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「わたしたちの司教 ○○○ 」 の帰天
きょう、2009年12月30日。
日本國から遅れることの八時間。
きょうの朝、夜が明けるより前に友から一通の電子郵便。そこには日本時間午前6時45分(仏蘭西では前日午後10時45分)、「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」が帰天されたと書かれていました。
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その直後から私の心がどこかソワソワオロオロしながら電脳域でその事実の確認作業に入りました。当初、何も見つからなかったのに、時が経つにつれて徐々に、徐々に。「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」の訃報を見つけるたびに私はオロオロ、グサっ、射祷の繰り返し。以下、カトリック中央協議会の公式HP http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/index.htm に掲載された「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」の訃報です。ほぼ同じ内容の訃報がカトリック東京大司教区の 公式HP に掲載されております。


ペトロ白柳誠一枢機卿 帰天

お知らせ  2009.12.30

前東京大司教 ペトロ白柳誠一枢機卿は、2009年12月30日午前6時45分、療養先のイエズス会上石神井修道院ロヨラハウスにて、心筋梗塞のため帰天した。享年81歳だった。枢機卿の永遠の安息のためにお祈りください。
葬儀・告別式
通夜:         2010年1月4日(月)午後6時
葬儀ミサ・告別式:  2010年1月5日(火)午前11時
場所はいずれも、 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
(〒 112-0014 東京都文京区関口3-16-15)
喪主:   岡田武夫東京大司教
お問い合わせ: 東京教区本部事務局 Tel:03-3943-2301 Fax:03-3944-8511
(12/31~1/3は事務局休業のため、問い合わせはdiocese@tokyo.catholic.jp またはFAX番号にお願いします)
※ 駐車場に限りがありますので、公共の交通機関をご利用ください。


 
ペトロ白柳誠一(しらやなぎ・せいいち)枢機卿 略歴
1928年6月17日 東京都八王子市に生まれる。翌日、メイラン神父より受洗(八王子教会)
1954年12月21日 司祭叙階
1957年8月~1960年 ローマ留学。教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程(教会法)卒業
1966年3月15日 東京大司教区補佐司教に任命される
1966年5月8日 司教叙階
1969年11月15日 継承権を持つ協働大司教に任命される
1970年4月29日 東京大司教着座
1983年7月~1992年 日本カトリック司教協議会会長
1994年10月30日 枢機卿に任命される(教皇ヨハネ・パウロ2世により)
1994年11月26日 枢機卿親任
2000年6月 東京大司教引退
2005年4月18日 ヨハネ・パウロ2世教皇逝去に伴う教皇選挙に枢機卿として参加
2008年11月24日 ペトロ岐部司祭と187殉教者列福式ミサを主司式(長崎にて)
2009年12月30日 イエズス会上石神井修道院ロヨラハウスにて帰天(81歳)

皆様のお祈りをお願い申し上げます。

(2009.12.30) http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/index.htm#20091230


私が「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」と書き連ねることで不敬と取られる方がいらっさるかもしれません。が、こう書き連ねることには子供のような単純な思いが老婆(=不肖ま・ここっと)にはあります。
私が通っていた中学、高校では当時6学年を三分し、つまり「中1・中2」「中3・高1」「高2・高3」に分け、かわりばんこに初金のごミサと毎月24日にささげる聖母ミサにあずかる義務が全生徒にありました。全校生徒の9割はカトリック信者ではなく、私もその9割に含まれるひとりだったので、中学校入学までの幼稚園や小学校の生活では聖堂で祈る習慣はあったもののミサについては何も知りませんでした。この二つ、いずれかのミサにあずかる日は放課後に行うお掃除をお昼休みに行い、六時間目終了と同時に聖堂に向かい、ミサにあずかりました。
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↑ 1967年、我が母校の聖堂で行われた白柳大司教さま司式の堅信式だそう ↑


私の記憶が確かならば黒革の聖歌集は各生徒が持参し、赤い「キリストと我等のミサ」というミサの式次第は聖堂で借りられました。月に二度とは言え、ミサにあずかることを繰り返しているうちに子供の柔軟な脳味噌でミサは毎回同じ文章で行われること、信者の同級生と自分の立場は違うことなど判断し、加えて「ごミサ」なる式典の間に唱える文章は毎回同じであることに気付き、卒業頃には暗記していました。ごミサは一時間弱でしたが、その典礼の定型文の中に毎度登場するのが「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」でした。奉献文の「わたしたちの司教 ○○○ 」の ○○○ に置かれる名前が東京都と千葉県内の教会では東京大司教区教区長の名前になります。当時の私は白柳大司教さまに学園内行事でもお目にかかったこともありませんでしたが、お名前だけは、いえ、お名前どころか役職、霊名まで丸暗記してしまい、高校卒業後、教会に通うようになって、ナマの動いてお話なさる「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」をお見上げ申し上げました。おそらく今日、明日、報道で白柳大司教さまの訃報を知ることになる我が母校の同窓生の多くが「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一だ・・・」とつぶやくはず。白柳大司教さまは約30年もの間、東京大司教区の長上さまとして奉献されました。

私のような田舎モノのカトリック部外者は成人年齢達する直前で、神さまの思し召しにより、動く「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」を拝見しましたが、四谷や飯田橋界隈の耶蘇校に通うお子たちは信者であろうとなかろうと幼い頃から登下校の途中、街中でしばしば「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」を目撃し、自分のまわりの信者の子が慇懃無礼なほど丁寧な呼称から「ちょっと、それって誰よ?」と突っ込みいれたくなるほどの愛称で指摘が繰り返されることで、ミサの中で登場する「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」とナマの「ちびっこシラちゃん」がしっかりインプットされるという環境にあったようです。飯田橋から番町までの裏道で、はたまた四谷駅前の中央出版社やドンボスコ社で立ち読み中の「ちびっこシラちゃん」を目撃した児童、生徒はひとりではありますまい。

というのも、私が子供の頃は「白柳大司教さま」という呼称で最も親しまれていた「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」師は前出の経歴には書かれておりませんが旧制)中学校から飯田橋の暁星学園で過ごされていたそうです。ですから、白柳大司教さまにとりましては神田あたりから四谷、内堀から外堀、市谷を抜けて江戸川橋あたりは裏道小道までくまなくご存知のはず。白柳大司教さまがデュマタンに入学した当初から幼年志願者のおひとりだったのか、それとも信者子弟のおひとりだったのかは私は存じません。が、白柳大司教さまご自身が第二次世界大戦末期、神学校(現在の大司教館)から池袋、赤羽駅を経て勤労動員でゴム加工工場に通い、防毒マスクづくりに励んだことを述懐されてもおりますので、12歳頃には召命を聞かれ、八王子のご実家を離れ、関口の志願院から飯田橋の暁星まで通ってらっしゃったのかもしれません。

私個人、白柳枢機卿さまを最後にお見上げ申し上げましたのは昨年10月11日、東京のカテドラルでラテン語荘厳ミサを主司式された時でした。長いミサでしたけれど、白柳枢機卿さまのお姿とは大きなギャップがある独特な低く落ち着いたお声に乗せて、「聖母が自らの意志でベルナデットの前に現れたのではなく、神さまからの思し召しを聞いたことで聖母はベルナデットの前に現れたのですよ」というお説教が今も忘れられないというか、このお一言で居眠りから目が覚めたというか、目を覚ますほどのお言葉を忘れるつもりなんぞ私にはなく、この2008年10月11日以降、繰り返し私の傲慢を白柳枢機卿さまのこのお言葉が抑え戒めてくださっています。Merci, mon père. 暁星育ちの白柳枢機卿さまならわかってくださいます。仏蘭西の世界では神父さまを「mon père 私のお父さん」と呼ぶことを。みなしごでも、家族と不和でも、「私の教会のお父さん、ありがとう。」なのです。
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↑ 1970年、或る児童福祉施設の祝別式で。 ↑

「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」がヨハネ・パウロ二世の御世に枢機卿として任命され、「白柳大司教さま」ではなく「白柳枢機卿さま」とおよびするようになった時はどこか馴染めず、寂しい思いをしました。ヨハネ・パウロ二世が来日あそばされた直後から白柳大司教さま、濱尾司教さま、イエズス会のピッタウ学長が次々とローマにお呼ばれされてしまった時の寂しさや不安を私は今も忘れられません。今になってヨハネ・パウロ二世、濱王に続きちびっこシラちゃんが天主さまに呼ばれてしまい、ほんと寂しい。この世にどんどん未練がなくなっていく自分を実感するきょう。今こうして「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」の帰天を知り、なにか心から抜けてしまったような思いに駆られてもおりますが、白柳大司教さまが天に帰られてしまっても、私が死ぬ日まで日本語だろうがドコの外国語だろうが私におけるカトリック典礼文の基本は「わたしたちの司教ペトロ白柳誠一」のままです。
わたしたちの司教 ペトロ白柳誠一大司教さま、
ありがとうございました。
暁星学園からほど近い カトリック神田教会 に参りますと、主聖堂に続く間に白柳枢機卿さまが集められた世界中の聖母像のコレクションが展示されています。召命を聞かれたことで幼いうちにご実家から離れられたであろう白柳枢機卿さまにとって聖母も「教会のお母さん」だったのでしょう。今頃は聖母のおそばで約70年に及ぶ奉献生活を終えての休息でらっしゃいますね。
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↑ 初誓願の日、立願者に会憲をさしあげる白柳大司教さま ↑


le 30 décembre 2009, Roger
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by ma_cocotte | 2009-12-30 18:50 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
『埃及亡命遷都記念日』に『広島遷都』の噺
2009年12月27日。
仏蘭西の暦を眺むれば、Sainte Famille とあります。和訳すると「聖家族」。
24日深夜、25日早朝に産まれたばかりのイエっさんと、出産したばかりのマリアさんが実家に戻らず、ユセフさんが導くロバに乗って、現在のガザ地区あたりを抜けて埃及(エジプト)に亡命したことを思い起こす日が今日なんですな。
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↑ ルルドの教区教会の「エジプトに向かう聖家族」のステンドグラス ↑

二千と数年前、真の王様がエジプトに亡命遷都されたこの日、
日本國ではこんな 遷都の小噺 ↓ がござったさふです。


「お住まいは京都、広島に」=陛下との会話明かす
-亀井氏

12月27日15時56分配信 時事通信

亀井静香金融・郵政改革担当相は27日のテレビ朝日の番組で、天皇陛下と言葉を交わした際に「権力の象徴であった江戸城(跡の皇居に)にお住まいになるのは、お立場上ふさわしくないのではないか」と語ったことを明らかにした。▼閣僚が陛下との会話の内容を明らかにするのは極めて異例。亀井氏は24日の宮中午さん会で陛下と会った際、「恐れ多くも陛下に、『こういう権力の象徴であった江戸城(跡)にお住まいになられるのでなく、京都か広島に(お住まいになれば)』と一方的に申し上げた。陛下は黙っていた」と述べた。番組終了後には記者団に「(陛下は)『京都好きです』とは言っておられた。広島が好きですとまでは言われなかったけど」と語った。

また、亀井氏は番組で司会者に「天皇陛下とは日本人にとって何か」と問われ、「象徴であり、かつ元首だ」と答えた。ただ、亀井氏は「(憲法には)元首という規定はないけど。天皇という存在が日本を代表しておられるという意味では象徴だ」とも述べた。▼この発言に対し、社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は同じ番組で「憲法上、元首だと言明するのは違う」と指摘。共産党の志位和夫委員長も「憲法で元首というのは無理だ」と批判した。 



こりゃ、アホちゃいまんねん、パーだ、パー

今上天皇陛下が京都にご還幸あそばすっちゅうのは 歴史上 ツルツル蛍光灯脳のワタクシにだってわからなくもありません。ですが、何を理由に今上天皇陛下が外様の安芸広島に遷都?・・・え?江田島?兎にも角にも、亀が天皇陛下に広島遷都を進言するなんて、
不敬 でありましゃう、こりゃ。
この時事通信の記事、亀井静香氏が「恐れ多くも陛下に、」と記しておりますが、オソレオオクモ は漢字で表わすと畏れ多くも でしょうに。もし亀井氏が「恐れている」ならば、こんな不敬を口から出せません。亀井氏は陛下を畏れていないから、こんな軽口を陛下の前でぺーらぺらと出せるのです。
ああ、もう日本も終わり。(-。-) ボソッ
夫婦別姓法案なんて、現在の日本政府はなーに考えてンだか。Bof
夫婦別姓より親子別姓を先に改めるべきでしょうが。
未成年であれ、子供のアイデンティティを成人である親の勝手に振り回されて、いちいち苗字を改めるなんて、近未来の納税者であらせられる未成年日本人の気持をもう少し丁寧に考えていただきたい。成熟した政府ならば、まる
日本の西隣国に倣った夫婦別姓なんてなんら先進国の証になりまへん。
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聖なる家族の 守り手ヨゼフ
幼きイェズスは 君に守られ
やさしきみ母の 聖なるマリア
ヨゼフのご保護に 安けくましぬ

貧しき厩に 夜風は寒く
ヘロデの刃を からくも逃れ
沙漠を越え行き 小驢馬を乗せて
とうとき幼児 見守りたもう

聖なる家族を 導き行きし
おおしき心の 聖きヨゼフ
小暗き旅路の 行く手を守り
のぞみの光を 我らに賜え

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by ma_cocotte | 2009-12-27 23:57 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
ところで、おらが大将は今いずこ? Les époux Sarkozy en vacances au Maroc à partir de vendredi
12月25日から一夜明け、26日。
24日夜、ヴァチカンで起こった事件についての報道は第二番目以降に流れるようになりました。そんぢゃ、トップは何かっちゅうと、仏蘭西共和国大統領なんかに身を窶している神聖賢愚帝サルコぢ一世が25日午後、寵妃のイタコ、いえ、イタロフロンセェズのカルラちゃまとモロッコのマラケッシュにトンズラしたことでありんした、まる
これぞ、 Bof ぼふ。 ┐(-д-`;)┌
帰ってくんなよー、あ~ばよっ!ですけれど、スゥパァスタアであるカルラ・ブルウニと彼女の夫は12月31日午後、仏蘭西に戻ってくるそうです。理由は、恒例の大統領閣下の全共和国民に向けてのテレビ演説のため。


...

......

...........へ?



そんなもん、既に 録画済み という噂。だったら帰って来なくていいぢゃあん。

昨日午後、サルコぢ大統領夫妻がモロッコに出国したことが公になってから、いずれのインターネット版全国紙記事の読者投稿欄も喧々囂々マッハゴーゴーゴーですけんども、サルはあんたらが選んだ統領なんだからさ。傍観しているガイジンのおいらは乾いた笑いしか出ないよ。・・・・っと、画面向こうの米国在住の方々も似たようなお心持ちでありんすか?


ったくね、カルラ・ブルウニと彼女の夫。Carla Bruni et son mari, le président de la république Nicolas Sarkozy se sont envolés à destination du Maroc où ils devraient passer les fêtes de fin d’année.
もういくつ寝ると 大統領選挙 なのかなあ・・・・。
大統領選挙には、サル蛸揚げて、胡麻をまぶして、食べましょう。
早く来い、来い、大統領選挙。

le 26 décembre 2009, Etienne

サルコぢ夫妻の海外脱出についてのコメントの中のひとつ。

Paix sur la terre aux hommes de bonnes volontés... même Sarko & co y ont droit, alors joyeuses fêtes à tous !
地には善意の人に平和あれ...サルコぢ株式会社も同様の権利を持っているのだから、みなさん、良いクリスマスと新年を!
さり気に聖句を織り込んでのご意見、座布団はいかがいたしませう?
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by ma_cocotte | 2009-12-26 23:13 | 『?』なサルコぢ屋 | Comments(0)
上弦の月になる日の前夜に、
ヴァチカンでこんなことがござったねー。



2009年12月25日、お仏蘭西のニュウスのトップはこの話題でさぁね。
France 2 : 8H (午前八時のニュウス)
http://jt.france2.fr/player/8h/index-fr.php?jt=20091225
France 2 : 13H (午後一時のニュウス)
http://jt.france2.fr/player/13h/index-fr.php?jt=20091225&timeStamp=0
先ほど13時から始まった国営放送France 2 の全国ニュウスによりますと、この25歳イタロ・スヰス(Une italo-suisse、=イタリアとスイスのハーフ)、ゴールデンハーフではなくレッドハーフ、いえ、単にマッカッカ装束のおねぃさん、何と昨年も同じ服装で同じ事を我らがベネさまに挑み、やらかしていたようです。13時のニュウス番組ではまたもOR紙編集長であるイエズス会のフエデリコ・ロンバルディ le père Federico Lombardi, s.j. 師のインタビュウが流れましたけれど、いやはやなんとも。赤イタコねぃさんに悪意はないと羊飼いが判断したとしても、こんな暴挙は私たちが見習うべき行動ではなく、それも初犯ではなく再犯だとするならカトリック世界の「無知で放免」はこの赤イタロ・スヰスなおねぃさんには罷り通りませんぞぃ。そりゃ、ベネさまに抱きつきたい気持はわからなくもありませんけれども、私たちは獣ぢゃないンだから。確か、私達は魚のよう、神様の愛の中で生きる・・・あれ?「泳ぐ」でしたっけ?まっ、ケモノだろうがサカナだろうが、私たちヒトには理やら知が天主さまから賜物として与えられているのだからして、その才を軽んじて 信者が獣のような言動 を取ったら羊飼いに叱られても当然でありんしょ。

====== 十 ======

で、ここで昨晩、まもなく12月25日になる時間でしたが、私が住むド田舎の教会のミサでヴァチカンほどではないかもしれませんが、ちょっとした事件がありました。聖体拝領の時、スピーカーから突然、「アレ!アレ!! アレ!!! Allez, allez, allez!」と神父さまの声が聞こえてきたのです。典礼において聖体拝領の間は司祭と世俗の間で決まった台詞があるのに、この言葉は明らかに典礼文にはない台詞になります。神父さまが首元にマイクロホンをつけたままだったのでスピーカーに漏れた声になりますが、閉祭の前にいきなり神父さまが「ちょっと一言言わせてください」と。そして、「私は初聖体の準備もしていない、要理も受けていないヒトにご聖体は授けません」と。その直後、聖堂の最後列から女性の怒声が聞こえてきました。この時点で、神父さまのお説教中だか信仰宣言あたりで背後から何かヒトの声が聞こえたことを思い出しました。私は女性の怒声を聴いてついうっかり後ろを振り返ってしまいましたが、仏蘭西びとは流石に後ろを振り向くこともないままでしたが、私は声の主である女性を見止めることはできませんでした。おそらく神父様は私たちと対面だったのでその女性がミサの最初から聖堂内にいたのか、それとも途中で(声を発しつつ)聖堂内に入ってきたのかもご存知だったので、聖体拝領の際にその女性の口だか手に聖体を置くことを拒まれ、「アレ!アレ!! アレ!!!」つまり「行きなさい!行きなさい!! 行きなさい!!!」とおっしゃったのでしょう。彼女と聖体を挟んで対面した際お酒臭かったのかもしれませんが、いずれにせよ、ミサ前に飲酒というのも、お酒に酔ったままの聖体拝領というのも、普通ならば酔った信者本人が聖体拝領をしません。既に要理で学んだはずだからです。こんなことでさえ、人一人が言動に移すまでのロジックを読み取れてしまうのがカトリック的理屈でもあるので、教導者の身分でもある司祭がロジックが壊れている故に、要理を受けた経験がないと判断し、彼女に聖体を授けることを拒んだことになるようです。

クリスマスという祝着至極のご慶事だからお酒臭いヒトにも聖体を授けることが善行なのでしょうか?このように聖体を羊に授けることを拒んだ羊飼いを批判する方もいらっしゃいますか?祝日くらい甘やかせよ、と。逆に、信者という事実だけでご自分がどんな容態だろうが疚しい心だろうが聖体拝領が「義務と権利」であると拝領の列に並ぶ世俗もいるとして、これは善?無知?それとも???


昨晩、聖体拝領を拒んだ神父様はアフリカはトーゴから仏蘭西に長期出張(今秋10周年を迎えられた)中の神父さまでしたが、すばやく状況を判断し実行されたこと・・・ワタクシ個人の見解は、アッパレのぶらヴぉ。天は晴れたのです。

神父さまの勇気ある決断を喜ばれたのは生まれたばかりの幼子イエズスさまでしょうね。
え?イエズスさまは悲しんだ?

が、お仏蘭西の現実問題で、いくらエヴァンヂェリゼ国で、ヴァチカンの長女国という異名を持った仏蘭西であっても、幼児洗礼を受けたところで両親の離婚により子供までが巻き込まれて教会を離れ、要理を受けないまま成人した場合、無知による聖体拝領をする成人数の上昇は止められないと思いますけれどね、まる。この百万歩譲っての「無知による幼児洗礼だけの成人による聖体拝領」問題も昨年9月に教皇さまが来仏された時に、離婚、召命の減少の原因は要理教育を疎かにしているせいだ!我が兄弟よ、要理教育を徹底せいっ!という当たり前田なクラッカーのご指摘に含まれているからこそ、昨夜のようなことを目の当たりにしたわけで。初聖体式にもあずかっていなけりゃ、堅信までの要理も受けていないオトナに聖体拝領しちゃ。

====== 十 ======

こんなことをド田舎の教会で見てしまった直後に帰宅し、ヴァチカンでのマッカッカ装束の姐さんによる女子プロレスラーまがいな飛び掛りショウをテレビ画面で見てしまいますと、お月さんの満ち欠けを知りたくなってしまいました。調べたところ、2009年12月24日は上弦の月になる日の一日前の月でした。
25日早朝、ご近所から婦女子の遠吠えが聞こえた方、いらっしゃいます?

le 25 décembre 2009, noël

さて、報道によりますと、昨晩のヴァチカンでのごミサのために配布された券は7000枚。一方、ヴァチカン側の配備した警備人は350人だったとか。警備ひとりにつき20人担当ってこってすね。うううむ。そして、教皇さまはご無事だったものの、赤装束のイタロスヰス姐さんの女子プロレスラー・ダイビングに巻き込まれてしまったバスクびと、ロヂェ・エチェガライ Roger Etchegaray 枢機卿さまですけれど、
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Image © AFP

前の教皇ヨハネ・パウロ二世、そしてベネさまにお仕えすることでローマ在住25年、御年87歳にして対ユダヤ、対イスラームの宗教枠を超えた諸問題のスペシャリストだそうでございます。上のニュウスビデオでもわかりますとおり、事件直後、車椅子で退席され、ローマ市内のヂェメッリ病院 l'hôpital Gemelli, à Rome に入院されました。
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by ma_cocotte | 2009-12-25 22:20 | actualite 現時点の現場から | Comments(2)
世の光、地の塩となるために、
わたくしたちの手本となるべき方が、お誕生。
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イエズスさまが誕生した夜にベトレヘムの小屋に赴き、生まれたばかりの幼な子を見た羊飼いたちを私達は羨んで「幸せな羊飼いたち」と呼ぶ。でも、彼らを羨む理由はない。なぜなら、彼らの幸運は私たちの幸運でもあるからだ。羊飼いたちの訪問を受けたあのイエズスさまは、ここ、聖櫃にいらっしゃる。私たちがここにおられるイエズスさまを訪問しに行くこと以上に、イエズスさまをお喜ばせする方法は他にはない。

                        ヨハネ・ボスコ MB 6, 351
そんなわけで、もしご事情あってごミサにあずかれなかったとしても、ご聖櫃に真心を込めて、会釈。
できれば、数分、祈れたら、
イエズスさま、うれしいのことよ。

le 25 décembre 2009, noël
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by ma_cocotte | 2009-12-25 17:35 | 『冬』 Rien de special | Comments(4)
こういう日だからこそ考えたい。
深く考えたい。




この師走。
連日、テレビ画面で見る仏蘭西赤十字社 Croix-Rouge française のCMです。
このCMに気付くたびに良心の声が聞こえるというか。
私たちそれぞれがあるがまま、見たままからもう一歩前に出て世間を考察するようにとこのコマーシャルが私たちに勧めているのかな、と思ったり。戦場も、病院も、被災地も、高齢者の独居住宅も、厳寒の夜も、互いに手を差し伸べあう。状況違えど、互いの気持は似たようなもので連鎖していると。
私たちにできることは何だろう?
ですが、あまり重苦しく考えずに、広がりを持って考えることも大切。ゆえに、




もしアドリアナちゃんがあなたのそばにいなくても、




ロベールがいますから。
アドリアナちゃんの存在の真似を一生懸命試みているロベールにも、ぜひ
ちゃり~ん。

le 25 décembre 2009, noël
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by ma_cocotte | 2009-12-25 00:32 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
ヴぁちかんで革命が "Révolution" au Vatican
聖夜を向かえる当日だと言うのに、そりゃ、世間ぢゃ大騒ぎさ。
なぜって聖夜と言えばヴァチカンは聖ピエトロ聖堂で深夜0時に教皇司式ミサがあげられるというのに、今年は深夜0時より二時間手前に教皇司式ミサが始まります。これ、カトリック世界における
伝統破壊 なんですと。 ┐(-д-`;)┌
どうやら御年82歳であらせられる教皇ベネディクト十六世の健康を最優先にしての判断で、一か月ほど前から考えての結果だそうです。脳味噌ツルツルの私なんぞはこの判断は至極最もだとしか思えませんけれど、世の教条主義者の方々におかれましてはこのようなオトリマキの善意も教皇さまが断り、はいずってでも伝統に則って深夜0時のミサをささげられるのが ステキ らしいです。

以下のビデオで12分43秒から2分ほど今宵の深夜ミサ MESSE DE MINUIT A 22H 00h12m43s の話題です。オッセルヴァトオレロマーノ紙編集長のロンバルディ師も登場します。France 3  12/13
Edition du Jeudi 24 Décembre 2009

http://jt.france3.fr/player/1213/index-fr.php?jt=20091224&timeStamp=763何が何でも深夜0時丁度に開祭しないとならないのでしょうか?
教皇さまのご健康が最優先ではゆるされないのでしょうか?誰にゆるされないンだ?

ベネディクト十六世がおん自らこれまでの深夜ミサの伝統を破られ、午後十時からの開祭となりましたが、「伝統にガンジガラメのベネディクト十六世」という虚像を贔屓され神輿にまで乗せて崇めている方々は、こうして伝統を変えたベネディクト十六世をどうなさるのでしょう。またも、側近のせいですかぃ?

カトリックの伝統に従うならば、大きなミサであろうが小さなミサであろうが、私たちは単純に「私たちの教皇ベネディクト十六世」のために祈るのですから、今宵も、明日も、あさっても、教皇さまのために祈りましょう。今宵、深夜ミサが2時間早められたのも、教皇さまの健康を配慮してであり、決して現在の教皇さまのお具合が悪いのではないとのことです。




...だったら、深夜だろ? ← ふぅ、ふんぞり返った固茹卵脳だわな。

le 24 décembre 2009, Adèle
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by ma_cocotte | 2009-12-25 00:01 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
ひとめぼれ して しまった、けれど、
シマッタ!
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210ユーロ では今の私にゃ手も足も出ません。 ちーん。

旧市街のお花屋さんのショウウヰンドウで見つけた待降節に飾るお人形。
聖母子、聖ヨゼフ、三賢王に天使の計6体。
よーく見ると、どのお人形のお裾にも砂漠のイメージが描かれています。

残念だけれど、時を待とう。

今年のココんちのクレシュ crèche
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飾り終える前に悪魔クン、来襲。щ(゚Д゚)щ 

24日の日没を迎えるまで、飼い葉桶は南天の実で隠して置くことにしました。

2009年12月24日。
夜が明けたところで氷雨、降る、降る。

できれば日没を迎えたら....
O holy night the stars are brightly shining
It is the night of our dear Savior's birth
Long lay the world in sin and error pining
Till He appeared and the soul felt its worth

A thrill of hope, the weary world rejoices
For yonder breaks a new glorious morn
Fall on your knees
O hear the angels' voices
O night divine
O night when Christ was born
O night divine, O night
O night divine

A thrill of hope, the weary world rejoices
For yonder breaks a new and glorious morn
Fall on your knees
O hear the angels' voices
O night divine
O night when Christ was born
O night divine, O night
O night divine




新教の礼拝では定番ですけれど、旧教では今もあまり唄われない歌曲です。
唄えない事情でもあるのでしょうか。
エキュメニカルは小難しい高尚なことで論破や妥協を楽しむより、まずは共に祈り、共に唄うことから始めればよろしいのに。

le 24 décembre 2009, Adèle





さて、今年のお仏蘭西。
なんと、ヴァチカンのミサ中継が地上波放送で復活となりましたあああ!感涙。
ああ、祝着至極。当然必然の復活でありまっす。敬礼っ。
MESSE DE MINUIT Religion - (2009)
Date : 25/12/2009
Horaire : 00H00 - 02H00
Durée : 120 mn


Messe de minuit célébrée en Eurovision depuis la basilique Saint-Pierre de Rome au Vatican. Prédicateur : Benoît XVI. La retransmission de la messe de minuit à la basilique Saint-Pierre de Rome est une tradition audiovisuelle. Cette année, seule la chaîne France 2 diffusera en France sur le réseau hertzien ce grand rendez-vous ! Toute l'attention sera portée sur l'homélie pontificale. Quels messages le pape transmettra-t-il aux fidèles ? Partagez cette messe depuis un haut lieu symbolique pour les catholiques du monde entier. Le Jour du Seigneur avait précédemment diffusé la messe de minuit depuis le Vatican en 1989 et 2005, pour la première prédication de Benoît XVI

昨年のヴァチカンからの放映中止は 天誅 だっぺ?
カトリック長女国である仏蘭西による昨年の愚かな選択。
あれぞまさしく本物の不敬罪。おのれ、猿コめが。がるるる。
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by ma_cocotte | 2009-12-24 17:46 | 『冬』 Rien de special | Comments(10)
Je ne crois pas, parce-que c'est la vérité.
きょうから15日ほど前、2009年12月8日、無原罪の聖母のお祝い日。
花の都はお巴里にて。





ついうっかり....いえ、素直に、うっとり。





画面に映る聖堂はパリ9区のサントゥヂェヌ教会 L'Eglise Saint-Eugène です。ごミサはヨハネ23世ミサ La messe Jean XXIII 典礼。この典礼、以前は仏蘭西語ではピ・サンク La messe Pie V (ピオ五世ミサ)または ミルヌフソンソワサントドゥ 1962 の愛称で親しまれていましたが、現教皇ベネディクト十六世が「ヨハネ23世ミサ」とこのミサの形を呼ばれるようになってから、仏蘭西も教皇さまに倣え!のようで、現在、名称移行期の中にあります。

1852年に建立されたこの教会は16世紀に行われたトリエント公会議 Concilium Tridentinum (1545~1563年)を境に封印された状態であったローマ典礼が第二ヴァチカン公会議 Concilium Vaticanum Secundum (1962~1965年)によって再び陽の目を見ることになって以降も1962ミサを守り、1988年のエクレジア・デイ発布後、すぐに司式認可を教区長に求め、教区長の認可後、今日に至るまで1962ミサをささげています。
1852 : Monseigneur Sibour, cardinal archevêque de Paris, demande la concession du terrain situé à l'emplacement de l'hôtel des menues plaisirs du roi, disparu en 1830.
6 mars 1854 : décret de création et de délimitation de la paroisse.
Juin 1854 : pose et bénédiction de la première pierre.
27 décembre 1855 : inauguration de la nouvelle église (l'impératrice Eugénie est la marraine) et installation de l'abbé Coquand par Monseigneur Sibour.
14 janvier 1856 : installation du premier conseil de fabrique, interlocuteur de l'administration pur les biens affectés au culte.
10 janvier 1857 : mariage de Jules Verne avec Honorine de Viane à l'âge de 29 ans.
28 avril 1859 : achat de l'église Saint-Eugène par la ville de Paris, en raison de problèmes financiers.
1952 : le chanoine Bony, curé de la paroisse, demande à Rome l'autorisation de donner à l'église un second vocable, celui de Sainte Cécile patronne des musiciens, en raison de la proximité du conservatoire de musique et de déclamation.
1980 : institution d'une grand-messe en latin par l'abbé Maréchal, avec l'approbation de S.E. le cardinal Marty.
1987 : restauration de l'église.

1989 : En application du motu proprio Ecclesia Dei, S.E. le cardinal Lustiger autorise la liturgie selon le missel de 1962.

1er octobre 2000 : S.E. le cardinal Jean-Marie Lustiger, archevêque de Paris, célèbre la dédicace de l'église et la bénédiction du carillon.
10 décembre 2005 : Messe du Cent Cinquantenaire célébrée par Monseigneur André Vingt-Trois, Archévêque de Paris. Bénédiction de l'orgue.

以上、注目すべきは、1989年
S.E. le cardinal Lustiger autorise la liturgie selon le missel de 1962.
当時のパリ大司教リュスティヂェ枢機卿が1962典礼の認可をこの教会に出しています。ですから、2007年7月7日の教皇ベネディクト十六世による自発教令発表以前においても、この聖堂であげられていた1962ミサは違法にはなりません。この典礼でミサをささげた司祭も、あずかっていた信者方にもカトリック教会は何の罪も問いません。



↑ 1995年当時のサントゥヂェヌ教会 ↑


ちなみに花の都おパリでは1988年以降、サントゥヂェヌ教会の他2聖堂に1962典礼によるミサをささげる認可がパリ大司教の命によりおりており、昨年9月のベネディクト十六世来仏後には更に2聖堂に追認、現時点で パリ旧市街の5聖堂 で1962ミサがささげられています。
*パリ左岸5区のサン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会 L'église Saint-Nicolas-du-Chardonnay でのミサは現時点ではまだ 教区長無認可の違法ミサ になります。*

典礼所作の真贋を語る日本人もネット上には多々おりますが、個人による真贋判断や信仰宣言がどのようなものであろうと、遍く世界においては真実は真実なのです。きょうのタイトル Je ne crois pas, parce-que c'est la vérité. は仏蘭西びとがしばしば使うフレーズで「私は信じない。なぜなら、それは真実だから。」です。真意は「私個人が信じる必要はない、なぜならそれはこの世の真実だから」という深い意味が込められています。いくら「私は信じない。それは嘘」と真実に対して個人が主張したところで、真実は変わりません。
天地天命、この世の真実は個人の思惑で変わるものではありません。

le 23 décembre 2009, Armand

それにしても、美しい。がーぶちょん。
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by ma_cocotte | 2009-12-23 19:20 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
案の定、糸が引いて切れません。
一つ前のエントリーの話題です。
そう、先週末から報道されている 教皇ピオ十二世 ↓ の列福予告のニュウス
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Jean-Paul II bientôt béatifié Publié le 19 décembre à 18h54mn
http://www.bfmtv.com/video-infos-actualite/detail/jean-paul-ii-bientot-beatifie-3489208/
カトリックの平らで和な波を乱しそうな話題はなぜか土曜の日没後に公になる仏蘭西ですが cf. 今年はじめのピオ問題、今回の話も地上波では20日からニュウスで流れ始めました。宗教ネタとは言え、朝一番のニュウスから深夜最後のニュウスまで取り上げたネタだったので週が明けたところで消えはしないだろうと踏んでいたら、予感的中。月曜のニュウスでも流れ、夕方には討論番組でも主力テーマのひとつになっていました。

私が見たのは、夕方6時過ぎからのセナ Sénat 、すなわち仏蘭西上院議会のテレビ局で放映される ル・ディズユイットゥル Le 18h という番組の中でのカトリック司祭、ユダヤん、神学者を招いての討論でしたが、討論に入る前に紹介された資料がこちら。
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図表に寄ってみませう。
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あなたはベネディクト十六世によるピオ十二世の列福計画に同意しますか?
はい、同意します。 12% 
いいえ、同意しません。 81%

無回答  7%          
501人の回答より
うみゅうう。これをたった501人の意見と見るか、501人の意見ならば結果は見えるだろう?と考えるのか難しいところですが、上院議会の公設テレビ局によるアンケート調査ですからこの数値は嘘ではないと思われます。報道から第三日目、現時点では近未来のピオ十二世の列福について素直に喜べない共和国民が81%であるということですね。うみゅうう。
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教皇ピオ十二世 は le Pape silencieux 、沈黙の教皇 と冠されることはよく知られており、この「沈黙」を肯定的に取るか、否定的に取るかが天下分け目というか、戦後60年を過ぎてもまだ溝が埋まらず裂けたままです。
さて、この数値。これからどう動きますでしょうか?

1905年12月以降、政教徹底分離しているはずの仏蘭西ですのに、上院議会のテレビ局で「ピオ十二世の列福 : ベネディクト十六世の過ちか?」というテーマが流れるとは。

le 23 décembre 2009, Armand
明日24日、ヴァチカンは聖ピエトロ聖堂での教皇司式のごミサは現地時間22時(日本時間の翌日午前6時)の入祭となります。
CéRéMONIE à ROME
Messe de minuit Diffusé le 24/12/2009 / Durée 150 mn

http://www.ktotv.com/videos-chretiennes/emissions/nouveautes/ceremonie-a-rome-messe-de-minuit/00047781

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by ma_cocotte | 2009-12-23 04:46 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)