カテゴリ:『?』なオイロッパ( 37 )
BrExit の話。
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この海の向こうは大英帝國


確か昨日6月24日の朝一番で大英帝国のEU、いや、UEからの離脱が国民投票で決定したと見聞したと記憶しています。ま、その「大英帝國の欧州連合からの離脱」をきょうび、BREXIT と呼ぶのでありんす。

そして、この離脱について移民が問題なのだと話題が飛び交い、その移民がアジアやアフリカからの移民をさしているようにも思えますが、これって実は欧州連合内からの移民にも大英帝國民が「もうかんべんしてくれよ」ということを指しているのだと思うのは私だけでしょうか。

だって、うちの近所に大英帝國に出稼ぎしている身内を持つフツーの仏人家庭がゴロゴロあります。何せ、おシャルルドゴオルエトワアル空港から倫敦のヒースロ空港まで飛行機で45分ですもんね。同じシャルルドゴオル空港からマルセイユ空港に行くより近いわけ。しかも、大英帝國の方が給与はいいし、欧州一のオシャレでアタマいい国だから、身内に英国に在住している者がいればお仏蘭西では箔が付くやら、見栄はれるやら・・・と、仏蘭西に限らず大陸側の諸国民にしてみれば西の島国大英帝國とその首都倫敦は「憧れ」なンである。そんな欧州からあらゆるベクトルに抜きん出た優美秀麗な大英帝國が欧州連合のハブ国にもならず、首都ロンドンがハブ都市にもならなかったのは島国だったり、統一通貨に参加しなかったことなどで「欧州の中の特別、特殊」だったからに違いありません。

きょう25日になり、欧州連合側のエラい方々から大英帝國は国民投票の結果に従い「できるだけ速やかに脱退するように」とほぼ命令が出ました。

昨日すでに仏国営放送などで説明されていましたが、今後、大英帝國に留学したり、就労している者は今までのアイデンティティカードに加えて長期滞在許可証を取得、つまり、カードを二枚持つ義務が発生することになるとのこと。そうなると、どんだけの仏蘭西人が帰国することになるのでしょうか?
たぶん・・・ですけれど、大英帝國内の学費も今まではEU連合国の国民とそれ以外の国籍者(米国人や日本人など)の間に差があり、部外者の私から見ればEU連合国民の学費は「信じがたい安さ」だったのに、これももしかして解除になってしまうのでしょうか?もし解除されたら、大英帝國内の大学や職業専門校に入学できる仏人は極限られてしまうことでしょう。

こりゃ、大変なことになりそうだな、と思っていたところに、今度はきょうのお昼の仏国営放送地方局のニュウスで、大英帝國から仏蘭西に移住している英国人が今までのように長期滞在できなくなるので、彼らの中には仏蘭西国籍取得に動き始めている者もいる、という情報が流れました。

そういえば、確かにナントから南下し、ボルドーからトゥールーズまでの三角地帯に移住している大英帝國人の数は相当なのです。大西洋岸から内陸60km、ナントとボルドーの間にあるココんちあたりも大英帝國人だらけだったりします。なぜ彼ら大英帝國人がココんちあたりに引っ越してくるのかというと、気候が大英帝國本土より温暖であり、なにより物価が安いからなのです。もしフェリーを使ったとしても大英帝國本土から半日で来れてしまうのも人気の理由のひとつ。それが、今回のEU脱退によって滞在がビザ無しだと3か月マックスになります。定年後の初老夫妻だと長期滞在ビザ申請も難しくなる可能性が高い。それゆえ、仏蘭西国籍を取ってまえ、と。うぅうううん。

今回のEU離脱賛成派の多くが高齢者と中流以下の国民層という話も出ていますが、もしそうだとするならば三角形の底辺が賛成しているのだから当然の結果になりますよね。そう思うと、今はムナシイというか、「そうなる」しかないのでしょう。これまた、うぅうううううん。数年後、数十年後にこの三角形の構成層に変化が出、底辺がEU加入賛成となるまで待つのが徳川家康ってか。

うぅうううううん。

まあ、この数年でこれまで大英帝國内に長期滞在し就労していた仏人が本国に戻ってくるでしょうから、そうなってからの仏国内事情はどうなっていくのか、ほんのちょっとだけ興味があります。


le 25 juin 2016, Prosper

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by ma_cocotte | 2016-06-25 20:50 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
ついうつかり怒りを覚えた。
昨夕、犬の散歩から戻り、一時間後に夕食。
夕食前、家人との祈りの時、家人から出された祈りの意向が「デンマアクはコペンハアゲンでのテロ事件の犠牲者のために」というもので、「エェエエエエ!? 私、それ、知らない!」と思わず。すかさず家人から「一時間くらい前だったらしいよ」と返事。

お祈りを終えてテレビに火ぃ入れ、ニュウス専門チャンネルに合わせたら、コペンハアゲンからの生中継中でした。なんでもあのラアス・ヴィルクス Lars Vilks が参加しての「イスラム教と言論の自由に関する討論会」の開催中に、カラシニコフを持った男性が侵入、突然、乱射を始めたとのこと。この現実は翌朝からテレビで会場の外から撮影されたビデオが繰り返し流されています。ビデオを見ると、女性の口上の途中で容疑者が入り、乱射開始。それとほぼ同時に出席者が椅子をひいて机の下に隠れたと思われる音声が続いていました。

仏蘭西共和国ではこの時点で既にIS(イスラム国)支持者によるテロで、武器はカラシニコフだと説明がありました。よその国デンマアクとは言え、テエマがテエマですし、(おそらく)登壇者のひとりが在デンマアクの仏共和国大使。おまけにココ一連の諷刺画を鍵語にしたテロ事件の素であるラアス・ヴィルクスが堂々と参加していたのですから、ISやらアルカイダ支持者にタゲられるのは「当たり前だのクラッカー」と言えるかもしれません。

きょうの朝からニュウス番組で紹介されている、アルカイーダから発せられたシャリアー該当者一覧の写真。
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この右の、9人の写真の真ん中がラアス・ヴィルクス氏です。
そもそも2007年だったか、彼がムハンマドさまの諷刺画を新聞紙上で発表したことで、世界中のムスリムの怒りを買い、直後、仏蘭西のシャルリ・エブド社がラアス・ヴィルクス氏擁護の立場を同様の諷刺画を自誌に掲載することで表明。これをきっかけにシャルリ・エブド社の編集長もシャリアー対象者となりました。で、2011年秋にパリのシャルリ・エブド社が放火され、2015年1月7日にあのテロ事件発生。シャリアー対象者だった編集長は銃殺されてしまいました。それから一か月と7日目に国は違えど、デンマアクでラアス・ヴィルクス氏が公に登場したことになります。周りまわってココまで来て、こうなっちゃったということですわね。

昨日は夕刻にこの事件があり、深夜近くに同じコペンハアゲン市内のシナゴオグ(ユダヤ教の祈祷所)でテロ事件。容疑者の前で「私はユダヤ教徒、ユダヤ人です。」と告白した男性が、告白と同時に射殺されました。これ、先月9日金曜日ののお昼にパリであったユダヤ食品店でのテロ事件と同じです。あの日、犯人は人質ひとりひとりに宗旨出自を告白させ、ユダヤ教徒男性とわかると同時にオートマチックに拳銃の引き金をひき、4人のユダヤ教徒の男性の魂を奪いました。

恐ろしいです。これでは今から70年前のナチスの思想と同じではありませんか。
時が逆行しているのか、時が止まってしまっているのか。
現実で今は2015年、日々前進する時の流れに乗って生きている者にとって、こういう時の流れに乗っていない出来事は気持ち悪さを覚えます。

日曜のお昼になり、昨晩、「私はユダヤ人、ユダヤ教徒です」と告白した男性が即座に生命を奪われたことについて、もし(ありえないことですが)欧州からユダヤ人がひとっこひとりいなくなったら、彼らイスラム原理教条主義過激派の次のタアゲットはキリスト教徒であり、われわれが「私はキリスト教徒です」と告白したら即座に生命を奪われる日が来てしまうのかもしれないね、という話題になりました。笑える話題ではありませんよ、本当に。他人事でもありません。


いくらイスラームが包括宗教とは言え、世界やら地球をイスラームに包括する手段が明らかに間違っています。
他者を脅し、恐怖に陥れて改宗させたところで平和なんか来やしません。

毎度のことだけれど、キリスト教徒にとって日曜日は主日、聖日であり、デンマアクにだってキリスト教信者がいるでしょうに、こんな戒厳令状態では市井のひとびとが礼拝にも行けないではありませんか(それが彼らの狙いであり、喜びでもあるのでしょうけれどね)
せっかくの主日に、ついうっかり怒りを覚えてしまう話題が次から次に飛び込んで来て泣けてきます。

le 15 février 2015, Claude La Colombière
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by ma_cocotte | 2015-02-15 21:08 | 『?』なオイロッパ | Comments(2)
本当は「親ロシア」ではないでしょう。
ウクライナの国内情勢をずっと、そこはかとなく気にしながら、2月半ばに欧州内の仏蘭西から、10000kmも離れた東の果ての小さな島国、日本に私は戻ってきました。
ソチ冬季五輪を楽しみつつ、閉会式直前の22日にウクライナのヤヌコビッチ大統領が首都から離れ、逃亡したことでウクライナの最高議会(暫定政権)はヤヌコビッチ氏の職を解任し、27日付でおそらくロシア国内に潜伏していると思われるヤヌコビッチ氏が大統領職解任が違法、不当であると、ロシアの通信社経由で声明を発表。ヤヌコビッチ氏はロシアに自らの安全確保と庇護を求めていることも明らかになりました。

一方、ヤヌコビッチ氏が逃亡したことで空き家となった彼の住まいの内部が公開され、その豪勢さを目の当たりにしてしまうと、こんな極東に住んでいようがある世代より上はかつてのフィリピンやらルーマニアの大統領の豪邸の様子が脳内フロッピーからポン!と出てくる感覚を覚えたと思います。まあ、国家安泰と呼べど、それは今のロシアの大統領閣下のお屋敷でも同様なんだろうなあ、と余計な想像をする自由も私たち各自が備えているわけで。

で、ここ数日の日本国内のウクライナ関係の報道を眺めていると、ウクライナの東南、クリミア半島にはロシア系住民が多くおり、彼らは首都キエフでの内乱と暫定政権を認めず、ロシアへの帰属を強く求め、ウクライナからの分離独立さえ希望しているとのこと。昨日だったか、親ロシア派の過激派がクリミアの政府庁舎を占拠した報道まで飛び交いました。

ふぅうううん。

なんだか、日本国内のこの手の報道について、とても薄っぺらたい感覚を覚えました。この件、ロシアというよりソヴィエト時代からの背景を知らないと、まったく違う解釈で、第三者の立場である日本人が(きょうびお得意の、きょうび流行の)電脳域での自己解釈披露遊びが始まってしまうように私には思えました。

ロシア系住民がなぜクリミアにたくさんいるのか?
これ、ソヴィエト時代の強制移住の名残りですよね。私の知人はウクライナ生まれ(苗字の語尾が〜チェンコ)だけれど、ソヴィエト時代に中央シベリアのオムシュクに強制移住させられたひとりですし、別の私の知人はスラブ系ロシア人だけれど、親の時代にチェチェンに強制移住させられ、あの内戦でフランスに難民移住しました。
昨日のクリミアでの武装派による庁舎占拠も、記事を探すとクリミアの「タタール人」勢力とあります。タタールと見聞したら、現在の50歳前後のひとならばモントリオール五輪でコマネチのライバルだったソヴィエトのネリー・キムという体操選手を思い出すかもしれません。当時、彼女はタタール人と朝鮮族のハーフだとやたら宣伝されていたからです(当時の私たちはソヴィエトと言えば、金髪碧眼のスラブ人ばかりだと思い込んでいたこともあってでしょう)。そのタタール人がなぜクリミア半島に?まあ、これも、ソヴィエト時代の強制移住のせいだかおかげでないかと拝察します。(余談、北方領土に金髪碧眼の家庭だらけっちゅうのもソヴィエト時代の名残ですよね)

現在のクリミアは工業で栄え、ロシア系の住民が多く、黒海沿岸にはウクライナ国内なのにロシアの海軍基地もしっかり存在する。そして、タタール系のクリミア住民過激派が庁舎占拠した同日に、プーチプー大統領がウクライナとの国境地帯を含むロシア西部の大部分を管轄下に置く西部軍管区で緊急軍事演習の実施、および戦闘対応能力の点検を命令しちゃったという、不思議。というか、モスクワの大本営におかれましてはなんら不思議がないので、こんな命令が出せる「ワケ」ですよね。

ロシアにもウクライナにも何にも関係ない私がこうして眺めている限り、クリミアの「親ロシア」住民というのは本当に「親ロシア」としてウクライナ中央に反旗を翻しているのでしょうかねぇ?かぢったに過ぎませんが、仏蘭西という国でロシアやチェチェン、コソボからの難民移民さんと関わり、彼らの話を見聞した私の印象だと、クリミアの「親ロシア」さんたちは本当は「親ロシア」ではなく「親ソヴィエト」ではないかと思うのです。というのは、ソヴィエトが崩壊、ロシアと言う名で民主化した後のロシア国内の貧富の差は異常で、悲しくも「貧しい」環境となった国民はゴミ箱をあさってでも食料を探すほどの貧しさを経験しているし、チェチェンはじめ内戦に身内を出兵させたことで相当深刻な悲しみを体験しており、彼らは口を揃えて「ああ、ソヴィエト時代の方がマシだった」と言うからです。強制移住させられようと、ソヴィエト時代にゴミ箱をあさらねばならないほどの貧しさにおとしめられることはなかったと彼らは言います。内戦もなかったから、家族の中から戦争犠牲者も出なかった、と。

ここ数日、日本語で「クリミアの親ロシア派住人」と冠されたひとびとが「ロシアへの帰属を願っている」と繰り返されていますが、冷ややかな目で現在のロシアという国を眺めるならば、どんどん極右に化けているし、ロマノフ家は復活せずに、新しい帝王と貴族が誕生するのも時間の問題のような国内事情です。「クリミアの親ロシア派住人」の多くが、もし近い将来、ロシアの国民になったとしても、彼らが思い描く目に見える改善はゼロではないでしょうか。私ゃ、どうにも彼ら、「親ロシア」と冠されたひとびとのノスタルジーの先は現在のロシアでも、かつてのロマノフのロシアでもなく、1917年からの「ソヴィエトとCOMECON」時代の生活に思えてなりません。

プーチプー皇帝が、そりゃ、クリミア半島をなんとしても、どんな手段を使っても手に入れたいだろうことも私は想像していますけれど。ええ、どんな手段を使っても、です。

そもそも、昨日27日のロシアの通信社経由で発表されたとされるヤヌコビッチ氏声明文が本当に本人の頭と手によるものかも実はわかっていないそうです。ちゃん、ちゃん。

le 28 février 2014, Romain


それにしても、クリミアと聞くと、ナイチンゲールを思い出してしまう自分。
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by ma_cocotte | 2014-02-28 10:48 | 『?』なオイロッパ | Comments(4)
きょうは朝からずっとコレだった。
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低い国 Pays bas 、いえ、俗に呼ばせていただくならばオランダの王位継承と新国王即位式についてでざます。
国王がいない仏蘭西という国で、なぜか欧州諸国の国王とヴァチカンの法王についてやたら丁寧に騒ぐのは毎度のことですけれど、きょう、興味深かったことは新しい国王(ウヰレム・アレクサンドル Willem Alexandre )の即位式なのになぜか仏蘭西では妃殿下のマキシマ Maxima さんについての話題を繰り返していました。それはマキシマさんがアルゼンチンの出身で旧教徒だから。今年は3月に選ばれたロオマ法王もアルゼンチン出身なので、今はアルゼンチンが旬なのだそうだ。それのどこが仏蘭西までもが大喜びするのだろう?と首を傾げてしまうのも私が欧州から10000kmも離れた国の、顔のっぺりガイジンだからですね。仏蘭西が元はカトリック国教国だったという藁にすがるマスゴミ・・・呆れます。

午前9時半からの生中継でそういう旧教ネタばかり話していた解説者が、午前十時を過ぎて、この写真の場面がテレビ画面に映った途端、「ココからは新教の世界です」とおっさった。噴出してしまいましたよ。
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カトリック教徒のマキシマさんが今日の主人公のひとりとしてしっかりいらっしゃるのにね。おまけに、背後の絵画は宗教画に見えるけれど宗教画ではないのかしら。

日本國で教育を受けたひとならばオランダ(阿蘭陀)と聞けば鎖国後でもオランダが新教国ゆえに日本との交易が許された国として頭に残っていたりしますが、今のオランダに国教は存在しないのだそうです。確か新国王とマキシマさんの婚姻が決まった時に、マキシマさんは改宗しないけれど、生まれてくる子供の教育はオランダ王家の伝統に従うという誓約があったと漏れ聞いた記憶があります。

さて、オランダという国。
本当に日本国内の日本史や世界史で教えているとおり新教国なのでしょうか?
実は、確かにオランダの王家の宗旨は新教ですが、国教は無し。それでは庶民の宗旨は?となると、意外にも昔からオランダの庶民の宗旨は旧教、カトリックが優勢なのです。日本という国は相手国の長上一族が新教だから交易認可したわけで、もっと広い目で眺めたら国民の生き方はカトリックなので、日本が交易を禁じた諸国の平民さんと同じだったのです。なんだかなー。オランダさん、ラッキーでしたね。

とココまで書いたところで、それでもオランダは新教国だ、とおっしゃる方もいらっしゃると思うので、外務省データを転載しますと、
キリスト教(カトリック27%、プロテスタント16.6%)、イスラム教(5.7%)、ヒンズー教(1.3%)、仏教(1%)、無宗教・その他(48.4%)(2011年 オランダ中央統計局)
と、キリスト教徒の比率は明らかにカトリック優勢の「今のオランダ」なのです。21世紀に生きているのに、鎖国時代の欧州宗教分布をそのままで語ったところで、それは過去。勉強になりました。

そんな話で以下の写真。昨晩(4月29日)の晩餐会の様子です。
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天井の左上に目を合わせると、白い修道服をお召しの人物が描かれています。間違いなく旧教の修道士の肖像でしょうけれど、そういう方面の絵をすべてヘラで削り落とすような新教の宗派でなくて良かったです。あ、オランダという国に国教は「無」。それが「今のオランダ」でした。

le 30 avril 2013, Pie V

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by ma_cocotte | 2013-04-30 23:13 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
.fr ではなく .eu
今年の9月14日の午後、私はアルザスはストラスブゥにござる欧州議会 PARLEMENT EUROPÉEN を見学しました。
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円形庁舎の内側はパティオになっており、テレビ中継の準備をしていました。
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見学するにあたり、パスポオトやアイデンティティカードを持参するように言われていましたが、入館するには空港と同様のセキュリティチェックがあり、パスポオトよりも服に潜ませたヂャックナイフの取締りに厳しく、仏蘭西では高齢の殿方の多くがヂャックナイフを常携帯する習慣があるので、建物から出る直前まで危険物は館員に預けなければなりませんでした。

そんなわけで、欧州議会とはカンケーない日本人のワタクシもなぜか入館させていただきまして、おまけに我が地元から選出された欧州議員によります講義まで拝聴させていただきました。
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金髪のマダムが欧州議会議員で、サルコぢ帝が院政をしかれるUMPの所属。

マダムの講義の後、場所を代えて記念撮影。
更にその後は欧州議会の本会議場を見学しました。
これ ↓ は議員座席表と2011年9月14日付の進行録 Ordre du Jour です。
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座席表は上のマダムの講義の写真の図と一致します。政治について「左右翼」の表現を用いることがしばしばあるけれど、欧州議会においても半円の右が極右で左に弧を描けば描くほど極左政党所属議員になります。

議会見学後、お土産をいただきました。
冷蔵庫にぺったんこできるマグネット付メモ、ティッシュペーパー、ボールペン、メジャーとあまりに小さな欧州法の本。
仏蘭西共和国のアルザス地方に欧州議会があれど、.fr ではなく .eu なのです。
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そして、欧州議会の敷地から出たところでシュプレヒコールが飛び交っていました。
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アラビア語の世界だったけれど、中には子供を連れた女性の姿も見つけられました。この日の午後の議題がリビア、シリア、中近東和平だったのでこうして議事堂前で運動が繰り広げられたのだと思います。

抗議運動の場から欧州議会を眺めました。シリア国旗の向こうに欧州議会。印象的です。
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通りすがりの者でも緊張を感じてしまう物々しさではありましたが、ちょっと目をそらすと、河畔を走るトラムウェイ。
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こちらがアルザスの日常なのでありましょう。


日本人の私にとって貴重な見学となりました。




le 30 octobre 2011, Bienvenue

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by ma_cocotte | 2011-10-30 23:03 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
34年後の同じ日に、
昨晩のニュウスで知りましたが、昨日6月19日に北欧スウェエデン王国の次期国王であるヴィクトリア王女のご結婚のご慶事が首都ストックホルムの大聖堂にてござったそうです。
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http://www.rtbf.be/info/

大聖堂内はこのよう ↑ です。
仏蘭西語の報道での文面だとこの大聖堂は la cathédrale Storkyrkan de Stockholm とあり、Storkyrkanとは何ぞや?と調べたところ、聖ニコラ教会の別名だか愛称のようであります。 la cathédrale カテドラルという名称は旧教や正教会、英国国教会ですと司教、主教の椅子が聖堂内に置かれた聖堂になりますが、はて、かのスウェーデン王国の国教は何であっただろう?と調べたら福音ルーテル派でした。となりますと、上の写真は福音ルーテル派の聖堂内になりますが、祭壇の設えも聖職者の装束も興味深いものがあります。福音ルーテル派は今のカトリックより昔のカトリックに近いように見えます。

さて、昨日、2010年6月19日のヴィクトリア王女の婚姻ですが、遡ること34年前1976年の6月19日、同じ大聖堂でヴィクトリア王女のご両親が婚姻されたそうです。

le 20 juin 2010, Silvère
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by ma_cocotte | 2010-06-20 22:51 | 『?』なオイロッパ | Comments(4)
徹底抗戦の第一声から70年目
きょう6月18日は、大英帝國に亡命したシャルル・ド・ゴール(将軍、後の仏蘭西共和国大統領)がラジオを通じてナチスドイツへの徹底抗戦を呼びかけた日から70年目にあたる日だそうです。
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Lepoint.fr

そんなわけで、きょうは午前中から仏蘭西共和国大統領なんかに身を窶している神聖賢愚帝サルコぢ一世と寵妃カル~ラさまが倫敦はチェルシィ王立病院での式典にお出ましあそばしており、ずぅうううっと国営放送France2では特別生中継番組を流し続けているのであります。↓ きょうの朝の彼と、彼女と、チャアルズ皇太子 ↓ AFP
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大英帝國にしてみれば、同年同月同日にかのウィンストン・チャアチル首相が"This was their finest hour"という演説を行った日でもあります。そんなわけで今日のご慶事となりました。

傍観者である私のツルツル脳においては、第二次大戦中、共和国の外から働きかけを続けていたシャルル・ド・ゴールという人物が戦後の流れで大統領となられたものの、戦時中のナチスに占領された共和国内の事情を知ってしまうと本当にシャルル・ド・ゴールが英雄だったのか?と首を傾げてしまうことが多々あります。冷めた発言が許されるなら、彼はもしかしたら挑発者に過ぎず、彼の挑発で動いた庶民が心身に傷をおった真の戦士ではないかと思ってしまったりもします。


今宵は式典会場が倫敦から巴里に移るとのことです。神聖賢愚帝サルコぢ一世の寵妃カル~ラさまが国母陛下としての使命を横において生業であるモデル兼歌手として華やかに振舞われるのでしょうか。指と指の隙間から拝見したい気もいたしますが、私ももしかしたら大英帝國民同様にそんなことよりワールドカップ!なンであります。あれから70年、今宵の戦はイングランド対アルヂェリアの真剣勝負でございますからして。

le 18 juin 2010, Léonce
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by ma_cocotte | 2010-06-18 20:20 | 『?』なオイロッパ | Comments(2)
日本國では光が当たらない面から光を当てて眺めてみる。
光が当たる先は、こちら ↓  photo @ AFP
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19日、欧州連合(EU)初代大統領に選ばれたファンロンパウ氏であります。

それにしても、日本語標記の ファンロンパウ ・・・・_| ̄|○
アルファベット標記では Herman Van Rompuy です。これをどう発音するかがまず問題で、仏蘭西語だと発音したところで「ファンロンパウ」とは読めません。日本國メディアでは「ファンロンパイ」という表記を選んでいる会社もあり、どうやら y を「ウ」または「イ」の二音に分かれるようですね。仏蘭西では「エルマン・ヴァン・ロンプゥイ」が発音に最も近いカタカナ表記かも。

19日の選出から一夜明け、お仏蘭西でもトップ扱いではないにしてももちろんニュウスで触れている話題ではございますが、まずは以下、日本國の全国紙における関連記事ざます。


EUのファンロンパウ大統領は「妥協の産物」

11月20日11時4分配信 読売新聞

 19日の欧州連合(EU)首脳会議で、初代の欧州理事会常任議長(EU大統領)に知名度の低い小国出身者が選出されたのは、加盟27か国間のバランス重視の結果だ。▼国際社会での存在感より内輪の論理を優先した「妥協の産物」の色彩が強い。▼常任議長には、国際社会でのEUの威信向上につながる指導者として英国のブレア前首相への待望論もあったが、多くの中小国が難色を示した。強力な指導者の誕生で、自国の発言力が低下する事態を恐れたと見られる。その点、典型的な調整型指導者のファンロンパウ氏は、どの国にも無難な候補だったと言える。▼一方で、外交安保上級代表(EU外相)が英国出身のアシュトン欧州委員に落ち着いたのは、国際社会で英国が持つ重みが決め手となったのは間違いない。▼現在、EUの官僚機構である欧州委員会トップは南欧ポルトガルの、民選議会である欧州議会議長は東欧ポーランドの出身者が務めている。「大統領」「外相」に西欧の小国と大国の出身者をそれぞれ据えることで、27か国の地域間バランスも整う格好となった。
(ブリュッセル 尾関航也)




俳句が趣味の「ミスター修理人」 初代EU大統領のファンロンパイ氏

11月20日11時17分配信 産経新聞

 外見通り控えめな性格で、国際的な知名度は皆無に近いが、フランス語圏とオランダ語圏が対立していたベルギー国内政局を円滑にまとめている調整能力が評価された。▼1972~75年、ベルギー中央銀行に勤務し、93~99年の予算担当相時代には大胆な歳出削減を進め、財政再建を果たした。忍耐強く地道な仕事ぶりから「ミスター修理人」と呼ばれる。▼欧州連合(EU)内に敵が少ないことが初代EU大統領に選ばれた最大の理由だ。“ブレア大統領”の誕生を阻まれた英メディアは「首相に就任して1年もたっておらず、敵を作ろうにも作りようがなかった」と揶揄(やゆ)した。▼記者会見では調整型の人らしく、「敗者を生む交渉は良い交渉とはいえない」という持論を披露した。趣味はオランダ語で詠む俳句。母語のオランダ語のほか、フランス語、英語、ドイツ語も操る。
(ロンドン 木村正人)



( ̄~ ̄;) ふぅうううううん。
讀賣も産経も中道よりミギでしょうに辛口と言うか、ε= (´∞` ) Bof と言うか。
EU大統領の人選は最終段階でベネルクス三国(ベルギー、オランダ、リュクサンブルグ)、小国とは言え立憲君主制国家に的がしぼられていたと漏れ聞いてはいましたが、ブレア大統領ですかあ。タニィはローマン・カトリックの永久助祭になるため、そんな暇なんてないんぢゃないの?(-。-) ボソッ

さて、欧州連合初代大統領閣下 Herman Van Rompuy 氏。
日本國では「妥協の産物」「無難な人選」「忍耐強い」「地道」「敵がいない」とされ、仏蘭西では「慎み深い」などと冠せられておりますが、20日付の仏蘭西メディアを見聞しますと、ロンプゥイ氏は
Il sait créer le consensus omnium
らしいです。仏蘭西語だけど途中からラテン語。ロンプゥイ氏は満場一致を生み出す方法をご存知で、二文化融合の国でもあるベルギーにおいて国王からの信頼もこの上厚いそうです。

そして、以下、彼についておそらく日本國のマスメディアでは触れない部分。
un homme simple, modeste
  質素で慎み深く謙虚な男性である。
ancien étudiant du Collège jésuite
  イエズス会中高出身である。
-et de l'Université catholique flamande de Louvain
  カトリック大学出身である。
-adepte de Saint Thomas d'Aquin
  聖トマス・アクィナスの信奉者である。
Ce catholique pratiquant, père de quatre enfants (deux fils et deux filles)
  生活宗旨を守るカトリック信者であり、4人(二男二女)の父親である。
。___φ( ̄^ ̄ ) にゃるほど、大統領はイエズス会士が手塩にかけて育てた男子なんぢゃな。この過去あっての権力にも勝る彼の精神的かつ知的な「縁の下の力」が期待されての選出と。うぅううむ、外れてないロジックかも。とは言え、仏蘭西共和国内におけるイエズス会男子校は既に過去で卒業生が全て帰天したら伝説と化すであろうですが、こうして多くの紙面に Jesuites のキーワードが掲載されるとなると欧州全体ではまだこの経歴は「生きる、生かされる」ということですわな。

そして、ニホーンびとにうれしいことは
Il raffole aussi de l'art japonais du haïku
大統領は俳句という日本芸術をたしなむっちゅうことですなーっはっは。

le 20 novembre 2009, Edmond
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by ma_cocotte | 2009-11-20 21:03 | 『?』なオイロッパ | Comments(15)
無、否、非 む、ひ、ひ
角川漢和辞典より。
【無】 ①ない。存在しない。ないがしろにする。②なかれ。禁止を表わす。
【否】 ①いな。承認しない。不承知。打ち消しを表わす。②・・・か・・・でないか。そうでないこと。反対を表わす。
【非】 ①そむく。正しいことにはずれる。②そしる。せめる。悪口を言う。③よくない。不幸である。

*「否と非」の使い分け*
 【否】それと同じ考えではない。
 【非】正しくない。そうではない。
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ふぅううん。以上の「無、否、非」を「神論」にあて、無神論、否神論、非神論とする。
無神論:神は存在しない。神なんて地べたに踏み潰せる。
否神論:神を認めない。神を(自分の意で)打ち消す。
非神論:神は不幸である。神に背を向ける。神のお母さんなんかデベソだ。
ですかねぃ。そうだとすると、非神論者は神を否定してはいないから地獄に堕ちないけれど、否神論者は地獄直行。そして、無神論者は50/50で、神は存在しないと信じる者は地獄に行き、神の存在を認めても地べたに神を押し付け踏みにじる者は地獄には堕ちはしないけれどいずれ天に行けるとなりましょうか。しばしば見聞する病棟で死期を悟った共産主義者がいきなり「神父、呼べぇええええ!」と病人とは思えぬ赤ん坊の初泣きのような大きな声をあげた場合、この患者は回心した無神論者となるのでしょうか。
昨年だったかココんちの近所の80歳を過ぎた爺っつぁまが突然、地元の教会を訪問し「堅信を受けたい」と申し出たそうです。彼は幼児洗礼だったけれどそれきりで、人生のほとんどは限りなくコミュニストだったそう。だけど、難しいことではなく、或る日ふと「死ぬ前に堅信を受けたい」と心が欲したそうです。この老ムッシュウはかつて無神論者か非神論者だったことになるのかも。死の瞬時まで誰の心にも回心はある、あきらめてはならんぞ。___φ( ̄^ ̄ )

さてさて、お仏蘭西。
この半月、共和国民なら誰もが見れる地上波放送局のニュウスにおいて、誰もが立ち寄るキヲスクで販売している有名全国紙において、連日「宗教ネタ」が続いています。それもイスラームだけでなくキリスト教も鍵語のひとつ。

一番賑わしているネタは共和国内ではなく、隣国イタリアにおける話題であります。先日11月3日、欧州連合の人権法廷がイタリア国内の公立校から十字架を外すよう判決を下しました。この訴訟、実は21世紀に入る直前、イタリアは聖アントーニオや州都ヴェネツィアで知られるパドヴァ州で、マッシモ・アルベルタン Massimo Albertin という医師と彼のフィンランド出身の妻 Soile Lautsi (← どう発音するのでしょう?)が愛息が通う学校相手に十字架を外すよう頼んだところ学校側から断られたことで政教分離に反すると裁判に出たことに端を発し、2006年にイタリア国内で学校側の拒否を認めた判決が下されたことを期に、闘いの舞台はイタリアから飛び出てEUの人権法廷にまで移動したことになります。イタリア国籍とは言えイタリアらしからぬ苗字の男性は超お金持ぃ♪だけれど、もちろん支援者あっての闘争ショウなんであって、この国境を越えた夫妻は二人とも membres de l’Union des athées et agnostiques rationalistes, すなわち「無神論者、不可知論者、合理主義者連盟会員」であり、この共通項の中にある方々が支援していたことになります。同じ大陸、欧州連合の中とは言え、欧州連合人権法廷の判決はこの夫妻の勝訴となり、理由はイタリアが70年前に政教分離宣言しているにも関わらず、十字架の習慣を温存していることで他の宗教信仰者や無神論者を傷つけてきたからだそうです。

ところが、11月3日にこの判決が下されてから、イタリア国民にアンケートを取ったところ、84%のイタリア国民は公立校の教室に十字架、正確には le crucifix でカトリック固有の磔十字を掲げることに賛成と表明しているのだそうです。つまり、いくらEUの人権法廷で伊太利亜&芬蘭カップルが勝訴したところで、イタリア本国の84%にしてみれば納得行かないことであり、イタリア政府から5000ユーロがこの夫妻に支払われたところで、彼らはイタリア国内では少数派の立場であることに変わりないのです。なんでもこのご夫妻、磔十字を目にしてしまった時だけでなくイタリア人がサッカーをする際に十字架を切ることでもムカつくらしく、磔十字は自分たちの信念に基づいた子供への教育の妨げになると法廷で強調したんですね。
だとしたら、イタリアの生活文化である磔十字を見たくないなら、奥さんの母国にでも引越せばいいのにね。フィンランドはルーテル派でしょが?磔十字は認められてないぞ。しかも、調べてみたらこのご夫妻がダシにしていた、あ、いえ、ご自分たちの信念のみで脳を洗浄して育てたお子様方がこちら ↓ あっちゃー。
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© Diario Público

長男のDataico は21歳で工学部学生、次男19歳のSami はイタリアのシアンス・ポリティック予科生とか。なんか写真を拝見する限り、ご家庭から醸し出される雰囲気は限りなくアダムス・ファミリィで、お父様など両犬歯が妙におとんがりあそばしているのでわわわ。
いずれにせよ、訴訟開始当時は未成年者だった夫妻の愛息二人も18歳を過ぎてしまったのだから、今後の人生、磔十字を認めるのも踏みつけるのも本人次第でしょう。それこそ、死ぬ間際に「司祭を呼べぇえええ!」と叫ぶかもしれません。そんなことは Only God knows だがね。


なんつうか、久しぶりにこの手のニュウスが表に出たことで数年前の共和国内でのイスラーム女子のスカーフ着用論争を思い起こしたりもしました。騒ぎの発端になった姉妹の父親はアシュケナジユダヤんのヒダリ巻き切れですからして。マグレブ系の妻を娶ったのもその思想ゆえ。当初、イスラームのために女子生徒が共和国政府の犠牲になったかのような美談だったけれど、裏事情がわかるなりイスラームだってアンタッチャボーになりました。

更に時間を遡っての話では、第二次大戦終了後から仏蘭西に帰還したユダヤ系の人々の中に、カトリック教会の礼拝の様子を見るだけで、外に漏れてくる典礼文やらオルガンの音だけで心身の調子が悪くなるという訴えを続けた方々がおり、その訴え先も裁判所やら警察やら教会やら。裁判所に訴えた場合はユダヤ系が勝つ例もあったそうで、それは第二ヴァチカン公会議終了まで続いたのだとか。例の旧典礼の復活の噂が7月7日より数ヶ月前に世俗に流れた段階で、仏蘭西のマスコミが戦後から1970年頃までのほとぼりがようやく冷めたからという理由が流れたのもわからなくもありません。

とは言え、イタリアの例にしろ、フランス共和国内の諸例にしろ、心身がおかしくなるほど、身の毛がよだつほど目に見えるものを毛嫌いするという感覚。実は偶像に惑わされてませんかね?いくら目の前から事物を消したり、自分の両耳に耳栓を隙間無くしっかり装着したところで、世の中の真実はなんら変わらないのに。

勝訴した夫妻の心の苦痛を和らげるために、イタリア国内に住む84%の国民が生活習慣を変えてあげるのですかね?このご夫妻、いったいナニサマなんだろう?若いモンの言葉を借りるなら、「巣に帰れ」はこのお二人に向けられるし、ご夫妻の現世のパラダイスはイタリアではないことがはっきりしたのではないでしょうか。お二人にとって仏蘭西の方が現世天国に近いのでわ。お二人の思想なら「死んだらおしまい」なんだからいつまでも地獄のイタリアにいるこたないのに。結局、地獄イタリアの湯加減が心地いいンぢゃないのかな。最低。
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le 9 novembre 2009, Dédicace de la Basilique du Latran

上のネタほどではないにせよ、ちょとだけ共和国内を賑わした話題は南仏マルセイユに大モスクが建設されることが決定したことです。イスラームとして生きる全ての共和国民のためだそうだけれど、ほぼ絶対間違いなく縄張り争いが始まる、にウルトラスーパーひとしくん。
ε= (´∞` ) Bof
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by ma_cocotte | 2009-11-09 19:19 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
緑の中の紅一点、それは『赤毛のダニィ ♂ 』
旬を過ぎた話題をひとつ。

6月の第一日曜日、7日は欧州議会選挙の投票日でした。任期満了に伴う5年ぶりの選挙で、その日を前にテレビではおフランス風の政見放送が定期的に流れ、どの討論番組も候補者を集めての生中継を繰り返しました。

相変わらず、ナマ討論なので各人の声がかぶってドラマのようなわけには行かず、時には深夜まで延長して流れた様子もウトウトし始めた自分にはやかましいドラ、騒音に過ぎませんでした。なぜ私がウトウトして、テレビスピーカーから聞こえてくる候補者の訴えがやかましい銅鑼に聞こえ、聴く気になれなかったのかと言うと、5年前の討論内容とさして変わらなかったからです。耳に引っかかったのはチュルクゥ turque、チュルキィ Turquie 、つまり全国土の3%と首都が欧州側にあるトルコについての諸問題です。諸問題というのは加盟についてもそうだし、トルコは国民の99%がイスラームの国なので、トルコがヂュデオ・クレチエン(Judéo-Chrétien, ユダヤ・キリスト教文化慣習)を基礎にした欧州連合に加入したとして連想される欧州側に課せられる「差区別と融合問題」です。これらの問題、5年前も激論していたし、それより以前から激論していたけれど、結局、この近年5年も激論していたのかなあ?なんか実は怠っていたから5年経っても、いざ選挙戦となったら同じ話題で盛り上がっているようにさえ見えました。自分たちのことなんだから、真剣に取り組めよ、と思う一方で、ガイジンで参政権もない自分は変化のない論点についてシラけ、諦めているのかもしれない、と思いました。この分だと5年先の欧州議会選挙戦でも同じチュルクぅ、チュルキぃな話題で奇声がスピーカーから流れてくるという予想もつくし、5年先の私はその時は補聴器を外すか、それともこの世にいないのかなどふと考えてもしまうのでした。

ですから、マンネリ化した候補者の激論を聞いていてもあらぬ事が脳裏に思い浮かんだりしました。トルコについては先月だったか仏蘭西と独逸の共同運営テレビ局のARTE(アルテ)で、仏蘭西国境に近いドイツ側の公立校では今も各教室の教壇側壁に磔十字(キリスト像が十字架と共にある旧教文化)が掲げられており、この習慣を政教分離の立場などから撤廃の運動を行っている公立校教員の家に大量の抗議電話や留守電が送られ続けているという話が紹介されました。その留守電が番組の中で流れましたが、スピーカーから流れる声声は上品かつ礼ある声色と言葉の羅列ですが、結局のところ、教室から磔十字を外そうなどとおっしゃる先生はトルコに移住しなさい、と勧告して、プープープーと切れるのです。欧州内でトルコと最も関わりある国は独逸、続いて仏蘭西でしょうか?どちらもトルコ人の真面目な労働力に頼っているのに、どこかこういう蔑視があるのです。実際、私も仏蘭西に移住しているトルコ人とかなり交流したけれど、途上の中にある国だけに都市部から移住したトルコ人と地方から移住したトルコ人では生活態度も順法意識も目に見える格差があります。世界中どこでもそうですが、都会育ちのヒトは寄留した先での馴染みも早いです。逆に地方からの移住者は向上心は強けれど、どこか郷土を背負ったままと申しましょうか。トルコ人の場合、それが女性の装束と男性の「女性についての扱い方」などではっきりすることが多く、ココはトルコ人にとっては寄留国なのにトルコ人同士で互いに「私はあのヒトとは違う」と始まります。特にトルコ本国でイスラームが原理傾向に動き出したことでますます女性の外見で女性同士がもめていることを散見するようにもなりました。ま、こんな欧州議会の本筋より、身近な見聞で思い巡らしてしまうし、なんとか改善するためには欧州議会議員自身の真剣な取り組みがなければ、今回のような停滞があからさまに議論の中で現れるということも学べました。

さて、選挙が終わって結果を眺めると、サルコぢ一世が後白河上皇と化しているUMPが勝利。で、緑の党の躍進が話題になりました。緑の党の筆頭候補者はダニエル・コーン・ベンディット Daniel Cohn-Bendit 氏でした。私はガイジンの立場ではあっても緑の党が苦手ですが、今回の選挙戦で緑の党が好調だったのはひとえにダニエル・コーン・ベンディットが大活躍して、これまで「緑の党 Les Verts 」と言えばノエル・マメール Noël Mamère やドミニク・ヴォワネ Dominique Voynet 女史が前面に出て空論ぶちまけてたのに(こっちが胡散臭いと察する前に口を閉じればいいのに彼らは閉じない)、今回の選挙ではただただひたすらダニエル・コーンが舌戦に参上していたんですなあ。この作戦は成功です。もし選挙前の運動でノエル・マメールやドミニク・ヴォワネが微塵でも登場したら、ほぼ絶対間違いなく緑の党に票を投げるヒトは減っていたでしょう。ダニエル・コーン「しか」出さない、しゃべらせない。結果、世界に(仏蘭西)緑の党の躍進が伝えられました。このダニエル・コーン・ベンディットはきょうび50歳を過ぎたヒトビトにとってはスーパースタアで、なぜ彼がスーパースタアなのかというと 1968年パリで起こった学生蜂起五月革命 の指導者だったからです。仏蘭西と独逸の国籍を持つユダヤんのダニエルは今や白髪となれども68時代は赤毛のダニィ « Dany le rouge » という渾名で知られていました。あれから41年過ぎても、仏蘭西においてダニエル人気は衰えていないのか、結局、40年が過ぎてもダニィしか世の中をあからさまに変えられる人物はいないのか。68の風雲児ダニィと数多の有権者との間に信頼の絆がある、それだけで緑の党に勝利がもたらされたと私には見えました。

今回の選挙戦前のテレビ公開討論など傍観していると、噂のダニィのカリスマなのか威圧なのか「ない」とは言えないと思いました。おそらく68時代を知る人々にとっては赤毛のダニィの枯れ具合にいろいろ思いを馳せるのでしょうけれど、私のような当時を知らない者にとっては近年、この手の討論番組で口の滑りが目立つトロツキストの若き闘士オリヴィエ・ブザンスノ Olivier Besancenot の語り口がダニィと同じ卓につくとどこかまどろっこしく見え、午前中の郵便配達で疲れているのかなあ?と彼の本職での多忙を思いやったりしてしまいますが、もしかするとダニィの存在感に圧せられていたのかもしれません。

なんつーか、だからと言って「赤毛のダニィ」の衰えない人気で票が伸びたかもしれない 緑の党に何ら魅力を感じないあたくし ですし、ダニィの後ろに控えしはヂョゼ・ボベ José Bové で、前世紀の終わりにはトラクターでマクドに突っ込んでスーパースタアだったヂョゼの最近の交友を叩くとチャベスやエヴォ・モラレスが浮かび上がり、そこから辿ればキューバ、中國、イランとの同盟につながりやすからねぃ。矢面のダニィの後光で背後が見えなくなっちゃうとヤバいと見ています。

トルコ、これからの5年でどういう立場になっていくのでしょうか。
選挙の結果から眺めれば、欧州主要国では右派の勝利です。右派が勝利した背景には経済危機による社会不安が増す中、治安や移民問題への対応を強化していることにあるらしいけど、仏蘭西って移民問題の対応を強化しているのかしら?そうは思えないけれど。中道から右突き当たりは有権者に移民による失業問題深刻化と職場を奪われる危機感を募らせるという心理作戦もあっただろうけれど、仏蘭西の場合、日本企業の撤退で「非情な日本國」のイメージが先行したような気がしなくもありません。これもサルコぢ一世サマのご意向なんざましょけれど。

兎にも角にも、これからの5年の行方も気になります。
結局のところ、欧州各国民におかれましてはヒダリ、ミギのどちらかに傾けば安定するなんて思考より、人道的思考を抜本的に改めないと、五年後の選挙でも同じ話題で舌戦なんでしょう。欧州側国民の心の成長にかかっています。

le 17 juin 2009, Hervé
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by ma_cocotte | 2009-06-17 16:54 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)