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ああ、重い、重い。
重すぎますよ、アナタご自身も、アナタから聞かされる言の葉も。
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...と、旧約の預言者方、ダビデさんやらモーセさんからボヤキが聴こえて来そうです (^_^)
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まあまあ、ご先祖様よ、堪えてやっておくんなせぇ。
ぺとろ

旧約の預言者方の頭上に何が乗っかっているのかと申しますと、こんなの ↓
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先日お話した聖ルイ・ド・モンフォールが創立した修道女会の修道院聖堂 に設えられた壇ざます。この手の壇は仏蘭西国内聖堂でも今も残されていますがたいていは「登壇禁止」とロープが張られていることが多く、使用されていません。が、1962ミサを捧げる際には主任司祭に許しを頂戴し利用される修道会もござるようです。こちら ↓ が一例。お地味な壇ですけれど。
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↑ 今年7月15日、Port-Marly で行われた初聖体ミサでございます。↑
流石、ウワサのヴェルサイユ教区ぢゃ。

余談ですけれど、仏蘭西大革命当時、政府に没収されたカトリック聖堂が新教に譲られたことで、現在も新教ではこの美しい壇を有効に利用してくださっている場合もございます。

さて、修道女会聖堂の壇でございますけれど、階段手すりには
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左に鍵のペト朗、右には剣のパウ郎。 定番です。


そして、正面祭壇前に目を移してみませう。
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天使同伴で左にペト朗、右はカリスを持つ美聖人ヨハネくん。
真ん中はホスチアを持つイエズスさま。
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ペトロの左にはバルトロメオ、ユダ、アンドレ、フィリプ、シモンがそれぞれシンボルと一緒に並んでいます。DIVERSITE ディヴェルシテとは「多様性、相違」という意味ですな。
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一方、美ヨハネの右からマテオ、大ヤコブ、小ヤコブ、トマそしてイエズスさまに背を向けているユダ。途中切れてますけれど、LIBERTE リベルテは仏蘭西共和国の標語のひとつでもある「自由」、ENRACINEMENT アンラシヌマンは直訳すれば「根強さ」「定着」「根深い」です。

木のぬくもりが生かされている 男子修道会聖堂 に比べると女子修道会聖堂は木で造られた伝統的ベンチシートの他は石造りの備品が目立ちますが、女子のハツをつかむ雰囲気を携えているようにも思えます。この女子修道会聖堂にはもいっちょ興味深い部分があります。

それは次回に。

le 31 août 2009, Aristide
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by ma_cocotte | 2009-08-31 18:29 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(2)
寝惚け眼で雨戸を開けたら、
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ゴミ箱の向こうに 何かがいる!?


カメラ片手に私なりにすっ飛んで行きました。
傍目にはえっちらおっちらカールくんに抜かされる天地さん
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Bonjour, madame.

朝も早いと言うのにさわやかな笑顔でご対面となりました。...けれど、
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あなた、ナニモノ?

朝日を浴びるその姿、葦毛を思い起こす銀灰色のそのボディ。
あてくし好みではございませんか。щ(゚Д゚)щ かっも~ん щ(゚Д゚)щ
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視野を広げてみましたら、遠方にももう一頭。
こちらは白ソックスをはいた栗毛さん。(^_^)
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ココんちが田舎であることは我が心の深淵から理解していますが、こうして予告なく馬やロバが路上にボトンとおりますとまだぶったまげる私であります。
ココんちあたりは午後に温度がぐーーーっと上がっても朝晩は涼しくなりました。
きょう日曜日の天気予報でも快晴、最低気温8度、最高気温26度だとか。
昨夕も夕食後、ミュールの収穫に。取れるわ、取れるわ。
しかも艶ある真っ黒の実、大粒、甘い。久しぶりの豊作です。感謝。

もう一か月もすれば木の実を拾う季節になります。

le 30 août 2009, Fiacre

そういえば今日の聖人Fiacre は農作業の守護聖人 Saint patron des Jardiniers ではありませんでしたっけ?
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by ma_cocotte | 2009-08-30 16:56 | 『夏』 Rien de spécial | Comments(4)
「男子らしい?」と問われれば、「そうね」と答える。
ルイ・ド・モンフォール の世界の話題が続きます。
静かな小村サン・ロオラン・スュル・セェヴル Saint-Laurent-sur-Sèvre の広場からヨハネ・パウロ二世通りに入りますと、通りを挟んで左にルイ・ド・モンフォールが創立した女子修道会 Les Filles de la Sagesse 、右には男子修道会 La Compagnie de Marie がございます。
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男子修道会の門をくぐって、左の建物のアーケードを抜けて、すぐ右だったと記憶していますが、扉の上には労働者の守護聖人であるヨゼフさま ↑ 。この扉を背にして左手前にはオフィスがあり、異邦婦人の突然の来襲に窓の向こうから笑みを浮かべてこちらを見る神父さまらしき方がいらっしゃいました。そのオフィスの真向かいにはこの像と小聖堂 ↓ 。
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この像はもちろんルイ・ド・モンフォールですが、彼が巡礼しながら福音宣教のため家庭訪問したことを表わしています。このたすきがけのバッグはサンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の伝統アイテムのひとつです。蓋の部分にホタテがあると尚よろし。

窓の向こうの神父さまらしき方に小聖堂の扉を指しつつ「入ってもよろしいですか?」と目で訴えると、神父さまらしき方が「どうぞ、どうぞ」とお目目を細めてサインしてくださいました。
中に入りますと、正面はこのような設え。
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左から右まで6mくらいでしょうか。祭壇前までの路一本のみで左右に懐かしい跪き台のついた木製ベンチがありましたが祭壇前から最後列まで10列あったかどうか。ただし、祭壇向こうのお椅子が二重に並ぶほどですからして、男子修道会の小聖堂だからこその「そこはかとない違い」なのかもしれません。
この小聖堂を訪問した後、道向こうの女子修道会の壮麗、華麗な小とは名ばかりと言える聖堂を訪れたことでいっそうわかることは、男子聖堂の楚々とした美です。男子も女子も奉献生活に入っているとは言え、祈りに集中するための心理的誘いがこういう形で表れるのかしら、とも想像しました。深い茶色に染められた木製から伝わる温かさは母の愛のようです。

この男子修道院の聖堂で見つけた、ついうっかり欲しくなってしまったブツはこちら ↓
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書見台。いい仕事です。(` ´)b
そして毎度のこってすが、「ま・ここっつぁんよ、これをもらってどこに置くのよ?」

聖堂から出る際、扉の上はこのような木彫。おそらく手によるものでせう。
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扉を両方開け広げたところで男子二人が並んで入退場をスマートにできるかどうか。
ですけれど、訪問しての感想はやはりどこか男子のための小聖堂でした。

le 28 août 2009, Augustin
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by ma_cocotte | 2009-08-28 20:52 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(2)
静かに、隠れたまま
花の都は巴里から遥か西、人口三千人ほどの小さく、あまりに静かな町サン・ロオラン・スュル・セェヴル Saint-Laurent-sur-Sèvre に年間約二万五千人もの来訪者があるのも、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世 Jean-Paul II がルイ・ド・モンフォール Louis de Monfort なる聖人 ↓ をご贔屓にされ、1996年の来仏時にわざわざこの小村までおみ足運ばれたことで以前にも増して来訪者が増えたと言われています。(故に現在は来訪者が減少方向にあります)
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ルイ・ド・モンフォールは生前、3つの修道会(司祭を含む男子修道会、女子修道会、ブラザーのみの修道会)の創立に関わりました。その三修道会の本部がこの小さな町に点在していますが、ルイ・ド・モンフォールが帰天した場所が女子修道会内であったこともあり、彼の遺品など展示した資料館は女子修道会の本部内にあります。
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女子修道会 Les Filles de la Sagesse の昔の玄関 ↑ と現在の玄関 ↓
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現在の玄関の受付で資料館やルイが帰天した部屋を訪問したい旨を告げますと、入口を教えていただけます。世界中のどこであれ、修道院の建物に足を踏み入れる瞬時の緊張感は同じというのもこれまた不思議。
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こちら ↑ はルイ・ド・モンフォール愛用の机とロザリオです。他にも手刺繍、手縫いの日常お召しだったスータンや祭服など目の当たりにしますとミシンがない時代であったことを訴えかけられ、ぬくぬくと当たり前の便利さに浸って生きている我が身につまされるものがありました。
この資料館の途中右には中庭があり、その対面にルイ・ド・モンフォールが帰天した寝室があります。また、資料館を抜けると女子修道院の回廊があり、その壁面には現在、世界に宣教に出ている修道女方の活動報告パネルが展示されていました。各国の面積や人口など国勢とカトリック側の教勢がわかりやすく書かれており、勉強になりました。
その回廊の一角から修道女方のための聖堂に入ることができました。
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小さなドアから入り、数歩進めて右がこう ↑ 。こ、これが、修道院付き聖堂ぉ?
これにはヴぃっくり!ま・ここっつぁん!でした。ルイ・ド・モンフォールが創立した 男子修道会の聖堂 は20人も入れば酸素が薄くなりそうなほどの狭さでしたが、女子修道会の方の聖堂はへたすると市井の教区教会より広いです。上の一枚目の写真はこの聖堂右の小祭壇になります。

この修道女会聖堂も仏蘭西国内の聖堂らしく、天井や壁は白色に近い石造りでステンドグラスに特長がありますけれど、ま・ここっつぁん個人としては「おや?これは面白い!」ことが大当たりのパチンコ台のような聖堂でした。何が面白かったのかについては、また今度。

le 28 août 2009, Augustin
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by ma_cocotte | 2009-08-28 18:03 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
できることをしてみること。
人口3,000人ほどのこの町に年間25000もの人が訪れるのだそうだ。
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そんな小さな町サン・ロオラン・スュル・セェヴル Saint-Laurent-sur-Sèvre の本屋さん。
一歩中に歩を進めると、本だけでなく、ロザリオやおメダイ、ご絵、聖像が所狭しと。
こんな田舎なのに、品揃えは巴里どころか四谷見附界隈に匹敵。驚きました。
日本に住む、洗礼名がヴェロニカの友人に、とカードを二枚。
一枚は彼女の堅信に間に合うようにとすぐ送付。
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ヴェロニカ Véronique のカアドやおメダイなど仏蘭西にはありそうでないので見つけた時にゃあゲットです。カアドの裏に書かれた説明によると仏蘭西ではベレニス Bérénice またはヴァネサ Vanessa のお名前でも2月4日のヴェロニクの日にお祝いして良いのだそうです。

さて、このお店を上空から見守られるのは、
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ルイ・ド・モンフォール Louis de Montfort 。
なぜか地元では隠遁司祭で知られています。
こんな洞穴 ↓ にルイは篭ってしまったんだねー。
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この洞窟までの道は日の短い季節には行きたくないほど鬱蒼とした森を抜けています。街燈はなく、自然光のみの曲がりくねった上り道の先に隠遁地がありますが、車で行っても途中で不安になるようなこの道を1700年代はじめに独りで歩いたルイっていったい?

洞窟から少し離れたところにある泉。今は蛇口からお水をいただけます。
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蛇口の周りには「私の魂は神に飢えている。Mon âme a soif de mon dieu 」と書かれていますが、隠遁したところでのどが渇いたルイがここで泥をほじったところ水が沸き出でて、その後、この水をいただいた病者が健常になるなどの奇跡があったのだそうです。
と、教えてくらしゃったのはココんちの二人の婚姻を祝福してくださった神父さまで、なんと数世代前のご先祖マダムが山奥に隠遁した司祭がいるという噂を耳にして、女性ながらにあの獣山道を抜けて、ルイ・ド・モンフォールに食料を届けたひとりなのだそうです。私がもし当時に噂を聞いたひとりだとして、私にできるか考えてみましたが、私にはできません。あの山道は怖すぎです。私が冗談で「ここで兵士のサヴァイヴァル訓練できますね」とつぶやいたら、元軍人だった神父さまが「そうだね」と即答されるくらいの山奥なのですよ。
隠遁司祭と言うとシャルル・ド・フーコー Charles de Foucauld が近年知られておりますが、いつの時代も清貧に努める者の噂を聞きつけた人々が善意でできることをしているのです。もちろん現在進行形。

巡礼するたびに思うことは毎度同じ。私にできることってなんだろう?
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ふとルイ・ド・モンフォールが眠る大聖堂から空を見上げてみたのでした。

le 27 août 2009, Monique  ← 孟母三遷か?
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by ma_cocotte | 2009-08-27 21:53 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(4)
言葉にならない、言葉にできない。 Ted Kennedy : La fin d'un mythe
テッド・ケネディの永眠を、たった今、知りました。
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THE ASSOCIATED PRESS/Karin Cooper

そう、かのケネディ John Fitzgerald "Jack" Kennedy 大統領の末弟エドワード・ムーア・ケネディ Edward Moore Kennedy 氏が77歳にして天に旅立ちました。

これで、本当に、世に言う「ケネディ神話」なるものにピリオドが打たれましたね。

私が中学生の時だったか、授業中でさえ机の下に隠しつつ夢中になって読んだのが、母堂ローズ・ケネディ Rose Elizabeth Kennedy の人生を中心にしたケネディ家物語でした。今となってはなぜあんなにもこの本に私が感動したのか理解できないけれど、当時の私はケネディ家の人々のそれぞれの生き方にものすごい感動を覚えたまま高校を卒業し、その後出会った友人がヂャック・ケネディの演説を原文のまま丸暗記しており、その友人の口から漏れる米文の言の葉でいっそう感動し、その数年後に私は大統領となったケネディ兄弟、ヂャクとボブの墓参という夢も実現できました。墓参なのにあまりのうれしさのせいで満面の笑みの私とお墓のツーショットなんて摩訶不思議な写真もあります。
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↑ ヂョゼフとローズ夫妻、そしてケネディ9兄妹 ↑
A Kennedy family portrait taken in Bronxville, NY. Seated (left to right): Eunice, Jean, Edward, Joseph Sr., Patricia, and Kathleen. Standing: Rosemary, Robert, John, Rose, and Joseph Jr.

ケネディ家 Kennedy family に生まれてしまった9人の兄妹それぞれに、しかもそのお子たちにさえ数奇な運命に値する道が敷かれており、世界中の多くの人が生き残った末弟テッド Ted が「いつ米国大統領になり、どういう形で死ぬのか」という良心においてタブーな遊び心を携えたままでした。その How to ~ の「~」は だったわけで、こうして今、テッドが暗殺ではない形で、ケネディ家ゆかりのハイアニスポート Hyannisport という土地で天に帰ったことだけでも Deo Gratias!テッドがこうして77歳で帰天したならば、彼は天寿を全うしたと言えるでしょう。

こうして、ケネディ家の男兄弟の中で唯一、長生きをしたテッドの人生を振り返ると、長生きの点ではケネディ家の女性たちに比べれば短くてもテッドが女系に倣ったこと、テッドが米国大統領にならなかったことで政治の面では「裏で」活躍した人物であることがどこか彼らの父親と似た立場であったこと、テッドの私生活におけるスキャンダルでは兄ヂャックと似て遠からぢであったこと、そして1969年に父を見送った後、テッドはケネディ家に残った唯一の男子、家長として、古き良きローマン・カトリック家庭の家長の役割に倣い、一族全員の面倒を一手に引き受けたこと、等、エドワード・ケネディはケネディ家の神話を締め括るにふさわしいほどの生き様を見せた人物に思えます。

テッドの姉5人のうち上から三番目の姉ユーニス Eunice Kennedy Shriver が今月11日に帰天したばかりなのですよね。2週間後にテッドが天に招かれたことになります。これはそこはかとなく不思議?な事実でしょうか。

le 26 août 2009, Natacha

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テッドには申し訳ありませんが、私にとって「きょうの一枚」はこれ ↑ です。亡兄ヂャック。
見るなりたまげたけれど、安心したというか、ね?

ヂョゼフ Joseph P. Kennedy, Sr. とローズの間に生まれたケネディ9人兄妹の中で1928年生まれ、八番目のジーン Jean Kennedy Smith が最後のひとりとなります。

*テッド氏の葬儀は29日土曜日午前中、ボストンのOur Lady of Perpetual Help Basilica (絶えざるお助けの聖母大聖堂)にて。調べてみましたら、スタッフ全員のお名前の最後に C.Ss.R. 。つまり、レデンプトール会の管轄の聖堂で、1868年創立されたのだそうです。葬儀後、遺体はワシントンDC に移動し、夕方5時にアーリントン墓地の、二人の兄が眠るそばに埋葬される予定です。詳細は以下のとおり。cf. The funeral will take place at Our Lady of Perpetual Help Basilica, a 19th century church that holds 1,300 people, on Saturday morning. After the funeral in Boston, his body will be flown to Washington, where he will be buried in Arlington National Cemetery, next to his brothers John F. Kennedy and Robert F. Kennedy on the hillside in Virginia overlooking Washington. The burial is scheduled for 5 p.m. Saturday.
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by ma_cocotte | 2009-08-26 19:04 | 『?』なエイメリカ | Comments(4)
Veritatem facientes in caritate  愛にあって真理を語る
そ、その刺繍は、もしや!?
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かるめる会修道者の御手による日本風聖母子画ではありませぬか!?

今年7月2日、イタリアはフィレンツェのサンティ・ミケエレ・エ・ガエタアノ教会 Chiesa dei Santi Michele e Gaetano でレイモン・レオ・バアク Raymond Leo Burke 大司教さまの按手によって叙階 ↓ された日本人の神父さまが初めてささげたごミサ ↑ でございます。
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はー、やつぱり伊太利亜の聖堂の造りはすんごいわあ。


そして、これ ↓ は恒例、叙階式直後だけの 大逆転!
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生まれたてほやほやの司祭の前に跪き祝福をいただくバアク大司教さま。左奥はエイメリカはオークランド教区のサルヴァトオレ・ヂョゼフ・コルディレオオネ 司教さま Mgr Salvatore Joseph Cordileone, évêque d'Oakland のやふです。

さて、バアク大司教さまですけれども、エイメリカは2003年からセイント・ルイス教区の長上さまであらっしゃいます。が、現在は2008年6月末からヴァチカン市国は使徒座署名院最高裁判所長官であらっしゃいまして、世に言うところの最高裁判所だけでなく教会行政権に関して採決する部署の長上さまでもあらせられるのです。 んなもんで、バアク大司教さまを仏蘭西語で表わしますと、Son Excellence Révérendissime Monseigneur Raymond Burke, Préfet de Suprême tribunal de la Signature Apostolique となりまして、これでも大司教 Archevêque を略してんのよ、なのであります。
そんなパァパ・ベーネデット ちゃちゃんがちゃん のあまりにもおそば近くにいらっしゃいますレイモン・レオ・バアク大司教さまによって叙階された日本人の神父さまは教区司祭ではなく、1962ミサのみをあげる Institutum Christi Regis Summi Sacerdotis という修道会の修道司祭なのだそうです。 ですから、初ミサはもちろん1962ミサ典礼でございます。

こちら ↓ 、ウソかマコトか、今年4月25日のルルドだそう。2009年に見えねーべ?
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この美しいブルーグレーの、ひとクセある聖職者方や侍者坊の装束で思い出したのは今年の復活祭前日の土曜日お昼の国営放送France 3 の地方ニュウスで、2007年秋以降、世俗から教区に1962ミサにあずかりたいという希望が届いた場合、仏蘭西国内の多くの司教さま方が次々とこの修道会に委任しており、FSSP を抜くほど人気急上昇中と紹介されていたことです。調べてみましたら、既にこの修道会は欧州10か国(仏蘭西、ベルギー、スイス、スペイン、イタリア、オーストリア、ドイツ、アイルランド、大英帝國、スウェエデン) 、アフリカはガボン、エイメリカ合衆国内の計49教区(うち、仏蘭西19教区、エイメリカ12教区)で活動しているのだそうです。

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修道女会 Adoratrices du Cœur Royal de Jésus-Christ Souverain Prêtre もございます。なつかしのプロセッシオン(お祈りしながらの行列)。眼福。
1964年に仏蘭西国内で創立された修道会ですが、1988年3月にラッツィンガー枢機卿(現教皇ベネディクト16世)等の尽力で再編された教皇庁立修道会でもあることから、掲げられた目的のひとつが青少年のうちから未来の聖職、修道職を育てることだそうで、仏蘭西国内に既に二校、ベルギーに一校の初中高等教育機関を持っています。
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↑ この装束でも、今年4月はじめの羅馬です。↑

1962ミサをささげられる日本人司祭がいらっしゃる教皇庁立修道会ですか。
モンシニョール、日本國からアジアにおける「はじめの一歩」なんてどうでしょう?(-。-) ボソッ
щ(゚Д゚)щ カッモ~ン! щ(゚Д゚)щ 

le 25 août 2009, Louis

【余談】
Veritatem facientes in caritate =Confessant la vérité dans la charité=Proclaim the truth in love=愛にあって真理を語る・・・とここまでは私でもわかる。がだ、
むしろ真理を宣言し、万事愛においてかしらであるキリストに成長するだろう
という和訳はどうだろう?バルバロ神父さま。in caritate の前にカンマはない。
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by ma_cocotte | 2009-08-25 01:26 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
金がねえなら結婚しない方がいい。ぢゃ、愛もねえなら?
週日明け朝一番で知ったニュウス。Le Figaro : Encore une bonne année pour la natalité française
2008年度、海外県を含め仏蘭西共和国内の出生率が2007年度に比べ1.2%上昇したものの、2009年の第一四半期(1~3月)においては不況が絡んでか若干、出生率が低くなっているそうです。経済学者さんの中には不況と出生率が関係すると考える方が多くいるらしい。
2008年の一年間で仏蘭西共和国で誕生した828484人の赤ん坊の母親の年齢分布は以下の通りだそう。25~29歳の女性が最も多く、微妙な数値で30~34歳の女性が続いています。
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35歳以上の母親から誕生した赤ん坊の数は2008年生まれの赤ちゃん全体の21%です。50~54歳で出産された107名ものマダム方、今も1歳のベベの養育で多忙でしょうけれど、頑張りすぎずにがんばってください。

さて、このニュウスで注目すべきは両親の婚姻後に誕生した赤ん坊数と、両親の婚姻前に誕生した赤ん坊数が逆転したことです。なんと、きょうび仏蘭西では婚姻前に誕生した赤ん坊の数の方がマジョリティ、全体の52%になります。1998年当時に比べると10%の上昇です。妊娠が発覚して、簡単に入籍できないのが仏蘭西の市民婚のシステムです。紙一枚を役所のポストに投函すれば完了なんて市民婚は仏蘭西ではありえないどころか信じられないです。市役所の婚姻の間で、市長司式でマリアンヌ像の前で宣誓するには、市役所に婚姻予定日(減速として土曜午後のみ)を予約後、婚姻が共和国に認められるための書類集めとその提出確認、健康診断含め短くても半年近くの時間を要します。教会やシナゴーグ、モスクでの婚姻はプライヴェート扱いなので市民婚に代替えもできませんし、仏蘭西のカトリック教会の場合は待降節や四旬節に結婚式をまったく受け付けません。5月以降、欧米で結婚式が活発化するのは、市民婚と教会婚を同日に行う目的が第一だからであって、日本國で広められている「ジューン・ブライド=6月が最も美しい季節」というのは日本人が考えた「宗教を抜きにしたお話」です。復活祭が明け、昇天祭や聖霊降臨など一連のカトリックにおけるビッグ・イヴェントが済むと、どこの教会も土曜日に婚姻が続くようになります。その頃、欧州は次々と花が咲き乱れ、美しい季節になるのです。
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次に、このグラフ ↑ の右ですが、2008年に生まれた赤ん坊の両親についてです。80.4%は両親とも仏蘭西国籍を持つ男女、12.7%の子供の親は片親が外国籍者、他6.7%は両親共に外国籍者です。この6.7%の中には日本人駐在員夫妻において仏蘭西国内で出産したケースも入っているかもしれません。日本國の場合、国籍法に細かい取り決めがあるため、仏蘭西側が国籍を与えてくれるにせよ、最初から拒む日本人もかなりいます。まあ、現在の日本國の国籍法では、出生国の国籍をもらったところで複数国籍になった本人が21歳になって苦しみ悩むことが多いですからね。

そして、片親が外国籍者のケースは、ねぇ?
10年近く前、電脳で知り合った仏蘭西国内在住の日本人女性から「仏蘭西で出産すればずっと住めますよ」と勧められ、それを境にそういう発言をするこの方とは絶縁した私ですけれど、こういう思惑を持ったガイジンさんが共和国内中にゴロゴロしているのも事実です。12.7%のうち、どれほどか存じませんけれど。最近、散見するのは東欧の女性が前夫との間に生まれた子を連れて仏蘭西男性と再婚して、1年程度で離婚訴訟を起こすケースでしょうか。ガイジンの私にはヴぃっくりマンモスな事実は、この連れ子さん(つまり両親共にガイジンさん)についても一度、仏蘭西に入国しちゃうと、母親が離婚しても生活保護対象者扱いなのですよ。

上のように婚姻前に誕生したからと言って、必ずしも片親の家庭で育てられる赤ん坊ではありません。愛情を育む途中で妊娠した場合、愛情があれば堕胎しませんから出産します。別居または同棲を続け、男女が「永遠の愛」やら「機が熟した」時点で結婚に踏み切るケースが仏蘭西には多いです。ゆえに一見、母子家庭でも子供の苗字は父親の苗字だったり、母の苗字と父の苗字をハイフンでつなぐ形であったりします。ですから市民婚でも教会婚でも子連れ結婚式がかなーりあります。もちろん中には子供が誕生しても男女の間の愛情に具体的実りを見つけられず婚姻に至らないカップルもいますが、子供の養育義務は基本的に男女平等に課せられ、その各親子関係における義務内容は裁判所に登録されています。恐ろしいかな、片親が親の義務をさぼったら、片親が裁判所に訴えられるんですな、フランスでは。

日本國ではドラマでもしばしば用いられる「あなたの子供ができたンだから、今すぐ結婚してよ!」という女性からの申し出は仏蘭西では通らないことが多いです。ただし、父権の破棄は仏蘭西では最近になって上昇傾向にあるとか。しばらく前、テレビ番組でフランス人男性との間の子供を出産した日本人女性が認知と自身の養育義務のための仏蘭西長期滞在許可を求めて訴訟を起こしているドキュメンタリーが流れましたが http://malicieuse.exblog.jp/6070726/、日本女性から訴えられたところで男性側がその女性に対しての愛情がまったくわかないことや、(成人男女による)アバンチュールの結果ゆえ、今更、子供の父親と自分が認めたとしてもその子供に父性愛もわかないという彼自身の心理をアピールしている点などは日本國でしばしば見聞する「世間体優先の」入籍までの事情と異なるようにも思いました。彼は子供の世間体のため、その女性の仏蘭西滞在のために認知できないのでしょうね。愛情あったら子供が生まれる前から自分の苗字を添えて病院に登録するのが仏蘭西ですからね。それに、きょうび仏蘭西においては両親の関係の形で子供に世間からの偏見が及ぶことがまずありません。

ひとつの生命そのものがいかに神秘であるか共和国民全員が知っているのでしょうなあ。

「生まれ変わる」という発想がない仏蘭西で、一度きりの人生を本人が幸せに過ごさなくっちゃ。親のせいでも、国のせいでもなく、親のおかげ、国のおかげで私は地球で生まれた瞬間から死の寸前まで幸せでした、なーんてどこで言うのかしら?

le 24 août 2009, Barthélemy
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by ma_cocotte | 2009-08-24 20:39 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
ほどこすな。ほどこしをもらうようになるな。
辞書で「施す」を調べてみました。
施し 《 ほどこし 》 恵みを与えること。
となると、「ほどこすな」とは「恵みを与えるな」となり、「ほどこしをもらうようになるな」は「与えられる恵みをもらうような立場になるな」ということになります。

昨日土曜日の夕方、民放 M6 でテレビ画面から消えたかつての有名人が今何をしているか追跡する番組が流れていました。画面に現れた「かつての有名人」ですが、仏蘭西に住み始めてからもしばらくテレビのない生活をしていた私にはまったく知らないヒトだったので、ココんちの仏蘭西びと♂にナニモノか質問したら、かつてバラエティ番組を得意とする有名司会者だったと返事をもらいました。その男性がテレビ画面からすっかり消え、最近は何をしているかと言うと自宅近所を自転車で廻り、SDF(浮浪者)を見つけたら、彼らとおしゃべりをしつつ、彼らが必要としている物を知り、自分が可能な範囲でそれを買って彼らの生活を援助し続けているのだそうです。小さなコンビニエンスストアの入口前でしゃがみこんでいるSDFのムッシュウ二人にマイクを向けると、その施しをくれる男性がかつてテレビの人気者だったことは知っているとのことでした。
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↑ マルセイユ旧港路地のSDFさんたち ↑

何かこの番組を見て我が心に引っかかりを覚えたまま、一夜が明け、教会に行ってみると入口と言う入口すべてに施しを求める人々が立っており、彼らはミサが始まる直前もミサが閉祭した後も定位置に立つなり座るなりして、片掌を力なく差し出しているのです。ココんちの近所で施しを求める人々は欧州系の男女ばかりですが、南仏に住んでいた頃は欧州人だけでなくジプシーの大人と子供たちで、ジプシーの中にはミサにあずかっているヒトもいました。

そんな施しを待つ彼らに、大人も週日に節約した小銭を渡すし、子連れの大人は子供の手に銭を握らせてSDFに渡すよう指示します。子供は意味がわかっているのかいないのかうれしそうに施しを求めるヒトの手にコインを渡し、「Bon dimanche, monsieur!おぢちゃん、良い日曜日を!」などと言いつつ去って行きます。南仏でしばしば見かけたのはご婦人方がお菓子を携えて、ジプシーの親子に丸ごとプレゼントして、子供たちに接吻までしていたりすること、優しすぎませんか?
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↑ ルルドの聖域近くで ↑
席を外したSDFさんではありますが、小銭がひっきりなしに籠に落とされていくのでした。

ううむぅうう。
もし自分が子を持つ親だとして、SDFを目の前にした我が子に小銭を握らせて「さあ、あのヒトの手に渡してらっしゃい」と私は言うだろうか?「自分はああはなりたくない、自分がああなってはならない」という、子供または自らへの戒めが先になってしまわないだろうか?とこの数時間、考えていたりします。仏蘭西という国で親から小銭を握らされて、親の代理でSDFさんの手に渡す子供たちというのは、「こういうヒトになりたくない」という思いより先に、自分がしたことで目の前のSDFのムッシュウから「Merciii!ありがとう」と感謝されることをまず知ることになります。

これが良いのか、悪いのか。
子供の(教育の)ためにも、SDFのためにも。

この手のことを見聞するたびにどうにもこうにも日本で生まれ育った私には納得行きかねるモヤモヤが心に引っかかったまますっきりしない自分自身を手に取るようにわかったりもするのですが、「甘え、甘やかし」という言葉が付いて回ってくるものです。それに「施し」がイコール「恵みを与えること」だとするなら、その「恵み」は必ずしも金銭ではないでしょう。時折、現金しか受け付けないSDFさんがいるのも現実です。「あなたにお金は差し上げられませんが、あなたと一緒に食事をすることはできます」と返事した神父さまに思い切り背中を向けたSDFさんを、私ゃ何人も見てきました。日銭においては時にSDFさんの方が司祭の月給の日割りより高収入だったりするんだが。形がどうであろうと、価値がどうであろうと、他者からいただいたどんな恵みにも感謝するのは、富裕であれ、貧困であれ、誰もが携えねばならない基本の感情だと思うのは私だけでしょうか。

仏蘭西においてはテレビでとりあげられるほどの有名人が私腹を肥やしたままならば触れず、弱者のために財産を惜しまず使うなら、その活動がより活発となるようにテレビはじめマスコミが新たにフォローすることを繰り返し見ざるを得ない現状の中に私はあるように思えます。私腹を肥やしたっきりで施さない仏蘭西の有名人を誰か上げなければならないとするなら
ニコラ・サルコぢ かしら、ね?
まぢ、彼から弱者救済を連想する話題を引き出せません。

世界の富裕と貧困の格差を狭めることもまずは身近から変えていくということも、知的教育面で互いに補い合うことを含め、「施しをもらうようにならなければ→減る」は確かとはわかってはいるつもりですけれど、ううううん、なんだ、このすっきりしないモヤモヤは。

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↑ ローマはサンタ・マリア・マッヂョーレ大聖堂前の広場にいらしたSDFさんたち ↑

今年、生まれて初めてローマに行って見て、フランスよりSDFさんが多いと思いました。
21世紀に入る少し手前のフランス国内の様子を思い出しました。

le 23 août 2009, Rosa de Lima
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by ma_cocotte | 2009-08-23 23:17 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(11)
正餐は、いつもより、ちょっとだけプラス。
或る日曜のお昼過ぎ、宿泊先の食堂に行くと
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ハムとチーズのサンドウヰッチと、黒オリーヴが入ったベトラヴのサラダ。
それをいただいているうちに目の前のテーブルには次々と。
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各自がそれぞれ自分の皿に好きなように盛り合わせれば主菜ができあがり。
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この豚肉のソテーは本当に美味でした。
焼きたてのホックホクなのに、肉汁がたっぷり。味も深い。
どこか日本の洋食を思い出すような味付けでご飯と一緒にいただきたいくらいでした。
ニンニクが丸ごとゴロゴロと入ったこのお料理は外国人修道女の手によるもの。
そして、いつものお食事ならばデセールは缶詰の果物なのに、
この日曜のお昼のデセールはチョコレートソースがたっぷりかかったアイスクリーム。

それは、日曜日というより主日の正餐だから。
日常のお昼や夕食よりちょっとだけ贅沢。
サンドイッチも主日の正餐だからこそのおまけでした。

この宿泊先、
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ルルド Lourdes のバジリカ聖堂の裏の路地のほぼ突き当たりにあります。
予定では他の観想修道会が経営する宿舎に泊まるつもりでしたが、コンタクトが上手く取れず、この観想修道会が紹介してくださったのがこの宿泊施設です。つい最近、この宿泊施設にかつてヘンリー・ナウエン Henri J.M. Nouwen が泊まったことを知りました。何たる光栄。

ココんちからルルドまで安全運転で五時間強。
土曜日のお昼前にココんちを出た私たちがルルドについてすぐお夕食。
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深さのあるお皿に野菜スープが注がれてそれを食べている間に、カリフラワー
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単純な料理のようで、これがまた美味い。
サラダに塩・胡椒・お酢と油を適当にかけていただき、
カリフラワーと一緒にお肉のお惣菜、
それを食べたらピレネー産のチーズ。そして、缶詰の果物でおしまい。

この宿泊施設では夕食時、巡礼客がチーズを食べ始めるとほぼ同時に院長様が必ず厨房から現れ、巡礼客と雑談を始めます。この宿泊施設は観想修道院ではないから、顔見知りでないがゆえに少し距離を置いて席につく私たちに、院長様は「どうして一緒に召し上がらない?もっと楽しくおしゃべりしましょうよ」とおっしゃる。院長さまのおっしゃるとおりに誰もが互いに席を詰めると、挨拶に始まって誰からともなくこれまで経験した巡礼旅行の話を始め、情報交換が始まります。これがまた、英文学の古典とも言えるチョーサーの「カンタベリー物語」を思い起こさせ、チョーサーの時代から700年経とうが、巡礼客が集う食卓は似たようなものなのだと今更感慨に耽ってみたり。
到着してすぐシスターから教えていただくのは玄関のオートロックの暗証番号です。
私が泊まった時は、1、3、0、9 の四桁。
その数字をおっしゃった後、シスターが私たちの目を見てニヤリ、そして「おわかり?」と。
はて?・・・一秒、二秒、三秒・・・

・・・あああああ、ブノワ・セーズ =教皇B16 がルルドにいらした日ですぅ!

こちらの答えを確認したシスターの笑顔がいっそう晴れやかに。
そのいたずらっ子のような表情は映画「サウンド・オブ・ミュウヂック」の院長さまを思い出します。

楽しいです、修道院の宿泊施設。
今年は春にローマでも経験することができました。

このルルドの小さな修道院には近いうちに伺うつもりでいます。

le 23 août 2009, Rose de Lima

こちら ↓ はローマでお世話になった修道院の食堂です。
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ローマ滞在中、一番美味しいお食事は修道院で出されたものだったかも。
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by ma_cocotte | 2009-08-23 00:55 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)