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今宵、J'uis végétarienne.
・・・鶏肉に厭きた。ですから今宵は、しゅい・ヴぇじぇたりえんぬ。
 ▼végétarienne、ヴぇじぇたりえんぬ。菜食主義者végétarien(ヴぇじぇたりおん)の女性形。
先週16日以降、連日の鶏食生活に限界を覚えたこんにち、夕方になってパンを買いに出かけたら美味しそうなネギのキッシュ、Quiche aux poireaux が出ておりました。半径15cmは軽くあるこのキッシュ、1.80ユーロ!筋金入りのドけちの私はちょっとだけ迷ったけんども買ってしまいましたね。
フランスのネギ、Poireau(ポワホ)は日本の長ネギが肥満体になったような巨大ネギですが、秋に入って春を迎えるまで家庭の常備食材と言っていいほど庶民に愛されている野菜です。ポトフに入れたり、くたくたになるまで茹でて生クリームやコンソメと一緒にミキサーにかけてスープにしたり、器に並べてチーズをたっぷりかけてグラタンにしたり・・・。このキッシュはネギと玉子、エマンタルチーズ、生クリームに絡まってさっくさくのパイ生地の中に鎮座ましております。美味ぢゃよ~♪ほろっとした苦味が風邪も吹っ飛ばしてくれそうです。
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帰宅後、180℃に設定したオーヴンにキッシュをぶっこんで温めて直している間に冷凍グリンピースとにんじん(250g)をちゃっちゃっちゃとオリーヴオイル50cc&ニンニクで炒め、ほんのりコンソメ、好みで白ワインをちょろりんと水(1/2cup)入れて水がなくなるまでぐつぐつぐつ♪ 昔、南イタリア人のシスターから習ったレシピ、Piselli o funghi saltati in padella です。どんな肉・魚料理にも合う付け合せ(contorno)です。ぜひぜひ♪

Buon appetito


le 28 février 2006, Romain
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by ma_cocotte | 2006-02-28 04:13 | Ça était? | Comments(10)
大統領が躊躇わずに鶏肉を召し上がりました。
なんてニュウスが繰り返し流れる今週末、2月最後の日曜日。巴里の最高気温は3度、泣き出しそうな空模様、マルセイユは14度、なんとなく晴れ。

b0070127_1926157.jpgアレ から一年、今年もフランス共和国が国家生命をかけるビッグイヴェント「Salon International de l'Agriculture 2006 国際農業見本市2006」(→)が2月25日から3月5日まで花の都お巴里で開催です。
ホームページを覗けばよだれだらだらの美味しそうなものばかり、こちとらこの見本市開催中はニュウスのたびに自らがパブロフ犬人間であることを実感なんでありますが、今年の見本市は去年までとはちょと違う。何が違うかと言いますと、

ニワトリさんや鴨さん、シチメンチョさんが隔離されているのです。

ココんちの窓から見える高速道路ですが、既に「BARCELONA(バルセロナ)」と隣国スペインの都市名が道標として載っており、バルセロナを過ぎればジブラルタルの波止場まで行くことができます。ジブラルタルからフェリーに乗ってモロッコに上陸して地中海沿岸をエジプトに向かい東岸諸国を抜ければトルコに到着。トルコからギリシャを抜けてイタリア経由でフランスに入国すればやがてココんちの窓から見える高速道路に至ります。おおげさに言えば地中海幹線高速道路がココんちにとってどこの隣町に行くにも利用せねばならない道路なのです。
鶏インフルエンザ(仏蘭西語でGrippe Aviaire、グリパヴィエール)が 昨年10月トルコ で発見された段階で私ゃ、鶏インフルエンザのフランス上陸は時間の問題だと覚悟はしておりましたが、先週2月17日に東部Ain 県のJoyeuxで発見されてからフランスではそりゃ大騒ぎ!です。 なぜなら Ain 県は食用鶏Bresse(ブレス)の名産地 なのです。

17日に発覚後すぐ、Joyeux から方々に伸びる道路の境界はGendarmerie(憲兵隊員)に守られ、自由に車が往来できないようになりました。家禽類がピン(何せブレス鶏の産地です)からキリまで一羽たりとも密輸出されないよう憲兵隊がくまなく車内をチェック、タイヤももちろん消毒されます。村の周りは空に銃口を向けるハンターさんで囲まれてしまいました。
・・・そこはかとなく虚しい・・・?
いや、やるだけやってみよー!ターンターンタン♪ボロロボロボロ♪ターンターンタン♪
そんな矢先の2月25日、偶然にもEU一の農業大国フランス共和国が主催する国際農業見本市が開催され、翌26日にはヂャック・シラク大統領閣下が農林水産業の大臣(おとど)を伴って御御足(おみあし)を会場に運ばれお出ましくださったのでございますな。

もちろん閣下の御御務め(おんおつとめ)は、おん自らワイン片手に、臣民から差し出されたものは何でも召し上がってみることであります。Chef de l'Etat (=国家元首さま、仏蘭西びとが好んで使う呼称)が喜びをもってニコヤカに牛も鶏も玉子も召し上がることで、共和国民には狂牛病も鶏インフルエンザも心配せずに国内生産物を誇りを持って胃に収めることができることを、既にブレス鶏の輸入規制を発表したはるか10000km東の果ての島国には「恐れるな、金があるなら買いたまえ」と、日ぃ出づる國だけでなく世々に顕示されたのです。

ココんちですが木曜日の買出し以降、毎日鶏肉を食しております。なぜなら
なんでもかんでも鶏やら家禽類ならべらぼーに安いのよ、奥さん。
日を追うごとに誰も鶏肉を買わないので値下げせざるを得ないのが共和国内の現状なンであります。大丈夫かなあ・・・ココんち。身体の節々が痛いのは鶏インフルエンザのせいかしら。ま、それもC'est la vie、ってぇことで。神のみぞ知るですな。

国家元首さまがおん自ら鶏肉を召し上がってもたいちょぷなのは先週のタイ訪問で既に免疫をお持ちなのよ、きっと・・・なんてことはございませんよ。何ごとも一事が万事、完璧な用心に越したことはござあません。


le 26 février 2006, Nestor

『伝染病』つながりでちょっと小耳に押しつけさせていただきますけれど・・・。
フランス共和国海外県のひとつ、インド洋上に浮かぶ美しい島 La Réunion(ラ・レユニオン)で、chikungunya (シクングニヤ)と呼ばれる蚊を媒介にした伝染病が猛威を振るっており、24日現在既に157,000人が感染、77名が死亡しています。報道で見る限り、かなりレユニオン島内は深刻な現状にあります。レユニオンに入国される方は蚊を寄せ付けないように万全の注意を各自されるように、と公式声明が発表されています。若者さんは冒険なんて考えず、エラいひとの言うことはとりあえずきいてみましょう。
今年が流行り病(はやりやまい)の年になんぞなりませんように。

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by ma_cocotte | 2006-02-26 19:21 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(10)
美しい横顔@トリ~ノォ
毎日、オリンピックテレビ観戦を楽しんでいます。
運痴の私にとって夏であろうが冬であろうがどの競技であろうが、選手そのものが神秘であり、奇跡の世界です。笑顔も、汗も、涙も、何もかも美しく見えます。

移民の家なら当たり前の衛星放送はココんちにはありません。テレビ番組は地上波の無料放送のみを見れるのがココんちの日常です。ですからオリンピック放送は国営放送 France Télévisions のみで観戦です。きょうび日本國は視聴者の好みでオリンピック放送も選べるのでしょうか?うらめしや・・・フランスではまだそこまでの贅沢は共和国万民に行き渡っておりません。

かつて数年とは言え女の子だった私は久しぶりにフィギュアスケートの世界を堪能しました。

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France Télévisions のフィギュア中継の解説者はPhilippe Candeloro 氏です。

今から8年前、1998年の長野冬季オリンピックで彼、フィリプ・カンデロォロの人気は頂点に達したでしょうか。当時、会社の先輩がボランティアで長野オリンピックのフランス語通訳に登録したことでカンデロォロ氏と彼女が選手村売店前で一緒に撮った生写真がなぜか我が手元にございます。そこに写っているのは普段着の彼なンですけれど、シャツをトレパンの下に入れちゃってとても田舎な仏蘭西男です。氷上で舞う彼は美しすぎて怖かった・・・束ねた髪の後れ毛だけでもゾクっとしたべ?
仏蘭西ではカンデロォロ氏が日本で異常に贔屓されていることは有名で、テレビ番組では彼が登場するたびに日本人ファンからもらったHな贈り物が紹介されるのも当たり前です。もひとつカンデロォロ氏にまつわる話で有名なのが「ド」がつくケチで、苗字でもわかるとおりイタリア系の大家族に生まれ育った彼にはイタリア系大家族にお決まりの強いマンマと兄、姉がおり、カンデロォロ氏には既に妻子あるのに金銭管理は兄姉がガッチリ握って手放さないようです。引退後はアイスショーのメインスケーターとして世界各地を巡業した彼はそれなりにギャラを得たでありましょうに、現在もパリ郊外のMaison jumelle(メゾン・ジュメル)、つまり二軒長屋に住み続けているのも彼がテレビに登場するたびに話題に出る話です。司会者が「フィリプは金持ちなのになぜ長屋に住み続けているのです?」と質問すると、決まって彼が「税金対策。」と独特の甲高い声で返事をするのも常、彼のこの返答で出演者全員が大爆笑するのも常なのです。

そんなわけで神聖なオリンピック中継の栄誉ある解説者だと言うのに、フィリプ・カンデロォロ氏はいつでもどこでもトリノでも言動がユウモラスなのです。ココんちの仏蘭西♂はカンデロォロ氏の普通のヒト的面白さが好きと公言しますが、一度はフィリプに「夢見る夢子」だった私にとっては
「フィリプよ、しゃべるな。その甲高い声はもうよい。
氷上で騎士のごとく再び美しい剣の舞を見せておくれ♡」
と内心ぶつぶつなんでございますな。フィリプのせつない演技はたまらんかったゾロ。

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こうして荒川静香さんが2位にダントツの差をつけて金メダルを獲得し、24日夜のエキシビションでトリノ冬季五輪におけるフィギュアスケート競技の全日程を終了しましたが、21日女子ショート以降フランスの番組では司会者のネルソン(Nelson Monfort)もフィリプも常に繰り返し日本女子選手の氷上の表情の美しさは誰にも真似ができないとほめたたえ続けてくれました。23日夜、氷上で構えた演技直前の荒川さんの横顔は本当に美しいお顔でした。「挑む」集中力が息を呑むほどの美しさを醸し出してもいるのでしょう。村主さんの華奢な身体つきと切ない表情も欧州男にはたまらんでしょうなあ。ネルソンやフィリプがこだわるのも日本女子の演技を拝見していて理解できました。
かつての日本フィギュアは男女とも技巧優先で得たメダルでしたが、現在は技巧派の日本人スタッフと表現力の外国人スタッフによって頂点を迎えつつあり、世界にとって日本は無視できない存在であるそうです。ずっとずっとテレビから日本フィギュアを「誉めよ讃えよ」な言葉が聞こえ続けていると運痴な私までうれしくなりました。これから上り坂なんだ、
がんばれ、ニッポン!
久しぶりにぢっくり見たフィギュアスケート。男性が美しくなって、女性がたくましくなった印象を持ちました。ユニセックスとでも言いましょうか。男子、きれいすぎ♡ 美しすぎ♡ 仕草が私よりはるかに色っぽい。参りました。カルガリーオリンピックのフィギュアスケート場のドアボーイを見初めて以来の美少年ヲッチャーとしましてはエフゲニィエヴァンということで、まる♡


le 25 février 2006, Roméo
明日の夜、閉幕なのね・・・私の務めはイタリアの兵隊さんヲッチングだわ。
おとといは君が代斉唱と国旗掲揚時に敬礼してくださって兵隊さんの皆さん、
グラ~ッツィエのバーチョ♡バーチョ♡

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by ma_cocotte | 2006-02-25 21:52 | 『行け、行くんだ!』 Allez!!
赤い靴を履かされてヲーターゲートで踊ったおそ松くん。
先週末から、小学校の学級会のようなことを国会議場でやっているよなあ・・・とインターネットニュウスの見出しを斜め読みしながら思っていた私です。あの会議の担当になった衆議院事務局の速記者の方々などは、幼い頃に書き留めた日直やら週番日誌を思い出しつつ任務遂行されていたのではないでしょうか。

16日以降、国会において民主党主催で開催中のお祭り「メール真贋鑑定2006」ですが、県議会、市議会、町内会でもこんな祭りは話題にならんだろう、後援者にもなりたくないだろう、と私ゃ判断しました。なぜなら実社会で強風に飛ばされた封書をどこぞの公道で誰かが拾ったとして、その場で開封して舐めるように読み、自分の目に入る通行人誰彼構わずその手紙の内容についてしゃべります?小学生だって公道で拾った手紙を黙って広げて読んだりしません。警察に届けるでしょうよ。
そんなニッポンびとならあったり前のことをなぜ国会議員が国会議場で
実行するの???
このお祭りを初日からおさらいしてみますと、2月16日付の毎日新聞にこんなことが書かれておりましたようです。
毎日新聞は先月26日、武部幹事長と二男に、堀江前社長からの資金提供の有無について書面でそれぞれ取材を申し入れた。武部氏側は同日、「事実とは違う」と答えていた。
▼ライブドア広報グループの話 選挙は堀江(前社長)が個人でやっていたことで、会社としてコメントすることはない。指摘された事実については把握していないし、事実かどうか分からない。 (毎日新聞) - 2月16日13時8分更新
「先月26日」って1月26日ってことでしょうから、当時既に毎日新聞もこの件について何らかの情報提供があって、特ダネ!なんて公表せぬまま事実確認をしていることになります。1月26日の段階で武部氏が臭気を放っていたら毎日新聞は永田氏が国会で騒ぐ前に何らかの行動を紙上で行っていたでしょう。んでもって、この記事(↑)翌日の2月17日東京拘置所で堀江氏に接見した弁護士に、堀江氏は「そのようなメールを送ったことはない」と全面否定していることが新聞記事として公になっております。

そんぢょそこらのおばちゃんの私だって、この案件において仮定されるメール送付者と受取人双方が否定しているのに国会で送受信不明の怪しい「メール」という名の紙をひけらかそうなんて微塵も思わないのだが、なぜか「民主党の永田氏」は衆議院予算委員会の席上で送信者・受信者双方が「事実ではない」と言っているメールについて朗々と持論を長々と発表したことになります。しかも毎日新聞が社費を使って動きたい気持にもなれず一度収めた話題(冷凍食品?)を半月後に国会議場で永田氏が蒸し返し、他者によって品質に嫌疑がかけられて「こんなに美味しい品になぜぇ・・・」と泣く始末。
・・・あったま、大丈夫ですかーっ? (←瞬間イノキ)
昨日22日にはとうとう永田氏が議員辞職をほのめかしただの、どこぞの病院(おそらく彼の母校の医学部だろうが)に入院しただのがニュウスになっています。何でも永田氏が「自分の思い込みで行動し、国民や党に迷惑を掛けた」という言葉を残して天岩戸の向こうに身を隠してしまわれたようです。お、思い込みって・・・長浜の事件ぢゃあるまいし。
永田くんよ、休養前にあっちこっちでキミの言葉にそそのかされて
踊り続けている方々に何かねぎらいの言葉を残すべきではありません?
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ある小学校の一児童であるナガタくんが校庭の片隅で同級生ホリエくんの悪口が書いてある紙切れを見つけ、週に一度の学級会で「スキャンダ~ル!」として発表した、とします。なるほど、その誰が書いたのかわからない紙切れの中身はヒトの原罪に触れる美辞麗句な悪口だらけ、なぜか見聞しているうちに一緒に騒ぎたい気持に駆り立てられるパワーがあります。突然、学級会で思いあたる節もないことをあれこれ書かれ、やってもいないことまで自分のせいにされて「ぼ、ボクぢゃないよ」とつぶやくホリエくんと、ナガタくんが公表したホリエくんについての実しやかな噂で教室内の児童たちが二分し始め、その騒ぎを目の当たりにしたナガタくんはなぜか自分がスーパースターになったかのように勘違いしてしまいます。自分がホリエくんの裏本性を同級生に知らしめた正しい人物と思い込んでしまったナガタくんは自分を信じない連中を、時には恫喝、時には涙を持って批難し、いかに自分が正しいか主張します。外からこの教室内を眺めれば、この段階で既に主人公は「紙切れの文面を信じて学級で流布しているナガタくん」であって、決して紙切れに悪口が書かれていたホリエくんぢゃありません。教室が大騒ぎになって、裏ホリエの暴露者として自信を持ったナガタくんは児童会にこの話題を持っていく!と叫んだところで、その学級のマエハラ担任はどう判断するでしょうか?児童会で発表するより職員室の教諭陣やハトヤマ校長センセにまず判断を委ねることでしょう。6学年中の一学年の一学級で騒いでいるホリエくんについての「噂」をなぜ全校児童会で公表する必要があります?校庭で拾った誰が書いたかもわからない一児童の悪口なんて全校児童が興味を持つ話ですかね?全校児童が寄ってたかってホリエくんを責めるきっかけにこんな紙切れがなりますか?普通のヒトなら噂のターゲットであるホリエくんをナガタくんと一緒にこき下ろす前に、
誰が噂をその紙に書いて校庭に捨てたのかを調べ、
悪口を書いた人物がホリエくんに持つ私怨を調べるンぢゃないの?
早ければ翌日には「昨日おうちに帰って学級会の話をおかーさんに話したら、そんなナガタくんが言い始めた根も葉もない話に関わっているより一流中学に入れるためのお勉強してちょーだい!って言われたよ。噂の言いだしっ屁のナガタくんはボクの勉強の邪魔がしたいのかなあ。」と距離を置く子供たちが出てくるでしょう。ナガタくんは同級生から見ると「ホリエくんの真実を暴いたスーパースター」ではなく、「ホリエくんの噂をクラスメートにし始めた、噂の言い出しっ屁」というレッテルが貼られちゃいました。あらまぁ!?

ナガタくんに赤い靴をはかせたハトヤマ校長もノダ共闘教頭も、彼らにノーと言えないマエハラ担任も責任重いよ。


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さて現実に戻りまして、永田氏が辞職宣言したり入院したことで民主党はまるで彼個人が勝手に思い込みすぎて会議場で暴れたような言い方をしているようですが、そりゃ、あんた、違う。あの会議の席に立てるのはただ一人であり、「立っていいよ」と許可した人物は誰なのかね?しかもこんなくだらんネタ、永田氏が「発表したーい!したいんだよー!」と駄々をこねたとしても、他に準備せねばならないことがある、機は熟していない、と抑えるのが(民主)党幹部の務めなのではありませんか?こうなっちゃうと、民主党が当初もくろんでいた「堀江氏と武部氏の癒着」へ向かう一直線の道に脇道ができちゃいましたね。国民の誰も、一小国民の私だって堀江氏と武部氏に「何か」なるものがあるならきちんと事実を突き止めて欲しいのです。野党第一党の民主党だってそうでしょう。おそらく民主党の方々は永田氏からこのメールを持ち出されてまず連想したのがウォーターゲート事件を取り上げた映画「大統領の陰謀」で、党員の皆様方おん自らがロバート・レッドフォードやダスティン・ホフマンにあっと言う間に変身しちゃうような快感がこころに走ったンでしょうが(笑)。人生、そう簡単に格好よくはならんぜよ。それに新聞記者は決して国会議員ぢゃない。
が、民主党の先生方よ。あのメールはあまりにもおそまつ過ぎる・・・。
OL2年生ならビールをぐび~っと飲み干しつつ「アタシだってあれくらい作れるわよ」と高笑いされちゃうような「メール」という名の印刷物なんて発表しないでください、先生。こんなことで見かけの箔にこだわっていることが国民にバレたら先生ご自身の信用が失墜いたしますよ。

永田氏の辞職願いに伴って彼のプロフィールなるものも私はまじまじと拝見しましたが、どっからどう見ても永田氏は坊ちゃん育ちのメール活用世代ではありませんか。日常でメールを利用しているヒトが尋常でこんなことするのか?と私は疑問を持ちましたが、入院しちゃった経緯を拝見すると尋常ぢゃなかったみたいだし(笑)。それは兎も角、永田氏は誰かに「踊ろう、赤い靴」を履かされてしまい、踊らずにいられなかったのかな?とも私は見出し斜め読みで推測しました。「踊ろう、赤い靴」というのは子供の頃に見たクラシックバレリーナが主人公のドラマで、赤いトウシューズを履いたら踊って止まらなくなるという内容の主題歌が流れていました。どう考えても永田氏がご自分の脳味噌で判断して衆議院予算委員会の舞台で踊ったとは思えません。永田氏本人がおっしゃるように「思い込みすぎて」踊ったのなら、どこぞの大学の歓楽サークルレベルの話に堕ちてしまいますし、しばしば女子大生に「頭を経由しないで行動する」と笑われる永田氏のご母校の体育会系ノリにも思えます。楽しければ公道で何をしてもいいわけありません。彼は私信メールをチラシのごとく国会議員である立場を利用して公共電波に乗せましたが、例えば駅前でティッシュやチラシを配るのだって普通は警察など許可を取るはずですが、永田氏はそんなこともご存知ない、他人任せでできる環境で育ったお坊ちゃまだったのでしょうか。

23日官邸でスカの純さまは
▼疑惑を言い触らせばいいという姿勢は避けた方がいい
▼野党第1党の党首。頑張ってほしい
とおっしゃったそうですが、こればかりはスカ純よ、「ご尤もだ」と私も同意。
永田氏は公衆で疑惑を言い触らして同情やら同意を集めて祭りを盛り上げたかったンでしょうが、世間知らず過ぎだし、衆議院議員たるものがそんぢょそこらのアホサークル主催者に堕ちてどうする?野党第一党の民主党についてはやはり党を支える執行部、参謀、ブレインズの再生と、党意の再確認ですな。・・・って、これが民主党にとって一番難しいのはわかってるって。党意の不一致ががんと化す前に分裂しちゃいなさいよっ!

永田氏については学園祭のノリを国会に持ち込んだ「おそ松くん」としか想像できまへん。どうぞ、ご母校が頑なに着用し続けている「ペン先罰点ボタン」の学ランをお召しになって休養の日々を楽しんでくださいまし。

ったく、おそ松くんが提供したネタで、この事件はおそ松くんに赤い靴を履かせたのは誰なのか?も、みんなたちが調べなくてはならなくなっちゃったではないの。知りたいよね、おそ松くんにガセネタを与えて信じ込ませ、祭りの主催者に仕立て上げた裏の誰かさん。常に高笑いしているのはこのヒトだよね。永田氏が消えた今、今度はどんなターゲットを翻弄させて踊らせようとしているのかしら?性根、腐ってる。本当なら民主党が一丸となって堀江-武部ルートを調べるはずだったのでしょうに。見事、党意を二股に分けて集中力を弱めることができたのはこの誰かさんあってのこと。
大したものよ、裏の誰かさん。
先週、永田氏が国会で踊りを披露して「祭り」は最高潮となり、銀行休業日の土日と月曜日を挟んで民主党から「メールの真贋立証断念」宣言。この麗しの4日間を有効に使って誰が何を行うことができるのか推測するのがミソでございますが、そんなことはブンヤのみなみなさまが既に動いていることなので、話の展開を期待しておりますわ。
こんなケツから手ぇ入れて歯ガタガタ言わしたろか級のクダらない話、見る目を持つのも、聞く耳持つのも時間の無駄ですが、何せ国会議事堂で起こったンでござーますので取り上げてみました。そんぢょそこらのオトナがこんなことしでかしたら、
ヴぁーか、ヴぁーか、お前のかーちゃん、出べそ♪
の恥さらしだぞ、おい。


le 24 février 2006, Modeste


【Rétroliens*Trackbacks】
*HOME★9(ほめく) : 前原民主党代表は辞任すべきです
*Letter from Ceylon : 平沢告発「堀江メールはねつ造、証人喚問出てもいい」
**園丁日記 : 民主党さん、冷たくてごめんなさい。

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by ma_cocotte | 2006-02-24 18:46 | 『?』な日本國 | Comments(10)
脳味噌は見かけの大きさぢゃないんだよ。
中学生になってまもなくのある日、担任が私たちの目の前にバレーボール、ソフトボール、新聞紙を並べ、まず大判一枚の新聞紙をぐちゃぐちゃに丸めバレーボール大の球状にしました。バレーボールと同じ大きさになった新聞紙を並べて
バレーボールと同じ大きさと丸さでも新聞紙ですね。
と、ニッコリ笑った担任は更にそのバレーボール大の新聞紙をぎゅっぎゅっと上下左右から押し込んでソフトボール大にしました。バレーボールの大きさだったのにソフトボールの大きさになった新聞紙。それでも元はといえば同じ新聞紙です。本物のバレーボールの球面、ソフトボールの球面の表皮を広げると明らかに面積は違いますが、丸められた新聞紙はバレーボール大であろうとソフトボール大であろうと皺を伸ばして広げれば同じ面積であり、その紙面4ページには同じ字数と内容が載っています。

担任の話では、ヒトの脳は生まれたてだと外面の滑らかな球に喩えられ、ヒトが毎日の生活の中で覚えること、知ることが皺となってツルツルの脳に刻まれていくそうです。ヒトが何事であっても知れば知るほど脳の皺が自然に増えるので、日頃の生活で「知ること」を怠ったヒトと「知ること」を楽しみにしているヒトの脳を平面に満遍なく広げたとしたら、本物のボールの表皮の総面積とアイロンがけしたように広げた球状の新聞紙との違いと同じくらい、面積も、そこに刻まれている文字や知識など中身も異なるのだそう。例えば、帽子のサイズがLLの頭蓋骨であっても何も興味を持たず知ろうとしない脳と帽子のサイズがSの頭蓋骨であっても日頃興味津々に物事を知ろうとする脳では帽子サイズSの脳の方が広げてみるとLLサイズの脳より面積も広く、内容量も豊富だということです。
ちなみに私はLLサイズの頭蓋骨にツルツル脳を納めております。
しかも人生は下り坂。ほほほのほ。
そしてヒトには生という運命(さだめ)があるので、この世に生まれてから生におけるピークを迎えたら、その後は老いていかねばなりません。ヒトは若ければ若いほど知識を脳に皺として刻んで簡単に記憶することができるので、興味を持ったことには失敗を恐れずに取り組んで、自ら自分の脳を最良の脳につくり、育ててみましょう、と担任はダボダボの制服を着た中学一年生の私達に熱く語りました。

わが担任の兄上は新聞記者だったこともあり、担任は私達に新聞を読むことでどれほどの宝を得られるか、についても話してくださいました。毎日、新聞に目を通すことで世の中がわかる、漢字を覚える、意味がわからないことは辞書を引くという習慣も身に付く、等等至れり尽くせりの新聞講読。朝刊を一面から最終面まですべてくまなく読むのは中学生には時間的にも力量でも難しいので、せめて毎日、一面から最終面まで全ての大見出しを読めば、その習慣だけで成人してから自身の知識や雑学に満足できることになるのだそうです。なんて担任の話を鵜呑みにした私はそれ以降、毎日、新聞の見出しだけは目を通すようにしています。現在はインターネットで見ることができるニュウスや新聞の見出しが中心ですが、わが身体が老化に向か始めているのをそこココ彼処で実感しつつも、この習慣だけは怠らず続けられることができなくなる日まで私は続けようと思っています。
動物の脳は究極の神秘。
切っても切っても個の「思い」は形となって手に取ることはできません。

le 22 février 2006, Isabelle

花のお江戸は本郷の医学部の脳味噌コレクシオンのひとつに夏目漱石の脳がござるが、その重量は1425gだそう(流石、本郷はニッポンイチ。私が勤務した医学部の自慢は日本最大のサナダムシの標本だった・・・)。
ちなみに成人男子で1300~1500g、成人女子で1200~1400gが脳の平均重量で、脳に人種差はなく、男女差も微々たるものであり、漱石先生の脳も平均的な重さ。凡人と天才の脳の違いは神経細胞のつながりを脳味噌の持ち主が作り続けることなのです。
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by ma_cocotte | 2006-02-22 03:16 | 『?』なたわ言 | Comments(16)
クチだけぢゃないよ、手だって『災いの元』
先日聖ヴぁらんたんの日、ブログ徘徊中に内田樹の研究室:『常識の手柄』を拝読しました。内田先生の文章ですが、ツルツル脳の私なんぞは読んでいるうちに何のこっちゃかわからなくなるのが常で、そうでありながらも自分なりに考えて我がこころに「何か」を残すことになります。それは内田先生が読者に伝えたいメサージュと、拝読後わがこころに生まれた「何か」が一致するものなのか、まるで違うものなのか、も互いに見知らぬままでは確かめることもできません。自分で書いたものを後に自ら読んでも意味がわからなくなることがあるのに、他人さまから持論について反論された途端、殻に閉じこもって賛美者のみの甘汁を吸うというのもオトナ気なく、反論も文章書きの栄養源と吸い込める器も必要でありましょう。(簡単に天岩戸の向こうに隠れて他人に踊ってもらって束の間の賛美と快楽で満足する奴もいますがね)。

・・・な~んて、先生がまさか我がツルツル脳が発するような結論やら思考なんて微塵たりとも思い浮かぶまい、などと思いつつ、由無し事が朝っぱらから頭に浮かんだのでちらり書いてみます。

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ここ数週間、日本國ではホリエモンやらイラク-英國周遊の旅からご帰国されたばかりの若くして「自由文筆家」であらせられる坊ちゃんについての話題が持ち上がりました。いずれの件にもインターネットという文明の利器が関わっており喧々囂々の賛否が飛び交っています。確かにインターネットを接続するための最初の一歩はこんぴーたのスイッチを入れることですが、そこから先のe-mail、ブログ、HP、掲示板などはそれぞれ明らかに別の空間です。その中でもe-mailは基本が一対一のやり取りであり、多くの利用者はメールボックスを利用して、あるひとりのヒトから自分宛に届いたメールを読んでいることになります。つまり私信です。私信であるe-mailと世界中の誰もが自由に読めるブログ、HP、掲示板での発言は平等の扱いにはできません。少なくとも公衆である後者の3手段では自己の発言に責任を持つ、公衆で声高に泣き喚けば本人の思惑に反して顔をしかめる他人もいる、くらいはヒトから産まれた成人なら普通想定できることです。一年以上経った過去のことだから、相手のメールにはHNのみで姓名が書かれていないから、相手が(自分に対して)悪いことを書き送った(と、自分が決め付けている)から、という理由を掲げて、私信であるe-mailを無断で公衆に発表できるのでしょうか。公道でチラシは配布しても私信は配布しません。

若年性自由文筆家の坊ちゃんについては、彼がそこまで考えず、考えられずに実行したことは明らかなので、しばらく彼は世論に耳を傾けて常識を身に付けることが大事。たった二十数年生きただけの彼には残りの長い人生で成長し続けねばならないことが多々あります。

んが、もうひとつのホリエモンたんの件。国会における野党第一党によるメール公開とスカ純首相の「ガセネタ」発言などは  ざますね。この件をずっと傍観していますが野党第一党さんにはこんな公衆での愚行を止める弁護士はおらず、それどころか「大丈夫。私なら勝てます。」とでも言って恥曝しを党員に挑発する弁護士がいるのかもしれません。変だよなあ、弁護士という職業は日参するほど郵便局で内容証明書類やら書留の送付手続をするのが初歩であろうに。差出人のHNやメルアドを黒く塗りつぶしただけのメールコピーを「本物」と主張できるなんて、発表のためにひな壇に登った方はおそらく郵便物はもちろんe-mailさえ秘書任せなンでしょう。

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野党第一党のメール公開の件を見ていたら、ジャンヌ・ヴァロワなる女性が偽造メールを作って革命直前のフランスを翻弄させた「首飾り事件」を思い出しました。メール公開緊急記者会見でひな壇上の方は「提供者の理解を得た」とおっしゃったそうですが、この実しやかなメールの提供者に当たる人がいるとしたら、まさにジャンヌ・ヴァロワに相当するのではないか、と私はちらり想像してしまいました。首飾り事件首謀者であるジャンヌなる女性は上流に這い上がるための手段を選ばない人物であり、王妃の偽サインを入れた偽造書簡を作成したのも金品を手に入れることと売名のためでもありました。ホリエモンメールの提供者さん、いつまで隠れていられるのでしょう?それとも既に出番を想定しているのでしょうか。

数日前、皇室のご慶事についてある全国紙が「とあるご学友から漏れた情報」と称して夕刊紙やら紙質の悪い週刊誌に掲載するような記事を載せましたが、全国紙が氏名も公表できない学友の戯言をまことしやかな断言のごとくの記事にしてどうするよ? 紙面の無駄にしか見えなかったぞ。そんなクダらん記事は歴史と誇りある全国紙に載せなくてよろしいのです。それとも購読者数を上げるためには手段を選ばない?・・・堕ちたものよの。
とある提供者さんのご理解を得て「まことしやかなメール」を公表した野党第一党もこの全国紙の愚行と同レベルです。名前も公表できないような人物から提出された黒線だらけのメールを野党第一政党が安直に公衆にさらすのはいかがなものか、と思います。かえって国民の信頼を失うのではありませんか?でも、おそらく、野党第一党さんには、
許可を取れない理由があるのでしょうね。
と、私は決め付けておりますが(笑)。野党第一党の誇りあるならば、まずは賢いブレインズを揃えて打倒与党を叫んでください。

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野党第一党さんにしても自由文筆家の青年にしても何時でも何処でも人権やら弱者救済を訴えていらっしゃるのに、自分自身の可愛い玉に他者から爪を立てられたり傷を付けられた途端、反論できない弱者を公衆で傷つける行動に出ました。あまりにも、呆れるほどに、矛盾したロジックなんだけれど。自分を守るためには自分に従わない他者を手段選ばず公開処刑できるなんてヒトとしての性格が悪いですよ。

旧約聖書のアダムとイヴによる人類最初の罪の話になぞらえられるように、誘惑がそれを見聞したヒトの快楽や満足となるならば、そのヒトは誘惑の林檎を手にとってしまうことが多々あります。見るからに美味しそうな林檎をかぢったら中は汚臭を放つドロドロの実。口を濯いでもその食感と臭いはトラウマになって簡単に拭えません。まやかしの誘惑に負けた彼らは愚か者だけど、自分も愚かだからなあ。カラカラっとは笑えません。うまい言葉や外見に騙され堕ちないように真を見抜くこころを育てねばのぉ。

そして紀元前6世紀頃には既に「嘘つき少年」の話がイソップによって語られていたとも伝えられています。「狼が出た」と公衆で触れ回ることで、それを信じた人々が戸惑い騒ぐのを楽しんでいた「言いだしっぺの少年」。自分の演出(=嘘)で踊る他人を眺めては喜んで、彼らが踊り疲れたら次の自己を満たす喜びを求めて、新たなシナリオを書いて新規ダンサー募集・・・なんだよ、おい、この嘘つき少年の話って
自らの欲望を満たすための自作自演?
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この手の事件、大なり小なり、重なり軽なり、必ず「話を持ちかける者」とその話に「乗ってしまう者」がいます。そして紀元前だろうと21世紀であろうと、誘惑をちりばめたシナリオを生み出す「天才」は存在するものです。

郵便局に足を運ぶ必要もなく、第三者に内容証明を頼むこともなく、インターネットさえあれば職場どころか自宅にいながらにしてe-mailで案件が送れる時代にはなりましたが、e-mailを使いこなせばこなすほど意図も簡単にメールの内容はもちろん発信者やら日時まで偽造できることもわかることです。e-mailの信用度が普及度に追いつかないのはそこに原因があるのでしょう。だからと言って、書留でもなく、内容証明もないe-mailだからと軽んじて公衆でさらす権利は第三者にはありません。とっころが、ジャンヌ・ヴァロワのごとく
書簡の偽造なんてヘソで茶ぁ沸かしながら、あたくしにはできてよ!
なんて薄笑い浮かべながら悪びれもなく誘惑満載の偽造メールを作成し、他者にコピーを配布しまくって、彼らが騒ぐのを愉快と思うヒトビトがこの世にはいるのです。前述の内田先生ぢゃありませんが、書き手が心をこめて書き連ねたところで、読み手の心象による手前勝手な快楽や快感に変わり、書き手が望みもしないお祭りなんて起こされたとしたら?・・・インターネットの世界なら、既にメールを送付したヒトの意図なんて無いに等しいですね。しかもこの世界には悪魔のクチはまったくいらない、悪魔の思考と手さえあれば実行できちゃうンだから。

b0070127_17372337.jpg←2月8日、フランスで人気の週刊風刺新聞
Canard Enchainé に掲載された画。
イスラームの認定印つきという風刺の風刺画ですが、両手がないように連想されます。手ぇなくとも風刺画を描き続けるのでしょうか?
ジャンヌのように背中に犯罪者の焼烙印を押されようと、この風刺画家のように両手を失おうとも「書きたい」と欲すればヒトは心の臓が止まるまで書き続けるもんです。
嗚呼、それが自由。それが民主主義。

自由文筆家ご本人、野党第一党さん、去年9月に済んだ風刺画事件を今年二月に蒸し返した誰かさんなどなどは嘘つき少年やジャンヌ・ヴァロワのごとく「言いだしっぺの祭り主催者」です。常に動き回っているのは誰?とこの手の悪事を冷静に眺めてみると、言いだしっぺ主催者が四方八方に祭りの趣旨説明やら参加要請運動を行っており、その趣旨に耳を傾けると彼らの真の目的が仮想敵の撲滅より自己満足だったりします。自分の趣旨に従わないと恫喝したり賄賂を送るなど感情的行動も世の常。くだらん。いずれにせよ、言いだしっぺの「ぺ」は「屁」。一番、
臭い、 くさすぎ~っっ!
何とかしてちょーだいっ!・・・って、奥さん。臭いニオいは元から断たなきゃダメなんだけれど言い出しっ屁を消去すると、世の中の平和が垣間見えたりするものです・・・不思議よね~。

le 18 février 2006, Bernadette

世界のどこであっても、箔だけの強者どもの言動には卑怯と傲慢を連想させます。
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by ma_cocotte | 2006-02-18 14:42 | 『?』な日本國 | Comments(15)
『世界のヘソ』はどこにある?
昨年12月帰省した時、日がな一日テレビを眺めていたら、オータ総理なる人物が数名のブレインズ(閣僚?)に案件を提示し、それについて賛否を求める、という番組を見てしまいました。国会と合衆国型陪審員制度を合わせたような番組だなあ、と観ているとオータ総理のブレインズに二名の亜米利加びとがいました。お二人のような亜米利加びと特有のアクセントのキツさもなく流暢に日本語を話すガイジンがきょうび日本國でもてはやされるようになったンでしょうね。兎に角、オータ総理からいくつか案件が提示されたけれど、どの案件も私の記憶にありません。が、しかし、この亜米利加びと二名が何度も大声を張り上げて主張した台詞は現在に至るまで鮮明に我がツルツル脳に残っております。
アメリカは『世界の警察国家』だ!
この台詞を一度聞くだけで、なぜか私の脳内では思い切りねばっこくてしつこい形と化すのに、このお二人、10回くらいこの台詞をお口から出してくださいました。うるさい、五月蝿い
それって誰が決めたンだね?
目ぇ瞬かせて、花のお江戸を治める閣下のような口調で突っ込みを入れたくなるこの台詞、『亜米利加は世界の警察国家である』を私が初めて知ったのは子ブッシュがイラク開戦を宣言した頃でした。当時、亜米利加東海岸に赴任していた国際関係法学を学んだ友人から「合衆国がこの勘違い、すなわち『亜米利加は世界の警察国家である』を捨てない限り、世界各国はどんどん混沌の中に落ちていくだろう」とメールで教えてもらいました。友人とは東海岸と仏蘭西のド田舎でメールやらチャットでイラク開戦について語り合いましたが、どうも亜米利加の警察は秘密が大好きなようで、仏蘭西で流れた開戦後最初の米国側戦死者についての話も、ファルージャでの悲劇も亜米利加国内には上澄みのみを国民に知らせた形でした。仏蘭西のニュウスで繰り返し放映された目を背けたくなるほどの悲惨な場面はついぞ亜米利加では放映されませんでした。
オータ内閣における合衆国出身のブレインズお二人は正真正銘の合衆国民ではありましょうが、誰が言い出したのかもわからない「アメリカは世界の警察国家である」を彼らは信じ切って、いちおう、とりあえず、たぶん、合衆国にとって「ガイコク」である日本國で宣教師のごとく「合衆国福音」をのびのびと語ってらっしゃることになります。彼らの発言を果たして何人のニッポンびとが信じるか存じませんが、テレビ番組で彼らが重用されるというのは「布教成功」の証かもしれません。

しっかし、オータ総理。「影の内閣」であれ「日の当たる内閣」であれ、ブレインズに外国人を置くのなら合衆国民のみというのはあまりにアンバランスではないでしょうか? この広い世界のたった一国ですぜ? 毎日FENを聞いてアメリカ大好きだった子供の頃の私だったら、このお二人の決め台詞に「Oh, Happy days」なんか唄いながら盲目的に賛美してしまったことでしょう。「ぶらヴぉ、ゆ~ないてっど・すていつ!」と。物心ついてからの私は「世界は合衆国と日本のためにある」と信じており、いくら世界地図を眺めても子供の自己中心では弱そうでダサい他国には目も向けず、知ろうとしませんでした。広い世界を知らないでいることが、私が合衆国を愛し続けていられる手段でした。もちろん当時の私は「合衆国は世界のための警察」なんて難しい文章には蛍光灯の頭でしたが、「米語は世界言語」と信じていたのは事実です。リンガフォンも英語ではなく米語を選んだくらいだもの。でも成長するにつれて、この広い世界は決してユ~ナイテッド・ステイツが中心でないことはわかってきました。

確か1998年頃、タケシ・キタノさんが日本語を流暢に話す世界中の人々を集めて討論させる番組を持っていました。タケシさんやテリーさんがニッポンびととして反論したり仲裁したり、なかなか見ごたえのある番組でした。あの枠で出演者誰もが自由に発言できるのは、戦勝国倶楽部「国際連合」よりも恵まれた空間のようにも私には見えました。

「合衆国嫌い」で有名な仏蘭西に住むようになってわかったことですが、仏蘭西が主張するように合衆国が決して世界の中心でないにしても、国益や軍事力、経済力など現代において無視できない面で世界一である合衆国の動向は仏蘭西でも取り上げざるを得ません。仏蘭西だけでなく世界中ほとんどの国で合衆国と友好かつ国交を結んでいれば、合衆国についてクソ真面目な話題からガセネタまでマスコミで丁寧に取り上げられ、誰もが「合衆国とその主(あるじ)」について知ることができるのです。その合衆国に住む人々における「我が母国は世界中が注視する国」という自覚が、今では「合衆国は世界の中心、世界の見本である理想国家、世界を見守る法の番人国家」という考えにまで煮詰まり、こういう一見「誇り」のような考えを国民全員が持つことで総移民国であるアメリカ合衆国の団結につながっているのかもしれません。


政治でも、経済でも、国防でも合衆国が世界一かつ世界の中心になることを良しとしない欧州各国がEU(欧州連合)を建国して阻止しよう、と動き出してから数年が経ちました。EU建国言い出しっぺの国々がEU国家の主(あるじ)の座を狙っていますが、21世紀に入ってから立地条件やら経済、軍事の安定度でフランスが「欧州の中心」と自惚れ始めているのも散見できるようになりました。元々世界中で半万年昔から「欧州における中華思想国」と陰口を叩かれているフランスですが、その悪口を払拭するどころか、「あら、バレた?」と開き直っているようにさえ見えるのが、現在世界で騒がれている「預言者ムハンマドさま風刺画事件」でもありましょう。

この事件、初っ端はデンマークで起こった事件です。ノルウェーに飛び火して、文明の利器である携帯電話やらe-mail、ブログなんぞで当事者であるイスラム系移民が国境を越えた蜂起を呼びかけていることになります。もちろんそういう騒乱を好む愉快犯もその中に含まれます。フランスにもイスラム諸国からの移民が多いので、デンマークに新天地を決めた親類縁者から事件について何らかの報告が入り、それがぴーちくぱーちく広がって、何がなんだかわからなくても「同胞の一大事」と取り合えず抗議行動に参加した者も出ました。今のところ、フランス国内ではこの事件について法に則った抗議集会やデモが行われているのみで、暴動をはじめとする他者に恐怖を与えたり、連想させる行動は行われていないことになっています。この事件、どっからどう眺めてもフランス共和国にとって他人事です。どこをどう間違って、何を考えているンだか、世界初の人民革命発祥国だとか、政教分離先進国だとか、民法の国やら法治国家なんて自惚れでヨソの国やら加害者、被害者を裁こうとしている人々がいるのは、傍観者として妙にシラけます。「いつからフランスは「欧州における警察国家」になったんだね?」と問いたいくらいです。共和国内の非宗教(←無宗教ぢゃありません、非宗教です)のマスコミ各社がこの件に手や足、顔を突っ込むことで東の果ての日本國ではまるでフランスが事件の当事者、加害者であるようになってしまっているのも「時既に遅し」です。一度塗られた誤解という漆やら箔をどのように剥すのでしょう。剥すには貼るための手間や時間の数倍かかるものです。

フランス語でへそ(臍)は nombril (ノンブリル)と言います。
辞書で nombril を調べてみると、へそ(臍)という一文字どころかかなり多くの意味が載っています。まずはこれを紹介しましょう。
Il se prend pour le nombril du monde.
《会話》 自分が世界の中心(大物)だと思い込んでいる。
「アメリカは世界の警察国家です」と自画自賛でうっとり自己紹介しちゃう亜米利加や、デンマークで起こった事件を我が事のように敏感反応して騒ぐ仏蘭西はまさにこれ↑でしょう。「あんたに関係ないよ。あんたのことを話しているンぢゃないよ」と言っても、「いえいえ、私のことでしょう?私に入って欲しいのでしょう?」と話題の中心に成りたがる・・・押し売り型平行移動級のコヂツケ押し付け行為というのは争いを嫌う人、平和を願う人に嫌われて当然です。
次にこれ。
Il se regarde le nombril.
《会話》 自分にしか興味を持たない、うぬぼれる。
ふむふむ。これは「おとなこどもおんな」のレイラですな。フランス人のクラスメートが「彼女はこれよ。」と自分のおへそを指差して私にレイラの「自己中心」を指摘しました。レイラのこころが欲したことは世界のどこであっても何時であっても即刻の表現可能、例えば葬儀中の高笑いもレイラならやりかねません。上記のような辞書の例文を見ても、『へそ』はいい意味の譬えとして会話上には表現されなさそうです。

長らく亜米利加が世界の法秩序を守る警察として自画自賛の自称を続けている中、その自惚れの危険性を挙げながらも亜米利加と似たような捕物帳を書き始め、「嫌い嫌いも好きのうちなんでしょ?アッハ~ン?」と共和国民に嘲笑されるという自虐行為に出たフランス、アジアでヘソになりたいばかりに手段を選ばず主権獲得のため世界にアピールする中国共産党と、国益、国力では十分なのに神論(←しつこいけれど「無」神論ぢゃないよ)ゆえに「ヒトの凡脳」のみで動かざるを得ない日本國。そう眺めると日本はいずれにせよ、亜米利加か欧羅巴連合か亜細亜のいずれかのヘソに振り回される運命にあるようです。

亜米利加や仏蘭西がヘソになりたがるあまり、民主主義やら三権分立さえ忘れてしまっているように思えます。初心忘れるべからず。出たがりによる安易な助太刀くらい迷惑なものはありませんぜ。

le 16 février 2006, Julienne
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by ma_cocotte | 2006-02-16 16:10 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(24)
あなたは公衆で笑われたことがありますか。
2004年7月21日水曜日、私に起こったできごとです。ああ、その日は「見ろよ。青い空、白い雲♪」と唄えるほど、プロヴァンスらしい空模様の一日でした。でも、「そのうちなんとかなるだろう♪」にならない一日でもありました。

その日は4月26日から通っているマルセイユの職業訓練校に行くため、いつもどおり午前5時15分に目を覚ましました。何を思ったのか、その日に限って私はOL時代が懐かしくなり「久しぶりにおしゃれしてみようかなあ」という気持が心にわきました。わが町からマルセイユに向かう長距離バスは7時15分発。準備万端で6時45分自宅を出る寸前に私が選んだのは黒の革靴でした。日本にいる頃気に入っていた靴。猛暑の南仏ではあまり履く気持になれなかった靴です。他人には見えない「靴の中に隠れる靴下」を履いた上、この靴に足を入れました。かかとがちょっと高く、足を包む黒革靴。何だか身が引き締まって心もそこはかとなくウキウキ、颯爽と家を飛び出しました。

長距離バス停までの約20分カツカツと革底とアスファルトが醸し出す独特な音を携えながら、颯爽と歩いたつもりの私。実はバス停までの道程の途中で足が痛くなり、バス停に着いてすぐ両方のかかとを確かめたら、皮がべろりとかなり分厚くめくれ上がりドロっとした水が出始めていました。でも自宅に戻る時間はありません。そのまま足をひきずりながらもバスと地下鉄を乗り継いで、何とか午前8時の登校時間に教室までたどり着くことができました。
でも、私は上手に歩けませんでした。痛みも普通ではありません。べろりと剥けた踵の皮の下からねっとりした変な水が出始めていました。教授に許可をいただき、私は別棟の校内医を訪ねました。マダム(女医なのでこう呼びます)は私の両足を見てすぐに両方のかかとを消毒し、テープをはり、包帯を巻きました。こうして黒靴を履くと、私の両足はまるで「白いソックス」を履いているかのように見えました。
「昼休みに教授の許可をもらってサンダルを買いに行きなさい。
夏は足が膨張するのでこういうことになるのよ。お気をつけなさい。」
マダムにそう勧められ、私が診察室を出たのは午前10時過ぎでした。
保健室前には食券を発給する経理室があり、この学校に通う研修生が建物の外まで続く長い列を作っていました。20名以上並んでいたでしょうか。その中にクラスメートのレイラ(アルジェリア系)がモロッコ系のカディジャと一緒にいました。カディジャはよたよた歩く私を見つけるなり「大丈夫?どうしたの?」と声をかけてきたので、朝からの私の愚行について説明しました。それを聞いた途端、レイラは私の両足を指差して大笑い、いえ、高笑いをし始めました。
「ちょっと、みんな見てよ、彼女のこの足・・・はーははははは!!!」
列を作る人々が私を見る哀れみの顔、顔、顔。彼女の笑いにどう反応していいのか困っている顔、顔・・・私の顔は瞬時にかーっと熱くなりました。頭の中に何かがぐるぐる回って眩暈を起こしそうでした。カディジャが慌てて
「レイラ、やめなさい。彼女はこういう冷やかしは嫌いなのよ。やめなさいよ。」
と、彼女にささやくカディジャの声も私の耳にしっかり聞こえてきました。私はどう動いていいのかわからなくなってしまいました。一歩でもヨロっと歩けば誰かに笑われるような予感がしました。それでもやっぱりこの嘲笑の場を少しでも早く離れたい・・・。でも足は痛い。その時、向かいからマダガスカル系のオルガが食券購入のためやってきました。相変わらずレイラの高笑いは響き渡っているのです。周りが一緒に騒いでくれるのを望んでいるのか、レイラは笑い続けるのを止めません。一方、オルガは普通に歩けない私にすぐに気が付きました。もちろんレイラの高笑い声にも。「あなた、何がおかしいの!? 何故笑い続けているの!?」
オルガはレイラをにらんでそう叫び、食券を買わずに上手に歩けない私に付き添って教室まで戻ってきました。
「サンダルは買わなくていいわ。私の車に一足乗っているの。
今日はそれを履いて帰りなさい」
そうオルガに言われた途端、私の目から涙が吹き出ました。オルガの気持、うれしくて・・・でも足はズッキンズキンと音が聞こえるように痛かった。教室では私の足の包帯に気づいてクラスメートが次々と「大丈夫?痛い?」と質問してきました。

私はこの日までの人生で、こういう状況に直面したことがありませんでした。
つまり、公衆で「嘲笑する側」、「嘲笑される側」の当事者になったことがありません。


実はこのレイラという女性。
アルジェリアの出身の移民二世、同胞の夫とフランスで離婚後は彼女が溺愛する2児と共にマルセイユで生活をしています。4月にこの職業訓練校で同じクラスになってからずっと、彼女は毎日私の顔を見るたびに私の目の前で必ず鼻濁音を使った「中国語のような日本語」を表現し続けていました。毎日私と目を合わせるたびに毎回です。彼女が鼻濁音で私に話しかける度に私は必ず
「日本は中国の近くだけど鼻濁音を使わないの。
イタリア語のようにアエイオウの母音を子音に付けて使うのよ。」
と繰り返し言い続けてきました。でも彼女は日本語を母国語とする私の言葉より、彼女自身の幼い頃からの思い込みを信じ続けました。彼女が「聞く耳」を持たない限り、何を話しても無駄というものです。彼女のために、と話すヒトが疲れ果てるだけです。
ある日、校内食堂での順番待ちの間、私の背後に並んでいた彼女はまた薄笑いを浮かべながら、私の耳元で鼻濁音日本語?を始めました。あまりにしつこいので
「レイラ、もう10回以上あなたに同じことを言っているけど・・・
もしかしてあなたは鼻濁音(nasal、ナザル)という単語を知らないの?」
と私は聞き返しました。彼女はびくっとして「これ、これ」と自分の人差し指で鼻の頭を突っつきました。その午後から彼女が始めたことは、鼻濁音の代わりに私の目の前で英語の発音のマネをすることでした。


こんなことがあった直後に、今度は私のこの両足ケガの事件。
イスラム教の信仰厚いモロッコ出身のカディジャに「イスラム教ではこういう侮蔑は許されているの?公衆で弱い者を笑うのは平気なの?」と私は質問してみました。「コーランには決してそんなことは書いていない。」という返事がカディジャから戻ってきました。
この学校における学期終了まで残り1週間というところまで、誰に何と注意されようと繰り返し止まらないレイラの挑発を私は我慢に我慢してきました。でも、私がこうして我慢し続けた結果、私は足をケガしたことがきっかけとなり教室から出た公衆で笑われました。黙り続けていた者が悲嘆しながらも、公衆で嘲笑するという行為に出た者は快楽を得ていることになります。他人が見れば「笑ったもの勝ち」でしょうか? 理由を知らなければ公衆での「笑う」という朗らか行為に同調し、うつむいて暗くなっている者を批難するヒトもいるかもしれません。

私は意を決して教授室に行き、まず足のケガについて説明し、公衆でレイラに笑われたことを話しました。説明しているうち不覚にも涙が出てしまいました。教授は私の両かかとの傷を見て息をのみました。既にグルグル巻きの白い包帯から体液が染み出ていました。教授は「実はすでに数名からあなたに対する彼女のいじめが限度を過ぎている、という訴えが届いているが、あなたから動いてくれないと私達も行動できない」とまず言いました。そして
「レイラはアルジェリア移民として幼少時に学校など公衆で辛酸を舐めたのだろう。そのトラウマを今は君を貶すことで生かしているんだ」
と続けて私に言ってきました。つまり「あたしゃ、レイラにとって《いぢめのターゲット》ですかい?そんなの、あたしゃごめんだね。」と私は心の中でつぶやきました。なぜなら、私は右頬を殴られたら左頬を出すほど「デキた人間」ぢゃない。痛いものは痛い、痛みが喜びに変わることは私にはあり得ません。だから、今でも気が向けば聖書や偉人伝や聖人伝を読んだりしているわけです。他人の苦しみを知れば、自分の苦しみなんてまだまだ序の口だ、と乗り切れることが多い。
更に教授(Thibaut チボォとおっしゃる)は「僕は海外領土で黒人の父親と白人の母親の間に生まれた子供だ。僕がどんなにフランス語を流暢に話せてもフランスの教育を受けていても、欧州系のフランス人から偏見を受けることがある。だからレイラの気持も、流暢に話せないでつらい思いをしているあなたの気持も理解したい。」と。教授は外見100%欧州系フランス人、目もそれは美しいブルー・・・そうさな、キアヌ・リーヴス系です。彼の「血」の告白は本当に驚きました。私に言わなくても良いことなのに。でも、彼の私への慰めは、正直言って私にはちょっと的外れのような気もしました。
2004年4月最後の月曜日に授業が始まってからの3か月間、レイラは私の背後で
「フランス語もまともに話せない、ドモるはズーズー弁で
秘書になりたいだって!? アジア人はここで勉強するより、
四つん這いで床を拭いていればいい!」
と、ある時はフランス語、ある時はアラビア語で同じアラブ系のクラスメートに話し続けました。それを耳にして不快になった欧州系のクラスメートが教授に進言(レイラにしてみれば告げ口)したことになります。「四つん這いで床を拭いていればいい」なんて常套句は、レイラがアジアに対して思い込んでしまっていることです。
フランス植民地でのインドシナ人は召使ぢゃないか!
なぜフランス本土で召使が私と一緒に机を並べるの?
レイラがどのように育ったのか私は知りません。でもどんな外見だろうが、バックグラウンドだろうが、相手を思いやる気持は大切ではないでしょうか?私は教授との面談の最後に
「確かに真夏にかかとのある革靴を履いた私に落ち度がありました」
と言い残して、教授室を退室しました。
カディジャは確かにあの場でレイラに「彼女はこういう冷やかしは好きではないからやめなさい」と言いました。果たして公衆で弱い者を指差して高笑いする行為が、一個人の「好き、嫌い」で言って良いものでしょうか?公衆で他人の不自由を嘲笑し、他人に同意を求めることが正当な行為でしょうか?夏に革靴を履いて踵の皮がすりむけるのは日本人のみに限定されたことではなく、世界中の誰もが経験する可能性があることです。
レイラが私に続けた言動について、欧州系フランス人(つまり、肌が何色であれカトリック道徳が育ちのベースにある人々)のクラスメートは
「C'est la mentalité arabe.(この行為は)アラビアンメンタリティよ。
私達とはやはり永遠に相容れない」
と吐くように言いました。そう聞いても、日本國で生まれ育って成人後フランスにこうして住み続けている異邦人の私が思うには
「そんなメンタリティだけの問題ぢゃないよ、育った家庭のでしょ?」
と、どんな生活条件、教育条件を受けたこと以前にヒトとして疑問を呈したいです。どこの国であろうと、どんな生活環境であろうと、清く潔く慎ましく生きている人々はたくさんいます。

とうとう、私の担任教授3名は教授室にレイラを呼び出して注意しましたが、彼女は突然「ラシスト(人種差別)だ!」と防音ガラスから漏れるほど大きな声で叫び始め、同調するアラブ系クラスメートを巻き込み、学期終了までの残り1週間を私へのバッシングに更に勢いを付けて実行してしまいました。壊れたスピーカー。私が動けば、彼女が平行移動してギャアギャア。
「こんな嫌な思いをするなら教授になんか相談するんぢゃなかった」
私は今もレイラには「憐憫の情」を持っています。
当時のクラスメートも皆そう、レイラを哀れに思っています。卒業試験後、レイラは私より成績が悪かった、と知り、食堂のど真ん中で癇癪を起こした子供のように声をあげて泣きました。同席した私達クラスメートは何かを悟りました。あの泣き方は小学生の子供二人を育てる40代の女性像からは程遠いものでした。外見は成熟した大人でも、内面に子供のこころを持ったレイラは私達に手の負えない存在だった、そう誰もが確信したけれど、ここでの授業さえ終わればレイラと自分は永遠に関わらなくて良いのだから黙って離れよう、と数名のクラスメートは決めました。いぢめられ続けた私が私をかばってくれるヒトを集めて、「目には目を、歯には歯を」の精神でレイラが私にしたことと同じことを実行しようと思えばできなくもありません。が、レイラが公衆でした同等のことをもし私が公衆でおこなったら?と冷静に考えると、理由は何であれ、あまりに幼稚で子々孫々の笑い話になりかねません。親や恩師まで批判されかねません。そういう後々の我が身に降りかかる恥ずべき結果を想定できるクラスメートたちが結局、私の周りに集まって「つらいけれど、時を待って黙って離れよう」と結論付けました。
Ah, pitiée....Leïla....  ああ、哀れなレイラよ。
この学期を終えた後、新たに登録したクラスでかつてのクラスメートの一人ダニエルに再会しました。旧学期終了から3か月を過ぎても、ダニエルは「レイラによる私いぢめ」について気にかけていました。「公衆で嘲笑までされたことを忘れるのは難しいだろうけれど、未来を考えましょう。」と私の両頬にキスをして言いました。
こんなダニエルも当時アラブ系クラスメートのバッシングにあっていました。
「あんたは白いのに馬鹿で間抜けなのね」
とはっきり言われていました。「言うか、普通?」なんだけれど、言えるンだね、彼らは。こういう言葉を公衆で口にするのを恥ずかしいとも思わないのは育った環境がそうだったのでしょう。こんなダニエルを馬鹿にした台詞を聞いて、私の方こそ彼女に同じ言葉「嘲笑を忘れるのは難しいだろうけれど、未来を考えましょう」と言いたかった・・・。
ダニエルは40代後半のママン・イゾレ maman isolée、未婚の母です。独身ですが7歳になる女の子の母親で、普段はこの一人娘と同居していますが、学校休暇の度に娘はリュベロン地方に住む父親の家に長期滞在という条件が裁判所によって決められています。将来は小さな店を持ちたいらしく、経営の基礎コースに進級するのが彼女の目標でしたが、どうもロジック(日本の知能検査に相当するもの)や基礎数学が苦手という致命傷があります。でも授業でそれが露見したからと言って、クラスメートが嘲笑するのは私が育った環境ではありえないことでした。教授の判断に委ねる、教授と当事者ダニエルが話し合えば済むことで周りが評論したり、面白おかしく笑うことではありません。関係ない他人を巻き込んでまで公衆で笑いたい理由はそう欲して行動する者の脳と心にあるということです。

職業訓練校に通ってからだいぶ経ったけれど、レイラにしても、ダニエルにしても、「一見普通のフランス人」の教授チボォにしても、未だに異邦人のままフランスに居座っている私にしても、フランス共和国で暮らすということは「ナニジン」であっても難しいのかもしれません。
だから共和国憲法において共和国民は万民平等????? 
ロジックだんべよ、こりゃ。

le 14 février 2006, Valentin
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by ma_cocotte | 2006-02-14 16:18 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(29)
摩訶不思議なピーチパイ 『すモモもモモもモモのうち』
世界中のそこココかしこで繰り広げられている「ムハンマドさま風刺画」抗議行動をこんな風にたとえてみませう。
世界中のあらゆる桃が乗せられた香ばしいホット・パイがある。世界中の誰もが美味しくハッフハッフと食べられるこの熱々のパイは、まるで焼芋のように、うっかり口にほおばると皮がべろんちょしそうなほどの熱さを保ちながらも冷めることも、焦げることも今のところはない。
昨日11日、仏蘭西は花の都お巴里でも法に則った抗議デモが大々的に実施されました。警察の発表では7200人がこのデモに参加したそうです。

なぜ「ムハンマドさまの風刺画」抗議行動をピーチパイにたとえたのかというと、まずピーチは「桃(モモ)」だから(笑)。仏蘭西びとが「モモ」と聞いてまず連想するのは(イスラーム信仰者)男子の愛称です。現在8%強、年々%数が上昇し続けるイスラム教徒を抱えるフランス共和国にはモハメ、ムハンマド、マホメットなど預言者ムハンマドの名前を親からもらった共和国民がたくさんいます。その彼らは「モモ」と親しみを込めて呼ばれることが多いのです。例えば現代を描いた仏蘭西映画であれば「モモ」なる人物がしばしば登場するものです。次にピーチパイの「パイ」はイスラームの世界にたとえられましょうか。モモあってのイスラーム・ワールド、イスラームというしっかりした土台あってのモモさまだと言えるでしょう。

「ムハンマドさまの風刺画」について世界のそこここかしこで抗議行動があらゆる形で勃発し始めてからすでに10日を過ぎました。日出づる島國である日本國からこの抗議行動を眺めるとおそらくしっかりしたパイ生地で作られた土台に世界中の美しいオレンジや黄色、白の桃が美味しい蜜(イスラームの教え?)に絡められて「ピーチパイ」となり、世界中の扱い店頭(つまり世界中のマスコミ)に飾られているように見えるかもしれません。そして多くのニッポンびとは世界中どこの店頭でも同じような質やら量でホッカホカのピーチパイが量産されていることも不思議に思うことでしょう。

たとえ話はまどろっこしいので世界各地で勃発する抗議行動を見ての感想をズバリ言えば、
イスラームの団結って凄い。なに、それ?
でしょう。例えばイエス・キリストや仏陀が風刺画に表現されたとしても世界のキリスト教徒や仏教徒が総決起して、抗議ターゲットを一点に搾って抗議行動を起こせるのか?というと・・・まず、ありませんね。だからこそ
イスラームの信者さんって凄い
と、テレビ画面に流れる抗議集会の過激さなどを眺めながら、つい口からポロリとこんな台詞が零れ落ちたりもします。

確かにイスラム教はムハンマドという預言者がいたからこそこの世に存在するので、ムハンマドさまが風刺されるのはイスラム教を信じる人々にとっては悲しむべきことです。が、もうひとつ、なぜここまで多くのイスラム教信者の方々が怒髪天を突いている理由があるようです。
それは、
 (ち)
です。具体的に言うとアラブ民族の『血』です。
フランスにおけるイスラーム信者のマジョリティはMaghreb Arabe マグレブ・アラブと呼ばれる地中海沿岸の北アフリカ諸国出身の人々です(ちなみに大英帝國やスイスにはアラビア半島のアラブ人さんが多く在住)。彼らマグレブ・アラブの名称にはっきりとアラブと入っていますが、彼らの外見はニッポンびとがアラブ人と聞いて最初に連想するアラビア半島のアラブ人の独特なイカつい面長な顔立ちとはまったく異なり、どちらかというとヒトの良さそうな丸顔のヒトが多いです。その点を以前、私のクラスメートのモロッコ女性に話したところ、昔(7-8世紀頃)、イスラムの兵士(=アラブ人)がエジプトからモロッコを抜けスペインまで進攻した時、同時にイスラム教の布教手段として遊牧民(主にベルベル族)と混血したので、現代においてマグレブ・アラブと彼らは呼ばれるようになった、と教えてくれました。
そんぢゃ「アラブの血」って?
となりますが、もちろんムハンマドさまの身体にも流れていた血になります。ですから世界中で「アラブ人」と呼ばれる人々はムハンマドさまと同じ血を受け継いでいることになります。だからといってムハンマドさまの血がアラブ人の「素」ではなく、ムハンマドさまが生きた時代から更に何千年も遡り、三大一神教の父祖と言われるアブラハムとエジプト女性ハガルとの間に生まれた長男イシュマエルがアラブ人の祖と言われています(一方、アブラハムと正妻サラの間に生まれた男子イサクがユダヤ人となります)。旧約聖書の創世記16章から21章21節までハガルとイシュマエルの話が書かれていますが、アブラハムがイシュマエルと共に割礼を行ったことは今に至るまでアラブ人の血の誇りであり、アブラハムの屋敷を正妻サラの意向により出されたハガルとイシュマエルに神から遣わされた天使によって
「私は彼(=イシュマエル)を大いなる国民とするであろう」(創世記21:18)
と啓示されたことは現在のアラブ人の繁栄を見れば明らかに果たされていると思われます。


日本國にも先祖を敬う習慣があります。歴史のある家だと家系図や血脈もいまだに持っていたり、家そのものは先祖に無関心でもその家から出た偉人に興味のある方々が先祖まで手繰ってくださったりもします。世界中各地のアラブの血を引く人たちは長い歴史の中でひとりひとりを細かく知るわけではないだろうけれど、遠い先祖に啓示を受けイスラームを残したムハンマドがいること、更に遡ればアブラハムに至るということを誇りに思っているはずです。その誇るべき先祖ムハンマドさまに何の縁もないからと、赤の他人が面白おかしく嘲笑することは子孫としては許し難いことなんでありましょう。

この辺の「血」を重んじる素朴な気持は、キリストの血を引くわけでもない、仏陀の血をひくわけでもないキリスト教徒や仏教徒が理解するには難しいかもしれません。いや、仏教徒なら仏陀からじかの血脈がなくとも、各家の先祖を敬う気持を持っていますね。

ここでもう一度、世界のイスラーム教徒数ベストテンを見てみましょう。
1. インドネシア 
2. パキスタン     
3. バングラデシュ  
4. インド
        
5. ナイジェリア    
6. トルコ     
7. イラン     
8. エジプト   
9. エチオピア      
10.アルジェリア
このうち「アラブ」の血を引き、イスラームが生まれた「中東」に属する国というイスラームを想像すると思い浮かぶ二つのキーワードを満たす国はエジプトとアルジェリアのみです。上位4か国はアジアであり、そのうちインドネシア、パキスタン、バングラデシュはアラブの血筋ではありませんが、イスラム教の習慣が国民の多くに浸透している国です。
ムハンマドさまが風刺されたことで世界各地でイスラームの抗議行動が発生するのも、一方ではアカの他人に先祖を笑われたことをアラブ人が悲しんでの表現であり、一方では生まれながらにしてイスラム教徒である国民が「生活信仰を馬鹿にされた」ことに対しての怒りの現れでもあるのでしょう。これでわかることは、世界中で10億人の信者数を越えたイスラーム教はもはや民族宗教*ではなく世界宗教**であるということです。


自分の先祖に民族の父祖と呼ばれるヒトがいなくても、世界に10億人も信者を持つ宗教を開いた祖がいなくても、世の誰もが知る偉人が親戚にいなくても、マスゴミや現代の利器であるインターネットの公共スペース(HPやブログ)で父母をはじめとする家族や配偶者、尊敬する人物を縁もない見ず知らずのアカの他人に嘲笑されたら自分はどう思うかな・・・とちらり考えてもみました。
ましてアブラハムやムハンマドという世界中のほとんどの人が知る人物を先祖や尊敬するヒトとして持っているイスラームの方々ならば
「公衆で嘲笑する前にコーランを読んでみてください」
と訴えたい気持も当然です。
冒頭でフランス共和国内のイスラーム系共和国民の男性名にムハンマドの派生名が多く、モモという愛称で親しまれていると書きました。モモは日本でたとえるなら「太郎」みたいなものでしょう。世界中どこの出身であろうとイスラームを信仰する親が尊敬する預言者ムハンマドにあやかりたくて愛する息子に与えた名前でもあります。
知らないヒトに名前まで馬鹿にされたくないよなあ。
こんにちはなんとなく政治や宗教の難しい話というより誰のこころにもある先祖を敬う気持から「ムハンマドさま風刺画」事件を眺めてみました。人情あればご先祖様や尊敬する先人を公衆で貶されたアラブの方々やイスラームを信仰する方々に同情せざるをえません。この事件をきっかけにマスコミ各社が主張している「言論の自由」は「無知やら無縁を理由にできる公衆での嘲笑」の権利を含むのでしょうか? 私見ですが、敢えて死語を用いるなら不敬罪をマスゴミが率先して犯すのは何一つ世のためにはなりません。自分達が新聞紙面を自由に使えることで無垢な読者に悪の種子を巻くのは権利の悪用ではないかしらね。


le 12 février 2006, félix


*【民族宗教】
特定の民族に伝承される宗教。その民族に生まれた人は本人の意思と無関係に、生まれながらにその宗教共同体に参加することになります。伝道を行わず、他民族の入信を認めません。
**【世界宗教】
民族の如何を問わず個人の意思で入信が可能な宗教。仏教やキリスト教が代表例。


【こんにちの参考文献】はいつもの、
イスラームのとらえ方 東長 靖 佐藤 次高 岸本 美緒 木村 靖二 / 山川出版社
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by ma_cocotte | 2006-02-12 19:34 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(13)
ええいっ、まだまだデコが地ベタに付いておらぬわっ。
・・・と、世界中のイスラ~ムの民が丁抹(デンマァク)びとと彼らをかばう者どもに叫び続けているのかなあ、と思うけふこの頃。もちろんLes caricatures de Mahomet(レ・カヒカチュール・ドゥ・マホメ)、いわゆる「預言者ムハンマドの風刺画」事件の現状を傍観しての我が感想がこれである。後頭部を草鞋でごりごりされちゃうのかにゃあ。

何でもこの事件、昨年9月、北欧はデンマークで起こった事件である。その直後、国内のイスラム教徒の方々からの抗議で風刺画を掲載した新聞社は謝罪した。テレビ時代劇なら放映後48分20秒くらいの奉行所でのクライマックスに喩えられるだろう。そーんなことを私が何一つ知らなかったのも、昨年9月のこの事件が国内問題としてピリオドを打たれたからだろう、と想像もする。

ところがなぜ約5か月も過ぎてこの事件が蒸し返されたのだろう? 間にイスラム教のラマダーン(断食)月やらキリスト教徒のクリスマス(飽食)月、宗教を持たない方々の新年などの乱痴気行事が絶え間なく続いていたからだろうか?それにしてもなぜ2月よ? ってんで、いつもの私の考えすぎで、
▼なぜスッピルバーグ作品「Munich ミュンヘン」の上映と同時期?
▼なぜトリノ冬季オリンピック開催直前に?
なんて疑問が小さくかつツルリンチョの脳味噌に浮かんでしまうのである。偶然と信じたいことであるが、映画「ミュンヘン」はミュンヘンオリンピックでパレスチナゲリラに襲われたイスラエル選手団の実話を元にした映画であり、今晩北イタリアのトリノで開催されるのも冬季とは言えオリンピックなのである。我が脳に浮かんだ二つの疑問はオリンピックというKW(キーワード)で結ばれ、そこに絡むのは・・・?・・・これ以上は書かないけれど、そういうことなんである。なんだかなあ・・・ヤな予感がしゅるしゅる。

こんにちは風刺画事件そのものやら経過はそこここかしこで書かれているのでそれには触れず、先週末あたりから私が納得していないことに触れてみたい。私が納得していないことはもちろん世界各地で起こっている抗議行動である。デンマークが挑発したのだからそれに抗議する、というのはわかるし、ほとんどのイスラム教徒が生まれながらにして神のように尊敬していた人物を茶化されて怒髪天を突く気持も察することができる。ただし、その抗議手段が例えば風刺画作家、新聞社など当事者による抗議文章(できれば内容証明付きの書留送付が良いのぉ)だったり、各国の警察に事前に報告しての総決起デモ行進というのならおばちゃんも安心して眺めていられるよ。でもね、わざわざキリスト教徒地区に行って放火したり、路上駐車の車を凸凹にしても感情が抑えきれずにフロントガラスを粉々に割ったあたりで立ち去ったり、よその国の国旗を土足で踏みつけたり、ぢわぢわ燃やしたり・・・というのはいかがなものかと思う。世界が平和になって無国籍者という存在がほぼいなくなり、この世で生活するヒトは必ずどこかの国籍を持っている。いわゆる母国を誇る、誇れないは個人の問題だろうけれど、誇れないのであれば自室で自分の母国の国旗を燃やして鬱憤を晴らせばいいことであって、他人様の国旗は敬意を持つのが真の国際人の基本的務めなんぢゃないかとあたしゃ思う。それに大使館や領事館が燃えても、キリスト教徒の住まいや勤務先が真っ黒焦げになっても、その痕に美しい解決の花が咲いている可能性はまずない。悲愴だ。

来る日も来る日も、あっちの国やらこっちの国での燃え盛る抗議活動を見ていてうんざりしていたら、なんとあのアフガニスタンのタリバーン組がムハンマドさまの風刺画に関わった全ての者、誰でもいいから
殺(あや)めたら2億円あげちゃう!
キャンペーンの開催を宣言した。こ、これは・・・・!!!??? 
「もうこの世も終わり」、なんて梨○宮伊都子妃の御歌の一部を思い出してしまった。昨年、仏蘭西は花の都お巴里郊外でチュニジア移民二世の青年が宝くじで大当たりした。あれは手放しで共和国民が彼とその家族を祝福したけれど、もし「もしも」よ、誰かが風刺画関係者を殺めて2億円を手に入れたとして祝福するのは誰なのだろう? もし私がイスラームを信仰するハシタメだとして、父や夫、隣の住人が2億円ゲットしても私の良心は喜ばない。そしてデンマークの新聞に掲載された複数の風刺画であるが、新聞社が25名の風刺画家に声をかけて応じたのが15名、手当は日本円にして15000円ほどだったそうだ。15000円で仕事を手に入れたばかりに2億円目当ての何者かに命を奪われたらどうする?それもムハンマドさまの絵を描いた故の当然の裁きなのだろうか?

ココではっきりしなければならないことがある。
タリバーン組やら世界中で暴れまくっている方々が慕う神さまがそんなことを祝福しちゃうのか?ということである。これまで一週間以上もこんな馬鹿げた暴動ショーが繰り広げられれば「読まず嫌い」で心象のみの判断で「だから彼らはイヤ。イスラームって変!」と決め付けかねない。実際、自称「心理と精神医学先進国」フランスではこの暴動を見て
「だからあんな絵を描かれるのだ。これぞ循環ロジック。」
と言う識者まで現れた。ブンヤ、もといマスコミの弁解材料になり兼ねない。
先週あたりから世界各地で繰り広げられている過剰な抗議行動だが、いわゆる有名な
目には目を、歯には歯を
なんぢゃないかと思う。嫌悪感を覚える言葉を使えば「報復」や「復讐」だろうか?(私個人としてはあまり使いたくない台詞だが)、おのおのがた、コーランにはこう書いてある。耳かっぽぢって聞くべし。
われら(アッラー<神>の自称)はあの中(ユダヤ人に与えた律法)で次のような規定を与えておいた。すなわち、「生命には生命を、目には目を、鼻には鼻を、耳には耳を、歯には歯を、そして受けた傷には同等の仕返しを」と。だが(被害者が)この報復を棄権する場合は、それは一種の贖罪行為となる。(五章四十五節)
               『コーラン』、井筒俊彦訳、岩波文庫、1964年
おいおいお、世界で暴れるみんなたち、報復を棄権するという贖罪行為を選ぼうよ、おい、ですなあ。大天使のガブたんがムハンマドさまの夢枕に現れてこう神託を啓示されたのだぞ。タリバーン組のエラいヒトの言うことより、ムハンマドさんが残したコーランの言葉を優先なさいましよ。だって、あーたたちはムハンマドさまが絵画によって馬鹿にされたと涙しているのでしょう?だったらムハンマドさまの言葉に従うのが神と彼が手を取り合って一番喜ぶ行為なんぢゃないかとおばちゃんは思うの。

この箇所を読めば、ムハンマドさんが生きた時代とその土地にすでに「目には目を」の掟が存在していたことがわかるし、解釈によっては過剰報復を禁じたものであり、腹立ち紛れに殺人にまで至ってはならぬ、と忠告、更には同等の報復は認めてもできればそれを放棄するのが望ましい、とムハンマドさんはガブたん経由の神のみ言葉をコーランに残しているンである。
更に、イスラームにおける殺人罪(意図的殺人)は死刑だそうだ。死刑は厳しい刑罰だが
殺人犯は最も恐ろしい殺人という罪を犯したのだから公平で当然な罪
と考えられるのだそうだ。そしてこの死刑なる重刑が存在することで殺人が防止される、この世にはやむを得ず必要となる刑罰なのだそうだ。

おそらくアフガニスターンはタリバーン組のキャンペーン主旨の結果は「あなたも殺めて2億円ゲット!」であっても、その理由について応募者を魅了するものがちりばめているのだろうとは想像できる。
殺人を実行させるための悪口の羅列でしょ?
が、傍観者の私としてはヒトがヒトを裁くには限界があるように思う。たとえるなら花のお江戸のとある奉行所で土下座しても許してもらえず、おでこを玉砂利にくっつけても許してもらえず、ぐにぐにしてデコから血が出ても許してもらえず、という勧善懲悪ドラマのクライマックスは一視聴者としてはクドすぎるようにも思うし、なかなか許さないエラいヒトの粘着質に呆れちゃうンぢゃないかな、と思ったりもする。兎に角、イスラームにおける神も今回の被害者であるムハンマドさまも2億円殺人キャンペーンなんて望んでいないのは確かだ。世界で暴れるみんなたち、まずは神さまのおっしゃることを聴いてみようよ!
数時間後、トリノオリンピックが開催されるが盛会となりますよう。
北風吹くここ数日、春を待つ婆としてはテレビ観戦が楽しみでございます。

le 10 février 2006, Arnaud

【こんにちの参考文献】
イスラムとは何か
ムハンマド・アリ・アルクーリ 武田 正明 / 時事通信社
イスラームのとらえ方
東長 靖 佐藤 次高 岸本 美緒 木村 靖二 / 山川出版社
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by ma_cocotte | 2006-02-10 18:29 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(20)