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夏草や 兵どもが 夢の跡
先の日曜日、秋分の日直前の日曜日の午後、仏蘭西共和国内では多くの文化遺跡が無料で一般開放されていたので、おいらもちょっくら覗きに行ってみました。

今年、選んだ先は、ココなのねー。
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クゥドレ・サルバァ城 Château du Coudray-Sarbart

看板をよく見ると、13世紀、つまり西暦1200年代の建立とあります。
場所は、日本國ではあまりに有名になってしまった高級バタアの生産地であるエシレ Echiré のはずれの森の中にある小高い丘の上にあたります。

無料公開とは言え、日曜の午後遅くなので空いているだろうと踏んでいたのに見込み違い。
周囲の谷間や川沿いの駐車場も、細い農道の路肩も車がぎゅうぎゅうに押し詰まって並んでいました。
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お城は写真のとおり、数本の城砦で成り立っていますが、一番立派そうな塔に工事中の幕がかけられてしまっていたのが、景観において残念でありました。(まあ、ココんちからそんなに遠くないところなので、来年、再訪すりゃいいのですが)

大混雑なので、ガイドさんの説明もないまま、ひとりで迷路のような城内を見学しました。
13世紀の建築物ですから、壁が分厚く、窓が小さい。(=学生時代に美術史で教えられたこと)
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↑ 廊下でございます。遠く突き当たりに円形の間がござる。↑


円形の間の周りにこういう感じ ↓ の部屋(のような間)が円を囲んでいます。
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日本で言うところの三畳くらいの広さでしょうか。突き当たりはおそらく窓なのだと思います。
少し考えると13世紀当時、ガラスが存在しなかったかもしれないので、建築上のことだけでなく、寒暖を考えて窓がこういう形でありサイズなのかもしれません。雨風寒さをどのようにしのいでいたのでしょうか。布でも手前に張っていたのかしらね?

迷路のような廊下の先に点在する居間のようなスペースではカリグラフィーやら刺繍、蜂蜜蠟の販売所がありました。
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蜂蜜蠟のスペースで、蠟で作られた「最後の晩餐」と「絶えざる御助けの聖母」を見つけましたよ。

しっかし、ココはどうにも私には古過ぎる建造物で、ガイドさんがいないと「あんまりよくわかんない」でがす。
城内に設置された臨時の休憩所で農家直売のリンゴジュースをぐいっと飲んで来ました。

お城の麓の建物の外壁にこんな説明書きが打ち込まれていました。
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クゥドレ・サルバア城砦
12世紀から13世紀にかけて大司教による建造。
(註:パルトネ Parthenay の(大)司教と但し書きがありますけれど、パルトネはエシレからそんなに遠くない中規模の町で、現在のパルトネに司教座はありません。)

1776年にアルトワ子爵家であるファイ・ド・ラ・タイイェ一族によって売却。この一族の子孫である現在のデュ・ドレスネ家が2000年6月29日にニオール(都市圏)に贈与。

以上。
城砦数本の内部を見学したけれど、いくらド付きで月日を遡れば爵位を持つ家柄であっても、この城砦を個人で所有し続けたところで維持が大変というか、そういう発想以前の存在のように思えたりもして。

今後、どういう風にメタモルフォゼされるのか予想もつきませんけれど、改善がうまく行き、青少年のおべんきょなんぞに役立ちますように。

le 27 septembre 2014, Vincent de Paul

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by ma_cocotte | 2014-09-27 17:36 | Promenons-nous! | Comments(0)
この時とばかりに、
カキをいただきました。
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大西洋に浮かぶオレロン島 L'île d'Oléron 産のカキであります。
おいしかった!

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仏蘭西の市井でカキは剥き身で売られておりませんので、外食時にいただくのが、最も楽なのです。貝殻ごと買ったところで、貝殻を繰り返し開けているうちに、いざいただいても、なんだかな・・・と。天ぷらを揚げた本人が着席して天ぷらをお口にいれても「なんだかな」の感覚に似ている気がします。

私のテーブルから少し離れたところにいらした男性が私と同じカキを注文し、それは上手にナイフを使ってカキの貝柱までたいらげていました。貝柱が大好きな私も真似てみたけれど、うまくいかず、断念。ううう、悔やまれます。

le 23 septembre 2014, Pio

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by ma_cocotte | 2014-09-23 23:52 | Ca etait? | Comments(2)
「女王陛下の忠実な僕」の群れから外れるということ
大英帝國より一時間早く暦をめくる仏蘭西ですけれど、今日の朝の仏国営放送のトップニュウスは昨日投票日だったスコットランド独立に関する国民投票の結果について、でした。結果は「独立しない」

・・・・今ンところ、今回は。(と、本当に中継でこの台詞で締めくくっていた)

私個人におけるスコットランドは、幼い頃にベイシティローラーズで萌えに萌え、007のショーン・コネリーに萌え、映画「炎のランナー」でエリック・リデル Eric Henry Liddell に萌えに萌え萌えの果て、1999年の6月にはエジンバラ大学に「留学」中の英国人友を頼りにエジンバラを拠点にスカイ島まで旅したことですかねぇ。その時、エジンバラ市内の肖像画美術館でエリック・ディデルご本人が描かれた肖像画を目の当たりにし、涎と鼻水がついうっかり漏れました。スカイ島までの道の途中(バス旅行でしたので)、ロブ・ロイのお墓参りをしたことも自分がぐいぃいいいんと時の流れを逆行したような錯覚を覚えた快感がありました。

エジンバラでの日々ですが、1999年当時でもスコットランドというところはどこかイングランドと違いました。
第一に紙幣が英国ポンドと等価価値であっても独立紙幣だったこと。エジンバラ滞在の途中で、私は列車に乗り、国境を越え、友人の実家があるダーハム Durham まで南下したけれど、大英帝國側でスコットランド紙幣は受け付けてもらえることもあれば、拒否する権利も大英帝國びとにはありまして、もし受け付けてもらえたとしてもおつりは(もちろん)大英帝國側の紙幣通貨で戻されるという形でした。
食事は、スコットランドは食事もデザートも美味しいです。ハズレなしでした。

そして、シューキョー。
スコットランド側は英国国教会ではなくスコットランド国教会が主で、礼拝のスタイルは英国国教会とは全く異なるものでした。これは映画「炎のランナー」の中でもはっきり違いがわかります。エリック・リデルは牧師先生でしたけれど、礼拝のスタイルはカルヴァン派とそっくりです。(英国国教会においての礼拝はハイチャーチはローマ・カトリック典礼とそっくりですし、ローチャーチはメソジストのスタイルに近く、スコットランド国教会のスタイルとは異なります) もちろん、聖堂内装飾や配置も違います。お地味よ。



大英帝國の国王陛下は毎年7月になるとエジンバラに近いお城に滞在され、毎週日曜日はそのお城のすぐそばの教会の礼拝にあずかりますが、そこもスコットランド正教会です。カノンゲイト・カアク Canongate Kirk という名の教会であります。聖堂訪問した時にたまたま教会員のマダムがいらして、次の日曜礼拝に女王陛下がおでましになるのであなた方もいらっしゃい、と声をかけられたこと、今でもナマナマしく覚えています。けれども、そのせい、つまり、女王陛下のスコットランド来訪日と私の離日が重なり、私が乗る飛行機がそのために遅延したことで、私は予定通りにマルセイユまで戻れず、経由地のベルギーの空港に半日以上いなければならなくなってしまいました。・・・だから、今になっての独立騒動でもスコットランドと大英帝國の女王陛下の関係がつながってしまうし、何よりチャアルズ皇太子はエジンバラ公という称号だし、皇孫ウヰリアムはスコットランド国内の大学を卒業しているぢゃんね・・・と、そんなことが脳内をぐるぐるぐる。

まあ、脳みそツルツルの私のレベルですから、当初、スコットランド独立の話題を見聞しても、1999年当時の独自色を思い返し、「どうぞご勝手に」でしたけれど、イングランドと同様にスコットランド内の上質の美術館、博物館が無料で見学できることなど独立することで改悪されてほしくないなあ、とこの点だけちょっと引っかかっていました(どんだけビンボーびとなミー)

ところが、投票日間近になり、ようやく私の耳やら目にこの国民投票の奥底に近年の限りなく極右に近いナシオナリズムがうごめいていると入り、同時にドンビキ。私は灰色から突然、「独立反対」側に急旋回しました。ほぼ同時に大英帝國側がスコットランド領内の石油利権を手放せないことももちろん知りましたけれどねぇ。ああ、ザ・ブリティッシュ・ペトロリアル、BPのロゴがこれまた脳内に飛び交う始末。

でも、中近東での「イスラム国」絡みの現状からして、大英帝國はスコットランドを含めて独立どころぢゃないと昨日、今日の私は思ってます、まる たぶん明日もそう思っているわ。だって、深刻だもの、中近東。余談、昨夕、仏蘭西のオランド王がイラク北部の空爆参戦を発表しちゃったし。

そのせいでしょ、スコットランド独立についてのこの結果。

だから、「今ンところ、今回はね。」で、コンクルウヂョン。


le 19 septembre 2014, Emilie

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by ma_cocotte | 2014-09-19 16:41 | 『?』な大英帝國 | Comments(2)
偶然なのか、必然なのか
リュソン Luçon のカテドラル で出会うなり、ぞっこん
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ひとめぼれ
聖堂に入り、右側の廊下をぐんぐん奥へ奥へと歩を進めていたら、突然、右手前にこの通り ↑ ↓

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右の扉の向こうには司祭館があるようです。
住まいと聖堂をつなぐ廊下にこの聖像。
聖務をおこなう神父様方にとりましては聖像の御前を通るたびに心洗われる思いを実感するのかもしれません。

聖母マリアさまも、幼な子イエスさまも、左右の天使もなんとも言い表せない表情でした。
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偶然訪問した聖堂で、偶然出会えました。でお・ぐらしあす。

le 15 septembre 2014, Dolorès

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by ma_cocotte | 2014-09-15 20:55 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
海を見て来た帰り道、
ヴァンデ県はリュソン Luçon と言う小さな町にある司教座聖堂 Cathedrale に寄りました。
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午後四時を周っていたので、聖堂内には西日の自然光がステンドグラスを抜け、柔らかい空間を作り出していました。
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↑ 一番奥が祭壇、真ん中が昔の説教台、手前は2000年記念の聖母子像 ↑

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ヨゼフさま



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聖ルイ・ド・モンフォオル
ヴァンデ県ゆかりの聖人。ロザリオの習慣を庶民に広めたことで知られております。



優しく柔らかい陽光にくるまれた静寂の中で、黙々と聖像を修復されている方がいらっしゃいました。
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その方の背中を見守っていたのは・・・
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マリアさまと幼きイエスさま


たいていのカテドラル(司教座聖堂)は県庁所在地にあるものですが、リュソンはとても小さく静かな町です。
大西洋近くの静かな町リュソン。
それはそれは昔、あのリシュリュウ卿が治めた教区でもありました。
聖堂の左奥の隅っこに真っ赤なリシュリュウ卿が静かにいらっしゃいました。
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le 7 septembre 2014, Reine

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by ma_cocotte | 2014-09-07 04:15 | Promenons-nous! | Comments(0)
海を見て来た午後
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ヴァンデ県のレ・サブル・ドロンヌ Les Sables d'Oronne, Vendée まで。
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地中海側の暮らしから大西洋から内陸60kmほどの町で暮らすようになって丸8年。
噂には大西洋側の海水浴場はだだっ広いと聞いてはいたものの、こんなに広い海水浴場を目の当たりにしたのは、おいら、初めてでございました。(大西洋の海は遠浅だとも聞いている。地中海はいきなりドボンと深くなるので、知らないひとは要注意です。)

ええ、海辺での麦酒は疑いようもなく、すこぶる美味しかったですわよ。
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おつまみとして付いてきたオリーヴも久しぶりに美味しくいただけたオリーヴでした。


le 3 septembre 2014, Grégoire

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by ma_cocotte | 2014-09-03 20:41 | Promenons-nous! | Comments(4)