今年の9月14日の午後、私はアルザスはストラスブゥにござる欧州議会 PARLEMENT EUROPÉEN を見学しました。
![]() 円形庁舎の内側はパティオになっており、テレビ中継の準備をしていました。 ![]() 見学するにあたり、パスポオトやアイデンティティカードを持参するように言われていましたが、入館するには空港と同様のセキュリティチェックがあり、パスポオトよりも服に潜ませたヂャックナイフの取締りに厳しく、仏蘭西では高齢の殿方の多くがヂャックナイフを常携帯する習慣があるので、建物から出る直前まで危険物は館員に預けなければなりませんでした。 そんなわけで、欧州議会とはカンケーない日本人のワタクシもなぜか入館させていただきまして、おまけに我が地元から選出された欧州議員によります講義まで拝聴させていただきました。 ![]() マダムの講義の後、場所を代えて記念撮影。 更にその後は欧州議会の本会議場を見学しました。 これ ↓ は議員座席表と2011年9月14日付の進行録 Ordre du Jour です。 ![]() 座席表は上のマダムの講義の写真の図と一致します。政治について「左右翼」の表現を用いることがしばしばあるけれど、欧州議会においても半円の右が極右で左に弧を描けば描くほど極左政党所属議員になります。 議会見学後、お土産をいただきました。 冷蔵庫にぺったんこできるマグネット付メモ、ティッシュペーパー、ボールペン、メジャーとあまりに小さな欧州法の本。 仏蘭西共和国のアルザス地方に欧州議会があれど、.fr ではなく .eu なのです。 ![]() そして、欧州議会の敷地から出たところでシュプレヒコールが飛び交っていました。 ![]() アラビア語の世界だったけれど、中には子供を連れた女性の姿も見つけられました。この日の午後の議題がリビア、シリア、中近東和平だったのでこうして議事堂前で運動が繰り広げられたのだと思います。 抗議運動の場から欧州議会を眺めました。シリア国旗の向こうに欧州議会。印象的です。 ![]() 通りすがりの者でも緊張を感じてしまう物々しさではありましたが、ちょっと目をそらすと、河畔を走るトラムウェイ。 ![]() こちらがアルザスの日常なのでありましょう。 日本人の私にとって貴重な見学となりました。 le 30 octobre 2011, Bienvenue
昨晩のニュウスで知りましたが、昨日6月19日に北欧スウェエデン王国の次期国王であるヴィクトリア王女のご結婚のご慶事が首都ストックホルムの大聖堂にてござったそうです。
![]() 大聖堂内はこのよう ↑ です。 仏蘭西語の報道での文面だとこの大聖堂は la cathédrale Storkyrkan de Stockholm とあり、Storkyrkanとは何ぞや?と調べたところ、聖ニコラ教会の別名だか愛称のようであります。 la cathédrale カテドラルという名称は旧教や正教会、英国国教会ですと司教、主教の椅子が聖堂内に置かれた聖堂になりますが、はて、かのスウェーデン王国の国教は何であっただろう?と調べたら福音ルーテル派でした。となりますと、上の写真は福音ルーテル派の聖堂内になりますが、祭壇の設えも聖職者の装束も興味深いものがあります。福音ルーテル派は今のカトリックより昔のカトリックに近いように見えます。 さて、昨日、2010年6月19日のヴィクトリア王女の婚姻ですが、遡ること34年前1976年の6月19日、同じ大聖堂でヴィクトリア王女のご両親が婚姻されたそうです。 le 20 juin 2010, Silvère
きょう6月18日は、大英帝國に亡命したシャルル・ド・ゴール(将軍、後の仏蘭西共和国大統領)がラジオを通じてナチスドイツへの徹底抗戦を呼びかけた日から70年目にあたる日だそうです。
![]() そんなわけで、きょうは午前中から仏蘭西共和国大統領なんかに身を窶している神聖賢愚帝サルコぢ一世と寵妃カル~ラさまが倫敦はチェルシィ王立病院での式典にお出ましあそばしており、ずぅうううっと国営放送France2では特別生中継番組を流し続けているのであります。↓ きょうの朝の彼と、彼女と、チャアルズ皇太子 ↓ AFP ![]() 大英帝國にしてみれば、同年同月同日にかのウィンストン・チャアチル首相が"This was their finest hour"という演説を行った日でもあります。そんなわけで今日のご慶事となりました。 傍観者である私のツルツル脳においては、第二次大戦中、共和国の外から働きかけを続けていたシャルル・ド・ゴールという人物が戦後の流れで大統領となられたものの、戦時中のナチスに占領された共和国内の事情を知ってしまうと本当にシャルル・ド・ゴールが英雄だったのか?と首を傾げてしまうことが多々あります。冷めた発言が許されるなら、彼はもしかしたら挑発者に過ぎず、彼の挑発で動いた庶民が心身に傷をおった真の戦士ではないかと思ってしまったりもします。 今宵は式典会場が倫敦から巴里に移るとのことです。神聖賢愚帝サルコぢ一世の寵妃カル~ラさまが国母陛下としての使命を横において生業であるモデル兼歌手として華やかに振舞われるのでしょうか。指と指の隙間から拝見したい気もいたしますが、私ももしかしたら大英帝國民同様にそんなことよりワールドカップ!なンであります。あれから70年、今宵の戦はイングランド対アルヂェリアの真剣勝負でございますからして。 le 18 juin 2010, Léonce
光が当たる先は、こちら ↓ photo @ AFP
![]() それにしても、日本語標記の ファンロンパウ ・・・・_| ̄|○ アルファベット標記では Herman Van Rompuy です。これをどう発音するかがまず問題で、仏蘭西語だと発音したところで「ファンロンパウ」とは読めません。日本國メディアでは「ファンロンパイ」という表記を選んでいる会社もあり、どうやら y を「ウ」または「イ」の二音に分かれるようですね。仏蘭西では「エルマン・ヴァン・ロンプゥイ」が発音に最も近いカタカナ表記かも。 19日の選出から一夜明け、お仏蘭西でもトップ扱いではないにしてももちろんニュウスで触れている話題ではございますが、まずは以下、日本國の全国紙における関連記事ざます。 EUのファンロンパウ大統領は「妥協の産物」 11月20日11時4分配信 読売新聞 19日の欧州連合(EU)首脳会議で、初代の欧州理事会常任議長(EU大統領)に知名度の低い小国出身者が選出されたのは、加盟27か国間のバランス重視の結果だ。▼国際社会での存在感より内輪の論理を優先した「妥協の産物」の色彩が強い。▼常任議長には、国際社会でのEUの威信向上につながる指導者として英国のブレア前首相への待望論もあったが、多くの中小国が難色を示した。強力な指導者の誕生で、自国の発言力が低下する事態を恐れたと見られる。その点、典型的な調整型指導者のファンロンパウ氏は、どの国にも無難な候補だったと言える。▼一方で、外交安保上級代表(EU外相)が英国出身のアシュトン欧州委員に落ち着いたのは、国際社会で英国が持つ重みが決め手となったのは間違いない。▼現在、EUの官僚機構である欧州委員会トップは南欧ポルトガルの、民選議会である欧州議会議長は東欧ポーランドの出身者が務めている。「大統領」「外相」に西欧の小国と大国の出身者をそれぞれ据えることで、27か国の地域間バランスも整う格好となった。 (ブリュッセル 尾関航也) 俳句が趣味の「ミスター修理人」 初代EU大統領のファンロンパイ氏 11月20日11時17分配信 産経新聞 外見通り控えめな性格で、国際的な知名度は皆無に近いが、フランス語圏とオランダ語圏が対立していたベルギー国内政局を円滑にまとめている調整能力が評価された。▼1972~75年、ベルギー中央銀行に勤務し、93~99年の予算担当相時代には大胆な歳出削減を進め、財政再建を果たした。忍耐強く地道な仕事ぶりから「ミスター修理人」と呼ばれる。▼欧州連合(EU)内に敵が少ないことが初代EU大統領に選ばれた最大の理由だ。“ブレア大統領”の誕生を阻まれた英メディアは「首相に就任して1年もたっておらず、敵を作ろうにも作りようがなかった」と揶揄(やゆ)した。▼記者会見では調整型の人らしく、「敗者を生む交渉は良い交渉とはいえない」という持論を披露した。趣味はオランダ語で詠む俳句。母語のオランダ語のほか、フランス語、英語、ドイツ語も操る。 (ロンドン 木村正人) ( ̄~ ̄;) ふぅうううううん。 讀賣も産経も中道よりミギでしょうに辛口と言うか、ε= (´∞` ) Bof と言うか。 EU大統領の人選は最終段階でベネルクス三国(ベルギー、オランダ、リュクサンブルグ)、小国とは言え立憲君主制国家に的がしぼられていたと漏れ聞いてはいましたが、ブレア大統領ですかあ。タニィはローマン・カトリックの永久助祭になるため、そんな暇なんてないんぢゃないの?(-。-) ボソッ さて、欧州連合初代大統領閣下 Herman Van Rompuy 氏。 日本國では「妥協の産物」「無難な人選」「忍耐強い」「地道」「敵がいない」とされ、仏蘭西では「慎み深い」などと冠せられておりますが、20日付の仏蘭西メディアを見聞しますと、ロンプゥイ氏は Il sait créer le consensus omniumらしいです。仏蘭西語だけど途中からラテン語。ロンプゥイ氏は満場一致を生み出す方法をご存知で、二文化融合の国でもあるベルギーにおいて国王からの信頼もこの上厚いそうです。 そして、以下、彼についておそらく日本國のマスメディアでは触れない部分。 -un homme simple, modeste。___φ( ̄^ ̄ ) にゃるほど、大統領はイエズス会士が手塩にかけて育てた男子なんぢゃな。この過去あっての権力にも勝る彼の精神的かつ知的な「縁の下の力」が期待されての選出と。うぅううむ、外れてないロジックかも。とは言え、仏蘭西共和国内におけるイエズス会男子校は既に過去で卒業生が全て帰天したら伝説と化すであろうですが、こうして多くの紙面に Jesuites のキーワードが掲載されるとなると欧州全体ではまだこの経歴は「生きる、生かされる」ということですわな。 そして、ニホーンびとにうれしいことは -Il raffole aussi de l'art japonais du haïku大統領は俳句という日本芸術をたしなむっちゅうことですなーっはっは。 le 20 novembre 2009, Edmond
角川漢和辞典より。
【無】 ①ない。存在しない。ないがしろにする。②なかれ。禁止を表わす。 ![]() 無神論:神は存在しない。神なんて地べたに踏み潰せる。ですかねぃ。そうだとすると、非神論者は神を否定してはいないから地獄に堕ちないけれど、否神論者は地獄直行。そして、無神論者は50/50で、神は存在しないと信じる者は地獄に行き、神の存在を認めても地べたに神を押し付け踏みにじる者は地獄には堕ちはしないけれどいずれ天に行けるとなりましょうか。しばしば見聞する病棟で死期を悟った共産主義者がいきなり「神父、呼べぇええええ!」と病人とは思えぬ赤ん坊の初泣きのような大きな声をあげた場合、この患者は回心した無神論者となるのでしょうか。 昨年だったかココんちの近所の80歳を過ぎた爺っつぁまが突然、地元の教会を訪問し「堅信を受けたい」と申し出たそうです。彼は幼児洗礼だったけれどそれきりで、人生のほとんどは限りなくコミュニストだったそう。だけど、難しいことではなく、或る日ふと「死ぬ前に堅信を受けたい」と心が欲したそうです。この老ムッシュウはかつて無神論者か非神論者だったことになるのかも。死の瞬時まで誰の心にも回心はある、あきらめてはならんぞ。___φ( ̄^ ̄ ) さてさて、お仏蘭西。 この半月、共和国民なら誰もが見れる地上波放送局のニュウスにおいて、誰もが立ち寄るキヲスクで販売している有名全国紙において、連日「宗教ネタ」が続いています。それもイスラームだけでなくキリスト教も鍵語のひとつ。 一番賑わしているネタは共和国内ではなく、隣国イタリアにおける話題であります。先日11月3日、欧州連合の人権法廷がイタリア国内の公立校から十字架を外すよう判決を下しました。この訴訟、実は21世紀に入る直前、イタリアは聖アントーニオや州都ヴェネツィアで知られるパドヴァ州で、マッシモ・アルベルタン Massimo Albertin という医師と彼のフィンランド出身の妻 Soile Lautsi (← どう発音するのでしょう?)が愛息が通う学校相手に十字架を外すよう頼んだところ学校側から断られたことで政教分離に反すると裁判に出たことに端を発し、2006年にイタリア国内で学校側の拒否を認めた判決が下されたことを期に、闘いの舞台はイタリアから飛び出てEUの人権法廷にまで移動したことになります。イタリア国籍とは言えイタリアらしからぬ苗字の男性は超お金持ぃ♪だけれど、もちろん支援者あっての闘争ショウなんであって、この国境を越えた夫妻は二人とも membres de l’Union des athées et agnostiques rationalistes, すなわち「無神論者、不可知論者、合理主義者連盟会員」であり、この共通項の中にある方々が支援していたことになります。同じ大陸、欧州連合の中とは言え、欧州連合人権法廷の判決はこの夫妻の勝訴となり、理由はイタリアが70年前に政教分離宣言しているにも関わらず、十字架の習慣を温存していることで他の宗教信仰者や無神論者を傷つけてきたからだそうです。 ところが、11月3日にこの判決が下されてから、イタリア国民にアンケートを取ったところ、84%のイタリア国民は公立校の教室に十字架、正確には le crucifix でカトリック固有の磔十字を掲げることに賛成と表明しているのだそうです。つまり、いくらEUの人権法廷で伊太利亜&芬蘭カップルが勝訴したところで、イタリア本国の84%にしてみれば納得行かないことであり、イタリア政府から5000ユーロがこの夫妻に支払われたところで、彼らはイタリア国内では少数派の立場であることに変わりないのです。なんでもこのご夫妻、磔十字を目にしてしまった時だけでなくイタリア人がサッカーをする際に十字架を切ることでもムカつくらしく、磔十字は自分たちの信念に基づいた子供への教育の妨げになると法廷で強調したんですね。 だとしたら、イタリアの生活文化である磔十字を見たくないなら、奥さんの母国にでも引越せばいいのにね。フィンランドはルーテル派でしょが?磔十字は認められてないぞ。しかも、調べてみたらこのご夫妻が ![]() 長男のDataico は21歳で工学部学生、次男19歳のSami はイタリアのシアンス・ポリティック予科生とか。なんか写真を拝見する限り、ご家庭から醸し出される雰囲気は限りなくアダムス・ファミリィで、お父様など両犬歯が妙におとんがりあそばしているのでわわわ。 いずれにせよ、訴訟開始当時は未成年者だった夫妻の愛息二人も18歳を過ぎてしまったのだから、今後の人生、磔十字を認めるのも踏みつけるのも本人次第でしょう。それこそ、死ぬ間際に「司祭を呼べぇえええ!」と叫ぶかもしれません。そんなことは Only God knows だがね。 なんつうか、久しぶりにこの手のニュウスが表に出たことで数年前の共和国内でのイスラーム女子のスカーフ着用論争を思い起こしたりもしました。騒ぎの発端になった姉妹の父親はアシュケナジユダヤんのヒダリ巻き切れですからして。マグレブ系の妻を娶ったのもその思想ゆえ。当初、イスラームのために女子生徒が共和国政府の犠牲になったかのような美談だったけれど、裏事情がわかるなりイスラームだってアンタッチャボーになりました。 更に時間を遡っての話では、第二次大戦終了後から仏蘭西に帰還したユダヤ系の人々の中に、カトリック教会の礼拝の様子を見るだけで、外に漏れてくる典礼文やらオルガンの音だけで心身の調子が悪くなるという訴えを続けた方々がおり、その訴え先も裁判所やら警察やら教会やら。裁判所に訴えた場合はユダヤ系が勝つ例もあったそうで、それは第二ヴァチカン公会議終了まで続いたのだとか。例の旧典礼の復活の噂が7月7日より数ヶ月前に世俗に流れた段階で、仏蘭西のマスコミが戦後から1970年頃までのほとぼりがようやく冷めたからという理由が流れたのもわからなくもありません。 とは言え、イタリアの例にしろ、フランス共和国内の諸例にしろ、心身がおかしくなるほど、身の毛がよだつほど目に見えるものを毛嫌いするという感覚。実は偶像に惑わされてませんかね?いくら目の前から事物を消したり、自分の両耳に耳栓を隙間無くしっかり装着したところで、世の中の真実はなんら変わらないのに。 勝訴した夫妻の心の苦痛を和らげるために、イタリア国内に住む84%の国民が生活習慣を変えてあげるのですかね?このご夫妻、いったいナニサマなんだろう?若いモンの言葉を借りるなら、「巣に帰れ」はこのお二人に向けられるし、ご夫妻の現世のパラダイスはイタリアではないことがはっきりしたのではないでしょうか。お二人にとって仏蘭西の方が現世天国に近いのでわ。お二人の思想なら「死んだらおしまい」なんだからいつまでも地獄のイタリアにいるこたないのに。結局、地獄イタリアの湯加減が心地いいンぢゃないのかな。最低。 ![]() le 9 novembre 2009, Dédicace de la Basilique du Latran 上のネタほどではないにせよ、ちょとだけ共和国内を賑わした話題は南仏マルセイユに大モスクが建設されることが決定したことです。イスラームとして生きる全ての共和国民のためだそうだけれど、ほぼ絶対間違いなく縄張り争いが始まる、にウルトラスーパーひとしくん。 ε= (´∞` ) Bof
旬を過ぎた話題をひとつ。
6月の第一日曜日、7日は欧州議会選挙の投票日でした。任期満了に伴う5年ぶりの選挙で、その日を前にテレビではおフランス風の政見放送が定期的に流れ、どの討論番組も候補者を集めての生中継を繰り返しました。 相変わらず、ナマ討論なので各人の声がかぶってドラマのようなわけには行かず、時には深夜まで延長して流れた様子もウトウトし始めた自分にはやかましいドラ、騒音に過ぎませんでした。なぜ私がウトウトして、テレビスピーカーから聞こえてくる候補者の訴えがやかましい銅鑼に聞こえ、聴く気になれなかったのかと言うと、5年前の討論内容とさして変わらなかったからです。耳に引っかかったのはチュルクゥ turque、チュルキィ Turquie 、つまり全国土の3%と首都が欧州側にあるトルコについての諸問題です。諸問題というのは加盟についてもそうだし、トルコは国民の99%がイスラームの国なので、トルコがヂュデオ・クレチエン(Judéo-Chrétien, ユダヤ・キリスト教文化慣習)を基礎にした欧州連合に加入したとして連想される欧州側に課せられる「差区別と融合問題」です。これらの問題、5年前も激論していたし、それより以前から激論していたけれど、結局、この近年5年も激論していたのかなあ?なんか実は怠っていたから5年経っても、いざ選挙戦となったら同じ話題で盛り上がっているようにさえ見えました。自分たちのことなんだから、真剣に取り組めよ、と思う一方で、ガイジンで参政権もない自分は変化のない論点についてシラけ、諦めているのかもしれない、と思いました。この分だと5年先の欧州議会選挙戦でも同じチュルクぅ、チュルキぃな話題で奇声がスピーカーから流れてくるという予想もつくし、5年先の私はその時は補聴器を外すか、それともこの世にいないのかなどふと考えてもしまうのでした。 ですから、マンネリ化した候補者の激論を聞いていてもあらぬ事が脳裏に思い浮かんだりしました。トルコについては先月だったか仏蘭西と独逸の共同運営テレビ局のARTE(アルテ)で、仏蘭西国境に近いドイツ側の公立校では今も各教室の教壇側壁に磔十字(キリスト像が十字架と共にある旧教文化)が掲げられており、この習慣を政教分離の立場などから撤廃の運動を行っている公立校教員の家に大量の抗議電話や留守電が送られ続けているという話が紹介されました。その留守電が番組の中で流れましたが、スピーカーから流れる声声は上品かつ礼ある声色と言葉の羅列ですが、結局のところ、教室から磔十字を外そうなどとおっしゃる先生はトルコに移住しなさい、と勧告して、プープープーと切れるのです。欧州内でトルコと最も関わりある国は独逸、続いて仏蘭西でしょうか?どちらもトルコ人の真面目な労働力に頼っているのに、どこかこういう蔑視があるのです。実際、私も仏蘭西に移住しているトルコ人とかなり交流したけれど、途上の中にある国だけに都市部から移住したトルコ人と地方から移住したトルコ人では生活態度も順法意識も目に見える格差があります。世界中どこでもそうですが、都会育ちのヒトは寄留した先での馴染みも早いです。逆に地方からの移住者は向上心は強けれど、どこか郷土を背負ったままと申しましょうか。トルコ人の場合、それが女性の装束と男性の「女性についての扱い方」などではっきりすることが多く、ココはトルコ人にとっては寄留国なのにトルコ人同士で互いに「私はあのヒトとは違う」と始まります。特にトルコ本国でイスラームが原理傾向に動き出したことでますます女性の外見で女性同士がもめていることを散見するようにもなりました。ま、こんな欧州議会の本筋より、身近な見聞で思い巡らしてしまうし、なんとか改善するためには欧州議会議員自身の真剣な取り組みがなければ、今回のような停滞があからさまに議論の中で現れるということも学べました。 さて、選挙が終わって結果を眺めると、サルコぢ一世が後白河上皇と化しているUMPが勝利。で、緑の党の躍進が話題になりました。緑の党の筆頭候補者はダニエル・コーン・ベンディット Daniel Cohn-Bendit 氏でした。私はガイジンの立場ではあっても緑の党が苦手ですが、今回の選挙戦で緑の党が好調だったのはひとえにダニエル・コーン・ベンディットが大活躍して、これまで「緑の党 Les Verts 」と言えばノエル・マメール Noël Mamère やドミニク・ヴォワネ Dominique Voynet 女史が前面に出て空論ぶちまけてたのに(こっちが胡散臭いと察する前に口を閉じればいいのに彼らは閉じない)、今回の選挙ではただただひたすらダニエル・コーンが舌戦に参上していたんですなあ。この作戦は成功です。もし選挙前の運動でノエル・マメールやドミニク・ヴォワネが微塵でも登場したら、ほぼ絶対間違いなく緑の党に票を投げるヒトは減っていたでしょう。ダニエル・コーン「しか」出さない、しゃべらせない。結果、世界に(仏蘭西)緑の党の躍進が伝えられました。このダニエル・コーン・ベンディットはきょうび50歳を過ぎたヒトビトにとってはスーパースタアで、なぜ彼がスーパースタアなのかというと 1968年パリで起こった学生蜂起五月革命 の指導者だったからです。仏蘭西と独逸の国籍を持つユダヤんのダニエルは今や白髪となれども68時代は赤毛のダニィ « Dany le rouge » という渾名で知られていました。あれから41年過ぎても、仏蘭西においてダニエル人気は衰えていないのか、結局、40年が過ぎてもダニィしか世の中をあからさまに変えられる人物はいないのか。68の風雲児ダニィと数多の有権者との間に信頼の絆がある、それだけで緑の党に勝利がもたらされたと私には見えました。 今回の選挙戦前のテレビ公開討論など傍観していると、噂のダニィのカリスマなのか威圧なのか「ない」とは言えないと思いました。おそらく68時代を知る人々にとっては赤毛のダニィの枯れ具合にいろいろ思いを馳せるのでしょうけれど、私のような当時を知らない者にとっては近年、この手の討論番組で口の滑りが目立つトロツキストの若き闘士オリヴィエ・ブザンスノ Olivier Besancenot の語り口がダニィと同じ卓につくとどこかまどろっこしく見え、午前中の郵便配達で疲れているのかなあ?と彼の本職での多忙を思いやったりしてしまいますが、もしかするとダニィの存在感に圧せられていたのかもしれません。 なんつーか、だからと言って「赤毛のダニィ」の衰えない人気で票が伸びたかもしれない 緑の党に何ら魅力を感じないあたくし ですし、ダニィの後ろに控えしはヂョゼ・ボベ José Bové で、前世紀の終わりにはトラクターでマクドに突っ込んでスーパースタアだったヂョゼの最近の交友を叩くとチャベスやエヴォ・モラレスが浮かび上がり、そこから辿ればキューバ、中國、イランとの同盟につながりやすからねぃ。矢面のダニィの後光で背後が見えなくなっちゃうとヤバいと見ています。 トルコ、これからの5年でどういう立場になっていくのでしょうか。 選挙の結果から眺めれば、欧州主要国では右派の勝利です。右派が勝利した背景には経済危機による社会不安が増す中、治安や移民問題への対応を強化していることにあるらしいけど、仏蘭西って移民問題の対応を強化しているのかしら?そうは思えないけれど。中道から右突き当たりは有権者に移民による失業問題深刻化と職場を奪われる危機感を募らせるという心理作戦もあっただろうけれど、仏蘭西の場合、日本企業の撤退で「非情な日本國」のイメージが先行したような気がしなくもありません。これもサルコぢ一世サマのご意向なんざましょけれど。 兎にも角にも、これからの5年の行方も気になります。 結局のところ、欧州各国民におかれましてはヒダリ、ミギのどちらかに傾けば安定するなんて思考より、人道的思考を抜本的に改めないと、五年後の選挙でも同じ話題で舌戦なんでしょう。欧州側国民の心の成長にかかっています。 le 17 juin 2009, Hervé
きょうは ノルマンディー上陸作戦 から65年目にあたる日です。
こちら ↓ は国営放送France 3 の青少年向け番組 C'est pas sorcier による小・中・高校生にもわかるノルマンディー上陸作戦 Bataille de Normandie です。フランスの初等中等教育に興味ある方々にはぜひ。 このビデオ ↑ の続きは以下をクリック。 *c'est pas sorcier : le debarquement en normandie (2/3) きょうを迎えるにあたり今週ははじめから連日、当時を検証する番組が流れてもいました。その中にはヴィシー政権(=ナチス側)に従ったフランス人の子や孫を招いての番組もありました。自らの意思でヴィシー政権に心酔したフランス人もいれば、自らの意に反して従わざるを得なかったフランス人もいます。後者が多い...と思いたい。 65年前のきょうは午前6時半から 作戦が開始 されていたことで、今朝のニュウスでも情報番組テレマタン Télématin でも「65年前の今頃は戦いの最中で・・・」と言うフレーズが繰り返しあらゆるヒトの口から零れ落ちています。私は習慣どおりの「~ながら視聴」であるにもかかわらず、今朝の番組で耳をつまみあげられたかのような感覚に襲われたのは、65年前のきょうを境に独逸側の情勢も大きく変わったことで、独逸はベルリンでの一般市民へのインタビュウを紹介していましたが、ベルリンの警察官がはっきりとノルマンディ上陸作戦によって独逸も自由になったのだ、とおっしゃった。我が耳は瞬間、スポックとなり、我が目はきよっさんとなりました。 三角形の底辺(=アラビア語でアル・カイーダと言ふ)の庶民にとって、戦争の勝敗より戦争が終わったことで誰もが真の自由と平和を実感できる、はずなのです。独逸の庶民だってエラいヒトの強い命令に従わざるを得ず、良心の呵責をどうにもできないまま終戦を迎えたのです。独逸国民全員が魂を悪魔に売り飛ばしたのではありません。ナチスに従わざるを得なかった独逸人の中にも仏蘭西人の中にもナチスが強いる命令に苦しみ、悩み、良心の呵責を感じながらも家族や友、自分のために「やってしまった」こともあるのです。そのあたりを軽んじて、戦争の勝敗だけで勝利側が万歳し、敗者側が土下座するなら、それは花いちもんめ、子供の言葉遊びの次元に過ぎなくなります。 私の両親は昭和8年、9年生まれで、小学校6年時に終戦を迎えました。ひとつ屋根の下、両親と生きてきた日々を振り返っても、両親はいつも「戦争が終わって良かった」と戦争を知らない私に繰り返しました。「戦勝国が良い、敗戦国が悪い」とか「勝ってうれしい、負けて悔しい」とか「負けたから勝者に謝らねばならない」とか両親から聞いたことがありません。ただただ、戦争が終わって良かった。それだけ。今朝、独逸のお巡りさんの「独逸も自由になったんです」という短い言葉だけで、両親との日々がフラッシュバックしました。 戦場の中に住み続けねばならない庶民にとって、ヒトが決めた国境など二の次、三の次であり、誰もが「戦争が終わって良かった」と自分から恐怖が取り除かれて平安が訪れ、世間の平和を実感できること。そして国境の向こうのヒトと「戦争が終わって良かった」と手を取り合い、平和に感謝できること。それが私たちにとって念頭に置くべきことではないでしょうか。 なーんて書きながら、1990年から2000年にかけて、私が独逸びとに何度か仏蘭西国内で手荒く差区別されたことを思い出しました。彼ら独逸♂♀たちも戦争を知らない世代なんだけどなあ。敗戦国となった独逸では都市部と地方のそういう面、つまり異教異人種についての考えや意識に格差があると他の欧州人から私は慰められはしましたけれど、各々の魂より血肉を重んじるヒトもまだこの世のどこにでもいるという現実も私たちは直視すべきなのでしょう。いずれにせよ、そういう世間知らずのドメスティックなウマシカにも、「戦争が終わって良かった」と単純に思えるヒトビトにも、国境はなく、各自の心と魂の発育具合次第で考えがこうも異なってしまうのではないかと思うけふこの頃です。 ![]() そんなことを思うとやっぱりこの方 ↑ は「今が産み出したそのもの」なのかもしれません。 le 6 juin 2009, Norbert
私は洋食のナポリタンスパゲッティーが好きです。
私が物心ついた頃、洋食屋さんで食べられるスパゲッティと言えば、ケチャップで炒め、ウィンナーとたまねぎとピーマンがたっぷり入ったナポリタンでした。今も時折無性に食べたくなり、スパゲッティーを少しやわらかく茹でて作ることがあります。がつがつとナポリタンを食べ終わると、ケチャップのせいで口のまわりが円を描いたかのように橙色になり、共に食事したヒトと互いの口の周りを見て、まるで子供のようだ、と指をさしつつ、子供のように笑うのも常です。 ナポリタンを好きなのは洋食を知る日本びとだけかと思ったら、本物のイタリアびと、かのシルヴィオ・ベルルスコーニ Silvio Berlusconi 首相がどうやらナポリターナを誰よりも愛して止まないそうです。さっき、そんな話が国営放送のニュウスで流れました。France 2 : Silvio Berlusconu : l'affaire Noémi 今年9月29日に73歳を迎えるベルルスコーニ氏が妻であるヴェロニカ Veronica さまから離婚を求められたのは今月はじめだったと記憶していますが、離婚の原因はベルルスコーニ氏の「恋人」の存在で、その名はノエミ・レチツィア Noemi Letizia という名のナポリ出身の女子大生モデル、おん年 十八歳 であらせられるぞっ!どうだ、参ったか! 参ると言うより、アッパレ、しるヴぃお。ぶらヴぉ、しるヴぃお。それって犯罪、しるヴぃお? ↑ パリのシルヴィオはイタリアのシルヴィオと同じであった ↑ かのラジオ・ヴァチカン Radio Vatican でもベルルスコーニ氏と未成年ノエミちゃんのスっキャンダールについて電波に乗せたほどです。首相に道徳上の特権はない、きっぱり。 5月24日、日曜日だったにも関わらず、ベルルスコーニ氏はノエミちゃんとの関係の潔白を証明するために召喚されたのだそうです。ベルルスコーニ氏は18歳のノエミちゃんとの関係を否定、France 2 のインタビュウにもフランス語で証明。ベルルスコーニ氏と友人でもあるノエミちゃんの父親は「ウチの子供たちはベルルスコーニさんのことを「おぢいちゃんみたい」と言っています」と娘ノエミちゃんとベルルスコーニ氏との間は潔白であると主張しているとか。来月7日に欧州議会選挙を控えており、ベルルスコーニ氏自身も候補者のひとりであるため、ベルルスコーニ氏の党への信頼を失墜させるための罠だという話もあるそうです。 いずれにせよ、72歳のベルルスコーニ氏と18歳のノエミちゃん、年齢差は54歳。 ノエミちゃんとの仲が原因で離婚を求めたと言われるベルルスコーニ氏の妻ヴェロニカさまは1956年7月19日生まれの52歳で、ベルルスコーニ氏とは20歳違いとなり、それだけでも 天晴れぢゃ、ベルルスコーニよ щ(゚Д゚)щぢゃが、ノエミちゃんはナポリターナ、ヴェロニカさんはボロニェーゼでどちらもスパゲッティ。今のベルルスコーニ氏は牛ひき肉たっぷりのトマトソースより、ほんのり甘いケチャップがお好みのようです。こうなったら嘘でもいいよ、べーね、べーね。いや、 どこがベーネだ、ベルルスコーニ?それにしても、いやはやシルヴィオ・ベルルスコーニよ、どこへ行く? le 27 mai 2009, Augustin de Cantorbéry エントリーから二日経ち、べべんべんべん、以下、ご参考までに。 伊首相、少女との関係が真実なら「辞任」と発言 5月29日16時11分配信 ロイター [ローマ 28日 ロイター] イタリアのベルルスコーニ首相(72)は28日、18歳の少女との「不適切な関係」について、これまでの説明にうそがあれば辞任すると述べた。▼ベルルスコーニ首相は、議会ですべてを説明すると約束したが、日時は設定されていない。▼同首相の少女との関係は、ベロニカ夫人が女性問題を理由に離婚を要求して以降、政治問題化。野党民主党のフランチェスキーニ書記長は、選挙遊説中に「このような人に、みなさんの子どもたちの教育を任せられますか」と問いかけた。▼一方、ベルルスコーニ首相の子どもたちは、こうした批判に反論。前妻との娘マリーナさんは「激怒している。いいえ、それ以上」とコメントし、ベロニカ夫人との3人子どもたちも、「安定した家庭環境で、多くの価値観を教えられてきた」との声明を発表した。▼イタリアでは16歳以上ならば性的な関係を持つことができるが、成人年齢は18歳。ベルルスコーニ首相は、少女が17歳だった頃から、一緒にいるところを写真に撮られている。
昨日の夜のニュウスでトップニュウスではありませんでしたが、かつて19世紀終わりから20世紀はじめにトルコ國内であったアルメニア人大虐殺 Génocide arménien について共和国内各地で行われた追悼行事の様子が流れました。
当時、トルコ国内に住んでいたキリスト教を信仰するアルメニア人の虐殺が始まったことで、トルコ国内に住めなくなったアルメニア人を最も多く引き取ったのがフランスであり、今ではアルメニア人の苗字の特徴でもある語尾に-an の付くアルメニア系仏蘭西びとは生めよ、増えよ、仏蘭西に満てた、なんであります。 ところが、トルコ政府はこの虐殺がまったくなかったという主張をまったく変えておらず、国際政治上では1991年以降、トルコとアルメニアは冷戦状態のまま現在に至っています。 今年に入って欧州に不穏をもたらしたのは例のヴァチカンから破門を解かれるなり明らかになったFSSPX 会員であるリシャール・ウヰリアムソン師の「ユダヤ人迫害においてガス室は存在しなかった」発言でしたが、欧州においてはナチスだけでなく、他にも今に生きる人々による「あったこと」を「なかったこと」にする問題がゴロゴロ転がっています。 仏蘭西国内に限定し、この手の問題を隠されているところから引きずり出してみますと、仏蘭西大革命後、革命政府によるカトリック王党派の虐殺 がまずあげられるでしょうか。ココんちあたりにはご先祖さまがどうも犠牲になっているらしい子孫さんがゴロゴロいます。なぜ「ご先祖さまがどうも犠牲になっているらしい」という表現を用いるかというと、革命 政府がリストを焚書しちゃって跡形もないから。で、なぜ革命政府の革命が小文字なのかというとそういうことだから、です。今も仏蘭西では革命政府による虐殺について タブー という言葉を用いても差し支えない現状だからです。世界史上初の民主革命の汚点を認めたくないから、知らん振りし続けています。頑張れ、遺族子孫。 ![]() それにしても「あったこと」は「あった」のではないでしょうか。 生き証人がいたり、子々孫々に語り継がれたことで認められる事実を、まったく関わりもなく現場にもいなかった第三者が「まったく否定する」場合、それなりの具体的証明が必要でしょう。にもかかわらず、「あったこと」を「まったくなかったこと」と変えられるのは何らかの願望がそれを主張する個人や団体の脳だか心にあるのかもしれません。 トルコさんには認められない何らかの理由が根底にあるんだよね。 でも、言の葉を公に飛ばさないだけ。 ![]() le 25 avril 2009, Marc
葬儀ミサ。
![]() http://www.ouest-france.fr/ きょう10日午前11時より、今月6日マグニチュード6.3の地震に直撃されたイタリア中部アブルッツォ州都ラクイラの軍人学校校庭で、289名の犠牲者の葬儀が執り行われました。 その様子が(地上波ではありますが)仏蘭西では12時半から始まる国営放送France 3 の全国ニュウスでまず流れました。ビデオはこちら ↓ クリック ↓ A l’Aquila, Pâques en deuil以下は民放TF1 の13時と20時ニュウスから ↓ Journée d'obsèques dans les Abruzzes葬儀はカトリックのミサの形で行われ、我等が ベルルスコーニ Silvio Berlusconi 首相も参列。ミサの司式は地元司教であるヂュゼッペ・モリナアリ l'archevêque de L'Aquila Mgr Giuseppe Molinari 大司教、説教はヴァチカンの我等が タルチシオ・ベルトーネ le cardinal Tarcisio Bertone 国務長官、ローマ教皇からの弔辞は我等が ゲオルグ Mgr Georg Gänswein 師によって代読されました。その教皇さまからのメッセージの中には生存者の心身の傷が早く癒されることを希望し、ご自分が葬儀ミサに参列できないものの精神的には列席者と共にあり、被災者各自の胸を締め付けるような苦悶を分かち合い、犠牲者の永遠の休息を神に祈りをもって懇願する、とありました。 きょう2009年4月10日は偶然にも、いえ、神のご計画のうちにおいて移動祭日ではありますがキリストが十字架にかけられた聖金曜日にあたり、カトリック教会においてはミサがあげられず、聖体拝領をしない日にあたります。が、仏蘭西国内の報道によりますと、ヴァチカンは特別な例外として聖金曜日にあたるきょうにミサをあげることを許可したそうです。つまり、「許しを求められての認可」ということ。これ、重要 (` ´)b 普通のニュウスでもヴァチカンの特別認可について説明しております。 証拠はこちら→ http://tf1.lci.fr/infos/jt/0,,4369613,00-les-traditionnelles-processions-de-la-sanch-.html ミサの際、州知事からまず «Cette journée est un chemin de croix pour chacun de nous»と宣言されたそうです。なんだかなー、午前11時からミサが始まるなんて、本当にゴルゴダに向かうカルワリオの道と重なるではありませんか。 お昼のニュウス画面を眺めて、棺の上にちょこんと乗せられた小さな棺を見るなり鬼婆まここっつぁんの目からも涙が噴き出てしまいました。フランス風に言えばこれも"C'est la vie せらヴぃ。=人生だよ。" なんでしょうけれど、こんな小さなお子たちは希望や夢を持っていたでしょうに。人生と割り切るのが難しいです。 France 3 のお昼のニュウスでミサ中継が流れた直後、被災地で活躍されるフランシスコ会修道士の方々の様子が流れました。流石、お仏蘭西というか、葬儀をあげる祭司の立場ばかり紹介するのではなく、司教さまはじめとするカトリックの聖職者や修道者がどう被災者に接しているのか社会司牧面からも紹介してくらしゃるのはカトリック無知やら音痴のあっしにはありがたいこってすぜ。 こちら ↓ 、昨日、聖木曜日のキャンプの様子ビデオです。茶バネ装束なので OFM 会員でせうか?いやはや今年はフランシスコ会創立800周年、被災地では多くのフランシスカンが本領発揮の大活躍で、まるでフランシスコがうぢゃうぢゃと現れたかのようであります。こうして笑顔で大奉仕中の茶バネ繁殖ビデオを眺めますと、凡な自分でも何かできるだろうかと考え始めてしまいますが、何も私たちがフランシスカンの真似をするのではなく、私たち各自ができることをすれば良いのですよね。 相手の立場を思い、どこが痒いのか探してみる。司教さまやフランシスカンがまだ察していない痒みが被災者のどこかにあるかもしれませんし、もしかしたら司教さまやフランシスカンの立場では手を差し伸べるのが難しい場所が痒いのかもしれません。手を差し伸べる全員が同じ一箇所を掻く手を持っているのではありません。...と、ぢっと手を見る。まずは手を組んで祈ってみる、か。 le 10 avril 2009, Fulbert < 前のページ次のページ >
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