コルベさんは『カトリックなひげもぢゃ』
子供の頃通った学校のそばにきれいな教会がありました。下町の商店街のど真ん中に建つその教会は青空を貫くような尖塔を持ち,私は小さい身体を思い切りそらせ塔の先に目を持っていくとそのまま自分までが空に溶け込んでしまいそうな錯覚に陥ったものです。車の騒音,人々の話し声,セールスの掛け声とあらゆるざわめきの中でそこだけが静寂に包まれているのも子供ながらに不思議に思いました。ある時友達が私に「この教会はコルベさんとゼノさんの教会なんだよ」と教えてくれました。どちらの名前も外国人だろうけれど日本人にも覚えやすい親しみやすい名前だな・・・。心のほんの隅にその名を残したまま数十年が過ぎました。

私はフランスに住むようになってからカトリックの巡礼地ルルドに2回行きました。ここは聖母を見た聖女ベルナデットであまりにも有名な土地(ヴァチカンと並ぶ巡礼者数)ですが,なぜか路地に「コルベ資料館」なるものがあります。日本で聞いたコルベさんと同じ人?なぜルルドにコルベさんなの?いろいろな思いが身体の中を駆け巡ったこともあり,私は資料館に入ってみました。

b0070127_18142622.gif1894年11月10日ポーランドのドゥンスカボラという町でライムンド・コルベは生まれました。物心がついた頃には「カトリック司祭になる」と決めた彼はコンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会。その後彼はマキシミリアノ・マリア・コルベと修道名で呼ばれ,1927年ワルシャワで「聖母の騎士」という小冊子を発行し活字による宣教を始めました。
ローマで出会った留学中の里脇浅次郎神父(のちの長崎大司教,枢機卿)に日本での宣教を勧められたという逸話も残るコルベさんは1930年ゼノ修道士らと来日し,長崎で「聖母の騎士」誌の日本語版を出版し始めました。活動が軌道に乗ったこともあり,コルベさんは1936年ポーランドに戻り故国での活動を再開しました。一方ゼノさんは日本に残り,原爆犠牲者,戦争孤児や東京山谷の「蟻の町」救済活動を生涯にわたって地道に続けました。
1941年5月28日コルベさんはナチスに追われるポーランド人やユダヤ人をかくまった咎で捕らえられ,アウシュビッツに送られました。

  コルベさんはユダヤ人ではなくポーランド人です。
  そしてユダヤ教徒ではなくカトリック司祭です。
  でもアウシュヴィッツへダイレクト・・・。

1941年7月,コルベさんが属していた第14号棟舎からひとりの囚人が監視の目をくぐって脱走するという事件が起きました。当時の収容所の決まりでは棟舎から一人の脱走が出た場合,同じ棟舎から無作為に10人を選び地下室に閉じ込め餓死刑に処されることになっていました。まず最初に第14号棟舎の全員が広場に集められ拷問を受け,その後「選ばれた」囚人の番号が次々と読み上げられました。その時ひとりの囚人が「私には妻も子もあります」と泣き始めました。「選ばれた10人」が死刑場へ連行されようとした時,コルベさんは「私が彼の身代わりになります。私はカトリック司祭なので妻も子もいません」と申し出ました。当時ナチス内では反カトリック,反聖職者の考えが強くなり始めたこともあり,コルベさんの申し出は特別に許可され,コルベさんと9人の囚人が地下牢に閉じ込められました。

日本ではナチ収容所=ガス室という連想がメジャーですが,ガス室で処刑されるより餓死室での処刑が何十倍も何百倍もつらく苦しい死を迎えるそうです。

餓死刑に処せられると牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通でした。全員が同時に死ぬのではありませんから「命強い者」はもがき苦しみ半狂乱で死んでいく仲間を見届けなければなりません。生き地獄を見るのです。映画ではありません。目で見,耳で聞き,鼻で臭いを嗅げるのですよ。

ところが「生き地獄」であるはずの地下餓死死刑場で不思議なことが起こりました。ひとりひとり死んでゆく仲間をカトリック司祭であるコルベさんが看取り,彼らの魂が天に昇るよう祈りを捧げ,生き続ける仲間には祈るという希望を与えました。地獄であるはずの死刑場が日を追うごとに聖堂のようになったそうです。

祭壇はもちろん,きれいなステンドグラスも,シャンデリアも,芳しい香の匂いも,何もかもなくても牢獄は「聖堂」,つまり「祈りの場」に化したのです。

コルベさんが閉じ込められた餓死室から祈りの声がもれてきました。隣り合う餓死室にもその祈りの声が届き,別室の死刑囚人たちまで祈りを合唱し始めました。

ユダヤ教とカトリックは違うけど,もう何もない彼らが仰ぎ見るものは「神」。祈り方の違い,言葉の違い・・・違いをあげたらキリのない数です。でも「そんなこと」なんてどうでもいいのです。「そんなこと」で口論している人々がいるのなら見たいものです。

彼らにとって信じるものは「ただひとつ」。

・・・地下から祈りの声がもれてくる。
本当なら聞くのも耐えられない呻き声のはずなのに・・・。

気持悪くなった守衛は地下に下りては彼らに罵声を浴びせました。でもコルベさんは一言も嘆かず,呻き声さえ出そうとせず,微笑を常に携えていました。

餓死室に入ってから3週間目の8月14日,生き残っていたコルベさんと囚人3人に薬物注射が打たれました・・・・。
結局薬物注射を打つのならなぜ3週間も苦しめたのでしょう?
1982年10月10日コルベさんはカトリックの聖人になりました。ヴァチカンでの列聖式典にはコルベさんに命を助けられたユダヤ人ガイオニチック氏も列席しました。彼は果たして終戦後,家族に再会できたのでしょうか?

カトリックの習慣では各聖人がそれぞれに「守ってくれるもの」があります。
コルベさんは肉体労働者、ジャーナリスト、囚人、薬物中毒者の守護聖人です。

■なぜルルドにコルベさんの資料館があるのか?■
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# by ma_cocotte | 2004-12-06 16:35 | 『?』なKTOりっくん | Comments(7)
Foire de Noël -Vitrollesのひとびと
第二待降節の12月5日Vitrolles旧市街で毎年恒例のFoire de Noël(クリスマス市)が開かれました。いつもなら人っ子ひとりいない日曜日の旧市街ですが今日は特別。
人,ひと,ヒト!先週日曜日絶壁登山のために通った路地とは同じに思えない人ごみです。

あ,あんた誰?
右の顔色悪いおねーさんはどうしちゃったの?
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「Barbe à Papa (パパのおひげ)をちょうだいな」フランス語で綿菓子は「パパのおひげ」と言います。ふわんふわんで甘いパパのおひげ。


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サンタクロースさんは白のゴム長靴をはいているのね。

フランスの12月といえば「サンタ写真館」です。
サンタクロースと記念写真を撮る・・・それだけですがフランスでは長い行列ができる大人気企画です。
サンタが怖くて泣いてしまう子供もいたり,あやす親,困った顔のサンタさん・・・この会場は覗くだけでほわーんと幸せな気分になります。



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「おぢさん,どれがおいしい?今日はフランボワーズのキャンディにしようかな」

いつもとちょっと違う12月の日曜日のお散歩。
降誕祭を迎えるための幸せなひと時。


C'est un TB de 家にいながら世界中の市場めぐり par Signora Cibifigaro.
Merci à vous avec bisous!


○●○●○●トラバ企画:家にいながら世界中の市場めぐり○●○●○●
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# by ma_cocotte | 2004-12-06 05:07 | 『冬』 Rien de special | Comments(6)
マルセイユで「ユダヤん」な午後
ミストラルも止み青空が久しぶりに広がった金曜日の午後,マルセイユに行ってきました。
こんにちは県庁を中心とした大商業地区でもある6区を中心にぶらり。

マルセイユの歴史は2600年。地中海に面する巨大商港を持つこの町には国際フェリー港もあります。いにしえから地中海沿岸諸国の人々にとってのフランスでの第一歩はこの町から始まることが多いのです。人種のるつぼ,コスモポリタンシティでもあるマルセイユを散歩しているとあらゆる国の言葉に出会います。通り過ぎる人々の会話はもちろんお店の看板を見るとアラブ,アルメニア,ヘブライ,漢字・・・一見アルファベットでもフランス語ではない羅列のトルコ語などなど。

というわけでマルセイユのイスラエルな「ユダヤん」をほんの少し紹介します。

よろしかったらBGMはラジオJM。ユダヤんラジオのマルセイユ地方局です。クリックするとしばらくして放送が流れ始めます。
(ただしシャバト中はイタリア歌謡曲が流れております。安息日はカトリックに任せるのか,ユダヤんは!?)

フランスは欧州で一,二を争う大ユダヤ・コミュニティを持っており,現在マルセイユには約30000人のユダヤ系住民。パリやストラスブールに並ぶ規模です。
彼らの先祖は紀元3世紀,南仏に入植し始めました。大抵は居留区を与えられ,中心にシナゴーグ。外壁門は日没と共に完全閉鎖されるという生活基盤です。そうすることで彼らはユダヤの文化を何世紀も守り続けました。
約1800年に及ぶフランスにおける彼らの歴史上,王や地方王に重用されたときもあれば,反対に重篤な迫害も多々ありました。特に1306年の迫害ではユダヤの血を引いていてもキリスト教に改宗しフランスに住み続けたユダヤ人もいれば,信仰を守るためにスペインを通りマグレブ諸国に移住定住したユダヤ人もいます。が,1960年のアルジェリア独立戦争後,多くのユダヤ人が再びフランスに戻ってきました。

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さて16区で構成されるマルセイユ市内には40ユダヤ教教会(シナゴーグ)があります。
市内で最も大きいシナゴーグ。裁判所広場からRue Breteilを南に行ったところです。


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え?教会でしょ?
んにゃ,シナゴーグです。
あまりにも大きくて車道を挟んでもカメラには収まりません。

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マルセイユ市の名所案内(↑)。このシナゴーグの歴史が書かれています。
1501年に始まった迫害・・・18世紀になってもまだ公共でユダヤ的オブジェは厳禁であったと書いてありますわ。1864年9月22日献堂。あれぇ,私の結婚記念日だ・・・びんご。
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疑い深く見なきゃ信じない「トマお&トマ子」にはこれ。
「おぬし,この紋所が目には入らぬのか?」
「はっはーっっ」
ご存知,ダビヂュウ(ダヴィデ十字)です(←)。扉の上のステンドグラスもしっかりダビヂュウ。中から仰げばそれは美しく輝くダビヂュウなのでせう。

お,シナゴーグの向かいは「ユダヤんな葬儀店」 ア~メェン。
二階の窓上の人頭,いい味出しています。
それにしても「Service de DERNIER DEVOIR」ってケスクセ?
訳すと「最後の宿題(義務)のお手伝い」かしら?
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実は6区界隈のユダヤん商店や学校を探検!と意気込んだのですが金曜午後はユダヤ教のシャバト寸前。マルセイユのユダヤん店舗は皆金曜午後から休業,学校もお休みでした。

よし!こんにちはマルセイユのあっちこっちで見かける「ユダヤんな看板」ご紹介!
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スーパーMonoprix(モノプリ)そばの一日中お日様のあたらない路地にあるユダヤんなお肉屋さん(↑)。
Elie Dayanなんてもろユダヤんな名前だわさ。
ところでお肉屋さんの主人はエリなのか?アランなのか?
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県庁広場すぐそばのプライヴェートなユダヤん礼拝所。
ユダヤんなおじさまに「見学させて」と頼んだけれど「だめ」と素っ気無く断られちゃいました。ちぇ。

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あれ?ヨゼフさんはナザレトで工務店を経営しているはずだけど・・・?
裁判所そばの路地にある「なんぢゃこりゃ?」なユダヤん。
CACHERとKOSHERは違うの?

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ヨゼフさんちの左隣はユダヤんな保育園なのだ。
扉が閉まっているのが残念。
扉上の看板の右,目を凝らせばそこに踊るユダヤんズ

ぶらぶらしているうちに日も暮れ再びシナゴーグ前に行きました。
次々と人々が礼拝のためシナゴーグに入っていきます。ユダヤんな礼拝を覗いてみたいと思い入口に立つ青年3名に交渉しましたが「信者以外の入場はお断りします」とつれないあなた・・・ですが・・・この3名ともドえりゃーハンサムで私ぁうっとり・・・。一人の青年がIDカード提示を求めたので「喜んで」提出。彼はこれをすべて記入すると「次回からマルセイユ市内にある全てのConsistoire(コンジストワール=ユダヤ教の長老)に連絡すればどこも入場できるようになりますよ」と。
こりゃ美男美女ヲッチングするしかないかなあ?むっふむふむふ。

帰り道,おらが町のシナゴーグもちらりと覗きましたがここも入口に数名の男子。どうもテロ防止のための厳重警戒態勢・・・。安全のためとは言えさみしいこってす。

さてさて近いうちに私。
マルセイユで「アーラブんぶん」!!!

モモ,待ってろよ!

■マルセイユ市内40のシナゴーグ■
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# by ma_cocotte | 2004-12-04 16:49 | Promenons-nous! | Comments(18)
冬の夜。庶民の娯楽を垣間見る。
b0070127_16491740.jpg2004年12月2日は夫が待ちに待った日でした。
伝説のギタリスト Marcel Dadi の名を冠するギター愛好家協会 Amical Marcel Dadi(マルセル・ダディ友好協会) が今宵はイタリアからギタリスト2名を招いてのコンサートを開催するのです。

日本で「協会」という名前を見るとなんだかインテリ?お金持ち?敷居が高いのでは?と想像してしまいますが,このマルセルダディ友好協会はマルセイユ11区12区役所を主パトロンにした「庶民のための協会」。

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つまりギターを愛する者たちの年会費や寄付によってギターの才能ある者を一流ギタリストに育て,一方でリスナーには一流の音を廉価で聴く場所を提供するというものです。定期コンサートの会場はLa Brasseというカルチエにある11区立公民館。マルセイユ中心地よりもオーバーニュ(マルセル・パニョルと仏外人部隊で有名な町)に近く地中海はまったく見えない岩山に囲まれた区です。映画「マルセルのお城」で一家が運河沿いの別荘地を抜ける場面がありますがまさにあのあたり!です。
(←昼間のLa Barasse,絶壁に建つ家々)


さてコンサートは8時半から始まるのに夜7時半会場。入場料は8ユーロ(非会員は10ユーロ)。コンサートまでの一時間何をするかと言うと・・・
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腹が減ってはコンサートは聴けぬ。ってなわけでお夕食。サラダ+フライドポテト+アンドゥイイェット(牛のモツソーセージ)+好きな飲み物=6ユーロ。という典型的なファミリーメニュー。周りを見ると通の方々はデザートやらおつまみを持参。こういう臨機応変で楽しむ姿勢は勉強したいものです。というかね,フランスはこういう持ち込みに鷹揚です。隣のパン屋で買ったケーキをカフェに持ち込んで食べるのもOK(パリはその限りぢゃないかもね)。日本も早くこうなってもらいたいものですわ。
暖房のきいた広い会場はろうそくの明かりのみで照らされ大人の談笑が響き渡ります。

8時半の定刻。
まずは前座のワケーモンふたり。素晴らしい演奏でした。
彼らの次におっちゃんの音楽漫談!やっぱり前座には漫談。
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そして・・・PIETRO NOBILE!

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素晴らしい演奏でございました。
とても穏やかなメロディばかり。
ヒーリング系とでも申しましょうか。
それにしてもどうやって彼の指が動いているのか?
どうすればこういう音が奏でられるのか?
私には検討もつきません。
でも音に酔いしれるぅ・・・。
ピエトロは曲間にイタリア語で話をするのですが通訳はマルセイユ・イタリア移民協会のおじさん。イタリア語はよーく聞いているとフランス語と同じ単語が多々ありますが,おじさんの通訳は限りなくイタリア語発音のフランス語。
聞いているうちに面白おかしくなってしまった。




続いて登場はPaolo GIORDANO!
こちらはブルース系。イタリア人なのにフランス語は話せないからと英語で曲間をつないだ・・・イタリア語通訳のおじさんがいるのに。
私がみたこともない指の動きで音を奏で,演奏中はゆれっぱなしのパオォロ。
ピエトロが関東ならパオォロは関西だ!
表情と言い,動きと言い「ちょっとコミカル」
演奏終了後のアンコール。パオォロが選んだギターはこれ↓。
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コンサートが終わったのは夜11時半近く。ピエトロとパオォロはすぐに1000kmの道程を爆走してミラノに戻るとのことでした。

庶民感覚の大人の夜を味わった私は満足!この雰囲気はくせになりそうです。
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# by ma_cocotte | 2004-12-03 18:20 | Promenons-nous! | Comments(4)
こういう雲の向こうに
かみさまがいるのではないかしら?
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ふとそう思ったよ。
2004年12月2日午前8時12分夜明け間近の北の空。
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昨日は水曜日。
いつもの買出しで見つけたものはHARIBOの"Dragolo"
蓋を開けると甘い香り。
ジェリージェリジェリな宝石箱。
「なんぢゃこりゃ?」と思いつつおくちにポイ!
表現しがたい噛み応えと広がる不思議というか変な味・・・。
なんだかわからないのでまたひとつポイっ!
全部同じ味のようで違うような気もする。
だから確認したくてもひとつポイっっ!

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食べ始めたらとまらないキミに
「ちょっとアッカンベしてみてよ」
と言いたくなるんだ。
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# by ma_cocotte | 2004-12-02 17:37 | Promenons-nous! | Comments(6)