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輪廻転生の3日間のはじまり。
フランス共和国では明日11月1日はToussaint トゥッサン、万聖節の祝祭日です。子供たちは10月22日から2週間の万聖節休暇に入っていますが、今年の11月1日は火曜日ということもあり10月31日月曜日を休暇にしてしまった役所や企業も多く、ささやかに喜んでいる大人もいるようです。ちなみに祝祭日が木曜日または火曜日にあることで金曜日、月曜日を臨時休業にし連休を作ることをフランス語でPont ポンと呼びます。Pont は日本語の「橋」です。

世界第6位の国勢と言われるフランス共和国にとって憧れの国はもちろんユ~ナイテッド・ステイツで、アメリカの諸習慣をフランス人が取り入れることをaméricanisation アメリカニザシオンと言います。こんにち10月31日のHalloween ハロウィンもここ数年フランスで浸透してしまい、31日夕方には子供が呼び鈴という呼び鈴を押して菓子を求める悪習が当たり前になりつつあります。この時期スーパーマーケットに行けばハロウィンなるものが商業目的であることが露骨にわかるため、共和国のアメリカ化を嘆く方々もいます。

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【ココんちの地元、旧墓地のイタリア~んのお墓】

Toussaint は英訳するとAll saints、和訳すれば万聖、曲解すれば「八百万の神」でしょうか。フランスの聖人カレンダー365日に当てはまらない全ての聖人のために祈るのが11月1日です。そして翌11月2日はDéfunts デファン、死者の日と呼ばれ、故人の冥福を祈る日とされています。聖人と死者のために祈る2日間の前夜祭がハロウィンにあたります。

この3日間がキリスト教の習慣、はたまたアメリカの習慣なのか?というと実はそうではなく、元々はケルト民族の習慣でした。キリスト教が普及する以前の北ヨーロッパでは11月1日が元旦で、前年に亡くなった全ての死者がこの日に転生し世界が一新されると信じられていました。その前日10月31日には死者の世界の扉が開かれ生死の境界が曖昧になるので、かぼちゃをくりぬいた提灯(Jack O' Lantern ジャック・オランタン)に蝋燭を点して魔よけにしたそうです。
かつてキリスト教の宣教師が北ヨーロッパに布教した時、農民たちの間でこの死者の祭が根強く信仰されていました。一神教のキリスト教にとってこの信仰は好ましからざる習慣だったので、11世紀に入りローマ教皇グレゴリウス7世が死者の代わりに全ての聖人をまとめて祝う万聖節をそれまでの5月13日(←7世紀にボニファチオ4世が定めた)からこの11月1日に移動しました。キリスト教にとって好ましからざる理由は彼らの転生信仰も挙げられると思われます。

ハロウィンのかぼちゃ提灯の話で思い出すのが江戸の盆提灯。
関東ではお盆に入る前日、火を点さぬ提灯を携えてお墓に行き、そこで提灯に火を入れて自宅に持ち帰ります。死者の霊の里帰りです。盆の終わりには逆に自宅から火を入れた提灯を持ってお墓に行き、そこで提灯の火を消し、死者の霊をお墓に戻します。これを東京では新暦で行い、郊外では旧暦で行います。日本の提灯が魔よけではなく心優しい存在であることはうれしい気もします。魔よけというと関東では節分のヒイラギと魚御頭ですね。


さて10月31日夕方、子供たちの連続襲撃に何とか打ち勝つと、翌日、翌々日はお墓参り をするのがフランスの習慣です。フランス革命により一度廃止された11月1日の祭日ですが、1801年ナポレオンとカトリック教会が和解したことにより、クリスマス、復活祭、聖母被昇天祭と共にフランスの祭日として復活しました。先祖の墓参りにフランス人が持参するものは菊の鉢植えです。10月下旬になるとスーパーマーケットやお花屋さんには色とりどりのあらゆる菊の鉢植えが並べられます。
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フランスの万聖節はケルト民族の先祖崇拝とカトリックの聖人信仰と結びついたものですが、そこはかとなく10000km離れた日出づる國の習慣も香っているのはなぜでしょう?


le 31 octobre 2005, Quentin


【参考】
France 2 : 1er novembre: la fête catholique de la Toussaint

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by ma_cocotte | 2005-10-31 23:20 | 『秋』 Rien de special | Comments(4)
こんにちから冬時間、ということは「ココんち闘争」の季節。

日本の時間-8時間=フランスの『冬』時間

昨日までのフランスの夏時間から1時間を引くとフランスの冬の時間になります。
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僕の朝ごはんはきのうまで毎朝7時だったのにきょうから朝6時らしい。
僕はきょうの朝、7時ま・ここっとを起こしに行ったら、
ま・ここっとに「あと1時間待て」と言われたんだ。

『・・・ざけんなよ。』

マルセイユの電車もバスもストライキに入って26日目を迎えた けれど、
僕もあの人たちみたいに暴れちゃうぞ。
「お腹すいたー、ごはん出せー、今すぐ出せー!」って。



ココんちのま・ここっと 殿

昨日までの「7時朝食、17時夕食」法を
6時朝食、16時夕食」に
即刻改正することをココに要求します。


Le 30 octobre 2005

『ココんちの猫3+1匹』組合
代 表 
Prosper des Boux ぷろすぺえる・で・ぶぅ




さてさて、今日から北米とEU各国は冬時間となりました。時計の針を1時間後退させると冬時間です。昨日まで午前8時過ぎだった夜明けが今日からは午前7時の夜明けになります。先日まで薄暗い中学校に向かっていた子供たちも朝日を浴びて安全に登校でき、真っ暗になる前に下校できるようになりましたとさ。めでたし、めでたし♡

この冬時間ですがフランスでは1976年から導入実施されました。こうすることで北海道とほぼ同緯度のフランス共和国では大切なエネルギーをかなり節約できます。夏至前後なら朝4時頃から夜9時頃まで照明なしで暮らせる南仏も、冬至近くなるとお天道さまを拝めるのは朝8時半から16時頃までとなります。これだけ日照時間に差がある国では夏冬時間を利用するのはエネルギー節約から子供の登下校の安全に至るまでありがたいものなのであります。

日本國でも近年、欧米に倣い夏冬時間を導入するという意見が出ていますが、年間の日照時間に欧州ほどの差がない日本には必要ないと私は思います。日本國のエネルギー節約のためには夜空を明るく染めるほどの広告ネオンと乱立する道路信号を改善する方が夏冬時間導入よりはるかに成果が出ることでしょう。


『ココんちの猫3+1匹組合』がどれほど騒ごうと、代表ぷろすぺえる・で・ぶぅ氏が血判状を叩きつけようと、ココんちは「7時朝食、17時夕食」法を断固固持いたします。「6時朝食、16時夕食」改正案には応じませんっっ。


le 30 octobre 2005, Bienvenu
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by ma_cocotte | 2005-10-30 19:41 | 『秋』 Rien de special | Comments(18)
『異文明のるつぼ』チュニジアでサクっと、カリっと

Brick  ぶりっく
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これまでチュニジア風サンドイッチ やチュニジアはDjerba ジェルバ名物のHarissa ハリサ を紹介したので、この勢いに乗ってもういっちょ~!チュニジア料理と言えばこれ!の
『ブリックの揚げ物』 で、カリっと青春なのだ!

ブリックはBrick と書いてブリックと読みまして、直径30cmほどの円形の小麦粉で作られた薄皮でございます。マグレブアラブの食材店にはもちろん常備、スーパーマーケットの半生麺コーナーでもこんな感じで出ています。
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フランスではチュニジア系のレストランや軽食店で必ず見つけられるのがブリックを使った料理です。上の写真はチュニジア から南仏に越して来たユダヤんご夫妻 がマルセイユで経営しているお菓子屋さんで売っているブリックです(もちろんカシェルん♪)。チュニジアにユダヤん?と思ってしまいがちですが、1960年前後にフランスに移住したユダヤんがかなりいたものの21世紀に入った今もチュニジアにはユダヤんがかなり住んでいます。こちらはユダヤ系チュニジア人のための情報交換HP(http://www.harissa.com/)、その名もHarissa ハリサなんであります。

さて、話戻ってBrick ブリック!
小麦粉で作った直径30cm円薄皮なので巨大な春巻の皮のようなものでしょうか。こんにちのブリック料理は『Brick à oeuf ブリック・ア・ウフ、たまごブリック』でございますよ。


【Rétroliens*Trackbacks】
* おもきち : ブリック
* はるのたまご : ◎鮭とじゃがいもの春巻き◎
 ←ブリックにもあう!!

le 29 octobre 2005, Narcisse

× ブスっと刺すとドロロロロん。作り方はこちら!×
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by ma_cocotte | 2005-10-29 06:04 | Ca etait? | Comments(24)
私は蛍光灯、そして初めての出来事で、
おしゃべりもしないで、泣き出してしまうかも、それほ~ど私は
震えてる、どっころかコメカミ破裂しそうでしたわ。
今朝のことなんですけれどね。朝食後わがコンピ~タくんの前に座ったら、なぜか「今日は音楽でも聴いてみようか」という気分になったのです。久しぶりにリンゴちゅ~んをクリックしたところ「6.01にバージョンアップできます。」というメッセージが出て来たので、勧められるままクリック。インストールも終わった頃、異変が起こりました。ADSLがフリーズ、電話も使えません。

これまでこういうことがあるとPCの電源を一度落として再度立ち上げると直るのですが、今日は何度繰り返してもADSLも電話も使えないままです。「もしやウイルス!? まさかね?」と自問自答しつつウイルスバスタ~をかけてみると、約40分後、検索の最後の最後にどどどどっとリストが現れ、なんと37個のスパムウェアを発見したと告げてきました。今まで運がよかったのかもしれませんが、私個人でPCを持って7年、ウイルス検索ソフトを入れて3年弱、ウイルスやらスパムなるものに攻撃されたことはありませんでした。驚きました。

37個のウイルスだかスパムウェアをひとつひとつ消しましたが、それでもADSLはつながらないままです。初めてのことで焦りもあったせいか私の脳味噌は搾りきって滓(かす)状態、肉体は搾っても精神消耗のみで脂肪はしっかり残っていました。が、昼食というエネルギーを得たからでしょうか。午後1時過ぎ「・・・ああ、そういえば」と脳だか心から一声かかったことで、私はADSLのインストールCD-romを取り出し再インストールを試みました。したら、あーた、ADSLがつながっちゃったではありませんか! 
ここまで私ひとりの妄想力でなんとか辿りつくことができました。
そして気分改めてリンゴちゅ~んさんで音楽を聴こう!とクリックしましたら「正しくQTさんをインストールしてください」とかっく~んと小松のおやびんさんに化してしまうようなメッセージが出ました。リンゴちゅ~んさんをインストールし終え、PC画面に「正しくインストールされました」と出るのに、です。しばらくぼーっと考えてWindowsの「アプリケーションの削除」でQTさんの完全削除を依頼してみると今度は「QTさんはSystem32にいるので削除できません」という私をムッキーとさせる返答であります。どうも先ほど消去したスパムウェアのどれかがQTさんのアイデンティティそのものを破壊したようです。根気よくリンゴちゅ~んさんの修復作業を数度行ったところ、ようやくQTさんが完全撤退に応じてくださり、その後QTさんにははじめの一歩から私のPCに入居しなおしてもらいました。午後3時近くようやく何事もなく音楽が聴けるようになりました。兎にも角にも約5時間強、私は眉間に力が縦にぎゅっと入っての超ウルトラ高血圧状態でした。


PCそのもの、システムに詳しい方ならこんなトラブルを屁ぇ出すより簡単に修復できるのでしょうね。そう思うと恥ずかしい気持もありますが、自分のペースで自分なりに試行錯誤して、5時間後には音楽も聴け、ADSL、電話もつながるようになったことには達成感が感じられて私としてはうれしいのであります。


子供の頃、母が父に向かって「本当にあなたの頭は蛍光灯ね。どうしてピン!と来ないの?」とよく愚痴を言っていたことを修復作業中に思い出しました。私の脳はどうも父タイプであって、母のような電球のような閃き脳ではないようです。それから数十年経った今、母に蛍光灯と言われた父はいまだ元気なのに、母は脳梗塞障害を患っています。そう、電球が切れるかのように母は発症しました。


そういえば今週に入ってどうも世間の様子がおかしいとうすらうすら気づいていましたが、昨日朝ようやく地元の子供たちが秋休み(万聖節休暇、墓参り休暇ですな)に入ったとわかりました。私が電球脳オンナだったら休暇が始まった土曜日朝に気づくのだろうに、なんと私は悟るまでに5日もかかりました。

こんな私ですが、今更焦ったところで私の脳が蛍光灯から電球に変わることはありません。私は幼稚園から高校卒業まで運動会のかけっこはいつもビリでした。どんなにかけっこの早い同級生の真似をしても私はビリで、焦れば焦るほど足はもつれるし、転んで擦り傷も作りました。ずばり、私はドン臭い。運動神経が急変するなんてあり得ないのに大きな夢を持ったもんだなあ、と当時を思い出して失笑することもあります。幼い頃ならば目標を上に定めて目指すかもしれませんが、最近の私は自分の心身が蛍光灯そのものとはっきり自覚しているので
我が身の程で、焦らず、ゆったりと残りの人生を過ごしたい
というのがこんにちPCを修理し終えての感想でありました。

野望は持ちたくない。川を遡ることもしたくない。擦り傷は痛い、痛いの嫌い。絆創膏を張ると肌が膿んでしまうというのも厄介。ぶつぶつと連想は続くよ、どこまでも。


le 28 octobre 2005, Simon et Jude
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by ma_cocotte | 2005-10-28 00:02 | 『?』なたわ言 | Comments(38)
こんな小夏日和の穏やかな秋は

Harissa (はりさ)の辛さが凍みてくる~ぅ♪
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Harissa ハリサはマグレブ(地中海沿岸の北アフリカ)料理には欠かせない赤とうがらしの激辛ペーストです。例えばCouscous クスクスのスープにハリサをチョロリと加えただけでニッポン人には

ほっ、Hot!

なんでありますが、マグレブの人々の使い方を見ていると、どっぱりどぶどぶ 混ぜて召し上がっているようです。フランスで買えるハリサはチュニジアのDjerba ジェルバ産が主で、チューブ入りや缶詰、朝市では樽入りの新鮮なハリサを測って売ってくれます。

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ハリサは辛い、と言ってしまえばそれまでですが、一味とうがらしより重い印象があります。タバスコ、ピリピリとも一味、二味違うハリサですが、クスクスはもちろん蒸し鶏や魚料理 につけたり、ひき肉と混ぜてつくね(ケバブ)にして焼くとエスニックな一品、焼肉の隠し味にしてもイケルと思われます。


▼ハリサで身悶え燃えてみます?▼
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by ma_cocotte | 2005-10-27 06:10 | Ca etait? | Comments(26)
ある日、空を仰いだら。
2005年10月25日朝、7時58分、ココんちのベランダから仰いだ空です。
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10月下旬午前8時頃の南仏の空は太陽が昇りきっておらず、その日の天気を判断するのも難しいのです。空が完璧に明るくなるのは約40分後。子供たちは薄暗い中、それぞれの学校に向かいます。10月下旬の南仏の日中最高気温は21℃前後、旭川とほぼ同緯度ですが東京より暖かいでしょうか。
今度の日曜日からフランスは冬時間、30日早朝午前2時に針を一時間前に戻します。日本との時差は-8時間になります。それでも日はどんどん短くなり、午前9時ごろ空がはっきりと明るくなり、16時頃には真っ暗が冬至頃の空模様です。


さて、空を仰いで思い出した話がありました。

私のかつてのクラスメート、Lola ローラはボリビアはコチャバンバで生まれ育ちました。物心ついた時、兄から「僕たちは孤児なんだよ。本当の親よりちょっとお金があるこの家に引き取られたんだ」と聞かされて、目の前にいるお父さんとお母さんは本当の親でないことを知りました。本当の親よりちょっとお金があるその家で就学年齢を迎えたローラはボリビアの教育制度に従って「午前教育」、「午後教育」の2択から午前教育を選びました。午後はお肉屋さんで奉公し、わずかな給金を貰い、帰り道途中で人が列を作っていれば意味もなく真似して並んでみます。運良く列がいきなり解散せず自分が最前列になれば、目の前の扉の向こうの誰かから簡単な仕事(例えば靴磨き、皿洗い、など)を貰って駄賃を得ます。そして再び家路の途中に仕事待ちの列があれば並んでみる・・・を繰り返しながら家に着けば、お義母さんの手伝い、それがローラの子供時代でした。

中学生になってまもなくお肉屋さんでの奉公の日、ローラは裏庭で休憩を取りました。ドカっと腰を下ろし四方からそびえるアパートの壁を辿り、その果ての四角い空を見上げました。するとある窓辺でたばこをふかす20歳代の女性と目が合ってしまいました。インディオの血を引くローラとは違う肌が白くて明るい髪色を持つ女性です。最初は中庭と窓辺の会話だったのに、いつのまにか二人は並んでおしゃべりをするほどになりました。

ローラと目があった女性はフランス人、Natalie ナタリーという名前でした。彼女の父親は国際赤十字所属の薄給医師、母親は在俗宣教者でボリビア派遣となり、娘であるナタリーもコチャバンバに同行したのでした。ナタリーはローラが明るく笑いながら話す「悲しい生い立ち」を聞き、それを両親に話しました。ナタリーの親はローラの教育援助を提案しローラは地元の高校を卒業することができました。ナタリー一家との交流でフランスの生活を垣間見たローラは近所の友達と違う自分の運命にうれしくなったりもしました。
ローラが高校生だった頃、独身のナタリーが妊娠しました。父親はナタリーの友達の夫でした。互いが同意しての関係だったそうです。やがて女の子が生まれ、Sarah サラと名づけられ、出生証明書には父の名はない、母のみの名が記入され、サラには母親の苗字が与えられました。

ローラが卒業した年、ナタリー一家がフランスに戻ることになりました。それまでの数年でローラはフランス語をかなり理解できるようになりました。ナタリー一家から「よかったら一緒にフランスに行くか?」と問われ、大好きな男性がいたにもかかわらずローラはこくりとうなずきました。

こうしてローラはナタリーの父親の生まれ故郷である南仏プロヴァンスの小村に一家と共に落ち着きました。ところが最初に借りた家は2DK、そこに大人4人と子供一人です。しかもローラが登録した街の語学校まで長距離バス通学だったので、18歳になったばかりの好奇心旺盛なローラには遠距離通学は不満の種でもありました。
ボリビアに比べればフランスは異常な物価高、父親の失業手当、家族手当、サラの扶養手当と教育補助金申請、おまけにナタリーは全国を股にかけての就職活動と、あらゆる役所通いを繰り返しつつ手続を行っているうちに、父親はなぜか「ボリビアに戻って赤十字活動を続ける」と言い始めました。一方、その妻は一日中部屋に篭りきり、篭って何をしているのか、というと「ファティマの聖母」に祈りを捧げっぱなしing。そう、このお母さん、自称カトリック信者ではありますが、「ファティマの聖母」の狂信者で家族が手ぇつけられない精神状態だったのです。
「ファティマの聖母」というのは1916年ポルトガルはファティマで羊飼いをしていた子供たち3人の前に聖母が現れて預言したという実話です。その預言の内容はフランスのルルドに現れた聖母の預言とは異なり現世の生臭い話が多く、それに恐れをなした一部の人々が狂信者と化して、ヴァチカンも異端と宣言できぬまま手の施しようもなく現在に至っています。参考までに。


話し戻り、ある日ナタリーの父親はふらりと一人でボリビアに行ってしまい、残された4人の中でまともにフランス政府と諸手続きを行えるのはナタリーのみとなりました。父親関連の補助が切れたこの一家はエクサンプロヴァンスの台所付ホテルに引っ越してきました。ローラにとって古都エクサンプロヴァンスに引っ越せたのはうれしいことでした。町には南米系の「踊れるお店」だってあります。フランスでは滞在型ホテルの宿泊料は家賃とみなされ生活保護補助範囲内です。ホテルの住所で公立学校登録もできます。
夏のある日、ローラが私をホテルに招待してくれました。宿泊者専用プールがあるので楽しみませんか?と。私はローラの自宅である部屋を訪ねると、3歳になるサラが一糸まとわず素っ裸でくつろいでいました。ボリビアの子供なら普通だそうです。部屋はダイニングキッチンと簡易壁で区切られた寝室のみで、お昼ごはんね、とクスクスにケチャップをかけたものと茹でたソーセージをローラは私に出してくれました。テーブルそばの簡易壁の隙間からファティマの聖母に祈るナタリーの母親がちらりと見えました。一日中目が開いていれば深夜だろうと祈祷を始める母親を広い寝室に置き、ナタリー、ローラ、サラの三人はリビングのソファベッドを広げて寝ている、と説明されました。セミダブルほどのサイズに川の字。それを聞いたところで
私には納得いかないローラの生活でした。
語学校ではローラの生活環境が噂になっていました。ナタリー一家がなぜローラをボリビアから連れてきたのか? ローラに真相を聞いてみると養女前提とした申請をしての生活保護金目当てだったのです。そしてローラは泣きながら、
「あなたたちには考えられない生活でも、ボリビアの生活より今の生活は
はるかにすばらしく、私が満足していることなの」
と言いました。それを見たスウェーデン出身のクラスメートMarie マリと彼女のフランス人の恋人Anthony アントニがその日から彼女を妹のようにいたわり始めました。ちなみにAnthony はフランス人女性とヴェトナム人男性の間に生まれ、この母はNiger ニジェールというアフリカの一国で派遣教員職に就いていました。フランスではもう珍しくない国際家族の一例です。


ローラは地球で国家がどういうもの、自治体がどういうものなんて知りません。自分がコチャバンバに生まれ育ったこと、偶然知り合ったナタリーがフランス人で一緒にフランスを来たこと、自分はスペイン語とフランス語を話せるということ、単純にそれが「世界」と思って南仏に来ました。ところがフランスで語学校に入ったら誰もが英語を話しているのを目の当たりにし、世界共通語がフランス語ではなく英語だと知りました。そして教室でも町でも南米人である自分が思うようにいかないことに多々遭遇しました。ある日教室で彼女は突然、担任とクラスメート全員にこう言いました。
「今日から私はLolie ローリィです。Lola ローラではありません」
18歳の彼女が思いついたFranciser (フランス化)が「改名」でした。

初夏を迎えた学期末、担任が生徒全員をご自宅に招いてくださいました。郊外の一軒家で初めて訪ねる者にはわかり難い場所でした。クラスメートが地図を持ち寄って検討していてもローリィにはちんぷんかんぷんで、私に「何、あれ?」と地図そのものが何なのか質問するのです。「先生の家に行く地図だよ」と返事すると「それを見て何がわかるの?」とまた質問してきます。ローリィは絵を描けません。見た物を描写するという術も知りません。
私が「だって地図は上が北で、下が南でしょう。」と言ったところで、ローリィが
そんなこと知らなくても人間は生きていけるのよ。」
と私に言いました。私が一般教養だと思っていたことは彼女に一蹴されてしまいました。この一言はものすごく考えさせられた言葉で、今も考え続けている言葉です。

そして担任宅訪問の日が来ました。各生徒が料理一品を提供する持ち寄りパーティでした。私は蜂蜜焼豚を持参。ローリィは彼女の大好物のボリビア料理を持ってくることになっていました。いざ、テーブルに料理が並び、ローリィの手料理もそこにありました。それは豚肉をコチコチになるまで塩茹でしたものでした。口に入れましたが獣臭さだけが口に残る料理でした。結局、誰もが一口食べただけで進むことができず、一方でローリィが
「どうしてこんなに美味しいものを食べないの?」
とパクパク食べながら、疑問を無邪気に口にするのです。
ローリィには嫌いなものがあります。それは海産物すべて。フランスで初めて食べて、海の臭さで吐き気をもよおしたそうです。南米の内陸国ボリビアであり、高地の都市コチャバンバに海産物が来ることはないとローリィは教えてくれました。


語学校が終わり、クラスメートそれぞれが母国に戻っていきました。ローリィはその後もう1学期だけ語学校に残った後、フランス人向け法学講座(学費は登録料のみ)に在籍したようです。私も語学校を終えた後エクスを去り新しい生活に入りましたが、一度だけエクスでローリィに出会ったことがありました。20歳を過ぎてそれは美しい女性となっていました。


今、ローリィはどこで何をしているのかな・・・。今朝、空を仰いでローリィを思い出しました。


10月5日のエントリー、「この子の運命。」のようにフランス人との養子縁組で夢のような現実を味わうJade ジャドゥちゃんのような子供もいれば、ローリィのような境遇の子もいる、それがフランスの現実です。


先週は ブルガリア系新生児売買 が露見したフランスです。
これについては改めてまとめます。


le 25 octobre 2005, Crépin
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by ma_cocotte | 2005-10-25 18:32 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(14)
「どれにしようかな、かみさまのいうとおり」

Calendario Romano 2006

2006年ヴァチカン神学生カレンダー
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Calendario Romano features handsome Roman priests and
beautiful Vatican churches.


4月11日のエントリー で紹介してから半年が過ぎまして、日曜午後、文房具屋さんのショウウインドウにカレンダーが飾られているのを見たわたくし、帰宅後わが命つきるほどチェックいたしました。あらためましてもう一度、

Calendario Romano 2006
2006年ヴァチカン神学生カレンダー
http://www.calendarioromano.co.uk/


↑躊躇わずクリックおしっっ↑

HPを開き写真をクリックすると2006年度版に飛び全12月の神学生を拝むことができますが、うーん。美少年ヲッチャーとしましては2005年版カレンダーが秀逸ですな、
美しすぎるぞ、ちこう寄れ。
2006年版をめくって行きますと、2月の神学生の帽子のかぶり方はユダヤんっぽいどすね。なんでサイズの小さい帽子を選ぶのぢゃ? 3月は還俗してからこういう写真撮影を許すようにせい。
ま・ここっつぁんがうっかり心ときめかせてしまったのは6月、7月(2005年版にも載ってらした)、10月、12月・・・♡ いえ、写真うつりの悪い方こそ実物が良いことが多ござるんで。
Mon seigneur, pitié pour MOI!

*Yahooのグループメンバーになると彼ら美しい神学生をE-card にして送れるそうです。
(→)http://groups.yahoo.com/group/calendarioromano/


そして、みなさまがた。もちろんこちら↓も出ましたわよ。

Dieux du Stade 2006

2006年ラグビー・フランスナショナルチームカレンダー
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*フレデリック・ミシャラクさまはあいかわらずお元気で脱いでらっしゃいますよ。*

あなたのミシャラクさま写真集へ行ってみようっっ!


【Rétroliens*Trackbacks】
*あんとに庵◆備忘録 : 典礼の美



le 24 octobre 2005, Florentin
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by ma_cocotte | 2005-10-24 05:25 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(35)
朝焼けの光の中に立つ陰は

La Piscine  ら・ ピぃシーヌぅ。

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いや、「ピシ~ヌの星」で例えてもよろしいでしょうか。
雨にも負けず、風にも負けず、車道の片隅に立つピィシ~ヌさん。それが何かと尋ねれば


ぷ~るぅ


もそっと詳しく説明するならば家庭用プールです。この写真はおらが町のはずれ、県道沿いにある家庭用プール屋さんです。せっかくの日曜日だと言うのに今朝は雷雨でオープニングの南仏、2005年は6月末に猛暑が訪れたものの、その後曇りがちの天気が続いたまま秋になってしまいました。おそらくこの「家庭用プール」業者さんにとっては猛暑よりも厳しい懐具合になったと思います。ながーい目で見れば「そんな年もあるものさ♪」と微笑むべきなのでしょう。


日本國ではプール付の家もたまに見かけますが、フランスの地方だと一軒家には大抵プールがあります。フランス大都市部はアパルトマンと呼ばれるような集合住宅が主ですが、Banlieu バンリュウと呼ばれる郊外や農村部に入ってしまうと一軒家が主になります。一軒あたりの土地は100坪以上が普通です。どうもフランスの大人は幼児教育において「自然とのふれあい」を重んじているようで、子供ができると郊外に家を求めます。そして庭にプールを設置。
購入、設置(プールそのものと周辺の美観)、水まわり工事は家庭用プール屋さんが行いますが、その後は「おうちのオトナ」がお掃除や水の管理をしなければなりません。家庭用プール関連の消耗品は日曜大工店で廉価で購入できます。
【参考資料】
フランスの家庭用プール価格
こちら↑をご覧になってもわかるとおり、どこかで節約すれば、いや節約しなくても「買えないでもない」金額の家庭用プールです。が、ここ数年、家庭用プールでの水死事故が多発し、見た目も美しいプールカバーが売られるようになりました。私が住むあたりでは私が知るだけで10軒以上、家庭用プール屋さんが商売をしています。商売が成り立つから存在しているのだからして、それだけ需要供給が成り立っているのだと思われます。

ココんちのフランス人♂の叔父の家にも家庭用プールがありますが、子供二人が独立。夫婦二人になった今、子供との思い出深いプール付の家は処分して、海辺の程好いサイズのアパルトマンに引っ越すそうです。引越までしなくとも子供が成人し独立すると、とっととプールを除いて埋めてしまうのもフランス人らしいかもしれません。
いや、腰は痛めたくないわな。

le 23 octobre 2005, Jean de Capistran
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by ma_cocotte | 2005-10-23 17:58 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(32)
時は流れ、クロマニヨンは「なで肩のチビ」と化したのであった。
おはようございます。
2005年10月21日金曜日今にも雨が降りそうな曇り空の下、ココんちモーニングカンファレンスを始めます。こんにちの発表担当は前回9月14日に続き、わたくし,ま・ここっつぁんでおぢゃる。よろしう。

b0070127_1623696.jpgこんにちの症例は9月14日モーニングカンファレンスで「腰毛」を発表後、それなりのせんせ~しょんを巻き起こしたクロマニヨンの名残り
M. C. ♂ (→)です。 

今回、症例 M.C. さんに再度登場を願ったのは、右写真でご覧いただけますとおり、
「肩のライン」 (白い曲線矢印)
です。
一般的に外見における男女の差は肩のラインに出ると思われますが、なで肩を持つフランス人男性はかなり多いと言われています。そして街のカフェのテラスで小一時間程度、珈琲でも飲みながら目の前を行き交うフランス人を眺めていると、フランス男性の猫背気味の「なで肩」、日本人女性より小柄な(背の低い)フランス女性、そして男女共に独特な歩き方に気付きます。歩き方は日本舞踊を習っている方に散見される肩と腰を落とした歩き方に近い印象を受けます。症例が着用するTシャツをご覧ください。左から3番目または4番目のイラストが近いと思われます。

この印象ですが、パリからロンドンに移動すると顕著にわかります。飛行機で約45分。そこにはフランス人より約20cmは身長の高い男女が大股で風を切るように歩いています。パリからロンドンに移動すると他人の闊歩が原因の視野狭窄を感じるはずです。

隣国でこれだけ印象が異なるのはもちろん海を間に挟んでいる、人種の違いも挙げられますが、フランスでまことしやかに言われている理由はこちら(↓)。
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Cartable  かるた~ぶる

日本語で言うランドセルです。一昔前までは革製が主流でしたが、最近は学年始めに購入する消耗品のひとつで、この写真のように化繊系が主流です。ランドセルそのものは軽くなっても、朝8時半から16時半までの詰め込み教育で必要な教科書とノートは学年を追うごとに重くなり、中学、高校では10kg近くになるそうです。これが原因で発育障害、フランス人独特の歩行癖が発症すると言われています。この仮説が発表されてから、車のついたキャリーバッグ(スッチーが空港で引っ張っている鞄の子供版)を小学生に買い与える親が増えてきました。が、うっかり歩道の犬カカ(ウンチョス)&ピピ(オピッコ)を轢いてしまい、それを家屋内に運びかねない、というリスクがあります。

東京はJR飯田橋駅神楽坂口の朝8時半過ぎから、フランス人学校に通う子供たちがこの横長ランドセルを背負って通学する姿を見れますが、日本のランドセルで育った私にはとてもかわいらしく見える代物です。でもランドセルが重すぎて、身長が伸びなかったり、なで肩になったり、腰を落として歩くようになってしまうのは考えものだと思います。


以上、こんにちの「フランスにおけるなで肩&チビの謎に迫る」についての発表でした。前回同様、列席のみなさま方がご存知の症例と照らし合わせつつ真摯なるご意見をいただければ幸いでございます。

ご清聴まっことありがとうございました。


le 21 octobre 2005, Céline
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by ma_cocotte | 2005-10-21 19:00 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(28)
オリーヴのすり鉢でゴリゴリとムンムムン♪
南仏名物と言えば数あれど、Olive オリーヴはつとに有名だと思います。私が住む町も至る所にオリーヴの木が植えられており、灰緑色の葉は強い太陽の日差しを浴びてもどこか涼しげな印象を見る者に与えてくれます。南仏で見かけるオリーヴの木は黒い実をつける木と明るい緑色の実を結ぶ木の二種類です。緑より黒の方が渋味が強いですがどちらも美味しいです。一軒家のお宅だと庭に数本数種類のオリーヴの木を植え、実を収穫しては漬物を作ったり、オイルを作ったりしており、普通のおうちの門前に「オリーヴオイル売ります」と看板が出ることもしばしばあります。もちろんワイン同様、オリーヴ農場直売のオイル屋さんもあり、地元の人は瓶や5リットル程度のプラスチック容器を持参で買っているようです。

オリーヴと聞けばオリーヴオイルや食べ物を連想してしまいがちですが、南仏の市にはオリーヴの木(Olivier オリヴィエ)で作った台所用品を売るお店↓が出ることがあります。
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パン切りまな板、チーズ用まな板や手前のすり鉢が定番、独特な色艶と頑丈さが売りであります。

Mortier モルチエ、すり鉢を南仏で何のために使うのか?というとAïoli アイオリと呼ばれるにんにく入りマヨネーズを作るために使うのです。アイオリは料理そのものの名前でもありまして、蒸した白身魚と蒸したり、茹でたりした野菜にこのにんにくマヨを塗って食べる料理です。お魚を使う料理なので金曜日にふるまわれることが多く、街のレストランでも金曜日のPlat du jour (本日の昼定食)に Aïoli と書かれているのもよく見かけます。南仏で本場のアイオリを金曜日お昼に食べたとすると、ほぼ間違いなく翌々日まで身体中すべての穴という穴からにんにくの匂いがムンムンムムンモワワワワ~と発することになりますが、これぞ直訳すれば、「金曜日で良かった! Thanks God, it's Friday!」・・・んな、馬鹿な。


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どうよ、一緒に

ムンムンしてみるかい?

← オリーヴ農家のムッシュウ 
(南仏名物の土人形、サントン人形です。)

le 20 octobre 2005, Adeline


◎ おおよ、一緒にムンムンしてやろうぢゃないの。◎
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by ma_cocotte | 2005-10-20 06:17 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(22)