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どれにしようかな?かみさまの言うとおり、あれれのれれれ?
5月は五月、聖母月です。

ココんちから車で一時間ほどの山の中になぜかぽっつーんとココらへんの聖域 Sanctuaire と呼ばれる巡礼地があります。フランス語でバジリク Basilique と呼ばれる格の聖堂が建っており、ここに納められている聖母子像が中世の時代から「病を治す」という言い伝えがあるのだそうです。年に一度の 大祭 にはバスも電車も通っていない、この山村に5000人以上の人々が集って「病者のために祈る」そうです。私が母の病気が少しでも癒されることを願いつつ、この村に行ったのが2月11日でしたが、その時は、
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しぃいいいいいいん。  カァカァカァ


聖堂の中に入ってみると、カジモド(鍵番)のムッシュウがおひとりでお掃除中でした。
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右に小さく見えるのが病を治す聖母子像、Notre Dame de Pitié 哀れみの聖母という名前で親しまれています。
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こちらがNotre Dame de Pitié 哀れみの聖母像のドあっぷです。


このご像、14世紀に女子修道院で造られたそうで、その当時、聖母の膝の上の絶命したキリストの姿をもってDouleur de Christ キリストの痛みを表現することが流行でもあったそうです。cf. La statue de Notre Dame de Pitié
なーんて、いろいろ知れたのも、このムッシュウが私を見つけるなり「いきなりガイドさん」となって、いろいろ説明してくださったのです。
-バジリカと普通の教会の違いをご存知か?
-のん。
-バジリカってぇのは結婚式や葬儀を行わない教会堂なんだよ。
これが嘘か真か調べる気もなく、聖堂のお掃除を任せられるようなムッシュウのお話だから、脳に ___φ( ̄^ ̄ )メモメモってことで。で、ムッシュウから説明いただいたことですが、この教会のステンドグラスにはフランス共和国内各地で昔から崇められている聖母像が描かれていることで知られています。例えば、こちら(↓)
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珍しいと申しましょうか。お肌の色が 黒い 聖母子です。
左はフランスで「黒の聖母」と言えばNotre Dame de Le Puy サン・ヂャック・ド・コンポステル巡礼の拠点のひとつであるル・ピュイの聖母ですね。
右はにゃんとNotre Dame de Chartres シャルトルの聖母です。シャルトルには2度行きましたが、黒い聖母像を拝見した記憶がございません。どうしてもステンドグラスを仰ぎ見てしまうので気付かなかったのでしょうか。(これだから ヾ(`◇´) 次回はよっしゃ!


コチラはどうでしょう?日本國ではあまり知られていない聖母出現の土地かも。
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左はNotre Dame de La Salette 涙なーみだのアルプス山中のラ・サレットの聖母
右はNotre Dame de Pontmain ポンマンの聖母ですね。

★そして、ユーのハツにグっとくる聖母はフー? ( ̄ε ̄)b
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by ma_cocotte | 2008-05-24 05:04 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
元祖・生臭坊主の影響力は今も絶大。
少し前ですけれど、ココんちの郵便受けにこのようなチラシが入っておりました。
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ど、どんっっ!

このコメカミに青筋立ったおっさん、誰よ?

えとですね、このおっさんですけれど、アルマン・ヂャン・デュ・プレシ・ドゥ・リシュリュ Armand-Jean du Plessis de Richelieu とおっさる、苗字に「ド de 」が二つくっつくモノホンのおフランス貴族(三男坊に生まれながらも家督を継いだ時は侯爵で、司教就任時に男爵の称号に移行したそうだ)で、もひとつおまけにこの方にはカーディナル Cardinal、=枢機卿なんて称号も付くのです。カトリックの聖職者でありながら、ルイ13世に愛された政治家でもあり、フランスではいまだ絶対権威あるアッカデミィ・フォンセーズ Academie Française の創立者でもあります。ソルボンヌの学長職に就いたこともあるんだぜ。つい最近、中米はパラグアイでルゴ司教が大統領に選出されましたが、大統領の椅子と引き換えに司教というか司祭としての「聖職停止」状態にルゴさんはありますけれど、リシュリュさんはまんべんなく聖俗職両天秤で生涯を終えた方であります。リシュリュ宰相&枢機卿の生きた時代にライシテ laïcité、徹底政教分離なんて言葉があったかどうか、それこそアッカデミィ・フォンセーズにお問い合わせでございます。

さて、1585年9月9日パリに生まれ、1642年12月4日に帰天したリシュリュ枢機卿ですが、なぜか今年がチラシのごとく1608-2008で400年記念祭なんであります。

なんで1608年?
リシュリュ卿のお誕生日から計算すると1608年のリシュリュさんは23歳ですけれど?
で、チラシの裏を見てみました。

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目ぇ凝らせば読めなくもありませんが、中ほどにこんなことが書いてあります。
..., en cette anneé 2008 qui marque le 400éme anniversaire de la nomination du futur de Louis XIII comme évêque de Luçon.
2008年はリュソン司教としてルイ13世の未来の『首相』が任命されて
400年目に当たります。
だから、ヴァンデ Vendée 県の県会議で今年2008年を「リシュリュ年 Anneé Richelieu」に決めたンですと。つまり、1608年はリシュリュ師が23歳の若さでフランス中西部はリュソン教区の教区長(=カトリック教会の職、司教 evéque と呼ばれる階位)に任命された年なのです。そ、それを理由に県議会が「リシュリュウ記念年」決定とは
思いっきり、政教一致 ヾ(`◇´)
ヴァンデ県の政治の最長上は、前回の大統領選にも出馬した右突き当たりから二番目に座す(近未来には右突き当たりになるだろうと噂されている)フィリプ・ド・ヴィリエ Philippe de Villiers 氏ですからね。公では右突き当たり、私生活ではカトリックの伝統主義者で、6人のお子達のうちひとりは宣教女だとか。この最長上の個人の事情を省いても、ヴァンデという県はふくろう党やら 大革命時のカトリック教徒虐殺 の事実を未だ引き摺り続けている土地です。てか、732年のポワチエの戦い以降、ポワチエから大西洋岸にかけての土地は何百年もの間断続的にあらゆる宗教の戦場でしたけれど。翻弄されたのはいつも庶民。

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↑ 戦場ラ・ロシェル La Rochelle でのリシュリュ枢機卿 ↑
左に見えるトンスラーズはフランシスカンとベネディクタンでないかい?


リシュリュ師ですが23歳で国王の一存で司教職に就いたり、1622年12月、37歳で国王から枢機卿に任命されちゃった、現代では早すぎる出世というか、任務を受け入れた方ですけれど、カトリック司祭でありながら戦闘士となったり、政治や教育にも関わった方で、女性関係も華やかだったという話もございます。そんな彼が死を目の前にしてこの世で最期の告解で告白した言葉は「私には国家の敵より他に敵はなかった」で、おフランスのためならば彼の意向に沿わないナンピトも「国家の敵」と見做し「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」と裁きまくったカトリック聖職者でもありました。が、リシュリュ枢機卿はヒトに厳しく猫に甘かったという嘘か真かの記録もあり。(どこぞの 教皇B16 とお似ましか?)
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猫というものは、実にかわいらしい動物ぢゃな!
サロンの虎ぢゃな。なんと柔らかなものか!ひどく優しいものぢゃ!

Le Cardinal bâilla trois fois sans cesser son jeu, et dit :
— C’est un bien joli animal qu’un chat ! c’est un tigre de salon : quelle souplesse ! quelle finesse extraordinaire ! Voyez ce petit jaune qui fait semblant de dormir pour que l’autre rayé ne prenne pas garde à lui, et tombe sur son frère ? et celui-là, comme il le déchire ! voyez comme il lui enfonce ses griffes dans le côté ! Il le tuerait, je crois, il le mangerait, s’il était plus fort ! C’est très-plaisant ! quels jolis animaux ! 
@Cinq-Mars, Chapitre XXIV, Le Travail
こんなエエ氏出の三男坊リシュリュウ枢機卿ですが、生まれながらの虚弱体質は生涯変わらず、発熱、呼吸困難、肝臓疾患、神経痛、偏頭痛、不眠症、憂鬱病、痔疾、膀胱疾患、皮膚の腫れ物などに悩まされながらも、おフランスの近代化に尽くされた大政治家かつ大文化人として今も崇め祀られていたりします。なんと彼の名を戴いた戦艦リシュリュー号なんて存在しますね。この持病から想像するに思い切り弱そうな軍艦ですけれど、1939年から1958年まで活躍、1945年には東京湾に入港しています。そして、1635年にリシュリュ卿によって創立されたアカデミィ・フォンセーズは「フランス語の純化機関」であります。外来語受け入れのハードルは未だ常にあまりに高しですが、ここ数年、男女職務表現の無差別化で甘いという噂を小耳に挟んだりしています。その話は横に置いて、もう一方の横に置いてありそうなリシュリュ卿の話題を拾ってみますと、カトリック聖職者としてのリシュリュ師は初めてフランス語でミサを司式した人物とも言われています。ミサがラテン語一本化したとされるトリエント公会議は1545年から1563年にかけて開催されておりますから、リシュリュ師はもしかして違反を犯されてらっさることになるかもしれません。余談ですけれど、トリエント公会議前までは各国語での背面ミサがあげられており、B16が昨年7月以降、この典礼で司式されたりしています

ところで、このリシュリュ年のイヴェントですが、チラシの中に一覧表。
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そもそもヴァンデ県ですが、中世遺跡がそこら中にゴロゴロあり、それを文化遺産として守っているのはよろしうござんすが、ほとんどに入場料が付きまとうという他県では見られぬ集金手段。こんなチラシの中から「入場無料 Gratuit」というキーワードを探すのが喜びとなっている私ですが、そりゃ、上のチラシの右下から二番目に注目ですわよね。
MESSE SOLENNELLES 荘厳ミサ
なんと、9月21日と12月21日の二回もリュソンの司教座大聖堂 Cathédrale de Luçon であげられます。9月21日のごミサは司式者がCardinal Poupard プゥパァ枢機卿ですと。cf. Paul Joseph Jean Poupard
この 大聖堂のオルガンも有名 みたいですし、ふむぅ、目と耳の保養にもなる至福の2時間未満でありましょうか。私の9月21日は日本國内潜伏中であります。残念!

超スペシアルウルトラスーパーど貧乏な私がリシュリュ年に何ができるかわかりませんが、
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このような名前の薔薇を園芸店で見つけました。カーディナルなのに真紅の薔薇ではなく、
 の薔薇 ねぇ。
肥沃から程遠いココんちの庭でリシュリュさまが開花してくださることを祈りつつ。( ̄人 ̄)

le 22 mai 2008, Emile
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by ma_cocotte | 2008-05-22 17:31 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(12)
別に私はどこでも構わないのですよ。
祈ることができ、
この世における我が身の使命が果たせれば。
と、ダライ・ラマ Dalaï-Lama 師はおっしゃりたいのでは、と、この2か月の彼にまとわりつく騒動を傍観していて私は妄想したりしています。

先日、ベルトラン・ドゥラノエ Bertrand Delanoë 氏が長上のパリ市議会において、ダライ・ラマ師がパリ名誉市民になることが可決 されましたが、それは今回の事件をきっかけにパリ市長が大統領&首相府を挑発したわけではなく、既に2003年にダライ・ラマ師がパリ市を訪問したことでその種は撒かれていたのだと表向きにはそう言われています。

日本國ではエイメリカに向かうダライ・ラマ師が日本を経由しただけで大騒ぎになりましたが、フランスにおけるダライ・ラマ師の扱いというのはあまり仰々しいものではないように拝察しています。というのも、おらが町にも数年前、ダライ・ラマさんがお出ましになってるだね。
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↑ おらが町の名物、川下りを楽しまれるダライ・ラマさん ↑
ちなみに左側の僧侶はフランスにおけるチベット仏教の最高責任者さん。

このダライ・ラマさんご訪問を私が記憶しているのも、このご訪問直前に私がこの町に来て、現在住んでいる家の入居契約をしたのですね。その時、建築主であるマダムが私に向かって、この町にはこの春ダライ・ラマ師が来るので、この町は仏教にもアジア人にも優しく、心開く町なのだ、と差別発言をなさいました。マダムにしてみれば思いやりなんでしょうけれど。それを聞いて平行ドンビキした私が「私は日本人ですし、日本の主だった仏教はチベット仏教とは異なりますんで、はい」と返答し、マダムが豆鉄砲フェイスになったのもリアルに覚えております。フランスにおいては田舎であればあるほど日本は中國内にあると思い込んでいるフランス中華思想者が多すぎるでござる。

この時のダライ・ラマ師ご訪問のきっかけは、その数年前におらが町の市長さんがインド北部のダラムサラ Dharamsala でダライ・ラマさんにお目にかかり、おらが町で「チベット市」を開く計画があることを話したところ、ダライ・ラマさんが市長さんの目の前でご自分のアヂャンダを開き、何やらメモされたのだそうです。すたら、あーた、本当にその予定にあちらからお気軽極楽にいらしてしまったんですな。
ダライ・ラマさん、イイヒトでーす。(T_T)
しかも、ダライ・ラマ師の講演会の日にゃあ、こんなに人が集まった。
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この頃、フランスでは「ダライ・ラマは金集めが上手」と口にする人も結構いました。それはかつてマザー・テレサに対しても同じことを口にしている人がいたことを思い出させることですが、こういうことを言う方々は中道左派より左突き当たりまで「宗教信仰者=泥棒」、「宗教=集金手段」という単純刷り込みによる発言に過ぎません。おらが地元も揺ぎ無いPS居城として現在は知られています。

なぜ「現在は」なのかと言うと、今は中道左派で徹底政教分離で同性愛者も好んで引っ越してくる「おらが地元」ですが、かつては血みどろ中世史の舞台の中にあり、続いて太陽王ルイ14世 Louis XIV の愛妾妃がこの町に生まれ、その太陽王がこの町周辺に住む新教徒に旧教改宗を命じたところ彼らが応じなかったので虐殺してしまったり、フランス大革命においては革命政府からカトリック棄教を命じられた聖職者、修道者、市民がそれに逆らったがために殺されてしまったり、前世紀にはヴィシー政権が市役所乗っ取りをしユダヤ人迫害も行っている過去があります。宗教や人種で大量の赤い血が路地やら川面を流れた町なんですよ。こんな過去があるから、多くの人が先祖になんらかの形で虐殺された者を持っているから宗教アレルギーとなり、フランス社会党よりヒダリがこの町では愛されているとさえ言われています。今になって、この町に住む中道左派でありながら共産党より手前に座す「われこそは真の善良」と称す市民が「私共の町は仏教も、アジア人も受け入れます。ダライ・ラマ師がいらっしゃるくらいだから」と喧伝したところで、ダライ・ラマなる方が訪問する市についての予備知識も携えずにノコノコやってくるとは思えません。つまり、ダライ・ラマ師はフランスがどういう過去を持っている国か重々承知であり、そんな自慢できない過去を抱えた自称人権先進国が、ご自分が生きている今、こうして平和に迎えてくれるなら
それでいいぢゃないか
という、心の中の整理やら割り切りができているのではないでしょうか。現に、フランス共和国は 大革命当時のカトリック王党派への虐殺 については現在も多くを語らないままです(語れるわけがない)。肉体的にも霊的にも命に関わるほどの制約が在りすぎるチベットに今は戻れませんよ。帰還は悲願であるけれど、帰還のためには段取りも必要というのは所違えどイスラエル建国の前例でわかりすぎていることです。

さて、ダライ・ラマ師ですけれど、今年8月にはナント Nantes におみ足を運ばれます。
http://www.dalailama-nantes2008.fr/
今回のダライ・ラマ師の来仏も国賓扱いではないようです。
ダライ・ラマ師は8月15日から20日までいらっしゃり、講演会や仏教の生活文化指導などなさるようです。ノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ師の講演会はともかく、こんなはるか遠方の異教異文化の指導にフランスびとが集まるんか?と思ったりしちゃいますが、フランスにおけるチベット仏教の浸透度は日本國よりはるかに広く深く染み入っております。

b0070127_17551218.jpgなにを隠そう、ココんちのフランスびと♂もチベット仏教の修行をコートダヂュール某所で行い、得度し、名前までいただいています。証拠写真(→)ね。左がチベット仏教の得度証明書。このフランスびと♂と知りあって間もない頃、エクサンプロヴァンスのはずれの獣道の先にあるチベット仏教の隠遁所にも連れて行ってもらったことがある私です。
そういうナマな世界に接することがなくても、毎日曜日の朝8時過ぎにうっかり国営放送France 2 にチャンネルを合わせれば、仏教番組 Sagesses bouddhistes (仏教の智慧)が流れておりますわね。今のフランスにとって、チベット生活文化はフランスの普通の人々の普通の生活に浸透できる土台が日本國よりはるかに整っているように見えます。
cf. Union Bouddhiste de France http://www.bouddhisme-france.org/
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↑ チベット仏教のお祈りだそう ↑

きょうび21世紀、目に見える距離、人種、文化だけでは他者との関係の重さを計れないかもしれません。日本がそれらをあげてフランスに自らはチベットに詳しいと言ったところで、そりゃ、どーかな?です。第二次大戦後、政治亡命者、移民受け入れを積極的に行っているフランスにはチベット難民もいれば華僑もいるし、欧州系の人々の中にはチベット生活文化通もいれば、中國ヲタクもいます。そういう過去やら思考やら嗜好を持つ各個人が自由に爆発して意思表示できるのも現代フランスだからなのでしょうけれど、場合によってはヨソの国から派遣された第三者によって導火線に火をつけられているように見えます。だから、気味悪いのだな。

ダライ・ラマ師はチベット仏教の最長上さまであるのだからして、ご自分の思いを語れば、それはご自分の霊的兄弟の思いを代弁していると取られてしまうでしょう。ですが、この世にいながらにして世捨て人でもある僧侶が、この世で何を果たさねばならないのか。それはこの世のどこであっても祈ることでありましょう。それが、今のチベットではできない。今のフランスでは自由に祈ることができても、この先、自由に祈れるかどうかは誰にもわからんぞ。

この世には桃源郷はないのだろうか、ふとそう思いました。

le 10 mai 2008, Solange
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by ma_cocotte | 2008-05-10 17:03 | 『?』なたわ言 | Comments(10)
またハズレてしまった。@ツワモノどもが夢の痕
あれから2週間が過ぎ、気をゆるめていたら、いつのまにか今年9月のローマ教皇来仏日程が4月28日付でカトリック・フランス司教団のHP(http://www.cef.fr/)に発表されておりました。9月12日金曜日から15日月曜日までだそうです。
Σ( ̄△ ̄; また、ハズレちゃったあ....
昨年、教皇さまの2008年来仏が予告された当初はてっきり8月15日の聖母被昇天の大祝日にお出ましになるのかと妄想しました。というのも、被昇天の聖母はフランス共和国の筆頭守護聖人であり、8月15日は国家の定めた固定祝祭日でもあります。振り返りますと、前教皇ヨハネ・パウロ二世の最期の外遊が2004年8月15日のルルド巡礼でありました。

b0070127_16451281.gifとっころが、最初の来仏予告からしばらくして教皇さまがお出ましになるのは2008年9月だとニュウスで流れました。9月というだけで日程が伏せられたままだったので、カレンダーを凝視してみると、まず目に留まったのが9月8日の Nativité de la Vierge Marie (聖母の誕生日)という祝日です(ただし、この日は国定祭日ではありません)。ですから、この日あたりに教皇さまが来仏し、聖母が出現してから150年という記念年 を迎えたルルドにお出ましになるのかと安直に想像しましたが、
m(_ _)m カレンダーのその先を見ませんでした。
9月という月は8日に続いて、12日は Saint nom de Marie (マリアのみ名)、15日には Notre-Dame des Douleurs (悲しみの聖母)という祝日であり、この間にある14日は La Croix Glorieuse (十字架称賛)という祝日なのですね。となると、教皇さまはこの3祝日にどっぷりおフランスに滞在されることになります。

ここで余談ですけれど、 douleur という単語。
日本國のカトリックでは「悲しみ」と訳されているようですが、フランス語に忠実に douleur を和訳となると「肉体的苦痛」または「精神的苦悩」が適訳になります。薬局やら医者との問診でしばしば登場するのがこの単語。日本びとが表現する「悲しみ」を仏訳するなら tristesse の方が適訳です。カトリックでは無原罪という生まれながらにして罪を持たないとされる聖母がどのように苦痛やら苦悩と向き合ったのか....なーんて、しばし考えてみるのもいいかもしれません。

さて、今年9月の教皇ブノワ・セーズ Benoît XVI の来仏スケジュール予告でございますけれど、ローマからパリまでは飛行機で2時間くらいですし、両国間に時差はありませんので、先のアメリカ大陸や今年7月のオーストラリア訪問に比べれば、ご高齢の教皇さまにとっては肉体的ご負担がオキガルゴクラクな旅になるかと思われます。来仏まで半年を切ったこともあり、おフランスでもエイメリカのように教皇来仏HPが作られたようです(http://www.pape-france.org/)。Pape à Paris (パリでの教皇さま)なんてHP(http://www.papeaparis.org/)もめっけました。ざっと予定を眺めてみますと、
【9月12日-初日】
 *まず、大統領と会談  ε= (´∞` ) Bof....時間の無駄だぜ、ベイベ
 *2008年9月5日から一般公開されるCollège des Bernardins 
   コレェヂュ・デ・ベルナルダンで文化についての祝辞。

ここでまた余談ですけれど、このコレェヂュ・デ・ベルナルダンですが、パリ司教区が始める総合文化施設で、1245年、現在のパリ5区に建設された参事会施設内を改装し、過去の文化から現代文化に至るまであらゆる角度(科学、生活史、政治、経済、宗教など)からの知的霊的考察を提供するらしいです。昨年帰天されたリュスティヂェ枢機卿の発案でこの計画が実行され、現パリ大司教であらしゃるヴァントワ枢機卿に使命が引き継がれての事業ですが、なんかパリの大司教さんって下世話な表現をあえて用いるなら「やり手」ですね。リュスティヂェさんはこの計画より先にテレビ局ラヂオ局 をインターネットと連動して国境を越えた万民に提供することを実現しております。外見は年老い、身なりは古臭くても、頭ン中は凡人の先を行っていたのは間違いあるまい。格好いいおぢいちゃんだよ。いつかパリに上ることがあったら、私もぜひこのコレェヂュに行ってみたいです。パリ5区は美しいカルティエですから散歩し甲斐がございます。

脱線から線路に戻って、9月12日の教皇さま。
コレェヂュでの行事後、ノートルダム・ド・パリに移動し、司祭、助祭、修道者、神学生と共に夕祷 vêpres にご出席。 ここでは若者に向け、お言葉を述べられるそうです。http://www.notredamedeparis.fr/Le-Saint-Pere-a-Notre-Dame-de
【9月13日-第二日】
 *午前中、アンヴァリッド前の大広場でごミサを司式。
 *その後ルルドに移動。
 *午後、ルルドに到着後、教皇さまはまずルルド記念年の第一から
   第三巡礼路へ。
 *日没後のルルド聖域での光の行列に出席され、巡礼者への
   メッセージを伝えられます。

【9月14日-第三日】
 *午前は巡礼者のために荘厳ミサ
 *午後にはフランス司教団との会議にご出席
 *ルルドにおいて午後恒例(確か15時頃?)の聖体顕示行列にお出まし。

【9月15日-教皇さまのフランスご滞在最終日】
 *午前中、再びルルド市内の第四巡礼路へ。
 *午後、ローマに戻られる予定。

パリ滞在中の教皇さまにおかれましては、キリスト教他宗派、ユダヤ教、イスラームとの面談も行われることになっています。

ざっと眺めて ¢( ・_・) オヤ? と思ったのは、13日午前に行われるパリ市内でのミサですね。なぜにまたアンヴァリッドの大広場で?と。確かにアレクサンドル3世橋まん前のあの空間は「美」そのものではございますが、近年振り返りますと2006年3月のCPEストライキの際にここが乱闘名所のひとつだったことを思い出したりします。
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ココがソコ。
 
なぜこれまでの訪問国での大規模ミサのように競技場やら球戯場、とてつもなくデカい大聖堂でごミサをあげないのか、としばし考えてみましたら、
( ̄ε ̄)b  あ、思い出した。
この乱闘写真の背後に見えるキンキラドーム、サン・ルイ聖堂 La Chapelle Saint Louis ですが、ここもカテドラルでした。司教さまがあらしゃるんですな。あれ?パリの大司教さまはノートルダム・ド・パリにあらしゃるンではないの?とフランス文化に詳しければそう思ってしまいますが、パリ市内には二つのカテドラがござるのですね。サン・ルイ聖堂に座すのはフランス共和国軍教区 Diocèse aux Armées Françaises の教区長さまでらっさいます。
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この先頭の方がパトリック・ル・ガル Patrick Le Gal 司教さま。

アンヴァリッドにはナポレオンの棺が安置されていることはあまりに有名ですが、ここにも司教座があるということが知られていないのは同じパリ市内のノートルダムがあまりに有名なせいか、山手線の内側ほどの面積のパリ市内に二つもカテドラがあるなんて教えてくれなきゃ気付かないのか、それとも政教完全分離先進国を自称するフランス共和国の国軍にカトリックの司教座があるなんておかしくないか、などいろいろ心の中に由無しごとも流れますけれど、前日のノートル・ダム・ド・パリでの夕祷とこのごミサで、教皇さまにおかれましては平らに等しく満遍なくパリ市内の2司教座をご訪問ということになります。ながれいし。

さてさて、パリに上るか、ルルドに激突するか。それが問題だ。(ま・ここっと、嘘ですけれど

le 8 mai 2008, Désiré

ちなみに、こんにち5月8日はフランスにおける 第二次大戦終戦記念日 にあたり、国定祭日でございまして、共和国内の全市町村で午前中には恒例の記念式典実施中。大西洋側はあいにくの悪天候ですけれど、雨にめげるようなフランスではないわな。
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by ma_cocotte | 2008-05-08 16:54 | 『?』なKTOりっくん | Comments(6)
そっちの水は甘すぎて、こっちの水は苦すぎる。
遅いもので、神聖皇帝サルコぢ一世が大統領という身分を御手に入れてから、こんにち5月6日でようやく一年でございます。

それを記念してか、この週明け5日からニュウスでは繰り返しサルコぢ一世がいかに共和国民に慕われているのか繰り返し流れております。何でも、最近行われた複数のアンケート調査で、サルコぢ一世サマをお慕い申し上げている共和国民は4割弱だそうで、6割強の臣民はサルコぢ一世の御世となっての一年に「不満足」だそうです。サルコぢ一世の御世となってのこの一年の臣民からの慕われ率をグラフにいたしますと、かような感じ。
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Copyright © 2008 AFP

急降下が止まらない.....ざますね。(-。-) ボソッ

しかも、このグラフで唯一、支持率が若干上がって見えるのは2007年8月。
その月のサルコぢサマって....フランスにあらしゃらなかった。
エイメリカで豪遊している最中に、リュスティヂェ枢機卿が帰天し、葬儀出席のため妻子をエイメリカに残してサルコぢサマがパリにひとりお戻りあそばし、葬儀が終わるなり子ブッシュとの昼食会のためにエイメリカにおトンボ帰りあそばした のが昨年8月でございましたよ。大統領不在の月に人気上昇という摩訶不思議。国民もヴァカンス真っ只中で「無責任一代男女」のごとくアンケートに返答申し上げたのでせうか。

サルコぢ一世サマの御世になっての一年を振り返ると、ついうっかり振り返って後悔するほどの仕打ちばかりをお国から「これでもか、これでもか」といただいておりますが、この一年でサルコぢ一世サマに感謝している共和国民も4割ほどいらっしゃるのです。この方々はどれほど甘い汁を吸われているのでしょう。わたくしも一口だけ、いえ、味見で構いませんので、その甘さを舌で感じてみたいものでございます。貧乏人にはわからない美味だというのは重々承知してはいるのですが。

サルコぢ一世サマはおフランスに縦横上下左右から細分化したコミュノタリズム communautarisme を造ろうとしているので、一層、サルコぢサマに愛される甘い世界と、サルコぢサマに認めてもらえない苦い世界の味の違いは鮮明になることでせう。
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残り4年......._| ̄|○ 
Marianne

誰が苦い世界の混沌に塗れている人々を救ってくださるのでせう。
救世主はどこに?

le 6 mai 2008, Prudence
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by ma_cocotte | 2008-05-06 23:59 | 『?』なサルコぢ屋 | Comments(4)
そろそろ、青葉若葉に風香る季節のはずですが、

寒いっっ!
...なんなんだ、この寒さはっっ!?
パリっ子たちは春休みだというのに、今朝の天気予報ではアルプスでは雪ざます。
ココんちあたりも昨日から強風雨の中にあり、きょうは気紛れに日が射してもすぐに風雨が始まるという繰り返しで、4月最後の一日だというのに暖房を入れているのです。

木々の新芽もこの戻り寒のせいでクタっと萎えてしまいました。かわいそうです。
とは言え、町を歩けば、こんな花も。
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 glycine です。

咲き乱れる藤を仰ぐと、子供の頃通った幼稚園のお砂場の上の藤棚をまず思い出します。そして、フランス各地で藤の開花に遅れること数週間で美しく咲く藤にそっくりのキングサリという黄色い花を思い出します。キングサリが咲けば、フランスは一年で最も花咲き乱れる季節に入ります。

さて、こんにちで4月も終わり、明日から5月。
フランスの明日は国定祝祭日ですが、なんと明日は稀なる「祭日のお重」でございます。というのも、毎年5月1日は「 Fête du Travail フェット・デュ・トラヴァイユ、=労働の祝日」ですが、今年の場合、国定移動祝祭日である「Ascension アサンシオン、=キリスト昇天祭」が同じく明日5月1日なのです。お仕事に例えるなら「ダブル・ブッキング」です。移動祝祭日とは言え、アサンシオンの祝日は復活祭から40日目で必ず木曜日になります。今年は固定祝祭日である5月1日も木曜日なので鉢合わせてしまったのです。
例年ならばフランスの5月は1日、8日のVictoire 1945、ヴぃくろわある1945、=第二次大戦終戦記念日が固定祝祭日で、たいていアサンシオンとその10日後のPentecôte、パントゥコット、=聖霊降臨祭翌日の月曜日が移動祝祭日になります ただし、パントゥコットは6月になる年も数年おきに来ますが

今年は二つの祝祭日が重なる大当たりの年です。いや、労働者にとっては一日休日が減るという ハズレ年 になります。もちろん明日5月1日は毎年恒例の各労働組合による大デモ行進が行われますが、今年だけは午前11時にもなればうるさ過ぎるほどの鐘の音があちらこちらから共和国の空を覆うことになります。

フランス生活文化好き、かつ、ガイジンの私にとって今年の5月1日は、こんな年(↓)
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13 e centenaire du Mont-Saint-Michel


b0070127_18554589.jpgフランス共和国の右袖肩上、つまりブルターニュの付け根上にあるモン・サン・ミシェル大修道院が創立されてから明日5月1日で13回目の100年祭を迎えるのだそうです。1300年も前に最初の礎が置かれたのですね。上の写真は私が2000年8月に行った時のものですが、当時は完全に世俗化された観光地でしたが、現在はFraternités de Jérusalem エルサレム博愛会という修道会が(半)観想修道生活を再開し、明日は午前11時半から23(=André Vingt trois)枢機卿による荘厳ミサ があげられるそうです。モン・サン・ミシェルでは長い歴史の中で盛者必衰どころか盛者が衰えたものの復活しちゃった理を表した感もありますが、エルサレム会のすんばらしすぎる歌唱に興味ある方はどうぞおみ足運んでくださいませね。
...って、ドエりゃあ遠いよね、あそこ。(-。-) ボソッ
フランスは木曜日が休日になると金曜日を休日にする Pont, ポン、=橋 という身勝手な習慣がありますが、どうぞみんなたちも充実の黄金週間をお過ごしくださいませ。

le 30 avril 2008, Robert
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by ma_cocotte | 2008-04-30 18:59 | 『春』 Rien de special | Comments(2)
J'ai mangé les pizzas ”nationalistes”.
この度、フランス国粋主義的ピッザなるものを食べました。
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中サイズならばどのトッピングを選んでも2枚で17ユーロです。

なぜ国粋主義的ピッザ la pizza nationaliste なのかというと、
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例えばこちら(↑)はビフテキとロックフォールチーズのピッザです。フライドポテト pommes frites まで乗っています。ステックフリット(ビフテキのフライドポテト添え Steak frites)にロックフォールチーズソース、ああ、なんて美味しいンでしょう。胡椒ソースも美味よね。

そして、続く二枚目。こちら(↓)は、
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フォワグラと鴨ささみとセップ茸のピッザ

でございますですよ。これまでいろいろなピッザをこの共和国内で食べてきたつもりでしたけれど、フォワグラやら鴨肉が乗ったピッザといふものを初めていただきました。この二枚ともトマトソースが使われていません。これらのトッピングはこのお店の個性といえば個性だと思います。そういえば日本國ではマヨネーズが乗ったピッザがありますが、こちらではマヨネーズが乗ったピッザはまだ見ていません。世界の美味が集う花の都ならばあるのかしら?

あのお店 の斜め前がこのお店なんですけれど、私において、ピザ生地はあのお店の大勝利です。トッピングは鴨肉が新しい世界を作ってくれたような気がします。このおフランスびと好みのトッピングが特長のお店には山羊チーズといちじくが乗ったピッザなるものがありますので、次回はこれを食べてみたひ・・・・ココんちのフランスびと♂は「いちじくが乗ったピザ」と聞いただけで「食わず嫌い王」と化しておりますけれど。

le 27 avril 2008, Amédée

とっころで、ご存知の方、教えてください。
フランス語だとピッザ pizza の複数形は pizzas となります。女性形だけど語尾は-esではにゃく s のみです。イタリア語だと複数は女性形なので pizze ですか? 二枚のピッザは due pizze ? まっさか pizzi ではないですよね????

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by ma_cocotte | 2008-04-27 23:18 | The ou Cafe? | Comments(10)
うぃいいいい、うぃいいいいい Ouiiiiiii, Wiiiiiiiii
遅らばせながら、フランスではこんにち4月25日が発売日だったのです。
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Wii Fit


恥ずかしながら、買ってしまいましたねー。
インストールというか使えるようになるまでで、心身共に疲れ果ててしまいましたけれど、
コーチは美男子を迷わず選択。そこに愛がなければこの選択は当然でありませう。
初日測定結果は途中にP音を入れたとしてもとても他人さまに話せるような内容ではありませんが、窓ガラスをすっかり覆うカーテンもこんにち新調しましたので、しばらくは飽きるまで楽しめそうです。(なんのこっちゃか)

Wii Fit はもちろん楽しいですが、Wii Sport のテニスとゴルフが面白いですね。
テニスは今のところ連勝中。ふっふっふ。

le 25 avril 2008, Marc

ヽ(`Д´)ノ 昨晩の「サルちゃん80分一本勝負」
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by ma_cocotte | 2008-04-25 23:50 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(6)
火炙られて、身を屈めたままの鶏  La France s’incline devant Pékin
相変わらず、フランスの鶏 Le Coq gaulois は中國サマに火炙られておりますね。
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確かに、中國には名物料理・北京鴨がございますので、鶏を炙るのも得意技ですね。「ドメスティックな鴨」と「ホトケの鶏」とは偶然が生み出した御題だなあ。___φ( ̄^ ̄ )

全国紙おリベラシオンさまの記事タイトルにこんなのがありました。
La France s’incline devant Pékin
ら・ふぉんす・さんすくりん・どぅヴぁん・ぺかん。
というのは、どういうことかと言うと、
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↑ こーゆーこと ↑
Photo par AFP

フランス語がわからなくても一目でわかりますね。ああ、フランス共和国においては写真においても風刺画においてもヨソの国の「聖女」(金晶 Jin Jing サマとおっしゃるとか)をこうして掲載できます。国境を越えて万民にわかりやすいですこと。
動詞 incliner のみなら「頭を下げる」、「首を傾げる」というような意味なんですけれど、これにse(s' )とdevantが前後に付くと「屈服する」、「従属する」という意味を含みます。つまり「フランスは北京に屈服する」と訳されちゃってもしょーがないかな。だって 頬にキスして♪ ぢゃなくて、手の甲にキスです。神聖皇帝サルコぢが教皇さまの指輪に接吻したっけか?しとらんよ。なのに、サルコぢの遣中華使にはその行為を聖女ぢんぢんサマにするよう命じたわけだ。流石、サルコぢ、「La Conscience de la France フランスの良心」と各全国紙に命名されただけあります。なんでも遣中華使のダンチョであるラファラン氏と面談した直後、中國さまのスポークスマンはこうおっしゃったそうです。
"Il est gentil, son message est positif... "
彼は優しく、彼のメサージュはポヂティヴだ。
出たよ、19日の中國人留学生デモで聞こえたキーワード Positif ポヂティヴ ぐゎ。この一語で世界中に散らばる国家派遣中國びとの脳みそにスイッチが入って中身を確認せずにフランス(政府、=La France)は受付、中國に歯向かうフランスびと(=les français)には目には目を、歯には歯を、になるのだよ。

この件で共和国内で問題になっているのはサルコぢの意向と民意が真っ向から対立していることにあって、このままで行くと民意の筆頭代弁者は花の都はおパリ市長のベルトラン・ドゥラノエ Bertrand Delanoë 氏になるでしょう。
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Photo par RICHARD VIALERON/LE FIGARO


4月21日、パリ市議会でダライ・ラマ14世 Dalaï Lama XIV をパリ名誉市民とする市長提案についての投票が行われましたけれど、裏サルコぢ上皇が居座るUMPも、フランス共産党(PCF)も最初から棄権、投票は緑の党とフランス社会党(PS)だけで行われました。ドゥラノエ氏が推挙するという噂が流れた時点で、中國政府は各方面に賛成票に投票してくれるなと水面下で動いたにも関わらず、賛成60票、反対2票であっさり通過してしまいました。反対の2票は中華人民共和國から移住した人々の大居住区を抱えるパリ三区と四区のシチョさんだったそう。区民の意向を中央(=パリ市)に代表して伝えるのが区長の役目でしょうから、たとえお二人が社会党員でもドゥラノエさまの意向に「Oui, monsieur うぃーい、むっしゅう」と言えなかったのもロジックでありましょう。ドゥラノエさまがダライ・ラマ師をパリ名誉市民に推挙したことで「フランス政府への挑発行為」とも言われていますが、ドゥラノエさま曰く、2003年に既にダライ・ラマ師と友好状態にあり以前から考えていたことらしいです。

この投票の翌日夕刻、国営放送France 5 の生討論番組 C dans l'air の御題は
JO : Delanoë ranime la flamme
オリンピック: ドゥラノエは消えかかった聖火をかき立てる
です。タイトルは文学的深読みをお勧めします。(^_^) 番組には今では共和国に住む誰もが「またこいつか」とうっかり思ってしまうほど有名になったいつもの「サルコに愛されるおよばれ特派員 from 上海」ツェン・ルオラン Ruolin Zheng ちゃん(写真)が登場です。

b0070127_20395243.jpg「フランスは中國と等しく、完全政教分離、真の人権国家であり、フランスは中國が見習うべき鑑でもあるのに、今回、フランス国民の一部がこのような行動に出たことは誠に遺憾であります。」
だって。
流石、特派員だ、うまいね、このぉ(グリグリ)ヾ(`◇´)
ところで、あの英語で叫んでいたチベット支持者 pro-Tibet はフランス人なのだろうか?


この討論番組の中でこんな会話がありました。
Christophe Barbier : フランス在住の中國人は不平不満を自由にデモで表現することができますが、中華人民共和国内在住のフランス人が中國人による不買運動もろもろについての異論をあなたの国でデモの形で表現できますか?
Ruolin Zheng : 私たちはサルコぢ大統領を喜んで迎えているではありませんか!(返事になっとらん・どぅらのえ)
あなたは私の国がオリンピック開催にあたって何人の報道特派員をビザなしで迎え入れているかご存知ですか!?
Christophe Barbier :  です。

Ruolin Zheng      :  です。
その差、18,000人
どちらの言い分が本当かよーく考えてみよう。(欽也&ナオコ)

なんつーか、自分で考えずに国の意向を上手にしゃべくる国家派遣中國人は共和国内にどれほどいるのでしょうか。昨晩、France 3 の生討論番組 Ce soir et Jamais! の御題も「Débat sur le Tibet チベット関連討論」で中國人もチベット人も登場しての激論でしたが、ビデオを見ればおわかりのとおり、紹介されるなり例の「一見日の丸T-シャツ」を広げる中國人留学生のおねいさん。この女性、Jieni Fu さんとおっしゃって先の土曜日にパリで行われた大規模デモの主催者です。ビデオの30分目頃から討論が始まりますが、なんだかなー、このおねいさん。およばれ特派員さんと同じで返答が的外れです。あらかぢめ脳内インプットしたKWとビンゴすると饒舌になるんだなあ。五星紅旗は「愛国主義のシンボル」なんですって。ε= (´∞` ) bof...チベット国旗を見つけたら残らず奪い取るように中國政府がフランスにごり押ししたのはなぜだ?第三国で愛国主義を主張するなら双方とも平等ぢゃないか。この番組内で留学生のおねいさんに3月15日付のチベット動乱に関するフランス側報道と中國側報道のビデオを見てもらってますが、おねいさんの感想がフランス側報道が2~3分なのに中國側の報道を30秒しか流さないのは「おかしい」。いや、おかしいンぢゃなくてオタクの国が30秒しかチベット動乱について流してくれないンですよ。それともフランス側の報道を中國にあわせて縮めろとでもおっしゃりたいのか?

次期フランス共和国大統領選まで3年強ですが、ドゥラノエ氏が共和国民のハツをがっちり掴むには今が良いのか、それともまだ早いのかどうか。一方、現在「死に体」状態の大統領ちゃんの今宵ですが、20時15分より「神聖皇帝サルコぢサマ80分一本勝負」インタビュウ番組が生中継されます。20時15分以降はTF1でもFrance 2でも同じ番組しか流れません。日本時間ですと25日午前3時15分からになりますが、こちら(↓)で生中継をご覧になれるかもしれません。
France 2 版 : http://video-direct.francetvod.fr/player.php?id=198
TF1/LCI 版 : http://tf1.lci.fr/infos/mediacast/directs/
この生中継を見ない共和国民はいるのでしょうか?
私はガイジンだけど見るつもりです。単にサルコぢが80分間ぢっとしていられるかどうか確かめるだけですけれど。( ̄人 ̄)

le 24 avril 2008, Fidèles
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by ma_cocotte | 2008-04-24 18:20 | どろりんぴっく2008北京 | Comments(8)
Ça va pas la tête ? 頭、おかしいンぢゃないの?
こういうのを「余計なお世話」と言うのです。
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@ une manifestation anti-française le 19 avril 2008 à Pékin Photo par AFP
2008年4月19日北京で行われた「フランス人への抗議デモ」
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Reuter 版でだうぞ(↑) Manifestation anti-française de Chinois en Chine, à Wuhan

さて、旗の文字に目を向けてみましょう。
ヂャンヌ・ダルクは売春婦で、
ナポレオンは変態、
フランスはナチスですか。

コルシカに自由を。  ε= (´∞` )
そう思うなら、あなたがた。コルシカに行って自爆テロってください。
コルシカ独立を願う人の中にはコルシカ在住の別の血統の人々を激しく差区別しているではありませんか。
( ̄ε ̄)b  あ、だから中國人留学生はコルシカ贔屓なんだ...。
ろじっく、ろじっく ♪~ ♪♪\(^ω^\)( /^ω^)/♪♪

それにしても、フランスでは中國サマの願いどおり、警官隊がチベット旗を時には暴力的に奪い取って、丸めてポイして差し上げましたけれど、中國内ではこういう欧州内ならタブーの語がちりばめられた改造国旗を警官隊が奪い取ってもくださらないのでしょうか?

同じく中國でのデモでは上の旗にも明記されている「Jeanne d’Arc est une prostituée ヂャンヌ・ダルクは売春婦だ」という叫び文句がよく聞こえてきたそうで。誰が腹立ち紛れたか存じませんが、個人の妄想による根拠のない歴史捏造公開も甚だしいざます。極右政党FNの党首ヂャン・マリ・ル・ペン Jean-Marie Le Pen がヂャンヌ・ダルクを敬愛しているからのイヤミ発言とも流れていますが、そりゃ、ル・ペンよりこんなところにいきなり担ぎ出されたヂャンヌ・ダルクが迷惑ってもんよ。彼女は極右に担がれているコトだって迷惑しているかもしれないもの。cf. Jeanne, mon amour  ヂャンヌが好き。  ←クリックしてご覧くださいませ。このヂャンヌの姿をご覧になって誰が「売春婦」を連想します?

中國内のデモについて動く証拠はこちら(↓)。国営放送France 3 のニュウスで流れた中國内での「(中國を支持しない)フランス人に抗議するデモですね。
Manifestation anti-francaise en Chine
http://www.dailymotion.com/video/x54xcx_manifestation-antifrancaise-en-chin_news
19日土曜日は花の都おパリにおいても共和国内各地から中國人留学生が終結してLa manifestation anti-française (中國に賛同してくれないフランスびとに抗議するデモ)が行われました。彼らが着ているお揃いのT-shirt がなぜか日章旗のように見えたりして、別ベクトルから爆笑ですが、流石、中國サマ。不眠不休でおねいさんたちが踏み踏みして作ってくださったお揃いTシャツなんでしょうね。
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Photo par Xinhua

日本國では中國内のデモが許可制であると伝えられていますが、フランスでは中國内でのデモは禁じられていると報道されていますので、昨日のパリでのガイジンによるデモを見たココんちのフランスびと♂などは「フランスは優しい。デモができない国のヒトのデモまで認めている」とつぶやいたりしています。

昨日のデモの様子でこちとらヴぃっくりしたことが、参加者が大きな声で「ネガティヴは見るな、ポジティヴだけを見ろ!」とフランスびとに勧めたことです。おかしいですよね。ポジティヴの中身とネガティヴの中身を彼らは確認していません。確かに「北京オリンピック開催」はポジティヴであり、「北京オリンピック開催反対」はネガティヴでしょうけれど。なぜ反対されているのか、彼らは知らなくていいと言っているのです。そもそもフランスに長期滞在できる彼らは本国でもポジティヴでしょ?選ばれた中國人ではありませんか?あんたら、国内のネガティヴ同胞を見ないのね?と問いかけたら、「Human Rights 人権」という言葉が耳に入った途端、無反応になるのと同じ反応を示しかねません。
フランスという国はポジティヴにはネガティヴがあり、それを両方考察して真が得られる、という教育を小一の子供から読み、書き、討論とあらゆる形で徹底的に教え込んでいます。ですから、ポジティヴだけしか見ないのであれば、真には至りませんがな。中國びとヒト括りと異なり、フランスびとは自分で考察して見出した答えでチベットびとにつくか、中國びとにつくか決めています。その理由づけも各自、千差万別です。
なんつうか思考回路が抜本から違うンだな。
フランスでいくら騒がれても、相手にならんよ。
キミガタがこうして異国でデモができるのも、ヒトの権利を尊重しているからです。忘れてくれるな。
それに、別に中國内で仏系企業の商売が上手く行かなくなっても、サルちゃんと彼に選ばれた「愛されるお友達たち」の懐に入るお小遣いの額が変わるだけで、共和国内に住む人々の生活は昨年5月以降あいもかわらず窮屈なだけですもん。

le 20 avril 2008, Odette
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by ma_cocotte | 2008-04-20 17:27 | どろりんぴっく2008北京 | Comments(23)