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ああ、うるわし、若葉揺れて、列聖最年少記録、たふたふ破れたり。
パリのエリゼ宮におかれましては主(あるじ)がフランソワ・オランド王から小童エマニュエル・マクロンに代わる儀式が行われております。そんなことどーでもいいけど、それより。

昨日の午後遅く、いつもどおり土曜の夕ミサに参りましたら、様子が違う。外まで聞こえる歌声と共に御輿に乗せられたファティマの聖母像と、それに続く神父様、侍者、世俗さん方が聖堂外環を一周りするという聖母行列が行われ、その後に主日ミサという流れになっておりました。(我が母校の聖母祭の行列をちょっと思い出した)

ひとつ前にエントリーしたとおり、2017年5月13日はポルトガルのファティマに聖母がご出現してからちょうど100年。昨日の午前中にはファティマの聖域にて聖母と6回に渡って交流した三牧童のうちの二人(フランシスコとヤシンタ)がフランシスコ教皇様によって列聖されるというビッグイヴェントもありましたし、今年の5月13日が土曜日ということもあり、聖堂満席の参列者でミサがささげられました。
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偶然というか、天においては必然なのでしょうけれど(あたしは未だ天に行っていないので真贋はわかりません)、昨夕、私が主日ミサにあずかるために寄った教会聖堂にはポルトガルからの移民が多々おり、この教会は毎週土曜夕方に主日ミサをささげているのです。聖母ご出現から丸100年目が土曜日にあたるなんて「ビンゴ!」ではありませんか。昨夕の「ファティマの聖母の祝日」と「主日ミサ」を兼ねたごミサではフランス語とポルトガル語のチャンポン式次第となりました。上の写真もよく見ると仏蘭西語と葡萄牙語が併記されています。

写真に映る入祭の歌は日本国だと黒革のカトリック聖歌集の622番ですが、葡萄牙語の歌唱だったので「アヴェ、アヴェ、アヴェ、マリ~ア♪」の部分だけ一緒に唄うことができました(日本語だったら暗唱してンのになあ)。そして、二時間に及ぶごミサの閉祭の聖歌はカトリック聖歌集の305番「みははマリア」でした。これ、お昼間のファティマでの列聖ミサでも唄われていたけれど、ポルトガルにゆかりある聖歌なのかしらね。この聖歌も日本語だったら完璧、暗譜暗唱できるけれど、ポルトガル語だったのでメロディを鼻歌ってました。てか、あたし、「みははマリア」が大好きなのよ。3拍子だし、最後の盛り上がりがたまらん。演歌歌手ごっこができるw

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で、昨夕の主日ミサ。
こうしてファティマの聖母の祝日を兼ねていたので、100年前の三牧童と同じ年頃の女の子と男の子が当時の装束とそっくりな格好をして、ミサの間ずっと、ファティマの聖母像と一緒に祭壇近くにいました。奉納のお手伝いをかわいらしくしていましたね。

昨日のお昼間にこの三牧童のうち、早逝したフランシスコとヤシンタの兄妹が聖人となりました。兄フランシスコは11歳、妹ヤシンタは10歳で他界したので、昨日の列聖式をもって殉教以外で他界帰天した聖人の最年少が10歳のヤシンタとなりました。

余談、おとといまでの、殉教以外で帰天した聖人の最年少者はドメニコ・サヴィオです。彼は14歳で帰天しました。ドメニコ・サヴィオはサレジオ会に縁ある聖人ですので、日本国内だとサレジオ会の小管轄教会に参りますとドメニコ・サヴィオの聖像やら御絵に出会える確率が高いです。この写真 ↓ は2008年10月6日に、私が調布のサレジオ会神学院の聖堂を訪問した時に撮ったドメサヴィですw
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まあ、ドメサヴィについてはこんにちの話題でどーでもいいことですけれど、私の記憶が確かならばドメサヴィの方がサレジオ会を創立したボスコ丼より先に列聖されたはず~(これにもきちんとした美談が残っています)。2000年の夏、私がイタリアのトリノを訪問した時は扶助者聖母バジリカ聖堂の祭壇向かって左側に、ドメサヴィの遺骨が納められた壺が安置されていましたが、今はどうなのだろう?2000年当時はこの聖堂内にボスコ丼と、昨日5月13日が記念日の聖女マリア・ドメニカ・マザレロの不朽体とドメサヴィの骨壺があったので見応えありましたけれど、確かマリア・マザレロの不朽体はモルネエゼにお引っ越ししたと漏れ聞いた(うろ覚え)。

たまたま私はカトリックの小学校に通っていたので、信者でない児童も義務で「宗教」という授業にあずからねヴぁならず、その授業でファティマについてもかなり細かく習いました。小学校でも習ったし、中高でもおさらいしました。当時は巷で騒がれているファティマ第三予言について世俗はアンタッチャボーとされてはいましたが、その話題に触れなくても、聖母と交流してしまった三牧童のその後の人生についての艱難苦難は子供ごころに同情の涙を流してしまうほどで、良くも悪くも成人しても忘れることはできない記憶になりました。特に昨日列聖された兄妹については死に至る病にかかる運命というのも子供にはそれだけで震えるほどの怖さを覚えたものです。逆に長命だったルシア(三牧童の年長者で、カルメル会の修道女となった)についてはあまりに長命だったので「もしかしてこの方、死ねないお身体になってしまっているのでは?」と超自然な妄想を持ってしまったくらいです。ルシアが帰天したのは今世紀、2005年の2月13日(!)、97歳でしたから、昨日も書きなぐったとおり、ルシアについては未だ列聖にも、その前の列福にさえ至っておらず、ただ今、列福のための調査中とのこと。なんだかねー。それこそ、私が幼い頃受けた宗教の授業では列聖は死後100年でも早いくらいと教えられてきたので、その後の某教皇になってから「例外」が増えたことに違和感覚えなくもないのでアレですが、私個人は三牧童一緒の列聖が良かったな・・・と昨日まで思っていました。でも、昨日の列聖式にはとても感動してしまったので今は「ああ、良かった」という気持になりました。ルシアの列福が早くかないますようにと祈るばかりです。

これ ↓ は昨日のファティマでの列聖式ごミサ全編です。

教皇様が最後の最後に白いハンカチを振り、ファティマの聖母像がいつもの祠に戻るというシーンがあり、その時の教皇さまの表情が今まで拝見したことのないお顔だったので驚きました。こういう表情をなさる方だったのねー。

それにしても、エキブロ、リンク転載がようやく進化してありがたいっす。


le 14 mai 2017, Matthias




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by ma_cocotte | 2017-05-14 18:15 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
今にも太陽が踊り出しそう。
ポルトガルはファティマでの、聖母を見た三牧童のうちの二人、フランシスコとヤシンタの列聖式ミサがこんにち、今、ささげられていますけれど、お天気に恵まれて本当に良かったです。


お天気が良すぎると言うより、青い空と色とりどりの雲、そしてそよ吹く風と。
なにか、こう、空が呼吸をしている、息をしている感じがして、もしかしてごミサの間に太陽が踊り出すのではないかと思い始めてしまいました。(ファティマの奇跡において特に有名なのが、太陽が踊り出すという超自然現象が発生したことなのです)

それにしても、ごミサはミサVIII(天使ミサ)なのでテレビを通して視聴しているこちらも口ずさめるのがありがたいです。テレビだったので祭壇の教皇さまや式長方の所作もよく拝見できます(ただ今、未だ現在進行形。ちなみにポルトガルは大英帝国と同じ時間帯なので、今、午前11時40分頃になります)
教皇さま司式の荘厳なごミサですから献香も、聖変化でベルが鳴らされるのも当然ですが、私のようにそれらがまったく行われない土地のミサにあずかっている者には感涙ですな。ったく、我が地元と来たら・・・。そして、式長さま方。パウロ6世典礼(ノブスオルド)であっても、きちんとイエズスさまのお名前が出ると同時に頭を下げられる。これもまた、我が地元では「忘れられた所作」だっぺ。天下のヴァティカンの式長方がこうして必ず頭を下げられるのだから、あたしも地道に続けようっと。

以上、ファティマ生中継を見ながらのエントリー。
また視聴に専念いたしまする。

それにしても、この列聖は祝着至極であります。
三牧童のうち最も年長であり、長命であったルシアの列福が一日も早くかないますように。

Le 13 mai 2017, Notre Dame de Fatima

もし自分に女の子の孫がいたら「ヤシンタ」の霊名を選びたいくらい、ヤシンタが好きぃ。


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by ma_cocotte | 2017-05-13 19:45 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
これは、まれなこと。
金曜日の朝、France 2の早朝番組を見ていたら、なんでもフランチエスコ教皇様がポルトガルはファティマを訪問するとのこと。(そうゆうことが報道されるンです、仏蘭西のテレビでは)
そういえば、土曜日は5月13日だからファティマの聖母のお祝い日であることを思い出しました。加えて、そのファティマに聖母が現れたのは1917年でしたから、今年でちょうど100周年! ですから、フランチエスコ教皇様が巡礼にお出ましすることになったのでしょう。

私は2014年の10月にファティマに行き、13日の国際大会に参加しましたが、前夜祭がかなりの雨でしたのに、多くの方が夜の勤行に励まれていたことを思い出しました。
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この写真の突き当りに見えるのがファティマの聖域の元祖バジリカ聖堂ですが、私が訪問した時は大改装中で、聖母を見た三牧童の墓所しか訪問することができませんでした。


こちら↓ が三牧童のうち女子のお二人(ヤシンタ、ルシア)のお墓。
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そして、こちら ↓ が三牧童の男子 フランシスコのお墓。
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この時はせっかくファティマに来たのに元祖バジリカ聖堂の聖堂訪問ができず、聖域内の受付のシスターにボヤきもしましたが、なんでもこの改装でこの三牧童のお墓を聖堂内の床にお引っ越しするという話を伺いました。そして、雑談のついでにおそらくこの元祖バジリカ聖堂が再び使われる時に三牧童のうち唯一長命だったルシアが列福されるのではないかしら?と。そして、揃って福者となった三牧童がその数年後にヴァティカンで列聖。その「ルシアの列福」がおそらくこの聖母ご出現100周年の「今でしょ?」なのでしょうけれど、私が聞いたこの予想は大ハズレ。なんとまあ、2017年5月13日にはこのファティマの聖域で、既に列福されているヤシンタとフランシスコが聖人に列せられるとのこと。うっほー、それ、本当?と最初知った時は正直つぶやいた私です。というのも、列福式は列福された方ゆかりの土地で挙式されますが、列聖式っちゅうのはヴァティカンで挙式されることが通例だからでやんす。一方、長命だったルシアは未だ列福調査中なので「主のはしため」または「尊者」が冠せられているのでしょうが、ヤシンタとフランシスコが二馬身リードということですな。いやー、ヴァティカン以外での列聖式が行われる。このストーリー運びにはちょっとヴぃくーりしました。三人一緒に列聖がいいぢゃんねぇ。
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この写真 ↑ の左の像は聖ヨハネ・パウロ2世教皇様で、バジリカ聖堂に跪いて祈っているように見えるのがポイントであります。

私の2014年のファティマ行は2泊3日でしたので、聖域だけでなく三牧童が通っていた小教区教会、彼らが育った家、そして野外のオリーヴ畑の中にある十字架の道行にも行けました。十字架の道行の道筋には三牧童が天使からご聖体を拝領した場所があります。

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ココ ↑ がその場所。

ほら、天使 ↓ がご聖体を持ってらっさる。
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この十字架の道行、ところどころに三牧童が残した言葉の石碑が点在しており、一番幼かったヤシンタからのメッセージがかなり心に響きました。そして、三牧童が通っていた小教区教会の聖堂訪問もお勧めですよ。三牧童が洗礼を受けた洗礼盤もあれば、幼い彼らが手を合わせていた聖母像やご聖櫃が今も聖堂内にあるし、教会の向かいには墓地があり、そこには彼らの家族が眠っています。
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正直、私はルルドよりファティマが好きかもしれません。
いつかまたファティマに行ければと思います。
なんだか観光案内になってしまいましたが、土曜日のファティマあたり、晴天に恵まれますように。


le 13 mai 2017, Maria Domenica Mazarello






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by ma_cocotte | 2017-05-13 02:09 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
マリアさまが知らせたところで、ぢーざっさんは既にすべてご存知でしたとさ。
先週末だったか主日を迎える直前についうっかり見聞したニュウスがあり、それはフランスはリヨン大司教区の教区司祭が結婚を理由に還俗したというものでした。確か、その第一報ではこの司祭が還俗後には終身助祭の役目をもらうと添えられていた記憶がありますが、それはガセだったのかな。「司祭から終身助祭に役目が替わる」というのはなかなかよろしいンぢゃなくて?と私は喜んだのにな。聴罪ができなくなる、聖変化できなくなること以外、終身助祭ならば授洗、婚姻、葬儀を司れるわけで、将来のことは神のみぞ知るですが、もしこの司祭の夫人が先立たれたら、彼は司祭職に戻るなり、修道生活に入るなり、祈って決めればいいのです。我々が知ったこっちゃない。

で、スキャンダル発覚について、ですけれど、「結婚するので還俗する」という事実についてご本人も、上長である教区長(リヨンの場合、最長上はバルバラン枢機卿です)も世間や世俗信者に隠さなかったことがさいわいでした。これが隠し事になってしまうと、そこは「神の不在」になるわけです。正確には「隠そう」と決めたひとびとの間に神がいない。これ、矛盾ですわな。婚姻だって新郎新婦の間に神が存在することで成り立つのですからして。つまり、「神が不在」の場で「隠そう」と決めたっちゅうのは、そこはたとえ目に見える聖堂だろうが司祭館だろうが、どこぞのレストラン、道端でもこの際構いませんけれど、天国でもないし、エデンの園でもない。天国でも、エデンの園でもない外の世界でいくらローマンカラーをはめてようが、頭をすっぽりヴェールで覆っていようが隠し事が成り立つのであればカトリックが口酸っぱく教えている「かみさまといつも一緒、わたしたち、みんな」が崩壊するので、(初聖体を終えたならば)齢一桁のガキだって「わかんなーい。なんで神様はなんでもご存知なのに隠せンの?」と親に質問するでしょ。

と、ココで「初聖体を終えたならば」につっかかってみますが、2007年だったか、ベネディクト16世教皇様がルルドを訪問された時、現地で開催された司教総会の初日にフランス共和国内の教区を治めるすべての司教の前で、司祭減少、洗礼減少、司祭の妻帯、離婚うんぬんフランス司教団が挙げた現在のカトリック諸問題について何事も要理の勉強が不足、怠っていることに問題がある、とおっしゃった。あまりに図星だったので、ベネさまのこの発言に妙に感動した記憶が私にはあります。

それから9年と半年。
今回のスキャンダルというか報道で騒ぐ世俗の知人を眺めていると、フランスのカトリック教会において要理(カテキズム)の学習位置はベネさまの来仏以前と大して変わっていないのだなあとよくわかりました。ココんちの近隣に住む伝統主義のご家庭の親御さんが「今の教会学校に子供をあずけたところでお菓子をいただいて遊んでオシマイ。ならば通う意味ありません!」とおっしゃるのは、あらためて「ご尤も」ざます。

今回のケース。
リヨン大司教区では有名な司祭だったこともあり、一般全国紙でも記事になったようです。だから、カトリック信者でない多くのフランスびとにとってはワクワクするような下世話さが脳に生み出されますが、もしカトリック信者だったら告解のことやら、上長と彼の間の「深いやりとり、物事の進め方」などが気になってくるので、その結果「隠さないで、めでたし、めでたし」と神父様が今後、家庭召命を善くまっとうされるよう背中を押す気持にもなります。妻子を隠している司祭の隠れ家やら生活の援助という方向に話が持っていかれるのは、ちょっと「あなたはしても、わたしはしない」ですわね。

まあ、元はカトリックが国教だったフランスという国でさえ、今ではカトリックヲールドに住まう生涯独身を守るひとびと(ex 聖職者、修道者)について謎にしか見えない民の方がマヂョリティですが、きょうびフランスでは司祭館にひとり暮らしの司祭が多いですが、ひと昔前まではひとつの司祭館に3人以上の司祭が住み、教会と司祭館の雑務は世俗男性または「世俗の40歳以上の婦人」が関わっていました。
余談:私が通っていた学校の司祭館の雑務はシスター方が行っていました。
なぜシジュウ以上なのかと言うと、昔はシジュウ過ぎた女性は閉経もしくは「子ができない」と決めつけられていたからです(今はそんなことは愚かしい誰もが知っている)。今でもココんちのような超ウルトラスーパーど田舎のカトリック世界では司祭館の用務は世俗男性グループが中心だったり、ひとり住まいの神父様にはほうぼうのマダムが手料理を届けるし、逆に神父様を各家庭に日替わりで招いて食事を共にするなど行っていたりします。神父様によっては近所の女子修道院や修道会運営の高齢者施設の食堂のお世話になっていることも。ういう彼らの生活スタイルについても、私たちが「知る」機会は平等でないので、知らないひとびとには誤解やよからぬ想像になってしまうこともあります。この世は決して天国ではないし、天国の存在を信じないひとびとも多々います。だから、いくらヒトがこさえた塀の中の聖域に住もうとも、女難、男難に贅は常にすべてのひとに襲ってくるし、その中から宝を見つけるひともいる。そして、この世には聖職者や神学生ばかり好きになってしまう男女がいるのも現実なのでねぇ。それについて第三者が聖職者やら彼の恋愛対象者を批判するのも軽率に思えます(省くことの幼児性愛)。だって、そこに掛け替えのない愛が生まれたら、周囲は彼らをしあわせに生きられる方向に送り出すのも「務め」ではないかと思うからです。カトリックの聖職者や修道者が生涯独身なのは「ただひとり、イエスさまへの愛」を貫くためであって、この世でその愛が二分するなら聖域での生活は難しいですよ、はい。

兎に角、愛が芽生えたのに、愛が育まれているのに、それを「隠す」のはあり得ないでしょ。愛を隠すひとからいくら「神を信じてます」とひつこく言われてもアホらしいです。ロジック崩壊w

死ぬ瞬間までおべんきょ、おべんきょ。


le 24 février 2017, Modeste



「司祭の結婚を理由とする還俗」についてはひと昔前、ココで揉めた記憶がまだかすかに残っているので触れたくなかったンだけれど、ね。ま、いっか。




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by ma_cocotte | 2017-02-24 19:06 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
親にもらった権利をありがたく政治利用するw
まったくもって変な話である。
フランスの中道よりヒダリの政治家の多くが自称カトリックまたは自称キリスト教徒と名乗っているけれど、それはその政治家自身の意志や意思ではなく、本人が生まれた当時の世間の生活慣習や親をはじめとする家族の意向でまだ自覚ないであろう赤ん坊の自分がキリスト教の聖堂に連れて行かれて水をぶっかけられて祭壇に乗せてお祓いと祈祷してもらった・・・それから10数年後、自らの意思で社会党や共産党の思想に心酔し、カトリックやキリスト教の生活慣習から離れ、その世界におけるタブーを破っての「今がある」というのが彼ら、フランスの中道よりヒダリの方々の実体です。票を稼ぐために自称カトリックを用いる政治家は多々います。自分は生まれたての赤ん坊だったので親が勝手に決めた洗礼の事実を利用しているわけ。そういう彼ら、決してフランス語で言うところのカトリック・プラティカント、クレティアン・プラティカントではありません。つまり、日曜日に主日礼拝に通ってません。これってキリスト教に限らず、ユダヤ教や稀にイスラームの信者である有名人だって同じですよね。必ずしもユダヤ教やイスラームの生活スタイルを守っているのではなく、成人して独立するまでの青少年期は親の元で割礼に始まり信仰に基づいた厳格な生活を守っていても、たいていは高校入学後の政治運動、大学入学後の一人暮らしをきっかけに「実家のシューキョー」から離れたひとがおフランスの中道より左派の各政党に集っているわけです。中道よりヒダリでカトリックプラティカントだったのはミッテラン大統領くらいぢゃなかろうかね?(そのせいでミッテランさんの本妻は彼と一緒ではなく、宗教色のない葬儀と実家の墓への埋葬を遺言したわけで)

カトリックの慣習について重箱の隅を突っつけば、幼児洗礼は親(少なくとも片親)がカトリック信者でないと受けられないし、その親は教会で婚姻の秘跡にあずかる前の勉強で生まれてくる子供の養育義務についてしっかり教え込まれるわけで、そこには子供の幼児洗礼、初聖体、堅信までは親の責任であるという務めがあります。堅信という秘跡は教会世界においての成人を意味するので、そこから先の堅信を済ませたひとは自分で「生きる道を探求」せねばならず、それに親が強い口出しをするのは「よろしくない」ンですな。(堅信はユダヤ教だとバルミツバの習慣と捉え方に近しいと思います)

というわけで、おフランス中道よりヒダリで、国際的に有名であろう政治家さんたち、例えばオランド現大統領、彼の元パートナーのセゴレエヌ・ロワイヤル女史、次期大統領選に出馬表明したマニュエル・ヴァルス、エンマニュエル・マクロンの成育歴に上にあげたカトリックの決まりごとが当てはまることになります。しかも、オランドさん、セゴ姐、ヴァルス、マクロンなどそれぞれの実家は「熱心(すぎるほどの)カトリック家庭」w 自らの社会党支持運動のせいで実家と絶縁されてしまった左派政治家もいます。ああ、仏社会党を辞め、限りなく共産党に近い思想を掲げているヂャン・リュック・メランション Jean-Luc Mélenchon もそうね。彼もすでに次期大統領選に立候補済み http://www.jlm2017.fr/
ダニエル・シュトラスカーンとブノワ・アモンはユダヤんなのでユダヤ教の慣習(生まれてすぐの割礼からバルミツバ)があてはまりますね。ああ、中道ミギの立ち居地ですがヂャン・フランソワ・コッペ(パン)もユダヤん。忘れちゃいけない、サルコぢは割礼と幼児洗礼を受け、両親の離婚後はユダヤんのママンに育てられたキフキフ(=アラビア語で五分五分)ですが、大統領になってケネディを真似するあまりカトリックっぽさをアピールしながら、重婚ing♪

ですが、彼ら、中道よりヒダリの自称カトリックの政治家さんですが、堅信以降(つまり、高校生になって以降)の教会からの離れっぷりはそれは華々しいものでして、もしフランス語が読めるのでしたら、興味ある政治家の名前を検索すればどんだけカトリックの教義から外れた生き様をそれぞれが証しているかよぉおおくわかります。離婚もしているし、重婚もしているし、未婚のまんま同棲と出産もしている(以上、カトリック教会では「それは、罪ですね」のうちの数例にあたります)。

昨日、首相に任命されたベルナアル・カズヌゥヴの場合はカトリックを本人が名乗ったとしても幼児洗礼だけの可能性が高い。少なくとも片親がマルクス主義者で、アルジェリアで1963年生まれのカズさんですからねぇ。そのマルクス主義者の親は当時のアルジェリアでどのような働きをしていたのでしょうね。それの方が興味ありありw もしカズさんがカトリックだとして、アルジェリアのどこかの教会での籍を調べたら初聖体、堅信は未記入だと想像しますが。ちなみに、カズさんは1995年に最初の結婚をし、二人のお子さんのパパですが、2015年に再婚したことで、初婚の相手と離縁です(これもカトリック教会生活ではアウト)。

大雑把に話せば、カトリックという宗教においては幼児洗礼の子が堅信にあずかって以降、死ぬまでの放蕩についてほおっておきっぱなしが基本です。もしご本人が教会に戻って来たい気持ちがあるならば、自分の罪に向き合い、認め、償うという務めが発生し、償いまでが済んだことを聖職者が認めたら、当人はその後、何もなかったように教会生活をすることになります。共産党に傾倒しようが、地上天国万歳と賛美しようが、地下に潜って頭蓋骨を拝んでいる石工さんだろうが、息を引き取る瞬間まで改心を告白し、赦してもらえる機会が与えられているのもカトリックざんす。だから、オランド王やセゴ姐、ヴァルスにカズさんやミギのヂュペも含めて、ご自分が息を引き取る瞬間に人生における罪を赦してもらえなくもない。ご本人が求めれば、が条件です。

こういう細かい事情があるのですから、次期共和国大統領選挙の候補者について「カトリック信者」のレッテルで平らに等しく並べたら、カトリック・プラティカントの、例えばフィヨンさんは内心ムっとなるかもしれません。カトリックと名乗りながら本当は石工なのに平気で聖体拝領している姿くらい、カトリック・プラティカント、すなわち普通のカトちゃんにとって気持ち悪いことはありません。「受洗しているのだから聖体拝領は権利」なんて反論、浅はか過ぎて恐ろしい・・・。ですが、一方で、教会聖堂内の冠婚葬祭の現場での聖体拝領で離婚経験者、重婚者などなどが「聖体拝領できちゃう」ことについてはまったくもって別次元にしっかりした「できてしまう理由」があります。コレについてはココで書きません。

そんなことより、ココで書き忘れてはならないことは、お政治家の自称カトリック宣言と周囲のレッテル貼り。中道よりヒダリではなくミギつきあたり、フランスの極右政党FNの支援団体にカトリック教条伝統主義の団体がくっついていますけれども、その極右政党党首の女性は離婚しているし、再婚もしています(これ、カト的には「重婚」)。なぜヴァチカン本丸との間に距離と溝があるカトリック教条伝統主義の団体が彼女のその点について向き合わないのか、普通のカトちゃんズには不思議すぎて失笑事項だったりします。ヴァチカンは優しくても甘くありません。

でも、政治の世界がこの世の中心ならば、次期共和国大統領選挙の候補者は中道のミギつきあたりからヒダリつきあたりまでほとんどがカトリックかユダヤんですよ。だって、彼らは生まれてすぐ、
洗礼受けてる、割礼受けてますからw
ただ、常日頃、感じ取り、思っている点ですが、中道よりヒダリの政治家さんたちの貧困や労働問題の救済案について同情を覚えられるのは、今はヒダリの彼らも幼少期はキリスト教をベースにした道徳、教育で育っているであろうこと、です。まあ、フランス共和国の近代史において、それまでの過去において教会が行っていた慈善行を完全政教分離した政府が奪い、真似て、病院、初等教育をはじめとする公共施設を次々とこさえていますからね。ああ、フランスの市民婚の儀式なんて、まるでカトリックの婚姻を茶化した「偶像崇拝ショー」ですよ。


le 7 décembre 2016, Ambroise de Milan



余談。
オランド大統領とセゴ姐の間のお子達は幼児洗礼は受けていないけれど、ヴェルサイユにあるイエズス会のガッコで育てられているのよね・・・。ボソボソ
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by ma_cocotte | 2016-12-07 17:41 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
それは、それは、昔の話をほぢくり返して、この世に平和と一致をお与えくださるかしら。
あああ、世知辛いことに振り回されて、忘れるところでした。
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今年10月9日に、ポワティエの大聖堂まで「いつくしみの門扉」をくぐりに行った時、大聖堂内部で中世時代の作品と思われる天井画の修復を見学する機会に恵まれたのでした。

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私はどういう理由だかサダメ(運命)だか、せっかく訪問した名所が必ず何らかの修復中なのです。ロオマのサンルイも、ファティマも、サンチアゴデコンポステッラもそうだった。先ず残念に思うけれど、少し考えて「これは『また、いらっしゃい』というお告げなのだと思うようにして自らを宥める繰り返し。ポワティエもこうして足場だらけでの見学になりましたが、計画では来年春には修復が終わるとのこと。

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↑ これはもしかして聖母の戴冠が描かれているのではないかなあと思います。

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↑ これは下方がはっきりしないのでアレですが、たぶん「天国と父なる神」?

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↑ こりは、我らがジーざっさんざましょ。

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↑ これは大天使のお三方、ガブちゃん、ミカちゃん、ラファちゃん。←それぞれの名前に「エル、=ヘブライ語で「神」のこと」をくっつけてください。



さてさて、ポワティエの大聖堂の天井画は現段階で十分に美しいですが、どういう色が乗せられていくのでしょうねぇ。
修復ですから鮮やかにはならないのだろうと想像しつつも、そーいや、スペインで数年前、ジーざっさんの肖像画を修復したらまったく生まれ変わったジーざっさんの絵になったというスキャンダルがありましたよね・・・まさか、この天井画はあれほどの激変はないと思いますが・・・わからん。

さて、修復されているのは4枚の天井画だけでなくそれを支える柱と壁に描かれている諸聖人も。
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薄くて存在が消えかかっているので確かではありませんが、右は剣のようなものを手にしているので聖パウロ、左はポワティエの守護聖人である聖ヒラリオ教会博士です。

聖ヒラリオ教会博士がなぜポワティエの守護聖人なのかと申しますと、第二代のポワティエ司教だったから。いつの時代にポワティエ司教区のエラいひとだったかと言うと、西暦349年から367年まで。そして、このヒラリオさんはエエところのボンボンで司教になるまで出世街道の真ん中をまっしぐらだったと説明したいところですが、その逆で、ヒラリオさんの司教になるまでは「苦節」で曲がり道クネクネでした。
ヒラリオさん、いちおう315年にポワティエ周辺の貴族の家に生まれています。でも、実家は異教徒だったので、本人の洗礼は345年頃。はい、成人洗礼だったんですねぃ。既に家庭の長、父親だったという説もしっかりあります。そのヒラリオさんが聖職者として実績を重ねているところで、アリウス派という考えがキリスト教において強い力を持ち始め、ヒラリオさんはその思想に納得しませんでした。それゆえ、アリウス派に心酔する当時のロオマ皇帝コンスタンティウス2世がヒラリオさんを東方(現在のトルコ)に左遷、すっ飛ばしてしまったのです。それが355年頃で、ヒラリオさんが再び生まれ故郷に戻ってくるのは361年になります。その5、6年の間、ヒラリオさんが東方で何を体得したかと申しますと、「唄う典礼」です。ヒラリオさんは西方(つまり、ロオマより西)の母国に戻って、礼拝で唄いながら神を賛美することをひとびとに教えました。ですから、今ではもしあの時、ヒラリオさんが東方に左遷されなかったら、西方教会では今も「唄わない典礼」をささげていたかもしれない、と言われています。もうひとつはきょうび、ヒラリオさんよりはるかに有名な「トゥールの聖マルチノ」とヒラリオさんの関係ですな。このマルティノさんはハンガリー生まれで、フランスはトゥールの司教になったことで世界の津々浦々まで知られていますが、ハンガリーからフランスに入国してマルチノさんは最初、ポワティエに寄ったのです。そこの当時の司教がヒラリオさん。ヒラリオさんはポワティエからそんなに離れていないリギュヂェ Ligugé 村の土地をマルチノさんに与え、東方で見聞した「(観想)修道生活」をやってみないか?と提案します。マルチノもその気になって、修道生活をリギュヂェで始めました。ここがおフランスで最初のキリスト教修道院の基礎ができたところなんて話もあります(現在はベネディクト会に受け継がれています)。マルチノはこの修道院で西方におけるキリスト教の修道生活なるものをほぼ熟させた後、トゥールに異動して、司教の座に座ったのでござるな。

以上、あんまり知られていない諸聖人伝。
ヒラリオさんは西方教会(=現代においてはカトリック)だけでなく東方教会(=正教会とも呼ばれる)でも聖人で、東方の世界では「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス」という名称で親しまれているそうです。そういう過去があるせいだかおかげなのか、近年、誰もが知る地中海東岸諸国での東方典礼で生きるひとびとが多くフランス共和国にも難民として移住しており、ココんちあたりでもカトリック教会が東方典礼の移民信者さんのために聖堂を貸したりしていますが、ポワティエでは、流石、大司教区、太っ腹だね。旧市街の聖堂まるごとひとつポンと東方典礼にプレゼントしちゃったのでした。証拠はこれ ← クリック、ぷれぇご。西方教会の建物を丸ごともらったところで、東方教会がそのまま聖堂を使えませんから、リフォームにかなり時間がかかっているようです。でも、聖堂が西方から東方に譲られど、名称は「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス教会」なんざんすね。・・・と、感涙(私だけかw

待降節にいい話ぢゃないか・・・。
おあとよろしいようで。



le 6 décembre 2016, Nicolas de Myrea

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by ma_cocotte | 2016-12-06 17:12 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
親亀の腕に子亀孫亀を抱いて
昨日の日曜日。
午後になってお久しぶりにポワティエまで行きました。
ポワティエの旧市街のド真ん中にノートルダム・ラ・グロンドという古い教会がありまして、ココにもまたお久しぶりに足を踏み入れ、久しぶりに抹香より強いカビの臭いもかいだところで、聖堂の隅っこの、昔の洗礼盤がある場所に、このような聖像を見つけました。
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一粒で二度おいしいと申しましょうか。
この聖像一体で複数のエピソオドをおべんきょできる。
ココはポワティエなれどそこはかとなくブルタアニュ臭い聖像でもあります(ヒントになりますか)。

わたくしどもの概念が災いすると中心の女性は聖母マリアさまに決まってンでしょうが!とつぶやきがちですけれど、よくよく凝視しますと、この中心のおねいさんの右腕には赤ん坊を抱っこした子が抱かれているのです。

そんなことできるわけねーけど、できるんです。あの世なら。

と、どうでもいいことに引っかかって、絡んでみた月曜の朝。
こんにちのあたくしは忙しいの。すっぴんの月曜と決めているのにさ。ふん。(鼻からピーナツ

le 10 octobre 2016, Clair

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by ma_cocotte | 2016-10-10 16:28 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
それは地味で、静かなお知らせ
こんにちもまた、朝一番で顔本を覗いたら、
Une française...Qui est-ce ?
「(この)フランス人女性、どなた?」というエントリィが届いておりました。
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まあ、美しい。
質問されたところで私の知らない方でありますが、西方の抹香臭ただよう団体からのエントリィでしたので、ま、耶蘇世界における偉人なのだろうなあ?と妄想しつつコメント欄を見たら(註:私は「読んで」いませんw)、鍵語として Elisabeth de la Trinité がいくつも拾えました。それを検索しましたら、この方はかのブルゴオニュはディジョン Dijon でつとに知られるカルメル会修道女であり、1984年11月25日にロオマでJPIIにより列福されたとのこと。(余談、当時は列福式もロオマで行われていたのかもしれませんね。)
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Élisabeth de la Trinité
(née Élisabeth Catez le 18 juillet 1880 et morte le 9 novembre 1906)


そして、このたび、めでたくも、来る10月16日に福者 Elisabeth de la Trinité 、=三位一体のエリザベトさんはロオマで列聖のよろこびに与るのだそうです。へぇ、そうなんだ、二週間切っているのに、あたしゃ、このご慶事についてまったく知りませんでした。ココんちあたりはブルゴオニュから数百キロメートル西に位置するので地元教区(いちおう大司教区なんだけれどさ)も取り上げもせず、知らせもせず、キミガタはやすらかに生きてろ~なのかしらん。でも、こういうおフランスカトリック教会からのフランス人の列聖であってもそんなに騒がない対応の方が21世紀おフランスの世知辛い世の中に転がってる世俗には普通、日常であって(エラい世俗については知りまっせん)、つい最近ありましたマザーテレサの列聖の前宣伝から本番までの様子はわれわれおフランスのド田舎もんには異常であり、非日常だったとあらためて。なんだったんだろうね、あれ。ある種、集団ヒステリーみたいに見えた。

しっかし、カルメル会グループからの列福、列聖者は途切れることがありませんなあ。毎年、誰かしら列福、列聖されてるもの。流れ石。



le 6 octobre 2016, Bruno

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by ma_cocotte | 2016-10-06 15:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
10月4日+暦の上では大聖人フランチエスコのお祝い日
きょうの朝一番、顔本からの知らせで昨日10月4日、われらがパァパ・フランチエスコ(ここでうつむきがちに十字を切る)が8月24日に深刻な地震に見舞われたアマトリ~チエ Amatrice を訪問したことを知りました。

毎年10月4日はカトリック教゛会の暦やら西欧の旧教由来の国々の暦でフランチエスコのお名前記念日です。(詳細で表すならばカトリック典礼暦ではアシジの聖フランシスコ、旧教国ではそれぞれの言語に基づく表し方で、たとえば英語ならFrancis, 仏語だとFrançois)

そう、われらがパァパ・フランチエスコの「フランチエスコ」は、彼が教皇に選出された直後に提示した名前で、アシジの聖フランシスコからいただいたものと伝えられております。つまり、昨日は今上教皇ご本人にとりましては年に一度の霊名記念日だったのであります。ならば、そのお祝い日にほうぼうから祝賀の訪問者やら、洗練された食堂での正餐を妄想しがちの庶民でありますが、パァパ・フランチエスコは年に一度のお祝い日にヴァチカン宮殿を離れ、今もなお瓦礫のまま、村民のほとんどが仮設所で寝起きしているアマトリ~チェに行き、被災者や地震犠牲者の遺族と連日、救済復興活動に勤しむ消防隊はじめとするひとびとを慰められたとのこと。

いんやー、教皇さま、たいしたもんだと思いました。

ご自分のお祝い日に受身になるのではなく、おん自ら動いて、その日の善につとめることが耶蘇としての奉献であり、感謝につながると。羊の群れをたばねる羊飼いたる者、こうして見本を示すのが筋道であり、道筋なのでしょう。


le 5 octobre 2016, Faustine

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by ma_cocotte | 2016-10-05 17:17 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
小さき花の、
こんにちは10月1日。

首都圏ですと「東京都民の日」です。
私は東京都民ではありませんのに、学び舎が東京都内に在ったので園児、児童、生徒、学生と毎年10月1日が休日でした。そんなことどうでもよいことです。耶蘇教゛界では同じくこんにち10月1日は小テレジアの祝日です。
「小テレジア」って誰よ?
小テレジアとは「小さき花のテレジア」ですよ。
「え?誰、それ?」
ええと、小さき花のテレジアは「幼きイエスのテレジア」ですよ。
小テレジア=小さき花のテレジア=幼きイエスのテレジアなるお方は、この方 ↓ 。
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フランス共和国の中ですと、「幼きイエスのテレジアって誰よ?」と質問してくる仏人が結構いるので、「ほら、ノルマンディはリジュウ Lisieux のテレーズよ」と返答したところで、理解に至る仏人はこの10年で五割を切ったあるね(失笑。たぶん、日本語で表すところの「テレジア」はラテン語で、共和国内での「テレーズ」は Thérèse で、IDが仏蘭西で生まれ育ち亡くなった彼女の本名に含まれる Thérèse と同じになります。

日本國国内ですと、きょうび「幼きイエスのテレジア」で彼女を指すことにほぼ統一されたように思えますが、昭和を生きたカトちゃんやらあたしのような昭和の耶蘇学校在学者には「小さき花のテレジア」もしくは「小テレジア」の方が脳内でピンと反応するかもしれません。

「小テレジア」と彼女が呼ばれるのは「小さき花のテレジア」を略したわけでなく、彼女が奉献生活を送った女子カルメル会の創立者の名前がラテン語で表すと同じく「テレジア」であり、彼女もまた聖女であるので、彼女については「大テレジア」という愛称があるのです。ちなみに大テレジアのお祝い日はこんにちから二週間後、10月15日でごわす。もしお友達の名前がテレーズやテレサだったら大小どちらにゆかりがあるのか伺ってからお祝いした方がいい場合もありますし、聞いたところで「そんなの知らない」と返答されることもきょうび21世紀の仏蘭西だったらよくあることです(むしろこの反応がマヂョリティ)。

そして、「小さき花の」の冠も、昭和に育った日本婦女子にはどこか懐かしい響きで、当時は同じ冠の幼稚園などが各地に点在していたものです。もし昭和時代に耶蘇学校や教会学校に通っていたら、同級生やお仲間の女の子の洗礼名が「小さき花のテレジア」だったケースが多々あると思います。当時は女児の幼児洗礼で人気の名前のひとつが「小さき花のテレジア」だったのですね。今の人気のおクリスチャンネームは何なのかしら?

こんなことでも昭和は遠くなりにけりざます。

どうぞ良い週末を。


le 1er octobre 2016, Thérèse de l'Enfant-Jésus

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by ma_cocotte | 2016-10-01 16:20 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)