タグ:かとりっく ( 335 ) タグの人気記事
花の都お巴里16区は、流れ石
同じ共和国でも、超ウルトラスーパーど田舎で、パリのひとびとから「カトリック・ゾンビの棲息地」と失笑されるようなココんちあたりとは根本どころか抜本的に違う。

何が?って、ご覧のとおり、カトリック教゛会のヲールドのことなンですけれど。
堅信式、 confirmation のミサに中村江里子サマがご出席あそばしたとのこと。
私は Confirmation をいつも「こんふぃるましおん」と発声していたけれど、「こんふぁーましおん」が正しいのですね。メモメモです。
加えて、お写真を拝見する限り、堅信式に必ずいらっしゃるはずの司教さまが見当たらない。いずこへ・・・。せっかくの堅信式ですから司教様のお姿がどこかに映っているとよろしかったですね。

我が地元は5月6日土曜日の夕ミサで堅信式が行われたので、極東島国の田舎者の私は日曜午前ではなく土曜夕方のご慶事に顎がはずれそうになりましたけれど、お仏蘭西だと5月にもなれば午後6時過ぎてもお昼間のように明るいし、土曜夕方であっても主日扱いなンだから「問題なしよ」なのかもしれません。上つ方々がお決めになることなので、末席のこちとら疑問にくすぶってりゃいいのでした、まる

しっかし、パリ16区は違う。


le 23 mai 2017, Didier







[PR]
by ma_cocotte | 2017-05-23 15:30 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
ああ、うるわし、若葉揺れて、列聖最年少記録、たふたふ破れたり。
パリのエリゼ宮におかれましては主(あるじ)がフランソワ・オランド王から小童エマニュエル・マクロンに代わる儀式が行われております。そんなことどーでもいいけど、それより。

昨日の午後遅く、いつもどおり土曜の夕ミサに参りましたら、様子が違う。外まで聞こえる歌声と共に御輿に乗せられたファティマの聖母像と、それに続く神父様、侍者、世俗さん方が聖堂外環を一周りするという聖母行列が行われ、その後に主日ミサという流れになっておりました。(我が母校の聖母祭の行列をちょっと思い出した)

ひとつ前にエントリーしたとおり、2017年5月13日はポルトガルのファティマに聖母がご出現してからちょうど100年。昨日の午前中にはファティマの聖域にて聖母と6回に渡って交流した三牧童のうちの二人(フランシスコとヤシンタ)がフランシスコ教皇様によって列聖されるというビッグイヴェントもありましたし、今年の5月13日が土曜日ということもあり、聖堂満席の参列者でミサがささげられました。
b0070127_17314197.jpg
偶然というか、天においては必然なのでしょうけれど(あたしは未だ天に行っていないので真贋はわかりません)、昨夕、私が主日ミサにあずかるために寄った教会聖堂にはポルトガルからの移民が多々おり、この教会は毎週土曜夕方に主日ミサをささげているのです。聖母ご出現から丸100年目が土曜日にあたるなんて「ビンゴ!」ではありませんか。昨夕の「ファティマの聖母の祝日」と「主日ミサ」を兼ねたごミサではフランス語とポルトガル語のチャンポン式次第となりました。上の写真もよく見ると仏蘭西語と葡萄牙語が併記されています。

写真に映る入祭の歌は日本国だと黒革のカトリック聖歌集の622番ですが、葡萄牙語の歌唱だったので「アヴェ、アヴェ、アヴェ、マリ~ア♪」の部分だけ一緒に唄うことができました(日本語だったら暗唱してンのになあ)。そして、二時間に及ぶごミサの閉祭の聖歌はカトリック聖歌集の305番「みははマリア」でした。これ、お昼間のファティマでの列聖ミサでも唄われていたけれど、ポルトガルにゆかりある聖歌なのかしらね。この聖歌も日本語だったら完璧、暗譜暗唱できるけれど、ポルトガル語だったのでメロディを鼻歌ってました。てか、あたし、「みははマリア」が大好きなのよ。3拍子だし、最後の盛り上がりがたまらん。演歌歌手ごっこができるw

b0070127_17401306.jpg
で、昨夕の主日ミサ。
こうしてファティマの聖母の祝日を兼ねていたので、100年前の三牧童と同じ年頃の女の子と男の子が当時の装束とそっくりな格好をして、ミサの間ずっと、ファティマの聖母像と一緒に祭壇近くにいました。奉納のお手伝いをかわいらしくしていましたね。

昨日のお昼間にこの三牧童のうち、早逝したフランシスコとヤシンタの兄妹が聖人となりました。兄フランシスコは11歳、妹ヤシンタは10歳で他界したので、昨日の列聖式をもって殉教以外で他界帰天した聖人の最年少が10歳のヤシンタとなりました。

余談、おとといまでの、殉教以外で帰天した聖人の最年少者はドメニコ・サヴィオです。彼は14歳で帰天しました。ドメニコ・サヴィオはサレジオ会に縁ある聖人ですので、日本国内だとサレジオ会の小管轄教会に参りますとドメニコ・サヴィオの聖像やら御絵に出会える確率が高いです。この写真 ↓ は2008年10月6日に、私が調布のサレジオ会神学院の聖堂を訪問した時に撮ったドメサヴィですw
b0070127_17531823.jpg
まあ、ドメサヴィについてはこんにちの話題でどーでもいいことですけれど、私の記憶が確かならばドメサヴィの方がサレジオ会を創立したボスコ丼より先に列聖されたはず~(これにもきちんとした美談が残っています)。2000年の夏、私がイタリアのトリノを訪問した時は扶助者聖母バジリカ聖堂の祭壇向かって左側に、ドメサヴィの遺骨が納められた壺が安置されていましたが、今はどうなのだろう?2000年当時はこの聖堂内にボスコ丼と、昨日5月13日が記念日の聖女マリア・ドメニカ・マザレロの不朽体とドメサヴィの骨壺があったので見応えありましたけれど、確かマリア・マザレロの不朽体はモルネエゼにお引っ越ししたと漏れ聞いた(うろ覚え)。

たまたま私はカトリックの小学校に通っていたので、信者でない児童も義務で「宗教」という授業にあずからねヴぁならず、その授業でファティマについてもかなり細かく習いました。小学校でも習ったし、中高でもおさらいしました。当時は巷で騒がれているファティマ第三予言について世俗はアンタッチャボーとされてはいましたが、その話題に触れなくても、聖母と交流してしまった三牧童のその後の人生についての艱難苦難は子供ごころに同情の涙を流してしまうほどで、良くも悪くも成人しても忘れることはできない記憶になりました。特に昨日列聖された兄妹については死に至る病にかかる運命というのも子供にはそれだけで震えるほどの怖さを覚えたものです。逆に長命だったルシア(三牧童の年長者で、カルメル会の修道女となった)についてはあまりに長命だったので「もしかしてこの方、死ねないお身体になってしまっているのでは?」と超自然な妄想を持ってしまったくらいです。ルシアが帰天したのは今世紀、2005年の2月13日(!)、97歳でしたから、昨日も書きなぐったとおり、ルシアについては未だ列聖にも、その前の列福にさえ至っておらず、ただ今、列福のための調査中とのこと。なんだかねー。それこそ、私が幼い頃受けた宗教の授業では列聖は死後100年でも早いくらいと教えられてきたので、その後の某教皇になってから「例外」が増えたことに違和感覚えなくもないのでアレですが、私個人は三牧童一緒の列聖が良かったな・・・と昨日まで思っていました。でも、昨日の列聖式にはとても感動してしまったので今は「ああ、良かった」という気持になりました。ルシアの列福が早くかないますようにと祈るばかりです。

これ ↓ は昨日のファティマでの列聖式ごミサ全編です。

教皇様が最後の最後に白いハンカチを振り、ファティマの聖母像がいつもの祠に戻るというシーンがあり、その時の教皇さまの表情が今まで拝見したことのないお顔だったので驚きました。こういう表情をなさる方だったのねー。

それにしても、エキブロ、リンク転載がようやく進化してありがたいっす。


le 14 mai 2017, Matthias




[PR]
by ma_cocotte | 2017-05-14 18:15 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
今にも太陽が踊り出しそう。
ポルトガルはファティマでの、聖母を見た三牧童のうちの二人、フランシスコとヤシンタの列聖式ミサがこんにち、今、ささげられていますけれど、お天気に恵まれて本当に良かったです。


お天気が良すぎると言うより、青い空と色とりどりの雲、そしてそよ吹く風と。
なにか、こう、空が呼吸をしている、息をしている感じがして、もしかしてごミサの間に太陽が踊り出すのではないかと思い始めてしまいました。(ファティマの奇跡において特に有名なのが、太陽が踊り出すという超自然現象が発生したことなのです)

それにしても、ごミサはミサVIII(天使ミサ)なのでテレビを通して視聴しているこちらも口ずさめるのがありがたいです。テレビだったので祭壇の教皇さまや式長方の所作もよく拝見できます(ただ今、未だ現在進行形。ちなみにポルトガルは大英帝国と同じ時間帯なので、今、午前11時40分頃になります)
教皇さま司式の荘厳なごミサですから献香も、聖変化でベルが鳴らされるのも当然ですが、私のようにそれらがまったく行われない土地のミサにあずかっている者には感涙ですな。ったく、我が地元と来たら・・・。そして、式長さま方。パウロ6世典礼(ノブスオルド)であっても、きちんとイエズスさまのお名前が出ると同時に頭を下げられる。これもまた、我が地元では「忘れられた所作」だっぺ。天下のヴァティカンの式長方がこうして必ず頭を下げられるのだから、あたしも地道に続けようっと。

以上、ファティマ生中継を見ながらのエントリー。
また視聴に専念いたしまする。

それにしても、この列聖は祝着至極であります。
三牧童のうち最も年長であり、長命であったルシアの列福が一日も早くかないますように。

Le 13 mai 2017, Notre Dame de Fatima

もし自分に女の子の孫がいたら「ヤシンタ」の霊名を選びたいくらい、ヤシンタが好きぃ。


[PR]
by ma_cocotte | 2017-05-13 19:45 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
これは、まれなこと。
金曜日の朝、France 2の早朝番組を見ていたら、なんでもフランチエスコ教皇様がポルトガルはファティマを訪問するとのこと。(そうゆうことが報道されるンです、仏蘭西のテレビでは)
そういえば、土曜日は5月13日だからファティマの聖母のお祝い日であることを思い出しました。加えて、そのファティマに聖母が現れたのは1917年でしたから、今年でちょうど100周年! ですから、フランチエスコ教皇様が巡礼にお出ましすることになったのでしょう。

私は2014年の10月にファティマに行き、13日の国際大会に参加しましたが、前夜祭がかなりの雨でしたのに、多くの方が夜の勤行に励まれていたことを思い出しました。
b0070127_01263970.jpg
この写真の突き当りに見えるのがファティマの聖域の元祖バジリカ聖堂ですが、私が訪問した時は大改装中で、聖母を見た三牧童の墓所しか訪問することができませんでした。


こちら↓ が三牧童のうち女子のお二人(ヤシンタ、ルシア)のお墓。
b0070127_01334476.jpg


そして、こちら ↓ が三牧童の男子 フランシスコのお墓。
b0070127_01335504.jpg
この時はせっかくファティマに来たのに元祖バジリカ聖堂の聖堂訪問ができず、聖域内の受付のシスターにボヤきもしましたが、なんでもこの改装でこの三牧童のお墓を聖堂内の床にお引っ越しするという話を伺いました。そして、雑談のついでにおそらくこの元祖バジリカ聖堂が再び使われる時に三牧童のうち唯一長命だったルシアが列福されるのではないかしら?と。そして、揃って福者となった三牧童がその数年後にヴァティカンで列聖。その「ルシアの列福」がおそらくこの聖母ご出現100周年の「今でしょ?」なのでしょうけれど、私が聞いたこの予想は大ハズレ。なんとまあ、2017年5月13日にはこのファティマの聖域で、既に列福されているヤシンタとフランシスコが聖人に列せられるとのこと。うっほー、それ、本当?と最初知った時は正直つぶやいた私です。というのも、列福式は列福された方ゆかりの土地で挙式されますが、列聖式っちゅうのはヴァティカンで挙式されることが通例だからでやんす。一方、長命だったルシアは未だ列福調査中なので「主のはしため」または「尊者」が冠せられているのでしょうが、ヤシンタとフランシスコが二馬身リードということですな。いやー、ヴァティカン以外での列聖式が行われる。このストーリー運びにはちょっとヴぃくーりしました。三人一緒に列聖がいいぢゃんねぇ。
b0070127_01461317.jpg
この写真 ↑ の左の像は聖ヨハネ・パウロ2世教皇様で、バジリカ聖堂に跪いて祈っているように見えるのがポイントであります。

私の2014年のファティマ行は2泊3日でしたので、聖域だけでなく三牧童が通っていた小教区教会、彼らが育った家、そして野外のオリーヴ畑の中にある十字架の道行にも行けました。十字架の道行の道筋には三牧童が天使からご聖体を拝領した場所があります。

b0070127_01532687.jpg
ココ ↑ がその場所。

ほら、天使 ↓ がご聖体を持ってらっさる。
b0070127_01540539.jpg
この十字架の道行、ところどころに三牧童が残した言葉の石碑が点在しており、一番幼かったヤシンタからのメッセージがかなり心に響きました。そして、三牧童が通っていた小教区教会の聖堂訪問もお勧めですよ。三牧童が洗礼を受けた洗礼盤もあれば、幼い彼らが手を合わせていた聖母像やご聖櫃が今も聖堂内にあるし、教会の向かいには墓地があり、そこには彼らの家族が眠っています。
b0070127_02073913.jpg
正直、私はルルドよりファティマが好きかもしれません。
いつかまたファティマに行ければと思います。
なんだか観光案内になってしまいましたが、土曜日のファティマあたり、晴天に恵まれますように。


le 13 mai 2017, Maria Domenica Mazarello






[PR]
by ma_cocotte | 2017-05-13 02:09 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
カトちゃんたちにとっての、大統領戦
前々からフェイスブックでお仏蘭西の全国紙ラ・クロワ La Croix に「いいね!」を押して情報をいただいておりますが、ココんところ、次期大統領選に関係した記事が届くことが多くなりました。カトリックという宗教につながる全国紙であっても、政治に触れる、触れる。丁度1週間前に次期大統領選挙第1回投票が終わり、最終決戦の二候補が決まってからは日替わりでどこそこの教区の長上さま(俗に司教、大司教と呼ばれる方々)やどこそこの修道会の有名人がどういう考えがあって、誰それに投票する(更には他人さまにもお勧めする)という記事も飛んでくるようになりました。

こういう記事が飛んできて、興味深いのは、記事本文よりコメント欄だったりします。
昨日だったか某修道会の有名司祭が小童エマニュエル・マクロンを支持、投票するという記事が掲載されましたが、コメント欄には本文に賛成の意見もあれば、マリィヌ・ルペンより更にカトリック的ではないマクロンではないか!という意見もあり、そういう意見に対して「あなたはどういうカトリックの位置にいるのですか?という問いかけまでありました。つまり、それは「あなたはルペン家と同じ聖ピオ十世会の礼拝に通っている信者さん?」と深読みできるけど、とどめを刺さない問いかけなんざますね。

でも、いくら小童マクロンが自ら「我はイエズス会の学校で教育を受けた」と繰り返しても、世間では彼はしっかり「実はフリーメーソン8割内閣」の一員だったこともバレているし、マクロンははっきり家族の形を変革する、つまり、家族に父母は必ずしも要らないことを支持しているので、どこがカトリックやねん?と突っ込みを入れる、神学や教会法など難しいことにはまったく関わらない普通のカトちゃんはいくらでもいるンです。(だから、マクロンは自らがイエズス会の学校で教育を出たという事実だけを露わにして、何も知らないカトちゃんを信用させようとしているのです。)

と、ココまでで、実は聖ピオ十世会とつながるマリィヌ・ルペンにしろ、いくらイエズス会の名を出してもカトリックについてよくわかんない小童マクロンにしろ、普通のカトちゃんにしてみれば「どっちにも投票したくないけれど、投票しなくちゃいけないの?」となります。この決選の2候補者のせいで、棄権を決めているカトちゃんも相当数。あんなに聖ピオ十世会に優しかったアラン・ヂュペさえマクロン推しを明らかにして、聖ピオ十世会支持の聖俗信者さんは落胆していると思いますけれどね。政治家と宗教なんてそんなもん。真理なんてない。いずれにせよ、おんな党首も小童も世俗信者として見本となる私生活ではありませんので、それを省いて、見極めて、投票するしかないンでしょう。おんな党首にしろ、小童にしろ、今のところどちらの人生も列聖の対象外w 

le 30 avril 2017, Pie V

↑ この話題で、こんにちの聖人が聖ピオV世教皇というのは偶然とは思えん。天においては必然だな、こりゃw






[PR]
by ma_cocotte | 2017-04-30 19:07 | よっ、大統領!2017 | Comments(0)
「そんなの、ありえなーい」ことにも屁理屈があったりする。
きょうの朝、フェイスブックを開いたら、在日フランス大使館 から【復活祭(Pâques, パック)には、たまごやうさぎ🐰など色々な形のチョコレートを見かけますが、それぞれに意味があります。】という文章と共にこんなお写真が届いておりました。
b0070127_16345163.png
なんだか今週はじめあたりから日本国内でクリスマス、ハロウィンに続いて復活祭商法が盛んになっていると話題が飛び交い出したところで、この話題のご提供。実にタイムリィであります。こういう理由を抜きに、知らせず、知らないまま、復活祭の賑わいだけ日本に取り込んでお金を稼ぐというのは、なんたる島国、なんたるドメスティック、なんたる国際的孤立でありましょうか。日本国民よ、たまごをたくさんいただいて、子供をたくさん産みましょう!が、日本国内で復活祭を広める理由に現在の日本政府が選びそうだよね・・・

「聖書なんて童話」「キリスト?なにそれ?」と失笑しながら言ったり、「ヒトは死んだらそれまで。(だから、地上天国で自己中心の繁栄幸福)」とか「一度死んだ人間が3日で生き返るなんてない、ない、ない」と信じているひとが多い日本で写真のように卵やうさぎにさえ意味が含まれている復活祭をどう生かすンだか。ちなみに復活祭直前の金曜日はキリスト教の宗派の中には「断食、絶食」を実行している方々もおります。商売あがったり~。

とかなんとか書きつつも、きょうびフランス共和国では幼児洗礼さえ受けていない白いひとの方が多いくらいで、土曜の日没から始まる復活徹夜祭において今年は4503名のオトナが受洗するのだそうです(フランスカトリック教会大本営からの 発表 による)。ですから、共和国内のキリスト教を知らない家庭では復活祭は年に二度ある「ファミリーデイ」だから、金曜夜から大騒ぎに突入されることもある。

今年の復活祭は正教と旧教が久しぶりに同日祝賀です。実におめでたいこってす。


le 14 avril 2017, Vendredi saint







[PR]
by ma_cocotte | 2017-04-14 16:52 | 『春』 Rien de spécial | Comments(2)
マリアさまが知らせたところで、ぢーざっさんは既にすべてご存知でしたとさ。
先週末だったか主日を迎える直前についうっかり見聞したニュウスがあり、それはフランスはリヨン大司教区の教区司祭が結婚を理由に還俗したというものでした。確か、その第一報ではこの司祭が還俗後には終身助祭の役目をもらうと添えられていた記憶がありますが、それはガセだったのかな。「司祭から終身助祭に役目が替わる」というのはなかなかよろしいンぢゃなくて?と私は喜んだのにな。聴罪ができなくなる、聖変化できなくなること以外、終身助祭ならば授洗、婚姻、葬儀を司れるわけで、将来のことは神のみぞ知るですが、もしこの司祭の夫人が先立たれたら、彼は司祭職に戻るなり、修道生活に入るなり、祈って決めればいいのです。我々が知ったこっちゃない。

で、スキャンダル発覚について、ですけれど、「結婚するので還俗する」という事実についてご本人も、上長である教区長(リヨンの場合、最長上はバルバラン枢機卿です)も世間や世俗信者に隠さなかったことがさいわいでした。これが隠し事になってしまうと、そこは「神の不在」になるわけです。正確には「隠そう」と決めたひとびとの間に神がいない。これ、矛盾ですわな。婚姻だって新郎新婦の間に神が存在することで成り立つのですからして。つまり、「神が不在」の場で「隠そう」と決めたっちゅうのは、そこはたとえ目に見える聖堂だろうが司祭館だろうが、どこぞのレストラン、道端でもこの際構いませんけれど、天国でもないし、エデンの園でもない。天国でも、エデンの園でもない外の世界でいくらローマンカラーをはめてようが、頭をすっぽりヴェールで覆っていようが隠し事が成り立つのであればカトリックが口酸っぱく教えている「かみさまといつも一緒、わたしたち、みんな」が崩壊するので、(初聖体を終えたならば)齢一桁のガキだって「わかんなーい。なんで神様はなんでもご存知なのに隠せンの?」と親に質問するでしょ。

と、ココで「初聖体を終えたならば」につっかかってみますが、2007年だったか、ベネディクト16世教皇様がルルドを訪問された時、現地で開催された司教総会の初日にフランス共和国内の教区を治めるすべての司教の前で、司祭減少、洗礼減少、司祭の妻帯、離婚うんぬんフランス司教団が挙げた現在のカトリック諸問題について何事も要理の勉強が不足、怠っていることに問題がある、とおっしゃった。あまりに図星だったので、ベネさまのこの発言に妙に感動した記憶が私にはあります。

それから9年と半年。
今回のスキャンダルというか報道で騒ぐ世俗の知人を眺めていると、フランスのカトリック教会において要理(カテキズム)の学習位置はベネさまの来仏以前と大して変わっていないのだなあとよくわかりました。ココんちの近隣に住む伝統主義のご家庭の親御さんが「今の教会学校に子供をあずけたところでお菓子をいただいて遊んでオシマイ。ならば通う意味ありません!」とおっしゃるのは、あらためて「ご尤も」ざます。

今回のケース。
リヨン大司教区では有名な司祭だったこともあり、一般全国紙でも記事になったようです。だから、カトリック信者でない多くのフランスびとにとってはワクワクするような下世話さが脳に生み出されますが、もしカトリック信者だったら告解のことやら、上長と彼の間の「深いやりとり、物事の進め方」などが気になってくるので、その結果「隠さないで、めでたし、めでたし」と神父様が今後、家庭召命を善くまっとうされるよう背中を押す気持にもなります。妻子を隠している司祭の隠れ家やら生活の援助という方向に話が持っていかれるのは、ちょっと「あなたはしても、わたしはしない」ですわね。

まあ、元はカトリックが国教だったフランスという国でさえ、今ではカトリックヲールドに住まう生涯独身を守るひとびと(ex 聖職者、修道者)について謎にしか見えない民の方がマヂョリティですが、きょうびフランスでは司祭館にひとり暮らしの司祭が多いですが、ひと昔前まではひとつの司祭館に3人以上の司祭が住み、教会と司祭館の雑務は世俗男性または「世俗の40歳以上の婦人」が関わっていました。
余談:私が通っていた学校の司祭館の雑務はシスター方が行っていました。
なぜシジュウ以上なのかと言うと、昔はシジュウ過ぎた女性は閉経もしくは「子ができない」と決めつけられていたからです(今はそんなことは愚かしい誰もが知っている)。今でもココんちのような超ウルトラスーパーど田舎のカトリック世界では司祭館の用務は世俗男性グループが中心だったり、ひとり住まいの神父様にはほうぼうのマダムが手料理を届けるし、逆に神父様を各家庭に日替わりで招いて食事を共にするなど行っていたりします。神父様によっては近所の女子修道院や修道会運営の高齢者施設の食堂のお世話になっていることも。ういう彼らの生活スタイルについても、私たちが「知る」機会は平等でないので、知らないひとびとには誤解やよからぬ想像になってしまうこともあります。この世は決して天国ではないし、天国の存在を信じないひとびとも多々います。だから、いくらヒトがこさえた塀の中の聖域に住もうとも、女難、男難に贅は常にすべてのひとに襲ってくるし、その中から宝を見つけるひともいる。そして、この世には聖職者や神学生ばかり好きになってしまう男女がいるのも現実なのでねぇ。それについて第三者が聖職者やら彼の恋愛対象者を批判するのも軽率に思えます(省くことの幼児性愛)。だって、そこに掛け替えのない愛が生まれたら、周囲は彼らをしあわせに生きられる方向に送り出すのも「務め」ではないかと思うからです。カトリックの聖職者や修道者が生涯独身なのは「ただひとり、イエスさまへの愛」を貫くためであって、この世でその愛が二分するなら聖域での生活は難しいですよ、はい。

兎に角、愛が芽生えたのに、愛が育まれているのに、それを「隠す」のはあり得ないでしょ。愛を隠すひとからいくら「神を信じてます」とひつこく言われてもアホらしいです。ロジック崩壊w

死ぬ瞬間までおべんきょ、おべんきょ。


le 24 février 2017, Modeste



「司祭の結婚を理由とする還俗」についてはひと昔前、ココで揉めた記憶がまだかすかに残っているので触れたくなかったンだけれど、ね。ま、いっか。




[PR]
by ma_cocotte | 2017-02-24 19:06 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
三賢王礼拝のお祝い日
2017年もめでたく1月6日を迎えることができました。
こんにちは西方の教会におかれましてはエピファニ l'Épiphanie du Seigneur、=三賢王の礼拝の祝日でござあます。祝着至極なご慶事のこんにち、西欧諸国ではおめでたいお菓子をいただく生活慣習があり、シューキョーを取っ払って今は遊ぶようになりました。

というわけで、今年のココんちでも今日の良き日のおめでたいお菓子、ガレット・デ・ロワを買いました。
b0070127_16301399.jpg

いつもお世話になっている旧市街のパン屋さんで買いました。
このお店のガレットの値段はグラム売りなので、一番小さいガレットをいただきました。
ポワトゥ・シャラント産のAOPバタアを使ったガレットです。

b0070127_16313010.jpg

このパン屋さんのガレットはポワトゥ・シャラント地方で既に受賞経験があるほどで、今年も一口いただくと同時に想像をはるかに超えるおいしさに身悶えました。中の餡もアーモンドの渋皮がまざったもの。私個人はアーモンドの黄身餡より渋皮が混ざり目が粗いアーモンド餡が好みです。

さて、こんにちのガレットを四等分し勝負しましたが、第一回戦に陶器は見つからず。
第二回戦で勝負がつきました。





b0070127_16373394.jpg

ココんちの邪な横柄王くろヴぃすに戴冠。
くろヴぃすは既にココんちの王ですが、新たに王座に就きました。


そして、勝者のガレットから登場したのは、
b0070127_1640202.jpg
PANORAMIX

なんぢゃ、これ?と首を傾げていたら、ココんちの仏蘭西びとからアステリクス&オベリクスの登場人物ではないかと返答をもらいました。なんだかなあ。昭和の化石、前世紀の化石の私としてはガレットの中から聖誕の登場人物やグッズが出てきてほしいです。贅沢な夢のような希望ですね。お菓子そのものはすこぶるおいしいのだから我慢。


le 6 janvier 2017, Gaspard, Melchior et Balthazar

[PR]
by ma_cocotte | 2017-01-06 16:46 | 『冬』 Rien de spécial | Comments(0)
もうひとつの、ナザレ
きょうの朝も夜明け前にぼんやりとこんにちの聖書朗読箇所に目を落としましたら、第三番目の朗読、福音朗読が以下のとおりでした。


福音朗読 マタイ2・13-15、19-23 子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい。

2・13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。




あれあれあれ、昨日、ココにエントリーした聖母像は「ナザレ」の教会にあるものです。けれども、新約聖書のナザレは地中海東岸はパレスチナにあるナザレであり、私が昨日お話ししたナザレは欧州はポルトガル、大西洋岸に面した小さな漁師町のナザレ Nazaré です。この漁師町のナザレは海岸に面したカルティエと、その傍の断崖絶壁の上のカルティエから成っています。
断崖絶壁から下方の海岸沿いのナザレを眺めた写真。2011年10月、私がファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに行く途中、ナザレに寄り、シャッターを切りました。
b0070127_15242639.jpg


実はポルトガルのナザレの名称はアラビア語のナザレのままですから、地中海東岸はパレスティナのナザレと同じ意味になります。ポルトガル語の中には現在もかなり多くのアラビア語が含まれ同化していることが理由らしいです。余談、ポルトガルのファティマもアラビア語そのもののままです。

上の福音箇所に聖家族(=父ヨゼフ、母マリア、子イエス)がエジプト亡命後、ガリラヤ地方のナザレで暮らし始めたとあります。私の記憶が確かならばヨゼフさまは大工を生業にし、生計を立てていました。地図でイスラエルのナザレを見ると、地中海とティベリア湖の丁度真ん中あたりで、当時の聖家族は「静かな田舎暮らし」をされていたのではないかと想像します。

で、ポルトガルのナザレ。イスラエルのナザレとは異なり、大西洋に面していますが、ココに暮らす民の成人男性のほとんどが漁師であり、彼らの妻は周辺で採れた果物を干したり、家の中で手工芸を行い、それらをナザレに来る巡礼客をターゲットに露店で売り、家計を助けています。ポルトガルの国全体が他の欧州国に比べ貧しいですが、そのポルトガルの中でもナザレは特に貧しい集落なのだそうです。「貧しい小さな町」というあたり、どこかジーザっさんが育ったナザレと似ているかもしれません。
b0070127_1536653.jpg

この写真 ↑ は断崖絶壁の上にある広場の露店です。干し果物屋さんで、左の女性が「ナザレのおんな」。
「ナザレのおんな」には21世紀から15年を過ぎた今でも継続している伝統があります。それは、夫が亡くなった後、ナザレのおんなは一生涯、頭の先から足のつま先まで黒装束で固めるという習慣です。一目でわかる「未亡人」。ですから、ナザレの町を歩いていると海岸沿いでも、断崖絶壁の上の集落でも黒装束の女性に割と出会います。
b0070127_15421531.jpg

↑ 土産物屋の店番をしているこの方もそう。
しちりんでイワシを焼いているこの方もそう ↓
b0070127_15425065.jpg

一見穏やかなナザレの海ですが、時折、突然の高波が襲い、漁師さんが生命を落とされることがかなりの率であるのだそうです。そういう生活文化史の中で未亡人の黒装束の習慣が生まれたのだとか。

さて、妻たちの露店の話でナザレには観光客ではなく巡礼客が押し寄せることを書きましたが、なぜ巡礼客なのかと申しますと、このナザレにはあのファティマよりかなり前に聖母が出現されたのですね。断崖絶壁の上にそれは立派な教会聖堂があり、その中に聖母出現を表す絵画が掲げられています。
b0070127_15511723.jpg

コレ ↑ がそう。ナザレの断崖絶壁と海が描かれていますね。右の白馬が立つあたりにはおんぼろの祠が今も残っています。中に祭壇があり、地下に聖母子像が安置されています。
b0070127_15552021.jpg


ナザレは日本語の「ひなびた」という言葉が妙にしっくりくるように思えました。
b0070127_1559978.jpg

b0070127_1605883.jpg

いつかまたできれば訪問したいです。


le 30 décembre 2016, Sainte Famille

[PR]
by ma_cocotte | 2016-12-30 16:04 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
剣で刺し貫かれた心
きょうの朝、いつもどおり、今日の福音朗読箇所を読み進めていたら、こんにちの福音朗読はルカ2章の22から35節です。この箇所、教゛会ではあまりにも知られた箇所で鍵語は「シメオン」。こんな話なんざんす。文中の数字は節数です。


福音朗読ルカ2・22-35 異邦人を照らす啓示の光

2・22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
31これは万民のために整えてくださった救いで、
32異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」





以上。これを読みつつ、最後の最後のシメオンがマリアさまに話されたこと。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」で、脳裏ににぼわああんとこれ ↓ が浮かびました。
b0070127_227487.jpg

聖母マリアさまです。
ファティマからサンチアゴ・デ・コンポステッラに向かう途中に寄ったナザレという漁師町の教会で出会った聖像です。
b0070127_2284399.jpg

剣を抱き、胸の中心からは血が流れ、天を仰ぐマリアさま。私たちの心の中の思いを知り、天を仰いで涙しているのでしょうか・・・。


le 29 décembre 2016, David

[PR]
by ma_cocotte | 2016-12-29 22:23 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)