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知ろうとしなければ知れない。
ここ数日、我が脳内は「Memento mori、死を想え」見本市開催中。
このラテン語を英語に訳すと、"Remember that you are mortal"、またはスマートに"Remember your death". 仏蘭西語に訳すと、«Souviens-toi que tu es mortel»、更に仏蘭西文学上では«Souviens-toi de la mort »を好んで使うらしい。
フムフムのメモメモ。
だけれども、元々音声学好き、インスタント川柳好きの私は「Memento mori(メメント・モリ)、メメント・モリね・・・。めーめんとぉのも~りもりぃ♪」などと韻を踏み踏みニヤけてつぶやく始末。情けない限りである。兎に角、めーめんとぉのも~りもりぃ♪と節をつけて鼻歌を唄っていたら、いくつか思い出したことがあった。

まず最初に昨年12月に帰省した時、テレビ番組でヨォロォ先生が出演された番組を偶然拝見した。解剖学の権威ヨォロォ先生と10名近いタレントがヒトの身体の神秘について視聴者にもわかりやすいように質疑応答しながら知ろう、という番組だった。真っ暗なスタジオで出演者全員と白布にかかった「ナニモノ」かのみにライトが当たっているようなオープニングで、しばらくヨォロォ先生と出演芸能人ズの和やかな語りのあと、その白布が剥ぎ取られた。そこにはヒトが全裸かつエビゾリのような形でのけぞったフィギュアがあった。皮膚で覆われた部分と皮膚の下、つまり肉と内臓が見える部分がうまく組み合わされて「ひとつの人体」として眺められるようになっていた。あの不可思議なエビゾリの人体模型はおそらくヒトの筋肉などについて説明するためにも医学部の授業で使われているものなのだろう。


そんなことを傍観していたら、かつて私が勤めた医学部の薄暗い校舎を思い出した。
残りの人生では修復不可能なツル脳を抱える私だが、人生のたった数年、医学部で働いたことがある。たった数年とは言え、入学した学生が国家試験を受けて一流してまた挑戦してその結果を共に喜べる年数は勤務した。

限りなく他人に近い遠戚に医師はいるものの、私の近しき者は全員「患者」という環境で育った私が医学部に勤めることになったのも今振り返ると不思議な運命だった気もする。近所の開業医やせいぜい臨床病院にそれまでの人生数度足を向けただけで済んだ健康体の私が日曜日を除く毎日、医学部と医学部付属病院の中で日中を過ごすことになった。
何カラ何マデ、アッシノ知ラナイ世界デスゼ。
医学部というのは基礎と臨床があり、臨床系の医師は病院で患者を診、その一方で基礎医学と自身の臨床専門と照らし合わせながら論文を書き続ける。が、基礎の先生方は必ずしも臨床資格を持っているとは限らない。そんなことをまず知った。

ほんの数年とは言え、私が勤務したのは二つの医大、二人の臨床系医師が私の上司だった。最初の上司は腎臓内科学(臨床)と生理学(基礎)が専門、次の上司は神経学(臨床)と生化学(基礎)が専門、これが最もスマートな上司の肩書き紹介であって、実際の彼らの日常には病理学やら薬理学、一般内科学やら関連外科やらそれぞれひとりひとりの研究分野によって複雑に絡んでくる。

医学部噺はちびりちびり書くとして、こんにちは最初にちらり話した「エビゾリの人体フィギュア」についてである。あれを作ったのは誰だろう? そして日本國では杉田玄白に始まる人体解剖図、きょうびの医学生はまるで写真としか見えないようなリアルな人体解剖図をそろぞれ持っているが、あの絵全てを描いているのは誰だろう?人体のフィギュアにしても解剖図にしても神経一本まで精密であり、リアルである。
あのフィギュアを作っているのも、解剖図を描いているのも医師ではない。
それは本当。
医師になるためには全てに優秀でなければなれないというのが「大前提」であるが、その医師一人一人が書道家のように達筆で、絵筆を持たせたら全員がレオナール・ド・ヴァンシ、いや、レオナルド・ダ・ヴィンチのごとくなんてことはまずあるまい。

そんぢゃ、あの白布が取り除かれた途端、ドキっとするほどリアルな人体模型やページをめくるたびに「ゲロゲロ~」ってつぶやいてしまうほどの緻密な絵を描いているのは誰よ?となるが、それは美大生が医学部で修行を積んでそれぞれの専門家となった方々である。

「ヒトの身体」に興味を持った美大生が、医学部で献体が出るたびに医師、医学生と共に部屋に入り、解剖に立会い、本物を見て、自分の目と手と指で学ぶのである。特に絵画は細密画と呼ばれる世界であり、絵筆だけでなく鉛筆でもできるかぎりの自身の才能を使って対象物を表現する。医学部の病理学や解剖学教室には美大生だけでなく、薬学専攻はもちろん家政学(きょうびあんまり使わない語ですなあ、生活科学だろうか)の学生が自身の論文を完成させるために在籍している。医学部基礎系に集う人々は各分野、老若男女、硬柔さまざまで、むしろ臨床系より開放されていると思う。

高校時代、生物の授業でのネズミの解剖さえサボった私には、なぜ医学に無縁であろう美大生や家政学を専攻するキャピ女子大生が人体解剖室に涼やかに入れるのかもしばらく理解できなかった。なぜなら人体解剖によって目に訴えられるものはもちろん、鼻に届く臭いは慣れるまでかなり厳しいと聞いたから。それでも美大で細密画や細密彫像を専攻したり、薬学、科学や家政学など諸分野で人体に関する毒性などを極めると決めたならば、グロだろうが鼻に厳しいだろうが、人体を扱う医学部でその実物を見て、証拠(症例や検体)と文献を照らし合わせながら実践と考察をせねばイッチョマイになれない。そういう事実を我が心身で経験せねば、世間の隅々までに認められる論文ひとつ書けないし、誰も本物の人体を知らないヒトに人体解剖図を描いてくれ、作ってくれ、など頼まないということを知った。

いっくら絵が上手でも先例の素晴らしい人体図の丸写しをしたところで出版社がお金を払ってはくれない。いくら文章が上手でも文献が曖昧な論文は論文となる前に出版社から送り返されてしまう。医学系論文の場合は共著者にも誇ってもらえる論文を書く、というのが論文オタク系医師のこだわりでもあるようだ(ちなみに我が元上司二名とも論文オタク)。

私は医学部に勤めるようになってすぐ上司にこんなことを言われた。
「Mさん、人間にメスを入れると血が天井まで飛ぶんだよ」
私にとって聞くなりゲロゲロな話だった。その数年後、上司が代わってすぐに頼まれた仕事は、毎朝、病理解剖室に待機して腎臓と三角筋をもらい腎臓の血抜きをすることだった。もちろん、ヒトの、です。私は拒みました。すると上司は
「肉屋で買ったレバーの血抜きくらいしたことあるでしょ?」
と私に言った。もちろんこの私がそんなことをしたことはなかった(笑)ので、上司に「そんなことができるなら医学部も受験したと思います」と言って断った。だって私は英米文学専攻だよ。まして「英米文医学書についての一考察」なんて論文を書こうなんて、というか、手にとって読もうともしない(いや、その後は仕事に必要で読むことになったけんども)。結局この作業の件は、まず医局長が上司に「もし僕の家内にこの仕事を与えられたら、僕は家内を退職させます」と弁護してくださった。そして解決策として、献体が出るたびに三角筋や腎臓をもらって血抜きする作業は研究室の薬学専攻の女性が引き受けてくださることになった。彼女は論文を書く目的があるからね(ありがたい、ありがとう)。

「知ること」には確かに限界がある。まさに人間の腎臓の血抜きは私には「知りたくない」技術だった。それでもやはりできるだけ多くのことを知るということは我が死までの道程においても怠ってはならないことである。「知らない」ことは恥ではない。「知る」ことは「喜び」である。知らないことに出会ったら「私にはまだ知る喜びがある」と思うことだ。

そしてここでMemento mori、メメント・モリ。
ヒトは死の瞬間まで「知る喜び」を持ち続ける。私はそうでありたい。

le 30 janvier 2006, Martine

そう。かわいらしいウサギPeter Rabbit の絵を描いた童話作家Beatrix Potter(ベアトリクス・ポター)、彼女の趣味はなんと動物解剖でした。神経まで抜いたそうです。だからこそあのような絵が描けるのだそうだ。なるほど。


【追記】上記エントリー掲載後、私がテレビで拝見した標本はプラストミック標本であるとコメントで多数のご指摘を頂戴いたしました。またひとつ「知る」ことができました。ありがとうございました。
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by ma_cocotte | 2006-01-30 19:47 | 『?』なたわ言 | Comments(26)
Memento mori ◆ 死を想え。
昨日は朝から晩までモーツァルトだった。
朝は遠くテレビのスピーカーから聞こえてくるモーツァルトの弦楽曲で目を覚まされた。雑用を終えて、我がこんぴーたに火を入れるとGoogle の商標に近世オイロッパ男子着用のズラがかぶされていた。これを見て目がはっきりと覚めた。それから一日、テレビからニュウスが流れるたびにモーツァルトの美しい音楽が軽やかに聞こえてきた。

Mozart、仏蘭西語でモザールと読む。日本人が発声する時は「モザーフ」と言うと仏蘭西ビトの耳には理解しやすいかもしれない。

私にとってのモザール。
最初に思い出すのが元大家さんちの黒猫レグリスの弟がやっぱり黒猫のモザールだった。ちょっと小柄でしなやかな流れを持つ黒猫は妙に名と体がしっくりしていた。
次に思い出すのがなぜか「ベルばら」。確か週マ連載初回に7歳だったモザールが女帝一家に招かれその天才ぶりを披露した際、マリア・アントニア皇女(後のマリ・アントワネット)にうやうやしく結婚を申し込んだという逸話が語られていた。
次の次にモザールで思い出すのは彼のピアノ曲の数々。半万年と言ってもいいほど昔、私は下手の横好きでピアノを習っていた。手首の力が弱いので感情に乏しい奏法ながらもソナタを学ぶに至り、私に与えられた教則本にはハイドン、ヘンデル、ベートーヴェン、そしてモーツァルトのソナタがそれぞれ3作品、そのそれぞれの3または4楽章全てが載っていた。つまり40曲近く弾いたけれど、私にとってモーツァルトは4人中4番目の存在だった。理由はテクニックにあるのではなく、モーツァルトの曲想や曲調が私の心象とかみ合わなかった。あの日向を感じるような、軽やかな曲調に私は馴染めなかった。
次の次の次に思い出すのは音楽室。小学校の音楽室の壁に貼ってあった彼の肖像画が目の前に浮かぶ。確かベートヴェンやシューベルトの近くだった。そして中学生になってモーツァルトにはK(ケッヘル)という彼のみに使用される作品番号称号があることを学んだ。バッハとモーツァルトだけが独自の作品番号称号を持っている世界の音楽史における特別な2作曲家だ、と試験のために暗記したような記憶がわがツルツル脳味噌の片隅にまだ残っている。


兎に角、2006年1月27日はWolfgang Amadée MOZART(ヲルフガン・アマデ・モザール)の250回目の誕生日だった。

そう聞いたところで私のこころにまず問いかけられたのは「なんだ、死んだ日ぢゃなくて誕生日か?」だった。どうも私にはMozart と聞くとまず彼の生より死を連想する。というのも、私の目の前にフラッシュバッグするのは映画「アマデウス」のクライマックス、麻袋に詰められたモザールの遺体が無縁仏の墓穴にドスン!と落とされ、そこに白い粉をもうもうとかけられる、あの場面だからである。

映画アマデウスを初めて見たのは確か実家の自室の小さなテレビで、日曜洋画劇場だった記憶がある。丁度その頃、私は自分がいかに凡人であり、一生死ぬまで自分は凡人である、と自覚したこともあったので、自分が心を寄せた人物はもちろん努力のおっさん・サリエリだった。しかもあの映画は妙に明るい、春の日向のような光に溢れていて、華やかで、私の鼻を突っついて頭痛を引き起こさせるほどの毒々しい香水の臭いを連想させるほどの私にとってムカつく画面作りであった。きょうびニッポンのわけーもんが口にする台詞、
「難しいこと考えなーい♪面倒臭いことは見なーい♪」
を実践するモザールの所業はこちとらも鼻かっぽぢりながら物臭に眺めていたんだけれども、ストーリィがクライマックスに向かうにつれ徐々に画面の明るさの度合いが低くなっているのも今になってみると思い出すことができる。あの墓地での場面、あまりに陰湿で暗かった。モザール入り麻袋に降り落ちる白い粉だけが明るく飛び散ってパサパサしていた。

子供の頃から天才と騒がれ、欧州中を巡業し、喝采を浴びと、生まれ持った軽薄短小強運を武器に世渡り上手であったはずのモザールの最期は麻袋入り無縁仏墓穴直行便だった。他人の人生とは言え、
なんだかなあ・・・だよなあ・・・。
ココんちの地元の墓地にも無縁仏コーナーがある。子供がいない私はあのコーナーに葬られる可能性もアリアリア~リなので、今から「死のため貯金」かなあ、と、ちらりと考えてしまったりもする(つまり貯蓄に未だ至っておらず)。

私だって日本人だし、過去を振り返れば「他」のみなみなさまの方々に認められるミーハーのモガでもあったので、少なからず「難しいことや不安なことは考えない」主義だった。しかし、神のみぞ知る運命でフランスに住むようになり、テレビニュウスで世界の戦場に横たわる遺体の数々を何のボカシもなくいくつも見るようになった。
「あなたには見る自由もあります。見ない自由もあります」
と必ずキャスターが述べてから流れるこの手の映像。私にとって「ヒトの死」は避けて通れないものになった。そしてその遺体についてそれぞれの生前の生き様が語られたところで、生前の華やかさと遺体の形が必ずしも見合ったものではない、というのも痛切に感じた。


Memento mori という言葉がある。今は滅多に陽の目を見ないラテン語である。メメント・モリと発音し、日本語に訳すと
「死を想え」
である。ヨーロッパ中世末期にさかんに使われたラテン語の宗教用語でもある。私は神学を知らないハシタメなので難しいことは何一つ書けないし、その難しいことを考えるためのきっかけも基礎も脳味噌に存在しないのだけれど、つまり、おそらく、多分、メメント・モリは『汝、死を忘れるべからず(死を想え)』、生きていくために「死」を常に想えば、それは生きることを知ることになる、ということなんぢゃないか?と想像する。そんぢゃ、我が近未来の我が死を想像したところで
「市営墓地の無縁仏コーナー直行かよ?
土葬よりも火葬がお安いのよ、あなた。一緒に燃えてみませんか?」
としか思い浮かばないのだから、我が残る人生絶望なりなりよ、なんだけれども、そんな時には以前紹介したアッシジの聖フランシスコの祈りなんぞを思い出して
「絶望のあるところに希望を」
とぶつぶつ唱えてみると心に晴れ間が広がるのかもしれない。ヒトの生と死ばかりは秤にかけたところで必ずしもつりあうものでもなく、いや秤にかけられたところでその単位は何ぞや?である。そもそも秤にどうやって置けばいいんだ?これぞ神秘だのぉ。

氷雨降った昨日27日から一夜明けても氷雨降る降るの仏蘭西では相変わらず、モザール!モザール!! モザール?とお祭り騒ぎなんだけれども、ニュウスのたびに映し出されるモザールの立派なお墓。あそこの下には果たして本物のモザールさんのご遺体が葬られているのでせうか?麻袋の山をかきわけて見つけ出したのであろうか?そんな下世話なことばかり我が脳によぎる週末、これも氷雨のせいだろうか。


le 28 janvier 2006, Thomas d'Aquin
 ↑偶然にもこんにちはトマス・アクィナスの祝日。
 仏蘭西語ではトマダカン、まるで他人のような同一人物の名前です。


こんにちのメメント・モリなお時間にお助けのBGM。
モーツァルト:レクイエム


リッカルド・ムーティ指揮なんですが、あまりに画期的なモーツァルト・レクイエムです。何が画期的かと言うと超ウルトラ明る過ぎるレクイエムです。他の指揮者の解釈とあまりに違う世界をムーティは楽団に要求したと言ってもよいほどです。ムーティが描いたモーツァルトレクイエムで奏でる世界は悲しむご親戚に失礼かと思われるほどの力強さや元気さえ感じます。C調を自覚している方はぜひともこれと共に天国の階段をガンガン昇り、天国の門をドンドドンとノックしていただきたいものです。ぜひぜひ。Ecoutez-le!

十 いや、フランシスコが祈った記憶がない「フランシスコの祈り」なんだけれど・・・ 十
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by ma_cocotte | 2006-01-28 20:25 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(28)
無駄な看板は止めろ!
ココんちのすぐそばの公園の入口には
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犬ダメ! 自転車ダメ! ボール遊びダメ!

と、一目見れば誰にでも理解できるように描かれています。毎週土曜日には挙式後の記念撮影会ロケ地として利用されるほど近隣の町から華やかな一団が集うこの公園に入ると、目の前から
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どっからどう見ても自転車 に乗ったガキ4人。

おい、看板を見ていないのか?と聞きたくなる現実に直面しましたが、フランスではこの手の現場によく出くわします。


私が生まれて初めて長期滞在をしての語学留学を経験をした時のことです。私が滞在した街は旧市街から南に下るとCité Université(シテ・ユニヴェルシテ)と呼ばれる大学街があり、私はそこにある文学部内の外国人向けフランス語学校に通うことになりました。毎朝9時始業なので家を8時20分過ぎに出て徒歩で学校まで通っていました。その私の通学路の途中にこの街で最も古いCollège(コレージュ、中学校)がありました。フランスでは小学校卒業までは親が子供を校門内まで送り、先生にしっかり我が子の手のひらを託すことで朝が始まりますが、中学生になるとまずは開門まで学校の玄関前で生徒が待機することになります。フランスの校舎は古いものほど、運動場でもある中庭を囲むようにして車道際に校舎が建っており、毎朝、ノスタルジックな雰囲気の校舎の3m以上はあろうかと思えるがっしりとした玄関が開くまで、うぢゃうぢゃと蟻んこのように歩道はもちろん車道にまで中学生やら高校生がたむろしています。

私が語学校に通う初日、もちろんその光景を生まれて初めて見ましたが、まず遠方に見える車道にまで飛び出るうぢゃうぢゃの人、そして近づけば近づくほどその人ごみはまだ大人になりきれていない、どこか初々しさの残る男の子や女の子で、そして、ほとんどの子供たちのその手には

煙草 (たばこ)

はい、ふりがなのとおり、子供たちの手の中にタバコ。
しかもフィルター無しの紙巻タバコをきゅーんと吸っているどっからどうみても12歳くらいのお子たちもおりました。驚きましたね。語学校について早速先生にフランスにおける喫煙年齢について質問したら、先生は「いちおう法律で決まっている」とおっしゃる。そんぢゃあ、あのガキらの煙草はいったい?と詰めてみたら、先生はいとも簡単に
「でも学校の玄関の外で喫煙でしょ?」
と返答されました。校則違反にならないんだ。友達にLPを貸しただけで自宅謹慎になった私の中学時代っていったい・・・?

フランスの学校制度では日本より一年早く子供達は中学生になります。つまり12歳からの4年間が中学時代です。フランスの男の子も女の子もこの4年間でぐぐーんと色っぽくなって、中学卒業頃にもなれば小枝のような体型で入学した女の子のボデーはメロン2個胸にスイカ2個尻のダイナマイトボデー、そしてお顔の化粧のりも良く、爪もマニュキアでちゅんちゅん♪です。もちろん紙巻煙草を色っぽく舌を出して器用に作り、煙草を持つ指も、それを楽しむ姿も格好良い。くらっとしますね。

そしてLycée(リセ)と呼ばれる高校に入学もすると、なんと男の子も女の子も「支持政党」を持っていちゃったりなんかして、贔屓政党の高校生向け政治集会に参加もしちゃう。そして中央政府が教育についての改革案を提案すると、不満があれば即座に高校生主催ストライキも決行してしまうのです。
フランス共和国民でもあるフランスの中学、高校生はきょうび日本の
高校生と相当、生きる意識そのものが違うのであろう・・・?

le 26 janvier 2006, Paule
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by ma_cocotte | 2006-01-26 20:51 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(21)
『パパとママンは結婚していないけど夫婦なのよ。』
フランスの学校や研修所では新年度の授業開始直後「他己紹介」のアトリエ(=授業)がたいていあります。隣の席に座った者と互いの公私を質問しながら話し合い、自分なりに文章をまとめ、クラス全員の前で相手を紹介するというものです。
2003年4月下旬、私がマルセイユの職業訓練校に入ってすぐ、やはりこのアトリエがありました。私の隣はルーシーという女性で互いの紹介をすることになりました。
「私はイタリア系で、リヨン生まれ。現在はマルセイユ9区に夫、中学生と小学生の子供二人と住んでいるの。私達はLa famille maritale(ラ・ファミユ・マリタル)なのよ・・・これをあなたに強調して欲しいの。言い忘れないでね!」
恥ずかしながら私はmaritale(マリタル)という単語を知らなかったので、すぐ辞書でこの語を引いてみました。
marital, maritale
「(結婚していないが)夫婦のような」 法律用語/形容詞
日本ではよく耳にする「できちゃった婚」ですがフランスにはこの語は存在しません。できちゃってから結婚するフランス人が多い・・・これが本当。というのも離婚するのが難しいこの国(日本のように紙一枚で離婚できません。高額の離婚費用を弁護士,裁判所に支払います)では結婚は慎重に慎重を極めたものであり
起 「愛し合う二人」が恋愛過程において
承 「子供(=愛の結晶です)ができ」
転 「家庭を作って本物の家族愛を「愛し合う当人二人」が実感してこそ
結 「結婚に至る」
という観念がすでに存在します。
そしてフランスにおける結婚ですが、ナンピトたりとも自分の住民票がある市町村役場で挙式しないとフランス国家が法的に認めた「夫婦」にはなりません。挙式は市長の前でフランスの結婚に関する法が読み上げられ新郎新婦はこれに宣誓、書面にサインをします。そして市民婚は原則として土曜日の午後のみ。何ヶ月も前に挙式日時予約をし、とてつもない書類+健康診断書を提出します。審査の過程で却下されることもあります。
ですから、日本のように挙式自慢もフランスではできません。大金持が開く披露宴、宗教上の婚姻は「個人の自由であり、勝手」です。特に最近では都会であればあるほど有名人やエグゼクティヴなクラスの市民婚ほど簡素化しており、まずウェディングドレス姿の花嫁を見かけることが少なくなりました。上質のシルクのスーツ、おそろいの共布や同色の帽子と靴、そして小さなウェディングブケー、そういうスマートな姿で挙式後の記念写真が雑誌に載ることが増えました。

法的結婚(Mariage civil)をしてしまうと税金の問題、財産の問題が出てきます。法的夫婦になってしまうと税金面ではかなり厳しくなります。こういうことも頭に入るので、フランス国籍者同士の恋愛関係は永久に「法的夫婦」にならない結婚生活を選んだりします。もし税金逃れが第一目的の「愛し合う者二人」ならば「子供がいるけど通い婚」が得策でしょう。ついでにフランスでは当たり前の再婚者同士の再(数字は変動性(笑)婚の場合、公証人役場において子供を含めた財産分与などの取り決め書を作るのが義務で、その写しは市民婚を行った市役所が管理します。


さて、1998年のことです。私がエクサンプロヴァンスで知り合ったイギリス人女性HelenはFabriceという南仏はOrange出身のフランス人大学生と恋に落ちました。なんと下宿先で彼女のアパルトマンの向かいに彼が住んでおり、窓越しでの会話を重ねるうちに恋が芽生えた!(シェークスピアやね・・・)。

彼女が私に話した「悩み」の数々を挙げますと
1.彼はフランス人である。
 (薔薇戦争を今でも引きずる英仏、というか英國なのぢゃ)
2.彼は年下である。(イギリスでは「!」事項だそうだ)
3.彼はローマン・カトリックである。
 (彼女はアングリカン・ロー・チャーチの信者。
 決して彼女はローマンカトリック教会に足を入れませんでした。
 エクスにはアングリカン教会はなく彼女はカルヴァン派教会に通っていました)
4.結婚前に彼と同棲することになった。
 (イタリア人やフランス人の公衆でのイチャイチャは英国人には信じ難い
 現実なんだそうだ)、ただし1999年当時の言い分
・・・・大英帝國民にはこれら↑は「恥ずべき」ことらしい。そういえば私の友人、英国人のKateも公衆のイチャイチャは苦手だわ、と私に話してくれたことがありました。

こんな悩みを秘めながらも、ヘレンとファブリス、英仏二人の恋愛はますます燃え上がり、双方の家族に「我が愛する人」を紹介するに至りました。パリで彼女の父親と彼がまず初顔合わせ。苦虫噛み潰しながらも愛する娘の気持を受け入れた父。一方、彼女が南仏オランジュの彼の実家に挨拶に行き、自分のこの愛への躊躇い事項を彼の家族に打ち明けると
「なんでそんなことで悩んでいるのだかさっぱりわからないわ。
何もかも些細なことぢゃないの?」
と一笑に付されたそうです。「ああ、私が今こうして立っている大地はフランス」と実感したヘレンです。パリとロンドンは飛行機でたった45分、マルセイユとロンドンは同じく1時間ちょい。とはいえ大英帝國と仏蘭西の基本倫理観はあまりにも違うのでありました・・・・。


le 24 janvier 2006, François de Sales
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by ma_cocotte | 2006-01-24 21:18 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(26)
ひとつ屋根の下、玄関のむこう。
昨年の晩夏、ココんちの隣の住人が代わってから、定期的に隣の家からかわいらしい少女の声が聞こえるようになりました。たいてい月の内数度の週末と長期休暇の一週間だったり、そんな感じで絶え間なく少女ふたりの声と、そして時折、彼女達を厳しく叱るお父さん、つまり隣の住人の声も聞こえてきます。彼の厳しい大声で「あ、子供が来ているんだな」とこちらが気づくこともあります。

ココんちのアパルトマンは4階建て、日本で言うと5階建てのビルで、エレベータはなし。鉤型階段で階上に行くまで、T3(日本の2LDK)が5軒、T2(同1LDK)、T1(ワンルーム)が各4軒と計13軒が同じ玄関を使って生活しています。同じ敷地の中の他の玄関はT4やT5と家族向けなので引越も稀ですが、ココんちの隣のワンルームは平均1年で住人が代わるというテンポです。ココんちのフランス人♂は一人身の時からT2のココんちに住んでいましたが、一人暮らしだと寝室はほとんど使わずに過ごしてしまうのだそうです。だからと言ってT1だと独身にはぴったりサイズでも恋人ができたりするとそこはかとなく不便を感じるサイズのようです。それゆえ、T1の引越サイクルは早いのだそう。

話戻って隣のムッシュウはT1に一人で住んでいますが、どうもパートナーとの別居が原因だったらしく、その彼女もココから大して遠くには住んでいないようです。隣のムッシュウが家を出た形になるのでしょうか。昨年、彼が引越してきてまもなく週末になるとかわいらしい二人のお嬢さんが遊びにやってくるようになりました。10歳くらいかな?泊まっていくこともあれば、夕方名残惜しそうに帰って行くこともあります。玄関でパパにお別れして、二人で階段を下りて・・・すると隣のムッシュウはすぐにベランダに出て、玄関を出た娘達を見守る。お嬢ちゃん二人は隣の公営プールの玄関前に立っているとママンが車で迎えにくる、という時の流れです。
今週も昨日の午後からお嬢ちゃん二人がココんちの隣にやってきて、今朝も先ほどパパと外出しました。どうも男の一人所帯ゆえか父子でマクドにGo!の傾向があり、と隣家のおばちゃん(=私)は見ております。

ココんちのアパルトマン13軒でこんな感じのイレギュラーな家庭を持っている方々が4軒ほど、隣家のように子供が定期的にやってくる家庭もあれば、子供が定期的に出かけていく家庭もあります。両親が別居してしまった子供のこのような生活リズムを管轄しているのは裁判所で、元同居人だった親の住所によって、月の半々の週末をそれぞれの親と過ごす義務、両親が遠距離なら長期休暇時に1か月ずつ親双方と生活する義務など決められるそうです。私が知るフランス人♂はスウェーデン人♀との間に一男をもうけたので、その息子は母親とスウェーデンに住んでいますが、長期休暇のたびに知人はスウェーデンまで息子を迎えに行き、フランスに連れて帰って共に休暇を過ごし、再びスウェーデンに息子は帰る、という繰り返しをしていました。昨年末、私が成田からパリまでAFを利用した時も子供だけの乗客が8人、そのうち一人はマルセイユまで私と一緒でした。片親がニューカレドニア(フランス海外県)に住み、片親がマルセイユ近郊に住んでいるなんてこともあり得るようです。AFが「子供単独客受け入れ」を常設しているのもそういう事情あってのことなんでしょう。

私が昨年末ココんちに戻ってまもなく、一階玄関のポスト前でココんちの2つ下の階に住むムッシュウに偶然会いました。ムッシュウは60歳中頃くらいにお見受けする独居老人です。数年前に入院されてから顔色が肝臓を悪くされた方独特の色になってしまい、毎朝食料がデリバリーで彼の家に届くようになりました。そんなわけで以前にも増して玄関から出なくなってしまったムッシュウですが、郵便だけは階下まで取りに行かねばなりません。ポスト前で挨拶を交わすと、このムッシュウが「日本に戻ってらしたの?」と私に質問してきました。「はい、そうです」と返事をすると、「私もこの年末、スペインに戻らねばならないんだよ」と話し始めました。「私の苗字はZで終わるでしょ?私のオリジンはスペインなんだよ(←これ、スペイン系の方が自己紹介で使う常套句です)。私は大家族の端くれだからフランスに来てしまったけれど、こんな年齢になっても姉貴が「クリスマスか新年には顔を見せろ」と言うんだ。だから、兄弟姉妹一同が集まる新年にかけてスペインの実家まで戻るんだ。・・・それでもマダム(=私)より近いので面倒臭がってはいけないよね」と。

ココんちは地中海沿岸まで車で20分ほどですが、10分ほどのところに高速道路が通っています。簡単に説明すればイタリアとスペインを結ぶ高速道路です。イタリアからスペインまで約500kmの道程、それがフランス国内になります。500kmですから一日でフランスを抜けられますし、この抜け道は高速道路はもちろん車が存在する前からイタリア人とスペイン人が互いの国を訪ねるために利用していた陸路であります。故に現在も地中海沿岸はムッシュウのようなスペインの苗字を持つ人、逆にイタリア系の苗字を持つ人がフランスっぽい苗字を持つヒトよりも多いと言って良いほどです。もちろん、彼らは現在「Républicain フランス共和国民」ですが。

特に現代、南仏沿岸に住んでいるスペイン系やイタリア系の方々がなぜフランスに住んでいるのか?という理由は西・伊双方の長く複雑であった政治問題ゆえであったり、そんな難しい問題以前に各家庭の大家族が原因でフランスに新天地を求めたという理由もしばしば耳にします。前述のムッシュウも大兄弟姉妹の末っ子から数番目なのでフランスに仕事と家庭を求めた方ですし、ココんちのフランス人♂の元上司もスペイン国境よりのスペイン系家庭に生まれ6男だったゆえ居場所がなくなり、学業を終えると地中海沿岸の大都会マルセイユに職場を求めたのだそうです。第6男と簡単に言いますが、彼の上には姉もいるわけで・・・。ここまでの大家族は減りつつありますが、それでも現代のフランスで「Famille nombreuse(ファミィユ・ノンブルゥズ、大家族)と言うと、まず最初に共和国民が連想するのが「旧貴族階級、イタリア系、スペイン系、ポルトガル系」となります。

こうしてフランスの家族の形を見ると、ひとつ屋根の下、玄関の向こうの中の家族の形は他人には見抜けないのが今のフランスのような気もします。一見、悠々自適に暮らしている独居老人でも遠くの兄弟姉妹から子供の時と同じ感覚で呼び出しをくらったり、子供のうちから別居した両親の家を行ったり来たりという経験をしたり、子を受け入れる家庭やら子を送り出す家庭やら。

千差万別だなあ、と眺めつつ、フランスの近未来(来年)のお話。

2006年に入ってフランスでは毎日のように2007年共和国大統領選に各党が誰を立候補に出すのだろう?という予測番組ばかりが流れます。1年以上先の話ですが、こうやって地道にコツコツと共和国民に投票意欲を持たせているんだな、とテレビを眺めていても感じます。
そこで最大野党であるPS (フランス社会党)からは常に二候補の名前が挙がっています。一人は第一書記(つまり党首)のFrançois Hollande(フランソワ・オランド)氏、もう一人はSégolène Royal(セゴレーヌ・ロワイヤル)女史です。昨年既にオランド氏が党員投票で決定したかのように報道されましたが、その直後のドイツ、先週チリで女性国家元首が誕生したことでフランスの世論が揺れ始めてしまいました。ロワイヤル女史はクリックしてご覧になれば一目瞭然の美女、もちろん才色兼備の鉄女でありますが、オランド氏はニッポン人の私から見ると風貌がちょっとカリスマ性に欠けるかな?とも思われてしまいます。が、実はこのオランド氏とロワイヤル女史は非婚夫婦で、お二人の間には4人の子供がございます。つまり二人は婚姻していませんが、一つ屋根の下、同じ玄関から出入りするカップルであり、互いの血を分けた子供が4人。子供から見れば、パパかママンのどちらかがフランス共和国大統領候補に挙がるのでありますね。日本でも知られるサルトル氏とボーヴォワール女史の非婚夫婦がフランス近代におけるパートナー関係の象徴でもあるようで、フランスの国内にはMarital (マリタル)と呼ばれる非婚夫婦とその子供達、日本人が外から眺めれば「ごく普通の家族」、でもその家族形態を知れば「スッキャンダールな家族」もごく当たり前に存在するフランスです。

もしこのお二人のどちらかが2007年、フランス共和国大統領に選出されたら、日本でも「大統領は婚姻していませんが相手と同棲を続け、子供が4人と共に家庭を持っています」と紹介されることになるでしょう。

スカの純ちゃんの独身宰相よりはるかにスッキャンダール?
いや、家庭比較はできないか。


le 22 janvier 2006, Vincent
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by ma_cocotte | 2006-01-22 19:55 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(14)
ボリビアはコチャバンバの話
私の恩師はつい最近まで南米はボリビアのコチャバンバに住んでいました。彼女はカトリック修道女(シスター)で長く日本国内で女子教育に携わってきましたが、大阪の耶蘇女学校で数年使命を果たした後、自分から教育修道女ではなく宣教修道女になることを志願しました。修道会が彼女に与えた使命はボリビアでの宣教でした。ボリビアには沖縄県を中心とした日系移民が多く住んでおり、高齢となった日系一世、二世のお年寄りが日本語で分かち合えるカトリック聖職者を望んでいるためでした。彼女はコチャバンバを中心に年老いた日本人移民の微力となるべく日々を過ごしました。恩師自身すでに高齢で日本への帰国もたびたび思うこともありましたが、日系移民の老人方それぞれに「私が死ぬまではせめていらしてください」と嘆願されて日本に戻るに戻れない年月がしばらく流れていました。

日本人が一度日本国籍を捨ててしまうと、再度日本国籍取得の労力は破棄する時とは比にならないほど大変なのだそうです。でも、海外に暮らし続ける日本人は年を取れば取るほど「望郷の念」が募るそうです。「帰りたくても帰れない故郷」「どんなに長くても3か月しか滞在できない母国」(長期ヴィザ無しの場合)、それが日本國です。恩師はただただ血が上手に通わない高齢の方々の手足をさすってあげるだけなのにご老人方は母国を懐かしんで大泣きするのだそうです。
・・・私の近未来とも重なりました。
最初の宣教で一度はボリビアを引き上げて大阪に戻った彼女ですが、その後2年もしないうちにボリビアに舞い戻りました。思うことあったのでしょう。


さて、私は結婚してから太りました。夫も太りました。ですから着ることができなくなった衣服をどうしましょう?ということになりました。私の脳裏にボリビアの恩師への送付が何度も思い浮かびました。というのも、彼女は私が中学一年生の時の担任でしたが、私は悪事の限りを尽くして彼女の心を痛めてばかりいたのです。「罪滅ぼしかな・・・それとも、償い?」と、洋服を手に取ってちょっと思ったりもしました。
母校には私から古服をボリビアに転送したい旨をメールで連絡し、ボリビアの送付先を教えていただけないか?と問い合わせました。ところが、母校からの返答は「残念ながら・・・」で始まるものでした。手紙にはボリビアはカトリック国なのに恩師が母校に不足しているものの送付を依頼し、母校がそれに応じて物品を送付しても恩師の手元まで届くことは「稀」という現実が書かれていました。恩師が日本管区に願う送付物は衣類ばかりでなく医薬品が多いそうです。本来、カトリック国ならば送付元にカトリック修道会の名前があれば「特別扱い」となることが多いのです。それでもカトリック修道会の名があろうと小包は盗まれてしまう・・・ボリビアの貧困は本当に深刻です。

母校から私への手紙には
「お気持はありがたく頂戴いたします。が、あなたの視点をもう少し身近に動かしてごらんなさい。きっと赤十字などあなた方の申し入れを喜んで迎えてくださる団体があるでしょう。ボリビアのシスターにはあなたの気持と祈りをお伝えします。」
とありました。フランスにはもちろんCroix Rouge Française フランス赤十字社があります。「Secour Catholique(カトリック救済団体)」をはじめとするボランティア団体、ピエール修道士(=毎年フランスの国民投票で尊敬する男性ナンバーワンに選ばれる方)が創立した「Emmaüs エマウス」というリサイクル団体もあります。

自分が何かしようと欲した時に遠くばかり見るのではなく、自分の足元から改善していく・・・目が覚めたような気がしました。母校を卒業してかなり経っているのに、いまだ母校には教えられることばかりです。

以前、私が母校を訪ねた時にシスターから伺った言葉を書き留めます。
「世界の平和を考えるなら、まず自分の家庭を幸せ一杯にしましょうよ。
そのつながりが社会全体の平和になると思うわ。ね?」
【Rétroliens*Trackbacks】
*園丁日記*:大寒(おおさむ...)の日に。 
そして、チマッチ神父 さまにそこはかとなく関連づけできる話だったかも。


le 21 janvier 2006, Agnès


「今もボリビアでどうしていらっしゃるかしら?」と私が心配していた恩師はご自身もかなりの高齢になられたので後輩に使命を引き継いで、ご自身は東京の修道院に昨年戻られました。
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by ma_cocotte | 2006-01-21 00:13 | 『?』なチュウナンベエ | Comments(6)
天然美音痴による油脂美顔術@裏飯屋
冬至を過ぎてからココんちのあたりは日に約2分ずつ日が伸びています。19日の朝は久しぶりに夜明けから太陽を拝むことができ、しかも黒歌鳥の歌声にのってキラキラとした薔薇色の陽光が広がりました。そことなく春がやって来たように思え、ベランダを見ると枯れ枝だった薔薇の茎に新芽が吹き始めておりました。嗚呼、春はそこまで来ている!

12月19日午前、私が日本からココんちに戻ってきてからもう一か月が過ぎてしまいました。年末にお湯騒動を経験したせいか、この一か月というもの日本のお風呂が恋しくてなりません。できれば毎日、肩まで、いえ、顎までぐーっと湯船に沈めてみたいものです。

昨年12月の前半を私は実家で過ごしましたが、外出しない限りずーっとテレビを見ていたような記憶があります。こうしてあの半月を振り返ってみると、わが母国日本國はあらためて恵まれた国、余裕がある国だなあ、と感じ入っております。なぜなら、テレビ番組で毎日のように「美容と健康」がテーマに取り上げられているからです。日本では美容王国とまで讃えられているフランスですが、テレビのCMで化粧品が宣伝されることはあってもごくわずかだし、元々ワイドショウ番組が少ないので美容スポット番組も毎日流れるわけではありません。雑誌も収入に対して紙そのもの価値が高いので日本のように雑誌が溢れかえっておらず、要領の良い人は買わずに地元の図書館で読んだり、借りたり、というのが主流です。フランスはまだ日本ほど美容や健康にお金をかける余裕がないようにみえます。

滞在中にテレビを眺めることで美容や健康に関してたくさんの知識を得ることができました。帰国してすぐ41℃のお湯に毎日10分以上入ると顔のシミが薄くなる、と情報番組で知りました。なんてすばらしいのでしょう!以前から試してみたかったオイルマッサージ洗顔をしながら41℃のお風呂に毎日浸かっておりました。気のせいか、かさかさだった肌がしっとりもちもちになりました。こうなってしまうと自己満足の世界に突入!です。お風呂に浸って「シミが薄くなるぅ♪薄くなるぅ♪」とつぶやきながらの実践、楽しくて仕方がありませんでした。

ところが滞在も10日を過ぎた頃だったか、あるトーク番組に元CD社美容部門に勤務し、現在はご自身でエステティックサロンを開いているという女性がゲストで招かれていました。なんでも彼女の両手は「魔法の手」と呼ばれており、彼女の手によるエステティックを行ってもらうには最も早くて3年後、その日まで予約で一杯なのだそうです。番組中も手軽にできる化粧水パックなどを紹介しておりました、コットンにお水と化粧水を沁み込ませ、顔全体にそれを乗せ、その上からラップで包んで放置するとお肌がツルツルン♪になるというものです。・・・へ~、いいぢゃん?・・・と思っちゃいましたが、フランスには日本のような上質のラップがまずござらん。簡単には実行できないわ・・・とすぐに諦めの現実に戻ってしまいました。

毎日テレビを見つつ、フランスでも実行できそうな美容や健康法を脳裏に刻んでいきました。(その延長線で深夜の通販番組で見た踏み踏みマッシ~ンなんてものも買ってしまったんだな。)実家滞在も残り数日となったある日、本屋さんに行くと先日見た元CD社美容マダムの著書がだだだだだーっっと平積みされていました。立ち読みにうるさくない本屋さんだったのでその本を手にとってめくってみたら、目次に
「オイルマッサージ、オイル洗顔はしてはならない」
とくっきりはっきりしっかりと書いてありました。す、すでに15日近く、わたすはお風呂で実行中。すかも「きれいになったかな?」なんてお風呂場のもやのかかった鏡を見てうっかりうっとりした日も数日あったわけです。なんだか大晦日前なのに自分の頭を除夜の鐘をつつくように殴られた思いをしました。

その数日後に私はフランス行きの飛行機に乗りましたが、機内でSU社のお茶の香りのオイル洗顔なんてものを買ってしまいました。だって日本滞在中、毎晩繰り返した湯船の中でのオイルマッサージ&洗顔は本当に気持ちよかったんだもん。元々私はお茶の香りの化粧品が好きなこともあり、南仏の田舎ではSU社の化粧品は簡単に手に入らないものでもある、等など、そして機内販売割引券もあったので買っちゃったのです。

あれから一か月、あの元CD社美容カリスママダムの完璧に美しい凛としたお顔立ちを今もオイルマッサージをするたびに思い出してしまいます。彼女のように美しいマダムになるためにはオイルマッサージは今すぐ止めるべきかしら?と思ったりもしますが、果たして本当にオイルマッサージとオイル洗顔は日本女性の肌にはよろしくないものなのでしょうか?

私は好きよ、オイルマッサージやオイル洗顔。
でも生まれてから一度も私の顔面からシミが消え去ったこともないし、鼻の頭の黒い点々もなんたらシートを貼っても毎日ローションを沁み込ませたコットンでトントンと叩いても決して消え失せたことはございません。今は叩きすぎて鼻の穴淵にメンチョだぜ。

フランスのド田舎でもお気軽ご気楽に家庭で実践できる美顔術なんてあるのかしら?一生に一度でいいからきれいな肌になってみたいなあ、と思うけふこの頃です。人生の手遅れだとはわかっちゃあいるんだが。ココんちで湯船にさえまともに浸かれないのによく言うよなあ。

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11月30日、飛行機に乗り遅れたことで泊まったロワシ空港そばのホテルの浴室です。
ここに置いてあったニュウトロジーナのボディローションは超優秀でした。必需品になりそうです。

le 20 janvier 2006, Sébastien


そうそう、元CD社美容カリスママダムが「肌の状態を調べる目安」を話してくださいました。ほっぺたに両手のひらを押し当てて離した時に、肌がなんとなく手のひらに残るような感じで徐々に離れていくというのが肌のThe best 状態なのだそうです。現在のところ、南仏の乾燥地帯におきまして、私のツラの皮でも現在のところ手のひらに残るように剥がれていくように勘違いしております。いいのかなあ・・・これで。
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by ma_cocotte | 2006-01-20 01:12 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(24)
もしも仏蘭西が島国だったら?
1月17日朝は雨で始まりました。気のせいか、春が間近に感じられる雨です。独特な湿気が漂っていて身体にまとわりつくとでも申しましょうか。毎年1月に入ってこういうどんよりした日が数日続いて太陽が顔を見せると、肌がきゅーっと締まるような錯覚を覚えます。そう感じるとあっという間に枯れ枝のようだった枝から芽がふいて、土からもひょっこり若葉が飛び出始め、だだだだだーっと春、あっという間に初夏になってしまうんですね。

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昨晩のことです。夜10時も過ぎてComplément d'enquête(コンプレモン・ダンケト) という毎回、数あるフランスの社会問題から1テーマを取り上げてあらゆる角度から検証する番組を見ました。実はこの番組の司会者がわたす好みなんですね。昨晩のテーマは「Disparitions :les enquêtes impossibles(失踪:不可能な調査)」でした。

ぼーぼっぼっぼーっと番組を眺めていたら、途中でどっかで見たことあるおっさんが登場しまして「あれ?誰だったかいな?」と凝視していたら、しばらくして名前が画面に登場。ココんちのタコの父親でした。すっごーい、全国ネットデビュウです。で、ココんちのタコは画面をぼーっと眺めて
「パパの新しい家は綺麗だね。最近買い換えた車も見たよ。
いい車ぢゃあないか。」
・・・はー・・・。ココんちのタコの脳味噌は完璧に母のDNAだな、こりゃ。
と、我が脳内にメモメモしました。

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話戻って、フランス共和国における失踪事件。

昨年12月はじめに帰国してたった18日間の滞在ではありましたが、日本のテレビニュウスやらワイドショーで幼児誘拐やら殺人について取り上げていなかった日はありませんでした。久しぶりの帰国で毎日このようなニュウスだったのはフランスのニュウスに見慣れてしまうと悲しむべきものでもありました。

フランスのニュウスでは滅多に誘拐事件や失踪事件について流れません。ド田舎に住むニッポン人の私にはどの程度の深刻度でこの手の事件がニュウスに流れるのかも知りません。一応、おおまかに言えばフランス国土は日本の1.5倍、人口は半分と見て、話を進めます。フランスの街中に出るとあらゆるお店の入口に行方不明失踪者のポスターが貼られています。日本同様、写真と失踪者の特徴が書かれたポスターですが、必ずしも警視庁公認ポスターではありません。中には家族による手作りのポスターが貼られていることもあり、この場合、家族が店一軒一軒を訪ねて許可をもらいながら貼っているようです。
誰かがいなくなった。
そういう時、この状況をどう表現するか?日本だとまず「誘拐」となりましょうが、フランスでは昨晩の番組のタイトルのように「失踪」という語が好んで使われているように思います。誘拐は他者による犯罪ですが、失踪は自身で決めたのかもしれない、と仮定できなくもなく・・・「うーん」と唸ってしまう感覚の違いかもしれません。

そしてフランスにおけるこの手の失踪事件のほとんどが長期化、というか、解決を導けない、というか、「失踪したまんま」になってしまうのです。フランスのどこかでトラックに押し込められちゃったら、西はともかく東に向かえば日本の手前まで移動可能、だってフランスはユーラシア大陸の中の一国なんだもん。それにフランスから東に向かって日本の手前の国って誘拐のプロ国。そんな果てしなく黒に近い話を拭っても、EUのヘソ国とも言われるフランスはオイロッパ大陸ほぼ全てのトラックが縦横無尽斜めに駆け抜けているし、地中海沿岸にはジプシーの聖地が点在しているのでジプシー各族も上下から集って来るのです。

こういう環境の中で失踪者を見つけると言うのは本当に「不可能な調査」なのだと思います。それでも親兄弟親戚だけでなく失踪した人を知る人が「もう一度会いたい」と思う気持に国境はありません。きっと再会できますように、と祈るばかりです。

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そしてもうひとつ。

2006年、フランス国内に最初に流れた事件はニースからリヨンに向かう列車内で、モロッコ人の若者たちが乗客20~30人にナイフで脅しつつ現金、携帯電話の略奪、女性2人に暴行した、というものでした。この事件、ニース駅から乗っていた保安官がサンラファエル駅で降りた直後に実行という計画的犯行であり、列車には約600人の乗客が乗っていましたが、一等車を狙った犯行でもありました。列車が動き出してからの犯行なので乗客は逃げようがありません。フランス人にはアルジェリア戦争以降、アラブ系の人がナイフで脅すことはイコール首切りを連想してしまうトラウマがあるので死を覚悟して現金や携帯電話を差し出したのだろうし、モロッコ青年ズもそういう心理を悪用しての犯行とも思えます。とにかく現金や携帯電話を奪って満足した彼らはマルセイユ手前で非常急ブレーキをかけてバッくれてしまいました。
コワいですね。オソロシいですね。
こんな事件が起こってしまったので、昨日16日月曜日から列車に警察犬を伴った警官が複数常駐することになりました。物騒な世の中で普通列車にさえ警官が常駐というのはありがたいことではありますが、そんなことが必要ない安全を願わずにはいられません。
「安」というのはひとりひとりの道徳が作れるものではないのかなあ?
誰かひとりでも「悪」ならば「安」は作れないのです、悲しいけれど。

le 18 janvier 2006, Prisca
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by ma_cocotte | 2006-01-18 00:27 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(14)
新潟、Mon Amour -はらほろひれはれ豪雪編-
14日土曜日夕方のことですが、私はいつも私のツルツル脳に皺をもたらして下さるあんとに庵さんのブログを訪問いたしました。なんでもあんとに庵さんがブログを展開している「はてな」の「はてなブックマーク」に豪雪状態をもたらしたブログ・エントリーがあるとのこと。あんとに庵さんの言の葉に誘われて読んでしまったのがこちら↓でございます。
NHK:豪雪の被害がたいへん…
…でも、なんであんなところに人が住む?
このブログは以前何度かブログ徘徊中に私も立ち寄ったことがございまして、本名や経歴も包み隠さず公表している潔いブログ主さんであることは存じ上げておりました。ブログ主殿は私が数年と言えど潜り込んでいた商社の北西に向かって二つ目の商社に2001年3月までいらっしゃった方で、関西生まれながら京都経由で世界を股にかけ、現在は新宿区余丁町にお住まい、そこからブログやメルマガを発信なさってらっしゃるようです。兎にも角にもこの方に「あんなところ」と呼ばれてしまったニッポンの豪雪地帯です。

ざっとこのエントリーを一読しての読後感は「随分すっぱりと豪雪地帯をぶった切ってくれたものだ」ということと、今回に限ったことではありませんが、つまりいつものことながらブログ主殿が書きとめられたことは「大学の階段教室での講義のような内容だ」というものでした。大学の講義のような中身というのは短絡的に言えば「理想論」であり、現実に即していないということです。神戸に育ち、京都で最終学歴を終え、その後一流商社で世界を飛び回っていたブログ主殿が裏日本の豪雪地帯についてどれほどご存知なのか、は私は知る由もありません。が、ブログ主殿がかつて勤務された大商社には国内部門もあることくらいは私は存じております。とにかくブログ主殿に
▼農村は、江戸時代の国民経済の「リーディングインダストリー」から、国民経済の「お荷物」に転落してしまった。
▼みんなあんなところに住むのは止めて都市部に出てくるのが、その人にとっても楽だし、日本経済全体の費用節減にもなる。
とまで書かれてしまった新潟県の豪雪地帯です。確かに先週から毎日のようにフランスの全国ニュウスでも大雪で深刻な状況に陥った新潟の様子が丁寧に何度も繰り返し映像と共に説明されていました。

実はブログ主殿が名言された「国民経済のお荷物」にはま・ここっつぁんの先祖の土地がございます。土曜の夜はこのような痛烈な文章を読んでしまったことで心と脳にうやむやなモヤモヤを持ったまま寝床につき、一夜明けた日曜日の朝、ココんちには恒例の実家からの電話がありました。いつもの連絡事項を終えて、父に新潟の大雪について尋ねました。
「津南というところが閉ざされてしまったんだって?親戚は大丈夫?」
と。すると父が「私が育ったのは津南の更に山ひとつ奥なんだよ」と言ってきました。娘(=私)、はらほろひれはれでございますよ。山ひとつ奥と簡単に言いますが、方角は長野県境方面!そう言えば新潟の方ならこれまたはらほろひれはれの県民誰もが知る超ウルトラスーパー豪雪地帯なんであります。なんでも父の叔母が数日前に亡くなったそうで、父がお悔やみの電話をいれ近況を尋ねるとやはり雪の話になったそうです。
「大雪が当たり前のあそこで「今年は凄い大雪だ」と言うのだから、それは相当の大雪ぢゃないだろうか」
と娘につぶやいた父でありました。前述のブログ主殿に「国民経済のお荷物」とまで命名されてしまった我が父の育った土地ですが、そんな土地でも主食から嗜好品に至るまであらゆるものをこさえては江戸をはじめとする諸都市に卸し、都会の人々はそれを消費しているのです。しかも良質なのに廉価なものが多い。ああ、それなのにブログ主殿に
▼自衛隊が国費の負担で民家の雪掻きなどしている。一見美しい話だ。
と言われてしまいました。自衛隊を派遣する経費が無駄と言われてしまう土地かもしれませんが、その土地が戦禍から私の父を守ってくれました。父が育った東京の土地や実家に残した思い出は全て燃えてしまったというのに。そして一集落が全員同じ苗字のような小さな村の一部ですが、そこにいつから私の先祖が住んでいるのかは遡れないほど昔から人々は生活していました。彼らが何もしないで山奥に篭っているのではなく、生業を持ち、日本國に税金を納めているのです。そんな山奥から昭和天皇の侍医守(じいのかみ)となった者もでました。私の父も成人して江戸に戻りました。でも、一方で先祖代々の土地を守り、耕し、世の人々に喜ばれるものを作り続けている人もいます。日本國は民主主義の近代国家であるはずなのに、まるで共産社会主義のように豪雪を理由に村民を一掃移住をたかがブログとは言え提案されてしまうとは。私の身体の半分に流れる先祖の血と連なる住民のみんなたちは都会に住むブログ主殿のようなヨソからの「移民」と変わらぬ同じ日本国民です。
▼自衛隊の本分は、一義的には外敵の侵略から国を守ることだ。雪が降ったからと言って、外敵侵入の危険が減ったわけでではない。雪掻きなら地方自治体の経費での消防主体で十分出来るはずだし、やるべきだ。
国民を守るべき自衛隊の方々に豪雪地帯の在住者は命を守ってもらえないのでしょうか。引越できないのなら危険に身をさらされていろ?と。ここ↑に書かれている「一義的には外敵の侵略から国を守ることだ」はまさに大学講義で展開される理想論と建前ではありませんか。豪雪地帯の雪かきに自衛隊を派遣したら外的侵入に対しての人材が薄くなるほど日本の自衛隊は矮小なものではないと私は思います。そしてそして、
▼大災害とは訳が違う。
あ、あんた、「雪国」と言われれば「川端康成」と答えれば最良の返答だと思ってるでしょ?
これだけの豪雪が降って、雪が溶けて水と化し、大地に浸透したら土はどうなる?新潟はあれだけ大きい重篤な地震を経験したばかりなんだよ。私の父の親戚、知人の家がどれほど地滑りの被害に遭っているか!おねげーでごぜーますだ、余丁町で豪語したブログ主殿。そう簡単に映画や夢のように村民一掃総移住は叶わないので、とりあえず今すぐ我が両腕では止められない地滑りをぴたっと止めてください。ガッコ頭のあなたならそんなことはオチャノコサイサイでございましょ? ああ、一晩経ち、夜道も明るい舗装された街道しか歩まなかったガッコ頭人間の暴言戯言を見聞してしまった・・・そんな気分のま・ここっつぁんです。
▼山奥にみんなが分散して住むというライフスタイルが、日本経済の高コスト体質をますます悪化させている!
ごめんあそばせ。一集落一苗字で。っふんっっ!(キタジマ級鼻穴開放状態ぢゃ)


le 16 janvier 2006, Marcel


な~んてこのように書きましたが、こう書くことがこのブログ主の思う壷でもあるのです。
こうしてご自身が話題の中心で騒がれることがこの方のおん喜びなんであります。15日夜(日本時間16日早朝)の時点でブックマーク121、このエントリーを含む日記25ですって!凄い数ですね、ブログ主殿はたいそう大満足でありましょう。
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by ma_cocotte | 2006-01-16 01:18 | 『?』な日本國 | Comments(40)
食べてみまシュケット?
こちら、フランス庶民の好物、Chouquettes(シュケット)です。
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クリームが入っていないシュークリームとでも申しましょうか。数式にすると
Chou à la crème(しうくりぃむ)-la crème(くりぃむ)=
chou à ぢゃなくてChouquette(シュケット)♪
クリームの代わりにキャラメルと化したお砂糖がこびりついた一口サイズのお菓子です。フランスならば午後になってからパン屋さんやスーパーのパン売り場に行くとたいていこのお菓子が並んでいます。町のパン屋さんならば量り売りかもしれませんが、写真は地元のスーパーで買ったもので30個入り3ユーロでした。キャラメルのほろ苦さが好きなヒトにはたまらないお菓子かも。
ぱっくん♪ぱっくーん♪とどうぞ。止まらなくなりますよ。

le 15 janvier 2006, Rémi

◎ おうちで作ってみましゅけっと?◎
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by ma_cocotte | 2006-01-15 05:00 | Ça était? | Comments(15)