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お皿替え
夏のおヴぁかんす最終日。
2014年8月最後の日。
日曜の朝一番に、夏のお皿をしまい、冬のお皿を出しました。
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今度の夏まで、およろしくね。


le 31 août 2014, Aristide

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by ma_cocotte | 2014-08-31 16:09 | 『夏』 Rien de special | Comments(2)
チュウイン’ ガムの味が無くなったならば、
あなたなら、どうする?
グリーンミントガムやらクールミントガムが恋しい今日この頃でございます。
日本國の国内で板ガムを買ったならば、一枚一枚銀紙にくるまれたガムをいただく。これ、日本では当たり前だのクラッカーですけれど、仏蘭西という国ではそうではありません。市井でチュウインガムを買っても、板ガムならば外の包装紙をはがすとガムがそのまま入っています。暑い日だと板ガム同士がべっとりくっついてしまっていることもあります。日本の板ガムは銀紙にくるまれているだけでなく、ガムも粉で覆われているので、口に入るまでさらっとしています。日本のガムはとても優秀だと思います。

さて、ココんち近くの旧市街に参りますと、方々にこのようなものが立っております。
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なにこれ?けつくせ?

頭の部分のアップを紹介いたしましょう。
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"Colle ton chewing gum ici" を和訳すると、『ここにあなたのチュウインガムをくっつけなさい(貼りなさい)』です。上に書いたように、仏蘭西国内で売られているチュウインガムはどんな形であれ紙にくるまれていないので、多くの仏蘭西びとはかみ終えたチュウインガムを路上に捨てたり、壁や柱、木々、ベンチに貼ったりします。平気で。そもそも日本で生まれ育ったひとが仏蘭西でもチュウインガムを食べたくなり、買ったところで、紙に包まれていないチュウインガムを目の前にし、不思議に思うし、戸惑いもします。日本びとのすんばらしいところは、携帯の紙ティッシュやハンカチーフを携えていることで、もし紙にくるまれていないチュウインガムを日本人が食べても、食べ終えたガムは紙ティッシュに包むでしょう。紙ティッシュやハンカチーフを携える習慣も仏蘭西びとの庶民には必ずしも備わっていません。

写真の、噛み終えたチュウインガムを貼るポールが散見されるようになって、ココ3年くらいでしょうかねぇ。
果たしてこのポールが万民に利用されているのか、愛用されているのか、万民にこの新しい習慣が浸透しているのか、届いているのかも私にはよくわかりかねますけれど、根本的にというか抜本的になぜ仏蘭西のチュウインガムは銀紙にくるまれていないのかが不思議でなりません。紙の価値が日本に比べて高いせいでしょうか?

こんなことでも日本國ってすんばらしいと思います。


le 31 août 2014, Aristide
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by ma_cocotte | 2014-08-31 00:41 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
今年は小粒でピリリと甘い。
ココんちの庭の隅にも野生のミュウルの小さな藪があり、今週に入って、実の粒粒がぷっくらと膨らみ始めました。ココんちあたりにも晩夏が訪れた知らせです。
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今年のミュウルは残念ながら粒が小さいです。
ひとつつまんで口に含んでみたら、先週よりは甘みが強まったように思えますが、うぅうううん。

ところで、ココ新天地でミュウルと言えば、恐ろしいほどの鋭い棘を携えた蔦木に実る果実をさしますが、南仏蘭西でミュウルと言うと、木に実る少し細長い実が主流です。味は似ているかも。一軒家のお庭にはたいていミュウルの木が数本あり、真夏の間、ここちよい木陰を作ってくれるものです。南仏のミュウルの木はココ新天地で未だ見たことがありません。

蔦木のミュウルはほおっておくとどんどん蔦同士が絡み合い、垣根を作り上げていき、とてもヒトが通り抜けられるような生易しい垣根ではなくなります。ココんちの近所には胃たる所にミュウルの林やら垣根があり、おそらくココんちの庭の方々から出始めたミュウルも、近所のミュウルの地下茎のせいだと思います。実を摘むにしても、おそろしい棘で手を引っかいたり、洋服をひっかけたりとドキっとさせられることが多いです。ミュウルは美味しいけれど、ちょっとコマッタちゃんな存在かも。犬の散歩をしながら、近所のミュウルでできた分厚い天然の垣根を見るたびに、子供の頃に読んだ「眠れる森の美女」のお城を囲んでいた藪が実はミュウルだったのではないかと想像するのですが・・・・

le 27 août 2014, Monique
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by ma_cocotte | 2014-08-27 22:04 | 『夏』 Rien de special | Comments(0)
秋を前に、数日の春
お寒ぅございます。
8月も半ばを過ぎ、ココんちあたりは外が明るくなり始めるのが午前7時過ぎと遅くなりました。日没はまだまだ午後9時手前までは外灯もともらないまま。朝の冷え込みは心地よいを通り越して、ブルブルっと寒く感じられるほどにもなりました。

今年の夏は本当に短かったように思います。
今年のココんちは7月14日に愛猫を永遠のひとり旅に送り出したこともあり、その日から突然、気温が10度以上上昇し、夏がやってきたことも覚えているし、それから一か月過ぎてこうして涼しさ、寒さを実感しているので「今年の夏は短い」とよくわかるのです。たった一ヶ月の夏らしい毎日でした。

こうして秋の気配を感じると、ココんちあたりでは春に愛でた花や収穫した果物が再び花を咲かせたり、実を結んだりします。この点が日本(の首都圏あたりの気候)と最も違う点でしょうか。秋を迎える前に数日だけ春を思い返す機会があるのです。

今週に入り、山吹が咲き始め、イチゴがいくつもできました。
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ココ数日のニュウスや天気予報を眺めておりますと、どうやら今年の仏蘭西は冷夏であり、加えて日照時間がかなり欠けてしまったようで、特に共和国内各地のブドウが不作だそうです。そういえば、ココんち近所のヒマワリも今年は快晴の日でも頭を垂れたままです。ソフィア・ロオレンが主演の映画「ひまわり」のごとく、例年ならば快晴の日に視界一杯、天に頭を持ち上げた美しいひまわり畑がココんちあたりの其処此処彼処に点在しますが、今年は「皆無」。昨夕も犬の散歩ついでにひまわり畑をチェックしに参りましたら、なんと頭を地に下げたまま茶色く変わり、生の終わりを示していました。(泣ける・・・) ヒマワリも今年は不作ということですな。

野生のフランボワーズやミュールも例年に比べると小粒で、味が浅いです。
「太陽の恵み」としばしば見聞しますが、これは正しいですね。太陽が燦燦と大地を温める日が多いと、草木はいきいきとし、美しい姿、おいしい実を見せるのです。

さて、ココんちの片隅のいちじくの木は直に植えて7年目にして、ようやく相当数の実をつけるようになりました。
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なんの世話もせずに、ただ今、いちじくの実はこんな感じ。
見てくれは醜い天然ものですが、意外と素朴な甘酸っぱさで美味しいのです。わたくしは好き。
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こちらではこのままいただくだけでなく、ハムなどお肉料理やチーズと一緒にいただくスタイルもございます。

le 20 août 2014, Bernard

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by ma_cocotte | 2014-08-20 16:10 | 『夏』 Rien de special | Comments(2)
逆縁の不幸
先ほど、きょうの「花子とアン」第117話の視聴を終えました。
泣きました。
同時に花子の息子の死を報せる電報を受け取った蓮子さんに義母さまが日本婦女子の鑑のように凛と、うろたえる蓮子さんの背中を押した姿が印象的でした。私は子供を産んでもいませんし、育ててもいないので、どうも齢ばかり重ねるだけで心構えが子供のままであると改めて実感もしました。

以下、どうでもいいことですが、

私の亡き母は生まれて初めて出産した子(男児)を生後三日で失いました。母の健康と、これから生まれてくる赤ん坊のためにもと私の両親が首都圏の過疎地に引っ越してすぐ、身重の母がお風呂場で転んだことで産気づいてしまい、日満たずに出産となってしまいました。自宅でお産婆さんによる出産となり、初子は無事に産まれたものの、3日目に急変し、眠るように息を引き取ったのだそうです。私の両親にとっては初めての子供だったので、月足らずの赤ん坊ではありましたが、戒名もいただき(両親の名前からそれぞれ一文字ずつもらっての戒名です)、荼毘にふし、父方のお墓に納骨されました。今は、亡き母と息子は並んで納骨されています。

私が生まれる前の話なので、両親からこのことについて知らされるしかありませんでしたが、今振り返ると両親共にこのことについて私に語ることはありませんでした。父は未だに何一つ語らないと言えます。生前の母は何度か年ごとに父にそっくりになる私を見て寂しくなったのか、死んだ子供が自分にそっくりな赤ん坊だったと私に話したことがありました。母は面長の顔立ちでしたから、おそらく月日満たずに誕生した兄も肉付きなど赤ん坊らしくなかったので、面長の母に似た印象だったのかもしれません。

母が亡くなって、葬儀を済ませても私の父は朝昼晩だけでなく思い立っては仏壇やら家に安置されていた骨壷に手を合わせるばかりで、母の遺品には何一つ、まったく手を触れませんでした。一方の私は母に手を合わせる暇もなく、一か月近く朝から晩まで母の遺品の整理をし、遺品を手にしてはあれこれ思い出すことを懐かしみながら、空を見て射祷していました。その時だったか、それから半年後になって母の納骨で実家に戻った時だったか、父に私が「母が先に行ってしまったけれど、もし私が先に行ってしまったらママは発狂してしまったかもしれませんね」と話したことがありました。父は節目がちに頷いただけでしたね。最初の子だけでなく、私まで母より先に他界してしまったら、きょうの「花子とアン」の中で蓮子さんの義母さまが子供を失った母親の気持を蓮子さんにびしっと伝えられたけれど、我が身の心臓をもがれるよりつらい思いは母親にとっていかばかりかと想像します。きょうの「花子とアン」の後半で息子の遺体に添い寝する母 花子。蓮子さんの来訪で堰を切るばかりに号泣する花子。私が生まれる前のこととは言え、もしかしたら私の母もこうなってしまっていたのではないだろうかと今になって思いやる自分・・・遅すぎですね。

きょうの「花子とアン」ホームページ の日めくりノートを覗くと、花子の夫 英治さんのこの日の演技についての考えを読むことができます。読みながら、時代背景違えど、上に書き連ねたようなことが心巡った次第です。
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きょうは8月13日で、まもなく14日の日付にかわって数分後には、12年も共に暮らした愛猫の他界一か月を迎えることになります。猫ですからね、ヒトぢゃありません。寿命もヒトより短いとわかっていますけれど、この一か月、寂しい気持でいっぱいです。写真はこんもりと満開になった庭のルドベキアです。おとといあたりから秋の気配も感じられます。時は先に先にと流れているのだと咲く花や吹く風に教えられています。

le 13 août 2014, Hippolyte

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by ma_cocotte | 2014-08-13 18:04 | 『?』なたわ言 | Comments(4)
涙のハチハチ
今年の8月8日を迎えてまもなく、ココんちのほぼ黒猫いねすさんが25日ぶりに灰となってココんちに帰宅しました。
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7月14日の夕方、ココんちからいねすさんを送り出したものの、こうしてココんちに戻ってくるまで、けじめが付かないままでした。こうしていねすさんが帰宅し、生前のいねすが大好きだった場所の棚に納め、ようやくいねすの一生にピリオドを打つことができたように思えます。

いねすがこうして無事に帰宅したことでほっとしたのか、きょうのわたくしは涙腺がゆるみっぱなしです。

いねすさん。
しばらくはココで私たちを見守り、導いてくださいね。

本当によく病気と闘いました。
おつかれさまでした。
おやすみなさい、いねす。


le 8 août 2014, Dominique

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by ma_cocotte | 2014-08-08 22:15 | 『夏』 Rien de special | Comments(0)
犬をダシにして、
涼しい午前中にできるだけ雑用を済ませ、昼食後は熱暑をイイワケにウダウダゴロゴロ。午後5時頃になり、ムクっと起き上がり、「あら、こんな時間?犬のお散歩しなくっちゃ」と声に出してみたりする。
そして、犬を引っ張り出して、旧市街までのそのそと。
そして、「あーら、午後五時過ぎだと未だ暑いわね。アスファルトが未だ熱いせい。のどが渇いたわ」とこれまた独り言を声に出して、ふら~と路地裏のカフェにどすん!(いや、どかん!か)と腰を下ろす。重い腰は一度下ろしたら、動きません。
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ええ、よくよく潤されるまでは。

路地裏のこのお店が一年未満くらい前から夕方になるとタパス Tapas を始めたことは知っていたのですが、こうして夕方のタパスに寄ったのは初めてです。店内に十数種類のタパスが準備されており、客は好きなタパスを6種類選べます。これで、6.5ユーロ。飲み物を別に注文しても、おひとりさまならば10ユーロ未満。欧州びとは兎も角、日本びとのお腹ならば一杯になります。仏蘭西での外のお夕食だとド田舎でもひとり15ユーロ強のお支払いが普通ですから、ココのタパスはありがたいかも。

ただし、旧市街の路地裏なので、お店は仕事帰りのサラリーマンのためにタパスを準備しているようで、月曜から金曜の夜のみタパスをいただくことができます。これがちょっと残念事項かなあ。タパス Tapas という名前でも、どこか西班牙バスクのピンチョス Pintxos と似た作り。

午後7時近く、路地を吹き抜ける風も心地よく、ワインもタパスもとっても美味しくいただけました。
感謝。

味をしめたので、また行くもんね。

le 4 août 2014, Jean-Marie Vianney
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by ma_cocotte | 2014-08-04 17:33 | 『夏』 Rien de special | Comments(0)
きょうも、きょうとて、のそのそと
午後4時の予約でお医者さん。
その帰り道に犬の散歩がてら ニオール Niort という町の図書館まで。
図書館付設のカフェでひと休みすることにしました。
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モヒト Mojito
生のミント葉、ライム、ラム酒にソーダで割った飲み物(だと思います)。
昨年夏から田舎のカフェやらビストロでもメニュウで見つけられるようになりました。が、実はひとつ前のエントリーで白ワインを飲んだお店のモヒトが絶品だったにも関わらず、昨年飲みそびれて、今夏こそは!と注文を試みましたら、知らぬ間に敷地建物は同じでもオーナーが替わり、モヒトがメニュウから消えうせてしまっていたのでした。そういう中途半端な出来事があると、どうしてもモヒトを味わいたくなり、こうして別のお店で見つけ出して飲むに至ったのです。

テエブルの向こうに見える舞台は毎週木曜の夜に開催される野外コンサアトのリハアサル風景。
ステエジの向こうの林の先には水量豊かな川が流れているので、日差しが強くても吹く風はどこか涼しく、心地よいのです。

リハアサル独特の不協和音やらストップ。カフェのざわめき。
せわしなく行き交う煙草をくわえたまま、片手に生麦酒を持ったスタッフや通行するひとびと。
どこかほこりっぽさも感じながらも、夏の午後遅くのカフェでの一服は至福のひと時に思えます。

あああ、8月だ。
8月になってしまったよ。

le 1er août 2014, Alphonse

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by ma_cocotte | 2014-08-01 18:23 | 『夏』 Rien de special | Comments(0)