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そうは問屋が卸さなかったカレンダー
冬時間となって4日目、突然、寒くなりました。
昨晩の天気予報でココんちあたりの最低気温が0度と発表されたので、きょうは午前中に庭の水道の元栓を締めました。これでもう来年の春まで外の水道は冬眠です。
とは言え、フランスという国はこれからが苗木の植え時だったりします。農業国フランスには独自のフランスの風土に合わせた農事暦が昔から存在し、その暦の語録によりますと毎年11月25日、アレクサンドリアの聖カタリナのお祝い日に苗木を植えれば根が必ず張り、枝を剪定すれば春には豊かに新芽を吹くのだそう。なのに、外の水道を止めてしまっては水も撒けないとココ新天地引越し当初心配もしましたが、なんの、なんの。冬時間にもなると、ココんちあたりは毎朝、芝生がグレーに見えるほど露が張り、午前中はその露が大地に滲みこんでいくのですね。だから大地に水を人が与えなくても苗木は枯れることがないのでした。

フランスの暦ですが基本は西暦(グレゴリオ暦)で、その全日に聖人の名前が冠されており、現在も自分の名前と暦の聖人名がビンゴの日はお祝いする習慣が残っています。天気予報でその日の聖人名を読み上げて「おめでとう」と締めくくられるのは毎日のことですが、街中に出るとたいていのお花屋さんには当日の聖人名が店先に掲載されており、なぜかカフェやレストランにも掲載されていたりしますが、あれはランチの際に仲間がご馳走でもするのでしょうか。きょうびインターネットでエレクトリック・カードなんてものを送れますが、一昔前までは天気予報で当日の聖人名を聞くなり飛び跳ねて同じ名前の友人あてに電話したり、ファックスしたりという様子も垣間見れたものでした。

ところで、フランスの歴史においてもうひとつ暦が存在します。その暦はフランス革命暦 Le calendrier révolutionnaire français 、またの名称を共和暦 Le calendrier républicain と言い、長いフランス史の中でたった8年、大革命直後の1793年からナポレオンの独裁が始まった1805年まで使用されました。この暦、フランス国内のみで使われましたが、とてつもなく個性的で、他国どころか隣国の暦とも相容れないほどです。そんな暦が生み出されたのも、革命政府が天敵カトリック教会を憎んで抹消したいがために、キリスト生誕に起源を置く西暦を根こそぎ払拭して、共和国政府成立と共におニュウな暦を共和国民に押し付けたのでした。

この暦、いちおう四季がありますが、一年の始まりは西暦でいうところの9月22日だそうです。日本國で言うならお彼岸でスカイ?ちなみに共和暦の月はこんな感じ。
【秋】 Mois d'automne
 ヴァンデミエール Vendémiaire (葡萄月、9月22日~10月21日)
 ブリュメール Brumaire (霧月、10月22日~11月20日)
 フリメール Frimaire (霜月、11月21日~12月20日)

【冬】 Mois d'hiver
 ニヴォズ Nivôse (雪月、12月21日~1月19日)
 プリュヴィオーズ Pluviôse (雨月、1月20日~2月18日)
 ヴァントーズ Ventôse (風月、2月19日~3月20日)

【春】 Mois du printemps
 ヂェルミナル Germinal (芽月、3月21日~4月19日)
 フロレアル Floréal (花月、4月20日~5月19日)
 プレリアル Prairial (牧草月、5月20日~6月18日)

【夏】 Mois d'été
 メッシドール Messidor (収穫月、6月19日~7月18日)
 テルミドール Thermidor (熱月、7月19日~8月17日)
 フリュクティドール Fructidor (果実月、8月18日~9月16日)
¢( ・_・) アレ? 9月17日から新年9月21日までが空白になりますが、これは各月を平等に30日としたため、残りの5日(革命政府が指定した閏年は6日)をおヴァカンス、その名もサン・キュロットの休日 Les Sans-Culottides にしたのですね。サン・キュロットなんてうっかりSaint Culotte (=聖パンツ)なんて筆記してしまいそうですが(実際にはculotte を用いるなら、Sainte culotteになるのでサント・キュロットとしか発音できません)、日本語表記とは異なるSans Culottides と書くならば革命当時、キュロティイドを履けなかった「市民階級」を指します。つまりこの五日間は「市民の休日」ということですね。

こうして各月名を眺めますと、季節ごとに各月の語尾が共通の韻を踏むという文学的美も感じられますが、政府が詩人に命名を依頼したのだそうです。日本語に訳された各月名の語幹は夏以外はなるほど、フランス国土の横割りより上の風土にあてはまるかと思います。

で、忘れちゃいけない一週間は7日。これは旧約聖書に基づいていますから、革命政府にしてみれば払拭し、共和国民には神なんかが決めた一週間は7日制をすっぱり忘れ去ってもらわねばなりません。革命政府はなぜか10日に一度休日を迎える、つまり月に3度の休養日とし、現在復活している365日にあてがわれた聖人名のかわりに農作物、5曜日(5、15、25日)に家畜、10曜日(10、20、30日)に農機具の名前をあてがったのでした。ご苦労なこってす。でも、ヒトの身体も神が創ったものですから、どうもそのヒトが作ったこの一週間10日制にヒトの身体が追いつかないことでこの暦が廃れる原因になったそうです。エンッシャッラー。 

結局、ナポレオンが皇帝となって2年後の1806年1月1日(共和暦では14年雪月11日)、このヒトが作った暦は廃止されて西暦(グレゴリオ暦)が復活。更にはナポレオンがカトリック教会と和解したことで、365日聖人暦もフランスの暦に復活してしまい、毎日どこかの家で祝杯があげられるように再びなったのでありました。仏蘭西びとは現在も単にこれ、何かにかこつけて祝杯をあげるのが好きなだけだったりしますが。

敵を怨むということはここまでの発想を生み出すものなのですね。周りが付いていけるか、それが問題なんでしょうけれど。戻ってしまって、どーもすみません。

le 30 octobre 2008, Bienvenue  イラッシャイ」ってどんなヒト?
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by ma_cocotte | 2008-10-30 05:33 | 『秋』 Rien de special | Comments(8)
時計の針を一時間戻して、秋休みの始まり。
きょうの日曜日、真夜中の二時だったか時計の針が1時間逆戻りして、今年の冬時間が始まりました。そして、お子たちの万聖節休暇 les vacances de la Toussaint も始まりました。これから11月6日まで日中のテレビ番組は未成年者向け番組ばかり流れるようになります。ε= (´∞` ) bof。

この休暇中のメインエヴェントと言えば、墓参 です。日本で彼岸と盆に墓参し、ご先祖方の霊を思い起こすように、フランスでは年に一度、日本のそれと似たようなことを人々が行います。何が似てるって墓参のために菊の花(正確には菊の鉢)をお墓に手向けることですね。数日前からどこのお花屋さんにも大手スーパーマルシェにも菊鉢のコーナーが設けられ、どこの墓地の入口にも移動菊鉢売店が現れ始めました。
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↑ 2008年10月26日お昼過ぎのココんち近くですけれど、既に菊だらけ ↑


先日のニュウスで流れていましたが、近年、共和国民の多くが自称・無宗教であっても葬儀においては今も8割が教会に葬儀を頼んでおり、そんなこともあってか今も国定祭日である11月1日と2日両日に共和国内のどこの教会でもあげられる諸聖人のミサ(11月1日)、死者のためのミサ(11月2日)にも、普通の日曜日には顔を出さない人も現れたり、囚人のようにぢっつぁまばっつぁまに首根っこを引っ張られてやってくるお子ちゃまもいたりするのです(彼らのムっとしたり、観念している顔を見るのも面白かったりします)。

毎年、11月1日のミサで朗読される福音はマテオ5章の1-12節、すなわち真福八端ですが、日本語訳だと曖昧になってしまいますが、仏蘭西語だと決まった韻を踏んだ文章になっており、これを抹香の煙が天に昇る自然光の中で朗唱の形で拝聴すると、自分までその場で天国に昇ってしまうかのような錯覚にとらわれたりするもんです。
Les Béatitudes (Matthieu 5, 1-12)

Heureux les pauvres en esprit,
car le Royaume des Cieux est à eux.

Heureux les doux,
car ils recevront la terre en héritage.

Heureux les affligés,
car ils seront consolés.

Heureux les affamés et assoiffés de la justice,
car ils seront rassasiés.

Heureux les miséricordieux,
car ils obtiendront miséricorde.

Heureux les cœurs purs,
car ils verront Dieu.

Heureux les artisans de paix,
car ils seront appelés fils de Dieu.

Heureux les persécutés pour la justice,
car le Royaume des Cieux est à eux.

Heureux êtes-vous si l’on vous insulte, si l’on vous persécute et si l’on vous calomnie de toutes manières à cause de moi.

Soyez dans la joie et l’allégresse, car votre récompense sera grande dans les cieux.
この休暇を前に巷で目立つのは、11月内の2国定祭日(1日の万聖節と11日の第一次世界大戦終戦記念日)に店を開店営業するという告知のポスターです。先の大統領シラク氏時代は共和国民が平等に休むのが国定祭日と主日でしたが、サルコぢ一世の御世になって、この伝統破壊をサルコぢ自ら勧めるようになりまして、このサルコぢの決断が果たして賢帝ゆえか、愚帝ゆえかは共和国内でも評価が分かれるところであります。帝王サルコぢサマの言い分ではこうすることで共和国民の購買意欲が増すそうですが、サルコぢサマが権力を振るいまくる共和国に滞在させていただいている一ガイジンとしましては日祭日に店舗を開店するより、はねあがった物価を修正していただいた方がウィークデイでも臣民は久しぶりに勇気を出してカフェに寄ったり、たまにはパン屋で贅沢にもパンを買ってみようかという気にもなれるンですが。はい、愚寄生民の愚論に過ぎませんけれど。

le 26 octobre 2008, Dimitri

余談ですけれど、les vacances de la Toussaint という表現、面白いと思いませんか。
Toussaint という語は「万聖」になるので Tous + saint なのに saint が複数形になっていませんし、tous も saint も男性形なのに、なぜか冠詞が la という女性形です。仏蘭西語はこれだから某国の都知事閣下に数字のことだけでもいちゃもんつけられちゃったのかもしれませんね。
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by ma_cocotte | 2008-10-26 17:15 | 『秋』 Rien de special | Comments(25)
マ・スール、のどから手を出してもよろしいでしょうか。
その名も
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Ma sœur Hello Kitty


「マスールハローキティ」 ざますよ。
この10月25日、26日開催される白百合女子大学の学園祭で1000体限定で販売されます。800円(税込)。http://www.shirayuri.ac.jp/tagblocks/information/news/graduatenews/0000000805.html

新聞報道によりますと、考案者であるリスブランの大学4年生が白百合の母体であるシャルトル聖パウロ修道女会の制服サンプルを縫い、サンリオ本社に持参し商品化を直談判しましたが、担当者サマから「もう少し華やかなデザインにできませんか」と問われたそうです。修道女に華やかさを求められましても、それはかつてのオードリー・ヘプバーンの修道女姿のみで普通、修道女には「清楚」が求められますけれど、このマスールキティちゃんの装束におかれましてはスカート部分の丁寧な縫製にこだわりがござるのだそうです。そして、更に担当者さんから「リボンがなければキティちゃんでわない」と忠告をいただき、なぜかマ・スールのベールには共布のリボンが添えてあります。そんなわけで、その方面の通が見ますと
奉献しきれてない修道女 でございますわねぇ。
だめでしょっ、私物を持ちこんぢゃっっ ヽ(`Д´)ノ

私物に未練があるとなると、ノヴィスキティちゃんなんてどうでしょうね。
・・・なんて思い始めちゃうと、カルメルキティちゃんはどうよ、ドミニコキティちゃんもかわいいよ、きっと、と妄想が止まらなくなってしまうのでありました。

既にエイメリカには世界各地の修道女会の制服をお召しのサンダーバードのペネロープ姐にウリフタ人形が販売されていたりもします。カタログはこちら。http://www.blessings-catalog.com/
しっかし、エイメリカという国はこういう人形が売れる国なのですね・・・。

le 25 octobre 2008, Crépin
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by ma_cocotte | 2008-10-25 03:58 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(4)
«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
『死、それは人生で最も美しい日です。』
10月20日に帰天したスール・エンマニュエル Sœur Emmanuelle が生前、常々口にしていた言葉だそうです。
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Photo Ouzounoff/Ciric

99年と11ヶ月というスールの人生におかれましては喜怒哀楽はもちろん、悲喜こもごもの出来事が多々お身近にあったかと思いますが、どんなにうれしくても、どんなに楽しくても、スールにとってはその嬉楽に感謝しながらもご自分が天に呼ばれる瞬間こそが最も美しく、喜び溢れ、その思いはその瞬間の一度しか味わえないものであるという確信があったのですね。そう思えるなんて、
凄いなあ、マ・スール。
私は人生のターニングポイントを過ぎた今も尚、死が怖いです。恐怖です。自分の死の瞬間を想像すると、この世への未練で「死にたくない」と醜くもがくに違いないとわかっています。私の母は看護士さんが見つけた時には既に息を引き取っており、母が果たしてもがき苦しんだのか、眠るように亡くなったのかも誰も知りません。できれば後者であって欲しいと思います。なぜなら元気だった頃の母がそう願っていたから。が、死ばかりは死ぬ本人にしかわからない何かがあり、それが何なのかは自分が死ぬ時が来ないとわかりません。死こそ我が神秘よ、輝く光なら、ま、いっか?

スールは生前から
«La mort est une très grande bénédiction.»
死はとてつもなく大きな天からの恵みです。
ともおっしゃっていたそうです。だからでしょうか。スールは日曜日から月曜日にかけて、すーっと旅立ってしまわれました。死そのものがプレゼントだとするなら、子供がお誕生日プレゼントの箱に駆け寄るように、スールの魂も身体から抜けて天に向かっていったのかもしれません。

冒頭の«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»はスールが奉献生活を送られたシオンの聖母修道女会の創立者であるテオドル・ラティスボンヌ Théodore Ratisbonne 師(カトリックに改宗したユダヤ人)が残した言葉の一部だそうです。全文はこう。
“La mort, mes sœurs, c’est le plus beau jour de la vie parce que, enfin, nous allons voir Celui que nous avons tant aimé. Nous allons être face à face avec Lui...” C’est merveilleux ; ça, c’est la porte qui s’ouvre tout à coup. Seulement, avant, il y a cette terrible agonie qui me fait trembler. Mais avec l’aide de la Sainte Vierge, je l’accepterai...
なんだ、神父さまがおっしゃりたいことは決して死を快楽的に美化した話ではありません。死の瞬間、震えるほどの断末魔があるけれど、聖母がそこから助けてくださる、だから私は死を受け入れる・・・・んだと神父さまはおっしゃっております。死の瞬間、自分の目の前で天国の門が突然開かれるのだそうだ。本当かなあ。開いたところでよくて煉獄Uターンですからね、わたくしは。・・・・なんて思いついちゃうから、死の瞬間に私がもがくのは確定であります。だーめだ、こりゃ。いつになったら悟れるんだか。

le 24 octobre 2008, Florentin

来月16日に100歳のお誕生日を迎えることになっていたスールは、その日にサルコぢ閣下にお目にかかることにもなっていたらしい。このお誕生日を目前に控え、多くのマスメディアがスールとのインタビュウを既に行っておりました。Lisez-les.
parismatch.com : Sœur Emmanuelle : sa dernière interview à Paris Match
Le Figaro : «La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
そうだ、スール・エンマニュエルの告白録が10月23日に発売されまして、ちょっとフランスの世の中で中騒ぎ中です。
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LES CONFESSIONS D'UNE RELIGIEUSE

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by ma_cocotte | 2008-10-24 03:05 | 『?』なKTOりっくん | Comments(10)
『75歳』と決めたのは誰なのか。
母のことがなければまずこの時季に帰国することはありませんでした。偶然とは言え、この時期に帰国したことで、麻生新総裁、首相誕生までの経緯を眺めることができました。

生まれたてほやほやの首相に解散総選挙を迫る会議場の様子というのは久しぶりに傍観する私には異様そのもので、こんなことをやらかせるのも日本國だからなんだろうなあ、と思ってしまいました。状況判断もしなければ、ロジックをつなげてから発言するという術も知らずに、自己だか自分が所属する団体を中心に放射状に要求を他者に強いるというのは、フランスだと或るイデオロギーにがんじがらめになった自分で事象を考えられなくなった人がすることであって、考える自由を与えられた人がまず行いません。日本の場合、きょうび驚くべきことは国会内で行われるような討論が普通のテレビ番組に招かれた国会議員と国会で発言権のない「識者」という箔がついた単なる有名人を交えて行われることですね。そりゃ、名も無い一般ピーポーにしてみれば有名人が自分の思いを代弁し、国会議員のハツをちくちくしていることに快感も得られるでありましょう。が、普通、テレビやラジオにおける暗黙の掟には「発言者の声がダブらない」というものがありますが、どうもこの手の番組を見ていると与党議員の発言中にその発言をまったく聞かずに自分の思いを大声で「ボヤく」方々がおり、そのボヤきが視聴者各自が持つ悪心をかきたて同意させるような魔を秘めているのです。もちろんこの魔術を持つ美容整形オバ、いや、野党議員の方々は国会議場でも同様で、答弁中も自分の席から隅々まで届くような声でボヤき続けています。言っちゃなんだが、他人の言うことに聞く耳を持たずに自分の主張ばかりする成人の意見に同意できますか?こういう自己欲求表現って乳飲み児ですから、乳首をくわえさせるしか黙らせる方法がないのでしょうか?フランスだと公衆で泣き喚き始めた乳飲み児の口に親が自らの指をくわえさせて黙らせたりしますがね。こういうマナーのない議員を黙らせることができるのは同じ党にいる「コンパトリオット的親兄姉」だろうし、それができないなら「親も親なら子も子」と他人に失笑されてもしかたないですね。

里帰りの一ヶ月中、気になったことのひとつに「後期高齢者医療制度の見直し」というものがあります。75歳を区切りに高齢者の立場を二分する制度です。偶然にも私の父が今年12月に75歳を迎えることで、この問題の真っ只中に父がいたりします。私が帰国したのは9月の彼岸の入り頃でしたが、父が私に今月末に期限がくるのに、それ以降の健康保険証が(自分がかつて勤務した)会社から届かないこと、更に12月に父が75歳になるからもう今月で打ち切られているのか、という不安も話してきました。たった3か月だとしてもそういう打ち切りは私にはひどい話に思えました。結局、10月に入って数日後に10月1日から12月の、父が75歳を迎える誕生日の前日までが期限の健康保険証が会社の健保組合から郵送されてきました。数日の遅れなんてヒトによっては些細なことかもしれませんが、ヒトによっては心臓が搾れるほどの不安材料だったりするのですよ。

75歳まで生きた日本國民は、75歳の誕生日を迎えると同時に国民健康保険に登録し、登録条件によっては年金から健康保険料が天引きされるようになっているそうです。この手続きが市町村によってはうまく行われずに二重請求された高齢者も既にいるようです。

今回の滞在中に、もうひとつ気になった父の発言がありました。それは年金のひとつが75歳をもって振り込まれなくなることでした。父がぼそっと「まあ、75歳まで生きたのだから満額もらえたということだよね」と私につぶやいたンですが、つまり75歳以前に死んでしまったら満額もらえなかったのだから自分はよしとしよう、という父なりの父自身の心への慰め文句でもあるのかもしれません。が、この現実は高齢者の父なりに「頼りにしていたもの」が減額されるのですから、ポジティヴに父本人が考えなければ限りなく受給者に不安を与える材料であったりもします。

他にも今回の滞在中、私は高齢者の緩やかに進行する病気についての入院が「限度40日」であることもあらためて知りました。一方で、研修医が派遣される病院について研修医が自由に選べる制度が作られたことで医師も研修医も集まり難い病院が閉鎖に追い込まれていることも知りました。このままで日本國は大丈夫なんですかねぇ。それぞれの欲求を満たすことが最優先されたら、世の中の流れはなくて、ひとりひとりの存在が炭酸水の泡になってしまうことになぜ日本政府が気づかないのか不思議です。水は流れるから浄水であれるのであって、よどんだ水はにごるばかりなのにね。

誰が『75歳を境に75歳未満は前期高齢者、75歳以上は後期高齢者』なんて決めたのか知りません。おりしも、緒形拳氏が帰天されたことで、テレビ画面に何度か映画「楢山節考」のラストシーンが流れました。この映画の素は私たちが子供の頃に読んだ「姥捨て山」の話ですよね。きょうび日本國で年老いた男女を山に捨てるなんてことはできませんが、行動では老人を山に捨てるなんてことは法で裁かれるからできなくても、国や若いもんが精神的に、心理的に高齢者を山に放置するがごとく追い詰めていないかということです。この現状では75歳を迎えた高齢者が「長生きしすぎた。75歳前に死んでいればこんな不安を知らずに済んだ」とボヤきかねません。戦前に生まれ、戦中を生き抜いて戦後をなんとか向かえ、成人した途端に高度経済成長とやらのために家庭も顧みずに働いてきた世代にこういう不安を与える日本國政府っていったい何考えてンでしょうかね?日本国内に住む高齢者全員が国会議員になって優遇生活を送れるわけありませんし、そもそも昔の国会議員は給金ももらわずに自己の財産を削って地元民のために中央で働いたものです。

少し前、こちらでダーウィン研究を続けるドミニコ会修道士であり神学者でもある方の講演を拝聴しましたが、会場に溢れた無神論である高等教員に向かって「ヒトの先祖がオランウータンでもなくゴリラでもなくサルであると決めたのはダーウィンであって神ではない」と断言した途端、高等教員たちがひるんだあの瞬間を思い出しつつ、75歳を境に高齢者を二分するなんて決めたのは神ではなくヒトなんだ、とあらためて感じ入りました。

先日、99歳で帰天したスール・エンマニュエルについて誰が75歳から24年も長生きしたとみなすでしょうかね。こういうくだらない計算なんか、ヒトの生き様に必要あるのでしょうか。神仏信仰がないことが強者のように扱われ、命を軽んじる行為(自殺、他殺)が毎日のように報道で流れる日本國において、「75歳までに死にたい」なんて善良な国民にさえ思わせること、危険だと思います。が、こんな日本國の現状ならば、75歳までに死ねるものなら死にたいですよね、はい。

le 22 octobre 2008, Elodie
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by ma_cocotte | 2008-10-22 16:27 | 『?』な日本國 | Comments(41)
或るおばあちゃまの帰天 Sœur Emmanuel, la Sainte du Caire, nous a quitté
たった今、速報で知りました。
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Crédits photo : AFP

今朝、スール・エンマニュエル Soeur Emmanuelle が帰天したそうです。99歳。
来月16日に百回目のお誕生日を迎えることになっていました。

スール・エンマニュエルはカトリックの修道女でありながら、近年、フランス共和国内で行われる「好感もてる女性」のナンバーワン、つまり移民大国フランスにおいて宗旨や民族の枠を超えて慕われた女性でした。万民に慕われるのも、彼女が祈りに篭ってばかりいるのではなく、祈りのうちに祈りながら世界中の最も貧しい人々の中に入り、彼女ができることを実践し続けていたからです。先の共和国内で移民地区を中心に暴動が起こった時も、移民街のど真ん中に移民のための生活向上や学力向上を手伝う場をいち早く提案し設けたのもスール・エンマニュエルが主催する団体 Asmae-Association によるものでした。

修道名スール・エンマニュエル Soeur Emmanuelle の本名はマドレーヌ・サンカン Madeleine Cinquin 、1908年11月16日、フランス人の父とベルギー人の母との間にブリュッセルで生まれました。哲学と宗教学の学位を取った彼女は1931年、シオンの聖母修道女会 la congrégation de Notre-Dame de Sion に入会。しばらく後にヨーロッパを離れ、地中海沿岸諸国に宣教女として派遣されました。トルコ、チュニジア、エジプトをまわり、1971年、彼女が63歳の時、カイロ近郊の町に学校、孤児施設と、イスラームとユダヤ人と共に無料診療所を創立しました。1980年には団体アスマエ、正式名称 l'association Asmae-association Soeur Emmanuelle を創立。エジプト、スーダン、レバノン、フィリピン、インド、ブルキナファソの子供達の生活と教育援助に心身を捧げました。
1993年、85歳の時、修道会規則に従ってフランスに帰国。南仏はヴァール Var 県にある修道院に入り、祈りと黙想の生活を中心としながらも難民や不法滞在者のために力を尽くしました。



ま・ここっつぁんがフランスに住み始めたのは1999年で、フランスのテレビを見るようになったのは2000年春過ぎからなンですが、スール・エンマニュエルが画面に現れたことは多々ありますね。というか、このおばあちゃまシスターは話し方が愛らしく、お話の内容がウィットに富んでおり、当初は「何かしながらテレビ」であっても、自然に画面に吸い込まれちゃうのですよ。
フランス共和国内の好感度調査でも21世紀前半は例年、男性トップがエマウス Emmaüs を創立したラベ・ピエール l'abbé Pierre で、女性トップがスール・エンマニュエルでしたが、ラベ・ピエールが共和国内の左派のアイドル扱いされていたことに対し、スール・エンマニュエルは自ら«ni de droite ni de gauche», つまり「わたくしはミギでもなければ、ヒダリでもありません」とご自分の立場を明言し続けました。人道にミギもヒダリもあったもんぢゃありません。スール・エンマニュエルがカトリック修道女の立場なら当たり前だのクラッカーで、彼女が85歳を期にご自分が所属する修道会規則に従っての生活に戻ったことも、カプチン会から家出し、カトリックの習慣に異議を唱え始めたラベ・ピエールとは対極にいると言っていいほどの違いがあります。ラベ・ピエールは2007年に帰天しましたがカプチン会の墓ではなく、エマウス貢献者の墓の、かつての恋人だった女性秘書の隣に埋葬されました。(それで良かったんだ、とヒダリーズはおっしゃいますが果たして本当に良かったのかは疑問が残っていたりします)



さて、スール・エンマニュエルですが、昨晩は普通に就寝し、そのまま今朝になっても目を覚ますことがなかったそうです。Elle s'est éteinte «dans son sommeil» dans la nuit de dimanche à lundi dans la maison de retraite de Callian, dans le Var, a indiqué une responsable de l'association.
なんという帰天でしょうか。こんな帰天もあるのですね。

昨日就寝されるまでお元気だったスールがこうなろうとは誰も想像つかなかったようで、来月16日には国営放送France 5 で、TF1を去らなくちゃならなかったパトリック・ポワヴル・ダルヴォ Patrick Poivre d'Arvor の進行でスール・エンマニュエル生誕100年のお祝いを兼ねた特別番組が放映されることになっていたそうです。

葬儀について、アスマエのスタッフ(註:アスマエは修道会内組織ではありません)からは、スールの遺言で内輪によるものになるだろうとだけ伝えられているそうで、一ヶ月以内にパリでも葬儀ミサがあげられることは間違いないと既に共和国内では報道されています。

この世で休むことなく働き続けたスール・エンマニュエルは、ようやく今、ご自分の休暇を天国で楽しんでいらっしゃるのでしょう。永遠の記憶。
A Dieu, Soeur Emmanuelle, A bientôt.
私見に過ぎませんが、スールは奉献生活と司牧のバランスが取れた方だったと思います。(-。-) ボソッ

le 20 octobre 2008, Adeline

【追 記】
お昼から13時の各局ニュウスでは既に「列福、列聖はいつか?」なんて話題が流れておりますが、「そういう印なくとも既に彼女を聖人だと信じている人はどれほどいるでしょうか」という識者の言葉で妙に納得かも、です。密葬は22日水曜日、現在の彼女の住まいの小聖堂にて。

【追々記】
10月22日午後3時からノートル・ダム・ド・パリにて追悼ミサ。
同日午後2時からFrance 2にて特別番組とミサ生中継だそうです。
France 2 : http://info.france2.fr/france/47682142-fr.php
KTO : Décès de Soeur Emmanuelle

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by ma_cocotte | 2008-10-20 18:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(13)
それは「こぢつけ」なのでわ?
067.gif きょうは誰の日? ふっふぅ 060.gif070.gif060.gif
カレンダーで今日10月18日を眺めると Saint Luc サン・リュックと書いてあります。
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すなはち日本語で表すところの聖路加、いえ、聖ルカの祝日だったりします。
世界中のルカさん、おめでとーさんどす。
聖ルカは新約聖書の四福音の中の聖ルカ福音書の著者で、お印は「牛」であります。もし聖ルカが日本の皇室に生まれたら所持品全てに牛のマークがつくのですたい。ルカ=牛なので、ルカのご絵を検索いたしますと、牛と一緒のルカさんが大漁です。
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羽のある牛とは「天牛」??? エゼキエルきゃ?


日本國ではルカに「路加」という当て漢字が一例としてできるように、ルカはフランス語では Luc という形なったり、どこぞの国では Luke やら Lucas なんて形になったりもします。が、当のご本人はギリシャ語文化圏の生まれだそうで、その名の素はギリシャ語の leukos という単語。その leukos とやらの意味はフランス語で訳すところの pur 、英語で訳すところの pure なんだそうです。つまり日本語に訳すと「混じり気のない」「純良な」「清純な」「(美的に)完璧な」「純粋な」などそこはかとなくナシオナリストが喜びそうな語が並んでしまったりなんかします。

仏蘭西という國は欧州のヘソ位置にあるため、混血が当たり前だのクラッカーで、この国に「民族」に当たるヒトビトがいないと言ってもいいです。そういう意識を仏蘭西に持ち込んだ移民さんは方々から毎日入国していますがね。そんなわけで 命名法 La législation sur les prénoms なんていう奇特な法律が存在する国でありながら、各自のご先祖さまに辿って名前 prènom を派生する自由が共和国民に与えられていたりもします。かつて社会主義政権になったあたりから命名法がどんどん緩くなり、「そ、その名前はいったい何?」な名前をガキンチョ名簿から見つけたりもします。近年の有名どころではヂャニ・アリデの養女のヂャド Jade ちゃんでしょう。Jade ちゃんは引き取られてまもなくカトリックで洗礼を受けました。代父母は確かかのヂャン・レノとキアラ・マストロヤンニ(カトリーヌ・ドヌーヴの娘)だったねー。 仏蘭西という国には洗礼名という習慣はなく、役所に登録した名前がイコール洗礼名になりますんで、ヂャドってどの聖人?誰?となります。なんとヂャドはペトロ、フランス語のピエール Pierre です。何で?となりますが、ヂャドは東洋の「石」という意味があり、ペトロは教会の「石」だからだそうです。なんだ、石つながりか。・・・そういう問題ではないはずなんですが、仏蘭西司教団がそうこぢつけたんだからそうなんです。

話が脱線しましたが、きょうのサン・リュックのお祝い日に祝ってよい名前は
Lucain
Lucas
Lucky
Lukas
だそうです。http://nominis.cef.fr/contenus/prenom/1569/Luc.html

へぇえええええ、と納得する前にちょっと三番目 ラッキーって何よ? となりませんか。なんでもラッキー Lucky という名前の元祖は大英帝國なんだそうでございますが、意味がまるで違うと思うのは私だけでしょうか。英語の lucky の意味は「運がいい」であって、「純」だの「完全」という意味ではありません。思い起こせば、仏蘭西には「Lucky Luke リュッキィ・リュック」というアニメが今もいつも世々至るまで France 3 で流れていたりするンですけれど、だとしたら Luke が Luc でしょうよ。Lucky は Luc にはあてはまるまい。そりゃ、お仏蘭西司教団がこぢつけ、いや、決めたことにあたすのようなもんが疑問を持っちゃあいけないとわかっちゃあいるんですが、
そりゃ、あんた、違うよ・・・(-。-) ボソッ
と、我が良心がぼやいております。困った納豆。

le 18 octobre 2008, Luc
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by ma_cocotte | 2008-10-18 22:29 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(8)
ピーコートをお召しのヂェズ・クリくんを見つけたぞ。
呆れられても、飽きもせず、開かずの押入れからこのようなもんが飛び出て来ました、

060.gif071.gif060.gif ヂャヂャヂャヂャーン 060.gif071.gif060.gif

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抹香臭い映画のパンフレットだよーん。
ま・ここっつぁんがかつて通っていた耶蘇女学校ではやたら抹香映画会を開催し、時には銀座の映画館を貸し切っての鑑賞会がありましたので、その時にいただいた物でありましょう。右下の「十戒」は校内でも数度、映画館では少なくとも二度観た記憶がござる。

この4冊の中で、断片的であっても記憶に残っているのは左下の「愛のアンジェラス」です。ページをめくって行くと、このようなページがありまして、
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右端のおにいさんが変装しているヂェズ・クリ、そう、イエズスさまでんな。

たまに子供の頃の映画鑑賞会について思い起こすと、我が脳裏にふと、ある海辺の洞窟に流れ着いた子供に引きずられた「十字架なしの十字架のキリスト像」の姿が浮かび上がりますが、この映画ですね、多分。というのも、この映画の原作者は上の写真の左ページ上に掲載されているこの方(↓)
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このパンフレットをめくると、この映画の原作は「海のキリスト」という短編だと書かれています。私のように何十年も経って、こういうことを知って驚くというようなテンポの人生を歩んでいる者もいるのですね。

さて、左の上、「ナザレのイエス」のパンフレットを開きますと、
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マリアさまはオリヴィア・ハッセー、マグダラちゃんはアン・バンクロフトでっせ?アン・バンクロフトと言うと映画「いとしのアナ・バナナ」でベン・スタイラー演じるラビのママンを思い出します。オリヴィア・ハッセーはそりゃあ、ヂュリエットちゃんでしょう。かわゆすぎた。カヤファはアンソニー・クインですと。この方、映画「ブラザーサン・シスタームーン」ではフランシスコの小汚いおみ足に接吻された教皇さまでしたね。



この場面は何度観ても、 感激どすえぇえええ。
おまけにイタリア語版だと妙にリアル。


こうして久しぶりにパンフレットを開いては出演者をきっかけに連想ゲームを楽しんでしまったりもしますが、さらにページをめくると、
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こんなん出ましたえぇ。

ピーター・ユスチノフがヘロデ王、ローレンス・オリヴィエがニコデモです。忘れちゃいけない、監督はフランコ・ゼフィレッリ、んだな、上のビデオ「ブラザーサン・シスタームーン」と同じ監督さんですが、パンフレットの中には上映時間が三時間十五分とありまして、私がこの映画についてほとんど記憶していないのは熟睡してしまったのでしょうか。

日本映画では、白黒でチリチリと雑音が入る「長崎の鐘」や「蟻の町のマリア」も観ました。どちらの映画だか覚えていませんけれど、丸山明宏さんがとても美しく、水兵さんのような格好でギタアを片手に歌を唄われていました。その美しさはあまりに強烈で今も忘れることができません。

le 13 octobre 2008, Edouard
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by ma_cocotte | 2008-10-13 22:19 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(23)
おっおーっ、ターカラっ
ヅカぁ、T A K A R A Z U K A 060.gif070.gif060.gif071.gif060.gif
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開かずの押入れから出て参りました。
そして、開いてヴぃっくり。
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毬谷友子さまに、一路万輝さまですぞ。

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入団まもなくでありましょうか。イチロマさまは「真輝」に改名する前でおぢゃる。

こちら↓、ツレちゃんはいらっしゃいませんが、お懐かしや。



このビデオの5分過ぎから「おお、宝塚」が流れますが、この中の TAKARAZUKA をアルファベットで読み唄うところ、難しいと思いませんか?それにしても、
小さな湯の町 タカラヅッカ に行きたいわあ。
le 9 octobre 2008, Denis
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by ma_cocotte | 2008-10-09 19:23 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(14)
ヂャウ・ハランバン夫人、フランスを出て、日本に行く前にフランスに戻るの巻
TGVの空港駅で偶然出会ったエストニアからのローマンカラーズさまに 旅まるごとを祝別していただいた ヂャウ・ハランバン夫人は、そこから空港内の目的地に連絡電動豆電車に乗って移動することになりました。その車内に、数時間前の乗換駅から空港駅までヂャウ・ハランバン夫人の隣席にいたマドモワゼルがおりました。ヂャウ・ハランバン夫人が乗換駅でTGVに乗り、着席する前にトランクを棚に乗せようとしてよろけたところにさっと手を差し伸べてくれたのがこのマドモワゼルでもありました。もちろんフランス語で彼女は夫人に温かい声をかけてもくれましたが、彼女の見た目の第一印象がフランスびとというよりアイルランドびとっぽかったことがヂャウ・ハランバン夫人にとっては新鮮でもありました。数時間の隣人ではありましたが、その時の流れの間にこのマドモワゼルがオーストラリアのパスポートを持っていたり、英文の本を読んでいることがわかりました。こうして同じ豆電車で再会したのも何かの縁かもしれません。TGVの中で助けていただいたことのお礼を述べつつ、フランス語も英語も流暢なんですね?とヂャウ・ハランバン夫人はマドモワゼルに話してみました。すると、マドモワゼルがご自分の父上が仏蘭西びとで、母上がオーストラリアびとであること、更に現在父上は仕事でイスラエルに在住し、母上はパースに住み、ご自分はこれからシドニーの大学寮に戻るところなのだと説明してくれたのでした。その説明を一分未満で聞いたにも関わらず、ヂャウ・ハランバン夫人は地球を一周した気分になってしまったのでした。そして、一つ屋根の下で作られた一家族なのにこのようにグローバルな感覚があることも、決して自分の物差しでは計りきれるものではないことを改めて実感したのでありました。

本当に再会できるのかは神のみぞ知ることですが、互いに「オ・ルヴォワァ Au revoir」と挨拶し、シンガポール航空でシドニーに戻るマドモワゼルとヂャウ・ハランバン夫人は別れ、自分が乗る航空会社のカウンターに行き、手続きを済ませました。その時、先程TGVの中でヂャウ・ハランバン夫人が「人間おきあがりこぼし」と化す原因となったトランクを秤に乗せると、どうも規定より数グラムほどオーヴァーしているようで、受付のおねいさんが機内持込はできないことを告げて来ました。そこをなんとかゴリゴリして、ヂャウ・ハランバン夫人はトランクをひっぱりつつ、出国手続きをし、免税店を冷やかし、ながーい動く廊下を過ぎて、機内持込手荷物検査となりました。この検査を済ませれば、搭乗時刻を待つのみになるのです。

と、こ、ろ、が、荷物、あのトランクにクレームがついてしまい、蓋を開けての検査になってしまいました。検査官さんたちが問題と指摘したのはコレ(↓)でした。
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日本風に言うと「栗餡」の缶詰、フランス風に言うと「黒粒粒ヴァニラ入り栗ペースト」の缶詰です。これがヂャウ・ハランバン夫人のトランクに2缶入っていました。未開封の缶詰であっても、中身は液体扱いになるので機内持込は禁止。もしヂャウ・ハランバン夫人がこの場でこの2缶を諦めれば隣の待合に行けますが、もしこの缶詰を諦めたくないならば
はじめの一歩からやり直せ
と、言ってきやがりました。この場合、「はじめの一歩」は航空会社の受付カウンターになります。あそこでこのトランクを預ければ、缶詰も日本に持っていけるよ、とおっしゃるのです。ただし、はじめの一歩に戻るまでにあるいくつかの警察やら関税審査官との交渉は自分ひとりでやれ、と。この機内持込手荷物検査に至るまでの長い道程や、退屈な行列待ちや、面倒臭さを振り返ってしまうと、ええいっ!こんな缶詰諦めてやるっ!とも思いましたが、こういう困難に向かわず楽を安易に選ぶのはそそのかしのようにも思えたし、搭乗時間までかなりの時間的余裕もあったので、ヂャウ・ハランバン夫人ははじめの一歩からやり直すことにしました。思い起こせば、数グラム超過しているという事実に素直に従えば、こんな思いをせずに済んだのです。この事実は天罰か、はたまた世の中がそんなに甘くないことを天が我に教えてくらしゃったのかもしれません。

はじめの一歩に戻るまで警官やらに説明するのは気が重くもありましたが、はじめの一歩まで戻ってトランクを預け、数十分前に既に通ったルートと、同じ関門を潜り抜ける作業を繰り返すことになりました。最後の関門はもちろん手荷物審査でしたが、今度は荷物には問題なく、ヂャウ・ハランバン夫人そのものに びーっ とブザーが鳴ってしまいました。奥から体格の良いサツのおねいさんが現れ、ボデータッチが開始されました。ゲンナリです。確かにヂャウ・ハランバン夫人の旅はローマンカラーの神父さまに祝福されたはずなのに、フランスを出国して日本に行く前にフランスに戻るという不思議体験をすることになってしまいました。

でもね、これを繰り返したことで、ヂャウ・ハランバン夫人は偶然にもン十年来の友人の妹に出会い、その後、成田まで彼女と二人、時を忘れるほど楽しい旅を続けることができたのでした。

こうして、栗餡缶詰のせいで不思議体験したにも関わらず、栗餡缶詰のおかげで懐かしい友と再会できたヂャウ・ハランバン夫人でした。・・・変なの。

le 7 octobre 2008, Auguste
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by ma_cocotte | 2008-10-07 17:28 | 『旅』 Rien de special | Comments(15)