2月2日は『クレープを食べる祝祭日』-La Chandeleur
こんにち2月2日はLa Chandeleur(ラ・シャンドゥルゥ)と呼ばれるカトリックの祝祭日です。2月2日は12月25日のイエズスさまの生誕から丁度40日目にあたります。そしてこの日,なぜかフランスではクレープをむしゃむしゃ食べます。んまいんだな,これが。シードルでくくっとね。

これから書く話はなぜかそこはかとなく日本の昔からの習慣にも似ているので不思議な気分になりますよ。

イエズスさまは人生の最後3年間のみ,いわゆる後世で「キリスト教」と呼ばれる教えを伝え歩きました。が,この世に落ちてからその行動を始めるまでの人生のほとんどはユダヤ教の信者であり,その生活・文化習慣にの下で生きてきました。

さて,その当時(いや,現代もおそらく)ユダヤ教の教えでは出産した女性は出産後一定期間「不浄」であるとされていました。男の子を産むと40日間,女の子を産むと80日間という期間です。そして最初の子供は神に捧げ,つがいの鳩を献上します。イエズスさまを出産したマリアさまは出産後40日目に長男イエズスさまを夫ヨゼフさんと共にエルサレムの神殿に連れて行きました。その当時,エルサレムにはシメオンという老人が住んでいました。この老人は信仰厚い人で,聖霊から「神のつかわす救い主に会うまで死ぬことはない」と告げられた人でもありました。丁度マリアさまが「宮参り」をするその日,シメオンは第六感のようなものを心に感じて神殿に向かい,神殿でヨゼフさん一家に出会います。何がひらめいたのかこのシメオン老人はいきなりイエズスさまを抱き上げ,天に掲げ,「この子は異邦人を照らす啓示の,み民イスラエルの栄光であります」と宣言しました。

このエピソードは新約聖書のルカ福音第二章の22-39章に書かれています。シメオンがこんなことを叫んでもヨゼフさんとマリアさんが「何言ってんだか,このおぢいちゃん?」と意味がわからなかったことも聖書に残っているのも笑えます。そしてこのシメオン爺がこんなめでたい日にイエズスさまの処刑の預言をマリアさまに告げています。あらららら。

とにかくこの話がきっかけとなり,シメオン爺が宣言した「この子は光」の象徴として蝋燭の火が重んじられるようになりました。そしてキリスト教の信仰が土着し始めた5世紀頃,12月25日から40日後の2月2日がLa Chandeleur 蝋燭(光)の祭りと定められました。

というわけで年の初めにGalette des Roisをむしゃむしゃ食べ過ぎて「もう飽きたよ,ママン」な1月半ばにもなると,スーパーマーケットにはクレープを作るための小麦粉とCidre シードルと呼ばれるクレープに最も合うとされる林檎発泡酒が山積みされ,テレビCMも「小麦粉」だらけになります。

なぜ「蝋燭(光)の祭」にクレープなのでせう?
欧州のカトリック暦の多くはカトリックが布教される前の土着宗教暦と重ねられる場合があります。カトリックが早くから布教されたブルターニュ地方では昔から「黄金に輝く円形のクレープ」を太陽に例えており,太陽=光という関連でクレープを2月2日に食すようになったそうです。ふむふむ。

そば粉は主にしょっぱいクレープ(Galette ガレットと呼ばれます)に使い,小麦粉は甘いクレープ(これはフランス語でもCrêpe クレープ)に使います。フランス人が好きなクレープは意外にも白砂糖をかけただけの素朴なものです。
私はCassonade カソナァドと呼ばれる赤砂糖をかけたクレープが好きです♪

【追記】2月2日の祝祭日,マルセイユでは以前紹介したNavette ナヴェットを縁起物として食べるそうです。Navetteには「繁栄」の意味があるので,2月2日夜明け前からお店の前は大行列。一方で焼き立てのNavetteがカトリック教会に運ばれ,神父様から祝別を受けました。これで一年,商売繁盛!なんですって。
・・・やっぱりマルセイユって大阪っぽい。
[PR]
# by ma_cocotte | 2005-02-02 17:58 | 『冬』 Rien de special | Comments(7)
France2 『午後1時のニュウス』-France2 "13 Heures"-
フランスのニュウス番組をご覧になったことがありますか?
まず,これ(↓)をクリック!
http://le13heures.france2.fr/
ADSLの環境なら問題なく番組を楽しめるはずです。
2005年2月1日現在ならば前日1月31日の国営放送France2「午後1時のニュース」がご覧になれます。

日本人にとってはフランス語の奇妙な発音はもちろんですが,スタジオや画面から醸し出される雰囲気など日本國におけるテレビ番組の作り方と比較するだけでも楽しめますよ♪

初っ端のコマーシャルがこれまた!
Youpiiiii!

[PR]
# by ma_cocotte | 2005-02-01 21:15 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(20)
杏になさいますか?それとも苺になさいますか?
b0070127_1444861.jpg
Bonne Maman社のPetits fourrés プチ・フゥレでおま。

Petits fourrés プチ・フゥレをどう訳しませうか・・・。
仏和辞書を見るとfourrésは「中に何かがつまったもの」だそうです。となると「小さな詰物」?
そうさな例えばLe Chocolat de Hersey's fourrésと言えば数日前に話題になった「噛んだらドロっと出てきた白いもの」がいわゆるひとつのfourrés フゥレだすな。(註:Herseyは有音のHですけん,d'にならないのだよ)

Bonne MamanのPetits fourrésは杏がつまったもの(左)と苺がつまったもの(右)の二種類。
バターがきいたひねりビスキュイの中にBonne Maman社のジャムがそのまんま
ぎゅっっ
と詰まっております。

・・・んまいんだな,これが。 

◎Kif-kif きふきふってなんぢゃらほい?◎
[PR]
# by ma_cocotte | 2005-02-01 01:08 | The ou Cafe? | Comments(33)
或る夫婦の祖国。
マルセイユの旧港近くの細い路地にこんなお店がひっそりとあります。
看板には Patisserie Orientale 中近東のお菓子 と。

b0070127_5381576.jpg
私にとってかなり前から気になっていたお店です。どうして気になるのかわからないけれど・・・。でもなぜかちょっと入りにくいお店なのです。
先日昼下がりのマルセイユに行った時,勇気を振り絞ってこのお店に入ってみました。

お店の入口の右には大きな壜に入ったレモン水が置いてありました。ちょっと青みがかったレモン色の液体。見ただけで口をすぼめてしまいました。そして店内に歩を進めると右に何十種類もの中近東のお菓子が所狭しと並んでいました。
蜜がたっぷりの中近東のお菓子・・・。
歯にしみるくらい本当に甘いのだけどたまにとっても食べたくなる魅力的な味です。
・・・・しゃっしゃっしゃ・・・シャッシャッシャ・・・
BGMなんてないシーンとした店内に奥の調理場からリズミカルに響く作業の音が冷たく響いていました。床タイルを洗っているのかしら・・・?
b0070127_5432760.jpg
と,店の奥からマダムが気だるそうに出てきました。
「・・・・何の用?」
彼女の顔に笑みはありません。

  「珈琲が飲みてえだ,マダム」

と私が言うと

  「ウチは珈琲を出さないのよ」

と素っ気無いマダムからの返事です。

  「Tant pis...タン・ピ。そりゃ残念だべな・・・」

お店の中にはテーブルが3つありランチタイムからだいぶ時間が経つのに,どのテーブルもまだ前の客が残していった気配がたんまり乗っていました。
私は勇気を振り絞って右の菓子棚にちらりと目線をやってマダムに尋ねました。
「マダムのお店はアラブ菓子の店だんべ?」
そう私が口にした途端,マダムの左の眉毛がぴっくーんと3cmくらい持ち上がりました。
「・・・・確かにこれはチュニジアの菓子だけど・・・・私はユダヤ人よ。
あなたはアラブ人なの?」
と,マダムは私の足元から頭の天辺まで目で舐めるように見ました。
「わたすは日本人なんだな。アラブんでもユダヤんでもねえだよ。」
まぢまぢと店内を見ればお菓子の棚の最下段はワインだものね。アラブ人の経営であるはずがない。
「マダムさんよぉ,エルサレムに日本女性が住んでいるのをご存知か?」
マダムの眉が再びピックーンと持ち上がりました。
C'est pas vrai? (せ・ぱ・ヴれ? 嘘でしょ?)
「ほんとだべ。んで,わたすも日本人なんだからして・・・」
!!!!!
「・・・珈琲が飲みたいって言ったわね?」
「んだ,マダム。」
「どこでもいいからお座りなさいよ・・・あなたー,珈琲入れて頂戴!」
と,マダムは店の奥に向かって叫びました。
・・・なんだ,本当は珈琲あるンぢゃんかっっ! 店の奥からマダムに比べると何十倍も人の良さそうな顔をしたムッシュウが仕事の手を休めて出てきました。
「ちょっと聞いてよ。
エルサレムにね,日本の女性が住んでいるって言うのよ!」
「ほー,俺達だってまだ行ったことないのになあ。日本人の女の子が
エルサレムに住んでるってか?」

b0070127_5461027.jpg
・・・どうも日本人がエルサレムに住んでいるのはこのご夫妻にとって「嘘のような本当の話」らしいぞ・・・。



とりあえず一番綺麗に見えたテーブルの席に着いたけれど,テーブルはまだちょっとべたべたしていました。落ち着いてお店を見回すと左側には不思議なポスターが一杯貼ってありました。・・・・読みたくても読めない。
お菓子の棚の上には手のひらに目玉が書いてある変な飾り,手のひらの下にShalom!という文字が。なんだか無国籍な空間だなあ,ここは・・・。




ほどなくマダムが珈琲を持ってきました。
「マダムとムッシュウはユダヤんなのにアラブの菓子を作って
売ってんのが?」
遠くからムッシュウの声が聞こえてきました。
「わたしらはチュニジアの出身なんだよ。アルジェリア戦争があったもんでフランスに越してきたんだな。」
マダムがその言葉に続けて
「チュニジアはアラブの国だけれど,私達の何代も前の先祖から住み続けた土地なのでアラブの味が私達の味覚なのよ。だから私達はアラブ料理の味しか知らないし作れないの。」
と微笑みました。
私の背後にあったお菓子のような揚げ物(↓)もチュニジアのしょっぱいスナックです。すりつぶしたジャガイモとツナを塩コショウで味付けし,ブリックと呼ばれる春巻のような皮で包んで揚げたもの。マグレブ系クスクスレストランに入るとたいてい前菜で選ぶことができます。ジャガイモ,ツナに加え目玉焼きが入ったものもあり。とーっても美味×∞!
b0070127_1674016.jpg

「エルサレムに日本人が住んでいる」と聞いただけでなぜかマダムは私に心を許したように態度がころっと変わりました。眉間に深い縦皺がさっきまで寄っていたのに,今はすっかりほころんで私に笑顔さえ見せます。
「ごめんなさいね。あなたが最初にアラブって言ったので緊張してしまったの。知らない人に接するのが本当に恐いの。もしここで何かあったら私達は次にどこへ引っ越せば良いのでしょう?
そう聞いて私の胸はきゅーんとしました。

今から700年前の14世紀,フランスで伝染病・黒ペストの流行をきっかけに重篤なユダヤ人迫害がありました。それまで紀元3世紀からフランスにいるユダヤ人に棄教を迫ったことでキリスト教(まだプロテスタントはこの世に存在していない時代です)に改宗したユダヤ人もいれば,信仰を維持するためにイタリア方向へ北上したユダヤ人もいれば,スペインに南下し更にマグレブ三国に逃れたユダヤ人もいます。このご夫妻の先祖はそうやってチュニジアまで逃れ,そこで何世紀も市井の中で生きてきました。彼らにとってチュニジアは安住の地だったのに1960年のアルジェリア独立戦争を機に運命は一転し,先祖をたどり,はたまた縁戚を頼って再びフランスと言う振り出しに戻ってしまったのです。

そうして40年が過ぎた今,フランスでは再び「反ユダヤ」と銘打った犯罪が増加し続けています。そのせいなのかここ数年は住み慣れたフランスを離れイスラエルに戻るユダヤ系フランス人が増えています。このご夫妻のように「我が身はユダヤの血」とわかってはいても,北アフリカの土地で生まれ育ち,今はフランス・マルセイユでユダヤの生活習慣とアラブの味覚で生活しています。もし彼らの「新天地フランス」の居心地が悪くなって,先祖の土地と知っていても馴染みのないイスラエルに戻るのはとても勇気が必要だそうです。「先祖の土地」と言えどなぜか尻込みしてしまうそうです。チュニジアから命からがらフランスまで逃げた時に一生のエネルギィの大部分を使い果たしてしまったのかもしれません。

チュニジアと南仏での生活しか知らないマダムには極東アジア人の私が「爆弾を抱えているかもしれないテロリスト」に見えたのでしょう。だから彼女は警戒しました。私だってヨーロッパの土地ぢゃどっからどう見てもアジア度100%です。彼女がそう思うのは至極当然です。
差別でも区別でもありません。
珈琲を飲み終わって私が席を立つと,マダムがドアまで付き添って「A la prochain! (ア・ラ・プロシャン!また時機にね)」と笑顔で見送ってくださいました。なんだかお店に入ってすぐの時の無愛想だったマダムとは別人のようです。
b0070127_1183564.jpg
お店を出て看板を改めて眺めると右下に小さく「Cacher」の文字。
このご夫婦にとって祖国はどこなのだろう?と私はしばし考えてしまったよ。もしかしたらはるか遠い昔の先祖の土地イスラエルではなくて,お二人が生まれ,子供だった頃かわいがってくれたおじいちゃん,おばあちゃんのお墓があるチュニジアが彼らにとって夢にも出てくる懐かしの土地なんぢゃなかろうか?と。
(現にフランス在住の多くの中年以上のユダヤんがイスラエル移住を躊躇う理由として「親・兄弟の墓がフランスにあるから」と答えています)
そして帰宅して数日後,雑誌「Pays de Provence No.16」をぱらぱらめくったら,マダムとムッシュウぢゃあん!もしかしてお二人はマルセイユのユダヤん啓介・唄子かあ?

アウシュヴィッツ解放60周年が過ぎてもフランスのテレビではまだ毎日のようにShoahに関するドキュメンタリーが流れ続けています。耳に引っかかるキーワードは「Chance(シャンス,運)」です。あの土地での数年を生還者が振り返ると最初にぽろっと口からこぼれる語は「運」みたいですね。私も数々の番組を見て本当にそう思いました。
「運」はあなどれないよ。「運は自分で切り開くもの」なんて言う人がいるけれど本当にそうなのかなあ?だって収容所の人々は自分で切り開く術もなかったんだよ・・・。「運」って人間が操ることのできないもっと神聖なものかもしれないよ。

フランスにおけるユダヤ系帰国民については第二次大戦の波の後,1960年前後のアルジェリア独立戦争時のマグレブ諸国からの帰国民第二波があります。今回登場のご夫妻はこの第二波でフランスに移住してきたユダヤんです。
彼らはまだ本当の故郷に辿り着いていません。

[PR]
# by ma_cocotte | 2005-01-31 00:18 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(18)
Adieu, Jacques Villeret -53歳,早すぎる名優の帰天-
2005年1月28日夜,耳を疑うニュースがトップだった。

俳優 Jacques Villeret の突然の死である。

28日朝,Evreux(ノルマンディ地方の町)の別荘で倒れているのを発見され地元の病院に運ばれたが助からなかった。病名はune hémorragie interne・・・脳内出血だろうか。

実はVilleret氏は来月2月9日から公開される映画Iznogoud(イズノグゥ)に出演していることもあり,この週末から毎日のようにプロモーションを兼ねてテレビ出演の予定だった。既に録画したトーク番組のうち一本は明日29日夜TF1で放映されるという。

b0070127_5563081.jpgJacques Villeret氏は私のライフログに載っている「Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会」(1998年)にFrançois Pignon(フランソワ・ピニョン)の役で登場している。この役名フランソワ・ピニョンはフランスでは一般に「マヌケな男」を表す名前でもあり,映画でも舞台でもコメディであればしばしば登場人物名に「フランソワ・ピニョン」の名前を見つけることができる。Jacques Villeretはこの映画「Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会」の中で思い切りマヌケでうすトボけた究極のフランソワ・ピニョンを演じているのである。(Pignon ってフランス語で松ぼっくりの意味なんだよ)

写真を見れば一目瞭然で「美男子」からは程遠いJacques Villeretだ。
いつか私がブログに書こうと思っていたことに「なぜフランスの男優に美男はいないのか?」という謎がある。フランスの映画界はそんぢょそこらにはいないような美しすぎる女優が数多いるのに,なぜか男優はそこら辺で簡単にお目にかかれるようなチビ・デブ・ハゲの3つを併せ持ったような男ばかりなのだ。もちろんJacques Villeretも私が数える「そこらに転がっているような男」俳優のうちのひとり。でも呼吸困難になりそうなほど笑ってしまう映画「Le Dîner de cons」で彼が最後に見せる優しさは切ないほど美しい,なんて言いましょうか,「人間の心の素」とでも言いましょうか。馬鹿でもマヌケでもブスでもいいから人間はこんな優しさを持っていたら十分なのではないだろうか?と思わせてしまうような演技なのだ。

先程からニュースに次から次に登場する彼を知る人々のコメントを聞いていると,どうもJacques Villeretは「演技の虫」だったらしい。すっとぼけた男を演じさせたら彼の右に出る者はいないし,観客を大いに笑わせながらホロっともらい泣きさせる演技ができるのも彼が一番だったのに。

・・・兎にも角にも今日,Jacques Villeretは天に帰ってしまった。
神さまは天国の演芸場に退屈していたのだろうか?
だとしても53歳のJaques Villeretを天に招くのはちょっと早すぎるのではないか?

私が「彼の代役」を見つけるまで時間がかかりそうなので,しばらくはJacques VilleretのDVDを楽しむことになるだろう。

心にぽっかり穴が開いてしまったよ。さみしいね。
[PR]
# by ma_cocotte | 2005-01-29 05:25 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(12)