしらけた目線での白でも黒でもない灰色の案が、万民に平らに等しい判断なのではないかと思います。一方の思いを重んじるあまり、他方の、この場合、ブルキニを着る女性たちに水浴の我慢をさせたり、子供たちに喜びを与える母親としての義務を怠らせることを市町村の上長が命じるって私にはキチガイ沙汰に思えます。気の毒ですよ、善良なムスリム、ムスリマさんたちが。

私個人はブルキニより上半身や全身のすっぽんぽんをなんとかしてくれ、と思いますよ。セイウチ、アザラシ、トドみたいなんだもん。あ、言っちゃった。まじめに私にとってはブルキニの方がおしゃれです。日本の海岸でいずれ流行するかもしれません。


le 11 septembre 2016, Théodora



あー、そうだ、書き忘れた←棒読みでどうかひとつ。

例のサルコぢね。
この人物はこのブルキニの件について、
フランス大統領に返り咲いたら
全土でブルキニを禁止する
と8月25日に宣言したのです。彼、アホぢゃありませんね、パーですね。ハンガリー移民の父親とユダヤ人の母親の間に仏蘭西で生まれた移民二世のサルコぢがこういう発言をするとは。大統領、つまり、国父が或る宗教の生活宗旨で生きているひとびとをいぢめているようにしか見えませんけれどね。愚かすぎるぞ、サルコぢ。
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by ma_cocotte | 2016-09-11 16:46 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
お祭りが次々と中止になり、
南仏はコートおダヂュウルにござあますニースや、花の都おパリから西に向かって数時間のノルマンディはルーアン近郊で発生したテロ事件があったせいか、今週に入り、共和国内各地からその土地の名物、風物でもある祭りなど諸行事が次々と安全性の面から中止を発表しています。昨日はベルギー国境に近い共和国の大都市のひとつであるリル Lille から名物行事中止の発表がありました。

これ、本当にどう捉えていいのかわからない。難しい。

それはなぜかと申しますと、共和国内の自治体が安全性を理由に中止するという判断は正しいけれど、例の世界に散らばるイスラム原理教条過激派にしてみれば「成功」どころか「勝利」に値するからです。

員数外の私たちにはナニが勝利なのかわかりにくいかもしれませんが、そもそもイスラム原理教条主義というものは地球そのものがイスラム世界になること、この世に生きるヒトすべてがムスリム、ムスリマになり、イスラムで決められたことが地球上で自然に実行される世界を作ることなんですわな。だから、コーランにも、イスラム法にも、ムハンマドさまの人生にもなんら関連しないお祭りは「この世から消滅させなければならない」わけです。

だから、彼らにとってイスラームでない国で開催される諸行事は「消す」。

オリンピックも彼らにとっては「消す対象」のひとつです。
ムハンマドさまが天使に腕を抱えられてオリンピックに参加したという記録があれば「消す対象」にならなかったンですけれどね。だから、日本国内のお祭りだって「消す対象」なんですよ。

イスラームはこの世で最後の完全包括(宗教)世界なので、宣教と実践を通してこの世が包括されることを目的にするのは決して間違いではありませんが、イスラム原理包括主義の何が間違いなのかと言うと手段です。イスラム法を犯した者への死刑も彼らは肯定しますが、それを公開し、目の当たりにした老若男女に恐怖を与えて従属させることを繰り返して、この世全体の平和が生まれるという方法はいかがなものでしょう。

と、議論したところで、彼らはこの手段が正しいと主張するだけで、その手段に「聖戦」と命名し、実行するわけで。

共和国内の夏の行事が次々と中止になっていることに味をしめた彼らは、今後も成功を収めたテロ手段を世界中で繰り返しながら、この世から異教の祭りを消し去ることに徹するンぢゃないかな。そうすれば、いずれ世界中が唯一の神と預言者の最高位であるムハンマドさまを賛美、礼拝が実現するのだと彼らは信じているのですからして。

あーあ。なんだかなあ。

あたしゃ、彼らの手段に納得いかない。



le 6 aoùt 2016, Sauveur

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by ma_cocotte | 2016-08-06 15:42 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)