君こそ「不思議」だ!
1999年9月終わりの話です。
エクサンプロヴァンスの旧市街に当時私の住まいはありました。
ある昼下がり、私の家の電話が鳴りました。
「8月までエクスに住んでいたTちゃんの友人のAです。10月からSCEFEEに通います。TちゃんからMa_Cocotteさんはいい人だから電話してみ、と言われました」
と一挙に。日本人女性の声です。

SCEFEEは当時私も登録していた大学文学部内にある外国人向け語学校です。エクサンプロヴァンスにはフランスで一番と言われる大学市があり、地図で見るとエクス旧市街よりはるかに大きい大学市が南東に広がっています。そして当時から現在に至るまで一人暮らしを選んだ大学生が住まいを見つけるのは困難でフランスでは深刻な社会問題となっています。

1999年9月終わりの話です。

Tちゃんは私にとっては公私共に本当にお世話になった大阪出身の女の子。Tちゃんの名前を聞いたら動かぬわけにもいきません。彼女は私の家から5分ほど「ロトンドの泉」そばのホテルを借りていました。とりあえずは彼女の計画を聞きたくて拙宅に招きました。お茶をしながらの雑談。彼女の現状についてわかったことはアパルトマンもまだ見つけていない、銀行口座も開設していない、何が何だかさっぱりフランスについてはわからないということでした。

この時彼女は「私のフィアンセはアメリカ人です」と話し始めました。
「フルブライト留学生で今は東京の外資系会計事務所に勤務しています」
更に
「フルブライトの肩書も彼の就職先も私にとってはとても重要なことです」
と私に言いました。
フィアンセが東京にいるにもかかわらずなぜ彼女はフランスに来たのでせう?
人生に箔をつける
ためなんだそうです。
そして私の夫に持参したアルバムを開いて見せ「これはフィアンセの両親が持っているヨットなの。すごいでしょう?」と話し始めました。ヨットを持てるような親を持つ男性が自分のフィアンセであることは彼女にとって重要な要素だそうです。クルーザーなら豪華かもしれませんが、南仏だったらどこの入り江にもヨットや漁船が停泊していて「売りマス」なんて看板がかかっていたりもします。実は我が夫にはAさんが言わんとしていること、伝えたいことがさっぱりわかりませんでした。

「まずはアパルトマンを探すとしませうか!」という話になりました。彼女は「そうですね」と立つなり半分以上残ったお茶を捨て、お菓子も半分残して当たり前のようにゴミ箱に捨てました。これ・・・フランスではあまり喜ばれる行動ではありません。最初は偶然の行動かと思いましたが、彼女は我が家に来るたびにお茶もお菓子も料理も必ず半分残して捨てます。フランスではもし料理を出された時に全部食べられそうにないと「お腹がいっぱいです」と嘘でも断ります。例えばホームパーティを開いたら、その後数日は余ったものがなくなるまで同じメニューをくりかえし食べ続けるのがフランスの庶民です。夫の目は怒った時のセキセイインコの目ん玉状態(ほとんど白目)になっておりました。

エクサンプロヴァンスは学生都市。フランス全土と海外領土から集まる学生プラス世界中からの留学生がエクスに住んでいます。ですからエクスには数多くの不動産仲介店が存在します。すでにエクスでの私の生活は8か月も過ぎ日本人はもちろん他国の外国人からも良心的不動産店、悪っしき不動産店の噂も聞いていました。その情報と彼女の家賃予算に基づいて彼女、私の夫、私の三人でアパート探しを始めました。

9月の終わりです。

案の定もうほとんどのアパートは借り手が決まっていました。とにかくそれでもアパートを探さねばならないので、物件があると聞けばひとつずつくまなく見ました。
「大きな通りに面しているのでイヤです」
「薄暗くてイヤです」
「部屋の臭いがイヤです」
「このアパートが建つカルティエ(居留区)が好きになれません」
かの「地球の歩き方・フランス」にも登場するフランス人芸術家マダム宅も訪問しました。日本人に廉価で部屋を貸していると「地球の歩き方」で紹介されていたからです。このマダムの屋敷は18世紀頃の建築物でしょうか。案内された部屋は最上階にある昔の女中部屋でした。トイレ、シャワー、台所はもう一室ある貸し部屋と共同使用です。
「天井窓だけなんてイヤ。きちんと壁に窓がある部屋がいい」
「トイレもシャワーも台所も共同なんてイヤ」
「それぢゃ最初の一件目に戻りましょう」と戻ればもちろんすでに借り手が見つかっていました。新学期開始直前のアパート探しは先手必勝状態です。とうとうエクス旧市街のはずれ長距離バス停近くの家具付アパートを見つけました。1960~70年代の建築。見た目は平凡ですが、フランスでは技術、内装共に最も信頼されている建築物はこの年代です。
「長距離バス停の近くでうるさいですね。旧市街からも離れている。私はMa_cocotteさんやTちゃんのように旧市街の中の古い建築のアパルトマンに住みたいんです」
「でもこのアパルトマンに手を打っておかないと本当に住む場所が見つからなくなるわよ」と私は彼女に言いました。彼女は渋々この家に予約をいれることに決めました。手続きの段階に入り不動産店はフランスにおける銀行口座証明、入金額証明、保証人を提示するように求めてきました。彼女の手元にはこれらの何ひとつありませんでした。とりあえず内金を現金で納めました。

というわけで、私達3人は口座開設のため郵便局と銀行数行を訪ねました。フランスでは口座も簡単に開かない銀行が多く、担当者とは予約を入れ審査を兼ねて面談後口座開設というケースが多いのです。しかも口座開設のためには住居証明が必要です。
住まいを見つけるためには銀行口座証明が必要で,
銀行口座を開くためには住居証明が必要。
卵が先か?鶏が先か?
私は隣に住む日本人男性から「ロトンドの泉」そばのクレディ・リヨネ銀行には学生専門窓口があり融通がきく、という情報を手に入れたのでAさんと一緒に行きました。受付嬢の左胸に「I speak English」と書かれた名札がついていました。Aさんはそれを見るなり彼女にものすごい勢いの英語でまくしたてました。受付嬢は目がテン。しどろもどろになりました。
「なんや、あんた英語できへんの?」
Aちゃんは受付嬢に日本語でこう言いました。目は据わってた・・・。
銀行を出るなり今度は私に
「フランス人は英語ができるできる言うたかて誰も話せないやん。アメリカだったら通じるのに。」
「・・・・あのさ、ここはフランスだよ。フランスの地方都市だよ。フランス語を勉強するために来たんでしょう?英語ばかり話したいならフランスでは難しいわよ。」

Aさんは私のアパルトマンから日本の恋人に電話をしました。アパートの保証人になってもらうためです。「I love you, I love you. You, too?」なんて泣きながら話していました。電話を切ってから彼女は私にこう言いました。
「彼が《僕の愛するAがフランスでの生活ができないなんてわけがない。僕だって日本に来てすぐは苦労もした。僕が愛する君なら乗り越えるはずだ》って言うんですねん」
・・・・確かにキミの彼はアメリカ人だ・・・・と内心つぶやいた私です。

3時間以上我が家で泣き続けた彼女はその晩長距離バス停近くのアパルトマンに戻りました。
翌朝、彼女が心配になり彼女を訪ねるとアパルトマンは「もぬけのからから(空殻)」でした。すぐに仲介不動産店を訪ねましたが「不満らしくて出て行ったわよ」というマダムの冷めた言葉。

その後しばらく彼女を見つけることができませんでした。

半月も過ぎた頃、長距離バス停で偶然マルセイユから戻ってきたバスから降りるAさんを見つけました。日本人女性二人と一緒でした。居所を尋ねたら、なんと「天井にしか窓のない部屋」に戻ったそうです。SCEFEEの秘書室で「住む場所がない」と泣いてみたら、結局この家を紹介されたそうです。
「ご飯は大家さんと一緒だし食いつぶれがありません」
そして更に
「Ma_cocotteさんは関東言葉やさかい疲れますねん。あの二人は関西弁でOK。気が楽ですわあ。そんぢゃ」
と私に言い残して、彼女は二人の女性の後を追いかけました。

それから更に半月が過ぎたでしょうか。
Aさんと一緒にいた日本人女性二人と道ですれ違いました。Aさんは一緒ではありません。
彼女達に「Aさんとは以前から友達なの?」と聞いてみました。
「ちゃいます。あのヒト,エクスのカフェで日本人らしき客を見るとくまなく声をかけて泣きながら苦労話を繰り返していたらしいです。私達は関西弁で話せるからとその後しばらく行動を一緒にするよう頼み込まれました。学校に支払った学費も提出するなり返還を求めたりまた提出したり・・・。結局日本の恋人が恋しくて帰国したみたいです」
結局Aさんからその後なーんの連絡も後日談もございません。

彼女がエクサンプロヴァンスに来た目的は果たして何だったのでせう?
相当数の他人を振り回し、泣きわめき、騒ぐだけ騒いで、彼女は帰国してしまいました。
Aさんはエクスでの散財で満足したのでせうか?
ほんに疲れた『これぞ魔の一ヶ月』でございました。ほほほのほ。

Trackback(1) | Comments(24)
[PR]
# by ma_cocotte | 2004-11-29 00:45 | 『?』な日本國 | Comments(20)
コートジヴォワール暴動沈静化で凡女が思ふこと。
アラファト氏死亡がメインニュースとなって世界でたいして話題にも上らなかった「コートジヴォワール暴動」が約2週間で沈静化したことに伴い「私の今の気持」をまとめることにしました。

市井の人々にとって「生活する場所」は黒人であろうが、白人であろうが、黄色人種であろうが、「家庭」です。どんな歴史的背景があろうと、現在の政治がどうであろうと、人生の理想の一単元である「家庭」が平和ならヒトは生きていけるものです。もし独裁主義、共産主義の国に生まれ落ちてしまったとしても、一縷の平和と希望が家庭に残っていればヒトは生きていけるはずです。

どんなに庶民の頭上で、家庭の外で、政治がどうなろうが、戦争が起ころうが、一家庭で日銭100円で生活できるところを101円稼げたらヒトは節約するし、98円しか稼げないならヤリクリしてそこに留まらざるを得ません。母国を諦めて異国に引っ越すなんて世界の底辺にいる庶民であればこそ「夢また夢の話」です。
・・・でも想像してください。
ある日突然見知らぬ他人が一家の団欒に侵入し、自分の目の前で生活必需品を粉々に壊され、放火されたら・・・?(もし自分が入浴中だったらどうしますか?)
ここで言う「見知らぬ他人」は異人種ということも、同じ国に生まれた同じ民族の人ということも有り得ます。今回のコートジヴォワール暴動についてもあるヒトは言うでしょう。
「フランスがかつて行った植民地政策に端を発した結末だ」と。
例えばその理由を日頃家をきれいにすること、家族の三度の食事調理を第一優先に考えている女性(まさに現在の私です)に言ったところで「あなたのおっしゃるとおりです。だから他人が家にズカズカ入ってきて、私が掃除したばかりの家を汚すことも。娘が他人に犯されるのも、何もかも全て我慢します。」と返事すればよいのでしょうか?

正直言って、既にコートジヴォワールの墓地に埋められ土となった先祖がした「植民地政策」、21世紀の今、井戸端会議好きのおばちゃんにはそれが悪行なのか善行なのかはっきりわからないでしょう。それを常に思いながらバナナをかぢらねばならないのでしょうか?毎日食卓の話題は「先祖が犯した罪」を中心にするのですか?そんなことないよね、仕事場での笑い話、学校で学んだこと、井戸端で隣の奥さんから聞いた話・・・ぢゃないのかなあ?市井の人間は自分の運命、それのみでコートジヴォワールという土地で生きている「だけ」です。政治への野望なんてまったくありません。この女性のような考えは肌が黒くても、黄色くても、白くても「井戸端好きのおばちゃん」なら同じです。こういう女性(含む私)を「馬鹿」と言うならどうぞ失笑してください。冷笑してください。馬鹿だって馬鹿なりに自分の庭(=家庭)を自分なりの理想を描いて一生かけて築くのです。
おととい、バグボ大統領が「出て行ったガイジンさん、戻ってきてください」と宣言したニュースを「黒白黄色のおばちゃん」が最初に見て思うのは何ですか?
「どっから掃除を始めればいいの?」
「冷蔵庫の中身はくさってないかしら?」
「車も燃やされちゃってどうやって買出しに行けばいいのかしら?」
「窓ガラスって結構高いのよね」
でしょうね。私は実際あの場面を見て最初に想像したのはこの言葉です。ついでに「もしかして一生懸命掃除すればダイエットになる?」なんて笑い話にしてしまうかもしれません。おばちゃんの頭に政治やら歴史なんて思い浮かぶ余裕はありません。
で、結果、妻は夫に「掃除も面倒だし、買い物もできないんぢゃ、今帰ってもロクに食べられないわよ」と進言するでしょう。「真っ黒焦げの学校だって再開は無理だわ」

一方、ヒトが政治的野望を持つのなら、それもやっぱり肌が黒くても、黄色くても、白くても、その「個人」が自由に持つことです。他人がとやかく言うことではまったくありません。個々の人格を尊重することが大事です。

この2週間のコートジヴォワール暴動についての私の視点はコートジヴォワール人とフランス人のどちらが良い、悪いという次元ではありません。コートジヴォワール国籍の黒人、白人は同時にフランス国籍も所有している人が多いということを忘れないでください。母国の家族のためにコートジヴォワールまで出稼ぎに来ているフィリピン人だっているのです。

自らが家族と共に、あるいは自身の仕事を向上するがために「ここで生きて行こう」と日々精進している土地を自分の意思ではなく、他人に突然「即刻出て行け」と命令されたら・・・自分だったらどうしますか?まず何から手をつけますか?幼い子供がいればまずは子供の身辺整理でしょう?おしめは何枚自分の両手で抱えることができますか?おそらく自分の身辺整理をする時間はないかもしれません。もし自分の宝物がとてつなく大きくて空港まで背負って運んだのに係員にいとも簡単に「捨ててください」と一言言われたら?・・・諦めるしかないのです。身支度をしている間、どれほど時計の秒針が進む音が大きく聞こえることでしょう。それとはリズムの違う自分の心臓の音も聞こえてくるはずです。

11月11日から始まった避難民約6000人の移送。
パジャマだけでフランスにたどりついた家族もいます。換えの下着なんて持っていません。とりあえずタンクトップとサンダルで飛行機に乗り込んだ黒人の少女もいます。フランスが本国に運んだのは白人だけではありません。フランス退避を希望した黒人も出稼ぎのフィリピン人もいます。飛行機が常夏のコートジヴォワールを離陸し数時間後着陸した土地は既に真冬のパリでした。救急用の銀紙に巻かれて暖房の入った建物に運ばれる人々・・・。

コートジヴォワール国内では買ったばかりのコンピューターも粉々にされ、何時間も考えて作成しファイリングした書類を全て破かれ、月賦も払い終わっていない車に放火され、やっと建てた家も窓は割られ壁にひびが入り・・・。今まで地道に築いたものが目の前で粉々にされる恐怖。子供だったらバービー人形やテレビゲーム、寝る時に必需のぬいぐるみさえ持ってこれなかった・・・親は「また買ってあげるから」なんて言葉を子供に言うのでしょうか?
共に生活していた犬や猫はどうなったのでしょう?

私が思いを馳せたのはこの瞬間だけです。
政治でも経済でも歴史的背景でもありません。
私がもしこうなったら・・・おそらく根っからのケチが災いして私自身が土地を離れる決心ができません。猫と一緒にいる。きっと家の大黒柱にしがみつきます。誰かに(おそらく夫に)無理やり引き離されて我が家庭を去ることになるでしょう。

コートジヴォワールを例に取りましたが、これはパレスチナでも、イラクでも、コソボでも、アフガニスタンでも、クルドでも、ソマリアでも、チベットでも、ある時は黒人が、ある時は黄色人種が、ある時は白人がそういう「何もかも諦めなければならない現状にある」ということです。

そうしなければならない瞬間は人種差別という次元を遥かに超えているのは確かです。
この危機を肝に銘じなければならないと思うのは私だけでしょうか?

平和な島国・日本に住む日本人には当面想像さえしなくてもよいことなのかもしれません。
[PR]
# by ma_cocotte | 2004-11-28 18:40 | 『?』な阿弗利加ん | Comments(0)
愛し合う二人が結婚できない理由とはなんぢゃらほい?
国営放送France2に「Ça se discute」という番組がある。番組がある身近に起こる問題・疑問を一般視聴者に提示し経験談を募る。採用された視聴者のミニドキュメンタリーを局側が作り,それを公開番組で見ながら司会者,本人,ゲスト,専門家(心理学者,精神科医であることが多い)とぢっくり「明るい未来に向けて」話し合うという番組作り。そして彼らの後日談を放映する「Jour après Jour」という姉妹番組もある。両方とも非常に淡々とした作りだけど現実社会にどっかり足を据えた内容は見ているうちにぢわぢわと好きになってしまう。

2週間ほど前の「Jour・・・」。近年フランスで多発している「フランス人女性がマグレブ系男性と結婚し出産,その後不幸にも離婚となった途端,男性が子供を連れて行方をくらましてしまう」という問題が取り上げられた。双方の愛を信じて結ばれたもののフランス人女性が改宗しないまま離婚に至った時このような「子供と生き別れ」という問題が浮き彫りになってくる。
この日登場した女性の一人はジュネーブ在住でマグレブ系の前夫との間に三人の女の子。離婚後彼は3人の子供と共に祖国に「消えてしまった」。彼女はフランス国内に住む前夫の母親を探し出し子供達がアルジェリアにいると教えてもらった。その後ジュネーブのモスクを彼女は訪れた。「夫の居場所を知りたい。子供にも会いたい。」と彼女が言った途端,黒ひげを蓄えた男性が「まずは日に5回ひざまずいて祈りなさい」と行ってドアを閉めてしまった。

・・・なんかやりとりがちぐはぐ。

信仰相談に行ったわけぢゃないのに・・・。
結局彼女は弁護士や人権擁護団体もろもろに助けを求め子供3人との再会を果たし,この日は子供連れで再登場!言葉にならない彼女の喜びがひしりと伝わってきた。

(現在放映中のTF1の人気番組「Star Academy4」の候補生の一人にフランス人女性とアルジェリア人男性の間に生まれたSofianeという男の子がいる。両親が離婚を決めた時に母親が絶対に手放さないでパリまで連れ帰った子供が彼だ。)

5月だったかFrance3で「結婚」をテーマにしたオブニバスドキュメンタリーが放映された。ひとつは「ユダヤ人女性とアルジェリア人男性の結婚」。パリ在住の二人が恋に落ち挙式の日までのエピソードが次々と流れた。当の二人も双方の家庭も「こうしてフランスに腰を落ち着けたのだからこのような形があってもいいのではないか?」という意見の持主。挙式はユダヤ式とカビル(アルジェリア少数民族)式,市民婚の3つを行うことにした。彼らはフランス人がよく使う「respct」の精神を貫いた(すばらしいよね?)。結婚を決めた二人がそれは幸せそうで見ているこちらまで「よかったねぇ」ともらい泣きしてしまうほどだった。

この「結婚」の番組は7月に再放送された。私は「また見ちゃった」。
翌日職業訓練校のイスラム系クラスメート達に私が「昨日の番組良かった。幸せそうでいいことだべ。」と言った途端,即答で「だめよ。ユダヤはだめ!」とカビル系アルジェリア女性が叫びモロッコ,チュニジア,アルジェリア女性陣が同調していた。プロテスタントからイスラムに改宗したマダガスカル女性だけは八の字眉で悲しそうな表情をしていた。
この反論にびっくりしつつも私が「なぜだめなの?愛し合う二人が結婚できて幸せぢゃない?なぜダメなのか理由を教えて。」と言っても,「ダメなの!」の一点張りでとうとう最後まで理由を話してくれなかった。もちろん未だにその拒否理由は存じません。

人それぞれ「愛の在り方」は違い「愛情は何かと比較されて格付けされると決して第一位ではない」ということでしょうか?

私にとっては今まで信じ続けてきた単純な結婚観がガンラガンラと崩れ「私が信じていたことは間違っていたのかな?」と頭に浮かんでしまうのだ。

今でもだいぶかなり心にひっかかっています。

そういえば夫の母が「日本人と結婚したら離婚時に子供を奪っていくかもよ。よく確かめなさい」と夫に耳打ちしたっけ・・・。っざっけんなよ。
[PR]
# by ma_cocotte | 2004-11-28 18:10 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
「返して」とお願いしても「戻ってこない」もの(其の弐)
【英国小史】「返して」とお願いしても「戻ってこない」もの(其の壱) は国と国,旧教と新教(アングリカンを含む),「天上」の最高権力者が絡むお話でした。

こんにちは大英帝國の下界におりてみませう。

エジンバラから南下すること1時間ちょいにダーラム(Durham)という北イングランドの美しい小都市があります。町の中心・小高い丘の上には1132年に完成した大聖堂と1072年に建設されたダーラム城(1832年以降はDurham大学大英帝國大学ランキングで例年第6,7位)が聳えています。

私はなぜかこのダーラムに縁があり(友人二人がこの大学を卒業しています),1999年エジンバラ旅行のついでに北イングランドに南下してダーラム郊外にある友人宅を訪ねました。エジンバラからニューカッスルまで行き,ここから支線に乗り換えて友人の彼が住むSunderland(HONDAの欧州工場がある町)にも寄りました。

1986年には世界遺産にも指定されたこのダーラム大聖堂内には二人の聖人のお墓があります。ひとりは聖カスバート(Saint Cuthbert, 687AD没),もうひとりは聖ベド(Saint Bede,673-735AD没)。カスバートさんは7世紀,ベドさんは8世紀に亡くなった聖人ですが,ダーラム大聖堂はローマンカトリックの大聖堂として12世紀に建てられたものの,16世紀ヘンリー8世の英国国教会設立に伴って現在に至るまで英国国教会のカテドラルであります。でもお墓の中の二人はローマンカトリック(つまりヴァチカン)が列聖した聖人になります。

b0070127_0296100.gif

b0070127_029447.jpg
← 右も左も聖Bedeさん →
アングロサクソン人。
哲学者でもありベネディクト会修道士だったそうだ。
どおりで右も左もがり勉くん。


今から500年前「天上の人々の争い」に教会が巻き込まれたものの現在に至るまでダーラムの丘の下には「命も惜しいしお上が言うんぢゃな」とアングリカンに改宗したイギリス人もあれば「いや国王といえども離婚はいかん!」とローマン・カトリックの信仰を迫害されても守り通したイギリス人もいるのです。
今もダーラムの町でローマンカトリックの人に出会うと丘を見上げて「建物はアングリカンだけどローマンの聖人二人が聖堂の下で人質になっているのよ」なんてにやりと笑って話されたりします。

「取ったもん勝ち」の英国国教会と「泣くに泣けない」ヴァチカンのお話【其の弐】でした。
[PR]
# by ma_cocotte | 2004-11-26 00:43 | 『?』な大英帝國 | Comments(0)
「返して」とお願いしても「戻ってこない」もの(其の壱)
どのくらい昔のことでせう。
今は昔やうやう白くなりにけり。

週刊マーガレットで「七つの黄金郷」という漫画が連載されました。漫画家の山本鈴美香氏が「エースをねらえ!」の連載終了後,次にとりかかったのがこの大作でした。おまけに完結しているのか?いないのか?謎の漫画です。「七つの黄金郷」の舞台は16世紀エリザベスⅠ世統治下のイングランドを中心とするヨーロッパ社会。新教vs旧教の争いを絡めた大ロマンです。

こんにち私が以下に書くことはそのエリザベスⅠ世女王の父上ヘンリー8世の身にふりかかった事件が現在に至るまで引き継がれているという大英帝國小史です。
by the Grace of God of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of Her other Realms and Territories, Queen, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith
これ(↑)1953年5月28日付『ロンドン官報』3023ページに載った大英帝國女王の正式称号です。日本語に訳すと,
『神の恩寵による大ブリテン島および北部アイルランド連合王国ならびにその他の王領地および領土の女王,コモンウェルス元首,信仰の守護者』
20世紀に入り大英帝國国王の正式称号は1901年,1927年,1947年と既に前世紀100年間で3度,1922年の南アイルランド独立や1947年のインド,パキスタンの独立に伴っての変更でした。

16世紀から現在おそらく未来永劫,大英帝國に国王が存在する限りこの長い称号でほぼ絶対に省かれない2文があります。それは上記で下線が引かれている二語,
by the Grace of God 『神の恩寵による』
Defender of the Faith 『信仰の守護者』
です。
実はこの『信仰の守護者』という「称号」は16世紀にヘンリー8世がルターの教義に反対した「ごほうび」としてローマ教皇レオ10世から授けられたものです。この数年後ヘンリー8世は彼の子供を身ごもった愛人アン・ブリン(エリザベスⅠ世の母)と再婚するためローマン・カトリックと決別しアングリカン・カトリック(Church of England 英国国教会)を創設。おん自らが教皇になりかわって「英国国教(アングリカン)における最高の長」となりました。現エリザベス二世女王に至るまで大英帝國国王は英国国教会の最高位を兼任しています。
というわけで激怒のヴァチカン(ローマ教皇庁)はヴァチカンとの決別を宣言したヘンリー8世に与えた『信仰の守護者』の称号を剥奪することを決定しましたが,対抗してイングランド議会はヘンリー8世が『信仰の守護者』であると確認する法律(ヘンリー8世治世第35年法律第三号)を制定したのです。

b0070127_022086.jpg
← ヘンリーの八っつぁん
俗にHenry 8世とも呼ばれる。
1491年6月28日生-1547年1月28日没
テューダー朝のイングランド王(在位 1509年4月22日(戴冠は6月24日)-1547年1月28日)、アイルランド王(在位、1541年-1547年1月28日)。
イングランド王ヘンリー7世の次男。
娘二人(メアリィとエリザベス)は歴史に名を残す「女王」となる。(が,はっつぁんがパパだと思うと私ゃ彼女達が気の毒にもなる。エリザベス1世が生涯独身だったのもわかる気がしゅる)そして生涯で6人の王妃を持つという遍歴は他の宗教創始者と肩を並べる。(そんな肩を並べてどうするんぢゃいっ?)
この16世紀の「絶対に返さないよーだっっ」というヴァチカンに対してのイングランドの意地が21世紀の現在に至るまで国王称号に生かされており,なんと大英帝國硬貨のエリザベス女王の肖像に刻印されている「F.D.」の文字は「Faith Defender」の頭文字。
英国国王は『信仰の守護者』である
という大英帝國独自の主張を今も国民いや全世界で英国硬貨を手にする人々に顕示しているわけです。ユーロ導入を拒んだのもFDの文字を失いたくなかったことが深層原因だったりして?


「取ったもん勝ち」の英国国教会と「泣くに泣けない」ヴァチカンのお話【其の壱】でした。

■ちなみにアングリカンとローマンですが■
[PR]
# by ma_cocotte | 2004-11-26 00:27 | 『?』な大英帝國 | Comments(52)