カテゴリ:Adieu, 涙の昭和( 4 )
アデュウではなく、オ・ルヴォワール
谷内六郎先生の絵をもとにしたタイル壁画です。
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「谷内六郎 壁画」と検索するといくつかヒットするこの絵。
私が幼稚園に入園した当時からまったく変わりません。でも、壁画の周りの建物も、町並みもどんどん代わりました。
今は南北線の終点駅の入口がこの壁画のそばにありますが、半世紀前、この壁画の向かって左先には都電終点がありました。たぶん、現在の南北線とほぼ同じ路線が路上にあり、黄色い都電が行き交っていたのではないかと思います。(調べてみたら、赤羽ー三ノ輪が27系統だったとのこと。これ、すばらしい写真集です。ご覧になって。http://members.jcom.home.ne.jp/osushiyo/romen12.html

私が園児になっても、学童になっても、児童になっても、生徒になっても、学生になっても、社会人になっても、結婚してガイコクに住み里帰りしても、谷内六郎先生のタイル壁画はいつもどおり。雨の日も、風の日も、天気の日も、春夏秋冬、朝昼晩、いつも同じ。見上げると、私の脳内フロッピーは人生の復習でフル回転と、なんら変わらないタイル壁画は私の脳を動かしてくれます。

この壁画について調べたら、壁画は「砂山」というタイトルで、週刊新潮昭和31年5月29日号の表紙絵を元に作成されたものだそうです。昭和31年となると、私も生まれていません。二十歳を過ぎたばかりの我が両親がそれぞれにそれぞれの青春を謳歌していた時代でしょうか。私の人生より長いつながりあっての、今のタイル壁画なのですね。どんどんタイル壁画の周囲がめまぐるしく変身し続けているけれど、このタイル壁画だけは変わらないまま「時の証し」であってほしいと願っています。

だから、里帰りのたびにタイル壁画を見上げてはアデュウではなく、オ・ルヴォワール、また今度会おうね、と心でつぶやいている私です。

le 6 mars 2014, Colette

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by ma_cocotte | 2014-03-06 10:04 | Adieu, 涙の昭和 | Comments(1)
オ シ イ レ カ ラ、
出 テ 参 リ マ シ タ 。
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二千と十一年となって第11日目のこんにち、こうして一枚の色紙に集うことは叶いませぬ。

le 11 janvier 2011, Paulin d'Aquilée

 
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by ma_cocotte | 2011-01-11 17:10 | Adieu, 涙の昭和 | Comments(2)
いい歌だなあ。
2010年11月11日、雨の祭日。
今日知って、イントロが耳に入るなり気に入ってしまった一曲を繰り返し、繰り返し。


植木さん: いやいや、待たしてごめん。さあ、行こうか?
ユーミン: 行こうって?
植木さん: しあわせのあるところに決まってンぢゃないの。
いいわあ、この会話。
なぜか私には昭和30年代の会話のように聞こえます。
目の前には喫茶店、そう、例えるならば「ゲゲゲの女房」に出てくる行きつけの調布の喫茶店。

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Still Crazy For You [Single, Maxi]
クレイジーキャッツ&YUMING


2006年4月12日に発売されていたとのこと。
谷啓さんの帰天 をきっかけに出会えるとは。でお・ぐらーしあす。

何度繰り返し聞いても、飽きることなく胸がきゅううううんとなります。
私、心筋梗塞で死んでしまうのかな。

天国は楽しそう。


le 11 novembre 2010, Martin

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by ma_cocotte | 2010-11-11 22:12 | Adieu, 涙の昭和 | Comments(9)
さようなら、赤プリ。
きょうの朝、知ったこと。
西武ホールディングスは28日、系列のプリンスホテルが運営する「グランドプリンスホテル赤坂」(東京都千代田区)の営業を2011年3月31日をもって終了すると発表した。
またひとつ私の思い出の場所が消えることになりました。
アカプリ、トウプリのアカプリの閉館。
赤坂プリンスホテルのプールに齢一桁の頃、オバケのQ太郎浮き輪とジャンセンの水着を携えて何度か参りました。とは言え、私が知る赤坂プリンスホテルのプールはあの高層新棟が建設された折につぶされたというか、子供の頃の思い出のプールがあった場所にあのビルが建ったと記憶しています。

その後はあの界隈では道路挟んでお向かいのホテルのプールで甲羅干しをするようになり、あの飛び込み台で朝から日没まで繰り返しびよーんびよーんと飛び跳ねてはプールに飛び込む白海パンのムッシュウはどなたなのだろうと・・・今も思い出すことがあります。何がきっかけだったかも思い出せないけれど、あの白海パンのムッシュウから「お嬢ちゃんにも、はい」と掌に乗せていただいたものがレイズンウヰッチでした。炎天下に数時間置かれていただろうレイズンウヰッチのクリームが口に入った時の溶け具合と生温かさもなぜか妙に覚えていたりします。

平成になり名称も偏向されたらしいけれど、我らが赤プリは老朽化を理由にしての閉館とのことですが、どのようにメタモルフォゼされるのでしょう。プールの上に建てられた40階のビルを壊しても、一番古い旧館は壊していただくありませんね。

関係ないけど、小川軒に続きましては維新號の肉まんが脳裏にぽっこり。
...いや、関係なくないか。

le 28 avril 2010, Pierre-Marie
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by ma_cocotte | 2010-04-28 20:25 | Adieu, 涙の昭和 | Comments(4)