花の都おパリから南下すること約800km、地中海沿岸最大の港町マルセイユはコスモポリタンシティでもあります。街を歩けば日本ではまずお目にかかれない民族衣装に身を包んだ人々が颯爽と闊歩している町でもあります。みんな、地球人だからアイデンティティを隠す必要もありません。
そんなマルセイユの路地にユダヤんレストランが数店あり、どのお店の看板にもはっきりCacher (カシェル)と明記されているのもフランスでユダヤんが「内緒事項」ではないことなのでしょう。ところがこの「cacher」という単語、フランス語では「隠す」という意味の動詞になります。路地裏のユダヤんレストランはある意味「隠れ家的存在」でもあるので、この偶然の言葉遊びは面白いですね。 私が入った路地のユダヤんレストラン、その名も「Sheraton シェラトン」。お店の入口にはなんと世界のシェラトンホテルと同じ紋章が掲げられています。いいのか、おい? 店内ですが男性のほぼ9割がキッパを乗せており、店員さんもキッパを乗せたままテキパキと動いております。写真↓は黒のキッパを乗せたムッシュウ、少年、店員くん。 ![]() 「アペリティフをサーヴィスするよ」とささやかれちゃったら動かざるを得ません。私は入口近くのテーブルに移動しました。隣には50歳代の女性3名が食事中でした。自然、彼女達の会話が私の耳にも届くのですが、オンナ3人寄ってたかって 政治の話最初は今回の暴動で世界的な有名人になったサルコ(Nicolas Salkozy、ハンガリー系)の話、続いてイタリア、スペイン、アメリカの政治の話題にまで発展していました。まるで世界の政治はマルセイユのユダヤんおばちゃんズが動かしているような内容でした。そんなハードな会話の途中で携帯電話がなれば「Ah, mon chèrie!(モンシェリ)」、愛する息子ちゃんからの突然の電話で閑話休題の家族自慢です。親を思う子の気持も、子を思う親の気持も万国共通なんでございます。 さて、このお店のランチは10ユーロで「セルフサーヴィスのオードヴル」「メインディッシュ」「デザート」を食べることができます。私はこんな感じでオードヴルを選んでみました。左はクスクスで作るtaboulé (タブレ)と呼ばれるマグレブ風サラダです。そして、ひよこ豆、にんじんの炒め物がクミンの利いた「これぞ、ヨルシャルミー(エルサレム風)!」という味でした。 ![]() ![]() シュニッツェルというのはかつてドイツや東欧に住んでいたアシュケナジ系ユダヤんの名物料理です。付け合せはフライドポテトとマッシュルームのにんにく炒め。 美味美味のゲフゲフのお腹パンパカパン♪実はワイン を頼みました。出てきたのは季節物のボジョレ・ヌーヴォー!もちろんラベルにははっきりとKacher (カシェル、Cacher をKで書く場合もあります)。400ml入りの瓶で8.5ユーロ、レストランなら良心価格でありましょう。 〆のデセール(Dessert)ですが、ココんちのフランス人♂はなぜかキャラメルソースが嫌いなので私は外出時にキャラメルソース関連を口にするようにしています。いと哀れ。 ![]() 最後に珈琲を飲んでカシェルなお昼を終了しました。隣のカシマシおばちゃんズは私より一足先に席を立ちましたが、その時も 「Bon appétit! Bon journée! 良い食事を!良い一日を!」と声をかけてくださいました。礼儀正しいおばちゃんズです。当初私が入店した時には「このオンナ、爆弾持ってないか?」みたいな目つきだったのになあ。 というわけで、お腹一杯になって店を出ると隣にも看板が・・・・。 ![]() 次回はここに入ってみましょうかね。 【突撃!ユダヤん@Marseille】 * マルセイユでユダヤんなお散歩 * マルセイユでユダヤんなファラフェル * マルセイユ裏道の一見チュニジアんだけれど実はユダヤんなカフェ le 30 novembre 2005, André
先週の降雪以後、厳しい寒さが続いている南仏はプロヴァンス地方です。地中海沿岸でこれほど寒いとなるとアルプス、中央、ピレネー各山脈はもちろんフランス共和国のほとんどの大地が寒波に襲われていると言ってもよいでしょう。先週グルノーブルで凍死者が出て、昨日まですでに6人のSDF(住所不定者)が凍えて亡くなられました。毎晩、警察、憲兵隊、赤十字などがSDFを宿泊施設に移動させるために探し歩いても、どうしても見つけ切れないようです。
そんな寒さが続く27日日曜日夜、France 2 で「戦場のピアニスト」が放映されました。2002年カンヌ映画祭でパルムドール(金賞)をもらったこの作品を以前から観たいと思っていたので、3年後こうして地上波で鑑賞できたことはとてもうれしかったです。そういううれしい感情とは裏腹に、映画の内容は第二次大戦時のポーランドでのユダヤ庶民の生活について淡々と描かれていたので、干渉後には考えさせられることが多々ありました。鑑賞後2日経った今も脳味噌やこころに沸く凸凹をできるだけ滑らかにしようという作業が続いています。この映画の舞台は第二次大戦時のポーランドに建設されたゲットー(ユダヤ人居留区)であり、それから60年後、今から1か月前の10月27日夜9時丁度に暴動が勃発したパリ北東部の町も「ゲットー」という表現で当初何度もテレビで流れました。数日後、この言葉はなぜか突然公共電波から消え去り、暴れん坊ズが住む居留区はQuartier difficile (カルチエ・ディフィシル、難しい居留区)という語に変えられました。 映画を眺めていると主人公のユダヤ系ポーランド人ピアニストの生活が変化していく中で、常に重要な要素となっているのは「衣食住」の「住」、次に「食」、三番目に「衣」のように思えました。衣服を雨風にさらさずに済むのも、スープをできるだけ熱いまま食べられるのも、風雪と寒さを凌げるのも、ナチスの目から逃れられるのも、屋根と壁があればこそです。そして彼はピアニストという職でありましたが、戦時中の極限では職も学歴も「衣食住」の後ろに続くものであったことは間違いありません(時には切り札に化しますが)。 暴動後の1か月を振り返ると、当初、放火などにあたふたした政府も「外出禁止令」を実行し更に3か月間に延長したことで、いちおう暴動は沈静化したようにも思います。ただ、車への放火が一晩で100台を切ったところでフランスは「ほぼ正常化」を宣言しましたが、日本で一晩に99台の車が放火されたらニュウスになるでありましょう。果たして現在フランス全土において一晩で何台の車が放火され、空き巣強盗が発生しているのかを庶民は報道で知ることができない、というだけです。 「ほぼ正常化」が公表された後、今回の暴動はあらゆる角度から分析が始まっていますが、「仕事がない」という暴れん坊ズやその家族と「支援者」による訴えは ▼アソシエーションの充実化が政府から提案され、先週はじめにはフランス国民に最も敬愛される女性No.1のカトリック修道女エンマニュエルさん(Soeur Emmanuelle) がカルチエ・ディフィシルのど真ん中に就労につながる補習校を開校すると宣言しました。今年97歳になるシスターですが、これぞ「Chapeau!(シャポ!脱帽!)」に値する行動力です。が、果たしてラジカルと言っていいイスラム教徒の親を持つ彼らがこのカトリック関連施設に飛び込むか?が明るい前途にさす影でもあります。 暴動を起こした理由として「最悪な住環境」を挙げていた暴れん坊さん達ですが、例えば「役所の就業経験」を登録すると、自らの住まいがある地域の清掃作業に派遣されることもあります。高層アパートの共有スペースの清掃や壊された郵便ポストの修繕も。廊下やエレベータのアンモニア臭や壁にこびりついて取れない痰やチューインガムの駆除など経験することで彼らは何かを学び取ることができるでしょうか。どう考えても、カルチエ・ディフィシルの環境の悪さはそこに住む住人のモラルの表れ、自虐行為としか思えません。 暴動直後、フランスのある地方都市の移民用住宅を全壊し再建する作業がテレビで放映されました。これは暴動がきっかけではなく、これまで何度も取り上げられているカルチエ・ディフィシルの再建、再開発のための作業です。 住まいについて今回のパリ近郊暴動で引っかかる点がもうひとつありました。政府が地方都市にカルチエ・ディフィシルの住居群よりより良い共同住宅を作り、パリ近郊の「ゲットー」とまで揶揄された地域に住む人々に引越を促しても、彼らが引越に応じないそうです。パリから西に1時間ほどのノルマンディー地方に建てた新築物件への引越を促しても拒む彼ら。一方で暴動を起こして、自らの住まい周辺を汚してでも「現在の住居への不満」を訴えている彼らです。 引越に応じてもらわないと、サルコが「あそこを一掃して再建する!」と言ったことも具体的に実行できません。日本ではサルコのこの発言が「移民の掃除」として伝えられましたが、実際フランスに住む人々にとっては、あの地区を一度整地して近代住宅を建て、共和国民の誰もが気持ちよく住める理想的な町を再興するのが最善策です。それは日本でも同じことです。21世紀、お江戸の再開発地域はおしゃれさが強調されていますが、古くから江戸を知る人にとっては「おしゃれ」というより「変われば変わるものだなあ」という感慨が先に立つ人だっています。 今年の夏、パリ旧市街のド真ん中で火災事故が多発しました。現在アパルトマンとして使用されている19世紀から20世紀にかけての建築物が全焼し、アフリカ系不法移民が多数亡くなりました。これらの歴史的建築物は外見はそのままに内装のみをリフォームしたり、昔からの状態のままで住居や事務所になっていますが、ここ数年、パリ旧市内の古い建築物における上下水道管の粗悪さは問題になっており、相当高額の家賃を払わない限り、パリ旧市内居住を希望する人々には上下水道管のトラブルにつきまとわれる覚悟が必要になっています。1960~70年代の建築物に住むカルチエ・ディフィシルの人々は花の都パリの美しい歴史建築物に単純な憧れを持っています。もし19世紀の一見美しい建物に引越したとしても、上下水道管に技術上衛生上の問題があり、共同スペースでの立小便や壁に痰やツバを吐きかけるのを続ければあっという間にそこは花の都のド真ん中であっても誰も立ち寄らない場所と化すでしょう。 確かにパリは美しいのです。 私自身、初めてパリ市内に入った瞬間、凱旋門を目の当たりにしての感動は忘れられません。フランス共和国の首都であるパリは世界に向けて開くショーウィンドウ都市でもあります。多くのフランス人が「世界で一番美しい都はパリだ」と口にします。本当は収入が悪くて海外旅行ができないのに、これを口にして「だから、私はフランスで大満足なのさ」と〆たりします。 今回、暴れたパリ北東部に住むお子たちも彼らの家族も地下鉄やバスに乗ればお気軽簡単に花の都パリに行けるし、日帰りも、数度往復も可能です。この世界一美しい都を気軽に訪問できる魅力は彼らにとっても捨て難く、こうして一度パリに住んでしまうと地方都市への引越は「都落ち」という感覚になってしまうのかもしれません。 世界一の観光収益都市であるパリ市内の家賃はフランス国内ではもちろん一番の高さで、パリの後ろに控える高額家賃都市はニースとエクサンプロヴァンスになります。1999年当時、私はエクサンプロヴァンスの旧市街ど真ん中、Studio (ステュディオ)を約54000円/月で借りていました。19世紀頃の建築物、エレベータを利用できる3階南向きの部屋でした。同じ家賃でもパリだとこの条件と同等を見つけるのは限りなく難しくなります。が、エクスから車で20分も離れると同額の家賃で3DKの部屋を借りることも可能です。 この家賃格差が人によっては心理的に作用して「私は(パリ、ニース、エクスなど)旧市内に住める」という「私はできる」という選民的感覚に変化します。 確かに不動産屋さんも外見が美しく歴史ある物件を紹介する時に「ドラマチックな生活ができますよ」とおっしゃいます。そりゃあ、物件を訪ねれば高さ5mはあろう天井と3m近いフランス窓、天井の簗も印象的です。が、床はすでに斜め(住まいによっては平衡感覚を失うほどの斜めです)なのでドアと床の間から冷たい隙間風が入り込む、床と壁の穴からごきぶりや蟻が異常発生することもある、水漏れは当たり前、水道管の流水の音もけたたましい、上の階の住人の足音や椅子を引く音は耳を押さえたくなるほど大きく響く、など難点が多々あります。私は現在1975年建築のアパルトマンに住んでいますが、古いアパルトマンで起こりがちな前述の問題を経験せずに住み続けています。アパルトマンの外見は18、19世紀のものと比べれば何の飾りもないのでシャビーに見えますが、住まい空間の快適さは雲泥の差で近代建築の方がよろしい。不動産屋さんが勧める「クラシックな空間でのドラマチックな生活」は私にとっては一年で十分でした。 私のような経験をしてしまうと、パリ旧市街のクラシックなアパルトマンの法外(暴利とも言える)家賃と不快と言っても過言でない住空間のアンバランスは納得行きませんが、そういう悪条件であっても世界一美しい花の都パリに住みたい、いや、私は住むことができるのだ、と動かないままになってしまう人々も多々居るのです。 水道管から出てくる水に不安を覚えるフランス人たちは次々とパリ郊外に引越し、結局、現在のパリ旧市街は何が何でもパリに居続けなければならない理由がある人、パリ市内に建つ何の問題もないアパルトマンの超高額家賃を払える人々が主な住人になりつつあります。テレビに登場するような高額所得の有名人でさえ、郊外の庭付き一戸建てやシャトーを購入しての生活を選んでいるのです。 もしパリから小1時間とは言え地方に引っ越せば、首都であるパリやその近郊の生活より不便になるのは必然です。それでもフランスの地方での生活はパリのように教育格差に悩むこともなく、物価もべらぼうに安い、住人も素朴で親切です。日本國ではしばしばパリジャンの意地悪さが話題になりますが、パリジャンは外国人だけでなくフランスの地方出身者にも意地悪で、パリジャン以外のフランス人はパリジャンにいじめられた経験がある人が多いのです。 暴れん坊さんたちに政府が提案したノルマンディー地方なら長距離バスでもTGV(新幹線)でも1時間ちょいでパリに行けます。私が住む南仏だとパリまで飛行機で1時間半、TGVで3時間強なのでパリに行くのは日帰りも無理ならば、パリに行きたいと欲しても宿泊やら高い物価やらと上京は庶民にとって億劫な条件ばかりです。 他人事ではありますが、カルチエ・ディフィシルの「住空間や教育の悪条件」を口にする暴れん坊さんとその家族は政府が提案する地方都市のアパルトマンへの移住を考えてみてもいいのではないでしょうか。「住めば都」となるかもしれません。これまでパリ市内に住む方々の暴れん坊さん達への印象を見聞していると、どうしても「パリの外環に住む人々」、「普段パリ市内で見ない人々」という固定観念があるように思います。国際波止場と空港を持つとは言え、ショーウィンドウ都市ではないマルセイユの方が「庶民のためのコスモポリタンシティ」としてのバランス取れた感覚は花の都おパリよりはるかに洗練されているように私には思えました。 そして1か月前暴動が勃発したパリ郊外のSeine Saint Denis 県のNeuilly-sur-Marne(ヌイイ・シュル・マルヌ)という町でモロッコ系18歳のChahrazad Belayni(シャラザァド、アラビア語系の名前)さんという女性がパキスタン系の男性から申し込まれた交際を断ったために、この男性に公道で火を放たれてしまいました。全身火傷60%のまま2週間経った今も彼女は昏睡状態です。この事件も「普通に見えないフランス人」の男女の恋愛がもつれて発生したものであり、マスコミによってはMachisme (男性の権威主義、欧州ではイスラム教に色濃く残るといわれています)によるものだとはっきり発表しました。火達磨になって燃え続けている彼女を助けたのは「普通に見えるフランス人」の男性であり、27日、日曜日に地元で行われたMarche silencieuse (沈黙の行進)でも生死の境をさまよう彼女のために涙したのは普通に見える、見えないにかかわらず、かつて高校でシャラザァドさんと机を並べたクラスメートたちです。シャラザァドさんを救うためにこうして動く人々の怒りも涙も、人種や出身地に区別されることなく彼らひとりひとりの良心によって表現されたものであります。交際の申し出を断られた男性が女性に火を放ったという行動に抗議するデモの目的にはフランス共和国の第四の標語とも言われるSolidalité(連帯)という語も掲げられました。イスラム型の男尊女卑傾向をフランス共和国をはじめとする欧州各国でどのように扱うのか、というのも移民問題やトルコのEU加盟を踏まえて改めて熟考せねばならない課題でもあるようです。 le 29 novembre 2005, Saturnin
日曜日の夕方、薄暗くなった頃、隣町のパン屋さんまでパンを買いに行きました。いつもたいていパン・ド・カンパーニュを買い、スライスしてもらいます。お店のマドモワゼルがパンをスライスするために奥に行ってしまった間、お店を見回すと
![]() viennoiserie (ヴぃえのわずり)と呼ばれるおやつパンです。1945年からイタリア系のムッシュウが経営するこのお店のクロワッサン(中段左)は0.70ユーロ、90円くらいです。 ヴぃえのわずりの定番と言うとクロワッサン、パン・オ・ショコラ、ブリオッシュで、これはフランス中どこのパン屋さんに飛び込んでも必ず売っています。ところがココんちの隣町のパン屋さんにだけ売っているのが下の写真奥の ![]() つまりチョコレート入りクロワッサンです。 もちろん定番のパン・オ・ショコラも売っており、パン・オ・ショコラとクロワッサン・オ・ショコラのどこが違うのかと食べ比べてみましたが、おそらく だけではないかと思います。このクロワッサン・オ・ショコラですが、私が住む町のパン屋さん(20軒くらいあります)のどこにも売っていません。1999年1月から南仏プロヴァンス地方東西南北あらゆる町のパン屋さんもスーパーマーケットのパン屋さんも覗いていますが、パン・オ・ショコラは必ず置いてあってもクロワッサン・オ・ショコラはまず店頭に出ていません。ところが隣の本当に小さな町にあるパン屋さん4軒全てにクロワッサン・オ・ショコラが売っているのです。・・・なぜだろう?形違えど口に入れれば同じ風味のチョコレートパンを二種類作るのはどうして? 隣町のパン屋さんの店頭でクロワッサン・オ・ショコラを見つけるたびに「この町でないと食べられないわ」とつい買ってしまいますが、謎のクロワッサン・オ・ショコラを食べているうちに疑問なんてどうでもよくなってしまう鶏頭の私です。 美味しければ。 le 28 novembre 2005, Jacques de la Marche 【関連*参考】 * これが「フランスのパン」だぢょ。 * 僕らはみんな生きている。生きているから食べるんだ。
今年も11月26日土曜日の日没からカトリックの暦で待降節に入ります。
待降節というのはクリスマスを迎えるための準備週間であり、その年のクリスマスの曜日によって待降節が始まる日も変わります。今年は11月27日、12月4、11、18日がそれぞれ第一~四待降節と呼ばれます。 土曜日朝、地元のスーパーマーケットに行ったところ、入口の両脇に複数の人がビニール袋を持って立ち、入店しようとする客にその袋を渡していました。これも毎年第一待降節が始まる土日恒例の行事で、赤十字社をはじめとする福祉団体がフランス国内の弱い人々のために何か食料をビニール袋の中に寄付してください、という企画です。今日の私は夫の意見でパスタを寄付しました。活動していらっしゃる方々の背後に仕分けされたダンボールがあり、私達が差し出したパスタもすぐ箱に納められました。 ![]() 先週11月20日の「Christ Roi (王たるキリスト)」の祝日がフランスにおける大々的福祉活動の開始日にあたりますが、20日から赤十字やスクール・カトリック(日本ではカリタス・ジャパン)などが、無料宿泊所、無料レストランを常設しており、一方で政府は警察や憲兵隊によって路上で夜を明かそうとしている人々に声をかけ、これらの施設へ移動することを促しています。毎夜の路上生活者探しはこうして政府と民間が一体となって続けられています。 【参考】 フランス赤十字社 : Activation du plan "Grand froid"また屋根の下で生活をしていてもいろいろ苦労ある方々(例えば先日の「暴れん坊」団体のご家族など)も無料で食料を受け取れる窓口が各地に開かれています。 【参考】 Les Restos du Coeurテレビ番組もこれからクリスマスまでは視聴者に寄付を募る主旨の番組が次々と放映されることになっています。昨晩はTF1 で前述のLes Restos du Coeur の番組が放映され、国営放送では来月2,3日、30時間に渡って毎年恒例のTéléthon テレトン が放映されます。この番組は毎年夏日本で放映される番組に似ているかもしれません。 今日の私はパスタ(乾麺)しか寄付できませんでした。お財布と相談したらこれが精一杯でした。乾麺は生で食べられません。美味しく食べるには茹でねばなりません。スーパーが閉店後、赤十字のヒトが私の乾麺を無料宿泊所かレストランに持っていくことになりますが、私の乾麺も誰かが寄付したコンソメや野菜、肉や魚と出会ってスープになるかもしれません。いえ、スープなんてものでなくても茹でられて、誰かが寄付した塩とバターとチーズを和えて食べることになるのかもしれません。私はその調味料やら野菜、肉魚を寄付した人は誰なのか知ることもできませんが、ひとりひとりができる範囲の優しい気持を提供した単品はボランティアの手によって料理と変わり、空腹のヒトの胃を温かく一杯にすることができるのです。良いことですよね。うれしいことですよね。 【参考】 12月は『施しの月』 le 26 novembre 2005, Delphine
子供の頃、学校での休み時間、友達との雑談で「おうちの話」になったことがありますか?
「どこにすんでいるの?」などなど。私ももちろん経験があり、その質問について素直に返事をしていました。ところがある日、母親から「おうちのことを誰にでも話していいものではありません。」と注意されました。初めてそう注意された時、私は母の注意を100%理解していませんでした。それでも成長して他人との関係が広がっていくうちにだんだん世の中というものは常に自分中心ではないということがわかってきました。 とは言え、日本で生まれ育った私は各家庭の構成が千差万別であると知りながらもどこか自己中心で、確か公民という授業で習った記憶がありますが「家の基本」というのは家長(世帯主、たいてい父親)、その妻と二人の間の子供たちだと信じたままフランスに住むようになりました。 ■■■■■■十■■■■■■ 先日、このようなフランス暴動関連の記事を読みました。 「暴動と一夫多妻は無関係」・仏政府報道官 フランスで続く暴動の原因として移民の「一夫多妻」や「家族呼び寄せ」への批判が与党内などに強まり、仏政府が苦慮している。コペ政府報道官 は17日に「一夫多妻と都市暴動に密接な関係は認められない」と強く反論した。 議論の端緒となったのはラルシェル雇用問題担当相 の「一夫多妻の家族出身の若者は父親の影が薄いため問題行動を起こしやすい」との15日の発言。仏与党、国民運動連合(UMP) のアコワイエ国民議会(下院)議員団長も「一夫多妻は間違いなく暴動の原因の一つ」「複数の妻を持つ移民がたくさんの子供をフランスに呼び寄せている。移民の数が多すぎるから同化が難しくなる」などと主張している。 フランスは一夫多妻を禁止しており、2人以上の「妻」の呼び寄せを1945年以来認めていない。だが仏 ルモンド 紙によると、仏国内で約3万世帯が事実上の一夫多妻との推計がある。 (日本経済新聞社HP 11月17日11:34より引用) 今回のフランス暴動が落ち着き始めてからフランスでは政治、経済、労働、生活、心理、教育などさまざまな角度から検証が始まっていますが「Polygame(ポリガム、一夫多妻)」も挙がったようですね。 こんにちは私の元クラスメート、ララについて書いてみようかと思います。 ■■■■■■十■■■■■■ ララは2002年夏、私が通うことになった職業訓練校で出会った女性です。フランスの学校では授業開始初日に自己紹介をするのが習慣ですが、ララは自分の番になって「自分はセネガル国籍(のみ)で年齢は40歳」とフランス語を話すアフリカ圏出身の人独特のゆったりとした口調で発表しました。そこで教授が「いや、あなたの年齢は45歳でしょう?すでにもらった滞在許可証コピーにそう書いてありますよ。」と指摘したところ、ララは「ムッシュウ、私は40より大きい数字を知らないのです。」とはにかみながら返事しました。 職業訓練校では毎週月曜日から金曜日まで、フランス政府が決めた国民の労働時間に従って受講者は校内に拘束されます。これを守ることで就職希望をするために職業訓練を受ける者に政府機関から就学手当なるものが支給されます。共和国民でも複数国籍者でもない外国籍のみの者でもヴィザに「共和国民と同等の就労権利あり」と明記されていればこの手当をもらうことができます。 ありがたいことです。週末以外、朝8時半から夕方16時半クラスメートといれば雑談もします。そのような日々が繰り返されるうち、ララの家庭の話にもなりました。 ■■■■■■十■■■■■■ ララはずーっと前、夫と二人、セネガルからフランスにやってきました。セネガルには子供二人を置いてきました。フランスでの生活はまず最初に南仏の小さな町のZUP(移民用住宅)に住み、その後2度引越を経験、今は最初のZUPよりは環境のよいZUPに住んでいます。フランスに住み始めてからララは二人の子供を産みました。まず彼女の夫がANPE(職業安定所)に登録し、職業訓練校の「労働を目的としたフランス語習得コース」に行くことになりました。ところが彼はここでの時間拘束や勉強に馴染めず、ANPEに相談したところある市役所の公共清掃の仕事を紹介されました。身分はMi-temp (ミタン)と呼ばれるパート扱いですが、学校に閉じ込められるよりはマシと考えた彼はこの仕事を試してみることにしました。始めてみると、グループに分かれて毎日トラックに乗って市内を周れる、周っているうちにいろいろ見聞できる、とどうも彼の興味のツボにはまったらしく、今も彼はこの仕事を続けています。 子供二人も幼稚園、小学校に入り、夫の仕事が落ち着いたところで今度はララがANPEに登録しました。「永遠に40歳」のララも読み書きが不自由なので夫がかつて通った学校に行くことになりました。 ララが初日に覚えたことは鉛筆を持つことでした。手の角度がどうしても鉛筆を持ち慣れた人のように納まりません。そして鉛筆の運び方がわかりません。先生が黒板に書いたことをマネしようとすると、どうしても筆を書き始めに何度も持って行きなぞらえてしまうのです。 日本だと書道で迷い筆はしてはならないことですが、水彩画を描くとすれば何度も同じ場所を叩いたり、なぞったりするでしょう? ララは水彩画を描くように字を書いていました。 それでもララが自宅に戻ると、学校で似たようなことを学んだ子供二人がララに手取り足取り要領を教えてくれるのだそうです。ララは母親として子供とこういう時間を過ごせることを知りうれしかった、と私に話してくれました。 ■■■■■■十■■■■■■ ある日、ララの口から彼女の夫が近々セネガルに里帰りするという話が出ました。それを聞いた教室内の誰もが当たり前のように 「ララも一緒に行くんでしょ?子供に会いに帰りたいでしょ?」と質問しました。するとララが私達からの質問にこう返答しました。 「夫は第三夫人と第四夫人に会うために里帰りするのです。」と。そして今まで私達が疑問に思っていたララ夫妻が就労、就業している間、誰が彼らの子供二人の面倒を見ているのか? なんと近所に住む夫の第二夫人でした。 それを聞くなり教室がしーんと静まり返ってしまいました。マグレブ系のクラスメートは「あなたの国にはまだその習慣が残っているの?私の母国ではその時代は終わったも同然だし、ここフランスではポリガミ(一夫多妻)は禁止されているのよ」と哀れみの心を込めながらもどこか厳しい口調でララに言いました。 イスラムの教えが濃く残る母国を後にしてフランスに移住したマグレブ系の女性陣の説明によると、イスラム教では確かに一人の男性が4人の妻を持つことができ、うち2人は異教徒(ただし一神教、つまりユダヤ教とキリスト教を指す)でも良いとされていますが、条件として夫は4人の妻に常に精神的にも金銭的にも平等であることなのだそうです。ですから石油が出て大金持ちになったり、権力を手にした王様なら一夫多妻は可能でも、マグレブなど決して裕福ではない国に生きる普通のイスラム教徒男性が4人の妻を持つことは財布の中身と相談すれば難しい、だから廃れてしまったのだ、と。つまり信仰に真面目だからこそマグレブでは一夫多妻制は廃れてしまった、ということです。もちろん西アフリカ のセネガルも裕福な国ではありません。だからララと夫は労働移民としてフランスにこうして住んでいるのです。ところがアミニズムとイスラム教が都合よく交じり合っての口述のみで布教伝播されたイスラム教です。 なぜかセネガルでは貧富にかかわらず一夫多妻制が残り続けているのです。 ■■■■■■十■■■■■■ ララは生まれてから一度もレストランに行ったことがないそうです。彼女の夫は働いたお金をセネガルに残る2人の夫人のためにも節約し、里帰りのための土産は何にしよう、などとララの前でもウキウキしてしまうそうです。ララには「私達が置いてきた二人の子供は第三夫人、第四夫人が面倒見ているではないか?」と言うそうです。マグレブ系アラブ(アルジェリア)移民の女性がぽつりと 「ララ、あなた、かわいそう。気の毒よ。」と言った途端、ララの真ん丸いきれいな瞳から涙がぼとぼとこぼれました。 ララとマグレブ系女性陣達のやり取りは私の知らないアフリカの話でもあり、イスラム教についての話でもあったので私はしばらく黙って聞いていましたが、ララの目から涙が吹き出た時にはそれはアフリカやイスラム教にはまったく関係なく、ララが「女性」なんだ、とはっきりくっきりわかりました。ララは妻であり母親であるけれど、それは女だから。ララの目から涙が吹き出た途端、教室内のみんなの目からも涙がぽとぽとこぼれてしまいました。 ■■■■■■十■■■■■■ ララと私が時を分かち合ったのは約5か月間でした。彼女の読み書きの習得は目を瞠るほどで、彼女の脳が勉強する喜びを覚えたのは確かでした。アルファベットで書かれた地名をたどたどしくも読めるようになった彼女を見て教授が大喜びしていたのも印象的でした。教え甲斐あったでしょうね、教授にしても。彼女の家庭はRMIste(最低生活保障)なので、その後も政府からRMIste手当をうまく利用しての就学延長が認められました。 一年以上過ぎた時、街中でララに突然声をかけられました。なんと商業地区のファミリーレストランに就職したそうです。レストランに行ったこともない自分がレストランに勤められるなんてうれしい、と彼女は言いました。仕事前に仲間と賄い食を食べるのも楽しいそうです。そして彼女の夢は子供達2人がフランスの学校で一生懸命勉強をして、将来セネガルに錦を飾ってくれることだそうです。 「できれば大統領になってもらいたい」ララは私に何度もそう言いました。私もそう願ってるよ、ララ。 ■■■■■■十■■■■■■ 以上、私の知る「一夫多妻」移民の話でした。文頭のようにララの子供達も学校に行けば、おうちの話にもなるでしょう。無垢な子供達の会話でララの子供達がどのように家族関係を話しているのでしょう。例えばララの代わりに第二夫人がララの子供を学校に迎えに行きます。友達の誰かが「あの人、誰?お母さんじゃないよね?」と質問したら、子供はなんと返事するのでしょう。 そんな日常の子供の話に政府という団体が目を光らせるのは難しいことです。そしてこの会話で子供によっては聞く方も聞かれる方も「家族のかたち」なるものについて肯定も否定もでき、それが心理によってはネガティヴに心に働きかけることもありえます。日常の生活の中でお母さんの目からこぼれる涙を見れば子供なりに感じ取るものがあるでしょう。もしその心象がネガティヴな感情となって心に刻まれたまま子供が成長した場合、上述の新聞記事に書かれているように「暴れん坊と化す」こともあり得るのかもしれません。 そして今、フランスに住んではいてもガイジンである私が日本での一般的「家族のかたち」という尺度で彼らアフリカ諸国からフランスに移住してきた人々の「家族のかたち」を単純な断定で「良い、悪い」と決め付けることもできません。 「一夫多妻」を法律で禁じているフランス共和国でも人権団体の意見などを受け入れて、ララの場合のように移民の第二夫人までの同伴を認めているというのが現状だそうです。他国の生活、文化習慣をどこまで尊重するのか、も外国人労働者を受け入れる国が慎重に考えなければならないことであることは間違いありません。 le 24 novembre 2005, Flora
今朝も7時過ぎ、猫に起こされました。冬時間の南仏の朝7時はまだ夜明け前なので、今日の天気の予想もつけないのですが、今朝は8時を過ぎてもどんより、ほんの瞬間といえど薔薇色に染まる夜明けを拝めませんでした。
そして午前9時過ぎ、なんと南仏に似つかわしくない重たい空から粉雪が降り始めました。 ![]() 私が初めてフランス旅行をしたのは丁度今頃でした。11月下旬。 滞在二日目の朝、雪が降りました。ホテルの窓からパリの町が見渡せ、リュクサンブール公園やパリ刑務所が雪のせいでぼやけて見えたこと、目の前に広がる灰色の濃淡の世界がなんとも美しかったことは今も鮮やかに脳裏に蘇ります。巴里の初雪がやがて止み、街に飛び出ると、噴水につららができていて太陽の光できらきら輝いていたことも印象深い景色でした。 実はここ数日、フランスの秋と冬の境目はいつだろう?と考えたりもしていました。今度の土曜日夕方から始まる待降節で冬の訪れを告げるべきでしょうか。それともこんにちの初雪で「冬の到来」といたしましょうか。 ![]() それとも・・・・ ![]() 写真のミントティーも水煙草パイプもワインもココんちの隣町のレバノン・レストランのものです。私の住む町は港町マルセイユからも近く国際空港もあるので、自然、周辺の町には移民が多く住んでいます。「一見普通のフランス人」に見える人もイタリア系、アルメニア系、スペイン系、ユダヤ系などが多く、フランスっぽい苗字を持っている家庭の方が珍しいと言っても過言ではありません。 ココんちの隣町には大きなレバノン・コミュニティがあります。現在のレバノン はイスラム教国のように語られていますが、かつてはキリスト教(マロン派を主)が多数をしめる国でありました。いつからか日本國ではレバノンにはまかり間違ってキリスト教徒が政権を治めた時代があると語られていますが、現在もレバノン国会は宗教バランスを第一に考えたものです。その一方でキリスト教徒居留区でイスラム教徒による自爆テロが現在に至るまで続いています。 1943年独立するまでフランス統治下であったことから1975年内戦勃発で多くのレバノン人が宗旨の区別なくフランスに移住しました。約30年が過ぎ、地方小都市で飲食店などを家族経営しながら静かに生きているレバノン人もいます。彼らから「フランスに移住するまで」の話を聞けば、マグレブ系移民の苦労と並ぶほどの苦労です。マグレブやアフリカばかりがフランス共和国における「不幸の代表」「最貧民」ではありません。 不幸自慢をしたがる人、不幸を話すことを躊躇う人、それぞれの道徳やメンタリティの表現方法の違いなんでありましょうなあ。私にとって不幸自慢する人は平行移動かも。 le 23 novembre 2005, Clément おー、日本はラグビー慶早戦だあっっ! 「誰か嫌いな人がいますか?」人間誰もこの世で人生を送っていれば、一度や二度、三度や四度、こういう会話をした経験があると思われます。そして原罪を持つ人間ならば誰にでも苦手なヒトはいるものです。でもなぜ苦手なのか、その理由はあるでしょ? こんにちはこのような前振りで話を進めてまいりヤす。 フランスに住んで再来月で7年になりますが、日常においてフランスで生活する人々と雑談を重ねていくうちに、我が母国・日本國について驚かれることがあります。 それは「ユダヤ系日本人はいない」ということです。日本国民には複数国籍が認められていないので、日本国籍を持つ場合は平らに等しく他国籍を諦めねばなりません。現に私もフランス国籍を申請できる条件を持っていますが、日本国籍を持ち続けるためには10年に一度書き換える「配偶者ヴィザ」でフランス共和国民と同等の労働許可が明記されたヴィザを携えてこうして生活しています。もちろんフランス共和国選挙権は中央、地方共何ひとつ持っていません。 100人中100人のフランス人に「ユダヤ系日本人はいない」と言うと、まず最初に「C'est pas vrai?(=うそでしょ?)」と驚かれます。更に続けて「本当に一人もいないの?」と質問してきます。夫の家族もそうでした。 「ユダヤ系がいない国がこの世にあるなんて!」「そりゃ、駐日イスラエル大使はイスラエル人です。」と私はいつも返事をします。でも彼は日本で働く外国人です。日本国籍を持った人ではありません。 フランス人がこう口にすることは悪口でも差別でもありません。子供の頃、カトリック教会の公教要理(現在もフランスでは公立学校においても毎週水曜日が公教要理学習日に当てられています)で学んだことに対する素直な疑問なのです。 確かに旧約聖書を開けば創世記22章17節に 『私は大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫を増やして、と神さまがアブラハムに約束をしています。同じように旧約聖書創世記16章10節で、アラブ人の祖イシュマエルの母ハガルにも天使によって子々孫々の繁栄を約束されています。 『わたしは大いにあなたの子孫を増して、数え切れないほどに多くしましょう』はい、天使がおっしゃったように増えてますよ、「アラブの血」を引く方々は。フランスでも天使のお告げに従うため、日々実践、励んでおりますぞ。 兎に角、子供の頃学んだ聖書の話に基づいて、「普通に見えるフランス人」はアラブ系もユダヤ系もこの世に一杯なんだ、と思い込んでの素朴な質問を「ひとりもいないよ」と主張する日本人に投げかけていることになります。 おそらくユダヤ人移住の東限はかつて上海に存在したユダヤ人租界ではないでしょうか?日本国籍を取得し、それまでの国籍を捨てたユダヤ人はいるのかしら? 第二次大戦中の杉原千畝氏の件を含めてもユダヤ人は日本を通過するだけで日本永住は難しかったのでは? 昨年初夏、私が通っていた国立職業訓練校で私が見聞したことです。 ある日の教室、クラスメートとの雑談でこの話になりました。 「日本にはユダヤ系日本人はいないのよ」私のクラスには全12名の研修生中7人のイスラム教徒女性がいました。アルジェリア3名(ベルベル2名、カビル1名)、モロッコ2名、チュニジア1名、トルコ1名という構成です。私が「日本にはユダヤ系はいない。」と言った途端 「うっそー!?」と大騒ぎです。更に続けて「ね,アラブ人は?日本にアラブ人はいる?」と質問してきたので 「アラブ系日本人はいないけど・・・日本で働いて母国に送金していると言葉を選んで私は返事しました。 「きゃあ!本当?凄いわ!日本で働いて家に送金するなんて!!!!!」歓声にも聞こえるこの騒ぎはおさまりません。それでもいつかは天使が通る瞬間が訪れます。やがて天使が教室内を横切った瞬間、つまり偶然にも全員が息を吸った瞬間とでもいいましょうか、私は頬を紅潮させてまで歓喜する彼女たちに 「なしてユダヤが日本にいないのがいいんだ?と質問しました。もちろんいつもどおり理由は戻ってきませんでした。理由が見つけられないのです。彼女たちが私の質問を聞くなり、互いに目を合わせ、私に返した言葉は 「とにかくユダヤはだめ」なんだそうです。私は生まれてからこの時まで理由なく他人を「嫌い」どころか「No!」と口に出す人に出会ったことはありませんでした。 地中海東岸のパレスチナという土地で、イスラエルとパレスチナの深刻な問題があることは事実です。それは地球上の多くの人が知っていることです。(知らない人ももちろんいます) でもクラスメートの話を聞いていると、母国でもユダヤ人を見たこともない、話もしたこともない、ただモスクや学校、親の話で「ユダヤ人はだめ」とだけ聞いて育ったから、「ユダヤ人(という塊)はだめ」なんだそうです。しかも読み書きが不自由な彼女たちはそう耳から聞いただけで、「なぜユダヤ人がダメなのか?」という理由を調べる術を持っていません。無垢に無邪気に「ユダヤ人はダメ」と信じ込んでいるのです。 もしマルセイユの街中で転んで、自分のポケットから小銭がいくつも零れ落ちたとします。それをすべて拾って、一銭もくすねることなく手に乗せてくれ、私はナニジンであろうと感謝しますが、彼女たちはそうじゃないんですと。 この国立職業訓練校の敷地内には中卒程度の学歴から博士課程修了者用の専門職訓練クラスまで存在します。わがクラスメートであった彼女たち7名がそれぞれ目指す上級のクラスに昇れば昇るほど、教室内にユダヤ系研修者が増えていきます。現に私は校内でオーソドックスのユダヤ系(黒服、黒帽にひげもぢゃ)男性を数名見かけているので、校内には私服のユダヤ人(世俗)だって多数いるはずです。 彼女たちは近い将来、おそらく同じ教室内でユダヤ系クラスメートと数ヶ月を共にすることになるでしょう。そこでどういう態度を取るのでしょう? 「charm (魅力)」という語があります。 神さまは人間ひとりひとりに「万別のcharm」を与えます。ナンピトであろうと人間は互いの魅力に惹かれあうものです。 私達は国籍や人種の看板を背負って歩いているわけではありません。 私の場合、いつも日本人ではなく他のアジア国人に間違われます。数年前、銀座の歩行者天国を夫と散歩していたら、ピーター・フランクル氏が大道芸を出していて、沢山の見物客が集まっていました。私達ふたりもぼーっと眺めていたら、なぜか彼が夫ではなく私を指名し、私を舞台に引っ張り出しました。英語で質問してきたので「・・・あのぉ、私は日本人です」と言った時の彼の「アッチャー!」という顔・・・今も忘れられません。肌がまっくろけっけだった私は美白流行の日本であまりにも異国人だったのかもしれません。 ま、そんなことはどうでもよくて話を戻します。たとえば私のクラスメート(イスラム女性陣8名)は昇級したクラスで、偶然隣に座った魅力ある人物に興味を持ったとしても、数日後にその人がユダヤ人とわかったら、その人の持つ個人の魅力を評価せず「ユダヤ人だから」という理由で態度をひるがえすのでしょうか? そんな悲しい話があるのでしょうか?そう思うと、不安になりました。 かつてどこの国の出身であっただろうと、肌の色が何色であろうと、アラブ系でも、ユダヤ系でも、今はフランス共和国民です。その精神で共和国民として互いの友情や愛情を深めている人々もいれば、悲しいかな、わがクラスメートのようにいまだに理由なく他人を毛嫌いしている人々もいます。 フランス共和国ではアラブ系とユダヤ系の婚姻も多々あります。共和国民同士の結婚です。「宗教は?」と突っ込みたくもなりますが、それは彼ら二人の問題です。幸せになろうとする二人ならばより良い道を作っていくことでしょう。新天地で生きるということは過去にすがらず、新しいより良い快適なスタイルをひとりひとりが生み出すことでもあります。それでいいと思いませんか。 le 22 novembre 2005, Cécile
フランスから東へ10000km、日出づる國でのロジックを表現するとこのタイトルのごとくでありましょうか。返す言葉もございません。・・・いや、やっぱり返す言葉があります。
馬鹿言ってンぢゃないよー!っときたもんだ。 先月27日夜9時丁度に始まったパリ郊外暴動ですが沈静化されているようです。先週、フランスの報道では「一晩で車や公共物への放火が100件を切ったのでこれは平常通りだ」と発表されました。この発表で気づいたのはフランス共和国では一晩で100件未満の放火は平常だ、と言うことでした。世界一の治安国家だった日本國育ちの私としては一晩で車100台放火は戦慄ニュウスなんでありますが。そう思うと日本がパリ郊外暴動についてフランス本国とは的外れな発想と展開で大騒ぎしたのがわかるような気がしました。 お気づきかと思いますが、今回の暴動のきっかけは27日夜9時丁度に始まっています。その後、警察の職務質問に返事せずに逃げた未成年者2名がトランスに飛び込んで感電した、と日本では報じられましたが、フランスでの第一報は午後9時丁度にトランスの同時切断が行われた、ということです。実行した人物は3名で、内二名(チュニジア系、マリ系)が感電死、残る一名(トルコ系)は救急で入院し、当初Coma (昏睡)と報道されました。(現在の容態は私は知りません)。 何度も書きます。日本國とフランス共和国は違います。これまでも「差別」という語自体、意味がまるで違うと述べましたが、「政教分離」という言葉も日本語にすれば同じでも意味がまったく異なります。どこが異なるのか、と言うと近年、日本における「政教分離」は「宗教否定」を連想します。が、フランスにおける政教分離(laïcité ライシテ)は宗教を否定するものではありません。例えば毎夏シラク大統領が夏休みを取りますが、ニュウスでは大統領夫妻が教会のミサに出席、その後地元民に歓迎されるところまで伝え、これ以降「大統領のプライヴェート」、一切報道されなくなります。他の政治家、芸能人についても経歴には宗教が書かれており、公に「無宗教」という立場は取っていません。 今年は第二次大戦終結から60周年の節目ということもあり、ユダヤ教施設での宗教儀式に政治家が出席することがしばしばあり、テレビでも放映されていますが、自身がユダヤ教徒でなくてもシナゴーグに入る際、頭上にキッパを置く男性が多々います。 「私は無宗教ですからキッパは乗せません」と言うよりむしろrespect (レスペ、敬意)を重んじて畏敬の念を表現するのがフランスの流儀だと言っても良いでしょう。そうするのも互いに信仰を持つが故の心理かもしれません。日本国内での政治家と宗教についての論争、更にそれが公私混同という論点にまで至っていることはフランスから見ると「ちょっと不思議」です。 さて、そんなフランスですがプロトコルを身に着けた高学歴のインテリ層とは程遠い、庶民になりますと不躾、無礼、失敬な人が増えます。そりゃ、ヒエラルヒーに当てはめれれば当然のことでしょう。日本國で好まれるフランスのイメージはヒエラルヒーの頂点を限りなく鋭角にして始まる然程大きくない三角形のように想像します。が、実際のフランスはもっと大きい△三角であり、土台となる底辺がしっかりしていればこそ国家が成り立っている・・・これは「ベルばら」を最後まで読めば誰でも理解できる共和国の原点であります。 でもって、日本國での今回の暴動についての分析ですが、頂点から限りなく小さい三角内に身を置いての足元に幅広く広がる下界を哀れみつつ表現していませんか? 喩えて言うならば、 ヴェルサイユ宮殿に押し寄せた庶民をバルコニーから見下ろすそう、ルイ16世王妃マリ・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ドートリッシュどす。 「パンをくれ!」と主食を庶民が叫び求めたらマリ・アントワネットが 「パンがなければお菓子を食べればよろしいのに。」とつぶやいたあの名場面。わたくしの頭には漫画ヴァージョンでも宝塚ヴァージョンでも浮かんでしまいますのよ。ほーほほほ。 ずばり言えば日本の報道は18世紀当時の王妃のごとく 「世間ズレしてんぢゃないの?」そりゃあ距離的に10000kmも離れていれば日仏の世間は違うでしょう。でも、延々と日本の世間での常識非常識で記事を伸ばすのは止めた方がいいように思います。報道にもコシが必要です。 話し戻って日本國における政教分離を「宗教否定」につながると仮定しつつ、一連の報道を読んでいると、フランス政府は「悪の権現」、暴れた人々は「悪の権現による圧政」に耐え忍ぶ「清らかな聖人」のように読めてしまいます。なんと言いましょうか、暴れん坊さんたちは「貧しく清らか、ゆえに悪いことなんて決してしません」という読者の思考停止を実はもくろんでいるかのようでもあります。 1905年政教分離法が施行されるまで壱千数百年カトリックを国教としていたフランスの思想ベースのひとつに「原罪を持たない人間はいない」というものがあります。つまり人間ならば誰でも罪を犯しかねない心を持っている、ということです。 今回の暴動のきっかけとなった地域はQuartier Difficile (カルチエ・ディフィシル、難しい地域)と呼ばれています。そこに住む人たちは「聖人ご一行」でしょうか? もしそう仮定するならば、それも フランスでは差別になります。なぜならば、この世に生まれた人間は肌の色が何であれ、どこの国の出身であれ、等しく原罪を持っているのですよ?これはカトリック倫理の根幹であり、政教分離したと言えどフランス国民の多く(70%強)が今もこの思想を心に刻んでいます。 日本國での報道はこの基礎倫理を無視しての表現や解釈をしていませんか? 罪科(つみとが)にはいろいろありますが、この暴動については「差別」がキーワードのひとつです。日本で力説される「貧困街の聖人(なぜかイコール暴れん坊)」がご自身で 「僕らはみんな差別されている!差別するから放つんだ!」と放火やら公共店舗破壊をこれでもかと繰り返し続けましたが、 彼らは差別されるばかりで差別していないの?という疑問がどうしても私のこころに浮かび上がってしまうのです。私が知る限り、差別していますよ、彼ら。というか、差別できる相手を常に探している人もいます(ヒトです、個人です。決して団体ではありません)。 例えば先日エントリーしたサッカー選手ジダーヌの過去。私には「貧困街の聖人」による差別、区別に思えます。 聖人ならばこういう差別を行っても許されるのでしょうか?東アジアから来た異邦人の私がわが良心に問いかけると決して許されませんよ、この話。 そして私に「アジア人は私と机を並べないで床を四つん這いになって拭いていればいい!」と言った女性はアルジェリア出身のマグレブ・アラブの女性です。「日本人のくせに中国語もしゃべれない」という愚まで公共のど真ん中で叫んでいましたね、この女性。「普通に見えるフランス人」の方々のアドヴァイスによりますと、こういう例は無知ゆえの罪科と許すのがカトリック的らしいです。 こういう言葉が宙を飛び交いはっきり耳に入った時に、同じ移民でも個々の意見が対立します。そりゃそうでしょう。人間は誰も良心を持っているのですから(これもカトリック倫理)。こういう「一見普通のフランス人」の約7割が持つ倫理ベースを頭に入れてもう一度、このエントリ↓を読むと考えさせられるものがあります。 あなたは公衆で笑われたことがありますか?この2つのエントリーでもわかるように、移民を一塊にすることも、イスラム教徒を一塊にすることもできません。この共和国に集う各個人の倫理道徳に問題があります。 弱者=聖人=何をやっても許されるインターネットを徘徊していると散見されるこの思考に不安を覚えるのは私だけでしょうか? 以上、フランス共和国のこれまでの倫理道徳に *人間は国籍人種に関わりなく、平らに等しく原罪を持つと知った上で、私が傍観した「貧困街の聖人」たちの喜怒哀楽、善行悪行を引き続き記していきます。Tout à l'heure!(トゥタロ、またあとでね!) le 21 novembre 2005, Présentation de la Vierge Marie et Dimitri
あなたの悩みを共に分かち合いましょう、と声をかけてみましょう、暴れん坊さんたちに。
と言うのが、主日のミサにおける神父さまの説教の〆の言葉でした。 それで知ったんですけれど、どうやらおらが町でも暴れん坊さんたちによる大出血火柱ハッスルショーが催されていたようです。昨日はミサ後、外に出るとがっしりした男性二名が駐車場の監視をしていました。駐車中の100台近くの車に火ぃ放たれちゃ困るからでありましょうね。 困るよ、ほんと。11月19日日没後、カトリック暦においてChrist Roi 「王たるキリスト」の祝日に入りました。来週末にはAvent 待降節に入るため、この日が最後のカトリックミサの通常営業になります。「王たるキリスト」とはどういう人格なのかと言いますと、王とは言え国民の上に権力をふるう支配者ではなく、弱いものを大切にし、一人一人に目を留めて世話をする牧者をさすそうです。この祭日を前に、先週からフランスのテレビCMではやたらと福祉団体による寄付を募るためのCMが流れるようになりました。こうして来月24日日没後始まるクリスマスまでフランスの人々が節制と施しをするひと月が今年も始まりました。 フランスにはCroix Rouge (クロワ・ルージュ、赤十字社)の他、下記3団体が世間に知られる総合福祉団体です。 * Secour Catholique : カトリック系 * Secour Islamique : イスラム系 * la Tsédaka : ユダヤ系 * Secours Populaire : 全宗教を受け付けない人々系 HPを見れば「一見普通のフランス人」が集まるカトリック系団体も手を差し伸べている先は国籍・人種に関わりなく「この世に存在する全ての弱い人」であり差別も区別も行っていません。1905年政教分離法が成立したとは言え、現在もなんとか国民の7割強を抱えるカトリック教会はフランス国内での教育や福祉、生活援助活動でもイスラム教徒をはじめとする移民を助けています。それは例えばEmmaüs エマウス というリサイクルセンターに行けば多くのマグレブ系の方々が利用していることを垣間見れることでもわかります。エマウスでは手に職をつけ自立する指導も「この世のすべての弱い人」のために行っています。昨晩のミサで神父さまがおっしゃったように精神的にも物質的にも悩みがあることで放火など罪を犯してしまうのであれば、私達が実践する「あなたの悩みを分かち合いましょう」という言葉でその行為が止まればすばらしいことです。しかし、実際には他者からの哀れみや優しさを頑なに拒み続けて暴れる人々が多いのです。そういう頑なな心をひとつでも多く解きほぐせるように、と祈ることが2005年フランスにおける待降節を迎えるための準備になるようです。 ひとりの小さな祈りも願いがひとつなら大きなパワーに変わることでしょう。 毎週、ココんちの地元のミサに集う人を見渡せば白、黒、黄色各種取り揃えて平和を静かに祈る環境なのに、その集いから一歩外に出ると白、黒、黄色が反発しあい弾けあっているというのも悲しいことです。今回の暴動で暴れた人たちもその家族も方々から食料、衣服、雑用などあらゆる形で差し伸べられている手をつかむことができるのになぜかつかまずにいます。おそらく理由があって掴まないのでしょう。 フランスでは長年、Intégration (アンテグラシオン)と呼ばれる移民同化政策を推進実行してきましたが、教育や就職を取り巻く環境を整備しても、結局「個人の倫理道徳」面で団体活動に支障を来たすという問題点が最後まで取り残されているようにも思えます。例えば挑発行動を取ったり、暴言を吐いたり、教員や上司への従順に欠けると、Unsociable (非社会性)という言葉で表現されることがしばしばあります。政教分離のフランス共和国では宗教は宗教ではなく生活文化と位置付けられていますが、その考えの下、フランス共和国において尊重すべき国民各自の生活習慣(=宗教)の倫理道徳とこれまで長年染み付いたフランスの倫理道徳の大きな違いをどのように「押してもダメなら引いてみな」で双方の凸凹を合わせて新しいフランスの倫理道徳を作っていくのでしょう。興味深いところです。 le 20 novembre 2005, Edmond 【参考資料】 待降節の夜,ドアをノックするのは誰だ? 「ぴ、ぴえ~るにち、ちこう寄られたら 鼻やらよだれがたれちゃいそう」 ・・・字余りのインスタント川柳 ハンカチで口元を押さえながら呼び寄せればよいのだろうか。 そんなことを昨日から悩んでいるのぢゃ。 あなたならどーする?
こんにち2005年11月19日、フランス共和国は朝から大騒ぎでした。
それはなぜかと言いますと、久しぶりに ![]() それは真っ赤な嘘であろうと思われますが(というのは、踊ってんじゃないか?と一抹想像できるので)、兎に角、この「踊るフランシスカン」の紋章を持つ地中海沿岸の小国・モナコ公国でアルベール二世の大公即位が行われるため、フランス共和国は数日前から暴動事件やらボジョレヌーヴォーも横に置いて騒いでいたのでした。既に今年7月12日にアルベール王子の戴冠式が行われましたが、この4か月はアルベール王子にとって大公職お試し期間中だったとでも申しましょうか。11月17日から始まった即位に関する儀式は言うなれば「最終誓願」、アルベールくんにとってはもう逃れられない運命に身を委ねることを披露することになります。 モナコも政教分離国家ですから即位関連儀式第一日目は「政」における即位式、そして第3日目にあたる今日19日は午前10時から即位式のメインエヴェントである荘厳ミサがモナコのサンピエール大聖堂にて行われました。というわけでフランス共和国の全国放送2局(国営France 2と民放TF1)はこのミサの生中継を3時間に渡り放映しました。 と内心思いつつ、私はココんちのフランス人♂とミサを拝見していたのでありますね。ワイドショー番組もなければ芸能レポーターもいないフランスではこの生放送を逃すとその後はニュウスに頼るだけなのでそれなりの視聴率はあるとは思いますけれど。テレビではミサ開始直前、大聖堂入口でアルベール二世とその家族(姉カロリーヌ王女と妹ステファニー王女)のお出ましを待つ場面から始まりました。大聖堂にはすでにモナコ司教をはじめとする司祭団 が待機していましたが聖堂前で大公一族が司教さまに最敬礼なのであります。一方、司教様は背筋をピンとして彼らに手を伸べれば、その手の甲にカロリーヌ王女やステファニー王女は跪きながらキスをしちゃったりします。 実はそうなんですね。ローマン・カトリックの国ではカトリック聖職者の方が国王や大公をはじめとする貴族より高位なのです。兎にも角にもパイプオルガンの演奏と共に司祭団と大公ご一家が入場し、モナコ司教の開会の言葉に続きミサが始まりました。 荘厳フォークミサ ぢゃなかったよ。 ギタアをかき鳴らされて出席者の手拍子による入場だったらどうするよ。そんなことはないだろうと確信しつつも、いや、ありえるかもしれない、などと世知辛い俗世に生きる私は想像してしまったのでした。 こうして落ち着いたパイプオルガンの響きと共にアルベール2世のための荘厳ミサが始まり、ミサ曲はシューベルト、モーツァルト、バッハ、ヘンデルと一作曲家に限定しないものでした。ミサは即位のためと言えど普段の普通の主日ミサとなんら変わらない進行でしたが、聖体拝領という儀式が済んだ後、ローマ教皇からの御言葉を教皇代理の枢機卿(Mgr Fortunato Baldelli)が読み上げることになりました。それまでこの枢機卿は祭壇横の背もたれ椅子に座りモナコ司教によるミサの進行を眺めていらっしゃいましたが、ローマ教皇から賜った文章を読むために祭壇中央にしずしずとお出ましになり、続いてアルベール2世が枢機卿の前に置かれた台の前に立ち、そして、 頭(こうべ)を垂れてしまったのでありました。 ・・・いいのか、おい? はい、いいンですよ。これが作法なのです。で、延々とローマ教皇からアルベール2世のために贈られた言葉が枢機卿によって読み終えられ、頭(こうべ)を上げたアルベール2世は アルベール2世が祭壇横の家族席に戻ると、姉も妹も なぜ泣くのか、と言うとローマ教皇から御言葉を賜ったことで正真正銘の「大公」になってしまったからなんであります。 と、日本國ではヴぃっくらたまげる方も多いことでしょう。このような儀式を生中継でつぶさに拝見した私は浪花の太閤(猿)さんや江戸の征夷大将軍(狸)さんが旧教(耶蘇教)を畏れずに恐れて迫害しまくったことを思い出しました。猿さんも、狸さんとそのファミリーの子狸、孫狸も単純にこの上下関係が ほんのちょっぴり怖かった。 んでありましょうなあ。いや、チビるほど怖かったので迫害したのでしょうね。俗である以上、聖職者にひざまずくパーフォマンスをせねばならんというのは、天下を取る野望をうち砕くような上下関係を明らかにする行為ですもんね。こんにちの荘厳ミサと一連の儀式を拝見していても、やはり王も大公も世俗信者の中の最高の長であり見本であって、聖職者の下に位置づけられるものであることは明らかでした。何はともあれ 御世に更なる平和と繁栄が訪れますように。 ・・・だんべよ。 ■■■■■■十■■■■■■ ところで巷で私は美少年ヲッチャーとして知られておりますが、こんにちのミサでももちろん物色させていただきました。モナコ合唱団のボーイソプラノズ、グ~やでぇ。育て甲斐がありそう。うぷぷぷ。 で、成人男子なんでありますが、まずはサヴォワ公(兼ヴェネチア大公)Emanuele Filiberto di Savoia さま。す・て・き♡ なんでか公爵がHPをお持ちなんですね。 http://www.disavoia.it/ご本人、ご自分が「色男さんなんだ」と自覚があるのでしょう。ニクい写真が多すぎますね。 んでもって、こんにちのごミサなんでありますが、カトリックのミサには共同祈願と言って代表者数名がそれぞれの願いを祈りにし、それを聞いた他の者が「主よ、われらの祈りを聞き入れ給へ」と唱える式があります。その祈願者のひとりにアルベール2世大公の甥であるアンドレア・カシラギくんがおりました。アンドレアくんはカロリーヌ王女の長男です。アルベール2世大公は47歳未婚ですが一男あり。この一男くんはトーゴ人スッチーとの間にうまれた子でして、アルベール2世が認知したものの、地位は継がれないことに(今のところ)なっています。そうなるとモナコにおけるグリマルディ家の御世が途切れてしまう、ということで、アルベール2世はカロリーヌ王女の子供4人のうち男子二名のどちらかを養子に迎えるのではないか、と噂されているのでありますな。 ![]() あなたならどちらにするぅ? 写真はレーニエ大公葬儀ミサの時のもの 真ん中はカシラギ三兄弟の真ん中のCharlotte シャルロット ちゃま。 ぢゅるるるるぅ・・・の・・・ぐるるるるるぅ。カロリーヌ王女は3度結婚しており、2番目の夫Stefano Casiraghi ステファノ・カシラギ 氏との間に二男一女、現夫の独逸人ハノーヴァー公との間に一女をもうけております。そして宗教の話が絡みますと、カシラギ氏の子供3人はローマンカトリックでも、ハノーヴァー公との間の子はプロテスタントなのでやはりカシラギ氏から養子を迎える方がモナコ公国のためには良いそうです。 こうしてこんにち、アルベール2世大公殿下は天下晴れて正真正銘の大公殿下とおなり遊ばし、ヴァチカンでも大手を振って大公としてスキップできるようになりました。たった1.95平方キロメートルの国土のモナコ公国ですが、人口は約32000人、「普通に見える欧州人」どころか今や人種のるつぼ、出身国は120か国にのぼるそうです。そういえばグリマルディ城の女中頭はインドシナ人です。奉職当初は「シーツ換え」で雇われ、今では城内の室内装飾を一手に任せられているそうです。 それにしても アンドレア も ピエ~ル も美しすぎるぞよぞよ。 いずれにせよ、モナコでは 「神さまの言うとおり」 になるのでしょう。 い、いや、それにしても・・・・ぶつぶつぶつ。(←美少年ヲッチャー、悩みんぐ♡) アンドレアの視線の強さも頬染めちゃいますが、ピエールの肩のラインね、好きよ・・・♡ 忘れてた、大公殿下も47歳独身です。 そして今宵はGala・・・・。慶祝のマスゲームは「なし」よ。そりゃあそうだろう。 le 19 novembre 2005, Tanguy 【参考資料】 *TMC テレビ・モンテカルロ (モナコ放送局) 【これまでココんちにおける"It's so very Grimaldi"なエントリー】 *30分程前 Le 6 avril 2005 *一夜明けて。 Le 7 avril 2005 *南仏は金曜日になると涙雨? -モナコ・レーニエⅢ世大公の葬儀- Le 15 avril 2005 *「見送りはここまででいいよ」-かわいい子の旅は義務- Le 12 juillet 2005 < 前のページ次のページ >
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