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暖房をいれようか。
寒いっっ。
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5日と6日の寒暖差は20度近くあったのではないでしょうか。
昨日6日の午後遅く、犬の散歩に出たので、一服しようとそこいらのカフェのテラス席に座りました。その時点で涼しさを感じていたので、日向の席を選び、のどが渇いていたのでMOJITOを注文しました。それが午後5時過ぎ。

「秋の日はつるべ落とし」なんて言葉が日本にはありますが、10000km離れたココでも午後5時を過ぎるとぐいぃいいいんと太陽が傾き、日向を選んだつもりでもいつのまにか日陰の席となり、MOJITOのクラッシュアイスもほどよく溶けたところでいただくと、身体はひんやり。そして、運が悪いことに風が吹き始めました。もう凍えながらMOJITOをいただきました。

思い返せば、一週間前ならば午前中が涼しくても午後は夏日でしたのに、やはりココは仏蘭西。秋は短く駆け抜け、冬がやってくるようです。テラスの楽しみは行き交うひとびとをヲッチすることでもありますが、半袖やショートパンツで闊歩するひともいれば、もうダウンジャケットを羽織り、ブーツ姿のひともあり。昨日の私は夏のTシャツにライトダウンを羽織っていましたが、寒さが芯に沁みました。

そして、春夏の服をすっかり片付け、秋冬の服を出しました。
今まで鈍感ゆえか春の服は秋に着られると信じていましたが、春の服を秋に着ると寒いですね。懲りた。

一夜明けた今日7日もかなり寒いです。
暖房のスイッチを入れましょうかね。


le 7 octobre 2016, Auguste

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by ma_cocotte | 2016-10-07 19:55 | 『秋』 Rien de spécial | Comments(0)
それは地味で、静かなお知らせ
こんにちもまた、朝一番で顔本を覗いたら、
Une française...Qui est-ce ?
「(この)フランス人女性、どなた?」というエントリィが届いておりました。
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まあ、美しい。
質問されたところで私の知らない方でありますが、西方の抹香臭ただよう団体からのエントリィでしたので、ま、耶蘇世界における偉人なのだろうなあ?と妄想しつつコメント欄を見たら(註:私は「読んで」いませんw)、鍵語として Elisabeth de la Trinité がいくつも拾えました。それを検索しましたら、この方はかのブルゴオニュはディジョン Dijon でつとに知られるカルメル会修道女であり、1984年11月25日にロオマでJPIIにより列福されたとのこと。(余談、当時は列福式もロオマで行われていたのかもしれませんね。)
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Élisabeth de la Trinité
(née Élisabeth Catez le 18 juillet 1880 et morte le 9 novembre 1906)


そして、このたび、めでたくも、来る10月16日に福者 Elisabeth de la Trinité 、=三位一体のエリザベトさんはロオマで列聖のよろこびに与るのだそうです。へぇ、そうなんだ、二週間切っているのに、あたしゃ、このご慶事についてまったく知りませんでした。ココんちあたりはブルゴオニュから数百キロメートル西に位置するので地元教区(いちおう大司教区なんだけれどさ)も取り上げもせず、知らせもせず、キミガタはやすらかに生きてろ~なのかしらん。でも、こういうおフランスカトリック教会からのフランス人の列聖であってもそんなに騒がない対応の方が21世紀おフランスの世知辛い世の中に転がってる世俗には普通、日常であって(エラい世俗については知りまっせん)、つい最近ありましたマザーテレサの列聖の前宣伝から本番までの様子はわれわれおフランスのド田舎もんには異常であり、非日常だったとあらためて。なんだったんだろうね、あれ。ある種、集団ヒステリーみたいに見えた。

しっかし、カルメル会グループからの列福、列聖者は途切れることがありませんなあ。毎年、誰かしら列福、列聖されてるもの。流れ石。



le 6 octobre 2016, Bruno

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by ma_cocotte | 2016-10-06 15:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
もう、いいかげんにして。 Stop! Ça suffit!
パァパ・フランチエスコが日々、善行と奉献につとめられておりますのに、隣国のお仏蘭西では10月3日にパップ・フランソワ(=パァパ・フランチエスコと同一人物)から仏蘭西の公教育における性差の教え方について名指しで難癖つけられたことで政府上層がパニック状態になり、その話題でマスコ゛ミ主催のお祭り状態がきょうもまだ続いておりましてね(失笑。

かつて一度は「カトリックの長女国」と渾名されたフランスという国では長女だからとカトリック教会にたてついても「たいして叱られないわよ」という驕り高ぶり甘えに満ちた傲慢がしっかりあるので、今回の騒動もそのうちのひとつのように思えてなりません。1905年12月以降、完全なる政教分離法が存在するしぃ、1968年の学生革命で教会にトドメを刺したンだからさーと仏政府は不定期に暴走し、長い歴史でがんじがらめにされていたカトリックの生活道徳に楯突いて新しい教えを生み出そうと躍起になっており、そうゆうことをしても「あたしは長女だからパパ(いや、教会はママンだな)はアタシを甘く見てくれるのよねー」と。ところが、今回のようにママンから「おフランスちゃんのこういう考え方やら行いは間違ってる。ダメダメねー。」と反論が出ると、仏政府は瞬時に塩をかけられたなめくじみたいになって身悶えながら「ママンったら古いわね。理解できないなんてバッカみたい。」と反論が多弁になるというみっともなさ。毎度この手のおフランスvsヴァチカン騒動を傍観している私には仏政府のよぢれ身悶える様子は面白くもあるのですが。

どーなるんでしょー ←抑揚まったくなしでどうかひとつw


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というか、10月3日に始まったこの騒動より前に、既に現在のフランスの公教育の諸問題について共和国内のカトリック世俗が抗議運動を行うことが決定されていたのです。パリでの総決起集会は10月16日日曜に行われます。これが私が手にした勧誘チラシね。10月2日のごミサの後、聖堂の出口で受け取りました。
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公教育だけでなく同性婚姻法への抗議集会でもあり、カトリックだけでなくイスラーム、ユダヤ教の生活宗旨で日常を過ごしている方々も参加しています。彼らには彼らの理詰めの屁理屈がしっかりあり、それぞれが仏政府を論破できる自信があるのも、それが「真理」だから。(「まり」ではなく「しんり」です)政府変われば変わるかも、と絶望しないでいられるのも「真理」を信じるがゆえでしょう。いや、ヒトがそれぞれ真理を信じなくても真理の中身はなんら変わらん。

ココんちあたりもカトリックゾンビが多数参加。
夜明け前にパリに向かうチャーターバスが出るざま。

ただ、公立学校の性教育うんぬんは前世紀後半にはアジャパーのハラホロヒレハレ状態なので、カトリックのおブルヂョワ家庭においては幼稚園・小学校は私立でなけりゃ自宅教育申請しているし、ユダヤ教家庭もユダヤ教私立学校が共和国内で充実しているし、イスラーム家庭は教義によって徹底した父長制度でしっかり伝播されているので、どうしても公立校に子女をいれなきゃならないひとびとへの思いやりとでも言うのですかね。政府にしてみりゃ「余計なお世話。嘴突っ込むな」なワケです。

まあ、ナンピトも(届出やら認証の手続きを守れば)抗議集会は認められるのがお仏蘭西なんざんす。


話戻って、10月3日のヂャウヂアからの航空機内での教皇発言が来る10月16日の抗議集会の主旨と連動しているのか否かは、今の私にはわからん、まる

だけれど、傍観している限り、おフランスの公立校の性教育について多くの方々からナンクセつけられてもしかたないんぢゃないかなあ? だって、ガイジンにしてみりゃ、ありゃ、普通ぢゃないもんw



le 5 octobre 2016, Faustine

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by ma_cocotte | 2016-10-05 17:38 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
小さき花の、
こんにちは10月1日。

首都圏ですと「東京都民の日」です。
私は東京都民ではありませんのに、学び舎が東京都内に在ったので園児、児童、生徒、学生と毎年10月1日が休日でした。そんなことどうでもよいことです。耶蘇教゛界では同じくこんにち10月1日は小テレジアの祝日です。
「小テレジア」って誰よ?
小テレジアとは「小さき花のテレジア」ですよ。
「え?誰、それ?」
ええと、小さき花のテレジアは「幼きイエスのテレジア」ですよ。
小テレジア=小さき花のテレジア=幼きイエスのテレジアなるお方は、この方 ↓ 。
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フランス共和国の中ですと、「幼きイエスのテレジアって誰よ?」と質問してくる仏人が結構いるので、「ほら、ノルマンディはリジュウ Lisieux のテレーズよ」と返答したところで、理解に至る仏人はこの10年で五割を切ったあるね(失笑。たぶん、日本語で表すところの「テレジア」はラテン語で、共和国内での「テレーズ」は Thérèse で、IDが仏蘭西で生まれ育ち亡くなった彼女の本名に含まれる Thérèse と同じになります。

日本國国内ですと、きょうび「幼きイエスのテレジア」で彼女を指すことにほぼ統一されたように思えますが、昭和を生きたカトちゃんやらあたしのような昭和の耶蘇学校在学者には「小さき花のテレジア」もしくは「小テレジア」の方が脳内でピンと反応するかもしれません。

「小テレジア」と彼女が呼ばれるのは「小さき花のテレジア」を略したわけでなく、彼女が奉献生活を送った女子カルメル会の創立者の名前がラテン語で表すと同じく「テレジア」であり、彼女もまた聖女であるので、彼女については「大テレジア」という愛称があるのです。ちなみに大テレジアのお祝い日はこんにちから二週間後、10月15日でごわす。もしお友達の名前がテレーズやテレサだったら大小どちらにゆかりがあるのか伺ってからお祝いした方がいい場合もありますし、聞いたところで「そんなの知らない」と返答されることもきょうび21世紀の仏蘭西だったらよくあることです(むしろこの反応がマヂョリティ)。

そして、「小さき花の」の冠も、昭和に育った日本婦女子にはどこか懐かしい響きで、当時は同じ冠の幼稚園などが各地に点在していたものです。もし昭和時代に耶蘇学校や教会学校に通っていたら、同級生やお仲間の女の子の洗礼名が「小さき花のテレジア」だったケースが多々あると思います。当時は女児の幼児洗礼で人気の名前のひとつが「小さき花のテレジア」だったのですね。今の人気のおクリスチャンネームは何なのかしら?

こんなことでも昭和は遠くなりにけりざます。

どうぞ良い週末を。


le 1er octobre 2016, Thérèse de l'Enfant-Jésus

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by ma_cocotte | 2016-10-01 16:20 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
暦の上では秋なのだけれど、
今年の9月は異常気象だそうで、未だ夏の陽気が共和国内を覆っているのだとか。
確かに先の週末は夏のような暑さでした。

さて、ココんち。
毎年9月の第三週あたりにココんちのスペシアルウヰークがございまして、それは22日の結婚記念日と翌23日のもんここの誕生日を含む週を指します。今年は22日が木曜日、23日が金曜日。特に22日はわれわれの市民婚から15周年。

だからと言って、例年を超越するほどの贅沢はできませんでしたが、ココ新天地に引っ越してから10年となりわれわれが気になっているお店に今年も寄らせていただきやした。と、ここで、お天気。冒頭に書き散らかしたとおり、今年は異常気象で未だ夏のようであることからか、例年ならば室内の席に通されるのに、今年はいずれもテラス席に案内されました。

22日のお店。
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23日のお店。
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お食事を待つ間、造園をぼんやり眺めては「私もああしたい、こうしたい」とばかり脳内で妄想。同じ造園はできなくても、たくさんのヒントをいただきました。

兎にも角にも、どちらでも、青空の下、そよ風に吹かれながら、晩夏のひと時を過ごすことができました。去っていく夏、名残惜しいざます。


le 28 septembre 2016, Venceslas

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by ma_cocotte | 2016-09-28 14:55 | 『秋』 Rien de spécial | Comments(2)
慰めを求める道
今日の午前中、Hommage national aux victimes du terrorisme と言う「テロリストの犠牲者についての追悼式典」がパリのアンヴァリドで行われました。



230名もの、共和国内で発生した複数のテロ事件の犠牲者の名前が読み上げられましたが、その中にはもちろんイスラムに由来する名前を持つ方が多々おり、あらためてテロというものは無差別殺人、殺戮なのだと実感しました。

この式典が今日行われることで、今日は朝から繰り返しニュウスのたびにこのことと、7月14日にテロがあったニースにおける近況が紹介されました。ニースの現場周辺で涙するひとびとの様子を見た限り、いくつかの市町村長が海岸でのブルキニ着用を禁じたのは仕方なかったのかもしれないと思いました。日本人は感情を抑えながらの喜怒哀楽を表す傾向がありますが、欧州人の多くはどちらかというと感情を明らかにする言動があるように思えます。今日の朝の報道を眺めていても、海や道路、ろうそくの火を見ただけで泣き崩れるひとがかなりいて、これぢゃ、ブルキニ姿を見ただけで吐き気を催したり、卒倒するひとがいるかもしれないことが容易に想像できました。

だからと言って、私は「ブルキニ着用禁止」には反対の立場ですけれどね。

お昼のニュウスで、ニースの事件で犠牲となったモロッコ系のムスリマ女性の遺族(=もちろんイスラム教徒)が近々、ヴァチカンまで教皇に会いに行くと紹介されてもいました。「慰めてくれるひと」を求める気持は宗教を超えたヒトとしての素朴な感情だと思います。イスラム原理教条過激派の連中からすれば、イスラム教徒が恐怖によって自分たちに従うのではなく、自分たちの宿敵の長上に慰めを求めたというのは激怒に値すると想像もしますが、これこそまさに真理ではないでしょうか。

フランスでは先週からひと雨ごとに気温が下がり始めてもいますから、ブルキニのスキャンダルも下火傾向にあると思います。まったくイスラム生活文化や信者さんに関わりのない方々からすれば、ブルキニでネガティヴな興奮を覚えたことも仕方のない今年の夏でした。どうか来年の夏までに悲しみや憎しみが小さくなりますように。

もし自分が大統領に選ばれたらブルキニ着用を禁止する、と断言したサルコぢと言う人物はまったくイスラム生活文化や信者さんに関わりない方なのかもしれません。←イヤミよ、Bof



le 19 septembre 2016, Emilie

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by ma_cocotte | 2016-09-19 20:19 | actualité 現時点の現場から | Comments(0)
おひさしぶりに、ふぉんごんぼ
前回の訪問から8か月とちょいになりますか。
男子ベネディクト会のフォンゴンボ大修道院 L'Abbaye Notre Dame de Fontgombault に行ってまいりました。
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兎にも角にも山中の秘境と呼んでよいような場所にぽつーんとあるので、前回は道を迷いに迷い、ココんちからフォンゴンボに辿り着くまで車で3時間強となりましたが、今回は前回の反省も踏まえ、道程を再検証。ココんちから二時間弱でフォンゴンボの門を通り抜けることができました。でおぐらしあす。

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ココの聖堂では毎日午前十時からごミサがささげられています。
典礼はパウロ六世典礼ではなくヨハネ23典礼です。典礼文は全文ラテン語です。そして、なんと聖書朗読もラテン語でした。これには驚いたなあ、もう。私が今まであずかったヨハネ23典礼ミサは典礼文が全文ラテン語でも、聖書朗読はフランス語でしたから。


ごミサの後は周囲のマダム方の真似をして、食料品をゲット。
初心者のあたくしはチーズを買ってみました。
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すこぶる美味でした。


le 15 septembre 2016, Dolorès

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by ma_cocotte | 2016-09-15 16:08 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(0)
夏の最後にブルキニ水着のお話
9月も1/3を過ぎたと言うのに、まだ共和国内には酷暑の波が西から東に繰り返し動いてもおり、日替わりとは言え、或る日は大西洋岸で35度超え、別の日には地中海側で35度超えの状態が続いています。

共和国の市井においては9月に入ったことで、ほとんどのひとびとは職場、学校に戻り、新年度の様子に慣れつつあります。

が、冒頭に書きなぐったような気象であるため、週末に海岸を冷やかしに行くひとは多いです。そういう状況で今思い出すのは先月、共和国内で騒がれ、国際配信までされちゃったブルキニというムスリマが公衆海水浴場やプールで着用する水着についての話題です。確か私の記憶が確かならば地中海側の海水浴場に面するいくつかの市町村でブルキニの着用を禁じる令が出たとか。それについてもちろん人権団体諸々が人種差別や不平等をあげて抗議しました。8月末の時点で、カズヌーブ内相は多くのムスリマが着用する全身を覆うブルキニ水着の着用を共和国内で禁止することは違憲かつ無効であり、法制化されれば取り返しのつかない緊張をもたらすとの考えを示しもしました。

この件については先月26日に共和国の最高裁判所にあたる国務院がブルキニ着用禁止を凍結する決定を下しましたが、ココでは何の因果か仏蘭西共和国に長期滞在中の日本人である私の印象をつぶやかせていただきます。

内相やら国務院など三角形の頂点方面のアタマが良くてエラいひとびとは横に置いて、ガイジンであり、日本婦女子の私が眺めているかぎり、これまで仏蘭西の、特に地中海沿岸で当たり前である海水浴場での女性の上半身または全身のすっぽんぽんを目にするよりブルキニ着用の女性の方が傍観者としてハラハラしません。私のように肌や皮膚が弱い者にはむしろブルキニをまとってみたいほどです。(註:全身のすっぽんぽんはマルセイユあたりのカランクならば朝一番で全身スッポンポンが泳ぎ始めたら、そのカランクは一日全身スッポンポンの溜り場になります。法なんぞ「なにそれ?」の域の人種ですけれどね。そんなもんですよ。)ついでに、仏蘭西国内で販売されている水着には裏地がありませんし、胸にカップもついていません。生地そのものもかなり薄いです。こんな素材だからつけても、つけていなくても同じという考えになり、すっぽんぽーんになるのでしょうかね。もちろん肩や胸に水着の跡を残さず真っ黒けになりたいというセンスも存じておりますよ。

そうかと言って、今年7月14日の終わりにニースでトラック暴走による無差別殺人があったことを忘れてはならず、今年のヴァカンス中に起こった事件でもあるから、事件直後に犠牲者や当事者でなくても(残念ながら)ブルキニを見ると同時にパニックに陥るひとびとが存在しても不思議ではないし、そういう弱っているひとびとへの刺激をなんらかの方法で止めたいという気持が「ブルキニ着用禁止」という安直な言動に出たのかもしれません。この安直な言動については賛成しかねますが、ああいう恐ろしいテロの直後にパニックなどに陥るひとびとへの同情は私にも強くあります。

ですが、しかし、どちらでもない立場の私の正直で素直な気持は誰にとっても楽しく穏やかなヴァカンスを過ごしてほしいということ。
イスラームの生活慣習において、公衆において男性は男性だけ、女性は女性だけで行動するということも私は知っているし、それについて批判もしません。未成年というか中学入学前までの男児、女児は性別に関係なく公衆では母親と一緒にいることが多いです。しかも、ムスリマのママンはまるでイタリアのマンマのように子供に愛情深いことが常なので、どんな装束であれ、ムスリマの母子が海水浴場で楽しく夏を過ごすことは権利だと思います。でも、その様子を偶然見て、ニースの惨劇がフラッシュバックしてつらく苦しい思いを発するヒトもいるとなると・・・。

私見による愚案に過ぎませんが、ブルキニ禁止という極端な決まりを発するのではなく、しばらくの間は海岸を「ブルキニを見たくないヒト向け」「ブルキニ着用者向け」「そんなのどっちでもかまわないで仲良く楽しみましょうよ向け」の3分割するしかないのでは?と私は発想しました。ところが、こういうことを口にすると仏蘭西という国では「それはコミュノタリズムにつながる」とか反論してくるひとがいるわけです。私個人はコミュノタリズムを100%否定する立場ではないので、どうにもコミュノタリズムの単語を出してヒステリーに他人をぶった切るひとびとがパーに見えて仕方ないのです。が、今年の夏はある意味、ニースのテロ、ノルマンディの教会テロ発生など緊急状態のうちだっただけに、第三者のしらけた目線での白でも黒でもない灰色の案が、万民に平らに等しい判断なのではないかと思います。一方の思いを重んじるあまり、他方の、この場合、ブルキニを着る女性たちに水浴の我慢をさせたり、子供たちに喜びを与える母親としての義務を怠らせることを市町村の上長が命じるって私にはキチガイ沙汰に思えます。気の毒ですよ、善良なムスリム、ムスリマさんたちが。

私個人はブルキニより上半身や全身のすっぽんぽんをなんとかしてくれ、と思いますよ。セイウチ、アザラシ、トドみたいなんだもん。あ、言っちゃった。まじめに私にとってはブルキニの方がおしゃれです。日本の海岸でいずれ流行するかもしれません。


le 11 septembre 2016, Théodora



あー、そうだ、書き忘れた←棒読みでどうかひとつ。

例のサルコぢね。
この人物はこのブルキニの件について、
フランス大統領に返り咲いたら
全土でブルキニを禁止する
と8月25日に宣言したのです。彼、アホぢゃありませんね、パーですね。ハンガリー移民の父親とユダヤ人の母親の間に仏蘭西で生まれた移民二世のサルコぢがこういう発言をするとは。大統領、つまり、国父が或る宗教の生活宗旨で生きているひとびとをいぢめているようにしか見えませんけれどね。愚かすぎるぞ、サルコぢ。
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by ma_cocotte | 2016-09-11 16:46 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
今年の犠牲祭 イード・アル=アドハー
今朝、メールボックスを覗いたら、外務省関係のお知らせが届いていました。
表題は「注意喚起:犠牲祭期間」。
犠牲祭というのは年に一度行われるイスラームの大切な儀式で、当然イスラーム暦に基づくので、ラマダン同様、年々ずれることになります。今年は来週の9月12日から9月15日頃だそう。「頃」というのがミソだなあと思います。日没をさすのか、それとも16日の夜明けまでをさすのか、ちょっとわからん。

この犠牲祭ですが、イスラームになじみのないヒトにはかなりキツい儀式で、画像検索なんぞ私個人は決して勧めません。もし行うなら、それなりの覚悟をお持ちあそばせ。で、犠牲祭について文章に表すとするならば、外務省からのお知らせを引用するに
イスラム教徒は,神(アッラー)への捧げ物として,
羊,牛,山羊などを屠り,貧しい人々と分け合うことが習慣
となります。この「屠る」行いが元気な動物の頚動脈をナイフで切るスタイルでして、これはもちろん日常のハラルでも同じで、イスラーム教徒はお肉をいただくにしても動物の血を完全に抜くことが義務なのですね。それをこの犠牲祭の間は市井で業者ではなく一般の男性信徒によって行われることになるわけです。

フランス共和国においては新生児の7割がイスラム教徒という話題が数日前にマスコミを飛び交ったこともありますが、そうかと言って、フランスの土壌は未だイスラームに変化し終えていません。ですから、この犠牲祭の知らせで思い出したことは、隣村に住む私の知人宅の隣にイスラーム教徒の方がお住まいで、庭で犠牲祭にささげる羊や山羊を飼育し始め、知人(欧州系の元パリジエンヌ)が困惑していたことです。飼うのは妥協するにしても、隣の庭で動物を屠るのは心理的にキツいと繰り返していました。

うぅうううむ。

そして、もうひとつ思い出したことはイスラーム原理教条過激派の、いわゆるテロリストと呼ばれるひとびとが異教徒の処刑に頚動脈を切る、首を落とすという行為を選ぶのはこの犠牲祭につながるロジックがあるらしいという説。つまり、イスラームとしての人生において大切な犠牲祭で神にささげる動物を上手に屠るために、異教徒を「練習に使う」という感覚です。信じがたいですけれど、彼らにとって「人間のくせにイスラームとして生きられない」人間は神にささげるための動物より「以下」、「低い生き物」なんですね。そういう思考回路はおぞましく思えるのも、自分自身が何の宗教であれ原理教条主義の過激派ではないからです。でお・ぐらあしあす。

兎にも角にも、犠牲祭の期間中にイスラーム原理教条過激派の方々が変な気を起こしませんように。

参ったな・・・ブツブツブツ。


le 8 septembre 2016, Nativité de la Vierge Marie

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by ma_cocotte | 2016-09-08 18:00 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
そんなに、オオゴト???
今度の日曜日午前10時から仏国営放送局の全国放送(France 2)でヴァチカンはサンピエトロ広場で行われるマザー・テレサの列聖式を生中継すると、きょうの朝の仏国営放送コマアシャルで知りました。
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https://www.facebook.com/AnimatoriSalesiani/

いつもならば毎週日曜の午前10時半頃から同じ枠で欧州のどこかでささげられている主日ミサの生中継が放映されており、この番組は2016年の今となっては多くの共和国民から「今すぐ撤廃」を望まれていたりもします。

その枠で今度の日曜日はヴァチカンからの列聖式の生中継放送。
列聖式を含めた主日ミサですから、約2時間ほど。おそらく放映も正午までなのでありましょう。

しっかし、マザーテレサってフランスとそんなに濃いつながりがありましたっけ?

マザーテレサご本人はマケドニア生まれで大英帝国だかアイルランドゆかりの修道女会で奉献生活を始められ、後になってインドに宣教女として派遣されたことがきっかけで多くの方がご存知のように修道女会を一度退会し、新たにご自身で修道女会を設立し、死を待つひとの家や路頭に捨てられた乳幼児、障がい児を養う施設を運営しました。生前、ノーベル平和賞も受賞されたし、何が有名って世界中の富裕国を訪問し、資金を集められたことです。

列聖式はヴァチカンで年に数回行われるので、そんなに珍しいものではありません。もちろんマザーテレサの列聖式は後にも先にもあさっての一回こっきりではありますが・・・でも、列聖式のたびにほぼ必ずフランス人の宣教師や修道者が含まれているのに仏国営放送で生中継なんて流さないし、ニュウスで取り上げられることもありません。

いやー、マザーテレサ。
たいしたもんだとおもいます。

以上。


le 2 septembre 2016, Ingrid de Skänninge
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by ma_cocotte | 2016-09-02 19:46 | 『?』なKTOりっくん | Comments(1)