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或る夫婦の祖国。
マルセイユの旧港近くの細い路地にこんなお店がひっそりとあります。
看板には Patisserie Orientale 中近東のお菓子 と。

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私にとってかなり前から気になっていたお店です。どうして気になるのかわからないけれど・・・。でもなぜかちょっと入りにくいお店なのです。
先日昼下がりのマルセイユに行った時,勇気を振り絞ってこのお店に入ってみました。

お店の入口の右には大きな壜に入ったレモン水が置いてありました。ちょっと青みがかったレモン色の液体。見ただけで口をすぼめてしまいました。そして店内に歩を進めると右に何十種類もの中近東のお菓子が所狭しと並んでいました。
蜜がたっぷりの中近東のお菓子・・・。
歯にしみるくらい本当に甘いのだけどたまにとっても食べたくなる魅力的な味です。
・・・・しゃっしゃっしゃ・・・シャッシャッシャ・・・
BGMなんてないシーンとした店内に奥の調理場からリズミカルに響く作業の音が冷たく響いていました。床タイルを洗っているのかしら・・・?
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と,店の奥からマダムが気だるそうに出てきました。
「・・・・何の用?」
彼女の顔に笑みはありません。

  「珈琲が飲みてえだ,マダム」

と私が言うと

  「ウチは珈琲を出さないのよ」

と素っ気無いマダムからの返事です。

  「Tant pis...タン・ピ。そりゃ残念だべな・・・」

お店の中にはテーブルが3つありランチタイムからだいぶ時間が経つのに,どのテーブルもまだ前の客が残していった気配がたんまり乗っていました。
私は勇気を振り絞って右の菓子棚にちらりと目線をやってマダムに尋ねました。
「マダムのお店はアラブ菓子の店だんべ?」
そう私が口にした途端,マダムの左の眉毛がぴっくーんと3cmくらい持ち上がりました。
「・・・・確かにこれはチュニジアの菓子だけど・・・・私はユダヤ人よ。
あなたはアラブ人なの?」
と,マダムは私の足元から頭の天辺まで目で舐めるように見ました。
「わたすは日本人なんだな。アラブんでもユダヤんでもねえだよ。」
まぢまぢと店内を見ればお菓子の棚の最下段はワインだものね。アラブ人の経営であるはずがない。
「マダムさんよぉ,エルサレムに日本女性が住んでいるのをご存知か?」
マダムの眉が再びピックーンと持ち上がりました。
C'est pas vrai? (せ・ぱ・ヴれ? 嘘でしょ?)
「ほんとだべ。んで,わたすも日本人なんだからして・・・」
!!!!!
「・・・珈琲が飲みたいって言ったわね?」
「んだ,マダム。」
「どこでもいいからお座りなさいよ・・・あなたー,珈琲入れて頂戴!」
と,マダムは店の奥に向かって叫びました。
・・・なんだ,本当は珈琲あるンぢゃんかっっ! 店の奥からマダムに比べると何十倍も人の良さそうな顔をしたムッシュウが仕事の手を休めて出てきました。
「ちょっと聞いてよ。
エルサレムにね,日本の女性が住んでいるって言うのよ!」
「ほー,俺達だってまだ行ったことないのになあ。日本人の女の子が
エルサレムに住んでるってか?」

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・・・どうも日本人がエルサレムに住んでいるのはこのご夫妻にとって「嘘のような本当の話」らしいぞ・・・。



とりあえず一番綺麗に見えたテーブルの席に着いたけれど,テーブルはまだちょっとべたべたしていました。落ち着いてお店を見回すと左側には不思議なポスターが一杯貼ってありました。・・・・読みたくても読めない。
お菓子の棚の上には手のひらに目玉が書いてある変な飾り,手のひらの下にShalom!という文字が。なんだか無国籍な空間だなあ,ここは・・・。




ほどなくマダムが珈琲を持ってきました。
「マダムとムッシュウはユダヤんなのにアラブの菓子を作って
売ってんのが?」
遠くからムッシュウの声が聞こえてきました。
「わたしらはチュニジアの出身なんだよ。アルジェリア戦争があったもんでフランスに越してきたんだな。」
マダムがその言葉に続けて
「チュニジアはアラブの国だけれど,私達の何代も前の先祖から住み続けた土地なのでアラブの味が私達の味覚なのよ。だから私達はアラブ料理の味しか知らないし作れないの。」
と微笑みました。
私の背後にあったお菓子のような揚げ物(↓)もチュニジアのしょっぱいスナックです。すりつぶしたジャガイモとツナを塩コショウで味付けし,ブリックと呼ばれる春巻のような皮で包んで揚げたもの。マグレブ系クスクスレストランに入るとたいてい前菜で選ぶことができます。ジャガイモ,ツナに加え目玉焼きが入ったものもあり。とーっても美味×∞!
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「エルサレムに日本人が住んでいる」と聞いただけでなぜかマダムは私に心を許したように態度がころっと変わりました。眉間に深い縦皺がさっきまで寄っていたのに,今はすっかりほころんで私に笑顔さえ見せます。
「ごめんなさいね。あなたが最初にアラブって言ったので緊張してしまったの。知らない人に接するのが本当に恐いの。もしここで何かあったら私達は次にどこへ引っ越せば良いのでしょう?
そう聞いて私の胸はきゅーんとしました。

今から700年前の14世紀,フランスで伝染病・黒ペストの流行をきっかけに重篤なユダヤ人迫害がありました。それまで紀元3世紀からフランスにいるユダヤ人に棄教を迫ったことでキリスト教(まだプロテスタントはこの世に存在していない時代です)に改宗したユダヤ人もいれば,信仰を維持するためにイタリア方向へ北上したユダヤ人もいれば,スペインに南下し更にマグレブ三国に逃れたユダヤ人もいます。このご夫妻の先祖はそうやってチュニジアまで逃れ,そこで何世紀も市井の中で生きてきました。彼らにとってチュニジアは安住の地だったのに1960年のアルジェリア独立戦争を機に運命は一転し,先祖をたどり,はたまた縁戚を頼って再びフランスと言う振り出しに戻ってしまったのです。

そうして40年が過ぎた今,フランスでは再び「反ユダヤ」と銘打った犯罪が増加し続けています。そのせいなのかここ数年は住み慣れたフランスを離れイスラエルに戻るユダヤ系フランス人が増えています。このご夫妻のように「我が身はユダヤの血」とわかってはいても,北アフリカの土地で生まれ育ち,今はフランス・マルセイユでユダヤの生活習慣とアラブの味覚で生活しています。もし彼らの「新天地フランス」の居心地が悪くなって,先祖の土地と知っていても馴染みのないイスラエルに戻るのはとても勇気が必要だそうです。「先祖の土地」と言えどなぜか尻込みしてしまうそうです。チュニジアから命からがらフランスまで逃げた時に一生のエネルギィの大部分を使い果たしてしまったのかもしれません。

チュニジアと南仏での生活しか知らないマダムには極東アジア人の私が「爆弾を抱えているかもしれないテロリスト」に見えたのでしょう。だから彼女は警戒しました。私だってヨーロッパの土地ぢゃどっからどう見てもアジア度100%です。彼女がそう思うのは至極当然です。
差別でも区別でもありません。
珈琲を飲み終わって私が席を立つと,マダムがドアまで付き添って「A la prochain! (ア・ラ・プロシャン!また時機にね)」と笑顔で見送ってくださいました。なんだかお店に入ってすぐの時の無愛想だったマダムとは別人のようです。
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お店を出て看板を改めて眺めると右下に小さく「Cacher」の文字。
このご夫婦にとって祖国はどこなのだろう?と私はしばし考えてしまったよ。もしかしたらはるか遠い昔の先祖の土地イスラエルではなくて,お二人が生まれ,子供だった頃かわいがってくれたおじいちゃん,おばあちゃんのお墓があるチュニジアが彼らにとって夢にも出てくる懐かしの土地なんぢゃなかろうか?と。
(現にフランス在住の多くの中年以上のユダヤんがイスラエル移住を躊躇う理由として「親・兄弟の墓がフランスにあるから」と答えています)
そして帰宅して数日後,雑誌「Pays de Provence No.16」をぱらぱらめくったら,マダムとムッシュウぢゃあん!もしかしてお二人はマルセイユのユダヤん啓介・唄子かあ?

アウシュヴィッツ解放60周年が過ぎてもフランスのテレビではまだ毎日のようにShoahに関するドキュメンタリーが流れ続けています。耳に引っかかるキーワードは「Chance(シャンス,運)」です。あの土地での数年を生還者が振り返ると最初にぽろっと口からこぼれる語は「運」みたいですね。私も数々の番組を見て本当にそう思いました。
「運」はあなどれないよ。「運は自分で切り開くもの」なんて言う人がいるけれど本当にそうなのかなあ?だって収容所の人々は自分で切り開く術もなかったんだよ・・・。「運」って人間が操ることのできないもっと神聖なものかもしれないよ。

フランスにおけるユダヤ系帰国民については第二次大戦の波の後,1960年前後のアルジェリア独立戦争時のマグレブ諸国からの帰国民第二波があります。今回登場のご夫妻はこの第二波でフランスに移住してきたユダヤんです。
彼らはまだ本当の故郷に辿り着いていません。

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by ma_cocotte | 2005-01-31 00:18 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(18)
Adieu, Jacques Villeret -53歳,早すぎる名優の帰天-
2005年1月28日夜,耳を疑うニュースがトップだった。

俳優 Jacques Villeret の突然の死である。

28日朝,Evreux(ノルマンディ地方の町)の別荘で倒れているのを発見され地元の病院に運ばれたが助からなかった。病名はune hémorragie interne・・・脳内出血だろうか。

実はVilleret氏は来月2月9日から公開される映画Iznogoud(イズノグゥ)に出演していることもあり,この週末から毎日のようにプロモーションを兼ねてテレビ出演の予定だった。既に録画したトーク番組のうち一本は明日29日夜TF1で放映されるという。

b0070127_5563081.jpgJacques Villeret氏は私のライフログに載っている「Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会」(1998年)にFrançois Pignon(フランソワ・ピニョン)の役で登場している。この役名フランソワ・ピニョンはフランスでは一般に「マヌケな男」を表す名前でもあり,映画でも舞台でもコメディであればしばしば登場人物名に「フランソワ・ピニョン」の名前を見つけることができる。Jacques Villeretはこの映画「Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会」の中で思い切りマヌケでうすトボけた究極のフランソワ・ピニョンを演じているのである。(Pignon ってフランス語で松ぼっくりの意味なんだよ)

写真を見れば一目瞭然で「美男子」からは程遠いJacques Villeretだ。
いつか私がブログに書こうと思っていたことに「なぜフランスの男優に美男はいないのか?」という謎がある。フランスの映画界はそんぢょそこらにはいないような美しすぎる女優が数多いるのに,なぜか男優はそこら辺で簡単にお目にかかれるようなチビ・デブ・ハゲの3つを併せ持ったような男ばかりなのだ。もちろんJacques Villeretも私が数える「そこらに転がっているような男」俳優のうちのひとり。でも呼吸困難になりそうなほど笑ってしまう映画「Le Dîner de cons」で彼が最後に見せる優しさは切ないほど美しい,なんて言いましょうか,「人間の心の素」とでも言いましょうか。馬鹿でもマヌケでもブスでもいいから人間はこんな優しさを持っていたら十分なのではないだろうか?と思わせてしまうような演技なのだ。

先程からニュースに次から次に登場する彼を知る人々のコメントを聞いていると,どうもJacques Villeretは「演技の虫」だったらしい。すっとぼけた男を演じさせたら彼の右に出る者はいないし,観客を大いに笑わせながらホロっともらい泣きさせる演技ができるのも彼が一番だったのに。

・・・兎にも角にも今日,Jacques Villeretは天に帰ってしまった。
神さまは天国の演芸場に退屈していたのだろうか?
だとしても53歳のJaques Villeretを天に招くのはちょっと早すぎるのではないか?

私が「彼の代役」を見つけるまで時間がかかりそうなので,しばらくはJacques VilleretのDVDを楽しむことになるだろう。

心にぽっかり穴が開いてしまったよ。さみしいね。
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by ma_cocotte | 2005-01-29 05:25 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(12)
チャ~リィ,地中海の西岸で「んままーっっ」と叫ぶ。
2005年1月27日チャ~リィは考え込んでしまったのである。

チャ~リィが滞在する南仏プロヴァンス地方はここ数日異常に冷え込んでいるのである。テラスに置いた水差しの水もコチンコチンに凍ってしまった。午後になっても氷は氷。解けないのだ。こんなことは南仏では滅多にないのだな。
午後になってアウシュヴィッツ解放60周年記念式典の生中継をチャ~リィはテレビで見た。
ポーランドの原野に雪が降っていた。参列者はモコモコの毛皮の帽子をかぶり,マフラーをまき,ロングコートをまとい,手袋をはめた完全防寒着でもまだ寒くて,コートの上から毛布を巻いていた。それでもみんな震えていた。大舞台に慣れた国家元首なる方々も演説する声が振るえ,蝋燭を捧げる時も寒さで上手にかがむことさえできない。素人の初舞台のようではないか!
60年前は気象温暖化なんて叫ばれる前だもの。もっと寒かったに違いない。あんな木綿の囚人服と素足,そして粗悪な環境の中で生き抜けたことさえ奇蹟だ。
日も沈んだ会場で参列者が次々と記念碑に蝋燭を捧げている間,雪がずっと降っていた。
漆黒の空から舞い降りる雪,雪,雪。
雪のひとひら,ひとひらがなぜかチャ~リィには犠牲者の魂のように見えた。

彼らを思い偲んだチャ~リィは,彼らがおそらく食べたかったであろうものをその夜作ってみたのである。エンジェル達よ,Voilà!(ヴォワラァ! これだ!)
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ヨルシャルミー・グリル (エルサレム・グリル)ぢゃ。

いや,告白すると正確には「ヨルシャルミーもどき」くんなのね。
でも,一口食べて
うっっ,うんみゃーあっっ!!!
身がきゅ~ぅんとなるくらいおいしいんだな,これが。
おいしすぎてイスラエル・ブルーな声になってしまったぢゃないか・・・。

空の上のみんなの分まで食べたので食べすぎちゃったよ・・・。

★とりあえず味だけ「エルサレム巡礼」-作ってみます?★
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by ma_cocotte | 2005-01-28 04:26 | Ça était? | Comments(19)
今日は何の日?-日本と欧州における報道の温度差-
今日2005年1月27日,アウシュヴィッツ収容所が1945年同日に解放されてから60年目を迎えました。
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写真は1943年マルセイユから収容所に貨物列車で移送される人々です。

今,私は驚いています。

毎朝インターネットで日本のニュース記事をチェックするのが私の習慣ですが,どこにもアウシュヴィッツの「ア」の字も載っていません。今日現地時間午後2時からアウシュヴィッツ収容所跡で解放60周年記念式典が開かれますが,日本の報道は現地で「盛大な式典が開かれた」旨だけ明日朝あたりの「国際面」で報道するのでしょうか?

フランスでは1月15日頃からずっと今日1月27日に向けての準備をしてきました。昼,夜のニュースでは必ずShoah(ホロコースト)についてあらゆる角度からの取材が流れ,毎晩21時以降の番組もShoahに関するものが流れ続けました。25日夜なんてどのチャンネルに行ってもShoah!視聴者が選択するのはShoahに関する「ドキュメンタリー」か「討論番組」か「歴史的分析番組」か・・・いずれにしても番組の内容は「Shoah」!でした。b0070127_22514100.jpg
ナチに連行されたフランス人は約80000人,うち約76000人がユダヤ系でした。戦後生還したフランス人はユダヤ系を含め約2500人。たった3%の生存者です。

今日パリ4区に現代ユダヤ博物館がオープンするに先駆け,1月23日に76000人全ての犠牲者名と生年が刻み込まれたこの博物館の外壁面が一般公開されました。

私がいつも拝読している「中東に降る雪@らくだの夢」でも何度かブログ主rakudano嬢とこれについてのコメントのやりとりがありました。イスラエルではフランスほど「60年の節目」について騒いでいないそうです。当事者,犠牲者でもあるイスラエルの多くの人々にとってはホロコーストは「記憶して語り継がれなければならない事実,だけれども日々の営みの中でその過去にしがみついてばかりいるのもよくない」という当事者だからこその胸の内・・・という話にもなりました。一方,フランスはホロコーストに対する罪の意識があるので大イヴェント化して本国以上に騒いでいるのかな?とも。
さて我が母国・日本國ですが,1月27日朝のニュースにもならないほどアウシュヴィッツは日本にとって関係ないことなのでしょうか?
フランスだって特集なんぞ一切組まずに,今日午後2時の式典が終わってから夜のニュースで「アウシュヴィッツ解放60周年記念日」についてのみ報道するのも可能なはずです。でもこの2週間ニュースのショートコーナーで見聞したこと,討論番組での元収容者の証言,元ナチ兵士の証言,ドキュメンタリーで見た収容所の様子・・・正直言って「もういいよ・・・テレビなんか見たくない」というほど私は見ました。が,今日2005年1月27日を迎えるための心の準備ができたように思えます。
今日という日が過ぎて「盛大な式典が開かれた」という結果を聞くことより,「なぜ盛大な式典が今日アウシュヴィッツで開かれるのか?」という理由を知ることの方が何千倍,何万倍も意味があり,自分自身でも「戦争」についての考えを(良し悪しに関わらず)まとめることができるのではないでしょうか?

確かに日本にとっては遠く離れた東北欧ポーランドの深い森林の中でのできごとです。
私達日本人はナチス隊員でもなければユダヤんでもありません。
でも重要なのは戦闘地でもないし,人種でもないはずです。
当事者でも犠牲者でもない第三者の日本人だからこそ,この事実は冷静に受け止めることができます。日本に住む方々にもぜひ包み隠さず第二次大戦中の欧州で何が起こったのかを知り,そして自分の頭で「戦争」について熟考できる機会が与えられますように。

b0070127_18505272.jpg今朝,ココんちのベランダに置いてある如雨露の水は完全に凍っていました。
ココんちは北緯45度あたり,北海道と同緯度です。
アウシュヴィッツはこの南仏よりはるか東北に位置します。
どれほど寒いのでしょうか。

あの囚人服一枚で厳寒を乗り切れただけでも奇蹟です。


←La Provence(南仏プロヴァンス地方最有力新聞)今朝(2005年1月27日)の第一面です。

こんにち2005年1月27日の式典には44ヶ国の国家元首,50人の退役軍人,2000人の生存者が出席するそうです。


【追記】アウシュヴィッツは雪が降っています。気温はマイナス10℃。(現地時間14時39分現在)
参列者は防寒用の帽子を目深にかぶり,ロングコートの上から更に毛布を巻いて寒さを凌いでいます。やっぱり奇蹟ですよ,あの囚人服一枚で生き抜けたのは。

+フランスにおける今日1月27日アウシュヴィッツ解放に関する報道一覧です+
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by ma_cocotte | 2005-01-27 18:57 | 『?』な日本國 | Comments(22)
Confiture de lait -牛乳のジャム-
発売から一年くらいになるでせうか。
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Bonne Maman社の
Confiture de lait コンフィチュウル・ド・レ
いわゆるひとつの「牛乳のジャム」です。
ぎ,ぎうにうのジャムぅ!?
と思わず牛乳ジャムと同じ色になってツッコんでみたいところですが,
これはまさしく「牛乳のジャム」なのであります。
もしドボンと顔を突っ込んだら,ねヴぁねヴぁベットベトになります。
味はそうさなあ・・・ずばり「不二家のミルキー」!!!

ミルキーだけぢゃないのだよ,ママンの味は。
Goutez la! (グテラ!お試しあれ!)
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by ma_cocotte | 2005-01-27 03:01 | Thé ou Café? | Comments(19)
私の一生に付きまとうことになりそうな「1999年1月26日」という日付
1999年1月26日は私が生まれて初めて滞在許可証を携えてフランスに入国した日付です。それまで何度かフランスに入りましたが,いつもヴィザ無しで済む3ヶ月未満の滞在でした。1998年末,東京・麻布のフランス領事館で留学に関するヴィザ申請書類を提出し,数週間後私のパスポートに貼られたものは「仮滞在許可証」というもので,フランス入国後すぐ正式の滞在許可証を申請せねばなりませんでした。私が住むことになった南仏エクサンプロヴァンスの町には運良く県庁支所があるのでそこで申請したにもかかわらず,マルセイユ移民局医院での身体検査,移民局への出頭などすべて役所が決めた指定日時を守って動かないとあっという間にすべてが水の泡となって一からやり直しとなる恐ろしい手続きでもありました。

身体検査は氷雨降る夕方に長距離バスに乗ってマルセイユに行きました。誰もが「恐いよ」という町・マルセイユに緊張して道に迷いながらもやっと医院に着いたら,看護婦さんがいきなり紙コップを私に出して「pipi,pipi! おしっこ,おしっこ!」と指先で紙コップを叩きながら怪しく冷たく言ったこと,その時の彼女の気だるく薄笑いを浮かべた顔は今でも思い出せます。その検査が無事に終わって数週間後,今度は移民局への書類検査のための出頭でした。マルセイユに一人で行ったことがなくて,メキシコ人の男の子とドイツ人の女の子が一緒について来てくれました。それでも緊張してメトロに乗り,初めて訪問したマルセイユの移民局で建物の外まで溢れるアラブの人々の頭数を目の当たりにして面食らいました。

更に数ヵ月後,発行された正規学生ヴィザはフランス入国日に遡ってのカウントでの満期設定,その後フランス国籍者と結婚することになり市民婚姻の申請書類も,結婚後の配偶者ヴィザ申請も全てにこの「1999年1月26日」という私の入国年月日が明記されています。

配偶者10年ヴィザが私におりるまで約2年を費やしました。3ヶ月ごとに仮配偶者ヴィザの更新。これも一度でも怠ると一からやり直し,いえ,「偽装結婚」と疑われてしまいます。ココんちから約40kmのIstresという町の県庁支所に何度通ったことか!一度はせっかくIstresまで行ったの突然の県庁職員ストで閉鎖されていたこともありました。地元警察へも2度出頭。ムッシュウがコンピュータにパチパチと打つ私のアイデンティティはこの入国日「1999-1-26」という数字と共にパリのフランス内務省に同時登録されているのだなあ・・・とムッシュウの手元と画面を交互に凝視したこともありました。ですから2012年に満期を迎える配偶者滞在証明書にもこの1999年1月26日という数字がしっかりとタイプされています。

さてこんにちは2005年1月26日。
2005-1999=6・・・ですから今日は私のフランス入国記念日。
丸6年かあ・・・。

短くて1年,長くて1年半のフランス滞在だろうと想定して1999年1月26日早朝フランスはシャルル・ド・ゴール空港に到着。そこでポン!とパスポートに何の感情もなく押印された日付が6年経った今も私のアイデンティティにきつく絡みついているのも不思議に思えます。このまま日本人の私がフランスでの生活を続けるとなると,おそらく私の一生にまとわりつく「1999年1月26日」という日付なのであります。
まさかこんなことになろうとは・・・・。
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昨日,隣町のIKEAで見つけた水差しです。ココんちで増え続ける観葉植物にこれで水をあげようかなあ・・・と衝動買いです。
左のFaux Pooh(フォ・プゥ=偽ぷろすぺえる)は夫の母からいただいたもの。
ドアストッパーにしています。
彼らの下に引いてある足拭きマットもIKEA製。
ココんちの三匹が爪を研いだりもしますがなかなかお気軽便利な一品です。
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by ma_cocotte | 2005-01-26 03:34 | 『?』なたわ言 | Comments(15)
チャ~リィ,天使達に叱られそうな予感
ココ一週間,ココんちのチャ~リィはそこはかとなく「投げやりな人生」を送っているのである。
モロッコ経由インドの無謀極まりない旅から遠の昔に戻りドッシリ腰を下ろしたら,これがあなた,持ち上がらないのである。しかも椅子にドッカリ座ったチャ~リィが背もたれを退屈しのぎにギッタンバッコンと繰り返したところ,突然バッコーん!とふんぞり返ったままチャ~リィは元に戻れなくなってしまったのだ・・・。
おーい,おーい,誰かぁ助けてくれぇっっ
チャ~リィは確かエグゼクティヴなはずなのに思いっきりおマヌケなシチュエーションなのでR。
・・・・・・・・・・ぷっっ。(←おならぢゃないよ)

なぜふんぞり返ったおマヌケちゃ~りぃが誕生したのか?
それはお天気のせいである。
本来,太陽燦々の南仏プロヴァンス地方なはずなのに先週末からこの地にはそれは強い北風が吹き一週間後に止んだものの,翌日には氷雨が振り出したのだ。
「た,太陽のないプロヴァンスなんて森永スイーツガールがいない小田急ロマンスカーみたいなものよ」
どうひっくり返ろうがフランスで異邦人の私が留学先に南仏を選んだのは「いつもカラっとお天気」だったからであり,こうして暗くどんよりな日々が続くと南仏に住んでいる意味はまったくないのであるある。いっそいつもどんより天気の花の都おパリに引っ越せば心くすぐりまくるミーハー文化的生活が待っているのだからして。
あなた,日焼けした人間が顔色が悪くなるとどんな色になるかご存知?賞味期限が切れかかった鳥レバーみたいな顔になるのよっっ。
そうなっちゃうとチャ~リィはもうだめ。ふんぞり返ったまま動かないよ。
一日平均歩数100歩未満だ。
とは言っても腹が減るのは生きている証拠。
てなわけで,敬愛なる天使たちよ。(My dear angels とでも訳しますか?)
キミたちのお尻に椅子がはまったままでも腹で茶ぁ沸かせるほど人生を馬鹿にしたような料理を気まぐれに紹介しようぢゃないか。
見たまえ,キミたち達。こんにちはこれだ。
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Les Pâtes à la sauce de Roquefort  ロックフォールチーズのパスタ
「ヤっダあ,ロックホールってぇ青カビチーズでしょ?あれを食べる人を見るとケ・モ・ノってぇ感じぃ」
と言ってるそこのおみゃーさん。
一度これを食ってみてけれ。(註:「食って見て蹴る」の意ではないのでそこんとこよろしく)
たまには獣さんと「んままー」な気持を分かち合ってみようぢゃん。
キミも「・・・騙された」と思って人生を変えてみないか? By ちゃ。(←チャ~リィを略したつもり)


+「なんだ,ざっけんなヴぁッキャろー」なパスタを作りましょ+
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by ma_cocotte | 2005-01-24 00:36 | Ça était? | Comments(36)
北風がやっと止みましたのでお茶をずびびび。
北風が1週間近く吹き続けました。風速は毎日90-120。

そんな北風が止んだ土曜日の朝,ずっと閉めっぱなしであった北側の雨戸を久しぶりに開け,窓を全開にして空気の入れ替え。雨戸を開けるなり猫は喜び家駆け回っておりましたが,掃除機を熱心にかけすぎた私は腰が痛いのであります。
寄る年波がざぶんざっぶ~んと土用波ぃ♪
てなわけで光り輝く午後はお茶を飲みながら,先週末日本より届いた玉手箱から取り出したるお煎餅をかぢかぢ。
はあ・・・日本恋しやほーやれほ・・・。
そういえば先日,地元のスーパーマルシェでこんなものを見つけました。
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Delacre社謹製 年末年始限定お茶請け菓子詰め合わせ

缶は二種類あったけれど蓋をぢぃっと見たら,
ベッドの上で笑う猫を発見!
これだけを決め手に私の実生活とはかけ離れた雰囲気醸し出し度100%マックスのこの缶カンを買ってしまったのでありました。そして私のラッキーカラーである緑とオレンジ色の組み合わせにもちょいと惹かれましたのね。
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蓋を開けるとこんな感じのお菓子が二段入っていました。
味は今ひとつかふたつ・・・いや,みっつかよっつ。
日本のデパ地下で購入できるフーシェの詰め合わせの方がはるかに美味しいわん。

グルメ王国と言われるフランス共和国でも「はずれ」のお菓子はございましてございますのだ。

Bon weekend à tous!
ぼん・うぃけんど・あ・とぅーす! 皆様,よい週末を!
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by ma_cocotte | 2005-01-23 00:41 | Thé ou Café? | Comments(48)
Mendiant-物乞いの話-
もう今はやうやう白くなった昔のことです。JR御茶ノ水駅の御茶ノ水口の真正面で毎朝フラダンスを踊っているおぢさんがいました。髪はレゲエな太巻き,ロングコートは妙につやのあるカーキー色,歯がないのか上下からギュっと押さえつけたような人相ですが,彼はいつも微笑みをたたえておりました。私は通勤途中なので横目でちらりと見ながら足早におぢさんの近くを通り過ぎていましたが,ある日突然このおぢさんが御茶ノ水駅前から消えてしまったのです。そんなおぢさんのことも私は簡単に忘れること数年数ヶ月,JR有楽町駅ガード下でおぢさんがフラダンスを踊っているのを発見した時にはびっくらこきました。「御茶ノ水からここまでどうやって越してきたんぢゃ?」と。おぢさんはいわゆる浮浪者ですね。数ヶ月かけて御茶ノ水から有楽町まで歩いたのかもしれません。(数ヶ月かけなくても歩ける距離だけど)

私にとって生まれて初めての海外旅行はUnited States & Canadaでした。西海岸で歩道の向かいからTシャツ姿の黒い巨漢におののき,NYCではSaint Patrick教会の付近で浮浪者を見つけるとできるだけ離れて歩道を歩いたものです。そして初めてのフランス旅行ではパリ・ノートルダム寺院の広場のそこここにいる物乞いはもちろんのこと,大通りの歩道のド真ん中で正座し頭を地面にこすり付けひれ伏してお金を求める女性を見た時の驚きは今も忘れることはできません。

フランスにもMendiant マンディアンと呼ばれる物乞いが現在も多く存在します。教会や銀行の前で「J'ai faim, SVP(私は空腹です。お願いします)」とダンボールに書いて座り込んでいることが多いです。観光地は一年中彼らは存在しますが11月末の待降節を迎える頃になると小さな町にも物乞いが現れます。おらが町にも昨年の待降節を過ぎてから朝市の度に物乞いが現れるようになりました。想像するに30歳台の男性で,右上腕半分から,右足上腿半分から下はありません。しかも右腕も右足もハムの塊のように丸く膨れ上がっています。たいていの物乞いは欧州人かジプシーですが,彼はジプシーです。手も足も医者ではなく仲間に切られたのです。フランス国内を車で走り信号で運悪く止まってしまうと頼みもしないのにフロントガラスの掃除を始める男性も,進路妨害をするように不自由な身体を引き摺って金を無心する人ジプシーです。「ジプシー」と日本語だと一言で表せますが,フランスでは大きく
Gitan ジタン スペイン系ジプシー
Bohémien ボヘミアン ルーマニア系ジプシー
Tzigane (Tsigane)ツィガーヌ 東欧系(ハンガリー近辺)ジプシー
の3族に分けています。おらが町に現れた物乞いはほぼ間違いなくボヘミアンです。というのはボヘミアンは生まれた子供の手足を切り落としたり変形骨折させることで金を得る手段にしているのです。身体が不自由な赤ん坊を抱いて,切り落とされた片足を道路に投げ出して物乞いをしている女性もパリあたりではよく見かけます。彼らが不自由な身体を晒して得た金は彼のモノにはならず,彼の後に控える親分(マフィア)に行ってしまいます。数年前政府がこの事実を公表したこともあり,彼らに同情し銭を置いていくフランス人は激減しました。
b0070127_3125399.jpgヴィクトル・ユーゴーの「ノートルダムの鐘」のエスメラルダもジプシーですが,なぜフランスにジプシーが多いのでせう?
右の地図を見れば一目瞭然で,東欧から南欧に抜けるためにも,南欧から東欧,北欧に抜けるためにもフランスを通らねばなりません。そして南仏カマルグにSaintes Maries de la Merというジプシーの聖地があり,毎年5月に欧州中のジプシーがこの地に大巡礼をするのです。というわけで,一年中フランス国内に居残るジプシー家族が多く存在します。
そしてもうひとつの理由はフランスがカトリック国であることです。世界中どこの物乞いもそうですが,ローマン・カトリック教会のそばに座り込んでもプロテスタント教会の前には座らないものです。それはなぜかというとカトリックには「哀れみの御心」という精神があるので弱者を見ると無条件に施します。が,プロテスタントは我が身を高めてこその信仰なので,物乞いがうっかりプロテスタント信者に無心してしまうと軽作業所に連れて行かれ「ここで働きなさい。そうすればお金を得る喜びをあなたは知るでしょう」なんて言われてしまうのです。だから物乞いさんはプロテスタント教会の門前にはもちろんプロテスタント国にはあまり存在しません。プロテスタントが多いライン川以北ではジプシーは激減です。

さてフランスでは「日本人=金持ち」で有名です。日本人の財布をスレたら大手柄です。なぜなら日本円はどこの両替でもすぐに換金できますが,他のアジア通貨はできません。盗んだ重い財布に円以外のアジア通貨が入っていてもスリの実にならないのです。
というわけで私がマルセイユに行くとスリはもちろんですが,たいてい背後から数人のアラブ系男性陣が私を追い越し,クルリと突然振り返って「1ユーロください」とニヤリと笑いながら銭乞いをしてきます。私はもう慣れましたが,フランス語もわからず異国人になじみのない日本人観光客には相当恐い経験になります。
先日マルセイユに行った時も同じことがもちろんありました。いったいどこから私の後をつけていたのかわかりません。1区の広場への階段を下り終えた辺りで10人近くの男性が私を追い越し,その中の12,3歳の少年が突然「1 euro, s'il vous plâit! Madame.(1ユーロください,マダーム)」と。更に「J'ai soif.(喉が渇いているんです)」
運良く夫がそばにいたので,
「Jeune homme(シュノーム,わけーもんよ),1ユーロは7フランだぞ!!!!!」
と叫んだら一斉に逃げていきましたが。
欧州でユーロ通貨施行以前,アラブ系の少年達は人込みで「1フランください」と銭乞いをしていました。1フランと言われればフランス人はたいてい哀れんで差し出すものです。ユーロを使い始めて3年が経ち,少年達は通貨単位だけを変えて「1ユーロくれ!」と銭乞いします。1ユーロは6.55957フランですからね,
ざけんな,ヴァッキャローォっっ!
ざますよ。
せっかくのフランス旅行,ブランドのバッグやブ厚いシルクスカーフ,フランス人が誰もはかない妙に尖ったハイヒールを身につけて闊歩したい気持も理解できますが,日本人がそうすることで物乞い・銭乞いのターゲットになる率はググーんと上がることをお忘れなきやう。
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by ma_cocotte | 2005-01-22 03:20 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(34)
北風ぴゅうぴゅう-兵糧攻め第3日目,冬の夜-
おさむうございます。
先週土曜日あたりから南仏はどんよりと重く暗い天気の毎日でございます。これぢゃ巴里ぢゃ。しかも月曜日夜から強い北風が吹き始めましてございます。こうなってしまいますと私は動けないのぢゃ。ぢーっと家に篭る毎日だで,兵糧(別の名を冷蔵庫ともいふ)の中のものを使って毎度の食事を作ることになるのであります。
兵糧攻め真っ最中のこんにちの料理。
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アンディーヴとハムのチーズ焼き」でごぢゃります。


b0070127_2494841.jpgアンディーヴ(Endive)は南仏で一年中手に入る野菜です。
生のままサラダにするのもお勧め。
アンディーヴのほろ苦く,しゃりしゃりとした歯ごたえは口の中をさっぱりさわやかにします。
ココんちでは生のアンディーヴをスモークサーモン,ゆで卵,刻みにんにくとヴィネグレットソースで和えたり,ビフテキに添えてロックフォールチーズのソースをかけて食べたりと重宝しております。
日本でも簡単に手に入る野菜になって欲しいアンディーヴです。


*ムナシクなるほど簡単な「アンディーヴとハムのチーズ焼」の作り方*
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by ma_cocotte | 2005-01-21 02:09 | Ça était? | Comments(31)