カテゴリ:『?』なたわ言( 127 )
もし「この世の楽園」が聖域であるならば。
b0070127_18575.jpgココんち(左の地図で右下の湖岸)からArles アルルへ向かうと地中海岸がわにCamargue カマルグという大湿原地帯が広がっています。フランスの自然保護区域に指定されているので,道路も指定される前にあった獣道を改善した素朴な道(左の地図でオレンジの線)以外ありません。この湿原の向こうの地中海沿岸にSaintes Maries de la Mer(サント・マリィ・ド・ラ・メール)という有名な観光地もありますが,観光バスは一度アルルまで行き,サント・マリィに下るという三角形のサインコースを取ることになります。究極の遠回りです。もちろんスペイン・バルセロナまでつながる高速道路も湿原地帯を避けて大きく曲がって建設されています。美しいフラミンゴが飛び交い,野生の牛馬が群れ,良質の米と塩の産地でもある『大自然の宝庫』カマルグ湿地帯はフランス人にとっては聖域でもあります。

さて,昨年末の大震災から2週間が過ぎました。
昨日テレビを見ていたらインドネシア・アチェでの津波到来から駆け抜けるまでの数分間が放映されました。運良くモスクの屋根に非難した人が撮影したものです。遠くに水の襲来が見え,あっという間に目の前の通りをその水が左から右に駆け抜けていきました。高さは二階の屋根に達していましたから3mくらいでしょうか?水の速さを例えると新幹線のよう。ラテンの国々では闘牛の群れを町に放つ祭を催しますが,迫ってくる迫力はまさに闘牛の群れが押し寄せるような感じです。あの水圧に巻き込まれたら瞬時に呼吸ができなくなりますから即死ですね。

今回の大震災ではインド洋上の多くの観光地が被災しました。フランスでは「この世の楽園」として旅行会社が宣伝している島々です。海抜0m地帯で海と自然と我が身が一体になることで自分が天に持ち上がったような気分を味わえながら,一方で「物価が安い」という優越感にも似た満足感が得られるのも欧州人にはたまらない魅力です。そして異文化と異人と異人がもてなす仏教型ホスピタリティも・・・良くも悪くも・・・です。(特に殿方相手)
でもこれだけの惨状を目の辺りにすると,聖書を知る人々は旧約聖書「ノアの箱舟」の話を思い出します。神が創った地上で行う人間の愚行と怠惰が神の逆鱗に触れ一掃される話です。更には新約聖書最後に載っているヨハネ黙示録の「最期の審判-7つの天災」を思い出し,「この世の終わりがとうとう来たのか!」と言う人もいます。
例えば日本でバブル時代から流行し始めた男性のみを対象としたタイ旅行はバブルがはじけまくっても廃ることなく続きました。アジアのにぎにぎしい景観も手伝って「パンドラの箱を開けたような夜」が繰り広げられています。まさしくそれは快楽の都です。
一方,震災から2週間が経ち,婦女子への暴行,子供の誘拐・売買が既に被災地で始まったと耳に入れば,これはやっぱり聖域で愚行を行う人間へ神が下した逆鱗なのでは?と。人間はこの地域の美しさに惚れ,開発し,限度を知らない商売を始めました。現在のタイはアジアで最も世界中の金が飛び交う観光地です。

おそらく震災の再発を予防するために,地震・津波対策のための最先端技術のもろもろが美しい自然の中に点在するようになるのでしょう。人間への安全を最優先にすると被災前の「この世の楽園」としての景観は拝めなくなります。
もしこの世に神が創りたまうた楽園が存在し,もしそれが今回の被災地であるならば,観光地としての復興よりもまず「自然保護区域」として被災地を復興すべきなのでは?と。もちろんそうすることでどれだけの経済的打撃を被災国が受けるか理解しています。でも津波がその土地に残した「痕」と愚かな人間が被災直後に再開し始めた「弱者の売買」という愚行を知れば知るほど考えてしまう妙案でもあります。
目に見えないとはいえ神さんを怒らしちゃいかんよ。


十 『ノアの箱舟』のはなし 十
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by ma_cocotte | 2005-01-11 00:27 | 『?』なたわ言 | Comments(24)
2005年1月3日になりました。
こんにち,フランスの夜明けは午前8時44分。
暦ではフランス共和国の守護聖人のひとりでもある聖女ジュヌヴィエーヴの祝日です。
今年の1月2日は日曜日だったため,こんにち3日が御用始。学校も今日から始業です。
そしてこんにち1月3日は私の誕生日です。

フランスに住んでいるとはいえ,私の『素』である両親が住む日本を思うと私の誕生日はフランス時間の1月2日午後4時から始まりました。
フランスではおやつを「Quatre Heures(キャトゥルーゥ,4時)と呼び,昨日も4時すぎに例の「ガレット・デ・ロワ」の残りをむしゃむしゃ食べたらカッキーン!なんと陶器の人形が出てきました!
「神さまからの誕生日プレゼントだ!めっるし,もんせにょ~る」
b0070127_1494788.jpgなんて心でつぶやいた途端,なぜかミストラルが吹き始めました。天気予報によると風速90だそうです。これも神さまからの「お祝い」でせうか?夜9時も過ぎてテレビをぼーっと眺めていましたがいつのまにかうとうとうと・・・。
夜中に突然夫の声で起こされました。
「Bon Anniversaire!(ボン・アニヴェルセール!お誕生日おめでとう)」
午前0時丁度だそうです。うっすら目を開けたものの「5年前エクサンプロヴァンスのアパートで同じネタをしたよね?」と憎まれ口を言いつつ,あっという間に深い眠りに落ちました。

今朝は目を朧げに覚ましたらプロスペエルが私のそばで添い寝をしていました。珍しい・・・。ぷぅは今日が私の誕生日だということを知っているのでしょう。寝ぼけながらぷぅのしっぽやらお尻を触ったら,私の手を甘噛みしてきました。
「ありがと,ぷぅ」
それをきっかけに我が身を起こし,猫の朝ごはん♪
外はまだ闇夜。時計を見たら午前7時すぎでした。

お正月3が日生まれということもあり,私の誕生日を「誕生日」として祝ったことは数えるばかりです。戦争を経験した両親は複雑な家庭環境でそれぞれ育ったこともあり,自らの誕生日についてはもちろん,私の誕生日についても希薄です。新宿淀橋区生まれの父は第二次大戦開戦後ひとりで疎開。新潟の山奥の他人の家で図体は大きくなりつつ気持は小さくなって生活し,その間空襲で東京新宿の実家は全焼,子供の頃の写真はもちろん全て灰になりました。そして戦争が終わればドサクサで新宿の土地は奪い取られました。母は疎開はしなかったものの,戦時中に次々と生まれた腹違いの弟妹をはじめ複雑な巨大家族(祖父は長男でしたから)の中で育ちました。私の両親は二人とも生まれも育ちも「誕生祝い」どころではなかったわけです。ですからこの両親から製造された私は誕生日プレゼントはおろか「誕生日おめでとう」という言葉をもらったことも「あったかな?」と思ってしまうくらいの気まぐれ度。幼い頃はよそんちの誕生日イヴェント話を聞くとたまに羨ましく思ったりもしました。が,今は両親の育った時代,環境もささやかながら理解できるので,両親への不満が私の口から出ようものなら天罰がタカリマスです。

実家の習慣で新年の親戚周りは2日と3日だったので,私への誕生日プレゼントはイコールお年玉だし,祝詞は「あけましておめでとうございます」が「誕生日おめでとう」より優先でした。正月三が日ですから友人を招いて自宅で誕生会なんて開いたこともありません。子供の誕生会というのも不思議なもので「招いて招かれて」成り立つもので,子供の頃何度か誕生会に呼ばれたもののそのうちよばれなくなりました。そんな時代を過ぎて就職しても御用始は1月4日ですから誰からも「お誕生日だったんですね」という言葉を私はいただくことになりました。

それでも日本では誕生日が正月3が日と言えば「おめでたいわね」と言ってもらえるし,学校でも「早生まれのおちびちゃん」の始まりとして「遅生れのおねえさま」より体力や学力が劣っても大目に見てもらえます。私にとってそれはなんとなくうれしいとずっと思いつつ成長してきました。

ところがフランスで「私の誕生日は1月3日です」と誇らしげに言ったとしても,熱心なカトリック信者から「ジュヌヴィエーヴの祝日と一緒ね」という返事くらい。あくまで仕事も学校も通常どおり「日常の一日」であります。
そしてフランスの学校制度なら1月3日生まれはクラスの中で1月1日,2日生まれがいない限り「一番年上の子供」になります。一クラス20名程度のフランスぢゃ,ほぼ間違いなく私はクラス一の「姐さん」です。

文化風習なんてこんなもん。
日本にいた頃ずっと信じていて,しかも私にとってささやかな自慢だったかもしれないことは,一歩日本から出たら「何の特別でもない」のです。ちぇ。
もしフランスに生まれ育ったなら相当違う幼児体験をしたのではないかしらん?と思うことしばしばです。

昨年末,歯医者さんでかぶせものを作るように指導されました。先生は「ヴァカンス後に予約を入れましょう」と予約ノートを開き,1月3日以降の時間を促しました。私は内心「自分の誕生日に大口開いて歯をいぢくられるのはいやだなあ」と思い,1月4日午後3時に予約をいれました。

2005年1月3日,フランスのマスメディアはインド洋大地震の第一次募金活動キャンペーンの日です。外はあいかわらず窓を振るわせるほどの強い風が吹き荒れています。でも陽光はまばゆいばかり,南仏の春はそこまで来ています。朝8時前には重たいリュックを背負った子供たちが学校に向かう姿が見られました。車が行き交う音も昨日よりはるかに耳に残ります。

フランス人にとって今年のヴァカンスは昨日まで。
こうして私の誕生日1月3日はちびっとムカっとするくらい何もかも普通に,平凡に,静かに過ぎていくのでした。
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「お祝い」知らずの私には「おめでとう!」という言葉もプレゼントも何故かこそばゆく「大の苦手」でもあります。おまけに「おめでとう」と言われると内心にそこはかとなく「罪悪感」に似たような何か変な感情が芽生えます。一種のトラウマですね。おそらく一生抱えるのでしょう。
「三つ子の魂,百まで」とはよく言ったもんだと今更,先人に頭(こうべ)垂れる私なのでありました。ちゃんちゃん♪
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by ma_cocotte | 2005-01-03 23:59 | 『?』なたわ言 | Comments(8)
というわけで『いのしし』を食べてきました。
厄年という言葉をしばしば耳にしますが,私にはどうやら年に数度「厄月」なるものがあるらしく,どうもただでさえ忙しい12月が私にとっては厄月のようです。思い起こせば日本で仕事をしていた時も御用納めの日に知恵熱を出したり具合が悪くなって早退するのが毎年私の恒例行事でした。

数日前からたらいに乗って激流下りをしている私ですが,火曜日午前中はASSEDICと呼ばれる日本のハローワークのような役所へ出頭後,SaturnへT社のADSLキットを交換に行きました。私の前に現れた男性店員は対応もよく,商品登録の段階で私が日本人とわかると「僕はラストサムライのDVDを買って既に10回は見ました」と話し始めました。日本の電化製品に憧れる若者が電化量産店に勤める例はフランスには多いのです。私も気を良くして「あ~らぁそぉ?アレはほぼ日本の文化だけどちょーっと違うわねぇ,ほーっほっほっ」なんて高笑い。すかもあーた,昨日買った月額20ユーロ用キットより交換した性能がはるかに良いキットの方が1ユーロ安い!ディズニーアニメ「美女と野獣」のお金が大好きなおぢさんみたいにコインを握ってニヤリとした私です。

既にお昼を過ぎて以前から気になるレストランに寄りました。高速道路沿いから見えるフランス最大の倉庫街の入口にある普通のお店ですが,いつも車が一杯停まっているのできっとおいしい昼飯屋なんだろうと高速を通るたびに眺めていたお店です。倉庫街で働く青年男女が集う昼食屋だと気軽に大股でへらへら笑ってドアを開けたら・・・やっばー,中は限りなく上品な空気が流れているではあーりませんか。私は飛び散った目や口が瞬時に鼻の頭にきゅーんと寄せられるような緊張感を覚えました。逃げようか・・・と思ったけど逃げられなくて,メニューを見たら「Sanglier(いのしし)」の文字が目に入ってしまった!冬の名物いのししを食べるチャンスです。迷わずDaube de sanglier イノシシの煮込みをメインに選びました。赤ワインとニンニク,ハーブで煮込まれたいのししは美味ぢゃ,美味。やっぱり冬はこれだね,と満腹のお腹をパンパン叩きながらお店を出たらポルシェの4輪駆動車がドドン!「どの客ぢゃー?」と驚きつつも果たして自分がこのお店に入っちゃって良かったのだろうか?と小首なんぞ傾げながら家路に着きました。

家に着いたらしなくちゃならないのはADSLキットのインストールです。電話とPCをつなぐTriwayという代物があるのですが,それと電話口をつなぐ電線が短いのぢゃ・・・PCの場所を移動することになりました。こんがらがった電線を丁寧に抜いて,移動後再び一本一本つなぐ「小さなことからこつこつと」とつぶやきつつも,こめかみあたりでぷっつ~んと音がしましたね。
この作業が終わるとT社に電話せねばなりません。昨晩とは違う電話番号です。やはり電子声による目的選択ボタンを何度も押し5分以上待って出たのは男性の声。しかもパリ訛り。イヤッホー!この男性は気の利く男性で本当なら申込書を郵送しなければならないのに電話上ですべての手続きを手際よく行ってくださった!やっぱり女性には男性ですわねぇ。E-mailで顧客対応調査が届くだろうから「trés tré bien」にしちゃいましょー。でもADSLは約3週間後から使用できるそうです。すぐに使えるわけぢゃないのね,フランスだもの。

そうこうしているうちに4時半。先週金曜日の夜Hariboをかぢったら右奥歯の詰物が欠けたので歯医者に行かねばなりません。予約は4時45分。
詰物が欠けただけなのでちゃっちゃっちゃーで治ると信じていたのに,歯医者さんに「マダム,奥歯二本をかぶせないと二本とも近いうちに失って大変なことになりますよ」と宣告されてしまった・・・・。っちゃーっっ。予算125ユーロだそうだ。

師走は借金取りに追い回される月と揶揄されるけど,借金でないにしても出費が重なる私。お財布は軽くなっていくばかりです。
更に今朝から水っぱなとのどの痛み・・・節々が痛くなりつつある・・・どうもノエルは寝込みそうですわ。あーあ。
12月は私の厄月と書きましたが「そんぢゃラッキーな月は?」と考えてみるとそんな月なんてありませんでした。それが私の人生のようです。
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by ma_cocotte | 2004-12-22 04:07 | 『?』なたわ言 | Comments(10)
ブログを始めて3か月-つれづれなるままに-
私が生まれて始めてブログを始めたのが今年9月8日のことだったと思います。

「だったと思います」と言わなければならないのはもうそのブログは存在しないからです。あるきっかけでブログを始めたわけですが,長い間細々とHPを作っていたもののブログは初心者の私です。右往左往,紆余曲折,叱咤激励があったからこそ今日まで続けることができました。

この3か月ブログを通じて素晴らしい話に出会いました。ブログを続けていくうちにテーマカテゴリーが増えたこともあり,同じブログ内での「表現」に限界を感じて「猫」は独立。こちらは現在もマイペースでほのぼのとした世界を作り続けています。

旧ブログを閉じ新たな一歩を踏み出して2週間が過ぎました。私自身もようやくブログ作成のコツをつかみ始め手ごたえを感じたところで旧ブログを閉じることは正直言ってつらく悲しいものがありました。本文は引越すことができても私にとってわが身を成長させる術であるコメントのすべてを失ってしまったからです。これだけは一生の心残りになります。

ブログを始めて2週間足らずでアラシにあったこともありました。生まれて始めて「殺す」「猫を三味線にする」諸々の言葉を送りつけられ,フランスに住んでいるとは言え心の奥底から不安,不愉快になりました。この時はブログの諸先輩方々に多方面から多様な方法でお力をいただきました。当時のエキブロ会員が約80000人,一割の奇人変人ではなく9割の方々の善意善行を信じて続けてみよう,とブログを閉鎖せずに続けてきました。

私の記憶が確かならば11月はじめ頃からでしょうか。奇妙なTBが私の旧ブログのTB欄に載るようになりました。ブログを始めて2ヶ月も過ぎると日頃からコメントを交換しあっている方々とのTB交換が多いのですが11月はじめだったと思います。急に見知らぬ方々からのTBが旧ブログのトラックバック欄に載るようになりました。ブログを開いた私自身が滅多に見ない下方にあるトラックバック欄を見た段階でその事実がわかるわけです。というのも「TBしました」というコメントなんてありません。どんな内容だろう?とmoreをクリックしてTB先に行くと,まず驚くのがエキサイトブログ以外のブログです。文章を拝読するとどこにも私の文章との関連付けについて書かれていません。ブログによってはなぜ私のブログの内容にTBしたのか理解できないTBです。気持悪いので失礼ながらTBを数回消しました。

ある時はTB先を拝見したら私のHNとブログ名が明記され,文章は丸ごと全文転載(もちろん私に転載許可を得る旨のコメントは一切ありません),そのブログには
この婆さんは馬鹿すぎて文章は読むに値しないぞ
と書いてありました。読むに値しない文章をTBする必要があるのでしょうか?もちろん私のブログのコメント欄に「TBしました」なんてメッセージは残されていません。つまり私のブログを訪れた方がそのTBに気づき,そのTB先に飛ぶと私の文章と人格を「馬鹿だ。読むな!」と読者に警告していることになります。
私はもちろんそのブログ主に面識はありません。会話もしたことがありません。もちろん彼(女)も私を見たことがない「はず」です。見たこともない話したこともない一人格をどうして「婆さん」「馬鹿」と断定できるのでしょうか?疑問を持たずにはいられませんでした。「言葉の暴力」とはこういうことを言うのだろうとも思いました。見知らぬ人物に私のHNとブログを「」で嘲笑されたこの件で私は旧ブログを閉鎖する決心をしました。本当に無念です。

こんなこともありました。ある日突然,コメント欄に「最近あなたの言葉遣いが良いのはなぜ?」と書かれたこともあります。私はブログを始めて数ヶ月のみですからブログに私のアイデンティティのすべてを書いてはいません。私の氏素性も職歴も知らないで「言葉遣いが良い,悪い」とコメントする人が存在することにも驚きました。ブログは自由な文章表現の場だと私は思っていました。もちろんインターネット表現には禁止用語が存在します。そういう言葉が載ったブログに対してプロヴァイダー側が制裁勧告を出していることも知っています。でも私の文章を読んで乱暴,キレうんぬんと想像するのは書き手の意図だけではなく,読み手が自由に「作り上げたイメージ」もあると私は思います。

11月はじめから旧ブログに数度にわたってTBを続けている方がいました。エキサイトブログの会員ではありません。彼(女)は決して「TBしました」というコメントを残しません。その方のブログを拝見してもどこにも私のブログのことはもちろん文章内容についても書かれていません。内容を読むと私のブログ内容とはまったく違う話題です。なぜTBするのでしょう?
しかも気持ち悪い話は更に続きます。私は11月末にブログを引越しました。もちろんその方には引越しした旨は伝えていません。
ところが引越したばかりのこのブログにこの方は再びTBしてきました。どうやって私の新しいブログを見つけたのでしょう?おそらく初心者の私が知らない術があるのかもしれません。もちろんその方はいつもどおり「TBしました」の挨拶もなく,いつもどおりその方の文章には私について何が書かれているわけでもありません。そしていつもどおり私の文章の内容とその方の文章はまったく内容が違うものでした。

一日「放置」しました。
見えない相手とはいえ,いきなり消すのは失礼だと私が思ったからです。

でも翌日消しました。

インターネットの世界というのは相手の見えない世界です。学校で何年も机を並べても,会社で長い間同じチームで働き喜怒哀楽を共にしても,他人の性格のすべてを知ることはできません。ましてインターネットです。相手がタイプしている時の表情さえも見えません。

9月からブログを始め,いろいろなブログを読んでいるうちにある一人の人格が10人近い人格を演じていることを発見したこともあります。ブログをエキサイト社だけで数個持ち,外部コメントも駆使し,名前も性も年齢も生活環境も変え,いろいろなブログにさまざまな人格に化してその人はコメントを残しています。ある時は自分自身にコメントを残し,自分自身でもう一方の自分に返事をしたり・・・一人芝居もしています。そのヒトにとっては楽しくて仕様がないのでしょうね。
私にはまったく理解できない行為ですが,これも他人に言わせれば趣味のひとつなのでしょう。

相手がわからないブログだからこそ,コメントを交わすうちに自然と似たような考えやツボ,求めるものを持った人々が集まると私は信じています。
でもそういうブログだからこそ落とし穴もあります。そういう人格を装っている人も残念ながら中には存在するからです。

最近私自身が嫌になっていること。それは「見えない相手のために」その人を思いやった文章を書かなければならないことです。そうしないとアラシに遭う可能性がある,そうしないとブログ上でつるし上げられることもある・・・という言葉の数々が私の頭をよぎるようになりました。ここまで私が考えあぐねたところで,果たしてその相手が私を思いやってくれるのかどうかなんて知る由はありません。

インターネットというものは一方的な世界で作り上げられ成り立つものなのですね。

相手が見えないブログです。私はブログだからこそ,物心つく前から両親に習った,学校で習った,社会で習った「礼儀」だけは守っていきます。私が守るのです。

そしてこうして海外に住んでいると日本語はその美しさ,鷹揚さはもちろん,個人によって

文字(漢字,ひらがな,カタカナを書き手が選べる)も
文法(てにおはの入れ替えは書き手によります)も
文章表現

も自由に使いこなせるすばらしい言語だと私は確信しています。
自由に心に浮かぶ思いを「言の葉」にできる日本に生まれたことを誇りに思います。人格にもつながる個々の日本語表現は尊重すべきものです。

現在約100000人のブログ主が存在するのなら個々のアイデンティティと生活環境は万差億別です。そのインターネット先の人格が本当に存在するのかどうかも神のみぞ知ることです。まして個々の文章表現はグループにまとめることはできないでしょう。

この考えを常に脳と心に置いてブログをもうしばらく楽しんでいきたいと思います。


                      -2004年12月8日無原罪の聖母の祝日に-
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by ma_cocotte | 2004-12-08 23:59 | 『?』なたわ言 | Comments(38)
窓の外は雨。だから Jacques Prévert

朝の食事

彼はカップに珈琲をいれた
彼は珈琲が入ったカップにミルクをそそいだ
彼はカフェオレに砂糖を落とした
小さなスプーンで彼はそれをかき回し
カフェオレを飲んだ
そして彼はカップを置いた
私には何も話さずに
b0070127_2312156.jpg 
彼は煙草に火をつけた
彼は煙で輪を作った
彼は灰皿に灰を落とした
私には何も話さずに
私を見ることもなく

彼は立ち上がり
頭に帽子を乗せた
彼はレインコートを羽織った
なぜなら雨が降っていたから

そして彼は雨の中を去っていった
言葉もなく
私を見ることもなく

そして私は両手で頭を抱え

そして私は泣いた
                    -ヂャック・プレヴェエル『言の葉』より-
                 


Déjeuner du matin -Jacques Prévert

Il a mis le café
Dans la tasse
Il a mis le lait
Dans la tasse de café
Il a mis le sucre
Dans le café au lait
Avec la pitite cuiller
Il a tourné
Il a bu le café au lait
Et il a reposé la tasse
Sans me parler

Il a allumé
Une cigarette
Il a fait des ronds
Avec la fumée
Il a mis les cendres
Dans le cendrier
Sans me parler
Sans me regarder

Il s'est levé
Il a mis
Son chapeau sur sa tête
Il a mis
Son manteau de pluie
Parce qu'il pleuvait
Et il est parti
Sous la pluie
Sans une parole
Sans me regarder

Et moi j'ai pris
Ma tête dans ma main
Et j'ai pleuré.
                  -dans "Paroles" par Jacques Prévert, 1946


C'est un TB de "Jacques Prévert" par Madame Oeuf. Merci à vous avec gros bises.

■雨といえばヂャック・プレヴェエル■
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by ma_cocotte | 2004-12-07 17:28 | 『?』なたわ言 | Comments(4)
吐く息が白くなり始めました。
2004年11月25日午前8時45分頃のMarignaneです。
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夜が明けるのが8時過ぎ。
西の窓からベール湖を眺めつつ・・・
隣の室内プールの屋根が真っ白ではありませんか。
ああ,冬を実感。

これから年末まで「きりり」と寒さが厳しくなっていく南仏です。

■ところでこんにち午後1時ですが■
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by ma_cocotte | 2004-11-25 16:54 | 『?』なたわ言 | Comments(19)
2004年11月22日『仕切り直し』の月曜日。
ごきげんよう,Ma_Cocotte です

気持改めての「はじめの一歩」です。
何も変わりません。今までどおり。

日本人のわたしがこうしてフランスに住むことで脳味噌に浮かび上がる「?」は日本に住む方々にとってはもっと「?」であることは当然です。
ある時は「嘘でしょ?」と思われるかもしれません。
が,フランスに住んでいればこそ日本人誰もが思う不思議を表現することができます。

なにせ私は素人です。
文章も稚拙です。
でも『凡』な私が一生頭蓋骨の中に携えなければならない凡な脳味噌にふつふつ沸く不思議や喜怒哀楽を「ぎゅっ」と搾って浮かんだ言の葉を素直に書いていきます。

「知る」という喜びを分かち合いませう

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Ma_Cocotte, le 22 novembre 2004, Sainte Cécile
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by ma_cocotte | 2004-11-22 16:47 | 『?』なたわ言 | Comments(6)