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隠れても無駄、無駄。
私が4歳になってまもなく耶蘇幼稚園に入園して最初に学んだことは、人っ子ひとりいない場所で何をやらかしても神さまはすべてご存知であり、私たちそれぞれを守護する天使が私たちの善行も悪行もチェックしているということでした。以上、文字を覚えるより先に、手を合わせて祈ることの次に学びました。
きょうび電脳域を徘徊していると 自分が選んだ 匿名で団体や人物をイニシャルで表現しつつ批判したり貶めたりすることを楽しんでいるヒトが多く、その中にはカトリックさんもおり、こーゆー方々における神や天使の存在とは何なのだろう?と 信者であろうがなかろうが カトリック環境に育つ園児や児童が持つ罪悪感や正義感と比較しつつ考えることが私にはしばしばあります。幼い子供でさえ畏れて互いに気をつけあっていることを大人ができないという不思議。電脳域で自他を偽り批判、悪口、嘘を語ったところで誰が許し赦してくれるのでしょう?そのような愚行をヒトが許しているのであって、神さまはそういう愚を行った本人が改心するまで赦しません。信心業に熱心で文字で表現されていることのみを金科玉条扱いする「立派なカトリック」さんなら他に対して何をやらかしても無条件で天国直行なのでしょうか?天国門前のペトロと、近年40年はパードレピオも加わり神のみ旨を聞いてひとつの魂の受入のために彼らは門を開くんぢゃないですかねい?例えばいくらパードレ・ピオを敬愛していると多言しても、神さまを知った子供ならば躊躇う行いをコソコソと続けていたら、たとえロザリオを唱えようがベールをかぶって跪こうが「なかったことになる」どころか、むしろパードレ・ピオを悲しませることになりましょう。神さまもペトロもパードレ・ピオも優しいけれど甘くないねー。

そーんなことをローマ巡礼中にふと思い起こしてしまうような出来事に私は遭遇しました。
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今回、私が参加した巡礼旅行ではローマに到着した初日午後と翌日午前はキリスト教が伝来する以前のローマについて徹底的に学びました。その後、教会訪問を始めましたが、この巡礼の最初の訪問先は聖パウロ大聖堂 la Basilique Saint Paul hors les Murs ↑ でした。2009年3月、見ろよ、ローマの青い空ぁ
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この主聖堂 ↑ の右奥に小聖堂 ↓ がございまして、この巡礼初のミサがあげられました。
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¢( ・_・)  あれぇ? 何だかちょと違う?

状況を整理してみますと、
いつ?     日曜日(主日)の午後、
どこで?    イタリアはローマ市内のヴァチカン飛び地の聖堂
誰が?     フランス人である司教 さまが
何を?      背面ミサ
どうした?   フランス語 による Paul VI 典礼文 であげた
ンですねー。へぇ×∞ 
今年2月下旬から3月はじめまで北関東から延々とローマ典礼の背面ミサについて拙ブログに送信続けられた 匿名 さーん、他の電脳域では別のHNで大活躍中でらっしゃいますが、今もご多忙の合間に拙ブログにおみ足運ばれてらっしゃいますか?匿名さんからいただいたコメンツのおかげで私の知らないところで「典礼土●脳」という言葉まで私はいただきましたが、どうも何もかも天主さまはご存知で、無知無能の私を哀れに思い、こうしてローマ典礼の背面ミサについて直に教えてくださいました。この事実について結果だけを見れば、匿名さんが長期間に渡ってコメントを書き連ねたことは要らぬ余計なお世話だったかもしれませんが、ヒトなんか神の掌で転がされているひとつの魂に過ぎないので匿名さんからいただいた数多なコメントも神さまの計画のうちなのかもしれません。Only God knows

このミサが母国語で唱えられた背面によるローマ典礼であげられたという事実は単なる偶然に過ぎませんが、匿名さんとのコメント交換からたった2週間で我が目で拝見できるとはあまりにタイムリーでヴぃっくりしました。匿名さんが私宛に
読者に教授なさるのなら、正しいことを伝えないと信用が
なくなりますよ。
とコメントを残されたことも天主さまがご存知だからこそ、こういう場を私に示してくださったのです。私の立場上、典礼本の中身を逐一見れませんが(私なんぞには典礼書の中身が白紙だって構わん)、背面のPaul VI ミサにおいて司式司祭がどのような所作をなさるのかはぢっくり拝見することができました。感謝、感謝の Deo Gratias 。そして、匿名さんが
>1990年代に、典礼秘跡省が、ノヴス・オルドを背面祭壇であげる方が
>良いこともあると、文書で出していることは、ご存じですね。
と私に質問されましたが、どうやら公文書についての既知は二の次、三の次のようです。というのも、この小聖堂には 司祭と世俗が対面できる祭壇が存在しない のです。ほれ ↓
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もし私が参加した巡礼団が祭壇の位置を第一に重んじるなら、対面ミサのできないこの小聖堂を選びません。もしどうしてもこの小聖堂で対面ミサを絶対あげたいなら売店やら隣の修道院からダンボールを持ってきて対面ミサをあげてもいいでしょうに。今、この聖堂にあるものでそこに集う者が心をこめてごミサをあげるってぇのが基本中の基本なんぢゃないでしょうか。自己の要求や満足は祭壇の配置やミサの形や文面で満たされるのではありません。
そう、神さまが教えてくらしゃったような勘違いを私はしちゃいました、まる
小聖堂を出たら主聖堂では夕ミサが始まっていました。
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主聖堂にはこのような祭壇があるので対面のごミサです。世俗席は満席、告解室も長蛇の列で、本格的なローマ巡礼が始まるなりイタリアのカトリックの物凄さを見せ付けられ良くも悪くも私にはショックでした。祭壇の後ろ ↓ も満席ぢゃったよ。眼福、眼福。
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ヒトが感じる「余計なお世話」も、ヒトが判断する「奇跡」と同様に、実は「神のみ旨」によるものか「悪魔のそそのかし」によるものかは私たちはもちろん聖域に住まう方でも安易に判断しません。これもまた、Only God knows.
私にしてみれば執拗に狐につままれた、はたまた、幹にとぐろを巻いた蛇からの誘いを拙ブログで見たからこそ、このローマ典礼の背面ミサが神さまからの贈り物だと勘違いできました。「匿名」なる書き手を介す必要もなければ、狐や蛇の戯言に惑わされることもないと神さまからお返事をいただいた独善勘違い~。聖パウロ大聖堂の敷地に松や椰子は根付いてもサボテン はまったく生えていませんでした。ローマ市内ではサボテンが雑草のように乱雑に生えていたけれど。
サボテンが伸びっぱなしで放置されているのは
市井の温情。
ローマではサボテンが枯れるまで放置されるように、電脳域でも枯れるまで踊れるなんて本人は達成感があって満足だよね。Bof

le 30 mars 2009, Amédée
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by ma_cocotte | 2009-03-30 18:31 | 『?』なKTOりっくん | Comments(6)
妙にこだわる貴兄貴女に、
畏れ多くも畏くも。
こちらが、ヴァチカンは聖ピエトロ大聖堂のミサ・スケジュールでございます。m( _ _ )m
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↑ 聖ピエトロ大聖堂入口扉のすぐ左に掲示されております ↑


妙にこだわる方々には「見えない!」と叱られたりしますので、まずは
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主 日


続きましては、
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週 日



¢( ・_・) オヤ?    (" ̄д ̄) アレ~?



週日でしたら、午後五時
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日曜(主日)でしたら、午前十時半
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大聖堂祭壇 にいらっしゃれば ラテン語の典礼文と聖歌によるごミサ にあずかれます。

トリエント典礼ではないでしょーけれど、まっさか 偽物 ではあるまーに。

こむてュヴ、こむヴヴれ で ヴぁじ、あれじ ざ~ます。  
Comme tu veux. Comme vous voulez... et, vas-y. Allez-y.

ちなみにあてくしは、朝もはよからココ ↓
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このために午前7時には大聖堂内のど真ん中におりますた。
ここ ↑ であずかるミサのためには一般の墓参の道順と異なり、ろうそくを持つ赤いおべべに白いスルプリの侍者に導かれ、大祭壇向かって右の螺旋階段をそろそろと降りて参ります。がーぶちょん。
墓所の左隣には、グアドルーペの聖母の小聖堂がございました。
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この日は午前8時過ぎから5人ほどがこの聖堂でごミサにあずかってらっさいました。

司教さまの「神さまがいなかったら、ペトロがいなかったら、私たちが今ここでこうして集えたでしょうか?」という私たちへの問いかけは心に本当に響きました。涙がぢわぁあああ。
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ぺっとろぉおおっっ!


le 29 mars 2009, Gwladys

 聖ピエトロ大聖堂地下ですが、左奥から入場する観光コースでは写真撮影は厳禁です。職員が撮影を知るなり、即刻、外部に強制退去になります。
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by ma_cocotte | 2009-03-29 14:56 | 『?』なKTOりっくん | Comments(4)
ヂャウ・ハランバン夫妻は羅馬に詣で戻って参りました。
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6泊7日、うち自由時間は4時間のみでございました。
この間に撮った写真はデぢイチとおもちゃデバカメあわせ、ピンボケ含めて416枚。

天候は一日だけ突然のまとまった雨に遭いました。気温は低く、北部のトリノよりローマの方が寒いという、もしかしたら異常気象だったのでしょうか。

この旅、朝食後に宿舎の修道院を出て動き始めたら昼食時間を除き、夕食までただただ石畳の古い町並みを歩き、教会や修道院、神学院に寄っては祈り、聖域に住まう方々にお目にかかっては貴重なお話を伺うという繰り返しでした。
今回、はじめてのローマへの旅でヂャウ・ハランバン夫人が市内を歩きつつ萌えましたのが、車道を疾走する自転車通勤やら通学のローマンカラー諸兄でした。格好良すぎで眼福、眼福。あまりの速さで駆け抜けて行くので写真を一枚も撮れなかったことが残念でなりません。が、観光バスの車窓からこんな写真 ↓ を撮ることができました。
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ヴァチカンの西、ローマ下町のバス停で、バスを待つ人々です。
目撃するなり、耶蘇女学校時代の自分の黒白の制服をどこにしまったっけ?となぜか考え始めてしまいました。膝が隠れた裾丈のヂャンスカ、今思えば我ら女学生の邪心を包み隠すほど清楚な制服でした。そして、もし自分が今、このバス停でバスを待つとしたらどこで待ちましょう?この方々のど真ん中で口を開いたままガムを噛むなんてことはあっしにはできませんぜ。ローマ市内で否が応でも目に入る商業広告は大胆な表現のものが多く、このような聖職者や修道者が醸し出す雰囲気とのギャップが大きすぎます。それは現代ローマだからこそでありましょうが、どこかルルドの聖域外に漂う妙な空気に通ずるものがあるように思えました。

兎にも角にも、このような装束の方々を拝めるような日常、きょうび、お仏蘭西ではまずお目にかかれません。仏蘭西では聖職者も修道者も私服がまだマジョリティです。ただし、仏蘭西でも近年、若い神学生や聖職者がローマンカラーをはめる率が年々高まっているのも事実ですけれど。花の都お巴里で増殖中と漏れ聞いておる。
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絵葉書にない写真やらガイドブックにはないローマをこれから不定期にぼちぼちします。

le 29 mars 2009, Gwladys
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by ma_cocotte | 2009-03-29 00:28 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
迷惑に慣れても、それは迷惑。
きょうは午前11時少し前に旧市街に向かったところ、道の途中で警官が道路を遮断。警官のそばには一台の自動車しか見えなかったので人身事故だったらどうしよう、とハラハラしましたが、歩を進めているうちに警官が道路を遮断した理由が労働組合員によるデモ行進のためだとわかりました。
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集合場所は学区視学官事務局の前。午前10時も過ぎて気温もぐーんと上昇する中、春の日差しを浴びて、参加者の群れから醸し出される雰囲気はなんだか楽しそうであります。大きな組合旗や主張を書いた幕を肩に乗せて集まってくるヒト、人、ひと。多くの労働者がきょうのデモに参加することで公立学校のほとんどが休校となり、子連れ参加の人もかなりいました。こんなんだからフランスという国では小学生が第一インターナシオナルをすらすら斉唱できるんだよなー。

このデモ行進と同時間にま・ここっつぁんは旧市街周辺を車で移動したけれど、デモのせいで渋滞に巻き込まれたり、警官に迂回を促されたり、昼食直前の時間帯だけにどの車も命がないのにイライラしているのがわかるような空気が流れていました。
ま、こんなデモにもストライキにも慣れたけれどね。
国鉄ストも、学生ストも、高校生ストも、教職員ストも、役所ストも、郵便局ストも、ゴミ収集ストも・・・あと何ストだあ?目の当たりもしたし、巻き込まれもしました。ガイジンの私であっても迷惑度はどれもマックスだったかも。
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↑ 昨年11月22日に行われた教職員ストライキ・デモ行進 ↑

ココ新天地に引越してからは私事都合で就職活動登録もせず、子供もいないし、県庁所在地に住んでいることでスト被害をイライラするほど感じることなく傍観していられる余裕がまだ残っているようです。まあ、以前の住まいは泣く子も黙る13 県、すなわちマルセイユを抱える BdR (Bûche du Rhone)県ですからに。
今もストライキのたびに思い出すのが南仏の大学での担任で、かなーりヒダリの先生でもありましたが、教職員ストライキを目前にした時「ストライキは共和国民に平等に与えられた権利なのだ」とフランスに住み始めたばかりの私に説明してくださいました。結果はどうでもいいのだそうです。共和国民なら誰もがストライキできることに意義があり、フランス万歳!なんですってよ。その話を聞いてから注視してみると、仏蘭西という国においてはスト前に予告し、警察や関係役所に事前報告すると右だろうが左だろうが、時には未成年にさえ、デモ行進を行えるように警察がお出ましくださり、警護までしているようです。昨日だったかポワチエの県庁で朝っぱらから高校生が柵に自らの身体を鎖で縛るというパーフォマンスは予告無しだったために警官が鎖を巨大ペンチで切りまくっていましたね。

が、しかし、だ。
ストでもデモでもやってくれ。・・・と、わが心が少しは世間に広くなったつもりだけれど、お昼過ぎに帰宅してテレビをつけたところで、ストライキのためにニュウスが放映されないってぇのは困る。本当に困る。でも仏蘭西という国ではテレビ局職員にもストやらデモに参加する権利がある。だって彼らも共和国民なのだから。でも、生放送番組が流れないってぇのは困る。仏蘭西びとは困らないのだろうか?

きょうのところは、おとといからずーっと仏蘭西のニュウスのトップ事項は教皇B16のアフリカ訪問についてですからね。
▼TF1 : Les propos du pape horrifient la classe politique
18 mars 2009 - 20h00
▼TF1 : Au Cameroun, pas un mot du Pape sur le préservatif
19 mars 2009 - 20h00
お昼のニュウスでは確認できなかったけれど、夜のニュウスを見たらやっぱりトップはB16のアフリカ訪問。ギニョルショーも昨日今日とも教皇@アフリカのネタが中心。それにしてもこんにち カメルーンでは60,000人参列の野外ミサ だって・・・すっごー。
↓ 3月19日カメルーンでのミサの中継はこちらで。
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00043839&vl=video_a_la_une
あ、けふはB16の霊名日でもあったのだな。

le 19 mars 2009, Joseph
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by ma_cocotte | 2009-03-19 23:59 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(4)
知って良かった、知らなきゃ良かった。
旅行説明会 の後の 茶話会 あたりから、ま・ここっつぁんは複数の仏蘭西びとに「あなたはヴェトナム人ですか?」と質問されました。「いえ、違います」と返答すると、「ならば、いい」と去っていくという繰り返しです。日本びとは彼らにとって興味ない血統だからでしょうか。
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会場を去るにあたり玄関に向かったところ、掲示板に翌日曜日に或る田舎の聖堂で丸一日、MEPMissions Etrangères de Paris、=パリ外国宣教会)とヴェトナム宣教についての記念行事が開催されるポスターを見つけました。もし私がヴェトナムびとだったら彼らは誘ってくださったのかな。
その案内を見て、今年はじめからココんち地元の教会の片隅でMEP についてのパネル展示があったことを思い出しました。
MEP は日本國では「パリーミッション」という愛称で呼ばれていることが多いと思います。今年、創立351年目を迎えたこの宣教会の特長は所属会員が元は教区司祭であって宣教修道者ではないということでしょうか。本来、教区司祭と言う職は教区民のために働きますが、宣教の使命を知った司祭がMEPに志願、出向することで海外宣教を経験することができるようです。ココんち地元の或る教会に昨年9月から主任としていらっしゃる神父さまも、その前月まで中国宣教に出ていたMEP会員でもあります。使命を果たし、教区に戻ってきたことで司教さまから今度は教区内の教会の主任の使命をいただいたのですね。この写真 ↓ の左下を凝視しますと、どうもオラが地元の教区から67名の司祭がこれまでMEPの会員として旅立ち、うち二人の司祭が既に列聖されているようです。
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私は日本國内でのパリーミッションの神父さま方のご活躍について詳しくは存じませんが、日本國におけるMEP の活動は1844年(弘化元年)に始まり、禁教が解かれてからの日本におけるカトリックの基礎を耕し、種を蒔き、育てたのはMEP の宣教師方あってこそなんであります。日本人教区長が誕生するまで、日本国内の司教方の多くがMEP会員でしたでしょうか。
日本國ではMEP知らずでいた私が仏蘭西に住み始めてから偶然にもMEP会員の殉教聖人方に縁ある土地にばかり住んでおり、かつて南仏時代に住んでいた町は1839年に韓国で股割き刑により殉教した神父さまの誕生地であったことで、最も新しい聖堂にはその神父さまの名前ロラン・アンベエル Laurent Imbert が冠せられていました。
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2006年7月から住み始めたココ新天地においては列聖されたMEP会員はこのお二人 ↑
左のヂャン・シャルル・コルネ Jean-Charles CORNAY 師は中國のトンキンに派遣されて後、1837年ハノイ近郊で斬首刑。右のテオファアヌ・ヴェナァ Théophane VÉNARD 師は1861年に中國はトンキンで処刑されました。
このパネル ↓ は1837年ヴェトナムでの処刑の記録です。
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断首の日まで何十日も檻に閉じ込められて見せしめにされるのもお決まりのコースだったようです。この写真 ↑ の右上の絵は斬首後に身体をバラバラにした様子が描かれています。韓国での例のように手足首それぞれに馬やら牛をつなげ、生きながら割かれる刑というのも処刑方法を聞きながらに身悶えそうな感覚に襲われますし、ヴェトナムのように四方丸見えの檻に何十日も閉じ込められ、最後には斬首、解体というのも恥辱をまず思い立ち、それを生きながらに耐え忍ばれ、この世での生を終えられた宣教者方には頭下がります。

この二人の聖人以外にもココんちあたりに縁あるMEP会員がアジア諸国で殉教し、列福や列聖調査中であります。その中のひとりにオーギュスタン・ブゥリ Augustin Bourry 師 ↓ がいらっしゃいます。
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彼、1854年にインド東北地方と国境を接するチベット南部で殺害されました。
中華人民共和国が誕生したのは1949年ですから、1854年にブゥリ師を処刑したのは共産党政府ではありません。・・・となると、チベットのどなたがブゥリ師の殺害を決め、実行されたのでしょ?その目的は?
ブゥリ師が処刑されたチベットとインド国境の山岳地帯は1990年までカトリック宣教絶対禁止地帯であり、2005年12月にようやくB16の名の下に2教区が置かれたところだそうです。

カトリック殉教史、迫害史から眺めると、ヴァチカンやカトリック関連団体が昨今のチベットと中國の諸問題で立場を明瞭に動けないのもこんな事実が既にあるからかもしれませんね。

le 18 mars 2009, Cyrille
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by ma_cocotte | 2009-03-18 18:28 | 『?』なKTOりっくん | Comments(6)
図書室の片隅から見つけたもの。
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昨年11月の終わり、ルルド Lourdes に行って参りました。
ルルドという町には48の修道院が点在しているそうです。
私は聖域の真裏に位置する小さな修道女会 ↓ にお部屋を借りることができました。
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お部屋はこんな感じ。
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ベッド、机、シャワー&トイレに掃除道具。これにもし小さな本棚があれば1998年にいたパリのモンパルナスにある女子寮と同じです。

もちろん寮ですからお約束の風紀あり。
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第一の約束は、- Le SILENCE 静粛に!
第二番目の約束は Après 22 heures, ne plus prendre de douches 午後10時以降シャワー禁止、更に続くは Respectez les horaires des repas! 食事時間を守りましょう!
きゃああ、うっかりワクワクするほど破り甲斐がございませんこと?
ちなみにこの修道院から聖域に至るまでに三度、門を開け閉めしなければ専用の小道に出られません。塀は・・・そうね、登って飛び降りれなくもなくってよ。 焦ってスカートの裾を引っ掛けませんように。・・・おいおい、状況が違うだろ。

修道院ですから図書室も。むこうの山にはカルメルぐゎ。
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そして、ド根性で本棚からお宝発見。がーぶちょん 眼福ぅうう。
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教皇JPII からご聖体をいただくスイス兵。「直立のままお口」はお決まりざんす。
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↑ 小柄なB16ですと見詰め合う二人になってしまふ ↑


教皇さまの車が縦目のメルセデスですから1980年代前半でしょうか。ついこの間のようでも、きょうび縦目のメルセデスは滅多にお目にかかりません。こんなことで月日の流れを実感し・・・ぢぃっと手を見る。

le 17 mars 2009, Patrice
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by ma_cocotte | 2009-03-17 06:13 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(8)
お庭の憲兵さん Les gendarmes du jardin
13日の金曜日。
ココんちあたりは午後になって気温がぐぅううんと上昇。太陽も燦燦
ま・ここっつぁんは半袖Tシャツのまま、今年初の芝刈りをしました。刈り取った芝はゴミ箱に直行ではなく、苺の苗の周りに敷き詰めます。こうすれば苺の花が泥に触れないので傷まず美味しい実を結んでくれるのです。
春が目の前に近づいていることを実感したのは人間だけではありません。こちら ↓ もそう。
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お仏蘭西のてんとう虫

日本のコロっと丸いてんとう虫とは異なり、お仏蘭西のてんとう虫は面長であります。
3月に入り、ココんちの薔薇の茎から新芽が吹き始めた途端、てんとう虫の登場です。このてんとう虫、こちらが茎や葉を動かすと裏からぞろぞろ出て来るのが常です。上空から突然ボトボトと落ちてくるとゾっとさせられたりもします。この彼らが裏でこそこそと何をやっているのかというと、どうもアブラムシをはじめとする草木の天敵をやっつけているのです。だから、このてんとう虫を仏蘭西語ではル・ヂャンダルム Le gendarme、=憲兵とズバリ呼ぶらしいのです。ココんちでは草木に農薬を使わないようにしているので、庭の憲兵であるてんとう虫さんの働きには感謝するばかりです。
てんとう虫のみなさん、今度の冬が来るまでがんばってください。
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↑ 3月15日午後3時手前の憲兵さんたち@ココんち ↑
日曜日にうぢゃうぢゃとよく働くのも人間界の憲兵さんと一緒です。


le 15 mars 2009, Louise
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by ma_cocotte | 2009-03-15 16:28 | 『冬』 Rien de spécial | Comments(8)
13日の金曜日の前日に Le mea culpa de Benoît XVI
13日の金曜日の前日2009年3月12日にヴァチカンは教皇ベネディクト16世が3月10日付で全世界の全司教宛に送った手紙を一般に公開しました。その手紙は仏蘭西語では6ページに及ぶもので、一ページ目には
LETTRE DE SA SAINTETÉ BENOÎT XVI AUX ÉVÊQUES DE L’ÉGLISE CATHOLIQUE
au sujet de la levée de l’excommunication
des quatre Évêques consacrés par Mgr Lefebvre

カトリック教会の全司教へベネディクト16世聖下からの手紙
ルフェーヴル大司教によって聖別された四司教の破門解除について
と書かれてありました。仏蘭西語ではありますが、以下、カトリック系全国紙ラ・クロワ La Croix に掲載された手紙の全文です。よろしかったら、クリック ↓
Lettre du pape Benoît XVI aux évêques sur la levée de l'excommunication
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文章のはじまりもそうですが、途中で現在のFSSPX (聖ピオ十世会)のヴァチカンにおける立場について司教さま方に語りかけるように優しくて易しい言葉で細かく説明されています。これぢゃもうFSSPX側が流す都合の良い過去の話も今の話も以前にも増して通じなくなってしまいました。ルフェーヴリストのみんなたちはこれからどんな形で教皇ベネディクト16世との関係を語られるのでしょう。
以下は3月12日夜のTF1ニュウスで流れたこの件についてのビデオです。
TF1 : Affaire Williamson : Benoît XVI s'explique
http://tf1.lci.fr/infos/jt/0,,4305121,00-affaire-williamson-benoit-xvi-s-explique-.html
une lettre aux évêques en forme de mea culpa 反省と回心を司教方に告白した手紙かあ。TF1ニュウスに登場した仏蘭西司教団広報担当司教さまも、France 3のニュウスに登場されたエヴル Evreux の司教さまも教皇さまの謙虚さに畏れを持ったようなことをおっしゃってましたが、もしかしたら日本語訳が正式に公開される可能性もあるので私の立場では訳すのを控えますけれど【3月13日追記】 ヴァチカン放送HPに掲載された記事 をご覧ください、公文書を読む際には感情移入は禁物ですが、司教さま宛のお手紙ということで読み始めますと、
ついうっかり もらい泣き (T□T) ビョー
です。ココんちの近所で鼻の穴を膨らましてこの破門解除の件で怒りまくっている9人の神父さまもこのお手紙をご覧になって鼻の穴を少し小さくしていただきたいものです。紙ふぶき、いえ、手紙が鼻にくっついて穴を塞いでしまうと呼吸も上手にできなければ、手紙の文章を読むこともできません。

それにしてもだなー。先月26日にウヰリアムソン師からヴァチカンに送られた 謝罪文 についてウヰリアムソン師が謝罪するMea Culpa(メア・クルパ、私の過ち)の具体的内容を知りたいと28日に返事したヴァチカンでしたが、その後FSSPXもウヰリアムソン師も動くことなく、第10日目に教皇さまが世界中の全司教方にご自分のいたらなさ(=Mea Culpa)を謝る手紙を送られるとは。ε= (´∞` ) ハー。来月16日に82歳の誕生日を迎えられるおぢいちゃまにこんな手紙を書かせるなんてかわいそうだ。ご老人にこのようなご心労をかけるなんて。このお手紙を読んでいると、頭を深々と下げるご老人が目の前におり、こちらが「お願いですからそこまでなさらないでください」と申し上げたくなるような状況を思い浮かべてしまうほどです。もし私が騎士勲章をもらっていたら驢馬を頼りに馳せ参じますですよ。我等がベネさまにこんな手紙を書かせる奴なんて凡人には赦すのが難し過ぎるぢゃないかっ。
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・・・・なんだけれど、教皇さまの「下準備を軽んじた」という告白については凡女の私でも「そうですね」としか申し上げられません。誰も分裂のままでいいとは思っていないけれど、一致するにしてももそっと下調べはもちろん、聖域内の霊的兄弟方との間でも密な段取りが必要だったように思います。1月24日、噂が事実となった時はそれこそ世界びっくりショーで、多くのヒトが豆鉄砲を喰らった鳩のお目目で、サブロー・キタジマの鼻の穴だもの。パウロ年の大きなプレゼントのつもりだったかもしれませんが、隠しすぎたことで驚かせすぎ。それで結果がこれぢゃあね。
B16はヒトが作った国境を取っ払った世界で成り立つカトリック教会の最長上であり、ヒトが作った国境の世界では一国家元首でもあるのですから、このままでは世界中の聖域においても俗界においても不和が平和を押しつぶしかねないことを自ら悟られて動かれたのでしょう。頂点に立つ者が公で謝らなければならないことは三角形の底辺にいるヒトよりはるかに多い。しかも教皇さまは事務的な文書ではなく、ご自身の心と気持の篭った言葉で綴られた手紙の形で霊的兄弟である司教方にまず送ることでFSSPX なる団体とご自分との関係、教会との関係をきちんと明快に説明されたかったのかもしれません。

私なんぞはお気軽極楽なヲッチャアの立場なので、こうして教皇さまから司教さま方に送られたお手紙を拝読しますと、単純に「教皇さまを悲しませちゃいけないよ」と思います。なぜって教皇ベネさまが好きだから。
こんな時こそ教皇さまのためのシモン、ヴェロニカになるんだ、ぢょー。
で、タオルはどこ?¢( ・_・) ドコ?

le 13 mars 2009, Rodrigue


以下は朝日新聞に掲載された上記の件に関する記事です。

司教の破門解除問題 ローマ法王「説明が不十分だった」
2009年3月12日21時44分配信 朝日新聞

【ローマ=南島信也】ローマ法王ベネディクト16世は12日、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視する発言をした司教らの破門を解除して批判を受けている問題で、「私が深く後悔している過ちは、(破門解除の際の)説明が不十分だったことだ」とする書簡を出し、事実上謝罪した。5月のイスラエル、パレスチナ自治区訪問を控え、一連の問題の収束を図る狙いがある。 ▼法王は今年1月、教義上の理由で破門された超保守派の司教4人の破門を解いた。ところがその1人で英国人のリチャード・ウィリアムソン司教が昨年11月、スウェーデンのテレビインタビューに答え「ナチスのガス室で殺された者はいない」とホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を否定していたことが分かり、イスラエル政府やユダヤ人社会が激しく反発していた。 ▼法王は書簡で「情報には大きな注意を払わなければならないことを学んだ」とし、事前の情報収集が不十分だったことを認めた。さらに「お互いの無理解を乗り越えて信頼関係を築くために、ユダヤの友人たちが助けてくれたことを感謝する」とも述べ、ユダヤ人社会に対する謝意を示した。 ▼法王は5月8~15日にイエス・キリストの死と復活の地とされるエルサレム、キリスト生誕の地とされる自治区ベツレヘムなどを訪れ、ミサを行う予定だ。



【追 記@13032009】
ローマ在住で以前からFSSPX問題について追究を続けてらっしゃる神父さま Fr. John Zuhlsdorf のブログ What Does The Prayer Really Say? で教皇さまから全司教方へ送られた手紙の米語訳と、その手紙をご覧になったFSSPX総長フェレ師による公式声明文の米語訳が既に掲載され、3月12日のエントリー直後からいずれもコメント欄が大賑わいとなっております。以下、ご参考までに。
▼教皇さまから全司教方に送られた手紙について
Benedict’s Letter in English: Fr. Z comments
▼教皇さまから全司教方への書簡をご覧になったフェレ総長の公式声明文
SSPX Superior Bp. Fellay on Pope Benedict’s Letter

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by ma_cocotte | 2009-03-13 06:40 | 破門→波紋→和解→破壊 | Comments(4)
生 き る 。 生 き て 行 く 。
2009年3月12日、ココんちあたりは深い靄に包まれたまま夜が明けました。
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↑ 2009年3月12日午前7時49分、モヤモヤ~なココんち ↑

きょうは私の母の誕生日です。
昭和9年(1934年)生まれでしたから、もし今もココにいたら75歳。
昨年2月24日に母は永眠し、28日に私は母を見送り、3月26日にココんちに戻りました。ココでのいつもの生活に戻ってすぐ、母が2月に旅立ち、3月に誕生月を迎えるのだからと、晩冬から春の始まりに咲く草木を選んで庭に植えました。
こうして今年の3月12日を迎えましたが、私の計画は頓挫。椿も木瓜も蕾は持ったものの開花してくれませんでした。ですが、今朝、台所前の日陰に花が咲いているのを見つけました。
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こうして写真を眺めると、雑草と呼んでもいいラムズイヤーの方が立派に繁り、美しいです。白く小さな花に寄ってみましょう。
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あまりにひ弱な、虚弱なヒヤシンスです。茎もなければ、葉は既に虫に食われて穴が空いています。2月だったか土を耕している時に私がうっかり真っ二つに割ってしまった球根が花をつけたのです。とてもお花屋さんの店先に出るような芳しい香りを放つ美しいヒヤシンスではありません。

でも、うれしかった。
半分に割れた球根をゴミ箱に捨てなくて良かった。
私は断面が丸見えになった球根を土に埋めることで土に戻ると思ったけれど、真っ二つになってしまった球根は土に戻るより「生きよう」と真っ暗闇の土中で決意したのでしょう。土の下でひたすら地上から染み入る朝露を飲み、生きて、生きて、大きくなって、こうして今日、花を咲かせたのです。外見は雑草より控えめでも、ひと花摘み取り、鼻のそばに寄せればヒヤシンスのあの華やかな香りがします。香りは目に見えなくても、私が摘んだひと花は自らがヒヤシンスであることを香りで証明してくれました。

花のいのちは短いけれど、私が埋め返した球根は断面が見えるほど身が欠けてしまっていたけれど、こうして花をつけるまで生きたヒヤシンスならば、花を咲かせた後に地中でいくつかの子球根を産むことでしょう。そして、子球根は来春に美しい花を咲かせようと母球根から栄養をもらって育ちます。一方、私が半分に割ってしまった球根は子球根たちに身を吸われ、しなび、やがて土に戻り、使命を果たして生涯を終えることになります。

半分に割れ、半分を失ったたヒヤシンスだって日陰に埋め捨てられたにもかかわらず生きることを諦めませんでした。身が半分になっても生きて、生きて、こうして地上に花を咲かせました。私は外見も内面も親にとって納得行かず、満足いかない存在ですが、親から命をもらったからにゃあ生きるしかない。この白いヒヤシンスのように。みすぼらしくても、ひ弱でも、こうして花を咲かせたことで喜んだ私がいるではありませんか。大喜びしたのは世界中でたったひとりだけれど。そんな大きな喜びを私に与えてくれたのも、日陰でひっそりと蕾を開いたあまりにも地味なこのヒヤシンスの花です。泥をかぶっていても、虫が食っていても私には気にならない。花を開いてくれて、ありがとう。

母の誕生日の朝、こうして開花した小さな白いヒヤシンスに「生きる」ことを教えてもらいました。これから先、私の身がどう変わり、私の周りの環境がどうなるか私にはわかりません。
でも、生きよう。生きてみよう。生きて行こう。
我が身がしなびて土に返る日まで生きてやる。
私が割ってしまった球根もそう。球根の立場になってみれば、突然私に身を二つに割られ、それまで南向きの良質土の中に埋まっていたのに、日陰の粘土のような土に私の判断で埋め替えられてしまいました。粘土のような土では地上から届く水も少なければ、土が重過ぎて根を思うように張ることもできません。それでも「生きる」と決めたのは球根自らです。私ではありません。私はこんなひどいこと、かわいそうなことを球根にしたのに、この球根のことをすっかり忘れていました。私が何をしたのかこうして開いた花が思い出させてくれました。
来年はいくつのヒヤシンスが土を割り、白い花を咲かせ、芳しい香りを放ってくれることでしょう。来年生まれ来るヒヤシンスを既に待っている私がココにいます。

le 12 mars 2009, Justine
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by ma_cocotte | 2009-03-12 18:05 | 『?』なたわ言 | Comments(3)
ネ + 申 = ネ申、神という字とそっくりだけれど神ぢゃない。でも、実は同じ意味だったりして。
日本語は便利だなあ、と思いました。(・_・)
でも、アルファベットや表音文字の組み合わせで言葉を表現する国は大変なんだとわかりました。最近のマレーシアでこんなことがあったようです。

「アラー」の使用禁止、残り4地方でも
3月11日8時33分配信 NNA

 「アラー」をはじめイスラム教徒にとって神聖な言葉の非イスラム系出版物への使用を禁じる措置に、残っていた4つの州も近く従うもようだ。▼国営ベルナマ通信によると、この措置はもともと、カトリック系週刊誌「ヘラルド」がアラーの言葉を掲載したことに端を発し、アブドラ首相の宗教顧問を務めるアブドラ・ジン博士が、イスラム教への敬意を高める目的で提唱した。イスラム教の教義解釈などを行う全国ファトワ評議会が使用禁止を決定し、10の州が公示していた。▼残るペナン、サバ、サラワク各州と連邦直轄領の4地方は、最高権限者であるスルタンがいないことから、ほかの州のスルタンで構成されるマレー統治者会議が示した規定に従う形となったようだ。▼禁止対象となる言葉は、「アラー(神)」、「ソラト(祈り)」、「カアバ(聖地、聖殿)」、「バイトゥラー(神の家)」の4つ。




前々からマレーシアという国は一神教の異教、つまりユダヤんやクリスちあんのヒトには生きるのが難しい国だと聞いてはいましたが、イスラーム教徒なら使える単語も異教徒だと使ってはならないようですね。以下のような、上よりもそっと詳しい記事も見つけました。

マレーシア、カトリック紙の「アラー」使用やはり禁止か
2009年03月02日NNA
CJC=東京】イスラム教徒が国民の多数派を占めるマレーシアで、政府は、イスラム教関係以外のメディアが「アラー」という言葉の使用を禁じていた。その後、制限事項を撤廃するなど出版規制が改定された。▼カトリック教会の英字紙『ヘラルド』紙のローレンス・アンドリュー編集長は、発行許可更新の際に制限が付けられなかった、として使用したことが問題となった。アブドゥラ・ジン首相府相(宗教問題担当)は2008年1月4日、イスラム教徒以外が「アラー」という言葉を使用することは、許可更新後も引き続き禁止であり編集長の発言は誤解に過ぎない、と語った。さらに国内治安省(内務省)が2月、「イスラム関係者のみ使用できる表現」とし、禁止を命令した。アンドリュー編集長は「イスラム関係者以外の者にも使用が認められる」と主張。撤回を求めて裁判で争う方針を表明した。▼政府側は、「アラーという表現を使用する権利の問題は裁判になじまない」と主張したが、ラオ・ビーラン判事は、裁判で争われるべき権利として同年5月5日、クアラルンプールで政府側の請求を退け、提訴を認めると判示した。▼『ヘラルド』紙はこの1年以上、イスラム教関係組織やメディアの批判キャンペーンの対象になって来た。原理主義の影響が強まっていることにもよるが、政教分離型の憲法の下で、実際の司法レベルではイスラム教の影響が強いことも影響している。▼政府は積極的に問題解決に当たるというよりも、穏やかな解決法を探ろうとしていた模様。▼保安相が2月16日、「アラー」の使用禁止を命令、裁判に訴える、と官報に掲載した後で、内務省は、キリスト教出版物は奥付または表紙に「キリスト教徒のみの出版物」と表記すれば、「アラー」の表記が許される、との指示を発した。▼『ヘラルド』紙とクアラルンプール大司教区の提訴に対する第1回審理が27日に行われる直前の措置だった。同紙側は不十分ながら前進だ、と評価していた。▼しかしシェド・ハミド・アルバル内相は28日、「官報掲載までに誤りがあったと思う。事態を徹底調査しなければならない」とメディアに語った。使用禁止は裁判所の最終判断が出るまでは有効だ、と述べている。



もしかしてマレーシアという国ではイスラム教徒に「キリスト教徒のみの出版物」を買う自由もないのでしょうか。イスラム教徒がキリスト教徒のみの出版物の中の「アラー Allah」という単語でイスラームがイスラームにおける神と混同してしまうことを恐れているとしても、それは内輪の教育の問題でしょうに。異教の解釈を知ってこそ、イスラーム命になると予想することさえ恐れているのだとしたら、大英帝國育ちのウッサマさまの前例があるから?
上の記事について調べてみたところ、マレーシアで販売されているカトリック週刊誌ヘラルド The Catholic Herald はマレーシア国内で約14,000部発行しており、読者数は約850,000人。英語、マレーシア・バハサ語、タミル語、中国語の4か国語で印刷されているのだそうです。私個人はその昔、「神」という単語をアラビア語にすれば「アッラー」なのだと習いましたが、マレーシアのようにこの単語を使える資格がイスラームでなければならないとなると、異教徒は神をどう訳せばよいのでしょうか。日本語の新聞だったら、このように命じられたらとりあえずカタカナの ネ の半角と、その右隣に漢字の「申」を置けば ネ申 となり、漢字の「神」に見えなくもないし、神の字が横広がりなので
こいつぁ春から縁起がええわい、七福神 v(^▽^)v
と、その場を丸く収めることもできなくもありませんが、広い世の中、そんな文字遊びができるのは日本國くらい、そんなオチで丸く収められるのはウマシカま・ここっつぁんのまわりくらいです。

21世紀に入って9年も過ぎれば個人の宗旨を尊重しての政教分離は当たり前だと思うのはまだ早いようで、イスラームのような政治も宗教も生活も包括した宗教で原理化が進んで、他宗教との区別が好まれるようになるといずれ差別が生じかねません。マレーシアにはそんな香りが漂い始めているかも。ただし、このヘラルド紙の使用言語にアラビア語がないのになぜ「アッラー Allah」という単語を用いた文章が掲載されたのでしょう。もしかしたら記事の内容に問題があるのかもしれませんね。

変な話、「神 Allah」という単語を使いたいだけなら改宗すりゃあ使えるンですよね。
( ̄□ ̄;)ア? そゆこと?
信教による使用言語制限なんて宣教妨害でしょうけれど、寄留先の異教国でこう決められちゃあ、異教のガイジンは「出るのも自由、いるなら守れ」でしょう。
上の記事を眺めれば、マレーシアには「全国ファトワ協議会」なるものもあるようです。ドキドキ。この3月8日は「女性の日」で、仏蘭西でもテレビ画面にこの日にちなんでの映像が流れましたが、その中に火傷による損傷で顔の皮膚がつれたままの女性たちによるデモ行進の様子がありました。仏蘭西ではたまにイスラームを信じる移民の間で、男性からのプロポーズを断った女性が男性から火を放たれて火達磨になってしまったというニュウスが流れたりしますが、まさかデモ行進できるほどの犠牲者がいるとは思いませんでした。現状を甘く見すぎていた私、猛反省です。

マレーシアがイスラームにおける理想平和国家をより早く実現するためには、マレーシアから異教を排除してしまうのが手っ取り早く簡単な方法でしょう。改宗を求めたところで異教徒が受け入れるかどうかは世界の歴史を振り返ればわかること。
でも、山を登らず、山の裾を周っても辿り着く終点は同じなら、息を切らして汗をかき、時には杖を突いて山の頂上に辿り着き下界を見渡せば裾野に広がる神が創造した自然の美しさも、ヒトが創造した諸々の美も醜も一つの身体にある二つの目に入ってきます。そして山頂から裾野を舐めて遠方に目を移せば大海が見えることもあれば、地球が丸いこともわかります。でも、同じ山の向こうにある終点を目指すにしても裾野を周る道を選べば汗もかかず疲労も少なく到達できても、その道を選んだ者は道路際の様子しか知ることができません。同じ終点に向かうとしても、自分ならどちらの道を選ぶでしょう?苦労をしても山を登り、頂上から世界を知り、下山して、人々に自分が見たこの世の素晴らしさを話せた方が良いのではないでしょうか。

マレーシアという国が国民に世界を知ってもらっては困るなんて思っていなければいいですけれど。世界を知ったところでイスラームを棄教するような国民ではあるまい。え?そうなの?ユダヤの律法もイスラームの啓典のうちのひとつですが、神の語を使うことがイスラム教の敬意の表れであり、イスラム教徒でなければ神の語を使ってはならないとは十戒にはないのにね。「神の名をむやみに呼ぶなかれ」は全知全能の神を知るこの世の万民への言葉でありましょうに。これからのマレーシアはどういう国になっていくのでしょう。こういう形での浄化、多民族の結束を進めるのでしょうか。仏蘭西でも神聖賢愚帝サルコぢ一世がしばしば口にされるナシオナリズム Nationalisme やらコミュノタリズム communautarisme の問題点につながらなくもない話題かもしれません。

le 11 mars 2009, Rosine
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by ma_cocotte | 2009-03-11 16:07 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)