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Voici, une bande annonce 或るひとつの予告編。
ココんちの夢の国へようこそ!
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シンデレラ城でも、
白雪姫のお城でも、
眠れる森の美女のお城でもありません。


今年も待降節に入りました。
一日一善、一日一我慢。

le 30 novembre 2008, André

! ...あ、
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by ma_cocotte | 2008-11-30 18:30 | 『巡礼』 Rien de spécial
久しぶりの、「...またか」
この金曜日の朝からテレビのニュウスからインドはムンバイでの事件についてカルティエ・ヂュイフ le quartier juif 、=ユダヤ人街というキーワードが聞こえてくるようになりました。短絡的に要約すれば「イスラーム過激派がユダヤ人街内の複数施設で命がけの立て籠もりをしている」ことになりますが、 どうも日本語報道の記事をざっと眺めますとミュぢゅるマン(musulmans, =イスラム教徒)が立て籠もった建物をピンポイント扱いで「事件現場」とし、そこがたまたま「ユダヤ教施設」であるという記事が多いようです。日本國向けにはこれくらいの浅い説明でいいのでしょうか。が、ユダヤ教の、それもその一帯にウルトラオーソドクスまで住んでいるとなると彼らの生活形態から考えれば「ユダヤ人居留区」内での多発事件と頭の隅っこに置きつつ今回の事件を眺めた方がいいように私は思います。オーソドクスのウルトラ度が増せば増すほどシナゴーグが徒歩圏内にあるところにしか彼らは住まいを持ちませんからして。事件現場となったホテルズもユダヤ人居留区内にあるか隣接しているのではないでしょうか。

このような国際配信になるほどの事件は久しぶりにしても、この手の宗教上のいざこざについては地球上の其処此処彼処でよくあることで滅多にないことではありません。これまでの礼拝堂の放火やら破壊、墓荒らしなどを思い出しつつ、私が「またか」とつぶやいてしまうのは事件の流れの中に「金曜日」が入っていることです。金曜日はユダヤ教にとってもイスラム教にとっても一週間のうちで特別な日です。へ?ユダヤ教の特別な日は土曜日でしょ?とつっこみたくもなりますが、ユダヤの暦では日没から日が変わるので金曜日の日没からシャバート(安息日)が始まります。フランスでも金曜日のユダヤ人街を覗けば、キッパを頭に乗せている人が関わっているお店は金曜昼までの営業で、しかも他の週日より早めの店閉いだったりします。かのイスラエルでは金曜日の日没直前から黒服黒帽くるるんもみあげの方々がシャバートを迎える喜びの踊りを路上でなさったりもする、それが世界中のユダヤびとの金曜日です。日没後、シナゴーグに足早に向かう人々を見かけるのもフランスでもそこここで見かける金曜の夕暮れと土曜午前の日常であります。一方、イスラームの金曜日も特別な礼拝日です。わが地元のイエメンびと♂は金曜の授業は礼拝出席のため来ることはないと教授に宣言していたほどです。この金曜日の意識はユダヤんにとってもミュヂュルマンにとっても信仰生活に熱心であればあるほど強いものでもありましょう。

なのに、なのに、です。
世界の一神教の三大派閥、ユダヤ教、キリスト教、イスラームにおいて、時に「三位一体などという空論などありえるわけない、神は唯一の神のみ」とユダヤ教徒とイスラームが手を取り合ってキリスト教を省いて仲良くしているにも関わらず、今回のような事件も起こり、しかも何が心の起爆剤になっているのかあまりに残虐な事件になってしまったりします。宗教違えど同じ唯一の神を信じる者同士、互いにとって特別な金曜日を互いに静かに喜びのうちに迎えられるようにできないものなのでしょうか。なにも金曜日という日に、通りどころかゾーンで火煙もうもう、血が飛ぶほど暴れなくても。

漏れ聞けば、事件があった地区はカルティエ・ヂュイフのうちでもカルティエ・ヂュイフ・オクシデント Quartier juifs occidentaux、つまり欧米系ユダヤん居留区で、必ずしもスファラディやミズラヒばかりではなさそうです。ああ、だからウルトラ・オルトドクス(超正統派)というキーワードが出てくるのですね。インドとは言え、この界隈にはアシュケナヂ系の方々が多くお住まいなのでしょう。Nariman House のキーワードで調べたところ引っかかったのがこちら。http://www.chabad.org.in/index.htm 左サブメニュウのムッシュウから拝察して、もしかしてウルトラオルトドクスと報道されているものの、ユダヤでは新興であり、世界中で布教活動をしているルバヴィッチの方々?
11月27日夕方、France 5 の生討論番組C dans l'air のテーマが
Bombay : les enfants terroristes ボンベイ:テロリストの子供たち
cf. http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1027
でした。この番組の冒頭で論客であるインド人女性が事件が勃発したあたりがボンベイで最も治安が良く、欧米人が多く集う華やかな場所であると説明しています。それに加え、欧米系ユダヤ人居留区であるならば、確かに国境を越えた人脈やら金脈で目に見える富やら繁栄が漲っているでしょう。が、それを力づくで破壊したところで世の中の美は醜に、きらびやかなものは単なる灰やら炭やら愚塊に変化するだけで、自分の身には何らかの変化が生じるかもしれませんが、自分の心や魂についてはいったい何が変わるのでしょう。

インドにもユダヤ系がいます。
数年前に漏れ聞いた話ですが、ユダヤ系である自分が生まれた国の政情が不安で、イスラエルの帰還法を頼りに例えばインドやイランで生まれたユダヤ人がイスラエルに永住を求めても、時に政府からあてがわれる住まいはかのウェストバンクに接する地区だそうです。「ユダヤ人」というレッテルだけで中の選り分けを見ずにユダヤ人でない者がアタックするのは短絡的ですし、目に見える繁栄や豊富な物資だけでユダヤ世界に関わらない第三者に選り分けられた欧米系ユダヤ人をターゲットに攻撃するのも なんだかなあ です。ユダヤ系であることで生まれ育った国でこんな生命に関わる恐ろしいことを経験し、だからと言って帰還法を頼りに本当の祖国に戻ったところで決して桃源郷を見れるわけではないという運命。この事実は宗旨違えど同じ国土で生まれ育った人々が互いに思いやることができ、こうして生れ落ちたインドで国民が世界中の誰よりも幸せになろうぢゃないかと前向きになれたりしないのでしょうか。(・・・・とココまで書いて、ヒンドゥの教えだと難しいのかな・・・とふと思った)。
フランスも土着宗教からキリスト教改宗、やがてカトリック国となったものの、現在は社会主義寄りの政教分離共和国で、現状から眺めると今世紀中にイスラームとの内戦があるだろうと予想されていたりもします。今のところ、その戦を防ぐ見えない盾は1905年のライシテ(Laïcité, =徹底政教分離法)でしょう。
Jésus/Mahomet : les frères ennemis 
イエズス/マホメット:敵対する兄弟
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1014
ヒトというものは敵がいないと生きていけない弱い生物なのかもしれません。
数日前もニュウス番組の中で同じインド国内のオリッサ州で起こったヒンドゥ過激派によるキリスト教徒居留区への無差別襲撃の傷跡について見たばかりです。こうもこのような宗教対立が続くと、脳裏に「弱肉強食」「下克上」などの単語が徒競走を始めてしまいます。ヒトが決めた国境の中でマヂョリティとなった宗教にとって、マヂョリティが不安になるほど急激に信者数を増やしている異教はやはりつぶさねばならない存在なのでしょうか。

フランスでは最近聞くようになったかもしれませんが、日本でしばしば耳にするのは「ライバル」です。「ライバル」は競り合うために存在するのか、それとも叩きのめしたり、つぶしてまでライバルを消し去り自らが唯一のモノにならなければならないと誰か決めたのでしょうか。掌に乗れる大きさの物を手を握ることでつぶすのは簡単ですが、ヒトには思考する喜び、対話できる力もあるのにそれを使わずに最短安直に他者を消すことで心が満たされるというのはいかがなものでしょう。
Les talibans menacent la France フランスを脅すタリバン
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1025

この世における究極の人類の救済はイスラームで生きることだとしても、この21世紀、誠意を尽くした対話の中で新しい理想の形を発芽でき、その芽を宗旨を超えて喜びあえれば良いのですが。

le 29 novembre 2008, Saturnin
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by ma_cocotte | 2008-11-29 17:24 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ヂャウ・ハランバン夫人、またもつかまされちゃったの巻
2週間ほど前、まい・こんぴーたがトロイさんの来襲によってぶっ壊れ、突然昇天してしまい、相当量の写真を失いました。諸行無常の響きあり。んなわけで、以下のことをボヤくのを忘れるところでした。

この秋の復路は前回同様、午前7時過ぎに実家を出、9時半頃に成田空港着、諸手続きを済ませ、免税店を冷やかして11時過ぎに搭乗、お昼前に離陸して同日16時半頃にパリ着。空港内を電動豆電車で移動し、空港内の国鉄駅で待つこと2時間ちょい。19時過ぎのTGV(超高速鉄道)に乗り、乗換駅に21時半頃着。約15分後にココんち地元駅に止まる特急列車に乗り、22時半にココんち地元の国鉄駅に到着という旅程でした。当時、日本との時差は7時間でしたから、日本時間の翌日午前6時頃にココんちの玄関の敷居を跨いだことになりますでしょうか。

ココ新天地に引っ越して2年ちょい。いろいろあって半年のうちに二度もこのド田舎と日本の間を往復したことになりますが、前回、初めて花の都パリまで国鉄を利用する経験をし、21世紀に入って8年になるのにまだ仏蘭西の国際空港には荷物を預ければ地方都市に宅配してくれるシステムがないことを知りました。シャールル・ド・ゴール空港の案内のおねいさんに質問したら、「あーた、ここは成田ぢゃないんだから。ほーっほっほっ」と高笑いされたことで、今回の一人旅では機内にも持ち込めるサイズのスーツケースを使うことにしました。そうしないとね、国鉄駅構内や車内での移動が大変なことになるのです。
そのスーツケースも往路の13kgちょいに比べれば軽かったとは思いますが、やはり列車の荷台にひとりで乗せるにはビヤ樽なヂャウ・ハランバン夫人でも「んはっっ」と無意識のうちに気合の声を上げたり、あげようとして樽がよろけたりしてしまいました。情けないことに荷台に乗せる時も、荷台からおろす時も臨席のメッシュウが手伝ってくださいました(荷台に乗せる時とおろす時は別のムッシュウだったのです)。まあ、この状況を見ぬふりしたところで、万が一、頭上にわたすのスーツケースが落下して来たら大変なことになります(往路で既にヂャウハランバン夫人はそれを未遂しています)。兎にも角にも別れ際に「Au revoir いつかまたお目にかかりましょう」と互いに言い合ったところで会う確率はほぼ0に等しいにも関わらず、おぢさま方の心遣いに感謝なのでありました。

さて、時空を超える旅の間は機内でビヤ樽がブロイラー状態なわけですが、着陸一時間前に恒例の食事をいただいたものの、仏蘭西に着いた16時半からココんちに着くであろう23時まで何も口にしないわけには参りませんので、空港内国鉄駅構内にある某店でサンドウヰッチと飲み物のセットを買いました。確か6ユーロなんとかサンチームだったと思います。夫人の財布の中にはユーロ札とサンチーム銭(←いわゆるpièce jauneですな)が入っていたので、10ユーロ札と小銭を添えてお店のおねいさんに渡しました。レジがチン!と開いて、おねいさんが夫人の掌に扇のように2ユーロコイン一枚と1ユーロコインを二枚置きました。仏蘭西の国鉄駅というところは過去も今もいつも世々に至るまで物騒なところですし、右手にサンドイッチセットを持ち、背中にリュック、足元にスーツケースという現状ではもらったおつりをさっと握り締めて、パッパッパと機敏に動かなければ餌食になってしまいます。ヂャウ・ハランバン夫人も他人から見ればとろかったかもしれませんがそれなりに動いて駅構内のテーブル付のベンチに戻り、十数分後でしょうか、小腹が空いたところでサンドウヰッチをつまみ始めました。飲み物はミネラルヲーターを選んだので、これはその場で飲み切らずに列車内でもちびちび飲むことにしました。ふと夫人が目を遠くに移すと珈琲の自動販売機がありました。仏蘭西での自動販売機の珈琲はあなどれないと言うか、必ずしもインスタントではなく挽いた豆から抽出した珈琲だったりして美味です。時差もあってトドなビヤ樽にも眠気が襲っていたので、気付け薬代わりに濃い珈琲を飲むことにし、財布の中から一ユーロコインを取り出して自動販売機に食べさせました。が、コインを自動販売機の口に入れて飲ませたところで、すぐに下からチャリーンと吐き出してしまうのです。これを夫人は二度繰り返したでしょうか。自動販売機から銀色に金色の縁取りがなされたコインを取り出し、凝視してみると、なんと中米の某国のコインでした。まるで1ユーロコインなのに実は1ユーロではありません。久しぶりにやられました・・・・。さっきの今、今のさっきですから、サンドウヰッチを買ったお店に戻り、私に応対したおねいさんに抗議しました。最初、うすらとぼけられましたが、こういう状況に陥った時にはお仏蘭西ではよそさまの店員にも客人にも聞こえるように「でも、あなたが私に渡したコインだっぺ」と言い返さねばなりません。こう言ったところで、聞こえた方々は次は我が身かと眉あたりがひくーんと動きます。店員のおねいさんは別の店員さんがレジを開けた時に改めて別のコインを取り出し、私の手に乗せました。私はおねいさんに1ユーロコインが中米コインであることで交換することを求めたのに、私の掌に乗せられたのは50サンチームコインが二枚です。他人さまを疑ってはなりませんが、偽1ユーロコインが本物1ユーロコインで戻っては来ずに50サンチームが二枚となって戻ってくるという感覚。怪しすぎです。

まあ、ヂャウ・ハランバン夫人におかれましてはこれが初めての釣銭トラブルではございません。かつて南仏に住んでいた時、某巨大スーパーのレジのつり銭に偽1ユーロコインが混じっていたことがありました。南アジアの某国のコインでした。もしかして偽コインをつかまされた店員の方もワケあって、自分がつかまされたコインを自分の釣銭箱から追い出したいので手段を選ばないのでしょうか?
私がつかまされたコインですがEU内の1ユーロコインと外見も大きさも厚さもそっくりの偽1ユーロコインではありますが、欧州では偽1ユーロコインであっても中米の某国や南アジアの某国では正式な通貨なのですよ。この2国の通貨単位は国際通貨ではありません。そのせいでこれらの国々では1ユーロに瓜二つの通貨を造れるのでしょうか。こんなことほおっておいてよいものなのでしょうか。わがウズラな良心の声を聞くならばそんな「なんちゃってコイン」など造っちゃいかんと思いますし、こういう悪行を見過ごすのも国際的視野で良いことには思えません。いや、そっくりの通貨を造っている諸国は悪行をしているつもりなんてありませんよね。多分、maybe, perhaps, probably...。んで、いつもの J'uis innocent と口にしてばっくれるんかいっっ。ざっけんなー。

ほほほ、失礼いたちました。
みんなたちもお気をつけあそばせ。小額とは言え、お金で泣くことはよろしくありませんことよ。

le 28 novembre 2008, Catherine Labouré
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by ma_cocotte | 2008-11-28 05:10 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(14)
とんでもない柄ですけれど、
外出の帰りに近所のスゥパアマルシェに寄りましたら売っておりましたので買ってみました。
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なんだかとんでもない柄の瓶に入っていますが、これでもいちおうボジョレーヌゥヴォ2008 Beaujolais nouveau 2008 だそうです。ざっと見て5種類ほどこんにち解禁となったボジョレが並んでいましたが、これは最も廉価なものです。と言っても3ユーロいくらかしていたので、ワイン全体からすれば決して底辺の値段ではありません。

帰宅して早速飲んでみました。
色は赤ワインよりは薄く、ロゼよりは濃い色です。
口に含んだ瞬間、ちょっと苦さを覚えましたが、その直後、フルーティな味やら香りが口の中で広がるとでもいいましょうか。一言で言い表すならフランス語で言うところのフリュイテ fruité 。近年では飲みやすい味に思えました。素人の思い付きによる戯言ですのであてずっぽに過ぎませんけれど。今年はもう一回飲んでも良いかなと思えました。


le 20 novembre 2008, Edmond
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by ma_cocotte | 2008-11-20 23:59 | Thé ou Café? | Comments(18)
私、あなたを、信じてる。 Je crois en toi
一週間は過ぎたと思います。
テレビをつけているとコマーシャルのたびにスピーカからガ・・・、いや、子供が、
しゅくろおんとわっっ! Je crois en toi!
と、けたたま、いや、かわいらしい元気な声が 3度続けて 聞こえてくるようになりました。この声を聞いていると、自分が子供の頃、ベッドの上でぴょんぴょん跳ねながら、ウルトラマンのまねをして「しゅわぁああっちっっ!」と飛び降りたり、タイガーマスクやら柔道一直線のまねをして「りゃぁあああ!」と転げまわっていたことを思い出したりしますが(ピアノの鍵盤に乗って「猫踏んじゃった」を演奏しようとは思わなかった>私の場合)、そのお子達の声に誘われてテレビ画面に向き合うと、
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このお子たちのうち3人が次々と現れて、しゅくろおんとわっっ!と言いながら、自分に向かって指差すんですね。
よろしかったら、こちら(↓)をクリック。



よそさまを指さすのではありませんっっ!ヽ(`Д´)ノ という亡き母の声と厳しい顔つきも思い出したりしましたが、画面でかわいい笑顔の子供と目があい、自分に向かって指さされ問いかけられるととドキっとしないでもありません。

このコマーシャル、スクゥル・カトリック Secours Catholique という団体によるものです。この団体名だと日本びとにはピンと来ませんが、カリタス・インターナショナル Caritas International のフランス国内での名称と説明すれば「あー」と点と点がつながって天になるかと思います(嘘?本当?。
フランスで生活を始めて2循もすると、この手のCMを見て「ああ、その季節が今年も来たのね」と思うようになったりします。この季節というのは「共和国民から浄財を集める季節」です。それがいつかというと基本は年2回、クリスマス前の一ヶ月である待降節と復活祭前の一ヶ月である四旬節です。この間にテレビ番組で長時間チャリティーショウが放映されるのもお決まりと言って良いでしょう。

それにしても、今年のCMですが、通には面白いです。
なぜなら子供たちが自分を指差して言う
しゅくろおんとわっっ! Je crois en toi!
ですが、この出だし「Je crois en ~」はカトリックのミサの中で唱える信仰宣言 Credo の出だしです。まさにこの「しゅくろわざん」までを司祭が口にすると続いて参列者がオートマチックに「Un seul Dieu アンスルデュー」とか「Dieu デュウウウ」とブツブツ口にし始めます。「Je crois en un seul Dieu しゅくろわざんあんするでゅう」を日本語に訳すと「私は唯一の神を信じます」なんで、子供たちが画面を通してであれ自分を指さして「しゅくろわおんとわ!」は「私はあなたを信じてるから!」と微塵の疑いもなく言われちゃった気分になってしまいます。指差しすることで「唯一のアナタ」効果はバッチリですよね・・・。おまけに、このCMのしめくくりは子供が3度立て続けに「私はあなたを信じてるから!」と声にしますが、これ、新約聖書の中で「イエズスをあなたは知っているか?」と問われたペトロがそれを否定した途端、鶏が三度鳴いたというエピソードを連想しなくもありません。まあ、こんなことを私が思いついたところで、日本びとにとっちゃどーってことない「たかがアンタの妄想よ」かもしれませんが、103年前までは政教一致国であり、「カトリックの長女国」なんて異名を持っていたおフランスでは神聖皇帝サルコぢ一家が子供に指差されたところで「けっ」とあしらっても、多くの臣民には無垢な子供にこうされれば素直にドキっとしたりもするのです。
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しかも、この一週間であーっと言う間に町中の広告塔にこの4人の子供たちのかわいい人差しポスターが掲示され、先の16日日曜日午前中には教会前をうっかり通ればこのようなものを掴まされてしまったりしました。
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寄付を募る封筒です。テレビに、街頭に、「私はあなたを信じているから!」作戦の攻撃に早くも入ったようです。なぜ「早くも」と書いたのかというと、数年前まではこの手の活動が始まるのは典礼暦における年末「王たるキリスト」という名前が冠された日曜日を過ぎて待降節の入りが明らかになってからでしたが、年々、クリスマスオーナメントやチョコレート、フォワグラ販売がハロウヰンオーナメント販売と交じり合っていくように、浄財収集活動もどんどん前倒しになっているからです。

さて、今回のCM は3種類あり、Famille 家族、Vacances ヴァカンス、Accompagnement Scolaire 授業補習です。お子たちが次々と口々に問題をつぶやき、「私はあなたを信じるからね!」と3度指差す寸前に「もし私達が動かなかったら何にも変わらないのよね」と真にボソっとつぶやくオレンジTシャツのお嬢ちゃん。何にもしないで鼻ほぢっている罪深いおばちゃんにとって、この手のつぶやきは ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ ハっ!ドキっ!とさせられ、ハツが痛くなったりしますです。
今の私に何ができるンでしょうか?
きょうはココまでの問いかけでオシマイ。
至るところ、あらゆる手段でかわいい子供たちに助けを求められたところで「今の私に何ができるのか?」というより「今の私は何をするのか?」とあらためて掘り下げて考えてみようと思います。

le 18 novembre 2008, Aude
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by ma_cocotte | 2008-11-18 17:16 | 『秋』 Rien de spécial | Comments(18)
アレップの話をしたことで、
無性にクスクスが食べたくなりました。

以前住んでいた南仏マルセイユあたりならばそこら中にゴロゴロとあったアラブんレストランですが、ココ新天地でトルコから時計回りにモロッコまでの料理を得意とするレストランを見つけるのは容易ではありません。
本当ならアレップの近所はレバノンなのでレバノンレストランに大根足を運びましたら閉店、次にモロッコ料理店に向きを変えましたがこれまた閉店。ここで諦めればよいのにどうしてもクスクスを今日食べないといられない気分になり、チュニジアんレストランに入りました。

着席後まもなくメニュウを持ってきたのは彼女、
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かわゆす。お目目の黒さは私の眼より黒いのだ。名前をきいたら「テリーヌ」ですと。イスラーム世界やマグレブではどうか存じませんが、フランスで「テリーヌ」と耳にすればまず思い浮かぶのがお惣菜のテリーヌです。まさかテリーヌちゃんの名前がお惣菜のテリーヌと同じTerrine というスペルではないと思いたいですが、まさかね。

兎にも角にも、お腹がすいたので、ドンと持って来ーい!で、ドンと持ってこられたのがコレ。
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クスクス・ロワイヤルぅ Couscous Royal

ただし、社会党次期党首候補のひとりであるセゴれーぬ・ロワイヤル風のクスクスということではありませんぞ。クスクスと言っても粒の大きさだけでなく具にもお国柄があり、スープの色も違えば、トッピングも異なりますし、運ばれてくれば香りにも個性があります。今回はチュニジア風ですのでスープは赤く、トッピングはメルゲーズ(唐辛子入り牛肉ソーセージ)、子羊、鶏肉、牛肉と野菜の串焼きでした。

こうして出されたものを自分で深皿に盛り付けてガッツガツと食べます。
ま・ここっつぁんはこんなん、盛ってみましたあっっ。
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クスクスってセモリナ粉で作られているはずで、スープをかけてから速攻で食べないとどんどん膨れていくのです。いえ、速攻で食べたところでお腹の中で膨れる、膨れる。クスクスで育つとベリーダンス向きの揺れる腹の持ち主になれるのですね(←まるで本当のような嘘の話です)。

ぺろっとたいらげて止めておけばよいのに、眠気覚ましに頼んだのがミント茶とオリエント菓子ざんすね。せっかく移民さん経営のお店に入っていただかないで帰るなんてできません。
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お店の方に棗餡を色鮮やかなアーモンドペーストでくるんだお菓子を勧められましたけれど、こればかりはイスラームに改宗してラマダーン月を迎えるか、我が目がギラギラの形相になるほど痩せない限りいただけませんね。恐怖のウルトラ高カロリー菓子でございます。

それにしても久しぶりのクスクスは美味ぢゃった。
かのアウグスチヌスさんも母・モニカさんがこさえるクスクスを毎日食べて成長し、親を泣かすほどブイブイ遊んで、改心して回心したのでしょうね。

さて、レバノン料理をいつ食べることにしましょうか・・・。

le 15 novembre 2008 , Albert
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by ma_cocotte | 2008-11-15 23:01 | Thé ou Café? | Comments(6)
翡翠のように見える日が来るのでしょうか。
久しぶりに アレップ石鹸 Savon d'Alep を買いました。

というのも、長年ちびちびと使っていた某超大国C社の洗顔石鹸がすべて泡と化す予定が見えたので、旧市街にある薬局で洗顔石鹸を求めたところ、お店のマダムが推してくださったのがアレップ石鹸だったのです。

なんと200gで、4.50ユーロでしたので、C社の石鹸の三分の一のお値段かも。(ただし、C社の石鹸はひとつ100gです。)
こんにちたふたふココんちのC社の石鹸が泡と化しましたので、ま・ここっつぁんはこれまでと同じサヴぉンケースに納めるために、どこかいびつな直方体であるアレップ石鹸を包丁で切ることにしました。
いやー、やっぱりシリア産だけあって、アタマ、いえ、石鹸が硬く、真っ二つに割るまで30分以上かかりました。石鹸を切断している最中、削れ出る屑の色がアレップ石鹸らしいカーキーグリーンから徐々になんともいえない美しい緑色に変わったことには気づいておりましたが、真っ二つに割れてヴぃっくり、うさぎさん。
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なんと美しいこと。

もしかしたらできたてのアレップ石鹸はこのように美しい緑の固体なのでしょうか?

立方体でオリーヴオイル含有72%の正統派マルセイユ石鹸を丁寧に使っていると、表面の掘り表示が消えてから数度の使用後になんともいえない縞模様の入った艶のある緑の固体と化します。翡翠の原石のようにさえ見えることがあります(この形になってから表面が乾くと独特のヒビが入ります)。もしかしてこのアレップ石鹸も使っていくうちにあのような美しい翡翠の原石のごとくになるのでしょうか。これは楽しみかも。

今回購入したアレップ石鹸をくるんでいた説明書きによりますと、この石鹸のアイデンティティはオリーヴオイルが70%、月桂樹の花びらから採った油が20%、NaOHが5%、水が5%で計100%なんでございます。そのせいか、美しい切り口に鼻を近づけますと巷で売っているアレップ石鹸よりどこか マルセイユ石鹸 に近いクセのある香りがしますが、あの臭い正統派マルセイユ石鹸はオリーヴオイルの含有率が72%ですのでたった2%の違いですのにアレップ石鹸の方がかなり鼻に心地よい香りに感じられたりもします。使い方ですが、ボディ用、洗顔用ならば毎日、シャンプーにするなら週に1、2回の使用が適当であり、顔パックならば泡を一分間顔全体に放置して洗い流せば良いそうです。アレップ石鹸の重く柔らかくきめ細かい泡で身体を洗いますと、いかに我が身が汚れていたか赤面したくなるほどの結果を目の当たりにしたりもしますが、地中海沿岸の石鹸、ヴぁんずぁーい!です。どれも好きぃ016.gif

9月から10月にかけて帰省した時、某コンビニで数種類のアレップ石鹸が売られていました。香りは同じでしたけれど、ぜひ。正統派マルセイユ石鹸より使いやすいと思います。

le 14 novembre 2008, Sidoine
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by ma_cocotte | 2008-11-14 03:43 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(22)
聖マルタンの夏はどこに?
今年の11月も既に三分の一を過ぎました。11月に入ってココんちあたりで太陽を見たのは3日に満たないような気がします。お子たちの秋休みは11月6日の登校時間直前をもって終ったはずですが、土曜日を休校日とする市町村の学校では金曜日に橋をかけて休みにしてしまって日曜日まで秋休みにしてしまった・・・のはまだ真面目な方かもしれなくて、今年の11月11日、フランス共和国の固定祝祭日「Armistice 1918 第一次大戦終戦記念日」が火曜日なので月曜日も橋をかけて休みにしてしまったセンセもいるのではないかと思います。この10日、ココんち地元の国立高校は開校していたようですが、ほとんどのお役所は案の定、橋をかけてのお休みでした。電話をかけたところで、受話器の向こうからは留守電の声。

さて、この11月11日はフランスの暦におかれましては聖マルタンの祝日です。フランス国内にはマルタン Martin という苗字を持つ方がゴマンとおり、市町村名においてもマルタンなんたらかんたらな町名が至る所にゴロゴロしているのです。
それほど仏蘭西びとに愛される聖マルタンは「トゥールのマルタン Martin de Tours」と呼ばれるハンガリー出身の軍人だったりします。ハンガリーなのになぜトゥールなのかと言うとマルタンさんがトゥールの司教となって人生を終えた土地がトゥールだったからです。ところがこのマルタンさん、ハンガリーからトゥールにまっすぐ行ったのかというとそうではなくて、トゥールに行く前にポワチエのはずれのリギュヂェ Legugé という山中に西欧で初めての修道院を西暦360年頃に創り、労働と祈りの生活を送っておりました。
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2007年8月3日、午前11時過ぎのリギュヂェ

このマルタンさんが15歳の時、現在のアミアン Amiens あたりで大雪の日に馬上から見つけた乞食に自らのマントを刀で裂き、その半分を乞食に与えたところ、その晩のマルタンさんの夢にイエズスさまがそのマントを羽織って現れたことでマルタンさんが改宗した話は人が決めた国境を越えて知られる話でありますが、マルタンさんは今ではフランス共和国の守護聖人のひとりであり、共和国軍の守護聖人ひとり でもあります。その彼の名前が冠されている日が11月11日で、その日は第一次大戦終戦記念日であったりもします。

今年の11月11日は第一次大戦終戦から90年目にあたります。たった90年前のことなんですね。共和国の国父さま、偶然にもお父上はハンガリー貴族であるサルコぢ一世はフランス北部ムゥズ Meuse 県のドゥオモン要塞 le fort de Douaumont での記念式典に大英帝國のチャアルズ皇太子とコォンウェル公爵夫人(=カミラちゃん)、リュクサンブルグのアンリ大公とご一緒に参列されるそうです。http://info.france2.fr/france/48434339-fr.php
このドゥオモン要塞はヴェルダン Verdun の戦いでの要塞のひとつだそうで、約30万人の共和国兵士が亡くなったそうです。私ゃ、ヴェルダンと聞くと、エクサンプロヴァンスの裁判所前の同名の広場と、裁判所から見て右斜め下の同名のカフェを思い出してしまいますが、そんな甘ったるい思い出で語れるような現場ではなかったのですね。

フランスの農事暦によると11月は降雨月であるにもかかわらず、聖マルタンの日、すなわち11月11日前後は夏のような好天に恵まれるのだそうですが、どうも今年の今月今夜のこの月は拝めそうにないという予報が出ております。
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Mardi 11 Novembre, Armistice de 1918 
Carte créée à partir de données Météo France

私としましてはいくらテレビ画面からであっても、水にしたたるサルコぢやチャアルズを見たくもなかったりするので、奇跡的にハゲ、いや、諺のごとく晴れますように。

le 11 novembre 2008, Martin

そうでした。聖マルタンの日には今年収穫されたワインを味見する初日であります。
老いも若きもワインを飲みましょう。
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by ma_cocotte | 2008-11-11 03:44 | 『秋』 Rien de spécial | Comments(4)
これぞ、宝の持ち腐れ
少し前、旧市街の教会 に足を運んだら、どこかカビ臭い、薄暗い聖堂で或るムッシュウが立派なカメラで写真を撮っておりました。近年、教会内の備品盗難が増加し続けており、主だった備品をこうして写真に撮り、警察署で備品番号を付けて保管するのだそうです。そうか、物によっては1905年の徹底政教分離法以前の作製なので国家財産でもあります。
私もムッシュウと一緒にパシャっっ!061.gif
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Ostensorium オステンソリウム、日本語に訳しますと聖体顕示台ですね。おそらく19世紀後半に作られたものではないかと思います。ちょっと寄ってみましょう。
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うわぁああああん、マリア安西 ぢゃーん。

ギラギラの太陽のごときこのお姿。眼福でございます。

この同じ教会で、私はかつてこんな 眼福 にも出っくわしたことがございますが、写真を撮り終えたムッシュウはこのギラギラの太陽に布をかけてしまいました。その布ってぇのがなんと白地に臙脂色の月桂樹で IHS を囲んだようなロゴプリント。ムッシュウは布に包んだオステンソリウムを道の向こうにある司祭館2階にある司祭図書室に返しに行くのだそうです。
なぜなら
普段、まったく使わないから。
この教会ではl'adoration らどらしおん、聖体顕示式を行うことは無いのでこうして写真撮影するために聖堂に運ばれなければ図書室にしまわれたきりだそうです。
そんなことを聞いて、帰宅してからもう一枚の写真を見てみました。
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本当だ。緑青があちこちに出てしまっていないかい?

もったいのーございますね。磨いたところでしまいっきりではいずれ緑青が再び浮き上がって参りますでしょう。この教会には艶を失った香炉なんてものもございました。蓋を開ければこげた香が入ったまんまの香炉です。艶を求めて磨き始めたら、ジーニィが現われるかもしれないのに(・・・ジーニィさんの宗旨は違うけどヾ(`◇´)、ああ、なんてこったい。

まあ、いろいろ詳細をほぢくり返せば不可能なことだろうとわかっちゃあいるンですが、この教会の近所の美術博物館にはこんな展示物もあります。隠し撮りなのでブレちょりますm(_ _)m
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ピカピカに磨かれ、丁寧に扱われて幸せそう・・・なんて、私の思い過ごしですけれど。
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なんとなく緑青が生えたまんま、図書館の隅っこにほっぽらかしにされたオステンソリウムが不憫になってしまいました。博物館に養子に出された方がオステンソリウムも作製者もうれしいのではないかしらね。

いや、いつか再び使われるようになることがオステンソリウムにとっても作製者にとってもこの上ない喜びなのでありましょうが。なんともいやはや、1968派めが...天誅でござる。

le 8 novembre 2008, Geoffroy
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by ma_cocotte | 2008-11-08 22:51 | 『?』なKTOりっくん | Comments(7)
Ma petite prière 祈 り
私のブログ友が今、病気と闘っています。

昨日11月6日、久しぶりにご長女の代筆による御文が掲載されました。
お嬢さまのお話によりますと、わがブログ友はこの9月半ばに入院、10月の半ば、主治の先生から新しい抗癌剤の説明と、彼女が既に今年初めに選んでいたホスピスへの転院について、そしてお薬の投与が無ければ余命は一か月、新しいお薬を使っての余命は三か月というお話があったそうです。
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2006年春から、私達は互いのブログにコメントを残すようになりました。
彼女は私より数歳上で、妻であり、三人のお子達の母であり、ご自分にしか生み出せない仕事を持ち、経営者でもある女性です。ちらりと拝見したお姿もお顔も美しく、私の憧れの女性です。
コメントを交換してしばらくはお仕事のこと、お子たちのこと、ご自身のこれまでの生き方について、時には真面目に、時にはおかしく限りある字数のコメント欄ではありましたが、互いに語り合いました。

2007年4月だったと思います。
鼻の不調をエントリーで述べられた後、検査を受けて、病気を知りました。その時、お医者さまから余命3年と告知されたことも、彼女はエントリーで教えてくださいました。

それからの彼女は前向きに病気と付き合い始めました。
ご自分の余命を告げられたとのエントリー後、彼女のブログの中身は変わりました。
一日に三度は笑う、笑いは病を吹き飛ばすと彼女は話してくれました。
病気になってから、自分の残りの命を知ってから、夫への思い、お子達への思い、友への思い、お母さまと叔父さまへの思いがある時は強気に、ある時は弱気に、そう、彼女の思いのままに語られています。お母さまから受け継いだお店を閉め、実家に戻ることを決めた彼女。歴史ある町の中心の住まいから空気の美味しい郊外に移り、前々からブログにも書いていたように犬と一緒に住み始めもしました。

余命を告げられるほどの病を自らの身体に抱えた彼女のエントリーに元気付けられたのは私の方でした。愚かな私に彼女はたくさんの栄養とお薬を、そそぎ続けてくださっています。どれほど自らを省みる種、他者を思いやる種を彼女は私の心に蒔いてくださったことでしょう。感謝、感謝、本当に感謝です。

彼女が作る服、彼女が選ぶ服は私好みのものでもありました。
それは、彼女に伝えた。
いつか帰国したら、彼女のお店を訪ねて隅から隅までずずずいぃいいいいっとお買い物したいと密かに私は目論んでもいました。でも、そのお店はもうありません。
そんなことはタイミングでしょう。私のわがままだ。
それより、彼女の病気がわかる前までの家族愛でいっぱいのお話と、彼女が病気を知ってから時折、掲載されるご長女の素直な文章から伝わるお母さまへの思い。
昨日のエントリーにはご長女の言葉で
最近
母だけでなく父にも「母さんのことを記録に残して」と言われるので、
もしかしたらまた書きに来るかもしれません。
と締めくくられていました。
こんな10000kmも遠くに住んでしまって、彼女のために何もできない私が情けないです。
本当なら彼女の手を握り、手の甲を包みたい。手の甲やおみ足を摩りつつ、お話したい。
今の私には祈るしかできないけれど、こんな私の祈りがいかばかりかと思うと恥ずかしいけれど、小さな祈りが彼女のご心身の痛みを和らげるお薬となってそそがれますように。

le 7 novembre 2008, Carine
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by ma_cocotte | 2008-11-07 16:55 | 『?』なたわ言 | Comments(12)