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あのヒト、ロクハチだから。 Il est SOIXANTE-HUIT, donc...
この、2008年5月の一ヶ月間、テレビで繰り返し流れていたのは、先日つぶやいた「イスラエル建国60周年」に関する番組と、もうひとつは「Mai 1968 メ・ミルヌフソンソワサントユイット」、1968五月革命についての番組でした。
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*TF1 : Mai 68-Mai 2008
*France 3 : Mai 68
*France 2 : Mai 68 "Sous les pavés la page"
日本國の人々でフランスの1968五月革命を知るヒトはフランスに関わられる方がほとんどかと拝察します。私なんぞはフランスという国にさして興味を持っていなかったので、「フランス」と「革命」の二つのキーワーズならば、自ずと目の前にはオスカルさまが幻覚となって現れ、口からは「フランス大革命、いちななはちく」と大学受験時代とさして変わらぬリアクションしかできなかったりします。

ところが、フランス共和国という国では「革命 Révolution」と聞くと、「68? ソワサントユイット?」と山川問答するヒトが多かったりします。大昔、私が南仏の学生街で一人暮らしをしていた時、電話番号交換を仏蘭西びととしたら、私の電話番号の中に 68 ソワサント・ユイット というKWが入っていたので、反射的に「ソワサント・ユイット?なんてすばらしい。あの革命と同じ数字だ」と言ってきました。当時、フランス無知の私はそう言われても脳内蛍光灯でしたし、着灯する前に自分からスイッチを切ってしまったのも事実です。が、その後、こうしてフランスに住み続けていると、やたら 68 ソワサント・ユイット でピクンっ!と反応し、68という数字を賛美するヒトに出っくわすことばかりです。

でー、Mai 1968、学生革命ですけれど、1968年5月にユダヤ系のアナキストさんであるダニエル・コーン=ベンディット Daniel Cohn-Bendit 氏が中心となって蜂起した反体制運動で、5月21日にパリで起こった暴動がその頂点の日として今も語り継がれていたりなんかします。当時の大統領があのシャルル・ド・ゴールだったというのも時空間の中で浮遊してしまうような感覚に襲われたりもしますが(そんな昔?と思うか、ついこの間なのにド・ゴールがいたのか!?と思うのか)、この運動でまず要求されたのが
教授独占の位階体制に対する民主化要求
で、この革命の成果は
1.教授の権限の縮小
2.学生の主体性を文部省が公的に承認
3.アグレガシオン等の民主化
4.大学自治の確立
正直、「ふーーーーん」としか言えない。というのも、自らフランス共和国という国の国立大学に21世紀に入ってから通ってみたけれど、教授の権限はニホーンとは比べ物になりませんです。威厳ありすぎマンボ、シャカシャカ。学生の主体やら自治というのは「大学だから」というより、既に高校生にもなれば支持政党を持ち、満足も不満も心に沸いたあらゆる感情を公共でのデモ行進やら学内ストライキで表明する自由が与えられていることを指すのかな、と思いますね。高校にも大学にも全国規模の組合がありますし、その活動は成熟したものです。ガイジンであるあてくしが楽しみにしていた授業にいきなり学生労働組合が後方からビラ撒きしながら侵入してきて、教授が「どうぞ」と1m以上の高さある教壇を譲るなーんて映画のような場面はこの眼で何度も見ています。こういう時だけ教授は学生に優しいというか甘いけれど、教授は教授でこちとら寝ずに準備した定期試験をいきなりストライキで中止にしやがったりしますから。
バス代、返せ。ヽ(`Д´)ノ
アグレガシオーン Agrégation (一級教員資格)とカペス C.P.E.S. (中等教育教員適性証)については、あてくしはガイジンながらもすんばらしーシステムだと思います。なんというかあらゆることが浄化されたシステムだと思うけど、今月今夜のこの場所ではそれについては書きません。

この学生革命について小難しいことはよく知らないけれど、それまで公立大学に住み込みでいたカトリック司祭を追い出したのも「成果のひとつ」ですね。昨年、帰天された リュスティヂェ枢機卿 は1968年当時、ソルボンヌの住み込み司祭 aumônier で学生たちに追い出された一人だと聞いた記憶がございます。

で、21世紀のおフランスの市井、それも、ド庶民の中での68 ソワサント・ユイットですけれど。いかなるシチュエイシャンにおいても伝統を嫌って自分が機動力となっての改変こそが素晴らしいなんてほのめかす60歳くらいの人物がいたとすると、誰かが必ず「ああ、あのヒト、68だから」とボソっとつぶやいたりします。当時学生だった年代だけでなく、68革命で恐怖を心底味わっちゃって今ではやたら「伝統軽視・改革支持」を唱えるぢっつぁま、ばっつぁまも「68扱い」されたりします。
1968年当時生まれていない「若いもん」に。ヾ(`◇´)
でも、若いもんに「68(日本びとの私はあえてロクハチと読みたい)」と揶揄されてしまう彼らにとっては「あの頃、キミは若かった」と何もかもがキラキラして自分自身はぴちぴちだった頃をノスタルジックに懐かしんでしまうのも無理はありません。「68」の言い分では、彼らの親世代は懐古するばかりで「新」を見出そうとしないそうです。が、あの革命を経験した自分達は老いて尚、先を見ているかのような主張をします。
ガイジンとしての私的傍観になりますが、1968年から40年が経って、あの革命についての盲目的賛美は年々小さくなっているように見えるし、その革命賛美の火を消してはならないと蠢く団体も怪しくも多々ありますね。反体制革命だから中道より左を涼やかに眺める必要がありますが、フランス共産党(PCF)などは当初、この革命に賛同したものの、その底辺に主導者ダニエルのようなアナキストやトロツキスト主義者がいることを批判していたりもします。

そーこまで深刻でなくとも、例えばモナコのカロリーヌ王女のようにこの革命の影響を受けて育った上流階級の子女がT-シャツやジーンズを身につけたり、庶民風のアパルトマンをパパに買ってもらって「新しい時代」を楽しみ、婚姻なしに同棲を始め、他人の眼から見れば「ごく普通の家庭」を作ったりするなんて「上流階級の新しい遊び」を始めたりもしました。
40年経ち、現在のカロリーヌ王女は三度目の結婚にして保守的な立場にあらっしゃいますけれど、市井にはマリタル maritale (正式には婚姻していない)家庭だらけですし、子供が誕生してから結婚を決めるカップルもたくさんいます。

自分が改革の先頭であり続けたい彼らも60歳。65歳まで定年延長なんて案が通ったのも、彼らが改革の先頭だからこそであって、自分達が先頭にいたいがためにリタイアを彼らの力で先延ばしにしたのかも。...なんか、そう思うとアホらし。ε= (´∞` ) Bof 

le 31 mai 2008, Lise-Marie ← Elizabeth と Marie の複合名ぢゃな。
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by ma_cocotte | 2008-05-31 20:22 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(3)
近所の「みこころ」さん Mr. le Sacré Coeur à côté de chez coco
こちら、ココんちの近所の「みこころ」さんです。
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Voici, Mr. le Sacré Coeur à côté de chez coco


一見、フランス共和国を踏みしめ、薔薇色の頬と唇で健康そうでございますけれども、
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よーく眺めますと、右人差し指、左人差し指と小指がございません。(((゜Д゜;;))) 
どーこに行ってしまったんでしょう? 左手首に筋が見えたりなんかして。おいたわしや。

そして、この写真(↑)の首周りと袖周りや金色のたすきがけのようなあたりを眺めますと、色とりどりの石がはめ込まれていますが、
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赤い矢印のところは誰かにほぢくられちゃって石がありません。
ほぢくった石、どこに?
どのように使っているのでしょう?
 ¢( ・_・) ? 
きょうび21世紀から8年過ぎてもなんら「ああ、無情 Les Miserables 」のヂャン・バルヂャン Jean Valjean の時代と変わりなかったりします。

みこころさんのお召し物の石はあきらめられても、指はくっつけたいねー。紙粘土こねこねですか。...なんて思いますけれど、この像が1905年以前の作製だと、勝手にいぢれないんだな。おフランスの役所に認可をもらわねばならんのですよ。
町中より田舎のひなびた教会の方が聖堂内美術品の状態も良かったりしますね。
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こちらのみこころさん(↑)がココんちがある県内で一番よい状態かも。聖櫃の蓋など欲しいですね。「もらってどうする、うさぎさん?」ですけれど。

そして、こちら(↓)はココんちの近所で一番大きな教会のみこころちゃんです。
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壁面絵画も年月が経つ内にひび割れたり、色が褪せたりして、この絵は状態がいい方かもしれません。絵画も1905年を境にそれ以前だと修復のために役所の認可が必要になりますけれど、近年の傾向はこの手の修理は「後回し」のようで、修理を待っている間に消え失せてしまったりもしているようです。

ところで、「みこころ」と聞くとみんなたちは何を思い出します?
私は「初金」かなあ。中高時代、義務だったのですよ。ハツキン。
ハツキンの日はお掃除が放課後ではなくお昼休みに繰上げでしたっけ。
それと黒革の聖歌集 の265番、267番、270番、271番です。

そうそう、そして、つい最近、「聖心」と書いて「みこころ」と読むことを知りました。知る喜びぃ。

le 30 mai 2008, Ferdinand
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by ma_cocotte | 2008-05-30 23:42 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(6)
2008年5月、この一か月
まもなく五月も終わろうとしておりますが、今年のこの一か月、ほぼ毎晩、どこかの放送局でイスラエル建国60周年に関する番組が放映されています。ニュウスもそうですね。
France 2 & France 3 : Israël, un Etat créé il y a 60 ans
http://info.france3.fr/dossiers/monde/42064239-fr.php
TF1 : Israël - Israël a 60 ans
http://tf1.lci.fr/infos/jt-tf1/reportages/0,,3839366,00-israel-ans-.html

5月14日がイスラエルの建国記念日だったようです。
フランスにもユダヤ系の人がたくさんおり、年に一度、チャーター便を使ってイスラエルに移住するという行事があることもこれまで何度かテレビで見たことがありました。移住していく方もいれば、フランスに定住されている方もおり、2年程前まで私が住んでいた南仏では日常生活の中で普通に ユダヤの生活文化 が垣間見れたりもしました。
当時の私にとってはたまに遊びに行くマルセイユ旧市街の路地裏に点在するユダヤ人が経営するレストランやサンドイッチ屋さんをひやかすのが好きでしたが、結局、全店制覇できないまま、あの地方を出てしまいました。悔やまれる。

そして、こうして800kmも離れた新しい土地に来たものの、近隣の複数の旧市街に行ってもユダヤのカルチエがないので、あの美味しいファラフェルサンドイッチも今の私にとっては夢に出てくる贅沢な一品となってしまいました。ああ、食べたい。でも、マルセイユは遠すぎるし、ココらへんで最も近いのがボルドーらしいです。いつかパリに上ることがあったら、食べられるかな。観光客相手ではないお店に行ってみたかったりします。

ココ新天地でひとつだけ「ユダヤ」らしきものを発見したことがありました。
それは墓地で見つけたのです。
ココんちの仏蘭西びと♂の母親が南仏からやって来た昨年夏、墓参りに行ったところ、遠方に見えるガラス張りの温室のような中に鎮座ましている墓石を見て「あれはユダヤ人のお墓だ」とおっしゃる。そんなことは初めて聞いたので、すぐ疑ってみたら、自分は南仏出身だからわかるという返事。んなわけで、そのガラス張りのお墓のそばに行って、墓石を覗いたら、こんな感じでした。
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Vous avez raison, ma belle mère.


近寄ってみますと、
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摩訶不思議 かも?

墓石には、ユダヤの象徴のひとつである「8本の蜀台」、ハヌキヤ もあれば、手前には磔十字。イエズスのボディが乗っておりますからカトリックですわな。ふたつでひとつ?一つの中に二つ?墓石から拝察して一族(Famille)のお墓のようです。ご家族の苗字は Helfrick 、ヘルフリック...。この苗字を調べてみたらTsigane ツィガーヌ系のユダヤ系の苗字らしい。昨年の今頃はサルコぢ Sarkozy という苗字だったセシリア Cécilia さまと同じ出自でしょうか。セシリアさま、今年の3月23日からAttias アティアスという苗字ですわね。

フランスという土壌では、そこに住み始めた人がそれぞれの生活をそれぞれのスタイルで営んでおりますが、昨夕(5月28日)、France 5 で放映された生討論番組 C dans l'Air のお題は Israël-Syrie : la paix sur un plateau 、イスラエルとシリア:平和のお膳立て、とでも訳しましょうか。トルコが仲介に入っての平和交渉が先の5月21日から始まったとか。番組の討論内容は平和を模索する熱い討論であり、政治的にも文化的にも外交的にも経済的にもどこから照らしても興味ある討論内容です。

レバノン もそうですが、ボスボラス海峡から時計回りにジブラルタルまで が平和となり、青い空と海、白い雲、緑と赤土の大地が戻りますように。それが実現しないと神聖皇帝サルコぢ一世が唱える地中海共同体構想の実現は難しいでせう。...Peut-être

ああ、それにしても揚げナス入りのファラフェルサンドが恋しい。がるるるる。

le 29 mai 2008, Aymard
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by ma_cocotte | 2008-05-29 18:19 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(5)
これを買わずにいらりょうか。
ココんち近所のイーペルマルシェ Hypermarché の「本日の特売品」
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パン・オ・ショコラ20個が ユーロ ぽっきりっっ! 


♪♪\(^ω^\)( /^ω^)/♪♪


いつもだとこのお店ではパン・オ・ショコラ10個で2.70ユーロです。この価格でも一般のパン屋さんに比べればべらぼうに格安ですが、パン・オ・ショコラ20個で3ユーロには流石に驚いた...というか、瞬時に天国に招かれたような気分になりました。しかも、このお店のパン・オ・ショコラはへたなパン屋のそれより美味だったりします。チョコレートたっぷり(チョコ棒2本)。
これを無視できるほどの心とお財布の余裕が欲しい。
サルコぢにはわからない思いでせうね。はい。   ...あと4年。

le 27 mai 2008, Augustin de Cantorbéry
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by ma_cocotte | 2008-05-27 21:42 | The ou Cafe? | Comments(8)
「南欧系」とはどちらのどなた?
日曜日の朝だと言うのに、気になる記事を目にしました。
こんな見出し「世田谷殺害 犯人母は南欧系?」にまず引っかかり、その記事から先のソース先を拝見しました。私が引っかかりを覚えたのは事件の内容ではなく、この記事にちりばめられたキーワーズです。

<忘れない>世田谷一家殺害 DNA鑑定、狭まる犯人像
5月25日2時31分配信 毎日新聞
 東京都世田谷区で00年12月、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)一家4人が殺害された事件で、警視庁成城署捜査本部が犯人の血液を詳しくDNA鑑定したところ、父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた可能性が強まった。捜査本部は、遺留物などから、犯人やその近親者が海外渡航していたとみており、ICPO(国際刑事警察機構)を通じ外国捜査機関に協力を求めている。

◇父はアジア系 母は南欧系
 犯人は、自分が持ち込んだ柳刃包丁で宮沢さんらを刺したが、自分の手もけがをし、包丁の柄の部分にA型の血痕を残していた。捜査本部はDNAの塩基配列などから出身を探る鑑定を進めた。▼その結果、父親は日本、韓国、中国などのアジア系で、母方はヨーロッパの地中海北側の民族の特徴を持ち、アジア系とは明らかに異なっていた。▼明治時代以前には、日本や韓国、中国ではヨーロッパ系との婚姻がほとんどないことから、捜査本部は、母親か祖母の代の可能性があるとみる。

◇外国機関に協力要請
 しかし、中央アジアでは歴史的に欧州系民族との婚姻があり、日本でも江戸時代に交流が一部あったことなどから、曽祖母以前の婚姻もありうる。このため、犯人の国籍の特定は難しく、「先入観を持った捜査は、かえって犯人からそれる可能性もある」と指摘する捜査幹部もいる。▼(中略)▼(中略)▼(中略)▼これまでに、韓国と中国に指掌紋の照会をし、欧米にも協力を求めているが、回答がない国もあるという。

(後略)
全文:http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/20080525k0000m040095000c.html


不肖わたくし「脳ツル凡婆」が引っかかったキーワーズをで抜いてみました。
朝一番で私がまず目にしたタイトル「世田谷殺害 犯人母は南欧系?」で、「そもそも南欧系とはナニ?」という疑問がフツフツしました。まず「南欧系」という語を見てツルツル脳で連想したのが、手前勝手になりますが、フランス共和國の真ん中より少し上を横断して流れるロワール川より下のフランスかスペインのヒトです。ポルトガルは民族が違うので私においては「抜き」です。更にロワール側より下と言っても中央山脈、ピレネー山脈のオード川より西から大西洋沿岸までを抜きます。つまり北はアルプス山脈より下、西は中央山脈まで、(フランス国内において)南はオード川より東、ここから地中海までの土地が私において「南欧」というイメージになります。スペインは地中海沿岸と南スペインのイスラーム文化融合域が「南欧」にあたるのではないでしょうか。
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地球全体で眺めれば、イタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、ポルトガル、旧ユーゴのアドリア海沿岸諸国が私における「南欧」のイメージです。国際連合ではこのような区分(↓)でおぢゃる。
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はっきりとした黄緑色の国々が「南欧」です。が、フランスは国連においては「西欧」となり、南欧には入っておりません。もし「国」という単位で区分されても、フランスの地中海側はイタリア系、スペイン系や地中海系が多いのは苗字でもわかり、他のフランスとは生活文化も異なります。「南欧」と聞けば「ラテンの血が騒ぐ」だの「ラテン文化と言語」を連想したりもしますが、ラテンを出すとギリシャやアドリア海諸国は別の文化域になります。


で、次に思い起こしたのが、フランス国内でしばしば聞くメディタレーニアン méditerranéen=地中海人と呼ばれる人々でしょうか。フランス国内においても地中海側に多くいますが、肌がカフェオレ色で、黒髪、漆黒またはグレーの目を持つ人々です。が、地中海人は地中海沿岸東西南北満遍なく存在しています。「南欧系」の話題で地中海人を取り上げてしまうならば、スペイン系ジプシーであるヂタン Gitans もノマドとは言え、彼らこそ本物の南欧系ではないでしょうか。そして、フランスからスペインにかけての地中海沿岸にはカタルーニャびと Catalogne (定着民)がおり、彼らも独特の生活文化と独立言語を持っています。きょうび21世紀のフランスにおいては欧州系だけでの混血もあったり前なので、彼らの血で国籍鑑定や民族鑑定はまずできません。

となると、日本國で報道された「南欧系」とは何をもって「南欧系」と断定するのでしょう?

まあ、そんなことを思いつつ、ソース先の新聞記事(↑)を拝読いたしました。すたら、あーた、
母方はヨーロッパの地中海北側の民族の特徴
ですと。私のこれまでの妄想は大ハズレになります。私は「南欧系」と読んで「ロワール川より下、フランスの縦割中央より右側(=東側)で地中海沿岸まで」の土壌しか思い浮かべていなかったのに、「地中海北側の民族」というKWがあることで、我が顎をぐーんとあげなくてはなりません。で、これまた手前勝手に話を進めますが、いわゆる「地中海北側」と聞いて思い起こす国はイタリア、ギリシャ、トルコ、キプロスですわね。フランスとスペインは地中海北側ではなく西岸の国々になります。が、「地中海北側の民族」と言っても、イタリア人とギリシャ人は同じ人種ではござらんよ。一目でわかる。というか、イタリア国内だけでも先祖代々ローマのヒトビトにとっては隣国ギリシャどころかナポリもサルディーニヤもコルシカもシシリアもチロルも「私たちとは違う」とハッキリ断言します。むしろギリシャ人とトルコ人はパっと見、似ているかもしれません。

トルコ人が南欧系にあたるのか?うみゅうううううう。もし地中海北側の民族のひとつにボスポラス海峡より東のトルコびとを入れるなら、ボスポラスからスエズ運河までの地中海東岸のパレスチナ系も一考した方が良いですし、もしパレスチナ系を入れるなら血統ユダヤ人やスエズ運河からジブラルタル海峡までのマグレブ系(ベルベル人やカビル人など)も考えねばならないでしょう。
あ、スペインに戻ったね。
マグレブについてはイスラームの西方遠征の際にアラブびとと混血した人々が「マグレブ・アラブ人 Maghrébin Arabe 」と呼ばれていたりします。結局、「南欧系」を探すにはと地中海一周ですわな。というか、
「南欧系人」って存在します?
こうして一般紙に掲載するとしても「南欧系」のキーワードのみでは欧州に興味のない方々には変な先入観しか持てなくなるかもしれませんし、偏見や誤解が生じかねません。それとも、なんだな、ボスポラスから時計回りでジブラルタルまでに関わる方々に気でも使ってらっしゃいますか?(今の欧州では ムハンマドさま風刺画事件 なんてありましたから気ぃ使ってらっさる方もおりますよ)
欧米にも協力を求めているが、回答がない国もあるというのは、回答できない国の警察や憲兵隊が日本國の優秀な警察に比べると遥かにポンコツなどという問題ではなく、日本國から答えを求められたところで返答できない質問をされたからかもしれません。結局、「南欧系」というキーワードが書いてあっても、当事国では指紋の照らし合わせしかできません。だったら「南欧系」というキーワードは何なのか。もそっと具体的に読者に教えてくださらないと協力もできません。現段階では、トルコをアジアとするならば、「地中海北側の民族である南欧系」はイタリアかギリシャ、アドリア海沿岸諸国でよろしいのかしら?

le 25 mai 2008, Sophie
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by ma_cocotte | 2008-05-25 16:44 | 『?』な日本國 | Comments(4)
どれにしようかな?かみさまの言うとおり、あれれのれれれ?
5月は五月、聖母月です。

ココんちから車で一時間ほどの山の中になぜかぽっつーんとココらへんの聖域 Sanctuaire と呼ばれる巡礼地があります。フランス語でバジリク Basilique と呼ばれる格の聖堂が建っており、ここに納められている聖母子像が中世の時代から「病を治す」という言い伝えがあるのだそうです。年に一度の 大祭 にはバスも電車も通っていない、この山村に5000人以上の人々が集って「病者のために祈る」そうです。私が母の病気が少しでも癒されることを願いつつ、この村に行ったのが2月11日でしたが、その時は、
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しぃいいいいいいん。  カァカァカァ


聖堂の中に入ってみると、カジモド(鍵番)のムッシュウがおひとりでお掃除中でした。
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右に小さく見えるのが病を治す聖母子像、Notre Dame de Pitié 哀れみの聖母という名前で親しまれています。
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こちらがNotre Dame de Pitié 哀れみの聖母像のドあっぷです。


このご像、14世紀に女子修道院で造られたそうで、その当時、聖母の膝の上の絶命したキリストの姿をもってDouleur de Christ キリストの痛みを表現することが流行でもあったそうです。cf. La statue de Notre Dame de Pitié
なーんて、いろいろ知れたのも、このムッシュウが私を見つけるなり「いきなりガイドさん」となって、いろいろ説明してくださったのです。
-バジリカと普通の教会の違いをご存知か?
-のん。
-バジリカってぇのは結婚式や葬儀を行わない教会堂なんだよ。
これが嘘か真か調べる気もなく、聖堂のお掃除を任せられるようなムッシュウのお話だから、脳に ___φ( ̄^ ̄ )メモメモってことで。で、ムッシュウから説明いただいたことですが、この教会のステンドグラスにはフランス共和国内各地で昔から崇められている聖母像が描かれていることで知られています。例えば、こちら(↓)
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珍しいと申しましょうか。お肌の色が 黒い 聖母子です。
左はフランスで「黒の聖母」と言えばNotre Dame de Le Puy サン・ヂャック・ド・コンポステル巡礼の拠点のひとつであるル・ピュイの聖母ですね。
右はにゃんとNotre Dame de Chartres シャルトルの聖母です。シャルトルには2度行きましたが、黒い聖母像を拝見した記憶がございません。どうしてもステンドグラスを仰ぎ見てしまうので気付かなかったのでしょうか。(これだから ヾ(`◇´) 次回はよっしゃ!


コチラはどうでしょう?日本國ではあまり知られていない聖母出現の土地かも。
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左はNotre Dame de La Salette 涙なーみだのアルプス山中のラ・サレットの聖母
右はNotre Dame de Pontmain ポンマンの聖母ですね。

★そして、ユーのハツにグっとくる聖母はフー? ( ̄ε ̄)b
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by ma_cocotte | 2008-05-24 05:04 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
元祖・生臭坊主の影響力は今も絶大。
少し前ですけれど、ココんちの郵便受けにこのようなチラシが入っておりました。
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ど、どんっっ!

このコメカミに青筋立ったおっさん、誰よ?

えとですね、このおっさんですけれど、アルマン・ヂャン・デュ・プレシ・ドゥ・リシュリュ Armand-Jean du Plessis de Richelieu とおっさる、苗字に「ド de 」が二つくっつくモノホンのおフランス貴族(三男坊に生まれながらも家督を継いだ時は侯爵で、司教就任時に男爵の称号に移行したそうだ)で、もひとつおまけにこの方にはカーディナル Cardinal、=枢機卿なんて称号も付くのです。カトリックの聖職者でありながら、ルイ13世に愛された政治家でもあり、フランスではいまだ絶対権威あるアッカデミィ・フォンセーズ Academie Française の創立者でもあります。ソルボンヌの学長職に就いたこともあるんだぜ。つい最近、中米はパラグアイでルゴ司教が大統領に選出されましたが、大統領の椅子と引き換えに司教というか司祭としての「聖職停止」状態にルゴさんはありますけれど、リシュリュさんはまんべんなく聖俗職両天秤で生涯を終えた方であります。リシュリュ宰相&枢機卿の生きた時代にライシテ laïcité、徹底政教分離なんて言葉があったかどうか、それこそアッカデミィ・フォンセーズにお問い合わせでございます。

さて、1585年9月9日パリに生まれ、1642年12月4日に帰天したリシュリュ枢機卿ですが、なぜか今年がチラシのごとく1608-2008で400年記念祭なんであります。

なんで1608年?
リシュリュ卿のお誕生日から計算すると1608年のリシュリュさんは23歳ですけれど?
で、チラシの裏を見てみました。

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目ぇ凝らせば読めなくもありませんが、中ほどにこんなことが書いてあります。
..., en cette anneé 2008 qui marque le 400éme anniversaire de la nomination du futur de Louis XIII comme évêque de Luçon.
2008年はリュソン司教としてルイ13世の未来の『首相』が任命されて
400年目に当たります。
だから、ヴァンデ Vendée 県の県会議で今年2008年を「リシュリュ年 Anneé Richelieu」に決めたンですと。つまり、1608年はリシュリュ師が23歳の若さでフランス中西部はリュソン教区の教区長(=カトリック教会の職、司教 evéque と呼ばれる階位)に任命された年なのです。そ、それを理由に県議会が「リシュリュウ記念年」決定とは
思いっきり、政教一致 ヾ(`◇´)
ヴァンデ県の政治の最長上は、前回の大統領選にも出馬した右突き当たりから二番目に座す(近未来には右突き当たりになるだろうと噂されている)フィリプ・ド・ヴィリエ Philippe de Villiers 氏ですからね。公では右突き当たり、私生活ではカトリックの伝統主義者で、6人のお子達のうちひとりは宣教女だとか。この最長上の個人の事情を省いても、ヴァンデという県はふくろう党やら 大革命時のカトリック教徒虐殺 の事実を未だ引き摺り続けている土地です。てか、732年のポワチエの戦い以降、ポワチエから大西洋岸にかけての土地は何百年もの間断続的にあらゆる宗教の戦場でしたけれど。翻弄されたのはいつも庶民。

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↑ 戦場ラ・ロシェル La Rochelle でのリシュリュ枢機卿 ↑
左に見えるトンスラーズはフランシスカンとベネディクタンでないかい?


リシュリュ師ですが23歳で国王の一存で司教職に就いたり、1622年12月、37歳で国王から枢機卿に任命されちゃった、現代では早すぎる出世というか、任務を受け入れた方ですけれど、カトリック司祭でありながら戦闘士となったり、政治や教育にも関わった方で、女性関係も華やかだったという話もございます。そんな彼が死を目の前にしてこの世で最期の告解で告白した言葉は「私には国家の敵より他に敵はなかった」で、おフランスのためならば彼の意向に沿わないナンピトも「国家の敵」と見做し「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」と裁きまくったカトリック聖職者でもありました。が、リシュリュ枢機卿はヒトに厳しく猫に甘かったという嘘か真かの記録もあり。(どこぞの 教皇B16 とお似ましか?)
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猫というものは、実にかわいらしい動物ぢゃな!
サロンの虎ぢゃな。なんと柔らかなものか!ひどく優しいものぢゃ!

Le Cardinal bâilla trois fois sans cesser son jeu, et dit :
— C’est un bien joli animal qu’un chat ! c’est un tigre de salon : quelle souplesse ! quelle finesse extraordinaire ! Voyez ce petit jaune qui fait semblant de dormir pour que l’autre rayé ne prenne pas garde à lui, et tombe sur son frère ? et celui-là, comme il le déchire ! voyez comme il lui enfonce ses griffes dans le côté ! Il le tuerait, je crois, il le mangerait, s’il était plus fort ! C’est très-plaisant ! quels jolis animaux ! 
@Cinq-Mars, Chapitre XXIV, Le Travail
こんなエエ氏出の三男坊リシュリュウ枢機卿ですが、生まれながらの虚弱体質は生涯変わらず、発熱、呼吸困難、肝臓疾患、神経痛、偏頭痛、不眠症、憂鬱病、痔疾、膀胱疾患、皮膚の腫れ物などに悩まされながらも、おフランスの近代化に尽くされた大政治家かつ大文化人として今も崇め祀られていたりします。なんと彼の名を戴いた戦艦リシュリュー号なんて存在しますね。この持病から想像するに思い切り弱そうな軍艦ですけれど、1939年から1958年まで活躍、1945年には東京湾に入港しています。そして、1635年にリシュリュ卿によって創立されたアカデミィ・フォンセーズは「フランス語の純化機関」であります。外来語受け入れのハードルは未だ常にあまりに高しですが、ここ数年、男女職務表現の無差別化で甘いという噂を小耳に挟んだりしています。その話は横に置いて、もう一方の横に置いてありそうなリシュリュ卿の話題を拾ってみますと、カトリック聖職者としてのリシュリュ師は初めてフランス語でミサを司式した人物とも言われています。ミサがラテン語一本化したとされるトリエント公会議は1545年から1563年にかけて開催されておりますから、リシュリュ師はもしかして違反を犯されてらっさることになるかもしれません。余談ですけれど、トリエント公会議前までは各国語での背面ミサがあげられており、B16が昨年7月以降、この典礼で司式されたりしています

ところで、このリシュリュ年のイヴェントですが、チラシの中に一覧表。
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そもそもヴァンデ県ですが、中世遺跡がそこら中にゴロゴロあり、それを文化遺産として守っているのはよろしうござんすが、ほとんどに入場料が付きまとうという他県では見られぬ集金手段。こんなチラシの中から「入場無料 Gratuit」というキーワードを探すのが喜びとなっている私ですが、そりゃ、上のチラシの右下から二番目に注目ですわよね。
MESSE SOLENNELLES 荘厳ミサ
なんと、9月21日と12月21日の二回もリュソンの司教座大聖堂 Cathédrale de Luçon であげられます。9月21日のごミサは司式者がCardinal Poupard プゥパァ枢機卿ですと。cf. Paul Joseph Jean Poupard
この 大聖堂のオルガンも有名 みたいですし、ふむぅ、目と耳の保養にもなる至福の2時間未満でありましょうか。私の9月21日は日本國内潜伏中であります。残念!

超スペシアルウルトラスーパーど貧乏な私がリシュリュ年に何ができるかわかりませんが、
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このような名前の薔薇を園芸店で見つけました。カーディナルなのに真紅の薔薇ではなく、
 の薔薇 ねぇ。
肥沃から程遠いココんちの庭でリシュリュさまが開花してくださることを祈りつつ。( ̄人 ̄)

le 22 mai 2008, Emile
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by ma_cocotte | 2008-05-22 17:31 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(12)
ヂャウ・ハランバン夫人、ウズラハートがバクバクの巻
ヂャウ・ハランバン夫人が母上の帰天でどこか雲の中にいるような気分でありながらも、四方八方から聞こえてくる日本語交じりのざわめきの中で 夕食をひとり 終えたのは午後8時をまわったころでした。

お店を出てヂャウ・ハランバン夫人が向かった先は出国手続でした。ここも指定時間前のレストラン同様、成田に向かう日本人がそれは長い行列を作り、出国手続検査の順番を待っておりました。

今回の帰国で、ヂャウ・ハランバン夫人がかなり前から神経を無意味に尖らせていたのは、(彼女にとっては)新しく導入された化粧品機内持ちこみ制限についてでした。以前なら化粧ポーチをそのまま手荷物に突っ込んどきゃー、それで良かったことですが、現在は規定サイズの透明ビニール袋に規定サイズ以下の容器に入った化粧品を入れ、出国審査の際にはそれをバッグから出してトレーに乗せねばならなくなりました。こんなことをうざったいと思うのも、単にヂャウ・ハランバン夫人が厚化粧であり、齢のせいもあって筋金入りの面倒臭がりデブだからであります。ヂャウ・ハランバン夫人がこの帰国で利用する航空会社のHPに掲載された規定のビニール袋ですが、フランスのド田舎町のスゥペルマルシェには売っておりませんでした。人伝に聞いた話では規定外だと涼やかに惜しげもなくポイされるとのこと。使い切っていない化粧品をポイされるなんてドけちの夫人のプライドが許すはずがありません(←アホだな)。ヂャウ・ハランバン夫人は適当な袋を見つけて厚化粧道具を詰めたものの、何せハツがウズラ級ですから、搭乗手続きカウンターのムッシュウにその旨を尋ねると、なんと地下の売店で透明袋を購入できると言うではありませんか。ヂャウ・ハランバン夫人はその売店に赴き、サンチームコインと引き換えにその袋を買い、夕食までの待ち時間の間、伊太利亜風珈琲をすすりながら厚化粧道具を詰め替えました。
さて、出国手続の待ち時間も少しずつ短くなり、行列も短くなって、やがてヂャウ・ハランバン夫人の番になりました。ヂャウ・ハランバン夫人のウズラハートはバクバクしながらも、トレイの上にバッグ、コート、そしてバッグから取り出した厚化粧道具の入った透明ビニール袋を乗せ、自らはピーピーブリッジをくぐりました。ところがです、検査官は
なーんも見てくれなかった。
袋を触ることも、見ることもなく、一瞥さえ投げてくれませんですた。続く、パスポート検査もポリスのにいちゃんは
あてずっぽに開いて閉じただけ。
判子なんて押してもくれません。ふと時計を見れば、21時近く。
( ̄口 ̄;)ハッ!! そうだった、フランスびとですもの、17時以降になれば、
就業意欲まるでなし
当たり前のことに気付くのが遅いのも、生まれながらの蛍光灯脳だからでありますが、数歩歩いたところで、長期滞在者でもあることから判子だけは押していただこうと、検査官ボックスの背後からおずおずとお願いしました。これは押してもらっておいて良かったーっ!と成田でそう思いまちた。(^_^) 成田では日本國出国日とフランスでの出国スタンプの確認がどこのポイントでもありました。

21時近いものの、免税店はまだ開いており、緑茶の香りの練り香水を買って、長すぎる通路の向こうの待合に行きました。それでもまだ搭乗まで2時間以上待たねばなりませんでした。ココんちを出てから10時間も経つのにまだパリとは。TGVで一緒だった伊太利亜のおねいさんは今頃ローマの自宅でマンマとおしゃべりしているのだろうなあ、と思うとヂャウ・ハランバン夫人は切なくも寂しくもなりました。

その時です。館内放送でヂャウ・ハランバン夫人の名前が呼ばれたのは。
名前が館内放送で流れるとなぜか風紀違反をしたかと前髪を触ったり、スカートの長さを確認するために膝に目が動いたりするのですが、繰り返し名前が流れたので、呼び出し先のカウンターに行ってみました。ヂャウ・ハランバン夫人が「我こそは呼び出された者です」と名乗ったところ、21時をはるか過ぎても真面目に働く日本びとムッシュウが笑顔と共にこうおっしゃいました。
大変申し訳ございません。
本日の機内、満席でございまして、お差し支えなければ
ビジネスクラス にいらしていただけませんか?
ヂャウ・ハランバン夫人の目は瞬時に きよっさん  と化したのでした。
ムッシュウに求められるまま、パリに着いてすぐ頂戴した一階級昇進の搭乗券を差し出すと、即座に目の前でムッシュウがそのテケットを破り捨て、新たなテケットをくださいました。
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出世街道から外れ、裏獣道鋭意自転中のヂャウ・ハランバン夫人にとって、生まれて初めてニ階級特進の喜びを知ったのでした。こんなことってあるのね....。ママ、ありがと。

b0070127_21464060.gif ....まだつづくぅ。

le 18 mai 2008, Corinne
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by ma_cocotte | 2008-05-18 21:55 | 『旅』 Rien de special | Comments(5)
とうとう見てしまった。
数日前ですけれど、このような世界をこの目で拝見いたしました。



動画ですと判り難いですね。停止画像ですと、このような感じ。
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写真左端に映っている男性は先唱者ですが、ミサ前に跪いて祈っております。久しぶりにこんな光景を拝見いたしましたし、フランスに関わってから初めてベールをかぶった婦女子を見ました。この写真も開祭前に撮ったので決定打にはなりませんけれども、ビデオの遠方に目を凝らして見ると司式司祭のお背が動いているのがわかります。わたくしはいわゆるひとつの la messe en latin ラテン語ミサ、ヒトよんで 1962 messe 1962年典礼ミサを遠方から拝見したのでした。近年、方々で噂に聞く1970年以前のミサですが、


生まれて初めて見る私には最初から最後まで 何が何だかわっからないのよ の時空間でした。本の縁が赤く染められた分厚い典礼書でも持っていない限り、自分はヨソモノですし、耳で覚えるにしても何年かかるかなあ、ですね。覚える前に私の魂はこの身を抜けるのは確実と確信しました。

昨年7月に1962ミサに関するお言葉が教皇さまよりあったかと存じますが、久しぶりに調べてみたら、創立20周年を迎えたペトロ兄弟会 FRATERNITE SACERDOTALE SAINT-PIERRE が ローマに管区を持つこと を教皇庁より認められ、今年10月17日から3日間、バチカンで記念行事 が行われるとのこと。18日午前11時からバチカンでカスティヨン・ホヨス Castrillón Hoyos 枢機卿司式による旧ミサがあげられますねー。

ホヨス枢機卿ですが、昨年の7月以降、以前にも増してご多忙と申しますか、確か昨年は9月には ボルドーにお出まし になり、12月8日にはおフランスはヴェルサイユ教区でも1962ミサをお披露目なさっておりました。
このグレゴリアーンな異空間ですけれど、フランス国内であれば各教区に問い合わせたり、HPで調べれば見つけられますし、花の都おパリであればこちらの3教会 http://catholique-paris.cef.fr/Messes-celebrees-selon-le-missel.html のいずれかでほぼ毎日あずかることができます。左岸15区のNotre Dame de Lys (百合の聖母)教会の典礼は ドミニコ会式の旧典礼 らしいですよ。
しかも古式ゆかしいビッグエヴェントとでも申しましょうか、10月のローマでのペトロ会に関する諸行事以前に来月6月17日、パリの聖ユヂェエヌ St Eugène 教会からノートル・ダムまで行列し、その後、ノートルダムで1962ミサがあげられることになっております。

じかに「知られざる世界」を見ないと信じられないトマ Thomas な方、ぜひ。(^_^)

侍者坊の赤いおべべに白のスルプリはやっぱエエわ。
できれば先唱者も黒のおべべに白スルプリにしてほしいくらい。
ヴィジュアル的に余生短いあたくしにとって週に一度の楽しみになるンだがのぉ。
目の黒いうちにどうかひとつ。よよよ。

日出づる日本國からオイロッパまでは遠いわー、とおっしゃる方もいらっさるかもしれません。アジアあたりで旧ミサをあげているのはフィリピンだろうな、と私は勝手に思い込んでおりましたが、調べてみたところ、ぬぁんと今年3月29日、香港でゼン枢機卿による司式で行われておりましたわ。知らなかったねー。
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Pontifical Solemn High Mass with Cardinal Zen, 29 III 2008

サレジアーンなゼンさんにおかれましてはお察し申し上げますではございますが、ゼンさんの世代であれば寝ても覚めてもラテン語唱えてカックンカックン時代でございますから、羊からの求めには「できることは何でもします、よろこんで」とお返事なさる羊飼いなのでありませう。

それにしても中國内の香港に先を越されるとわ....そうゆう問題ぢゃないけど。

le 16 mai 2008, Honoré

余談ですけれど、数日前にこんなごミサも拝見。



これまた目を凝らして通路の果てを眺めますと、赤いハンカチを無心に振るお子達の姿。
前世紀の遺物であるあてくしには違和感あるワールドでございますが、「迷える小羊」と申しましょうか、「迷わされる小羊」と申しましょうか。傍観する分には荘厳な方がいいわ。13世紀建立の大聖堂にエレキギタアの音は似合いませんでした。もちろん私の個人的感想に過ぎませんけれど。
グロリアで赤いハンカチを振ると何なの?
振らせる大人も大人だよ。 ε= (´∞` ) bof ← もちろん私情ですので誤解なきやふ。
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by ma_cocotte | 2008-05-16 18:09 | 『?』なKTOりっくん | Comments(47)
彼らはこんなことをして、何を、直に、見たいのだろう。
フランスでも先週から今週にかけてのトップニュウスは ミャンマーでのサイクロン中國は四川省での大地震 という天災についてでありますが、それらに続くニュウスで、私が注目しているのは25年ぶりの勃発になるかもしれないレバノン内戦についてです。これは天災ではなく人災でしょうか。連日の報道、実に考えさせられてしまいます。
以下はTF1ニュウスで流れたレバノン内戦に関連する主だったビデオです。
【5月9日】 ヘズボラによる宣戦布告と空港・海港閉鎖。
Les violences font plusieurs morts à Beyrouth
ベイルートで死傷者が出るほどの暴行
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845231,00-violences-font-plusieurs-morts-beyrouth-.html

Poursuite des affrontements à Beyrouth
ベイルートにおける継続中の対立
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3844929,00-poursuite-affrontements-beyrouth-.html


【5月10日】 開戦後第4日目
Timide retour au calme à Beyrouth
ベイルートでの鈍い沈静化
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845418,00-timide-retour-calme-beyrouth-.html


【5月11日】 レバノン北部トリポリの様子
Les affrontements se poursuivent dans le nord du Liban
レバノン北部における継続中の対立
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845553,00-affrontements-poursuivent-dans-nord-liban-.html

Au Liban, la crise est loin d'être terminée
レバノン、危機の収拾までには程遠い道程
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845626,00-liban-crise-est-loin-etre-terminee-.html


【5月12日】
Calme très précaire à Beyrouth
ベイルート、あまりにかりそめな静けさ
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845765,00-calme-tres-precaire-beyrouth-.html

5月10日、11日の目を覆いたくなるような映像は日本國ではあまり流れない現実かもしれません。【註】URLの都合上TF1ニュウスのみを掲載しましたが、国営放送 France 2, France 3 でももちろんレバノン内戦について報道されております。
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↑ こんなお気軽な格好で銃を持っちゃあいけません。↑
Miliciens du courant du Futur à Tripoli (Reuters)

親シリア派というか、レバノン西方の国イラン&シリアが「真の親分さん」のヘズボラ Le Hezbollah なる団体ですけれど、既にベイルート西部を制圧なさったとか。で、この方々は母国を戦場にして何を目の当たりにしたいンでしょうかね?理想のイスラム原理イラン&シリア盲目贔屓主義国家ですか?レバノン人の多くがイスラームだろうがキリスト教徒だろうが彼らの国内破壊行為にウンザリしていること、なぜその事実に向き合えないのでしょうか?真の親玉ズがレバノン国内の被害を目の当たりにしていないからでしょうか。

フランスはレバノンと縁がある国なので、この内戦勃発以前からテレビの報道番組ではレバノン内情についてしばしば触れられてきました。

b0070127_1673867.jpgメイ・シディアク May Chidiac というレバノン人女性をご存知でしょうか。彼女はレバノンで売れっ子のニュウスキャスターで2005年9月25日、テロに遭い、左足を失いました(左手も重症)。彼女が生還したのは奇跡だと言われており、フランスでも2006年9月に入院先のフランスからレバノンに戻り、再度の報復テロに怯えるどころかレバノンの現実に立ち向かう彼女についてのドキュメンタリーが流れました。私もそれを見ており、感動し、考えさせられました。このメイ・シディアク嬢はクリスチャンであり、レバノンのキリスト教系放送局で大活躍、大人気のキャスターでありました。事件当日は終業後、車後部座席に乗り、運転手がエンジンをかけたと同時に車が爆破、大破しました(右の写真下のごとく、ドライバーは即死)。彼女が身体の一部を失ったとは言え、今こうして生きていることは「奇跡だ」と多くの人から言われています。フランスに移送され手術、闘病、リハビリを終えてレバノンに戻った勇気だけでもチキンやらウズラハートの大衆を驚かせたのに、彼女はレバノンで再び日曜日の礼拝に堂々と通い始めました。帰国後の彼女は外出時には常時ボディガードがついていますし、誰もが再び起こり得るだろう彼女への暗殺を恐れて彼女が礼拝に通うことを止めたにも関わらず、「礼拝に通うこと」が彼女にとって暗殺未遂犯人に対する確固たる意思表示なのだそうです。
私が見たTF1の報道番組 7 à 8 セッタユイット のビデオは見つかりませんでしたが、YouTubeで彼女に関するドキュメンタリー番組を見つけることができましたので、以下、ご覧くださいませ。
May Chidiac - Lebanon
http://www.youtube.com/watch?v=1LKgqNqsbUU
このメイ・シディアク嬢のドキュメンタリーの中でも取り上げられていたのが、レバノン国内でのキリスト教信者の立場でした。現在のレバノンでキリスト教信者はマイノリティになりますが、レバノン国内における彼らのほとんどが中上流階級にあたり、これがマジョリティであるイスラームの一部から過激なほどの攻撃理由になっているというのです。

このドキュメンタリーを見たことで、レバノン国内事情に関する報道に注視し続けましたが、現在のレバノンにおいてキリスト教信者への差区別が日毎ひどくなっているのも事実です。政府が彼らに何をしているのかと言えば、勤労・就職妨害です。昨年11月はじめ、私はニュウスでこのようなものを見ました。
L'exode des chrétiens du Liban
キリスト教徒、出レバノン記
http://www.dailymotion.com/video/x3hiht_lexode-des-chretiens-du-liban
フランス語でレクソド L'exode という単語を用いる時、旧約聖書のレクソド、つまり出エジプト記を連想するような状況を指します。この報道によりますと、既にレバノン国内に住む約50000人のキリスト教徒が「迫害」によって欧州、オーストラリア、カナダへの移住を決めたということです。確かにこのビデオに登場する男性も脳神経外科医という職業にあり、レバノンでも中上流に属する方と拝察します。が、彼らの言い分は信仰が理由で母国なのに居心地が悪くなっている、だから移住に踏み切ったのです。ビデオの冒頭に登場するマロン派の教会もこの礼拝が最期の礼拝で、この礼拝を限りにこの教会は閉鎖されたそうです。

もし彼らがイスラームに改宗すれば母国レバノンにいることが「できる」のですよ。

「だったら改宗すりゃあいいぢゃんか」という意見も多々あるのかもしれませんけれど、そういう意見は欧米ではあんまり通じない意見だったりします。それこそ「宗教は毒」と言いながらなぜかイスラームとだけは仲の良い政治思想団体の方々が同意するでしょうけれど。

嫉妬が先立ってテロったところで目に見えるものの破壊や崩壊しか目にすることはできません。先に登場のメイさんではありませんが「左足が義足になっても私の魂は同じ魂だ」です。中上流階級のキリスト教徒を国から追放したところで、その職の器に値しないものが就任して、脳神経をいぢったところで治療にも快気にも至りません。
そんなこともわからないのが問題なのです。
彼らの中には邪魔者を追い払えば、その椅子に座れると単純に考えている人もいます。自分のタレントを忘れているのです。

私個人は同級生がレバノンからの帰国子女で、彼女から何度もベイルートはかつて「東洋のパリ」と言われていたのに内戦でその美しさを失ってしまった、と何度も聞かされていたし、フランスに住むようになってからもイスラームのレバノン難民一家と交流したり、改宗してカトリックのドミニコ会修道女となったシスターにもお世話になりました。レバノンは私にとって遠いようで近い国のひとつです。信仰先が違えど彼らレバノン人の思いは母国レバノンに平和が戻ることです。青い空と海、赤い土と白いローマ遺跡と西欧風建築に緑の木々と人々の穏やかな笑い声。彼らが懐かしい母国を語るとすぐ、美しい灰色の瞳に涙のヴェールがかかります。こうして移民した今、母国に再び定住するのは簡単には行きませんが、それでも平和であれば、いつでも、たとえ短期間であっても戻れるでしょう。早くそういう状況になりますように。廃墟は虚しい、虚しすぎる。

今年はじめ、地元の外国人向けフランス語講座に参加したら、クラスメートのひとりがシリアで育ったパレスチナ難民女性でした。彼女は完璧にヘズボラ贔屓で、私たちが西側メディアに騙されているのだと毎日力説しました。このフランスで職を得て、いかに自分達が被害者であるかという真実を伝えたいんですと。自分から被害者になって、既に被害者でないのに、被害者のままであり続けたいがために理由をこぢつけているようにしか見えません。この彼女が希望する職は公立校のアラビア語講師なんですけれどね。「マダムのおっしゃるとおりです。奪還するまでガンガン、中東でテロろーぜ」という生徒に巡り合えるのでしょうか。
私はこのフランス語講座に行くのを止めました。ψ(`∇´)ψ
平和を手に入れる方法が違いすぎ。
彼女が強く主張するように、彼らを被害者と私たちが認めてあげても平和は訪れません。本当に平和を願うなら、破壊した建造物を直して、キリスト教徒だろうがイスラームだろうがそこに住んでいた住民が再び住めるようにしてくださいよ。砂漠の夜は寒いと確か聖書のどこかに書いてあったよ。

le 14 mai 2008, Mathias
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by ma_cocotte | 2008-05-14 04:13 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(25)