<   2009年 09月 ( 25 )   > この月の画像一覧
なぜかしら、富士見、猿楽、三鷹台...
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あれ?あらま?

ココんち近所の田舎の美術&博物館にて、地元の生活文化コーナーで見つけました。
古き良き時代の仏蘭西のお子たちの装束です。今では廃れてしまった仏蘭西のお子たちの通学服なのに、日本國内のほうぼうで今もお見かけできませんか。ほら、江戸ならば九段界隈で、左はエトワアル・デュ・マタン、右の黒いタブリエはリス・ブランでしょう?
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ボタンの数が8だから、引くことの二で小学校、引くことの一で中高だ。
袖口のボタンを取ってモールを縫い付け、
首元にこれで月桂樹と星の金糸刺繍があれば完璧。


ほーら、
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ね?

古すぎる写真でございますね。
築地の外国人居留区にあった小神学校に入学した男子は築地から富士見町まで通ったのだとか。パンタロン(=ズボン)は今のデュ・マタンとは違うとは言え、学ランはこのままですし、この独特の革靴もデュ・マタンとサレジアンの男子小学生は今も履き続けていますね。超かわいい。この靴で赤のスータンにスルプリね。щ(゚Д゚)щ かっも~ん

そして、今は昔、仏蘭西の学校のお教室にあった机です。
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これも、お懐かしや。宗派違えど、三鷹台のセイント・マーガレッツの小学校で一人用とは言え同じタイプの机が使われていましたっけ。

こうして博物館でガラスケースに収まってしまった過去の遺物を拝見して、ミッションスクールというものは教えの伝道だけでなく、欧米の生活文化も異教の国に運びこみ、百数十年もの時の流れの中で本国では既に廃れてしまったものが今も宣教先の異国で生かされているという事実を改めて思い知ることができました。

le 30 septembre 2009, Jérôme

ああ、これだけは今もいつも世々に至るまで男子も女子も世界中でなんら変わらず。
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首におメダイのペンダント。

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by ma_cocotte | 2009-09-30 21:42 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(2)
こんな時でないと、
入れないので、入って参りました。
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Temple Protestant 新教礼拝堂

先日9月19日、20日に共和国内各地で行われたヂュルネ・デュ・パトリモワァヌ Journèes du patrimoine 、文化遺産探訪デーの公開一覧カタログで見つけたココんち近くの旧市街にある礼拝堂です。

この礼拝堂ですが、仏蘭西大革命前まではフランシスコ会修道院の聖堂でありましたが、革命政府により没収された後、新教改革派 Les Églises réformées に譲渡されました。そのせいか、素人目には正面の造り、特に説教台などはどこか旧教の名残を感じたりもします。それとも、共通文化なのかな? 説教壇から会衆席を眺めると、
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十字架に見えるステンドグラスが上方に。
このステンドグラス以外の窓はいずれも乳白色のガラスであり、おそらくヂュネーヴの新教教会群と同じく、旧教聖堂の旧教色を全て拭い去っての再生で今に至っていると思われます。元はフランシスコ会修道院だったとは言え、ステンドグラスも聖像も御絵も十字架の道行きもない礼拝堂には代わりにこのようなものが壁に掲げられておりました。

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あなたは隣人を自分を愛すがごとく愛す。

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主イエスを信ぜよ。さすれば、あなたは救われる。

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キリストは本当に復活された。


仏蘭西共和国内の新教礼拝堂にはたいていこのような文字が壁面だけでなく正面壇上にも掲げられているものです。エクサンプロヴァンスの礼拝堂には正面に文字が掲げられていました。旧教でも修道会によってはこのような文字でスローガンを掲げることを好む会もありますけれど、私個人は絵画によるアピールの方が好きです。

この礼拝堂の隅の掲示板にも、カルヴァン生誕500年祭りのポスターが貼ってありました。
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新教は帰天年より生誕年でお祝いするのでしょうか?
かのヂャン・カルヴァン Jean Calvin、本名ヂェアン・コヴァン Jehan Cauvin さんは1509年7月10日にピカルディ地方で生まれ、1564年5月27日にヂュネーヴで永眠されたのです。現代仏蘭西においてカトリック Catholique に対するプロテスタント Protestante は改革派 Les Églises réformées を射しますが、この派閥の筆頭神学者はヂャン・カルヴァンではあっても、他にツヴィングリ Ulrich Zwingli、ビュランヂェ Heinrich Bullinger、ベズ Théodore de Bèze、ファレル Guillaume Farel、ノックス John Knoxが含まれ、仏蘭西以外ではスイス、スコットランド、オランダ、南アフリカ、韓国、ニュウカレドニア、ポリネシアとケベックに広まり、アングロサクソン国ではプレスビテリアン presbytériennes という名前で親しまれています。いわゆるひとつの「長老派」ってこってすな。とは言え、あっしの耳に カルヴァン という鍵語が入るとどうしてもプレスビテリアンよりピューリタン Puritan を思い出してしまいます。そして、緋文字に、魔女裁判で、あわわわわ。そこに赦しはない、まる
ピューリターン、ノーリターン

le 30 septembre 2009, Jérôme
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by ma_cocotte | 2009-09-30 04:57 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
見守られて。
忘れないうちに。
聖ルイ・ド・モンフォールが創立した、女子修道会本部の聖堂
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正面の祭壇の奥から天井まで三段のステンドグラスです。
コチラ → http://malicieuse.exblog.jp/11818830 の写真の方がわかりやすいかも。

ココんちの近所にも二階と三階の二段のステンドグラスと、一階の各小聖堂にステンドグラスという聖堂がありますが、このように祭壇背後の三段のステンドグラスが目に一度に入る美というのは感動です。おそらくこの聖堂も東を向いているでしょうから、午前11時頃、祭壇背後から祭壇に投げられる太陽とステンドグラスによる色彩美は言葉で表現しつくせないものがあるかと想像します。この光の世界に抹香の煙が当たった時の美しさと言ったら。言葉にできない。

この祭壇の手前、世俗席の左右の上方にもステンドグラスがあり、それはフランスの大西洋側の聖堂や海の向こうのイングランドやスコットランドの国教会の聖堂でしばしば見るステンドグラスのようにキリスト教の諸聖人が描かれたものです。

どこの聖堂を訪れてもステンドグラスとなっている諸聖人は表現違えど、共通人物が多く、聖家族(イエズス・マリア・ヨゼフ)に、ペトロ、ヨハネやヴェロニカ、アグネスに、ドミニコやフランシスコなど歴史ある修道会の創立者に加え、その土地ゆかりの守護聖人です。この静かな田舎の女子修道会聖堂でも、
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ペトロにパウロ、使徒や福音史家がそれぞれのシンボルと共に、
四大修道会の創立者方 ↓ や、
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クリストフォロ、ルイ王など仏蘭西人に馴染みある諸聖人も。
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女子修道会だからなのか、聖女方はまとめられておりました。
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聖堂の後方から祭壇前まで、聖人をわかりやすくグループにしています。
というのも、ここのステンドグラスには、彼ら定番に加えて、
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旧約の登場人物 ↑ もいるのです。ただし、右はイエズス・パパの聖ヨゼフ。
これはありそうでなさそうなステンドグラスでございます。ほら、
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アブラハムイサク ですよ。

なんだか旧約の預言者たちが並んでいると、エイメリカの裁判所の石造群みたいですね。
そして、もうひとつ
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天使たち

これもありそうでなさそうなステンドグラスです。三大天使に、守護の天使の四枚です。

「やさしさにつつまれて」という歌がありますが、上空から太陽を背にした諸聖人の美しい光が差し込んで、乳白色の聖堂を色とりどりに染め、その中で静かに祈る方々・・・・。

この聖堂一階の、おそらく修道女方のお住まいの域につながる扉の上には
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十戒の石版を持つ天使


これならば、悪はこの先に入れませんぞよ。

こんにち9月29日は大天使の祝日でございます。
おあとよろしいようで。

le 29 septembre 2009, Michel
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by ma_cocotte | 2009-09-29 00:32 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(16)
四十年目の秋なのに、プラハに「春」
今週末、我らがパァパ、ベエネデット!ちゃちゃんがちゃん はプラハにあらしゃります。
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Le pape Benoît XVI applaudi par le président tchèque Vaclav Klaus le 26 septembre 2009 à l'aéroport de Ruzyne @AFP

仏蘭西の衛星放送局 KTO カテオ では以下の生中継、そして数時間後にはビデオでご覧になれます。
Voyage du Pape Benoît XVI en République Tchèque
http://www.ktotv.com/cms/Benoit_16_Republique_Tcheque
普通のカトリックさんだけでなく、受洗していようがなかろうがキリスト教典礼のヲタクさんやキリスト教批評家、批判家(← と、書くとなぜかエキュメニカルに繋がるから不思議)の方々も、故リュスティヂェ枢機卿さまが創立されたこの放送局で安心して画面をご覧くださいませ。ちなみに画像の多くはヴァチカン放送局との連携です。

====== 十 ======

教皇さまがこの度チェコ共和国にお出ましになるということで、26日のお昼のニュウスからは「ル・パップ・ブノワ・セーズ Pape Benoît XVI 」という音声がたびたび流れるようになりました。もちろん、きょうび電脳域が存在するのですから、この耳にした鍵語で検索すれば、27日朝の段階で仏蘭西語環境でも200近く引っかかります。その先の記事をさらってみますと、教皇さまがあのプラハの春の舞台となったチェコの首都プラハをその歴史的大事件から40年後に訪問することになっても、民主化されたとは言え、プラハの春以降、民主化再興までの年月で大地と国民の精神に沁み込んだ共産主義の爪あとは、民主化再興20年後の今もまだ完全払拭にも至らず、根こそぎにはまだ時間がかかるという現実なのだそうです。

26日午後、教皇さまはまず「プラハの幼子イエズス」像が収められている「プラハの勝利の聖母教会 Eglise Sainte Marie de la Victoire de Prague」におみ足を運ばれましたが、以下のビデオをご覧になりますと、
Visite à l' "Enfant Jésus de Prague"
http://www.ktotv.com/videos-chretiennes/emissions/voyage-du-pape/00046543
冒頭の部分でプラハ市長が教皇さまの御前で歓迎のお言葉を述べますが、その中でも40年前のプラハの春と20年前の民主化という節目にこうして教皇さまをお迎えしたことについて市長が触れています。この市長さんのお口から発する英語、美しいやね。どこで学んだのだろう?

再民主化20周年とは言え、このような複線を知って、もう一度今回の教皇さまの日程を拝見すると、これから始まる大ミサ の会場は空港 Messe à l'aéroport Turany de Brno ですから、教皇さまを迎えるにあたってのお金の融通などはもしかするとイスラエルやパレスチナ自治区より難しいのかもしれません。

ま、ミサなどはお金をかけて教皇さまをお迎えすることが主眼ではございませんからして、集った人々が心をひとつに国土の平和を願い、教皇さまのマジックハンズで聖別していただいて、集った万民は四方八方にその喜びを知らしめるために散らばる~♪ 画面を通してとは言え、その喜びに同時にあずかれる私たちも幸い~♪ です。

====== 十 ======

ふと仏蘭西のカレンダアを眺むれば、こんにちの聖人はヴァンサン・ド・ポル Vincent de Paul、日本國では羅典語発音のヴィンセンシオ・ア・パウロで知られる方です。彼は愛徳の聖人ですし、愛徳は羅典語ならばカリタス、仏蘭西語で言うところの la charité ラ・シャリテで、偶然にも教皇B16が聖座に御着座後、繰り返し、繰り返し、口酸っぱいかと思われるほど私たちの耳に目に繰り返されている鍵語です。共産主義社会から民主化20年を経て、まだ成熟を見ていないとしてもそれはお金で解決するのではなく、人々の愛徳をもっての改良で、それは時間をかけてでも苦難を乗り越えて実りを見ることが大切でしょう。目の上のたんこぶを切り落とす、消し去るという安直な方法は敢えて選ばない。なぜなら一(100%)から悪阻を引いたら既に100ではないからです。もしたんこぶならば水を出して、普通の皮膚に戻せば一(いち)のままです。たんこぶが良性か悪性か判断するのは素人ぢゃないものね。無免許営業が違法なのは法治国家の定めです。

今年三月、私がロオマに参りました時、ヴァチカン市国の高官という地位にある聖職者とお話する機会がありましたが、現教皇さまが歴史上「最後の第二ヴァチカン公会議そのものを知る教皇」であり、ベネさまご自身がこうして教皇さまになられたことで海外訪問の基本姿勢は前教皇JPIIが訪問できなかった国を訪問することがまずあり、ただし、JPIIが訪問先で改良のテーマを差し出した国についてはB16が再訪することでその改良テーマの発芽と実践の具合を確かめる使命があるとのことでした。今回のチェコ訪問はプラハの春から40年、再民主化施行から20年という節目となり、B16にしては国際政治や社会生活面での視察に重きがあるようです。

あ、主日ミサが始まった! 約200,000人の参列だとか。

le 27 septembre 2009, Vincent de Paul

・・・・教皇さまの韓国訪問についての正式発表はいつでありましょうか。
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by ma_cocotte | 2009-09-27 17:10 | Vive le pape! | Comments(0)
員 数 外 の 夏 。
数日前に「官僚たちの夏」というドラマを見終えました。
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見終えたところで、このムカムカは何だろう?と思考を巡らす数日が続いていたりします。ドラマタイトルに「夏」という文字が入り、お彼岸に最終回を迎えたということで、この視聴後感想をなぞらえると初秋を迎えたさわやかさというよりは、晩夏の酷暑で最後の汗を知るような感覚が心に残っているとでも申しましょうか。
あのドラマの意図はいったい何なのぢゃ?
ドラマの設定は東京、戦後10年目にあたる1955年(昭和30年)から始まり、最終回は小笠原諸島返還あたりだったから1968年(昭和43年)前後だろうと思います。NHKなら兎も角、民放にしてはかなり硬派かつ男子向けドラマだとアンチ・ヂェンダフリなアチシ(←水の江滝子さん風に発声してくらしゃい)には思えたけれど、婦女子の立場で各官僚さんのご家庭のシーンでの様子を楽しみつつ、「~ながら視聴」をしてはおりました。いちおう自分はぁ(←と、昭和40年頃の一高生っぽく)、冷蔵庫もテレビも炊飯器も洗濯機も平民に行き渡ってからの誕生でありますので、そのような家電製品が存在しなかった当時の生活を、当時の市民史と照らし合わせながら知れるだけでも感動でありました。
が、
だ。このドラマですが、途中に衆議院議員総選挙が入り、前後編となり、選挙前までの放映分が第一部、選挙後が第二部と名付けられました。しかも、第二部になり、時代は東京オリンピック後の日本國になりましたが、なーんか目の前で展開されている様子がおかしいというか・・・。変だなあ、違和感あるなあ、と思いつつも毎回見続けていたら、際集会でドつぼに嵌められたというか。
なんだ、あの終わり方は?
第一部終了までは元・公方さまの髪型以外はユルせる範囲の時代考証であり、ストーリーでもありました。実際、ワタクシ事ではあるけれど、親戚に繊維業も鉄鋼業も政治、行政に関わる者もいたので、私が彼らから聞いていた話と多々重なる部分がありました。けれども、第二部はおかしいぞ、明らかに何かがおかしいぞ。・・・そのモヤモヤがこうして週末にまで残ってしまったのでした。

何がおかしいって、第二部以降、通産官僚の過労死があり、政府と官僚の癒着によって第一部前半で振り回された中小繊維業経営者が第二部最終回でもう一度、政府と官僚に振り回されたことで、最後にその振り回された繊維業者のざこばさんが「政府や官僚に振り回されるのはもう御免だから、タイに移住し、一からやり直して自分の名を残す」と言い残すのです。・・・・・えと、ここから先、実際のドラマの方はどう締め括られていたか、
「私の記憶にございません、荒船委員長」
です。↑ わかるかな?わっかんねーだろうな。( ̄ー ̄) ニヤリ
兎にも角にも、ざこば師匠のこの台詞で、私は身も心も ぽかーん 状態に陥りまして、これってフィクション?何か恣意的なものを感じてしまってならないのです。政府と中央省庁への不信感を視聴者に与えたところで The End、海外移住まで宣言させての民衆の底力をアピールしての The End 。なんかおかしくない?(← きょうびの女子高生風に)
このドラマのエンドロールを眺めていれば、某商社のアドヴァイスがあることがわかりますが、政府も官僚も信じられないから民間企業の海外交易のみを信じれば「こんな目に遭わずに済む」とでも三角形の底辺に集う者者に訴えたいのか、それとも、民主党が自民党に代わって政権を取ることを既にテレビ局と製作者側が想定していたから、第二部で政府と省庁の癒着によって振り回されるのは庶民だと視聴者に知らしめ、この10月からの政治改革を肯定的に眺め、応援しよう、と締め括ったのでしょうか。

ああ、単なる私の深読みかもしれませんけれど。

ま、たかがドラマですからね。
われわれがぁ、肌身で知る昭和四十年代とは違う、ということだっ、以上っ。
↑ 本郷三丁目界隈の喫茶店で漏れ聞く東大生の発言っぽく。
が、されどドラマです。
いくら1968年、今から41年前でドラマの幕が閉じたにせよ、小笠原返還のためにエイメリカに巨額投資したことで、沖縄返還にどれほどの金額が国庫からエイメリカに流れ、それを推進したのが須藤(実際は佐藤栄作氏でしょ)総理で、結果、ドラマには描かれてはいないけれど1974年にノーベル平和賞をいただいていることになります。穿った見方をすれば、このドラマによってこの平和賞をゲットできたのもこういうテーブルの下があったからだ、とツルツル脳の私なんぞはかなり強い力で手を引っ張られて、その思考が正しいという世界に誘われているようにも思えました。

ああ、単に私の思い込みでしょうけれど。

・・・・てか、このドラマですが・・・、昭和四十年代の東京駅から新橋駅あたりを知る方ならば、「本郷もかねやすまでが江戸のうち」だから東京大学は江戸ぢゃないとご存知の方ならば、多くの方が私のような違和感をあのドラマを見終えたところで持たれるのではないでしょうか。私はまだ原作を拝読していませんが、原作もこんなオチなんですかあ?そりゃ、こめかみを人差し指でポリポリだなあ。
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霞ヶ関に最も近いテレビ局がこのドラマに関わっているというのが片腹痛いところでありますな。
と、ドラマの中の片山氏風に ↑

le 26 septembre 2009, Côme et Damien

そーいや、埋立地に引越したテレビ局のドラマで、救命救急が舞台になっていたけれど厚労省のせいだってエイメリカ帰りの医局長が学会ではっきりと言ってたっけ。これも印象操作を感じましたねー、まる
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by ma_cocotte | 2009-09-26 17:26 | 『?』な日本國 | Comments(4)
青い目をしたお人形が、
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ココんちの近所の園芸店で売られていました。
お目目からくるんと睫毛が生えていました。
青い目をしたお人形でもエイメリカ生まれのセルロイドではないようです。

それにしても、なんでまた園芸店で仏蘭西人形?

le 25 septembre 2009, Hermann

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モデルはおブリヂット・おバルドさまではありませんでせうか。
そっくりすぎ。

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by ma_cocotte | 2009-09-25 01:18 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(0)
お蔵の一掃。 Vide Grenier au Carmel
この夏の或る日曜日のことでした。
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これもまた耳で聞いたところで信じられずに無駄足を運んでみました。通用口に小さく
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Vide Grenier au Carmel カルメルのお蔵一掃

1675年、この土地にカルメル会の修道女が住みはじめたものの今年末に引越しをすることで修道院のお蔵を一掃するとのこと。334年分のお品が売りに出されることになったのです。

扉そばの呼び鈴を鳴らしてまもなく開門が許され、中に入りますと、玄関上には
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カルメル山のマリアさま
幼子イエズスちゃまとご一緒にスカプラリオを持ってらっしゃいます。


主日ゆえか笑顔で明るくお話されるキャラメル装束のマ・スールに誘われるまま、迷路のような館内を歩いて参りますと、温かい陽光が射す廻り階段の上空は禁域。
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こちら ↓ は沈黙のうちに皆に知らせる伝統的手段の一品でございますね。(^_^)
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マ・スールに従うまま階段を二度はくるくると昇り、そして扉が開いた先は、
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あれま?地上?

まるで迷宮のようであります。確かに二階ほど階段を昇ったはずなのに。

それから誘われた大広間には、教皇さま方のご尊影 やら、
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労作で用いられた手芸糸まであり、

修道院と言えば中庭の回廊ですが、そちらには
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かる~く百年以上前の大工道具や、お台所の備品、そして秤と重石・・・

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Qu'est-ce que c-est? けすくせ?ナニコレ?
と、心が昂って来たところで回廊の角々にはもれなく
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Silence  しら~んす!

出ました、ご静粛に。
教室内で生徒たちの声が高くなると、この言葉さえ発せずに机上のベルのボタンを押すシスターもいらっしゃいましたっけ。(遠い目)

ひえ~~~~~。 と回廊を早足で抜けたところで、
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まりあたま、ごめんなさい。

回廊の一片にはピエタ像がどどん。・・・・どちらの修道院の回廊もよくできているものです。
しかも、このピエタ像の斜め前にお会計所ですもの。(` ´)b

こちら ↓ も売りに出されていましたが、これこそいったい
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Qu'est-ce que c-est? けすくせ?ナニコレ?


le 24 septembre 2009, Thècle
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by ma_cocotte | 2009-09-24 22:54 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
。 信 ジ ル 気 持 。
ココんちのポストに入っていました。
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裏には日本國でもよく見かけるロゴが。
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開いてみると、
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新製品の紅茶の見本と、店頭購入の際の割引券でした。(^_^)

仏蘭西の田舎には今もまったく新聞配達という習慣がなく、新聞は読みたい人が買いに出かけるものです。ところが、情報交換紙と近隣の商店の広告は各家庭のポストに無断投函されるという習慣があります。上の紅茶もその広告に巻き込まれておりました。

そして、今更気付いたことですが、仏蘭西の郵便配達人には任された地区のポストの合鍵を持つ権利が与えられていることです。数日前、偶然、ココんちの窓辺から郵便配達のムッシュウが合鍵を用いてココんちのポストの扉を開け、小包を中に置いた現場を目撃してしまいました。

もし私たちが広告に混ざった宛書もない紅茶見本を疑ったら、もし私たちがポストの扉を勝手に開いた郵便配達人を疑い始めたらキリがなくなり、その疑心のせいで紅茶の見本は本来の役割を果たす前にゴミ箱に投げられ、郵便局には問い合わせの電話や訪問が続くでしょう。もしそのようなことが日常だったのならば、広告にお味見見本なんぞ入ることはありませんし、郵便箱に収まらない封筒や小包は世帯側が受け取りに行く形だけになるでしょう。
仏蘭西にはまだ互いに信じる気持が残っているのだと思いました、まる

le 24 septembre 2009, Thècle
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by ma_cocotte | 2009-09-24 02:48 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
怒髪天突き、牛乳の雨が降る。
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先週末、旧市街の街中で見かけた光景です。
誰もがココにペットボトルや水筒を持っていくと、牛乳で満タンにして返してくれるという。
牛乳は有料ではなく、無料です。
牛乳を配っている方々は近郊の酪農経営者です。

この前日にはブルターニュの肩にあたるモンサンミシェルのあの潟に百万リットルの牛乳が放出されたこともニュウスで流れていました。共和国の酪農地帯において牛乳が豊作であるにもかかわらず、店舗に出回る牛乳の値段が横ばい、または値上がりしていることに酪農主がこのような形で抗議行動を起こし、牛乳販売業や乳製品加工業者が不正に稼ぐ悪徳にあると訴えているのです。
おっしゃるとおりざます。
共和国の庶民は何か月も保存がきく加工乳や粉末乳を主に飲んでおり、日本のように数日後に賞味期限が来る牛乳は酪農国でもあるのに共和国では贅沢品なのであります。牛乳が豊富に取れる時だけで構わないので、価格を下げていただければ庶民も普段は味わえない甘く濃い、新鮮な牛乳を味わうことができます。私もたまには美味しい牛乳を気軽にいただきたいです。

結果がどうであれ、意志を表明する権利が共和国民すべてにあります。
その表現方法は自由ですが、豊作とは言え、テレビの画面からとは言え、取れたばかりの牛乳がシャワーのように大地に撒かれてしまうことは、かつて南仏に住んでいた頃、輸入野菜や輸入魚介類に抗議する農園主や漁業従事者が道路に野菜や魚を撒き散らかして抗議した際、それを拾う仏蘭西人が多々いたことをこの目で見ている私個人には善行に見えませんが、こうして町の一角で取れたばかりの牛乳を無料で希望者に配布してくださることは、庶民にはうれしい抗議運動に見えます。

金の亡者となった牛乳販売業社や乳製品加工業者が儲けたお金はどこに行くのでしょう?

le 23 septembre 2009, Constant
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by ma_cocotte | 2009-09-23 03:35 | actualite 現時点の現場から | Comments(4)
耳を信じて、目を疑う。
第26回を迎えた、ぢょるね・でゅ・ぱとりもわあぬ Journées du patrimoine 、文化遺産探訪デーの二日目。午前中に聞いた情報を頼りに、午後、現場に参りました。目で見ないと、手で触ってみないと、信じられないので。
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聖職者の衣装展示会。
昨日、手にしたガイドブックには掲載されていませんでした。
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へぇえええ、

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ほぉおおお、


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はぁあああ、


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へぇえええ


聖であれ、俗であれ、関係者各位におかれましては目で見ればわかるようになっております。カトリックにおいて「妄想を防ぐ」という伝統でありまする。言葉でいくら説明しても聞き手によって脳内で広げるイメージが異なってしまうからです。
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ヘブライ語で何と書いてあるのでしょう?


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こちらは上に比べれば初級でしょうか。キリスト教世界におけるギリシャ語のアルファ、オメガについては耶蘇宣教校の高校一年か二年くらいの授業で学べますね。

さて、司祭の典礼装束についての説明書きには、
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Le code des cinq couleurs liturgiques se voit constitué en autorité par l'article XVIII des Rubricae generales du Missel Roman de 1570.
典礼における五色についての法規は1570年ローマ典礼書の(朱文字)一般題目の第十八項で定められています。
とあり、この文章の後ろには現在もこの決まりは教会法で定められ生かされている、と締め括られています。説明書きの冒頭を見ると、この祭服の形は紀元三世紀頃に生まれ、カロリング朝時代にひとつの形として定められたとあります。そして、9世紀に聖具の聖別が行われた記録が残っているのだそうです。祭服にも用いられる典礼の五色(白、緑、赤、紫、黒)が習慣になったのも9~10世紀で、文字としてはじめて定められたのが1570年でした。

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Me voici. 私はここにおります。

Σ( ̄△ ̄; あんまり関係ないか。


le 21 septembre 2009, Matthieu
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by ma_cocotte | 2009-09-21 20:15 | 『?』なKTOりっくん | Comments(12)