カテゴリ:『?』なたわ言( 126 )
飛び入りして後片付けもしないで去れるとは、
こんにち、そのやふなことをあそばしますとは、オソレオオクモカシコクモ(ココで最敬礼)、どちらの親王さま、姫宮さまであらせられますでせう?

ココ数日、ご自分が知っていること
①2008.1.13.のシスティナ礼拝堂でのミサは、「パウロ6世の名で公布されたローマ・ミサ典礼書」が使用されていること
②教皇様の朝ミサも、同じ典礼書が使用されていること
③メアクルパを「集う者全員」で声をそろえて唱えるのは、「パウロ6世のミサ」においてだということ
を拙ブログに自ら持ち込み、エントリーとは話がそれる方向に持っていく大量のコメントを残し、こちらの質問には何ら答えず消えた方がいらっしゃいます。HNが 匿名 とおっしゃる方で、拙ブログスペースを貸してくださっているエキサイトブログ社から提供されているIPアドレス表示を元に調べましたら、他の掲示板等では別の名前で活躍されている方とまったく同じIPアドレスであるということまでわかったことをまず申し上げておきます。ついでに、数日にわたり 心のともしび運動 HPから御文を拙ブログに無断転載を送信し続けている方とは別人です。

さて、匿名さんが拙ブログのコメント欄に初めてコメントを下さいましたのは、2009年2月25日でした。元は鍵コメントでしたが、今回のこのエントリーのポイントになる部分は別の色に反転いたします。匿名さんが引用した私のコメントについてはにします。
Commented by 匿名 at 2009-02-25 23:39 x
at 2009-02-25 21:05の記述
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。
ま・ここっとさん、これだけは訂正してください
これは、まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)です。
ノヴス・オルドを背面祭壇であげておられるのです。
〝第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ〟??
〝FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼〟??
これは、違います。式文を見て、所作を見れば明らかです。
是非、ビデオをご覧ください。イタリア語のノヴス・オルドの典礼文とどこが違いましたか?1990年代に、典礼秘跡省が、ノヴス・オルドを背面祭壇であげる方が良いこともあると、文書で出していることは、ご存じですね。
こうして初舞台を踏まれた匿名さんが9日後の3月6日になって私宛にこんな問いを別の拙エントリーのコメント欄にお書きあそばされました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 04:16 x
15
ま・ここっと様
>匿名さんが1970年以降のパウロ6世ミサ=ローマ典礼と限定してしまうと
★?????どこで、限定したでしょうか?????
(後略)


Commented by 匿名 at 2009-03-06 00:05 x
ま・ここっと様
2009-03-05 16:08の私に対するコメント
>匿名さんは典礼を信じているのですね。
>どうしてもPaul VI ミサを分断されて生み出された典礼と主張したいのでしょ?

??なぜ、そういえるのですか??
??そんなことどこにも書いていませんよ。??

以上、鍵コメントを悪く用いている一例になりますか。今一度、匿名さんご本人が初めて拙ブログにコメントを残された時のコメント ↑ に戻ってみましょう。匿名さんは
まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)
これは、違います
これだけは訂正してください
とご自分でタイプしたコメントを送信、2009年2月25日23時39分付でこちらが着信しています。次に、匿名さんが初送信で引用した私のコメントをご覧ください。
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで イタリア語の典礼文です。
私は「第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ」と「イタリア語の典礼文」の間に句点( 、 )を使っており、教皇さまがイタリア語で典礼文を唱えているところまでしか私は触れていませんし、それ以上の内容について私は何も書いていません。
典礼文の中身について話題を変えたのは明らかに匿名さんです。
その後も匿名さんは私のコメントを読まずに見てキーワードで反応するだけになり、最終的に以下のようなやり取りになりました。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-06 05:35 x
★ 匿名さま、何度も同じ文章をおそれいります。
それでもトリエントミサ以前の典礼様式なんですよ。
教皇さまの司式ミサは戻りすぎだったのです。
どうして典礼文にのみばかりこだわりますか?
たとえ典礼文が1970年の改訂版だとしても元は1570年以前のものを
改めたもの
であり、2008年1月13日の典礼様式は1570年以前に
基づくもの
です。
この拙文 ↑ に対し、匿名さんから以下の返答が送信されました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 08:18 x
ま・ここっと様
(繰り返しですが)
>それでもトリエントミサ以前の典礼様式なんですよ。
★「トリエントミサ以前から続いてきた様式」とは、
司祭が背面祭壇の方を向いて=会衆に背を向けて
ミサをささげること、を指しています。
司祭の向き(立つ姿勢、祈る方向)が、
「トリエントミサ以前から続いてきた様式」なのです。
そして、使われているローマ・ミサ典礼書は、
「パウロ6世によって公布されたローマミサ典礼書」なのです。
¢( ・_・) エェエエト?
このエントリーの冒頭に戻ると匿名さんが引き合いに出したあてくしの拙文
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。
何か、どこか、間違っていますか?
結果として今回のやり取りを振り返ると9日間にも渡ってインネンつけられたような嫌な気分になります。しかも、匿名さんは最後のコメントで「では、良い四旬節をお過ごしくださいね。」で
あ ば よ っ っ !
これ、電脳界で言うところの釣り?それともヨソのステージで踊り疲れて、イイ汗かいての退散ですか?床に落ちた脂や汗水を拭くのは私の仕事だと? 
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↑ 14世紀に作られた手書によるローマ典礼書  Missel Romain


何度も匿名さんとのコメントのやりとりで「パウロ6世が定めた典礼文」について拘って書き続けられる理由を尋ねましたが、まったく返答がありませんでした。いったい何が匿名さんの目的だったのでしょうか?ご本人が
Commented by 匿名 at 2009-03-06 04:59 x
私の目的は〝事実の確認のみ〟です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
とコメントを残してらっさいますが、私は2月26日の段階で匿名さんに、
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 00:36 x
私はL'Osservatore Romano 紙の記事で、その説明を読みましたが
違うのですか。訂正を私が貴殿の指摘のみで勝手にしていいものでしょうか?
と書きましたし、その後も
Commented by ma_cocotte at 2009-03-05 17:20 x
★ 匿名さま、
selon la manière antique attestée universellement dans
tout l’univers chrétien (jusqu’aux prétendues réformes
de Martin Luther qui a voulu célébrer sa cène face au peuple).

・・・・_| ̄|○  まー、いいや。
匿名さんとOR紙で話し合ってください。
等等、私は何度も繰り返しています。が、こんな返答も匿名さんからいただきました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 01:10 x

ま・ここっと様
>匿名さんとOR紙で話し合ってください。
そんな必要はありません。
なんぢゃあ、こりゃあ??確認しないのぉ? 
きょうのきょうまで匿名さんのIPアドレスのみがわかっても、匿名さんの性別もわからなければ、匿名さんがカトリック聖職者なのか、キリスト教神学者なのか、カトリックに関わる修道者なのか、神学生なのか、還俗者なのか、世俗なのか、世俗でも末席なのか、教導資格があるのか、典礼委員長や教会役員に選出されるほどの立場なのか、それともFSSPXのミサに通う方なのか、カトリックとFSSPXの両股かけなのか、私もこの場に集う読者も何も匿名さんについてわからないまま、私がこの電脳上の公衆で
そうですね、
あなたがおっしゃることは正しいです。
と返答できるでしょうか?しかも典礼書の内容、中身については私の独断で正誤判断できるレベルではありませんよ。匿名さんから私に「典礼書の厚さでわかるでしょう?イタリア語の典礼を耳にすればパウロ6世ミサの典礼文だってわかるでしょう?」とまで圧されたけれど、
わかるわけないぢゃん。(*´Д`)=3
おそらく匿名さんは祭壇の向こうに立つことのない私に、祭壇の向こうについての私の知識における正誤を確認して、公衆に知らしめたかっただけだったんだよねぇ。カト的空回りとはこのこと。
言い返せるのなら、舞台の小道具のように分厚い典礼書の中身が真っ白の紙でも祭壇の手前の立場の私には構いません。メアクルパを唱える時に3度胸をたたくのはパウロ6世ミサのみの所作であっても、教皇庁や世間がウヰリアムソン師の件で使用している Mea Culpa という単語の意味はなんら変わりません。辞書で Mea Culpa を引いたとしても「Mea =私の、Culpa=過ち」であって「Mea Culpa : 胸を3回叩く動作」なんて書いてありません。いつ、どこで教皇庁がウヰリアムソン師に典礼所作と典礼文丸暗記という課題を達成すれば無罪放免にするなんて公布し、それを世間の一般全国紙が取り上げて騒いだのでしょう?ご自分の知識を拙ブログで披露することに懸命になり、元の話からご自分の語りたい話題に摩り替えるのもここまで来るといかがなものか・・・つうか、そんなことをしたい匿名さんの目的は何でしょう?
...これで、もし匿名さんが世俗の女性でしたら?
_| ̄|○  なんておそろしい。四旬節だからこんなことがアリエルなのねん。

ここで、各新聞が教皇さまの背面ミサがトリエント典礼ではないことを証明するのに懸命だった理由が何であるか触れてみましょう。

2007年7月7日のモツ・プロプリオについてカトリック新聞紙上で、某カトリック修道会の日本人修道司祭の説明文が掲載された内容を私も友人を通じて拝読することができました。が、その内容は仏蘭西国内の報道で流れた背景とまったく違いました。カトリック新聞の記事には「トリエントのミサが認められるのは『聖ピオ十世会』のような人たちのためです。」(原文のまま)とありましたが、そんな理由は欧州では微塵も流れませんでした。だって、2007年7月7日以前に教区はじめ教区長から認可がおりた複数の修道会聖堂でトリエントミサは絶え間なくあげられていたのですから。
欧州の大地で語られた2007年モツ・プロプリオ発布の経緯は第二次世界大戦終了から63年が過ぎ、背面ミサが目に入っただけで、グレゴリオ聖歌が耳に届いただけでトラウマに苦しむユダヤ人世代の多くがこの世を去ったこと、教皇JPIIが異教の方々に謝罪の行脚を続けられたことの結果としてトリエントのミサをおこなう条件を緩やかにできると見計らったこその実現であるということでした。この裏事情説明が報道で流れたのは2007年はじめで、モツ・プロプリオ公布の半年近く前です。終戦後まもなく欧州各国に帰還したユダヤ系の方々がいろいろと訴訟を起こす際に、トリエントミサなどを絡めて賠償を求めることも続いていたのです。「ちらりと見聞するだけで意識を失う」等。つまり典礼文の内容なんて異教徒には関係ないのです。背面ミサの様子を目にしただけで発症する心身の苦しみをカトリック教徒はわかっているのか?ということが社会問題だったのです。だから、教皇さまが2008年1月13日にシスティナ礼拝堂で背面のミサをあげた時に欧州の一般全国紙が丁寧に説明したのは、教皇さまがあげた背面ミサはトリエントミサではないということなのです。一方で1970年以降に生まれた人々には対面でなく背面のミサなのにトリエントミサではないとなると「そのミサは何というミサ?」となるし、FSSPXとこの団体の支持者が背面ミサであっても典礼が「第二ヴァチカン公会議以降に作られたパウロ6世ミサ」だから「伝統でもなければ、聖伝でもない」と噂を飛ばす可能性が高いので「教皇さまがあげた背面ミサがローマ典礼であり、この典礼は1570年以前は背面かつ現地語だったのだ」と各紙が説明しているのです。
ま、ユダヤ租界もなければ、日系ユダヤ人もユダヤ系日本人もいない日本國にはまったく関係ありませんね。はい。
欧州における第二次大戦終結は1944年5月8日、第二ヴァチカン公会議開催は1962年10月11日。嘘か真か、この18年と5か月3日の間、宗教を越えて世界の平和を考えたからこそローマ典礼がパウロ6世ミサという名で400年ぶりに陽の目を見たとも語られていたりします。果たしてパウロ6世ミサの制定は「ユダヤ人のせい」でしょうか?近代史を涼やかに振り返ればカトリックが第二次大戦以前のように自我を張れない事情があるとしか見えないし、報道で流れたように背面ミサを垣間見ただけでスイッチが入ってしまう方々が21世紀に入りほとんどが帰天していること、JPIIが在位中に先頭になって続けられた償いあってこそトリエントミサの認可手順が緩和されたという事情は私個人はわからなくもありません。もし第二次世界大戦なんかなかったらトリエントミサはずっと堂々と続けられていたかもしれません。
今年に入ってからのFSSPX 関連の話で、教皇さまが4司教破門解除は教会一致までの長い道程の中での一基点をひとつ置いたに過ぎないとおっしゃっていること、本当にそうだと思います。起点ではなく基点です。

拙ブログなんかで自己知識の披露に懸命だった匿名さんより、OR紙や一般全国紙の編集者の方がよっぽどカトリック教会にも、異教徒にも、一般社会にも気遣った記事を提供しています。どうやら「自己の平和」と「自己の満足」は必ずしも同じではありません。
自己が不満足になると予想しても、
世の平和のためにできることを個人がする
今回の件で身に沁みてよくわかりました、まる

le 7 mars 2009, Félicité
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by ma_cocotte | 2009-03-07 17:18 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
この一年、生きてこれた、生きていられた。
2月24日になってしまいました。
きょうは私が生まれてはじめて迎える私の母の祥月命日です。
本当なら一周忌で帰宅するのでしょうけれど、母の場合、私の父方の実家の墓所工事を昨夏行ったこともあり、納骨が9月の彼岸に行われ、その際、お寺さんの承諾の下、一周忌の法要も共に済ませていただいたのでした。

この一年、私は生まれてはじめて母無しに生きました。
なんとはなしに母からすぐお迎えが来ちゃうンぢゃないかな、と内心思っていました。でも、来ませんでしたね。天国で退屈な思いをしていないのか、天国から眺める一人娘の生き様があまりに面白いのか。
既に私は実家を出て10年になり、昨年2008年2月24日まで母と一年以上会わなかったことは数度あります。でも、間に海や川があっても同じ地球の上、大地でつながったどこかに母が「いる」、母の「存在」を確信できる、たとえ母が言葉さえ思うように発せず、経管栄養だけで生きているだけの「存在」でも娘にとっての母は心のビタミン、栄養でありました。そりゃそうですよね、自分がこの世に飛び出るまでの毎日、母から栄養をもらって既に育てられていたのですから。でも、その母を今はいくら地球を何周まわったところ見つけられません。お墓の下に母の存在の証となる燃えカスが収まっていることはわかっちゃいます。でも、その存在の中にあった魂までが燃えて昇華してしまったとは私には思えません。母の存在と言う栄養剤を欠いても、私がこうして今も母から呼ばれることもなく生きているのは、母の死を通してヒトがこの世に生かされていることを何とはなく悟ったからかもしれません。

母無しのこの一年、母を亡くしただけでなく私にも喜怒哀苦楽いろいろありました。でも、私が自ら「すぐ死にたい」と思うことはありませんでした。昨年2度の帰国で、複数の友人、知人から「人生はこの世ですべてが終わり、死の後は無なのだ」という考えも聞きました。それならそれで、私が今生きている地球は美しい星なのでできるだけ長くこの世に生きて愛でたいと、我が身に纏わり着く世知辛いことは横に置いて素直にそう思うのです。

子供がいない私だからこんな風に思えるのでしょうか。母が亡くなったところで、子供がいれば「いつ呼ばれても、ま、いっか?」なんて微塵も思わず、「これからはこの子のために生きよう」と自分の立場を置換できますか。ただ、「いつ呼ばれてもいいや」と内心思いつつも、その日を迎えるためにはそれなりの物心両方の準備がいるようにも思えるので「今すぐ呼ばれちゃうのはちょと困るかも」と私の心が死に対してもぢもぢしていたりもしています。そんな自分の心の中の葛藤が面白くもあります。
生きぃているから悩むんだ。
掌を太陽に透かして見れば、真っ赤に流れるボクの血潮~♪
これからの私の余生は死ぬための準備をするためにあるのかなあ、擦り傷をおえば赤い血が出る私の手もその準備のために必要なんだね、たぶん。どうせ塵に戻るんだから、親からもらったこの身体を使わなくっちゃ。

この一年、母の死を通してたくさんたくさん学んだこと、知ったことがあり、私にとってのきょう2月24日は一周忌というより一周愛です。母が「親が死なないとわからないことがある」と、私と口論になるたびに言っていましたが、それはきっと、何より愛ですね。一年経って母の愛、友からの愛、私が受け止められないほどいただいていることを実感しています。このいただいたたくさんの愛を私も分けていきましょう。
数日前、田口芳五郎 という方が生前に残されたこんな言葉を見つけました。
私が今日あるのは、母の祈りです。
ああ、ああ、本当にそうです。私もそう。
母が毎朝晩かかさずお仏壇に手を合わせていたことを思い出しました。

le 24 février 2009, Isabelle
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by ma_cocotte | 2009-02-24 18:56 | 『?』なたわ言 | Comments(11)
なんとなく特別な週末を迎えた。
2009年2月22日。
なんとなく特別な週末を迎えた。お仏蘭西的には日曜日は週明けなんだけど。
というのも、二日後24日に私の母のはじめての祥月命日を迎えるが、2008年2月23日は土曜日でまもなく日付が代わる時刻に突然電話がなって父から母が他界した旨の知らせを聞いたのだ。涙なんか微塵も出なかった。翌週の水曜日の飛行機で帰国することが決まっていたから木曜日の午後に帰宅すると父親に話したら「何、言ってるんだ!?」と怒鳴られたことも覚えている。電話を切った直後から空だか宙を浮いたような感覚の中に私は入ってしまい、こんぴーたの前で航空会社の連絡先を探したり、それがうまくできずにとりあえず横になったり、明け方には妙な寝汗で目が覚め、再び机の前に行き、と。横になろうが直立だろうが私はウトウトと、まさにそういう感覚の中にいたと思う。後になって私が妙な寝汗で不快感を感じた同時刻に母が脳を献体するために手術台の上にいたことも知った。偶然ですけれどね。
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ココんちの仏蘭西びと♂がおそらく洗礼を受けた洗礼台。現在はまったく使われていないようだ。

夜が明けて、その日は日曜日だったからココんちの仏蘭西びと♂と一緒に教会に行った。その教会は彼が生後まもなく幼児洗礼をいただいた教会で、私たち二人が婚姻の秘跡というものをいただいた教会でもあるから、彼は教会に着くなりまっすぐ香部屋に飛び込んでその日の司式司祭に私の母が亡くなったことを告げた。すると、その神父さまが私の母の名前を尋ねてきたので、彼が私の母が異教徒であることを話したが、その神父さまはそんなことは構わないから教えなさい、と彼にびしっとおっしゃったそうだ。そんなことを私は宙だか空の中にいたので何も知らず、ミサが始まってしばらくして聖人名でもない私の母の名に「-さん」がくっついて読み上げられた時には驚いたし、不謹慎にもちょっと「さん付け」に笑ってしまった。異教徒なのに母の名を読み上げ、そのミサに参列した人々が皆、一瞬でも遠い異国の異教徒の母のためにまで祈ってくれたこと、いくら感謝しても感謝しきれなかったりする。

今月はじめ、8日だったと思う。
この昨年2月24日、おそらく世界中で最初に母の死を思い祈ってくださった神父さまが2月2日に帰天され、5日に既に密葬が済んでいたことを知った。自分が情けなくなった。10,000kmも離れた日本で死んだ母の通夜にも葬儀にも私は出席できたのに、同じ市内に住む一司祭の葬儀にも出られず、彼の帰天を知った時に彼は既に土の下だった。再び自分が空の中に誘われたかのような感覚に襲われた。この神父さまと同じ司祭館に昨年9月まで共に住んでいた助任司祭からこの神父さまががんらしいということは2週間ほど前に聞いており、それなりの覚悟を私もしてはいたが、まさか入院後たった3週で帰天されるとは。後日、同じ助任司祭から聞いた話では腎臓癌の末期だったそうだ。この神父さまは定年を数年後に控え、昨年9月に長年住み慣れた小教区教会から地元の公立病院付司祭として異動になった。異動後たった5か月での帰天というのも何か意味があるように思えたりもする。

私は教区司祭の埋葬についてまったく知らないのだが、彼が所属した教区HPや訃報が掲載された新聞HPなどをインターネットで確かめて、彼が生まれ故郷の小さな墓地に葬られたことを知った。苗字に「ド de」が付く方だったから、どうも一族の墓所で永遠の眠りに付いたようだ(↓)。
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2月14日、前々から予定していた訪問先に行く途中、その墓所に寄ってみた。数百年前までは獣道でそこにアスファルトをしいただけのような道を抜けた向こうにある山間の小村の小さな墓地。その真ん中に彼と同じ苗字の墓石がいくつかあった。大きな新しい墓石の側面には複数の人物の名前が掘り込まれていたけれど、その中に1885年生まれで名前の前の敬称にラベ L'Abbé (=司祭、修道院長)が付いた人がおり、もしかしたら私たちの教会婚直後に司祭館でアペリティフの準備をしてくださったこの神父さまがアジア顔の私に気をつかわれて話してくださった南アジアに渡ったことがあるイエズス会宣教師だった叔父上のことではないかと想像した。が、苗字にド de が付く子沢山の家ではひとりや二人、司祭や修道者が出るのもついこの間までの仏蘭西の伝統だったので多分私が思いついたことはハズレだろう。イエズス会修道司祭なら一族の墓所ではなくイエズス会の墓に入るだろうしね。
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この神父さま、ドつきの出自にもかかわらず、もろ1968思想のカトリック司祭で伝統軽視はもちろん、信心業を全て否定していた司祭だった。昨年夏に前出の助任司祭から漏れ聞いた話ではこの神父さまがこういう思想なのに、兄弟姉妹のうち数名がFSSPX の礼拝に通っているらしいとのこと。同じ一族なのにね、そういう分裂を招いているのも仏蘭西共和国内の其処此処彼処にゴロゴロ転がっている家庭内問題だったりもする。私個人はカトリックの学校で見聞してきたカトリック的信仰生活とこの神父さまが自他共に実践していることにあまりにもギャップがありすぎて付いていけなかったけれど、そんな伝統を軽んじるこの神父さまが聖櫃に向かって挨拶する時の所作の美しさ、典礼準備のために集った若者たちの前で聖書朗読と解釈について指導する際の眼光の鋭さなど我が脳に焼き付いてしまい忘れることができない。幼い頃から身にしみこませた習慣や所作を成人してから選り好んだ思想で自分から消し去ることはできなかったのだと思う。

1968年に絡む思想について天においての真贋やら善悪は私にはまったくわからないし、まさに天に委ねるべきことだろう。何から何まで思考の一致がないのは親子関係でも同じこと。日本から離れて住む私には両親とほぼ同世代のこの神父さまが「私のパパ」でもあった。なんか理由はないけどそう決めていた。今の私にとってこの神父さまがこの新天地で一番最初に異教の名前である私の名前をしっかり覚えてくださったこと、一昨年のノエルの準備に参加してくれたアフリカ系移民の母息子がおり、その息子の名前がクリスタムール Christ-Amour (=キリスト-愛)と聞くなり二人で目を合わせて感動を分かち合ったこと(私は内心、学校でいじめに合わないか心配になった)、いつも笑顔で私のほっぺに優しくビズしてくださったこと、・・・そういうことばかり思い出しては感謝するばかりだ。お葬式には行けなかったけれど墓参できただけでも良かった。メソメソしている私にココんちの仏蘭西びと♂は、今は天国で私の母がこの神父さまに最初に祈りを捧げてくれたことや私に優しくしてくださったことに礼を述べているよ、と慰めてくれる。それが本当だといいな。だけど、まだ私の心のどこかでは一年前に母を祈りで見送ってくださった方が土の下というのはどこか割り切れないままでいる。

母は24という数字がつく日に亡くなり、カトリックの典礼暦だと24の付く日は重要な祭日であることが多い。一周忌にあたる今年の2月24日は偶然にも仏蘭西ではMardi Gras マルディグラ(=脂の火曜日)という日で世界中のカトリックが復活祭の準備のための節制に入る日(Cendres、=灰の水曜日)の前日だ。今ではハロウヰンというエイメリカのお祭り騒ぎに圧されてしまったけれど、本当ならこのマルディグラに仏蘭西のお子たちはお菓子をもらうために町内を仮想して練り歩くのだ。もし母が生きていたら、かわいい子供たちのためにたくさんのお菓子を準備したことだろう。私の友達が実家に遊びに来るたびに、帰り際に大きな紙袋を渡して「ほら、広げて」とジェスチャーしつつ、その袋の中にたくさんお菓子や果物を入れて楽しそうだった母を思い出す。今朝、父からの電話で一周忌を前にいただいたものをお仏壇に捧げたという話をもらった。もう母は永遠にお腹の空くことのないどこかにいるはずなのに。


ちょっとだけ、センチ。


le 22 février 2009, Isabelle

ココらへんは冬休みに入りました。春は近い。
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by ma_cocotte | 2009-02-22 18:13 | 『?』なたわ言 | Comments(15)
この絵を見て脳に描いたことを言葉で表して絵に描いてみてください。
こちら ↓ 、ココんちの近所の教会の壁画です。
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この絵を見て、どのような物語を思い描くのでしょう?

こちら ↓ 、ルルドで見つけたこのモザイク画ではどんなお話が思い浮かびましたか?
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一枚目の壁画で左下で両手を広げているムッシュウと、二枚目のモザイクで右上の端っこでお手手を合わせてナームゥなフランケンシュタイン親父はどうも同一人物であり、ラザロ(仏蘭西語だと Lazare ラザール)という名前です。

おそらくどちらの画家さんも、新約聖書ヨハネ福音の11章の1節から44節を読んで絵にしてくれ、と教会のエラいヒトに頼まれて、自身の妄想、いや、想像で 一目でわかる長いお話 を表現されたのだと思います。一枚目の絵はこの教会聖堂を寄付したナポレオン三世が画家に依頼したのかもしれませんが。

話戻って、ラザロさんですが、私の手元にあるフェデリコ・バルバロ訳新約聖書(ドン・ボスコ社、1973年、第27版)によりますと、いえっさんがベタニアという町に着いた時、このラザロさんはお墓に納められて既に4日目だったそうで、家族や友人がその死を悲しんでおいおい泣いているのを見たいえっさんが墓参りがてら、墓石を取り除けるようおっしゃったと。すると、ラザロんの家族であるマルタちゃんがいえっさんに
四日も経っていますから、臭くなってますよ。
と、妙にリアルな発言をしたのです。ま、ニオいに敏感な私ならそこで「あなた、やってよ」と誰かに頼んで野次馬にまわりますが、いえっさんはマルタちゃんに「あなたが信じるならイイもん見せるって言ったぢゃん?」なーんて言ってマルタちゃんに墓石を動かさせ、
b0070127_21493932.gif ラザロ、かっもーん 
と、いえっさんが墓穴に向かって一声かけられたら、ラザロんが「Rebonjour à tous! 四日間のご無沙汰でした」と墓穴から出て来たんですってよ、奥さーん。

・・・・となりますと、バルバロ訳に近いのは一枚目の大きな壁画より二枚目のモザイク画の小さな絵でしょうか。なんでタイ風の挨拶でいえっさんに呼ばれて墓穴からぢゃぢゃぢゃぢゃーんなんだかわからないけれど、画家さんはそう想像し表したのでしょう。聖書には「ラザロが手を合わせて出て来た」なんて一言も書いてないけどさ。それより、
臭かったのかなあ・・・そこが知りたい。
この事件が現場で起こったのは今から2000年近く前のことで残念ながら現在、目撃者は誰も生存していません。記録文書を読んで各自が絵で表現すれば明らかな違いが出、そっくり同じだと盗作騒ぎやら没個性批判が起こりかねません。逆にこの一枚の絵を見て自分が思い描いたストーリーを言葉や文章に変えた場合、聖書とズレが生じたならば「ヨハネ11章、開いて読んでみまっし」と妄想と記録の違いを確認できます。そして、その違いを確認した本人に「絵で表現して」と頼めば、これまた新しい一枚の絵がこの世に誕生します。

そんなわけで、現場の目撃者が見たもののみが真実で、その目撃者が見たものを言葉で表現したらそれはもう目撃者の個性がその言の葉の中に含まれているのです。同じ文章を読んで脳裏に広げた世界についての表現を見聞して、どれが正しいか正しくないか?結局のところ、各自の想像力の真贋や、その言葉を発するヒトへの信頼を問うているに過ぎないのかもしれません。実際の事実は現場にいた者が知るのみなのだのだ。臭いについてはまさにそう。
あああ、その場にいなくて残念でした、っとぃ。
いや、その場にいなかったのも神のみ旨なのさ。← 赤のラッションペンで、はなまる。

le 10 février 2009, Arnaud
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by ma_cocotte | 2009-02-10 21:21 | 『?』なたわ言 | Comments(21)
開けたいけれど、
開けられない。
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なぜなら、こんなに愛らしく包まれたモノをほぐす気持になれないのです。
日本國に住んでいた頃ならば丁寧な包みは私には当たり前で、時に破り開け、リボンや包装紙をポイっとゴミ箱に捨てました。でも、今の私にはリボンも包装紙も貴重で、ましてこのように丁寧に美しくおめかしした物体はそのものが私には飾り物です。

実はこの包み。昨年末、クリスマス直前に近所のBIOショップで私が私のために買い物したのに、店員さんからこんな時季でせっかくなので包ませて欲しいとせがまれ、私がそれを聞き入れたことで、このような仏蘭西のド田舎のド庶民生活では滅多にお目にかかれない貴重な包みがココんちにやって来たのでした。

確か中学時代の公民の授業と記憶していますが、紙の価値について習いました。特に各国の紙幣を見ればその国の紙の価値と貧富の程がわかる、と。仏蘭西では今も庶民の生活で普通に見るお札は50ユーロ以下のお札でしょうか。その50ユーロのお札さえ、何の気なしに店員さんに渡すと真偽のほどを確かめられたり、時には拒まれたりもします。自分はお札を丁寧に扱っているつもりでも、買い物の釣銭でセロハンテープでつなげた5ユーロ札が手渡されることもあります。日本びとの私はそれを受け取ったところで、別のところで使用を拒まれそうな気がして、この運命に憂鬱になることもあります。日本國のお札がここまでヨレヨレだったりセロテープでつなげられた状態で動いていることは滅多にないと思います。
こんなヨレヨレの怪しい紙幣が出回ったり、価値のあるお札を手に取ったら真偽を疑われたりする国で、文房具売り場にふらっと行けばノートにしろ、コピー用紙にしろ日本の同等のデザインのものに比べたらべらぼうに高いことも実感します。かわいい!なんて思わず叫んで手に取れるようなデザインなんてまずなくて、実用的なスタビロ(蛍光ペン)が日本びとの視覚にはたまたまかわいいツボにはまる程度ぢゃないでしょうか。消しゴムなんて臭いをかいぢゃダメよ。

そんな仏蘭西共和国ですから、日本びととサルコぢ一家が喜んで飛び込むような高級店以外で紙を惜しげなく使った包装なんてしていただけることは滅多にございません。てか、店員もそんなことは「私の仕事から外れたこと」という意識が強かったりします。こちらが買ったものはビニール袋にポン!と買った私が入れることさえございます。ほんと、時節柄、店員さんご本人にモチベーションがない限り、こんな「お包みしましょうか?ぜひ私に包ませてください」なんて申し出はありえなーい。

でも、こうして仏蘭西の日常から物資が豊か過ぎるわが母国日本國について私なりにわかることができたこともこういう時代だからこそ幸運、好運なのかもしれません。先日も外国滞在者向け通販で買い物をし、丁寧に梱包された商品が日本からココんちに届きましたが、上質のダンボールも封筒も、商品を守るために包んだパッキンや発泡スチロールも今の私には宝石のように見えます。こちらでは簡単に手に入らないものなので、折りたたんで、いつか私から何か発送する時に使えるよう押入れにしまいました。
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1月も16日。早くも半月を過ぎたので、いい加減、リボンをほぐしてパッケージを開けた方がいいですね。仏蘭西びとみたいにビリビリなんて私にはできないや。
そんなことを思いつつ、リビングのクリスマスの飾りつけの片づけをしました。

le 16 janvier 2009, Marcel
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by ma_cocotte | 2009-01-16 18:52 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
シベリアからの突風
きょうの朝は風の音で目が覚めました。
南仏に住んでいた頃はしっかり閉めた鎧戸をいとも簡単に開けるほどのミストラルという北西風に慣れていたものの、ココ新天地に引っ越してからは久しぶりにうなるような風の音を聞きました。
今朝の天気予報によりますと、この風、シベリアからの吹き降ろしだそうです。この勢いだと大西洋を越えてエイメリカ大陸に届いてしまいそう。そんなシベリアからの風に大地を舐められつつ、2009年1月3日、私の誕生日を迎えました。

母が昨年2月24日にこの世を去ったことで、この新年は祝詞を述べられないもどかしさを感じつつ「今年もどうぞおよろしく」ばかり繰り返している私です。きょうの誕生日も自分を産んでくれた母に感謝するだけにして、私のための特別なことは何もしないことに決めました。
去年のきょうを振り返ると、母は居間に置かれた介護用ベッドで寝たきりでした。自分で話すことも、自分で食べることもできませんでした。でも、心で思ったことは母ができるなりに表現してはいました(声色が変わったり)。父は母のベッドのそばで新年一番のお酒を口にしたらしいですが、今年は同じ居間にベッドはなく、去年はなかった真新しい家具風仏壇が置かれました。もう動けなくて、犬猫より表現力も乏しくなっていた母ですが、そこにいるだけでやっぱり違うもので、体温を持ち、胸に耳を寄せれば心臓の音が聞こえる・・・そういう存在のいとおしさはこうして失って実感もできるのだといい年こいてわかったような気がしている今年の1月3日なのでした。

====== 十 ======

私、死に損ないで産まれました。
本当の出産予定日は1月4日だったそうです。新年が明けて、母の父が自転車でふらーっと私の実家にやって来たところ、玄関先で陽光浴びながらぼけーっとしている母を見つけたそうで、どうも破水らしきものが始まっていたらしい。そのままタクシーを呼んで、お世話になっていた産院に。ところが、どうも臍の緒なるものが三重にも私の首に巻かれており、「かんし」というものを使って私の両こめかみを押さえて引っ張る形での出産となり、母の肉体も健康が万全というわけではなかったので、母子危険とみなされて父が分娩室に証人として入ることになったそうです。
引っ張り出された私はしばらく泣きもしなかったそうですが、それでも3100gでしたから、小柄でガリガリだった母には大きすぎたベイビィでもあったのでしょうね。私が生まれる一年ちょっと前に両親は初めて授かった赤ん坊を早産ゆえに生後3日目にして失ってもいたので、月満ちて生まれ出た私であっても果たしてどこまで生きるのかも疑心暗鬼だったようです。

私も母の胎から出たせいか、子供の頃は親に面倒ばかりかける子で、特に健康面では高熱やらぐったりやらで医院に運ばれたり、逆に看護婦さんを伴った医師が往診してくれたり。こういうことは私自身、忘れなかったりします。話がそれちゃいますが、昔はお医者さまと看護婦さんが自転車を漕いで往診にいらしてくださったりしましたね。

どこか弱くて、かろうじて一月第三日目生まれの私はそれから早生まれの子供としてどこか贔屓目、かばわれながら大きくなりました。学校生活においても1月から3月生まれの子は「小さくてかわいい子」のような扱いをされていたりもしましたね。幼稚園に入ってすぐは3月生まれの同級生はまだおしめをつけたままだったりして、それも「早生まれだから」と頭の悪さも運動音痴も大目に甘く見られていたような記憶があります。

ところが、仏蘭西に住むようになったら、1月3日生まれの立場は大きく代わり、学年で第三日目に早く生まれた子供扱いになります。後に続く残り362日の間に生まれた子よりも誰よりも大きくて、誰よりも強い子です。仏蘭西の新年祝いは元旦のみで翌2日から平常ですので、三が日生まれの子としてめでたがられることもありません。教室には必ずしも1月1日生まれの子はいないでしょうから、1月3日に生まれたあなたは時にクラスの大将でしょ?みたいな扱いが仏蘭西。このギャップ、日本國で生まれ育った自分には時につらかったりします。仏蘭西は中華思想の、時や場合によっては傲慢思想国だから、東の果ての哀れな国の風土や教育事情なんぞ説明したところで聞く耳も理解する気持も持ってくれなかったりします。日本の学年と誕生日の関係も、日本の新学年が4月に始まることも元は欧米化をなかなか受け入れなかった蛮國だからという偏見。こういう点、本当におフランスの悪いところですよ。田舎に住めば住むほどこういう偏見がまかり通っているのも事実です。

昨日、ラシダ・ダチ Rachida Dati 女史(現共和国法務大臣)が女児を出産したことが速報で流れました。一夜明けたきょう、ゾラ Zohra と命名されたことも明らかになりました。賢愚帝サルコぢ一世が再再婚する直前までラシダ・ダチ女史はサルコぢの愛人という噂もあり、こうして43歳にしての初産ですが、実はラシダ・ダチ女史は独身、加えて独居で、妊娠が公表されても父親が明らかになっていないままです。これ、日本では「あり」なマジョリティな話かもしれませんが、仏蘭西だとこういうことは「あり」であってもマイノリティな話です。仏蘭西の場合、婚姻前出産が50%を超えたことが昨年だったか発表されましたが、両親が婚姻してようがなかろうが、別居していようが、父親が認知して自分の苗字を与えるのが マジョリティ だったりします(例えばドパルデュとキャロル・ブケの間の子も、ヂャニアリデの長女も、ソフィ・マルソの長男もそうやね)。近年、籍を作るにあたり父親の名前が登録されない共和国民が都会であればあるほど増えているのも事実です。えと、つまり、ラシダちゃんの女児もそのお仲間に入ることになるのかもしれません。ゾラちゃんの苗字がダチ Dati でしたら、そゆこと。=父親の認知なしっす。(註:仏蘭西の場合、子供に父母両方の苗字を与えることが可能です。ハイフンでつなげ、苗字の羅列の順番は親の自由です)

ラシダ・ダチ女史も賢愚帝サルコぢ一世が栄華を極めるために選んだコマのひとつでして、彼女は両親がマグレブ出身のイスラーム教徒の移民二世、弟は悪いことして共和国内で裁判係争中だけど、立派に学業を修めた彼女個人はこうして法務大臣にまでなれたんだよー、と移民出身の共和国民にアピールされた「希望の星」のひとりなのです。ラシダちゃんの高級ブランド好きもつとに有名。ほんの数ヶ月だけ独身だった賢愚帝のモロッコ訪問にもラシダちゃんはパートナーとして同行し、モロッコは自分の父親の出身国でイスラームが国教だって頭の良いラシダちゃんなら重々わかってンのに、賢愚帝が世界にアピールしたい徹底政教分離のお立場を助けるがごとく、ご自分の両肩をもろに出し、身体の線がわかるほどの朱色のあでやかなドレスでモロッコ国王主催の晩餐会にご出席あそばされた。中華思想のお仏蘭西の法務大臣だから訪問国の慣習も重んじられなくなっちゃったんでしょうかね?私には挑発行為に見えましたけれど。
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AFP PHOTO/GERARD CERLES

ほんと、今振り返っても、ありゃ、不思議だった。そして昨年、妊娠が発覚して、父親は秘められたまま、中絶もせず、ラシダちゃんは臨月であっても公務に元気よく出席し、1月2日にひとりの「共和国の宝=未来の納税者」を出産、シングルマザーとなりました。天晴れでんな。きょうびお仏蘭西の女性はこうでなければならないという見本と手本をラシダさま自らがお示しあそばされたのです。

で、お仏蘭西ですが、出産日を医師と親が計画する自由があります。
ラシダちゃんはなぜ1月2日を選んだのでしょう?ね?

3年後には義務付けられている公教育において、クラスで一番の年長となる移民三世の、イスラームの名前を持つ女児がこうしてラシダちゃんの胎から出たのです。
ラシダちゃん、大したもんですわ、はい。
これぞ、ラシダちゃんに天が与えたもうたミッションなんて傲慢話が流れるのも時間の問題かなあ。


le 3 janvier 2009, Geneviève

【既に、例えば、こんな記事。】
Portrait : Rachida Dati, ministre et jeune maman:NOUVELOBS.COM
Rachida Dati a accouché d'une petite fille

..............はぁあああああ。
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by ma_cocotte | 2009-01-03 19:37 | 『?』なたわ言 | Comments(28)
去るのは、わたくし。
2009年は丑年だそうで。

今は昔、2004年12月3日。
マルセイユは6区、ユダヤん商業区近くで見つけた牛、うし、ウシ、うっしっし。
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ヒトが作ったウシですし、ショウウインドウの向こうですもの。
臭くありません。


一寸先は闇。
今のココんちの東100m先の牛たち。
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整髪したスコットランド牛みたいな牛です。
よーく目を凝らすとはるか向こうに環状道路を走る車たちが見えます。この道路の近くには白黒のホルスタインがいつものんびりしています。


そして、ココんちとは旧市街を挟んで反対側の遊歩道の水辺で会う牛たち。
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たぶんシャロレ Charolais 牛。食用牛です。本当に美味ですが、こういう姿を見てしまうと食べられなくなりもす。


ココんち近所のウシも、ココんちから旧市街挟んで向こうのウシも神さまが作ったウシですから臭いです。風向きによってはココんちまで天然の田園の香り smell of country が届いたりもします。私の友人、英國びとは田園の香りが良い香りだと言います。一緒に北イングランドとスコットランドを旅した時、車窓から入るアノ臭いに鼻が気付いた途端、彼女は深く吸い込みました。「ああ、いい香り」と言いながら。私にとってアノ牛馬羊の臭いはたとえ飼い葉の香りが混ざっても匂いではなく臭いであり、深く吸い込む気持にはさらさらなれません。今も、いつも、おそらく残りの人生においてでも、です。けれど、この臭いを自分の知覚に届かないようにと空まで届く壁やら覆いなんてヒトには作れません。

仏蘭西の街づくりは基本的に旧市街から同心円状に広がっていく形です。同心円と同心円の外円の間は森であり、林であり、草原で、たいていは農作物を作る畑と放牧地になっています。ほら、モン・サン・ミシェル。あそこはモン・サン・ミッシェルの同心円と隣町の同心円の間が潮の満ち引きが激しい海沼があり、羊が放牧されていることで有名です。大西洋の海水で育った雑草を食んで育った、このモン・サン・ミシェル手前の沼地の羊の肉はこの上なく美味なのだそう。

話し戻って、ココんちはまさしく或る市の最も外円にあるのでたった100mほど先に赤毛のウシがぼーっといたりするのです。南の獣道の突き当りには猟犬の訓練所があり、南西の草原にはロバがいます。道路にはしばしば車にはねられたハリモグラが転がっていたりもします。風向きでどうしたって神の創造物の落し物やら体臭が届いてしまうし、犬の切ない遠吠えが耳に入っても来ます。春も過ぎれば周りは草原だから気持悪いほどのかたつむりがそこら中にうぢょうぢょとなります。一番外円だったココんちの先に家が二軒建ったし、なんと牛の放牧地のまん前にも小さなおうちが10軒近く建ちました。放牧地のまん前だと知って買ったり借りたりするのでしょうけれど、ココんちの場合は800kmも遠くから近所の様子も知らぬままココに引っ越してしまいました。今更不満を持ったところで、先住権というものがあるのなら引っ越すのは私ですね。

南仏にいた頃はやかましいセミの声、プロヴァンスとかげとコオモリが地上5階のココんちによく入り込んだものです。ああ、春先の数メートル連なる毛虫のパレード。あれは凄かった。

それでも、闇夜が訪れると降るほどの星を眺められます。
セミの騒音も、牛馬羊の臭いもどうやら美しい空を曇らせるものではないようです。
理想郷はこの世のどこにあるのでしょう? ...ありませんよ。
エクサンプロヴァンスに住んでいた頃、「摩天楼が見えないところに私は住めないわ」と言った渋谷のド真ん中に住む女子留学生の言葉を思い出しました。
互いに互いを哀れに思っているのか、羨んでいるのか。

le 2 janvier 2008, Basile
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by ma_cocotte | 2009-01-02 01:55 | 『?』なたわ言 | Comments(7)
なんだかなー、もー。
数日前から巷で話題のこの話題(↓)。


無責任な飼い主減らせ、自民議連が「ペット税」導入論

2008年12月28日03時14分 読売新聞

自民党の動物愛護管理推進議員連盟(会長=鳩山総務相)は、犬や猫などの飼い主に課税する「ペット税」の導入に向けた議論を近く開始する。▼動物を飼ってもすぐに捨ててしまう飼い主を減らし、ペットを取り巻く環境改善につなげる狙いがある。議連では、ペットを購入する際に一定額の税金を全国一律で課すことを想定している。▼近年、ペットの飼い主が「飼うのに飽きた」などといった安易な理由で、ペットを捨てるケースが増えている。2006年度末時点で全国の自治体に引き取られた約37万4000匹の91%が殺処分され、社会問題化している。▼環境省はペットの引き取り数を17年度末までに約21万匹に抑える方針を打ち出しているが、財政難にあえぐ自治体は十分な対策を講じる余裕がないのが現状だ。この自治体の対策費の不足分を補う財源として、ペット税が浮上した。▼ペット税の税収は、〈1〉ペットと飼い主の特定につながる鑑札や体内埋蔵型マイクロチップの普及〈2〉自治体が運営する動物収容施設の収容期間を延長するための運営費〈3〉マナー向上の啓発運動費用――などに充てる方向だ。▼議連では、「ペット税導入には、動物愛護団体からも前向きな声が寄せられている。飼い主ばかりではなく、ペット業者にも『大きく育ち過ぎたから処分してほしい』といったモラルの低下が見られるという。新税導入で殺処分減少に効果があるかどうか、検討したい」としている。



ふーん。
そこはかとなく不透明でよどんでいるように見えます。
ペット税はどこにかかるのでせうか?上の文章だと飼い主とペット業者の双方でしょうか?だとすると(生き物に対してあまり良い言葉ではありませんが)購入時に消費税のごとく扱われるもの?いろいろ検索をかけてみたら、このペット税は自動車税や固定資産税などと同様にペットの飼い主に対して課税されるものらしいです。想定されるこの課税による効果は
マナーの悪い飼い主、動物を虐待する飼い主、すぐに飽きて捨ててしまう飼い主など、こういう性質の方々は税金を払ってまで買おう、飼おうとしなくなるだろうし、逆に本当にペットのことを大事にする飼い主が多くなるだろう
だそうです。そうでしょうか。自己快楽につながるならお金払うのでは。仏蘭西のお金持ちは新車を購入し、税金を払う前に売って、新車を買ってるそう。半年単位で買い替えですってよ。そういう半年で売られた新品同様の中古車を買ったのがココんちです。それに、税金を払う義務だけでペットを大事にする飼い主が多くなるという考えも楽観すぎというか、「お金を払うこと → だから、大事にする」なんて心の貧しいヒトの発想に思えてならないンですが。税収の使用目的を見ますと、マナー向上の啓発費用とありますが、マナーとは具体的にどのようなマナーなんでしょうか?公で他人さまと揉めない基礎はマナーでしょうけれど、動物の虐待や「飽きて捨てる」というのは飼い主が生命の重さや尊さをまるでわかっていないから実行できるのではないでしょうか?ペット業者の「大きくなりすぎて(売れなくなったから)処分して欲しい」だけでなく、純血種を好む客のニーズにこたえて儲けようと考えが優先すると健常でない犬猫が出生したことですでに処分している話も漏れ聞いています。そういう動物を保健所から引き取って養子縁組している人々も日本國内にもいらっさいます。

2006年度の時点で約37万4000匹中の91%が殺処分され、2017年度までにペット引取り数を21万匹に抑えたい、などと読むと過去の『キャンプ』を連想しなくもありません。なんかハツにズキっと来ます。殺処分改善は数字の減少というより、繰り返しますが飼い主の「生命」についての意識にあると思うんだけどなあ。
仏蘭西ですが、野良犬も野良猫も警察や憲兵隊が見つけると、管轄内の動物愛護協会(La Société Protectrice des Animaux 略してSPA)に連れて行き、後はSPAにお任せになります。SPAのホームページの 養子縁組コーナー だけでなく、ココんちあたりだけかもしれませんが、国営放送地方局で毎週末のお昼の時間にこの地方の動物愛護協会であずかっている犬猫などの動物が映し出され自己紹介後、養子縁組希望の方は以下の電話番号へ!というスポット番組が流れます。決して見るからにかわいい子犬や子猫ばかりではなく、中年~老年、時に障害を持つ動物であることもあります。ココんちの一匹もSPAで引き取った猫です。

仏蘭西というかEU諸国では動物を伴ってのEU国内国境越えでも動物用パスポートとマイクロチップが既に義務となっています。ココんちの猫たちもワクチン接種の際、一度にマイクロチップ挿入をお願いしたところ割引になりましたし、マイクロチップのナンバーは農業省に登録され、証明書が後日送られてきました。が、マイクロチップは見た目ですぐわからないので内耳の刺青が見直されてもいますが、どうしても薄くなってしまうことや、数年前には捨てるために耳を切り落とされた犬が発見されたこともスキャンダールで紹介されていたことがありました。これまで共に住んでいた犬猫が邪魔になった途端「捨てよう」と思いついてしまうと、真夜中に車に乗せて自宅から遠く離れた場所に捨てるという桃太郎侍にぶった切っていただきたいようなことをするヒトもいます。

こういうことを思いつく人間、哀れです。

今月初め、東京都下にお住まいの或る著名人が野良猫に餌をあげ続け、集合住宅に住んでいることもあり、同じ建造物に住まう当人以外の9家庭が訴えたというニュウスが流れました。訴えられたご本人は 隣人が嫌がっても猫に餌を与える理由 として
猫にも『先住権』があり、餌をやらないと死んでしまう。
地球には犬も猫も小鳥も、花や植物も同じように生きている。
人間の癪に障るからといって、この世から消してよいはずがない。
とおっしゃったそうです。行を代えてみましたが、はっきりとした3つのテーマがありますよね。一行目はたまたま猫で訴えられたから猫についてのこの世の先住権を出して「食わなければ(ヒト同様)死ぬ」と。二行目はヒトや猫だけでなく他の生き物の生命が平らに等しく地球にあること。三行目は「人間の癪に障る」ことで「殺める」こと、つまり強者の弱さで弱者を殺めることに反対であることを述べてらっしゃる。三行目にドキっとしました、私。
だけど、この訴訟の話題についてたまたま猫に餌を与えているだけだったり、猫と同居しているだけで猫派という枠に押し込められ、その猫派に所属するヒトの主観が強いあまりに世間のバランスから外れているがごとくの扱いや、猫の公衆の粗相の悪さが猫嫌いの五感に響いて癪に障るので猫派はこういう人々のために自分への甘やかしを改めた方がいいという意見も見ました。日本國では野良犬はいないし、散歩も飼い主が丁寧にお掃除していることも事実です。全員かどうかは存じませんが。
一方、仏蘭西ではどうかというと公衆での犬の粗相を掃除する飼い主はまずいませんので、歩道には犬の落し物がごろごろ転がっています。それを踏むとBon chance!と言う習慣もありますが、その後の靴底掃除など犬の臭いと馴染みない者にはチャンスどころか苦行です。特に枯葉のシーズン以降は雨でよれた枯葉と犬の落し物の区別が色だけでなく感触でも分かり難く、しばらくしてから立ち上る臭いで泣けたりします。不思議なのは仏蘭西の犬は♂も♀もしゃがんでpipi (ピピ、小用)します。道路の端に立つ電柱に片足をあげて用を足す♂を見た記憶がない。ああ、よそンちの車のタイヤにピピを引っ掛けている犬が散見されますね。散歩中も犬の飼い主は小用も歩道のど真ん中でさせて、その後は放置で去ります。ココんちの場合、隣家2軒、向かいの一軒には犬がいます。各お宅、犬の用は庭で足させています。片付けもしません。芝や花卉の栄養にでもなるのでしょうか。もし仏蘭西だったら公衆衛生マナーは犬派の方々にまず義務付けしていただきたいものです。犬派だけでなく、警官や憲兵のパトロールは時に馬で行われ、馬の落し物も歩道や公園に放置されたままです。農業国家ですから牛馬羊が車道でお散歩なんてことも地方なら見られ、もちろん落し物があり、走行の車はそれを避けることもできません。臭いですよ。所変われば品も価値も常識も変わって、猫に関わりないヒトから彼らの主観と偏見で猫派という枠に押し込められたり、猫原理主義者扱いされたヒトビトだけに改善を要求できなくもなります。お互いできることをするのが最初の一歩です。
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ノエル直前のクリスマス市に出ていたお子達のためのポニー試乗会。

例えば仏蘭西だったらヒトを犬派と猫派に他人が仕分けすること自体、子供に「あなたはパパとママンのどちらが好き?」とうっかり質問して大人に厳しく注意されることに値しますね。生きているモノの形はどうであれ生命をいとおしむ心が第一です。自分が共に住める条件が合うからたまたま同居しているのが犬であり、猫であり、ハムスターであり、爬虫類であり、各家庭の条件が合えば複数の類の動物と住むだけです。一番お気軽なのは窓辺でスズメに餌付けすることですかね。仏蘭西という国なので心理的な勧めでもあるでしょうが、子供がいる家庭には犬猫両方が飼われていることが多々あります。そして、学校でも定期的に動物と触れ合うアトリエを開いています。外見は違いますが、言葉を借りるなら「地球には犬も猫も小鳥も、花や植物も同じように生きている。」のであり、それぞれに魂があります。それを外見や習性の違いで派に分け、飼い主の特徴づけするのはいかがなものでしょう。
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最近、ココんちの玄関先によく現れる猫です。窓越しにご対面。ココんちから10mちょっと先のムッシュウの家の猫で、ラプラドールとも同居です。

ちなみに私は犬も猫も苦手です。くしゃみや鼻水などのアレルギーも持っています。子供の頃は今にも増して愚か者だったので我侭でセキセイインコを買ってもらい、途中で飽き、母が鳥たちの最期まで面倒を見続けました。が、私が実家を出たところで一人で生活していたら畜生(敢えてこの語を用います)と同居せずに済んだものの、人は一人では生きられず誰かと共に一つ屋根の下に住むことになったなら、自分の我ばかり通せない現実も心身に痛いほどいくつもあります。今、私が猫と住んでいるのは同居人個人の希望だったからに過ぎません。日常の私は例えるなら漫画「綿の国星」のトキオのお母さんです。猫との係わり合いに緊張してしまいます。もちろん犬もそうです。たまたま猫と住んでいるだけで猫派の主観強い者というレッテルを貼られたところでハズレです。動物を毛嫌いする両親と生きてきた私も、新しい同居人のせいで猫と暮らしたことで、こんな畜生でも時には同居人より優しい心といたわりを知っていることもわかりました。魂、心です。外見ではありません。それがわかって嫌いになる方向に自分を誘うことはできず、好きになれる良さを探そうと努力しています。私の両親は戦争を経験し、自分が生きていくことに精一杯で、いくら物質に恵まれた時代になっても他の動物に対し優しい気持を持つのが難しかったことも同情しています。かつて親が口汚い表現で犬猫はじめとする動物を見下すことに私は同調できませんでしたが、それでも私の親なのです。

私はヒトも犬も猫も性格が良ければ好きですが、状況把握もせずに生命を軽んじ、情けもない性格ならそういうヒトも猫も犬も好きになれません。そして、毎年春に木の皮を破って新芽を見せる木々や花々には生きる力を教えてもらっています。

各地で野良猫を捕獲しては避妊手術を行い、養子縁組を続けているボランティアの方々がいますし、殺処分待ちの動物(主に犬、猫)の救済活動を続けている方々もいます。私はそういう活動をしている方々とも交流ありますが、彼らは犬派でもなければ、猫派でもなく、まず第一に生命を考えて、自らが動いています。上に掲載した訴えられた某氏も既に地元行政に相談し、避妊手術や養子縁組活動を続け、当初20匹以上いた野良猫が現在は4~5匹になったと彼を訴えた側が認めてもいます。こういう活動は映画でもゲームでもないので、それこそ個人の癪に障っただけで根こそぎ消したり、リセットしたり、何もなかったことにもできません。こんなことでも各自ができることしかできません。

私個人が私の生活を中心に希望していることは一度同居した人も猫も私も同居前より不幸にならないことを心がけて普通の生活を続けることです。公共においてもマナーを守りつつ、より良い共存をすること。ココんちの来年は今年よりちょっと幸せになれればよいですが。

le 31 décembre 2008, Sylvestre
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by ma_cocotte | 2008-12-31 01:41 | 『?』なたわ言 | Comments(3)
刻々と、
迫る、その日。
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きょう12月24日は母の月命日にあたります。10か月経ちました。この月日は長いようでもあり、短いようでもあり、よくわかりません。ちょうど 一か月前の24日 はルルド Lourdes という小さな町で母の供養を私なりにしてもみました。他人に勧められての旅でしたが、行って良かった、行けたことに今は感謝しています。この旅を終えてまもなく、我がブログ友達のぱぴよんさんが天国に一人旅に出ました。昨日、久しぶりにぱぴよんさんのブログに行って 一年前の12月のエントリー をおさらいしていたら涙腺が脆くなってしまいました。ぱぴよんさんがその日その日を懸命に生きている!生きていた!

齢のせいか、「去年の今頃は・・・」と自分についても、他者についても振り返ることが多くなりました。私の母についても去年の今頃を振り返って、まさか母本人も二か月後に天国に旅に出るとは思いもしていなかったのではないだろうか、と想像してみたり。私の母のように思いも寄らず2か月後に旅立つのも、ぱぴよんさんのように余命を宣告されたことで旅支度を整えつつ旅に出るにせよ、死ばかりは究極の神秘であって、その旅立ちの瞬間までは誰もが「生きている」のですよね。いえ、「生かされている」のかな?だって死ばかりは自分の予定どおりにはまず行かないのだもの。だとしたら、「生きるように」ともらった生命は大切に。
で、「生きる」とはどういうことなんでしょう?今更、そんなことを考えて、「今を生きる」、「今、この瞬間をどう生きる?」なんて御題が季節外れの運動会のごとく脳内滑走しています。
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ご慶事の前日にそのようなことに思い巡らすのも傍から見ればどうかしているのかもしれませんが、偶然にも母が亡くなったのが24日なのだから、月に一度の特別な日が重なっただけです。ご慶事の直前だからこそ深く思い考える時間があって良いのかも。
今年からひとつの生命の誕生を祝うだけでなく、このご慶事に前後して胎に生命が宿る神秘、死の神秘をひとりの人生の一本道の上の歩みとして考えられる12月24日になりました。そのように考える種を24の付く日に蒔いてくれた母に、ありがとう。

ところで、天国ってこんなところでしょうか?
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教皇さま揃い踏みなんてこの世では決してお見上げ申し上げられないざます。はっはっは。

le 24 décembre 2008, Adèle

【深夜ミサ@ヴぁちかん】
以下のURLで生中継される予定です。2時間15分ほどだそう。
DIRECT DE ROME
Messe de minuit

http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00042395&vl=video_nouveautes
Les trois photos par ma_cocotte@Lourdes
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by ma_cocotte | 2008-12-24 00:32 | 『?』なたわ言 | Comments(8)
永 遠 の 記 憶 。
少し前、11月7日 にお話した私のブログ友が12月9日に帰天したこと、
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先ほど、彼女のブログにご長女の言葉によってお知らせがありました。
12月9日
http://baromi.exblog.jp/9184016/
2008年12月9日午前1時35分か・・・
仏蘭西は引くことの8時間で、12月8日午後5時35分。
その時を思い起こすと、私が自動車教習所を出た時間にあたり、夕暮れの中、線路を跨ぐ陸橋の上をブルブル寒さに震えながらココんちに向かって歩き始めた・・・そんな時、10000km東向こうでぱぴよんさんは天に向かって行かれたのですね。
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12月8日、仏蘭西の暦を眺めればその日は無原罪の聖母の大祝日。
そんな日に天に呼ばれたぱぴよんさん。今は聖母と一緒でしょうか。
これからは毎年、無原罪の聖母の祝日を迎えるたびにぱぴよんさんを思い、祈れます。
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写真はすべて、2008年11月23日午前9時頃 @ Lourdes

この1年9か月、大変だったと思います。
2007年4月に病を宣告 されてから生きながらにして煉獄を味わい、それはいくらぱぴよんさんが語ってくださっても、私が心底分かち合える肉の痛みではなかったと思います。あまりにも明るくぱぴよんさんが病気と向き合われたこと、健常な私が癒されたほどです。感謝。私が近い将来、ぱぴよんさんを倣えるか。そう思ったところで、病気を迎えることさえ怖くて怖気ている自分がわかります。こんな小心者の私にぱぴよんさんが教えてくれたこと、私の心の宝であり、弱い心を元気付けるお薬です。

ぱぴよんさん、よく闘いました。私の誇りです。
人生のよき先輩に私はブログを通して出会えました。
たくさんの励みになるコメントをありがとう。
どうぞ今はゆっくりお休みください。
Ma petite chèrie Mme. Papillon-e,
A Dieu, mais, a bientôt. Bisous.

le 11 décembre 2008, Daniel
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by ma_cocotte | 2008-12-11 20:10 | 『?』なたわ言 | Comments(2)