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寒村で見つけた、ヂェズイット Jésuites
しばらく前にお話した、イエズス会士。http://malicieuse.exblog.jp/9151835
仏蘭西語で言うところのヂェズイット Jésuites をココんちから程近い寒村のパン屋さんで見つけました。
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美味しそうでしょ?

美味しかったです。
ココ新天地に越してスゥペルマルシェの喫茶コーナーで初めていただいてから、ココんちあたりのパン屋さんにふらっと入ってヂェズイットを目にしたら、必ず買って味見するようになりました。

基本はおそらくアーモンドクリームをクロワッサンかパイ生地でくるみ、その上にメレンゲを乗せ、お砂糖をふりかけて焼き上げたパンなのだと思います。とは言え、スゥペルマルシェにしろ、パン屋さんにしろ、お店ごとにそれぞれの味があり、帯に短し襷に長しでそう簡単に味の優劣を付けることはできません。
今回、寒村で買ったヂェズイットは美味しかったけれど、
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中のアーモンドクリームがアーモンドの渋皮が混じった粗挽きではなく、きれいに漉したクリームであることが私個人としてはちょっと残念なことでした。この感覚はもしかすると粒餡と漉し餡のどちらを好むかというこだわりに似ているのかもしれませんが。ですが、中身のアーモンドクリームが滑らかなれど、上に乗せられたメレンゲの焼き具合とお砂糖がキャラメル味になるほどの焦げ加減が絶妙でした。

仏蘭西ではどこのパン屋さんでも焼きメレンゲを見つけることができますが、焼き加減が上手く行かなかった焼きメレンゲは口に入れた途端、卵の白身の独特な味が広がり、いただくのが難しくなります。(私だけかもしれませんが)

このヂェズイットというお菓子。
一度見つけたお店のヂェズイットが美味しくて、再び訪問して買い求めようとすると、誰かが予約した際に余分に作ってお店に出すお菓子だったりもするらしいので貴重なお味なのかもしれません。
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みんなたちももしフラッと入ったパン屋さんで見つけたら、ぜひ。
Goutez-le!

le 30 janvier 2010, Martine
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by ma_cocotte | 2010-01-30 23:40 | Thé ou Café? | Comments(0)
ヂャウ・ハランバン夫人、計画妨害に怒髪天突く。
ヂャウ・ハランバン夫人のツルツルかつ蛍光灯の脳味噌が三度目の訪日を目前に控え、やふやく仏蘭西の現実を悟るに至りました。

ヂャウ・ハランバン夫人の今回の訪日はココ新天地に越してから数えて三度目で、一度目は偶然(天の主さんにしてみれば必然)にも母堂の帰天と重なっての帰国、二度目はその半年後の母堂の納骨、そして今回三度目は母堂の三回忌、祖母の二十五回忌法要が目的であります。一度目は母堂帰天前からの訪日計画であり、二度目も三度目もお寺さんとのお約束さえ整えられれば余裕を持って旅程を組めると言うもの。今回は三度目ですからこれまでのココ新天地と日本國往復という二度の旅程に倣い、実家から法要の日時が知らされてすぐ計画を立て始め、まずは巴里-東京間の航空券を予約、その後、きょうび仏蘭西でも当たり前となった早割りでココんち地元駅から巴里の空港までの列車の券を買い求めたのでした。

それが、昨年11月13日 のことです。

前回二度の旅程に倣うと、ココんち地元の国鉄駅 11H30 → 12H 乗り換え駅 12H50 → 15H 巴里空港駅 となり、復路も時間違えど同じルート、午後7時過ぎに空港駅から新幹線に乗り、乗換駅には午後9時半頃到着、その後午後10時半にココんち地元の国鉄駅に辿り着くというものです。国鉄駅の窓口で券を求めたところ、なぜか往路のココんち地元駅から乗換駅までの券を国鉄が発券停止にしているとのことなので、これまでの二回と同じ時間の列車の券をその一部分以外発券していただきました。窓口のきれいなおねいさん(名札には Alexandra と)がおっしゃるには12月か遅くとも1月になれば未購入の往路の券も買えるでしょう、とのこと。

さて、12月の終わり、仏蘭西の師がおヴァカンスで走り去った後の閑散とした国鉄駅に行き、同じアレクサンドラおねいさんに未購入区間の発券を確認したところ、まだ国鉄が発券をブロックしているので年明けにいらっしゃいませよ、と言われてしまいました。年が明け、フォワグラ食べて自分もフォワグラ肝となった重い身を転がしつつ国鉄駅に行ったのが先週の22日でさーね。今回の窓口はきれいなアレクサンドラおねいさんではなく、作業着をお召しのヂャック・ヴィルレ Jacques Villeret を膨らましたようなおっさん(名札無し)で、いつもどおり12時50分発の乗換え駅から巴里空港駅までの切符を見せつつ未購入区間の発券をお願いしました。す、る、と、返事がこの日は線路工事のため、午前11時半の新幹線は存在しません、ですと。ひええええええ、ほんぢゃ、乗換駅から巴里空港に向かう新幹線に乗るためには、オラ、どーすりゃええの?と質問し返すと、午前八時半の列車に乗る以外の選択肢は無いという返事。んもー、ヂャウ・ハランバン夫人の頭蓋骨は除夜の鐘でさあね。普通ならあるはずの県庁所在地間をつなぐ長距離バスもこの街には存在しないので、列車に頼るしかないんですと。その列車が一本休航となると朝8時半発。しかも乗換駅に午前9時過ぎに着いたら午後1時手前までどうしろと?・・・と、頭の中で思い巡らさずにこの偽ヂャック・ヴィルレさんにつぶやいてみたら、駅の周辺でも散歩したらどうだ?と。オラ、日本に行くからでっけぇ荷物があるだよ、その駅にはコインロッカーはあるべか?と気付け薬を欲するかのようにカウンターによれつつ言葉を発したところ、その乗換駅ではテロ防止のためコインロッカーを廃止してしまったとのこと。そんぢゃいっそのことこの乗換駅で時間をつぶさずお昼過ぎに空港駅に着く券に買い換えたらどうだ?と偽ヂャック・ヴィルレさんがおっしゃる。運が良かったというか、昨年11月に購入した往路の新幹線の切符が安い方から二番目の売り換え可能なテケットなのだそう。ヂャウ・ハランバン夫人の脳はこの偽ヂャック・ヴィルレさんの提案に珍しく瞬時に着火。脳内を「お昼過ぎに巴里空港駅に着けば、夕方のチェックインまで巴里市内観光ができるぢゃーん?」と。偽ヂャック・ヴィルレさんもコイン・ロッカーの廃止権限は各県庁所在地レベルでの判断だから巴里のでっかい空港だったら手荷物預かり所は存在するんでねーか?とおっさる。その言葉にうっほっほとなったヂャウ・ハランバン夫人はその言葉に従い、往路の切符をココんち地元駅 8H30 → 9H10 乗換駅 9H30 → 12H 巴里空港駅 というこれまで経験したことのない時間帯に買い換えてしまったのでした。これで空港から成田行の飛行機は夜7時離陸なので、夕方5時くらいまで巴里旧市街を観光できます。


ところが、帰宅して電脳域で巴里の空港を調べてみると、にゃんと巴里の空港もテロの影響でコイン・ロッカーも手荷物預かり所も存在していないようなのであります。うへ~。となると、あちしはお昼過ぎから午後7時まで巴里の空港内で時間をつぶさねばなりません。午前八時半の列車に乗るためにココんちを出るのは午前7時半ですから、約12時間。巴里の空港から成田空港までの約10000kmは飛行機で約12時間の旅ですから、きょうび世界は距離と時間は簡単に測れるものではないと実感。

もうココ ↑ までで想像するだけでヨレヨレの旅なのに、なんと昨日27日、ハランバン夫人の出発日に国鉄が大規模ストライキを決行するという大本営発表がありました。_| ̄|○ お願い、もう勘弁して。
お昼のニュウスでその事実を知り、またもヂャウ・ハランバン夫人の頭蓋骨は主日の鐘のごとき状態となりました。当日、巴里に辿り着けなかったら飛行機には乗れません。日本國に行けません。これまで早割りで購入した列車や飛行機のテケッツ tickets は泡となります。それも今回は二人分でっせぇ?脳内がガンガンしたまま国鉄駅に行き、スト当日に巴里空港駅まで行かねばならない、行かねばなるまい、と窓口の、いかにも地元の山羊チーズで成長した赤毛のマダムに話したところ、なんとスト当日の運行状況は来週2月1日にならないとわからないンですと。

ヂャウ・ハランバン夫人は2月1日にまた国鉄駅に行かねばならないのでした。

果たしてヂャウ・ハランバン夫人は日本どころか巴里まで辿り着くことができるのでしょうか?
こんなわけで、今回もこれまでの旅と同じく波乱万丈な幕開け「前」となりました。こんなに早くから旅行計画を立て、ドけちゆえに早割でテケットを購入したところで、SNCF(仏蘭西国鉄)という名の共和国軍からの計画破壊攻撃が止まりません。ヂャウ・ハランバン夫人の心中を文字にするなら「既に帰国が面倒臭いっす」。
ココ新天地は日本びとが住めるとこぢゃないべよ。┐(-д-`;)┌
既に夫人のくるくるパーマの髪の毛が怒り狂って天を突いてます。ええ。
マジ、勘弁してくれよ。当日、空港まで行けるのかどうか
教えてください、神様

le 28 janvier 2010, Thomas d'Aquin
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by ma_cocotte | 2010-01-28 19:40 | 『旅』 Rien de spécial | Comments(10)
お仏蘭西の最貧食地方でつぶれないお店で出るものは、
ココんちからほど近い 旧市街の大広場に面した立地に開店してもすぐ閉店に追い込まれてしまったお店 がある一方で、花の都はお巴里に向かう街道沿いの辺鄙な場所にある定食屋は大繁盛のようでありんす。
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ココんちあたりは人伝に聞いた話では、世界で美食国として知られる仏蘭西においておそらく最悪の食環境の土地なのだそうです。いちおう酪農穀倉地帯らしいので、そこはかとなく海の向こうの大英帝國の気候や環境に似ていたりもします。ココんちあたりの名物食料はチーズやバタアなどの乳製品、白いんげん、沼に生える雑草、庭にわくカタツムリ、川底のウナギ、ザリガニ・・・・どれも大西洋の塩を基本にパセリにんにくバタアで味付けるので、どれをいただいても食感が違うだけで同じ味だったりします。早い話、メニュウにウナギとカタツムリの二種類があったところでどちらを頼んでも同じソースにからめたものが出てくるのです。

そんな仏蘭西一つまんない地方の、ジャガイモ料理屋の昼定食メニュウ。
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山羊チーズのサラダ La chèvre chaud

田舎風のパンに山羊チーズと生クリームを乗せて焼いたものを、そこらの畑で取れた野菜とラルドン Lardon と仏蘭西語で呼ばれるベーコンのような豚肉を炒めたものの上にドドンと乗せたサラダでござんす。おいしうございましたけれど、私個人は一昨年の五月にいただきました 山羊チーズのサラダ が今も金賞でございます。おそらく花の都お巴里に参りましたならば、こんなサラダなど ペッペッペ なんでございましょうけれど。

そして、山羊サラダの向こうに見えるお料理は、こちら。
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じゃがいもバーガー Patata Burger

パンの代わりにハッシュ・ド・ポテトで精肉店で買える本物の牛ひき肉ステーキをはさみ、ラクレットチーズを乗せて焼いたものでございます。

考えてしまうと瞬時に身体が膨張しそうな恐るべきカロリーなのかもしれませんけれど、寒い北国の冬はこのようなものをいただいて身体の内側から身体を温めないと「きびしーーーっっ!」のです。とは言え、春を告げる復活祭の飽食も強烈に凄いですけれど。ご先祖さまが狩猟農耕民族だからなんでしょう。

このお店にはつぶれる気配がまだ流れていません。

le 27 janvier 2010, Angèle
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by ma_cocotte | 2010-01-27 00:49 | Thé ou Café? | Comments(12)
超ウルトラど田舎では続かなかった。
しばらく前、知人の勧めがありココんちの旧市街のと或るレストランに行ってみました。



とりあえず、ビール。
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一緒に出て来たおつまみがおいしうございました。


前菜。
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主菜。
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でせえる。
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このお店、昨年末でつぶれてしまいました、まる
後任は数年前に一度この土地から撤退したアルザス料理の全国チェーン店だそう。


le 25 janvier 2010, Conversion de Saint Paul

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by ma_cocotte | 2010-01-25 23:20 | Thé ou Café? | Comments(2)
寒さに負けた、
いえ、世間に負けた.....
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昭和生まれの木造住宅育ち、隙間風には慣れたつもりでおりましたが、この冬のココんちあたりは本当に寒く、電気ヒーターが入っているのに、どこかから冷気が入り込んで来るのです。そんなこともあり、存在は知っていたものの、ココんちには存在しなかった代物を買ってまいりました。

このように使います。
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あちらはガレージ、こちらはお台所。
このように置いて、ドアを閉めます。これで隙間風を少しは抑えることができるのです。
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私はこの物の名前を知りませんでしたが、お店の方に聞いたところ ブダン という名で出ているのだそうです。ブダンというのはおそらく boudin と書くのではないかと思います。そう、お惣菜屋さんで売っている黒ブダン、白ブダンのブダンです。

以下、余談。
黒ブダン boudin noir は豚の血と脂で作った腸詰で、中に細かく刻んだリンゴが入っているものもあります。白ブダン boudin blanc は牛乳と鶏のささみで作った腸詰で、中に刻んだトリュフが混ぜられているものもあります。最初はその姿にギョッとしますが、食べ慣れてしまうとかなり美味な食べ物だと思います。ただし、黒ブダンは中身が中身だけにユダヤんやイスラームの方が同席する場合は食べられる立場の者が遠慮するのがマナーでしょう。

一月も下旬となり、北国だけに日毎、日照時間が前日との違いがわかるかのように延び、鳥のさえずりも聞こえるようになりましたが、隙間風はまだ冷たいです。よく見るとダックスフントなココんちのブダンさんにはもう少し活躍していただかなくてはなりません。

le 24 janvier 2010, François de Sales
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by ma_cocotte | 2010-01-24 03:47 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(6)
ハイチ、あれから第十日 Haïti. J+10
できましたよ、ハイチ救済のためのミュウヂク。



仏蘭西赤十字社 La Croix Rouge Française と国境無き医師団 Médecins Sans Frontières の名の下、仏蘭西各界の著名人の善意が集まっての、一枚。タイトルは
"Un geste pour Haïti chérie"
直訳するなら 愛するハイチのために、ひとつ意志表示 というそのものズバリ!なので、少しイメージ訳をするのならば「愛しいハイチのために態度で示そうよ、ほら、みんなで手を叩こう、パンパン 」ですかねぇ。
上のビデオを眺めると、仏蘭西にご縁ある方ならばご存知の顔ばかりでしょうし、仏蘭西に興味がなくてもサッカー好きの方ならばフランス代表選手のリリアン・テュラム Lilian Thuram も見つけられますし、最後には大御所シャルル・アズナブゥル Charles Aznabour も登場します。曲はラップなので人それぞれに好き嫌いが出ますけれども
ナニゴトにおいても、地ニハ善意ノ人ニ平和アレ。
人それぞれができることをコツコツと。

le 22 janvier 2010, Vincent

来る1月29日にはユニヴァアサルミュウヂク社から "Urgence Haïti"(これも直訳するなら「ハイチ緊急事態」)というタイトルのアルバムが発売されます。こちらは慈善団体Action contre la faim (直訳すると「飢餓に対する行動」)との提携によるもので、このアルバムにはヴァネサ・パラディ Vanessa Paradis 、オリヴィア・ルイズ Olivia Ruiz、カロヂェロ Calogero、ララ・ファビアン Lara Fabian、フロラン・パニ Florent Pagny、エディ・ミチェル Eddy Mitchel などが参加とのこと。
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こり、欲しいかも・・・。
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by ma_cocotte | 2010-01-22 05:23 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(2)
海地の首都は太子港である。 Port-au-Prince, la capitale d'Haïti
久しぶりに音声学のお話。ワクワク。

先程、興味深いブログ記事を二つ、拝読しました。
ひとつは福島祥行先生のブログ 黒猫亭 から2010年1月17日付のエントリー、
Il y a 15 ans, à Kobe… 
http://chat--noir.com/j/?p=782
もうひとつは竹下節子先生のブログ L'art de croire から2010年1月20日付のエントリー
Port-au-Prince
http://spinou.exblog.jp/13535424/
です。いずれも先の1月12日にカリブ海に浮かぶ国のひとつ Haïti の首都 Port au Prince で起こった震災がきっかけとなった話題と申しましょうか。福島先生は Haïti 、竹下先生は Port au Prince の発音と日本語表記について書かれています。私にとっては偶然ではありますが、お二方のブログエントリーが同日のRSSで紹介されたこと、でお・ぐら~しあすです。素人ながら音声学大好きの私には楽し、嬉しのお題です。

拙ブログではこれまで日本國の報道に倣い、HaïtiハイチPort au Princeポルトプランス と英語の発音に近いであろう音をカタカナで表わしておりましたが、福島先生はHaïtiハイチ をカタカナで アイティ と表わし、竹下先生はPort au Princeポール・オ・プランス とカタカナで表わしていらっしゃいます。夕食時にココんちの仏蘭西びと♂で試してみました。「う・え・ら・かぴたる・だいち? Où est la capital d'Haïti? ハイチの首都はどこだっけ?」と。すると「ポォ・オ・プランス」と言う返答。ただし、このカタカナの表記「ポォ・オ・プランス」は彼の発音にもっとも近い表わし方であっても正しくはありません。これが日本語表記の限界。千代の富士。Port の ポ から P を引いた オ の音と、直後の au の ・オ・ の音は明らかに違います。が、竹下先生がおっしゃる Port の ル の音をココんちの仏蘭西びと♂は発声しませんでした。rt をのどで鳴らすのみです。ふむぅ・・・これは南仏発音であらうか?

余談ですが、発音というか訛りで面白い症例が私の身近にあります。それはココんちの仏蘭西びと♂には一歳年上の姉がおります。彼は7歳、姉は8歳まで花の都はお巴里の西ナンテール Nanterre で育ち、その後、仏蘭西中西部に半年滞在後、南仏のイストル Istres という空軍基地のある町に成人までおりました。ところが、です。一歳上の姉はパリ特有の訛り、単語尾の r の音を強く残すクセを携えたままの現在であり、ココんちの仏蘭西びと♂にはパリ訛りが残っていません。たかが一歳の違いなのに、大きな違いが両者にあります。大昔、チョムスキだったかハリデだったか忘れましたが、どちらかが「言語習得は九歳まで」と唱えていませんでしたっけ?

さて、愛知、いえ、ハイチ、いえ、アイチ、いえ、アイティ。私の耳が悪いせいだと思いますが、テレビやラジオから聞こえてくる音は微妙に H が生きているように思います。チの音は私の耳には チ と聞こえてしまうけれども、もし私が発声する時は ティ を意識した方が確実に仏蘭西びとには通じます。これは Je (=私)をどうしても ジュ と発音してしまう私が シュ と意識して発音すると仏蘭西びとに通じることや、Tu (=あなた)を チュ と発音すると多くの仏蘭西びとは Je と勘違いすることが多く、 テュ と私が意識して発声すると通じることが多いことなどと通じる日本人の発声問題点なのかもしれませんが・・・私だけのハンディキャップ、いや、アンディキャプか。はっはっは。Haïti が私には ハイティ と聞こえるのは有音のアッシュ h aspiré だから?なーんてつぶやいたところで、ミーはハッタリかまし屋だっぺ。

竹下先生がPort au Princeポール・オ・プランス とカタカナで表現されたのは竹下先生がパリ旧市内にお住まいだからかもしれません。・・・・って、これも r と rt ではビミョーに違うかもすれません。

私のキーボードとこんぴーたにはまだ音声記号文字をダウンロードしていないので、上のぼやきつぶやきも消化不良状態で申し訳なく、だったらつぶやくな!なのですけれど、インターネットで調べてみたところ、
Port au Prince 英語 /ˌpɔrtoʊˈprɪns/  仏語 [pɔʁopʁɛ̃s]
Haïti  英語 /ˈheɪtiː/ 仏語 [a.iti]
という音声記号を見つけました。ぐゎ、この音声記号は英仏共、私が日頃使っている音声記号とは違います。我が手元のお手軽仏仏辞書ミクロ・ル・ロベエr LE ROBERT MICRO で port を引くと私に馴染みある音声記号で書かれてはいるのですが。母音5音+ン音便の日本語では母音16音に鼻濁音も喉音もある仏蘭西語をカナかなで表現するのは難しいですな。その表現の難しさがとんでもなく面白いけど。音声学、万歳。

ちなみに、タイトルの 海地 と 太子港 は中国語表記ですワイ。
日本語はフランスを仏蘭西と書くけれど、台湾では確か法國でした。ホランス?
私の場合、France は フォンス と発声すると仏蘭西びとに通じます。Paris は パヒ。

le 21 janvier 2010, Agnès


とぅいっらー twitter の使い方がわからないっぺ。(-。-) ボソッ
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by ma_cocotte | 2010-01-21 04:01 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(4)
ハイチ、あれから第八日 Haïti. J+8
Cliniton Bush HAITI Fund (クリントン・ブッシュ・ハイチ基金)結成のビデオを見ていたら、ふと我がツルツル脳に蘇った写真があり、ココんちの本棚をごそごそしてみました。

これ ↓
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時は1948年
聖母の右手に花束を添え、うなだれ祈るはアダムとおっしゃるエイメリカの兵隊さんです。
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この三枚の写真 ↑ の左下にこのような一文がありました。
背丈のように伸びている草を切り払い、牛や山羊、にわとりの飼育を手伝う方々や、使えない建物を取り壊して薪作りを手伝う方々など、学園のために多くの善意の方々が精神的、物質的、労力的に援助して下さった。

聖母子像の右手の花束はおそらくアダムさんが刈り取った野の花で作られたものでせう。
そして、しばし祈る。
昨日だったかテレビニュウスでハイチの救援活動においてこの写真と似たような状況が流れていました。救援で疲れているだろうに、世界中の兵隊さんが救出された子供達の前でおどけて、子供たちを笑わせ、子供の笑顔を確認して、うれしくて涙目になって・・・という繰り返し。地獄のような現状でも人々の笑顔があれば希望があります。平和があります。頑張りすぎずに頑張って上を向いて歩いていこう!

きょうは朝から倒壊した首都ポルトプランスの司教座聖堂の瓦礫の下から69歳になるご婦人がメキシコの救助隊によって救出されたことが繰り返し報じられています。メキシコの救助隊員がお日様のような笑顔であるにもかかわらず、「僕はもう疲れているのです。でも、こんなにうれしいことはありません。」とハイなんだかロウなんだか、明るいのだか暗いのだかわからないインタビュウであるのも興味深いところですが、救助隊員の笑顔はまるで天を見たかのような美しさでした。

さて、ココんちの本棚の写真集から。
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1945年8月15日の終戦から三年経ってもエイメリカの兵隊さんも手伝って瓦礫を片付け、薪を作ることを繰り返し、ようやく翌年1949年に更地になった部分でお聖堂の定礎式が行われたのでした。写真にはコンヴェンツアル会の神父さま、米軍の方、土井枢機卿さまが映っております。そして聖堂が完成したのが更に9年後の1958年。終戦から十三年後です。
今から半世紀以上前の世界より現在は何もかも進歩してはいても、この世に時の流れがある以上、ハイチの震災の痕を蘇らせるにしても時間がかかります。何もかも失い生きていくことの難しさを実感しているハイチの人々の焦る気持、怒りの気持も察するばかりですが、どうか自分の欲望を満たすために罪を犯すことだけはしないでいただきたいです。きょうのお昼の国営放送 France 3のニュウス では被災地の教会の様子も紹介されました。現実を受け止めるとおっしゃる人や、瓦礫の中から聖像やご絵を持ち出し、青空の下でのミサの様子。絶望せずに希望を持つということ、考えさせられます。

また、ニュウスではハイチの震災後一週間で約1500万ユーロの寄付金が共和国内で集めることができたことも報じられました。この浄財がどのような配分になるのかわかりませんが、生きることが難しいハイチの人々のためにも、被災地の救援復興のために働く方々のためにも善意のお金が生かされますように。
兄弟を愛する人は光のうちにいる。 
Chi ama suo fratello, dimora nella luce.
毎日、ニュウスのたびに世界各国から救助のためハイチに集う人々が紹介されますが、まだ日本からの救助隊の活躍については紹介されないことが残念です。が、これも時の流れにおいて、近いうちにきっと、必ず、仏蘭西のニュウス番組でも日本國からの救援隊のハイチでの救援活動が紹介される日が来ますよう希望を持とうと思います。ちょっと、だいぶ諦めかけているけれど、まだ絶望はしていないよ。

le 20 janvier 2010, Fabien et Sébastien
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by ma_cocotte | 2010-01-20 22:18 | actualité 現時点の現場から | Comments(2)
新しい週が明け、新しい人生が始まった。
一月に入って三度目の月曜日を迎えました。
テレビをつけてニュウスを見ればトップニュウスは常にハイチの救援についてでありますが、きょう18日トップニュウスの後に控えしは、1981年5月13日にヴァチカンはサンピエトロ広場で前教皇ヨハネ・パウロ二世を狙撃したトルコ人メフメト・アリ・アヂャ Mehmet Ali Ağca が刑期を終え、約30年ぶりに出所し、自由の身になったことについてでした。

メフメト・アリ・アヂャ氏は事件直後から2000年まではイタリア国内で服役、2000年の恩赦によってイタリアからトルコに移送され今日に至っているのだそうです。イタリアでメフメト・アリ・アヂャ氏が服役中、1983年12月、クリスマスの二日後に狙撃された教皇さまがおん自ら刑務所を訪問し、メフメト・アリ・アヂャ氏と面会。その時の会話の内容は教皇さまの希望で明かされることはなかったものの、巷では両者の会話はカトリック世界における告解のようなもので、教皇さまはメフメト・アリ・アヂャ氏を赦されたのだという噂が流れました。

さて、きょう。2010年1月18日。
ニュウスに耳を澄ましてみたら、どうやらメフメト・アリ・アヂャ氏は既にカトリックに改宗されたとのこと。調べてみたら、狙撃事件から26年後の同日、2007年5月13日にメフメト・アリ・アヂャ氏はイスラームを捨てたことを公に宣誓し、以降、カトリックの信者としてヨハネ・パウロ二世に取次ぎを願いながら祈ることを日課としていたそうです。ヨハネ・パウロ二世の帰天は2005年4月2日でしたから、もしかしたら教皇さまの赦しと教皇さまの死によってメフメト・アリ・アヂャ氏はご自分の心の声を確かめられたのかもしれません。
こりゃ、小さな奇跡ですな。ちょと感動。
こうして約30年ぶりに自由の身となったメフメト・アリ・アヂャ氏を世間がほおっておくわけがなく、これまではっきりしないままの数多の陰謀説などをはっきりさせようと騒ぎになりつつあります。
ほっとけ。
というのは私見ですけれど、それでも言いたい。ほっとけ。
別に私たちが真相を知る必要はないンぢゃないかしらねぇ。いえ、ちびっと知りたい気持もありやすが。
もし赦されているのだとしたら、新たな道を歩み始めるメフメト・アリ・アヂャ氏を見送るのが私達の役目ですものね。

le 18 janvier 2010, Prisca
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by ma_cocotte | 2010-01-18 22:12 | actualité 現時点の現場から | Comments(0)
ハイチ、あれから第六日 Haïti. J+6
歴史の中でヒトが決めた枠組みを越えてできることとは何でしょう?



ハイチを襲った天災から第六日目、エイメリカ合衆国ではかつて大統領だった共和党員の子ブッシュ氏と民主党員のちょとHなクリントン氏がこうしてハイチ救済のための寄付を募るコマーシャル撮影に「自分で考え、自分にできるから、喜んで参加」しました。これぞ、一国の統領たる者、ヂィヂェイ Good Job!一度は合衆国大統領の座に着いた上つお二方、御身をその座に着かせてくらしゃった合衆国民の皆様方に向かって
щ(゚Д゚)щ Give now!
 「おんどりゃ、今すぐ出せ!あっは~ん?」と命令してまっせ。おらが統領に倣い、共和党支持だろうが民主党支持だろうがノンポリだろうがレッドだろうが、平らで凡な自分にもハイチ復興のために何ができるだろう?このコマーシャルの冒頭、クリントン大統領の傲慢かました台詞には嫌米の方々にはムっと来るでしょうけれど、ですが、最後まで聞くならば一本の川の流れならば上流が下流を、一本の道ならば先に歩む者が自分の背後を歩む者に手を差し伸べ、救済するという精神は素人域での「解放神学の実践」にもつながるですな。ハイチを引っ張って自分の現状や環境と同じにまでしてみようぢゃないか!おーっっ!
ところで、ハイチ震災から第六日目、
おらが 日本國 は何をしているのだろう?
震災発生直後からフランスでは中國と台湾から救援隊が送られ、彼らのハイチ到着と救援活動の様子も映像で紹介されているのに、あれから第六日が過ぎてもこれまでだったら天災救援の筆頭国であった日本國について何も語られないままです。な、なぜに?ぷるこわ?日本國からはハイチにカネしか送っていないのでしょうか?まさカネ・・・。

陸山上皇と音羽王がエイメリカの子ブッシュ前大統領とちょっとHなクリントン元大統領の真似て、上皇さまは「チンの私腹をハイチに寄付するので、我が日本國臣民も箪笥の肥やしやへそくりを少しでいいからハイチ救済と復興のために使ってケレ」とでもテレビ画面から問いかけてみたらどうだろう?鳩山王は大昔のパイポのコマーシャルのように、「私は母にボクはいいからそのお金はハイチに送ってね、と言いました。」とつぶやくとか。支持率がちびっとは上がるかも。でも、誰も良心の声が聞こえるならば、あんたら上層の肥やしになろうなんて思っちゃいない。最高位の者が跪いて足を洗えなくてどうする?



ところで、ハイチ震災から第五日目、日曜夜8時のニュウスで知ったことですが、早くも欧米各国でハイチ震災孤児の養育援助を一般家庭に募る動きが始まったそうです。昨晩の報道では今週半ばにハイチ震災孤児109名を乗せた飛行機第一便がオランダに到着、今後、フランス共和国に配分(← という言葉は魂に失礼かもしれませんが)される孤児は約2000人とのこと。この共和国民に与えられた「義い務め」に対し、既に共和国内で8000の予備登録があったとのことです。
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1月17日午後、花の都はお巴里の外務省前にて。Photo par AFP

先の金曜日1月15日に結成されたハイチ震災孤児救済の会 le collectif "pour le rapatriement des enfants en cours d'adoption en Haïti" が一日も早い認可を求める行動に出ました。結成された会側の言い分では、15日のホームページ公開から既に12000人の支援者登録があったそうです。仏蘭西には l'Agence française de l'adoption (Afa) という養子縁組の組織がありますが、この組織の発表によりますと仏蘭西はハイチ人の子供養育を受け入れている筆頭国であり、2006年には約1300人のハイチ人の子供が世界各国に引き取られ、うち591人が現在仏蘭西国内で生活しており、現状では常に1200~1500家庭が養子受け入れの待機リストにいるそうです。地球の未来を担うのは彼ら、新しい生命です。地ニハ善意ノ人に平和アレ。


以前、拙ブログで触れましたが、日本國の場合、養子縁組や里親について土着生活文化や道徳に起因すると思われる諸問題があり、この救済については他の(かつての)キリスト教国教国群にすんなり倣えないのが現状ですけれど、世界中の誰もがヒトが決めた境や身分を取っ払って「できることをする」、それが今、この地球に生きて、ハイチの震災を知ってしまった各自のフィアッ Fiat でしょう。もちろんシモン・ペトロのように「知らない、知らない、知らない」と唱える自由も意志も各自の心の権利ではありますが。

「国ができること」と「私ができること」は違っても、ひとつの目的のために互いにできないことを補い合うことはできるのではないでしょうか。できないのかな、今の日本國という国は。

le 18 janvier 2010, Prisca
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by ma_cocotte | 2010-01-18 16:35 | actualité 現時点の現場から | Comments(6)