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年に一度の、おめかしの日。
一方、昨夕、盛大に祝われたパウ朗 のストレス解消相手でもある、ヒトの良いペト郎爺にとっても、きょう6月29日はお祝い日なのであります。
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来る日も来る日も世々に至るまで、ココ ↑ でこうして ↓ 万民を待ってくださるペト郎爺であります。こうして遠方からファインダーを眺めたところで、ペトロ上空に気付いてヴぃっくり。ボスコ丼がペトロ、ピオ9世より上にいらしてよろしいの?
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午前8時前に大聖堂に入れば、このように人影のない、ペトロ爺に会えまする。ペトロさんを右に曲がったところにヨハネ23世が永眠されています。

さて、パウロ年の閉会から一夜明け、今朝は9時半から聖ピエトロ大聖堂でごミサ。
運良く、KTO の生中継を拝見できました。眼福。
SOLENNITE DES SAINTS PIERRE ET PAUL : MESSE ET IMPOSITION DU PALLIUM
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00045641&vl=video_nouveautes

ついでに、このごミサ後のアンヂェリュス
Angélus de Rome
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00045651&vl=video_nouveautes
朝の自然光が降り注ぐ大聖堂でのミサ、うるうる。この自然光に抹香の煙が立ち上ると生きながらにして天に昇る道を確かめられるような錯覚に陥る私であります。で、入祭の画面で気付きました。ペト郎がいつものペト郎ではにゃいではにゃいかーいっっ!

魚屋の、いえ、漁師のおっちゃんが、おめかししてる~ ゚+。:.゚ヽ(=´▽`=)ノ゚.:。+゚

こちら ↓ は一年前のきょうの朝の「おめかしペトちゃん」。右端をご覧あそべ。
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こっそりとカメラにVサインを送るペトロ爺 ← 大嘘。

ペトロが羽織られているプルヴィアーレはもしかしてこれ?→ Trésor de Saint-Pierre
ペトロ像のお召し替えは前日の日没前?それとも当日の夜明け前に行われるのでしょうか。おそらく聖職者方、修道者方でプルヴィアーレをかけ、ミトラ 教皇冠を恭しく戴冠するのでしょうけれど、それは私たちにしてみれば年に一度、お雛さまや武者人形をおうちに飾る時のような心のうれしい昂りを秘めた準備作業と似て遠からじなのかもしれません。
Pierre ペトロという方はどうも文武両道の「イイとこのボン」パウロとはまったく反対のキャラと申しましょうか。昨日のアンヂェリュスでも教皇さまがペトロについて「漁師のおっさん un homme pêcheur」という鍵語を出されていましたが、漁師だったペトロがイエズスさまと出会い、逆さ十字刑を選ぶまでの生き様を振り返ると、年に一度、こうして教皇としての美しすぎる装束に包まれることについて「それくらいしてあげようよ」と私は思ってしまいます。 今年は特に、昨年までとは違い、3月にローマに行け、ペトロの墓前でごミサにあずかれ、その時、司教さまがお説教で「もしペトロがいなかったら、今ここに集う私たちは?」と問いかけられたことがずーっと心に残ったままです。仏蘭西語だけかもしれませんが、漁師 pêcheur も(宗教上の)罪びと pécheur もペシュウルと<ほぼ>同じ発音です。なんか意味深?と思ってしまうのはぺの音の微妙な違いに気付けない凡な私だけなのか?そして、ペトロのフランス語表記ピエール Pierre も小文字で pierre と書けば「石」の意味で、「聖書サマの言うとおり、あれれのれ」のフランス生活文化なのです。

ところで、毎年6月29日に最も近い土曜日にフランス共和国内各地のカトリック教会では叙階式が行われます。花の都おパリでは6月27日に10人の新司祭が誕生しました。
Les ordinations sacerdotales
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00045645&vl=video_a_la_une
同じ6月27日、オーストリア、スイスと国境を接する南独逸はヴィグラツバッド Wigratzbad にあるFSSP(1988年、ルフェーヴル派が破門になる直前に教皇に直接助けを求めたことで教皇庁認可となった1962典礼のみを守る男子修道会)の神学院 聖堂にて叙階式が挙げられました。5人の新司祭のうち4名がフランスびと。
Liturgia : Ordinations de ce matin à Wigratzbad (FSSP)
このブログ ↑ はパリ市内の大司教区に認可され1988年以降、1962ミサをあげている教会スタッフによるものですが、FSSPの叙階式の写真がなんと美しいこと。・・・それはあったりめーだですが、一番感動するのは最後の写真ですね。叙階式直後、新司祭から祝別をいただく習慣。この日だけ霊的兄たちと生まれたてのホヤホヤの立場が逆転します。文中に教皇さまとのつながりある叙階式であり、カザフスタンのカラガンガ補佐司教、セレリナの協働司教であるアタナシウス・シュナイダア師の按手、司式とあります。それにしても、眼福。 

そして、きょうの朝、スイスはエコンにて聖ピオ十世会が叙階式を行い、8人の新司祭が誕生したそうです。この叙階についてヴァチカンは違法と既に宣言しています。
France 2 20H : ORDINATION PRETRES INTEGRISTES
聖ピオ十世会は今年度はスイス、独逸、エイメリカにおいて27名の新司祭を誕生させたそうで、ヴァチカンに連なる独逸や仏蘭西の教区司祭誕生数に比べても聖ピオ十世会の方が勢いがあると総長フェレ司教がお説教の中でおっしゃったそうです。ご指摘のフランスの教区司祭ですが、今年は90名の叙階だそうで、昨年に比べ10%減だとか。

AFP : Moins de cent nouveaux prêtres cette année en France

叙階について数で勝負する時代がやって来たのでしょうか?ε= (´∞` )

le 29 juin 2009, Pierre et Paul
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by ma_cocotte | 2009-06-29 23:43 | 『?』なKTOりっくん | Comments(5)
B16は署名を断った。 Le Pape refuse la béatification de Pie XII
あ、忘れないうちに。

Le pape Benoît XVI ne signera pas le décret de béatification de Pie XII.
教皇ベネディクト16世はピオ12世の列福宣誓書に署名しないだろう。

昨日(28日)、国営放送France 2 の13時のニュウスで流れたこと ↓ です。
どうやら1939年から1958年に在位された教皇ピオ12世の列福が世間一般で言うところのペンディング、一旦停止状態に入ったようです。
L'épineuse question de la béatification de Pie XII
http://jt.france2.fr/player/13h/index-fr.php?jt=20090628&timeStamp=531
冒頭、棚から担当者であるピィタア・グリュンペル Peter Grumpel 神父さまが取り出した真紅の分厚い本はピオ12世についての列福調査資料全六巻です。щ(゚Д゚)щ 初めて見たわ。

ピオ12世の列福調査については数年前から始まっており、実は昨年5月8日に調査を終了していましたが、その後も教皇さまは調査書類を全てご覧になったところでサインをなさらず、今年6月に入り、理由をもってサインをしない旨、グリュペル神父さまに伝えたそうです。その理由と言うのが、今年1月の聖ピオ十世会に所属する四司教破門解除と、この発表とほぼ同時に明らかになった四司教のうちのひとりであるリシャアル・ウヰリアムソン司教の歴史否定発言交渉の決裂により、これ以上、ユダヤ社会とカトリックの関係を危うくしたくないという教皇さまご自身の気持が、今年5月にヤド・ヴァシェム Yad Vashem のホロコースト記念館を訪問したことではっきりしたからだそうです。

へぇ、そういうことってあるんだね、と思いました。

というのも、先月だったかココんちの地元の神父さまとの雑談でピオ12世の列福について話題になり、私が第二次大戦時の不明瞭な点を挙げて列福は難しいだろうと言ってみたところ、即座に神父さまが「いや、ピオ12世ご自身は黙ってユダヤ人を匿い、救っていたのだから必ず列福されるでしょう」とおっしゃったことがあったからです。神父さまにそう言われちゃ、「はい、そうですね。そうなりますように。」なんですが、今回の教皇さまの決意ははっきりとしているので、現教皇さまの在位の間にまずピオ12世の列福は「ない」に等しくなってしまったのでした。

へぇえええ。

これも「神の大いなる栄光のため」の一発大逆転なのでしょうか。
が、なんだかよくわからない、時系列が曖昧というか、ホワイトホールな話の展開です。多くの報道が語っているように、ウヰリアムソン師の過激な発言がもし明らかにならなかったら、ピオ12世の列福はあり得たのかもしれません。いえ、昨年中に教皇さまが署名していれば、ピオ12世の列福は確実に近未来でした。そして、ユダヤ人の一部には教皇ピオ12世が沈黙を貫いたことで犠牲者が増えたのだ、という意見があり、教皇ピオ12世が「黙って人助けをしていた」ことを認め難いユダヤ側の意見に対し、教皇B16は終始、ピオ12世を弁護し続けていましたし、昨年まではユダヤ社会とカトリックの関係について教皇B16はまったく懼れていませんでした。列福書類の署名を先送りしていたのも世論の反応を見定めてからの署名が良いと教皇さまが判断されていたのだそうです。ところがなんだかこんな結果(という言葉に躊躇いつつも、やはりほぼ「結果」)になってしまったのですね。となると、数行上のホワイトホールというより、やはり祈りに祈ってらっしゃる教皇さまだからこそ、これぞまさに「聖霊のはたらき」による決意なのかもしれません。
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ピオ12世がご身分も御名も明かさずに「黙って善行する」というのはカトリックの美徳だろうに。教皇さまはピオ12世が列福されるための一条件である英雄的長所 vertus héroïques を否定してはらっしゃらないとか。

グリュンペル神父さまにとっては昨年の5月8日以降、待ち続けた教皇さまのサインを、こうして一年一ヵ月後にはっきりと「私はサインをしません」と返事を頂戴したことで「今は」無念の気持が心をちらついてらっしゃるかもしれません。が、教皇さまは署名はせずとも、ピオ12世についての列福調査を継続するよう希望されているとのことなので、グリュンペル神父さまの希望が失われることはありません。

それにしても、へぇえええええ。

le 29 juin 2009, Pierre et Paul

【ところで、きょう】
スイスのエコン Écône で、聖ピオ十世会(FSSPX)の叙階式が行われました。総長フェレ司教の按手による8人の新司祭、9人の助祭が誕生しました。

Le Point.fr : La Fraternité Saint-Pie X ordonne de nouveaux prêtres
La Croix : Les intégristes catholiques poursuivent leur combat
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Le Figaro : Les intégristes bravent le Saint-Siège Crédits photo : AFP
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by ma_cocotte | 2009-06-29 23:31 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
パウロの日を迎えると同時に、
毎年6月29日はペトロとパウロの祝日です。フランスの暦だとフランス語表記になるのでペトロは Pierre ぴえーる、パウロは Paul ぽる と記されています。
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今年2009年は6月29日は月曜日、前日28日の夕刻18時よりローマは城壁外の聖パウロ大聖堂 Basilica di San Paolo fuori le mura ↑ において昨年6月28日から始まった聖パウロ年の閉会式を兼ねた夕祷が行われました。ビデオはこちら ↓ 美しいぞよぞよ。
1ères Vêpres pour la clôture de l'Année St Paul
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00045640&vl=video_nouveautes
ビデオが始まってまもなく気付くのは入祭のために並ぶ聖職者方の中に多くの微妙な真っ黒装束の方々。この聖パウロ大聖堂と隣り合わせのベネディクト会の修道者方です。こちら ↓ は大聖堂隣の修道院の回廊の柱です。
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この回廊とパティオはもうたとえようのない美しさで、静寂の内にベネディクト会の修道士がさっと通り抜ける、あの瞬時の緊張。修道院独特の空気を感じ取れます。
ビデオの中で教皇さまが通られた扉はこの下にございます。
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今回の私のローマ巡礼旅行はキリスト教前史の検証に始まり、キリスト教に的をしぼりはじめて最初の訪問先が聖パウロ大聖堂でした。これまで数か国の教会建築を見ては来ましたが、一歩入るなりローマ「だけ」の個性に魅せられてしまいました。フランスはだーめだ。
上のビデオでも聴こえるオルガンはおそらくこのオルガンの音だと思います。
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畏れ多くも畏くも、教皇さまのお椅子から眺めるなら右斜め上だったと記憶しています。そして、教皇さまのお椅子の真上の天井にはこのモザイク画。とても正教会。
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イエズスさまの右にはペトロ。
そして、初代教皇ペトロ ↓ をもうひとり、見ぃっけ!
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そう、ココから始まる大レース。違う。全教皇の肖像画。
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このモザイク・ペトちゃん、素敵かももも。

我らがパァパ・ベーネデットォ、ちゃちゃんがちゃん の肖像は、こちら
パァパ・ベーネデットォ、ちゃちゃんがちゃん の右隣は JPII → JPI → Paul VI ... ですが、左隣から先は確か6つの円が空いています。7つ目はどうするのでしょうね。

le 29 juin 2009, Pierre et Paul
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by ma_cocotte | 2009-06-29 07:21 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(2)
地ニハ善意ノ人ニ平和アレ。
去年の3月23日。母の永眠の知らせからちょうど一ヵ月にあたるその日、私は或るところに行きました。週日の日中ならば二千人前後の人々が集うそこは、日曜日なのでしんと静まり返っていました。平日ならば開いている通用門は閉ざされていたので、高い塀づたいに坂道を登り、突き当たりの正門へ。正門はいつもどおり右横の、人がひとり通れるほどの幅の門だけが開けられていました。私がそこを抜けて数歩歩いたところで、少し離れたところから声をかけられました。振り返ると受付前に男性が一人、身を前に屈めつつ、こちらに向かって「記帳はココですよ」と。その方も記帳されている最中でした。久しぶりに足を運んだところとは言え、私にとっては勝手知ったる場でもあったので、その男性に軽く会釈して、ふらふらと思い出を辿るかのように散歩がてら歩いてみました。約束までの時間が少しあったので、この塀の中の世界について隅々裏裏まで知ってはいるものの、実は一方向だけ私があまりよく知らない西北方面へ足を向けました。右手のテニスコートと左手のバレーボールコートの間の並木道を歩くと突き当たり手前左にひとつの玄関。玄関の向こうに先ほど私に声をかけられた男性と他の数名の方がいらっしゃいました。どうやら日曜日のこの日、この玄関の向こうの世界のためにやって来た方々だったようです。この玄関の向こうの世界は社会福祉法人で、家庭の事情があって親家族と一緒に住むことが難しい子供たちが生活している世界です。日曜日ですから、面会に来る親御さんもいれば、休日という貴重な時間をここで子供たちと共に費やしてくださるしあわせな方々が次々と現れるのが常のようです。

====== 十 ======

この日から遡ること一年と10か月ほど。その日もやはり日曜日、この施設を訪れた一家族がありました。その当日より少し前、外国から日本に観光に来ているが(自分の)子ども達が退屈しているので一緒に遊べるとうれしいのだが、と連絡があったとも聞いています。世知辛いことに少々疎い職員たちは、ただただ善意を喜んで受け入れ当日を迎えました。依頼してきた家族を乗せた白いワゴン車のために普段は閉ざされている正門の大きな門が開き、車は正門を左に曲がり二番目の並木道を右に折れ、突き当たり手前の玄関の前に停まりました。ワゴン車から現れたのはこちらのご一行サマ ↓ そう、ぢゃいける・まくそん ( ̄ー ̄) ニヤリ
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こうしてマイコーにお目にかかったところで「この方、どなた?」と思いつつも決して詮索しない職員と、一目見るなり「うぉっ!?」と驚いた子どもは一部であって決して全員ではないというどこか浮世離れしたココの環境です。ここに住むお子達はガイコクからわざわざ遊びにいらしてくださったお客様方に日頃習っているお琴や日本舞踊を披露し、「日曜の来訪者」のひとりであるこの一家の主(あるじ)は「さくらさくら」を子どもたちと職員のために唄い、どんな紙の切れ端であろうと子供たちからサインを求められれば嬉しそうにサインしたのだそうです。
それこそ神から与えられたまふタレントで比類なき一輪の花を咲き誇らせたマイコーが「退屈している幼い(私の)家族のために」と、自らを滅して日曜の閑散とした環境に現れました。そこでの数時間、大輪の花も、子どもたちも、ボディーガーズも屈託のない笑いを絶やさずにいられたと。
一夜明け、朝からこの一家の主が江戸のハズレまでお忍びしたことが話題となり、この家族の善意を受け入れた園長さまもテレビ画面に登場。興奮気味に「マイケルが来てどうでしたかあ?」などの質問に「わたくしは修道女ですのであの方が有名とも何とも存じませんでしたが、あの方々はとても喜んでくださり、こちらの子どもたちも大変喜び、ですからわたくしもうれしうございました。」と落ち着いた声での返答。時同じくして、この場に集った誰もがみな疑いのない幸せの中にあったのかも。凄いことだな。

====== 十 ======

マイコーの来訪から2年と4か月ちょい後。私は東京都下の某所でこの園長さまにお目にかかりました。午後1時を過ぎており、応接室に現れた園長さま、いえ、スォルMは私たちの顔を見るなり「あなたがた、お腹がすいているのではありません?私が何か見てきましょう」と。数分後に美味しく茹でら、水で引き締められた日本そばが私たちの前に出て来ました。シスターは相変わらず相手の心を見透かされているというか、私の顔に「シスター、お腹すいた」と文字が浮かんでいたのか。スォルMは数年前から大病を患っているものの、それさえ神さまからいただいたものと喜ばれ、ご自分の肉の痛みさえも捧げて他人にばかり気を使っている、とはその席にいらした他のスォルお二人が小声でおっしゃる。他者に気をつかってばかりの園長さまにとって、いつも気になっているのは早い子ならば赤ん坊の時から預かり、寝食を共にしつつ育て、世に送り出した子どもたちのことです。そして、その子供たちのために善意を示してくださった方々への感謝と祈り。今のスォルMは責任ありすぎる立場から離れられ、祈り、祈られの毎日を過ごされています。この都下の修道院で、年齢を重ねども心が健やかで魂が発育中のスォル方に「私たちの分までお願いね」と私が頼まれたのが昨年晩秋のルルド詣ですわい。

====== 十 ======

この施設に訪れる人々は時に知られた名の花であったりもします。が、花の名が有名であろうと無名であろうと、その花から施設に届けられる善意に変わりはなく、ただただその花が勇気を持って動いて作り出し、捧げてくれた善意に感謝するばかりなのです。マイコーが遊びにいらしたように、2002年には こんなこと もあり、最近は こんなこと もありました。こうしたあらゆる善意を知り、私が思い出す言葉はイエズス会総長アドルフォ・ニコラス師の言葉です。以下、再掲 になりますが、一部分だけ。


神の夢を抱いて


 私たちの周りを見回すと、夢を売る商売をしている人々が数多くいます。しかし彼らの売る夢ははかなく消えてゆく夢、ちっぽけな夢です。今日の世界で一番強く求められているものは、もっと壮大な夢を見てその実現を目指す才能です。お金では買うことができない夢、言い尽くすことができない夢を生み出す力です。きっと私に求められていることがある、きっと私が心をこめて、力を尽くして貢献できることがある、という夢を抱く力です。その夢は、心の渇きをいやす夢、人間らしい生き方を追求する夢、正義を求める夢、自分が受けた素晴らしいものを分け与える夢、愛と平和の共同体を創り上げていく夢、一人ひとりが神の子として大切にされる社会を構築する夢です。しかし、このような夢を実現することは容易なことではありません。(中略)この希望に生きる人の特徴の一つは、自分だけが希望を持つのではなく、他の人にも希望のともしびが点るように奉仕することです。(中略)たとえばソーシャルワーカーとして働くならば、その働きによって自分自身も変えられながら、現場で接する人が変えられて行くように働く。自分にとらわれず、もっと共同体を大切にする人、物心両面で分かち合いを大切にする人に変容するように促すのです。(以下、略)



マイコー、ありがとう。
マイコーは「神の夢」を示したひとりだと思います。Michael Jackson という名が冠せられたタレントで得たものを、自らが無名と化して、分け続けた。何も無名にしなければ、自らの名にいっそうの箔を貼れたでしょうに。
スォルMが信頼する聖人がこのような言葉を残しています。
この世では、私たち自身の、また、他の多くの霊魂を救うために絶え間なく働こう。休むのは幸いなる永遠の世界で。
マイコーは永眠する前夜もロンドン公演の練習に励んでいたと聞きました。マイコーの噂は数あれど、もしかしたら真実はその逆で、マイコーは他人を思いやりすぎて、自分の心身に厳しすぎたのではないか、と。どこか不器用に生命とタレントを他人のために消耗してしまったのではありませんか?マイコーの善意にどれほど天地の花々が今も感謝していることか。
マイコー、どうぞゆっくり休んでください、幸いなる永遠の世界で。

le 28 juin 2009, Irénée
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by ma_cocotte | 2009-06-28 23:32 | 『?』なたわ言 | Comments(2)
久しぶりに空を仰いでみる。
6月の終わり、ココんちあたりは午前5時ごろ夜が明け、午後10時頃日没を迎えます。ところが、一帯が闇になるのは午後11時近く、それまでは英語で言うところのナイトブルーの微妙な変化をツバメの声を聞きながら楽しめたりします。夕暮れ時の空飛ぶツバメの鳴き声は胸を締め付ける「きゅぅうん」という音とハモります。

夏至の夜、久しぶりに空を仰いでみました。

午後8時57分の空
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青すぎる青空。



午後9時34分の空
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空の青と沈み行く陽の橙色が醸し出す世界。



午後9時45分の空
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この空を仰いで、何を思ふ。
路地から見上げて見えた空の世界が好きだったりします。



午後10時8分の空
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黒い点二つ。それは二羽のツバメ。
ツバメの鳴き声が、この時季の夕暮れの変化に似合いすぎるのです。



午後10時12分の空
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空、尖塔、窓、路地、ヒト。
何百年もの時代の変化をこの木は知っているのです。



午後10時34分の空
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ナイトブルーが醸し出される直前。溢れる人、ひと、ヒト。



午後10時41分の空
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闇がまもなくやって来ます。
ココらあたりに生きるヒトビトが夏の夜に見る夢は幻想。なるほど。

le 27 juin 2009, Fernand
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by ma_cocotte | 2009-06-27 05:48 | 『夏』 Rien de special | Comments(6)
ヂャン・バプティストに心を洗っていただきませう。
きょうは6月24日。
仏蘭西の暦を眺めれば、Jean-Baptiste ヂャン・バプティストとあります。
Jean-Baptiste は日本語に訳しますと「洗礼者ヨハネ」ですが、仏蘭西ではそこらで簡単に見つけられるほどポピュラーな男子名です。仏蘭西でヂャン・バプティストの祭日と言うと、火柱を囲んでフォルクローレを火が消えるまで踊りまくるお祭りが知られています。今宵もブルターニュあたりの各市町村の広場では、民による町内一周の祈祷行列後、踊りまくるのでしょう。ああ、夏ですねぇ。23時頃に闇が訪れますが、闇に落ちるまでの水色から濃紺のヴァリエーションに天を突くほどの炎と火の粉は本当に美しいのです。

きょうび、お仏蘭西でヂャン・バプティストというと、彼 ↓ Jean-Baptiste Maunier かな?
ぽちっと聴いてくりゃしゃんせ。


Pueri concinite
nato regi psallite !
Voce pia dicite :
"Apparuit quem genuit Maria !"
Sunt impleta
Quem predixit Gabriel
Eja ! Eja ! Virgo Deum genuit
quem divina voluit clementia.
Hodie apparuit apparuit in Israel.
Ex Maria virgine
natus est Rex
alleluia !


彼の歌唱について下手なラテン語だと失笑される日本びともいらっしゃることでしょうけれど、近年、第二外国語にラテン語、ギリシャ語を選択する公立学校に通う共和国青少年が増えているのだそうです。40台後半より年長の仏蘭西びとだったらラテン語の典礼文は今もすらすらとそらんじ、日頃はラテン語を応用して笑える話題に出せる中高年もおります。ガイジンの私たちがそんな方々に出会えるのは市井の商店で、店主や店員とのちょっとした会話で、あらま、ヴぃっくり。「なんでムッシュウはラテン語がぺーらぺら?」なんてつぶやいたら最後、「おいらだって昔は侍者だったんだよ、まどもわぜ~る。」と思い出話が止まらなくなります。そういう彼らがこうして今、祖父母世代になり、孫がパピィやマミィの面白おかしい思い出話に興味を持ったことで、最近の中学高校でラテン語やギリシャ語が流行し始めたというのは極く自然の成り行きでありましょう。ろじっく、ろじっく。・・・問題は30~40の親世代。自分の親と自分の子の間で門外の、ラテン語ギリシャ語食わず嫌い王なのぢゃ。英語にお目目がはあとの世代、私もそうだった(遠い目。

Σ( ̄△ ̄; え?私?ラテン語は食べたけど、噛まずに飲んだ。_| ̄|○ イタリア語ぢゃだめ?

le 24 juin 2009, Jean-Baptiste
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by ma_cocotte | 2009-06-24 23:59 | 『夏』 Rien de special | Comments(4)
さあ、きょうもはりきって生きましょう。
聖域の朝は早い。
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ローマの宿舎にて。午前8時手前。

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ヴァチカンの聖ピエトロの回廊にて。午前9時手前。
自然光の中、仕事に向かわれる人々の美しいこと。

こうして人前に現れる前、各自が開眼一番、
朝まだきに我が心、主をあこがれて目覚む。
神よ、私の口を開いてください。
と唱え、身支度を整え、
私の神よ、あなたを礼拝いたします。
心からあなたを愛します。
きょう一日の行いをすべてあなたにお捧げいたします。
この行いがみ旨にかない、
あなたの光栄のためになるようにしてください。
わたしを罪から、そして、あらゆる悪からお守りください。
あなたの恵みが常に私の上に、
そして、わたしの愛するすべての人の上にありますように。
と祈って、公に飛び出る!
そのような人々が集う職場に悪が凄んでいるのだろうか?

午前9時半頃だったか、イエズス会管轄のジェズ教会 Chiesa del Gesù にて。
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朝の陽光の下、告解 ing 中


週日だと言うのに小聖堂の小ミサにはたくさんのローマっ子が集まっていた。
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ココ ↑ は小聖堂だと言うのに天井は、地に集う人々を眺めています。
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すんばらすぃ・・・手抜き無しのことよ。


人がひとりでいるのは良くないほど、人は強いのか、弱いのか。
朝一番に祈った人々は就寝前にはこう唱えて横になるそうだ。
わたしの神よ、あなたを礼拝いたします。
心からあなたを愛します。
わたしを造り、キリスト者とし、そして昼間もお守りくださいましたことを、あなたに感謝いたします。
わたしの犯した罪をおゆるしください。
そして、もし何かよいことをしたのならばお受け取りください。
眠っている間も危険からわたしを守り、あなたの恵みが常にわたしの上に、そして、わたしの愛するすべての人の上にもありますように。
と。そして、眠りから目覚めたら、上に挙げた祈りを唱え、身支度を整え、公に出る。これを毎日、毎日、目が覚めなくなる日まで繰り返すとな。ふむぅ、
人 は 弱 い 。
と、この一日のうち12時間ちょい、朝の希望→夕の反省の言葉の流れを眺めてはそう思うけれど、この毎朝晩の祈りの繰り返しで 心は強くなっていく のだろう。

このように朝晩の祈りを繰り返している方々を裁ける人々は毎朝毎晩どのような祈りを唱えているのだろう。こんな朝晩の祈りを唱えない方が、むしろ人は他人に 力で強くなれる のかもしれない。ふと、そう思った。

le 24 juin 2009, Jean-Baptiste
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by ma_cocotte | 2009-06-24 23:34 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(0)
今のうちにやっておかなくっちゃ。
今年の6月も残り一週間となりました。
どうも、今のフランスはせかせかしているのです。
この国に集う老若男女誰もが、まるで「不思議の国のアリス Alice au pays des Merveilles 」のウサギさんのように
Mon Dieu, mon dieu, je n'ai pas le temps!
ああ、どうしよう。時間がないっっ!
と上下にジタバタ、右往左往しているのです。
それもそのはずでガイジンの私にとっては 魔のおヴぁかんす までたった一週間、七日、168時間後に迫っており、世の中が機能しなくなる日までの目測ができるようになったから、仏蘭西びとがこの世の終わりと天国の始まりの日に向かって命がけで動いているのです。「この世の終わりと天国の始まり」を毎年6月の、しかも残り十日(実質、主日が引かれることで約七日)でジタバタ、火事場の馬鹿力を発揮する仏蘭西びとを傍観しているともそっと力の配分を365で割れないものかと思ったりするんですが、彼らの力はヴァカンスのために蓄えられており、余力で疲れない程度に働いているのでしょうね。ただし、庶民は、です。カードル(管理職)は残業でも、主日の違法出社をこっそりしてでも稼いで、稼いで、税金を凡な庶民のために納めてくらはいませ。

仏蘭西は事実上、6月が日本國の年度末の様相となり、ココんちの近所でも引越しが相次ぎ、先週末は玄関前に近所の坊が福引くじを買ってくれぃ、と突っ立っておりました。公立小学校の学年末恒例のお祭りでのクジ。2ユーロ。学校だけでなく、公営のプールやテニス、サッカー、乗馬施設、教会などどこでも年度末納涼会が催されるのも6月末です。日没が22時過ぎ、気候もさわやか、一年で一番心地よい季節でもあります。夕方になるとあちらこちらからバーベQの芳ばしい香りが鼻に届くのも今頃からです。

夏至の夜に催されるフェット・ド・ラ・ミュヂークでも街中のほうぼうで、地元の音楽やダンス関連の同好会の発表会を見物できたりします。素人演芸の域ではありますが、発表する人々の嬉々とした表情にこちらまでほのぼのとさせられることもしばしば。ところが今年の夏至は日曜日とぶつかったせいか、見物に出かけたものの、今ひとつの盛り上がりのように思われました。この写真 ↓ は21日夜10時過ぎのココんち地元の旧市街。
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盛り上がりにかけたのも6月18日から26日まで共和国内ではバカロレア試験が行われていることが原因のひとつであるかもしれません。試験途中にフェット・ド・ラ・ミュヂークというのも町に繰り出せば準備時間を失い、家に篭ったところで旧市街に住むならば騒音で勉強どころではなかったりします。
が、一夜漬けでなんとかなる試験ではないからね、バカロレアは。
以下、忘れぬうちに今年のバカロレアの哲学試験問題一覧 Les sujets du BAC 2009 en PHILOSOPHIE を、ヴぉわら。各自、希望専攻に基づき好きなお題を選んで、4時間で仕上げること。
▼文系 : Série L (littéraire)
- Le langage trahit-il la pensée? 言語は思想を裏切るか?
- L'objectivité de l'histoire suppose-t-elle l'impartialité de l'historien ? 歴史の客観性は、歴史家の公平を仮定しますか?
- Expliquer un extrait de "Le monde comme volonté et comme représentation" de Schopenhauer.  ショーペンハウワーの文献『意志のような、表象のような世界』の抜粋について説明せよ。
Extrait : "Le désir, en effet, la privation, est la condition préliminaire de toute jouissance. (...) Donc la satisfaction, le contentement ne sauraient être qu'une délivrance à l'égard d'une douleur, d'un besoin."

▼理系 : Série S (scientifique)
- Est-il absurde de désirer l'impossible ? 不可能が欲することは不合理ですか?
- Y-a-t-il des questions auxquelles aucune science ne répond ? 科学が答えられない質問など存在しませんか?
- Expliquer un extrait de la "De la démocratie en Amérique" d'Alexis de Tocqueville.  アレクシス・ド・トクヴィルの『アメリカにおける民主主義より』の抜粋について説明せよ。
Extrait : "C'est donc en chargeant les citoyens de l'administration des petites affaires, bien plus qu'en leur livrant le gouvernement des grandes, qu'on les intéresse au bien public."

▼経済社会系、Série ES (économique et social)
- Que gagne t-on à échanger ? 交換することで私たちは何を獲得しますか?
- Le développement technique transforme-t-il les hommes ? 技術開発は人類を改善しますか?
- Expliquer un extrait de "Essai sur l'entendement humain" de John Locke.  ヂョン・ロックの『人間知性論』の抜粋について説明せよ。
Extrait : "Je reconnais que les hors-la-loi eux-mêmes les respectent (l'équité et la justice) entre eux ; mais ces règles ne sont pas respectées comme des lois de nature innées : elles sont appliquées comme des règles utiles dans leur communauté."
以上、一般専攻のバカロレア試験における哲学問題で、6月18日午前8時から共和国内の331,575名の受験生が挑戦しました。そして以下は同日午後2時から行われた工業系または舞踏/音楽技術系専攻バカロレアの哲学試験問題で、今年は163,085名が受験しました。
▼工業系、Bac technologique
- Peut-on être sûr d'avoir raison? (自分の)判断に自信が持てるか?
- La technique s'oppose-t-elle à la nature?  技術は自然に反するか?
- Expliquer un texte de John Locke sur les liens entre la loi et la liberté
法と自由の間の関連についてヂョン・ロックの文献で説明せよ。

▼舞踏/音楽技術系、TMD (Techniques de la musique et de la danse)
- L'Etat doit-il garantir le bonheur des citoyens?  国家は臣民の幸福を保証せねばならないのか?
- Peut-on se passer de toute religion?  ヒトは全ての宗教を許せるか?
- Expliquer un texte de Henri Bergson sur la création et la création de soi  被造物と自分自身による創造物についてアンリ・ベルグソンの文献より説明せよ。
繰り返しますが、4時間で論文を仕上げてくらしゃい。

毎年、バカロレア試験は哲学試験で開幕しますが、26日まで他の筆記試験が続き、今年は7月7日に結果が発表されます。他の筆記試験も論文形式がほとんどです。今年の受験者において最年少は13歳3か月、最年長は78歳なんですと。私の場合、自分自身の13歳当時を振り返っても、78歳時を予想してもいずれにしても上の御題について4時間で論拠を立てての論文は書けませんわい。私は世界のどこであろうと三流の一流となって生きて行こうと思ふのだ。兎にも角にも、7月7日にご本人のタレントと努力が報われ、受験生の誰もがすばらしい今年のおヴぁかんすを迎えられますように。

同じ6月18日の夜、Canal + の看板番組ル・グロン・ヂュルナル Le Grand Journal の司会者が例の「赤毛のダニィ」ことダニエル・コーン・バンディ Daniel Cohn-Bendit だったのです。 他の放送局では味わえない面白さで私個人はうっかりムフムフしちゃいました。この番組でもこの日の哲学試験の御題に触れていました。
みんなたちもぜひぜひ → http://player.canalplus.fr/#/252219

le 23 juin 2009, Audrey
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by ma_cocotte | 2009-06-23 16:53 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(4)
尊厳を包み隠すと安全が生じるとは... Σ( ̄△ ̄; コンガラガッテキタゾィ 
予定通り、こんにちの午後、共和國内におけるイスラーム女性の装束 について神聖賢愚帝サルコぢ一世の演説がおヴェルサイユにてございました。
Je veux le dire solennellement, la burqa ne sera pas la bienvenue sur le territoire de la République.
朕曰く、ブルカなる装束は共和国の領土で歓迎はされないぞよ。
更にサルコ朕は
Le problème de la burqa n'est pas un problème religieux, c'est un problème de liberté, de dignité de la femme. Ce n'est pas un signe religieux, c'est un signe d'asservissement, c'est un signe d'abaissement
ブルカの問題は宗教的な問題でありません。それは自由と、女性の尊厳に関わる問題です。 それは宗教的な表徴ではなく、それは隷属や服従の徴候であり、それは卑下、屈辱を表わす兆候です。
と宣まわられましたとさ。うみゅううう、神聖賢愚帝サルコ朕がそこまで考えられたとは、なんだか逆に「考え過ぎぢゃないの?言い過ぎぢゃないの?」とついうっかり心に浮かんでしまってこうして書いちゃいました。
というのも、きょうのお昼すぎ、国営放送France 3 で流れた報道はこちら ↓
Le port de la burqa fait controverse
http://info.francetelevisions.fr/video-info/?id-video=000043851_CAPP_Leportdelaburqafaitcontroverse_220620091414_F3&id-categorie=A_LA_UNE
ブルカがもたらした論争について、パリ郊外のサン・ドニ Saint Denis とリヨン Lyons の街中の様子が紹介され、途中で目だけ見えるニカブ niqab 装束の女性が二人登場します。サラ Sarah さん(21歳)とソフィア Sofia さん(23歳)です。一年前からこの装束で外出し、それは男性の視線から自分を守る、安全のためなのだとおっしゃってますね。サラさんの母親は受け入れてはくれたけれど賛成しておらず、父親は受け入れてはくれたものの意見は控えていると。ふむぅ、5年前にスカーフ大論争となった時、イスラーム家庭に生まれたわけでもないのに女子高生が頭をスカーフですっぽり隠して意思表示し、巻き方に拘っているあたりからオシャレや流行と見られ、やがて流行も廃れてしまったことも事実です。彼女たちの発言を聞いていると、異性からの心理的攻撃から守るための安全 la séculité という理由を掲げてはいるもののどこかそこはかとなくオシャレを楽しんでいるようなノリが伝わって来るような気がしちゃいます。

どちらかというとこうしてニュウス画面を見ていて問題だと思うのは、サラ Sarah もソフィア Sofia もユダヤん♀にもクリスチャん♀にも常に人気の名前で、画面から聞こえる声で女性だとわかるものの、果たしてこのニカブの中身は案外欧州系婦女子なんぢゃないのぉ?なんて疑えてしまうところです。そもそも神聖賢愚帝サルコぢ一世にしても、パリのモスクのお偉いさんにしてもこの装束がイスラームという生活包括宗教とは関係なく、土着文化の表れに過ぎないと断言していることから、これらのオバQスタイルは誰でもできるンですよね。男子だって仏蘭西共和国内だったらできるでしょう。イスラーム国家内ではできずとも。
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きょうの午後になって神聖賢愚帝サルコぢ一世がこれら装束 ↑ について演説したことで、論点がボヤけました。実際、ニカブをお召しの婦女子は安全のために着用していると主張しているのに、サルコぢ一世はこの装束を着用することで女性の尊厳が隠され、女性蔑視や男性への隷属につながると。なんか両者の主張がかみ合っていないような。
イスラーム文化圏において服飾史を振り返ると、女性は外出時に頭からつま先まですっぽりと布で覆っていたけれど、家庭内ではかなりバンボンバンでお腹ぷるるんだったことは知られていますし、何せ砂漠の土地で広まった宗教でもあるので、女性の外出時にこのような格好をするのは砂埃避けも兼ねていると聞いたこともあります。加えて、近年漏れ聞いた話ぢゃ、あのイランなんぞは革命によって質素節制を命じられても、イラン女性の中には外出時であってもチャドルの下は有名デザイナーによる装いでバリバリに決めた方も多々いると。

単純に見慣れないのでビビっているだけなのかもしれません。
アルジェリア戦争後、マグレブアラブ系の移民が共和国内で増え始めた頃、マグレブの特にモロッコの男女の装束 がピジャマ(寝巻き)に見えたことで欧州系の失笑をかったという話を私は聞いています。それは差区別ではなく無知による失笑だから赦してください、とまで聞きました。異文化の流入が馴染むまでの過程は小説でも映画でも漫画でもないから美談には決してならないと思います。

ただ現時点でこの話題の論争が持ち上がったところで、近年、仏蘭西共和国がアフガニスタンやイエメン、イラクからの難民を受け入れたのだから、ニカブどころかブルカのようなタリバン装束の女性が共和国内各地でパラサイトし始めるのは必然でしょう。が、まだ目に馴染んでいないこともあり、対面したところでブルカの下の目線がこちらのどこを見ているのかわからないことや、ブルカの下に何を所持しているのかという不安や疑心を招くのも「そんなことない。そう思うのはあなたのせいで、あなたが悪い」とは言い切れないと思います。

ブルカ burqa ( برقع‎ )もニカブ niqāb ( نِقاب‎ )もチャドルchādor ( چادر‎ )も一枚布で頭からつま先まですっぽりと包み隠すことに問題があるのでしょうか。というのも、頭を隠し寸胴に見せる女性装束ならモロッコも同様で、ただし、寸胴のくるぶしまでのワンピースにヘジャブ ḥijāb ( حجاب )をかぶることで完成なのです。こちら ↓ 、マルセイユのスークで見かけたマグレブメダムですけれど見慣れなければドキっとしなくもありません?
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http://malicieuse.exblog.jp/2942611

神聖賢愚帝サルコぢ一世サマの側近にはラマ・ヤデ Rama Yade ちゃんや寵妃ラシダ・ダチ Rachida Dati サマというイスラームのようでイスラームでないけどイスラームな美女たちをおはべりあそばしているので、市井のブルカやニカブなんぞひっぺがして、美女は我が元へ、なーんて思っちゃいませんか?と、美女好きのシュシュ・サルコ朕の内心を厚かましくも妄想してしまうのでした。・・・ラシダさまがお産みあそばした姫の父は誰よ? と。

こちら ↓ も無知による発想なので「笑って赦して」なのでせうか。面白すぎ。



いずれにせよ、婦女子のおしゃれや流行だったらいずれ廃れるような気がします。
郷愁によるならば、一日も早く紛争地に平和が訪れ、彼ら難民が帰国できる環境になりますように。
政治的宗教的思惑ならばサルコ朕がライシテ laïcité の印籠を出すしかないでしょー。

いんやー、それにしても生活文化の発展融合ほど難しいお題はないかも。

21日には長女フランスの父親である教皇ブノワ・セーズ Benoît XVI が他国に救いを求める難民を受け入れることで受け入れる側が多くの問題を抱えることも理解するが、それでも今の私たちにとって難民の受け入れは義務である、なんて公で発言されたことで、これからもいっそう多くの戦争、政治難民が共和国内の軍空港に次々と到着しますでしょう。

le 22 juin 2009, Alban
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by ma_cocotte | 2009-06-22 23:45 | actualite 現時点の現場から | Comments(4)
パァパがパアドレと、ごっつんこ。 Il Papa da Padre Pio
2009年6月21日、夏至の主日 などという呼称はない
我らがパァパ・ベーネデットぉ!チャチャンがチャン が、南イタリアはサン・ヂョヴァンニ・ロトンド San Giovanni Rotondo にお出ましになりました。まずは、ご対面 ↓ PHOTO: Reuters
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パアドレ・ピィオ 051.gif パァパ・ベーネデットぉ!
チャチャンがチャン

パァパの御前のガラスの中にはこの方 ↓ が、
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このように永眠中。1968年9月23日、81歳で他界されたパアドレ・ピィオ Padre Pio、本名はフランチエスコ・フォルジオォネ Francesco Forgione とおっしゃるカトリック修道司祭であります。生前からパアドレ・ピィオには不思議すぎる不可解な事実が多々あり、目に見える不思議は聖痕 stigmata という何らかの科学的に説明できない力によって信者らの身体に現れるとされるイエズス・キリストが磔刑となった際についたとされる傷がパアドレ・ピィオの身体に痛みを伴って現れたことであり、見えるような見えない、確信できるようだけど難しい事実はパアドレ・ピィオが生きながらにして天使や悪魔と関わっていたことで、パアドレ・ピィオが天使と会話ができたことで救われたという証言者たちがこの広い世界いっぱいにいることです。
こんな生きながらにして不思議だらけだった爺っつぁまは帰天後、1999年5月2日に列福、そして異例の速さで2002年6月16日列聖をヨハネ・パウロ二世の名の下になされたのでした。



おそらくこれまでも列福や列聖調査で掘り起こされたパアドレ・ピィオの棺ですが、帰天40周年を記念し、これまた不思議と申しましょうか、息を引き取って40年も経ちますのに朽ちることないご遺体が今年9月まで巡礼者のために公開されています。こうして特別にご遺体が公開されようとなかろうと、このアドリア海に近い田舎町に毎年、約700万人の巡礼者が訪れるようになりました。こちら ↓ 、パアドレ・ピィオの生涯についてのドキュメンタリです。生家や修道院の私室などご覧になれますし、途中では日本國でもなじみの聖歌も聞こえて参ります。
DOCUMENTAIRE SAINT PIO DE PIETRELCINA
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044744&vl=video_nouveautes
b0070127_323329.jpg昨日の教皇さま、我らがパァパ・ベーネデットぉ!チャチャンがチャン ですが、主日とは言え、祈っている ばかりではございませんで、徹底政教分離の欧州におかれましての「本日のメインエヴェント」は、パアドレ・ピィオが1947年に創立した病院『苦痛・苦悩を安らげる家 la "Maison du soulagement de la souffrance" 』への慰問でありました。この病院、発展に発展し、今では1200床の病院と化しました。
教皇さまは慰問後、患者方との触れ合い、具体的には指と掌の接触によってヒトの存在のひとつひとつが得がたい尊いものであるとわかりながらも、その指からいかにヒトの存在がはかないものかもわかったと病院の責任者につぶやかれたそうです。そして、教皇さまは病名を特定できても、同じ病気でありながら表現も痛みも発症した本人それぞれに違うこと、更になぜ病によってヒトが苦しみ、その苦しみをヒトは善と受け止めることが難しいことを深く考え、誰が私たちの死と苦しみから解放するのか私たちが悟るべきだともおっしゃったそうです。
"Il n'y a que Dieu pour éliminer le pouvoir du mal"
神しか苦痛を拭い取れる方はいないのです。
この完璧な答えが見出せない謎に自分が向き合い始めたところで、苦しみさえも人間に与えられた神秘であると気付けるのではないか、と。おそらく、生きながらにして聖痕をもらったものにしかわからない肉の痛みをパアドレ・ピィオが目と肉体をもって定めたところで、その痛みや醜ささえも謙遜で受け止め「これでよし」とパアドレ・ピィオが生き抜かれたことを、平らで凡な私たちもパアドレ・ピィオの謙遜に倣えるようになりましょう、と教皇さまがおっしゃりたかったのかもしれません。
le pape a rendu hommage à cet "homme simple et d'humble origine" qui a consacré sa vie et ses dons à servir Dieu.
教皇はパアドレ・ピィオが神に仕えるために生涯を奉献した生まれながらにして謙遜であり、かつ慎ましく生きた人であると敬意を表しました。
と、こ、ろ、が、です。教皇さまは世俗に生きる平らで凡な人々に、パアドレ・ピィオがカトリックの聖人であること、このサン・ヂョヴァンニ・ロトンドもカトリックの巡礼地のひとつであることを忘れるな、と警告されたンですな。それはなぜかと申しますと、パアドレ・ピィオのゆかりの地となったサン・ヂョヴァンニ・ロトンドではホテル、レストラン、商店が観光収入で潤い、目に見えるご利益を得たことがイタリアに、今では世界中に知られ、多くのヒトが他の諸聖人どころかキリストや聖母を忘れてパアドレ・ピィオを信仰するようになっていると既に2006年の調査で明らかになっているからです。「ああ、私も見たよ、知ってるよ」と頷くヒトはま・ここっつぁんだけではありますまい。私ゃ、電脳日本語域でも日本國内でもパアドレ・ピィオにまつわる奇跡で御利益を求めているカトリックのようでカトリックから外れている方々の多さにヴぃっくりもしましたが、今年の春、ローマに行った時、訪問したレストランのレジまわりに必ずパアドレ・ピィオのご絵があり、観光バスの運転席のハンドルそばにもパアドレ・ピィオのご絵があり、と正直、私ゃ、パアドレ・ピィオの人気がカトリックの本場ローマでここまで浸透していることに驚きました。彼らは御利益にも交通安全にもパァドレ・ピィオがかなえてくれると、彼の生前のエピソオドから期待してしまっているのです。これもまた、カトリックのようでカトリックでない。それは何かと尋ねたら、パアドレ・ピィオ教?ところが、カトリック教会でもかのトレヴィの泉の右手前の教会のように本当は正教会に限りなく近い祭壇など聖堂内装で知られるべきだろうにパアドレ・ピィオを売りにして訪問客が止まらないなんてところもござる。なんときょうび世界には約3000のパアドレ・ピィオを拝む団体があり、約三百万人ものパァドレ・ピィオ信者を集めているのだそうです。一方、カトリックを軽んじるローマびとが増加傾向にあるのにこのパアドレ・ピィオ人気というのはどーよ、と思ったところで、こうして我らがパァパ・ベーネデットぉ!チャチャンがチャン がズバリ、私たちのハツに釘を刺し、「痛いか?痛いか?痛いならパアドレ・ピィオに倣って謙遜であれよ」とお話の真意に戻らされてしまうのでした。パアドレ・ピィオが奉献者であることを忘れちゃならんぜよ。新聞HP版の投稿欄には「だったらヴァチカンがまず難民を受け入れろよ」という意見もかな~りあります。それもまあ確かに。

さて、昨日の我らがパァパ・ベーネデットぉ!チャチャンがチャン ですが、アンジェルス l'angélus の際に、あまりに困難で時にはドラマチックなほどの状況におかれているいかなる難民(戦争、政治、自然災害、等)をも受け入れるのは私たちにとって義務であると宣言なさいました。___φ( ̄^ ̄ ) 他国に救いを求める難民を受け入れることで受け入れる側が多くの問題を抱えることも理解するが、それでも今の私たちにとって難民の受け入れは義務であると教皇さまは強調しました。イタリアでも先の5月から地中海の対岸リビアからの漂流難民が多々辿り着いていることもあり、イタリア政府にも教皇としての考えを明らかにされたことになります。ニュウス検索しても世間一般では教皇が「難民受け入れの強い義務」を俗世に勧めたことが最もインパクトがあったようです。日本國だろうがどこだろうが、教皇さまの思し召しを私たちにできるならしなくちゃね?

いやはや、夏至の日曜日のうちの数時間とはいえ、教皇さまは宗教においても、社会福祉においても、市民生活においても、政治においても満遍なく各ポイントにおいてカトリック最長上として、国家元首として、世俗政治のご意見番として、蔭になり日向になり、上になり下になり、動かれ、ご自身の考えを明らかにされています。

この心身の健やかなるエネルギーには感服なんで、
Deo Gratias でお・ぐらーしあす
今は聖人とは言え元は神の下僕のひとりであったパアドレ・ピィオに「取次ぎ」を願いませう。

le 22 juin 2009, Alban


【参考】
*L'Express : Benoît XVI honore la mémoire de Padre Pio
*Le Figaro : Pape: l'accueil des réfugiés, un "devoir"

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by ma_cocotte | 2009-06-22 17:24 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)