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「そんなの、ありえなーい」ことにも屁理屈があったりする。
きょうの朝、フェイスブックを開いたら、在日フランス大使館 から【復活祭(Pâques, パック)には、たまごやうさぎ🐰など色々な形のチョコレートを見かけますが、それぞれに意味があります。】という文章と共にこんなお写真が届いておりました。
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なんだか今週はじめあたりから日本国内でクリスマス、ハロウィンに続いて復活祭商法が盛んになっていると話題が飛び交い出したところで、この話題のご提供。実にタイムリィであります。こういう理由を抜きに、知らせず、知らないまま、復活祭の賑わいだけ日本に取り込んでお金を稼ぐというのは、なんたる島国、なんたるドメスティック、なんたる国際的孤立でありましょうか。日本国民よ、たまごをたくさんいただいて、子供をたくさん産みましょう!が、日本国内で復活祭を広める理由に現在の日本政府が選びそうだよね・・・

「聖書なんて童話」「キリスト?なにそれ?」と失笑しながら言ったり、「ヒトは死んだらそれまで。(だから、地上天国で自己中心の繁栄幸福)」とか「一度死んだ人間が3日で生き返るなんてない、ない、ない」と信じているひとが多い日本で写真のように卵やうさぎにさえ意味が含まれている復活祭をどう生かすンだか。ちなみに復活祭直前の金曜日はキリスト教の宗派の中には「断食、絶食」を実行している方々もおります。商売あがったり~。

とかなんとか書きつつも、きょうびフランス共和国では幼児洗礼さえ受けていない白いひとの方が多いくらいで、土曜の日没から始まる復活徹夜祭において今年は4503名のオトナが受洗するのだそうです(フランスカトリック教会大本営からの 発表 による)。ですから、共和国内のキリスト教を知らない家庭では復活祭は年に二度ある「ファミリーデイ」だから、金曜夜から大騒ぎに突入されることもある。

今年の復活祭は正教と旧教が久しぶりに同日祝賀です。実におめでたいこってす。


le 14 avril 2017, Vendredi saint







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by ma_cocotte | 2017-04-14 16:52 | 『春』 Rien de spécial | Comments(2)
マリアさまが知らせたところで、ぢーざっさんは既にすべてご存知でしたとさ。
先週末だったか主日を迎える直前についうっかり見聞したニュウスがあり、それはフランスはリヨン大司教区の教区司祭が結婚を理由に還俗したというものでした。確か、その第一報ではこの司祭が還俗後には終身助祭の役目をもらうと添えられていた記憶がありますが、それはガセだったのかな。「司祭から終身助祭に役目が替わる」というのはなかなかよろしいンぢゃなくて?と私は喜んだのにな。聴罪ができなくなる、聖変化できなくなること以外、終身助祭ならば授洗、婚姻、葬儀を司れるわけで、将来のことは神のみぞ知るですが、もしこの司祭の夫人が先立たれたら、彼は司祭職に戻るなり、修道生活に入るなり、祈って決めればいいのです。我々が知ったこっちゃない。

で、スキャンダル発覚について、ですけれど、「結婚するので還俗する」という事実についてご本人も、上長である教区長(リヨンの場合、最長上はバルバラン枢機卿です)も世間や世俗信者に隠さなかったことがさいわいでした。これが隠し事になってしまうと、そこは「神の不在」になるわけです。正確には「隠そう」と決めたひとびとの間に神がいない。これ、矛盾ですわな。婚姻だって新郎新婦の間に神が存在することで成り立つのですからして。つまり、「神が不在」の場で「隠そう」と決めたっちゅうのは、そこはたとえ目に見える聖堂だろうが司祭館だろうが、どこぞのレストラン、道端でもこの際構いませんけれど、天国でもないし、エデンの園でもない。天国でも、エデンの園でもない外の世界でいくらローマンカラーをはめてようが、頭をすっぽりヴェールで覆っていようが隠し事が成り立つのであればカトリックが口酸っぱく教えている「かみさまといつも一緒、わたしたち、みんな」が崩壊するので、(初聖体を終えたならば)齢一桁のガキだって「わかんなーい。なんで神様はなんでもご存知なのに隠せンの?」と親に質問するでしょ。

と、ココで「初聖体を終えたならば」につっかかってみますが、2007年だったか、ベネディクト16世教皇様がルルドを訪問された時、現地で開催された司教総会の初日にフランス共和国内の教区を治めるすべての司教の前で、司祭減少、洗礼減少、司祭の妻帯、離婚うんぬんフランス司教団が挙げた現在のカトリック諸問題について何事も要理の勉強が不足、怠っていることに問題がある、とおっしゃった。あまりに図星だったので、ベネさまのこの発言に妙に感動した記憶が私にはあります。

それから9年と半年。
今回のスキャンダルというか報道で騒ぐ世俗の知人を眺めていると、フランスのカトリック教会において要理(カテキズム)の学習位置はベネさまの来仏以前と大して変わっていないのだなあとよくわかりました。ココんちの近隣に住む伝統主義のご家庭の親御さんが「今の教会学校に子供をあずけたところでお菓子をいただいて遊んでオシマイ。ならば通う意味ありません!」とおっしゃるのは、あらためて「ご尤も」ざます。

今回のケース。
リヨン大司教区では有名な司祭だったこともあり、一般全国紙でも記事になったようです。だから、カトリック信者でない多くのフランスびとにとってはワクワクするような下世話さが脳に生み出されますが、もしカトリック信者だったら告解のことやら、上長と彼の間の「深いやりとり、物事の進め方」などが気になってくるので、その結果「隠さないで、めでたし、めでたし」と神父様が今後、家庭召命を善くまっとうされるよう背中を押す気持にもなります。妻子を隠している司祭の隠れ家やら生活の援助という方向に話が持っていかれるのは、ちょっと「あなたはしても、わたしはしない」ですわね。

まあ、元はカトリックが国教だったフランスという国でさえ、今ではカトリックヲールドに住まう生涯独身を守るひとびと(ex 聖職者、修道者)について謎にしか見えない民の方がマヂョリティですが、きょうびフランスでは司祭館にひとり暮らしの司祭が多いですが、ひと昔前まではひとつの司祭館に3人以上の司祭が住み、教会と司祭館の雑務は世俗男性または「世俗の40歳以上の婦人」が関わっていました。
余談:私が通っていた学校の司祭館の雑務はシスター方が行っていました。
なぜシジュウ以上なのかと言うと、昔はシジュウ過ぎた女性は閉経もしくは「子ができない」と決めつけられていたからです(今はそんなことは愚かしい誰もが知っている)。今でもココんちのような超ウルトラスーパーど田舎のカトリック世界では司祭館の用務は世俗男性グループが中心だったり、ひとり住まいの神父様にはほうぼうのマダムが手料理を届けるし、逆に神父様を各家庭に日替わりで招いて食事を共にするなど行っていたりします。神父様によっては近所の女子修道院や修道会運営の高齢者施設の食堂のお世話になっていることも。ういう彼らの生活スタイルについても、私たちが「知る」機会は平等でないので、知らないひとびとには誤解やよからぬ想像になってしまうこともあります。この世は決して天国ではないし、天国の存在を信じないひとびとも多々います。だから、いくらヒトがこさえた塀の中の聖域に住もうとも、女難、男難に贅は常にすべてのひとに襲ってくるし、その中から宝を見つけるひともいる。そして、この世には聖職者や神学生ばかり好きになってしまう男女がいるのも現実なのでねぇ。それについて第三者が聖職者やら彼の恋愛対象者を批判するのも軽率に思えます(省くことの幼児性愛)。だって、そこに掛け替えのない愛が生まれたら、周囲は彼らをしあわせに生きられる方向に送り出すのも「務め」ではないかと思うからです。カトリックの聖職者や修道者が生涯独身なのは「ただひとり、イエスさまへの愛」を貫くためであって、この世でその愛が二分するなら聖域での生活は難しいですよ、はい。

兎に角、愛が芽生えたのに、愛が育まれているのに、それを「隠す」のはあり得ないでしょ。愛を隠すひとからいくら「神を信じてます」とひつこく言われてもアホらしいです。ロジック崩壊w

死ぬ瞬間までおべんきょ、おべんきょ。


le 24 février 2017, Modeste



「司祭の結婚を理由とする還俗」についてはひと昔前、ココで揉めた記憶がまだかすかに残っているので触れたくなかったンだけれど、ね。ま、いっか。




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by ma_cocotte | 2017-02-24 19:06 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
三賢王礼拝のお祝い日
2017年もめでたく1月6日を迎えることができました。
こんにちは西方の教会におかれましてはエピファニ l'Épiphanie du Seigneur、=三賢王の礼拝の祝日でござあます。祝着至極なご慶事のこんにち、西欧諸国ではおめでたいお菓子をいただく生活慣習があり、シューキョーを取っ払って今は遊ぶようになりました。

というわけで、今年のココんちでも今日の良き日のおめでたいお菓子、ガレット・デ・ロワを買いました。
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いつもお世話になっている旧市街のパン屋さんで買いました。
このお店のガレットの値段はグラム売りなので、一番小さいガレットをいただきました。
ポワトゥ・シャラント産のAOPバタアを使ったガレットです。

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このパン屋さんのガレットはポワトゥ・シャラント地方で既に受賞経験があるほどで、今年も一口いただくと同時に想像をはるかに超えるおいしさに身悶えました。中の餡もアーモンドの渋皮がまざったもの。私個人はアーモンドの黄身餡より渋皮が混ざり目が粗いアーモンド餡が好みです。

さて、こんにちのガレットを四等分し勝負しましたが、第一回戦に陶器は見つからず。
第二回戦で勝負がつきました。





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ココんちの邪な横柄王くろヴぃすに戴冠。
くろヴぃすは既にココんちの王ですが、新たに王座に就きました。


そして、勝者のガレットから登場したのは、
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PANORAMIX

なんぢゃ、これ?と首を傾げていたら、ココんちの仏蘭西びとからアステリクス&オベリクスの登場人物ではないかと返答をもらいました。なんだかなあ。昭和の化石、前世紀の化石の私としてはガレットの中から聖誕の登場人物やグッズが出てきてほしいです。贅沢な夢のような希望ですね。お菓子そのものはすこぶるおいしいのだから我慢。


le 6 janvier 2017, Gaspard, Melchior et Balthazar

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by ma_cocotte | 2017-01-06 16:46 | 『冬』 Rien de spécial | Comments(0)
もうひとつの、ナザレ
きょうの朝も夜明け前にぼんやりとこんにちの聖書朗読箇所に目を落としましたら、第三番目の朗読、福音朗読が以下のとおりでした。


福音朗読 マタイ2・13-15、19-23 子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい。

2・13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。




あれあれあれ、昨日、ココにエントリーした聖母像は「ナザレ」の教会にあるものです。けれども、新約聖書のナザレは地中海東岸はパレスチナにあるナザレであり、私が昨日お話ししたナザレは欧州はポルトガル、大西洋岸に面した小さな漁師町のナザレ Nazaré です。この漁師町のナザレは海岸に面したカルティエと、その傍の断崖絶壁の上のカルティエから成っています。
断崖絶壁から下方の海岸沿いのナザレを眺めた写真。2011年10月、私がファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに行く途中、ナザレに寄り、シャッターを切りました。
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実はポルトガルのナザレの名称はアラビア語のナザレのままですから、地中海東岸はパレスティナのナザレと同じ意味になります。ポルトガル語の中には現在もかなり多くのアラビア語が含まれ同化していることが理由らしいです。余談、ポルトガルのファティマもアラビア語そのもののままです。

上の福音箇所に聖家族(=父ヨゼフ、母マリア、子イエス)がエジプト亡命後、ガリラヤ地方のナザレで暮らし始めたとあります。私の記憶が確かならばヨゼフさまは大工を生業にし、生計を立てていました。地図でイスラエルのナザレを見ると、地中海とティベリア湖の丁度真ん中あたりで、当時の聖家族は「静かな田舎暮らし」をされていたのではないかと想像します。

で、ポルトガルのナザレ。イスラエルのナザレとは異なり、大西洋に面していますが、ココに暮らす民の成人男性のほとんどが漁師であり、彼らの妻は周辺で採れた果物を干したり、家の中で手工芸を行い、それらをナザレに来る巡礼客をターゲットに露店で売り、家計を助けています。ポルトガルの国全体が他の欧州国に比べ貧しいですが、そのポルトガルの中でもナザレは特に貧しい集落なのだそうです。「貧しい小さな町」というあたり、どこかジーザっさんが育ったナザレと似ているかもしれません。
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この写真 ↑ は断崖絶壁の上にある広場の露店です。干し果物屋さんで、左の女性が「ナザレのおんな」。
「ナザレのおんな」には21世紀から15年を過ぎた今でも継続している伝統があります。それは、夫が亡くなった後、ナザレのおんなは一生涯、頭の先から足のつま先まで黒装束で固めるという習慣です。一目でわかる「未亡人」。ですから、ナザレの町を歩いていると海岸沿いでも、断崖絶壁の上の集落でも黒装束の女性に割と出会います。
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↑ 土産物屋の店番をしているこの方もそう。
しちりんでイワシを焼いているこの方もそう ↓
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一見穏やかなナザレの海ですが、時折、突然の高波が襲い、漁師さんが生命を落とされることがかなりの率であるのだそうです。そういう生活文化史の中で未亡人の黒装束の習慣が生まれたのだとか。

さて、妻たちの露店の話でナザレには観光客ではなく巡礼客が押し寄せることを書きましたが、なぜ巡礼客なのかと申しますと、このナザレにはあのファティマよりかなり前に聖母が出現されたのですね。断崖絶壁の上にそれは立派な教会聖堂があり、その中に聖母出現を表す絵画が掲げられています。
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コレ ↑ がそう。ナザレの断崖絶壁と海が描かれていますね。右の白馬が立つあたりにはおんぼろの祠が今も残っています。中に祭壇があり、地下に聖母子像が安置されています。
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ナザレは日本語の「ひなびた」という言葉が妙にしっくりくるように思えました。
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いつかまたできれば訪問したいです。


le 30 décembre 2016, Sainte Famille

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by ma_cocotte | 2016-12-30 16:04 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
剣で刺し貫かれた心
きょうの朝、いつもどおり、今日の福音朗読箇所を読み進めていたら、こんにちの福音朗読はルカ2章の22から35節です。この箇所、教゛会ではあまりにも知られた箇所で鍵語は「シメオン」。こんな話なんざんす。文中の数字は節数です。


福音朗読ルカ2・22-35 異邦人を照らす啓示の光

2・22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
31これは万民のために整えてくださった救いで、
32異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」





以上。これを読みつつ、最後の最後のシメオンがマリアさまに話されたこと。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」で、脳裏ににぼわああんとこれ ↓ が浮かびました。
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聖母マリアさまです。
ファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに向かう途中に寄ったナザレという漁師町の教会で出会った聖像です。
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剣を抱き、胸の中心からは血が流れ、天を仰ぐマリアさま。私たちの心の中の思いを知り、天を仰いで涙しているのでしょうか・・・。


le 29 décembre 2016, David

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by ma_cocotte | 2016-12-29 22:23 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
親にもらった権利をありがたく政治利用するw
まったくもって変な話である。
フランスの中道よりヒダリの政治家の多くが自称カトリックまたは自称キリスト教徒と名乗っているけれど、それはその政治家自身の意志や意思ではなく、本人が生まれた当時の世間の生活慣習や親をはじめとする家族の意向でまだ自覚ないであろう赤ん坊の自分がキリスト教の聖堂に連れて行かれて水をぶっかけられて祭壇に乗せてお祓いと祈祷してもらった・・・それから10数年後、自らの意思で社会党や共産党の思想に心酔し、カトリックやキリスト教の生活慣習から離れ、その世界におけるタブーを破っての「今がある」というのが彼ら、フランスの中道よりヒダリの方々の実体です。票を稼ぐために自称カトリックを用いる政治家は多々います。自分は生まれたての赤ん坊だったので親が勝手に決めた洗礼の事実を利用しているわけ。そういう彼ら、決してフランス語で言うところのカトリック・プラティカント、クレティアン・プラティカントではありません。つまり、日曜日に主日礼拝に通ってません。これってキリスト教に限らず、ユダヤ教や稀にイスラームの信者である有名人だって同じですよね。必ずしもユダヤ教やイスラームの生活スタイルを守っているのではなく、成人して独立するまでの青少年期は親の元で割礼に始まり信仰に基づいた厳格な生活を守っていても、たいていは高校入学後の政治運動、大学入学後の一人暮らしをきっかけに「実家のシューキョー」から離れたひとがおフランスの中道より左派の各政党に集っているわけです。中道よりヒダリでカトリックプラティカントだったのはミッテラン大統領くらいぢゃなかろうかね?(そのせいでミッテランさんの本妻は彼と一緒ではなく、宗教色のない葬儀と実家の墓への埋葬を遺言したわけで)

カトリックの慣習について重箱の隅を突っつけば、幼児洗礼は親(少なくとも片親)がカトリック信者でないと受けられないし、その親は教会で婚姻の秘跡にあずかる前の勉強で生まれてくる子供の養育義務についてしっかり教え込まれるわけで、そこには子供の幼児洗礼、初聖体、堅信までは親の責任であるという務めがあります。堅信という秘跡は教会世界においての成人を意味するので、そこから先の堅信を済ませたひとは自分で「生きる道を探求」せねばならず、それに親が強い口出しをするのは「よろしくない」ンですな。(堅信はユダヤ教だとバルミツバの習慣と捉え方に近しいと思います)

というわけで、おフランス中道よりヒダリで、国際的に有名であろう政治家さんたち、例えばオランド現大統領、彼の元パートナーのセゴレエヌ・ロワイヤル女史、次期大統領選に出馬表明したマニュエル・ヴァルス、エンマニュエル・マクロンの成育歴に上にあげたカトリックの決まりごとが当てはまることになります。しかも、オランドさん、セゴ姐、ヴァルス、マクロンなどそれぞれの実家は「熱心(すぎるほどの)カトリック家庭」w 自らの社会党支持運動のせいで実家と絶縁されてしまった左派政治家もいます。ああ、仏社会党を辞め、限りなく共産党に近い思想を掲げているヂャン・リュック・メランション Jean-Luc Mélenchon もそうね。彼もすでに次期大統領選に立候補済み http://www.jlm2017.fr/
ダニエル・シュトラスカーンとブノワ・アモンはユダヤんなのでユダヤ教の慣習(生まれてすぐの割礼からバルミツバ)があてはまりますね。ああ、中道ミギの立ち居地ですがヂャン・フランソワ・コッペ(パン)もユダヤん。忘れちゃいけない、サルコぢは割礼と幼児洗礼を受け、両親の離婚後はユダヤんのママンに育てられたキフキフ(=アラビア語で五分五分)ですが、大統領になってケネディを真似するあまりカトリックっぽさをアピールしながら、重婚ing♪

ですが、彼ら、中道よりヒダリの自称カトリックの政治家さんですが、堅信以降(つまり、高校生になって以降)の教会からの離れっぷりはそれは華々しいものでして、もしフランス語が読めるのでしたら、興味ある政治家の名前を検索すればどんだけカトリックの教義から外れた生き様をそれぞれが証しているかよぉおおくわかります。離婚もしているし、重婚もしているし、未婚のまんま同棲と出産もしている(以上、カトリック教会では「それは、罪ですね」のうちの数例にあたります)。

昨日、首相に任命されたベルナアル・カズヌゥヴの場合はカトリックを本人が名乗ったとしても幼児洗礼だけの可能性が高い。少なくとも片親がマルクス主義者で、アルジェリアで1963年生まれのカズさんですからねぇ。そのマルクス主義者の親は当時のアルジェリアでどのような働きをしていたのでしょうね。それの方が興味ありありw もしカズさんがカトリックだとして、アルジェリアのどこかの教会での籍を調べたら初聖体、堅信は未記入だと想像しますが。ちなみに、カズさんは1995年に最初の結婚をし、二人のお子さんのパパですが、2015年に再婚したことで、初婚の相手と離縁です(これもカトリック教会生活ではアウト)。

大雑把に話せば、カトリックという宗教においては幼児洗礼の子が堅信にあずかって以降、死ぬまでの放蕩についてほおっておきっぱなしが基本です。もしご本人が教会に戻って来たい気持ちがあるならば、自分の罪に向き合い、認め、償うという務めが発生し、償いまでが済んだことを聖職者が認めたら、当人はその後、何もなかったように教会生活をすることになります。共産党に傾倒しようが、地上天国万歳と賛美しようが、地下に潜って頭蓋骨を拝んでいる石工さんだろうが、息を引き取る瞬間まで改心を告白し、赦してもらえる機会が与えられているのもカトリックざんす。だから、オランド王やセゴ姐、ヴァルスにカズさんやミギのヂュペも含めて、ご自分が息を引き取る瞬間に人生における罪を赦してもらえなくもない。ご本人が求めれば、が条件です。

こういう細かい事情があるのですから、次期共和国大統領選挙の候補者について「カトリック信者」のレッテルで平らに等しく並べたら、カトリック・プラティカントの、例えばフィヨンさんは内心ムっとなるかもしれません。カトリックと名乗りながら本当は石工なのに平気で聖体拝領している姿くらい、カトリック・プラティカント、すなわち普通のカトちゃんにとって気持ち悪いことはありません。「受洗しているのだから聖体拝領は権利」なんて反論、浅はか過ぎて恐ろしい・・・。ですが、一方で、教会聖堂内の冠婚葬祭の現場での聖体拝領で離婚経験者、重婚者などなどが「聖体拝領できちゃう」ことについてはまったくもって別次元にしっかりした「できてしまう理由」があります。コレについてはココで書きません。

そんなことより、ココで書き忘れてはならないことは、お政治家の自称カトリック宣言と周囲のレッテル貼り。中道よりヒダリではなくミギつきあたり、フランスの極右政党FNの支援団体にカトリック教条伝統主義の団体がくっついていますけれども、その極右政党党首の女性は離婚しているし、再婚もしています(これ、カト的には「重婚」)。なぜヴァチカン本丸との間に距離と溝があるカトリック教条伝統主義の団体が彼女のその点について向き合わないのか、普通のカトちゃんズには不思議すぎて失笑事項だったりします。ヴァチカンは優しくても甘くありません。

でも、政治の世界がこの世の中心ならば、次期共和国大統領選挙の候補者は中道のミギつきあたりからヒダリつきあたりまでほとんどがカトリックかユダヤんですよ。だって、彼らは生まれてすぐ、
洗礼受けてる、割礼受けてますからw
ただ、常日頃、感じ取り、思っている点ですが、中道よりヒダリの政治家さんたちの貧困や労働問題の救済案について同情を覚えられるのは、今はヒダリの彼らも幼少期はキリスト教をベースにした道徳、教育で育っているであろうこと、です。まあ、フランス共和国の近代史において、それまでの過去において教会が行っていた慈善行を完全政教分離した政府が奪い、真似て、病院、初等教育をはじめとする公共施設を次々とこさえていますからね。ああ、フランスの市民婚の儀式なんて、まるでカトリックの婚姻を茶化した「偶像崇拝ショー」ですよ。


le 7 décembre 2016, Ambroise de Milan



余談。
オランド大統領とセゴ姐の間のお子達は幼児洗礼は受けていないけれど、ヴェルサイユにあるイエズス会のガッコで育てられているのよね・・・。ボソボソ
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by ma_cocotte | 2016-12-07 17:41 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
それは、それは、昔の話をほぢくり返して、この世に平和と一致をお与えくださるかしら。
あああ、世知辛いことに振り回されて、忘れるところでした。
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今年10月9日に、ポワティエの大聖堂まで「いつくしみの門扉」をくぐりに行った時、大聖堂内部で中世時代の作品と思われる天井画の修復を見学する機会に恵まれたのでした。

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私はどういう理由だかサダメ(運命)だか、せっかく訪問した名所が必ず何らかの修復中なのです。ロオマのサンルイも、ファティマも、サンチアゴデコンポステッラもそうだった。先ず残念に思うけれど、少し考えて「これは『また、いらっしゃい』というお告げなのだと思うようにして自らを宥める繰り返し。ポワティエもこうして足場だらけでの見学になりましたが、計画では来年春には修復が終わるとのこと。

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↑ これはもしかして聖母の戴冠が描かれているのではないかなあと思います。

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↑ これは下方がはっきりしないのでアレですが、たぶん「天国と父なる神」?

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↑ こりは、我らがジーざっさんざましょ。

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↑ これは大天使のお三方、ガブちゃん、ミカちゃん、ラファちゃん。←それぞれの名前に「エル、=ヘブライ語で「神」のこと」をくっつけてください。



さてさて、ポワティエの大聖堂の天井画は現段階で十分に美しいですが、どういう色が乗せられていくのでしょうねぇ。
修復ですから鮮やかにはならないのだろうと想像しつつも、そーいや、スペインで数年前、ジーざっさんの肖像画を修復したらまったく生まれ変わったジーざっさんの絵になったというスキャンダルがありましたよね・・・まさか、この天井画はあれほどの激変はないと思いますが・・・わからん。

さて、修復されているのは4枚の天井画だけでなくそれを支える柱と壁に描かれている諸聖人も。
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薄くて存在が消えかかっているので確かではありませんが、右は剣のようなものを手にしているので聖パウロ、左はポワティエの守護聖人である聖ヒラリオ教会博士です。

聖ヒラリオ教会博士がなぜポワティエの守護聖人なのかと申しますと、第二代のポワティエ司教だったから。いつの時代にポワティエ司教区のエラいひとだったかと言うと、西暦349年から367年まで。そして、このヒラリオさんはエエところのボンボンで司教になるまで出世街道の真ん中をまっしぐらだったと説明したいところですが、その逆で、ヒラリオさんの司教になるまでは「苦節」で曲がり道クネクネでした。
ヒラリオさん、いちおう315年にポワティエ周辺の貴族の家に生まれています。でも、実家は異教徒だったので、本人の洗礼は345年頃。はい、成人洗礼だったんですねぃ。既に家庭の長、父親だったという説もしっかりあります。そのヒラリオさんが聖職者として実績を重ねているところで、アリウス派という考えがキリスト教において強い力を持ち始め、ヒラリオさんはその思想に納得しませんでした。それゆえ、アリウス派に心酔する当時のロオマ皇帝コンスタンティウス2世がヒラリオさんを東方(現在のトルコ)に左遷、すっ飛ばしてしまったのです。それが355年頃で、ヒラリオさんが再び生まれ故郷に戻ってくるのは361年になります。その5、6年の間、ヒラリオさんが東方で何を体得したかと申しますと、「唄う典礼」です。ヒラリオさんは西方(つまり、ロオマより西)の母国に戻って、礼拝で唄いながら神を賛美することをひとびとに教えました。ですから、今ではもしあの時、ヒラリオさんが東方に左遷されなかったら、西方教会では今も「唄わない典礼」をささげていたかもしれない、と言われています。もうひとつはきょうび、ヒラリオさんよりはるかに有名な「トゥールの聖マルチノ」とヒラリオさんの関係ですな。このマルティノさんはハンガリー生まれで、フランスはトゥールの司教になったことで世界の津々浦々まで知られていますが、ハンガリーからフランスに入国してマルチノさんは最初、ポワティエに寄ったのです。そこの当時の司教がヒラリオさん。ヒラリオさんはポワティエからそんなに離れていないリギュヂェ Ligugé 村の土地をマルチノさんに与え、東方で見聞した「(観想)修道生活」をやってみないか?と提案します。マルチノもその気になって、修道生活をリギュヂェで始めました。ここがおフランスで最初のキリスト教修道院の基礎ができたところなんて話もあります(現在はベネディクト会に受け継がれています)。マルチノはこの修道院で西方におけるキリスト教の修道生活なるものをほぼ熟させた後、トゥールに異動して、司教の座に座ったのでござるな。

以上、あんまり知られていない諸聖人伝。
ヒラリオさんは西方教会(=現代においてはカトリック)だけでなく東方教会(=正教会とも呼ばれる)でも聖人で、東方の世界では「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス」という名称で親しまれているそうです。そういう過去があるせいだかおかげなのか、近年、誰もが知る地中海東岸諸国での東方典礼で生きるひとびとが多くフランス共和国にも難民として移住しており、ココんちあたりでもカトリック教会が東方典礼の移民信者さんのために聖堂を貸したりしていますが、ポワティエでは、流石、大司教区、太っ腹だね。旧市街の聖堂まるごとひとつポンと東方典礼にプレゼントしちゃったのでした。証拠はこれ ← クリック、ぷれぇご。西方教会の建物を丸ごともらったところで、東方教会がそのまま聖堂を使えませんから、リフォームにかなり時間がかかっているようです。でも、聖堂が西方から東方に譲られど、名称は「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス教会」なんざんすね。・・・と、感涙(私だけかw

待降節にいい話ぢゃないか・・・。
おあとよろしいようで。



le 6 décembre 2016, Nicolas de Myrea

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by ma_cocotte | 2016-12-06 17:12 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
教皇が欲しい! 教皇ぢゃわからん!
相談しよう! そうしよう!
「教皇ってなーに?誰か教えてくださいな♪」はヂュペ陣営の台詞ですw
ええ、昨日の夜からですね、今度の日曜の最終決戦で取っ組み合うお二人、おフランソワ・フィヨン François Fillon とアラン・ヂュペ Alain Juppé が、フランス共和国にとってヨソの国ヴァチカン市国の元首であるロオマ教皇フランソワ(日本ではフランシスコで知られています)の取り合いをアカラサマに行い始めたのでした。

あたしは数万年前からフィヨン大好き、私は選挙権を持たないガイジンなので無責任かつ低レベルな贔屓を続けておりますけれども、昨晩は民放の雄TF1の20時ニュウスにフィヨンさんがナマ出演すると知り(フェイスブックでフィヨンに「いいね!」を押しているもんでねw)、いつもならFrance 2の20時ニュウスを見るのにTF1を最初から視聴したのです。余談、今朝になってそのFrance 2の20時ニュウスにはヂュペがナマで出ていたことを知りました。あー、見なくて良かったw そして、フィヨンさんへの生インタビュウを拝聴していたら「我こそはロオマ教皇と同性婚姻法反対運動に最も近い立場である。Je me sens plus proche du pape François que de la Manif pour tous. 」とボソっと言ったの。本当に声をひそめてボソっと。こちとら、聞いてヴぃくーり、ウサギさんでした。ライシテ(1905年制定の完全政教分離法)がすっ飛んだというか、こんなこと言っていいの?と。ですが、この一言って、きょうび共和国に5割いるかいないかの耶蘇生活宗旨を守っている共和国民(大部分が共和国のウルトラスーパーど田舎に住んでいるカトリックゾンビw)のハツをピクっとさせることは確実なのであります。少し視点を数日前に移すと、そーいや、エイメリカ合衆国の大統領決勝戦でトゥランpが優位に立ったのはまさしく商業より農業立国(州)なんですわな。田舎もんのチカラが証明されたわけです。田舎もんを甘く見ちゃいけねえ。

で、ココでそういうことを口走ったフィヨンさんではなく、アラン・ヂュペさん。
昨日から写真週刊誌パリ・マッチでフィヨンさんとヂュペさんの私生活についての写真記事が次々投げられており、これまたあたしのフェイスブックにぢゃんぢゃか届くのです。あたしゃ、アラン・ヂュペがキライではありますが、ちょっと「カトリック」を軸にした場合、チェックせざるを得ないところがあるわけです。で、ヂュペの私生活について読んだら、最初の夫人との間に一男一女(Laurent 49才、Marion 43才。ヂュペは公開したくないし、彼らも公開されたくないらしい)、現在のパートナーとの間に一女(Clara 21歳。蝶よ花よと育てられたこちらは絶賛公開中)。つまり、ヂュペはカト的には重婚なのね メモメモ。にも関わらず、カトリック系全国紙ラ・クロワがヂュペ推しなのが私には引っかかってならないのですが・・・・。と、きょうの朝になってカト絡みでおったまげのヂュペ発言を見つけました。
アラン・ヂュペがフランソワ・フィヨンについて "extrêmement traditionaliste" 、つまり「超伝統主義者」とレッテルを貼ったそうです。うわぁあああ、やっぱり、てか、あいかわらずアラン・ヂュペのカトリック音痴が丸出しwww いくらフランソワ・フィヨンがソレムの僧院のそばに住んでおり、ソレムの修道僧と懇意であるからって「超伝統主義者」のレッテルは貼れないでしょ。ヂュペ本人の発想なのか、周囲の参謀からの入れ知恵か存じませんが、このレッテルは共和国内の「普通のカトちゃん(ココでは生活宗旨を守っているひとをさし、洗礼受けただけのひとをハズします)」には通じるどころか、ヂュペからドン引き、絶対に投票するの止める!のきっかけに成りかねません。

まぢ、アラン・ヂュペって第二ヴァチカン公会議以降・・・と言うより、1988年のルフェーヴル派破門事件後のヴァチカンにつながるカトリックヲールドをご存じない。昨日のフィヨン氏へのレッテル貼りでバレたというか、ヂュペはフランス司教団に教会財産無断譲渡で訴えられ、敗訴してんのに、その後、何ひとつ状況把握に努めず、罰金払って「はい、おしまい」だったのね。いや~、まぢ、サイテー。

まあ、頭もツルツル、脳みそも無駄な皺だらけのヂュペとそのおとりまきにしてみれば、ココでフィヨンについて「超伝統主義」とレッテルを貼れば、カトリックを知らない共和国民がフィヨンと極右とのつながりを妄想し始め、今度の日曜にはヂュペに投票してくれる、と予想しての「噂流し」なのでしょうけれどね。極右政党がつながっているのは1988年以降破門状態である聖ピヲ十世会です。そして、ヴァチカンにつながるフランス司教団の財産である聖堂をボルドオ市長として勝手に聖ピヲ十世会にプレゼントしちゃったのは、あーた、アラン・ヂュペです。ヂュペの方が聖ピヲ十世会と近いわけ。

あー、アホらし。

ソレムとつながるフィヨンはヂュペのようなこと、しませんよ。
だって、ソレムはしっかりヴァチカンとつながっているので、そんなことしないもんw

と、以上を書いたところで、冒頭で書いたとおり、きょうび仏蘭西共和国の国民で毎日のカト的生活を守っているひとは5割を切っているのだから、昨日、アラン・ヂュペが流した根も葉もない嘘に惑わされる有権者は結構いると思います。しかも、カトリックを毛嫌いする極左や田舎のアテさん(個人的に単純にカトリックが嫌い、ムシが好かないだけで自分は無神論者と豪語して、カト信者をいじめることを趣味にしているひとたちw←結構、存在するのよ。)には起爆剤となり「今度の日曜はヂュペに投票しようぜ」の決定打になってしまっていますね。

うぅううん。
ヂュペにこんなことされても、仕返しするフィヨンくんではない。

これが吉と出るか、凶と出るか。投票日まできょうを含めて残り六日ざんす。
木曜日のナマ討論(TF1で放映決定)でヂュペがこの話題に触れるかもね。うぅううん、脳内便秘になりそう。だけれど、ヂュペがどれほどカトリック音痴を披露するのかちょと楽しみでもある。ああ、あたしの天国はますます遠くなりました。


le 22 novembre 2016, Cécile



しっかし、アラン・ヂュペについてですけれど、外務大臣経験者なのに他国の基本事情に疎いまんま。そして、ボルドオ市長経験者なのに、カトリックのボルドオ大司教区とは疎遠すぎて、世俗と自称しながら勝手にとっちらかったことを実行する。まあ、市長さんがそんな失笑に値することができるのも「今の仏蘭西」ですわね。
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by ma_cocotte | 2016-11-22 16:36 | よっ、大統領!2017 | Comments(0)
心底、ヤ。
エイメリカ合衆国の次期大統領がダアナルド・トゥランpに決まってすぐ、ダアナルドが大学のソフォモアまでニュウヨオクシティにあるフォーダム大学(イエズス会)で過ごし、いろんな意味で話題が絶えない長女イヴァンカちゃんがワシントンDC近郊のヂャウヂタウン大学(これまたイエズス会)でソフォモアまでの二年間を過ごしたことを知りました。確かトゥランp家の宗旨はローマ・カトリックではないし、初等中等教育ではなく大学の基礎課程がカトリック校だから聖書学やキリスト教概論を学んでも、カトリックの要理は学ばないから、あんな下品でひどいことを恥ずかしくもなく言えるのだろうと想像していました。

そして、今週になり、トゥランp次期大統領が次々と指名している側近について、スティーヴ・バノン、マイケル・フリンがいずれもアイルランド系エイメリカ人で、ローマ・カトリック育ちっちゅうことがわかってしまいました。なんでまた、次々発表される側近が次々アイルランド系&カトリックんなのだ?と気分を悪くしていたら、次期副大統領のマイケル・ペンスもアイルランド系&カトリックんで、現在は自称「エヴァンヂェリカル・カトリック」と名乗っていることを知りました。

最悪です。


le 20 novembre 2016, Edmond

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by ma_cocotte | 2016-11-20 21:13 | 『?』なエイメリカ | Comments(0)
10月1日が小ならば、2週間後の15日は大なのだった。
西方教会の方ならばこの見出しにピン!と来ることでしょう。
はい、毎年10月1日は典礼暦(仏蘭西の暦でも同じなのですけれど)で小テレジア(=リジュウの聖テレーズ)のお祝い日で、二週間後の今日15日は大テレジア(=アヴィラの聖女テレサ)のお祝い日です。お二方とも女子カルメル会の修道女であり、ヴァチカンから「おとめ教会博士」の称号をいただき、列聖されております。

ココんちの隣村にも女子カルメル会の小さな修道院がありますが、この10年、小やら大のテレジアさまの日の聖務日課に突撃しても、一度たりともわれわれ世俗のもんの目に見える「特別なこと」はなんら無く、修道女たちは「いつもどおり」。カルメル会ってそーゆーもんなのかなあ?と我が内心に概念ができたように思います。

が、2年前の今日、2014年10月15日。
わたくしはポルトガルから国境を越えてスペインに入り、豪雨の中、かのサンチアゴ・デ・コンポステッラに突入したのでございます。その時、バスの中から見つけたカルメル山のマリアちゃん!!!
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二年後の今、思うに、当時の私の老眼が軽くてよござんした。
しかも、動くバスの中でこうして写真を撮れた・・・
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二枚も。
今となっては自画自賛。ありはわたくしにとって小さな奇跡ざんす。

バスの中からこの二枚の写真を撮った時は「もしかして、ココはカルメル会?」と心の中でつぶやいた程度でしたが、数時間後にサンチアゴ・デ・コンポステッラの大聖堂のガイドさんから現地のカルメル会の存在と15日前夜から大テレジアを讃える聖務が修道院に住まう方々によって続けられていることを知りました。(やっぱ、おカルメル会におかれましては世俗の知らない世界があるのよね・・・)

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この2014年の巡礼。
あちらファティマのバジリカ聖堂も大規模工事中ならば、こちらサンチアゴ・デ・コンポステッラの大聖堂も外壁、内装の大工事中で本来の美しい姿を私は拝むことができませんでした。
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これは「また改めていらっしゃい、罪びとよ」という天からの声なのでしょうか。

le 15 octobre 2016, Thérèse d'Avila
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by ma_cocotte | 2016-10-15 15:05 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(2)