カテゴリ:『?』なたわ言( 127 )
田舎の学校、田舎の子、そして
ココんち近く。旧市街の美術博物館にて。
b0070127_441583.jpg
昔の学校の様子を描いた絵のようです。
お役所の抜き打ち検査を想像してしまいました。フランスでは今もよくあることです。

こちらは昔の、ココんちあたりの男の子らしい。首にかけるおメダイの習慣は今と同じ。
b0070127_4422596.jpg


こちらはどうもお教室の壁にかけられたフランス生活文化史の説明画みたいです。
b0070127_459558.jpg

この説明画がもしポスターで売っているのならば迷わず買いました。
6つのパートの内、左下は9世紀の教会聖堂内部の様子で、右に当時の司教様の装束、左にベネディクト会修道僧の姿が描かれています。
b0070127_5214147.jpg

そして、右下のパートは9世紀当時の学校の様子が描かれており、トンスラに白装束の修道僧が子供達に勉学を教えています。
b0070127_5225141.jpg

もし私たちにわからないことや知らないことがあった時、文章のみで有識者から説明されると想像どころか妄想に至ることもあるけれど、もし絵画や写真などイマーヂュを添え、心を込めて言葉で説明されれば、その教えを見聞した者は想像をめぐらしても妄想には及ばないのです、と、2006年までココんちの♂♀がお世話になったローマ人宣教修道女から教えられたことをふと思い出しました。かつてその童貞様が宣教に出られた南太平洋の小島でも、アフリカのルアンダでも、紙芝居を携えて青空の下で子供達に最初に聖書や聖人のお話を教え、その後文字を教え、それから朗読を教えたのだとか。宣教を終え、住み始めた南仏の小村の修道院でも毎月末になると翌月の典礼暦に合わせた絵や写真を要理部屋の壁に貼りかえる。70歳を数歳過ぎたシスターの代わりに、絵画やポスターの張替えをするのが私たちの役割でもありました。良い思い出です。
b0070127_5372158.jpg
2006年5月21日、エクサンプロヴァンスで。

私達の本当の母のように、本当の母より厳しく私たちを育ててくださったこのシスターも私たちより3か月遅れで南仏を去り、今は故国イタリアで生活していらっしゃいます。メール交換は今も続いており、私たちが「会いたい」と書くと、決まって「天国で会いましょうね」と返事が送られて来ます。

le 29 octobre 2009, Narcisse
[PR]
by ma_cocotte | 2009-10-29 04:43 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
心と心が今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度~ 060.gif060.gif060.gif




きょうの朝一番、起きたばかりなのに、気を失いそうでした。
加藤和彦氏の他界。

この歌 ↑ は...、
今は昔、やふやふ白くなりにけり・・・だったけれど、加藤氏の他界で思い出した!
毎週日曜、麹町の夕暮れの空に広がることがたびたびありました。
日曜学校のつとめを無事に終え、反省会に入ったリーダー達の中にギタアの達人が数名おり、会議中もギタアを放さず、つまびいているうちに男子リーダーが誰ともなく唄う曲のひとつがなぜかこの歌でした。

今朝、こんな悲しい知らせが届いたことでこの曲を聴き直してみたら、「心と心が今はもう通わない」のところでカオスに巻き込まれたかのようになりました。互いが生きているから心と心が通わないのでしょうか。それとも死を境に、相手の姿が失われたことで逆に心と心が通い合うようになるのでしょうか。

十何年も昔、信徒会館の会議室で気持良さそうにこの歌を唄っていたリーダー達も学生時代を終え、それぞれの召命を確かめ、それぞれのミッションに四方八方に散らばりましたが、今も年に一度、麹町に集まってはあのすばらしい日々を懐かしみつつ、外見変われど互いの心と心があの頃と代わらない情熱のままであることを確かめ、次の再会を約束し合い、それぞれのミッションに散っていくの繰り返しを続けています。
生きていれば、それができる。
十年近く前、教会学校担当でいらした神父様方と教会学校OB有志が始めたこの企画も、今は教会学校にお子様をあずけてくださるご父兄も手伝ってくださり、更には成人となった教会学校の子供達も集ってくれ、年々盛会になっています。マリアさまの心、それは青空、私たちを包む広い青空の下に。わたしたちの、心は、今もひとつ。

加藤和彦さん、今、あなたの心とあなたを思う人々の心が通い合っています。
私達があなたを思う心をわかってください。

le 17 octobre 2009, Baudouin


タイムマシーンにお願い しても、加藤和彦さんは戻って来ないのよね。(-。-) ボソッ
ミカではなくて ゾエちゃんヴァージョン ですけれど、どぞ。
[PR]
by ma_cocotte | 2009-10-17 16:09 | 『?』なたわ言 | Comments(10)
まだ決心がつきませんか?
と、或るマダムから問いかけられたのはしばらく前、今年3月に私が参加したロオマ巡礼団の納会においてです。私が何の決心をつけられないのかというと 養子縁組 であります。地においては偶然、天においては必然ですが、その納会の前日、マダムは初孫を授かりました。ロオマ巡礼を終え、各自が普通の生活に戻ってしばらくしての再会での挨拶でその吉報をマダムから教えられ、お祝いの言葉を私が発した途端、養子縁組の話題をマダムから出してきたことになります。
b0070127_18395950.jpg
↑ ヴァチカンはサンピエトロ大聖堂の天使たち ↑

日本國内のカトリック教会で挙式することを望む男女二人の結婚準備において、指導者が男女二人に養子縁組の話までするでしょうか?(ご存知の方、教えてください)
仏蘭西のカトリック教会では結婚準備講座において、男女それぞれが家庭を造る召命を与えられているとし、ひとつの家庭を持った二人が子供をつくり、子供を教会と学校教育の協力を得て育てることについて教えられます。そして子育てを終えた夫妻または子供に恵まれない夫妻が 世界中の不幸な子供をひとりでもいいから引き取り育てることに働くこと も家庭召命のうちのひとつであると教えられます。このようなベースがあるせいか、養子縁組と言う形を取れずとも長期休暇のたびに子供をあずかる家庭や、逆に子供が親から離れて滞在する林間学校(仏蘭西風に言うならばコロニィ・ド・ヴァカンス Colonie De Vacances)に出張する初老夫妻も見かけます。日常では町を歩けば明らかに親子関係が養子縁組である方々がゴロゴロいることも事実ですし、有名人が率先して海外の貧困環境から乳幼児を引き取り育てる見本を行い、それを世間が喜んで一般人にアピールしていることも日常です。

仏蘭西共和国内のカトリック教会や、おそらくプロテスタント教会でも世界中の恵まれない子供との養子縁組を結婚準備においてひとつの家庭を築くであろう男女に勧めており、その世界中というのは国益世界第六位の仏蘭西の後ろに続くアフリカ、アジア、南米の各国です。この勧めが教会と言う宗教組織からの一方的な勧めかと言うと、仏蘭西の場合は恵まれない子供を引き取ったところで政府から養育援助金が支給される制度が既に存在します。ですから、「ウチにはヨソの子供を育てる余裕がないの」という理由は仏蘭西では通用しません。が、政府が養子縁組について生活支援を物資金銭でしてくれるということで、この物資と金銭を目当てに養子縁組を決める共和国民が多々いることも事実です。

このような地球上のヒトが決めた国境を取っ払って、自分より恵まれない子供をひとりでも多く救済し育て上げるという使命について仏蘭西における問題点は、異教の環境から乳幼児を引き取った場合に後になってスキャンダルを先方の国や家庭から起こされる場合が多々あるという点です。最も多いのはイスラーム国から子供を引き取った場合のスキャンダルで、話がなぜか乳幼児人身売買に摩り替わっていたりもします。そして、第二次大戦前後はユダヤ系未成年者との養子縁組です。収容所に連れて行かれないようにとカトリック改宗されたことが後になって強制改宗または自分が望まない改宗だったとなったりします。いずれも裁判沙汰になっていることが多いです。また、最近私が聞いた話では、旧ソヴィエト諸国(いわゆるコメコンですな)から子供を引き取り育てはしたものの、やはり道徳面で互いに心労を感じているというもの。ただし、これは宗派の問題と言うより、それ以前の各自の性格や素、つまり相性ではないか、と私は凡女なりに察しもしました。


余談ですが、ココんちの♂♀が市民婚を挙げた時、ココんち♂の証人をお願いしたムッシュウは9人姉弟の上から二番目にあたる長男でした。彼から聞いた話ですが、彼はパリ一区の極貧環境で産まれ、誕生と同時に仏蘭西西南部の或る家庭に引き取られました。既にその家庭には夫妻の実子である女児がひとり。この養父母ご夫妻は彼を引き取った後、7人の子供を引き取り、その構成はアフリカ系、アジア系、障害児などさまざまです。現在、このご夫妻の実子である長女はカトリック修道女となり家を出、成人した養子も数名が独立し、養父母宅を離れました。夫の証人である彼の場合は初恋の女性と恋におち、子供ができ、結婚。現在は二児の父親です。


さて、世界中の不幸な子供たちを救済する考えですが、仏蘭西と日本國では意識に大きな違いがあるようにも見えます。養子縁組について仏蘭西では現在もこうして活発ですが、日本國では衰退傾向にあるかと思います。
仏蘭西にこうして住んでいると、仏蘭西が日本からも子供をもらい、日本を救済していると信じている仏蘭西が世界の中心かつ理想国と思い込んでいる田舎者の仏蘭西凡人に出くわしたりもします。実情は仏蘭西が世界第六位の国勢なのだから上位五か国から養子を迎えることは滅多にありません。その基準があるとするなら、本当ならば世界第二位の国勢である日本國内に世界第一位の米国以外の数多の国から迎え入れた養子が存在してもいいはずなのです。が、現実的には「無い」に等しいでしょう。

なぜ日本國では、第二次大戦後において国勢だけでなく国民の生活水準も向上したのに養子縁組が衰退したのか、この点、世界の平和を思うならば考えねばならない点かもしれません。

今年6月21日、ローマ教皇ベネディクト16世が いかなる難民(戦争、政治、自然災害、等)をも受け入れるのは私たちにとって義務である と私たちにおっしゃったことは記憶に新しいところです cf. http://malicieuse.exblog.jp/11330685 。このスピーチについて、教皇さまは現場で拝聴した人物のみに語りかけたのでもなければ、欧州限定でもなく、カトリックの基本であるヒトが定めた国境なんぞを取っ払い全世界の隅々まで散らばるカトリックひとりひとりに語りかけられたことは言うまでもありません。ところが、どうもカトリックさんたちの中には教皇さまのこの求めよりも自国の憲法遵守を第一に挙げ、自身の現状より不幸かつ平和でない環境にいる人々の受け入れを拒もうとしている人々がいます。これ、なにかおかしいですね。教皇さまにとっては世界中のカトリックに努力してもらうようお声をかけるにしても、もちろん数多ある国々にそれぞれの法律があることも重々わかっていますが、それでも救済に努めようではないか、と万民に声をかけているのです。教皇さまに近しい立場であれば、聖側であれ、世俗であれ、教皇さまの希望を実現するために動くのがカトリック世界です。法律を破ることはしてはなりませんが、教皇さまの希望にできるだけ近づけるように法律を変えようとする運動はカトリックとしてできるならする しかないでしょう。それが結果として実現しなかったとしても動くことが何より大切なことです。カトリックの中での枠組みで見定めるなら、仏蘭西のようなエヴァンヂェリゼ国なら兎も角、ミッション国である日本國でローマ教皇の意向が国政に生かされる方が稀でしょうが、それでも動くのが世界にちらばるカトリック魂の役割です。

6月21日の教皇さまが万民に求めたいかなる難民の受け入れですが、国籍、性別、年齢制限はありません。魂そのものの救済です。このご意向をそのまま日本國内に住むカトリックが受け入れ、仏蘭西の例をまねるなら、日本國近隣諸国のカトリック貧困家庭から乳幼児を預かり育て、その子供を一人前にして国や家族に返すという務めを「できるならする」ではないでしょうか。アジア諸国でカトリックが多い国となるとフィリピン、韓国とヴェトナムなど旧仏領が挙げられます。日本國の場合、日本國より富裕国を数えるには片方の指で足りるのに、日本國より貧しい国を数えるためには両手両足の指では足りません。その貧しい国の中に住む魂を自分のそばに向かえ、どうひとつの幸せを共に喜び合えるでしょうか。教皇さまは万民にこの考える種を蒔かれたのだと思います。今の日本国内の現状で養子縁組が難しいとしても、世界中の恵まれない人々のために何かできることはないものでしょうか。


le 12 septembre 2009, Apollinaire

今年はじめだったか教皇さまの今年の目標はアラビア半島に教区を置くことだと仏蘭西では報じられました。地球上でカトリックの教区が置かれていない土地はアラビア半島なのだそうです。もちろんバチカンとアラビア半島各国との外交レベルの協議で実現することでしょうけれども、今年も9月半ばに入り、残り3か月ほどで実現するのでしょうか。気になるところです。私たちが必ずしも知らない、救いの手を差し伸べる先がまだまだ地球上にあるということです。
[PR]
by ma_cocotte | 2009-09-12 18:33 | 『?』なたわ言 | Comments(9)
だから止められない、
演芸、いえ、園芸は。
b0070127_2327746.jpg
7月もまもなく終わると言うのに、ザンギリの切り株の周りから新芽を見つけました。
ザンギリの切り株は昨年夏にはこのような花を次々と咲かせました。
b0070127_4325496.jpg
今年も6月となり、この花が咲く季節になりましたが、昨年は次々と新しい枝を飛ばしては蕾をつけて咲き乱れたこの木なのに今年は葉も出さなければ、蕾も持たず、よそんちの同じ木が葉を茂らせ花をたくさん付けたというのに、ココんちのこの木は何の変化もないまま夏を迎えてしまいました。枝を切ったり、根元を見て「枯れた」と判断し、芝刈りの時に芝刈り機で枯れたと思われる部分を刈ってしまったので、このようなザンギリの切り口になってしまったのでした。

この花はおそらくウスベニタチアオイと呼ばれる花で、学名はAlthaea officinalis、仏蘭西ではこの学名かギィモォヴ Guimauve という名前で出ていたりします。ギィモォヴ Guimauve を和訳するとマシュマロというお菓子になります。

はて?マシュマロ?
そう、あのお菓子のマシュマロは元々はこの木の根からとれる粘りのある汁に卵白やお砂糖を加えて味を付け、攪拌して作られた薬用食品だったのです。そう言えば、この木が枯れたかどうか確かめるために根元の泥を避けて確かめた時、根元の皮をはぐと格子状の網目になっており、ガーゼのようでもあり、ねばりがありました。とは言え、枝を途中で切っても表皮の内側に生きている気配がなかったので、私はこの木が枯れた、死んだと諦め、近所の園芸店で新たに同じ苗木を買い、このザンギリの切り株の隣に植えたのでした。

ところが、なんとザンギリの切り株の周りからこうして小さくてかわいい芽をいくつも吹き始めました。生きていたのですね。このちょんちょんと飛び出た若緑色の新芽を見つけて、私は素人園芸の域にいるに過ぎないこと、諦めの早い自分が恥ずかしくなりました。既に七月の終わり、こんな小さな芽がぐーんと伸びて、蕾をつけ、花を咲かせることはないかと思いますが、どうか厳しい冬を生き抜いて来年の夏に美しい花を咲かせて欲しいと祈るばかりです。
この夏もまた、草木から「生きる」を教えられました。
さて、ココんちあたりはこのギィモォヴの木がそこここ生えており、それは野生であったり、民家の垣根代わりだったりと、よく見る花、この花を見れば夏が来た知らせにもなります。それだけ馴染みある花木だからか、ココんちあたりではマシュマロ菓子をよく見かけます。
こちら ↓ はココんちの旧市街のチョコレート屋さんに並ぶマシュマロ棒です。
b0070127_4134480.jpg
20cmほどの四角棒状になったマシュマロはミントやカフェ、フランボワーズ、いちご、チョコなどなどに味付けされ、それぞれに合ったチョコレートがコーティングされ、かわいらしくおめかしされています。

とーっても美味しそうですが、私はマシュマロが苦手なので未だ味見をしておりません。
今朝も、この棒をかぢりながら歩いているマドモワゼルを旧市街で見ました。
マシュマロ好きにはたまらないお菓子だと思います。
勇気を出して食べてみようかな?・・・ううううん。

le 25 juillet 2009, Jacques
[PR]
by ma_cocotte | 2009-07-25 23:28 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
行く川の流れに乗った気持であるとは言え、
しばらく前から何度か電脳域で某『窓』社のソフト「V」が日本國の幾多の企業で未だ受け入れられておらず、「XP」が今も愛用されており、おそらく後継の「7」にダイレクトに移行するであろうという記事を見てはいました。ココんちのこんぴーたは昨年11月後半に突然、ハードディスクが昇天したことで「V」が搭載されたこんぴーたを使うようになりましたが、使い始めて十日後になぜか突然、某フリーメールサーヴィル(G)と某SNSの2つに限って長文や写真をココんちから送信できなくなってしまいました。そのたびに出るメッセージを某SNS社に知らせたところ、こんぴーたに搭載されているアンチウイルスに問題があるのでそちらで聞いてくれ、という返事をいただきました。こんぴーたはココんちの地元で購入した物ですが、アンチウイルスは言語違えど国際企業の物だったので、日本語環境で問い合わせたところ、フランス語だから日本では対応しないという返事。面倒臭くなったので、そのアンチウイルスを抜き、以前から拝借していた無料アンチウイルスをインストールしましたが、何等状況は改善せず、某メールサーヴィスも某SNSも送信不可のままでした。ところが、数度、夜9時以降に突然、これらの問題がまるでなくなるシンデレラ・タイムがあることに気付きましたが、それは連日夜の決まった時間ではなく、気まぐれに送信可能になることに過ぎないこともなんとなくわかりました。それならそれで「まっいっか」のまま、時は流れ・・・

こんなことがありました。
それは冬時間から夏時間に変更された第一日目、3月27日朝のことです。まい・こんぴーたに火を入れたところ、何か様子がおかしい。某『窓』社の「V」とココんちが契約しているプロヴァイダ「A」との相性がどうも悪いことで数日前に買ったばかりの外付けハードディスクがカッチカッチ...と絶えず変な軽い音をたてているのです。しかも、画面右下の時計を頼りに外出の準備をしていたら、何かをかしい・・・¢( ・_・) ン? なんと実家からの電話で気付けたことですが、「V」が冬時間から夏時間に自動変更するにあたり、二時間ずらしていたのです。つまり、前日まで日仏間は8時間の時差だったのに六時間に変更したのです。ヽ(`Д´)ノ 本当は冬時間の八時間差から夏時間の七時間差と一時間の変更なのです。確か私の記憶が確かならば「98」は夏冬時間変更時に問い合わせ画面が出、こちらが確認を兼ねてクリックすると時間変更が成され、後継の「XP」から自動変更になり、当日朝にこんぴーたに火ぃ入れれば時間変更が完了していました。と、こ、ろ、が、「XP」の後継で、「XP」より優れているであろう「V」がこんな間違いをしたのです。しかも、同時に外付けハードディスクが破損。翌日、購入したばかりのお店に修理を頼んだところ、2週間後に返還という話だったのに実際、ココんちに戻ってきたのは一か月と数日過ぎてからでありました。

素人ながら、おそらく『窓』社の「V」とココんちのプロヴァイダ「A」社との相性が悪いとなるとモデムに問題があるのだろうと電脳域でこれらの鍵語たちを用いて検索したところ、なぜか「A」社と「V」の関係に触れている公式レベルの話題に引っかからず、それどころか「A」社がどうも未だに「V」に何等対応していないような個人間情報交換をいくつか見つけられました。「A」社には無料の問い合わせシステムがありますが、少し前、電話したところ、私の「日本名」を読み上げて笑い始めた女性が1分近く笑ったまま対応せずに電話を切ったことがあり、それに懲りた私は2箇所だけ送信に不自由しても他はほとんど問題がないことで「まっいっか」で、時の流れに身を任せていました。

その流れが突然止まったのは、今から十日ほど前、6月30日のお昼過ぎでした。
ここ ↓ に行き、神父さまからオートリザシオン Autolisation 、つまり認可をいただいて、
b0070127_2535886.jpg
美味しそうなさくらんぼの写真の撮影と味見(!)をして帰宅したところ、こんぴーたがインターネットにつながらず、しかもインターフェースの名前が無効であるというようなメサーヂュを「V」がフランス語で告げて来たのです。これまで使っていたモデムが「A」社から無料提供のものでインターフェースの旧名を新名称に換える作業はこれまで何度か経験していたので、同じことを試みましたが何度やってもダメだーめ。久しぶりのお手上げとなり、かけたくはないけれど例の「A」社の無料電話相談所に電話をしたところ、最初の電話は途中で切られ、次の電話では的外れな回答をもらい、こんな私でもそれはまったく修理に当たらないとわかったので話したところ、解決策はこれしかないと電話を切られてしまいました。困り果てたまま就寝し、翌朝思いついたことは、
そうだ!新しいモデムを買ってまえ!
と、近所のモデム取扱店に練馬大根足を運んだところ、知ってしまった新事実。それはこの「A」社が既に2年前、「F」社に買い取られ、今は名称のみの幽霊会社の状態だということです。故に「A」社のモデムはどこの店にも存在しません。例の無料相談所は失業対策で移民青年に任せているので、しばしば話がかみ合わないことがあるとのこと。いちおう私から前夜に電話で指導された対策について3つのお店の店員それぞれに話しましたが、どの店員からもその返答はなんら修理の解決につながらない、と私の判断とビンゴになってしまいました。

私はA5サイズ、64MBだったかのラップトップPC片手に日本から仏蘭西に引越し、その後、クラスメートが利用していた「W」という無料メールサーヴィスに登録したのが今から10年近く前、その後、電脳の急速な進化と共に「W」は「T」という会社に合併され、程なく「T」はイタリア資本の「A」社に吸収合併。私のモデムのインターフェースは初期化すると「T」の名前になってしまうことで、なぜかその名を「A」ではなく、「A」社が吸収した別のプロヴァイダー会社の「LS」という名に変更することでインターネットとIP電話を使用することができました。おそらく先日6月30日をもってその「LS」という名も使われなくなった(?)ので、ココんちの「V」が「その名称は無効です」と突然、画面上で訴えて来たのかもかも??

兎にも角にもこんなことで疲れるのはくだらないので、A社が幽霊とわかってしまったからにゃ、とっとと縁を切るのがよろし、と判断した私は、かの神聖賢愚帝の第一王子が改宗してマスオとなった某家電量産チェーン店「D」が展開し始めたプロヴァイダー「DB」についうっかり登録してしまったのです。それが7月1日。
3~5日で開通の手紙が届くからそれでOK!当社の電話相談先の社員は移民ではありません、と金髪碧眼の美青年店員が私に断言するし(そりゃそうだわな、だって「D」社はユダヤんだもの)、なんとこの「DB」に登録すると日本國への電話が無料なんですのよ、マダーム。タダほどうれしい言葉はにゃい・・・というかタダという言葉に心の目がくらんでサルがどっかにはじき飛んでしまったとゆーか。どーせ私には選挙権がないからおはじきも簡単とゆーか。モゴモゴ。3日目は土曜日だからまず手紙を受け取ることはないだろうと予想したら、手紙が届いたのは7日火曜日。すぐインストール作業を行ったものの、つながらない。_| ̄|○ これまた重たい気持でDB社の電話相談にかけてみると(註:DB社の電話相談は有料です)、モデムの作動確認を24時間後に行い、それでも動かなかったら、また電話をよこせ、とおっさる。翌日になり、やはりウンともスンとも動かないモデムを確かめて電話をかけたところ、インストール用DVDが指導する場所とは違う場所に線をつなげとか言い始めたのです。それでも何等解決しないので、「こりゃ、解約ですかねぃ?」とつぶやいたところ、今度はこの「DB」社とお仏蘭西の電電公社「FT」との間の問題であるのでもうしばらく待たれよ、と言って来た。なぜ最初からそう言わないのだろう?ただし、金曜日まで猶予をくれたまえ、とおっさる。それで解決しなかったら解約に応じると。これが7月8日。
b0070127_4171418.jpg
こんぴーたが使えないとは言え、時は7月。買出しの際、美味しそうな果実を見つけては念願の果実酒造りに勤しみ、6月24日から始まった夏のバーゲンをひやかし、日差しが強すぎない時間には庭作業に励み、日差しの強い午後はテレビ画面から流れるツール・ド・フランスの中継を眺めては美しい自然と史跡にうっとり。そうそう、ヂャイケル・マクソンの葬儀生中継でほろっとしもしました。

そして金曜日前日の木曜日。午前中の買出しからココんちに戻るとポストの中にお仏蘭西電電公社「FT」から作業終了通知があり、早速、DVDを使ってインストール作業をしてみたら、
使 え た 。
のでした。ひえぇえええ、長かった!と思う反面、プロヴァイダーを変えたことでどこか自分の中で今月一杯は無理だろうという覚悟もしていたので「DB」社が金曜日までの猶予と言いつつ前日に作業が完了したことは、「DB」社の宣伝文句「Contrat de Confiance 信頼の契約」のマジックに私もかかっちゃってる?なーんて疑い始めてもいるのでした。

・・・で、「A」社。
7月1日の午後、配達証明の形で解約申請を行い、翌日の消印で配達が無事済んだという返信も戻って来ましたが、これまで「A」社と解約した人々から聞いた話によりますと自動引き落としを停止しないケースがあるとのこと。超ウルトラスーパーどケチの私には刺激的な情報になりますが、前もって銀行に引き落とし拒否願いを出すと引き落としはもちろん止められますが、なーんと「A」社から逆切れ申告があったケースもあるとか。となると、裁判所申請になるらしいっすよ、お仏蘭西でわ・・・。そんな情報が先行してしまうと実にガイジンの私としては面倒臭く、こんな国からヴぁっくれたくなるのでした。
ああ、そうめん、冷やし中華が恋しや、ほーやれほ。
今のところ、「DB」社は快適ざます。昨年11月末に「V」になってから送信できなかった2方面にも問題なく送信できるようになりました。やっほーい ゚+。:.゚ヽ(=´▽`=)ノ゚.:。+゚

残るは、引き落とし問題ぢゃ。
なーんでヴぁかんすシーズンにこんな問題を抱えることになるんぢゃあああ。
b0070127_4325624.jpg
酒だ、酒だ、酒持って来ぉいっ! と卓袱台ひっくり返したくもなりますが、これら果実酒の飲み時は一年後だそうです。

le 9 juillet 2009, Amandine
[PR]
by ma_cocotte | 2009-07-09 23:56 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
地ニハ善意ノ人ニ平和アレ。
去年の3月23日。母の永眠の知らせからちょうど一ヵ月にあたるその日、私は或るところに行きました。週日の日中ならば二千人前後の人々が集うそこは、日曜日なのでしんと静まり返っていました。平日ならば開いている通用門は閉ざされていたので、高い塀づたいに坂道を登り、突き当たりの正門へ。正門はいつもどおり右横の、人がひとり通れるほどの幅の門だけが開けられていました。私がそこを抜けて数歩歩いたところで、少し離れたところから声をかけられました。振り返ると受付前に男性が一人、身を前に屈めつつ、こちらに向かって「記帳はココですよ」と。その方も記帳されている最中でした。久しぶりに足を運んだところとは言え、私にとっては勝手知ったる場でもあったので、その男性に軽く会釈して、ふらふらと思い出を辿るかのように散歩がてら歩いてみました。約束までの時間が少しあったので、この塀の中の世界について隅々裏裏まで知ってはいるものの、実は一方向だけ私があまりよく知らない西北方面へ足を向けました。右手のテニスコートと左手のバレーボールコートの間の並木道を歩くと突き当たり手前左にひとつの玄関。玄関の向こうに先ほど私に声をかけられた男性と他の数名の方がいらっしゃいました。どうやら日曜日のこの日、この玄関の向こうの世界のためにやって来た方々だったようです。この玄関の向こうの世界は社会福祉法人で、家庭の事情があって親家族と一緒に住むことが難しい子供たちが生活している世界です。日曜日ですから、面会に来る親御さんもいれば、休日という貴重な時間をここで子供たちと共に費やしてくださるしあわせな方々が次々と現れるのが常のようです。

====== 十 ======

この日から遡ること一年と10か月ほど。その日もやはり日曜日、この施設を訪れた一家族がありました。その当日より少し前、外国から日本に観光に来ているが(自分の)子ども達が退屈しているので一緒に遊べるとうれしいのだが、と連絡があったとも聞いています。世知辛いことに少々疎い職員たちは、ただただ善意を喜んで受け入れ当日を迎えました。依頼してきた家族を乗せた白いワゴン車のために普段は閉ざされている正門の大きな門が開き、車は正門を左に曲がり二番目の並木道を右に折れ、突き当たり手前の玄関の前に停まりました。ワゴン車から現れたのはこちらのご一行サマ ↓ そう、ぢゃいける・まくそん ( ̄ー ̄) ニヤリ
b0070127_22333088.jpg
こうしてマイコーにお目にかかったところで「この方、どなた?」と思いつつも決して詮索しない職員と、一目見るなり「うぉっ!?」と驚いた子どもは一部であって決して全員ではないというどこか浮世離れしたココの環境です。ここに住むお子達はガイコクからわざわざ遊びにいらしてくださったお客様方に日頃習っているお琴や日本舞踊を披露し、「日曜の来訪者」のひとりであるこの一家の主(あるじ)は「さくらさくら」を子どもたちと職員のために唄い、どんな紙の切れ端であろうと子供たちからサインを求められれば嬉しそうにサインしたのだそうです。
それこそ神から与えられたまふタレントで比類なき一輪の花を咲き誇らせたマイコーが「退屈している幼い(私の)家族のために」と、自らを滅して日曜の閑散とした環境に現れました。そこでの数時間、大輪の花も、子どもたちも、ボディーガーズも屈託のない笑いを絶やさずにいられたと。
一夜明け、朝からこの一家の主が江戸のハズレまでお忍びしたことが話題となり、この家族の善意を受け入れた園長さまもテレビ画面に登場。興奮気味に「マイケルが来てどうでしたかあ?」などの質問に「わたくしは修道女ですのであの方が有名とも何とも存じませんでしたが、あの方々はとても喜んでくださり、こちらの子どもたちも大変喜び、ですからわたくしもうれしうございました。」と落ち着いた声での返答。時同じくして、この場に集った誰もがみな疑いのない幸せの中にあったのかも。凄いことだな。

====== 十 ======

マイコーの来訪から2年と4か月ちょい後。私は東京都下の某所でこの園長さまにお目にかかりました。午後1時を過ぎており、応接室に現れた園長さま、いえ、スォルMは私たちの顔を見るなり「あなたがた、お腹がすいているのではありません?私が何か見てきましょう」と。数分後に美味しく茹でら、水で引き締められた日本そばが私たちの前に出て来ました。シスターは相変わらず相手の心を見透かされているというか、私の顔に「シスター、お腹すいた」と文字が浮かんでいたのか。スォルMは数年前から大病を患っているものの、それさえ神さまからいただいたものと喜ばれ、ご自分の肉の痛みさえも捧げて他人にばかり気を使っている、とはその席にいらした他のスォルお二人が小声でおっしゃる。他者に気をつかってばかりの園長さまにとって、いつも気になっているのは早い子ならば赤ん坊の時から預かり、寝食を共にしつつ育て、世に送り出した子どもたちのことです。そして、その子供たちのために善意を示してくださった方々への感謝と祈り。今のスォルMは責任ありすぎる立場から離れられ、祈り、祈られの毎日を過ごされています。この都下の修道院で、年齢を重ねども心が健やかで魂が発育中のスォル方に「私たちの分までお願いね」と私が頼まれたのが昨年晩秋のルルド詣ですわい。

====== 十 ======

この施設に訪れる人々は時に知られた名の花であったりもします。が、花の名が有名であろうと無名であろうと、その花から施設に届けられる善意に変わりはなく、ただただその花が勇気を持って動いて作り出し、捧げてくれた善意に感謝するばかりなのです。マイコーが遊びにいらしたように、2002年には こんなこと もあり、最近は こんなこと もありました。こうしたあらゆる善意を知り、私が思い出す言葉はイエズス会総長アドルフォ・ニコラス師の言葉です。以下、再掲 になりますが、一部分だけ。


神の夢を抱いて


 私たちの周りを見回すと、夢を売る商売をしている人々が数多くいます。しかし彼らの売る夢ははかなく消えてゆく夢、ちっぽけな夢です。今日の世界で一番強く求められているものは、もっと壮大な夢を見てその実現を目指す才能です。お金では買うことができない夢、言い尽くすことができない夢を生み出す力です。きっと私に求められていることがある、きっと私が心をこめて、力を尽くして貢献できることがある、という夢を抱く力です。その夢は、心の渇きをいやす夢、人間らしい生き方を追求する夢、正義を求める夢、自分が受けた素晴らしいものを分け与える夢、愛と平和の共同体を創り上げていく夢、一人ひとりが神の子として大切にされる社会を構築する夢です。しかし、このような夢を実現することは容易なことではありません。(中略)この希望に生きる人の特徴の一つは、自分だけが希望を持つのではなく、他の人にも希望のともしびが点るように奉仕することです。(中略)たとえばソーシャルワーカーとして働くならば、その働きによって自分自身も変えられながら、現場で接する人が変えられて行くように働く。自分にとらわれず、もっと共同体を大切にする人、物心両面で分かち合いを大切にする人に変容するように促すのです。(以下、略)



マイコー、ありがとう。
マイコーは「神の夢」を示したひとりだと思います。Michael Jackson という名が冠せられたタレントで得たものを、自らが無名と化して、分け続けた。何も無名にしなければ、自らの名にいっそうの箔を貼れたでしょうに。
スォルMが信頼する聖人がこのような言葉を残しています。
この世では、私たち自身の、また、他の多くの霊魂を救うために絶え間なく働こう。休むのは幸いなる永遠の世界で。
マイコーは永眠する前夜もロンドン公演の練習に励んでいたと聞きました。マイコーの噂は数あれど、もしかしたら真実はその逆で、マイコーは他人を思いやりすぎて、自分の心身に厳しすぎたのではないか、と。どこか不器用に生命とタレントを他人のために消耗してしまったのではありませんか?マイコーの善意にどれほど天地の花々が今も感謝していることか。
マイコー、どうぞゆっくり休んでください、幸いなる永遠の世界で。

le 28 juin 2009, Irénée
[PR]
by ma_cocotte | 2009-06-28 23:32 | 『?』なたわ言 | Comments(2)
窓の外はピーカンだけれど、
我が心に雨がそぼそぼ降る降る。
めそめそしていたら、なぜか母が好きだったこの曲を思い出しました。




東京都内某百貨店でこの音楽が流れますと外で雨が降り始めたことになります。


心に雨が降ったら、降らせておこう。こんな時にはヂャック・プレヴェール Jacques Prévert の詩集をパラパラしたり、フィツヂェラルド F. S. Fitzgerald の「雨の朝、巴里に死す」を読み返すなんてどうだろう。どんな大雨でもいつかは止み、空には虹がかかり、鳩がオリーヴの枝を持って来てくれるものです。
b0070127_23212318.jpg
↑ 早朝のヴァチカン庭園で見た小さな虹に、Grazie mille! ↑

虹は祈りが届いたという天からのお返事です。そんな虹も水と光と空気があればこそ現れます。虹を眺めつつ契約のしるしに感謝したら、こんな曲 ↓ を鼻歌しながら労作に勤しむのも晩春から初夏の楽しみです。





元気のおすそわけ。゚+。:.゚ヽ(=´▽`=)ノ゚.:。+゚
日本では映画監督ヂャック・デミ Jacques Demyの作品でも1964年の「シェルブールの雨傘」の方が知られていますが、フランスではこの1967年の作品 Les Demoiselles de Rochefort (日本語タイトルはなぜか「ロシュフォールの恋人たち」)の歌曲の方が廃れることなく繰り返し唄い継がれています。胸にきゅぅうんとせつない音楽は日本びと好みなのでしょう。どちらもミシェル・ルグラン Michel Legrand の作曲。メロディが今も古さを感じないと思うのは自分が高齢だからでしょうか?それに、画面のこのお洋服、めっさかわいいンですけれど。長方形と三角形の布の組み合わせでこんなにかわいいワンピースが作れるのですね。
舞台となったロシュフォール Rochefort はココんちからそんなに遠くないので、この夏、行ってみたいかも。水兵さんに会いに・・・ヽ(`▽´)ノ ロシュフォールは大西洋側の軍事都市のひとつなのであります。

・・・・と、こんな文を書いているだけで心の雨は止む方向に。
雲間が割れて、マリアさまのマントが裾を開き、やがて太陽が現れます。

心にそぼ降る雨がきっかけとは言え、おカトリーヌ・おドヌーヴさまを思い出してしまうとは、カンヌ映画祭がまもなく開幕だからでしょうか。今年は5月13日から24日まで、です。http://www.festival-cannes.fr/fr.html

なんだかカテゴリーわけの難しいミュルミュル murmure つぶやきだっちゃ。
見ろよ、青い空、白い雲
そのうちなんとかな~るだろー
 060.gif070.gif060.gif


le 5 mai 2009, Judith
[PR]
by ma_cocotte | 2009-05-05 22:57 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
聖 徳 太 子 の 壱 万 円 札
新しいテレビがココんちに来たので、少しずつココんちにあるDVDをおさらいしています。きょうは天気も悪く、うすら寒いので映画鑑賞にはもってこいの日となり、先ほど「続・三丁目の夕日」を観ました。東京タワーができてまもなくの東京、おそらく東京タワーの位置と大きさからして港区の愛宕山あたりが舞台で、私が知らない私の両親の青春時代を連想しつつ、この映画を楽しむことにしています。
映画が始まって10分ほどしたところで、画面に大きく、聖徳太子のピン札が50枚、いえ、帯でとじられたままの壱万円の新券が出てきました。
それを見た途端、一年少し前、私の実家で母の遺品を整理している時に、母の箪笥のひきだしからしっかりとしぼりの和布にくるまれた硬い板に挟まれた聖徳太子の壱万円札、伊藤博文の千円札のピン札(新券)が数枚出て来たことを思い出しました。けど、それをどこにしまったのか思い出せなくて、頭を抱える”神山悟”状態になっている私。

なぜ聖徳太子や伊藤博文の古いお札が新しいまま出て来たのか。調べてみるとこれら紙幣は1984年以前のものです。久しぶりに見た旧紙幣が大きく見えたこと。

遺品を片付けているうちに薄黒く汚れた指先で触れることが躊躇われるほどきれいな旧紙幣でしたが、そういえば母が生前、いつ何が起こるかわからないので新券は必ず数枚家に置いておくように、と私に教えてくれたことを思い出しました。ご慶事についてですね。母はもういないのに、偶然にも箪笥のひきだしから出て来たピン札で内助の功というか日本女性の日常における細やかな心がけのようなものを思い出させられ、そういう習慣を忘れていた自分が恥ずかしくなりました。誰もいない母の寝室で情けなさにうなだれていたら、母がそっと私の肩に手を乗せてくれたような気もしましたが。

仏蘭西という国は日本國とは紙の価値も違えば、お金の扱い方も違います。これだけクレジット・カードやカルトブルー Carte Bleue、=クレジットカードのようなものだけれど暗証番号を打ったとほぼ同時に引き落としになるカードが浸透してもまだ小切手の習慣がしっかり残っており、日本のようなお年玉でもお札ではなく小切手であることもあります。紙も日本より貴重品ということもあるし、日本人はじめとする東アジア人が持つ独特の「かわいい」という感性が仏蘭西びとにはあまりないため、見た目が愛らしく美しいポチ袋のようなものも見つけることが難しく、簡単に手に入るものでもありません。冠婚葬祭も上流階級ならば兎も角、仏蘭西の庶民においてはどんどん簡略しており、特に葬儀における喪服の習慣はなきに等しいです。そんな環境に長くいると、自分は生きているから新しいことを吸収するかわりに先に覚えたことを忘れてしまいがちになり、時にうっかり日本女性としての善き習慣を脳内ハードディスクのゴミ箱に入れてしまっています。昨年の春、偶然、見つけた聖徳太子の新券でがさつな自分を恥じ入ったにも関わらず、それから一年再び忘れかけたところでこうして映画を観て同じことを思い起こし、また反省。そしてまたすぐに忘れてしまうのかしら?老いていく自分自身との付き合いもハードであります。

le 27 avril 2009, Zita

b0070127_15501125.jpg
昨年春の帰省時に、実家から持ち帰った地元新聞販売所が一昨年末に配ったカレンダー。暦としてのお役目終了後、もし日本國にいたならゴミ箱に捨ててしまっただろうけれど、カレンダーの真ん中に印刷された切り絵が描く日本の情景を捨てるには惜しく、額縁屋さんに持参し、額縁棒を選んで、額に入れてもらいました。夏祭りの絵は私が幼い頃、大叔母に浴衣を着せてもらい、祖母と一緒に行った観音さまの盆踊りを思い出します。他の絵は母の幼い頃を重ねています。昭和9年生まれの母は洋装で学校に通っていたので、この絵は大正時代あたりの光景なのかしらん?
[PR]
by ma_cocotte | 2009-04-27 23:50 | 『?』なたわ言 | Comments(9)
なにやら10,000km東から悪魔の笛の音が、
b0070127_1303616.jpg
↑ ポワチエの司教座聖堂のヂャンヌ・ダルク ↑

先月3月6日に
今日は初金、こちらでは、十字架の道行、ロザリオ、ベネディクション、ミサ、初金の祈り、と続きます。
ま・ここっとさんとご家族のためにもお祈りしましょう。美しい写真のブログは、時々拝見させていただきます。ではまた。 at 2009-03-06 04:59
では、良い四旬節をお過ごしくださいね。at 2009-03-06 08:18
とコメント欄に書き残し、これを最後に四旬節の黙想に入られたのかと思いきや、この論客さんはヨソの掲示板やらブログでは別のハンドルネームで大活躍中です。以下、この方の四旬節中の過ごし方のゴクゴク一部です。ヘソで茶ぁわかしつつご笑覧くださいませ。

上のコメントをクリックするとこの論客さんによる最後のコメントをいただいた拙エントリーに飛びますが、3月6日午前1時38分まで太平洋岸の北関東からコメントを送信続けた方が2時間と27分後の午前4時5分に再びコメント送信を開始しているのに、同じIPアドレスを持つ方がヨソの掲示板でこのようなお話をされています。
「信徒に認められた正当な批判」を「悪口雑言」であるかのように、読者に思わせようと必死な方も、そちらの勢力の方なのか、あるいは、何がしかの原因で現実認識の判断力に欠けている方なのだと思います。彼は、引用する2つのカテキズムのすべてを読まず、都合のいい箇所のみ何度もはりつけるこの行為も、繰り返されれば、洗脳に近い効果を生みだすようにも思います。(素直な方にとっては…)▼彼と同じ方法で、『教会法』『指針』『典礼規則』『カテキズム』に書かれている司教に対する厳しい決まりを、繰り返し貼り付けることは可能ですが、彼に関してはこれまでの書き込みからまともに相手をしないことに決めたのでしません。
忙しい人間がまともに相手をしているとそのしつこさの病的な面に、振り回され、エネルギーを吸い取られる危険があると感じるからです。
( ̄□ ̄;)エ? ちょっとおまいさん? 3月6日の午前1時38分から4時5分までどのようにこの方が過ごされたか知ったこっちゃないですけれど、他人サマにこんなこと ↑ を言える立場ですか?全部、特に強調した部分なんて自ら拙ブログで使った手口ぢゃござーませんか?振り回してエネルギーを吸い取ろうと必死だったのは、あ、な、た 、こんなコメントを優等生のごとく常連の論客宛に書かれた「あなた」です。それとも同じIPから別人がコメントを送信しているのでしょうか? ← と、3月6日時点で私は仮定し、聖域にお住まいの方々が共同で一台のコンピュータを触っているのかとも拝察しましたし、そのような共同生活をされる方々だからこそ一昔前までは世俗が踏み入れることのなかった祭壇の向こう側の立場を拙ブログで延々と披露されたのかと思いきや、なんとヨソの掲示板やらブログでこの方はしっかり女性の言葉で生き生きとコメントを残されていました。HNによって性別も変えてらっしゃるのかもしれませんけれど、それは Only God knows 。しっか~も、同じIPアドレスの方が新しい教会内作法を否定するFSSPX についてまで肯定的にヨソのブログでは語ってらっしゃる。本当にこの方が女性でFSSPXの精神に従う方だったら、祭壇上の典礼書の中身の話題など口も手も慎むはずで、カトリックとして矛盾だらけのことを電脳域で遊んでいることになります。拙ブログでこの方は威厳ある司祭ゴッコを楽しまれ、3月6日以降、コメントを残さずとも拙ブログをしっかりご覧になっているのに、ヨソの掲示板には4月12日付で、
聖週間に教皇様によってささげられた典礼のビデオをご存じの方はお教えください。
仏のKTOテレビか、Gloriaテレビあたりにないかなと思うのですが…。
おシラジラしいこんなコメントを書けるのですねぇ。ここ↑ まで書けるなら、自分で最後まで調べろよ、おい。拙ブログでは4月9日付のエントリーでKTO での聖週間ビデオ一覧のURLをズバリ掲載しておりますし、3月7日3月30日 と2度ほどこの方について触れていることでヒト芝居を打たれたか。3月5日、6日の二日間でアクセス数2000っていったい?30日から31日にかけても1000を軽く越えています。ご苦労なこってすけれど、それでも私は太平洋に面する北関東に足向けて寝ることができます。一座の誰が書いた台本か知ったこっちゃありませんが へたくそ 過ぎます。せめてコメントに KTO や Gloria のHP名を書かなければバレないだろうに、こういう三文芝居を披露することで「私などPC音痴でHPもブログも作れないのですが」という自己主張の証明が成り立つことになるという妙。

以上のこと、ヒトとヒトとの間ではどーでもいいのです。こんなことをされたところでヒトによっては喜んで騙され続けることを選びます。でも、こんなことをするヒトと神という二者の関係はどーでしょう?ぜひともご本人から回答をいただきたいものです。だって、こんなことをするヒトがやたら軽々しく「神」やら「カトリック」の名を出して他人を貶めたり、裁いたり、批判しています。拙ブログにおいてもヨソの掲示板やブログにしてもこの方はまるで司祭のごときカトリック知識を披露していますが、上に書いたようなことを世間に、それも国境のない電脳域でお披露目したら、いくら知識があってもカトリック信仰においてはやかましいドラはたまたゼロです。なぜなら、この方の行いも心の動きも神さまはご存知だからです。そんなことを立派なカトリックなら重々知っているのに知らないふりをしているのなら 031.gif ですし、これほど電脳上のほうぼうでお仲間内の賛美の言葉で褒め称えられながら世俗平信者であろうご本人がカトリックの名を出して他者を裁いたり、知識披露を延々と止められないのは告解で赦してもらっては繰り返しているか、逆に告解できない事情がご本人にあるから続けられるのでしょう。字も読めない子供だってカトリック幼稚園に通うならぜったいしないことを公でこの方は率先して続けているのです。神に対して恥の気持なんてまるでありません。
b0070127_1281185.jpg
↑ 1429年3月から4月にかけてヂャンヌがポワチエに滞在したことを記念する碑 ↑

傍観者であればあるほど「ヒト⇔神」の関係は露見するものです。十戒のうちいくつに反していることか。電脳域であれ他人サマからはこの方のカトリック知識に賛美の言葉が塗ったくられています。まさに、「そこに神がいない世界」の証明です。他人を貶めたり裁けたりするお立場には見えませんが、貶めたり裁けたりできるのも「そこに神がいない」証明です。ご自分でこの遊びを否定するならばどこぞからいただいたミッションでありましょうけれど、ご自身においては止められない快楽の域にに入ってしまっているのでしょうねぇ。
あなたの良心はどこ?
とてもぢゃないけど、良心の声に従っている方の言動には見えません。良心の声も聞けないヒトによるカトリック知識披露くらい気持悪いものはありません。← ということを一番よくご存知なのもご本人です。この方はいつまでこんなことを続けるのでしょう? 031.gif が心から離れるまで、です。020.gif
みんなたち、この方のヲッチン’を続けましょう。

le 17 avril 2009, Anicet


第八戒に反する罪には、いつわり、そしり、ざんげん、邪推、その他不正に秘密を探ること、あるいはこれを洩らすことなどがあります。
そしり とは理由なくひとの欠点やあやまちを言い表すことです。
ざんげん とは無実の罪をひとに負わせることです。
邪推 とは十分な証拠がないのにひとに罪があると信じることです。
真実を知る権利を持たないひと質問に対して、重要な理由のある場合、あいまいな返事をする のは いつわりになりません。
聖であろうと俗であろうと真実を知る権利を持たないヒトは
立場をわきまえるのが、カトリック。
第八戒「汝、偽証するなかれ」には ひとの名誉を尊重し、秘密を守ることも属している はずなんですが、第八戒について「そんなの知らんかったー」と詮索と妄想のお披露目遊びを続ける I am real Catholic. か。どこがカトリックなんだろう?...Bof

さて、このエントリーでアクセス数は伸びますでしょーか。「伸びる」にスーパーひとしくん
↑ 抑揚なしでどうかひとつ ↑


十 備 忘 録 十
[PR]
by ma_cocotte | 2009-04-17 21:05 | 『?』なたわ言 | Comments(9)
おくれなかったことでの呵責
昨日の朝、映画「おくりびと」のDVDがココんちに届きました。



おくりびと [DVD]


海外に在住する日本びと向けのネット通信販売からこのDVDの予約販売の知らせを受け、この映画がエイメリカのアカデミー外国語映画賞を獲得した直後だったこともあり予約しました。先週火曜日に発送完了のメールが届き、同じ週の土曜日には手元に届くのですから私たちが住む地球は本当に便利になったものです。

映画の予告編も見、あらすじも読み、電脳上での噂話も見聞しての予約でしたが、いざDVDが入った日本製の頑丈な封筒を手にしたら封を開けるのに気持が躊躇ってしまい、土曜日の夕方になってようやく封を開ける気持になれました。

想像していたより淡々とした映画でした。物語というよりは医学部に例えるなら症例報告の列挙のように思えました。ひとつひとつの症例、いえ、納棺の形とその例に登場する人物の感情表現は「こんなことあるだろうな」と観ているこちらも冷静に判断したりもしていました。
主人公にとって初めての症例、ではなくて「納棺の例」ですが、死後2週間が過ぎた独居老人の遺体に関わる例で、主人公の心身が五感で他人の死を知ってしまったことで、主人公の心身がどのように反応するかが美しくリアルに表現されていたように思いました。我が身に振り返って思い出したのが、某医大に奉職した数日後に上司から病理から解剖の電話を受け取ったら、解剖室に行き、ヒトの脳、上腕三等筋、肝臓などをいただき、研究室にて肝臓の血抜きを行うという仕事を命じられた時のことです。その命令を聞いた時の私の顔はおそらく主人公が就職先の上司から仕事内容を聞いて悟った瞬間の表情と似たようなものだったかもしれません。私は上司からの命令を断りました。すると上司がこの映画の主人公の上司と同様、
慣れればなんともないよ。
と私に言ったんですね。この上司ではないけれど、他の医師からは病理解剖の際、最初のメスのひと入れでヒトの血液は天井にまで届くほどまだ飛ぶことを教えられたことも未だ忘れられません。もし私が上司に反発することなく魚屋さんで見かけるクラッシュアイスを敷き詰めた発泡スチロールの箱を持って病理室に行ったとしたら、この映画の主人公が初仕事に挑んだ時のようなうろたえや失態を私は間違いなくしました。なんせ遠足のバスの中で誰かがもどしただけで、私の五感はすぐさま反応して顔色が変わってしまうほどですから。毎度そういう現実に出っくわすたびにその場に鏡はないから自分で分からないまま、私の顔色に気付いた他人がすぐいたわってくれたりする...私もヨソサマにそういう様子を認めたら手を差し伸べる。やっぱりヒトはひとりで生きるのは難しいのかも。

映画を観続けているうちに昨年春の、2月27日午後3時から実家で行われた母の「納棺の儀」なるものを思い出してしまいました。納棺の儀が始まる一時間前に葬祭センターの方が二人の女性を連れて来ました。映画を観てわかったことはこの女性ふたりがまさに納棺師だったことです。母の場合、納棺の儀が始まるまではドアを閉め、納棺師お二人と母だけで着替えを行い、リンゴの保護ネットを母の頭部から取り、髪型を整えてもくださいました。パジャマを着ていた母が寝たきりになる前に通院の際に好んで着ていた洋服に着替え、儀式を始める直前に母の三面鏡のひきだしに入っていたディオールの口紅を母の唇に乗せました。私のせいで母は4日もの間、巨大なドライアイスを両肩に乗せていたので、映画のように美しく固く握られた両手をはずすことができなかったのでしょうか。母の服は背面にはさみを入れて着せられた形になりました。母がいつか私の結婚式で着ようと決めていた色留袖が仕付け糸が通ったまま、母の寝室の枕元に置かれていたこともあり、この着物を母が長年のへそくりをはたいて作ったことも知っていましたが、一度も袖を通すことの無かったこの色留袖をそのまま棺に納めました。一昔前ならば故人の愛用のものを「あの世でも探さないように、困らないように」と棺に納められたのに、近年の火葬においては棺の中に納められるものも限りがあるようです。金属や革製品が納められないことで、なんとも中途半端な装いで母を天に送ってしまったことは今も胸中複雑になったりします。
納棺の儀が始まり、その場に集まった身内が清水を含んだコットンで母の身体を軽く拭きますが、コチコチに固まった母の指と、まだ生きているかのようにモチっとした母のふくらはぎの感触は今も覚えています。お化粧はしたけれど母が常にコンプレックスを持っていた短く薄い睫もそのままで、マスカラを乗せたらいいのかしら?と内心で不謹慎にもクスリと笑いつつ思ったりもしましたが、元気だった頃の母がマスカラを使っていたこともなかったので自然の睫のままの母の方が「私の母」ですね。今となっては骨しか残っていませんから「あれで良かった」と残された者は自分に言い聞かせるしかないのです。

納棺の儀を実家で終えてすぐ、母の棺は通夜と葬儀を行う葬祭センターに移動になりました。母の肉体が二度とこの家には戻ってくることはないということをわかっていてもつらかった。通夜の際も、葬儀の際も、母の身支度を整え棺に納めてくださった女性二人を見つけることはできませんでした。あの時は「あの二人はどこからやってきてどこに去ったのだろう?」と不思議にも思いました。この映画を観るまで、あのお二人は密室でカチカチになった母とプロレスのように戦っていたのではないかと私は想像していました。もし「おくりびと」の主人公のように優美に見えるほどの無駄のない動きで準備してくださったのだとしたら母が一番喜んでいることでしょう。母しか知らないのですから。通夜や葬儀の際、母に対面してくださった方々から母が美人さんと褒めていただけたり、幼馴染の方々からは子供の頃と代わらない母の表情があってうれしいという言葉もいただきました。でも、通夜のお清めが終わって棺の中の母を見たら、おでこあたりにあざのような斑点ができ、口が少し開き始めていました。翌日、お葬式を終えた後は斑点が更に増え、口元から見える歯の数が一本増えていました。既に脳を献体しているので母の死をわかりきっているはずの自分なのに、顔の様子が変わったことでこの肉体に既に魂がないこと、否が応でも母の死をいっそう具体的に私は知ることになりました。

DVD「おくりびと」を観ているうちにこうして一年と一ヶ月ほど前の母との別れが妙にリアルに思い出されてしまい、もしかしたらこの映画は今の私が観るにはまだちょっと早すぎたかな、とも映画半ばで後悔するような思いを感じ始めましたが、結局途中でDVDを止めることもなく最後まで観てしまいました。映画の中の数々の症例において主人公の反応も、遺族の反応も、私自身が身内を見送ったからこそ自分が経験したことにあてはまることを冷静に摘み取れたのかもしれません。母を送る前の私だったら恐怖感が先になり、観る勇気さえ持てず、もし鑑賞したところで感想もまるで違っていたと確信しています。

火葬場で母を待っている間、お坊様といろいろお話しました。浄土宗のお坊さまでしたが、どこかカトリックの神父さまのようと申しましょうか、これまでご自分が関わったお葬式での失敗とそれについてどうご自分が反省して変わろうとしているのか面白おかしく話して下さるのです。が、拝聴していてもその失敗談を伺ったところでお坊様を軽蔑する気持にはまったくなれませんでした。志を持って増上寺にあるお坊様になるための学校に通い、お葬式に携わるようになっても最初は恐くてしようがなかったそうです。でも、或る時、ヒトの死ほど荘厳なものはなく、その荘厳に携われる自分の役目に誇りを持てるようになったそうです。そう思えるようになったのも先輩にあたる方々と亡くなられた方とそのご家族あってのことです、と。拝聴しているこちらも母の死がなければ出会えない人々に多く会うことができました。この方々と関わったことで私の知らない世界を知り、私の中の死生観がかなり大きく修正されつつあります。「~されつつある」と書くのは今も私は葛藤している最中で死を喜んで受け入れられるほどの悟りにまだ至っていないからです。

映画の中で私が一番どきりとした瞬間は、主人公が納棺師という仕事に巡り会ったことはそれまで身内の死に関わることがなく、実母でさえ自分は看取ることも葬儀にも参列せず骨壷になった母と対面したことでの因果応報ではないか、と主人公による淡々とした語りが流れた時でした。私にも思い当たる節があります。主人公は祖父母の死は幼少期で記憶がないと語っていましたが、私も母の死まで身内や友人、同僚の死に深く関わったことがほとんどなく、母方の祖父、父方の祖母、母の大叔父の葬儀で親戚として参列したことしかありません。そして兄弟姉妹のいない私がこうして海外に住んでいることについて父母からどれほど叱られたことか。父からの恨み節は現在進行形であります。私の現状を話したところでヨソサマからたびたびいただく「一人っ子なのによくおうちの方が許したわね」という言葉も私にはハツを一突きする刃だったりします。私は日本に生まれ育った日本人だから因果応報という言葉は聞く度にドキリとします。両親の思いに従わずに我を貫いて海外にこうして住んでいることも良心の葛藤やら呵責を感じることは日常お茶飯事です。母との間については既に結果を見たことで、これからの私にどんな運命が待っているのかわかりません。もし因果応報があるなら私の残りの人生もいっそう波乱万丈でありましょう。他人さまから見たらネガティヴな、因果応報と呼べる私の運命であろうと、自分に与えられた運命はたとえ自分にとって不満であったり恐ろしくあっても、背を見せずに向き合い、考え、できることならまずはやってみるしかないのでしょう。

仏蘭西はきょうから La semaine sainte (聖週間)と呼ばれる週に入り、この日曜日はRameaux らも、=枝の主日というお祭り日で、イエズスさまがエルサレムに入城したことを省みる日なのだそうです。この祝日には教会で聖水で祝別した枝を配るので、午前中に旧市街に出ると多くのヒトが青々とした枝を持ち歩く姿が目立ちました。この枝は自宅に飾り、これまで飾ってあった枝はココんちあたりでは土に埋め塵に戻します(ゴミ箱に捨てることは厳禁なんですと)。
枝の主日の前日に「おくりびと」のDVDが届き鑑賞したことで、きょうの午後、古い枝を土に埋める際、何か厳かな思いが心に広がりました。「おくり枝」ですね。この世の生きとし生けるものは全て、いずれ塵に戻るのです。

le 5 avril 2009, Rameaux
[PR]
by ma_cocotte | 2009-04-05 15:51 | 『?』なたわ言 | Comments(11)