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どうやら奇跡が起こったらしい。
フランス人のシスターに、である。

やたらテレビのスピーカーから「Miracle ミラァクル、=奇跡)というキーワードが聞こえるなあ、と気付いたのが昨日(29日)お昼のニュウスだった。翌日になっても朝のニュウスから「ミラァクル、ミラァクル」と繰り返し聞こえ、とうとう30日夜のニュウスで奇跡を経験した本人であるシスターがテレビ画面に登場した。なんでも30日朝、南仏はエクサンプロヴァンスの大司教館で記者会見が行われたそうである。

シスターは Soeur Marie Simon-Pierre スゥル・マリ・シモン・ピエェルとおっしゃる。b0070127_414384.jpgSoeur はフランス語で「シスター」のこと、修道女の敬称である。実世界でシスター方と話す時は "Ma soeur マ・スゥル" と必ず最初に述べてから話し始めるのが礼儀だったりする。マリ・シモン・ピエェルもおそらく修道名だろうと思う。今年46歳になるシスター・マリ・シモン・ピエェルは花の都はパリ15区にある la congrégation des Petites Soeurs des maternités というカトリック修道女会に所属する修道女で隣接する病院の助産婦として働いていたが、2001年6月にパーキンソン氏病を発症、その後徐々に症状が悪くなり、仕事に必要な筆記も歩行も車の運転も難しく勤務困難になったため、パリから南仏はエクサンプロヴァンス近郊のピュイリカールの同修道会に異動し、隣接する40床の小規模病院での勤務となった。が、2005年4月2日、教皇ヨハネ・パウロ二世(JPII)が帰天。この後、シスターの病態が更に悪化し、歩行が不可能になったため車椅子で行動する身となってしまった。5月13日、ファティマの聖母の祝祭日に教皇ベネディクト16世(B16)がJPIIの列福調査を始めると宣言したことをきっかけに翌14日からこのシスターが所属する修道女会に籍を置く修道女全員がSr. マリ・シモン・ピエェルの容態が少しでも改善されるようにと天国にいるであろうJPIIに「我らの願いを神に届けたまえ」と祈り始めたそうだ。(いわゆる連祷ね)
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↑ Sr. マリ・シモン・ピエェルが所属する修道女会の聖堂@rue St. Lambert, Paris 15e ↑

奇跡はその修道女たちの祈りが始まって20日目に起こった。

2005年6月2日午後、彼女は萎えていく自分に耐え切れず、長上に面談を求め、自身が現在の線よりも更に下がることを願った。長上は彼女に "+Jean Paul II+" と紙に書くように命じ、彼女もそれに応じたが他人には読むのが不可能なほど手も振るえ、力も入らないままの筆記だった。それを見た長上は9月までの休暇を彼女に許し、8月にルルド巡礼をすることを勧めた。午後5時頃だったそうだ。
その日夜9時晩祷を終えたシスターは自室に戻った。9時半をまわった頃だろうか、誰かが彼女に« Prends ton stylo et écris. » 『鉛筆を取り、書きなさい』と言ったそうである。彼女がそのとおり鉛筆を取り、字を書いてみると
読めた!
数時間前、長上の前で書いたみみずのような、誰にも読めない字ではなく、誰にでも読める字が書けたのである。それを悟ると同時に彼女に眠気が襲った。

目が覚めたのは午前4時半頃だった。身体が軽く、一人で起き上がり、ベッドから立ち上がって離れることができた。・・・・車椅子がいらないとわかった。午前6時、彼女は歩いて聖堂まで行き、仲間である修道女達と会った。誰もが驚いた。昨日夜9時、車椅子で自室に入る彼女を見送っているからである。Sr. マリ・シモン・ピエェル自身、この午前4時半にご自身が立ち上がれた瞬間のこころを説明することが難しいと30日朝の記者会見で述べている。
C'est difficile à expliquer, trop fort, trop grand, un mystère.
説明するのが難しいのです。それは強く、大きく、不可解な神秘でありました。
6月3日早朝、シスターは聖体顕示台の前に跪いたそうだ。いや、跪けたのだ。そしてその後、彼女は姉妹達と庭に出た。普通に歩き、昨日まで不自由で動かなかった左腕が軽くなっているのを自覚した。6月3日は偶然とは言え、「イエズスの聖心」の祝祭日。
この後、彼女からパーキンソン氏病の症状は全て消え失せてしまった。もちろんすぐ、シスターは「いつもの」病院に行った。南仏に異動して4年間、彼女の担当医であった神経内科医は
Ma Sœur, Vous avez doublé vos doses de Dopamine ?
マ・スール、ドーパミンをいつもの二倍飲みましたか?
と質問した。ヾ(`◇´)
すっかり健康な身体となったシスターは看護婦(助産婦)の職に復帰、2006年末パリの修道院に戻った。めでたし、めでたし。

以上。
なんとも不思議な話であるが、本当の話である。
いまだ完璧な治療法が見つかっていないであろうパーキンソン氏病からシスターは完治した。この症例を奇跡かどうか調査にあたったのはエクサンプロヴァンス大司教区で、医学・神学両面から徹底調査し、この週末、«miraculée de Jean-Paul II» 『ヨハネ・パウロ二世による奇跡』と名付けられた公文書がヴァチカンのB16の手元に運ばれ、おフランスのニュウスによりますとほぼ絶対間違いなくB16はこのシスターの完治を「奇跡」とお認めあそばすんだそうでござる。
本当かよ? щ(゚Д゚щ)

30日夜に流れた各局のニュウス報道を見ても、シスターは笑顔で普通に話し、歩行されていた。私が知るパーキンソン病特有の症状は何一つ見られなかった。完治している、というか、本当に一度はパーキンソン病にかかられた方なのか?とついうっかり思ってしまう。

今回の奇跡物語はこれまで私が小耳に挟んだ奇跡とはちょっと異にする。これまでの奇跡は夢枕でのお告げとか、マリア出現とか、いわゆる手おかざし系だったりするのだけれど、今回の奇跡の場合、シスターご本人は「JPIIのおかげ」と公言されるが、Sr. マリ・シモン・ピエェルがJPIIを直に見たのは1984年、17歳でローマ巡礼をした時の「一度だけ」だそうだ。しかも巡礼団のひとりとして遠くから「ちょっと見た」だけ。それでも、シスターは「JPII のとりなしがあったので自分は完治した」と繰り返される。同じ修道女会に所属する姉妹によるヨハネ・パウロ2世への連祷あっての現実と考えられているからだ。

なんか凄いなあ。
・・・・こうゆう話が普通のニュウスで流れるフランスっていったい?・・・って思った。

兎にも角にも、こんにちのSr. マリ・シモン・ピエェルの記者会見をきっかけにJPII の列福までの時間は更に短くなるのは確実だそうでござる。・・・・って、ニュウスで言ってた。
カトリックにおいて聖人と認められるには、その前に福者という位がワンクッションあるのが常で、列福にも列聖にも重箱の端をつっついて、更に逆さにふるって落ちた漆を顕微鏡で見るような調査を何十年もかけて行うのが普通です。んなわけで、そんぢゃJPIIってどれほど奇跡があったのよ?と調べてみましたところ、
1.2004年7月1日にJPIIと個人的にお目にかかったポーランド人のRafal くんが按手によって完治
2.2002年トロントで開催されたカトリック青年の集いでJPIIにお目にかかったAngela Baronni アンジェラ・バロッニさんがその後しばらくして完治が認められた
3.先天性脳障害を持った幼児Emil Barbar エミル・バルバくん(オーストラリア人らしい)が1980年、母と共にローマに行き、JPII の祝別を受け、その場でJPII にルルド巡礼を勧められた。数年後、この親子はルルド巡礼を実現し、Emil くんは沐浴数日後、車椅子が必要のない状態になった。
そうなので、Sr. マリ・シモン・ピエェルはJPIIの奇跡にあずかった4人目の人物になる。


le 31 mars 2007, Benjamin

【参考までに】
*Libération : Le doux miracle de Petite Sœur Marie Simon-Pierre
*Le Figaro : Soeur Marie Simon-Pierre, de l'ombre à la lumière

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by ma_cocotte | 2007-03-31 04:14 | 『?』なKTOりっくん | Comments(18)
年に二度の、掻き入れ時
b0070127_16574838.jpgこの週末、3月23,24,25日の3日間はどのチャンネルに合わせても画面の片隅に 110 という数字が添えられた赤いリボンが出てきます。このマークは毎年恒例の Sidaction シダクシオンによるメディアを利用した募金活動が開催され、放送局もそれに賛同している証です。SIDA シダはフランス語で AIDS エイズを意味します。この団体は一年中募金を受け付けているものの、この3日間で医療、開発、患者などあらゆる面からのエイズ救済援助金をどっどーんとかき集めようと試みており、24日夜には芸能人総出演のコンサート中継も放映されることになっています。今年も共和国内11テレビ局と5ラジオ局が賛同しており、例えばニュウスでもエイズに関する話題を取り上げ、視聴者に募金を呼びかけています。
・・・・あれ?
似たようなことが2週間前にもありました。
b0070127_1721178.gif3月9,10日の2日間、共和国内中のスーパーマーケットの入口には何十もの買い物用ビニール袋を持った人が数名立っており、入店しようとする客にその袋を渡しており、一方、出口には中身が満たされたその袋を受け取ってカートに集めている人が数名陣取っていました。これは Les Restos du Coeur (レ・レスト・デュ・ケール、=心のレストラン)という団体の活動で、年間を通じ共和国内で食べることがままならない人々に無料で食料を配布しており、毎年この時期、イーパー&スーパーマルシェ店頭で来客する人々の善意を受け取っているのです。この二日間もフランス国内のメディアは一斉にこのムーヴメントを盛り上げる動きを起こし、ニュウスで取り上げ、10日夜には芸能人総出演のチャリティー・コンサート番組を放映しました。この番組内で唄われた歌が毎年CD販売され、その収益金が募金にあてがわれるのも恒例になっています。
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フランスではSidaction や Les Restos du Coeur の他にもこの手のマスメディア、芸能人が一体となった募金活動組織がありますが、これらの組織が共和国民に大々的に援助を募るのは年に2回の同時期に集中しています。ひとつは今、3月というひと月、もうひとつは11月下旬から12月末にかけてです。フランスの暦において前者はCarême (カレム、=四旬節)と呼ばれる復活祭前の40日間であり、後者はAvent (アヴァン、=待降節)と呼ばれる約30日で、両方ともフランスの長い生活習慣において「節制」が行われていました。節制は食生活で日常との具体的違いがありましたが、この期間には節制の一方で「善行」を行うことが奨励されていました。cf. 待降節、私たちにできること。
 
というわけで、1905年の政教徹底分離から102年が過ぎ、共和国民の非神論者数が上がっているにしても、まだ善行だけはこの時期に行いたいという心理に駆られる人が多いらしく、募金を募る各団体もマスメディアもこの心理を利用して、年に二度、元々はカトリックの習慣である「四旬節」、「待降節」という節制月に大イヴェントを合わせて、共和国民に具体的、目に見える「善行」を促すのです。スーパー店頭で食料品が集められている、というニュウスを聞くなり、「あら、行かなくっちゃ」といそいそ出かけるヒトも多いのがフランスです。
手ごたえある収益があるのは間違いないようです。
年に二度、寄付をすることに喜びを感じることに慣れてくると、スーパーの店頭で渡された袋の中身の選び方も変わってくるから不思議です。私の場合、初心者だった頃は自分が食べたい物を袋に詰めていたけれど、それがいつからか相手が食べやすいものを袋に入れるようになりました。例えば火にかけなくても美味しく食べられるもの、湿気にくいお菓子などを選ぶようになりました。この知らぬ間に身についた感覚が共和国の第四標語といわれるSolidalité (ソリダリテ、連帯)はたまたカトリックにおける Charité (シャリテ、相互愛)なのかなあ、とぢわぢわ実感しています。心身で実践することで理解に至る、でしょうか。
それにしても、おフランスの徹底政教分離法って俗側の狡猾さが目立つよね。

le 24 mars 2007, Catherine de Suède
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by ma_cocotte | 2007-03-24 16:57 | 『春』 Rien de spécial | Comments(4)
寒が戻って、なごり雪
今宵、アルプス、中央山脈、ピレネーで雪が降り積む。 ↓ 3月21日天気予想図 ↓
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先々週まで毎日雨が降りました。
これはフランス語でGiboulée ジブゥレ と呼ばれる雨期で、この憂鬱な数日を過ぎると春が訪れると言われています。その証拠に、先週は青空が広がり、気温も20度近くまで上がり、夜明け前から黒唄鳥が軽やかに囀るようになりました。
ああ、春が来たんだ。
と思いました。こころが軽くなった気分になりました。セーターを洗うために毛糸用洗剤も買いました。コートもしまい、カーディガンやT-シャツを出しました。ところが、です。
先週末から再び寒くなりました。最高気温も先週より10度近く下がりました。もう着ないだろう、としまったコートを取り出しました。

先週のこと、春を感じてすぐ、室内で冬の間大切に育てた苗木を直植えしました。
昨年、夏の終わりに植えた木々も丸裸のまま一冬を越して、新芽を吹き始めたのに、
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このさくらんぼうの新芽も今更引っ込められないのではないでしょうか。枯れませんように。
ここ一番、もうひとばんがりしてください。( ̄人 ̄)ドーシテモ、サクランボヲタベタヒノ。
早く本物の春が来ますように。

le 22 mars 2007, Lèa
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by ma_cocotte | 2007-03-22 04:10 | 『春』 Rien de spécial | Comments(2)
十二人は十二把一絡げでも十二単でもなく、十二色
4月22日の第一回投票まで34日となりましたフランス共和国大統領選挙でございますが、金曜夜が提出期限だった500人推薦署名を揃えたのはこの12人の方々。Photo@AFP
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いつかどこかで見たことある顔もあれば、テレビでさえ拝見したことない顔もありますし、見過ぎて「もう、ええわ ヾ(`◇´)」なお顔も点々と。
最新の支持率調査によりますと、ニコラ・サルコぢ(写真上、左から3番目)が26%、セゴレェヌ・ロワイヤル女史(写真中、極右)が24%、フランソワ・バイルゥ(写真上、左から2番目)が22.5%、ヂャン・マリ・ル・ペン爺(写真上、極右)が14%で、第二回目の決選投票ではサルコぢが51.5%に対し、セゴ姐が48.5%と予想されちょります。(ただし、無回答5%)
第一次投票において他の8候補者の支持率はどうかと言いますと、3.5~0.5%の間だそうであります。
上の写真ですけれど、配置がムフムフにおかしく、女性4候補を男子8人が4×4に分かれてはさむ形です。上段は男子上位4名になっており、上中下段それぞれが左から右に行けば行くほど右傾思想という明解さであります。つまり上段で一番左はトロツキストのオリヴィエ・ブザンスノ、最右翼はご存知、FNのヂャン・マリ・ル・ペン爺であります。中段の女性4候補ではなんとセゴ姐が最もおミギなお考えの持ち主(・・・当然だけどヾ(`◇´)であり、再左翼のマリ・ジョルヂュ・ビュフェは共産主義、アルレット・ラギイェはアナキスト、ミギから二番目のドミニク・ヴォワネは置き所に困る「緑の党」(・・・Bof)です。下段は、と言いますと、テレビ婆の私が見たこともないムッシュがいらっさいます。真ん中のお二人ですが、左寄りはフレデリク・ニウさんはruralité リュラリテ(農村主義)、ミギ寄りのヂェラル・シヴァルディさんは労働党候補だそう。下段極左翼はマクドにトラクターで飛び込んだヂョゼ・ボベ、最右翼はフィリプ・ドゥ・ヴィリエは王制復古主義と言われてます。


・・・で、なんですが、フランス共和国大統領選において政策だけでなく何が注目されるか、というと Etat Civil エタ・シヴィルです。いや、別に大統領選に限ったことではなく、この国において就職活動だろうがゴシップだろうがこのエタ・シヴィルが必ず話題に出て来ます。辞書で引くと「身分証書」などと書いてありますが、家庭環境とでも申しましょうか。てなわけで、12候補の身分証書は以下の通りでございます。写真上中下段、左から順に参りましょう。

▼ Olivier Besancenot  オリヴィエ・ブザンスノ
     オ・ドゥ・セーヌ県生まれ、32歳。同棲、子供一人
     LCR 党代表であり、トロツキスト、現在も郵便配達員。
     もんのすごいおしゃべりの理想主義者だと思う。
     
▼ François Bayrou  フランソワ・バイルゥ 
     ピレネ・アトランティク県生まれ、55歳。既婚、子6人、孫12人
     UDF 党党首、元文部大臣
     先週はセゴ姐と支持パーセンテイジが同率になり、ちびっと後退したところ。
      愛妻家、子煩悩、真面目なカトリック信者であることで知られています。
      ご本人の主張によりますと、サルコとセゴの間はボク。


▼ Nicolas Sarkozy  ニコラ・サルコぢ 
     パリ17区生まれ、51歳。再婚、前妻との間に2子、現夫人との間に1子
     元はシラキストの集まりである UMP 党首、現内務大臣。
     移民いじめが好きな東欧移民二世のサルコ。お金持だけが大好き。・・・なんて噂もある。

▼ Jean-Marie Le Pen  ヂャン・マリ・ル・ペン 
     モルビアン県生まれ、77歳。
     フランス最極右政党 FN 党首。
     自称カトリック教徒なのに離婚、再婚。この点、しばしば突っ込まれる。
     前妻との間に3人の子。
     今回5度目の大統領選立候補、前回のごとき「何かの間違い?」が今回も起こりえるのでありましょうか。
     弁護士資格を持つ長女 Marine が世継ぎ。


▼ Marie-George Buffet  マリ・ヂョルヂュ・ビュフェ
     オ・ド・セーヌ県生まれの57歳。私生活非公表らしい。
     PCF フランス共産党員。
     テレビ画面登場率が妙に高い世論ご意見番。そうかと言って彼女個人の個性ある意見はないわけで。
  
▼ Arlette Laguiller  アルレット・ラギイェ
     パリ生まれの66歳。独身。子供無し。2000年までクレディリヨネの銀行員でした。
     LO 代表。今回6度目の大統領選立候補。
     前回そうだったように次回も立候補することに期待。
     彼女は極左なんですが、トロツキストでもなく、マルキストでもなく、アナキストらしいです。

▼ Dominique Voynet  ドミニク・ヴォワネ
     ドゥブ県生まれ、47歳。独身、二人の子あり。
     ミギかヒダリか定まらない 緑の党 公認。麻酔科医、元環境大臣。
     16歳でBACに合格した秀才で、大学時代からアムネスティ活動に勤しんだことで緑の党と関わる。
      緑の党党首のノエル・マメールに比べると口から出る言葉に誠意があるかな。ハッタリなし。


▼ Ségolène Royal  セゴレーヌ・ロワイヤル
     セネガル生まれ、53歳。同棲、4人の子あり。
     今回の大統領選において一番名乗りを挙げた社会党公認候補。今のところ二番手。
     日毎に個性が没していくセゴ姐でございますが、失言多すぎちゃんだからしょうがない。
      彼女のまわりを固める後見人政治家ズの方がオーラあり。彼女はいつまで踊り続けるのだろう?


▼ José Bové  ヂョゼ・ボベ
     ジロンド県生まれの53歳。本名はJoseph ヂョゼフ。離婚、二人の娘あり。
     この方もヒダリ突き当りの一人として挙げられますが、平和反戦主義者、
     世界連邦主義者。
     サイトはこちら http://josebove2007.org/spip/
     なんですが、この方が有名なのはトラクターでのマクド襲撃。その罪科によって刑務所
      入所の際のトラクターパレード。更には公道における輸入青果物のばら撒き誘導、など。
      ついでに南米のボベたん、チャベたんとむやみやたらに仲が良すぎるのも有名。


▼ Frédéric Nihous  フレデリク・ニウ 
     ノール県生まれ、40歳。ポーランド系。再婚、子供二人。鳩撃ちの名手(!)
     CPNT という団体公認の候補だそうで、今日の今日まで知らない人物であった。
     が、どうもフランス北部では有名人のやふである。
     農村主義といふものはなんぢゃ・・・私にはまだ知る喜びがある。

▼ Gérard Shivardi  ヂェラル・シヴァルディ
     ナルボンヌ生まれの57歳。既婚、子供二人。現在も現役の石工親方。
     PT フランス労働党公認候補だそう。     
     公約はEU脱退とマーストリヒト条約破棄!!!!!      

▼ Philippe de Villiers  フィリプ・ドゥ・ヴィリエ
     ヴァンデ県生まれの58歳。既婚、7人の子の親である。
     MPF 代表。
     MPF はサルコぢとヂャン・マリ・ル・ペンの思想を統括したものと考えられるそう。     


んまあ、個性豊かに色とりどりの候補者であります。
ミギであれヒダリであれ、農業重視宣言をする候補者が複数いるのもEU一の農業大国フランスゆえでありましょう。が、なんでまた極左からブザンスノ、ビュフェ、ラギイェ、ボベと四人も出たのか、統一した方がいいんでないかい?と思いますが、トロツキストもマルキストもアナキストも妥協できん者が互いにあるそうで・・・自由の国であればこその左翼細分化なんでありますね。それにしても今回の大統領選挙、綺羅星がまだ光りません。このままだと
混沌が煮詰まり始めてしまいそう。
白票を投じたい気持になるのもわからなくもない。煮詰まりすぎて焦げができると厄介です。   

le 18 mars 2007, Cyrille
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by ma_cocotte | 2007-03-18 22:02 | よっ、大統領!2007 | Comments(12)
わたくしに聖母の加護は要りません。
37日後に迫ったフランス共和国大統領選挙の候補者のひとりであらせられるフランス社会党(PS) Ségolène Royal セゴレーヌ・ロワイヤル候補の本名はSégolène Royal セゴレーヌ・ロワイヤルではありません。彼女の本当の名前はMarie-Ségolène Royal マリ・セゴレーヌ・ロワイヤルなんであります。

昨晩は夜9時手前からセゴレーヌ・ロワイヤル候補が生出演する公開生放送 À Vous de juger (あ・ヴ・どぅ・しゅじぇ、=判断するのはあなた)がFrance 2 で放映されました。ここでも司会者がこの話題に触れ、なぜ親からもらったこの名前からMarie を省いたのか質問しました。フランス語のMarie マリは聖母マリアのことで、フランス人女性の名前にMarieやMarie-ナントカと複合名が多いのは、名前イコール洗礼名であった時代がフランスにおいて長かったためです。聖母は女性の鑑であり、その名を戴くことで一生涯、聖母の加護があることを願っての人気名だったそう。セゴレーヌはロワイヤル家において8人姉弟の4番目で、ここのおたくの女児3人の名はMarie-Odette マリ・オデット、 Marie-Nicole マリ・ニコルそしてマリ・セゴレーヌで、全員に聖母マリアのMarie マリが冠されていました(ちなみに男児5人はGérard ジェラァル、Antoine アントワァヌ、Paul ポル、Henry アンリ、Sigisbert シジスベェル)。セゴ姐曰く、Marie という名前が必要ないと大学生になって思ったそうで、以降、マリを省いたセゴレーヌ・ロワイヤルという名前で出ているのです。思うに、聖母いらずだけでなく、親の庇護からの決別の手段だったのかもしれませんね。
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↑ セゴ姐が マリ・セゴレーヌ だった頃 ↑
1962年マルチニクにて、姉弟と共に。主日ミサ前に撮ったものだとか。
左からMarie-Nicole, Antoine, Marie-Ségolène, Gérard

大学生時代のセゴ姐は社会党に傾倒した時代でもあります。セゴ姐は大学卒業後、ENA (パリ政治学院)に進み、そこで現在の内縁の夫(結婚していないのでこういう表現になりますか?)であるフランソワ・オランド氏(現・フランス社会党第一書記)と出会い、社会党党員となりました。セゴ姐は現首相であらせられるドミニク・ド・ヴィルパン氏ともENA で同級生だったんですが、姐御が選んだのはフランソワだったんざんすね。その後、セゴ姐とフランソワは教会婚はもちろん市民婚も挙げないまま家庭を作り、4人の子供に恵まれました。

昨晩の番組では更に司会者からセゴ姐にツッコミが入りました。それは
あなたはCroyante (クロワイヤント、信者)ですか?
それともabandonner (アバンドネ、ここでは「宗旨放棄」を指す)ですか?
というものでした。というのも、名前から聖母(marie)を省いたことは兎も角、9年間に8人の子宝に恵まれたロワイヤル家の4女であるセゴ姐が大学で社会主義思想に目覚めて後、今日に至るまでの人生が同棲、未婚の母とカトリック教会における掟破りばかりだからです。セゴ姐は司会者からの質問に、自分はCroyante であるけれど『自由』を何よりも重んじている、とまず返答しました。フランス語では信者という語もCroyant(e) クロワイヤンと Pratiquant(e)プラチカンの二語に分かれます。前者は何教であれ「ナンラカを信仰する者」を指し、後者は信仰だけでなく、その信仰で守るべき生活習慣を守っている者を指します。セゴ姐の場合は親から独立するまではかなり厳しくカトリック生活習慣を守っていたそうで、現在は教会に行かずとも子供の頃に身に付けた道徳や文化を今も愛し、尊重している、とセゴ姐は更に自身の立場を説明しました。ん~まっ、セゴ姐の現在の家庭環境では教会に行くのは難しいというか、なんと言うか・・・ココんちのお子たち4人が幼児洗礼を受けていないのは間違いあるまい、ですね。
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ピエール師の帰天においては棺が安置されていた病院聖堂にこうして弔問に行ったものの、
パリ・ノートルダムでの葬儀ミサは欠席したセゴ姐です。


てなわけで、フランス共和国大統領選挙においても米国のそれ同様、候補者の宗旨の話題はタブーではなく、寧ろいまだに投票の決め手のひとつなんであります。しかもその信仰の程度が秤にかけられるように論じられるのも日本とは違うところです。共産党、極左候補(現在4人)はもちろん宗旨なし、最有力候補のサルコはカトリック信者なれどバツ一、極右のル・ペンのぢっつぁまは自称カトリックなれどちょと違うカトリックらしいし、おまけにバツ一、王制復古を目指すドゥ・ヴィリエ氏は7人の子持ちで、今週になってセゴ姐と支持率が並んだバイルゥ氏は六人の子持ちでPratiquant なカトリックです。

昨晩の番組に先立って3月12日夜、セゴ姐はパリ近郊にて有名人を招いての総決起集会を開きました。有名人の中には日本でも知られるエマニュエル・ベアールやヂャンヌ・モロもおり、そこでセゴ姐は以下のようなことを述べました。
Nous sommes le peuple français. La Nation ne distingue ni blancs, ni noirs, ni jaunes, ni catholiques, ni athées, ni juifs, ni musulmans. Tous, nous sommes tous les citoyens de la République française à égalité de droits et de devoirs, ...
私たちはフランス人民です。国民は白人も、黒人も、黄色人種も、カトリックも、無神論者も、ユダヤ教徒も、イスラム教徒も区別しません。全人民である、私たちは義務と権利において平等のフランス共和国市民なのです。
セゴ姐がこんなことを高らかに宣言したからでしょうか。昨夜の番組では司会者から「あなたのおっしゃることは社会党の党意ではありませんね?」と念を押されてしまったセゴ姐なのでありました。"Je suis libérée" 私は解放されています、とやたら繰り返していましたわ。
『こう質問されたら、そう言うように』 とか
『ああ言われたらこう言い返せ』
なんて党のエラいヒトから命令されたり、教え込まれてなきゃいいんだけれどね。
...あ、社会党で一番エラいヒトはセゴ姐のダーリンだった・・・ヾ(`◇´)

le 16 mars 2007, Bénédicte
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by ma_cocotte | 2007-03-16 22:24 | よっ、大統領!2007 | Comments(15)
Ça suffit! 毒薬はもう二度といらない。
b0070127_2028977.jpg昨晩は夜8時のニュウスを見ようとテレビの前に座ったら、いつものテーマミュウジックが流れず、画面にフランス国旗を背景にしたスローガン(自由、平等、博愛)が映り、国歌が流れ、大統領閣下のテレビ演説が始まってしまった。
フランスではしばしば恒例の大統領テレビ演説とは別にこのような臨時の大統領演説が通常の番組をハイジャックするかのように流れる。シラク大統領のお話に見入りながら、日本國ではこういう形で国家元首が国民に語りかける場がないということに気付いた。天皇陛下や日本國首相がテレビカメラの向こうにいる国民に語り掛ける番組があるだろうか?フランスでは大統領と共和国民が画面で目を合わせる形で、しかも大統領の演説はいつも共和国民に語りかける言葉で始まる。昨晩は Mes chers compatriotes 私の愛する同胞よ という語りかけだった。演説中、三度、大統領閣下はテレビカメラの向こうの人々に声をかけた。何度も言う。日本國でこういう場があるだろうか?例えば小泉前総理は毎夕、決まった場所で記者の質問に答える場を設けていたらしいけれど、その光景がテレビ画面に流れるのはごく一部だし、テレビにしても新聞にしても編集者や構成者経由で私達に伝わる。直に伝わる言葉ではないので、曇りがでる、靄が霞む。もちろんフランスの大統領演説だって前もって念入りにシナリオ作りがなされるけれど、本番では大統領と国民の直接対話という形になる。日本國もやってみればいいのにね。今のままだと日本國の国家元首が誰なのかさえ曖昧になってしまう。
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昨晩の突然の大統領テレビ演説の内容は大統領閣下自らが今年の共和国大統領選挙への不出馬を表明したものだった。この国では現役大統領が不出馬を表明した場合、同時に候補者の誰を支援するのかも発表するらしいのだが、昨晩のシラク大統領閣下はその点について発表しないまま、ご自分の政治的嗜好をほのめかす形になった。

拝聴後、印象に残ったのは以下の発言である。
Ne composez jamais avec l'extrémisme, le racisme, l'antisémitisme ou le rejet de l'autre. Dans notre histoire, l'extrémisme a déjà failli nous conduire à l'abîme. C'est un poison. Il divise. Il pervertit, il détruit. Tout dans l'âme de la France dit non à l'extrémisme.
決して(左右の)極端な政治過激主義、民族差別主義、ユダヤ人排斥主義その他(それぞれの心に拒絶反応を催すもの)に組み入らないで下さい。私達の歴史において、極左・極右は既に私達を損傷の深淵に誘おうとしました。これは毒薬です。この毒薬は(国民を)二つに分裂させ、堕落させ、破壊絶滅させます。全フランス国民の魂は極左・極右に「ノン!」と言うのです。

ぢいいいいいいいいいいいいん。ヽ(T▽T)人(T▽T) ヽ(T▽T)人(T▽T)⇗


大統領さんったらめっちゃ格好えええええええ・・・・。
こんな台詞、政治家というより宗教家の域に達しているよ。

先週あたりから再び大統領候補のひとりであるニコラ・サルコぢが極右政党Front National とテーブルの下で汗が滲み出るほどがっちり握手したという噂も流れており、同じ政党員であっても昨晩の段階でシラク大統領がサルコぢ支持を明言せず、逆に前出のような自身の立場を明確にしたことになる。
極右を拒絶したシラク大統領発言に、極右政党党首ジャン・マリ・ル・ペンのおっつぁんは「シラクはフランス史上最悪の大統領だ」と言い放った。・・・・そうだろうか?

共和国大統領選挙まで41日。兎にも角にも
Vive la République ! Vive la France !
共和国万歳!フランス万歳!
大統領閣下はいつものこの常套句で演説を締め括られたのであった。
今年5月に引退したら、ヂャックはCorrèze コレェズのお城に篭られちゃうのだろうか?地元民はヂャックの帰還を楽しみにしているらしい。きょうのお昼のニュウスでそう流れた。

le 12 mars 2007, Justine

▽ 昨晩の大統領テレビ演説全文であります ▽
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by ma_cocotte | 2007-03-12 20:30 | よっ、大統領!2007 | Comments(6)
ヂャン・バルヂャンの気持とはちょと違うけれど、
懐に隠し、ココんちに持ち帰りたくなるほどの衝動に駆られる聖杯(カリス)に出会いました。
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美しいやねぇ。青帯に浮かぶ SANGUINIS の文字・・・ラテン語だよ、おい。
ほ、ほぢい・・・。
けど、非売品。ヾ(`◇´)✝


le 11 mars 2007, Rosine

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by ma_cocotte | 2007-03-11 22:06 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
手に入らなくなって手に入ったもの。
Savon d'Alep という名の石鹸です。
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地中海は東岸のシリアという国で作られているこの石鹸、これまで使っていた マルセイユ石鹸 がそう簡単に手に入らなくなったココ新天地のBIO屋さんで見つけました。

石鹸から漂う香りがマルセイユ石鹸の臭いよりはるかに心地よく、なぜかココんちの猫まで石鹸に頭を擦り付けてゴロゴロするほどです。本物のマルセイユ石鹸はオリーヴオイルの含有量が72%ですが、この石鹸はオリーヴオイルが80%、月桂樹の実から取った油が12%含まれており、お店のひとの話ではマルセイユ石鹸の更に上をいく究極の石鹸なのだそうです。

Alep という町はシリアの北西にあり、シリアで最も長い歴史を持つ町でもあり、そこのスーク(市場)で16世紀頃からこの石鹸が作り、売られていたそうです。今回買った石鹸は3年間天日干ししたもの。身体を洗った後、心地よい香りが身にまとわりつく感じです。本当に良い香りに出会いました。
ああ、しあわせぇ。 )^O^( ウットリ

le 8 mars 2007, Jean de Dieu
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by ma_cocotte | 2007-03-08 21:44 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(6)
Enfin! 来ましたね、彼。
34年ぶりのお久しぶり。
Michel Polnareff みしぇる・ぽるなれふ。
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3月2日がフランスでの34年ぶりの コンサート初日 でした。今月14日までパリ・ベルシーでコンサートが繰り返され、その後は今年7月まで共和国内をツアーだそう。初日翌日、ニュウスは繰り返し繰り返しポルナレフの34年ぶりのコンサートについて流しました。初日コンサートを見終えて会場から出てくるヒト、ひと、人・・・・みんな、泣いてたよ、おっかさん (T_T) 
いいなあ、みんなたち。おらも見たいよ、ポルナレフ。
「ポルナレフって誰よ?」なんてほざくガキがいてもおかしくない21世紀のおフランスです。だってフランスでのミシェル・ポルナレフ最後のコンサートは34年前。その後、彼はエイメリカに移住してしまった。音沙汰無しと言っていいくらいで、ミシェル・ポルナレフは母国・フランスでも「伝説の歌手」となってしまったのです。その伝説や噂を打ち破るために彼はこうしてコンサート・ツアーを34年ぶりに母国で行うと決めたらしい。3日、テレビ画面に現れた舞台上のミシェル・ポルナレフはトレードマークの巻き毛と大きなサングラスは同じだけれど、立派すぎる体格と化していました。1944年7月生まれですもんね。体格も年輪のうち。

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↑ 1966年当時のミシェル・ポルナレフ ↑
こりゃ、伝説になるわけだ。

私が生まれて初めて聞いたポルナレフさまの曲は Tout Tout pour Ma Chèrie でした。日本語タイトルはなぜか「シェリーに口づけ」 ¢( ・_・) ナンデ? 元気が良いリズムなのにどこか甘酸っぱくて切ない歌で思春期の我がこころがきゅうんと水滴ひとつ落とさぬほどよく絞られたねじり雑巾のような感覚になったことを今も覚えています。

しばらくして買ったポルナレフさまのCDに Qui a tue Grand' Maman という歌が入っていて、フランス語の A も知らない自分にはその悲しげな曲がまたこころにぢいいんと沁みてしまったのですが、これも日本語タイトルは「愛のコレクション」、原題を直訳すると「誰がおばあちゃんを殺したの?」 ( ´△`) アッチャー! この違訳は許すとするか。 

あてくしを含めポルナレフ好きの婦女子は一般的にポルナレフさまが作る甘く切ない乙女ちっくな世界が好きみたいですが、男子は、と言うと乾いたポルナレフ・ワールドがお好きな方が多いようです。例えば、La poupée qui fait Non 。日本語タイトルはなぜか「ノン・ノン人形」・・・(-`Д´-*)!! オコルゾ、オイ!

ポルナレフの歌のどれが一番良いなんて一つ選ぶのは難しいンですが、最近のあてくしが好んで聞いているのは Lettre à France です。日本語タイトルは存じません。ヾ(`◇´) ようつべでクリップを見つけたのでもしよろしかったら・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=GjXVsSH76O8

...ぢいいいいいいいいいいいいん

ヽ(T▽T)人(T_T) 人(T▽T) /


春先にこのメロディは胸きゅううううん。泣かせやがって、こんにゃろめが。
こ、コンサートに行きてぇ・・・・・(T_T)

le 4 mars 2007, Casimir

♪ よろしかったら、ご唱和くださいまし
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by ma_cocotte | 2007-03-04 22:55 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(15)
サルコぢはガイジン嫌いのイヂメっ子なのか?
さて、果たして本当に アフガニスタン難民の肝っ玉母さんがおっさるよう に、次期共和国大統領選挙において最有力候補のひとりであるニコラ・サルコぢ Nicolas Sarkozy 氏は貧乏なガイジンに冷酷なおっさんなのでしょうか?

私が知る限りですが、サルコぢは1955年1月28日、パリ17区で生まれた移民2世のフランス国籍者です。彼のパパはハンガリー人、ママンはスファラディ系ユダヤんフランス人です。
b0070127_403234.jpgNicolas Sarkozy ニコラ・サルコジは通称で、彼の本名は Nicolas Paul Stéphane Sárközy de Nagy-Bócsa ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ-ボクサなのであります。この苗字も生まれながらに持ったのはサルコぢと兄、弟の三人が初めて。彼の父親の本名はPál Nagy-Bócsa y Sárközy パル・ノジ-ボウチャ・イ・サルコジ と言い、1944年ソ連軍がハンガリーを占領した時、貴族階級であったサルコぢ家は国外退去せざるを得なくなりました。当時16歳だったサルコぢパパはオーストリアを経てドイツはバーデン・バーデンで かのフランス外人部隊 のスカウトマンに出会い、5年契約でフランス外人部隊兵士となりました。現在もそうですがフランス外人部隊の隊員になったガイジンさんは規定年数の使命を終えると希望者にはフランス国籍が与えられます。サルコぢパパの場合、インドシナ戦争出兵の際「兵役不適格」とされ、除隊時にフランス国籍を取得、名前をフランス風に改めたPaul Sarkozy de Nagy-Bocsa ポール・サルコジ・ド・ナジ=ボクサで登録しました。その後1949年サルコぢパパが21歳の時、医者の娘で当時法学部の学生だった Andrée Mallah アンドレ・マラというスファラディ系ユダヤんの女性と恋に落ち、結婚し、三男を設けたのでありました。子供たちはカトリック信者としての教育を受けました。ママンがユダヤんなので、サルコぢ三兄弟はカトリック信者の血統ユダヤ系フランス国籍者になります。

2007年共和国大統領候補となったニコラは次男。長男、三男に比べニコラはデキの悪過ぎる息子だと父親泣かせの存在だったそうです。ちなみに現在、長男Guillaume ギヨムは実業家、三男François フランソワは医師。サルコはENA (パリ行政学院)に関わらなかった珍しい政治家で、弁護士資格を持っています。1983年、28歳の若さでパリの西におぢゃるヌイィ・シュル・セーヌ市の市長となり2002年内閣に参加するまで歴任したニコラ坊が「デキの悪い息子」というサルコぢ家っていったい・・・・。1958年、サルコぢパパは突然この家庭を去り、その後3度結婚を繰り返しましたので、サルコには二人の異母弟妹がいます。サルコぢパパが去ってサルコぢママンは弁護士となり三人の息子を育てました。

サルコぢは子供の頃からいくら苗字に「ド」がついているとは言え、k やら z やら y が入った一目でわかるフランスっぽくない苗字やユダヤの血を引くことで決して甘過ぎる日常の中で成長した男子ではありませんでした。サルコぢパパが息子に優秀さを望んだのも移民である不利な立場をフランス人としての成功に転じさせたいという願いのためだったそうです。星一徹みたいぢゃな。
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成長したサルコぢが21歳で中道右派の共和国連合(彼が党首を務めるUMPの前身)に入党したのも貴族階級だった父親が祖国を追われたことで幼い頃からはっきりとした反共意識を持っていたからです。___φ( ̄^ ̄ )ナルホド、ロヂックヂャ。

以上、サルコぢの生い立ちを知りますと、彼が大統領になってガイジンをいぢめたところで突っ込みどころ満載でいぢめについての反論ができます。そんなことはこれまでの人生で身に沁み過ぎているし、しかも弁護士の生業のサルコぢには反論は想定内のことでありましょう。確かに現法ではフランス国籍取得のために試験があり、フランス語会話、読み書きがフツーのフランス人並みにできることが要求されています。戦後、特にアルジェリア戦争後の共和国で最も流動的な法は国籍法と移民や長期滞在者に関わる法です。戦争避難民扱いの人々がフランス国籍を求めても、じっつぁまばっつぁまにフランス国籍者がいれば手続だけでフランス人になれる旧植民地の人々とも立場が違います。

フランスではしばしばCompatoriote コンパトリオトという語を耳にします。これは共和国内外問わず「同郷のヒト」を指しますが、近年は同郷同士の身びいきなどがあからさまだと「あいつら、同郷だから」と言うネガティヴな表現で使われるようになることが多いです。サルコぢが昨年夏に実施したフランス国籍を持たない就学児童の登録と審査についても「厳しい」と口にして嘆き批難するのは簡単ですが、サルコぢがこの共和国に長期滞在するヒトに求めているのはコンパトリオト間で盲目的に庇い合い、許し合うのではなく、コンパトリオトなら互いに助け合い、フランスの諸習慣から外れそうな移住したての後輩を先輩が導ける基礎生活知識を持ってもらうことなのでしょう。それが彼らにとって「真の共和国民」になるための近道でもあります。サルコぢは選挙戦でハンガリーもユダヤの話も出さず、ただ「フランス共和国民」としての自分を強く主張し続けています。共和国民が総混血&移民と言われるフランスでサルコぢが選挙民に「愛国心」や国への「忠誠」を熱く語り過ぎてしまうのは、彼自身がまだ「移民二世」という事実を心の片隅でネガティヴに捉え、子供の頃父親にあからさまに失望されたことを自らが共和国大統領になることで喜びに代えて父に捧げたいのかもしれません。
思い込んだら大統領の道を 行くがサルコの生きる道

le 1er mars 2007, Aubin

ちなみにフランス大統領選挙ですけれど、共和国民の直接選挙で選出します。1回目の投票で過半数を得られない場合、上位2候補による決選投票(前回2002年はこのパターンでシラク氏と極右政党ル・ペン氏という想定外の選挙になりました)。今年の大統領選挙の日程は1回目投票が4月22日、決選投票は5月6日。おフランスの大統領の任期は5年。
選挙まで52日。

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by ma_cocotte | 2007-03-01 22:51 | よっ、大統領!2007 | Comments(4)