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あれからまもなく60年,2005年8月15日を迎える前に。
もう7月31日です。

2005年7月を振り返ってみるといろいろ話題の多い1か月でもありました。私自身,この7月にエントリーを予定していた話題の半分も拙ブログに載せることはできませんでした。今さっき見たフランス主要テレビ局の7月31日お昼のニュースで7月を振り返り,来る8月を考えてみませう。



▼ こんにちはヴァカンス折り返し地点 ▼

正味2か月の夏休みも今日がターニングポイント。昨日30日夜は帰省ラッシュの最ピークでパリに向う高速道路は750kmに及ぶ大渋滞でございます。
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こちら(↑)が道路混雑予想です。noir(黒)が渋滞ピークを表します。暗黒の渋滞・・・理解できます。こういう時に限ってお手洗いに行きたくなるものです。うぇーん。
明日8月1日になれば「いつもどおりの流れ」。わかっちゃあいるんだけどパパもママンもお仕事が始まってしまいます。



▼ フランス・アンジェ近郊で一家5人殺害事件 ▼

これは驚きました。
フランスに6年ちょい住みテレビのある生活は約5年の私の知る限り,フランスのニュースで殺人事件が流れることは滅多にありません。
古城群で有名なロワール川近くの町で一家5人を銃殺とは!?
せっかくのヴァカンスに他人の命を奪うなんてあまりにも愚です。

TF1news:http://news.tf1.fr/news/france/0,,3234883,00.html



▼ ロンドンで自転車が流行!バカ売れ中!

7月7日,21日と2度のテロを経験したロンドンですが,このテロをきっかけに自転車通勤を始めた市民が急増だそうです。自転車屋さんも急に景気が良くなって驚きを隠せません。自転車通勤を始めた人々にインタビューすると「自転車が好きというわけじゃないが,地下鉄で爆発に巻き込まれる自分を想像したら自転車が一番いいという結論に至った」のだそうです。
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ちなみにこちらが先日公表された釘つき爆弾の写真でございます。
この写真を見てしまえば私だって自転車通勤を選びます。地下鉄だろうがバスだろうが恐ろしい結末しか想像できません。刺さったら痛いですよ。痛いのは嫌いです。英国政府が具体的目に見えるテロ対策を国民に提示するまでは庶民たるもの自己防衛をするのが最善策です。

【参考】
France 3お昼のニュース(7月31日をご覧ください):http://jt.france3.fr/1214/
(放送開始後5分あたりがロンドン市民の自転車事情についてのニュースです)



パリ近郊にイスラム・ハンバーガー店がオープン!

日本ではサッカースタジアムがある町で有名なパリ北部Saint Denis (サン・ドゥニ)にアラブんの悲願であった「Beurger King Muslim」が堂々開店いたしましたあっっ!!!!!!
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TF1 news の記事を眺めつつ"Beuger"というスペリングを見て「Burger でしょう?」と疑いながらも検索したら見事「もしかして Burger」と指摘を受けましたが,なんと店名は

Beurger King Muslim

誰がなんと言おうと”e”入り,略してBKM(ベェカァエンム)なのでございます。

この店のスペシャル・バーガーは2つ,Un Bakon halal (ハラル祈祷済ベーコン)と Un double Koull Cheese(ダブル・クール・チーズ)です。 そしてもうひとつこのお店の特徴は女性従業員のスカーフ着用可ということ。

このBKMは現在国内2店ですが,どのくらいの勢いで全国制覇するのかこれからが楽しみです。



日本國は広島で終戦後60周年のモニュメントがお披露目

来月終戦60周年を控えた日本で被爆都市である広島に新しいモニュメント「平和の門」が置かれました。製作者はJean-Michel Willmotte (ジャン・ミシェル・ヴィルモット)氏。中国新聞の記事によると恒久的保存ではないそうです。

【参考】
France 3お昼のニュース(7月31日をご覧ください):http://jt.france3.fr/1214/
(放送開始後7分あたりが広島についての映像が流れます)



もうすぐ8月15日

お昼の主なニュースはこれまで!
フランスは既に5月8日,第二次大戦終戦60周年を迎え関連行事も終えました。
が,7月末からは各テレビ局が日本での終戦60周年をテーマにした番組を扱っています。

TF1 : Hiroshima (8月4日20時55分から)

France 2 : ILS ONT FILMÉ LA GUERRE EN COULEUR (7月31日20時50分から)

France 5 : Hiroshima, mémoires... (8月5日16時から)

ARTE
■Hiroshima (1/2) (7月30日20時40分から)

7月31日20時40分から【Thema : L'ére de la bombe テーマ:爆弾の時代
■Hiroshima (2/2) (20時40分から)
■Un paradis radioactif (放射能天国) 22時から 大英帝國作成
■Le secret perdu de Hitler (ヒトラーの失われた秘密)23時20分から 大英帝國作成

■Pluie noire 映画【黒い雨】 (8月11日8時50分から)



ざっと8本,7月31日午後の時点で日本関連の終戦特集番組を拾えました。
いちおう戦勝国であるフランスがどう日本を捉えるのかは興味があるところですが,2週間でゴールデンタイムに8本も番組として取り上げられる日本はフランスにとって決して無視できない国なのでしょう。こうしてフランス放送界が良くも悪くも日本の終戦についてフランス国民が知る機会を準備してくださるのはありがたいことかもしれません。この2週間ですがフランスでは日本西隣三国における1945年当時の記録について放映予定はありません。 

以上,7月31日ニュースのまとめでした。
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by ma_cocotte | 2005-07-31 22:52 | 『?』なたわ言 | Comments(14)
プールの稼ぎ時はいつ?
7月18日からカナダはモントリオール(フランス語だとモンレアル)で開催中の 世界水泳選手権 ですが,23日シンクロナイズスウィミング・ソロで優勝したのはフランスの Virginie Dedieu (ヴィルジニ・ドゥデュウ)さんです。芸術点で満点を取るほどの完璧演技で優勝のヴィルジニちゃんは1979年2月25日エクサンプロヴァンス生まれ,なんと本物のAixoise (エクソワーズ),美人なわけです。

南仏プロヴァンス地方にはシンクロの強豪クラブが2箇所あり,ひとつはエクサンプロヴァンス,もうひとつはMarignaneにあります。Marignaneのどこかと言いますとココんちの隣です。5月30日のエントリー「怠惰な日々」(http://malicieuse.exblog.jp/2834782)で紹介したココんちのベランダから見えるバーベQパーティはシンクロの発表会のために開かれたものでした。そして嘘か真かシンクロ世界女王のヴィルジニちゃんはココんちの隣のシンクロチームにも所属していたらしいのです。・・・驚きました。たまにベランダから水着姿のかわいい女の子達の練習を眺めては放心状態の♂と踊りの真似をする♀・・・そしてフェンスから乗り出して下界の彼女達を眺める猫。となるとこれからもココんちの隣のプールから世界に名を馳せるシンクロの華が誕生するのかもしれません。あ,忘れてはなりませんぞ,競泳チームの逆三角形おのこたち・・・。

で,そのココんちの隣のプール(La Pausa,ラ・ポザと言います)ですが例年どおり夏季休業中です。 日本國ならばプールの稼ぎ時と言えば「夏」ですが,南仏の公営プールはどこも夏季は完全休業に入ります。それはなぜかと言うとプールで働く人々がヴァカンスを取るからです。

ヴァカンスは共和国民に等しく与えられた権利なのであります。


はたしてプールの夏季休業は良いこと?それとも良くないこと?
日本國ぢゃまず考えられないことだろうなあ・・・。
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こちら(↑)はマルセイユ1区の Bibliothèque d'Alcazar アルカザル図書館,2004年3月30日にオープンしたフランス第二の規模を誇る図書館です。図書館ももちろん夏期営業時間で開業です。要注意。写真は先週CDコーナーでこっそり撮ったもの。左のおねーさんはsaisonnière セゾニエール,夏季臨時職員と胸元の名札にはっきり記されていました。ここは公立図書館ですが机のスタンドがかわいすぎます。一本ひっこ抜いて逃げ出したい・・・。
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by ma_cocotte | 2005-07-31 05:25 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(14)
お互いに長生きしましょう。
あっと言う間に7月最後の週末になりました。
ニュースでも「夏休みのターニングポイントとなる7月29日から31日までの3日間はフランス中の道路が大渋滞に陥るので要領良く!」と繰り返しています。

思えば1年前の7月はココんちのHONDAくん(1987年生まれ)が思うように動けなくなった月でもありました。高速道路で加速できなくなる,ブレーキがきかなくなることも数度,修理をしてもすぐに新しい問題を生み出すようになりました。情報誌で見つけて購入した中古車とは言え,2000年6月からココんちのために大活躍してくれたHONDAくんの調子が悪くなったのは寂しくもあり悲しくもありました。昨年夏だけで私は2回もレッカー移動車に乗りました。修理の甲斐なく翌8月末ココんちのHONDAくんは2002年秋生まれのHONDAくんに代わりました。

新しいHONDAくんもまたココんちのために大活躍中でこの夏もココんちの2人をいろいろな場所に連れて行ってくれます。南仏は市街地を出ると次の市街地まで信号なしの道路になりますが,毎年夏になると路辺でボンネットを開けて停まっている車を多く見止めるようになります。一目でバッテリー交換しているのがわかる車もあれば,湯気を立てた車のそばで天を仰いだうつろな目つきのドライバーが電話している姿などなど。こちらもそれなりのスピードで横を通り過ぎるので詳細まではわかりませんが,ドライバーを辺鄙な路上で困らせる気紛れな車はたいていフランス車かイタリア車です。ココんちは 2000年春イタ車爆発経験 があるので車種がわかるたびに「ほーら,やっぱりね」という言葉が口から出てしまいます。

が,気付いたことはこれらの持ち主泣かせの気紛れラテンな車は1985年頃から1995年頃にかけての生まれが多い・・・なぜかしらん? 一方,同じフランス車なのに映画「ぼくの伯父さんの休暇」のオープニングのようにボディーが横倒れしそうなほど斜めにして疾走するルノー4やシトロエン2CV! ココんちは安全速度100km/hを守りいつも最右斜線をパタパタ走行なので,わがHONDAくんの左をあっという間に駆け抜けていく彼女たち*には拍手猛喝采してしまうほどです。

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【ルノー4のみなさん,がんばってください。】
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【もちろんシトロエン2CVさんもがんばってください】

写真はココんちの近所の車たちですが,こうしてあらためて見るとルノー4の窓なんざどうして廃れてしまったのか?と世々に疑問を投げかけたいほど愛らしいではありませんか。そしてボデーはもちろんあまりにも小さく細いタイヤや華奢なハンドル,独特なギヤを見ると
長寿の秘訣は何ですか?
と尋ねてみたくなります。同じご飯(=ガソリン)で動いているのに今も頑丈で多くの人々に愛され,彼女たち*を診る専門の医者(=修理工)はMaître (メートル,師匠)と呼ばれているほどです。

ルノー4は1961年生まれで1992年製造中止,シトロエン2CVは1948年生まれ,1989年製造中止だそうです。兎にも角にもこうしてルノー4とシトロエン2CVの愛される理由と長寿の秘訣を想像していると,私の人生にも重ねられるような気がしてきました。
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美味しいものを食べ,動いて,我にかかわる人々を喜ばせて,信頼できるお医者さんによる定期健康診断が長寿につながるのかしら?


んー,そーかー。そうだったのかぁ。


と顎をなでつつ感心し,彼女たち*ルノー4やシトロエン2CVと出会うたびに「お互い頑張りましょう」と仲間に語りかけるように心でつぶやいてしまう私なのでありました。b0070127_1522919.jpg








この文章をエントリー後
バゲットを買いがてら
散歩に出たら
面白い緑色のルノー4を
見つけました。

*なぜ「彼女たち」なのかと言いますとフランス語で車はvoiture (ヴォワチュール),女性形なのであります。


■ふらんす交通情報■
http://pointroute.france2.fr/
http://services.tf1.fr/services/infos_trafic/

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by ma_cocotte | 2005-07-30 00:01 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(24)
この印籠さえあれば。
これまで何度かAMPE(職安)や職業訓練校について書きました。最低2週間の就業実習を条件に修学手当(就業経験者はSMICの約8割,未経験者は約4割支給)が支給される職業訓練校は以前はダイレクトに入学手続きができましたが,現在はAMPE経由で行うことになっています。外国籍の外国人であり,しかもEU国外人の私がフランス共和国の職業安定所AMPEに登録し,職業訓練校に通う機会がフランス共和国から与えられたのは Titre de Séjour (チトゥル・ドゥ・セヂュウル)と呼ばれる長期滞在許可証を持っているためです。私の場合はフランス国籍所持者との結婚によりこの長期滞在許可証の所持資格者となり就労権利を得ました(でも働いていないけれど(笑)。

こちらが2003年9月ブッシュ・デュ・ローヌ県発行の長期滞在許可証です。

b0070127_19401086.jpgTITRE DE SÉJOUR の右隣には日本のフランス領事館で取得したVISA番号が書かれています。つまり配偶者ヴィザなのにID番号は学生ヴィザ取得時のままです。
そして
■結婚の苗字
■結婚後の苗字
■名前
■カードの効力開始日    
■同 有効期限日
■発行県庁

赤枠の中(↑)ですが備考として,
Toute profession en France métropolitaine dans le cadre de la législation en vigueur. 
現行法の枠組みにおいてフランス共和国内での全ての就業が認められる」
と明記されています。2003年9月の取得当時,ブッシュ・デュ・ローヌ県では55ユーロの印紙支払いでした。


一方,こちらはフランス国籍者のCarte d'Identité(カルト・ディダンティテ,身分証明書)です。 b0070127_19383811.jpg

■苗字
■氏名(出生証明に記載された正式名,夫の場合は3つ)
■性別     ■誕生日
■出生地
(これはフランスでは一生問われます)
■身長 

が書かれています。

こちらは無料です。
共和国民は国家に守られているという違いがくっきりとこの手の手数料に出ます。フランスでは戸籍謄本の発行も遠距離への送料も全て無料です。日本國もこうあって欲しいです。そして長期滞在許可証,フランス国籍者身分証明証の両方とも下段に簡略IDが書かれており,長期滞在許可証の場合ここにもフランス入国日の数字羅列がくっきりはっきりです。


そしてこちらは長期滞在許可証の【裏】でございます。
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■誕生日 ■出生地
■国名
■国籍
■性別   ■フランス入国日
■現住所
■資格者サイン
そして「住所変更時には新住居地で8日以内に宣言しなければならない」と明記されています。

フランス国籍者のIDの裏は現住所,有効期限,発行県庁名のみです。
結婚前は身分証明のたびに日本から戸籍謄本を取り寄せ領事館で法廷翻訳後提出を繰り返しましたが,結婚後はこの長期滞在許可証のみで日常生活に不便はありません。フランスではありとあらゆる機会にID提示を求められますがこのカードで間に合います。ただしカルフールなど大規模店舗で小切手使用の場合はIDを2種類提示が義務付けられていることがあります。その場合はパスポートを利用すると良いでしょう。

日本では結婚すると夫の姓になってしまい旧姓はほぼ忘れ去られた存在になりますが,フランスではnom(ノン,苗字)はあくまでも出生時の苗字を指します。結婚後の苗字はnom marital (夫の苗字)と呼ばれnomよりも重んじられません。例えば結婚手続きでも市民婚後に作成される結婚証明書(Livret de famille)の親の名前を見ると(私の場合)母親は旧姓で明記され現在の苗字(=父の苗字)は何も記載されていません。就職活動でも問われる場合があるし,フランスでは何かと証拠提示を求められるので私は現在も小切手の名前は旧姓のまま,Mademoiselleの身分で残しています。日本では結婚後は「現姓と旧姓」で新を重んじ,戸籍抄本では母の旧姓は明記されていません(ゆえにフランスでは日本の戸籍抄本の翻訳は無効になる場合があります)。一方のフランスで姓と言えばあくまでも出生時のものであり,結婚後は「夫の姓」と旧を重んじるのも興味深い違いです。ちなみに親の離婚が原因で子供の姓は変わりません。

市民婚を終えて全ての書類が手元に入ったらすぐ長期滞在許可証取得手続きをすることになります。自分の住む町の管轄県庁または県庁分室で最初の申し込みを行い,仮滞在許可証(3か月有効,水色のB6程度の紙)が発行されると外国籍でもフランス人同様の就職活動ができるようになり,AMPEや派遣会社の登録も可能になります。

フランス国内でEU国でもなく,就労優遇国でもない日本國の国籍を持つ者がフランス人と同様に就労するには噂のとおり厳しいのが現状です。フランス側企業は就労条件に就労許可証の所持を条件にし,就労ヴィザ取得のためには企業の就労許可証がないと発給に至りません。鶏と卵のようなものだそうです。
東欧人やアジア人がささやく偽装結婚や子供を産んでバッくれる等の悪行やら悪業ですが,現在は入国年月日と母国で取得したヴィザ番号が統一されイントラでID検索が可能なので事実上不可能です。が,アジア系レストランにたむろするマフィアは甘い罠を張り,PC音痴の東欧人やアジア人がいまだに「西欧での薔薇色人生」を信じ込んで公言しているのも現実です。ヴィザなしや旅行ヴィザ,学生ヴィザで入国した後のフランス共和国民との市民婚予約の際,職員から辛辣な言葉が投げられることもありますがこれもフランス国内の現状を鑑みると文句を言えない状況です。フィアンセと誠意ある態度で交渉し続けるしかありません。

そして学生ヴィザで入国した場合は時間数制限があるものの就労できます。が,外国人向け語学留学ならともかく正規留学の場合はほぼ就労不可能。・・・というのは個々の能力次第ですが,フランスで生まれ育った学生でさえガリガリ勉で進級するのが大勢で,アルバイトに勤しんでいる学生はイコール成績上位者と言っても過言でないのがフランスです。特に夏休み中にアルバイトを楽しんでいる現役学生は6月の学年末試験で進級を許された者である場合が多く,進級が危ない学生は9月の総括追試験での敗者復活に向けヴァカンス中は猛勉強です。成績次第でヴァカンスの過ごし方の明暗がくっきりはっきり分かれるのは傍観していて気の毒に思いますが,フランス国家としては「学費ほぼ無料で高等教育の勉学の場を与えているのだから当然」というクールさです。

正規留学生の外国人であるならば9月の試験結果が学生ヴィザ更新のための提出成績表になります。受付で成績表を眺めて「あなた勉強するつもりはあるの?」「この成績ぢゃヴィザの発行はできない」など言われることもあるそうです。怖いですね,恐ろしいですね。
一方,フランス国籍者の場合,9月の敗者復活戦で地獄から這い上がれないと一度きりの留年が許されます。一流年後の試験で地獄から抜けられない場合,マグレブ出身者のほとんどは母国の大学に編入します。フランス育ちのお子たちは就職に直結する学位が取れる学校や軍隊に登録する場合がほとんどです。文学部の場合ですと学位を得たところで空席わずかの教師の道に進むしかないせいか,大学での進級を諦める時も「これが私の生きる道」と明るいのも特記すべきことかもしれません。
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by ma_cocotte | 2005-07-28 17:26 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(27)
おひさしぶり。マルセイユの小高い丘で。
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か・る・ぱっ・ちょ。 ・・・と来たもんだ。



そして,むこうのおしり・・・ぢゃなくてお料理は


ビフテキ にんにくバター添え。
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これらの料理が出て来る前に「待っててね」とサラダの山盛りが出てきました。

メインの付け合せは
■Sarade avec Tomate et Carotte にんじんとトマトのサラダ
■Pommes frites 干したジャガイモを揚げたもの
■Gratin Dauphinois ジャガイモと生クリームのチーズ焼き
マルセイユは三方を岩山に囲まれていますが,山に至るまでの市内は凸凹の丘と谷の繰り返しで急坂だらけの町です。マルセイユ旧港から東に向う坂を上り詰めた所,1区と6区の境にCours Julien (クール・ジュリアン)と呼ばれる広場があり,お昼にもなると10軒近いテラス・レストランが現れます。b0070127_454229.jpg










←Cour Juien から
地中海方面を眺めて。

この道の果ては
ノートルダム・ド・ラ・ギャルド
そびえる丘の麓にぶつかります。
更に東に歩を進めること5分の所にはもうひとつPlace Jean Jaurès (プラス・ジャン・ジョレス)と呼ばれる1,5,6区にまたがる大広場があり,ジャン・ジョレスとクール・ジュリアンを結ぶ一角はなぜか小劇場やライヴハウスと世界中の民族料理レストラン街になっています。エジプト,パキスタン,レバノン,マグレブ・アラブ,マダガスカル,ブラジル,ウクライナ,パレスチナ,ギリシャ,トルコ,ヴェトナム&タイなどなど,面白いですね~♪ワクワクしますね~♪ 

日が暮れてからこの界隈を彷徨うと「ここはどこ?私は誰?」の幻想夢空間です。
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by ma_cocotte | 2005-07-27 05:05 | The ou Cafe? | Comments(24)
異国で生きていくこと @ふらんす
私は結婚後AMPE(職安)に登録し、2度ほど職業訓練校に通いました。職業訓練校と言っても元外国人のためのクラス、つまり就職用フランス語を学ぶクラスでした。初めて通ったのは隣町の職業訓練校で「どこでもいいので経験させてください」と面接官に話したら思い切り勘違いされてしまい、文盲と一緒のクラスに登録されてしまいました。そこでは約5か月過ごしました。そして2度目はマルセイユの国立職業訓練校のプレ・スクール、2004年4月末から7月末まで通学生、8月から11月半ばまで通信教育生でした。どちらもそれぞれの事情でフランスに長期滞在している人々が集まっていました。

私がマルセイユの職業訓練校で最初に親しくなった女性はマダガスカル人です。プロテスタントの家庭に育ち、フランスに移住後イスラム教徒のアルジェリア人と結婚するために改宗。一男をもうけましたが離婚、現在はチュニジア人と再婚しています。何度か失敗している公務員試験に合格するためのコツを知りたくてこの学校に登録しました。

その彼女がある日こんな雑談を始めました。
「マルセイユのある役所で求人募集がありアラブ系女性二人が最終選考に残ったの。何から何まで甲乙つけがたい二人だったけれど、役所が選んだのは国籍取得の際に名前をFranciser (フランシゼ、=フランス風に変えること)した方だったのよ」と。
彼女がそう話し終えた途端、カビル(アルジェリアに住む少数民族。アラブ血統ではないこと、アルジェリア戦争時にフランス側に付いたという理由でアルジェリアで迫害されています。サッカーのジネディン・ジダンはカビル人)やマグレブ女性陣が「差別だわ!」と大声をあげ始めました。マダガスカルちゃんはにっこり笑って
「でも結局そんなもんなのよ」
と話を締めくくりました。この雑談中、普段元気なチュニジア女性はむっつりだんまりしていました。というのはフランス国籍を取得する際、彼女は苗字をフランス風に変えていたからです。二重国籍なのでチュニジアに戻れば昔の名前で行動するのです。彼女はたまに アルジェリア出身の男の子 に「本当の苗字は何?」とひやかされていました。

そういえばどう見ても100%東アジア人なのに名前はモニクという女性が隣町の職業訓練校に在籍していました。彼女の話では中国からラオスに移住し、更にフランスに移住した、と。今のいかにも欧州系な苗字も名前もフランス国籍取得の際に夫(元・中国人)と考えたそうです。今は国籍も取得し、フランス国内で子供も産んで、正真正銘合法滞在の彼女は私に中国名も書いたアドレスを教えてくれました。移住というのは彼女が言葉を選んだのでしょう。彼女がメコン川のデルタ地帯を潜っては泳いで国境越えをしたのはほぼ絶対間違いない過去です。

昨年8月車を買い換えたのはマルセイユ8区にあるHONDA。このお店は旧港周辺から追い出されたユダヤ人が移り住んだ街のど真ん中にあります。私達の車の販売担当者の名前はThierry Silverstein。ユダヤんかな?ドイツ人かな?と内心思いつつ彼を眺めると金髪碧眼なのでドイツ系かもしれないと想像してみたり、でも2区(=アラブ居留区)を大袈裟なほど毛嫌いしていたのでやっぱりJuif(ジュイフ、=ユダヤ系)かもしれないと想像したりしていた私です。
他にも夫の知人にEdith Grunebergという女性がおり、夫が元・警官の父親に彼女の名前を初めて告げた時「ユダヤ人だな」とすぐに断定されてしまいました。
そしてココんちの隣人は「Khaddouch」という苗字。苗字に「K」が入るのは明らかにフランス名からは逸脱しています。ちなみに私が住むアパルトマンはアラブん禁止という建前があります。ある日、マグレブ事情に詳しい夫の祖母に隣人の苗字のことを話したら「その人は髪が黒くて縮れている?だったらジュイフよ」と答えが戻ってきました。ちなみに彼女はPied noir(ピエ・ノワール、=黒い足)と呼ばれるフランス植民地だったアルジェリアに数世代に渡って住んでいたフランス人の末裔です。彼女が生まれ育ったOranは元はスペイン人が入植した土地なので彼女も子供の頃はカタルーニャ語を話し、結婚前の苗字はPla (プラ)というスペイン系のものでした。Pied noir と呼ばれる人は彼女のような欧州系やユダヤん、フランスを支持したカビル人などで彼らが北アフリカですべてを失った恨みはかなり根深いものがあります。

フランス国内のマルセイユだけで約30000人のユダヤ系が生活をしています。気づいたことですが名前が-stein、-berg、-burg、-sand等の語尾で終わる欧州系苗字とモロに「ユダヤんのまんま」苗字のユダヤ人がいます。欧州系の苗字はドイツ国境に多い東欧出身のユダヤん(アシュケナジ系)で、もろユダヤんな苗字は一度フランスに移住後、差別によって北アフリカに南下したユダヤん(ミズラヒ系)が主のようです。エクス時代、私の大学の先生はMisrahi-Barak、この苗字は北アフリカ系ユダヤんの苗字ですが、先生は金髪で美しいグレーの目を持った小悪魔系美女でした。以前テレビに登場したユダヤん系小児科医の苗字はすべて子音・・・いったいどのように、何と発音するのでしょう?

私の勝手な想像ですが、欧州系苗字のユダヤんというのは長い歴史の中で生きていくために創氏改名したユダヤんの末裔なのかな?と。長い歴史の中には暴君によって強制改名を命じられた先祖を持つ方もいるでしょう。もちろん血統ではなく改宗によって「ユダヤ」と呼ばれるようになった先祖もいるでしょう。ちなみにフランスでは血統とユダヤ教信者はJuif (ジュイフ、ユダヤ人)を使いますが、国籍で判断するならばisraélien(イスラエリアン、=イスラエル人)を使います。夫の知人にカトリック教徒のフランス人がいますが、彼女の母方は血統がユダヤんなので彼女はカトリックでもJuive (ジュイヴ)と呼ばれています。例えば日本人でもユダヤ教信者ならばフランス語ではJuif(ジュイフ、男性形), Juive(ジュイヴ、女性形)で表現されます。

フランスにユダヤ人が移住し始めたのは紀元3世紀のことです。現在までの約1700年間、彼らは決して安穏と暮らしていたわけではありません。各町にゲットーと呼ばれる居留区を与えられ、日没後は外壁門を閉めなければなりませんでした。男性も女性も一目でユダヤ人とわかる装飾品を身に付ける義務があり、疫病が流行ればユダヤ人のせいにされ、魔女狩りが流行るとユダヤ人からまずつるし上げられました。アヴィニヨンに教皇庁があった時代はパリで迫害されたユダヤ人が教皇の庇護の下「教皇のユダヤ人」と呼ばれるほど大切にされたのに、14世紀後半の宗教迫害の時代には多くのユダヤんがキリスト教(当時はプロテスタントが存在しないので西欧ではカトリック=キリスト教でした)に改宗し、ユダヤ教信仰を貫くと決めたユダヤ人の多くはスペイン、更にはマグレブ諸国に亡命しました。ユダヤんに医師、弁護士、商人が多いのはアラブんの子がユダヤんの子を揶揄する「頭がいい」という理由だけでなく、以前はユダヤんが公職につくのは不可能だったので彼らは自由業を生業に選ぶしかありませんでした。これだけ広い欧州での数世紀、創氏改名を強制した暴君も一人や二人や三人は軽くいたことでしょう。彼らにとって亡国の民となり異国で生き抜くために苗字を変えることなんて信仰を捨てることに比べれば容易いことです。

フランスに住んで就職活動もろもろで出会う元・外国籍の人々はマグレブ系であれ、アフリカ系であれ、アジア系であれ、東欧系であれ、したたかで強すぎます。彼らの圧しで日本人は吹き飛ばされそうになるくらいです(実際私は吹き飛ばされましたが)。苦難さえポジティヴに受け止めて前進する人がフランスで成功を収めているのも事実です。

少なくともフランスで苗字や名前を変えた人々が理由が何であれ創氏改名で訴訟を起こしているという話は聞いたことがありません。特にマグレブにとってはフランス風の改名で仕事をゲット!ですもん。役所に採用され公務員となった夜なんて「やったね!今夜はクスクスよ!」とママンが叫んだに違いありません。

ビヤ樽体型のマグレブ女性が作るクスクスの美味しいことと言ったら! ちなみに私はモロッコ風の黄金に輝くサフランスープのクスクスが大好物です。モロッコ風セモリナ粉のドーナツも美味×∞!


【追記】
『名前変えれば差別はないんだから、変えない方が悪い、という意見を
垂れ流しとった人です。』

という上述エントリーに関するTBなしの読後感を数箇所で散見しましたが、そりゃ違う。
内田樹先生のご意見(2006年2月14日付)はマッタクモッテ正しく、文章は読み手の心象で他者に述べられるというのは本当ですな。上記エントリーに書かれていることは、フランス共和国において他者が該当者に「改名せよ」と強制もしませんし、改名するも改名しないもフランス共和国民各自が有する自由と権利であるということが重要な点です。自己都合の思い込みも甚だしい。
ったく、自分にとって都合の良い偏見を他者に流布する輩には呆れ果てるばかり也。
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by ma_cocotte | 2005-07-26 02:01 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(21)
地震のあとで。-それぞれの最良の住処-
23日土曜日昼過ぎの全国ニュース(France 3)で東京での震度5の地震について知りました。フランスは日本で大きな地震があるといつも丁寧に報道を流しますが今回も映像付きで放映され,深夜のニュースまで繰り返し報告されました。

ニュースを聞いて花のお江戸は八百八町(はっぴゃくやちょう)に住む友人,知人,思い出の場所が次々と脳裏を駆け巡り,実家の両親のことも心配になりました。

一夜明けて日曜日,午前10時前後に恒例の実家からの電話がかかってきました。もちろん最初の話題は前日の地震のことでした。両親は茶の間におり事無きを得ましたが,私の部屋のK7(カセット)棚が見事にうつ伏せるように倒れたそうです。そういえば毎回帰国のたびに自室のどこからか地震によって棚から落ちて欠けた物が出てくるのも恒例です。父は私に「大きい地震だったなあ。でも新潟の地震に比べればなんてことはない。とにかくパパもママも無事だ」と言いました。私の父は新潟育ち,昨年の新潟地震の際は親戚や友人の安否さえなかなか知ることができず,連絡が取れた途端,父の育った土地が地滑りと山崩れということを知りました。その時も「どうしようと思っても地滑りも山崩れも人間が止められないもんなあ」と言う虚しい父の声が受話器から聞こえてきたことは忘れられません。
とにかく24日朝,両親の無事がわかりほっとしました。父には「地震は天災なのでいつ来るかわからない,万が一のため棚の上に置いたものは下ろした方が良い,打ち所が悪かったら大事になる」と言いましたが,父からは危機感のない返事が戻ってきました。
私の実家は約20年前に建てられたもので,両親が50代に入る手前,健康を過信した2人が段差を好んで取り入れて造った「とんでもない家屋」です。10年ほど前に母が脳梗塞を患ってますます実家は「うっかりしたら命を奪う建造物」になりました。私は家を出るまで実家に住んでいたので,フランスに住み始めてから階段のないアパルトマン生活を満喫堪能するようになりました。最小限に段差のない造りは人間にとってなんと快適で暮らし易いのだろうと心身で実感しました。

こうしてフランスに住むようになったのが良かったのか,実家にいた頃はまったく会話のなかった父と電話で話すようになりました。喧嘩もしますが最近では世間話までするほどです。これも少しずつ病気が進行している母の思考や呂律がうまくまわらないことも理由のひとつです。母が昔のようにおしゃべりキャピキャピママだったらおそらく今も電話口に父の出番はなかったはずです。

両親と離れて住むようになって長い年月,電話で何度か母が階段から落ちたこと,お風呂でおぼれたこと,お手洗いでこけたこと,台所で転んで起き上がれなかったことなどを父から聞きました。手摺をつけたり,階段に滑り止めを貼ったりという小さなリフォームも介護保険を利用してできる範囲で実行しているとも。私も長いこと住んでいた家なので急な階段,滑り易いお風呂場,台所と茶の間の段差,玄関の高さなど思い出しつつ,父に「ママは病気でもちろんだけどパパも一緒に年齢を重ねるのだからリフォームが無理ならアパートかマンションに引っ越したらどう?」と何度か勧めてみました。父からの答えは案の定「ママが一軒家がいいって言うんだ」です。

「ママは半分ボケてしまっているからパパがごまかせば何とかなるよ。平屋の家がどれだけ暮らし易いか。」と私が言っても,受話器の向こうからは「うーん」と言ううわの空の声です。
昭和一桁生まれの父は幼少期に戦争を経験し,東京市淀橋区の父の実家は戦後のどさくさでいつのまにか他人のものとなっていました。そんな経験が土地や家屋にこだわりを持ってしまうのでしょう。そして母はアパート,マンションというとどうしても昔の借家を連想してしまう頭の硬さです。


さて,フランス人の住居や土地のこだわりについて夫の親戚を例に挙げてみます。

以前,夫の母方の祖母に会った時80歳を過ぎた彼女が「おじいちゃんはアルツ&パーキンになっちゃったし,私も膝が弱ったので,この家を売ってアパルトマンに移ろうと思うの」と私に話してきたことがあります。1階がガレージと客間,2階が母屋というフランスの典型的な一軒家に住んでいましたが,家を囲む広い庭の手入れも億劫になったのでアパルトマン住まいの方が快適だと言うのです。薔薇が咲き乱れ,杏,さくらんぼ,柿,すぐりの木が植えられた庭も十分楽しんだので手放してもいいのだそうです。そして10歳離れた彼女の姉は夫に先立たれて一人住まい,市が彼女に与えたアパルトマンは消防署そばの住宅で毎日看護婦,心理学カウンセラー,ボランティアが交代で様子を見に来てくれます。いざ!という時には目の前が消防署なので救急隊が常勤です。「ああいう生活が理想」と夫の祖母は姉をうらやんで言うのです。

そして夫の叔父夫婦はプールつきの平屋建て一軒家に住んでいますが,子供2人が成人して家を出たので地中海岸沿いの小村にアパルトマンを買いました。「空き部屋が二つもある家を高い税金を払って維持するのは馬鹿らしい」という理由です。子供が独立し夫婦2人の人生には海べりの適当な広さのアパルトマンが最良だそうです。

2000年秋,夫の父方の祖母が亡くなりました。夫に先立たれて10数年,犬と二人暮しの彼女の頭はボケてしまいましたが,死の直前まで彼女は夫との思い出の家で過ごしました。誰も住む者がいなくなったこの家を私の夫の父があっと言う間に売り,彼の姉(つまり私の夫の叔母)と2人で分け,室内の調度品は形見分けとして私達の手元にもリンゴ箱一杯届きました。

フランスは日本に比べれば天災は少ないかもしれません(近年,私の住むプロヴァンス地方では深刻な山火事が繰り返されてはいます)。が,上のように夫の身内だけを見ても,フランス人の住まいや財産に関する柔軟な考え方には驚いてしまいます。彼らには土地や家屋への愛着やこだわりがないのでしょうか?年齢や家族構成でさっさと生活環境を最適のものに変えていく,「この家はもう私のためではない。もっとふさわしい人に譲る」と誰もが格好良く言います。フランスではそうやって不動産が動くそうです。
私の両親もフランス人のような考え方になってくれたら私は少し安心できるのに。
日本は各地方の習慣や風習があるので,日本人がフランス人のように自らの安全や快適な人生のために愛着ある土地や家屋を適齢世代に譲り渡せる気持を持てるようになるまでかなりの時間がかかるかもしれません。

私の実家の近所には40階以上の高層マンションが次々と建設されていますが,地震の翌日の電話で父が「30階や40階の途中でエレベータが止まったらどうするんだろうな?老人には思うように動けないだろう」と。私だってエレベータの同乗者がキアヌなら奇跡的にフットワークが良くなるかもしれませんが,そんなことはまず有り得ないのでエレベータからの脱出となったら腰を抜かして恐怖に震えることでしょう。そうでなくとも地上と高層階の階段の昇降は高齢者には重労働です(私だって6階ごとに一休みです)。

そんな心に浮かぶ由無しことを考えると,高齢者には一軒家でもマンションでも低層階の平屋の住空間が最良の住処なのかもしれません。


参考資料 【2005年7月23日東京の地震】
*France 2 http://info.france2.fr/monde/12433955-fr.php
*RTL Infos
    http://www.rtl.be/Site/Index.aspx?LG=1&PageID=209&ArticleID=49634
*L'Express http://www.lexpress.fr/info/infojour/reuters.asp?id=1780&1435
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by ma_cocotte | 2005-07-25 04:11 | 『?』なたわ言 | Comments(57)
Adoucissant (アドゥシサン)は柔軟しない「柔軟剤」
あれは春は曙,やうやう白くなりにけり・・・な弥生三月は十日(とおか)のことでございました。

昨年9月の拙ブログ開設依頼,陰にならずに日向でがつんと一発ハイビスカスを鼻から垂らしてブチかましの励ましを私にくださるえゐち家「呵呵大笑記re」におきましてこんなことがございました。
まずはこちら↓をクリックしてえゐち殿のエントリーをご覧くださいまし。
http://theh.blog4.fc2.com/blog-entry-56.html
最後まで拝読いたしますと管理人・えゐち殿ヒュウヒュッヒュ~♪とご夫君・Tブー・ザ・グレイテスト氏が謎のフランス土産をめぐってライトな口論にまでなっております。
いや,肝試しでしょうか。

兎にも角にもフランスから約一万km東のえゐち家場外予想としては以下の3つが挙げられました。
1.洗濯剤
2.ボディシャンプー
3.入浴剤
       皆様の予想はいかがでございましょ?

答えはこちら! 会場のぷろすぺえるさん,よっろしくぅっっ!
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1番 洗剤


・・・が近いンだな,これが。
実はえゐち家にささやかな不和をもたらしたこの一品はフランス語でAdoucissant (アドゥシサン),日本語に訳すと柔軟剤にあたります。なぜ「ズバリ!柔軟剤」と宣言できないのかと申しますと,この柔軟剤を使っても布はゴワゴワのまんまでごわす。
「え?それぢゃなんで柔軟剤なの,おまいさん?」
「・・・さぁ?あっしに聞かれても,姐さん。」
使用方法ですが写真のように最初に一度プラスチック容器3ℓ入りを購入してしまえば,その後は写真手前の詰め替え用凝縮液をプラスチック容器に移して3ℓの水で割って繰り返し使えば良いのです。スーパーの柔軟剤コーナーはあらゆる会社の製品とあらゆる香りで充満しております。えゐち家で紹介されていた水色のGrand Air (グロンエール)がフランスにおける基本の香り,紫のLavande (ラヴァンドゥ)は人気のラヴェンダーの香りです。今回私が購入したのはMarseille & Fleurs d'Oranger (マルセイユ石鹸とオレンジの花)の香り! 新製品だそうです。買いたては開封せずともかなりの芳香でむせ返るほどです。


それにしてもなぜ柔軟しないのに柔軟剤なんだろう?


というわけで「住めば都」という心理状態に持っていくために,日本の柔軟剤が布をあんなにふわんふわんやんわり♪にできるのはきっと「何か」が入っているからであろう。本来の柔軟剤の力はフランスの柔軟剤程度ってことなのよ・・・と思い込むことにいたしました。
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by ma_cocotte | 2005-07-24 00:20 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(39)
【好きなことを書く】ということ。
ロンドンの七夕テロ から2週間が過ぎ,再びロンドンでテロが発生しました。
ブログ徘徊をしていると「まだテロと断定されたわけぢゃない」という内容を垣間見ますが「事故」と呼べば差し支えないのでしょうか?一般車両を利用して爆発するような危険物を運んでいる最中に偶発的に爆発した事故ですか。ふーん。普通,爆発物は一般車両では運びませんがね。

例えば爆発物運搬者は国際共通信号↓を身につけて移動するのが良心だと思います。
   http://shimada.cside.com/NotesDocs/C_IF_Shingoki.html

もしこれまでの公共における爆発事故をテロと仮定するならば,七夕テロ以来 英仏両国がもめている話 に真相があるというのが私の意見です。フランスのサルコジ内相が指摘した2004年に英国政府が過激派イスラミストを捕まえながらすぐに釈放した件です。大英帝國内における長年のラジカルイスラミスト(狂信的イスラム信者)の温存が2005年に入り目に見える形で現れたということです。「クサい臭いは元から断たなきゃダメ」というCMが日本國関東地方では流れますが,この手の事件も同様に,できるだけ元が小さいうちに手を打たないと7月7日や21日のような具体的形となって現れます。悪い譬えかもしれませんが毎日掃除しているトイレや風呂桶には黄ばみもカビも生じません。が,掃除を怠れば黄ばみやカビが日に日に色濃くなり強力な洗剤を使ってもなかなか落ちなくなるものです。カビについては末端となる根がどこまで張っているのか想像もつかなくなります。
カビは (きん)ですよ,
大英帝國は コモンウェルス という組合を作り,共同組合員という表向き理由で彼らに常備快適温度の温室と最良の肥料を長年与えているのですから,ここまで大きく育って大豊作に至ったことは組合長の自己責任です。決して組合本部が日頃から区別している非組合員や近隣の他組合が原因ではございません。豊作貧乏という言葉もございますので,組合長ならばしっかり取り組んでいただきたいものです。

★ さてさて,半年ぶりのボヤキでございます ★
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by ma_cocotte | 2005-07-22 18:18 | 『?』なたわ言 | Comments(44)
ひ・み・つ,内緒にしてね?
ゆびきりしまっしょ♪ 誰にも言わっないっでね~?

エクサンプロヴァンスの旧市街のはずれに小さなレストランがあります。私がこのお店に初めて行ったのは1998年5月終わりのことでした。見ず知らずのエクスに5週間も滞在することになり,知人のフランス人にウェルカムランチとしてよばれたのがこのお店だったのです。この界隈は目印が何もないので何度この店を訪ねても道を覚えられません。間口は地味,日のあたる路地から店に一歩入ると真昼間なのに目が追いつかなくて真っ暗! とてつもなく不安になりますが,この薄暗い店内を恐る恐る通り過ぎると小さな中庭がありレストランになっているのです。木漏れ日の下で食事です。
さて,このレストランですがメニューはこの店の経営者一家の生写真が入ったアルバムで,一冊として同じものはありません。メニューももちろん手書きです。
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くろねこ・ママ さんとお友達さんと訪ねたこの日は今年一番の猛暑と言ってもよく,最初に出た冷水をあっという間に飲み干してしまい,オーダーを聞きにきたムッシュウに「浴びたんぢゃないだろうな?」と疑われました。浴びちゃいないけれど飲んだらあっという間に汗に変わったのは事実です。

○ 16ユーロのメニューを選びました ○

前菜+主菜+デセールで16ユーロ,ワインもコーヒーもつきません。南仏にしてはちと高めのランチメニューです。

まずは夏季限定メニューのガスパチョです。ひんやり♪まいやひーまいやほー♪です。
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ココんちのフランス人♂は
太るとわかっちゃいるのに
← ラルドン(ベーコン)炒めのサラダ
を選びました。
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主菜は子羊のグリル 干しじゃがいも揚げ&かぼちゃピュレ
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デザートは
「さくらんぼのクラフティ」
を選びました。

パイ皮にさくらんぼとプリンで固めアーモンドをかけて焼いたお菓子のような感じです。さくらんぼひとつひとつに種が入っていたのでライトな「ウメガキ」気分で種を飛ばしてみました。
21世紀に入ってもこのお店はいまだにカード不可,店主もちょっと変わったムッシュウ・・・何言っても言わせておけばいいンですけどね。とにかくこの日もいつもどおりおいしうございました。
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by ma_cocotte | 2005-07-22 02:37 | The ou Cafe? | Comments(30)