カテゴリ:『?』な阿弗利加ん( 3 )
「家族のかたち」
子供の頃、学校での休み時間、友達との雑談で「おうちの話」になったことがありますか?
「どこにすんでいるの?」
「かぞくはなんにん?」
「きょうだいはいるの?」
「おじいちゃんやおばあちゃんと一緒にすんでいるの?」
「どうぶつは飼っているの?」
などなど。私ももちろん経験があり、その質問について素直に返事をしていました。ところがある日、母親から「おうちのことを誰にでも話していいものではありません。」と注意されました。初めてそう注意された時、私は母の注意を100%理解していませんでした。それでも成長して他人との関係が広がっていくうちにだんだん世の中というものは常に自分中心ではないということがわかってきました。

とは言え、日本で生まれ育った私は各家庭の構成が千差万別であると知りながらもどこか自己中心で、確か公民という授業で習った記憶がありますが「家の基本」というのは家長(世帯主、たいてい父親)、その妻と二人の間の子供たちだと信じたままフランスに住むようになりました。

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先日、このようなフランス暴動関連の記事を読みました。

「暴動と一夫多妻は無関係」・仏政府報道官

 フランスで続く暴動の原因として移民の「一夫多妻」や「家族呼び寄せ」への批判が与党内などに強まり、仏政府が苦慮している。コペ政府報道官 は17日に「一夫多妻と都市暴動に密接な関係は認められない」と強く反論した。

 議論の端緒となったのはラルシェル雇用問題担当相 の「一夫多妻の家族出身の若者は父親の影が薄いため問題行動を起こしやすい」との15日の発言。仏与党、国民運動連合(UMP) のアコワイエ国民議会(下院)議員団長も「一夫多妻は間違いなく暴動の原因の一つ」「複数の妻を持つ移民がたくさんの子供をフランスに呼び寄せている。移民の数が多すぎるから同化が難しくなる」などと主張している。

 フランスは一夫多妻を禁止しており、2人以上の「妻」の呼び寄せを1945年以来認めていない。だが仏 ルモンド 紙によると、仏国内で約3万世帯が事実上の一夫多妻との推計がある。

(日本経済新聞社HP 11月17日11:34より引用)

今回のフランス暴動が落ち着き始めてからフランスでは政治、経済、労働、生活、心理、教育などさまざまな角度から検証が始まっていますが「Polygame(ポリガム、一夫多妻)」も挙がったようですね。

こんにちは私の元クラスメート、ララについて書いてみようかと思います。

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ララは2002年夏、私が通うことになった職業訓練校で出会った女性です。フランスの学校では授業開始初日に自己紹介をするのが習慣ですが、ララは自分の番になって「自分はセネガル国籍(のみ)で年齢は40歳」とフランス語を話すアフリカ圏出身の人独特のゆったりとした口調で発表しました。そこで教授が「いや、あなたの年齢は45歳でしょう?すでにもらった滞在許可証コピーにそう書いてありますよ。」と指摘したところ、ララは「ムッシュウ、私は40より大きい数字を知らないのです。」とはにかみながら返事しました。

職業訓練校では毎週月曜日から金曜日まで、フランス政府が決めた国民の労働時間に従って受講者は校内に拘束されます。これを守ることで就職希望をするために職業訓練を受ける者に政府機関から就学手当なるものが支給されます。共和国民でも複数国籍者でもない外国籍のみの者でもヴィザに「共和国民と同等の就労権利あり」と明記されていればこの手当をもらうことができます。
ありがたいことです。
週末以外、朝8時半から夕方16時半クラスメートといれば雑談もします。そのような日々が繰り返されるうち、ララの家庭の話にもなりました。

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ララはずーっと前、夫と二人、セネガルからフランスにやってきました。セネガルには子供二人を置いてきました。フランスでの生活はまず最初に南仏の小さな町のZUP(移民用住宅)に住み、その後2度引越を経験、今は最初のZUPよりは環境のよいZUPに住んでいます。フランスに住み始めてからララは二人の子供を産みました。まず彼女の夫がANPE(職業安定所)に登録し、職業訓練校の「労働を目的としたフランス語習得コース」に行くことになりました。ところが彼はここでの時間拘束や勉強に馴染めず、ANPEに相談したところある市役所の公共清掃の仕事を紹介されました。身分はMi-temp (ミタン)と呼ばれるパート扱いですが、学校に閉じ込められるよりはマシと考えた彼はこの仕事を試してみることにしました。始めてみると、グループに分かれて毎日トラックに乗って市内を周れる、周っているうちにいろいろ見聞できる、とどうも彼の興味のツボにはまったらしく、今も彼はこの仕事を続けています。

子供二人も幼稚園、小学校に入り、夫の仕事が落ち着いたところで今度はララがANPEに登録しました。「永遠に40歳」のララも読み書きが不自由なので夫がかつて通った学校に行くことになりました。
ララが初日に覚えたことは鉛筆を持つことでした。手の角度がどうしても鉛筆を持ち慣れた人のように納まりません。そして鉛筆の運び方がわかりません。先生が黒板に書いたことをマネしようとすると、どうしても筆を書き始めに何度も持って行きなぞらえてしまうのです。

日本だと書道で迷い筆はしてはならないことですが、水彩画を描くとすれば何度も同じ場所を叩いたり、なぞったりするでしょう? ララは水彩画を描くように字を書いていました。

それでもララが自宅に戻ると、学校で似たようなことを学んだ子供二人がララに手取り足取り要領を教えてくれるのだそうです。ララは母親として子供とこういう時間を過ごせることを知りうれしかった、と私に話してくれました。

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ある日、ララの口から彼女の夫が近々セネガルに里帰りするという話が出ました。それを聞いた教室内の誰もが当たり前のように
「ララも一緒に行くんでしょ?子供に会いに帰りたいでしょ?」
と質問しました。するとララが私達からの質問にこう返答しました。
「夫は第三夫人と第四夫人に会うために里帰りするのです。」
と。そして今まで私達が疑問に思っていたララ夫妻が就労、就業している間、誰が彼らの子供二人の面倒を見ているのか? なんと近所に住む夫の第二夫人でした。

それを聞くなり教室がしーんと静まり返ってしまいました。マグレブ系のクラスメートは「あなたの国にはまだその習慣が残っているの?私の母国ではその時代は終わったも同然だし、ここフランスではポリガミ(一夫多妻)は禁止されているのよ」と哀れみの心を込めながらもどこか厳しい口調でララに言いました。

イスラムの教えが濃く残る母国を後にしてフランスに移住したマグレブ系の女性陣の説明によると、イスラム教では確かに一人の男性が4人の妻を持つことができ、うち2人は異教徒(ただし一神教、つまりユダヤ教とキリスト教を指す)でも良いとされていますが、条件として夫は4人の妻に常に精神的にも金銭的にも平等であることなのだそうです。ですから石油が出て大金持ちになったり、権力を手にした王様なら一夫多妻は可能でも、マグレブなど決して裕福ではない国に生きる普通のイスラム教徒男性が4人の妻を持つことは財布の中身と相談すれば難しい、だから廃れてしまったのだ、と。つまり信仰に真面目だからこそマグレブでは一夫多妻制は廃れてしまった、ということです。もちろん西アフリカ のセネガルも裕福な国ではありません。だからララと夫は労働移民としてフランスにこうして住んでいるのです。ところがアミニズムとイスラム教が都合よく交じり合っての口述のみで布教伝播されたイスラム教です。
なぜかセネガルでは貧富にかかわらず一夫多妻制が残り続けているのです。

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ララは生まれてから一度もレストランに行ったことがないそうです。彼女の夫は働いたお金をセネガルに残る2人の夫人のためにも節約し、里帰りのための土産は何にしよう、などとララの前でもウキウキしてしまうそうです。ララには「私達が置いてきた二人の子供は第三夫人、第四夫人が面倒見ているではないか?」と言うそうです。マグレブ系アラブ(アルジェリア)移民の女性がぽつりと
「ララ、あなた、かわいそう。気の毒よ。」
と言った途端、ララの真ん丸いきれいな瞳から涙がぼとぼとこぼれました。

ララとマグレブ系女性陣達のやり取りは私の知らないアフリカの話でもあり、イスラム教についての話でもあったので私はしばらく黙って聞いていましたが、ララの目から涙が吹き出た時にはそれはアフリカやイスラム教にはまったく関係なく、ララが「女性」なんだ、とはっきりくっきりわかりました。ララは妻であり母親であるけれど、それは女だから。ララの目から涙が吹き出た途端、教室内のみんなの目からも涙がぽとぽとこぼれてしまいました。

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ララと私が時を分かち合ったのは約5か月間でした。彼女の読み書きの習得は目を瞠るほどで、彼女の脳が勉強する喜びを覚えたのは確かでした。アルファベットで書かれた地名をたどたどしくも読めるようになった彼女を見て教授が大喜びしていたのも印象的でした。教え甲斐あったでしょうね、教授にしても。彼女の家庭はRMIste(最低生活保障)なので、その後も政府からRMIste手当をうまく利用しての就学延長が認められました。

一年以上過ぎた時、街中でララに突然声をかけられました。なんと商業地区のファミリーレストランに就職したそうです。レストランに行ったこともない自分がレストランに勤められるなんてうれしい、と彼女は言いました。仕事前に仲間と賄い食を食べるのも楽しいそうです。そして彼女の夢は子供達2人がフランスの学校で一生懸命勉強をして、将来セネガルに錦を飾ってくれることだそうです。
「できれば大統領になってもらいたい」
ララは私に何度もそう言いました。私もそう願ってるよ、ララ。

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以上、私の知る「一夫多妻」移民の話でした。文頭のようにララの子供達も学校に行けば、おうちの話にもなるでしょう。無垢な子供達の会話でララの子供達がどのように家族関係を話しているのでしょう。例えばララの代わりに第二夫人がララの子供を学校に迎えに行きます。友達の誰かが「あの人、誰?お母さんじゃないよね?」と質問したら、子供はなんと返事するのでしょう。

そんな日常の子供の話に政府という団体が目を光らせるのは難しいことです。そしてこの会話で子供によっては聞く方も聞かれる方も「家族のかたち」なるものについて肯定も否定もでき、それが心理によってはネガティヴに心に働きかけることもありえます。日常の生活の中でお母さんの目からこぼれる涙を見れば子供なりに感じ取るものがあるでしょう。もしその心象がネガティヴな感情となって心に刻まれたまま子供が成長した場合、上述の新聞記事に書かれているように「暴れん坊と化す」こともあり得るのかもしれません。

そして今、フランスに住んではいてもガイジンである私が日本での一般的「家族のかたち」という尺度で彼らアフリカ諸国からフランスに移住してきた人々の「家族のかたち」を単純な断定で「良い、悪い」と決め付けることもできません。

「一夫多妻」を法律で禁じているフランス共和国でも人権団体の意見などを受け入れて、ララの場合のように移民の第二夫人までの同伴を認めているというのが現状だそうです。他国の生活、文化習慣をどこまで尊重するのか、も外国人労働者を受け入れる国が慎重に考えなければならないことであることは間違いありません。


le 24 novembre 2005, Flora
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by ma_cocotte | 2005-11-24 17:45 | 『?』な阿弗利加ん | Comments(47)
コートジヴォワール暴動沈静化で凡女が思ふこと。
アラファト氏死亡がメインニュースとなって世界でたいして話題にも上らなかった「コートジヴォワール暴動」が約2週間で沈静化したことに伴い「私の今の気持」をまとめることにしました。

市井の人々にとって「生活する場所」は黒人であろうが、白人であろうが、黄色人種であろうが、「家庭」です。どんな歴史的背景があろうと、現在の政治がどうであろうと、人生の理想の一単元である「家庭」が平和ならヒトは生きていけるものです。もし独裁主義、共産主義の国に生まれ落ちてしまったとしても、一縷の平和と希望が家庭に残っていればヒトは生きていけるはずです。

どんなに庶民の頭上で、家庭の外で、政治がどうなろうが、戦争が起ころうが、一家庭で日銭100円で生活できるところを101円稼げたらヒトは節約するし、98円しか稼げないならヤリクリしてそこに留まらざるを得ません。母国を諦めて異国に引っ越すなんて世界の底辺にいる庶民であればこそ「夢また夢の話」です。
・・・でも想像してください。
ある日突然見知らぬ他人が一家の団欒に侵入し、自分の目の前で生活必需品を粉々に壊され、放火されたら・・・?(もし自分が入浴中だったらどうしますか?)
ここで言う「見知らぬ他人」は異人種ということも、同じ国に生まれた同じ民族の人ということも有り得ます。今回のコートジヴォワール暴動についてもあるヒトは言うでしょう。
「フランスがかつて行った植民地政策に端を発した結末だ」と。
例えばその理由を日頃家をきれいにすること、家族の三度の食事調理を第一優先に考えている女性(まさに現在の私です)に言ったところで「あなたのおっしゃるとおりです。だから他人が家にズカズカ入ってきて、私が掃除したばかりの家を汚すことも。娘が他人に犯されるのも、何もかも全て我慢します。」と返事すればよいのでしょうか?

正直言って、既にコートジヴォワールの墓地に埋められ土となった先祖がした「植民地政策」、21世紀の今、井戸端会議好きのおばちゃんにはそれが悪行なのか善行なのかはっきりわからないでしょう。それを常に思いながらバナナをかぢらねばならないのでしょうか?毎日食卓の話題は「先祖が犯した罪」を中心にするのですか?そんなことないよね、仕事場での笑い話、学校で学んだこと、井戸端で隣の奥さんから聞いた話・・・ぢゃないのかなあ?市井の人間は自分の運命、それのみでコートジヴォワールという土地で生きている「だけ」です。政治への野望なんてまったくありません。この女性のような考えは肌が黒くても、黄色くても、白くても「井戸端好きのおばちゃん」なら同じです。こういう女性(含む私)を「馬鹿」と言うならどうぞ失笑してください。冷笑してください。馬鹿だって馬鹿なりに自分の庭(=家庭)を自分なりの理想を描いて一生かけて築くのです。
おととい、バグボ大統領が「出て行ったガイジンさん、戻ってきてください」と宣言したニュースを「黒白黄色のおばちゃん」が最初に見て思うのは何ですか?
「どっから掃除を始めればいいの?」
「冷蔵庫の中身はくさってないかしら?」
「車も燃やされちゃってどうやって買出しに行けばいいのかしら?」
「窓ガラスって結構高いのよね」
でしょうね。私は実際あの場面を見て最初に想像したのはこの言葉です。ついでに「もしかして一生懸命掃除すればダイエットになる?」なんて笑い話にしてしまうかもしれません。おばちゃんの頭に政治やら歴史なんて思い浮かぶ余裕はありません。
で、結果、妻は夫に「掃除も面倒だし、買い物もできないんぢゃ、今帰ってもロクに食べられないわよ」と進言するでしょう。「真っ黒焦げの学校だって再開は無理だわ」

一方、ヒトが政治的野望を持つのなら、それもやっぱり肌が黒くても、黄色くても、白くても、その「個人」が自由に持つことです。他人がとやかく言うことではまったくありません。個々の人格を尊重することが大事です。

この2週間のコートジヴォワール暴動についての私の視点はコートジヴォワール人とフランス人のどちらが良い、悪いという次元ではありません。コートジヴォワール国籍の黒人、白人は同時にフランス国籍も所有している人が多いということを忘れないでください。母国の家族のためにコートジヴォワールまで出稼ぎに来ているフィリピン人だっているのです。

自らが家族と共に、あるいは自身の仕事を向上するがために「ここで生きて行こう」と日々精進している土地を自分の意思ではなく、他人に突然「即刻出て行け」と命令されたら・・・自分だったらどうしますか?まず何から手をつけますか?幼い子供がいればまずは子供の身辺整理でしょう?おしめは何枚自分の両手で抱えることができますか?おそらく自分の身辺整理をする時間はないかもしれません。もし自分の宝物がとてつなく大きくて空港まで背負って運んだのに係員にいとも簡単に「捨ててください」と一言言われたら?・・・諦めるしかないのです。身支度をしている間、どれほど時計の秒針が進む音が大きく聞こえることでしょう。それとはリズムの違う自分の心臓の音も聞こえてくるはずです。

11月11日から始まった避難民約6000人の移送。
パジャマだけでフランスにたどりついた家族もいます。換えの下着なんて持っていません。とりあえずタンクトップとサンダルで飛行機に乗り込んだ黒人の少女もいます。フランスが本国に運んだのは白人だけではありません。フランス退避を希望した黒人も出稼ぎのフィリピン人もいます。飛行機が常夏のコートジヴォワールを離陸し数時間後着陸した土地は既に真冬のパリでした。救急用の銀紙に巻かれて暖房の入った建物に運ばれる人々・・・。

コートジヴォワール国内では買ったばかりのコンピューターも粉々にされ、何時間も考えて作成しファイリングした書類を全て破かれ、月賦も払い終わっていない車に放火され、やっと建てた家も窓は割られ壁にひびが入り・・・。今まで地道に築いたものが目の前で粉々にされる恐怖。子供だったらバービー人形やテレビゲーム、寝る時に必需のぬいぐるみさえ持ってこれなかった・・・親は「また買ってあげるから」なんて言葉を子供に言うのでしょうか?
共に生活していた犬や猫はどうなったのでしょう?

私が思いを馳せたのはこの瞬間だけです。
政治でも経済でも歴史的背景でもありません。
私がもしこうなったら・・・おそらく根っからのケチが災いして私自身が土地を離れる決心ができません。猫と一緒にいる。きっと家の大黒柱にしがみつきます。誰かに(おそらく夫に)無理やり引き離されて我が家庭を去ることになるでしょう。

コートジヴォワールを例に取りましたが、これはパレスチナでも、イラクでも、コソボでも、アフガニスタンでも、クルドでも、ソマリアでも、チベットでも、ある時は黒人が、ある時は黄色人種が、ある時は白人がそういう「何もかも諦めなければならない現状にある」ということです。

そうしなければならない瞬間は人種差別という次元を遥かに超えているのは確かです。
この危機を肝に銘じなければならないと思うのは私だけでしょうか?

平和な島国・日本に住む日本人には当面想像さえしなくてもよいことなのかもしれません。
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by ma_cocotte | 2004-11-28 18:40 | 『?』な阿弗利加ん | Comments(0)
フランス人なのにフランスを知らないのです。
ここ数週間世界的にはアラファト氏入院で注目されたフランスですが,実はアラファト氏の死亡前後のフランスはアラファト氏どころではない深刻な事態に巻き込まれていました。
コートジヴォワールの暴動
です。11月初めコートジヴォワール駐留フランス軍兵士9人が反政府組織に暗殺されたのをきっかけに非常事態宣言。コートジヴォワール在住のフランス国籍所持者に避難勧告が発令されました。アラファト氏の死が発表された夜10時フランス系避難民約300人を乗せた救援機第一便がパリ・ロワシ空港に到着。翌日アラファト氏の棺をフランス政府専用機でエジプトに送り出した直後は犠牲兵士9人の葬儀でした。そして11月15日夜までに約5800人が着の身着のままでフランスにたどり着いています。

フランスでコートジヴォワールという文字を目にするのはバナナです。コートジヴォワール産がほとんど。そしてこの国のカカオ生産は世界一だそうです。どうりでフランスで売っている有名なチョコレート Côte d'Or のシンボルマークが「大きな牙を持った金象」なんだ,日本語で「象牙海岸」という国名だったもんね・・・と今更感心。
大西洋岸に位置するコートジヴォワールは17世紀半ばからフランス人の入植開始,1893年フランスの植民地となり1960年独立。その後も治安維持のためフランス軍の駐留が現在まで続いています。宗教はアニミズムが25-40%,北部を中心にイスラム教徒が35-40%,南部地域(最大都市アビジャンがある,つまり富裕)にキリスト教が20-30%という配分だそうです。

さて今回の暴動ですが素は政府と反政府組織の争いでした。反政府組織が最初に行ったのは「キリスト教徒狩り」,それが「白人狩り」に変化し,現在は「コートジヴォワール以外の何でも狩り」(つまり含日本人)という暴動です。先週は刑務所から800人以上の囚人が脱走。現在は国内で「黒くない」人間が関わる企業が壊滅的に破壊,「黒くない」人々が住む一般家庭には強盗強奪です。まだはっきりしませんが婦女子への乱暴も明らかにされつつあります。

14日頃からフランスのテレビ・ラジオで「Chasse Blanc 白人狩り」という言葉が聞こえるようになりました。私個人としては文学上にのみ現われるような死語が現代の報道に出たことに驚きがありました。

日曜夜TF1の報道番組 7 à 8 でもこの暴動は取り上げられ,まだコートジヴォワールを離れられないフランス人数名が登場しました。その中の一人はミシェルという自動車修理工です。4代前からコートジヴォワールに入植したギリシャ系フランス人で彼本人はコートジヴォワール生まれ。フランス国籍を持っていてもフランスを知りません。自動車修理工(つまり労働者)となり地道に家族と暮らしています。彼は泣きながら「白人狩りの意味がわからない」と最後につぶやきました。
そうなんです。ミシェルさんの言うとおりです。
反政府組織は国の政策や国民の貧困に抗議しての暴動を起こしましたが,この国の政治は大統領も政治もコートジヴォワール人(黒人系)によるものです。自動車修理工の「白い」ミシェルさんより「大統領で黒い」バグボさんの方がはるかに高収入。黒人内の貧富格差が広がっていることに問題があるのに,なぜか「キリスト教徒狩り」に始まり「白人狩り」「黒人以外何でも狩り」という現状です。明らかに抜本問題からはずれた暴動になっているのです。

先祖の墓もあり常夏のコートジヴォワールに生まれ育ったミシェルさんにとっては何もかもあきらめ捨てて未知のフランスに行くという踏ん切りが見つからないのです。

今は確かに21世紀だけどこんな暴動が西アフリカで行われています。暴動を行っている側としては真剣な思いで始めたことがいつのまにか愚行のレベルになってしまったのかもしれません。

国連安保委では昨夜コートジヴォワールに対して制裁決議を発令しました。コートジヴォワール政府は「内政干渉だ」と主張しているそうです。アフリカに限らず暴挙に及んだ素朴な人々を欧米的理屈で納得させるのは簡単ではありません。国連が下した経済的制裁が果たしてコートジヴォワールにどれほどの「効」をきたすか未知数ですが,しばらくは行方を見守る必要があります。

真夏のコートジヴォワールから初冬のパリに避難してきた人々はコートはもちろんつま先が隠れるような靴も持っていません。赤十字社が提供した古着を不安そうに見定めながら選ぶ人々がテレビに映し出されると身につまされる思いです。

もうすぐノエル(=クリスマス)です。
ノエルまでに少しでも心安らかになれる未来が誰の心にも訪れますように。


*彼らの飼い犬や猫はどうなったのでしょう? 心配です。
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by ma_cocotte | 2004-11-24 18:45 | 『?』な阿弗利加ん | Comments(0)