<   2007年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧
引越から一年と二日
ココ新天地もそろそろ ココ天地 と改名せねばならないでせうか。
b0070127_21415562.jpg

明日で7月も終わりだと言うのに、午前中に外に出てみると風はひんやり。
秋の気配を感じました。
もしかして今年はギンギラの太陽を感じないまま秋を迎えることになるのでしょうか。

毎朝毎晩、天気予報で地中海沿岸のギラギラ太陽マークを見ては昨年までのわが環境を懐かしく思ったりもしますが、風速90km/hの表示を見るとあのミストラルなる北西風にはうんざりな思いを改めて感じ直したりもしています。


地中海岸から内陸20km弱地点から大西洋岸から内陸70kmの土地に引っ越して一年。
同じフランス共和国内ではありますが、ココ新天地についての漠然とした感想は、
▼老人が多い。
▼ネクタイを身につけた男性が多すぎる。スーツの色が地味。
▼スカート姿のエレガントな婦女子が多い。
▼おしろい粉のような、老舗G社のクラシックな香りをまとった女性が多い。
▼パンが高くて、不味い。(q`0´p)ブー!!
▼ユダヤ系やマグレブなど地中海人が少なく、アフリカや南米人が多い。
でしょうかねぇ。
ココ新天地に老人が多いのは実際、経済雑誌などでこの町が共和国内で老人に人気No.1の土地と紹介されているほどなので事実を目の当たりにしたと言えませうか。行き交う人はもちろんですが、高齢者の運転が多いのも当然なので注意と根気と寛大さと優しさが必要です。(私は運転しないんだけれど)

そして服装。これは参りました。
まずTシャツ姿の男性が少ない。こちらはカジュアルでもポロシャツ姿の男子です。週日の昼間の旧市街はネクタイ姿の男性だらけ。南仏ではネクタイを身につけている男性を見るのが稀だったので視界の変容に驚くばかり。ココんちのフランスびと♂は必死こいてポロシャツを探すことになってしまいました。
婦女子もエレガント。お子ちゃまでもクラシックなワンピースをお召しの子が多いし、女子小中高生もスカートで通学している子を見かけます。南仏ではまずスカートをはいている若い女子を見たことがなかったので驚きました。南仏でよく見かけるメロン胸にチュニジアスイカ腹、桃尻、いわゆるバンボンバンな女子が新天地にはあまりおらず、小枝ちゃーんが多いですが、反対にご高齢の超ウルトラ肥満婦人を見かける率も南仏より高いように思います。乳製品を大量摂取する地方だからでしょうか。

フランスの服装で「香り」も重要な要素でありますが、南仏ではココナツやバニラなど甘い香りを好む男女が多かったのに、ココ新天地に上陸してまもなく私の鼻に入ってきたのはあのお粉の香りです。G社やC社のクラシックな香り、母を思い出すような香りと申しましょうか。オトナの女性の外見も髪の毛をシニヨンにし、スーツにヒールという着こなしを見受けることも多々。颯爽と歩く女性とのすれ違いざまにこの香りというのは良いものですね。まだ南仏アッパッパー生活を引きずる私には良い刺激であります。

まあ、以上は他人様のことなので私が気にしなければどーでも良いことばかりですけれど、
ヒトはパンなしに生きられねーべ?
パンについては殊の外深刻。この一年で美味しいと思ったパンはほとんどないのです。パッサパサ。湿気のせいでしょうか?焼き上がりすぐでも不味い。信じられない。しかもバゲット一本が南仏より15~20サンチームも高いのに、短くて、小さい。・・・・最悪です。こればかりは引越したことを後悔。(T_T)

再び町に戻って。
やはりマルセイユは究極のコスモポリタン町だった、と改めて惚れ直している次第。
ココ新天地もエスニックな食材も食堂もあるにはあるのですが、出身国の匂いがプンプンのカルチエというものがありません。一軒のお店の中に充満しているのが限界。パリやマルセイユのような路地を曲がるたびに異国に飛んだような感覚に襲われることはまずありません。ココ新天地は大西洋に近いので、マグレブでもモロッコが多数派でバスクやポルトガルや西アフリカ、南米出身のヒトが多いのも特長です。地中海沿岸諸国の人懐っこい交流が懐かしくなったりします。・・・・けど、ココ新天地にもトルコ人が多い。労働出稼ぎの家庭が多いせいかもしれません。
マルセイユに行きたいけれど、戻りたいけれど、遠いな、遠すぎる。
さてさて、新天地でイイトコ探しの小さな旅を続けるとしますか。


le 30 juillet 2007, Juliette
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-30 21:42 | 『?』なたわ言 | Comments(4)
涼を求めて。
明日28日でココんち一座が地中海側から大西洋側に移動して丸一年になります。この365日、長かったような、短かったような。家の外はこの一年で道路も舗装され、砂漠のようだった庭も緑の芝で覆われましたが、家の中を見回すと相変わらず三方真っ白、病院イメージのまんまです。ぼちぼち改造していきヤしょう。

さて、ココ新天地ですが、日本國で発売されているガイドブックには紹介されていない地方にあります。日本には無視されているこの地方ですが、どうも共和国内や大英帝國人には人気のおヴぁかんすスポットがあるらしく、先日そこに行ってみました。

こんなところ ↓ です。
b0070127_22421234.jpg
フランス語で Marais マレ と呼ばれる沼地です。ココんちのあたりは大西洋岸から内陸に70kmくらいですが、どうもこの大湿地帯は内陸60kmくらいから大西洋岸まで続いており、小川は毛細血管のごとく沼地を走っているようです。

沼地とは行っても岸辺にはコジャレた家屋が多く、おフランスびとや大英帝國びとのセカンドハウスとして人気があり、価格も不便な場所にもかかわらずめっちゃ高いのだそう。というか、フランスびとの中には便利さを毛嫌いする人々がおり、彼らは必死ぶっこいて不便な場所にある美しい家を探し続けているのです。(私には理解できんけど、あのマリ・アントワネットさまのプチ・トリアノン構想みたいな心理なのでせうか?)

この湿地帯をゴンドラに乗ったり、ボートで移動しながら旅を楽しんだりするのも欧州人には人気だそうで、地元ピーポーの中にはマイ・カヤックなどを持っているヒトもおり、サイクリングを楽しむかのようにカヌーで遊ぶ人々も多く見かけられます。点在する小村には貸しボート屋が必ずといっていいほどありますが、借り方もさまざまで船頭さん付きの殿様気分なプランや自ら漕いで楽しむ方法も選べます。もちろんこれに加えて時間貸しもありますが「自分で漕ぎます」を選ぶと、こんな地図を渡されたりします。一時間コースの航路地図。
b0070127_22361562.jpg


乗った感想は、TDLの某アトラクションの天然自然版みたいな感じです。ワニやカバが出てきたりはしませんが、漕ぎ手の下手さによっては思うように針路を取れず、岸に激突したり、船が揺れたりとかなりゲボっちょな気分を味わえたりします。
b0070127_22405813.jpg
濁った水と朽ちた船、水に届く柳にくつろぐ鴨・・・モネ~な世界に通じるかも。
ぜひぜひ。
鴨が水先案内鴨だったり・・・のどか。こんなのどかもたまにはいいかも。
b0070127_22524189.jpg


le 27 juillet 2007, Nathalie
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-27 22:42 | Promenons-nous! | Comments(4)
グ ミ な キ ャ ラ ン バ 。
スーパーで見つけました。
b0070127_4382634.jpg
CARAMBAR Flex   キャランバ・フレクス


フランスであれば不機嫌な大人も口にすれば幸せになれるというキャラメル、Carambar キャランバのフルーツグミです。フランスでグミと言えばドイツ生まれとは言えマルセイユに大きな工場があるボンボン HARIBO アリボですが、こりゃ、アリボにとっては強力なライバルの登場と言えましょう。キャランバ・グミの袋を開けると甘い香りがぷわ~んと漂い、
b0070127_445375.jpg
味はイチゴ、りんご、あんず、レモンの4種類。形も長さもキャラメル・キャランバとそっくりで、しかもグミの裏にはムースが付いているのです。あたしゃよくわからんのですが、ココんちの仏蘭西びと♂はボンボン・アリボにおいてもムースにこだわりがあり、白いムースお腹のワニグミが大好きなんでありますね。ゆえにこのキャランバ・グミのムースにも
満面の笑み。(^_^)

日本びとの私にはグミの鮮やかな色も、ムースの怪しい口当たりも、「こんなもん、身体に悪くないか?」とついうっかり思ってしまうのですが、口に入れてみると甘酸っぱくて、子供の頃、サクマドロップを口に入れた瞬間に戻れます。このキャランバ・グミはアリボの熊さんと同じくらい噛み応えのあるグミで、美しい顎ラインを目指すためにもよろしいかもしれません。久しぶりのグミはむにょむにょのびーで、ちょっとセンチになれました。

le 25 juillet 2007, Jacques
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-25 04:44 | Thé ou Café? | Comments(4)
ブリジットの涙雨。
きのう7月22日はマグダラのマリアの祝日でした。
土曜日の夜、それに気がついて、一年前の今頃は映画「ダ・ヴィンチ・コード」のせいで、このマグダラさんが電脳域の方々で面白おかしく語られて気の毒だったことを思い出したりもしました。
22日の共和国は朝からどこも夏らしい青空に恵まれたのですが、お昼すぎからイタリア国境に近いアルプスの山間部で、ラ・サレット La Salette というカトリックの聖地に巡礼中のポーランド人50人(巡礼客47人、運転手2人、添乗員1人)を乗せたバスが道から外れて15m下の谷に転落という惨事のニュウスがテレビで繰り返し流れ始めました。犠牲者の数も時間が経過すると共に増え、23日朝の時点で死者26人、重傷者14人、軽傷者10人とのこと。
b0070127_16241526.jpg
この残骸 ↑ を見て、生存者がいることさえ不思議な大惨事なんでありますが、22日夜にはポーランドからカチンスキ大統領が犠牲者が収容されているグルノーブルの病院に駆け付け、サルコぢ大統領と合流、見舞いとなりました。

欧米の夏のヴァカンスは巡礼シーズンでもあり、フランス国内ではサン・ヂャック・ド・コンポステル、ルルドについで、このラ・サレット La Salette というアルプスの山中にある巡礼地も人気なのであります。日本ではフランスのピレネー麓のルルドとポルトガルはファティマという村に現れた聖母の話が有名ですが、ラ・サレットの聖母の話はあまり知られていません。ラ・サレットに聖母が現れたのはルルド(1858年)、ファティマ(1917年)よりも以前になります。1846年9月19日、Mélanie Calvat メラニ・カルヴァという15歳の女子とMaximin Giraud マキシマン・ジロという11歳の男子、この2人の羊飼いの前に身をかがめて顔を手で覆って泣く聖母マリアが現れ、預言(というか、聖母の苦悩)を語ったのだそうです。

こんなわけでラ・サレットは欧州内の人気巡礼地のひとつですが、何せアルプス山脈のど真ん中。東西南北どこから入っても曲がりくねった道の果てに聖地があるのです。そんな山奥で子供が二人、羊飼いというのも日本人の私には考えられなくもありますが、こちらでは人っ子一人いない山中というのはありそうでないというか、好んでそういう電気もなければ水道管もない秘境に住みたがる欧州人というのが結構いるらしいです。

兎にも角にもその曲がりくねった道を普通の車で走行するのもテクがいるのに、大型バスなら尚更のこと。歴史上ではナポレオン街道と呼ばれるこの道では1973年7月18日、ベルギーの巡礼客を乗せたバスが谷に転落し43人の 死者を出している前例があります。にもかかわらず、道路の路肩などはさして改善されたわけでもなく、今回またこのような大惨事を招いてしまったのでありました。

昨日のこの大惨事ですが、
マグダラのマリアの祝祭日に、
ラ・サレットの聖母を巡礼したポーランドの人々が
お告げの聖母 Notre Dame de Méssage という名の村で
事故にあったのです。偶然とは言え、偶然とは思えないようなキーワード羅列。
おフランス共和国のカトリックは司祭不足でポーランドから多くの出稼ぎ司祭を招いており、犠牲者が収容されているグルノーブルの病院は政治家だけでなく、ポーランド人司祭も多数訪れ、患者とポーランドから駆けつけた犠牲者家族の秘跡(終油やら告解やら)のために動き回ってらっしゃいます。

きょう23日午前10時45分からラ・サレットの聖堂にて犠牲者とそのご家族のためのミサが執り行われます。http://lasalette.cef.fr/article.php3?id_article=140

le 23 juillet 2007, Brigitte

マグダラの祭日の翌日のきょうはフランスの暦では Brigitte ブリジットのお祝い日。
夜明けと共に共和国全土でまとまった雨が振り続けています。ブリジットの涙のよう。
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-23 17:04 | 『?』なオイロッパ | Comments(4)
夏が来れば、思い出す
草原に転がる、コロコロコロ。
b0070127_226148.jpg
仏蘭西の田舎、特に酪農がさかんな地方でよく見かけるコレ(↑)。
La botte du foin ラ・ボット・デュ・フアン、干草を束ねたものです。
長い冬が来る前にこうして牛羊馬のごはんの準備をするのです。
束ねたばかりの干草は替えたばかりの畳を思い出すような香りがします。
このフアン、近くで見るとかなり大きくて直径180cm近くあるかもしれません。
若いもんは真夜中に車でこの干草に突っ込むと言う危険な遊びをすることでも知られているのですが、しちゃいけませんよ。
b0070127_2262266.jpg
この写真はココんちの目の前の草原で撮ったものですが、夏休みも終わったあたりからこの草原に新しい分譲住宅が建てられるのだそう。このフアンをココんちから眺められるのも今年が最後になりそうです。子供の頃に読んだ「ちいさなおうち」という絵本のおはなしそのままな世界を実体験中のココんちです。こんな夏らしい空を仰いでいると、
見ろよ、青い空、白い雲。
そのうちなんとかな~るだーろ~ぉ♪
なんて歌がついうっかり出てきちゃいますが、ようやくココらへんも夏らしい夏がやってきたようです。どうやらからっとした夏で風も気持ちよく、心地よいです。
とっころが東欧は異常気象で、チェコでは40℃を記録したそう。(((゜Д゜;;)))

le 22 juillet 2007, Marie-Madeleine
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-22 02:36 | 『夏』 Rien de spécial | Comments(4)
夏らしい夏は... ε= (´∞` ) On verra....
フランスの空が切ないほど美しいのは夏至の頃から7月にかけてでしょうか。
b0070127_16314865.jpg
この写真はココんちの窓から写した午後10時ちょっと手前の空模様です。
夏至を過ぎたのだから日に日に日が短くなっているはずなのですが、なぜか夏至からしばらくは完全日没は夜10時半頃で、9時半過ぎから日没までの青色の変化は本当に美しい。絵の具でこの色をどう表現できるのかなあ、と思いつつ、時を忘れて空を仰ぎ続けていられます。
b0070127_16361869.jpg
旧市街、夜10時少し回っての空色です。きれいだな~や。
近年、フランスの地方小都市でも町の歴史的建造物をライトアップするのが普及し、日暮れていく町にぽつーんぽつーんとライトアップされた建物が現れ始めます。これもまた美しい。

こうして今年の7月も夕暮れ時に美しい空色を楽しめてはいるのですが、
が、が、が、
どうも今年のおフランスの夏は久しぶりの冷夏のようです。そりゃ、昨日のツール・ド・フランスを見ればアルプスからマルセイユまでのコースは画面でもわかる痛いほどの太陽光線と紺碧の海と濃い緑の世界なんでありますが、花の都おパリや大西洋岸などは、
夏になりきれない夏
という表現が合っていると申しましょうか。太陽がね、今ひとつのパワーで降り注いでいるのですよ。私がかつて経験したおフランスの冷夏というと1998年7月、そう、サッカーワールドカップ98 フランス大会の年の夏ですが、この時も南仏は夏らしい夏だったけれど花の都は冬のごとき7月で、つま先が開いたサンダルだと足が凍えてしまうので、靴やら厚手のカーディガンやら探すのに苦労しながらも買い込んだ記憶が鮮明にあります。

兎に角、7月を半分過ぎたと言うのに、ココんちではまだ冬場と同じ布団をかけて眠っています。そりゃ日中、太陽があれば就寝後に寝苦しさを覚えて重い布団をはいだりしてしまいますが、明け方には寒さで目が覚めるような感じです。
来週末にはココ、大西洋岸から内陸60km強の新天地に南仏から引っ越してきて一年になりますが、昨年この新天地の7月は異常酷暑で、その原因も
行き過ぎたとうもろこし栽培
のせいにされていたのですがヾ(`◇´)、今年は夏らしい夏も感じないうちに再び重苦しい靄で朝を迎える秋と冬になってしまうのかと思うと南仏が恋しくなったりもします。

今朝も朝の情報番組でおフランスの冷夏が取り上げられており、太陽は多分8月になれば私達に降り注ぐだろう。
On verra  おんヴぇは。=なるようになれ。
とキャスターさんがおっさっていました。

汗疹ができるほどの酷暑は勘弁してください、ですけれど、四季がある土地ならばやはりその季節の特色を実感できる気候が理想的ですね。
щ(゚Д゚)щ 夏よ、カッモ~ン

le 19 juillet 2007, Arsène るぱん・ざ・さ~ど♪
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-19 16:39 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
時間間違いが転じて、
福となす。
きょうの始まりはそんな感じでした。というのも、
b0070127_2356285.jpg
きょうはNotre Dame de Mont Carmel 、つまり《カルメル山のマリア》さん ↑ の祝祭日なんですけれど、日本國の某かみのけてんてん教会におかれましては昨日、お祝いが行われたと漏れ伺ったので、そんぢゃ、ココんち地元の女子カルメル会でもお祝いのごミサが開かれるのかな、と思い、地元の小冊子を見たら、月曜日は午前11時よりごミサとある。寝坊したものの、「行くのよ、自分」で支度を整え、午前10時40分頃、カルメルに行ってみたら、

し~~~~~~~~~~~~~~ん


まさに天使が貨物電車のごとくずーっと通りっぱなしの状態で、高い塀の向こうの建物の窓は開かれており、そこはかとなく抹香のような匂いも漏れて来ておりました。が、聖堂への通用口は固く閉ざされ、これから30分未満にごミサが行われる雰囲気はまるでない。しかも通用口横には月曜日のミサは18:30からと記されていました。この手の案内書と実際の指定時間が異なるというのはココに限ったことではございませんので、こういう事実に出っくわして呆れるのは私においては数年前に日常化してしまっております。このカルメル会には小さな売店もありますが、そこの入口も固く閉ざされ、しかも7月30日まで休業と紙が貼ってありました。ただ、その横の小さな呼び鈴に「ご用件のある方は2度呼び鈴を押し、そのままお待ちください」とありました。カルメル会は何事においても厳しいことで有名なので、おそらく
呼び鈴を一度押しても三度押しても無視され、
二度押すことを守った子羊には開門してくれるのだろう
と妄想し、二度押して、ぢぃっと門前で直立していました。呼び鈴の音はクラシックな音でした。ほどなくガチャンという大きな音がして、ごかいも~~~ん♬♫ 驚いたことにドアの向こうはお店ではなく中庭となっており、その奥からお仕事着のシスターが現れました。何を言って良いかわからなかったのでとりあえず、
Bonnes fêtes, ma soeur ぼん・ふぇっとぅ、ま・すぅる
祝祭日おめでとうございます、シスター
と申し上げたところ、みるみる笑顔になり、「まあ、まあ、どうもありがとう」と。そしてきょうのごミサは特別に夜7時からで、パリから巡礼途中の男子カルメル会士と共にごミサを捧げることを教えてくださいました。世俗も出席できるのだそうです。更にシスターから「あなたはカルメル山の聖母のご絵を持っていますか?」と質問されたので持っていないと返答したところ、建物の中に戻ってご自身の祈祷書の、しかもきょう7月16日の項目に挟んであった一枚のご絵を取り出し、私の手に乗せ、私の両頬にBises ビズ、くちづけしてくださいました。
ぢわーっと、感動。ヾ(T▽T)ノ゙
こちら ↓ がその、シスターからいただいたご絵なんですけれど、
b0070127_0141149.jpg
文章冒頭のカルメル会装束の《カルメル山のマリア》さんと比べるとどこか正教会のイコンちっくにも見えるので「現場もん」かと思いきや、裏を見るとフランスはピレネー山脈麓の聖地ルルドにある青年のキャンプ場聖堂に飾られているご絵なのだそう。私がぼーっと手の上に乗ったこのご絵を眺めていると、シスターから「右の聖エリアは当然だけれど、なぜ左に聖女ベルナデットがいるのだと思いますか?」と質問パンチが飛んできました。
来たな、問答。ヽ(`Д´)ノ
と身構えましたが、なんと聖母が最後にベルナデットの前に現れた日が7月16日、1858年の7月16日だったのですよ。

щ(゚Д゚)щ これには驚いたあ щ(゚Д゚)щ



珈琲いらずで目がパッチリ覚めたって感じぃ。
まあ、その後のベルナデットの人生を思い出してみると、ベルナデットはカルメル会への入会を希望しても断られてしまったという経緯があるのですが、こういう面から光を当ててもこりゃ奇跡認定太鼓判バンバンだったのだなあ、と思い知らされるわけで。きょうもまた
「知る喜び」。___φ( ̄^ ̄ )
シスターのお話ではご自身は受付の仕事をあずかっているので私とこうして話せるけれど、他の修道女方は沈黙を守っており、聖堂も聖俗を分ける柵があるので心して置くように、とのことでありました。
Oui, ma soeur うっい~、まっすーる
と、脂と筋だらけの子羊は返答しました。
今宵、ごミサを覗いてみようかと。意外にも地元のカルメル会はコンテンポラリーがお好きだったりするのでちょっと不安なんだけれど。ま、一年に一度のお祝い日だ。楽しみ。

le 16 juillet 2007, Notre Dame de Mont Carmel

✝ 追記@22H12 ✝
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-16 23:51 | 『?』なKTOりっくん | Comments(12)
そういえば、そうだった。
昨日のおフランスは Le 14 juillet る・きゃとーず・ぢゅいえ、フランス革命記念日の国定祝祭日でありました。バスティーユが陥落した日ですね。

とは言っても、市井では朝市も開かれていれば、国定祭日なのに開店している店舗も多く、お昼過ぎに閉店する店もあれば、通常営業に近い形で開店していたお店もありました。

私の記憶が正しければ去年までのキャトーズ・ヂュイエの日は町中がし~んとして、10時過ぎた頃に市役所前で役所と軍関係者が集まっての式典が行われ、太陽が沈んですっかり暗くなった23時頃に各市町村で打ち上げ花火を挙げるのが基本でした。
ところが、です。
今年はこの日にお店が開いていたり、前日13日から町ではお祭り騒ぎや花火もあがり、もし町の式典にも、恒例の花の都お巴里はシャンゼリゼーの軍事パレードの生中継も見なければ、普通の週末で過ぎ越してしまうような雰囲気でした。

私の記憶が正しければ昨年までのキャトーズ・ヂュイエと言えば、軍事パレードが終了後、リュクサンブール宮に移動した大統領閣下に国営放送France 2 と民放の雄TF1 を代表するニュウスキャスター二人がインタビューし、13時からのニュウスで生中継されたはずですが・・・これも、
なくなってすまった。ヽ(`Д´)ノ
サルコぢ大統領閣下によりますと、特別話したいことは何もないのだそうです。個人的にはなくても、共和国民のためには何か一言くらいあっても良いと思いますが、閣下が「ないっって」とおっさるならインタビューも成り立たないでございますね。昨年まで40分以上、シラク氏がお話になったのは単におしゃべりだったという理由ではないでしょうに。
しかも、去年まではキャトーズ・ヂュイエ軍事パレード後のガーデンパーチィはリュクサンブールだったのに、今年はエリゼ宮。夜のニュウスでサルコぢ閣下がこれから行われるキャトーズ・ヂュイエ記念コンサートの舞台前で簡単なインタビュー。こんなインタビューを見るくらいなら、その後行われたミシェル・ポルナレフのコンサートの生中継を放映して欲しかっただよ。

そーそーそー。
ついでに昨年までのキャトーズ・ヂュイエの恩赦も今年はなくなってしまったのでした。

ったく、なんだかなー、な、キャトーズ・ヂュイエでした。
私はココんちの仏蘭西びと♂の従妹がシャンゼリゼーの軍事パレードで行進することになっていたので生中継は見ましたが、木の十字架合唱団によるラ・マルセイイェーズに感動し、今年のテーマだったEU各国の軍人による行進を見ては、イタリアの軍人さんの正装の美しさにため息、ポーランドの軍人さんの行進が100%ソヴィエトスタイルの独特な足の動かし方に気づかされたり、キャトーズ・ヂュイエの午前中は例年のごとく楽しむには楽しんだんですけれど。

なんかキャトーズ・ヂュイエの一日が過ぎて、ふと思ったのはもしセゴ姐が大統領になっていたら、去年とほぼ同じ伝統を持ち込んだ一日だったのではないかなー、と言うことです。

サルコぢがいったいこういう小細工をひとつひとつ実行することで仏蘭西共和国をどうしたいのかまだはっきりしたものは見えてきませんけれど、この大統領にとってお仏蘭西の革命記念日なるものをどーお捉えにならしゃっているのか脳みそを覗いてみたいところです。
b0070127_17235333.jpg
ついでに昨日おったまげたのは軍事パレード後のお昼ごはんにDSK(デエスカ、Daniel Strauss-Kahn の略)がよばれたことですわね。前回のエントリーでちらりと書きましたが、まっさかサルコぢはPSのお庭からDSKという華まで摘み取ろうと考えてらっさるのでせうか。
すげーなー、親父、やるな。щ(゚Д゚)щ

le 15 juillet 2007, Donald
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-15 17:27 | 『夏』 Rien de spécial | Comments(6)
ひとり、そしてまたひとり
おととい11日、Jack Lang ヂャック・ラング氏(↓)がフランス社会党を去りました。
b0070127_1942203.jpg
ヂャックよ、お前もか.......

と思わずつぶやきたくなってしまうのも、今年6月サルコぢが大統領となり、François Fillon フランソワ・フィヨンを首相に指名したことでフィヨン内閣の外務大臣に社会党のBernard Kouchner ベルナール・クシュネ氏(↓)が選ばれ、その就任と同時に彼が社会党を離党した事実が既にあるからです。
b0070127_20221828.jpg
おととい離党したヂャック・ラングにしてもベルナール・クシュネにしても共和国民からカリスマティックという語を添えても過言でないほどの絶大な人気を得る人物でして、昨年11月末にSégolène Royal セゴレーヌ・ロワイヤル女史が党員投票によってフランス社会党公認の大統領候補になるまでヂャック・ラングもベルナール・クシュネも大統領選有力候補者でありました。何を隠そう、わたくしも他人事ではありますが、社会党からこの両名のどちらかが選出されるだろう、されればよい、されたらきっと当選する、と信じていたひとりでありました。政治というあまり難しいことは私にはわかりませんが、こうして共和国内に滞在し、日頃テレビをぼーっと見ていると、トーク番組などにヂャック・ラングもベルナール・クシュネも登場することが多く、彼らが醸し出す雰囲気や厳しくもあり優しくもある言動は見聞する者を魅了する何かがあるなあ、と感じていました。ヂャック・ラングはミッテラン政権時代、文部大臣であり、現在では共和国内だけでなく世界に普及しつつある夏至の夜の夢、すなわちLa fêtes de la musique フェト・ドゥ・ラ・ミュヂィク、音楽の祭典の考案者であり、ベルナール・クシュネはかの「国境なき医師団」の創設者のひとりであります。

この両名が社会党公認の大統領候補になれなかったという事実は「ヒトの運」を感じざるを得なかったと思います。5年前の選挙戦では当時首相だったLionel Jospin リオネル・ジョスパンが当然のように選ばれてしまい、5年後の選挙戦ではヂャック・ラングもベルナール・クシュネも老いを隠せない外見になってしまっていました。特にヂャック・ラングは以前のような歯切れの良い弁が出ず、時折口ごもってしまったり、声も以前にも増してしゃがれてしまっているのは隠しようがありません。私個人的にはこの5年でヂャック・ラングがあからさまに現中国を礼賛するのが魅力半減でもありました。多分、この点もサルコぢと分かち合いができる点なのではないか、と拝察しています。

サルコぢが社会党からひとり、そしてまたひとりと優秀でスタアなオーラを背負う人材を引き抜くことで社会党解体を狙っているのかどうかわかりませんが、確かにフランス社会党の第一書記François Hollande フランソワ・オランドという人物はヂャック・ラングやベルナール・クシュネが持つようなオーラにかけています。大統領選敗戦後、孤独になっていく加速度が強まっているフランソワ・オランドについて共和国内のマスコミは容赦なくクリティックを続けます。今年の大統領選でヂャック・ラングもベルナール・クシュネもセゴ姐当選のための重鎮参謀でありました。大統領選が終わって、セゴ姐はフランソワ・オランドとの内縁関係に終止符を打ち、社会党という庭園から美しい花が次々と引っこ抜かれ続けているのです。
b0070127_20293438.jpg
まっさかDSK デエスカ、つまりDominique Strauss-Kahn ドミニク・シュトラス・カンという妙に存在感の濃ゆいおっさん(↑)までチビさるこヂによって社会党のお庭から引っこ抜かれることはないと思いますが、
わからんね。ヾ(`◇´)
しばらくは天下を握ったサルコぢの公私混同の悪事とソレに振り回される共和国の政財界の傍観を楽しむこととしましょう。・・・いや、共和国においてガイジンであるわたくしにとばっちりが来るのは御免ですよ。ヽ(`Д´)ノ

le 13 juillet 2007, Henri et Joël
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-13 19:54 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
フランシスコは働き者。
久しぶりに外食です。
旧市街のクレープ屋さんに入ってみました。
b0070127_3505314.jpg


お店に入ってみたら、
b0070127_3544491.jpg
それは忙しそうに、フランシスカンがクレープを焼いていました。銀青猫がかわいいやね。
フレール、腰紐が踊ってますよ。(^_^)


ヾ(T▽T)ノ゙  何を食べたかと言うと ヾ(T▽T)ノ゙
[PR]
by ma_cocotte | 2007-07-11 04:09 | Thé ou Café? | Comments(6)