カテゴリ:『?』なたわ言( 124 )
何、的外れなことを言っているンだ!?
そう、口からこぼすにしろ、手でタイプするにしろ、表現するのはあまりに簡単です。
加えて、きょうび、日本国内の他人との関わり方で推し量ると、こう言ってしまえば、その表現に「上から目線」という対人関係が見え隠れし、宣告された側がたいてい黙るという流れになります。

少し考えてみると「的外れ」という表現の的は自分のおへそですよね。
余談、仏蘭西という国は「欧州のへそ」、「欧州における中華思想国」と例えられることがしばしばあります。
だから、フランス語で自分の意見を表現したところでなぜか「的外れ」とシャッターを下ろされることがない。もし、シャッターを下ろすとしたら、「あなたは私とは違うから相手にしない。時間の無駄。」ということ。そういう、仏蘭西の生活文化の事情を知ったひとは最初から自分の生活空間と別世界のひととは交わらないし、不幸にもその空間に上下関係が発生するなら、下の者は上の者から目を合わせてくださって、声をかけられるまで自分からどんな感情を抱こうとも動きません。こういう現実をほうぼうで見かけるたびに、日本国内の人間関係の方が平らに等しいと思うことがしばしばあります。

ひとつのテーマにしても、民衆の声を聴き、民衆の立場になって考察するのか、それとも、あくまでもリーダーとして民衆を自分と同じ域まで引っ張るのかは、それこそ他者に対して「上から目線」できるヒトの思考次第ですし、民衆の立場になるつもりもなく、自分のアイデンティティより下にいる者を引っ張るつもりもなく、「ひとことで片づける」「一掃する」のも「上から目線」できる者に与えられた特権です。だいたい、家族だろうが他人だろうが、他者について「自分より下」という感覚がある点で、「自分の後(あと)に続く者」と捉えるのとまったく違うし、前者の世界は延々に三角形なのに、後者のイメージは三角形の底辺が頂点に引っ張られるので常に形が変化する、広がりも見いだせます。三角錐と三角柱、円錐と円柱の違いみたいなものでしょうかね。

世の中、頂点世界を世に広める人もいれば、底辺世界で広まっていることを見上げたところのより狭い世界に知らせる人もいます。

その「人」がどういう能力を持つのか、それはヒトが決めた国境や身分だけではわかりません。
はっきりしているのは「切り捨てる」のが最も簡単な手段です。

民衆でもわかる文で、民衆に知らせ、興味を持ってもらわなければ、世の中、ずっと停滞のままではないでしょうか。
長い演説や説教で目下に広がるひとびとが次々と船を漕ぎ始めるより、時追うごとに彼らがイキイキ前のめりになるっちゅうのはたいしたワザをタレントとして持っていると思います。メランションなどそういう技を持っていたかもね。私が今住む町での大統領戦第一回投票の結果が一位が小童マクロン、二位がメランションだったのも今になってようやく意味がわかってきた(遅すぎw 


le 20 mai 2017, Bernardin



聖木曜日に行われる洗足式は決して儀式ではありません。
義務だから仕方ないと思う聖俗信者が集うなら儀式に過ぎないのでしょうけれどね。


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by ma_cocotte | 2017-05-20 16:32 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ヤマザキマリ女史は文章でも興味深い。

読後感、悪くないw

島国日本に住むひとびとにわかりやすい内容の記事にすれば、どうしたって欧米(←と、一緒くたにすることに抵抗が激しくあるミーではあるが)に住む日本人から読むと「怒り心頭」になるのもわからなくはないけれど、正論ぶつけたところで必ずしも日本人すべてには何を不満に思っているのかもわからないし、雑誌そのものが売れなくなるのも目に見えてしまう。雑誌はお教室の授業中に先生あって読むと言うよりひとりで読むもの。今の日本は(大問題でもあるけれど)「誰にでもわかりやすい」が第一ですもんね。だからと言って、マクロンの私生活について紙の悪い雑誌の記事のように紹介するのは、うぅううんと唸らくもありません。おそらくスキャンダルのような記事を読んで疑問を持ったひとが更に探るならある程度の真実も見えるだろうし、記事を読んだところで興味ないひとは踏み込まないのも現実。そうゆうひとは記事のウソを信じてしまうかもしれないけれど、仕方ないよね。ああ、それに読み手の感性に基づく紐解き方というのも大切かも。同じ穴のムジナというか。

マリ先生がお住まいのイタリアとフランスでは隣国であれ、生活慣習の事情や感覚は違う。けれども、周囲を見回すとイタリアからフランスに移民して来た家族が未だにイタリアでの生活慣習や感覚を強く維持してフランスという国で我ぁ張って住んでいたりもします(もちろんスペインやポルトガルもそうだし、アジアでもアフリカでもそんなもんよ)。結局、私生活なんてものはマリ先生がおっしゃる「他者と比較するのはナンセンス」というのがヒトが決めた国境を取っ払っての真理ではないかと思います。同じ屋根の下でも玄関違えば「よそンち」ですしね。同じ玄関を使っているひとびとがそれぞれしあわせならばよろしいのでした。


le 18 mai 2017, Pascal





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by ma_cocotte | 2017-05-18 16:58 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
端した金は要らねぇ
教会だろうが神社仏閣だろうが、世俗が捧げるものに神仏だか大聖人の名を絡めて条件付けするならば、浄財の意味が失せるのではないだろうか。私は百合や薔薇でなく、野に咲く雑草です、とかなんとかの言葉をほめながら、小銭は要らない!なんて矛盾極まりないと思う。それも、肉体の不自由さから離れた霊魂の「肉体的ハンデ」を笑い話にしてさ。

私は勤労婆さんだった時、同僚から「1円玉を軽んじる人は、いずれその1円で泣きます」と強く言われたことがあるし、無職になってからは「チリも積もれば山になる」を励みに日々、生きていたりもします。そういう人は私だけではないと市井で出会う人々を見て実感するし、だからと言って、自分を安心させてはならず、彼らの為に自分は何ができるだろう?としばし考えたりもします。でも「できることはする」けれど「できないことはしません」。

小銭を要らないという教会や神社仏閣なんぞ、こちらが距離を置きますよ。
おそらく貨幣の価値がそういうことを言う世界と私では違うのだろう。
5ユーロの紙幣があればバゲットが5本買える。その5本を2本にすれば、フルーツタルトかフランが買えるかもしれない。スーパーで買い物すれば必ず端数が出るから、こちらが端数(サン(チィム)を出すと、レジのおねいさんが計算間違いしないで済むのでありがたくほほ笑み返してくれる。
教会なんかより市井の方が「端した金」に喜んでくれるなら、そっちで使い、お互いに笑顔になれる方がいいやね。

小銭を献金したり、賽銭箱に投げた途端、睨まれたり、失笑されるとするなら、教会も神社仏閣も天国だか極楽からもっとも遠くに位置しているのだとしか思えないわ。

共産主義の「地上天国」に慰めを覚えるわあ。
やっぱ、ヒダリが民衆の味方だね。
教会も神社仏閣もお金持ちだけが好きなんだ。
ああ、アホらし。

お前ら、1円で泣けw

私は1円を、1サン(チィム)をありがたく思う。
ユニクロのネット販売で10円未満を切り捨てにしてくれるのは嬉しいよね。

ま、教会とか神社仏閣も「端した金はご自分の為に使いなさい」と言ってくれたと信じることにしようっと。
でないと、根本どころか抜本から崩れ落ちて、なんら自分が救われないわw


le 16 mai 2017, Honoré


ああ、思い出した。
ひと昔前、フランが廃止になりユーロに変更された当時、私はまだ南仏に住んでいたので、マルセイユに行くと、ちょっと前まで「1フラン、くれ」とすれ違いざまに言ってくる青少年達が「1ユーロ、くれ」と言うようになりました。マルセイユではこう言う立ち止まらずにすれ違いざまに金をねだる人は当たり前にゴロゴロいますが、「1ユーロ、くれ」とすれ違いながら言われた時、振り返って彼らに「1ユーロは6.55957フランだ!」と言い返したことがあります。7フランでもない、6フランでもない。1ユーロは6.55957フランです。小数点3位以下の小銭は存在しないから、仕方ない。6.56フランかえ? 切り捨てで6.55フランとして一方が1サンチーム得して、一方が1サンチーム損するようにしますか。おそらく彼らならば四捨五入を選ぶよ。1サンチーム多く稼げるから。
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by ma_cocotte | 2017-05-16 14:07 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
あぁああああああ(と、雪の谷底に転げ落ちるの繰り返し)
あっと言う間に弥生三月の後半となりました。
今年2017年一月期の数々のドラマで喜びをもって最後まで視聴できた、できそうな作品は3本。
「カルテット」、「左江内氏」と、先の火曜日に最終回だった「嘘の戦争」。

この3本の世界がまったく似通っていないところがアタシ自身の脳内分裂傾向を認める軸の一本かもしれませんが、いや~、いずれもたまらん。ムズムズのミゾミゾでございます。

左江内氏は明日が最終回。
格好良すぎの左江内氏と悪妻キョン2に明日でお別れと思うと悲しくて、悲しくて。キョンキョンさまにおかれましては(ココで最敬礼)、アタシの見本を奪い取られるとはこのこと。続編を今から期待す。

そして、来週火曜日に「カルテット」が最終回です。「嘘の戦争」が一週早く最終回を迎えたので、今度の火曜日は「集中力」で挑みたいであります。私にはまったくわからないながらも、毎回、毎回、BGMに選ばれているクラシックの音楽とドラマの物語の絶妙なマリアアヂュにみぞみぞしているワタクシなので、最終回にあの物語がどう締めくくられ、そして、そのBGMに選ばれるクラシックは何なのだろう?と思うだけで、来週火曜日まで待ちきれない。そんな気持ちなンです。

と、ここで。あぁああああああああ。(と、感情ゼロで雪降り積む谷底へ落ちるアタクシ)

以上、わかるヒトにだけわかるハナシでした、まる


le 17 mars 2017, Patrice






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by ma_cocotte | 2017-03-17 16:44 | 『?』なたわ言 | Comments(2)
これまでの30年、これからの30年
そうそうそう、思い出しました。
22日の日。
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陽光に当たり、そよ風に吹かれながら、麦酒を気分良くいただいている時にふと腕時計を見たら、何かおかしいことに気づいたのです。

時計はきちんと動いているのですが、何せ時計盤に分刻がないと好きになれない私なので、些細なことだけれどもんここに「今、何時?きょうは何日だっけ?」と質問。時計が正しい時刻をさしていることに安心して、龍頭を巻いたら、龍頭がきつく閉まらないのです。あれ?今朝、時刻と暦を合わせた時は龍頭はゆるくもなり、閉まりもしたのに・・・と、ここで30年近く愛用の自動巻き腕時計が壊れているのではないか?ということに気づきました。自動巻きなので電池要らずのマイ腕時計、この30年近くまったくの異常無しで、初めて私にSOSを示したことになります。

食事の帰り道に旧市街の時計屋さんに持参し、龍頭がおさまらないことを話しましたら、これは本社工場に送って全点検ですね、とヒトで言うところの入院を宣告されてしまいました。すぐさま、見積もりを伺ったら、なんと、450ユーロくらいではないですかねぇ、と涼やかなお返事。どへ、あんた、そりゃ、新しい腕時計一本買うより高いでよ!と貧困に加え、超ウルトラスーパーどけちの性(さが)を持つ私の心の声が怒髪天突いたンですが、お店の方が「ですが、奥さん、新品状態で戻ってきますよ。今まで30年故障知らずならば今後30年故障知らずです」と。

・・・あーた、お商売上手ね...

と、口に出さずに心ン中でつぶやきつつ、とり合えず正確な修理費用が本社から連絡あるまで委ねることにしました。もちろんその動作中、私の脳内は450ユーロを30年で割ったりかけたり、なんぢゃろね、マトリックスの黒字に緑の縦横ビラビラみたいな感じ。麦酒とワインをいただいた後で脳が働いただけでもたいしたもんです。

それが22日で、こんにちは29日。
一週間になりますけれど、未だ旧市街の時計屋さんから何の連絡もありません。
あたしの腕時計、人質に取られたような気分ざます。返せ、こんにゃろめ。



・・・・って、こういうネタ、10年くらい前だったら「ヂャウ・ハランバン夫人」シリーズでエントリーしたよね、なんてことを思い出した。思い出せたことも奇跡だな。


le 29 septembre 2016, Michel

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by ma_cocotte | 2016-09-29 16:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ほぼ、夏はおしまい。
リオでのオリンピック夏季大会も就寝中に終わってしまいました。今朝になって、日本側が漫画世界を中心にしたアピールだったことを知りました。漫画の文化は私のような高齢者でも「ベルサイユのばら」やらかぢっているので、4年後の日本國民の中心は漫画で育った日本人が国を動かす中心でイ動いていることでしょう。そう思うと、素人ながらこういう表現は4年後の未来へのつなぎとして当然なのかもしれないと思いました。まあ、個人的には和太鼓や和楽器、日本らしいお祭りを応用して今を表現したらおもしろいのではないかと思ったりもしますが、そんなのはかなりのマイノリティな位置付けだとわかっちゃいるんですよ、これでも。

さて、ココんちあたりは先週15日以降、かなり「秋の気配」が「夏の暑さ」を圧している感じがします。太陽の日差しの強さは夏のままですが、風がぐっと冷たくなった気がします。近所の野生のミュールが次々と黒くなり、粒をふっくらさせても来たので、タッパーや袋を持参でミュールを摘む老若男女の姿も増えました。ああ、そして、日照時間がグーンと短くなり、夜明けが7月に比べ一時間近く遅くなりました。午前6時でも外は真っ暗です。

今年の夏は悪天候のせいもあり、本当に短かいものでした。
夏らしい日は一か月あったかなあ?

8月も後半に入り、共和国内の多くのご家庭では9月の新学期前の準備に取り掛かる頃となり、市井の大型店舗や専門店でも学校で使用する文房具や衣料の大バーゲンが始まりました。仏蘭西では日本ほど文房具文化が発達していないこともあり、学校でなくても主婦が家庭で用いる文房具を探すなら「イマでしょ」なのです。この時季を逃すと、店舗の端っこの文具コーナーであまりに選択肢の少ない品から選ばなければならなくなります。日本の文房具文化、ヴぁんずぁああい!なのです。(なので、日本からは文房具を仏蘭西びとにおみやげにするととても喜ばれます。)

私は例年7月、8月はココんちで過ごし、9月にカトリック文化を目当てにした旅に出ていましたが、今頃になって今年にその計画を立てていないことに気づきました。2008年から続けていたのに八年目の今年でストップとなりました。記録更新できずに寂しくも思いますが、8年続けられた方が奇跡に思えるので、でお・ぐらあしあす。早ければ来年から再スタアト、振り出しに戻りましょう。

なんてことを朝から考えていたら、きょう8月22日が旧教典礼暦で「天の元后聖マリア」のお祝い日と知り、それについて仏蘭西語ではMémoire de la Vierge Marie Reine と表すことを知りました。だから、お名前や洗礼名が Marie Reine (ラテン語だと Maria Régina)さんは今日一日、お祝いの電話がかかりっぱなしだったり、花束が届いたり、おいしいごちそうに招かれたりとうれしい一日になります。しっかし、きょうが「天の元后聖マリア」のお祝い日だなんて知りませんでした。まあ、世界中のマリア・レジィナさん、おめでとうございます。

さてと、くだらないおしゃべりを止めて、掃除、掃除。


le 22 août 2016, Marie Reine

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by ma_cocotte | 2016-08-22 15:28 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
明日でお別れ、もう会えない
2004年から12年間、生活を共にしたホンダくんと明日お別れすることになりました。
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お別れを前にしてきょうは朝から最後のおそうじをしました。
2002年に日本で製造されたこのホンダくん。ココんちとの12年間、本当に頑丈で、ありがたい存在でした。もちろん今、今日もホンダくんは元気、元気です。が、明日、お別れ。

このホンダくん。2004年当時、私の母の勧めや援助あって南仏はマルセイユで手に入れた車でした。あれから12年、今では車体が古めかしくても、内臓になんら問題ないホンダくんにさようならするのは本当につらい。名残惜しくてなりません。
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このホンダくん。私どもとの12年間で最大の働きは南仏の田舎町からココ新天地まで800kmを、途中でソフトボール大の雹に攻撃されながらも無事にヒト♂♀とココんちの3+1猫、ガラクタを運んでくれたことです。そして、この12年間、一度も大病なし。すばらしいです。

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明日、ディーラーの手に渡った後のホンダくんはおそらく車体はつぶされるか、近所の自動車修理工養成高校に渡され、今も元気もりもりの純正のホンダエンジンは転売されるのではないかと思います。そう思うと、ホンダくんがかわいそうでなりませんが、だからと言って走行中に何かトラブルが起きるまで乗り続けるのもいかがなものかと思います。その理由は先代のホンダくん(前世紀製造のシヴィック3ドア)が走行中にトラブルを見せ始めたことがきっかけでこのホンダくんに買い換えた経験です。

2008年に他界した母に縁あるものをまたひとつ手放すことになり、もし目から涙をひとつぶこぼしたらドドっと溢れそうな予感もしますが、母の他界を境にどんなに名残惜しいものももし自分が死んだらその全てを棺桶に収められないことを今は心の奥底、脳の芯から理解しているので、明日はホンダくんに感謝しつつ、別れたいと思っています。


Adieu, ma Honda Jazz.
今までありがとう、ホンダくん。
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なんだか脳内ヂュウクボックスから聞こえてくる歌は菅原洋一の「きょうでお別れ」です。


le 20 juin 2016, Silvère

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by ma_cocotte | 2016-06-20 18:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
行ったり、戻ったり。
私のひとつ前の投稿でようやく夏が来たと喜んだのも束の間、先週金曜日から再び長雨となり、冬のような気候に戻ってしまったココんちあたりです。
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ココんちは素人園芸家庭なので、庭の草木はほっぽりっぱなし。今年の悪天候のせいも加わり、ようやくつぼみがはじけても例年に比べるとひと周り、ふた周りと小ぶりな花が咲いているように思います。「ああ、僕が花開く時、芽吹く時が来た!」と草木が信じても、突然、冬のような寒さに戻ったり、太陽が隠れっぱなしなのですから、気の毒でなりません。

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来週の火曜日には夏至を迎えるというのに、このような、まるで復活祭を迎える前のような「偲びて、春を待て」の天候、なんとか夏を迎えるまでに改善しないものでしょうか。


le 15 juin 2016, Germaine

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by ma_cocotte | 2016-06-15 15:02 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
特別だった金曜日
先週の金曜日。
2015年4月3日金曜日。

ユダヤ教では過越祭。
キリスト教の多くの派では聖金曜日。
イスラームにおいて毎週金曜日は厳しく守る祈祷日。

その前日の明け方に、ケニヤの大学であのような悲劇がありました。
彼らにしてみれば、その日しかなかったンでしょうね。

過越は旧約聖書の出エジプト記12章から書かれているとおり、玄関に子羊の血を塗った家庭(=ユダヤ)の子は助かり、それ以外の家庭(土着のエジプト地中海人)の子供(おそらく長男)たちはすべて、天使によって生命を奪われたとあります。遡るとエジプトは3大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)の啓典に登場する重要人物アブラハムの長男イシュマイルの母親ハガルが生まれ育った土地なんですよね。イシュマイルの子孫が現在のアラブ人です。ユダヤ人はアブラハムの正妻の息子イサクの子孫。

そして、聖金曜日はイエス・キリストが処刑された日です。
この日の午後3時に彼は息を引き取りました。新約聖書を読むと、シャバット(ユダヤ教が厳しく守る祈祷日)が金曜の日没から始まるので、ユダヤ人たちが日没前に全てを済ませようと焦る様子も描かれています。

le 9 avril 2015, Demetrius
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by ma_cocotte | 2015-04-09 15:27 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
新装開店してから、十年とひと月
拙ブログのことです。
こんにちで「Tant pis! Tant mieux! そりゃよござんした。」のブログを始めて十年とひと月となりました。

なぜ新装開店かと申しますと、2004年の9月のいつだったか、私が生まれてはじめてのブログを同じエキサイトブログ社でオープンしましたが、10月だったかコオトジヴォワアル内戦についての私見を掲載したことがきっかけとなり炎上したのであっさり完全消去。仕切りなおして新装開店したブログがこんにちココにあるこのブログなのざんす。

最初のブログの名前「仏蘭西の空を仰いでみる。」だったっけ・・・確か、たぶん。
ついこの間、このブログを始めたような感覚なのに、こうして当時のいろいろさまざまなことを思い出せない現実からして、十年一昔とは言え、それなりに長い年月なのだなあ、私も年取るわけです。

そもそも十年とひと月の記念日にこの話題に触れたのも、十年丁度だった先月22日に思い出すことをすっかり忘れていたからです。

まあ、そんなもんでいいと思ってます。
その程度の思い入れだから十年とひと月も、こんな私が続けられたのです、はい。

何事も去るもの追わず、ですな。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。← これは今もそらんぢられるという私の脳みそつるつる構造の怪
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と、土曜日の日没から待降節第四週となり、アドヴェントキャンドルの全ての蝋燭に火がともりました。四本目の蝋燭は「平和」です。希望、愛、喜び、平和を日々こころに置いて、24日の夜に気分よくグロリアを唄いたいです。

le 22 décembre 2014, Françoise-Xavière Cabrini

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by ma_cocotte | 2014-12-22 00:15 | 『?』なたわ言 | Comments(4)