カテゴリ:『巡礼』 Rien de spécial( 96 )
もうひとつの、ナザレ
きょうの朝も夜明け前にぼんやりとこんにちの聖書朗読箇所に目を落としましたら、第三番目の朗読、福音朗読が以下のとおりでした。


福音朗読 マタイ2・13-15、19-23 子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい。

2・13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。




あれあれあれ、昨日、ココにエントリーした聖母像は「ナザレ」の教会にあるものです。けれども、新約聖書のナザレは地中海東岸はパレスチナにあるナザレであり、私が昨日お話ししたナザレは欧州はポルトガル、大西洋岸に面した小さな漁師町のナザレ Nazaré です。この漁師町のナザレは海岸に面したカルティエと、その傍の断崖絶壁の上のカルティエから成っています。
断崖絶壁から下方の海岸沿いのナザレを眺めた写真。2011年10月、私がファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに行く途中、ナザレに寄り、シャッターを切りました。
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実はポルトガルのナザレの名称はアラビア語のナザレのままですから、地中海東岸はパレスティナのナザレと同じ意味になります。ポルトガル語の中には現在もかなり多くのアラビア語が含まれ同化していることが理由らしいです。余談、ポルトガルのファティマもアラビア語そのもののままです。

上の福音箇所に聖家族(=父ヨゼフ、母マリア、子イエス)がエジプト亡命後、ガリラヤ地方のナザレで暮らし始めたとあります。私の記憶が確かならばヨゼフさまは大工を生業にし、生計を立てていました。地図でイスラエルのナザレを見ると、地中海とティベリア湖の丁度真ん中あたりで、当時の聖家族は「静かな田舎暮らし」をされていたのではないかと想像します。

で、ポルトガルのナザレ。イスラエルのナザレとは異なり、大西洋に面していますが、ココに暮らす民の成人男性のほとんどが漁師であり、彼らの妻は周辺で採れた果物を干したり、家の中で手工芸を行い、それらをナザレに来る巡礼客をターゲットに露店で売り、家計を助けています。ポルトガルの国全体が他の欧州国に比べ貧しいですが、そのポルトガルの中でもナザレは特に貧しい集落なのだそうです。「貧しい小さな町」というあたり、どこかジーザっさんが育ったナザレと似ているかもしれません。
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この写真 ↑ は断崖絶壁の上にある広場の露店です。干し果物屋さんで、左の女性が「ナザレのおんな」。
「ナザレのおんな」には21世紀から15年を過ぎた今でも継続している伝統があります。それは、夫が亡くなった後、ナザレのおんなは一生涯、頭の先から足のつま先まで黒装束で固めるという習慣です。一目でわかる「未亡人」。ですから、ナザレの町を歩いていると海岸沿いでも、断崖絶壁の上の集落でも黒装束の女性に割と出会います。
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↑ 土産物屋の店番をしているこの方もそう。
しちりんでイワシを焼いているこの方もそう ↓
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一見穏やかなナザレの海ですが、時折、突然の高波が襲い、漁師さんが生命を落とされることがかなりの率であるのだそうです。そういう生活文化史の中で未亡人の黒装束の習慣が生まれたのだとか。

さて、妻たちの露店の話でナザレには観光客ではなく巡礼客が押し寄せることを書きましたが、なぜ巡礼客なのかと申しますと、このナザレにはあのファティマよりかなり前に聖母が出現されたのですね。断崖絶壁の上にそれは立派な教会聖堂があり、その中に聖母出現を表す絵画が掲げられています。
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コレ ↑ がそう。ナザレの断崖絶壁と海が描かれていますね。右の白馬が立つあたりにはおんぼろの祠が今も残っています。中に祭壇があり、地下に聖母子像が安置されています。
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ナザレは日本語の「ひなびた」という言葉が妙にしっくりくるように思えました。
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いつかまたできれば訪問したいです。


le 30 décembre 2016, Sainte Famille

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by ma_cocotte | 2016-12-30 16:04 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
剣で刺し貫かれた心
きょうの朝、いつもどおり、今日の福音朗読箇所を読み進めていたら、こんにちの福音朗読はルカ2章の22から35節です。この箇所、教゛会ではあまりにも知られた箇所で鍵語は「シメオン」。こんな話なんざんす。文中の数字は節数です。


福音朗読ルカ2・22-35 異邦人を照らす啓示の光

2・22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
31これは万民のために整えてくださった救いで、
32異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」





以上。これを読みつつ、最後の最後のシメオンがマリアさまに話されたこと。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」で、脳裏ににぼわああんとこれ ↓ が浮かびました。
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聖母マリアさまです。
ファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに向かう途中に寄ったナザレという漁師町の教会で出会った聖像です。
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剣を抱き、胸の中心からは血が流れ、天を仰ぐマリアさま。私たちの心の中の思いを知り、天を仰いで涙しているのでしょうか・・・。


le 29 décembre 2016, David

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by ma_cocotte | 2016-12-29 22:23 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
10月1日が小ならば、2週間後の15日は大なのだった。
西方教会の方ならばこの見出しにピン!と来ることでしょう。
はい、毎年10月1日は典礼暦(仏蘭西の暦でも同じなのですけれど)で小テレジア(=リジュウの聖テレーズ)のお祝い日で、二週間後の今日15日は大テレジア(=アヴィラの聖女テレサ)のお祝い日です。お二方とも女子カルメル会の修道女であり、ヴァチカンから「おとめ教会博士」の称号をいただき、列聖されております。

ココんちの隣村にも女子カルメル会の小さな修道院がありますが、この10年、小やら大のテレジアさまの日の聖務日課に突撃しても、一度たりともわれわれ世俗のもんの目に見える「特別なこと」はなんら無く、修道女たちは「いつもどおり」。カルメル会ってそーゆーもんなのかなあ?と我が内心に概念ができたように思います。

が、2年前の今日、2014年10月15日。
わたくしはポルトガルから国境を越えてスペインに入り、豪雨の中、かのサンチアゴ・デ・コンポステッラに突入したのでございます。その時、バスの中から見つけたカルメル山のマリアちゃん!!!
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二年後の今、思うに、当時の私の老眼が軽くてよござんした。
しかも、動くバスの中でこうして写真を撮れた・・・
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二枚も。
今となっては自画自賛。ありはわたくしにとって小さな奇跡ざんす。

バスの中からこの二枚の写真を撮った時は「もしかして、ココはカルメル会?」と心の中でつぶやいた程度でしたが、数時間後にサンチアゴ・デ・コンポステッラの大聖堂のガイドさんから現地のカルメル会の存在と15日前夜から大テレジアを讃える聖務が修道院に住まう方々によって続けられていることを知りました。(やっぱ、おカルメル会におかれましては世俗の知らない世界があるのよね・・・)

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この2014年の巡礼。
あちらファティマのバジリカ聖堂も大規模工事中ならば、こちらサンチアゴ・デ・コンポステッラの大聖堂も外壁、内装の大工事中で本来の美しい姿を私は拝むことができませんでした。
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これは「また改めていらっしゃい、罪びとよ」という天からの声なのでしょうか。

le 15 octobre 2016, Thérèse d'Avila
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by ma_cocotte | 2016-10-15 15:05 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(2)
聖母の涙雨
2年前の今日10月13日、ポルトガルはファティマでは雨が降っていました。
その日、わたしはこうして ↓ ファティマの聖域にいたのでした。




聞こえてくる歌は言葉は違えど、曲はおんなじ。
カトリック聖歌集622番です。

10月13日という日は1917年以降、ファティマでは特別の日なので、こうして毎年、盛大な集会があるのです。1917年10月13日に何があったのかと申しますと、ファティマで太陽が踊ったのです。もちろん空に太陽がその日もありましたが、いつもなら太陽は東から西に弧を描くように移動しますが、この日、太陽は空の上でぐるんぐるんと大きく動いた。これを美しくダンスと表現して今に至るのです。そもそも3人の牧童に聖母が現れ、メッセージを彼らに与え、彼らが代弁したことがきっかけで、どんどん巡礼者というか野次馬が増えて、5万人もの数になった時、太陽のダンスという奇跡があったのです。同時にこの日を最後に聖母は出現しなくなりました。
話戻って、10月13日のポルトガルはファティマでのお祭りですが、毎年10月12日夕方から13日お昼まで続きます。私が参加した2014年ですが、私の手元の記録によりますと、1枢機卿、22司教、265名の司祭、約300,000人の世俗が集ったとのことです。もちろんポルトガルでは毎年、このお祭りをテレビ中継するのだとか。
この写真 ↓ は2014年10月12日の夜、ロザリオ集会でありんす。
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かなりまとまった雨が降っていたにもかかわらず、多くの方が集まりました。
雨が強く降ろうとも傘をささないでずぶ濡れを選ぶ方が多く、それも苦行というか聖母に捧げる行いのひとつなのでしょう。翌日13日の聖母行列も今にも泣き出しそうな空の下、聖母が移動され、
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こうして ↓ 祭壇近くに安置された直後から雨が強く降りだしたのでした。
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ささいなことだし、単なる偶然ですが、これを奇跡と呼ぶひとは参列者三十万人の中にひとりやふたりいたかもしれません。

今年はファティマの3牧童に聖母が現れて99周年になりますから、来年はファティマの聖母ご出現から100周年記念になります。

2014年、私がファティマに行った時はバジリカ聖堂が大規模修復中で聖堂に入ることはできず、牧童3方のお墓参りだけできました。
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↑ この写真の左はヤシンタ、右はルチアのお墓
そして、この写真 ↓ はフランシスコのお墓

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その時、私が聞いた話ではこの3牧童のお墓を改装中のバジリカ聖堂の祭壇近くに移動するとのことでした。来年は100周年なのでそれに合わせてバジリカ聖堂も再び生かされるのではないかしら?と想像しています。ああ、いつかもう一度、ファティマに行きたいです。
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↑ 雨上がりのファティマ。すこぶるドラマティック ↑


私個人はルルドよりファティマに惹かれているのよね。
薄っぺらたく観光レベルでですけれど。


le 13 octobre 2016, Fauste

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by ma_cocotte | 2016-10-13 21:55 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
大地から天に、トランジトゥス
2016年10月3日は夜明け前から私、忙しくしておりましたが、フェイスブック版の聖母の騎士(社)からこんにち10月3日の晩から師父 聖フランチエスコの帰天祭が執り行われる旨のエントリーが届きました。この帰天祭が「トランジトゥス」と呼ばれているのでありますね。フランチエスコさまの霊魂が地から天にトランジットしたという意味ではないかと想像します。

と、この知らせを読みつつ、そーいや、あたし、フランチエスコがトランジットした聖堂に行ったわさ・・・と思い出したのでした。ココ。2012年の4月だったっけ(遠い目をしたところで眼鏡がないとなw)
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何度見ても、読んでも記憶できないままですが、確か La Portioncule ラ・ポルティオンキュル、イタリア語だとPorziúncola ポルチウンコ~ラと呼ばれる大聖堂です。主聖堂内は撮影絶対禁止で、聖堂の手前は長屋のように告解室が並び、聖堂の中央にフランチエスコとキアラがミサをささげた聖堂があり、その左奥にフランチエスコが帰天した建物があります。つまり、大聖堂が貴重なフランチエスコの霊的遺産を覆っている感じ。

ココはOFMの茶色組(=小さき兄弟会)が管理しており、聖堂では告解だけでなくしっかりと聖務が守られています。なので、こんな感じで聖堂でのお役目を終えた神父様方に出っくわしたりもします。
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そして、聖堂内は撮影絶対禁止ですが、聖堂から右に抜けると撮影はできなくもありません。
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聖堂から右に抜けると廊下があり、欄間に白鳩を見つけた日にゃあ、あーた。
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そして、静寂の中にこのような場所を見つけました。
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なんでしょうねぇ。
このような格子があると、向こうは観想会かしら?と想像したりもしますが・・・(あ、クララ会かすら?)
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通ならご存知の、フランチエスコにつながる巡礼地には必ずあるフランチエスコの生涯を表した壁画ざますね。

今宵はココ、荘厳なトランジトゥスの儀式がございます。
抹香まみれでケホケホなのだろうなあ・・・抹香の煙に霊魂が乗って、旅立ってゆくぅううう。


le 4 octobre 2016, François

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by ma_cocotte | 2016-10-04 01:22 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
おひさしぶりに、ふぉんごんぼ
前回の訪問から8か月とちょいになりますか。
男子ベネディクト会のフォンゴンボ大修道院 L'Abbaye Notre Dame de Fontgombault に行ってまいりました。
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兎にも角にも山中の秘境と呼んでよいような場所にぽつーんとあるので、前回は道を迷いに迷い、ココんちからフォンゴンボに辿り着くまで車で3時間強となりましたが、今回は前回の反省も踏まえ、道程を再検証。ココんちから二時間弱でフォンゴンボの門を通り抜けることができました。でおぐらしあす。

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ココの聖堂では毎日午前十時からごミサがささげられています。
典礼はパウロ六世典礼ではなくヨハネ23典礼です。典礼文は全文ラテン語です。そして、なんと聖書朗読もラテン語でした。これには驚いたなあ、もう。私が今まであずかったヨハネ23典礼ミサは典礼文が全文ラテン語でも、聖書朗読はフランス語でしたから。


ごミサの後は周囲のマダム方の真似をして、食料品をゲット。
初心者のあたくしはチーズを買ってみました。
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すこぶる美味でした。


le 15 septembre 2016, Dolorès

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by ma_cocotte | 2016-09-15 16:08 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
帰天から三百年
こんにち4月28日。
300年前の同日、ルイ・マリー・グリニオン・ド・モンフォオル Louis-Marie Grignion de Montfort という名の旧教のお坊さまが天に召されたのだそうです。

実はこの方。
ココんちからあんまり遠くない所で天国に帰られたのです。
サン・ロラン・スュル・セェヴル Saint-Laurent-sur-Sèvre というところです。ここには2000年の10月13日に当時のロオマ教皇であらせられた聖ヨハネ・パウロ二世がヘリコプターに乗り、巡礼されたことでも知られています。なんでもヨハネ・パウロ二世が慕う聖人がルイ・ド・モンフォオル(←註:彼の本名が長いため、ココんちあたりではこの名で親しまれています)だったことで巡礼が実現したのだそうです。
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↑ ルイ・ド・モンフォオルの墓前で祈るヨハネ・パウロ二世教皇様 (のナマ写真) ↑


そんなわけで、ココんちあたりのカトリック教゛会では今週が「ルイ・ド・モンフォオル ウヰーク」でありまして、連日、彼ゆかりの土地土地で記念集会が開かれたり、ミサがささげられたり、洗礼式が行われたりしているのであります。今週はじめからパリ市内の公立学校が春休みに入っていることもあり、パリ方面からの巡礼者も多く訪れていることでしょう。

私個人は2009年5月2日にココんちからサン・ロラン・スュル・セェヴルまで日帰り巡礼をしました。
サン・ロラン・スュル・セェヴルに至るまでにいくつもルイ・ド・モンフォオルゆかりの地点があるため、それらに寄りながら彼の帰天地に至る道程でした。この巡礼、日ごろお世話になっている神父様ともん・ここ、私の三人で行いましたが、この神父様は土地のひとなので、ご先祖さまには複数、ルイ・ド・モンフォオルと直に関わった方がおり、そのうちのひとりは山中に隠遁したルイ・ド・モンフォオルに食料を運んだご婦人だったとのこと。ですが、この神父様のご先祖さまだけが後の聖人に関わったのではなく、彼のためにはたらいた先祖を持つひとはこの地方にゴマンといるそうです。

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ルイ・ド・モンフォオルが帰天したサン・ロラン・スュル・セェヴルには彼が創立した3つの修道会の本部があり、そのうちのひとつの女子修道会に彼の遺品(今となっては聖遺物)が展示されています。
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もちろんルイ・ド・モンフォオルの墓所のあるバジリカ聖堂も町の中心にドッドーンと聳え立っております。帰天300年にあたるこんにちは流石に町中大騒ぎですが、日ごろはそれは静かな町です。ひとり静かに黙想なーんて希望する方にはぴたーりな巡礼地かもしれません。

le 28 avril 2016, Louis de Monfort

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by ma_cocotte | 2016-04-28 16:55 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
いずれの御時にか、
二千もの聖人の石像が37ヘクタールの丘に点在するようになるのだそうです。
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この丘は聖人の丘 La Vallée des Saints と呼ばれ、
ブルタアニュのカルノエ Carnoët という村にあります。
私が訪れたのは9月の第2土曜日の午前8時頃。
丁度、日の出の時間にぶつかったようです。こんな幻想的な写真を偶然撮ることができました。

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石像一体の身長はだいたい3.5m。
丘の近くにアトリエがあり、今も聖像作成が続けられています。

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昇る太陽と向き合う諸聖人。感動を禁じ得ません。

le 29 septembre 2015, Michel

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by ma_cocotte | 2015-09-29 23:43 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
抹香にまみれて参りましたよ
ココで、
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遠くに見えるアレに、
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え?どれ?
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コレです。


手前ぢゃなくて、奥に見えるアレです。
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コレです。



そう、サンチアゴ・デ・コンポステッラ大聖堂名物、ボタフメイロ botafumeiro です。
ごミサの間、厳格に写真撮影が禁止されておりますが、ボタフメイロ直前に解禁になります。写真にするか、ビデオにするかなんて迷っている間に参事会の方々がそれは手早く準備し、香を香炉にお匙で入れる神父様も手馴れたもの。こちらがあわてているうちに大香炉の振りが始まってしまいました。
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あまりの勢いと速さにピントがあった写真を素人取って出しの私に撮れるはずもなく・・・とほほほ
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良い写真が撮れなくても、幸運にも、好運にも、大香炉ショー(!)を拝見できて私はしあわせでした。
と、申しますのも、資本主義社会の今、サンチアゴ・デ・コンポステッラ名物のこの儀式も「タダで見せる日」は一年に数回であり、その他の日に見たいのであれば、それなりの御代をお渡しせねばならないのです。私が毎日正午にささげられる巡礼者ミサにあずかった日はたまたまアフリカからの巡礼団が御代を納めたのだそうです。ありがたいことでございました。
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↑ 大香炉を操る縄です ↑


歴史上、大香炉が二度ほど窓から外に飛び出たらしいです。本当かしら?

le 30 octobre 2014, Maéva

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by ma_cocotte | 2014-10-30 01:28 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
祈りながら働いて
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カトリックの、僻地に篭りっきりの修道士方は高い塀に囲まれた中の建物に篭ったまま、ただ祈っているだけなのだと誤解されることが多々ありますが、日々の労働は大切な務めのひとつであり、労働の種類は農業、工芸、調理など多々あります。
そこで作られたものが市井に出回り、収入にもつながりますが、近年の安全食品ブームもあり、修道院の中で作られた食料は、信仰のないひとびとにも受け入れられるようになりました。

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これ ↑ ↓ はブルゴオニュはシトーの修道院で作られているチーズです。
包み紙に「PRIERE TRAVAIL 祈り、労働」と大きく書かれており、世間でも修道士が祈りながら製造するチーズとして有名です。チーズを作るための牛乳も、修道院内の牧場で搾り取られたものです。

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私がシトーを訪問した日、お昼食もシトーの修道院のお部屋を借りていただいたので、できたてのチーズをいただく機会に恵まれました。市井で売っているサヴォワ地方のルブロション Reblochon に似ていると思います。お餅のような感じとでも申しましょうか。ニオイは少しキツいかな?

巡礼旅行の楽しみはこうして修道院に付設されたお店を訪問することでもあります。
お店の敷居をまたぐと同時に抹香の芳しい香りに身を清められる思いがいたします。


le 4 novembre 2013, Charles

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by ma_cocotte | 2013-11-04 22:32 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)