<   2008年 09月 ( 19 )   > この月の画像一覧
初秋の、そぼふる雨の中、
と或る駅で降り、
b0070127_8564786.jpg
この乗り物に乗り換えて、某所に参りました。

時間を追うごとに雨足が強まっているのに、ヒト、人、ひと。
しかも、月曜日なのに子供がうぢゃうぢゃうぢゃ。これには、ビビデバビデブゥでした。

オバさんのド根性で、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、夢の世界を転がり続けましたが、しばらくするとどうも靴が重たくなってきました。天気予報で雨と予報されているのに、革底の靴を選んだ自分にようやく気づき、飛び込んで買ったのがコレ。
b0070127_9163758.jpg
ちょぉおおお、かわゆぅううううううい。


その場で靴を履き替えて身を軽くして、秋雨に濡れて参って、コレを食べたのでした。
b0070127_92248.jpg
・・・・う、うまっっ。

いろいろな事情でしばらく販売されていなかったらしいこの食べ物が再開していたのでした。夕方には胡麻チュロスも食べました。抑えるところは抑えた、ぞっ、と。

夢の国の時の流れは遅いのか早いのかわかりませんが、我が身を例えるならば「不思議の国のアリス」のうさぎさんであります。
Mon Dieu, mon Dieu, je n'ai pas de temps!
ああ、時間がないっっ!
腕時計をはめていたのに、時間を忘れ、気づけば滞在12時間。
「せっかくの日に雨降りで残念だなあ」とボヤいてくれた留守番の父に、おみやげはコレ。
b0070127_9303349.jpg
おブラックおペッパー味の パップコーン だす。

これは、うまま щ(゚Д゚)щ  お酒飲みには麗しの美味つまみざますよ。

こうして、非日常は半日ではありましたが、ヂャウ・ハランバン夫人は幸せでした、まる

le 30 septembre 2008, Jérôme
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-30 09:25 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(4)
おいしうございました、なのだ。
これは、それは、おいしうございました。 げふ
b0070127_2054193.jpg


もそっと、ちこう寄ってみませう。
b0070127_2073849.jpg

想定外のご馳走でございました。

先の日曜日、母の納骨が、母の生前の性格とそっくりな気まぐれ天気の下で滞りなく行われ、その日の夜からかつて母が元気だった頃のように、就寝時には全室の電気をきちんと消灯するようになりました。母が実家からいなくなって、ひとつ屋根の下のけぢめがついたものの、父の心のうちではまだけじめがついておらず、彼岸のうちに仲人夫妻の墓前に母についての一連のことを無事済ませたことを報告することで夫としてのけぢめがつくと決めていたようでした。母の帰天後、残された父を案じてか、かつての会社の仲間からの誘いにも「妻の納骨が済むまでは控える」と返事していたようで、繰上げで一周忌も済ませたこともあり、この彼岸明けから父は少しずつ老人なりに社会復帰するつもりなのだそうです。

幼少期を親から離れて山奥の豪雪地帯の疎開先で過ごした父は、どうも思いつきでぶらりとどこかに寄ったりするのが苦手なようでしたが、こうして愚娘が戻ってきていることですし、仲人の墓参帰りに寄ったのが東京都内の某デパートで開催中の「秋の大北海道展」でした。その会場で見つけたのがこのお弁当です。

ここに寄ったことで、当初寄るつもりだった線路向こうのデパートに寄るのを止めた父。愚娘がその理由を聞いたら、ライバル店舗の紙袋を見たら気を悪くするだろうと思ったのだそうです。夕食の席で、「うまい、うまい」とこのお弁当をほおばりながら、「ああ、良かった。これで一安心だ」ばかりを父は繰り返しました。母の納骨の日の前日、父は熟睡できないほどだったので、こうして仲人への墓参も済ませて、ある種の達成感みたいなものを感じているのかもしれません。ビールもひさしぶりに美味しく飲めたかもしれません。

一夜明け、きょうはま・ここっつぁんが持ち帰った半生パンにハムとチーズを乗せて焼き、「美味しい、美味しい、おいしかった」と、塩っぱくて重い、かりかりもっちりのパンをほおばった父でありました。もちろん巨人×阪神戦を見ながら、です。父にとって、
巨人軍は永遠です。
なのです。長島さん、命。巨人のみなさん、頑張ってくださーい。

le 27 septembre 2008, Vincent
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-27 20:51 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(4)
ヂャウ・ハランバン夫人の「眼々が福々」の巻
さわやかな青空が広がった9月24日、
b0070127_22505346.jpg
ヂャウ・ハランバン夫人は生まれて初めて大相撲なるものを観戦したのでありました。
国技館に入館するため列に並びますと、ブースの中には
b0070127_22514425.jpg
ヂェシィ高見山さま

高見山関はヂャウ・ハランバン夫人が子供の頃のスゥパアスタアでありました。お忙しいでしょうに、満面の笑みで、笑いをさそうようなことをおっしゃり、握手までしていただきました。ヂャウ・ハランバン夫人のすぐ前には赤ちゃんを抱っこした方がおりましたが、親方は赤ちゃんのもみぢの手をとって握手。・・・・・・ぶるん、ぶるんと・・・・赤ちゃんの腕があんなに動くとはヂャウ・ハランバン夫人は知りませんでした。

ヂェシィ親方が教えてくださった場所を抜け、
b0070127_23142479.jpg


ムッシュウの後ろに従って参りますと、
b0070127_23151260.jpg


やがて、目の前に広がるこの世界、
b0070127_23161754.jpg
想像していたより土俵が小さく見え、驚いたヂャウ・ハランバン夫人なのでした。

・・・・さてぇ、
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-24 23:02 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(8)
そうだ、この日はあの日の翌日だった。
座席とらぼー のせいであっという間に乗換駅に着き、空港に向かう列車の乗り換えまでホームで待つこと40分。晩夏独特の強い日差しに目を細め、初秋の風にブルっとしながら昼食をとり、ホームをぶらぶらしながら、車両案内を確認。駅構内には時計がひとつもなく、行先表示も要領を得ないもので、そこはかとなく不安にもなりました。・・・が、列車のないホームには必ずしも駅員がいるわけでもないだな、これが。

ヂャウ・ハランバン夫人が乗ろうとする新幹線は大西洋の南端からパリの外環と空港(オルリィとロワシ)を経由し、大西洋側極北の巨大都市リル Lille に向かうものでした。新幹線の到着時間が近づくにつれてホームに乗客が次々と集まって来ました。ふと、このような一団。
b0070127_9431091.jpg
この写真ではわかりませんが、世代を超えた女性だけのこの集まり、みなさま全員、おそろいの大きな十字架が胸元に揺れておりますので修道女であります。きょうびおフランス、このように一見わからずとも注視すると「もしかして?」と想像させる装束のカトリック聖職者や修道者が多ございます。漏れ聞いた話ではライシテ後・・・いや、1968革命後、聖職者や修道者の私服着用が増えましたが、目に見える場所にカトリックとわかる目印をつけることが実は決められているのだそうです。これを守っている司祭は多いとは言えないと思われますが。

乗換駅から空港駅まで2時間強の旅。
空港の国鉄駅から空港に向かうにはホームから階上に上がります。ヂャウ・ハランバン夫人にとっては同ルートでの二度目のひとり旅ではありましたが、たった半年なのに物忘れ激しく、キョロキョロしながらエスカレートに乗り、ホーム上の洗練された大ホールに出、大股で颯爽と歩いていたつもりですが、鈍臭かったのでしょうね。なんか、左目の端っこに何かが見えたのです。
b0070127_1054317.jpg
キタワァ*・゜・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜・* !!!!!

ヂャウ・ハランバン夫人、仏蘭西に滞在して丸八年を過ぎましたが、市井で、一度に、同じ視野に、3本のローマンカラーが入ってしまったのは初めてかも。一度、通り過ぎてしまったものの、ヂャウ・ハランバン夫人のとろい頭の中で整理がついたのか立ち止まって、振り返り、ちょっとだけお話してみました。きょうびローマンカラーと言うと、どうもあの大英帝國のショートドラマを思い出してしまいます。ご存知ですか?(クリーック(↓)



三本の動くローマンカラーズに近づいてみると、頭蓋骨の形やら目の色がどうも仏蘭西びとっぽくありません。英語かフランス語のどちらで話すのがよいでしょうか?と質問してみると、フランス語で構いません、とおっしゃる。なんとこの三人のリトアニアびとで、これから南仏のカルパントラに向かわれるそうです。リトアニアはロシアと国境を接する国だとおっしゃりながら、左にいらっしゃる神父さまがロシアっぽい文字が一杯の雑誌を私にむけて見せてくださいました。正直にフランスでこうしてローマンカラーの装束の神父さまを拝見するのは珍しいことを話し、写真を撮らせていただきました。まずお礼を申し上げ、これからの長旅と南仏での日々が充実したものでありますように、とお話したら、右側の神父さまに、「私はあなたの旅を祝福いたしましょう」と按手されてしまった・・・・・。耳に Benir ベニという私たちイッパンピーポーが滅多に使わない動詞が入ってきた時には身が引き締まりましたよ。

駅から空港に向かいつつ、こんな短時間にシスターやら神父さまに出っくわしたのも、前日のお昼すぎまで教皇B16が仏蘭西国内にいらっしゃったからかしら?と思ったりしましたけれど、関係ないね、思い過ごしだね、きっと。

こうしてココんちを出て4時間後に駅構内で神父さまに祝福されて始まったヂャウ・ハランバン夫人のひとり長旅ですが、この直後、また波乱万丈の波が押し寄せてきたのでした。

続くぅ。

le 23 septembre 2008, Constant
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-23 10:36 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(0)
不便で良かった。
ヂャウ・ハランバン夫人がココ新天地から東の果ての日出づる國に向かう旅も二度目になりました。今回も 前回 と同じ駅構内のお店で、
b0070127_1844186.jpg
前回のチキンサンドウヰッチではなく今回は生ハムサンドウヰッチと大好物のクロワッサン・デザマンド croissant des amandes を買ってみました。どちらともすこぶる美味。
b0070127_18443184.jpg

ココんちの地元駅から乗り継ぎ駅に向かうまで あんなこと があったので兵糧攻め状態でしたので、乗り継ぎ駅で降りて次の列車に乗り換えるまでの待ち時間の間、ホームでのんびり食べました。クロワッサン・デザマンドの写真を撮り終えてすぐ、どうも目の先がチラチラしているので目線を上げてみると、待合ブースのガラス向こうで煙草をくゆらしながら休憩していた車掌さんたちが列車に乗り込み、こちらに向かって大きなヂェスチャアを見せていました。なので、パンに向けていたカメラを車掌さんたちに向けて
b0070127_18451633.jpg
ぱちりっっ 061.gif

ガラス越しの撮影でなんだかおもしろい写真が撮れました。

フランスの国鉄駅のホームと列車の関係はバリアフリーから程遠い設計で、ほとんどの場合、ホームから車内まで、安定しているとは言えない足置きスペースが幅薄で、角度が急で、(私には)納得いかない歩幅の、体重の重い人が踏んだら壊れそうに見える踏み段を数段、重い荷物を抱えつつ乗客は昇らねばなりません。慣れるまで時間がかかりますし、荷物が重ければ重いほどよろけて転びそうになったりもします。なぜホームと列車の関係が改善されないのかは単に習慣が理由だけかもしれません。が、そんな不便な列車に乗るために乗客が互いに助け合いながら乗車するのも常です。先日はその作業をしながら誰かが「あなたがいらつくのもわかるけれど、人生は美しいんだよ」という言葉が聞こえてきて、思わず笑ってしまいました。どんなに不快な思いをしても、誰かからLa vie est belle. 人生は美しいという言葉で占められ励まされてしまうと、キャラメルを口にポンと入れたところで歯の詰め物が取れるか、口どけがよく甘さに酔いしれるかくらい後味が違う印象になるように思います。
b0070127_19571523.jpg
乗り換え列車を待っている間に、地方別の中距離特急列車(TER)が向かいのホームに入ってきました。パリから南西に向かう新幹線の汚さや古さに比して、TERの外見も内装も清潔でおしゃれなこと。なんと車椅子で乗車される方や自転車と一緒に乗車される方のためのドアまでありました。列車の乗降口も進化し始めましたね。もしかしたらTGV地中海線などの新線で使用される車両はこのような配慮がある設計なのでしょうか。
b0070127_19581621.jpg

きょうび日本國の駅は地上であろうと地下であろうと人に便利で、ホーム案内、行き先表示、時計もわかり易ければ、重い荷物を持っていても今ではほとんどの駅にエレベータもエスカレータも設置されています。誰の助けを借りずとも自分ひとりで何でもできるもん♪です。
一方、フランスは21世紀から8年を過ぎてもまだ、駅の構内表示も万全でなければ、列車の行き先表示も慣れなければ見つからないほどの表示だったりします。列車乗降口横の電光掲示板が確認する上でもっとも頼りになる表示かも(間違った表示が流れていなければ、ですけれど)。時計も止まったまま直す気配がまったくなかったりもします。ホーム間の移動に必ずしもエスカレータやエレベータがあるわけでもありません。そんな現状の中、乗客が他の乗客や駅職員に時間を尋ねたり、重たい荷物を持つ人に手を差し伸べたり、互いに励ましあい助け合う精神が残り、自分が誰かにしてもらってうれしかったことがこんな駅の不便さで即座に「仕返し」できたりなんかすると、ガイジンだと時には不安や寂しさにさいなまれる一人旅であっても、こんな不便ささえなぜか後々笑って話せたりします。逆になんでもかんでも魂も血も通っていない人工物が親切で便利すぎると生身の他人が必要なくなり、そうなってしまうと知らず知らずのうちに挨拶や粋な会話を忘れてしまい、交流が億劫になって、やがてヒトが自ら孤独になってしまうのではないでしょうか。だったら不便もたまには悪くないかもしれません。

いや、駅というテーマにおいてフランスびとにはこれが当たり前であって、私が知る日本国内の駅における便利を彼らはまったく知らなかったりしますね。だから優しいのではなくて、当たり前なのでいつかこの他者への優しさを忘れる日がフランスにも来るのかな?

le 21 septembre 2008, Matthieu
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-21 18:46 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(19)
ヂャウ・ハランバン夫人、列車に乗るなり波浪警報の巻
ヂャウ・ハランバン夫人がココんちの玄関を出たのは9月16日の午前11時ちょっと前でした。
11時28分の新幹線に乗り、正午過ぎに次の駅で降り、12時50分発のフランス極北の大都市リル Lille 行きの新幹線に乗り換えて15時20分くらいにパリはシャルル・ド・ゴール空港で下車することになっておりました。
先の8月31日に駅の窓口で買った切符を手に新幹線に乗り、新幹線が動き始め、自分の予約席に行ってみると、既に他の人♂がくつろいで座っていました。
あんのー、ここ、わたすの席だっぺ?
と、切符の座席番号を指差しつつ、そのムッシュウに見せました。すると、前方からマダムが「そこはわたくしの席ですよっ!」とムッシュウの臨席窓側のマダムに指差しながら歩いて来ました。ムッシュウはおもむろにご自分と臨席のマダムの切符を出し、座席番号を示しつつ、
私たちにここは私たちの席です。
あなたたちの券は列車番号が違うではありませんかっっ!
そう言われて、ヂャウ・ハランバン夫人は素直にたぢろぎました。ほうぼうからひそひそと「ああ、またSNCFのダブルブッキングぢゃないの?」という声が。もうひとりの被害者であるマダムが「私はどこに座ればいいのかしら!?」と声高におっしゃったところで、遠くから「ここに二席、開いておるぞぉ」と天井に向かって大きく振られた手のひらが見えました。重たい荷物をホームから列車に乗せただけで息切れしているヂャウ・ハランバン夫人は考えることもなく、その手が振られている席に足を向けました。手を振ってくださったご高齢のムッシュウの隣にヂャウ・ハランバン夫人が座り、ハランバン夫人の向かいにもう一人の席なしマダムが着席しました。ムッシュウはご自分の券を取り出し、2メダムの券に印刷されている日付、列車番号、行き先を確認してくださいました。ムッシュウとヂャウ・ハランバン夫人は次の駅で下車、もうひとりの席なしマダムは終点のパリまでの乗車でした。そんな確認をしていると前方から車掌さんがやって来ました。きょうびフランスですが、乗車前に駅構内で問う乗客自らが日付時刻のスタンプを切符に押し乗車しないとなりません(たとえ切符を持っていてもスタンプを怠ると罰金ということもあり、二人の車掌が前方と後方から確認作業に入り、不正乗客者が逃げられないようにします。ひとりの車掌さんが後方に向かうため足早に通り過ぎようとしたにも関わらず、親切にもご高齢のムッシュウが車掌さんを呼びとめ、ハランバン夫人の切符の座席番号を示しながら、夫人が本当の席に座れない旨を話しました。車掌さんは切符を手に取り、ざっと眺めると
ああ、このご夫人は次の駅で降りるから大丈夫、大丈夫
と、目を後方車両に向けつつ言い、去っていきました。ハランバン夫人はそれを聞いたところでいったい何が大丈夫なんだかさっぱりわかりませんでした。
数分後、後方からざわめきが聞こえ、ハランバン夫人の座席の前方で検閲中のもうひとりの車掌さんが後方に足早に向かいました。
b0070127_2218458.jpg
はらほろひれはれ~。後方のあちらこちらから「もう座れますよ。」「戻ってらっしゃーい」と声が聞こえ、ハランバン夫人は臨席のムッシュウにお礼を申し上げ、もうひとりの席なしマダムと一緒に本当の自分の席に戻りました。
その数メートルの道すがら、いろいろな人が「あなたがたの席に座っていた男女は18日乗車日付の切符で、しかも次のP駅からパリまでの乗車区間しか書かれていなかったそうですよ」と教えてくださいました。その日は16日ですから18日の6と8の数字を老眼で見間違えたと仮定しても、次の駅からパリまでの乗車区間なのに、ヂャウ・ハランバン夫人が乗った駅より以前にあの男女はこの新幹線に乗り込んでいたことになります。そ、それはもしかして犯罪という言葉が当てはまるのではないでしょうか。即刻退席を命じられた男女は客席スペースから後方ドア向こうのスペースに出され、次の下車駅でしょっぴかれることになってしまいました。

ヂャウ・ハランバン夫人が荷物を棚に置き、座席にどかっと腰をおろして、ふと横を見ると
b0070127_22432060.jpg
前もって切符をテーブルに置いて、車掌に「起こさないでね」と意思表示している熟睡のマダムと、「僕は眠らない」わんわんです。かわゆすぅうううう。
前後のお客さんたちは思い思いに昼食を食べ始めていました。ヂャウ・ハランバン夫人も小腹が空いたので、腕時計を見ると、なんともう10分ほどで次の停車駅到着ではありませんか。こんな波乱万丈コンサートが開催されたために席に落ち着いたところであっという間に下車しなくてはならなくなってしまいました。立ち上がって身支度を整え、隣席のマダムに「Au revoir. Bon voyage et bonne chance いつかまた。よい旅になりますように。よい機会に恵まれますように」と声をかけたら、すかさずマダムが「Vous, aussi. Au revoir. あなたもね。さようなら」とにっこり。通路向こうのわんわんは日光浴中、ヂャウ・ハランバン夫人はちょっとだけわんわんの頭を撫でて席を離れました。
b0070127_2252579.jpg



自分の席に座っていたあの男女の行方が気になりましたが、少し前読んだ小テレーズと神学生モーリスの間で交わされた往復書簡について書かれた本の一節を思い出しました。

← モーリスとテレーズ―ある愛の物語

この本の中で、いつまでも軍役時代の過ちを悔やむ神学生モーリスに小テレーズが神さまでさえ忘れたことにいつまでもくよくよするのは良くないと語りかけていたのです。ヂャウ・ハランバン夫人の旅はまだまだ先があります。数分前のこととはいえ、あのことは過去です。忘れることにしました。(でも、こうしてしっかり書いてるぢゃンかーっっ!?)

続くぅ。

le 18 septembre 2008, Nadège
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-18 23:03 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(6)
白い日、赤い日、黄金の日
まもなく半年振りに東の果て、日出づる國に向かいます。
母のせいだか、おかげだか、今年は二度も里帰りすることになりました。

母の足腰が弱って、それまで二階の寝室に寝ていたのに、一階のリビングに介護用ベッドを入れ、母はそこで寝起きし、やがて寝たきりになってしまいました。父は添い寝はせず、二階の寝室で寝起きしていましたが、父が二階に向かう時も母がいる部屋の照明は薄明るくつけたままにして、決して消灯しませんでした。
母が今年2月24日に帰天して、私が26日夜10時過ぎに帰宅すると母はリビングで両肩に重たいドライアイスを抱えてカチコチになって横になっていました。脳を検体したことで、頭にはガーゼが巻かれ、更にりんごを保護するようなネットをかぶされていました。なんでも家を出るまでお線香を絶やしてはいけないそうで、渦巻状のお香が焚かれていました。その時も父から母が横たわっている部屋の電気を決して消さないでくれ、と言われました。翌々日、母は骨壷に入って実家に戻り、棺に入れられて家を出るまでと同じ部屋にしつらえられた仮仏壇にちょこんと置かれました。日が暮れて、各自が寝室に戻る時間になったら父が母の骨壷が置かれている部屋の電気を消さないでくれ、と言ってきました。3月の終わり、私が実家を出る日までそれは守られ、私がまもなく帰宅してもそれは守られていて、納骨の日まで守られるでしょう。でも、母の骨壷がお墓の下に収められたら、もう夜間に電気をつけておくことがなくなってしまいます。浄土宗では仏壇の中央に掛け軸のようなものをかけるそうですが、納骨の時、そのかけじくも持参して入魂(?)もしていただくそうです。(お盆にちょうちんをお墓に持って行き、お墓の前で火をいれて持ち帰るようなものでしょうか?)

納骨をしてしまうと、母が本当に実家から離れてしまうような気がして気持複雑だったりします。納骨の日まで、身体の自由が母の思うようにならなくても、おそらく母の健全な心は毎晩、一階でひとりぽっちになってしまっても薄明るい光が点っていたから、娘(=私のこと)が子供の時のように真っ暗が怖くて泣いたりせずにいられることを父に感謝していたかもしれません。ふと、日没後のお墓は真っ暗で母が寂しい思いをしないかな、と心配になったりします。日中は、母の葬儀でお経をあげてくださったお坊さまや他のお坊さまが入れ替わり立ち代り墓地のお掃除をしているそうです。お坊さまはハンサムな青年でしたから、お昼間は母も母なりに楽しめるでしょうけれど。(ああ、なんだか「もーれつア太郎」ちっくな話だ)

母の死から約一ヶ月、私は実家にいたものの、再び10000kmも離れた住まいに戻ってしまったこともあり、動かない母も、骨になった母もしっかりと自分の目で見たのに、ふとまだこの大地をつたって行けばどこかで母が元気にしているのでは?と思ったり、わがままなもので実家を出て10年近くなるのに母の味が恋しくなってどうしても食べたくなったりしまうけれど、母から料理を習ったこともないのでそれは叶いません。母はどこにいるのかなあ?ココんちの近所の神父さまは母は既に天国にいて光のように輝いているんだ、と慰めてくださいました。母校のシスターは私の母が10年近く闘病し、晩年は寝たきりでこの世で既に煉獄を知ったからもう天国ですよ、とおっしゃいます。でも、娘の私は母のわがままや毒っ気な部分を知らなくもないので、今もまだ母が煉獄にいるのではないかと疑ったりしてしまいます。煉獄滞在中の魂は祈れないそうだから、祈りを配達しないといけませんね。

で、これ(↓)、ご存知ですか? 江戸の下町の耶蘇教会の聖堂出入り口で見つけました。
b0070127_3582654.jpg
う よ し ま り 祈 に 為 の 魂 霊 の 獄 煉

と書いてあり、額の下方の右側のポケットに数字が書かれた玉がたくさん入っており、無意識にひとつひき、番号を確認して、額に書かれている意向を読んでひと祈りを捧げ、玉は左側の箱の穴の中に戻します。ちょっと寄って見ましょう。
b0070127_4111883.jpg

どうやら煉獄の魂のために祈る意向は80種類あるようです。日本語の表現からして昭和20年代のものでしょうか。玄関先なのでつい引いてみたくなっちゃうし、煉獄滞在中の魂も知らない人からの祈りの花束を喜んでいることでしょうね。
b0070127_4113350.jpg


母は今どこかなあ?

どうもまだ不安。私のこんな複雑な思いに安らぎを与えてくださったのは9月12日から15日までフランスに滞在された教皇さまの説教でした。「聖母に向き合い、聖母を愛しましょう。聖母は私達みんなの母なのですから」と。それが本当なら聖母は私の母の母でもありながら、私の母でもあります。この世で母を見つけられなくなってしまった私も母である聖母に甘えて愚痴れるのかもしれません。私の母は母で、天国で既に聖母といつも一緒なら幸せでしょう。教皇さまに慰められました。畏れ多いことです。

13日のパリ・アンヴァリッドのごミサでは白の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040858&vl=video_nouveautes
14日、ルルドのごミサは赤の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040861&vl=video_nouveautes
15日のルルドのごミサは金色の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040884&vl=video_a_la_une

でした。どのごミサも説教で感動し、泣けました。
この4日間で私も「みんなのお父さん」B16をますます好きになりました。

以下がフランス滞在中の教皇さまの関連ビデオ一覧です。だうぞ。
http://www.ktotv.com//cms/pape_france
13日夜ルルドでの 光の聖母行列 ←クリック! や14日午後の 聖体顕示式 ←クリック! もぜひ。超ウルトラ感動。
щ(゚Д゚)щ 香炉が4つだよーん。
ではでは、あとでね。
 
le 16 septembre 2008, Edith
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-16 04:43 | 『?』なたわ言 | Comments(31)
800という数字。
先ほど、午後1時10分頃でしたか。ルルド・タルブ空港から教皇さまがお乗りあそばしたエールフランス機がローマに向けて飛び立ちました。空の全ての道もローマにつづくんだな。

この4日間、教皇さまは多羅尾伴内のようでありました。サルコぢの前では国家元首、コレーヂュ・ベルナルダンでは神学者、聖堂においては司祭であり、ユダヤんやミュヂュルマンコミュニティではカトリック代表者、司教会議ではまるで大企業の代表取締役社長のようでありました。B16が凄いのは、この役割を完璧に分けていたことではないでしょうか。サルコぢの前でも、ミサの祭壇でも誰にでもわかるお話をしました。ごミサでは誰もができる善行を勧めました。が、コレーヂュ・ベルナルダンではちょっと難しい話をしました。ですから、全国紙おル・フィガロさまに
Au collège des Bernardins, la leçon du professeur Ratzinger
コレーヂュ・ベルナルダンでのラッツィンガー教授の授業
なんて見出しで記事が掲載されてしまいました。しかも、出だしが
Et soudain, le professeur…
と、突然、教授が・・・・・
爆笑です。突然、教授が来臨だか降臨してしまったようです。
ちなみに教授の講義はこんな感じでした。ぜひ。
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040852&vl=video_nouveautes

コレーヂュ・ベルナルダンでの講義は世の中平和な反応で済みましたが、昨日14日午後、ルルドで行われたフランス司教団会議での会議内容は直後からナマ討論番組やニュウスで話題騒然となりました。会議に入る前の会議場の様子と教皇さまの開会にあたっての演説は以下のとおりです。
http://www2.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040869&vl=video_nouveautes

こうして画面を眺めますと、株式総会、いえ、代表取締役会議のようです。取締役数が異様ですけれど。夕方5時以降、会議場の外にいる世俗っちゅうか世俗が見るナマ討論番組やらニュウスで会議内容をヒステリックに語り始め、その余波は翌日にも残っています。なーにが世俗の民には波乱かっちゅうと、我らが教皇さまが
1.司祭の結婚を認めない。今もいつも世々に至るまで。
2.離婚、再婚者の聖体拝領はいかん!
3.若者を育て続けること。召命、召命、召命。
と司教さまがたにおっしゃり、特に離婚なんて問題のためには結婚準備の要理をしっかり教えること、そして召命のためにも幼児期、青少年期の要理教育を丁寧にしっかり教えるようにと結論づけたのでした(お見事ロジック)。これ、フランスの左傾カトリック(1968派など)の主張は司祭の結婚を認めないから司祭数が減少しているのであり、離婚を認めないから信者が教会離れをするのだ、です。さーてさて、ニワトリ卵の世界に突入でしょうか。

私もかつてフランスで結婚準備講座に参加したことがありますが、真面目な話、途中で教会婚を諦めるフランスの男女はかなりおります。で、問題なのは、フランスの場合、教区によって秘跡準備についての甘さ厳しさがまちまちであることです。つまり司教によって考えがマチマチ。同じカトリックだろうに月とスッポンくらい違います。が、スペインやポルトガルは国内中央集権が徹底していると言うか、堅信を受けていない子供オトナの婚姻はまったく受け付けないようでござんす。フランスは一方が洗礼を受けていれば教会婚を喜んで受け付けるし、離婚者の聖体拝領もモニョモニョ だったりします(詳細はココには書きませんが、離婚より「離婚後の同棲」が問題ということだけ臭わせておきませう)。昨晩19時半からのFrance 3の全国ニュウスで女性プレゼンテーターがGap教区の司教さまに向かって「離婚したらEx-communier なんですね!?」と詰め寄って、双方の声がかぶさってとんでもない生放送が流れてもしまったけれど、司教さまが「Ex-communier は語弊がある」とおっしゃろうとしたことを彼女がさえぎろうとしたから司教さまも剥きになった・・・としか思えん。あれぢゃ、女性の印象操作になりかねんもの。まあ、当事者は噂に流されず、自分のことなんだから、自分で教会に行って確認すりゃあ良いことです。なにもフランス・カトリックに限ったことではないでしょう。

で、今回の教皇B16来仏で聖俗共に、もしかしたらB16ご自身がヴぃっくりだったことは若者たちがどこでも大漁で、教皇さまを熱烈歓迎し、要所要所でボランティアにも励んだことだったようです。この四日間、B16が繰り返し、口酸っぱく「N'ayez pas peur 恐れるな、懼れるな」と世俗に語り続けたことはちょっとした流行語になっているし、ミサの説教だけでなく若者達、病者方にB16はただただ「聖母は私達みんなの母だから愛そう」、「おそれず神を見、召命を聞こう」と繰り返したことも印象的でした。

そのせいか、昨晩20時からのTF1 ニュウスでこんな話題が取り上げられました。
Qui sont les nouveaux séminaristes ?
新しい神学生は誰?
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,4087939,00-qui-sont-les-nouveaux-seminaristes-.html
プレゼンテーターであるクレール・シャザル Claire Chazal が「年々、フランスでの召命 vocation は減っており、危機的状況にありますが」という出だしで始まりますが、ビデオに映っているのはパリ司教区の神学院のようです。最初に登場の方は2年後に叙階予定で、ご自分で「お金をたくさん稼いでいた」と豪語できるほどの学歴と社会経験があったのにこの道を選んだそうです。次に登場の方も御年27歳で、複数の学歴証明書を持っているのにこの道に進んでしまった。「奇跡です」なんて笑いながらおっしゃってますが。フランス国内で教区司祭になるためには7年の修学が基本であり、志願者の30%が世俗に戻り7割が叙階の秘跡の日を迎えられるとのこと(9/16 訂正 m(_ _)m)。で、で、で、現在、フランス国内の神学生の数は

800人

Σ( ̄△ ̄; ハッ、はっぴゃくにーん?
この数字を聞くなり、私の顎はあんぐりかーんだったンですけれど、国内に800人もの神学生がいていったいどこがどういうクリーズ crise、すなわち 危機的状況 なんでしか?800人中の7割だとしても560人でっせっせ?

そ、それって、23枢機卿さま、贅沢な悩みなんぢゃござんせんかい?

800という数字は多いの?それとも少ないの?¢( ・_・) ハテ? わからなくなってきたぞ。

・・・・クレール・シャザルが「危機」と言っても、私には恵まれた数字に思えますが。 
ちなみにフランスでは1968年の学生革命後、幼児洗礼者は激減しましたが、B16世代になって成人洗礼者数が年々上昇しているそうです。そして、なぜか60歳より年長の司祭は私服を好み、近年叙階された司祭はローマンカラーまたはスータンを喜んで着用するという保守回帰傾向にあります。この4日間で教皇さまのおっかけを続けた欧州中の青少年層をおフランスでは彼らをB16世代と呼ぶらしいです。そしてかつてJPIIがブイブイだった頃の青少年層(30台中心)をJPII世代と位置づけるそう。JPII世代はエレキぎんぎんミサ世代ですね。両手を天にあげてゆーらゆらしながらエンマニュエル聖歌とか唄っちゃうの。どうも彼らはB16の地味なミサにはモニョモニョらしいです。JPIIは所作が役者さんのように格好よかったけれど、B16は確かに地味。それでも、説教がまじめに心を打ちます。感涙。

こちら(↓)は野外ミサ直前に告解にあずかるヒト呼んで「B16っ子」ですにゃ。かわゆす。
b0070127_22182391.jpg
Une fidèle se confesse avant la messe célébrée par le pape, dimanche 14 septembre à Lourdes (Photo Ciric)

le 15 septembre 2008, Roland
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-15 22:21 | 『?』なKTOりっくん | Comments(8)
曲 が っ た 眼 鏡 。
きょうの朝は
Le Pape prend l'Air France!
教皇さまはエールフランスで帰るのよ!
という声で寝惚け眼がすっきりしました。毎週月-土曜日放映される地上波唯一の情報番組テレマタン Télématin で8時手前のこと、この番組の中の一枠、フランスの大人が朝一番に注意深く聞き耳立てる 4 vérités (キャトル・ヴェリテ、=四つの真実)の司会者フランソワアズ・ダボルド Françoise Laborde が番組の最後で笑いながら大声で楽しそうに繰り返したのです。 今朝のトップから二番目のニュウスはアリタリアの経営破たんと労働組合運動の話題でもあったのでフランソワアズはそれに引っ掛けたに過ぎないと思いますが。そこはかとなく彼女がうれしそうなのが気になりました。なぜうれしい?

さて、きょうは教皇ブノワセーズ(benoît XVI, 略してB16)聖下の共和国滞在最終日です。午前9お昼過ぎ、エールフランスで ローマに戻られるそう。共和国のド田舎に住むわたくしは地上波テレビとネットTV局KTO でおそれおおくもかしこくも教皇さまヲッチン♪ を楽しませていただきました。画面から教皇さまをお見上げ申し上げるたびに気になりましたのが、教皇さまの眼鏡です。おん齢81歳になられます(ここで深礼)教皇さまは万年眼鏡ではありません。フランスのガキっ子が「Le pape est bizarre 教皇さまって変」とつぶやくのも、Papy (パピィ、=おぢいちゃま)にしか見えない教皇さまが眼鏡さえもムッシュウ・ル・セレモニエール(le cérémoniaire, =ミサごたえ)さんにかけていただいているからなんでしょうね。「ひとりでできないもん」...だったらミサごたえさんは上手にかけてさしあげてよ、と思うのが自然ですけれど、この金土日の3日間、100%、教皇さまの眼鏡は曲がってかけられているのです。私達から向かって教皇さまの眼鏡の鉤は右耳には美しく引っかかっているのに、いつも左側は3cmくらい耳から浮き上がりこめかみのちょっと下くらいに眼鏡の鉤の曲がりが見えるほどです。どうもヴィヂュアル的に誰もが気づいているのか、証拠写真が限りなく少ないですが、こちら(↓)、パリはアンヴァリッドでのごミサのお写真。わかるかなあ。
b0070127_16512582.jpg
Benoît XVI pendant la messe aux Invalides
Photo par Michel Euler@AP

これまでB16の「おしゃれ疑惑」を数限りなく見聞してはおりましたが、どうもB16は教会と教皇職に関する生活文化全般を大切になさっても、おん身の回りには限りなく質素であらしゃると思われ。なんか、私、
反省の改心で回心なのだ。
そして、9月15日午前、ルルドでの病者のためのミサにおかれましては、なんと、教皇さまはご自分で眼鏡をかけられたのでした。

le 15 septembre 2008, Notre Dame des Douleurs

[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-15 18:10 | Vive le pape! | Comments(0)
先の国母陛下の 『御身バレ』
右や左の旦那さま、ちょ、ちょっとスッキャンダールよ、奥さーん!(^_^)

前国母陛下ベルナデット・シラク Bernadette Chirac 女史ですが、なんと実は


コレ ↓  だったあっっ!!!
b0070127_16165881.jpg
女マルタの騎士 おんなマルタのきし

Bernadette Chirac vêtue d'une cape de l'Ordre de Malte, assiste à la messe à Lourdes, le 14 septembre 2008. Photo par Alberto Pizzoli, pool@AP
щ(゚Д゚)щ かっこよすぎ~ щ(゚Д゚)щ

b0070127_1619401.gifこ、これから畏れ多くも畏くも 

私の 姐さん
 

と呼ばせてくだせい。 まこ
本当にココでは今後、女史を ベルナデ姐さん べるなであねさん と呼ぶことにするよ。ヾ(`◇´)

それにしても ベルナデ姐さん、世俗ぢゃシアンス・ポ出だし、聖域ぢゃ女マルタの騎士って天下無敵ぢゃんか。武器はロザリオだもんよ。まぢ、旦那より格好良過ぎ。セーヌ河畔に住む共和国の星、略して「ラ・セーヌの星」だ。(違っ



王妃の妹にシモーヌ Simone という名前が付くかあ・・・?(突っ込みどころ満載だったりする

le 15 septembre 2008, Roland
[PR]
by ma_cocotte | 2008-09-15 16:42 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(6)