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La soirée fatale d'août 1997 既に盛り上がり始めています。
あの事故から10年。
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Photo par AP

Diana Frances Spencer ダイアナ・フランシス・スペンサーがパリのアルマ橋トンネルで交通事故により帰天して10年。
明日8月31日には遺児であるウィリアム王子とヘンリー王子が主催するダイアナ元王太子妃追悼礼拝が遺児二人が関わる陸軍近衛騎兵連隊ウェリントン兵舎の聖堂でカンタベリー大主教の司式で行われるのだそう。おフランスでは国営放送France 2 で前日夜に追悼番組が、31日は12時40分から追悼礼拝の生中継が放映されます。(13時のニュウスは14時15分から放映予定)
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Photo par AP

あれから10年も経つというのに、その日のことを今も鮮明に思い出せる私です。そう、1997年8月31日は日曜日でした。お昼近くになってTBSの「アッコにおまかせ」を見ていたら、ニュウス速報が流れ、それを読んだ和田アキ子さんが「・・・・う、嘘!?」とボソっとつぶやかれた。その瞬間の和田さんの立ち姿まで覚えていたりします。

【 La soirée fatale d'août 1997 1997年8月、運命の夜 】
それがダイアナ元妃の運命だか天命とは言え、花の都はおパリのアルマ橋トンネルで恋人のエジプト人実業家と共に無念の事故死というのはあらゆる意味でお仏蘭西ビトのハツを揺るがしたと言えましょう。
フランスびと、républicains (レピュブリカン、=共和国民)というのは不思議なもので彼らの母国が世界初の民主革命を起こしたと誇りにしつつ、現代フランスに王がいないことをどこか不満に感じ、テレビや雑誌で欧州各国の王室特集をすると視聴率が上がったり、売り上げが伸びたりするのです。今更、他国の王族に満たされない思いを投影してどうするよ?特に隣国大英帝國については永遠の精神的不仲国(いまだに百年戦争だの薔薇戦争だのに互いに拘る両國であります)なのに、ダイアナ元妃についてはご先祖さまにアンリ4世がいるのでおフランスと縁戚だと大喜び。生前のダイアナ妃がしばしば王子達と共に夏冬復活祭のヴァカンスを過ごしたり、長期政権を維持したブレア前首相が必ずヴァカンス先にフランスを選べばフランスびとは大満足で、「フランスは美しい国だから」などとこぢつけたりします。おまけにフランスが真の移民共存国家だと信ずる人々にとってはダイアナ妃の恋人がエジプト人のミュヂュルマン(=イスラーム教徒)であることもこの事故について語る上で心ときめく話題の複線だったりしました。そうそう、悪乗りフランスびとがPalais Royal! (パレ・ロワイヤル)なんて大英帝國王室とモナコ大公家のスキャンダルをかき集めて抽出した皮肉やイヤミを映画にしたりもしました。(結構、私としては面白い映画でした)

1961年7月1日生まれのダイアナ元妃が帰天したのは36歳。もしあの事故がなければ今年の彼女は46歳。46歳のダイアナさんってあのまま、美しいままだったのでしょうか?それとも多くの英國女性のように妙に太ってしまったり、足がサリー足になってしまったり、オレンジスキンで悩んでいたりしたのでしょうか。おそらく最も美しい時にダイアナさんは天に帰ってしまった・・・それとも更に美しさを増していたのか。10年前、どこか幼さの残っていた15歳と12歳だった二人の王子が10年を経て成人し、恋もし、結婚まで噂されるようになり、と王子の目に見える成長振りでこの10年の流れを実感し、ぢっと自分の脳天から天を突く白髪や手の甲の皺を凝視したりしつつ、我が10年を振り返ってみたりしています。


le 30 août 2007, Fiacre

確かにダイアナさんが帰天されてすぐ多くの人々が悲嘆にくれたけれど、この10年でチャールズ王太子は再婚し、お二人の間のお子たちの愛だの恋だの仕事だのの話を聞けば、この世に残った人々はそれでもこの世での幸せを謳歌しているのだ、とわかりますね。「人がこの世に生きる」意味を学べたりします。
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by ma_cocotte | 2007-08-30 20:50 | 『?』な大英帝國 | Comments(18)
モニュマン・ヒステリック.......¢( ・_・) ン? 
間違えました。ヒスリックではなくてヒスリックです。Le monument historique
正しく発音すれば、モニュモン・イストリク。
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フランスの旧市街の街角でこのマーク ↑ をしばしば見かけることがあります。
MONUMENT HISTORIQUE 、つまり歴史建造物です。国や市町村が認めた歴史建造物の証になりますが、個人所有の場合、自由に売買できても、その引渡しや内外装の変更については無断で行うことはできず、かなり面倒くさい手続きが必要のようです。
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例えば先日ポワチエで見つけたこの建物 ↑ も歴史建造物でした。中央の塔の部分の螺旋窓が特長であり、魅力的かも。おそらく中は螺旋階段になっていると思いますが、フランスびとはこういう建物について「ドラマチックに私達が生きられる」という表現をよく使います。この建物、以前は個人所有の屋敷でしたが、現在は市の所有物みたいです。

b0070127_21123518.jpgたいていこのマークの下にはこのように建物の建設年度や由来が簡単に書かれていたりするものです。
ちなみに ← この看板は旧ココんちの旧市街のもので、「聖ニコラ教会 9世紀から15世紀」と書かれています。教会建築の場合、こう記されていても建築年数が600年もかかったのではなく、9世紀に元の教会堂ができ、建て増しの繰り返しで今の姿になったのが600年後と捉える場合の方が多いです。南仏はエクサンプロヴァンスの Cathédrale Saint Sauveur、 聖救世主司教座聖堂はその典型で確か5世紀に作られたローマ風の洗礼盤が温泉のように掘られているスペースが元祖で時代に伴って回廊が作られたり、祭壇が作られたり、修院が作られたりしながらモクモクと大きくなっていき今の外観となりました。

おフランスという国ですが、近年作られた町なら兎も角、共和国内どこの町もほとんどの場合、旧市街があり、どこもその中心に市役所とカトリック教会があり、町がこの二つを中心に同心円状に何世紀もかけて発展していく形です。大都市の場合、その同心円の縁がぶつかりあって大都市に発展する形で、大都市となった後はQuartier カルチエで呼ばれることがあります。マルセイユの場合だと各カルチエ名が同心円の中心にある教会の名前、Saint(e) ナントカだったりします。近代になって数字で分けた区よりカルチエ名の方が親しまれていたり、道を尋ねるにしても相手にわかりやすいことの方が多いかも。花の都おパリもそうですね。小さな村であればあるほど、教会と市役所の建物が長屋のようにつながっていたりします(映画 Le Chocolat ショコラの舞台設定のように)。

先日、隣県ヴァンデをひやかしに行った時、4つの村を訪ねましたが、どこもヴァンデ県の県庁所在地からはるか南に外れた村なので寒村と呼んでいいような雰囲気を醸し出していました。ココんちからもっとも近いであろう隣県の村にふら~っと寄ってみたところ、こんな看板を見つけました。
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「国家財政の援助を受けて修復中」とでも訳しましょうか。泣く子も知ってる国家女神であるマリアンヌを白抜きし、「自由・平等・博愛」のスローガンが書かれた共和国政府のシンボルマークが添えられていますので「天下無敵の印籠」みたいなものです。このポスターが貼られていた建造物はこちら ↓ 。
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寒村にしてはあまりに立派過ぎる教会で、内部もかなり広くて驚きましたが、15世紀に建てられたフランボワイヤン様式ゴシックのカトリック教会です。写真に目を凝らしてみると600年も雨露風を凌いだせいか彫刻が風化してしまっていますが、今回、国家の負担で修理していたのは教会の中で、どうやら雨漏りが原因の天井修理のようでした。この聖母座 ↓ 手前に大きな修理櫓がありました。
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この聖母座は主祭壇右になりますが、こげ茶色の木の温かみが印象的でした。聖櫃横のランプがヴァンデのハツの形というのも「なるほど」。が。天井を見上げればそこはかとなく雨染みが見えたりなんかして。

先日TF1 のお昼のニュウスで紹介された話ですが、Briols ブリオルという住人600人の村で崩れ始めた教会の修復を住人がお金を出し合って開始しました。http://tf1.lci.fr/infos/media/jt/0,,3523068,00-habitants-briols-sauvent-eglise-village-.html
Briols はおフランスのド田舎にある小さな村の小さな教会なのでお国に修理を申請しても後回しの繰り返しによる見切り発車だそう (T_T)。この報道によればフランス共和国内に数多あり過ぎる歴史建造物に指定した教会の修復が追いつかず、修理を待つ古い聖堂の数は2800に上り、残念なことに雨漏りや支柱の腐敗、虫食いなどが発見された場合は解体せざるを得ない現状となっているそうです。ニュウスキャスターはこの事実を紹介する前に「Une petite belle histoire ある小さな美しい話」とかナントカおっしゃってますが、美しいというより悲しいというかPitié ピチエ(哀れ)な話だなあ、と私ゃ思ったりなんかします。

完全政教分離国家であるフランスがカトリックという一宗教の礼拝施設を国家予算で守っているというのは摩訶不思議かもしれませんが、これにも厳しい決まりがあり、1905年完全政教分離法が制定される前に建築が終了したカトリック聖堂については国がその修理費の面倒を見ますが、法制定後に建造された聖堂については100%その所有者であるフランスカトリック司教団またはカトリック修道会が修理費用を捻出せねばなりません。歴史建造物に認定されていれば修理の順番待ちをしているうちに建物そのものの疲労を認めざるを得ず、自らの所有物であれば何か異常を認めた時のために節約せねばならない、といずれにせよ、おフランスのカトさんにとって教会維持は心痛める事項なのでありました。

世俗では、現在もシャトーにお住まい続けてらっさるドつきの共和国民のみなさま方におかれましては、シャトーが全盛を極めた頃の衣装と化粧でお城を案内することで収入を得、共和国に税を納めてらっさったりします。これもまたしばしばドキュメンタリーで放映されたりするので拝見しますが、涙ぐましいどすえ。

le 29 août 2007, Sabine
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by ma_cocotte | 2007-08-29 15:32 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
毎日、オオ サ゛ カから赤提灯。
世界陸上大阪大会が始まって3日目になりました。
フランスでももちろん国営放送 France 2 & 3 で絶賛放映中であります。
日本國とは時差の関係でおフランスで最もテレビがつまんない時間帯、つまり午後から夕方までの間、生中継が流れるのがうれしかったりします。

ところで、この中継において合間に日本のスタジオからのフランス人スタッフによる中継が入りますが、どうしても思わず笑ってしまうというか、¢( ・_・) ハテ? な代物が目に入ってくるのです。こちら ↓ がインターネット上で見れるビデオですが、
http://athletisme.france2.fr/mondiaux-osaka-2007/videos/?date=2007/08/27&id_article=84 
番組が始まってまもなくスタジオが映され、司会者の背後に大画面、その両脇になぜか
提灯が.... ¢( ・_・) ナゼ? 
向かって左に「キャベツ焼き」、右に「お好み焼き」なんであります。
お仏蘭西びとが日本からの中継スタジオを作りにあたり、日本を意識したとは思います。でも、お仏蘭西びとが画面を見た途端、Sympa! (サンパ、=感じいい!)と思える日本のイメージって縦長の赤提灯でしょうか?せめて夜祭りのぼんぼり提灯を飾っていただきたいなと思ってみたりなんかして。
しかも第一日目の放映では番組の最後に「今日はこれから寿司ですね。それとも、カラオケ?」なんて雑談も入ったりしていました。確かに怪しいお寿司は数年前からパリのおスノッブな方たちの間でアペリティフとして人気があるそうです。そのせいかスーパーの魚売り場でも機械が握ったお寿司が買えたりします。スモークサーモン乗せが主ですね。一見、「こんなに少しぃ?」と思ってしまう内容量ですが、食べると機械が硬く握り過ぎたお寿司なので腹の中で膨らむ、膨らむ。・・・・・これを「本物のお寿司」と信じて食べるなかれよ、仏蘭西びと。

・・・・で、おそらく和歌山で合宿しながら大阪・長居陸上競技場に通う Les Bleus (青い人々、サッカーやラグビーと同様、陸上ナショナルチームもこの愛称らしい)も、中継スタッフも大阪で本物のお寿司を味わい、カラオケで絶唱されたのではないかと拝察します。よかったですこと。放映第一日目には大阪 Osaka を オザカ と発音していた司会者も二日目を過ぎてから オォサカ と「サ」に濁点を付けずに発音するようになりました。

10000kmも東の向こうで行われている競技会を数秒の誤差程度でこうして眺められる。

ぼかぁ、しあわせだなあ

こうしてナマで日本を見れる時が一番幸せなんだよ。

と、思います。キャベツ焼きとお好み焼き、できればネギ焼きも食べたいです。


le 27 août 2007, Monique  ←孟母三遷マザーのお祝い日だあっ!・・・てことは明日は息子か。
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by ma_cocotte | 2007-08-27 20:38 | 『行け、行くんだ!』 Allez!! | Comments(20)
Guerre de Vendée 血の臭いが消えた夢の址。
先日、ココんちから近くて遠い隣県 Vendée ヴァンデ (85) を紹介しました。ヴァンデ県は日本人には馴染みの薄い観光地でありますが、フランスに興味を持つ方々の中にはヴァンデというキーワードで Guerre de Vendée ヴァンデ戦争と呼ばれる1793年から1796年、1799年から1800年と二度勃発した市民戦争を思い起こされるようです。
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大西洋に突き出るブルターニュ地方を腕に例えるならその脇の下に位置するヴァンデ県は現在に至るまでカトリック信仰篤い土地と知られ、16世紀に huguenot ユグノー(カルヴァン派)の影響が近県に及んでもヴァンデの人々は改宗せずカトリックのままでした。ところが1789年フランス革命勃発後、革命政府によってカトリック弾圧が始まり(三分制で第一身分はカトリック僧侶、第二身分が王侯貴族)、教会破壊や没収、聖職者への強制還俗などの威圧に反発した司祭と彼に従う平民(主に農民)が王党派と組んでゲリラ闘争となりました。その時の反革命政府側の拠点となったのがココんちの隣県ヴァンデ県です。

ココんちから20分ほどのヴァンデ県はヴァンデ県南部にあたり、ロワール川より下に位置するので、ヴァンデ戦争の話で必ず登場するロワール川以北を拠点とするふくろう党とは別の反乱ゲリラになります。革命政府は1793年3月19日に「武器を所有している反乱者全員を処刑し、その財産を没収する」という厳しい処置を決めましたが思うようにならず、8月にヴァンデそのものの破壊(というより壊滅)命令を出しました。これによって政府軍はヴァンデ県で産業・文化・生活破壊だけでなく無差別虐殺を行い、約30万人の老若男女乳幼児在県者が犠牲になりました。この虐殺から逃れた人々も更に革命政府軍による虐殺に追い込まれ、革命政府の捕虜となった人々はナントに送還され河川上で銃殺溺死刑に処せられました。死ぬ者に衣服は要らないと剥ぎ取られ、全裸で廃船に乗せられ、川のド真ん中で船を沈没させ、川面に浮いてきた者は銃殺したのだそう。この処刑で亡くなった人々は約6000人。
(((゜Д゜;;))) ガクガクブルブルな恐ろしすぎる話でございます。
その後も革命政府はヴァンデ県に「地獄部隊」と名付けた連隊を派遣し、市町村破壊と無差別虐殺を続けました。1794年に入り、革命政府軍の司令官が捕虜の農民ゲリラ兵と面談したところ、この農民から自分達がゲリラ戦に加わったのは自分達の信教の自由を認めてもらいたいだけであり、それさえ許してくれれば自分達は王党派から抜けると聞き、ヴァンデ県でのカトリック信仰に寛容さをちらり示したところ、みるみるうちにゲリラの力が脆く分散してしまったそうです。こうして信仰の自由を得た農民が去ってもまだ王党派による反政府ゲリラ戦は続きましたが、その中で元祖・国民公会の衰退による混沌の数年、その後1801年のナポレオンとローマ教皇との和解により、ヴァンデ県内の優先復興が挙げられたことでこの市民による内戦は完全終結となりました。

このヴァンデ戦争、現在のフランス共和国で祝う革命記念日を作った人々が行った無差別市民虐殺であるためフランス国内で触れるに触れられない歴史における事実としても知られています。上に書いた話はざっとあらましだけですが、こりゃ、ひでーや・・・とぼそっとつぶやいてしまうような自由の弾圧を自由を勝ち得たヒトが自分達の言うことを聞かない人々に行っていたわけで。「行っていた」なんて表現で言えるような上品な行動内容ではありませんが。

フランス共和国中西部にあたる諸都市はフランスの歴史の中で舞台になった拠点が点在しています。ポワチエ、ラ・ロシェル、ナントなどは日本國で学ぶ世界史にも登場する都市名です。大して広大な土地に点在しているわけではありませんが、ポワチエはカトリック都市として知られ、ラ・ロシェルはプロテスタント都市として有名、ラ・ロシェルの上にあたるヴァンデ県はカトリック信仰を守るがためにとてつもない犠牲者を出した土地でもあります。

で、おらが町近辺は、と申しますと、ポワチエとラ・ロシェルの間になるのでほどよく新旧半々だったそうです。いつって言いますと太陽王の時代前まで。なんと太陽王ルイ14世の時代(1643-1715)、彼がナントの勅令を破棄したことでフランス中西部一帯のプロテスタント信者にカトリックへ改宗するように命令し、それに応じなかった人々をルイ14世は全員殺してしまったのだそうです。
(((゜Д゜;;))) な、なんて時代だあっっ!
ルイ14世による虐殺を境にカトリック『ほぼ』一色になったものの、77年後のフランス大革命によって革命政府はわが地元、ド田舎のカトリック聖職者に還俗や蟄居を命じまして、それに応じなかった3司祭が処刑されています。このお三方 ↓
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真ん中が主任司祭 Jean Goizet 師で、
両脇が助任司祭 Pierre Landry 師と Jean-Philippe Marchand 師。

これがまた調べると (((゜Д゜;;))) ガクガクブルブルなお話で、1792年8月10日をもって身分制が崩壊した後、まず9月2日から5日にかけてパリ市内の修道院数箇所で修道者を虐殺、それに続いて共和国内の約3000人の聖職者、修道者が処刑されました。これをMassacres de septembre 9月の虐殺と呼びます。この犠牲者のうち191人が1926年10月17日、教皇ピオ11世によって列福されました。上のお三方も福者らしい。( ̄人 ̄) 
9月2日がこの191人の福者のための祝祭日。

こんな事実を知ってしまうと、あのおフランス革命っていったい....?

ルイ16世の首を落とした後、本来の目的を見失い過ぎていないか、と思えなくもありません。

732年、カールマルテルがイスラームを撃退し、その後百年戦争やら宗教戦争の戦場となり、ルイ14世によって血に染められたり、革命政府によって血の川が流れ、ナチスにも占拠されたココんち周辺、今は社会主義者がマジョリティの土地となりました。どれかの戦さで虐殺された犠牲者を先祖に持つ住人が多いため、宗教には懲り懲りアレルギーなヒトが多いのだそう。その反動か政治熱心な地方と化し、日本國でも知られるミッテラン元大統領(中道左、Charente 県)、ヂャン・ピエール・ラファラン元首相(中道右、Vienne 県)、セゴレーヌ・ロワイヤル女史(中道左、Deux-Sèvres 県)は皆、フランス中西部が地盤。ラ・ロシェルやニオールなど左派都市に持ち上げられたヴァンデ県の長は、というと、フィリプ・ド・ヴィリエ Philippe de Villiers とおっさる右突き当たりひとつ手前のガッチガチのドつき王政復古派カトリック信者さんだったりします。この方も先の大統領選挙に立候補されたのですよ。先日、ヴァンデ県が経営する観光施設、てか、元カトリック歴史建造物を数軒訪ねてみましたが、しっかり入場料を取り、土産物を充実させ、入場料を払った客にだけイヴェント参加&公開など、おフランスにしては珍しく商売上手な県なのであたしゃヴぃっくり。隣県なのにこの違いっていったい。電話局番が違うだけぢゃなかった。

今もヴァンデはわが道を行く。ヴァンデ独自の個性発揮中のようでございます。

le 26 août 2007, Natacha
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by ma_cocotte | 2007-08-26 02:48 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(6)
Je plaisante. シャ、シャレになんねぇ。
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Charlie Hebdo N° 792 - 22 août 2007



ぶっわあはっはっはっはっはっは


ふんと、脅されているようなもんだわな。>フィヨン内閣
一週間もすれば9月の始まり。恐怖独裁政治の強化月間なのかも。
何事も最初が肝心。 par Cécilia 《 Imelda 》 Sarkozy  ← 嘘っ。
8月23日はサルコぢ大統領閣下、就任100日目でございました。ふえりしたしおーん。
大統領任期5年から100日引くと共和国民の残り我慢日数が出ます。ヾ(`◇´)
1826-100=1726日ですか....。___φ( ̄^ ̄ )

le 24 août 2007, Barthélemy
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by ma_cocotte | 2007-08-24 00:30 | 『?』なサルコぢ屋 | Comments(4)
Le Repos dominical 何もすることができない日曜日
近くて遠い、ヴァンデ県 Vendée (85) に行ってみました。初ヴァンデです。
ココんちから車で20分ほど、こちらの県を出てあちらの県に入るまでは果てしなく大草原。
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【車窓から遠くに風力発電のかざぐるま】
理由はわからないけれど、私は風力発電が動いているのを見るのが好きです。
Simcity(R) でも風力発電所を好んで建てていました。

フランスの日曜日は現在も厳しく Le repos dominical 主日の休息が法律で定められており、日曜日に商売をするには事前の認可申請が必要であり、大型車両もこの日に移動してはならないことが原則で決められています。なーんにもすることができない日曜日、家族全員で普段よりちょっときちんとしたお昼ごはんを食べた後、散歩に出たり、ちょっと遠出をしてハイキングしたりするのが仏蘭西びと好みの日曜日の時間つぶしだったりします。

てなわけで、隣県ヴァンデへ。
なぜなぜどうしてココんちから近くて遠いヴァンデなのかと言うと、ヴァンデの県境までは車で20分ほど、同じ地方に属するポワチエやラ・ロシェルに行くよりも近いけれど、電話局番の筆頭二桁がまったく違うし、生活文化圏も異なるのです。私にとってヴァンデと言えば食では第一に、ブリオッシュ・ヴァンデエンヌ! 山吹色でどっしり重いBrioche vendéenne ブリオシュ・ヴァンデエンヌは超高カロリーだけれど、このモチモチムニュムニュの触感と食感と独特の甘さは貯まりません。そしてヴァンデそのもののアイデンティティというとコレでしょう。
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ヴァンデに関わる何もかもにくっついているのが二つのハートが絡んで組まれた紋章です。これ(↑)は近年、ヴァンデ県庁が使用しているア・ラ・モードなもので、古式に乗っ取ったものはハツハツの上に王冠、その上に十字架というものです。

ヴァンデ県は日本にはあまり知られていない観光ポイントですが、なぜか英國びと、阿蘭陀びと、独逸びとには人気があります。彼らが興味を持って訪れるのは中世から近世にかけての遺跡らしく、このようなシェイクスピアの世界が似合いそうな廃墟にウホウホ入場料を払ってでも見学しています。
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ここ(↑)は11世紀に建設された Abbay de Maillezais マイユゼ大修道院の址です。

私は外から楽しむだけにして、Maillezais の旧市街に建つ教会へ。
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いいですね、なかなか。

Maillezaisからの帰り道、点在する小村を訪ねながら歩を進めました。Benet ブネという町の教会に展示されていたものを見て、我が心躍りました。
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中世時代の彫刻で旧約の世界を表した作品のうちのひとつです。これは「エワの誕生」です。ひげ面ロン毛のアダムのひねった腰のあたりからエワの顔が (((゜Д゜;;))) 創世記第二章ざますね。左は神さまだと思いますが、女性っぽい。なぜだろう?

le 23 août 2007, Rose 
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by ma_cocotte | 2007-08-23 03:48 | Promenons-nous! | Comments(4)
裏切られたような気分、とはこのことなり。
土曜日の朝、サルコぢ大統領閣下がエイメリカのおヴァカンスからお戻りあそばされました。
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Photo par AFP

15日ぶりにわれらが大統領閣下ご自身が統治される大地を踏む瞬間を待っていたかのようにかのおル・モンド Le Monde さまが今回の大統領閣下がエイメリカで過ごされたおヴァカンスについての 暴露記事 を掲載いたしました。8月18日午前11時54分付掲載です。その大見出しもズバリ、
Les dessous des vacances de Nicolas Sarkozy 
《 ニコラ・サルコぢのヴァカンスの内情 》
この15日間、大統領閣下が滞在したエイメリカは東海岸の住まいの賃貸料は44,000ユーロ、日本円にして約680万円だそうです。ここには食費は含まれていません。このおヴァカンスには共和国民の国父母であるサルコぢ大統領閣下ご夫妻、二人の間の子供ひとり♂に、足すことの双方の連れ子それぞれ二人♂♂♀♀、つまりサルコぢご一家7人に、この一家の「おともだち達」が多数参加していました。

おニコら・おサルコぢ大統領閣下は大統領に当選した直後の今年5月も地中海に浮かぶマルタ島(共和国民には観光だけでなく巡礼地としても人気の場所)で、フランスの実業家ヴァンサン・ボロレ氏が持つ豪華ヨットを乗り回し「金持ちと癒着している」と批判を浴びていました。それから3か月経たないうちに今度は大西洋を越えたエイメリカ東海岸でのおヴぁかんす。どっからそんなお金が出るのかね?シラク氏よりはるかに資産あると公表された大統領閣下ご自身のポケットからかね?と思いきや、今回のおヴぁかんすにもパトロンがいたのです。大統領閣下とその愛する人々を招いたパトロンさま方は次のとおり。
Agnès Cromback アニエス・クロンバック
Le bijoutier Tiffany-France フランス・ティファニ宝石店の社長

Roberto Agostinelli ロベルト・アゴスティネッリ
元銀行家。現在も大統領閣下が院政を続ける出身政党UMPの母体政党RPRに近い人物。

Mathilde Agostinelli マチルド・アゴスティネッリ
前出R. Agostinelli 氏の妻。Prada-France プラダ・フランスの渉外担当責任者。現エリゼ宮(大統領公邸)の広報担当であるPierre-Jérôme Hénin ピエール・ジェロォム・エナン氏の義姉である。大統領就任式にセシリア夫人はプラダの服を着用。マチルド夫人は大統領就任式に出席しており、おル・モンドさまの記事によるとセシリアの親友のひとりだそう。
アゴスティネッリ夫妻はこの夏のボストニアンスタイルの豪邸へ共和国大統領ご一家を招いただけでなく、あの大統領選決選投票日夜、パリはシャンゼリゼのレストランLe Fouquet's ル・フケでのディナーにも招待していました。なーんでこんなことがおル・モンドさまによって暴露されたのかというと、そもそも共和国民の新しい国母であるセシリア・サルコぢさまが扁桃腺の腫れを理由に8月10日パリで行われたリュスティジェ枢機卿の葬儀のために帰国せず、翌日のブッシュ大統領一家のもてなしにも欠席したことで、8月17日エイメリカでおヴァカンス中の大統領閣下おん自らおル・モンドさまに電話され、ブッシュ大統領との昼食会を直前にドタキャンしたセシリア夫人の批判を書かないよう要請し、その見返りに別荘の借り主の名を明らかにしたのだそうです。
ニコサルちゃんの肝っ玉って妙に小さくないか.....?ヾ(`◇´)
おル・モンドさまの記事が詳細だとするなら、これに受けて関連記事を掲載した(おル・モンドさまの左に座す)おリベラシオンさまの記事は簡潔にまとめられていてわかりやすいです。
cf. Deux riches familles ont payé les vacances des Sarkozy
なぜここまで新しく共和国民の国父となられたおニコラ・おサルコぢ大統領閣下のおヴぁかんすの過ごし方に批判があるのかと申しますと、これまでの大統領閣下はみな休暇を国内で過ごされ、特に前ヂャック・シラク大統領の場合、夏のヴぁかんすと復活祭のヴぁかんすは南仏はBormes-les-Mimosas ボルム・ェ・ミモザ市に属す小村le Fort de Brégançon ル・フォオ・ドゥ・ブレガンソンにある 最上級国家公務員(つまり大統領のことです)宿舎 で過ごされる繰り返しでした。地中海に突き出た小さな岬にそびえる城でしたが、シラク大統領はヴァカンス直前の週末にここへ移動し、日曜日朝、この小村の教会のミサに出席し、地元民と交流し・・・・と、ここまでをテレビ・ニュウスで放映させた後、「プライヴェートに入ります」と宣言、報道規制をしてヴァカンスを楽しむ形を取っていました。前出のおリベラシオンさまの記事でもこの最上級国家公務員宿舎の存在について書かれていますし、おリベラシオンさまの記事では自由に読者が感想を書ける形なっており、ざっと感想を読んでみると今回の大統領一家と彼らの好きな人のためのおヴぁかんすのパトロンになった人物が関わる企業への不買を働きかける言葉も見受けられました。

思い起こせば大統領選挙決戦中、テレビの公開討論では前々から愛国主義を掲げるサルコぢ氏にはフランス共和国の伝統そのものに突っ込まないまま、社会党員であるセゴレーヌ・ロワイヤル女史にはやたらフランスの伝統を軽んじることはないか、という確認の突込みがしつこいほど入っていました。そのたびにセゴ姐はご自身がフランス人(共和国民の会話ではUltra Française ウルトラ・フロンセーズ、つまり父母双方の先祖代々のフランス国籍保持者)であることや育った環境を理由に「決してフランスの生活文化を破壊するようなことはしない」と返事していました。それでも大方の見方は彼女はフランス社会党(PS)の広告塔に過ぎないのだから、必ずや異文化優先、伝統文化軽視をするというものでした。そんな内容をスルリと抜け、大統領に当選したニコラ・サルコぢが大統領になって突然、マルタ島で豪遊したり、革命記念日で「別に話すことは何もない」と恒例生インタビューを拒否、これまでリュクサンブール宮庭園で行われていた軍事パレード後の午餐会もエリゼ宮と長期政権だったシラク色を払拭したい意気込みなのか共和国民にはついていけないアピールをされ、今回のエイメリカでのおヴぁかんす実現となりました。しかも、前大統領シラク氏の大統領特権が失われたことで彼の裏資金について取り沙汰されていますが、ベルナデット夫人は国母だった時代からマスコミを利用して小児患者へのサンチーム献金慈善運動を続けていますが、新しい国母さまは兎に角おん自らのお身の回りの買い物に忙しいばかりで、共和国内に住む戦争難民や移民の生活をどのような形でこれから慮ってくださるのか期待したいところです。
兎にも角にも大統領一家は共和国内在住者を裏切りング中。ヽ(`Д´)ノ
9月に入れば、フランスの機能は正常化し始めます。
おヴァカンスのために停滞していたシラク大統領やド・ヴィルパン元首相への現大統領失墜未遂に関する事情聴取もろもろも再開します。おサルコぢ大統領にしてみれば大統領候補立候補阻止を狙った陰謀だったということでお恨み深すぎのドロドロ。息の根を止めたい人々の息の根をまじに止めるでしょうね、彼ならば。

そんな大統領閣下とその一族による独裁を見過ごすお仏蘭西国民ではありません。
おル・モンドさま、おリベラシオンさまの動きはかのヲーターゲートを思い出すかのような働きになるのかもしれません。こちら↓、すっかり定着した週刊誌 Le Canard enchaîné ル・カナァ・アンシェネ紙 のサリーちゃんのパパ髪型のニコ・サル悪魔閣下キャラ。 毎回、笑える。
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アンチ宗教の立場であるル・カナァ・アンシェネ紙でこんな風刺画↑ 《セシリアはリュスティジェの葬儀 休んだのだ。》を書かれちゃあ、ねぇ?

le 20 août 2007, Bernard
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by ma_cocotte | 2007-08-20 05:15 | 『?』なサルコぢ屋 | Comments(8)
ムズカシイコトは抜きにして
円急騰だそうです。

昨日、おフランスのニュウスでやたらトーキョ、トーキョと聞こえてくるので、ナンだ?と顔を上げて見たら、円急騰。
週末の東京外国為替市場は一時、1ドルが@112.78円、なんと 111円台になった瞬間もあったそう。 ついでにユーロも日本時間18日金曜日午後1時の時点で前日比4円52銭円高・ユーロ安の1ユーロ@151.45前後で取引されているそうです。・・・・・で、週末に突入と相成ったのでした。
昨日が155円台で、きょうが151円台ね。___φ( ̄^ ̄ ) 
たった一日で4円の差というのは大きいですね。旅行中にインターナシオナルカードで引き落とししたり、お買い物をしたら1ユーロにつき4円違うのですものね。大きい買い物をすればするほど有り難味も増すというか、「昨日買って損した」と凡女のあてくしなどは素直にそう思ってしまったりします。

が、この円急騰が今後も続くと日本経済界に打撃が来るそうで、欧米も大変なことになるのだそう。テレビ画面にも経済界のエラいひとが登場して「大丈夫です」と繰り返していたけれど、国益も経済界の損得関係も無視するなら、私にはこの円高は涙が出るほどうれしいニウスであります。

数か月前、1ユーロが@170円前後だった時期があり、あまりのショックでそれ以降、何を買うにしても円に換算するのは控えていましたが、悲しいかな、日本びとの私はどうしても円に換算してしまっていました。円を無視してもフランスはユーロ好景気だかなんだか庶民の基本食料品の値上げが物凄くて、つい先日も9月から乳製品の一斉値上げが発表されたばかりです。そーいや電気料金も上がりますね。庶民にとってはバゲット(細長いフランスパン)が共和国の物価バロメータだったりしますが、2001年のフランからユーロ以降後、なんと1.5倍強の値上がり、しかも細く短くなっていたりするのです。2001年当時のバゲットの値段やサイズを維持しているのはいわゆるHypermarché, supermaruché の全国チェーンの大型店舗で売っているものです。以前ならスーパーのパンもパン屋さんのパンもそれほど値段差なく、非常時にスーパーで買ったりする余裕も庶民にありましたが、ここ数年、スーパーでしかパンを買わない共和国民が増えていたりします。

カルシウムの不足を乳製品で補う共和国民にとってチーズはじめとする乳製品の値上がりも(私には)「いじめ」にしか思えないですけれど、大統領閣下は「お金があれば何でもできる。お金があれば美味しい所で美味しいものが食べられる。」を身を持って体現されてらっさるし、なんでも学校教育まで英米のように大学別入学試験を導入して「格差」をつけようとなさっているとか。そんなにこのフランス共和国をエイメリカとまったく同じにしたいのなら
あんたがそっちへ移住したら?
と、ついうっかり口角から漏れてしまったりします。ユーロ景気で国益ウハウハ、大統領閣下の公私混同生活も財閥から国家元首が出たような持ち上げようですけれど、バゲット一本さえ気軽に店に飛び込んで買うことができなくなった庶民の気持を大統領閣下は微塵でも考えたことがございますのでしょうか?
ムカつく。
この世の中の難しいことをまったく抜本から抜き取ると仮定するなら、ユーロがドルと同等の単価@112円台くらいになってくれないかと呪詛します。ヾ(`◇´)
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Photo par AFP

15日間のNew Hampshire ニウハンプシャア州Wolfeboro ウルフボロですっかりaméricanisé アメリカニゼされちゃった大統領ニコサルちゃん、きょうの朝、パリに戻って来ちゃうんですと。アメリカかぶれはパリでどのように痒くなり始めるのでしょうか。ε= (´∞` )

le 18 août 2007, Hélène
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by ma_cocotte | 2007-08-18 18:17 | 『?』なたわ言 | Comments(14)
2007年8月15日@お仏蘭西
15日は朝のニュウスからずーっと「今日は被昇天、ジェズ・クリの母の大祝日です」という前置きで仏蘭西は南西部ピレネー山脈の麓のルルドでの様子がトップで流れるという繰り返しでした。なんでも8月15日はルルドだけでなくフランス各地でミサはもちろん聖母行列も行われ、巡礼者数は最高に達するのだそうです。

例えば、14日の夜、花の都おパリはセーヌ川の上を、
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約4000人の参加で聖母行列(・・・と呼ぶのでしょうか、聖母川下り?)Photo par AFP
これ↑、実際の光景を拝見したかったです。
夕暮れのセーヌで時空を越えた雰囲気だったのでは。

そして例えば、15日ブルターニュ地方のモルビアン県の小村では、
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ライダー&バイクに祝別式。Photo par AFP
http://tf1.lci.fr/infos/media/jt/0,,3522865,00-assomption-motards-rendent-hommage-leur-madone-.html

これ、思わず笑ってしまいました。なんでも1979年以来、年に一度8月15日に神父さまたちがこの土地でライダーとバイクの祝別を行っており、年々その噂が広まって今では欧州中からこの日をめがけてライダーが集合。今年は約10000台のバイクとライダーがこのド田舎に集まったのだとか。欧州の若いもんは、いったい・・・。

ところで、このフランス語でL'assomption ラサンプシオンと呼ばれる聖母被昇天の祝日はカトリックの祝祭日でもありますが、カトリック教会(つまりヴァチカン)で祭日に定められたのは1950年だったそうです。今から57年前。ところが、この祭日前後のフランスのマスコミでの話題の取り上げ方を見るとたった半世紀でここまで盛り上がるか?なお祭りが共和国各地で行われているのです。不思議に思ったので調べてみたら、フランスではルイ13世の御世(1610-1643年)の聖母信仰が強かった時代に祝うようになり、ナポレオンの時代以降、既にフランスの国定祝祭日に定められていたのだそうです。ヴァチカンより先に総国民でお祝いしていたってわけだ。にゃるほど。

こんなわけで今年の8月15日のおフランスはさぞかし平和だったんだろうなあ、と思いきや、トップニュウスの次に流れたのはフランス国内で販売されているエイメリカはMattel マテル社のおもちゃから有毒物質が見つかり、それらは全て中華人民共和國製造だというニュウスでした。
普通なら、このニュウスがトップぢゃありませんか?ヽ(`Д´)ノ
祭りより毒の注意喚起が先ではないの?まっこと摩訶不思議なお仏蘭西なり。

15日夜には久しぶりに5歳の男の子の「誘拐情報」が画面下に流れ、こちらは無事発見。
よかったどす。

八月も後半に入り、ココんちあたりはそこはかとなく秋の気配であります。


le 17 août 2007, Hyacinthe
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by ma_cocotte | 2007-08-17 03:39 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
単なる偶然とはいえ、
こんにちの日本國は第二次世界大戦終戦の日ですが、こんにちのフランスはAssomption あさんぷしおん、聖母マリア被昇天の国定祝祭日です。
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ポワチエはNotre Dame 教会のステンドグラス。そこはかとなく被昇天っぽい?


おヴァカンス後半の真ん中に当たる祝日なので大して有り難味のない休日かと思いきや、フランスではこの日を狙って南西部にあるLourdes ルルドという1858年に聖母が現れた街に巡礼に行く老若男女がたんまりいるのです。それ故か8月15日直前になると毎日ニュウスでルルド関係の話題が流れたりします。今年この15日をルルドで迎える巡礼者は約40000人だそうです。既に3年前になりますが、前教皇ヨハネ・パウロ二世のこの世での最後の巡礼も8月15日のルルド巡礼でした。(T_T) パパサマァ

で、偶然とは言え、以下は摩訶不思議な話。
日本國の終戦記念日は8月15日聖母被昇天の祝日で、
第二次大戦開戦日が1941年12月8日で、この日は無原罪の聖母の祝日、
日本國にカトリックを布教したフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した日が1549年8月15日で、やっぱり聖母被昇天の祝日
サンフランシスコ講和条約が1951年9月8日で、この日は聖母のお誕生日の祝日、
日本國の建国記念の日、2月11日はルルドの聖母の祝日
なのです。確かカトリックにおいて日本國の筆頭守護聖人は元后の聖母マリアで、元旦がお祝い日です。なんだか聖母漬けの日本國ですが、単なる偶然とは言え妙に濃ゆいですね。
フランスの暦では聖母についての祝祭日は固定祝祭日ばかりなので、私にとっては母国に思いを馳せるきっかけとなる日が聖母に関する各祝日でもあります。


le 15 août 2007, Tarcicius  世界中のタルチシオさん、おめでとー。(^_^)
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by ma_cocotte | 2007-08-15 03:14 | 『夏』 Rien de spécial | Comments(0)