カテゴリ:『?』なメディテらねぇ( 14 )
近くて遠いお隣さん
2017年、新年が明けました。

私は夜明け前に家を出て、近所の教会の午前九時半から始まるミサにあずかりました。ミサの直前に買ったばかりのソーラー電波腕時計が止まっていることに気づき、ライトなパニック。帰宅してから室内のできるだけ明るい場所に腕時計を置いているけれど、冬=万年曇りのココんちあたりにはソーラー腕時計は不向きなのではないかと今更気づきました。幸運だか好運にも先週、長年愛用の自動巻き腕時計が3か月ぶりに手元に戻ってきたので、しばらくはまた愛用の自動巻き腕時計に頼っての毎日になります。

さてさて、2017年元旦の朝。

昨晩はNHK紅白歌合戦を視聴したり、「絶対に笑ってはいけない」の初っ端一時間を視聴して横になったせいか、いつもより遅く、午前6時の起床でした。いつもの雑用をしつつ、テレビに火ぃ入れたら、またもテロの報道。寝ぼけ眼で画面を凝視したらトルコはイスタンブールでテロがあったことがわかりました。

まず思ったことは「トルコは今後、戦場になっていくのではないかしら?」と。
この十年ちょい、ココ新天地であらためてトルコからの(労働)移民さんたちと交流しながら、トルコ国内の都市部と田舎で生活文化上の違いがどんどん大きくなっていることを悟ってはいました。つまり、都市部は欧州化し、田舎はイスラム原理化しているということです。そのニオイがココ1,2年で具体的になり、「イスラム国」によるヒトが決めた国境を取っ払った極端な宣教活動を発端に、ついには武器を用いての戦闘となり、シリアが戦場の中心国となってはいましたが、トルコでの頻繁なテロが気になるところでありました。今までは「イスラム国」戦士がトルコに入国してのテロでしたが、先日の駐トルコのロシア大使の射殺事件など必ずしも「イスラム国」兵士がテロを仕掛けているのではなくなってきた・・・のもポインツ。

そんなところで、元旦早朝のトルコはイスタンブールでの無差別射殺事件です。

なんとなーく、ツルツル脳の私が思い描いたことは、トルコという国はロシアも(正確にはプゥチン大統領)が欲しい領土だろうし、イスラム国にとってもトルコを包括したいのだろうということです。ロシアも、イスラム国もそれぞれの野望のためにトルコ領土内でテロやら(一見、理が通っているかのように見える)動きを繰り返すのではないかと。プゥチン個人の妄想だとトルコとシリアを手に入れたいでしょうねぇ。

話ずれますが、プゥチンが北方領土を返還するわけがない。彼の野望は領土を広げることダニ。

そんな妄想が脳を巡ると、確か2020年の夏季オリンピックの最終決戦は東京とイスタンブールで、東京が勝利したことを思い出します。もしあの時、イスタンブールが勝ったとして、2017年のこの現状だとしたら、オリンピック開催地変換になっていたのではないかと想像します。この一年のトルコ国内での(国際配信されている)テロ事件を振り返ると、いくら警察や国軍を配備しても、瞬間に自爆する彼らを事前に取り押さえられたら「神業」です。

・・・と、「カミワザ」についてちょっと考えたくなった元旦の午後なのでした。

背後からウヰーンからのワルツが聞こえてきますが、ワルツのステップもすっかり忘れたぜ、べいべ。


仏蘭西は明日から通常の毎日が始まります。


le 1er janvier 2017, Sainte Marie, mère de Dieu

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by ma_cocotte | 2017-01-01 21:19 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
本当のところがわからない。
さっき、私のFBウォールにAleteia の仏語版から、シリアはアレップのキリスト教徒居留区においてイスラム聖戦主義の攻撃が激化しているという報せが届きました。http://fr.aleteia.org/2016/08/09/alep-les-quartiers-chretiens-menaces-par-les-djihadistes/

先々週の仏蘭西はノルマンディ地方ルーアン近郊で発生したイスラム聖戦主義者によるカトリック教会襲撃事件で司祭が死亡し、事件がたった一時間足らずで終結を見たという件は瞬時に地球のほぼ全域に知らされましたが、シリアからイライラの、そう、旧約につなげると三日月地帯あたりのキリスト教聖俗信者の死者数は現在も曖昧なままです。

日本を知るひとびとにとって8月15日を目前にこのような報道が届くと、言葉に表せない複雑な思いに陥ると思います。イスラムの聖戦なるものはこの地球すべての生きとし生けるもの、その生きとし生きるものが創造した人工物もすべてがイスラムのうちに「ある」「生きている」が実現するまでの戦いなので、悲観的に片付けるならば「終戦はない」と判断するのも、私がイスラムで生きていないためです。繰り返しにしかなりませんがイスラムが地球を完全包括するにせよ、手段をまちがえてはいけません。彼らが完全包括実現のために実行している行いで「イスラムによる平和で、自然で、しあわせな世界」は実現しませんよ。

世界中で次々とイスラム原理教条過激派によるテロ事件が発生していることで、イスラム信者(という表現もイスラムにおいては納得いかない表現です。なぜなら、彼らにとってイスラームは宗教の域を超えているからです)から「イスラームは平和そのものである」という話が飛ばされていますが、この現状ではその証拠を異教徒に、というより、この地球で智を持つすべてに具体的に示す「時が来た」と思います。

というのもね、大昔からイスラームの方々と関わった私が感じ取っていることは彼らは言葉につまると「コーランに書いてある」と始まるので、「それは、コーランのどこですか?教えてください」と質問すると、たいていはコーランに書かれていないことがたびたびあったから。本当にこの世で最後の最高最善の宗教さえ越えた成熟した存在がイスラムだとするなら智と理をもって万民に証明するのが神から与えられた役割ではないですかね?

言い逃れを信じてくれないひとびとをやたらめったら殺めれば平和がやってくるなんて神の思し召しとは信じ難いっすよ。


le 10 août 2016, Laurent de Rome

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by ma_cocotte | 2016-08-10 16:42 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
地中海の北岸でのこと
土曜の朝は、いつもどおり午前5時半に起床し、テレビに火ぃ入れたら、またも特別報道体制で、それはニースからではなく、地中海は北岸に位置するトルコでク・デタ (これっておフランス語で、Coup d'Etat なんですよね。ナニを今更w)らしきことがあったと。こちとら低学歴でフランス語もこなせないまま共和国内に長期滞在している者なので耳をそばだてたところで、それは世界のどこであっても同じク・デタならではの情報錯綜状態。私の頭では追いつかないわけです。だから、トルコでのク・デタについては(申し訳ないけれど)しばらく静観を決めながらも、トルコについていろいろ脳内フロッピ(死語w)が動きました。

まず、トルコですが。
日本國からトルコと欧州関係を眺めると、最初に思い浮かぶのが独逸だと思います。先日終わったサッカー欧州杯でも独逸にトルコ系の選手が数名いた記憶あり。一方、フランスで移民と言えば北アフリカ(マグレブ3国)を思い浮かべてしまいますが、トルコからの移民はフランスにもかなり多いです。多くは労働移民と思われ、私が住んでいるあたりでもトルコ系の方々のかなりはっきりしっかりした「もの」があります。一昔前ならば石を扱う職人さんはポーランドやポルトガル系でしたが、今、バリバリピチピチの石工さんの多くがトルコ系の青年層です。

トルコもイスラムの国だからマグレブや中近東の移民さんたちと仲がいいのだろう、と捉えてしまいがちですが、
それは違います。
もしそうゆう状況が生まれるとするならば、それは彼らが異教徒を前にした時に、突然「イスラムなコンパトリオット」と化します。こういう化け方は実はマグレブ三国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)の間でもそうで、彼らは決して仲が良くないけれど、異教徒を交えると「仲良くなる」。でも、マグレブ三国や中近東の移民とトルコからの移民の間には深い溝があります。なぜかと言うと、トルコさんはアラビア語を話しません。トルコさんのイスラム実践生活はマグレブさんから見ると「甘い、なっちゃない」ですし、トルコさんはイスラムでもムハンマドさまの血につながらないからです。トルコさんから言わせると、あっさり「私たちをマグレブ移民と一緒にしないで。彼らが話すアラビア語はちんぷんかんぷんだし、なにしろ現代トルコの祖アタテュルクはコーランを投げつけて政教分離を実行したほどのひとだから、我々のイスラム精神は彼らとは違う」と。

確かにイスラームは民衆の生活スタイルだけでなく、政治、経済、法律も含んだ「この世で最後の完全なる宗教」なので、トルコのようにイスラムを信じていても、政教分離であるというのはイスラームには納得いかない形なのです。

だから、イスラム教のモスクと言っても、フランスだと完全なる住み分けがあり、トルコ人が集うモスクとマグレブが集うモスクが移民が一定数住まう市町には両方ありますし、住まいもトルコマジョリティの団地とマグレブマジョリティの団地に分かれてもいます。余談ですが、近年、コソボやチェチェンなどのイスラムの移民をマグレブマジョリティの団地に住まわせたことで(註・移民難民は共和国入国後、自由に住まいを選ぶのではなく、政府から指定された都市に住むことになります)、現在、しばしば見聞する揉め事はマグレブvsコソボ&チェチェンです。トルコではない)

さてさて、おフランスの市井での話。
トルコの労働移民の流入は現在も進行形なんですが、近年、明らかに変わったことがあります。それは労働者の配偶者にアタマを覆い隠し、ロングスカアトを身に着ける夫人が増えたことです。この様子に、一昔前にフランスに居住し始めたトルコ系のひとびとが首を傾げ始めた。
「あの外見はトルコぢゃない」
そして、そういう疑問や違和感を彼らの中で話し合ったり、調べたのでしょうね。そういう格好をする婦人に一見だと完全に欧州人なトルコ女性が「そういう格好はトルコっぽくない」と意見したら、彼女たちは「夫の望みであり、命令なのでこういう格好しか私はできないのです」と返答したのだそう。そして、古いトルコからの移民さんの説明だと、アンカラ、イスタンブール、イズミールなど大都市圏からの移民とトルコの地方からの移民では「まったく相容れない格差が出てしまった」と。で、彼らは必ず「アタテュルクはコーランを投げつけた」という逸話を喜びをもって語るわけです。

そういう変化が市井に始まって数年後、トルコ本土でアタテュルクの精神から遠のいていく現象が政治の世界で始まり、傍観者としては地方のイスラム原理化傾向の表れの始まりを予感させられたことになります。イスラームの「この世で最後の完全なる包括宗教」から見たら「政教完全分離」はイスラームではないのです。だから、イスラームで決められたことを基本に生まれてから死ぬまで生活実践を怠らないのであれば、一生のどこかで「政教分離っておかしくね?」という疑問や葛藤が芽生えるわけです(ココが運命の分かれ道)。イスラームにわが身と人生そのものを委ねれば、何も考えなくても、悩みもなく、生涯安泰なわけです。自分の魂が肉体から抜けた後の埋葬完了までしっかり決まりがあるのよ、イスラームには。

だ、か、ら、現時点でトルコ政府に対して個人の自由が奪われていくことへの抗議あっての「ク・デタ運動」というのは、昔で言う「西側諸国」にはク・デタ実行者側に同情の余地が大いにあり、なんですよ。それが、今、報道に上っているトルコ側が米国に要求しているギュレン師(=イスラム教指導者、米国亡命者)の引渡し要求ですよね。

日本國で保守層になると、今回のク・デタもトルコ政府に歯向かった連中が「悪い」と先ず捉えてしまうかもしれませんが、冷静に眺めると、今回のク・デタ首謀者側はトルコ政府がアタテュルク精神からどんどん離れていくことへの危機感の表明だったように思えます。うぅううん、もしそうだとすると、私はク・デタ実行者側に同情しちゃうなあ。このままだと、トルコがアタテュルク以前の時代に戻りかねません。イスラム世界にしてみればめでたいことなのかもしれないし、そうなったらトルコはアルファベット表記のトルコ語を衰退させ、地中海を囲むイスラム宗旨国に倣いアラビア語を広めるのかもしれない。(そんなことないだろうけれど)。

地理的に見れば、かのイスラム国に移住を希望する者のほとんどがトルコ経由でシリアやイラクのイスラム国占領地区に入っているのだから、その国境に接するトルコ側の住民がイスラム原理化しているのは自然です。だって、「何も考えないで従っていれば生涯安泰」が彼ら原理教条主義者の売りwなんですから。


兎にも角にも現時点で、トルコ政府がク・デタ事件についてやらかしていることを眺めていると、21世紀から15年過ぎた今でもトルコという国は「チカラで成敗する国」だという印象を持ってしまうし、トルコがいくら否定してもアルメニア系のひとびとを虐殺した過去がオーヴァーラップしてしまいますね。もっと古くはレパントの戦いとかさ、うっかり思い出してしまった。
ですが、「チカラでねぢ伏せる」というのはとてもイスラムであり、旧約聖書的であるので、今のトルコ政府が「欧州と仲良しになりたい」と今も望んでいるのであれば、この二日間にトルコ政府がク・デタ実行者に行っていることは欧米には納得いかないことではないかと思います。(と、ここで米国へのギュルン師引渡し交渉に戻る。)米国はギュレン師をトルコに渡さないと思うよ。今のところ、ギュレン師本人は今回のク・デタ事件の関与を否定しているそうですが、もし関与しているとなると、その昔、大英帝國に亡命していたシャルル・ド・ゴールが仏蘭西本土の救済に働いたこととどこか重なるような気がしないでもありません。

員数外のあたしの暴言になりますが、トルコ政府もイスラム国も「敵とみなしたもの」にチカラをもって、手段選ばずにやってることがそんなに変わりないというのがイタいっす、まる 自らにとって敵対する分子とは言え、ヒトの生命を殺めるのはいかがなものかと思います。

2020年のオリンピック候補地最終決戦はイスタンブールと東京だったよなあ(と、遠い目)


le 17 juillet 2016, Alexis

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by ma_cocotte | 2016-07-17 17:06 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
「黒い足」がまたひとり、旅に出た。
今日の朝7時半にココんちの電話が鳴りました。
一時間ほど前にココんちのモンココの祖母が息を引き取ったという報せでした。92歳。
彼女についてフランス共和国の国籍者と冠せばそれで済むけふこの頃ですけれど、彼女の名前はアントワネット Antoinette であっても、生まれと育ちは現在のアルヂェリアのオランという地中海に面した漁村であり、何世代も前にアルヂェリアに移住したカタルウニャ人の家庭の出でした。だから、彼女はフランス国籍だけを持っているガイジンのようなものだったのです。事実、子供の頃はカタルウニャ語が日常会話だったし、家庭の味はカタルウニャ料理でした。

彼女の運命で、結婚してまもなくアルジェリアの政情が限りなく不安定となり、フランスに戻ることを決めました。こういう北アフリカからフランス本土への帰還民をフランスでは人種が何であってもピエ・ノワール Pied-noir 、=黒い足というレッテルが貼られます。

生まれ育った土地からフランスに戻る時、ニンゲンひとりにつき許された荷物はかばんひとつだったので、誰もが家、家財道具、犬猫も手放して船に乗ったそうです。しかも、乗った船がボルドーに行くのか、マルセイユに行くのかも定かではなかったらしい。

こういう目に遭うのも、かつての帝国主義の報復のせいだ、と脳みそを洗いにかかる方々もいるけれど、そういうことを言うひとびとが北アフリカに入り込むまで、現地ではベルベル族のムスリムも、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も仲良く平和に共存していたのに、共産主義者が入り込んでから互いを疑い、憎みあい、互いを追い出そうと懸命になったというのがココんちのマミィ(=おばあちゃん)が常に繰り返していたことでした。

だから、きょうの朝、アルヂェリア生まれのカタルーニャ人であるフランス国籍者のピエノワールである一証人がまたひとり、人生最期の一人旅に出たのでした。今頃、あちらで愛おしい夫君と再会していることでしょうけれど、こちらは元気でかわいらしいマミィが遠くなり、とても寂しくなりました。


le 10 mars 2015, Vivien

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by ma_cocotte | 2015-03-10 17:35 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(1)
白黒ハッキリしようぢゃないか
7月29日、朝から繰り返されるニュウス番組のトップはイスラエルvsパレスチナぢゃないよ、ハマスが原因のガザ空爆についてです。おそらく、昨夕にイスラーム世界でラマダン(約一か月間の日中断食生活、ただし日没後の彼らは腹持ちが良いごちそうを夜明け寸前までたらふく食べていることを頭の隅に置きませう)が明けたことで激化を免れないと前提しての報道なんだろうなあとぼんやり。

これ ↓ は7月28日付のアルジャジーラ英語版の報道ビデオです。



欧州では日本國に対しての中韓朝問題についての報道に疎いのと同じく、日本ではイスラエルvsパレスチナ問題についての情報が希薄であることをココ数週間、電脳日本語圏で飛び交うイスラエル批判や「ご尤もな平和論」で脳みそツルツルの私なりに察しました。

日本國に生まれ、教育を受け、労働した私なので気づけたことかもしれませんが、日本人はどうしても判官びいき、勧善懲悪の概念で平和を探そうとします。だから、「パレスチナに同情する」「イスラエルは悪」と先ず前提し、知識豊かな脳みそから過去のイスラエル建国のいきさつ、国際法を例に出したり、米国(だけ)との癒着を挙げてイスラエルが悪いと日本語で流す。

ところが、自国内にパレスチナ難民もいればユダヤ難民(へー、彼らは難民なんですか?)も抱え、自国民と共存している国々のアタマのイイひとたちは日本人のような判官贔屓やら勧善懲悪でイスラエルvsパレスチナ問題を分析したりしません。世の中には白と黒があり、最善最良は灰色と考え、最善の灰色を作り出そうと知恵を出し合うのです。日本人のように起承転結のストーリー作りで事実を無駄に膨らますなんてことも欧州人には理解できない点ですからね。黒を熟考し、白を熟考し、灰色を見出すに徹する、ですよ。

へー、そんなことありませんよ。「イスラエル悪、パレスチナがかわいそう」と公言している第三国の人間はいくらでもいますよ。」とおっしゃるひとも多々いますけれど、そういう方々の多くは反米、嫌米で「米帝」という単語を好んで用い、地中海東岸がとっても静かな時でも米国批判をしていたりするもんです。天秤の左側に多いですかねぇ。(先の7月23日午後6時からのパリ旧市街セーヌ左岸でのデモ行進は仏共産党や労働組合員が主導による親パレスチナ反イスラエルデモでした。)その証拠にイスラエルの悪口に米国を必ず絡めても、露英仏との関係には全く触れない。これ、有識者ならばすぐに見抜ける彼らの独善で、真の目的は「打倒米国」。日本人が打倒米国だか打倒米帝のためにイスラエル&パレスチナ問題を絡めて利用しているというのは、地中海東岸に住む日本人にとってなんて悲しいことだろうと思います。

イスラエル側は過去の教訓で、一般家屋、公共施設ともシェルター配備、数年に一度交換する防毒マスクも国民、長期滞在者全員に配布しているし、空襲警報システムも万全。今朝の報道でもイスラエル側で空襲警報のサイレンが作動したビデオが流れていましたが、防衛が万全なので市民の犠牲者数が少ないのです。

単に犠牲者数だけでパレスチナ人でもイスラエル人でもない日本人である自分がどちらを庇う、贔屓するか決められません。というのも、私、ガザ出身のパレスチナ人の同級生もいれば、アシュケナジやらミズラヒのユダヤ人の友人、知人も身近にいるからです。彼らが私に「どちらの味方になりますか?」と問うこともありません。誰もが願っていることは一日も双方の投爆が止まり、平穏な生活を取り戻すことです。

それにしても、ハマス。
なんとかなりませんかね、彼ら。
何も知らない女性、子供を騙して、イスラエル側の予告ターゲットに置き去りにするなんてこと、大のオトコがすることぢゃねーだろ、と思います。(どーせ「クアルンには~」と先ず口に出して、そんな愚かなことがイスラム世界では正しいと言い張るんでしょーけれど)
ったく、彼らは決してレジスタンスぢゃないですよ。
理由は歴史修正主義だから、まる


le 29 juillet 2014, Marthe

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by ma_cocotte | 2014-07-29 16:37 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
「主よ、正義をお示しください」
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(JACK GUEZ / AFP)


2012年11月20日早朝、朝の祈祷中の兵士二人。
何を祈っているのでしょう。

le 20 novembre 2012, Dimitri
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by ma_cocotte | 2012-11-21 05:37 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
アトスの門が今開く。 Les trésors cachés du Mont Athos révélés à Paris
5月19日、夜8時のニュウスだったと記憶しています。




ギリシャは、アトス山(Άγιο(v) Όρος Áyio(n) Óros、=聖なる山)とエーゲ海の間のわずかな平地、その秘境にござる東方正教会の数ある修道会の中でも最も厳粛な聖務日課を今もいつも世々に至るまで守る男子修道院内の様子が初めて「西」のテレビニュウスで丁寧に紹介されました。修道院の長上さまに認可を求めたことで許可がおりての異教徒の訪問だそうで、この映像の中に食堂が映し出されますが、カトリックは同席できないのだそうです。この習慣は差別ではなく区別ですので誤解なきやふ。

アトス山の男子修道院ですが、院内の近代設備は畑での労作のために必要なトラクター一台のみ、電気はまったく用いられず、長上の許可が下りない限りは禁域(l'interdit sans l'autorisation)のため、女人禁制はもちろんのこと、修道院の伝統でもある(巡礼の)旅人も受け入れません。現在、この修道院に住む僧は105名、最年少者が19歳、最年長者が90歳とのこと。院内の案内役となった仏蘭西人司祭はシモン Simon とおっしゃり、現在41歳。彼がこの修道院に住み始めたのは24歳の時で、聖母マリアのお導きによるものだそう。
この映像の冒頭でフランス人スタッフが修道院に入るシーンがありますが、修道院側が待ち合わせ場所に指定したのがガソリンスタンドで、迎えに来た橋渡し役の司祭が真っ暗闇の中、運転する姿が後部座席からの視線で映し出されます。スピーカーからは聖歌が流れ、左の手には数珠を持ち、つまびきながらの運転。きょうび、西の神父さまもなさるのでしょうか?バックミラーにロザリオを絡める習慣は仏蘭西にも残っておりまするぞ。

さて、このようにアトス山の聖域がテレビで紹介されたのも、花の都お巴里は8区におぢゃるプチ・パレ Petit Palais におかれまして、4月10日から7月5日までアトスの僧院とビザンチン帝国の秘宝展 Le Mont Athos et l'Empire byzantin, Trésors de la Sainte montagne が開催されているからなのです。上の映像でアトス山の秘宝たる秘宝は本棚の向こうの隠し部屋にあることを知れ、異教のオナゴが知る喜びに感謝できますが、こりゃ、天晴れにすばらしいよの。拝見したいのぉ。嗚呼、一年で最も美しい「六月の巴里」に久しぶりに上ってみたくなりました。

le 29 mai 2009, Aymer

「負けず嫌い」が災いし、 東よ、これ ↓ でどうぢゃ?



電気が通ってる・・・・ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!! ぐやぢぃ ← 嘘



美しい。まっこと ぢゃ。


日本國ではまだ Into great silence が売られないのか、口惜しゅうございますな。
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by ma_cocotte | 2009-05-29 15:57 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(2)
壁のムコウ と 壁のコチラ
きのう、5月13日の教皇さまは丸一日、シ・ヂョルダニィ Cisjordanie、日本語で訳すとヨルダン西岸地区であろうか、ベトレヘム Bethléem を基点にして過ごされました。cf. Benoit XVI a franchi un mur symbolique 午前中はマリアさまがイエズスさまを出産した馬小屋があったであろう場所で野外ミサがあげられ、約5000人が集ったそうです。
Messe sur la place de la Mangeoire à Bethléem
Diffusé le 13/05/2009 / Durée 90 mn
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044916
このビデオ ↑ の最後のお知らせでは、このごミサ後、教皇さまはベトレヘムのフランシスコ会修道院でお昼食。午後は難民キャンプや病院などの慰問という、カトリックで用いられる言葉を選ぶなら社会司牧にあてられました。
Visite au camp de réfugiés d'Aida de Bethléem
Diffusé le 13/05/2009 / Durée 60 mn
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044917
この午後の計画は前もって決まり、公に発表もされていたので、仏蘭西共和国内のニュウス番組では数日前から中東事情無知の共和国民に少しでも予備知識を与えようとしてくらしゃったのか、国営放送でも民放でもイスラエルやパレスチナ自治区におけるカトリック社会司牧活動について聖域側、世俗側両面から紹介しました。
いや~、知ってしまったことで、考えさせられてしまいました。
今の自分にできることって何だろう?と、素直にそういう思考の世界にいざなわれたとでも申しましょうか。
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Le pape Benoît XVI dans le camp de réfugiés d'Aïda, près de Bethléem, où il a jugé « tragique » le Mur de séparation construit par Israël. : AFP

昨日13日夕方、難民キャンプで式典 ↑ が行われましたが、教皇さまの背後に見える分断壁は高さ8mあります。イスラエル側はこの8mの高さの分断壁をイスラエルとヨルダン西岸の境、約650kmに渡って築いています。パレスチナ政府のアッバス Mahmoud Abbas 議長はこの壁をアパルトヘイト壁 le mur de l'« apartheid » と名付けて、教皇さまの御前で訴えられています。結局のところ、今日14日の夜明けと共に、教皇さまがこの壁を悲劇的と判断され jugé « tragique »、この分断壁を取り除く気持になってくれまいか、とイスラエル側のナタニエフ Benyamin Netanyahou 氏に求めたところ、ナタニエフ氏がその案に反対した、すなわち-パレスチナ国家建国を拒否- dont le gouvernement refuse la création d'un Etat palestinien -という報道が流れていますし、この交渉決裂についての記事を掲載した仏蘭西国内の有名全国紙HP版の一般投稿欄には、教皇さまの提案は「(間に立つ者として)美しいけれど、現実から少し逃避していないか。C'est beau mais un peu décalé de la réalité」「教皇さまは精神的、知的に戦っている。Un pape de combat...spirituel 」など、中立かつ冷静な意見が分刻みで増えています。投稿の中に「どちらを贔屓する、味方する」「どちらが正しい、間違っている」など、安直で愚かしいコメントがないことは、仏蘭西に住む成人の成熟具合を垣間見れて、ガイジンの私には安心かつ信頼のきっかけになります。中東問題において、傍観する私たちが、カトリック精神を知る者がしてはならないことは「裁判ゴッコ」という遊びです。私はそう思います。

こんな分断壁はいつか取り払われるべきです。でも、平和を武力で得ようとしている者や、一方の要求を実現することが平和だと勘違いしている連中がいるなら、安全治安上、この壁は必要であり、両国を結ぶ壁の隙間には検問所も置くべきでしょう。例えば、お腹にダイナマイトを巻いた赤ん坊を乗せた車が天国への片道切符に値するなんて話はまったく美談になりません。教皇さまもご自身の求めが実現するために綿密なプロセスが必要であることは、こうして現場におみ足を運ばれているのですから、五感で感じ取られていることです。教皇さまがふと見せる疲労の表情を気遣うニュウスがどれほど多いことか。

ところで、昨日、教皇さまが訪問された難民キャンプ『アイィダ』 camp de réfugiés palestiniens d'Aïdaには約4,600人のパレスチナ人が住んでいます。パレスチナ人全員がイスラームではなく、キリスト教徒もいます。どうしても中東から遠く離れた者が中東事情を眺めるにあたり、ユダヤ教徒(イスラエル人)vsイスラーム(パレスチナ人)という二対立ばかり強調されますが、現実においてはキリスト教徒のパレスチナ人(フランス語だとアラブ・クレチアン Arabes chrétiens と呼ばれ、彼らはこの中に含まれます)もいれば、イスラエル国籍のキリスト教徒であるパレスチナ人もかなりいるのです。彼らはイスラエルであろうと、イスラエル近隣のイスラーム諸国であろうと「伸び伸びと生活している」とは笑顔でいえない立場ではありますが、ユダヤ教とイスラームの間の立場であることも間違いありません。ヨルダン西岸側に住むキリスト教徒のパレスチナ(アラブ)人は約45,000人です。
Que avenir pour les chrétiens d' Israël?
こちら ↑ はイスラエル国籍の先祖代々キリスト教徒のパレスチナ人のお宅の様子。運命とは言え、ご自分の敷地内に電流が流れる鉄条網やらトンネルをイスラエル軍に設置されちゃいました。が、住まいの様子をご覧になればわかるとおり、このお宅は中流より上と思われる家庭であり、兄弟親戚がカナダ、米国、スウェーデンに既に移住していることも紹介されています。キリスト教を宗旨とするパレスチナ人家庭のほとんどがブルヂョワであり(例えばアラファト夫人やヨルダン国王妃などもそう)、それが原因で同じ血筋であっても異教の同胞に差区別されるという問題が地中海東岸の国々で問題になっています。例えばレバノンではキリスト教徒国民に対して就職妨害を行っていることも知られています。cf. http://malicieuse.exblog.jp/8590037
分断壁ができる前からエルサレム市内に続く道に検問所が既にあったとは言え相互の往来は活発で、ヨルダン西岸に住まいを持つパレスチナ人がイスラエルに仕事を持っていたり、行商を行ってもいました。カトリックは第二ヴァチカン公会議以降、聖俗が力を合わせての社会司牧活動に力を入れていることもあり、ヨルダン西岸にもイスラエルにも教育や養育、病院奉仕を目的に掲げる修道会や世俗会を次々と派遣しています(現在進行形)。
Les chrétiens de Cisjordanie
こちら ↑ 、イスラエル側にあるカトリック修道女会が持つホスピス兼高齢者施設と、ここに母を預けているひとり息子ヂョルヂュ Georges 、彼はヨルダン西岸に住むキリスト教徒であるパレスチナ人です。こうして壁のムコウとコチラを往復しています。現状ではヨルダン側の住人がイスラエル側に自家用車と共に入国することができず、シスターの証言では以前なら10分で通えた人が今は片道3時間を要するとのこと。
このように高齢者のために働くカトリック修道会もあれば、
こちら ↓ 、ヨルダン西岸のカトリック修道女会が持つ孤児院の様子です。
L'orphelinat de Bethléem
この修道女会では0~6歳の乳幼児を育てています。年々、赤ん坊の養育を諦めるヨルダン西岸のイスラーム家庭が増え、特に障害児の養育拒否が目立っているそうです。ビデオで最初に紹介される坊やは路上でお父さんを何日も待ち続けていたところ引き取られ、今もお父さんが迎えに来るのを待っています。二番目に紹介された一歳の女の子(エナちゃん)は生まれながら呼吸障害があり、屋根に放置されていたそうです。すぐには引き取れず、放置第3日目にシスターがヨルダン西岸側の社会事務所に連絡を取ったところ、この子を殺すという返事をもらい引き取りました。シスターがエナちゃんの治療のため、イスラエル側の病院に向かう様子も流れますが、シスターはイスラエル側のスタッフたちがこの子の「本当のママン une vrai maman 」だとおっしゃっています。
昨年8月から数えただけで、この乳児院に引き取られた子供は26人。イスラームに生まれた子供の養子縁組は難しく、この子供たちもイスラーム家庭が後見人になるに留まっているようです。「障害を持つヒトの価値」についても、互いの宗旨とそれに基づく生活信条を第一にレスペクトするなら、イスラームのこの決断に異教徒が断罪を下す労力を費やすより、キリスト教徒もユダヤ教徒もこのイスラーム家庭に障害を理由に諦められた子供たちのために「できることをしている」ことになります。彼らの生まれた家庭の宗旨を理由に、ユダヤ教徒もキリスト教徒も彼らの生命を軽んじてはいません。ひとりひとりの魂の価値をやがては朽ちる肉体で判断してよいものでしょうか?「判断できる」宗教もあるのです。
分断壁の話に戻りますが、今回のB16聖地巡礼において、教皇さまが直にお目にかかったイスラエル政府関係者もパレスチナ自治政府関係者もヴァチカン政府関係者もこの壁がなぜ存在するのか、たったひとつの理由をわかっているのです。こうして真面目に、互いの生命を大切にし合って生きている人々にこんな壁なんか必要ないこともわかっている。けど、本当にごく、ごく一部の人々が欲する言動から「平和を願っている人々の生命」を守るには現時点でこの壁を崩すのは難しいのです。
さーてさて、私たちひとりひとりができることって何でしょう?

le 14 mai 2009, Matthias


フランスのカトリック系全国紙ラ・クロワ La Croix にこんな記事。
A Gaza : « Pourquoi ne vient-il pas ? »
『どうして教皇さまはガザにいらっしゃらないの?』
いやはやなんとも、どんなに守っても守りきれる保障がないと、イスラエルからもパレスチナ自治政府からも返答があったと言う話ですぐゎ。とは言え、記事の中に、かのガザ地区にもアルゼンチン人のカトリック司祭が住んでおり、今回のB16聖地巡礼に際し、ガザ地区内の約200人のキリスト教信者についてのイスラエル入国許可を申請したものの、95人のみに許可証がおり、彼らは水曜日午前にあげられたベトレヘムのごミサにあずかれることになった、とあります。『ガザも聖地のひとつなのに。"C’est aussi la Terre sainte ici"』という小見出しもこの記事の中にありますが、本当にごくごく一部の人々がねぇ。
地には善意のひとに平和あれ。
...って、善意のひとの心はいつも平和なのに。
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by ma_cocotte | 2009-05-14 16:43 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(2)
思い込みを溶かす方法はないものか。
思い出した一枚、
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ローマに到着した日、私のおもちゃカメラの記録によりますと17時56分にシャッターを切りました。宿舎に戻るバスの車内から撮ったローマで一番大きなシナゴーグです。ローマの青い空と、沈み行く夕日の色と、家路を辿るローマびとによる車のラッシュ。何百回もシャッターを切った中で数少ない、私が好きな一枚の写真です。偶然の産物だけど、何もかもが一致した時にこういう記録が残るものなのだとふと思ったりもします。

このローマのシナゴーグは前教皇ヨハネ・パウロ二世 Jean-Paul II がおみ足を運ばれたことで知られています。ユダヤの生活文化を知るヒトならば、この建物を数秒眺めればシナゴーグと分かりますが、何の予備知識もなかったら教会のひとつか歴史建造物のひとつと記憶に留めておしまいかもしれません。

仏蘭西に住んでいてたまらんことは、教皇さまが海外訪問のたびに日程の一週間くらい前からその訪問先の生活文化についての番組が淡々と流されることです。昨晩はチュニジアに今も住むユダヤ人についてのドキュメンタリーが国営放送France 5 で放映されました。番組のタイトルは Bons baisers... 、直訳すると「善い接吻」。このタイトルはさらっと読めばそれまでですが、フランス語においては深い意味があります。というのも、「接吻 baiser」という言葉の語尾に「 de Judas ユダの」と添えると「裏切り」、「偽りの友情の誇示」という意味に変わるからです。が、baiser の頭に「Bon 」を付ければ「善良な罪のないユダヤ人」という深い意味を持ちます。この言葉で表現されるユダヤ人は多くの日本人がイメージする「お金持のユダヤ人」ではなく「市井に生きる庶民のユダヤ人」でもあります。もっとわかりやすく説明するならば、救助船が来たところで最後の一席に座れれれば運が良かったと言えるユダヤ人、殺害対象においては真っ先に矢面に出されるユダヤ人、死んだところで「その他大勢」のひとりでしか歴史に残らないユダヤ人です。

さて、かつて100,000人のユダヤ人がチュニジアの首都チュニス Tunis に住んでいたのに、現在は1,200人しかユダヤ人がチュニジアの首都圏にいないそうです。彼らがチュニジアを離れると決めた一回目のきっかけは第二次世界大戦が勃発したことで、ヴィシー政権が当時のフランス植民地まで足を伸ばし、共和国内と同様に優良物件を脅し取っての侵略方法だったことで、それを拒めばその場で射殺か、収容所に送られるのも共和国内と同じ。第二回目のきっかけは1960年頃から始まったイスラーム社会主義の影響による独立運動と内戦です。まあ、このマグレブ(=北アフリカ)諸国の独立運動で数世紀の間、地中海南岸に住み続けた欧州系(主に仏蘭西、伊太利亜、西班牙)キリスト教徒とユダヤ人の多くは地中海対岸に戻りまして、居残りを決めた欧州人もユダヤ人も「死ぬ覚悟」を持っていたか、「生き伸びられる理由、つまり自分が社会主義支持であること」を示せたかどちらかに大きく二分できます。イスラームに改宗せずユダヤ教を心から棄てなかったチュニスに住み続けるユダヤの人々にとって今も信仰の拠り所はチュニスのシナゴーグで、番組の中ではその威厳ある外見も美しい内装も紹介されましたが、シナゴーグの内装がローマ市内のカトリック聖堂とそっくりなんですね。どっしりとした構えは厚い壁と太い柱からなるもので、天井には円形のドーム、祭壇すぐ上は半円のドーム。画面を眺めつつ、チュニジアはかつて伊太利亜系が多かったんだよなー、と浅いことが頭に浮かび、続いて、カルタゴ Karthago というキーワードを思い出しました。びふぉー・くらいすと、紀元前。宗教が違えど、建築技術において共通項が見えるのは、人間が生と生をつなぎながらの今があるからでしょう。・・・・と、チュニスのシナゴーグ建築を見ただけで、深い思考にいざなわれたことに感謝。

先週、教皇さまが地中海東岸におみ足を運ばれる前日に、リヨン大司教のフィリプ・バルバラン枢機卿 Mgr Philippe Barbarin が生番組で カトリックにおいて反ユダヤ主義はあり得ない、と断言しました。そう断言できるのはヂェズ・クリ Jésus Christ がユダヤ人だから、というのが第一の理由。 そんなことを語れるのなら、新約聖書の登場人物のほとんどがユダヤ人ではありませんか。一部のユダヤ教徒からキリスト教は実はパウロ教であるという解釈も常に繰り返し語り継がれていますが、そのパウロさんだってファリサイ派ユダヤ家庭に生まれ育ったおぼったまでがす。畏れ多くも畏くも、枢機卿さまの発言に補足するなら、「キリスト教」という衣を剥いで地中海世界を眺めると、地中海沿岸一帯にユダヤ人は既に紀元前から移住していました。イエっさんどころかマリアさまもヨゼフさまもこの世に生きた遥か以前の時代から、です。ローマびとのシスターから伺った一説によると、パウロはローマから地中海沿岸のシナゴーグをひとつひとつ訪問しながら西班牙まで宣教したのだそうです。そんな昔から共存してきた人々が、どこぞの島国の人々や国粋主義欧州人の偏見で「認めない」だの「出て行け」と裁かれるのはいかがなものでしょう。不満なら出て行くのはそういうことを口にできるヒトビトではありませんか。何を理由に「出て行け」と口から出せるのでしょう。学校で学ぶ世界史は時間数もあり、本当に知らなければならない点まで必ずしも至れません。が、浅い知識が偏見と化してしまうことも「ある」。かつてのキリスト教世界において長い歴史の中で異教への偏見が芽生えたことで、それが固茹での卵どころか石と化したのも、生活文化が未熟だったことで噂や風潮が伝説と化しやすかったこともあります。が、「愛するものを守る」という意識は間違っていません。それも忘れてはならないこと。「手段を選べ。知があるならば、」です。「知」が最大の武器であり、和解を実現するための武器として神から与えられたことは、昨日、エルサレムで教皇さまと集った方々はわかっていることです。きょうび21世紀は教皇の機内発言が飛行機の着陸以前に世界配信できるくらいですから、どこぞで誰かが私欲の実現のために発した説が固まる前に砕くことも、過去に比べれば容易いのです。

昨晩の番組で今はパリに住まいを移したチュニジア生まれのユダヤ女性が、先祖の墓参りのためチュニジアに娘と戻り、かつてのユダヤ租界あたりを歩いていたら、彼女が幼い頃一緒に遊んだイスラームの女性や、彼女の家庭が毎週金曜日にお風呂を近所のヒトに提供していたことで「ボクのおばあちゃんを覚えていますか?」と市場でベルベルの若者から声をかけられたり。ああ、私が以前住んでいた南仏の町で見かける様子と同じだと懐かしくなり、こうして宗旨違えど互いの美しい思い出が、互いの辛い過去さえ補い合えることを学べました。でも、私自らがそう表現できるひとりになり、相手と平和の挨拶を交わすことで「平和」がつながり、形になるのではないでしょうか。
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数日の悪天候後、夜明けと共に快晴に恵まれた2009年3月25日午前9時のローマです。「タイプライター」を背にローマ市庁舎側から撮りました。ローマ遺跡、シナゴーグの大きな屋根、カトリックの小聖堂とヒトビトの住まい、どれも省けないローマの歴史です。こんなに美しい眺めをヒトの力で壊したくありません、と思うのでした、まる

le 12 mai 2009, Achille
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by ma_cocotte | 2009-05-12 17:04 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(2)
雪が、はらはらと大地に降り積む。
2009年1月5日、週明けの朝からガザのハマスのエラいヒトが勝利宣言しているというニュウスが繰り返されています。正直、なんのこっちゃか、でポリポリです。
ココんちもヨソんちに半万年以上遅れて衛星放送チューナーを少し前に購入し、数局ではありますが無料提供放送局の番組を地上波にプラスして見れるようになりました。その無料放送局の中に一日中ニュウスのみを流すBFM という局 http://www.bfmtv.fr/ があり、この画面の特長は国内関連ニュウスがメインに流れている時は下方のテロップが国際ニュウス、国際ニュウスがメインの時は下方に国内ニュウスが流れるので、目さえ慣れれば一度に複数の情報を得ることができます。
この日、国営放送では夜20時35分以降、コマーシャル放映されることがサルコぢの意向によって禁止されることになったので、国営放送France 3 の全国ニュウスがストライキで放映中止になったこともあり、BFMの情報がいつもにも増してありがたかったりもしましたが。

兎にも角にも朝からずっとハマちゃんたちの勝利宣言が目に耳に入っていたのです。仏蘭西時間の2009年1月5日19時47分の段階で「Gaza Victoire ガザ 勝利」の鍵語でニュウス検索すれば2769もの記事 が引っかかりますが、以下、天下のおルモンド Le Monde さまの簡潔な記事がわかりやすいですね。

Le chef du Hamas à Gaza promet "la victoire" face à Israël
AFP 05.01.09 | 11h02
Le plus influent chef du Hamas à Gaza, Mahmoud al-Zahar, a promis lundi la "victoire" de son mouvement face à Israël, lors de sa première intervention télévisée depuis le début de l'offensive israélienne.

"La victoire arrive, grâce à Dieu", a-t-il affirmé dans une allocution lue sur la chaîne de télévision du mouvement islamiste, Al-Aqsa.


「La victoire arrive, grâce à Dieu  神のおかげで 勝利がやって来る」んだそうです。神の正義は必ずしも勝利が伴うのではないはずなんだが。もしこのまま本当にハマスがイスラエルに勝利したら、そりゃ、まさしく奇跡でしょう。そもそもこのエラいヒトの発言の根拠が何にあるのか。これまでの私たち市井の者が知れる報道だけで根拠を見つけようとしても根本にも抜本にもハマスが勝利を宣言できるきっかけが見つかりません。
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今回に限らず毎度のことですが、2005年8月15日イスラエルがガザから完全撤退後に築いた壁を越境するロケット弾をイスラエル国内に落としたのはハマスです。先月12月20日に4発。前回はレバノン国境でヘズボラが国境向こうのイスラエルの町に仕掛けたですね。cf. 彼らはこんなことをして、何を、直に、見たいのだろう。http://malicieuse.exblog.jp/8590037
普通、相手の軍事力を知り、自分の陣地が一応「非武装地帯」と国際的に宣伝されているならば、ロケット弾をあてずっぽに塀の向こうに4発も発砲できないと思いますが、撃てるというか撃ち続けられるんですよね、彼ら。一方、毎度のことですがテロ拠点の攻撃に際し、上空からアラビア語で書かれた避難勧告のビラが撒かれても、「それを信じるな」と庶民に命じる高官。で、高官は隠れちゃって、予告された攻撃拠点に女子供を集めて盾にするというのも理解に苦しむし(イスラエル側はこの情報が届いて攻撃を中止していうわけだ)、どれくらい持っているんだか検討も付きませんがずーっとロケット弾を塀の向こうに向かってちゅどーん、ちゅどーんと投下し続けていて。
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Copyright © 2009 AFP

2005年8月15日をもってイスラエルがガザ地区から完全撤退し、その後、ガザ地区はハマスが、ヨルダン西岸はパレスチナ自治政府(ファタハ)の拠点になり、ハマスとファタハ(フランス語表記では Fateh )の対立が深刻化し、ファタハでさえ少しは対話できる余裕と心があるから穏健だと評価が変わりもしました。アラファっつぁんが存命中からそうですが、パレスチナ自治政府の管轄化にあるベトレヘムでのクリスマスミサにはパレスチナ自治政府上層部が参列してくらしゃりもしましたし、ヴァチカンなどはベトレヘムの教区長にはアラブ系の神父さまを置いたりもしているのです。だがなー、どうも、どうも。ガザ地区からエジプト側に亡命潜伏している支援者がガザ地区にあってはならないはずのものを送り続けているという話もあります。

.....ううううううん。


やっぱりどうもガザ側が負け戦とわかっていながら戦を仕掛けているのが引っかかります(え?わかっていない?んな、ウマシカな...ああ、もし勝利を目に見えるもので捉えないのならわからなくもない)。こちら共和国で回りの冷静な意見を求めると、かつてのイラク末期に状況が似ていないか、という声も聞こえて来ますが、現実的にひとつだけガザのハマちゃんたちががイスラエルに勝てる手段はなきにしもあらずなのです。それはハマスを支援している北東の某国から或る種の爆弾を打ち込むことですが・・・・そりゃあ、ないでしょー。何せあそこには聖地がございますし、それが投下されたら朝っぱらから勝利宣言し続けている方々も共に犠牲になりますし、地中海という大きな湖の沿岸諸国に住む民も影は残るかもしれませんが形は残らないと思われます。私も確実に消えるか、生き残ったところで風に乗ってあらゆるものが降ってくるから自分がどうなっていくか結果は既に想像ついています。

なんか、新年が明けたばかりなのに1月5日の夕方になってしんみりしちゃいました。

ココんちの地方では珍しく雪が降り始めて、あっという間に白くなったりもして、「Schouette! なんてきれいなんだろう」というどこか浪漫ちっくなつぶやきも私の耳に聞こえたりもしたけれど、これが最期の雪になんなきゃいいな。


ところで、われらが神聖賢愚帝サルコぢ一世ですが、1月5日朝からエジプト、イスラエルへ
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アッバスさんより色黒のサルっていったい・・・ブラジルで遊びすぎなだけですが。


月曜、火曜と二日間の中東訪問になりますが、この訪問を賢愚帝自ら
pour trouver « les chemins de la paix »
「平和の小道」を探すため
と銘打っておりますてね。複数の小道の中のどの小道の突き当たりに平和があるのでしょう。サルさまだけがご存知で、いとも簡単に選択できるのでせうか。なぜかまったく別の次元で我が心に寒々と白々しい風が吹いたりしています。

le 6 janvier 2009, Melaine

【参考】
diaporamas d' Israël-Palestine @Yahoo.fr
http://fr.news.yahoo.com/photos/diaporamas/israel-palestine.html?curPhoto=49
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by ma_cocotte | 2009-01-06 03:40 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(7)