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マリアさまが知らせたところで、ぢーざっさんは既にすべてご存知でしたとさ。
先週末だったか主日を迎える直前についうっかり見聞したニュウスがあり、それはフランスはリヨン大司教区の教区司祭が結婚を理由に還俗したというものでした。確か、その第一報ではこの司祭が還俗後には終身助祭の役目をもらうと添えられていた記憶がありますが、それはガセだったのかな。「司祭から終身助祭に役目が替わる」というのはなかなかよろしいンぢゃなくて?と私は喜んだのにな。聴罪ができなくなる、聖変化できなくなること以外、終身助祭ならば授洗、婚姻、葬儀を司れるわけで、将来のことは神のみぞ知るですが、もしこの司祭の夫人が先立たれたら、彼は司祭職に戻るなり、修道生活に入るなり、祈って決めればいいのです。我々が知ったこっちゃない。

で、スキャンダル発覚について、ですけれど、「結婚するので還俗する」という事実についてご本人も、上長である教区長(リヨンの場合、最長上はバルバラン枢機卿です)も世間や世俗信者に隠さなかったことがさいわいでした。これが隠し事になってしまうと、そこは「神の不在」になるわけです。正確には「隠そう」と決めたひとびとの間に神がいない。これ、矛盾ですわな。婚姻だって新郎新婦の間に神が存在することで成り立つのですからして。つまり、「神が不在」の場で「隠そう」と決めたっちゅうのは、そこはたとえ目に見える聖堂だろうが司祭館だろうが、どこぞのレストラン、道端でもこの際構いませんけれど、天国でもないし、エデンの園でもない。天国でも、エデンの園でもない外の世界でいくらローマンカラーをはめてようが、頭をすっぽりヴェールで覆っていようが隠し事が成り立つのであればカトリックが口酸っぱく教えている「かみさまといつも一緒、わたしたち、みんな」が崩壊するので、(初聖体を終えたならば)齢一桁のガキだって「わかんなーい。なんで神様はなんでもご存知なのに隠せンの?」と親に質問するでしょ。

と、ココで「初聖体を終えたならば」につっかかってみますが、2007年だったか、ベネディクト16世教皇様がルルドを訪問された時、現地で開催された司教総会の初日にフランス共和国内の教区を治めるすべての司教の前で、司祭減少、洗礼減少、司祭の妻帯、離婚うんぬんフランス司教団が挙げた現在のカトリック諸問題について何事も要理の勉強が不足、怠っていることに問題がある、とおっしゃった。あまりに図星だったので、ベネさまのこの発言に妙に感動した記憶が私にはあります。

それから9年と半年。
今回のスキャンダルというか報道で騒ぐ世俗の知人を眺めていると、フランスのカトリック教会において要理(カテキズム)の学習位置はベネさまの来仏以前と大して変わっていないのだなあとよくわかりました。ココんちの近隣に住む伝統主義のご家庭の親御さんが「今の教会学校に子供をあずけたところでお菓子をいただいて遊んでオシマイ。ならば通う意味ありません!」とおっしゃるのは、あらためて「ご尤も」ざます。

今回のケース。
リヨン大司教区では有名な司祭だったこともあり、一般全国紙でも記事になったようです。だから、カトリック信者でない多くのフランスびとにとってはワクワクするような下世話さが脳に生み出されますが、もしカトリック信者だったら告解のことやら、上長と彼の間の「深いやりとり、物事の進め方」などが気になってくるので、その結果「隠さないで、めでたし、めでたし」と神父様が今後、家庭召命を善くまっとうされるよう背中を押す気持にもなります。妻子を隠している司祭の隠れ家やら生活の援助という方向に話が持っていかれるのは、ちょっと「あなたはしても、わたしはしない」ですわね。

まあ、元はカトリックが国教だったフランスという国でさえ、今ではカトリックヲールドに住まう生涯独身を守るひとびと(ex 聖職者、修道者)について謎にしか見えない民の方がマヂョリティですが、きょうびフランスでは司祭館にひとり暮らしの司祭が多いですが、ひと昔前まではひとつの司祭館に3人以上の司祭が住み、教会と司祭館の雑務は世俗男性または「世俗の40歳以上の婦人」が関わっていました。
余談:私が通っていた学校の司祭館の雑務はシスター方が行っていました。
なぜシジュウ以上なのかと言うと、昔はシジュウ過ぎた女性は閉経もしくは「子ができない」と決めつけられていたからです(今はそんなことは愚かしい誰もが知っている)。今でもココんちのような超ウルトラスーパーど田舎のカトリック世界では司祭館の用務は世俗男性グループが中心だったり、ひとり住まいの神父様にはほうぼうのマダムが手料理を届けるし、逆に神父様を各家庭に日替わりで招いて食事を共にするなど行っていたりします。神父様によっては近所の女子修道院や修道会運営の高齢者施設の食堂のお世話になっていることも。ういう彼らの生活スタイルについても、私たちが「知る」機会は平等でないので、知らないひとびとには誤解やよからぬ想像になってしまうこともあります。この世は決して天国ではないし、天国の存在を信じないひとびとも多々います。だから、いくらヒトがこさえた塀の中の聖域に住もうとも、女難、男難に贅は常にすべてのひとに襲ってくるし、その中から宝を見つけるひともいる。そして、この世には聖職者や神学生ばかり好きになってしまう男女がいるのも現実なのでねぇ。それについて第三者が聖職者やら彼の恋愛対象者を批判するのも軽率に思えます(省くことの幼児性愛)。だって、そこに掛け替えのない愛が生まれたら、周囲は彼らをしあわせに生きられる方向に送り出すのも「務め」ではないかと思うからです。カトリックの聖職者や修道者が生涯独身なのは「ただひとり、イエスさまへの愛」を貫くためであって、この世でその愛が二分するなら聖域での生活は難しいですよ、はい。

兎に角、愛が芽生えたのに、愛が育まれているのに、それを「隠す」のはあり得ないでしょ。愛を隠すひとからいくら「神を信じてます」とひつこく言われてもアホらしいです。ロジック崩壊w

死ぬ瞬間までおべんきょ、おべんきょ。


le 24 février 2017, Modeste



「司祭の結婚を理由とする還俗」についてはひと昔前、ココで揉めた記憶がまだかすかに残っているので触れたくなかったンだけれど、ね。ま、いっか。




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by ma_cocotte | 2017-02-24 19:06 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
親にもらった権利をありがたく政治利用するw
まったくもって変な話である。
フランスの中道よりヒダリの政治家の多くが自称カトリックまたは自称キリスト教徒と名乗っているけれど、それはその政治家自身の意志や意思ではなく、本人が生まれた当時の世間の生活慣習や親をはじめとする家族の意向でまだ自覚ないであろう赤ん坊の自分がキリスト教の聖堂に連れて行かれて水をぶっかけられて祭壇に乗せてお祓いと祈祷してもらった・・・それから10数年後、自らの意思で社会党や共産党の思想に心酔し、カトリックやキリスト教の生活慣習から離れ、その世界におけるタブーを破っての「今がある」というのが彼ら、フランスの中道よりヒダリの方々の実体です。票を稼ぐために自称カトリックを用いる政治家は多々います。自分は生まれたての赤ん坊だったので親が勝手に決めた洗礼の事実を利用しているわけ。そういう彼ら、決してフランス語で言うところのカトリック・プラティカント、クレティアン・プラティカントではありません。つまり、日曜日に主日礼拝に通ってません。これってキリスト教に限らず、ユダヤ教や稀にイスラームの信者である有名人だって同じですよね。必ずしもユダヤ教やイスラームの生活スタイルを守っているのではなく、成人して独立するまでの青少年期は親の元で割礼に始まり信仰に基づいた厳格な生活を守っていても、たいていは高校入学後の政治運動、大学入学後の一人暮らしをきっかけに「実家のシューキョー」から離れたひとがおフランスの中道より左派の各政党に集っているわけです。中道よりヒダリでカトリックプラティカントだったのはミッテラン大統領くらいぢゃなかろうかね?(そのせいでミッテランさんの本妻は彼と一緒ではなく、宗教色のない葬儀と実家の墓への埋葬を遺言したわけで)

カトリックの慣習について重箱の隅を突っつけば、幼児洗礼は親(少なくとも片親)がカトリック信者でないと受けられないし、その親は教会で婚姻の秘跡にあずかる前の勉強で生まれてくる子供の養育義務についてしっかり教え込まれるわけで、そこには子供の幼児洗礼、初聖体、堅信までは親の責任であるという務めがあります。堅信という秘跡は教会世界においての成人を意味するので、そこから先の堅信を済ませたひとは自分で「生きる道を探求」せねばならず、それに親が強い口出しをするのは「よろしくない」ンですな。(堅信はユダヤ教だとバルミツバの習慣と捉え方に近しいと思います)

というわけで、おフランス中道よりヒダリで、国際的に有名であろう政治家さんたち、例えばオランド現大統領、彼の元パートナーのセゴレエヌ・ロワイヤル女史、次期大統領選に出馬表明したマニュエル・ヴァルス、エンマニュエル・マクロンの成育歴に上にあげたカトリックの決まりごとが当てはまることになります。しかも、オランドさん、セゴ姐、ヴァルス、マクロンなどそれぞれの実家は「熱心(すぎるほどの)カトリック家庭」w 自らの社会党支持運動のせいで実家と絶縁されてしまった左派政治家もいます。ああ、仏社会党を辞め、限りなく共産党に近い思想を掲げているヂャン・リュック・メランション Jean-Luc Mélenchon もそうね。彼もすでに次期大統領選に立候補済み http://www.jlm2017.fr/
ダニエル・シュトラスカーンとブノワ・アモンはユダヤんなのでユダヤ教の慣習(生まれてすぐの割礼からバルミツバ)があてはまりますね。ああ、中道ミギの立ち居地ですがヂャン・フランソワ・コッペ(パン)もユダヤん。忘れちゃいけない、サルコぢは割礼と幼児洗礼を受け、両親の離婚後はユダヤんのママンに育てられたキフキフ(=アラビア語で五分五分)ですが、大統領になってケネディを真似するあまりカトリックっぽさをアピールしながら、重婚ing♪

ですが、彼ら、中道よりヒダリの自称カトリックの政治家さんですが、堅信以降(つまり、高校生になって以降)の教会からの離れっぷりはそれは華々しいものでして、もしフランス語が読めるのでしたら、興味ある政治家の名前を検索すればどんだけカトリックの教義から外れた生き様をそれぞれが証しているかよぉおおくわかります。離婚もしているし、重婚もしているし、未婚のまんま同棲と出産もしている(以上、カトリック教会では「それは、罪ですね」のうちの数例にあたります)。

昨日、首相に任命されたベルナアル・カズヌゥヴの場合はカトリックを本人が名乗ったとしても幼児洗礼だけの可能性が高い。少なくとも片親がマルクス主義者で、アルジェリアで1963年生まれのカズさんですからねぇ。そのマルクス主義者の親は当時のアルジェリアでどのような働きをしていたのでしょうね。それの方が興味ありありw もしカズさんがカトリックだとして、アルジェリアのどこかの教会での籍を調べたら初聖体、堅信は未記入だと想像しますが。ちなみに、カズさんは1995年に最初の結婚をし、二人のお子さんのパパですが、2015年に再婚したことで、初婚の相手と離縁です(これもカトリック教会生活ではアウト)。

大雑把に話せば、カトリックという宗教においては幼児洗礼の子が堅信にあずかって以降、死ぬまでの放蕩についてほおっておきっぱなしが基本です。もしご本人が教会に戻って来たい気持ちがあるならば、自分の罪に向き合い、認め、償うという務めが発生し、償いまでが済んだことを聖職者が認めたら、当人はその後、何もなかったように教会生活をすることになります。共産党に傾倒しようが、地上天国万歳と賛美しようが、地下に潜って頭蓋骨を拝んでいる石工さんだろうが、息を引き取る瞬間まで改心を告白し、赦してもらえる機会が与えられているのもカトリックざんす。だから、オランド王やセゴ姐、ヴァルスにカズさんやミギのヂュペも含めて、ご自分が息を引き取る瞬間に人生における罪を赦してもらえなくもない。ご本人が求めれば、が条件です。

こういう細かい事情があるのですから、次期共和国大統領選挙の候補者について「カトリック信者」のレッテルで平らに等しく並べたら、カトリック・プラティカントの、例えばフィヨンさんは内心ムっとなるかもしれません。カトリックと名乗りながら本当は石工なのに平気で聖体拝領している姿くらい、カトリック・プラティカント、すなわち普通のカトちゃんにとって気持ち悪いことはありません。「受洗しているのだから聖体拝領は権利」なんて反論、浅はか過ぎて恐ろしい・・・。ですが、一方で、教会聖堂内の冠婚葬祭の現場での聖体拝領で離婚経験者、重婚者などなどが「聖体拝領できちゃう」ことについてはまったくもって別次元にしっかりした「できてしまう理由」があります。コレについてはココで書きません。

そんなことより、ココで書き忘れてはならないことは、お政治家の自称カトリック宣言と周囲のレッテル貼り。中道よりヒダリではなくミギつきあたり、フランスの極右政党FNの支援団体にカトリック教条伝統主義の団体がくっついていますけれども、その極右政党党首の女性は離婚しているし、再婚もしています(これ、カト的には「重婚」)。なぜヴァチカン本丸との間に距離と溝があるカトリック教条伝統主義の団体が彼女のその点について向き合わないのか、普通のカトちゃんズには不思議すぎて失笑事項だったりします。ヴァチカンは優しくても甘くありません。

でも、政治の世界がこの世の中心ならば、次期共和国大統領選挙の候補者は中道のミギつきあたりからヒダリつきあたりまでほとんどがカトリックかユダヤんですよ。だって、彼らは生まれてすぐ、
洗礼受けてる、割礼受けてますからw
ただ、常日頃、感じ取り、思っている点ですが、中道よりヒダリの政治家さんたちの貧困や労働問題の救済案について同情を覚えられるのは、今はヒダリの彼らも幼少期はキリスト教をベースにした道徳、教育で育っているであろうこと、です。まあ、フランス共和国の近代史において、それまでの過去において教会が行っていた慈善行を完全政教分離した政府が奪い、真似て、病院、初等教育をはじめとする公共施設を次々とこさえていますからね。ああ、フランスの市民婚の儀式なんて、まるでカトリックの婚姻を茶化した「偶像崇拝ショー」ですよ。


le 7 décembre 2016, Ambroise de Milan



余談。
オランド大統領とセゴ姐の間のお子達は幼児洗礼は受けていないけれど、ヴェルサイユにあるイエズス会のガッコで育てられているのよね・・・。ボソボソ
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by ma_cocotte | 2016-12-07 17:41 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
それは、それは、昔の話をほぢくり返して、この世に平和と一致をお与えくださるかしら。
あああ、世知辛いことに振り回されて、忘れるところでした。
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今年10月9日に、ポワティエの大聖堂まで「いつくしみの門扉」をくぐりに行った時、大聖堂内部で中世時代の作品と思われる天井画の修復を見学する機会に恵まれたのでした。

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私はどういう理由だかサダメ(運命)だか、せっかく訪問した名所が必ず何らかの修復中なのです。ロオマのサンルイも、ファティマも、サンチアゴデコンポステッラもそうだった。先ず残念に思うけれど、少し考えて「これは『また、いらっしゃい』というお告げなのだと思うようにして自らを宥める繰り返し。ポワティエもこうして足場だらけでの見学になりましたが、計画では来年春には修復が終わるとのこと。

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↑ これはもしかして聖母の戴冠が描かれているのではないかなあと思います。

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↑ これは下方がはっきりしないのでアレですが、たぶん「天国と父なる神」?

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↑ こりは、我らがジーざっさんざましょ。

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↑ これは大天使のお三方、ガブちゃん、ミカちゃん、ラファちゃん。←それぞれの名前に「エル、=ヘブライ語で「神」のこと」をくっつけてください。



さてさて、ポワティエの大聖堂の天井画は現段階で十分に美しいですが、どういう色が乗せられていくのでしょうねぇ。
修復ですから鮮やかにはならないのだろうと想像しつつも、そーいや、スペインで数年前、ジーざっさんの肖像画を修復したらまったく生まれ変わったジーざっさんの絵になったというスキャンダルがありましたよね・・・まさか、この天井画はあれほどの激変はないと思いますが・・・わからん。

さて、修復されているのは4枚の天井画だけでなくそれを支える柱と壁に描かれている諸聖人も。
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薄くて存在が消えかかっているので確かではありませんが、右は剣のようなものを手にしているので聖パウロ、左はポワティエの守護聖人である聖ヒラリオ教会博士です。

聖ヒラリオ教会博士がなぜポワティエの守護聖人なのかと申しますと、第二代のポワティエ司教だったから。いつの時代にポワティエ司教区のエラいひとだったかと言うと、西暦349年から367年まで。そして、このヒラリオさんはエエところのボンボンで司教になるまで出世街道の真ん中をまっしぐらだったと説明したいところですが、その逆で、ヒラリオさんの司教になるまでは「苦節」で曲がり道クネクネでした。
ヒラリオさん、いちおう315年にポワティエ周辺の貴族の家に生まれています。でも、実家は異教徒だったので、本人の洗礼は345年頃。はい、成人洗礼だったんですねぃ。既に家庭の長、父親だったという説もしっかりあります。そのヒラリオさんが聖職者として実績を重ねているところで、アリウス派という考えがキリスト教において強い力を持ち始め、ヒラリオさんはその思想に納得しませんでした。それゆえ、アリウス派に心酔する当時のロオマ皇帝コンスタンティウス2世がヒラリオさんを東方(現在のトルコ)に左遷、すっ飛ばしてしまったのです。それが355年頃で、ヒラリオさんが再び生まれ故郷に戻ってくるのは361年になります。その5、6年の間、ヒラリオさんが東方で何を体得したかと申しますと、「唄う典礼」です。ヒラリオさんは西方(つまり、ロオマより西)の母国に戻って、礼拝で唄いながら神を賛美することをひとびとに教えました。ですから、今ではもしあの時、ヒラリオさんが東方に左遷されなかったら、西方教会では今も「唄わない典礼」をささげていたかもしれない、と言われています。もうひとつはきょうび、ヒラリオさんよりはるかに有名な「トゥールの聖マルチノ」とヒラリオさんの関係ですな。このマルティノさんはハンガリー生まれで、フランスはトゥールの司教になったことで世界の津々浦々まで知られていますが、ハンガリーからフランスに入国してマルチノさんは最初、ポワティエに寄ったのです。そこの当時の司教がヒラリオさん。ヒラリオさんはポワティエからそんなに離れていないリギュヂェ Ligugé 村の土地をマルチノさんに与え、東方で見聞した「(観想)修道生活」をやってみないか?と提案します。マルチノもその気になって、修道生活をリギュヂェで始めました。ここがおフランスで最初のキリスト教修道院の基礎ができたところなんて話もあります(現在はベネディクト会に受け継がれています)。マルチノはこの修道院で西方におけるキリスト教の修道生活なるものをほぼ熟させた後、トゥールに異動して、司教の座に座ったのでござるな。

以上、あんまり知られていない諸聖人伝。
ヒラリオさんは西方教会(=現代においてはカトリック)だけでなく東方教会(=正教会とも呼ばれる)でも聖人で、東方の世界では「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス」という名称で親しまれているそうです。そういう過去があるせいだかおかげなのか、近年、誰もが知る地中海東岸諸国での東方典礼で生きるひとびとが多くフランス共和国にも難民として移住しており、ココんちあたりでもカトリック教会が東方典礼の移民信者さんのために聖堂を貸したりしていますが、ポワティエでは、流石、大司教区、太っ腹だね。旧市街の聖堂まるごとひとつポンと東方典礼にプレゼントしちゃったのでした。証拠はこれ ← クリック、ぷれぇご。西方教会の建物を丸ごともらったところで、東方教会がそのまま聖堂を使えませんから、リフォームにかなり時間がかかっているようです。でも、聖堂が西方から東方に譲られど、名称は「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス教会」なんざんすね。・・・と、感涙(私だけかw

待降節にいい話ぢゃないか・・・。
おあとよろしいようで。



le 6 décembre 2016, Nicolas de Myrea

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by ma_cocotte | 2016-12-06 17:12 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
親亀の腕に子亀孫亀を抱いて
昨日の日曜日。
午後になってお久しぶりにポワティエまで行きました。
ポワティエの旧市街のド真ん中にノートルダム・ラ・グロンドという古い教会がありまして、ココにもまたお久しぶりに足を踏み入れ、久しぶりに抹香より強いカビの臭いもかいだところで、聖堂の隅っこの、昔の洗礼盤がある場所に、このような聖像を見つけました。
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一粒で二度おいしいと申しましょうか。
この聖像一体で複数のエピソオドをおべんきょできる。
ココはポワティエなれどそこはかとなくブルタアニュ臭い聖像でもあります(ヒントになりますか)。

わたくしどもの概念が災いすると中心の女性は聖母マリアさまに決まってンでしょうが!とつぶやきがちですけれど、よくよく凝視しますと、この中心のおねいさんの右腕には赤ん坊を抱っこした子が抱かれているのです。

そんなことできるわけねーけど、できるんです。あの世なら。

と、どうでもいいことに引っかかって、絡んでみた月曜の朝。
こんにちのあたくしは忙しいの。すっぴんの月曜と決めているのにさ。ふん。(鼻からピーナツ

le 10 octobre 2016, Clair

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by ma_cocotte | 2016-10-10 16:28 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
それは地味で、静かなお知らせ
こんにちもまた、朝一番で顔本を覗いたら、
Une française...Qui est-ce ?
「(この)フランス人女性、どなた?」というエントリィが届いておりました。
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まあ、美しい。
質問されたところで私の知らない方でありますが、西方の抹香臭ただよう団体からのエントリィでしたので、ま、耶蘇世界における偉人なのだろうなあ?と妄想しつつコメント欄を見たら(註:私は「読んで」いませんw)、鍵語として Elisabeth de la Trinité がいくつも拾えました。それを検索しましたら、この方はかのブルゴオニュはディジョン Dijon でつとに知られるカルメル会修道女であり、1984年11月25日にロオマでJPIIにより列福されたとのこと。(余談、当時は列福式もロオマで行われていたのかもしれませんね。)
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Élisabeth de la Trinité
(née Élisabeth Catez le 18 juillet 1880 et morte le 9 novembre 1906)


そして、このたび、めでたくも、来る10月16日に福者 Elisabeth de la Trinité 、=三位一体のエリザベトさんはロオマで列聖のよろこびに与るのだそうです。へぇ、そうなんだ、二週間切っているのに、あたしゃ、このご慶事についてまったく知りませんでした。ココんちあたりはブルゴオニュから数百キロメートル西に位置するので地元教区(いちおう大司教区なんだけれどさ)も取り上げもせず、知らせもせず、キミガタはやすらかに生きてろ~なのかしらん。でも、こういうおフランスカトリック教会からのフランス人の列聖であってもそんなに騒がない対応の方が21世紀おフランスの世知辛い世の中に転がってる世俗には普通、日常であって(エラい世俗については知りまっせん)、つい最近ありましたマザーテレサの列聖の前宣伝から本番までの様子はわれわれおフランスのド田舎もんには異常であり、非日常だったとあらためて。なんだったんだろうね、あれ。ある種、集団ヒステリーみたいに見えた。

しっかし、カルメル会グループからの列福、列聖者は途切れることがありませんなあ。毎年、誰かしら列福、列聖されてるもの。流れ石。



le 6 octobre 2016, Bruno

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by ma_cocotte | 2016-10-06 15:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
10月4日+暦の上では大聖人フランチエスコのお祝い日
きょうの朝一番、顔本からの知らせで昨日10月4日、われらがパァパ・フランチエスコ(ここでうつむきがちに十字を切る)が8月24日に深刻な地震に見舞われたアマトリ~チエ Amatrice を訪問したことを知りました。

毎年10月4日はカトリック教゛会の暦やら西欧の旧教由来の国々の暦でフランチエスコのお名前記念日です。(詳細で表すならばカトリック典礼暦ではアシジの聖フランシスコ、旧教国ではそれぞれの言語に基づく表し方で、たとえば英語ならFrancis, 仏語だとFrançois)

そう、われらがパァパ・フランチエスコの「フランチエスコ」は、彼が教皇に選出された直後に提示した名前で、アシジの聖フランシスコからいただいたものと伝えられております。つまり、昨日は今上教皇ご本人にとりましては年に一度の霊名記念日だったのであります。ならば、そのお祝い日にほうぼうから祝賀の訪問者やら、洗練された食堂での正餐を妄想しがちの庶民でありますが、パァパ・フランチエスコは年に一度のお祝い日にヴァチカン宮殿を離れ、今もなお瓦礫のまま、村民のほとんどが仮設所で寝起きしているアマトリ~チェに行き、被災者や地震犠牲者の遺族と連日、救済復興活動に勤しむ消防隊はじめとするひとびとを慰められたとのこと。

いんやー、教皇さま、たいしたもんだと思いました。

ご自分のお祝い日に受身になるのではなく、おん自ら動いて、その日の善につとめることが耶蘇としての奉献であり、感謝につながると。羊の群れをたばねる羊飼いたる者、こうして見本を示すのが筋道であり、道筋なのでしょう。


le 5 octobre 2016, Faustine

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by ma_cocotte | 2016-10-05 17:17 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
小さき花の、
こんにちは10月1日。

首都圏ですと「東京都民の日」です。
私は東京都民ではありませんのに、学び舎が東京都内に在ったので園児、児童、生徒、学生と毎年10月1日が休日でした。そんなことどうでもよいことです。耶蘇教゛界では同じくこんにち10月1日は小テレジアの祝日です。
「小テレジア」って誰よ?
小テレジアとは「小さき花のテレジア」ですよ。
「え?誰、それ?」
ええと、小さき花のテレジアは「幼きイエスのテレジア」ですよ。
小テレジア=小さき花のテレジア=幼きイエスのテレジアなるお方は、この方 ↓ 。
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フランス共和国の中ですと、「幼きイエスのテレジアって誰よ?」と質問してくる仏人が結構いるので、「ほら、ノルマンディはリジュウ Lisieux のテレーズよ」と返答したところで、理解に至る仏人はこの10年で五割を切ったあるね(失笑。たぶん、日本語で表すところの「テレジア」はラテン語で、共和国内での「テレーズ」は Thérèse で、IDが仏蘭西で生まれ育ち亡くなった彼女の本名に含まれる Thérèse と同じになります。

日本國国内ですと、きょうび「幼きイエスのテレジア」で彼女を指すことにほぼ統一されたように思えますが、昭和を生きたカトちゃんやらあたしのような昭和の耶蘇学校在学者には「小さき花のテレジア」もしくは「小テレジア」の方が脳内でピンと反応するかもしれません。

「小テレジア」と彼女が呼ばれるのは「小さき花のテレジア」を略したわけでなく、彼女が奉献生活を送った女子カルメル会の創立者の名前がラテン語で表すと同じく「テレジア」であり、彼女もまた聖女であるので、彼女については「大テレジア」という愛称があるのです。ちなみに大テレジアのお祝い日はこんにちから二週間後、10月15日でごわす。もしお友達の名前がテレーズやテレサだったら大小どちらにゆかりがあるのか伺ってからお祝いした方がいい場合もありますし、聞いたところで「そんなの知らない」と返答されることもきょうび21世紀の仏蘭西だったらよくあることです(むしろこの反応がマヂョリティ)。

そして、「小さき花の」の冠も、昭和に育った日本婦女子にはどこか懐かしい響きで、当時は同じ冠の幼稚園などが各地に点在していたものです。もし昭和時代に耶蘇学校や教会学校に通っていたら、同級生やお仲間の女の子の洗礼名が「小さき花のテレジア」だったケースが多々あると思います。当時は女児の幼児洗礼で人気の名前のひとつが「小さき花のテレジア」だったのですね。今の人気のおクリスチャンネームは何なのかしら?

こんなことでも昭和は遠くなりにけりざます。

どうぞ良い週末を。


le 1er octobre 2016, Thérèse de l'Enfant-Jésus

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by ma_cocotte | 2016-10-01 16:20 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
大聖女の功罪なのかもしれないけれどさ。
昨日は午前十時から仏国営放送総合(France 2)で生中継されたコルコタの(マザー)テレザの列聖式とそれに続く主日ミサを私は毎度のごとく「~ながら視聴」しました。こんぴーたにおいてもYouTubeのヴァチカン公式チャンネルからライヴ中継されていたので便利でした。コレ ↓ ね。デオ・おグラアシアス。


おフランスでは一週前の日曜の午前にマザーテレサの生前についてドキュメンタリー番組が放映され、その翌日からコマアシャルで次の日曜日の午前十時から列聖式生中継放映と繰り返されていたせいか、傍観していると現実でもテレビ画面の中でもどこか多くのひとびとがヒステリー状態になってしまっているのではないかと想像するほどでしたが、こうして列聖式のライヴ中継を見たら、参列者はサンピエトロ広場内に納まっていたので想像より参列した一般人が少ない。現実に目を覚ますことができました。やっぱヴィジュアルって大事だね。聞いただけぢゃ妄想が災いします。

まあ、昨日は「これをもってマザーテレサは聖人になりました、まるっ」程度の締めくくりの心持だったのは私だけではないと思うし、一方で今もって「とうとうマザーテレサは聖人になったのだ」と興奮が冷めないままのひとびとも世界中にたくさんいらっしゃるのだと察します。

昨日はたまたま「マザーテレサ」で検索したらマザーについての批判文書が上位を占めていたのでちょいとヴぃくーりもしましたし、私個人の彼女への冷めた、ドンビキの感覚の理由の根と比べ、その批判が私のソレとはツボ違いに思えたのでちょっと安心したりもしました。

私のようなおば(あ)さんが未成年時にたまたまカトリックミッションスクールに籍を置いたことで、はるか昔のマザーテレサの来日やその後の各国訪問、ノーベル平和賞受賞の前後もライヴで知ってはいました。当時の批判の素は単純に2点だったと記憶しています。それは彼女が集金上手であることと、臨終洗礼がマザーテレサが有名になって以降減ったことです。

集金上手については私としては19世紀の天才がドンボスコなら、20世紀の天才がマザーテレサ程度にしか想像つきません。で、それの何が問題なのかもよくわからん。というのも、きょうび列聖審査や会議には必ず列聖にネガティヴな立場の人物が委員に存在しているので「福者某は金集めに熱心で、祈りに欠けていた。清貧から見ていかがなもんだろ?」と問う者が複数いるわけです。そういう反論者からの意見も含めて最終的に列聖が決定し、教皇がお認めするわけですから、世界に散らばるシモジモがブーブー言い続けるのは愚。意外と列聖認定は「お友達サークルでわいわい」としか概念にないひとびとが列聖について疑いと教会批判を延々と述べまくるのが世の常だったりしますね。

次に臨終洗礼については、むしろこちらの問題の方が「お金集めの天才」の話題より重要なことなのかもしれません。
昔だったら、政教一致の国においては、国民の生から死までカトリックが包括していたわけで、病院で誕生した赤ん坊がすぐ病院内の聖堂で洗礼を受けることも当たり前、孤児院に引き取られた子供が洗礼をすぐ授けられてしまうのも当たり前でした。が、これは「政教一致の、カトリックが国教の国」だからであり、宣教先の異教国の場合はどうなのだろう?と一呼吸置くのが考察する道筋の出始めではないかと思います。

マザーテレサが生涯のほとんどを過ごしたのはインドであり、インドにおいてキリスト教、カトリックはマイナー宗教です。ヒンズー教の生活文化ゆえか、インドは貧富の差が大きい国でもあるので、世界中のキリスト教新旧あらゆる派閥の団体が宣教師をインドに派遣しました。マザーテレサも最初は富裕層の女子を教育する学園に派遣されたカトリックの宣教女のひとりでした。彼女はインドで日常を過ごすことで、インドには「生まれながらに死ぬために存在する階級」が存在することや障がい者として生まれた赤子を捨てる習慣もあることを、インド国内にありながら富に恵まれた学園、修道院を囲む塀から飛び出したことで現実を知り、塀の外の広い世界でそのような枠に追い込まれた弱者たちへの救済の思いがどんどん心の中で強くなり、最後には彼女が奉献生活をしていた修道会から一度出、新たにインド巷の貧困者を救済するための修道女会の設立となったわけです。

日本ではどういう理由、心理なのかマザーが創立した「死を待つ人の家」についてばかりクローズアップされますが、おフランスではなぜか「死を待つ人の家」より路上に置き去りにされた乳幼児、障がい児の施設について強調されることが多いです。

個人的に思うに、ですが、カトリックの慣習からして、もし乳幼児の施設に引き取られた乳幼児や障がい児には洗礼が授けられているでしょうが、死を待つ人の家に引き取られた成人男女には洗礼を必ずしも授けておらず、彼ら本人の意思と意志を引き取った側の施設職員が何より尊重するというベースです。乳幼児と成人を分けて考える。もちろんわれわれがカトリック信者ならば死にゆくひとを前に愛があればあるほど天国に直行してもらいたいから臨終洗礼を授けたくなる気持ちは当然、自然です。が、おそらくマザーテレサの判断は引き取った成人がもし意識清明ならば本人の宗旨を尋ね、そのご本人が信じる宗教を尊重して「死に行く人の死」を見送り、その方のこの世の人生を締めくくられていたのだと思います。これがもし、マザーがご自分の施設に運ばれた死にいくひとびと全員にまず必ず洗礼を授け、洗礼を授けられた者のみが施設の敷居をまたげ、治療をはじめとする恩恵にあずかれるといたならば、ネットで批判をしている人物の数が幾分減ったのかもしれません。(つまり、乳幼児施設で行っているであろうことだけれど、このcan、can、canな文章に吐き気を催すわい。特権の押し付けぢゃんね。)

ここまでの話でもカトリックを知らないとよくわかんない話ですが、さらによくわかんない話を進めると、カトリックにおいて死んだひとの葬儀の形式はたいした問題ではないのです。なぜなら葬式は亡くなった本人とって秘跡ぢゃないんです。でも、ひとの死の前にいただく秘跡は死に行く本人にとってとても重要で、それは今の時代だと「病者の塗油」と呼ばれるもので、一昔前だと死の直前に一度だけ受ける秘跡でした。(余談、ルルドの聖母出現で有名な聖女ベルナデット・スゥビルは危篤時にこの秘跡を受けた後、元気に生還し、この不思議を二度繰り返し、3度目の病者の秘跡をいただいた後、帰天したのでした。これについて二度の生還時にベルナデット本人が笑い話にしていたそうです。)この病者の秘跡には通常、ゆるしの秘跡(告解)と聖体拝領がトッピングされるわけでして、異教国においてはどうしても死に行くひとを見送るために、そのひとが異教徒であるならば先ず臨終洗礼、続いて聖体拝領、告解、病者の塗油で「A Dieu、A Dios」となります。この臨終洗礼について、意外や布教国(=いずれの御時にかカトリックが国教国だったフランスのような国)の教区司祭だと「そんなこと、神学校で教えてもらってませんよ」なんて平気でおっしゃることがあるのが現実でして、司祭であるにもかかわらず彼らの概念に臨終洗礼そのものがまったくなかったりするので、宣教国からフランスはじめカトリックおマヂョリティ国に宣教国から移住しているカトちゃんズはこの点に「お気をつけあそばせ」だったりします。彼らは素直に、ご自分が病院に呼ばれるのは既に幼児洗礼を受けた人物が人生最後の告解、聖体拝領、病者の塗油を司祭であるご自分が司るから、と捉えています。そもそもフランスの公立病院では司祭にこれが許されていても、病室域において入院患者に宣教すること、洗礼を授けることは禁じられているのですから臨終洗礼の概念が植えつけられたところで病院ではそれを実行するのが限りなく難しいとなります。これまた余談ですが、フランスでは年々成人洗礼者数が増加しているという現実があるので、臨終洗礼について教区司祭も知る時期に入っていると思います。死を前にして希望するフランス人はひとりやふたりいることでしょうし。もちろん毛嫌いし、神やらカトリックについて口汚い言葉を止めずに息絶えるフランス人も何百人、何千人と存在します。

で、話戻って、インドにおいて、マザーテレサが引き取った死に向かっているひとびとに臨終洗礼を授けなかったことについて私個人はそれでいいのではないかなあと思います。ご本人が望んでいないのに無理に水をぶっかけてもねぇ。ですが、もし自分と血がつながっているひとで、ほうぼうのカトリック信者さんから「臨終洗礼を授けた方がいい。これは特例だから世俗のあなたが授けてもかまわないのよ」とルルドの水が入ったプラスチック壜を握り締めさせられたら、自分の死に行く身内を思って水をぶっかけるかもしれないし、その人物個人のキャラから考えて動かないかもしれないし、もし意識が既にないのならぴゅっぴゅっぴゅっと動いちゃうかもしれないけれど、それが果たして私個人の思いなのか、聖霊の働きなのか
わかんない
この「わかんない」は実はマザーテレサも同じ気持、考えだったンではないですかねぇ。はい。祈りに祈って出た見解が、死に行くひとご本人の意志を尊重するので、あたしは無理やり彼(女)に水をぶっかけない、なんでしょう。

それはたぶん、もしマザーテレサご自身がイスラム主義国で死に行くひととなり、イスラームの施設で終末を過ごすことになり、お世話してくださるムスリム、ムスリマから「イエス(=アラビア語だとイーサー)は神の子ではなく、ムハンマドさまより下位の預言者だと誓いなさい。誓わなかったらあなたを救いません」と言われたら?マザーテレサご自身が信じ、唱えるクレド(信仰箇条)の文面と矛盾してしまうではありませんか。これを仮定すると、ご自分の施設に次々と運ばれてくるひとびとに正論を独善で押し付け、うなずかせていいものかどうか。

臨終洗礼についてもし小教区に知らせがあれば受洗者リストに載り、年度末に統計の人数に加算され、数値が増えることになるけれど、その数を強く意識するのもいかがなものでしょう。その数だけで自ら安心できるというのも一種、病気だと私は思う。信仰というのはそういう目に見えるものの上に「ある」なんだろうし、数字で悲喜こもごもというのはちょっと、かなり「天国は遠い」気ガス・・・w

それに洗礼を受けてようが、いまいが、死んだ直後の私審判についてこの世に生きている最中のわれわれが正しく確認できないわけで・・・。そうかと言って、洗礼の有無に関係なくすべての霊魂は天国に入るという万民救済を説かれるわけわかんねー聖職者もきょうびいるし、その説教に魅了されて洗礼を受ける羊もいるし。

知らないよねぇ、そんなの。
自分が死ななきゃ真実はわからんぜよw
でも、自分がどんなパーな話を信じようが信じまいが真理にブレはなんら無しですぜ。


le 5 septembre 2016, Raïssa




しゃべくりついでに、ヴァチカンが問題視しているのは「マザーテレサ教」ですよね。ほれ、「パードレ・ピオ教」もそのひとつ。列聖した人物が信仰対象になって神についてはその聖人が信じていたし、私たちにも信じるよう勧めたので「あたしもカトリックを信じる」というヤツ。


それ、違うから。
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by ma_cocotte | 2016-09-05 18:25 | 『?』なKTOりっくん | Comments(3)
そんなに、オオゴト???
今度の日曜日午前10時から仏国営放送局の全国放送(France 2)でヴァチカンはサンピエトロ広場で行われるマザー・テレサの列聖式を生中継すると、きょうの朝の仏国営放送コマアシャルで知りました。
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https://www.facebook.com/AnimatoriSalesiani/

いつもならば毎週日曜の午前10時半頃から同じ枠で欧州のどこかでささげられている主日ミサの生中継が放映されており、この番組は2016年の今となっては多くの共和国民から「今すぐ撤廃」を望まれていたりもします。

その枠で今度の日曜日はヴァチカンからの列聖式の生中継放送。
列聖式を含めた主日ミサですから、約2時間ほど。おそらく放映も正午までなのでありましょう。

しっかし、マザーテレサってフランスとそんなに濃いつながりがありましたっけ?

マザーテレサご本人はマケドニア生まれで大英帝国だかアイルランドゆかりの修道女会で奉献生活を始められ、後になってインドに宣教女として派遣されたことがきっかけで多くの方がご存知のように修道女会を一度退会し、新たにご自身で修道女会を設立し、死を待つひとの家や路頭に捨てられた乳幼児、障がい児を養う施設を運営しました。生前、ノーベル平和賞も受賞されたし、何が有名って世界中の富裕国を訪問し、資金を集められたことです。

列聖式はヴァチカンで年に数回行われるので、そんなに珍しいものではありません。もちろんマザーテレサの列聖式は後にも先にもあさっての一回こっきりではありますが・・・でも、列聖式のたびにほぼ必ずフランス人の宣教師や修道者が含まれているのに仏国営放送で生中継なんて流さないし、ニュウスで取り上げられることもありません。

いやー、マザーテレサ。
たいしたもんだとおもいます。

以上。


le 2 septembre 2016, Ingrid de Skänninge
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by ma_cocotte | 2016-09-02 19:46 | 『?』なKTOりっくん | Comments(1)
さよなら、ヨハネ。さよなら、夏。
そうでした。
こんにち8月29日は典礼暦において「洗礼者ヨハネの殉教 Martyre de saint Jean-Baptiste」の記念日でした。新約聖書だとマルコの6章17-29節にその様子が述べられています。
そのとき、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
この箇所を読んでいたら、2011年に行ったアルザスはオディール山の修院の渡り廊下を埋める洗礼者ヨハネについての古びた壁画を思い出しました。こんなところ。うすぐらー。右の牢の中でうなだれているのがヨハネ。
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この壁画 ↓ は【少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」】と尋ねているシーンだと思います。確か、少女の名前はサロメ。
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そして、首を落とされる直前のヨハネ。
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洗礼者ヨハネの斬首について、子供の頃から何度も聞かされてはいても、どうにも納得行くようで行かない話です。母親の言いなりのサロメもひどいし、ヨハネの首をねだったサロメに「それはできん」と言えなかった王もひどい。これではサロメの母親であるヘロディアが一番強い者ではありませんか。恐ろしい現実ですね。


le 29 août 2016, Jean-Baptiste



余談。
先週から日曜までひどい酷暑で、とんでもありませんでした。
ココんちの犬が熱射病症状を起こしたほどです。
が、日曜日のお昼頃から気温が平常に戻り、ヒトも犬も快適に過ごせるようになりました。
もう目の前に9月が迫っていますし、先の酷暑が最後でありますように。
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by ma_cocotte | 2016-08-29 23:26 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)