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もうひとつの、ナザレ
きょうの朝も夜明け前にぼんやりとこんにちの聖書朗読箇所に目を落としましたら、第三番目の朗読、福音朗読が以下のとおりでした。


福音朗読 マタイ2・13-15、19-23 子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい。

2・13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。




あれあれあれ、昨日、ココにエントリーした聖母像は「ナザレ」の教会にあるものです。けれども、新約聖書のナザレは地中海東岸はパレスチナにあるナザレであり、私が昨日お話ししたナザレは欧州はポルトガル、大西洋岸に面した小さな漁師町のナザレ Nazaré です。この漁師町のナザレは海岸に面したカルティエと、その傍の断崖絶壁の上のカルティエから成っています。
断崖絶壁から下方の海岸沿いのナザレを眺めた写真。2011年10月、私がファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに行く途中、ナザレに寄り、シャッターを切りました。
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実はポルトガルのナザレの名称はアラビア語のナザレのままですから、地中海東岸はパレスティナのナザレと同じ意味になります。ポルトガル語の中には現在もかなり多くのアラビア語が含まれ同化していることが理由らしいです。余談、ポルトガルのファティマもアラビア語そのもののままです。

上の福音箇所に聖家族(=父ヨゼフ、母マリア、子イエス)がエジプト亡命後、ガリラヤ地方のナザレで暮らし始めたとあります。私の記憶が確かならばヨゼフさまは大工を生業にし、生計を立てていました。地図でイスラエルのナザレを見ると、地中海とティベリア湖の丁度真ん中あたりで、当時の聖家族は「静かな田舎暮らし」をされていたのではないかと想像します。

で、ポルトガルのナザレ。イスラエルのナザレとは異なり、大西洋に面していますが、ココに暮らす民の成人男性のほとんどが漁師であり、彼らの妻は周辺で採れた果物を干したり、家の中で手工芸を行い、それらをナザレに来る巡礼客をターゲットに露店で売り、家計を助けています。ポルトガルの国全体が他の欧州国に比べ貧しいですが、そのポルトガルの中でもナザレは特に貧しい集落なのだそうです。「貧しい小さな町」というあたり、どこかジーザっさんが育ったナザレと似ているかもしれません。
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この写真 ↑ は断崖絶壁の上にある広場の露店です。干し果物屋さんで、左の女性が「ナザレのおんな」。
「ナザレのおんな」には21世紀から15年を過ぎた今でも継続している伝統があります。それは、夫が亡くなった後、ナザレのおんなは一生涯、頭の先から足のつま先まで黒装束で固めるという習慣です。一目でわかる「未亡人」。ですから、ナザレの町を歩いていると海岸沿いでも、断崖絶壁の上の集落でも黒装束の女性に割と出会います。
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↑ 土産物屋の店番をしているこの方もそう。
しちりんでイワシを焼いているこの方もそう ↓
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一見穏やかなナザレの海ですが、時折、突然の高波が襲い、漁師さんが生命を落とされることがかなりの率であるのだそうです。そういう生活文化史の中で未亡人の黒装束の習慣が生まれたのだとか。

さて、妻たちの露店の話でナザレには観光客ではなく巡礼客が押し寄せることを書きましたが、なぜ巡礼客なのかと申しますと、このナザレにはあのファティマよりかなり前に聖母が出現されたのですね。断崖絶壁の上にそれは立派な教会聖堂があり、その中に聖母出現を表す絵画が掲げられています。
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コレ ↑ がそう。ナザレの断崖絶壁と海が描かれていますね。右の白馬が立つあたりにはおんぼろの祠が今も残っています。中に祭壇があり、地下に聖母子像が安置されています。
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ナザレは日本語の「ひなびた」という言葉が妙にしっくりくるように思えました。
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いつかまたできれば訪問したいです。


le 30 décembre 2016, Sainte Famille

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by ma_cocotte | 2016-12-30 16:04 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(0)
剣で刺し貫かれた心
きょうの朝、いつもどおり、今日の福音朗読箇所を読み進めていたら、こんにちの福音朗読はルカ2章の22から35節です。この箇所、教゛会ではあまりにも知られた箇所で鍵語は「シメオン」。こんな話なんざんす。文中の数字は節数です。


福音朗読ルカ2・22-35 異邦人を照らす啓示の光

2・22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
31これは万民のために整えてくださった救いで、
32異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」





以上。これを読みつつ、最後の最後のシメオンがマリアさまに話されたこと。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」で、脳裏ににぼわああんとこれ ↓ が浮かびました。
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聖母マリアさまです。
ファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに向かう途中に寄ったナザレという漁師町の教会で出会った聖像です。
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剣を抱き、胸の中心からは血が流れ、天を仰ぐマリアさま。私たちの心の中の思いを知り、天を仰いで涙しているのでしょうか・・・。


le 29 décembre 2016, David

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by ma_cocotte | 2016-12-29 22:23 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(0)
ヤな想像をしてしまった。
きょうは朝10時半過ぎくらいに、先日19日夜に独逸は首都ベルリンで開催されていたクリスマス市にトラックを暴走させ突入し、12人の死者(重軽傷者を合わせると約60名)を出した容疑者が伊太利の大商業都市ミラノで発見、射殺されたという速報が私の耳に届きました。きょうはたまたまテレビのニュウス専門チャンネルをつけっぱなしだったこともあり。

驚きました。
ベルリンの事件の翌日から容疑者はパキスタン人ではなくチュニジア人で、2011年に北アフリカから難民船に乗り、まずはシチリアの諸島に上陸。その後、独逸まで歩を進めたとか、今もチュニジアで生活する容疑者の兄弟二人の証言など繰り返し紹介されながら、容疑者の行方を追っていました。なんとなーくに過ぎませんが、私は灯台下暗しで、容疑者(アニス・アムリ)は独逸の、それもベルリン市内のどこかに潜伏しているのではないかしら?と想像していましたが、なんとイタリアはミラノにまで移動していたとゎ。

これ ↓ は仏語版の国際手配書ですな。この写真も事件翌日くらいから関連報道で必ず掲載されていました。
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容疑者がチュニジア人とわかってから不思議に思っていたことはチュニジアの第二外国語はフランス語なので欧州に移住するにしても仏蘭西に入国するチュニジア人が多い(チュニジアはフランスの旧植民地だから仏国籍取得でも特別優遇があるので長期滞在が難しくない)のに、なぜ容疑者は独逸に入国したのかな?ということ。もしかしてチュニジア出国前後から既に欧州でテロる使命をもらっていたので独逸に入国したのかなあ? それとも、1992年生まれなのでもう仏蘭西語を話せない世代であり、祖父母にひとりも仏国籍を持つ者がいないので、「欧州入国ならどこの国でも同じ」だったのか。

そういう事件前のことを置いて、今度は事件後に「なぜイタリア?」とこれまた首をかしげることになりましたが、きょうは12月23日、クリスマスの二日前ということで、ゾ。背中にヤなとろみの汗が浮き流れました。まさか、容疑者はミラノから更に南下して、25日正午にヴァチカンの聖ピエトロ広場で行われるロオマ教皇による「ウルビ・エ・オルビ」に何かをやらかす計画だったのではないか、と地獄に落ちそうなほどの悪い想像をついうっかり自然に頭に思い浮かべてしまいました。だって、年に一度、12月25日正午に行われる恒例の「ウルビ・エ・オルビ」の行事を見物したいがために世界中からの巡礼観光客が広場に集うのです。もしそこでテロられたらどうなりますか。

ですが、この私の悪い妄想は外れました。
どうやら容疑者はチュニジアから難民船に乗って最初に上陸したのがイタリア領土の島だったことで、同志がイタリア国内に多々滞在している。なので、彼らを頼って容疑者はイタリアに入国したらしいです。・・・・でもさ、その同志って「同じココロザシ」なのかしらね?・・・だったら、やっぱりあさってのヴァチカンで大変なことになりかねなかったのでは・・・と思うのですが、今は午後12時半を回ったので、お昼のニュウス番組で新たな情報を知りたく。


le 23 décembre 2016, Abashade

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by ma_cocotte | 2016-12-23 20:36 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
ヤな悪寒、ヤな予感
おとといの午後遅く、フェイスブックで偶然、シリアはダマスの警察署に女児が「両親を探している」と飛び込み、その直後に自爆したというニュウスを目にしました。その記事に添えられた写真のうち一枚がかろうじてわかる女児の頭部とミンチになった身体の写真でした。乳幼児のお腹にダイナマイトを巻き付け敵を脅す、更にはその場で爆発するという方法はヒトが決めた国境を取っ払ったイスラーム原理教条過激派が生きる世界での伝統だということをよく知っていますが、もういい加減、この慣習を捨てることはできないものかと改めて思いました。(もちろん彼らが生きる世界において乳幼児の殉教はそのまま天使にヘンゲ(変化)するという教えがあるので、乳幼児がオトナが信じる聖戦のために生命を落とす慣習はヨソ者がつべこべ動いたところでなんら廃れないとわかってはいます)。

この報道を見てから1、2時間後だったか、今度はトルコは首都アンカラで在トルコのロシア大使が射殺されたことを知りました。知ると同時に、私のツルツル脳には横浜生麦事件や大津事件が滑走し始めました。(上手な言い方が見つかりませんが)民間人なら兎も角、外交官に対しての殺害(未遂も含めて)があると、世の中の流れが大きく変わります。この事件については翌朝になり、ロシア大使を警備していた男性が突然、大使に発砲したと。その際、「アッラーアクバル」、「アレッポ(云々)」を大声で叫んだとか。トルコ人はアラビア語でなくトルコ語を使うので、イスラム教徒が多い国と言えども、実はアラビア語に堪能なトルコ人はそれほどいません。シリアは隣国ですがアラビア語を用いる国。でも、両国民の間には高い垣根だか深い溝があるのです。フランスに住むトルコ人がしばしばアラビア語を話すミュジュルマンと一緒にしてくれるな、と言うのは意志の疎通が必ずしもスムースでないのだよ、という表れでもあります。まあ、それは横に置いても、冒頭に書いたとおり、ココ十日間に次々と届くシリアはアレップ(アレッポ)での惨状はひどすぎます。嘘か本当かわからないけれど、例えば一集落に100人が住んでいたとして、そこに1、2名の「イスラム国戦闘員(支持者)」がいたら、アサド政府軍またはロシア軍は集落全員を殺めているそうです。だから、私たちの目に届く映像でも、生き残りたいシリア人は他人の目に届くところにシリア国旗を背景にしたアサド大統領の肖像写真を掲げて、公衆を難なく横切るわけです。私はココんちの近所にアサド親子の洗脳教育で育ったシリア人母とパレスチナ移民父を持つ娘をどうしても思い出してしまうのですが、あのおばさん、今、どうしているのだろう?あいかわらずユダヤんや異教徒差区別を周囲のひとに強く同意を求めているんかいな? アレップの惨状を見ながら、アサドへの忠誠と礼賛で嬉々としているのかな? 彼女は私が嫌悪するタイプの存在のひとりですわい。二度と関わりたくない。兎に角、アレップの、特に東部で身動きできなくなっている庶民の無事を願えば願うほど、ロシア軍、アサド支持者について疑問を持つのは当然で、果たしてトルコでロシア大使を殺めた人物が心の内でどこまで追い詰められてああいう行いに至ったのかが知りたいところです。

さて、昨日の朝。
午前五時過ぎに起床後、テレビに火を入れ、いつものニュウス専門チャンネルに合わせたら、トルコでのロシア大使射殺だけでなく、前日の夜、隣国は独逸の首都ベルリンで、大きな教会前広場に立つクリスマス市にポーランドナンバーの大型トラックが突入し、少なくとも12名の死者が出たという報道が繰り返されていました。この手の報道は実感をつかむまで私はどうしても数分を要してしまいますが、悲しい現実であると悟りました。その報道で、この事件が限りなくテロであろう、と推測されていましたが、聞いているこちらとしては「ポーランド人がキリスト教のお祭りのための市を妨害する?」とどうにも脳内で混乱が始まったのでした。なぜなら、ポーランドという国はきょうび欧州で一番の「カトリック大国」で、それまでの「カトリックと言えば、アイルランド」を抜きん出ているのです。そして、移民についても元はコメコン(ソヴィエト連合)のポーランドは西欧に比べていくぶん勢いに欠けるので深刻化していない。肌が白くて目の色が明るいポーランド人がイスラム原理教条過激派に化けるというのはどうにも想像するのが難しい。西欧諸国のようにカトリックだろうがプロテスタントだろうが幼少期に洗礼を受けた成人の方がマイノリティになっているならば、15、6歳を過ぎた青少年がイスラム原理教条に心酔し、テロリストに化けるのもわからなくもありません。でも、ポーランドという国の国民が西欧人のような心境になるのはまだ数年先のように思えます。

そんなことを頭の中で考えていたら、昨日の午前6時過ぎだったでしょうか。報道で、このポーランドナンバーのトラックからポーランド人男性の遺体が見つかったと明らかになりました。つまり、実行犯はトラックを強奪、その場で運転手を殺害し、自らが運転してクリスマス市に飛び込んだ、と。凄いところに目をつけたな、おテロリスト集団め、と思いました。なぜなら、西欧で(特に大型車両の運行規制が多々ある仏蘭西共和国内で)、高速道路や市街を結ぶ道路の脇に点々と長距離トラック向けの休憩所があります。だから、テロリストはそこで待ち伏せしていれば、いとも簡単にトラックの乗っ取りは可能になります。何もどこぞの運送会社に登録し、運転手になる必要も手間も要りません。これ、盲点。たいしたもんだと正直、思いました。

昨日の共和国のマスコミの中心は当然ながらベルリンでのテロ事件、トルコでの外交官射殺事件ばかりが中心になりましたが(きょうの朝はベルリンばっか)、ココんちは数時間インターネットが不通になったにも関わらず、私がたまたまフェイスブックでキリスト教系のシリア情報発信ページを見ていることで、アレッポでの最新被害についても知ることができました。その写真にも頭蓋骨が半分吹っ飛んでしまった乳幼児の姿がありました。血の色がない写真は一枚もありませんでした。今のアレッポは廃墟同然です。ちょっと前までそれはエレガントな商業都市だったのに。・・・もう半世紀近く前のレバノンはベイルートの風景がオーヴァーラップしました。この世で形あるものは必ず滅びるのですから、壮麗な遺跡が失われたことについて延々と悔やむのはヒトとして間違っているとはわかっていても、なぜわざわざヒトが野心のために破壊せねばならないのか、ヒトの魂を奪わねばならないのか、理解できません。

兎に角、連日、見聞する報道は知れば知るほど「戦争に刻々と近づいている」という印象を拭えないままです。19世紀ではなく今は21世紀ですから、そう簡単にイクサは始まらないとわかっていても、「待てよ、これ、やっぱりイクサになるンぢゃないかな?」「日本国はどちらに付くのかな?」と思ってしまいます。国際において毎度、音痴な日本国ですから、今回はロシア、シリアにくっ付いて、米国と西欧の連合を敵に回すのかしらねぇ。あーあ。いずれにせよ、エイメリカvsロシアになったら、地球そのものが亡くなるだろうし・・・きょうから新約聖書の黙示録を読むことにしよう。


le 21 décembre 2016, Pierre Canisius

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by ma_cocotte | 2016-12-21 16:06 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
タイムリィな隠れ蓑
ココ数日くらい、戦争をまったく知らない私が「もしかすると戦争前夜とはこういうことなのかもしれない」と妄想したことはありませんでした。私にとって生まれて初めての衝撃と実感かもしれません。

それは、今のシリア情勢が発端です。

きょうから四日前、確か火曜日だったと記憶しています。
ロオマ教皇がシリアのアサド大統領に枢機卿(俗世間で言うところの最高幹部職)を仲介し親書を送り、そこにはアサド大統領に人道を第一に尊重できないかと強い希望が書かれていたという報道を私は目にしました。個人的にはこれが発端です。それから数時間経たないうちに、今度はシリアはアレップ(日本語だとアレッポ)で虐殺があったらしい、という速報を知りました。はっきりと Genocide の文字を見たので、これは見過ごせない重大な知らせだと察しました。そのうちに虐殺はアサド政権とロシアによる反アサド派の市民を標的に(その周辺のひとびとも含めて、つまり、結局は無差区別)に実行されたというニュウスが流れ始めました。これが本当ならば明らかにあってはならないことです。そもそもイスラム国殲滅を第一義にアサド大統領とロシアのプゥチン大統領が組した時点で気持悪さはほぼマックスでした。アサド大統領親子の偏ったイスラムにおける選民思想と国民洗脳を知らない欧州人はいませんからね。そのアサドの野望にを助けるプゥチン大統領の野望は間違いなくアサドの野望を包括するものです。私個人はプゥチンは21世紀型の帝政ロシア復活のために「南下政策」が必須で、できればシリアまで南下したいのだろうと想像しています。ついでにイライラも政情安定を旗に手に入れたいのではないですかねぇ。イスラム国に戦勝すりゃ、それは夢ではないかもしれません。どこぞの米国みたいに治安のためにロシア軍無期限駐在の形を取りつつ、どんどんロシア社会を「ソヴィエト式」に実行すればいいだけなんですから。ソヴィエト式ってなーに?ですけれど、土地の人間を入れ替えるのです。スラブ系を次から次にシリア、イライラに引っ越させればいいンですよ。

その話は横において、そのプゥチン大統領の来日が15日。北方領土問題、共同経済活動についての話し合いが主軸で、シリア情勢について安倍首相は人道状況のさらなる悪化を強く懸念しているとロシアの建設的対応を強く求めたのだそうです。私はてっきり安倍首相がロシア支持をプゥチン大統領に明言し、北方領土返還につなげようとしているのではないかと心配しましたが、シリアの市民(虐)殺について意見することに間に合ってよかったです。

兎に角、欧州ではシリアのアレップの、特に東部の住人が八方塞がりで脱出できない状態になっていること、その住人が次の虐殺のターゲットではないかと噂されていることが繰り返し報道されているのに対し、プゥチン大統領ご本人が滞在する日本国ではシリアのことより北方領土返還ばかりが話題になっていることがとても引っかかりました。だったら、アレップで動けなくなっているひとびとを殺さずに救出し、取りあえず、申し訳ないけれど、北方領土に避難してもらったらどうなのだろう?という思いが私のツルツル脳に走りました。で、彼らのために日露両国で生活や教育、就労援助を行う。・・・・ノーベル平和賞、ゲットできるかもしれないわw

これまた、そんな妄想は横に置いて、今回の日本国内での日露首脳会談は前々から決まっていた日程でしょうけれど、ロオマ教皇からアサド大統領への手紙に始まり、シリアはアレッポでの虐殺疑惑報道からまもなく、プゥチン大統領がモスクワから時差足すことの6時間の日本に移動できたことは、プゥチン大統領個人には好都合だったのではないかと思えてきました。なぜなら、この5日間の欧州のエラいひとびとの動きを知ると、もしプゥチン大統領がモスクワにいたら、例えば独逸のメルケル女帝などモスクワ日帰り訪問しかねなかったと想像します。独逸と露西亜の時差は二時間ですが、更に六時間足した先に日本があり、流石に時差8時間、飛行時間ほぼ半日の日本までプゥチンを追っかけはできません。とは言え、プゥチン大統領が日本滞在中に遅刻を繰り返したのも、欧州でのシリア問題加熱の様を見れば、遅刻の理由はシリアにありとわかります。もし本当にアサド大統領が反アサド派を中心とした自国民を虐殺し、その行いをロシアが加担していたとなればアサド大統領は明らかに罪びと、彼を幇助したロシアも罪になります。だから、日本滞在中のプゥチンさんにはそれなりの諜報機関もろもろからひっきりなしの情報が届き、プゥチンさんは自己救済のためにもすばやく駒を動かさねばならない「今」なンでしょうね

今週の水曜日だったか、今はクリスマス目前の華やかな夜を楽しむ時季ですのに、花の都パリではシリアはアレップでの惨状に抗議し、エッフェル塔の夜のイルミネーションを完全消灯しました。たいしたもんだと思います。日本国もシリアは遠い国かもしれませんが、善良な市民の生命を守るためにもっと強い意志表示をしてくれたら、と願います。

そうそう、おとといだったか、パリ市長イダルゴちゃんにロオマ教皇から親書が届き、全文40数ページだったと言う話を漏れ聞きました。中身はなんだろう? そりゃ、シリアの難民救出のための援助依頼ぢゃない?とかなんとかボソボソボソ。これ、このまま、消えちゃう話題なのかなあ? 

それにしても、アサド大統領はロオマ教皇から「人道を第一に尊重せよ」と手紙を読むと同時に「どこでばれた?いや、すでにロオマ教皇は知っている」と内心、気がおかしくなりそうだったのではないかなあと想像しています。アサドとプゥチンがシリア国内でやってること、ヴァチカンに筒抜けのバレバレだったんだよね。

ミュヂュルマンのアサド大統領には関係ないとわかっていますが、歴史を振り返ればいずれのオオイクサにもクリスマス休戦という事実があります。シリア国内にもキリスト教徒の国民がいるのですから、これからクリスマスまでの7日間、どうか彼らを殺さないでください。武器も持たず、動かさず、目の前のイスラム国浪人兵士たちを英知をもって戦ってください。


le 17 décembre 2016, Judicaël

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by ma_cocotte | 2016-12-17 21:51 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
親にもらった権利をありがたく政治利用するw
まったくもって変な話である。
フランスの中道よりヒダリの政治家の多くが自称カトリックまたは自称キリスト教徒と名乗っているけれど、それはその政治家自身の意志や意思ではなく、本人が生まれた当時の世間の生活慣習や親をはじめとする家族の意向でまだ自覚ないであろう赤ん坊の自分がキリスト教の聖堂に連れて行かれて水をぶっかけられて祭壇に乗せてお祓いと祈祷してもらった・・・それから10数年後、自らの意思で社会党や共産党の思想に心酔し、カトリックやキリスト教の生活慣習から離れ、その世界におけるタブーを破っての「今がある」というのが彼ら、フランスの中道よりヒダリの方々の実体です。票を稼ぐために自称カトリックを用いる政治家は多々います。自分は生まれたての赤ん坊だったので親が勝手に決めた洗礼の事実を利用しているわけ。そういう彼ら、決してフランス語で言うところのカトリック・プラティカント、クレティアン・プラティカントではありません。つまり、日曜日に主日礼拝に通ってません。これってキリスト教に限らず、ユダヤ教や稀にイスラームの信者である有名人だって同じですよね。必ずしもユダヤ教やイスラームの生活スタイルを守っているのではなく、成人して独立するまでの青少年期は親の元で割礼に始まり信仰に基づいた厳格な生活を守っていても、たいていは高校入学後の政治運動、大学入学後の一人暮らしをきっかけに「実家のシューキョー」から離れたひとがおフランスの中道より左派の各政党に集っているわけです。中道よりヒダリでカトリックプラティカントだったのはミッテラン大統領くらいぢゃなかろうかね?(そのせいでミッテランさんの本妻は彼と一緒ではなく、宗教色のない葬儀と実家の墓への埋葬を遺言したわけで)

カトリックの慣習について重箱の隅を突っつけば、幼児洗礼は親(少なくとも片親)がカトリック信者でないと受けられないし、その親は教会で婚姻の秘跡にあずかる前の勉強で生まれてくる子供の養育義務についてしっかり教え込まれるわけで、そこには子供の幼児洗礼、初聖体、堅信までは親の責任であるという務めがあります。堅信という秘跡は教会世界においての成人を意味するので、そこから先の堅信を済ませたひとは自分で「生きる道を探求」せねばならず、それに親が強い口出しをするのは「よろしくない」ンですな。(堅信はユダヤ教だとバルミツバの習慣と捉え方に近しいと思います)

というわけで、おフランス中道よりヒダリで、国際的に有名であろう政治家さんたち、例えばオランド現大統領、彼の元パートナーのセゴレエヌ・ロワイヤル女史、次期大統領選に出馬表明したマニュエル・ヴァルス、エンマニュエル・マクロンの成育歴に上にあげたカトリックの決まりごとが当てはまることになります。しかも、オランドさん、セゴ姐、ヴァルス、マクロンなどそれぞれの実家は「熱心(すぎるほどの)カトリック家庭」w 自らの社会党支持運動のせいで実家と絶縁されてしまった左派政治家もいます。ああ、仏社会党を辞め、限りなく共産党に近い思想を掲げているヂャン・リュック・メランション Jean-Luc Mélenchon もそうね。彼もすでに次期大統領選に立候補済み http://www.jlm2017.fr/
ダニエル・シュトラスカーンとブノワ・アモンはユダヤんなのでユダヤ教の慣習(生まれてすぐの割礼からバルミツバ)があてはまりますね。ああ、中道ミギの立ち居地ですがヂャン・フランソワ・コッペ(パン)もユダヤん。忘れちゃいけない、サルコぢは割礼と幼児洗礼を受け、両親の離婚後はユダヤんのママンに育てられたキフキフ(=アラビア語で五分五分)ですが、大統領になってケネディを真似するあまりカトリックっぽさをアピールしながら、重婚ing♪

ですが、彼ら、中道よりヒダリの自称カトリックの政治家さんですが、堅信以降(つまり、高校生になって以降)の教会からの離れっぷりはそれは華々しいものでして、もしフランス語が読めるのでしたら、興味ある政治家の名前を検索すればどんだけカトリックの教義から外れた生き様をそれぞれが証しているかよぉおおくわかります。離婚もしているし、重婚もしているし、未婚のまんま同棲と出産もしている(以上、カトリック教会では「それは、罪ですね」のうちの数例にあたります)。

昨日、首相に任命されたベルナアル・カズヌゥヴの場合はカトリックを本人が名乗ったとしても幼児洗礼だけの可能性が高い。少なくとも片親がマルクス主義者で、アルジェリアで1963年生まれのカズさんですからねぇ。そのマルクス主義者の親は当時のアルジェリアでどのような働きをしていたのでしょうね。それの方が興味ありありw もしカズさんがカトリックだとして、アルジェリアのどこかの教会での籍を調べたら初聖体、堅信は未記入だと想像しますが。ちなみに、カズさんは1995年に最初の結婚をし、二人のお子さんのパパですが、2015年に再婚したことで、初婚の相手と離縁です(これもカトリック教会生活ではアウト)。

大雑把に話せば、カトリックという宗教においては幼児洗礼の子が堅信にあずかって以降、死ぬまでの放蕩についてほおっておきっぱなしが基本です。もしご本人が教会に戻って来たい気持ちがあるならば、自分の罪に向き合い、認め、償うという務めが発生し、償いまでが済んだことを聖職者が認めたら、当人はその後、何もなかったように教会生活をすることになります。共産党に傾倒しようが、地上天国万歳と賛美しようが、地下に潜って頭蓋骨を拝んでいる石工さんだろうが、息を引き取る瞬間まで改心を告白し、赦してもらえる機会が与えられているのもカトリックざんす。だから、オランド王やセゴ姐、ヴァルスにカズさんやミギのヂュペも含めて、ご自分が息を引き取る瞬間に人生における罪を赦してもらえなくもない。ご本人が求めれば、が条件です。

こういう細かい事情があるのですから、次期共和国大統領選挙の候補者について「カトリック信者」のレッテルで平らに等しく並べたら、カトリック・プラティカントの、例えばフィヨンさんは内心ムっとなるかもしれません。カトリックと名乗りながら本当は石工なのに平気で聖体拝領している姿くらい、カトリック・プラティカント、すなわち普通のカトちゃんにとって気持ち悪いことはありません。「受洗しているのだから聖体拝領は権利」なんて反論、浅はか過ぎて恐ろしい・・・。ですが、一方で、教会聖堂内の冠婚葬祭の現場での聖体拝領で離婚経験者、重婚者などなどが「聖体拝領できちゃう」ことについてはまったくもって別次元にしっかりした「できてしまう理由」があります。コレについてはココで書きません。

そんなことより、ココで書き忘れてはならないことは、お政治家の自称カトリック宣言と周囲のレッテル貼り。中道よりヒダリではなくミギつきあたり、フランスの極右政党FNの支援団体にカトリック教条伝統主義の団体がくっついていますけれども、その極右政党党首の女性は離婚しているし、再婚もしています(これ、カト的には「重婚」)。なぜヴァチカン本丸との間に距離と溝があるカトリック教条伝統主義の団体が彼女のその点について向き合わないのか、普通のカトちゃんズには不思議すぎて失笑事項だったりします。ヴァチカンは優しくても甘くありません。

でも、政治の世界がこの世の中心ならば、次期共和国大統領選挙の候補者は中道のミギつきあたりからヒダリつきあたりまでほとんどがカトリックかユダヤんですよ。だって、彼らは生まれてすぐ、
洗礼受けてる、割礼受けてますからw
ただ、常日頃、感じ取り、思っている点ですが、中道よりヒダリの政治家さんたちの貧困や労働問題の救済案について同情を覚えられるのは、今はヒダリの彼らも幼少期はキリスト教をベースにした道徳、教育で育っているであろうこと、です。まあ、フランス共和国の近代史において、それまでの過去において教会が行っていた慈善行を完全政教分離した政府が奪い、真似て、病院、初等教育をはじめとする公共施設を次々とこさえていますからね。ああ、フランスの市民婚の儀式なんて、まるでカトリックの婚姻を茶化した「偶像崇拝ショー」ですよ。


le 7 décembre 2016, Ambroise de Milan



余談。
オランド大統領とセゴ姐の間のお子達は幼児洗礼は受けていないけれど、ヴェルサイユにあるイエズス会のガッコで育てられているのよね・・・。ボソボソ
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by ma_cocotte | 2016-12-07 17:41 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
ヴぃくりぽーん!だけれど、嫌いぢゃないので、ま、いいや。
昨晩6時半ちょっきりから、予想どおり、マニュエル・ヴァルス元首相が次期大統領選挙に出馬を表明。それゆえ、ヴァルスくんは首相の座を離れねばならず、昨日の午後からオランド大統領がいったい誰を新しい首相に任命するのか「これから始まる大レース」予想状態になりました。興味深かったのは新しい首相に女性政治家が指名されるのではないかという話で、その中にはオランド王の元パートナーであるセゴ姐の名前もありました。

が、さっき。午前9時頃だったかな。オランド王がこういうつぶやきをご自身のおフェイスブックに投稿なさいました。
François Hollande
J'ai nommé Bernard Cazeneuve Premier Ministre et je l'ai chargé de former le nouveau gouvernement.
ひょえぇえええ、おどろき、もものき、さんしょのき♪ ざます。まさか、ベルナアル・カズヌゥヴ Bernard Cazeneuve 現内務大臣が首相に任命されることになろうとゎわわわわ。というのも、近年の残忍なテロ事件を筆頭にベルナアル・カズヌゥヴさんのテレビ画面登場率はすこぶる高く、しかも、お仕事が結構スマアトなもんだから悪い印象を持つことが難しく、昨日までの下馬評でも内務大臣としての務めがあまりにハアドだからカズヌゥヴ氏は優秀なれど内務大臣職に留まるであろう、とされていたから。あたしもそう思いました。ですが、一夜明けて、首相任命。来年の初夏に新しい大統領さんが着座するまでの任期ではありますが、首相としてのカズさんのすばらしい働きを拝見できたら、と願っています。

兎にも角にも、私はカズさんを嫌いではありません。
かっけーと思ってます。もしカズさんが石工ぢゃなかったら、べたボレだったのだけれどなあw


le 6 décembre 2016, Nicolas de Myrea


【追記】
午前10時30分頃、新しい内務大臣にブルノ・ルルゥ Bruno Le Roux 氏が任命されたと発表がありました。ですから、カズさんはきょうから首相一筋でござんす。
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by ma_cocotte | 2016-12-06 17:45 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
それは、それは、昔の話をほぢくり返して、この世に平和と一致をお与えくださるかしら。
あああ、世知辛いことに振り回されて、忘れるところでした。
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今年10月9日に、ポワティエの大聖堂まで「いつくしみの門扉」をくぐりに行った時、大聖堂内部で中世時代の作品と思われる天井画の修復を見学する機会に恵まれたのでした。

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私はどういう理由だかサダメ(運命)だか、せっかく訪問した名所が必ず何らかの修復中なのです。ロオマのサンルイも、ファティマも、サンチアゴデコンポステッラもそうだった。先ず残念に思うけれど、少し考えて「これは『また、いらっしゃい』というお告げなのだと思うようにして自らを宥める繰り返し。ポワティエもこうして足場だらけでの見学になりましたが、計画では来年春には修復が終わるとのこと。

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↑ これはもしかして聖母の戴冠が描かれているのではないかなあと思います。

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↑ これは下方がはっきりしないのでアレですが、たぶん「天国と父なる神」?

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↑ こりは、我らがジーざっさんざましょ。

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↑ これは大天使のお三方、ガブちゃん、ミカちゃん、ラファちゃん。←それぞれの名前に「エル、=ヘブライ語で「神」のこと」をくっつけてください。



さてさて、ポワティエの大聖堂の天井画は現段階で十分に美しいですが、どういう色が乗せられていくのでしょうねぇ。
修復ですから鮮やかにはならないのだろうと想像しつつも、そーいや、スペインで数年前、ジーざっさんの肖像画を修復したらまったく生まれ変わったジーざっさんの絵になったというスキャンダルがありましたよね・・・まさか、この天井画はあれほどの激変はないと思いますが・・・わからん。

さて、修復されているのは4枚の天井画だけでなくそれを支える柱と壁に描かれている諸聖人も。
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薄くて存在が消えかかっているので確かではありませんが、右は剣のようなものを手にしているので聖パウロ、左はポワティエの守護聖人である聖ヒラリオ教会博士です。

聖ヒラリオ教会博士がなぜポワティエの守護聖人なのかと申しますと、第二代のポワティエ司教だったから。いつの時代にポワティエ司教区のエラいひとだったかと言うと、西暦349年から367年まで。そして、このヒラリオさんはエエところのボンボンで司教になるまで出世街道の真ん中をまっしぐらだったと説明したいところですが、その逆で、ヒラリオさんの司教になるまでは「苦節」で曲がり道クネクネでした。
ヒラリオさん、いちおう315年にポワティエ周辺の貴族の家に生まれています。でも、実家は異教徒だったので、本人の洗礼は345年頃。はい、成人洗礼だったんですねぃ。既に家庭の長、父親だったという説もしっかりあります。そのヒラリオさんが聖職者として実績を重ねているところで、アリウス派という考えがキリスト教において強い力を持ち始め、ヒラリオさんはその思想に納得しませんでした。それゆえ、アリウス派に心酔する当時のロオマ皇帝コンスタンティウス2世がヒラリオさんを東方(現在のトルコ)に左遷、すっ飛ばしてしまったのです。それが355年頃で、ヒラリオさんが再び生まれ故郷に戻ってくるのは361年になります。その5、6年の間、ヒラリオさんが東方で何を体得したかと申しますと、「唄う典礼」です。ヒラリオさんは西方(つまり、ロオマより西)の母国に戻って、礼拝で唄いながら神を賛美することをひとびとに教えました。ですから、今ではもしあの時、ヒラリオさんが東方に左遷されなかったら、西方教会では今も「唄わない典礼」をささげていたかもしれない、と言われています。もうひとつはきょうび、ヒラリオさんよりはるかに有名な「トゥールの聖マルチノ」とヒラリオさんの関係ですな。このマルティノさんはハンガリー生まれで、フランスはトゥールの司教になったことで世界の津々浦々まで知られていますが、ハンガリーからフランスに入国してマルチノさんは最初、ポワティエに寄ったのです。そこの当時の司教がヒラリオさん。ヒラリオさんはポワティエからそんなに離れていないリギュヂェ Ligugé 村の土地をマルチノさんに与え、東方で見聞した「(観想)修道生活」をやってみないか?と提案します。マルチノもその気になって、修道生活をリギュヂェで始めました。ここがおフランスで最初のキリスト教修道院の基礎ができたところなんて話もあります(現在はベネディクト会に受け継がれています)。マルチノはこの修道院で西方におけるキリスト教の修道生活なるものをほぼ熟させた後、トゥールに異動して、司教の座に座ったのでござるな。

以上、あんまり知られていない諸聖人伝。
ヒラリオさんは西方教会(=現代においてはカトリック)だけでなく東方教会(=正教会とも呼ばれる)でも聖人で、東方の世界では「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス」という名称で親しまれているそうです。そういう過去があるせいだかおかげなのか、近年、誰もが知る地中海東岸諸国での東方典礼で生きるひとびとが多くフランス共和国にも難民として移住しており、ココんちあたりでもカトリック教会が東方典礼の移民信者さんのために聖堂を貸したりしていますが、ポワティエでは、流石、大司教区、太っ腹だね。旧市街の聖堂まるごとひとつポンと東方典礼にプレゼントしちゃったのでした。証拠はこれ ← クリック、ぷれぇご。西方教会の建物を丸ごともらったところで、東方教会がそのまま聖堂を使えませんから、リフォームにかなり時間がかかっているようです。でも、聖堂が西方から東方に譲られど、名称は「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス教会」なんざんすね。・・・と、感涙(私だけかw

待降節にいい話ぢゃないか・・・。
おあとよろしいようで。



le 6 décembre 2016, Nicolas de Myrea

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by ma_cocotte | 2016-12-06 17:12 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
マニュエル・ヴァルス 54歳、フランス人になって34年
今さっき、速報で、たぶん、間違いなく、今晩18時半にマニュエル・ヴァルス Manuel Valls 首相が次期大統領に立候補するという情報が届きました。

ふぅううん、そうだとすると、今晩18時半より前にヴァルスさんは首相職を辞するのかな? だとすると、新しい首相は誰だろう?共和国内に住むひとびとにとって大統領職より国内の政治の中心人物である首相の存在が気になるもんです。いずれにせよ、ヴァルスくん同様、フランス社会党の党員の誰かが首相に選ばれることでしょうけれど。

ま、それは国際においてはどうでもいいことですし、国際においてはどうしたってフランス共和国大統領が「気になる存在」です。既に中道より右側で極端なミギを省いた世界においておフランソワ・フィヨン François Fillon が筆頭の次期大統領候補に決定しましたが、中道より左側はヒダリ突き当りまで含めて未だ筆頭候補が決まっておらず、其処此処彼処から立候補宣言者が次々ボコボコ出ており、それが良い芽なのか、雑草の芽なのかも、まだ見定められない感じです。

で、もし、今晩、マニュエル・ヴァルスくんが立候補宣言すると、これまでの芽とは明らかに異なる「金麦の発芽」に値するらしいです。そりゃ、現役首相で、フランソワ・オランド大統領の最重要の片腕がマニュエル・ヴァルスくん(だと思うけど、裏はわからんw)。もしヴァルスくんがしばらく前から次期大統領に立候補するための準備をしていたとするならば(仮定にする必要がないけどさ)、先日のオランド王が次期大統領選挙に不出馬を表明したのもヴァルスくんの立候補の意向を知り、フランス社会党の勝利を導くことを前提に熟考した場合、不出馬を宣言するしかなかったのだろうという筋も見えてくることになります。ただでさえ、フランス社会党内の分裂が甚だしいとウワサが広まっているのに、もしオランド王とヴァルスくんの両方が立候補したら、現時点で仏社会党の負けがはっきり予言できちゃうからです。

そのマニュエル・ヴァルスくんですが、1962年8月13日、スペインはバルセロナで誕生しました。現在、54歳。なぜバルセロナでお誕生なのかと言うと、ご両親が外交官でも留学生でもなく、ヴァルスくんの場合はお父さんがスペイン人だから、スペインのバルセロナで産まれたのです。が、ヴァルスくんを産んだお母さんはスペイン人ではなくイタリア人です。はい、ヴァルスくんはスペインとイタリアのハーフです。1962年の8月24日には幼児洗礼。昔の典礼だから聖堂の入口から祭壇経由で洗礼盤、また祭壇に戻ってとたらいまわしだけど荘厳なお式だったでしょうねぇ。
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この写真 ↑ の右がミサごたえなさるマニュエル・ヴァルスくん。左は妹のジオヴァンナ Giovanna さん。どういう経緯かわかりませんが、ヴァルスくんは高校卒業前後にフランス軍に志願、軍経由でフランスの大学に進学し、20歳の時、フランス国籍を取得しました。

はい、その時までマニュエル・ヴァルスくんは共和国にとって「ガイジン」だったンです。

そのヴァルスくんが次期大統領に立候補するンですよ、奥さん。
これ、エイメリカ合衆国では「できません」
ほれ、アアノルド・シュワルツネガーが一定の人気があったので合衆国大統領に立候補か?とウワサになったところで、先祖遡っての移民歴が原因で立候補できないという話題がありましたよね。ですが、おフランスではそういうハードルが「ない」。存在しないようです。両親共にガイジンで、自身もフランスびとになって34年の移民一世、元ガイジンでも、こうして立候補し、現状だと間違いなく中道左派筆頭の候補者のヴァルスくんが来年の初夏にエリゼ宮殿の最長上、王座に就くこと、かなりの確率で「ありえーる」のです。

すごいですよね、フランス共和国。心が広いのか、懐が大きいのか。
共和国に集うすべての「国民を信じている」がベースですよね。でなけりゃ、数多の共和国民が移民一世の個人を国父にできます?

日本国という国では今でも在日外国人の差別、区別を楽しむ日本国籍者がゴマンといることを思うと、日本国内のそういう快楽をどう解釈すればよろしいのか。解釈に至る前に「恥」の感が発生します。

さあてさて、今晩、ヴァルスくんは出馬宣言するのかなあ。するのよね、きっと、まちがいなく。
私は先週までフィヨンに萌えたけれど、冷静になったら「貧乏人の敵」なので、たとえカトリックを棄てて現在は石工さんであっても、貧乏人のためにイ動いているヴァルスくんに私は同情していく予感がしまーす。あたしゃ、投票権を持たないので無責任どぇすけれど、貧乏なひとが苦しむ悩む姿を私は見たくないの。それだけは世界のどこであろうとはっきりしている私個人のこり固まった考えです、まる


le 5 décembre 2016, Gérald

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by ma_cocotte | 2016-12-05 17:10 | よっ、大統領!2017 | Comments(0)
国王様、お疲れ様でございました。
昨日の夜8時頃から主だった放送局からいつもの番組ではなく予定外の大統領からのメッセージが放映されました。(フランスではよくあること) 最初、なぜこういう放送になったのかよくわからないままでしたが、画面には共和国国旗とEU国旗を背にしたフランソワ・オランド大統領が映りっ放しだったことで、ようやく私のツルツル脳が「もしかして次期大統領選挙の立候補宣言?」と思いつきました。が、しかし、オランド王の5分足らずの演説の最後の〆は、次期大統領選挙には出馬しない というものでした。«J'ai décidé de ne pas être candidat au renouvellement de mon mandat.»

耳に入った瞬間はこんな私でもヴぃっくりしましたが、数秒後にはオランド王の決断に敬意の感情しか持てず、「これまでおつかれさまでした」とつぶやくに至りました。オランド王は大統領ですから政治そのものだけでなく経済、労働、教育、社会福祉もろもろを突っついたら善玉菌、悪玉菌が飛び出してキリがなくなりますが、私のようなただのおば(あ)さんからオランド王による大統領の御世4年数か月を振り返ると、あまりにも陰惨なテロ事件が続き、そのたびにオランド王は私情抜きに対応してきており、どれだけオランド王の心身に堪えたかと考え始めると、やっぱり「おつかれさまでした」としか言葉になりません。天においては必然だと言われたらそれまでですが、サルコぢ前大統領の御世においてのテロ事件数とその規模はフランソワ・オランド王の御世のそれらとは比較すれば明らかな違いがあり、大統領職を離れ、時を見計らって政界復帰し、政党党首になったサルコぢが近年のテロのたんびに身軽に事件先を訪問しては、市政や諸宗教のエラいひとに会い、時には宗教礼拝にまで参列して自己アピールに必死だったので、その動きを知っているといっそう昨晩のフランソワ・オランド王の不出馬表明に同情を覚えたりもしました。

ウソかホントかわからないけれど、昨晩の生放送後に続いた特別番組の中で、フランソワ・オランド王は不出馬についてひとりで決め、最終的な決断に影響したのは元パートナーのセゴレエヌ・ロワイヤルと二人の間の子供たち四人だったそうです。昨日は一日中、オランド王から笑みが消えることがなく、何かから解放された故だったのかもしれませんね、と。ふぅうううん、なるほどなあ。オランド王と(我らが)セゴ姐二人のマリタル(婚姻せずに子供も存在する男女の同居)関係はオランド王が大統領に着座する以前に解消されており、オランド王が大統領の座に就いた時は無駄にキレいな中年女性をパートナーとして伴っており、その女性とも中途で破局。その破局と前後して女優ちゃんとのスキャンダルも飛んだわけですが、結局、大統領職最後には「元の鞘に戻る」のごとく、セゴ姐と二人の間の子供たちがオランド王個人のチカラになったということで。深いなあ。他人事ながら何か学んだような気になってます、あたしw

セゴ姐はオランド王とは大学生時代からの同級生であり、社会党青年層の同志でもありました。成人してからずっと二人は一緒だったと言っても過言でも大げさでもないように思えますが、書類上で離れたとは言え、おそらく生涯のカウンターパーツのオランド王に慈愛をもっての慰めの言葉をセゴ姐が与えたのだろうなあというのも容易に想像がついたりもします。「もういいンぢゃない?」みたいな、ね。それは、もしかすると「おつかれさま」に繋がるのかもしれませんが。フランソワ・オランド王の身分が何でアレ、フランソワ・オランドそのものの心身の器の大きさを知り尽くしている現時点での筆頭はセゴレエヌ・ロワイヤル女史であることは間違いないかもしれません。二人の間の子供たちの中で既に成人しているお子たちはオランド王またはセゴ姐の活動サポオト職にあったりもしますから、今後は二人のお子たちをどのように成熟させ、完全に独り立ちさせるのかという楽しみが婚姻関係がまったくなくても、両親として共通の喜びと苦悩でもあるのでしょうね。(図らずも感涙w)

昨晩から一夜明け、報道では敵対する左右野党や、オランド王と同じフランス社会党から既に次期大統領候補に出馬宣言している諸氏へのこの件についてのインタビュウも繰り返し流れていますが、オランド王の判断は賢明である、という意見も聞こえ、これまた「なるほどな」と感じ取っているところです。

フランス共和国の大統領職は現在、任期5年で再選回数一回、二期まで。だから、最高10年の間、ひとりの人物が共和国大統領の座に就くことができます。この権利から途中で去る、つまり次期大統領選に出馬しない人物はフランソワ・オランド王が「はじめてのひと」になりました。昨晩はオランド王の不出馬を知った直後から私の脳内映画館では一昔前の仏社会党から大統領選本選に出たリオネル・ヂョスパン元首相の敗退と、ニコラ・サルコぢの決戦敗退の映像が繰り返し上映されました。フランソワ・オランド王はその両者とも異なるクライマックスになりそうです。

オランド王は大統領職を離れた後、どうするのだろう?
サルコぢのように米国かスイスに移住ではないか?なんてキラびやかな妄想は何一つ沸かず、まさか人口より牛馬が多いほどの静かな故郷に引っ込んでしまうのかしら?・・・という妄想が出てくる始末。レ島に移住しちゃったヂョスパン元首相より若いので、田舎に引っ込むには早い気がしないでもない(もう決め付けているw)


le 2 décembre 2016, Bibiane

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by ma_cocotte | 2016-12-02 15:55 | よっ、大統領!2017 | Comments(0)