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こうしてカトリックで生まれたからにゃ、カトリックで死ぬンだろう。
的な?w

« Comme je suis né catholique, et mourrai catholique »

この台詞は先の土曜に行われたヂャニ・アリデ Johnny Hallyday の葬儀での数ある弔辞の途中で私の耳に届いたものです。別にこれは生前のヂャニの言の葉ではなく、お仏蘭西のそれは壮大で麗しい歴史の中で多くの偉人が口にしたり、書き残したのだそうだ。カトリック家庭に生まれたのでもなく、今後果たしてカトリックとして死ぬかどうかもあやふやである員数外の私でしたが、この一文を耳にすると同時に、なぜか良心が喜び踊る感覚におそわれました。まるで聖母を迎えたエリザベトのように。ヂャニ・アリデの棺は仏蘭西時間の月曜夜にカリブ海に浮かぶサン・バルテレミ島の墓地に埋葬されたのでヂャニについての報道は昨日火曜の夜まで繰り返されました。ですから、こんにち水曜の朝から共和国内は「ほぼ平常運転」に戻るのではないかと期待しています。まぢ、本当に「もう勘弁しちくり」レベルのヂャニアリデ関連ネタの波で、あたしゃ、降参です。というのもですね、月曜の夕方遅く、義母から電話。なんでもヂャニ他界をきっかけに30年も前に離婚した元夫、つまりココんちの仏蘭西びと♂の父親に電話をかけ、二人で平和に語り合ったのだそう。このお二人はまさにヂャニ・アリデとシルヴィ・バルタンと同世代で、彼らの歌をBGMに出会い、恋愛し、結婚し・・・そして、彼らと同じように離婚しての今です。父親は再婚したけれど、母親は再婚しないまま現在に至る。双方とも、ヂャニ他界をきっかけに半世紀近く前のロマンスを思い出してしまったのでしょうねぃ。
はー、そこまでの影響力ですか。
こればかりはガイジンで員数外のあたしにはなんら「分かち合い」できないな・・・と改めて実感しました。

で、土曜のマドレエヌ寺院(なぜ寺院と和訳されているのか存じませんが、ココはヴァティカンにつながるローマ・カトリック教会聖堂のひとつ)でのヂャニの葬儀。マクロン大統領夫妻、オランド前大統領と現在の恋人さん、サルコぢ元大統領と現在の妻であるカルラ・ブル~ニに、現在のフィリプ首相が棺に近い席に並んで座ってらっしゃいました。参列者にはヂャン・レノさんやらキャロル・ブケーさんなど日本でも知られる俳優さんも多々。そして、家族席には亡くなったヂャニ・アリデの最初の妻であるシルヴィ・バルタン、元恋人でヂャニとの間に一女を産んだナタリ・バイェ、そして現在の妻であるレティシアが揃い、それぞれの子供、孫も列席。レティシアと結婚後、養子縁組したヴェトナム人の女児二人ももちろんおりました。おそらく、このお三方だけではなく他の元恋人さんもいらしたのかもしれません。ヂャニ・アリデとレティシアの市民婚を司式したのは当時、ヌイィ市長だったサルコぢ。

こうしてカトリックの聖堂で司祭方が登場してのヂャニ・アリデの葬儀でしたが、ミサではなく、カトリック用語で引っ張ると「みことばの祭儀」のみ。聖書朗読や仏訳を改訂したばかりの主の祈りは唱えても、信仰宣言は唱えず。みことばの祭儀のみだから聖体拝領も無し。聖体拝領がないことに気づいた時にココんちの仏蘭西びと♂は「ユダヤ人が多いから?」とつぶやいていましたが、ヂャン・レノさんや歌手のパトリック・ブリュエルさんはユダヤんなれど、ヂャニ・アリデとレティシアの最初の養女のカトリック洗礼の代父(仏蘭西では洗礼時、本人の性別がなんであれ代父母を選べるし、代父母以外に数名の代父母を選ぶこと、その代父母が異教徒でも可能なので日本のカトリックの習慣と異なります)だったし・・・とこちらの脳を動かしてみると、ああ、もしかして、家族席も政治家さんや芸能人さんのほとんどがカトリック教¨会では「聖体拝領禁止」のお立場だから?と邪推←第八戒に触れまくるw

葬儀のBGMは生前のヂャニ・アリデのコンサートのギタリストたちがエレキではなくアコースティックギタアで次々とヒット曲を弾かれ、ココ数日の追悼番組でうんざりしつつもヂャニ・アリデの歌がそんなに嫌いではない私には好感が持てました。聴いているうちに既に前世紀のことではあるけれど、ダイアナ妃の葬儀礼拝の音楽とどこか重なりを覚えました。ヂャニのヒット曲の合間にクラシックもチェロとピアノ、時には歌唱を交えてありましたし、聖歌隊がイグナチオ・デ・ロヨラのアニマ・クリスティを唄ったのも良かったです。

そうそうそう、葬儀中のどこだったか、カトリックの十字を右手で切るところで、オランド元大統領やマクロン大統領はまったく右手を動かさなかったけれど、オランドさんの恋人さんもマクロン夫人も十字を切ってたよ(笑。翌日だったか、カトリックの葬儀の習慣で式の最後に参列者が棺を聖水棒を持ちつつ十字を切り清めるというものがあるけれど、マクロン大統領がそれをしなかったと報道していました。棺に手を置いただけだったンですと。まあ、そんなマクロンちゃんもヴァティカンと仏蘭西との間の伝統で国家最高権力者に教皇から与えられる勲章はしっかりもらうらしいからね。たいしたもんだと思います。

葬儀をテレビでヲッチしながらつくづく葬儀っちゅうもんはこの世に残された者者の心を慰めるためにあるようにまず思えたし、いやいや、(ヂャニさんの奥様方とお子たちを眺めつつ)ヂャニさんの霊魂は未だ練獄にいるかもしれないからこうしてこの世に残る縁者がヂャニさんの少しでも早い天国入りをこうして祈っているのだと思ったりもしましたが、そうではなく、肺がんと闘い亡くなったヂャニさんは生きながらにして練獄を闘病のうちに経験したのだから既に天国にいるのさ、と想像したり。私だけかもしれませんが、ヂャニ・アリデが今の奥さんレティシアさんと結婚後、ヴェトナムの極貧の環境に生まれた女児を二人引き取り育てていることや、この晩年の数年間は磔刑の十字架の首飾りを常に胸の真ん中の位置に露わに見せていたことなど、ご自分の回心を我々にアピールしていたようにも思えました。放蕩息子のたとえが私のツルツル脳を滑走しました。そして、「カトリックとして生まれ、カトリックとして死ぬ」に至る、と。

ヂャニさんは養女に迎えた二人のカトリック洗礼もしっかり行いました。それを受け付けた教会側もたいしたもんです。私たちの目に見えない、知らない、わからないところで真剣な関りがカトリック教会とヂャニさんの間で続いていたのでしょうね。ヂャニの葬儀で、レティシアさんの首に磔刑の十字架の大きな首飾りがかかっていたけれど、あれはきっとヂャニが生前身に着けていた首飾りだと思いました。あんなに大きな十字架、きょうび高位聖職者が御身につけるくらいで、シスター方の十字架はどんどんちっこくなっているのにね。

ヂャニさんのお葬式、良かったと思いました、まる

RIP


書き忘れそうになりましたが、ヂャニ・アリデの棺が仏蘭西共和国本土からカリブ海のサン・バルテレミ島に移動しましたが、埋葬の前にはサン・バルテレミ島の教会でもう一度葬儀ミサがおこなわれました。二度も見送られるなんて、ヂャニさんって。やっぱ、葬儀っちゅうもんはこの世に残されたひとびとの心を穏やかにするためにあるのかもしれません。


le 13 décembre 2017, Lucie

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by ma_cocotte | 2017-12-13 18:40 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
我らを試みに引きたまわざれ
土曜の夜、旧市街のおクリスマスエヴェントを冷かす前に夕ミサに参りましたら、入り口でこのような印刷物を頂戴いたしました。
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なんでも、お仏蘭西のカトリック教会ではこの待降節第一主日(2017年12月3日)から主祷文の一部が変更になるので、このような御絵を教区が我々世俗末端にまで行き渡るようにと用意してくださったらしい。変更箇所は写真の下から三行目。2017年12月2日の夕方日没までは Et ne nous soumets pas à la tentation でしたのに、お天道様が隠れて以降は写真にあるがごとく Et ne nous laisse pas entrer en tentation と唱えることになりました。拙訳が正しいかどうかわかりませんが、今までは「私たちを試みに服従させないでください」で、これからは「私たちを試みに入らせないでください」でしょうか。なんかよくわからないけれど、「服従」というのはアタマを使わないので「従順」とは異なる。あんまりカトリックっぽくないという私見です。新しい「試みに入らせないで」ならば自分で入るか、入らないか考える様子が想像できなくもないので、個々の自由意志を何より尊重するカトリックっぽいと思いました。やっぱヒトに生まれたからにゃ、自らの知やら智を善く使うことが天主さんへの御恩返しですからね。

さて、カトリック教会の中ではありますが、こうしてフランス語の主祷文の文面変更は1969年12月29日以降、初めてだそうです。そのせいなのか、昨日12月3日はニュウスでもこの話題が紹介されていました。日本ぢゃ、ありえねぇ。

私、新しい、変更された一行を暗記できるかなあ・・・

日本語の主祷文なんぞ、私は今でも小学生の時に暗記した文章しか唱えられないのでした。こんにちのこのエントリーのタイトルもその当時の主祷文で、口が回らず唱えるのに苦労して、実のところ、漢字やひらがなをどうあてがうのかも知らないまま現在に至っております。高校生の時に習った古文を頼りに文字で表すと、おそらくタイトルのとおりではないかと思うのですが、間違っているかもしンない。ご寛恕のほど。


le 4 décembre 2017, Barbara


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by ma_cocotte | 2017-12-04 17:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
目には見えない、物入り
師走十二月に入ってしまいました。一年、早い。
物騒な報道ばかり見聞するこの頃ですが、霜月の終わりにグリニッヂ標準時計所有の、七つの海を制覇する王国の王位継承権第五位のヘンリー王子さまがエイメリカの女優さんと結婚するという吉報が飛び込みました。ヲソレヲヲクモカシコクモ、祝着至極でござあます(最敬礼)。

で、それについての速報後、少しずつ婚約者である女優さんが再婚であることや王子さまより3歳年上であることを知りました。
速報から二日経って読んではいませんが見た記事がコチラ。

大見出しには「ハリー王子との結婚前に女優メェガン・マルクルは受洗せねばなりません」とある。先ず「この手の話題は日本のペイパアでは話題にならないだろうなあ」と言うこと。で、更に読まずにざーっと見たら、彼女の両親は新教徒で、彼女が7歳の時に離婚。彼女はロサンヂェルスのローマン・カトリックの女子校を卒業しているけれど、彼女自身は洗礼を受けていない。離婚した前夫さんはユダヤ教徒だった、などなどなど。で、大英帝国の国王は英国国教会の最上位なので、メェガンさんはハリー王子との婚姻を前にして英国国教会の洗礼を受けることになりましたとさ。

まあ、ココまでは大英帝国について知るひとびとにとっては「そりは当たり前だのクラッカー」な話題なンですが、この記事であたしなんかの興味を引いたのは、きょうび21世紀に入り16年過ぎた今でも大英帝国の王族はローマ・カトリック教徒と結婚「できない」のだそうだ。1701年制定の法。もし大英帝国の王族がカトリック教徒と結婚したら継承権を放棄せねばならないとのこと。

こんなことを見たら、同時に思い出したのが確かチャアルズ皇太子の今の奥さんであるカミラさんはローマ・カトリック教徒だったことで若かりし頃、互いに惚れてしまったのにケコーンできなかったけれど、この度の再婚時はカミラさんが事前に英国国教会信者になったことで婚姻できたっちゅうこと。一方で、ブレア首相なんぞは奥様が真面目なローマ・カトリック教徒だったことでご自身もカトリックに傾いたけれど在任ちうは改宗せず、退任後にカトリックに改宗したという事実もあり、王族であろうが、平民であろうが、大英帝国というところでのローマ・カトリックってかなり今でも繊細な立場なのだなあ、と改めて思った11月の終わりだったのでした。

とか書くと、大英帝国の中でカトリックって日陰者のようですが、相当量の勢いはなくはありません。19世紀まで同じ人種なのにカトリックを信仰し続けることでひどい差区別を受けていたからですかねぃ。いい加減、大英帝国の王族のヲールドでも1701年の法を改めた方がよろしくありませんか。

東の島国も西の島国もどうにも差区別に絶縁できないまま、時代の波に乗れないままでいるように見えてなりません。

le 1er décembre 2017, Charles de Foucauld
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by ma_cocotte | 2017-12-01 15:26 | 『?』な大英帝國 | Comments(2)
コレは違う。事実が違う。
神さまお留守の神無月、十月の第二日目、月曜日。
朝一番で寝ぼけ眼のまま、習慣のRSSを使ってのブログスヲッチ。
聖ピオ10世会は2009年に破門を解かれ、」の短文でさぁあああっと目が覚めました。(おいおい、血の気が引いたンだろ?)

ンなわけないだろ、と自らのブログでおさらい開始(・・・の途中でこうしてタイプing、始め)。

こんな零細ブログでも細々と続けていれば、2009年6月18日を最後に中断したままの 破門→波紋→和解→破壊 なんてカテゴリーがある。
私が読み直した限り、2009年1月22日に故マルセル・ルヴェーヴル師個人の破門が解かれたとあるけれど、彼が創立した聖ピオ十世会そのものとその聖俗会員がヴァティカンに認められ、カトリック教会の内となったという事実は今日に至るまで「ない」です。私は「ないです。」という日本語表現が苦手ですが、こればかりは「ないです。」が良いかも、です(苦笑。

その証拠はヒジョーに簡単で、こんな零細ブログで文章にせずとも、永遠の都ロオマから四方八方、世界の果てまでいずこの(ヴァティカンにつながる)司教様方がこの団体を公式に認め、小教区を任せているか。

ない、です。


le 2 octobre 2017, Léger





【書き忘れた。】

そもそも、カトリック教会の秘跡についても、ですけれど、世界の果てまでヴァティカンにつながる司教様方は誰ひとりとして聖ピオ十世会の聖職者に秘跡を授けるお認めを出していません。彼らは教区長からのお認めなしに勝手にミサをささげ、聴罪し、婚姻など諸秘跡に関わっているわけです。だから、何が有効なのかというと、それら秘跡を受けた聖俗信者に与えられた恵みになります。本当は秘跡を受ける側がきちんとヴァティカンにつながる、ヴァティカンの内にいる司祭からすべての秘跡、恵みを受けることが一番、最善、裁量なンですけれど。これも誤読したまま広めている方が多ござあます。





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by ma_cocotte | 2017-10-02 15:54 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
花の都は別世界


8月15日から二日過ぎて、カトリック専門チャンネルのKTO(カテオと読む)から聖母被昇天の大祝日にパリの司教座聖堂(いわゆるノートルダム・ド・パリ)でささげられたごミサの映像が届きました。流石、流れ石でござあます。

シテ島周辺で聖母行列を行ってからミサに入るので、冒頭、聖堂内はからっぽ。
ビデオでは9分50秒過ぎまで大聖堂前広場での祈祷の様子ですからして、ミサをご覧になりたいのであれば、カーソルを11分頃に合わせると被昇天の聖母の行事にだけお目にかかれるギンギラ銀の聖母子像が聖堂にお入りになるところ。この入祭の聖歌は毎年同じですなあ。でも、感動しちゃう。こんな立派な聖堂も、すばらしい聖歌隊もオルガンも、抹香だってないものね、ココんちあたり。いつか被昇天の日のパリを訪問してみたひ。


ところで、こんにち2017年8月18日。
第一回ワールドユースデイから丸二十年なンですと。
20年前の今日、聖ヨハネ・パウロ二世教皇様がパリにいらっさったのね。

年取るわけだ、自分。



le 18 août 2017, Hélène










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by ma_cocotte | 2017-08-18 22:46 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
世界の其処此処彼処で
平和を祈念する日が8月15日と言えましょう。
日本國と大韓民国だけぢゃないんだよ。
ヒトが決めた国境を取っ払ったカトリック教゙会におかれまして8月15日は聖母の被昇天の大祝祭日でありまして、ヒトが決めた国境のうちにあるフランス共和国という国ではこの日が「被昇天(の聖母)」の名前を冠したまま国定祭日になっています。なぜかと言うと、「被昇天の聖母」はフランス共和国の筆頭守護聖人だからです。余談、日本國の筆頭守護聖人は「神の母 マリア」なのでカトリックの典礼暦に合わせるとお祝い日は1月1日でごわす。さてさて、お仏蘭西。昨日8月15日は被昇天の聖母の祭日でしたので、宗教離れが年々進められている世間では商店が普通に開店している一方、其処此処彼処に点在するカトリックの教会聖堂ではそれぞれのスタイルで被昇天の聖母のお祝い事を行っておりました。こりについてはお仏蘭西だけでなく、地球のどこであれ、カトリックの環境では何かしら祝賀行事が行われおります。司祭がいらっしゃるところでは必ずごミサ付き(当たり前だのクラッカー)。ココんちあたりでは10近くある教会聖堂でミサが捧げられ、数か所でピクニック(お昼ご飯)を含めた聖母行列と巡礼が実施されました。ココんちあたりは田舎ですから、8月の半ば、ヴァカンスの最中に滞在先のカトちゃん行事に参加するガイジンも多々あり。地元民だけの楽しみではないのですな。善きことかな~。そういう地元民と観光客が交わって聖母被昇天の大祭日を祝うのは田舎だけでなく花の都パリでも同じで、10年未満前だったと記憶していますが、パリのノートルダム(←カトリックヲールドでは司教座聖堂、カテドラル)では前日から聖母を祝すビッグ・エヴェントになっておりやす。こちら ↓ がパリ大司教区の今年度の被昇天祭公式ポスター。

このポスターの行事案内を頼りに検索したら、こんなYouTubeを見つけました。




Vêpres ですから和訳すると夕祷。ポスターに照らし合わせると昨日15日の午後3時45分から始まった(聖務)日課です。けれども、普通の日に行われる夕祷とは祭壇周りもちょと違いますね。流石、パリ大司教区、お金持ちぃ。水色や青を織り込んだ祭服に抹香をふんだんに焚いているなんておいらの地元ぢゃ「見らンねー」です。しかも、私個人は毎年5月に必ず聖母行列を行うガッコで育ったので、こういう荘厳な、知らないひとには「原理的?」と笑われてしまいそうな雰囲気にノスタルヂィを覚えます。まあ、ルルドやファティマ、その他ほうぼうの聖母にまつわる巡礼地に行けば似たような様子を見聞できはしますけれど、花の都のパリでさ、ギンギラ銀の聖母子像が御輿に乗せられ、果てはセーヌ川を船で周するなんて見物してみたいですよ。我が残りの人生の「夢と希望」の事項に加えよう。

話はちょっと難しくなりますが、きょうび、人が決めた国境を取っ払った地球上においては連日、ほうぼうで陰惨なテロ事件が発生しています。だから、世界中で聖母マリアの存在を知っている人たちが聖母にちなんだ祭日に心をひとつにして平和を願って祈ることはとても意味があると思います。聖母を知らないひとなら旧盆でご先祖様に手を合わせて平和を願うでしょう。それくらい、この世の中、なんだか少しずつ平和から遠のいていると想像しても仕方ない現実がパチンコ大当たりのようにチンドンヂャラヂャラですよね・・・。

聖母マリアっておひとはカトリック教¨会だけでなく、正教、プロテスタント諸派、イスラームでも聖典に登場の有名人で、被昇天についてはカトリックだけの解釈になりますが、マリアさまがヂーザっさんのお母さんで、ヂーザっさんはママンからのお話をよく聞き、すぐ実行に移されることは聖書の「カナの結婚」のエピソードでもわかるところです。けど、天国なんて死んでみなけりゃ見えないところですし、この世には「死んだらオシマイ」を信じているひとも数多いるのですからして、誰に祈るとか他人に強いることは喧嘩のもとになりかねない繊細な今日この頃、でも、それぞれ言葉にしなくても平和を祈り、自ら平和を実現できるようにイ動くのは善いことだと私は思っています。


le 16 août 2017, Armel



聖母像や聖体顕示台を御輿に乗せて、それを先頭に聖俗信者が祈ったり唄いながら近隣を周るというのは決して安楽ではなく、私が通っていた学校なんぞ5月の青葉若葉に風薫る季節に聖母行列を行っても、毎年、児童、生徒、学生など誰かしら貧血で倒れたりするのも恒例でした。その学校ではロザリオを唱えながら学園内を一周し、最後にエラい神父様から聖水をもって祝福されてお開きでしたけれど・・・そんなことを年に一回必ず行うのも、学園を運営している修道会がイタリアで創立されたのでイタリアでは大昔っからこの手の行列が行われていたのでしょうね。教¨会用語でロザリオも聖母または聖体行列も信心業やら信心行のひとつでしょうから、決して安楽ではなく、どこか苦痛や不自由が伴うのも仕方ないのかも。なーんて結論づける私は洗脳されているのかもしれません。はっはっは。





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by ma_cocotte | 2017-08-16 16:11 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
親を思い出す日
こんにち7月26日に仏蘭西で手に入る暦をながめますと、Anne, J などと記されています。これ、正確には Anne Joachim で、つまりカトリック教¨会の世界のラテン語発音だと「アンナ ヨアキム」にあたります。このお二人は聖人ですが、もそっと核に触れますとかの聖母マリアさまのご両親で、アンナが母親、ヨアキムが父親です。ココでも過去のどこかでこのお二人について触れたことがあったと記憶しています。婚姻後、長年子供に恵まれなかったヨアキム&アンナ夫妻が祈りに祈って誕生した赤子が聖母マリア。アンナとヨアキムは赤子が女児だったにも関わらず、祈りが聞き届けられたことを感謝してマリア(幼児名はミリアムだったそうですが)を初子の男子と同じように神殿に連れていき、神に生贄と共に捧げたとのこと。以上、聖書にはひとっことも書いてありませんが、外伝で今に残るお話でありんす。これ ↓ がユダヤ教の神殿でマリアちゃんを捧げるヨアキム・パパのご絵です。聖霊の鳩ぽっぽがマリアちゃんの頭上に。このご絵、赤ん坊のマリアちゃんがあまりにかわいらしくて、私のお気に入りなのです。過去に、ほうぼうに何度も掲載しました。
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仏蘭西共和国内の旧教の教会聖堂を訪問するとたいてい聖堂内のご像の中に母アンナと少女マリアの像があります。アンナがマリアに本を見せている像など見つけやすいかもしれません。きょうび教育ママの見本は聖アンナか、はたまた孟母三遷の聖モニカ(かのアウグスティヌスのおっかさん)あたりなのかも。例えば、こんな聖像(聖堂の外だけどさ。)オトナの女性が聖アンナで、少女が未来の聖母マリアさまです。
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その聖アンナですが共和国内だとブルタアニュ地方の守護聖女で、ブルタアニュ地方にはサンタンヌ・ドレェ Sainte Anne d'Auray という巨大巡礼地が存在します。国境を取っ払って仏蘭西と言うと「ルルドの聖母」の出現があまりに有名ですが、ここサンタンヌ・ドレェは17世紀に聖母マリアさまのママンがご出現し、多くのひとびとの根っからの改心、つまり回心に導いたのです(← 断定)。

私はサンタンヌ・ドレェには2015年の9月7日に行きました。お天気が良い日でしたねぃ。
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ブルタアニュ巡礼の初日でしたし、あたしゃ「ブルタアニュ」のBの字も知らないのでいろいろ不安もありましたが、この巡礼地はブルゴオニュの某超ウルトラ有名巡礼地(ヒントは聖心)とは違い、相当なトラッドに思えました。抹香を焚いて司祭が導かれる聖務日課をしっかり守っているし、敷地内には永久聖体礼拝所もある。司祭だけでなく修道女会の修院も隣接しているので、ガイドを頼むと聖職者、修道者が案内してくださいます。敷地内には地元戦没者の慰霊聖堂やブルタアニュ地方固有の美術品を展示した博物館もあるので、聖堂訪問はしなくてもそちらでおべんきょできることもあるのではないかと思いますた。はい。

この巡礼地の参道のお土産屋さんにもしっかり聖アンヌとマリアさまの、ブルタアニュスタイルの聖像が売っていました。買えば良かった・・・後悔。
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そして、巡礼地内の博物館で見つけた、これまた大昔の、とってーもブルタアニュな聖像。
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この聖像 ↑ 、脳内をほぐして見ないと、気付くまでにちょいと時間がかかることがあります。一番のオトナの本を持つ女性が聖アンナ、母アンナに寄り添う少女が聖母マリア、その少女が抱きかかえる赤子がヂーザスです。おもしろい。

聖母マリアさまの母上に比べ、ヨアキム・パパの存在が薄く思われますが、それもヨアキム・パパの崇敬はかなり後になって始まったのだそうです。でも、聖アンナや聖母についておさらいすればヨアキムに必ず触れますし、不妊に悩んでいたのは洗礼者ヨハネのパパとママンだけではないということも知ることができました。新約聖書によりますと聖母マリアさまはその洗礼者ヨハネのママンであるエリザベトが懐妊してから3か月もの間、エリザベトのお手伝いに出ていますからね。その日々の中でマリアさまはエリザベトに「ほら、私のママンも高齢出産だったでしょう?」と励ましながら話していたのかもしれません。うん。

私の亡き母も難産で私を出産したのだっけ・・・。今日は私が誕生した当時の親についてあれこれ振り返ってみよう。

le 26 juillet 2017, Anne et Joachim



正教会のイコンのようなご絵を見つけた。





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by ma_cocotte | 2017-07-26 15:12 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(0)
小童っ!マクロンの粛清が始まるらしい。
2017年7月17日月曜の朝。
フェイスブックの壁に並んだ報道記事で気になったのが、コレ。



今度の金曜日、今の陸軍参謀総長、仏共和国軍の頂点であるピエール・ド・ヴィリエ将軍がマクロン大統領の「み旨のまま」にならないことでほぼ絶対間違いなくクビになるであろう、という話題でありんす。
ひとつ前の拙エントリィにつながりますが、ココんちあたり、つまり今のヌゥヴェル・アキテエヌ Nouvelle Aquitaine 地方の北西部はヴァンデ県に接しており、地方違えど、電話の局番違えど(註:ヴァンデは02始まり、ヌゥヴェルアキテエヌは05始まり)、ひとびとの往来はすこぶる活発であり、こちらにはヴァンデの出の苗字、あちらにはヌゥヴェルアキテエヌ由来の苗字の家庭が多かったりするほどです。ココんちの苗字もヴァンデの出なんざんす。そーんなココんちあたりでは将軍さまのド・ヴィリエ de Villiers の苗字にぴくーんと反応してしまいます。なぜなら、ココんちあたりでド・ヴィリエと言えば、隣県ヴァンデ一の名門(子爵家)であり、「シシャクってなーに?」と口にする共和国民にも「ほら、ピュイ・デュ・フゥ Puy du Fou のオーナーさんちだよ」と言えば「うぉおお」と歓声があがります。

そのピュイ・デュ・フゥってなーに?とガイジンさんから質問が飛ぶことでしょうけれど、それは一言でゆーならば遊園地。ちょっと詳しく説明するならば仏蘭西歴史遊園地なンであります。


私の記憶が確かならば、お仏蘭西ではディズニーなんちゃらよりピュイ・デュ・フゥに人気があります。おいらも南仏からココ新天地に引っ越してまもなく、神父様に連れて行っていただいたのであったw ロオマにおける迫害時代から中世、近世時代を巡り、〆がミソでヴァンデ戦争なのだな。革命政府に迫害されるひとびとの様子をよぉおおく知ることができるのぢゃった。・・・この遊園地を運営するのはピエール・ド・ヴィリエ将軍さまの兄上であるフイリップ・ド・ヴィリエ子爵氏。フイリップ兄は元政治家で、今世紀の初めには共和国大統領選挙の候補者でもありました。貴族の出であること、フイリップ兄の子息の不祥事も相俟って、政治家フイリップ・ド・ヴィリエの評判はすこぶる共和国全体で悪い。ですが、ヴァンデ県はもちろんココんちあたりでド・ヴィリエ家を悪く言う人は少ないし、この一族を悪く言う人はたいてい中道よりヒダリの限りなく突き当りに近いアタマの持ち主だったりします。この温度差だけでも、知らない人が知らない土地で流すウワサの威力はハンパないとよくわかります。一方聞いて沙汰すンな(於一のママン)ですな。
ココんちあたりでド・ヴィリエ家の評判と言えば、そりゃあ、今は共和国で一番人気の遊園地を運営するオーナー一族で、遊園地のおかげで周囲の多くの民も恩恵にあずかっているという潤滑なお金の循環ゆえの賛美がまず第一。この遊園地の人気が安定したところでド・ヴィリエ家はなんと私学運営に着手したのです。その学校は芸術に力を入れた初等教育校。


・・・で、わたすの大切な友人夫妻が自分の子女をこの学校で学ばせようと引っ越してしまったのさ・・・。友人の家庭はカトリックトラディシオナリスト(伝統主義カトリック)なのに、この学校へ。ド・ヴィリエ家は熱心なカトリック家庭で知られていますが、この学校ではカトリックとのリンクをしていません。このあたりのケジメがド・ヴィリエ家、たいしたもんぢゃないか、と思うところでもあります。熱心過ぎて私学だから創業家の宗旨を持ち込むことの方がこの世の通例でしょうにね。余談、フイリップ・ド・ヴィリエ氏も伝統カトリックヲールドの中に住まう方なので子沢山ですが、あたしが小耳に挟んだ話だとお嬢様お二人が修道女で、おひとりは観想修道女会、もうおひとりはアフリカで宣教女としてイ動かれているとのこと。これまたウワサだけれど、フイリップ氏より上越で奥さまがカト的にすこぶるたいした方なのですと



でも・・・ココで冒頭のピエール・ド・ヴィリエ将軍さまの話題に戻りますが、自分のゆーことを聞かない将軍のクビを切ってまえ!としか思いつかないエマニュエル・マクロン大統領と、仏国軍頂点の立場であるド・ヴィリエ将軍さまが常に自分の後に続く軍人を思い、熟考して、最善の策を今や上司となった小童!マクロンにはっきりと進言するという現実に共和国民はどう思い、どう捉えるのでしょうかねぇ。日本国には「氏より育ち」と言う表現がありますが、ピエール・ド・ヴィリエ将軍は氏も育ちも良くて、今の彼が「生かされている」←誰に?w ように私ゃ思えて仕方ないンですが。あのさ、今までも、今も、小童!マクロンがイエズス会の中高に通ったことで、イエズス会が「真のエリート」養成校だからマクロンも真のエリートみたいな流れが出来ちゃってるけれど、従軍経験もない39ちゃいのマクロンが自分の思い通りになってくれない、「御意、大統領閣下、ああたのおっしゃるとおりでござあます。」と言ってくれるどころか反論しやがった奴をクビにしちまおうとしていること、どこが「真のエリート」なンですかね? 大統領の権力を悪用しているだけぢゃありませんか。三文ゲームに向き合った初心者が間違ってパワーを使っちゃう感じぃ。

一方のピエール・ド・ヴィリエ将軍さま。
フェイスブックで公開されている以下の内容が共和国民の間で静かに広がっているのでした。


Confiance コンフィアンスは和訳すると「信頼」が良いと思います。この場合においても。
仏蘭西語がよくわかンなくても、出だしが モン・シェエル・カマラド Mon cher camarade だけでもグっときます。「私の愛する同僚よ」と和訳するのが今ドキかなあ。昔だったらカマラドを戦友と訳したかもしれないし、きょうび軍から離れた世界ならばカマラドは学校ならば「同級生」、会社なら同じ部署で一緒に働く仲間たちに充てられると思います。で、天下の欧州一の陸軍と例えられる仏共和国軍陸軍の頂点に立つ人物が自分の孫のような青年兵士に向かって「同僚」と呼びかける。そして、彼らの将来の道しるべとなる言葉で語る。このConfiance 信頼の内容なんて、あーた、どこのミサの説教よ?これを話された神父様に会ってみたーい!と勘違いするほどですぜ。ド・ヴィリエ贔屓のバイアスがかかっているせいですが、私はこんなわかりやすく簡潔な「信頼」についてのお話だけでも、青年兵士たちの顔は聞き終えるまでに輝き、目ヂカラがいっそう強くなったと思いますよ(もちろん、よだれ垂らして熟睡しているだろうひとも数名いたでしょうけれどね)

兎に角、今の大方の予想がその通りになるとしたら、今度の金曜日にピエール・ド・ヴィリエ将軍はクビ、次に選ばれるのは「21世紀のイマドキの皇帝になりたい大統領の掌で転がる犬」の軍人ちゃんなンでしょう。国境取っ払ってどこぞのお露西亜の大統領の目論見と同じぢゃんね。露西亜と仏蘭西の中華思想の対立が浮き彫りになるのも時間の問題ぢゃないかと思いました。どこで浮彫になるってそりゃ、シリアざましょ。プゥチンは小童マクロンを蛇のごとくペロリと飲み込みたいだろうなあ。プゥチンが何を駒にするのか、ちょいと楽しみだったりする。

それにしても、小童!マクロンろんですが、青少年期に「僕は大きくなったらナポレオンになる!」と望んだとして、それをかなえるためにそれはアタマの良いオトナになり、皇帝も王も存在しない今の共和国で大統領の座に就いたにもかかわらず、年上だろうが年下だろうが「このハゲェエエエエ!あんたのアタマの良さは俺様の10分の一ぃいいい♪」と心の中で叫んでいるなら、巨人化した傲慢が良心をねじ伏せ抑え込んでしまっているのではないでしょうか。・・・ま、小童マクロンのそんなところは大統領選挙の予備選の生討論番組で見抜けてたよね。極右のおんな党首マリィヌが大統領の座に就くことを阻止するために投票有権者が小童マクロンに票を投じるしかなかったのも「天においては必然」であり、これから5年の国父マクロンの時代がこの世に必要だったのかもしれませんが、それにしてもこれから39ちゃいの小童マクロン大統領が「粛清まがいゴッコ」を始めるとなると、ガッコあたまの彼にそんな暴力の機会を与えた5年がとてつもなく長いです。ツルツル脳のわれ思うに、アタマが良くてもマクロン大統領は従順と服従の違いをまったく理解していないンではないかなあ。ご自分の周囲には服従する者だけを置きたいのでしょう。それぢゃ、栄華の終わりのダビデ王ぢゃん。小童よ、旧約読み直したら。

次の大統領選挙にピエール・ド・ヴィリエ将軍さまが出馬してくれないかしら?とフェイスブックに掲載されている彼の「説教集」を斜め読みしつつ、ついうっかり希望してしまいました。実現することはまずない、まる


le 17 juillet 2017, Charlotte


これ ↑ をタイプしながらちょっと思い出しましたが、フランソワ・オランド王の御世にマリアーヂュ・プル・トゥース Mariage pour Tous 同性婚姻法のドタバタがあり、この法案に反対するひとびとが国民投票を提案したのに当時の仏社会党政権はそれをまったく無視して押し切りました。その時に、政治通のマダム(この方、現在は隣村の補佐市長におなりあそばした)が一言「もしサルコぢだったらこういうことはしないわっ!民意をもっと聞かれる」とおっしゃっていたのです。・・・やっぱ、マクロンは仏社会党の流れなんだなあ、とふと。臣民の意見が聞けないまま、権力で片づけるって民主共和に歩み寄るどころか、遠のき始めている気がする。




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by ma_cocotte | 2017-07-17 16:49 | 黙れ、小童!マクロンろん | Comments(2)
しらけ鳥が空飛ぶ田舎の7月14日
昨日は7月14日でした。
仏蘭西共和国では国定祝祭日。日本国だと「革命記念日」でピンと来るかもしれません。もそっと突っ込むと「バスティーユ陥落の記念日」でしょうか。確か1789年7月14日に民衆がバスティーユ牢獄を襲撃し、この日を例の仏蘭西大革命初日としたンだと記憶していますが。

今朝になってフェイスブックを覗いたら、ヌーヴェルアキテエヌ地方諸都市で花開いた昨晩の花火映像と、花の都はパリの、昨晩はFrance 2で生中継されたエッフェル塔での打ち上げ花火の映像を見ることができました。が、流石、花の都はパリの花火は違うね。美しすぎる日本の花火が既成概念にある自分にはどうにもフランスの田舎の花火は雑でしょぼいンであります。でも、パリで打ち上げられる花火はエッフェル塔の姿と相俟ってそれは美しい光と影を次々と産み出し、テレビ画面の向こうの映像であっても観るこちらがどこか興奮やら感動を覚えます。

昨晩は確か9時頃からFrance 2がエッフェル塔の足元で行われたクラシックコンサートとそれに続く花火を生中継してはいましたが、脳みそが年々固くなっている私にとって究極の7月14日は今から10年前、同じエッフェル塔の足元で開催されたミシェル・ポルナレフの野外コンサアトであり、毎年7月14を意識し始めると何度となくYouTubeでその映像を探してしまいます。私が好きなのはコレ。

なんだろうなあ。変わっていく空の色と、空を横切るツバメ、そして時折聞こえるそのツバメたちの鳴き声が胸をきゅうううんとさせると言いましょうか。その情景に Lettre à France が妙にあっているような気がします。このビデオが好きなあまり、ココ数年の恒例となったクラシックコンサートがどんなにすばらしくても何か我がこころに物足りなさがある。だから、7月14日にこのポルナレフのビデオを見るのは私ひとりの「7月14日」かもしれません。
が、昨晩、ココんちから南西に60㎞ほどのラ・ロシェルでの野外コンサートがクリストフ・ウヰレム Christoph Willem だったらしく、今朝はほうぼうのニュウスでその様子が紹介されていました。一年前のニースでの惨劇があって、今年の7月14日の共和国内各地でのイヴェントが無事盛大に開催、完了というのがニュウスに取り上げられた理由でもあるかもしれませんが。私はクリストフ・ウヰレムが嫌いぢゃないので現場で見たかったかも・・・残念。

で、7月14日。
ココんちあたりではどうも今ひとつ盛り上がりに欠けているように思います。
それはなぜなのか。それはおそらくヌーヴェルアキテーヌの北西部がヴァンデ県に接していることでもわかるとおり、あの革命の後の革命政府によるカトリック迫害でこの地方で地元民を名乗るひとびとの中には殉教したご先祖さまがいることがあるから。ラ・ロシェルからヴァンデ県を抜けナントあたりまで、革命政府が破壊した教会聖堂や修道院の址が点在しています。現役の聖堂に入れば、当時、革命政府に命じられた棄教を拒んだことで斬首や溺死刑によって殉教したひとびとの名を刻んだ石碑を容易に見つけられたりもします。彼らの中にはすでにカトリック世界において列福された者もいます。日本語世界においてこういう革命の闇の部分に触れない。まるで共和国の万民が革命を賛美しているかのような印象付けが強いように思います。(まあ、そりゃ、7月14日の朝から晩まで軍事パレードやら華やかな茶話会やらコンサート、花火ばっかり紹介されちゃあね)。だから、革命当時の第二身分(貴族階級)のお恨み節とココんちあたりのひとびとの革命への疑問はちょと違います。
もちろんご先祖さまが革命政府の弾圧によって亡くなったことで当時のひとびとや子孫が全員「アンチ革命」になったのではなく、あまりの恐怖を味わったことで根っからの徹底した宗教嫌い、「ヒトは死んだらオシマイ」な現世主義に変貌したひとびとも多々います。つまり、革命政府の過激な粛清によって生まれたのはひとびとの二分、分裂です。このあたりで思い浮かべるのがきょうび「イスラム国」です。恐怖を見せつけて聖戦勝利、この世すべてをイスラームそのものにするという方針が生み出すのはひとびとの二分であって、一致や平和からいっそう遠のくということ。その前例がお仏蘭西の革命政府の過激な粛清だったりするというのがなんとも。


le 15 juillet 2017, Donald


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by ma_cocotte | 2017-07-15 18:13 | 『夏』 Rien de special | Comments(0)
昨日の結婚式
七月の第一日目。
昨日は午後4時から知人の結婚式でした。
ニオール市内に十近くある教会の中で最も小さな聖堂にてそのお式があげられました。
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先週後半までココんちあたりでは40度前後の熱暑の日が続き、6月最後の週は挙式前日まで暴風雨の日々。挙式当日の天気が心配でしたが、曇りがちではありましたが風雨は止み、気温も20度ちょっと。誰もが快適に慶事を迎えることができました。ほ。

さて、結婚式。
上の写真で背中を向けているお二人が新郎新婦。
新郎は隣村担当の郵便小包配達員。新婦はフランスの海外県グアドループの出身で、かつてパリのアンヴァリッドで仏軍大将方につくお仕事(事務官みたいなもの?)をなさっていました。このお二人、既に2008年だったか市民婚を済ませており、2歳半になる坊やがいます。市民婚から9年後の今、このお式は教会での婚姻になります。なぜ市民婚と宗教婚を同日に挙げなかったのか。それは新郎が無宗教だからです(今もそう)。彼は幼児洗礼も受けていません。なんと1968年生まれだそうですから、おそらく新郎の親御さんはもろに学生革命の影響をアタマに受けたのでしょう。だから、肌の白い、イスラム国兵士に十把一絡げで十字軍のレッテルをはられてしまいそうな新郎はキリスト教のキの字も知りません。一方のグアドルーペ生まれの新婦はまじめなカトリック信者で、地元のカトリック系の高齢者施設で毎日行われているロザリオ(=カトリックの数珠のようなもの)祈祷会の責任者でもあります。彼女の念願は教会で婚姻の秘跡にあずかることだったので、長年の祈りがようやく天に届き、良き日を迎えることができたのでした。こうして婚姻の秘跡(正確には旦那さまが信者ではないので準秘跡の扱いになるのかもしれませんが)を終えた彼女の次の目標は愛する旦那様がいつか洗礼を受けてくれることだそうです。お二人のひとり息子さんは幼児洗礼をすでに済ませています。昨日、彼女から聞きましたが新婚旅行はルルドに行くのだそうです。

なんとなーくですが、1968年前後に生まれて、それまでのフランスで当たり前だった幼児洗礼も受けずに成長した仏蘭西びとにはカトリックについて食わず嫌い、毛嫌いしているひとが多いので、彼女の旦那さまは子供の洗礼にもOKを出し、こうして10年近く経った今、教会での婚姻を受け入れるというのはかなり珍しいタイプに思えました。私は今回、聖堂内装飾と花嫁さんのブケーを作ることに関わったので、事前に彼に会う機会もあり、この点についてぶっちゃけたところ、ご自分はスピリチュアルやら不思議なことに興味があるので3回の結婚準備講座で指導司祭から聞く話も受け入れられたよ、とのこと。確かに聖書に書いてあることは「ありえねー話」ばかりだし、日本国で人気のアメリ・ノトンbなんぞ「聖書なんか童話ぢゃないの!」と鼻の穴膨らまして声をあらげますもんね。こんなことでも見下したらオシマイよ、なんだとあらためて新郎さんからの言葉を聞いて気づきました。
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↑ごミサの聖変化で跪く新婦と起立のままの新郎↑

挙式の後、場所をかえて、日本で言うところの披露宴があり、私も行きましたが、そこでもまた、日ごろごミサでお目にかかるご婦人方の配偶者に「お初にお目にかかります」という機会がゴロゴロありました。教会では子供を連れてミサにあずかるご婦人が結構いらっしゃっても、必ずしもご夫君がそばにいるとは限りません。もちろん必ず一緒に教会にいらしているご夫妻もいらっしゃいますが。フランスのカトリックの場合、子連れのご婦人であっても必ずしも夫君がいらっしゃると断言できず、彼女がシングルマザー、離婚経験者である可能性も「かなり高い率である」と言ってもいいくらいセンシティヴなポイントです。昨日、結婚したお二人だって、彼女と子供を教会でよく見かけても、彼を見たのは教会で近々婚姻することがわかってからです。よほど当事者と親しくならない限り、私生活がわからないのもフランス的かもしれませんが。兎にも角にも、昨日は教会のミサには絶対に現れなくても、おめでたい結婚式やら披露宴にはしっかり現れるパートナー方に会ったので、私としてはとても面白く愉快でもありました。

と、一夜明けた今日も今にも雨が降りそうな空模様で気温も20度あるかないか、初秋のようなココんちあたりですが、仏蘭西の世の中は7月に入ったのでおヴァカンスの始まり。誰もが互いのヴァカンス日程を確認しあって、次の予定を立てています。私は結婚式のお手伝いを無事終えて、今度は3日の夜にココから900kmくらい遠くのグルノーブルにお引っ越しするご一家の送別会のお手伝いです。仏蘭西では6月が年度末なので6月末日を最後に異動になる成人も多く、6月の終わりから7月はじめは「別れの季節」と呼べるかもしれません。

ちょっとしんみり。カレンダーも裏面にしなくちゃね。2017年後半の始まりです。


le 2 juillet 2017, Martilien




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by ma_cocotte | 2017-07-02 18:35 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)