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悪夢を見ても 三歩で忘れる コケコッコ。
前々から負けるだろうとわかってはいましたが、負けましたねー。
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イタリアのキーパーであるビュッフォン Buffon の調子が悪くない限り、フランスは調子が良くても勝てないだろうと思っておりましたが、あれぢゃ、ビュッフォンが調子悪くても自滅だったかもしれません。

若手が大海に躍り出る前の怯える子鮭ちゃんのようにも見えました。
例えば、そこはかとなく少年なサミル・ナスリ Samir Nasri くん、次回、頑張ってください。

16日から一夜明けて、朝のニュウスもお昼のニュウスも夜のニュウスもトップニュウスはフランスがEuro 2008で予選敗退したことで、やたら cauchemar コシュマー、つまり「悪夢」という単語ばかり耳に入ってまいりました。新聞でも全国紙おリベラシオンさまの La soirée cauchemardesque des Bleus、日本語に訳すと『青たちの悪夢に満ちた宵』でしょうか。野暮ったい響きになってしまいましたね、ごめんなさい。

昨晩の運の悪さやら、ダメっぷりが繰り返される中で、マケレレ Claude Makelele やテュラム Lilian Thuram の離脱宣言についても発表されていました。マケレレは35歳、テュラムは36歳だそうなので「美しい引き際は今」なのかなあ、とも思います。

さて、悪夢から一夜明けて、カフェオレも飲んでお目目がすっきりしてまもなく、早くもフランスではこんなお話(↓)がネット上に登場し始めました。


Quel Onze pour les qualifications 2010 ?
2010年に選ばれる11人は誰?
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Photo @Yafoo.fr

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さーて、識者のみんなたち、どーでしょー? ( ̄ε ̄)b
ナスリちゃんがいないよ (T_T)
2010年といえば、サッカーワールドカップ南アフリカ大会 でございますよ。上の近未来予想図は Yahoo.fr の 記事 に掲載されたものですが、記事の最後にチエリ・アンリ Thierry Henry について
il faut rester jusqu’à 2010 !
2010年まで居なければならん!
と、語調強く書いています。今年の8月に31歳になるチエアンが果たして二年後にピッチピチでどこからどう切っても脂がのーりのりなのか、それとも熟しすぎた臭いを放つ親父と化しているのか。ううううん、どーでしょー?

これも、それも、鶏を率いる監督ちゃん次第でしょうか。
2010年の監督ちゃんは誰なんでしょね?予想つきます?...え、じずぅう?

それにしても、悪夢をとっとと忘れるのはフランスびとの得意技ですね。
流石、鶏、こけこっこ。

le 19 juin 2008, Romuald

【そいや、】
今宵はスペインvsギリシャ戦でありますが、スペイン国王ホワン・カルロスさまの王妃ソフィアさまはギリシャびとでございますね。正教から改宗されてのご婚姻だったと記憶しておりまする。さーてさて、今宵はどちら?まさかスペインはポルチュガルのマネっこなんてしないでしょう。⇒ 結果は2-1 で、西班牙スペインの勝ち だったのでございました。
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by ma_cocotte | 2008-06-19 02:40 | 『行け、行くんだ!』 Allez!! | Comments(8)
炊くか、茹でるか、それが決め手だ。
仏蘭西の六月はヴァカンス開始直前の月でもあり、学年末にもあたるので、この一ヶ月間、納会が行われっぱなしだったりします。夏至の日まで日没は夜10時過ぎでもあり、寒すぎず、暑すぎず、さわやかな風が運んでくる花々の香りを楽しみながらの野外パーティもこの6月だからこそだったりします。

そんなわけで6月に入っての二度目の日曜日のお昼過ぎ、青空パーティにおよばれ。
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出席するなら何かひとつ持ってきてね、という持ち寄りパーティです。

こちらは前菜、主菜にフォロマッヂュ(=チーズ)なテーブル。
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こちらはデセールのテーブルです。
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誰もがテーブルセッティグなど手伝いながら、目は既に「あれだけはずぇったい食べてやる」という目標を定めていたりします。紅白のいちごのティラミス、美味でしたよ。

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ところで、こんな持ち寄りパーティになりますと、お米を使った家庭料理がしばしば登場します。仏蘭西ですが、意外にもお米をよく食べます。たいていがこのようなサラダです。
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数種類の刻んだ野菜に、ツナやハム、そこに塩胡椒とオリーブオイルをかけて混ぜるだけ、が基本のサラダです。こちらも、色違いだけど、そうね(↓)。卵が入っています。
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私だったらこのサラダの上にパセリかミントをちらしますが、もしかしたらこれを持ってらしたマダムのお子たちがパセリが苦手なのかもしれません。

いずれのサラダのお米もふっくらモチモチで美味でした。
仏蘭西のスーパーマルシェでお気軽に買えるお米はタイ米、ヴェトナム米、バスマチ米など海外産もあれば、南仏のカマルグ湿原で作られる国内米やスペインのパエリヤ用やらイタリアのリゾット用のお米もあり、日本國よりヴァラエティがあるかもしれません。
このお米というもの、日本びとならば炊きますが、仏蘭西びとは鍋にたっぷりのお水を沸かして、一定時間茹でます。10数分茹でた後、お湯をよく切って、味付けを始めます。茹でるからなのか、お米とお米がパラッと独立しますし、噛んだ時に芯がないように感じたりもします。
それでも、今でも、私はこちらで買えるお米をといで、飯盒炊爨のようにコンロに乗せて炊いて食べています。元々、食にこだわりがないせいか、日本のお米でなくても「美味しい」と思えます。だからこんなところに住み続けられるのかも。
ただーし、仏蘭西でよく見かけるカスタードクリームにお米がまざったデセール(リ・オ・レ Riz au lait)だけは「食べず嫌い」と言うか、食べましたけれど、また食べたいとは思えないままコンニチに至っております。
お米と干し葡萄とカスタードクリームにキャラメリゼ・・・うーーむ。

le 9 juin 2008, Diane
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by ma_cocotte | 2008-06-09 19:52 | Ca etait? | Comments(26)
キミが、嘘を、ついた。だから、 Mariage annulé pour "non virginité"
日本國だったら報道されるかなー。 されんだろー? (-。-) ボソッ
と思わず思い、つぶやいてしまうニュウスが先週からお仏蘭西共和国内を賑わしております。そのニュウスがどんな内容かと申しますと、今年4月お仏蘭西は北部の大都市リル Lille の裁判所がある夫婦の婚姻そのものを無効と判断したことで、検察が着手したことが公になったことです。で、その婚姻そのものが無効になった理由というのが
un mariage entre deux jeunes musulmans "pour erreur sur les qualités essentielles"
若いイスラム教徒男女の結婚がその抜本的本質において間違いがあったため
です。その抜本的本質が何かってぇと、女性が"non virginité"、つまり『処女ではなかった』ことなのです。
こんな話、日本國でニュウスになりまっか? 012.gif
このニュウス、先週末あたりからテレビのナマ討論番組で連日話題になっていて、かつては慎み深かった道徳の國からやってきた一ガイジンの婦女子(=ミーです)には目線を落としてマッカッカになるようなキーワーズがポンポコ画面から飛び出っ放しでイイ齢ぶっこいてモヂモヂです。
【France 5】 Revue et Corrigé :1 - Tollé après l’annulation d’un mariage
【France 5】 C dans l'air : Virginité : le drap de la discorde

そもそも事件の発端ですが、2006年7月8日、30歳のエンジニアを生業とする男性と女学生が結婚しました。二人ともイスラム教徒(tous deux de confession musulmane とフランス語で表現されているので「信仰箇条を守る級」ですね(爆笑)で、市民婚による婚姻を済ませました。が、新婚初夜、新郎が新婦の非処女を発見(!)し、翌日(!!)、弁護士に婚姻そのものの無効、つまり「離婚」ではなく「結婚そのものがなかったことにすること」に助けを求めたのです。新郎の訴えの理由は「結婚そのものの抜本的本質に間違いがあったこと」と「新婦が僕に嘘をついた」であります。んーでっ、それからそれからで、この今年の4月に裁判所が・・・、検察ぐゎわわわ、と上の文章に戻ります。

さーてさて、あなたなーら、どーするぅ?

ココはお仏蘭西ですから、この手の問題になれば必ず出てくるキーワード、それは
Laïcité  ライシテ
そう、1905年制定の徹底政教分離法です。上の判例だと、市民婚を挙げた両者がイスラームだから婚姻無効に「してあげた」と受け取られてもしょーがないンぢゃあないか?となりますよね。現に検察が噛み付いたんだからさ。でも、「相手が嘘をついた」ならば、重婚罪など婚姻そのものが真っ白けっけにできる過去の判例は「なくもない」と言えます。

日本國では婚姻届なる紙に必要事項を記入し、役所に届ければ「結婚」に値しますが、仏蘭西でいうところの市民婚というのは役所で長上(たいていは市長補佐)の司式で20分程度の「挙式」を行います。マリアンヌの胸像を前にフランスの法律において婚姻にかかわる法が読み上げられ、それに新郎新婦は声に出して宣誓し、最後に長上、新郎新婦、双方の証人が宣誓書にサインをすると、晴れて「共和国国家に認められた正真正銘の夫婦」になるのです。非神論のヒトならば十二分に「教会臭い」ほど神聖さが臭う市民婚の式次第でもあります。この挙式日に至るまでの準備のクソ面倒さとその後の厄介も経験した者にしかわからないかもしれませんが、この婚姻そのものを「真っ白けっけ」にするのは、日本國のように役所に離婚届を提出すれば済むものではないことも事実です。

フランスの民法の第180項に"qualité"(本質)の間違いを理由に「une union ひとつになること、この場合「結婚」を無効にできるとあるそうですが、おフランスで喧々囂々になっているのは「処女であるなし」で結婚無効にはできんが「彼女が嘘をついた」なら婚姻そのものを取り消すことができるという点だったりします。
例えば、2004年度、共和国内で745件の市民婚の無効が認められていますが、その理由に「妻が処女ではなかった」というものはひとつもありませんが、"qualités essentielles du conjoint 配偶者の本質"において例えばID隠蔽・偽造、国籍、過去についての偽証で認められたケースもあります。

今週に入って、この事件の第二ラウンドに入ったと思えるのは、現在の共和国法相があのラシダ・ダティ Rachida Dati 女史であることです。アルヂェリア系ママンとモロッコ系パパの家庭でイスラーム的道徳生活の中で成長し、元は検事代理、現在はパリ7区区長であるラシダ・ダティ女史が「法の最長上のひとり」としてどう判断するかざますね。ラシダちゃんが法相であろうとなかろうと、彼女のBGがつっつきどころであり、ラシダちゃんがちびっとでもイスラーム風習に触れたら槍雨豪雨は必須だとガイジンの私でも予想できましたが、ラシダちゃんはそれを既にやってしまいまして、今週に入って前言取り消しというか「このまま婚姻を認めなかったら二人が不幸になるだけだ」と力説イングで「婚姻無効にできるのだ」「私は(弱い)女性を守るのだ」と主張なさってます。が、女性の庇い方が違うだろ?とか、アンタたちの法皇サルコぢのコミュノタリズム主義がこういうことを生み出すのだ!とか野党からあからさまに批判されるラシダちゃんです。(証拠:Dati face aux sifflets des députés socialistes
フィヨン内閣のみんなたち、お察し申し上げるしかありませんけれど、野党の言い分もうなずけなくもありません。3年ほど前にイスラームの男女の間で男性からのプロポーズを断ったことで女性が公衆で火達磨にされてしまった 事件 があったけれど、たまたまクリスチャンの家庭の門前で燃やされたから早期発見→通報→救助できたのであって、コミュノタリズムになっちゃったら一緒に石を投げたり、薪をくべたりしかねなくなりますからね。コミュノタリズムのナニが平和を招くのか、サルももう少し具体的に利点を神聖皇帝として臣民に述べよ、です。

兎にも角にも、もうしばらくはこの「21世紀にあっても非処女が理由で仏蘭西では法的に婚姻無効にできるんだよ」噺でお仏蘭西は上流でも下流でもヒソヒソヒソのギャッハッハが続きそうです。

ココんちの仏蘭西びと♂は「仏蘭西ではイスラームが尊重されても、あっちぢゃイスラームに従わないと殺られちゃうから (-。-) ボソッ」とボヤき、そんなつぶやきを聞いてブルっとしながらも、ガイジンだしイスラームでもないし法律には従うだけの身分の私にはどうでもいいことだったりしますけれど、ただひとつ、言いたいのが、仏蘭西では市民婚を申し込むにあたって健康診断書を役所に提出せねばなりませんので、イスラームさんたちの場合、そういう機会に「処女であるかないかの確認検査」をなさったらいかがなものでしょ?イスラームのお若い婦女子は異教徒の美容整形外科医を訪問し、処女膜再生手術を申し込まれたりしているとのこと。普段は同じ宗教の医師しか信用しないのにねぇ。こんな事件もお仏蘭西におけるイスラーム移民ワールド話のひとつに過ぎませんが、今回もとーっても要領悪いとついうっかり思ってしまうのも、この件に限ったことではございませんでした。はい。
ま、お二人とも残りの人生、それぞれ幸せになってください。
嘘、つくなよ。  まわりが迷惑だから。(-。-) ボソッ

le 4 juin 2008, Clothilde
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by ma_cocotte | 2008-06-04 17:55 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(12)
これからどうやって「新」を見つければ良いのだろう。

超ウルトラど大ショック...

イヴ・サン・ローラン Yves Saint Laurent 氏が、雨の今朝、巴里に死す。71歳。

葬儀は木曜日、6月5日午後3時半から花の都はおパリの Saint Roch 教会にて。

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1936年8月1日、アルジェリアはオランに生まれた『恥ずかしがり屋のピエ・ノワール少年』が生み出した 独自の世界。全国紙 Le Figaro はこの訃報に 
Yves Saint Laurent, définitivement génial 
イヴ・サン・ローラン、永遠の天才
と。そうですとも。彼に代わる肉体も魂もありません。
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↑ これぞ、天下無敵ざます。 「美」 ↑

かつて何から何までYSLだった私にはこの現実を知ったところで、本当に、ああ、言葉になりません。何もかも、ピンからキリまで、凡女の私が自分では思いも付かないこと、発想できないことを彼は教え続けてくださいました。これから私はどのようにしてこの世の「新た」に気付けばよいのでしょう。 
ありがとう、YSL。
私にとって天国に帰る楽しみがまたひとつ増えました。

le 2 juin 2008, Blandine

【追 記】 6月2日、TF1の13Hニュウスで流れたものです。(T_T) 感涙。
TF1 : Yves Saint Laurent nous a quittés

   
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by ma_cocotte | 2008-06-02 19:53 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(10)
あのヒト、ロクハチだから。 Il est SOIXANTE-HUIT, donc...
この、2008年5月の一ヶ月間、テレビで繰り返し流れていたのは、先日つぶやいた「イスラエル建国60周年」に関する番組と、もうひとつは「Mai 1968 メ・ミルヌフソンソワサントユイット」、1968五月革命についての番組でした。
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*TF1 : Mai 68-Mai 2008
*France 3 : Mai 68
*France 2 : Mai 68 "Sous les pavés la page"
日本國の人々でフランスの1968五月革命を知るヒトはフランスに関わられる方がほとんどかと拝察します。私なんぞはフランスという国にさして興味を持っていなかったので、「フランス」と「革命」の二つのキーワーズならば、自ずと目の前にはオスカルさまが幻覚となって現れ、口からは「フランス大革命、いちななはちく」と大学受験時代とさして変わらぬリアクションしかできなかったりします。

ところが、フランス共和国という国では「革命 Révolution」と聞くと、「68? ソワサントユイット?」と山川問答するヒトが多かったりします。大昔、私が南仏の学生街で一人暮らしをしていた時、電話番号交換を仏蘭西びととしたら、私の電話番号の中に 68 ソワサント・ユイット というKWが入っていたので、反射的に「ソワサント・ユイット?なんてすばらしい。あの革命と同じ数字だ」と言ってきました。当時、フランス無知の私はそう言われても脳内蛍光灯でしたし、着灯する前に自分からスイッチを切ってしまったのも事実です。が、その後、こうしてフランスに住み続けていると、やたら 68 ソワサント・ユイット でピクンっ!と反応し、68という数字を賛美するヒトに出っくわすことばかりです。

でー、Mai 1968、学生革命ですけれど、1968年5月にユダヤ系のアナキストさんであるダニエル・コーン=ベンディット Daniel Cohn-Bendit 氏が中心となって蜂起した反体制運動で、5月21日にパリで起こった暴動がその頂点の日として今も語り継がれていたりなんかします。当時の大統領があのシャルル・ド・ゴールだったというのも時空間の中で浮遊してしまうような感覚に襲われたりもしますが(そんな昔?と思うか、ついこの間なのにド・ゴールがいたのか!?と思うのか)、この運動でまず要求されたのが
教授独占の位階体制に対する民主化要求
で、この革命の成果は
1.教授の権限の縮小
2.学生の主体性を文部省が公的に承認
3.アグレガシオン等の民主化
4.大学自治の確立
正直、「ふーーーーん」としか言えない。というのも、自らフランス共和国という国の国立大学に21世紀に入ってから通ってみたけれど、教授の権限はニホーンとは比べ物になりませんです。威厳ありすぎマンボ、シャカシャカ。学生の主体やら自治というのは「大学だから」というより、既に高校生にもなれば支持政党を持ち、満足も不満も心に沸いたあらゆる感情を公共でのデモ行進やら学内ストライキで表明する自由が与えられていることを指すのかな、と思いますね。高校にも大学にも全国規模の組合がありますし、その活動は成熟したものです。ガイジンであるあてくしが楽しみにしていた授業にいきなり学生労働組合が後方からビラ撒きしながら侵入してきて、教授が「どうぞ」と1m以上の高さある教壇を譲るなーんて映画のような場面はこの眼で何度も見ています。こういう時だけ教授は学生に優しいというか甘いけれど、教授は教授でこちとら寝ずに準備した定期試験をいきなりストライキで中止にしやがったりしますから。
バス代、返せ。ヽ(`Д´)ノ
アグレガシオーン Agrégation (一級教員資格)とカペス C.P.E.S. (中等教育教員適性証)については、あてくしはガイジンながらもすんばらしーシステムだと思います。なんというかあらゆることが浄化されたシステムだと思うけど、今月今夜のこの場所ではそれについては書きません。

この学生革命について小難しいことはよく知らないけれど、それまで公立大学に住み込みでいたカトリック司祭を追い出したのも「成果のひとつ」ですね。昨年、帰天された リュスティヂェ枢機卿 は1968年当時、ソルボンヌの住み込み司祭 aumônier で学生たちに追い出された一人だと聞いた記憶がございます。

で、21世紀のおフランスの市井、それも、ド庶民の中での68 ソワサント・ユイットですけれど。いかなるシチュエイシャンにおいても伝統を嫌って自分が機動力となっての改変こそが素晴らしいなんてほのめかす60歳くらいの人物がいたとすると、誰かが必ず「ああ、あのヒト、68だから」とボソっとつぶやいたりします。当時学生だった年代だけでなく、68革命で恐怖を心底味わっちゃって今ではやたら「伝統軽視・改革支持」を唱えるぢっつぁま、ばっつぁまも「68扱い」されたりします。
1968年当時生まれていない「若いもん」に。ヾ(`◇´)
でも、若いもんに「68(日本びとの私はあえてロクハチと読みたい)」と揶揄されてしまう彼らにとっては「あの頃、キミは若かった」と何もかもがキラキラして自分自身はぴちぴちだった頃をノスタルジックに懐かしんでしまうのも無理はありません。「68」の言い分では、彼らの親世代は懐古するばかりで「新」を見出そうとしないそうです。が、あの革命を経験した自分達は老いて尚、先を見ているかのような主張をします。
ガイジンとしての私的傍観になりますが、1968年から40年が経って、あの革命についての盲目的賛美は年々小さくなっているように見えるし、その革命賛美の火を消してはならないと蠢く団体も怪しくも多々ありますね。反体制革命だから中道より左を涼やかに眺める必要がありますが、フランス共産党(PCF)などは当初、この革命に賛同したものの、その底辺に主導者ダニエルのようなアナキストやトロツキスト主義者がいることを批判していたりもします。

そーこまで深刻でなくとも、例えばモナコのカロリーヌ王女のようにこの革命の影響を受けて育った上流階級の子女がT-シャツやジーンズを身につけたり、庶民風のアパルトマンをパパに買ってもらって「新しい時代」を楽しみ、婚姻なしに同棲を始め、他人の眼から見れば「ごく普通の家庭」を作ったりするなんて「上流階級の新しい遊び」を始めたりもしました。
40年経ち、現在のカロリーヌ王女は三度目の結婚にして保守的な立場にあらっしゃいますけれど、市井にはマリタル maritale (正式には婚姻していない)家庭だらけですし、子供が誕生してから結婚を決めるカップルもたくさんいます。

自分が改革の先頭であり続けたい彼らも60歳。65歳まで定年延長なんて案が通ったのも、彼らが改革の先頭だからこそであって、自分達が先頭にいたいがためにリタイアを彼らの力で先延ばしにしたのかも。...なんか、そう思うとアホらし。ε= (´∞` ) Bof 

le 31 mai 2008, Lise-Marie ← Elizabeth と Marie の複合名ぢゃな。
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by ma_cocotte | 2008-05-31 20:22 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(3)
2008年5月、この一か月
まもなく五月も終わろうとしておりますが、今年のこの一か月、ほぼ毎晩、どこかの放送局でイスラエル建国60周年に関する番組が放映されています。ニュウスもそうですね。
France 2 & France 3 : Israël, un Etat créé il y a 60 ans
http://info.france3.fr/dossiers/monde/42064239-fr.php
TF1 : Israël - Israël a 60 ans
http://tf1.lci.fr/infos/jt-tf1/reportages/0,,3839366,00-israel-ans-.html

5月14日がイスラエルの建国記念日だったようです。
フランスにもユダヤ系の人がたくさんおり、年に一度、チャーター便を使ってイスラエルに移住するという行事があることもこれまで何度かテレビで見たことがありました。移住していく方もいれば、フランスに定住されている方もおり、2年程前まで私が住んでいた南仏では日常生活の中で普通に ユダヤの生活文化 が垣間見れたりもしました。
当時の私にとってはたまに遊びに行くマルセイユ旧市街の路地裏に点在するユダヤ人が経営するレストランやサンドイッチ屋さんをひやかすのが好きでしたが、結局、全店制覇できないまま、あの地方を出てしまいました。悔やまれる。

そして、こうして800kmも離れた新しい土地に来たものの、近隣の複数の旧市街に行ってもユダヤのカルチエがないので、あの美味しいファラフェルサンドイッチも今の私にとっては夢に出てくる贅沢な一品となってしまいました。ああ、食べたい。でも、マルセイユは遠すぎるし、ココらへんで最も近いのがボルドーらしいです。いつかパリに上ることがあったら、食べられるかな。観光客相手ではないお店に行ってみたかったりします。

ココ新天地でひとつだけ「ユダヤ」らしきものを発見したことがありました。
それは墓地で見つけたのです。
ココんちの仏蘭西びと♂の母親が南仏からやって来た昨年夏、墓参りに行ったところ、遠方に見えるガラス張りの温室のような中に鎮座ましている墓石を見て「あれはユダヤ人のお墓だ」とおっしゃる。そんなことは初めて聞いたので、すぐ疑ってみたら、自分は南仏出身だからわかるという返事。んなわけで、そのガラス張りのお墓のそばに行って、墓石を覗いたら、こんな感じでした。
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Vous avez raison, ma belle mère.


近寄ってみますと、
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摩訶不思議 かも?

墓石には、ユダヤの象徴のひとつである「8本の蜀台」、ハヌキヤ もあれば、手前には磔十字。イエズスのボディが乗っておりますからカトリックですわな。ふたつでひとつ?一つの中に二つ?墓石から拝察して一族(Famille)のお墓のようです。ご家族の苗字は Helfrick 、ヘルフリック...。この苗字を調べてみたらTsigane ツィガーヌ系のユダヤ系の苗字らしい。昨年の今頃はサルコぢ Sarkozy という苗字だったセシリア Cécilia さまと同じ出自でしょうか。セシリアさま、今年の3月23日からAttias アティアスという苗字ですわね。

フランスという土壌では、そこに住み始めた人がそれぞれの生活をそれぞれのスタイルで営んでおりますが、昨夕(5月28日)、France 5 で放映された生討論番組 C dans l'Air のお題は Israël-Syrie : la paix sur un plateau 、イスラエルとシリア:平和のお膳立て、とでも訳しましょうか。トルコが仲介に入っての平和交渉が先の5月21日から始まったとか。番組の討論内容は平和を模索する熱い討論であり、政治的にも文化的にも外交的にも経済的にもどこから照らしても興味ある討論内容です。

レバノン もそうですが、ボスボラス海峡から時計回りにジブラルタルまで が平和となり、青い空と海、白い雲、緑と赤土の大地が戻りますように。それが実現しないと神聖皇帝サルコぢ一世が唱える地中海共同体構想の実現は難しいでせう。...Peut-être

ああ、それにしても揚げナス入りのファラフェルサンドが恋しい。がるるるる。

le 29 mai 2008, Aymard
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by ma_cocotte | 2008-05-29 18:19 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(5)
これを買わずにいらりょうか。
ココんち近所のイーペルマルシェ Hypermarché の「本日の特売品」
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パン・オ・ショコラ20個が ユーロ ぽっきりっっ! 


♪♪\(^ω^\)( /^ω^)/♪♪


いつもだとこのお店ではパン・オ・ショコラ10個で2.70ユーロです。この価格でも一般のパン屋さんに比べればべらぼうに格安ですが、パン・オ・ショコラ20個で3ユーロには流石に驚いた...というか、瞬時に天国に招かれたような気分になりました。しかも、このお店のパン・オ・ショコラはへたなパン屋のそれより美味だったりします。チョコレートたっぷり(チョコ棒2本)。
これを無視できるほどの心とお財布の余裕が欲しい。
サルコぢにはわからない思いでせうね。はい。   ...あと4年。

le 27 mai 2008, Augustin de Cantorbéry
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by ma_cocotte | 2008-05-27 21:42 | The ou Cafe? | Comments(8)
どれにしようかな?かみさまの言うとおり、あれれのれれれ?
5月は五月、聖母月です。

ココんちから車で一時間ほどの山の中になぜかぽっつーんとココらへんの聖域 Sanctuaire と呼ばれる巡礼地があります。フランス語でバジリク Basilique と呼ばれる格の聖堂が建っており、ここに納められている聖母子像が中世の時代から「病を治す」という言い伝えがあるのだそうです。年に一度の 大祭 にはバスも電車も通っていない、この山村に5000人以上の人々が集って「病者のために祈る」そうです。私が母の病気が少しでも癒されることを願いつつ、この村に行ったのが2月11日でしたが、その時は、
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しぃいいいいいいん。  カァカァカァ


聖堂の中に入ってみると、カジモド(鍵番)のムッシュウがおひとりでお掃除中でした。
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右に小さく見えるのが病を治す聖母子像、Notre Dame de Pitié 哀れみの聖母という名前で親しまれています。
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こちらがNotre Dame de Pitié 哀れみの聖母像のドあっぷです。


このご像、14世紀に女子修道院で造られたそうで、その当時、聖母の膝の上の絶命したキリストの姿をもってDouleur de Christ キリストの痛みを表現することが流行でもあったそうです。cf. La statue de Notre Dame de Pitié
なーんて、いろいろ知れたのも、このムッシュウが私を見つけるなり「いきなりガイドさん」となって、いろいろ説明してくださったのです。
-バジリカと普通の教会の違いをご存知か?
-のん。
-バジリカってぇのは結婚式や葬儀を行わない教会堂なんだよ。
これが嘘か真か調べる気もなく、聖堂のお掃除を任せられるようなムッシュウのお話だから、脳に ___φ( ̄^ ̄ )メモメモってことで。で、ムッシュウから説明いただいたことですが、この教会のステンドグラスにはフランス共和国内各地で昔から崇められている聖母像が描かれていることで知られています。例えば、こちら(↓)
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珍しいと申しましょうか。お肌の色が 黒い 聖母子です。
左はフランスで「黒の聖母」と言えばNotre Dame de Le Puy サン・ヂャック・ド・コンポステル巡礼の拠点のひとつであるル・ピュイの聖母ですね。
右はにゃんとNotre Dame de Chartres シャルトルの聖母です。シャルトルには2度行きましたが、黒い聖母像を拝見した記憶がございません。どうしてもステンドグラスを仰ぎ見てしまうので気付かなかったのでしょうか。(これだから ヾ(`◇´) 次回はよっしゃ!


コチラはどうでしょう?日本國ではあまり知られていない聖母出現の土地かも。
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左はNotre Dame de La Salette 涙なーみだのアルプス山中のラ・サレットの聖母
右はNotre Dame de Pontmain ポンマンの聖母ですね。

★そして、ユーのハツにグっとくる聖母はフー? ( ̄ε ̄)b
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by ma_cocotte | 2008-05-24 05:04 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
元祖・生臭坊主の影響力は今も絶大。
少し前ですけれど、ココんちの郵便受けにこのようなチラシが入っておりました。
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ど、どんっっ!

このコメカミに青筋立ったおっさん、誰よ?

えとですね、このおっさんですけれど、アルマン・ヂャン・デュ・プレシ・ドゥ・リシュリュ Armand-Jean du Plessis de Richelieu とおっさる、苗字に「ド de 」が二つくっつくモノホンのおフランス貴族(三男坊に生まれながらも家督を継いだ時は侯爵で、司教就任時に男爵の称号に移行したそうだ)で、もひとつおまけにこの方にはカーディナル Cardinal、=枢機卿なんて称号も付くのです。カトリックの聖職者でありながら、ルイ13世に愛された政治家でもあり、フランスではいまだ絶対権威あるアッカデミィ・フォンセーズ Academie Française の創立者でもあります。ソルボンヌの学長職に就いたこともあるんだぜ。つい最近、中米はパラグアイでルゴ司教が大統領に選出されましたが、大統領の椅子と引き換えに司教というか司祭としての「聖職停止」状態にルゴさんはありますけれど、リシュリュさんはまんべんなく聖俗職両天秤で生涯を終えた方であります。リシュリュ宰相&枢機卿の生きた時代にライシテ laïcité、徹底政教分離なんて言葉があったかどうか、それこそアッカデミィ・フォンセーズにお問い合わせでございます。

さて、1585年9月9日パリに生まれ、1642年12月4日に帰天したリシュリュ枢機卿ですが、なぜか今年がチラシのごとく1608-2008で400年記念祭なんであります。

なんで1608年?
リシュリュ卿のお誕生日から計算すると1608年のリシュリュさんは23歳ですけれど?
で、チラシの裏を見てみました。

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目ぇ凝らせば読めなくもありませんが、中ほどにこんなことが書いてあります。
..., en cette anneé 2008 qui marque le 400éme anniversaire de la nomination du futur de Louis XIII comme évêque de Luçon.
2008年はリュソン司教としてルイ13世の未来の『首相』が任命されて
400年目に当たります。
だから、ヴァンデ Vendée 県の県会議で今年2008年を「リシュリュ年 Anneé Richelieu」に決めたンですと。つまり、1608年はリシュリュ師が23歳の若さでフランス中西部はリュソン教区の教区長(=カトリック教会の職、司教 evéque と呼ばれる階位)に任命された年なのです。そ、それを理由に県議会が「リシュリュウ記念年」決定とは
思いっきり、政教一致 ヾ(`◇´)
ヴァンデ県の政治の最長上は、前回の大統領選にも出馬した右突き当たりから二番目に座す(近未来には右突き当たりになるだろうと噂されている)フィリプ・ド・ヴィリエ Philippe de Villiers 氏ですからね。公では右突き当たり、私生活ではカトリックの伝統主義者で、6人のお子達のうちひとりは宣教女だとか。この最長上の個人の事情を省いても、ヴァンデという県はふくろう党やら 大革命時のカトリック教徒虐殺 の事実を未だ引き摺り続けている土地です。てか、732年のポワチエの戦い以降、ポワチエから大西洋岸にかけての土地は何百年もの間断続的にあらゆる宗教の戦場でしたけれど。翻弄されたのはいつも庶民。

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↑ 戦場ラ・ロシェル La Rochelle でのリシュリュ枢機卿 ↑
左に見えるトンスラーズはフランシスカンとベネディクタンでないかい?


リシュリュ師ですが23歳で国王の一存で司教職に就いたり、1622年12月、37歳で国王から枢機卿に任命されちゃった、現代では早すぎる出世というか、任務を受け入れた方ですけれど、カトリック司祭でありながら戦闘士となったり、政治や教育にも関わった方で、女性関係も華やかだったという話もございます。そんな彼が死を目の前にしてこの世で最期の告解で告白した言葉は「私には国家の敵より他に敵はなかった」で、おフランスのためならば彼の意向に沿わないナンピトも「国家の敵」と見做し「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」と裁きまくったカトリック聖職者でもありました。が、リシュリュ枢機卿はヒトに厳しく猫に甘かったという嘘か真かの記録もあり。(どこぞの 教皇B16 とお似ましか?)
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猫というものは、実にかわいらしい動物ぢゃな!
サロンの虎ぢゃな。なんと柔らかなものか!ひどく優しいものぢゃ!

Le Cardinal bâilla trois fois sans cesser son jeu, et dit :
— C’est un bien joli animal qu’un chat ! c’est un tigre de salon : quelle souplesse ! quelle finesse extraordinaire ! Voyez ce petit jaune qui fait semblant de dormir pour que l’autre rayé ne prenne pas garde à lui, et tombe sur son frère ? et celui-là, comme il le déchire ! voyez comme il lui enfonce ses griffes dans le côté ! Il le tuerait, je crois, il le mangerait, s’il était plus fort ! C’est très-plaisant ! quels jolis animaux ! 
@Cinq-Mars, Chapitre XXIV, Le Travail
こんなエエ氏出の三男坊リシュリュウ枢機卿ですが、生まれながらの虚弱体質は生涯変わらず、発熱、呼吸困難、肝臓疾患、神経痛、偏頭痛、不眠症、憂鬱病、痔疾、膀胱疾患、皮膚の腫れ物などに悩まされながらも、おフランスの近代化に尽くされた大政治家かつ大文化人として今も崇め祀られていたりします。なんと彼の名を戴いた戦艦リシュリュー号なんて存在しますね。この持病から想像するに思い切り弱そうな軍艦ですけれど、1939年から1958年まで活躍、1945年には東京湾に入港しています。そして、1635年にリシュリュ卿によって創立されたアカデミィ・フォンセーズは「フランス語の純化機関」であります。外来語受け入れのハードルは未だ常にあまりに高しですが、ここ数年、男女職務表現の無差別化で甘いという噂を小耳に挟んだりしています。その話は横に置いて、もう一方の横に置いてありそうなリシュリュ卿の話題を拾ってみますと、カトリック聖職者としてのリシュリュ師は初めてフランス語でミサを司式した人物とも言われています。ミサがラテン語一本化したとされるトリエント公会議は1545年から1563年にかけて開催されておりますから、リシュリュ師はもしかして違反を犯されてらっさることになるかもしれません。余談ですけれど、トリエント公会議前までは各国語での背面ミサがあげられており、B16が昨年7月以降、この典礼で司式されたりしています

ところで、このリシュリュ年のイヴェントですが、チラシの中に一覧表。
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そもそもヴァンデ県ですが、中世遺跡がそこら中にゴロゴロあり、それを文化遺産として守っているのはよろしうござんすが、ほとんどに入場料が付きまとうという他県では見られぬ集金手段。こんなチラシの中から「入場無料 Gratuit」というキーワードを探すのが喜びとなっている私ですが、そりゃ、上のチラシの右下から二番目に注目ですわよね。
MESSE SOLENNELLES 荘厳ミサ
なんと、9月21日と12月21日の二回もリュソンの司教座大聖堂 Cathédrale de Luçon であげられます。9月21日のごミサは司式者がCardinal Poupard プゥパァ枢機卿ですと。cf. Paul Joseph Jean Poupard
この 大聖堂のオルガンも有名 みたいですし、ふむぅ、目と耳の保養にもなる至福の2時間未満でありましょうか。私の9月21日は日本國内潜伏中であります。残念!

超スペシアルウルトラスーパーど貧乏な私がリシュリュ年に何ができるかわかりませんが、
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このような名前の薔薇を園芸店で見つけました。カーディナルなのに真紅の薔薇ではなく、
 の薔薇 ねぇ。
肥沃から程遠いココんちの庭でリシュリュさまが開花してくださることを祈りつつ。( ̄人 ̄)

le 22 mai 2008, Emile
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by ma_cocotte | 2008-05-22 17:31 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(12)
別に私はどこでも構わないのですよ。
祈ることができ、
この世における我が身の使命が果たせれば。
と、ダライ・ラマ Dalaï-Lama 師はおっしゃりたいのでは、と、この2か月の彼にまとわりつく騒動を傍観していて私は妄想したりしています。

先日、ベルトラン・ドゥラノエ Bertrand Delanoë 氏が長上のパリ市議会において、ダライ・ラマ師がパリ名誉市民になることが可決 されましたが、それは今回の事件をきっかけにパリ市長が大統領&首相府を挑発したわけではなく、既に2003年にダライ・ラマ師がパリ市を訪問したことでその種は撒かれていたのだと表向きにはそう言われています。

日本國ではエイメリカに向かうダライ・ラマ師が日本を経由しただけで大騒ぎになりましたが、フランスにおけるダライ・ラマ師の扱いというのはあまり仰々しいものではないように拝察しています。というのも、おらが町にも数年前、ダライ・ラマさんがお出ましになってるだね。
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↑ おらが町の名物、川下りを楽しまれるダライ・ラマさん ↑
ちなみに左側の僧侶はフランスにおけるチベット仏教の最高責任者さん。

このダライ・ラマさんご訪問を私が記憶しているのも、このご訪問直前に私がこの町に来て、現在住んでいる家の入居契約をしたのですね。その時、建築主であるマダムが私に向かって、この町にはこの春ダライ・ラマ師が来るので、この町は仏教にもアジア人にも優しく、心開く町なのだ、と差別発言をなさいました。マダムにしてみれば思いやりなんでしょうけれど。それを聞いて平行ドンビキした私が「私は日本人ですし、日本の主だった仏教はチベット仏教とは異なりますんで、はい」と返答し、マダムが豆鉄砲フェイスになったのもリアルに覚えております。フランスにおいては田舎であればあるほど日本は中國内にあると思い込んでいるフランス中華思想者が多すぎるでござる。

この時のダライ・ラマ師ご訪問のきっかけは、その数年前におらが町の市長さんがインド北部のダラムサラ Dharamsala でダライ・ラマさんにお目にかかり、おらが町で「チベット市」を開く計画があることを話したところ、ダライ・ラマさんが市長さんの目の前でご自分のアヂャンダを開き、何やらメモされたのだそうです。すたら、あーた、本当にその予定にあちらからお気軽極楽にいらしてしまったんですな。
ダライ・ラマさん、イイヒトでーす。(T_T)
しかも、ダライ・ラマ師の講演会の日にゃあ、こんなに人が集まった。
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この頃、フランスでは「ダライ・ラマは金集めが上手」と口にする人も結構いました。それはかつてマザー・テレサに対しても同じことを口にしている人がいたことを思い出させることですが、こういうことを言う方々は中道左派より左突き当たりまで「宗教信仰者=泥棒」、「宗教=集金手段」という単純刷り込みによる発言に過ぎません。おらが地元も揺ぎ無いPS居城として現在は知られています。

なぜ「現在は」なのかと言うと、今は中道左派で徹底政教分離で同性愛者も好んで引っ越してくる「おらが地元」ですが、かつては血みどろ中世史の舞台の中にあり、続いて太陽王ルイ14世 Louis XIV の愛妾妃がこの町に生まれ、その太陽王がこの町周辺に住む新教徒に旧教改宗を命じたところ彼らが応じなかったので虐殺してしまったり、フランス大革命においては革命政府からカトリック棄教を命じられた聖職者、修道者、市民がそれに逆らったがために殺されてしまったり、前世紀にはヴィシー政権が市役所乗っ取りをしユダヤ人迫害も行っている過去があります。宗教や人種で大量の赤い血が路地やら川面を流れた町なんですよ。こんな過去があるから、多くの人が先祖になんらかの形で虐殺された者を持っているから宗教アレルギーとなり、フランス社会党よりヒダリがこの町では愛されているとさえ言われています。今になって、この町に住む中道左派でありながら共産党より手前に座す「われこそは真の善良」と称す市民が「私共の町は仏教も、アジア人も受け入れます。ダライ・ラマ師がいらっしゃるくらいだから」と喧伝したところで、ダライ・ラマなる方が訪問する市についての予備知識も携えずにノコノコやってくるとは思えません。つまり、ダライ・ラマ師はフランスがどういう過去を持っている国か重々承知であり、そんな自慢できない過去を抱えた自称人権先進国が、ご自分が生きている今、こうして平和に迎えてくれるなら
それでいいぢゃないか
という、心の中の整理やら割り切りができているのではないでしょうか。現に、フランス共和国は 大革命当時のカトリック王党派への虐殺 については現在も多くを語らないままです(語れるわけがない)。肉体的にも霊的にも命に関わるほどの制約が在りすぎるチベットに今は戻れませんよ。帰還は悲願であるけれど、帰還のためには段取りも必要というのは所違えどイスラエル建国の前例でわかりすぎていることです。

さて、ダライ・ラマ師ですけれど、今年8月にはナント Nantes におみ足を運ばれます。
http://www.dalailama-nantes2008.fr/
今回のダライ・ラマ師の来仏も国賓扱いではないようです。
ダライ・ラマ師は8月15日から20日までいらっしゃり、講演会や仏教の生活文化指導などなさるようです。ノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ師の講演会はともかく、こんなはるか遠方の異教異文化の指導にフランスびとが集まるんか?と思ったりしちゃいますが、フランスにおけるチベット仏教の浸透度は日本國よりはるかに広く深く染み入っております。

b0070127_17551218.jpgなにを隠そう、ココんちのフランスびと♂もチベット仏教の修行をコートダヂュール某所で行い、得度し、名前までいただいています。証拠写真(→)ね。左がチベット仏教の得度証明書。このフランスびと♂と知りあって間もない頃、エクサンプロヴァンスのはずれの獣道の先にあるチベット仏教の隠遁所にも連れて行ってもらったことがある私です。
そういうナマな世界に接することがなくても、毎日曜日の朝8時過ぎにうっかり国営放送France 2 にチャンネルを合わせれば、仏教番組 Sagesses bouddhistes (仏教の智慧)が流れておりますわね。今のフランスにとって、チベット生活文化はフランスの普通の人々の普通の生活に浸透できる土台が日本國よりはるかに整っているように見えます。
cf. Union Bouddhiste de France http://www.bouddhisme-france.org/
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↑ チベット仏教のお祈りだそう ↑

きょうび21世紀、目に見える距離、人種、文化だけでは他者との関係の重さを計れないかもしれません。日本がそれらをあげてフランスに自らはチベットに詳しいと言ったところで、そりゃ、どーかな?です。第二次大戦後、政治亡命者、移民受け入れを積極的に行っているフランスにはチベット難民もいれば華僑もいるし、欧州系の人々の中にはチベット生活文化通もいれば、中國ヲタクもいます。そういう過去やら思考やら嗜好を持つ各個人が自由に爆発して意思表示できるのも現代フランスだからなのでしょうけれど、場合によってはヨソの国から派遣された第三者によって導火線に火をつけられているように見えます。だから、気味悪いのだな。

ダライ・ラマ師はチベット仏教の最長上さまであるのだからして、ご自分の思いを語れば、それはご自分の霊的兄弟の思いを代弁していると取られてしまうでしょう。ですが、この世にいながらにして世捨て人でもある僧侶が、この世で何を果たさねばならないのか。それはこの世のどこであっても祈ることでありましょう。それが、今のチベットではできない。今のフランスでは自由に祈ることができても、この先、自由に祈れるかどうかは誰にもわからんぞ。

この世には桃源郷はないのだろうか、ふとそう思いました。

le 10 mai 2008, Solange
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by ma_cocotte | 2008-05-10 17:03 | 『?』なたわ言 | Comments(10)