寒い夜。そして年末といえば「手抜きの鶏と牛」
ノエルから新年くらいささやかに楽をしましょう!
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ということでココんちではノエルのためにいつもの「鶏のオリーヴ煮」を作りました。
冬の寒い夜,身体の芯から温まります。

いつもこれを作るとスープがあまってしまうココんちでは,そのスープを利用してBoeuf Bouguignon(ブフ・ブルギニヨン,ブルゴーニュ風牛肉の赤ワイン煮)もどきを作ります。

b0070127_3513769.jpg鶏肉を骨ごと白ワイン,オリーブ,コンソメ,ハーヴと煮込んだスープは捨てるにはもったいないほどおいしいだしが出ています。これを利用しない手はありません。
でもこのスープには白ワインが入っているので正統派ブフ・ブルギニヨンではありません。
だから「もどき」くんです。

フランスの家庭ではブフ・ブルギニヨンはTagliatelle タリアテッレと呼ばれる幅広のパスタに添えることが多いのです。おいしいですよ。


細かいことにこだわらない方にぜひ!のほぼずぇったい間違いなく「失敗はあり得ない」二品でございました。

▲「手抜き鶏と牛」の作り方▲
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# by ma_cocotte | 2004-12-29 02:57 | Ca etait? | Comments(8)
さよなら、Bûche du Noël さん。こんにちは、Galette des Rois さん。
もう私のことは忘れてください。』とBûche du Noël さんが私に言いました。
ノエルを過ぎるとあっという間にパン屋さんやケーキ屋さんのウィンドウは一新されます。
もうあの甘くかわいらしいブッシュ・デュ・ノエルさんたちは見当たりません。

b0070127_18235252.jpgカトリックの暦で1月第一日曜日は「主の公現の祝日」。東方からやってきた三人の王(賢者)が馬小屋の幼子イエズスを訪問し祝辞を述べたことをお祝いする日で,この祝日にフランスで食べられるお菓子がこれ。Galette des Rois (ガレット・デ・ロワ,王様たちのお菓子)です。

右はアーモンドクリームが入ったパイ生地の元祖Galette des Rois、左はフリュイコンフィ(果物の砂糖漬け)が乗ったブリオッシュで作られた「王様ケーキ」で、南仏のみで食べられるもののようです。

このお菓子を買うと必ず紙で作られた王冠が付いてきます。
それはなぜかと言うとこのお菓子を食べるにあたり同時にある「お遊び」をするからです。

b0070127_18384472.jpgその「お遊び」はこのケーキの中のどこかにたったひとつの陶器の人形とたったひとつの乾燥ソラマメが入っており,「主の公現の祝日」の食卓でこのお菓子を切り分け家族一同が揃って食べた時,陶器の人形が入っていた者はその日一日「王様」になり,ソラマメが入っていた者はその日一日「従者」になるのです。陶器を発見した人が口から陶器の人形を出して宣言すると,即座にこの紙の王冠が頭上に乗ります。

b0070127_18403640.jpgサントン人形のコレクターも数多く存在しますが,この「王様のお菓子」に入っている陶器の人形コレクターもフランスにはたくさん存在します。朝市でこの人形ばかりを売っているお店もあるほどです。
右はココんちの「王様人形」たちです。
カトリックにちなんだものもあれば,ディズニーやアメリカ映画のキャラクター,世界の民族衣装や建築物などとにかくお菓子をガブリと食べてみないと何が出てくるかわかりません。でも強く噛めば人形も歯もかけますのでご注意を。
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というわけで年末の朝市にはガレット・デ・ロワを自宅で作るママンのためにドライフルーツやFruit Confits(フリュイ・コンフィ,果物の砂糖漬け)も出始めました。

このFruit Confitsはリュベロン地方の村Aptで作られたものです。

私は以前プロヴァンス地方とコートダジュール地方境界の鷲巣村にあるFruit Confits工場を訪ねたことがありますが,口に入れて噛んだ途端に虫歯すべてにしみわたり,すべてのかぶせものがこぼれ落ちてしまうのではないかと錯覚するほど全身が悶える甘さでございます。
フランス人はパクッとほおばって「C'est très très bon!(セ・トレ・トレ・ボン。とてもとてもおいしいわん♪)」なんて平気で言いますが,日本人には要注意の強烈な甘さです。メロンやさくらんぼうに比べるとオレンジやクレモンティーヌなど柑橘系のコンフィはちょっとは日本人にアプローチできる甘味かもしれません・・・。
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# by ma_cocotte | 2004-12-28 19:19 | 『冬』 Rien de special | Comments(16)
ノエル直後の日曜日は「聖家族の祝日」-親と子を考えてみる-
ノエル直後の日曜日はカトリック暦で「Sainte Famille 聖家族の祝日」です。今年のノエルは土曜日だったのでいきなり翌日の日曜日がその祭日となりました。人々がそれぞれ「家族」について考えるための一日でもあります。こんにちは「親と子」について私が最近思うことを書いてみます。

毎年「聖家族の日曜日」のごミサで読まれる福音はマタイ2章13-15節と19-23節です。このエピソードも四福音のうちマタイにのみで語られており,以下のように記述されています。
主の使いが夢でヨセフに現れて言った,「立って,幼な子とその母を連れて,エジプトに逃げなさい。そして,あなたに知らせるまで,そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して,殺そうとしている」。そこで,ヨセフは立って,夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトに行き,ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは,主が預言者によって「エジプトから我が子を呼び出した」と言われたことが,成就されるためである。(マタイ2章13-15節)

この文章での「主の使い」は大天使,「幼な子」はイエズス,「その母」はマリア,「ヘロデ」は当時ユダヤを治めていた王のことです。
ルカ福音にはベトレヘムの馬小屋で誕生したイエズスが8日目に割礼を受け,モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎた時にエルサレムに上り,律法に定められたとおり長男であるイエズスを神に捧げ,山鳩ひとつがい(または家鳩のひな二羽)を犠牲として捧げたと書かれていますが,マタイ福音にはこのエルサレムでの話は書かれていません。時系列に謎が残りますが,エジプトへの家族三人の逃避行はこのエルサレムでの割礼やきよめを過ぎてから実行されたのだろうと言われています。
聖家族三人がエジプトに去ってまもなく,ヘロデはベトレヘムとその付近の地方に住む2歳以下の子供をすべて殺しました。天使がヨセフの夢枕で告げたことが本当に起こったわけです。
さて,ヘロデが死んだのち,見よ,主の使いがエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った,「立って,幼な子とその母を連れて,イスラエルの地に行け。幼な子の命を狙っていた人々は死んでしまった。」そこでヨセフは立って,幼な子とその母とを連れて,イスラエルの地に帰った。しかし,アケラオがその父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので,そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので,ガリラヤの地方に退き,ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが成就するためである。
(マタイ2章19-23節)

今から2000年前の話です。今よりも天と地が近くにあったのでこういう不思議な話があったのでしょう。聖書に限らず日本書紀や古事記,ギリシャ神話でも天上の神々はたびたび地上にやってきては善行やら気まぐれをやらかしました。今の地球は神様が遊びに行くのを躊躇ってしまうほどの環境なのかもしれません。

それにしてもナザレの工務店経営ヨセフさんが経験したことは不思議なことばかりです。夢枕に天使が現れて彼に助言するのですから。私たちが不思議に思う以上にヨセフさん本人が「マジかい?おい?」と疑問に持ったのは確かでしょう。でもヨセフさんは天使さんの言葉を信じてみることにしました。結果として天使が彼に告げたことはすべて実現されました。もしヨセフさんがちょっとでも疑い躊躇ったなら現代にキリスト教は存在しません。

一家の大黒柱のヨセフさんが天使の言うことを信じて従ったこと,そのヨセフさんに妻マリアさんが従ったこと,赤子のイエズス(神の子)がこの両親に従ったことがこの箇所における重要点です。家庭の中で互いに尊敬し信じ合うという単純な図式です。

21世紀を迎えた現代では幼児虐待もあれば,親を疎んで殺す子まで現れるようになりました。そういう事件が起こるたびに「親子関係」を大それた理屈で語る人々も登場するようになりました。
果たして親子の関係はそんなに小難しいものでしょうか?

キリスト生誕前の話を思い起こしてみましょう。
石女(うまずめ,子供を妊娠できない女性)と揶揄された老女エリザベトは神の意志で男児を出産しました,15歳の処女マリアも神の意志で男児を身籠りました。神にできない業はありません。
でも悲しいかな,今は神さまが地上に遊びに来ることはありません。(おそらく)
だから神さまは遠い存在なのでしょうか?
この世には畏れ多い神なんて存在しないのでしょうか?

いえ,「神」という言葉をはぶきましょう。
この世には「畏れ多いもの」は存在しないのでしょうか?
「畏れ(おそれ)」は発音は同じでも「恐れ」でもなければ「怖れ」でも「懼れ」でもありません。「尊敬の念」に等しい語が「畏れ」に当たります。
最近,無神論者だろうが何らかの宗教を信仰していようが,お金,地位,成績など目に見えるものしか信じない人が増えているように思います。目に見えずとも「畏れるような何か」を個々人が身近で感じることができたら幼児虐待やら親殺しの愚行なんてできないはずです。
「畏れ多いもの」を知るというのは立派な勉学を積まなければならないような大それたことではなく,親子が互いに尊敬しあう家庭なら自ずと見出せるのです。一家庭の中で子は親の生き方を見て「畏れ多いもの」を知ることができます。親は神さんが与えてくださった子供から「計り知れない力(畏れ多いもの)」に気付いていきます。
親は子育てによって更に精神的に成長し,子は親を見て肉体が成長しつつ心身ともに一人前なっていく。
新約聖書には13歳から布教に出る30歳までのイエズスさまの生活について何も書かれていません。ナザレトという田舎町で工務店を経営する父ヨセフの勤労する後姿を見,ある時は手伝って,そうすることで何かを学びながら「工務店の長男坊」は成長したはずです。2000年前の異国の話ですが,現在の親子関係の抜本とまったく同じです。目に見えるものをことごとく省いた「ひとつ屋根の下の家族の在り方」は時空を超えて同じではありませんか。

何世紀もの間カトリックを信仰してきたフランスでは子供は「我が子」である前に「神さまから預かったもの」です。いくら努力しても子供が宿らないこともあれば,望まないのに子供が宿ることもあるのは「神さまがいるからこそ」と信じられてきました。結婚する時も子供に洗礼を授ける時も教会では「神さまから預かったものに最良の生き方を与えるように。子の模範となるように。」と夫婦に指導します。そんなフランスでも最近では幼児虐待の話が多く出ており,「神さま(=畏れ多いもの)を忘れたからだ」という言葉も聞こえてきます。

最近の日本では子育てのために胎内教育,はたまた生後3か月から赤ん坊に通信教育を施している方々がたくさんいますが,家庭外や他人に我が子の教育やら性格向上手段を見つけ出す前に,先ずは我が身の心身を省みることが現代21世紀だからこそ大切ではないでしょうか?
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Vitrollesのノエル市にいた「愛の逃避行屋」ロバくんです。
ロバは「力持ちの働きもの」としてフランスで愛される動物です。
南仏では至るところでロバさんに会えます。
かわいいよぉ♪
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# by ma_cocotte | 2004-12-27 10:03 | 『冬』 Rien de special | Comments(0)
12月26日午後5時ちょっと前。ココんちから見た空。
神さんがずるっと落っこちてくるのか?
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ノエルの朝から降り続いた雨ですが,26日の日暮れ間近になって突然空が燃え始めました。
20秒後。
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子供の頃,教室の窓から外をぼーっと眺めては雲間からさす三角形の光を「聖母マリアさまのマントかしら?」と想像したことを思い出しました。
こんにちのMarignane。1分後にはもう「聖母のマント」は空から消えていました。
この空の果てには北アフリカの大地が広がっています。
マリアさまはイエズスさまとサハラ砂漠に降り立ったのでしょうか?

さらに30分後,午後5時24分の空。
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ああ,阿弗利加は燃えている!
午後5時42分「南仏の空」はナイトブルーに変わる直前でした。
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# by ma_cocotte | 2004-12-27 00:57 | Promenons-nous! | Comments(17)
『夢のまた夢』の夢。
もしも私が生まれ変わることができたなら『ヴァチカンの兵隊さん』になるのでせう♪
昨晩テレビで放映されたヴァチカンの深夜ミサで任務遂行中の彼らを拝見したらあらためてそう思いました。
なぜ?Why?Pourquoi?Perchè?
理由は単純です。ヴァチカンの兵隊さんの「制服」を着てみたいのです。

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かのミケランジェロ(1475-1564)がこの斬新な制服のデザイナーであります。
この色あわせといい,スタイルといい,チューリップズボンのビランビランのチラリズムといい,天下無敵の究極とはこのことざますね。平安時代にワープできるのなら,女御さんの十二単の襟重ねと色目勝負ができます,はい。
英語でSwiss Guardと呼ばれるヴァチカンの兵隊,来年は結成500周年にあたるそうです。ヴァチカン市国のHPを見るとなんとSwiss Guard募集要項が5ヶ国語で載っております。とりあえず英語で紹介いたしませう。
Admission Requirements
其の壱: I am a Swiss citizen. 
     私はスイス国籍者である。
其の弐: I am a Roman Catholic faithful. 
     私はローマン・カトリック信者である。
其の参: I am of a good moral ethical background. 
     私は良質の道徳的かつ倫理的素(質)である。
     (似たような語を二つ重ねているところにミソがこってり塗ってある)
其の四: I attended a military school in Switzerland. 
     私はスイス国内の軍人学校で教育を受けた。
其の伍: I am between 19 and 30 years old. 
     私は19歳から30歳の間である。
其の六: I am at least 174cm tall. 
     私の身長は少なくとも174cmある。
其の七: I am not married. 
     私は独身である。
其の八: I have either a professional diploma or high school
       degree. 
     私は専門分野の修了書または高校卒業証明書を持っている。
以上なのであーる。
身長174cm以上ならばスイス国籍の女性でもOKかしらん?とフランス語とイタリア語でHpを再度見ました。すべての条件が男性形の名詞と動詞で書かれていました。故に女性には資格がありません。
ぎょっ,フランス語(イタリア語も)では【其の参】が英語とまったく違う文章になっていました。
J'ai une réputation irréprochable.
日本語にすると「私は非の打ち所がないと評判です」。
あっちゃちゃー,私なんて非の打ち所のツボが全身に張りめぐっちゃってるもんね。
「眉目秀麗」が条件に入っていないのは良心的ではあるけれども,スイス国籍であってもカトリック信者でなければならないし,熱心なスイス人のカトリック信者がアメリカのウェストポイントやフランスのサンシール陸軍士官学校を卒業してもスイス国内の学校ではないのでこれまただめ。興信所が身辺調査をして誰か一人でも「あいつに泣かされたのよ,あたしっっ」なんてぽろりと言ったら致命傷になるわけです。本人の素養だけで入隊できるほど広い条件ではありません。とは言っても一昨年だったかスイス人家庭の養子となったアフリカ出身の男性がヴァチカンの兵士に選ばれたことは欧州では朗報となりました。
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「非の打ち所のないスイスくん」の頭の上に鉄兜
赤の羽飾りの無駄が素晴らしいヂャござんせんか!
ミケランつぁん,あなた,本当にブラヴォーよ!

兎にも角にも私が次の人生で「ヴァチカンの兵隊さん」になるためには死んですぐ天国の門前ハローワークで次回希望就職先を真面目に述べ,担当者と懇ろにならなければ「ヴァチカンの兵隊さん」になるための条件に適う環境に落としてもらうことは難しそうです。

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「甘いで,しかし」
と天から横山やっさんの声が聞こえてきました。

←普段の制服の「非の打ち所がないスイスくん」。

これでも十二分にかわいい!!!!!
白襟にこのタブリエの色目・・・Chouette!(シュエット-フランス語で「素敵!」)
せめて試着して数時間ヴァチカン宮殿の中で忍者ごっこをしてみたいものです。
隠れたつもりが迷子になってしまうのは確実です。

夢の中で遊ぶとしますか。

【Rétroliens*Trackbacks】
* *園丁日記* : こちらは無防備とはいかないらしき…そして中国。

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# by ma_cocotte | 2004-12-26 00:45 | 『?』なKTOりっくん | Comments(25)