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カテゴリ:『?』なたわ言( 120 )
これまでの30年、これからの30年
そうそうそう、思い出しました。
22日の日。
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陽光に当たり、そよ風に吹かれながら、麦酒を気分良くいただいている時にふと腕時計を見たら、何かおかしいことに気づいたのです。

時計はきちんと動いているのですが、何せ時計盤に分刻がないと好きになれない私なので、些細なことだけれどもんここに「今、何時?きょうは何日だっけ?」と質問。時計が正しい時刻をさしていることに安心して、龍頭を巻いたら、龍頭がきつく閉まらないのです。あれ?今朝、時刻と暦を合わせた時は龍頭はゆるくもなり、閉まりもしたのに・・・と、ここで30年近く愛用の自動巻き腕時計が壊れているのではないか?ということに気づきました。自動巻きなので電池要らずのマイ腕時計、この30年近くまったくの異常無しで、初めて私にSOSを示したことになります。

食事の帰り道に旧市街の時計屋さんに持参し、龍頭がおさまらないことを話しましたら、これは本社工場に送って全点検ですね、とヒトで言うところの入院を宣告されてしまいました。すぐさま、見積もりを伺ったら、なんと、450ユーロくらいではないですかねぇ、と涼やかなお返事。どへ、あんた、そりゃ、新しい腕時計一本買うより高いでよ!と貧困に加え、超ウルトラスーパーどけちの性(さが)を持つ私の心の声が怒髪天突いたンですが、お店の方が「ですが、奥さん、新品状態で戻ってきますよ。今まで30年故障知らずならば今後30年故障知らずです」と。

・・・あーた、お商売上手ね...

と、口に出さずに心ン中でつぶやきつつ、とり合えず正確な修理費用が本社から連絡あるまで委ねることにしました。もちろんその動作中、私の脳内は450ユーロを30年で割ったりかけたり、なんぢゃろね、マトリックスの黒字に緑の縦横ビラビラみたいな感じ。麦酒とワインをいただいた後で脳が働いただけでもたいしたもんです。

それが22日で、こんにちは29日。
一週間になりますけれど、未だ旧市街の時計屋さんから何の連絡もありません。
あたしの腕時計、人質に取られたような気分ざます。返せ、こんにゃろめ。



・・・・って、こういうネタ、10年くらい前だったら「ヂャウ・ハランバン夫人」シリーズでエントリーしたよね、なんてことを思い出した。思い出せたことも奇跡だな。


le 29 septembre 2016, Michel

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by ma_cocotte | 2016-09-29 16:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ほぼ、夏はおしまい。
リオでのオリンピック夏季大会も就寝中に終わってしまいました。今朝になって、日本側が漫画世界を中心にしたアピールだったことを知りました。漫画の文化は私のような高齢者でも「ベルサイユのばら」やらかぢっているので、4年後の日本國民の中心は漫画で育った日本人が国を動かす中心でイ動いていることでしょう。そう思うと、素人ながらこういう表現は4年後の未来へのつなぎとして当然なのかもしれないと思いました。まあ、個人的には和太鼓や和楽器、日本らしいお祭りを応用して今を表現したらおもしろいのではないかと思ったりもしますが、そんなのはかなりのマイノリティな位置付けだとわかっちゃいるんですよ、これでも。

さて、ココんちあたりは先週15日以降、かなり「秋の気配」が「夏の暑さ」を圧している感じがします。太陽の日差しの強さは夏のままですが、風がぐっと冷たくなった気がします。近所の野生のミュールが次々と黒くなり、粒をふっくらさせても来たので、タッパーや袋を持参でミュールを摘む老若男女の姿も増えました。ああ、そして、日照時間がグーンと短くなり、夜明けが7月に比べ一時間近く遅くなりました。午前6時でも外は真っ暗です。

今年の夏は悪天候のせいもあり、本当に短かいものでした。
夏らしい日は一か月あったかなあ?

8月も後半に入り、共和国内の多くのご家庭では9月の新学期前の準備に取り掛かる頃となり、市井の大型店舗や専門店でも学校で使用する文房具や衣料の大バーゲンが始まりました。仏蘭西では日本ほど文房具文化が発達していないこともあり、学校でなくても主婦が家庭で用いる文房具を探すなら「イマでしょ」なのです。この時季を逃すと、店舗の端っこの文具コーナーであまりに選択肢の少ない品から選ばなければならなくなります。日本の文房具文化、ヴぁんずぁああい!なのです。(なので、日本からは文房具を仏蘭西びとにおみやげにするととても喜ばれます。)

私は例年7月、8月はココんちで過ごし、9月にカトリック文化を目当てにした旅に出ていましたが、今頃になって今年にその計画を立てていないことに気づきました。2008年から続けていたのに八年目の今年でストップとなりました。記録更新できずに寂しくも思いますが、8年続けられた方が奇跡に思えるので、でお・ぐらあしあす。早ければ来年から再スタアト、振り出しに戻りましょう。

なんてことを朝から考えていたら、きょう8月22日が旧教典礼暦で「天の元后聖マリア」のお祝い日と知り、それについて仏蘭西語ではMémoire de la Vierge Marie Reine と表すことを知りました。だから、お名前や洗礼名が Marie Reine (ラテン語だと Maria Régina)さんは今日一日、お祝いの電話がかかりっぱなしだったり、花束が届いたり、おいしいごちそうに招かれたりとうれしい一日になります。しっかし、きょうが「天の元后聖マリア」のお祝い日だなんて知りませんでした。まあ、世界中のマリア・レジィナさん、おめでとうございます。

さてと、くだらないおしゃべりを止めて、掃除、掃除。


le 22 août 2016, Marie Reine

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by ma_cocotte | 2016-08-22 15:28 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
明日でお別れ、もう会えない
2004年から12年間、生活を共にしたホンダくんと明日お別れすることになりました。
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お別れを前にしてきょうは朝から最後のおそうじをしました。
2002年に日本で製造されたこのホンダくん。ココんちとの12年間、本当に頑丈で、ありがたい存在でした。もちろん今、今日もホンダくんは元気、元気です。が、明日、お別れ。

このホンダくん。2004年当時、私の母の勧めや援助あって南仏はマルセイユで手に入れた車でした。あれから12年、今では車体が古めかしくても、内臓になんら問題ないホンダくんにさようならするのは本当につらい。名残惜しくてなりません。
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このホンダくん。私どもとの12年間で最大の働きは南仏の田舎町からココ新天地まで800kmを、途中でソフトボール大の雹に攻撃されながらも無事にヒト♂♀とココんちの3+1猫、ガラクタを運んでくれたことです。そして、この12年間、一度も大病なし。すばらしいです。

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明日、ディーラーの手に渡った後のホンダくんはおそらく車体はつぶされるか、近所の自動車修理工養成高校に渡され、今も元気もりもりの純正のホンダエンジンは転売されるのではないかと思います。そう思うと、ホンダくんがかわいそうでなりませんが、だからと言って走行中に何かトラブルが起きるまで乗り続けるのもいかがなものかと思います。その理由は先代のホンダくん(前世紀製造のシヴィック3ドア)が走行中にトラブルを見せ始めたことがきっかけでこのホンダくんに買い換えた経験です。

2008年に他界した母に縁あるものをまたひとつ手放すことになり、もし目から涙をひとつぶこぼしたらドドっと溢れそうな予感もしますが、母の他界を境にどんなに名残惜しいものももし自分が死んだらその全てを棺桶に収められないことを今は心の奥底、脳の芯から理解しているので、明日はホンダくんに感謝しつつ、別れたいと思っています。


Adieu, ma Honda Jazz.
今までありがとう、ホンダくん。
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なんだか脳内ヂュウクボックスから聞こえてくる歌は菅原洋一の「きょうでお別れ」です。


le 20 juin 2016, Silvère

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by ma_cocotte | 2016-06-20 18:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
行ったり、戻ったり。
私のひとつ前の投稿でようやく夏が来たと喜んだのも束の間、先週金曜日から再び長雨となり、冬のような気候に戻ってしまったココんちあたりです。
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ココんちは素人園芸家庭なので、庭の草木はほっぽりっぱなし。今年の悪天候のせいも加わり、ようやくつぼみがはじけても例年に比べるとひと周り、ふた周りと小ぶりな花が咲いているように思います。「ああ、僕が花開く時、芽吹く時が来た!」と草木が信じても、突然、冬のような寒さに戻ったり、太陽が隠れっぱなしなのですから、気の毒でなりません。

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来週の火曜日には夏至を迎えるというのに、このような、まるで復活祭を迎える前のような「偲びて、春を待て」の天候、なんとか夏を迎えるまでに改善しないものでしょうか。


le 15 juin 2016, Germaine

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by ma_cocotte | 2016-06-15 15:02 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
特別だった金曜日
先週の金曜日。
2015年4月3日金曜日。

ユダヤ教では過越祭。
キリスト教の多くの派では聖金曜日。
イスラームにおいて毎週金曜日は厳しく守る祈祷日。

その前日の明け方に、ケニヤの大学であのような悲劇がありました。
彼らにしてみれば、その日しかなかったンでしょうね。

過越は旧約聖書の出エジプト記12章から書かれているとおり、玄関に子羊の血を塗った家庭(=ユダヤ)の子は助かり、それ以外の家庭(土着のエジプト地中海人)の子供(おそらく長男)たちはすべて、天使によって生命を奪われたとあります。遡るとエジプトは3大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)の啓典に登場する重要人物アブラハムの長男イシュマイルの母親ハガルが生まれ育った土地なんですよね。イシュマイルの子孫が現在のアラブ人です。ユダヤ人はアブラハムの正妻の息子イサクの子孫。

そして、聖金曜日はイエス・キリストが処刑された日です。
この日の午後3時に彼は息を引き取りました。新約聖書を読むと、シャバット(ユダヤ教が厳しく守る祈祷日)が金曜の日没から始まるので、ユダヤ人たちが日没前に全てを済ませようと焦る様子も描かれています。

le 9 avril 2015, Demetrius
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by ma_cocotte | 2015-04-09 15:27 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
新装開店してから、十年とひと月
拙ブログのことです。
こんにちで「Tant pis! Tant mieux! そりゃよござんした。」のブログを始めて十年とひと月となりました。

なぜ新装開店かと申しますと、2004年の9月のいつだったか、私が生まれてはじめてのブログを同じエキサイトブログ社でオープンしましたが、10月だったかコオトジヴォワアル内戦についての私見を掲載したことがきっかけとなり炎上したのであっさり完全消去。仕切りなおして新装開店したブログがこんにちココにあるこのブログなのざんす。

最初のブログの名前「仏蘭西の空を仰いでみる。」だったっけ・・・確か、たぶん。
ついこの間、このブログを始めたような感覚なのに、こうして当時のいろいろさまざまなことを思い出せない現実からして、十年一昔とは言え、それなりに長い年月なのだなあ、私も年取るわけです。

そもそも十年とひと月の記念日にこの話題に触れたのも、十年丁度だった先月22日に思い出すことをすっかり忘れていたからです。

まあ、そんなもんでいいと思ってます。
その程度の思い入れだから十年とひと月も、こんな私が続けられたのです、はい。

何事も去るもの追わず、ですな。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。← これは今もそらんぢられるという私の脳みそつるつる構造の怪
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と、土曜日の日没から待降節第四週となり、アドヴェントキャンドルの全ての蝋燭に火がともりました。四本目の蝋燭は「平和」です。希望、愛、喜び、平和を日々こころに置いて、24日の夜に気分よくグロリアを唄いたいです。

le 22 décembre 2014, Françoise-Xavière Cabrini

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by ma_cocotte | 2014-12-22 00:15 | 『?』なたわ言 | Comments(4)
逆縁の不幸
先ほど、きょうの「花子とアン」第117話の視聴を終えました。
泣きました。
同時に花子の息子の死を報せる電報を受け取った蓮子さんに義母さまが日本婦女子の鑑のように凛と、うろたえる蓮子さんの背中を押した姿が印象的でした。私は子供を産んでもいませんし、育ててもいないので、どうも齢ばかり重ねるだけで心構えが子供のままであると改めて実感もしました。

以下、どうでもいいことですが、

私の亡き母は生まれて初めて出産した子(男児)を生後三日で失いました。母の健康と、これから生まれてくる赤ん坊のためにもと私の両親が首都圏の過疎地に引っ越してすぐ、身重の母がお風呂場で転んだことで産気づいてしまい、日満たずに出産となってしまいました。自宅でお産婆さんによる出産となり、初子は無事に産まれたものの、3日目に急変し、眠るように息を引き取ったのだそうです。私の両親にとっては初めての子供だったので、月足らずの赤ん坊ではありましたが、戒名もいただき(両親の名前からそれぞれ一文字ずつもらっての戒名です)、荼毘にふし、父方のお墓に納骨されました。今は、亡き母と息子は並んで納骨されています。

私が生まれる前の話なので、両親からこのことについて知らされるしかありませんでしたが、今振り返ると両親共にこのことについて私に語ることはありませんでした。父は未だに何一つ語らないと言えます。生前の母は何度か年ごとに父にそっくりになる私を見て寂しくなったのか、死んだ子供が自分にそっくりな赤ん坊だったと私に話したことがありました。母は面長の顔立ちでしたから、おそらく月日満たずに誕生した兄も肉付きなど赤ん坊らしくなかったので、面長の母に似た印象だったのかもしれません。

母が亡くなって、葬儀を済ませても私の父は朝昼晩だけでなく思い立っては仏壇やら家に安置されていた骨壷に手を合わせるばかりで、母の遺品には何一つ、まったく手を触れませんでした。一方の私は母に手を合わせる暇もなく、一か月近く朝から晩まで母の遺品の整理をし、遺品を手にしてはあれこれ思い出すことを懐かしみながら、空を見て射祷していました。その時だったか、それから半年後になって母の納骨で実家に戻った時だったか、父に私が「母が先に行ってしまったけれど、もし私が先に行ってしまったらママは発狂してしまったかもしれませんね」と話したことがありました。父は節目がちに頷いただけでしたね。最初の子だけでなく、私まで母より先に他界してしまったら、きょうの「花子とアン」の中で蓮子さんの義母さまが子供を失った母親の気持を蓮子さんにびしっと伝えられたけれど、我が身の心臓をもがれるよりつらい思いは母親にとっていかばかりかと想像します。きょうの「花子とアン」の後半で息子の遺体に添い寝する母 花子。蓮子さんの来訪で堰を切るばかりに号泣する花子。私が生まれる前のこととは言え、もしかしたら私の母もこうなってしまっていたのではないだろうかと今になって思いやる自分・・・遅すぎですね。

きょうの「花子とアン」ホームページ の日めくりノートを覗くと、花子の夫 英治さんのこの日の演技についての考えを読むことができます。読みながら、時代背景違えど、上に書き連ねたようなことが心巡った次第です。
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きょうは8月13日で、まもなく14日の日付にかわって数分後には、12年も共に暮らした愛猫の他界一か月を迎えることになります。猫ですからね、ヒトぢゃありません。寿命もヒトより短いとわかっていますけれど、この一か月、寂しい気持でいっぱいです。写真はこんもりと満開になった庭のルドベキアです。おとといあたりから秋の気配も感じられます。時は先に先にと流れているのだと咲く花や吹く風に教えられています。

le 13 août 2014, Hippolyte

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by ma_cocotte | 2014-08-13 18:04 | 『?』なたわ言 | Comments(4)
静かな週末、無気力な週明け
くよくよはよろしくないとくたびれた扉に壁紙を貼った夜、くよくよの原因であったほぼ黒猫の容態が急変し、日付が7月14日となって10分後に究極の内弁慶だった彼女はなんとひとりぽっちで初めての大きな旅に出てしまいました。

そんなわけで、仏蘭西時間で夜22時からの世界蹴球大会決勝ナマ中継も、翌朝7月14日の革命記念日パリはおシャンゼリゼでの軍事パレエドのナマ中継も、14日夜遅く旧市街の広場で開催される美しい花火大会もココんちでは完全なる無関心のまま、2014年7月15日の朝を迎えました。
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昨日の午後、私の隣から、遠く横たわる永遠唯一の恋猫をずっと見守る長男猫です。
こうして彼、何を思い巡らしていたのやら。


le 15 juillet 2014, Bonaventure



恥ずかしながら、拙猫ブログ 『ココんちの(3+1)+1+1猫と一犬のたわごと』 http://chatsblog.exblog.jp/ で今年2月からのほぼ黒猫との闘病記録を残しましたこと、ココにお知らせします。
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by ma_cocotte | 2014-07-15 17:54 | 『?』なたわ言 | Comments(4)
ゲエリングさんの言うとおり。安倍べのべ。

国民を戦争に加担させるのは、実に簡単なことだ。
国民には他国から攻撃されつつあると言い、
平和主義者を愛国心がないと非難し、
国が危機に瀕していると主張するだけである。


                       ヘルマン・ゲーリング ナチスドイツ国家元帥



参議院議員選挙投票日の翌朝一番で上の言葉を知りました。
太閤秀吉を前にした三成のように、
ごもっともでございます。
という言葉が私のツルツル脳内をぐるぐる周り、続いて、そういえばナチス語録には
嘘を百回つき通せば真実になる
があったなあ、とぼんやり思い出しました。
まあ、いつどこで誰彼が言った、彼らが所属したグループはうんたらかんたらというのは横に置いて、こんな ↑ 1940年代のマニュアルを、2013年の極東アジアの、日本國の某政党に教え、勧め、実行させた人物は誰なのだろう?
2013年7月22日朝、私の知りたいところです、はい。
某政党の改憲草案が時代を逆行している点とつながらなくもないというのも気持悪い。私は米国が護憲側になると確信しています。なぜかというと改憲草案が実現すると、現在以上に米国から見て太平洋西岸が不穏になり、米国にとって面倒臭くなるからです、まる

米国がいくら「世界唯一の正義国」と名乗ったところで、ボランティア慈善集団ではあるまい。甘い。(-。-) ボソッ


le 22 juillet 2013, Marie-Madeleine

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by ma_cocotte | 2013-07-22 16:52 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
いっそ、すっぽんぽんになりますか。
なんてね、公衆でヒトがすっぽんぽんでいたら、どこぞにしょっぴかれるのがこの世ですのにね。

新ローマ法王:型破りな言動 好意と注文が交錯

毎日新聞 2013年04月04日 22時38分(最終更新 04月04日 23時56分)

 【ローマ福島良典】フランシスコ新ローマ法王(76)がキリスト教カトリックの伝統を覆す型破りな言動で、古色蒼然(そうぜん)としたバチカン(ローマ法王庁)に新風を吹き込んでいる。一般の信徒やメディアには「親しみやすい法王」として好意的に受け止められているが、保守系とされるキリスト教関係のインターネットサイトでは「カトリックのトップであることを忘れないで」「大衆迎合は時間の無駄」と注文を付ける声も出始めている。▼キリスト教史が専門のローマ第3大学のロベルト・ルスコニ教授(66)は、フランシスコ法王が選出されて以降「法王」を名乗らず、一貫して「ローマ司教」という呼称を使っている点に注目する。「カトリック界では近年、法王の力が強くなってきた。他の司教と対等な『ローマ司教』の呼称に固執することで、フランシスコ法王は教会改革の姿勢を示そうとしているのではないか」と推測する。▼「法王らしからぬ法王」ぶりを行動でも示している。前任のベネディクト16世(85)の退位後、サンピエトロ広場に面する法王用の豪華な居室の修繕が終わっても引っ越さず、バチカン内の離れの別棟で暮らし、朝晩には他の枢機卿と言葉を交わしているという。ミサの説話では古典言語のラテン語ではなく、一般信徒に理解しやすいイタリア語を使う。▼報道陣との会見(3月16日)では「非カトリック教徒や無神論者に配慮」してカトリック流の祝福をやめ、無言で祈りをささげた。イエス・キリストの最後の晩さんにちなむ宗教儀式の洗足式(3月28日)をバチカンの大聖堂ではなく、ローマ市内の少年院で行い、法王として初めて女性の足を自ら洗い、口づけした。4月3日の一般謁見では「女性の役割」を強調した。▼こうした革新的な振る舞いに対して、「ラテン語によるミサ」というキリスト教サイトは3月27日、「法王用の居室をバチカン博物館に収容しないよう願うばかりだ」と皮肉った。また、フランシスコ法王が3月23日にローマ郊外の離宮にベネディクト16世を訪ねた際、礼拝堂で並んで祈りをささげる写真が公開されたことも物議を醸し、イタリア紙に「誰が法王なのか」との投稿が掲載された。

cf.http://mainichi.jp/select/news/20130405k0000m030083000c.html




地球上の西方教会婦女子よ、
その指から指輪をはずし、その耳からイヤリングをはずせ。
今すぐ、押入れからそれは地味な衣服を出し、身に付けよ。
靴は石畳の上を歩きやすいものを選び、磨きに磨け。
化粧は厳禁とす。
もしこれらを公衆で実行したら、私共は世間で質素、簡素である耶蘇教世俗女性として賛美されるであろう。
されねーよw
だって、私たちは無冠、無名、この世という名の草原に生きる羊の一頭に過ぎませんから。羊がまとうウールは羊の身から出たもので、その質が優良ならばこの世で生かされる。だとするなら、私たちの心の在り方によって私たちの心身をもって表される言動が優良であることが何より大切でしょうにね。
羊の皮をかぶった山羊に騙されるのも私たち人間なんですよ。
日本國限定とは申しませんが、お仏蘭西のマスコ゛ミにしろ、「新しいローマ法王」の存在を借りて、市井の私たちをどう洗脳し、煽りたいのでしょうか。2013年3月13日夜の「新しいローマ法王」のお披露目から半月以上経ったけれど、この手のほとほと気分悪くなる記事がいつまで続くのだろう。史上2000年において前例のない「新しいローマ法王」が誕生し、なぜかその「新しいローマ法王」の言動すべてが「革新」であって、「前例がない」と一見褒めちぎっているけれど、こういう宣伝やら印象操作が過ぎると大英帝國ピューリタン革命の時代の市井のように「眼に見える簡素質素倹約こそが信仰の表れ」という信仰の形骸化が再び始まりそうで気分悪くなります。

しかも、上の記事に
ミサの説話では古典言語のラテン語ではなく、一般信徒に理解しやすいイタリア語を使う。
とありますが、私が知る限り、第二ヴァチカン公会議以降の教皇さまいずれもイタリア国内、ヴァチカンでのお説教はいつもイタリア語ですよ。ヨハネ23世典礼だろうがパウロ6世典礼だろうが、カトリックの典礼がラテン語で行われると、聖書朗読や説教まで全てラテン語で行われているというのは ウソ ですがな。
記事の締めは案の定、カトリックの内で革新派とそうでない派閥に分裂しているかのような話題。記事の内容からして、ミギもヒダリも関係ない次元なのに、分裂しているかのような話にするンですね。マスコ゛ミの真の目的はカトリック分裂と弱体なんでしょ。sigh

ウソも突き通せば真実になる・・・_| ̄|○
そういうウワサに振り回されるのはシュウキョウなんかを取っ払ってのこの世の羊ということだ、まる
粛清にいざなわれるのは御免蒙る。


le 5 avril 2013, Irène

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by ma_cocotte | 2013-04-05 18:38 | 『?』なたわ言 | Comments(0)