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刻々と、
迫る、その日。
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きょう12月24日は母の月命日にあたります。10か月経ちました。この月日は長いようでもあり、短いようでもあり、よくわかりません。ちょうど 一か月前の24日 はルルド Lourdes という小さな町で母の供養を私なりにしてもみました。他人に勧められての旅でしたが、行って良かった、行けたことに今は感謝しています。この旅を終えてまもなく、我がブログ友達のぱぴよんさんが天国に一人旅に出ました。昨日、久しぶりにぱぴよんさんのブログに行って 一年前の12月のエントリー をおさらいしていたら涙腺が脆くなってしまいました。ぱぴよんさんがその日その日を懸命に生きている!生きていた!

齢のせいか、「去年の今頃は・・・」と自分についても、他者についても振り返ることが多くなりました。私の母についても去年の今頃を振り返って、まさか母本人も二か月後に天国に旅に出るとは思いもしていなかったのではないだろうか、と想像してみたり。私の母のように思いも寄らず2か月後に旅立つのも、ぱぴよんさんのように余命を宣告されたことで旅支度を整えつつ旅に出るにせよ、死ばかりは究極の神秘であって、その旅立ちの瞬間までは誰もが「生きている」のですよね。いえ、「生かされている」のかな?だって死ばかりは自分の予定どおりにはまず行かないのだもの。だとしたら、「生きるように」ともらった生命は大切に。
で、「生きる」とはどういうことなんでしょう?今更、そんなことを考えて、「今を生きる」、「今、この瞬間をどう生きる?」なんて御題が季節外れの運動会のごとく脳内滑走しています。
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ご慶事の前日にそのようなことに思い巡らすのも傍から見ればどうかしているのかもしれませんが、偶然にも母が亡くなったのが24日なのだから、月に一度の特別な日が重なっただけです。ご慶事の直前だからこそ深く思い考える時間があって良いのかも。
今年からひとつの生命の誕生を祝うだけでなく、このご慶事に前後して胎に生命が宿る神秘、死の神秘をひとりの人生の一本道の上の歩みとして考えられる12月24日になりました。そのように考える種を24の付く日に蒔いてくれた母に、ありがとう。

ところで、天国ってこんなところでしょうか?
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教皇さま揃い踏みなんてこの世では決してお見上げ申し上げられないざます。はっはっは。

le 24 décembre 2008, Adèle

【深夜ミサ@ヴぁちかん】
以下のURLで生中継される予定です。2時間15分ほどだそう。
DIRECT DE ROME
Messe de minuit

http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00042395&vl=video_nouveautes
Les trois photos par ma_cocotte@Lourdes
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by ma_cocotte | 2008-12-24 00:32 | 『?』なたわ言 | Comments(8)
何事も、すぴりと・さんと Spirito Santo なのだ、まる
数日前、ネット散歩をしていたら、リヨン大司教区 le diocèse de Lyon に二人目の補佐司教が置かれたことを知りました。二人目の補佐司教さまはヂャン・ピエール・バテュ Jean-Pierre Batut とおっしゃる。
....はて、このお名前、どこかで聞いたことがあるぞ。
と、我がツル脳の中をたどって出てきたのが、花の都はお巴里は9区にござるサン・ユヂェヌ-サント・セシル la paroisse Saint-Eugène Sainte-Cécile 教会の主任司祭であるバテュ師であります。ここの教会ですが、1988年夏、ヴァチカンからエクレジア・デイ Ecclesia Dei なる公文書が発せられたとほぼ同時に当時のパリ大司教であったリュスティヂェ Jean-Marie Lustiger 師から1962ミサと呼ばれる背面ミサを行う認可が下された教会です *、**。このバテュ師はもちろん1962典礼を完璧に司式される司祭としても知られていますが、リヨン大司教であるフィリップ・バルバラン Philippe Barbarin 枢機卿も1962ミサの司式からフォークロックミサに至るまで応用自在で身も心もやーらかい枢機卿で知られるタンタン Tintin グッズ収集家、いえ、カトリック司祭です。
以下URLをぜひともクリック。トーク番組にご出演のカーディナル・バルバランであります。http://the-ou-cafe.france2.fr/index-fr.php?page=emission&id_rubrique=98
途中、ニュウスが流れますが、その後、番組が再開しますので。
バテュ師をリヨンに取られてしまったサン・ユヂェヌ-サント・セシル教会の皆さまの胸中は複雑でもあるらしいですが、これも教皇さまが決められたこと、教会ホームページには"adieu à Monseigneur Batut” なんて永遠の別れの言葉が用いられています。

それにしても、リヨンだからこそ旧典礼を良く知る長上さまがもうひとり必要だと教皇さまが考えられたのでしょうか。リヨンはいいなあ、リヨンは
この事実を知って、ま・ここっつぁんが思い出したのは10月終わりにココんち地元の神父さまとの雑談で聞いた話です。それはボルドーの下、バスクとの国境に近いバイヨンヌ、レスカ・エ・オロホン教区 Le diocèse de Bayonne, Lescar et Oloron に新しい司教さまが置かれた、と。まあ、そこまでは世界中どこのカトリック教会でも永遠の繰り返しであり、教区長(司教)が空席になれば聖職者のどなたかが教皇さまにより選ばれてその席に着くなんでありますが、神父さまがおっしゃるには教皇さまが置かれたこの司祭の所属がおもしろいよ、と。まずはトラディショナリストとおっしゃったので、まっさか創立二十周年のペトロ兄弟会 La Fraternité Sacerdotale Saint-Pierre からの選出ですかよ~、と驚いたら、「それよりちょっと手前のコミュノテ・サン・マルタン Communauté Saint Martin の所属なんだよ」と神父さまがおっしゃる。「知らない?」と問われたので「知らない」と返答したら、1976年に創立され、現在もパウロ6世時代の生き方を続ける司祭団なのだ、と教えてくらしゃいました。トラディシオナリストと聞いたところで、鍵となる時代がひとつ(例えばひとつの「第二ヴァチカン公会議」)ではないようで、まだまだ私には知らないことがある、喜び~でありますが、この団体は小さいながらも宣教活動も行い、中高教育に携わり、神学校も持ち、巡礼者のための宿泊施設も持っており、なぜ今この団体の、地中海側の修道院から一司祭を選んで大西洋側に教皇さまが置かれたンでしょうね?・・・・と、つぶやいたら、「聖霊が決めたことだから、そうなんです。それが疑いのない「正」です。」と神父さまがおっしゃいました。つまりこの事実を受け止めるのみで詮索は一切、ご自分はなさらない、ということ。

時は流れ、先の11月30日にバイヨンヌでは新司教さまの着座式が行われ、当日の写真 を拝見しますとこれまたどこかで見たお顔。はい、ミシェル・アイオ・マリ michelle Alliot-Marie 内務大臣が参列なさってたのですね。昨日は爆弾をしかけられたプランタン・パリに颯爽と現れた共和國警察長上のアイオ・マリ女史ですが、きょうび共和国内のカト的儀式の担当もアイオ・マリたんだよねー。すっかり定着。
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それにしても、二連発でトラディシオナリストの司教さまが着座されたフランス共和國のカトリックざます。教会人事において教皇B16さまの真のお考えはいったい・・・・(って、それを考えちゃいけないンだってば。聖霊の働きなんだからぁ。)
ココんち地元のデカ鼻の大司教さまも2年後には定年ですので、後任にはどのような方がお座りあそばしますのか、実は気になっていたりなんかする私(単に私ゃ、この土地に寄生するヲッチャーなんですけれど)。司教座のお椅子には「ここに座す者は必ず社会司牧に没頭し、伝統打破するンである」なんて掘り込まれてはいない...と思う。そりゃ、第三代教区長は東方からニケア信条と聖歌歌唱という新しいもんを持ち込まれたんで、それを伝統打破と言うのなら~、ベベンベンベン。....妙に空しい。

le 17 décembre 2008, Gaël

註*: リュスティヂェ師はこの教会以外に2教会(Sainte-Odile,Notre-Dame du Lys)、すなわちパリ旧市街の計3教会に1962ミサ典礼を継続する認可を出しており、この3教会は現在に至るまでそれを継続しています。
註**: 現在、パリ大司教区では1988年から以上3教会に加え、更に2教会に1962ミサについての認可を出しました。cf. http://catholique-paris.cef.fr/379-Messes-celebrees-selon-le.html


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by ma_cocotte | 2008-12-17 16:40 | 『?』なKTOりっくん | Comments(11)
久しぶりの、「...またか」
この金曜日の朝からテレビのニュウスからインドはムンバイでの事件についてカルティエ・ヂュイフ le quartier juif 、=ユダヤ人街というキーワードが聞こえてくるようになりました。短絡的に要約すれば「イスラーム過激派がユダヤ人街内の複数施設で命がけの立て籠もりをしている」ことになりますが、 どうも日本語報道の記事をざっと眺めますとミュぢゅるマン(musulmans, =イスラム教徒)が立て籠もった建物をピンポイント扱いで「事件現場」とし、そこがたまたま「ユダヤ教施設」であるという記事が多いようです。日本國向けにはこれくらいの浅い説明でいいのでしょうか。が、ユダヤ教の、それもその一帯にウルトラオーソドクスまで住んでいるとなると彼らの生活形態から考えれば「ユダヤ人居留区」内での多発事件と頭の隅っこに置きつつ今回の事件を眺めた方がいいように私は思います。オーソドクスのウルトラ度が増せば増すほどシナゴーグが徒歩圏内にあるところにしか彼らは住まいを持ちませんからして。事件現場となったホテルズもユダヤ人居留区内にあるか隣接しているのではないでしょうか。

このような国際配信になるほどの事件は久しぶりにしても、この手の宗教上のいざこざについては地球上の其処此処彼処でよくあることで滅多にないことではありません。これまでの礼拝堂の放火やら破壊、墓荒らしなどを思い出しつつ、私が「またか」とつぶやいてしまうのは事件の流れの中に「金曜日」が入っていることです。金曜日はユダヤ教にとってもイスラム教にとっても一週間のうちで特別な日です。へ?ユダヤ教の特別な日は土曜日でしょ?とつっこみたくもなりますが、ユダヤの暦では日没から日が変わるので金曜日の日没からシャバート(安息日)が始まります。フランスでも金曜日のユダヤ人街を覗けば、キッパを頭に乗せている人が関わっているお店は金曜昼までの営業で、しかも他の週日より早めの店閉いだったりします。かのイスラエルでは金曜日の日没直前から黒服黒帽くるるんもみあげの方々がシャバートを迎える喜びの踊りを路上でなさったりもする、それが世界中のユダヤびとの金曜日です。日没後、シナゴーグに足早に向かう人々を見かけるのもフランスでもそこここで見かける金曜の夕暮れと土曜午前の日常であります。一方、イスラームの金曜日も特別な礼拝日です。わが地元のイエメンびと♂は金曜の授業は礼拝出席のため来ることはないと教授に宣言していたほどです。この金曜日の意識はユダヤんにとってもミュヂュルマンにとっても信仰生活に熱心であればあるほど強いものでもありましょう。

なのに、なのに、です。
世界の一神教の三大派閥、ユダヤ教、キリスト教、イスラームにおいて、時に「三位一体などという空論などありえるわけない、神は唯一の神のみ」とユダヤ教徒とイスラームが手を取り合ってキリスト教を省いて仲良くしているにも関わらず、今回のような事件も起こり、しかも何が心の起爆剤になっているのかあまりに残虐な事件になってしまったりします。宗教違えど同じ唯一の神を信じる者同士、互いにとって特別な金曜日を互いに静かに喜びのうちに迎えられるようにできないものなのでしょうか。なにも金曜日という日に、通りどころかゾーンで火煙もうもう、血が飛ぶほど暴れなくても。

漏れ聞けば、事件があった地区はカルティエ・ヂュイフのうちでもカルティエ・ヂュイフ・オクシデント Quartier juifs occidentaux、つまり欧米系ユダヤん居留区で、必ずしもスファラディやミズラヒばかりではなさそうです。ああ、だからウルトラ・オルトドクス(超正統派)というキーワードが出てくるのですね。インドとは言え、この界隈にはアシュケナヂ系の方々が多くお住まいなのでしょう。Nariman House のキーワードで調べたところ引っかかったのがこちら。http://www.chabad.org.in/index.htm 左サブメニュウのムッシュウから拝察して、もしかしてウルトラオルトドクスと報道されているものの、ユダヤでは新興であり、世界中で布教活動をしているルバヴィッチの方々?
11月27日夕方、France 5 の生討論番組C dans l'air のテーマが
Bombay : les enfants terroristes ボンベイ:テロリストの子供たち
cf. http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1027
でした。この番組の冒頭で論客であるインド人女性が事件が勃発したあたりがボンベイで最も治安が良く、欧米人が多く集う華やかな場所であると説明しています。それに加え、欧米系ユダヤ人居留区であるならば、確かに国境を越えた人脈やら金脈で目に見える富やら繁栄が漲っているでしょう。が、それを力づくで破壊したところで世の中の美は醜に、きらびやかなものは単なる灰やら炭やら愚塊に変化するだけで、自分の身には何らかの変化が生じるかもしれませんが、自分の心や魂についてはいったい何が変わるのでしょう。

インドにもユダヤ系がいます。
数年前に漏れ聞いた話ですが、ユダヤ系である自分が生まれた国の政情が不安で、イスラエルの帰還法を頼りに例えばインドやイランで生まれたユダヤ人がイスラエルに永住を求めても、時に政府からあてがわれる住まいはかのウェストバンクに接する地区だそうです。「ユダヤ人」というレッテルだけで中の選り分けを見ずにユダヤ人でない者がアタックするのは短絡的ですし、目に見える繁栄や豊富な物資だけでユダヤ世界に関わらない第三者に選り分けられた欧米系ユダヤ人をターゲットに攻撃するのも なんだかなあ です。ユダヤ系であることで生まれ育った国でこんな生命に関わる恐ろしいことを経験し、だからと言って帰還法を頼りに本当の祖国に戻ったところで決して桃源郷を見れるわけではないという運命。この事実は宗旨違えど同じ国土で生まれ育った人々が互いに思いやることができ、こうして生れ落ちたインドで国民が世界中の誰よりも幸せになろうぢゃないかと前向きになれたりしないのでしょうか。(・・・・とココまで書いて、ヒンドゥの教えだと難しいのかな・・・とふと思った)。
フランスも土着宗教からキリスト教改宗、やがてカトリック国となったものの、現在は社会主義寄りの政教分離共和国で、現状から眺めると今世紀中にイスラームとの内戦があるだろうと予想されていたりもします。今のところ、その戦を防ぐ見えない盾は1905年のライシテ(Laïcité, =徹底政教分離法)でしょう。
Jésus/Mahomet : les frères ennemis 
イエズス/マホメット:敵対する兄弟
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1014
ヒトというものは敵がいないと生きていけない弱い生物なのかもしれません。
数日前もニュウス番組の中で同じインド国内のオリッサ州で起こったヒンドゥ過激派によるキリスト教徒居留区への無差別襲撃の傷跡について見たばかりです。こうもこのような宗教対立が続くと、脳裏に「弱肉強食」「下克上」などの単語が徒競走を始めてしまいます。ヒトが決めた国境の中でマヂョリティとなった宗教にとって、マヂョリティが不安になるほど急激に信者数を増やしている異教はやはりつぶさねばならない存在なのでしょうか。

フランスでは最近聞くようになったかもしれませんが、日本でしばしば耳にするのは「ライバル」です。「ライバル」は競り合うために存在するのか、それとも叩きのめしたり、つぶしてまでライバルを消し去り自らが唯一のモノにならなければならないと誰か決めたのでしょうか。掌に乗れる大きさの物を手を握ることでつぶすのは簡単ですが、ヒトには思考する喜び、対話できる力もあるのにそれを使わずに最短安直に他者を消すことで心が満たされるというのはいかがなものでしょう。
Les talibans menacent la France フランスを脅すタリバン
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1025

この世における究極の人類の救済はイスラームで生きることだとしても、この21世紀、誠意を尽くした対話の中で新しい理想の形を発芽でき、その芽を宗旨を超えて喜びあえれば良いのですが。

le 29 novembre 2008, Saturnin
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by ma_cocotte | 2008-11-29 17:24 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
仏 蘭 西 的 新 盆 - Défunts -
きょう11月2日は仏蘭西の暦で Défunts デファンと言い、死者を思う日であります。今年はたまたま日曜日になりましたが、例年何曜日であろうと11月2日には教会でミサがあげられ、仏蘭西の場合だとミサの中(たいていは共同祈願)で、各教会においてこの一年の間、葬儀をあげた方の全氏名が読み上げられて、全参列者がそのみ霊のために祈ることになっています。

私の母も今年2月24日に亡くなったので、フランスならばきょう11月2日が日本で言うところの新盆のような日でした。遠い異国で異教の葬儀で送られた母の名前を読み上げていただけはしませんが、母を知る者が二人、母を思ってミサにあずかりました。母にその気持だけは届いていれば、と思います。

きょう11月2日が「仏蘭西での母の新盆」という潜在意識が私にあったせいでしょうか。母が亡くなってから、私が目を覚ましても覚えている夢において初めて母が現れました。どうも実家のようなところに「いつもの母」がいました。母が私に「またね」と言うのではなく、なぜか私が飛行機の時間に遅れるとか言いながら母に「またね」と言ってその場を離れました。母は私に「行かないで」と言うわけでもなく、笑みを浮かべていました。そのあたりでなんとなく目を覚ましました。母が黙って私を見送ってくれたのは長期滞在という形で初めてフランスに向かう日から以降とこの夢でしょうか。フランスに長期滞在を決めるまでの私について母は過保護のように行き先を気にしたり、私の帰宅時間にも神経を尖らせていました。ですから、今朝の夢で母に黙って見送られたのは、目が覚めて今に至るまで少し変な心持であったりします。ただ、母が何等特別なことも真新しいこともなく、私が知っている、私が子供の頃から見ていた「普段の母」だったこと、そんなことになぜか安心できた気持にもなりました。

le 2 novembre 2008, Malachie

「死者の日」も近くなると、ニュウスでも「人の死」に纏わる話題が取り上げられたりします。昨晩11月1日の夜はココんち地元の地方局ニュウスで医学部への献体と献体方法について放映されました。大学の解剖実習の授業の様子が流れ、布がかぶせられているもののご遺体の足が映りました。教授が縫合を教えている場面ではご遺体の左腕が画面に出ました。ちょっとドキっとしました。解剖学教授のお話、外科の先生の話、医学生の感想も流れ、最後に毎年この時季に教授と医学生が献体者のお墓に黙祷する場面が映し出されました。
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フランスの埋葬事情ですが、土葬が今も多く、確か一番廉価な契約ですと約10年後に埋葬場所を掻き回されてしまいます。「家」という単位でのお墓はイタリア風の形でほうぼうの墓地で見かけはしますが、フランスでは墓の単位が「家」というより「個人」単位であることが多く、庶民なら 地元の自治体の墓地に埋葬 です。例えば配偶者の死後、引っ越してしまったら、配偶者とは別のお墓に埋葬される可能性も高いのです。それゆえ、墓地を散策すると荒れ果てた無縁墓がかなりあります。きれいなお墓は修道会のお墓だったりします。
そんな仏蘭西におけるお墓の行く末の現実を見てしまうと、魂の抜けた自分の身体を献体し、年に一度、医学生に墓前で思ってもらえた方が幸せかな、と思います。昨晩の報道を見て、新たにそう思いました。
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by ma_cocotte | 2008-11-02 22:10 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
『死、それは人生で最も美しい日です。』
10月20日に帰天したスール・エンマニュエル Sœur Emmanuelle が生前、常々口にしていた言葉だそうです。
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Photo Ouzounoff/Ciric

99年と11ヶ月というスールの人生におかれましては喜怒哀楽はもちろん、悲喜こもごもの出来事が多々お身近にあったかと思いますが、どんなにうれしくても、どんなに楽しくても、スールにとってはその嬉楽に感謝しながらもご自分が天に呼ばれる瞬間こそが最も美しく、喜び溢れ、その思いはその瞬間の一度しか味わえないものであるという確信があったのですね。そう思えるなんて、
凄いなあ、マ・スール。
私は人生のターニングポイントを過ぎた今も尚、死が怖いです。恐怖です。自分の死の瞬間を想像すると、この世への未練で「死にたくない」と醜くもがくに違いないとわかっています。私の母は看護士さんが見つけた時には既に息を引き取っており、母が果たしてもがき苦しんだのか、眠るように亡くなったのかも誰も知りません。できれば後者であって欲しいと思います。なぜなら元気だった頃の母がそう願っていたから。が、死ばかりは死ぬ本人にしかわからない何かがあり、それが何なのかは自分が死ぬ時が来ないとわかりません。死こそ我が神秘よ、輝く光なら、ま、いっか?

スールは生前から
«La mort est une très grande bénédiction.»
死はとてつもなく大きな天からの恵みです。
ともおっしゃっていたそうです。だからでしょうか。スールは日曜日から月曜日にかけて、すーっと旅立ってしまわれました。死そのものがプレゼントだとするなら、子供がお誕生日プレゼントの箱に駆け寄るように、スールの魂も身体から抜けて天に向かっていったのかもしれません。

冒頭の«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»はスールが奉献生活を送られたシオンの聖母修道女会の創立者であるテオドル・ラティスボンヌ Théodore Ratisbonne 師(カトリックに改宗したユダヤ人)が残した言葉の一部だそうです。全文はこう。
“La mort, mes sœurs, c’est le plus beau jour de la vie parce que, enfin, nous allons voir Celui que nous avons tant aimé. Nous allons être face à face avec Lui...” C’est merveilleux ; ça, c’est la porte qui s’ouvre tout à coup. Seulement, avant, il y a cette terrible agonie qui me fait trembler. Mais avec l’aide de la Sainte Vierge, je l’accepterai...
なんだ、神父さまがおっしゃりたいことは決して死を快楽的に美化した話ではありません。死の瞬間、震えるほどの断末魔があるけれど、聖母がそこから助けてくださる、だから私は死を受け入れる・・・・んだと神父さまはおっしゃっております。死の瞬間、自分の目の前で天国の門が突然開かれるのだそうだ。本当かなあ。開いたところでよくて煉獄Uターンですからね、わたくしは。・・・・なんて思いついちゃうから、死の瞬間に私がもがくのは確定であります。だーめだ、こりゃ。いつになったら悟れるんだか。

le 24 octobre 2008, Florentin

来月16日に100歳のお誕生日を迎えることになっていたスールは、その日にサルコぢ閣下にお目にかかることにもなっていたらしい。このお誕生日を目前に控え、多くのマスメディアがスールとのインタビュウを既に行っておりました。Lisez-les.
parismatch.com : Sœur Emmanuelle : sa dernière interview à Paris Match
Le Figaro : «La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
そうだ、スール・エンマニュエルの告白録が10月23日に発売されまして、ちょっとフランスの世の中で中騒ぎ中です。
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LES CONFESSIONS D'UNE RELIGIEUSE

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by ma_cocotte | 2008-10-24 03:05 | 『?』なKTOりっくん | Comments(10)
『75歳』と決めたのは誰なのか。
母のことがなければまずこの時季に帰国することはありませんでした。偶然とは言え、この時期に帰国したことで、麻生新総裁、首相誕生までの経緯を眺めることができました。

生まれたてほやほやの首相に解散総選挙を迫る会議場の様子というのは久しぶりに傍観する私には異様そのもので、こんなことをやらかせるのも日本國だからなんだろうなあ、と思ってしまいました。状況判断もしなければ、ロジックをつなげてから発言するという術も知らずに、自己だか自分が所属する団体を中心に放射状に要求を他者に強いるというのは、フランスだと或るイデオロギーにがんじがらめになった自分で事象を考えられなくなった人がすることであって、考える自由を与えられた人がまず行いません。日本の場合、きょうび驚くべきことは国会内で行われるような討論が普通のテレビ番組に招かれた国会議員と国会で発言権のない「識者」という箔がついた単なる有名人を交えて行われることですね。そりゃ、名も無い一般ピーポーにしてみれば有名人が自分の思いを代弁し、国会議員のハツをちくちくしていることに快感も得られるでありましょう。が、普通、テレビやラジオにおける暗黙の掟には「発言者の声がダブらない」というものがありますが、どうもこの手の番組を見ていると与党議員の発言中にその発言をまったく聞かずに自分の思いを大声で「ボヤく」方々がおり、そのボヤきが視聴者各自が持つ悪心をかきたて同意させるような魔を秘めているのです。もちろんこの魔術を持つ美容整形オバ、いや、野党議員の方々は国会議場でも同様で、答弁中も自分の席から隅々まで届くような声でボヤき続けています。言っちゃなんだが、他人の言うことに聞く耳を持たずに自分の主張ばかりする成人の意見に同意できますか?こういう自己欲求表現って乳飲み児ですから、乳首をくわえさせるしか黙らせる方法がないのでしょうか?フランスだと公衆で泣き喚き始めた乳飲み児の口に親が自らの指をくわえさせて黙らせたりしますがね。こういうマナーのない議員を黙らせることができるのは同じ党にいる「コンパトリオット的親兄姉」だろうし、それができないなら「親も親なら子も子」と他人に失笑されてもしかたないですね。

里帰りの一ヶ月中、気になったことのひとつに「後期高齢者医療制度の見直し」というものがあります。75歳を区切りに高齢者の立場を二分する制度です。偶然にも私の父が今年12月に75歳を迎えることで、この問題の真っ只中に父がいたりします。私が帰国したのは9月の彼岸の入り頃でしたが、父が私に今月末に期限がくるのに、それ以降の健康保険証が(自分がかつて勤務した)会社から届かないこと、更に12月に父が75歳になるからもう今月で打ち切られているのか、という不安も話してきました。たった3か月だとしてもそういう打ち切りは私にはひどい話に思えました。結局、10月に入って数日後に10月1日から12月の、父が75歳を迎える誕生日の前日までが期限の健康保険証が会社の健保組合から郵送されてきました。数日の遅れなんてヒトによっては些細なことかもしれませんが、ヒトによっては心臓が搾れるほどの不安材料だったりするのですよ。

75歳まで生きた日本國民は、75歳の誕生日を迎えると同時に国民健康保険に登録し、登録条件によっては年金から健康保険料が天引きされるようになっているそうです。この手続きが市町村によってはうまく行われずに二重請求された高齢者も既にいるようです。

今回の滞在中に、もうひとつ気になった父の発言がありました。それは年金のひとつが75歳をもって振り込まれなくなることでした。父がぼそっと「まあ、75歳まで生きたのだから満額もらえたということだよね」と私につぶやいたンですが、つまり75歳以前に死んでしまったら満額もらえなかったのだから自分はよしとしよう、という父なりの父自身の心への慰め文句でもあるのかもしれません。が、この現実は高齢者の父なりに「頼りにしていたもの」が減額されるのですから、ポジティヴに父本人が考えなければ限りなく受給者に不安を与える材料であったりもします。

他にも今回の滞在中、私は高齢者の緩やかに進行する病気についての入院が「限度40日」であることもあらためて知りました。一方で、研修医が派遣される病院について研修医が自由に選べる制度が作られたことで医師も研修医も集まり難い病院が閉鎖に追い込まれていることも知りました。このままで日本國は大丈夫なんですかねぇ。それぞれの欲求を満たすことが最優先されたら、世の中の流れはなくて、ひとりひとりの存在が炭酸水の泡になってしまうことになぜ日本政府が気づかないのか不思議です。水は流れるから浄水であれるのであって、よどんだ水はにごるばかりなのにね。

誰が『75歳を境に75歳未満は前期高齢者、75歳以上は後期高齢者』なんて決めたのか知りません。おりしも、緒形拳氏が帰天されたことで、テレビ画面に何度か映画「楢山節考」のラストシーンが流れました。この映画の素は私たちが子供の頃に読んだ「姥捨て山」の話ですよね。きょうび日本國で年老いた男女を山に捨てるなんてことはできませんが、行動では老人を山に捨てるなんてことは法で裁かれるからできなくても、国や若いもんが精神的に、心理的に高齢者を山に放置するがごとく追い詰めていないかということです。この現状では75歳を迎えた高齢者が「長生きしすぎた。75歳前に死んでいればこんな不安を知らずに済んだ」とボヤきかねません。戦前に生まれ、戦中を生き抜いて戦後をなんとか向かえ、成人した途端に高度経済成長とやらのために家庭も顧みずに働いてきた世代にこういう不安を与える日本國政府っていったい何考えてンでしょうかね?日本国内に住む高齢者全員が国会議員になって優遇生活を送れるわけありませんし、そもそも昔の国会議員は給金ももらわずに自己の財産を削って地元民のために中央で働いたものです。

少し前、こちらでダーウィン研究を続けるドミニコ会修道士であり神学者でもある方の講演を拝聴しましたが、会場に溢れた無神論である高等教員に向かって「ヒトの先祖がオランウータンでもなくゴリラでもなくサルであると決めたのはダーウィンであって神ではない」と断言した途端、高等教員たちがひるんだあの瞬間を思い出しつつ、75歳を境に高齢者を二分するなんて決めたのは神ではなくヒトなんだ、とあらためて感じ入りました。

先日、99歳で帰天したスール・エンマニュエルについて誰が75歳から24年も長生きしたとみなすでしょうかね。こういうくだらない計算なんか、ヒトの生き様に必要あるのでしょうか。神仏信仰がないことが強者のように扱われ、命を軽んじる行為(自殺、他殺)が毎日のように報道で流れる日本國において、「75歳までに死にたい」なんて善良な国民にさえ思わせること、危険だと思います。が、こんな日本國の現状ならば、75歳までに死ねるものなら死にたいですよね、はい。

le 22 octobre 2008, Elodie
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by ma_cocotte | 2008-10-22 16:27 | 『?』な日本國 | Comments(41)
開かずの押入れから、
お久しぶりでございます。
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半年ほど前の里帰りでは、永眠した母の身辺整理が中心になってしまい、既に予定していた自室についての諸事を何もできぬまま実家を離れた私でした。こうして今、再び里帰りできたことで、今回は前回できなかったことから動き始めました。今更、読み返したい本を探すため、ひさしぶりに押入れの扉を開き、探索を開始しましたが、目的の本は見つからず。その代わり、思いもかけぬものがいくつも出てきました。
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な、なんぢゃこりゃぁああ!?

真ん中の写真はナマです。長崎での叙階式ミサですね。按手なさるJPII。写真の右下のヨハネ・パウロⅡ世来日記念グッズは、
どなたからいただいたのだらふ?
まったく記憶にございません、なのだ。これは三折りになっておりまして、開くと冒頭の「色男さん、いらっしゃーい」な ご尊影、ご尊影のページを返すと、
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来日年と月が掘り込まれたコイン、ステッカーに、「きょうこうさまのゆびわ」という絵本が入っておりますが、ステッカーが置いてある場所には教皇さまの写真と言葉が書かれた葉書が入ったプラスチック額が納められていました。

ココであったが百年目、いや、四半世紀になりますでしょうか。
これだけでもハツがバクバクと動揺したのに、押入れ探検を続けていたら、んなもんが。
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教皇さまが来日された時の生パネルと、私のランドセル。

パネルの裏を見たら、下級生から私宛のメッセージが書き込まれており、彼女の父上が報道関係者だったのでこのパネルを私にもくださったことを思い出しました。教皇さまの日常が垣間見れるような自然さだけでなく、左右の助さん、格さんに、今更ヴぃっくり。向かって左は濱尾司教さまでございますな。お懐かしふございまする。

ランドセルはビニール袋の中から出て参りましたが、デイパックに目が慣れてしまったせいか、ランドセルがとても小さく見え、このランドセルを重たそうにのけぞって背負った自分がいかに小さく、子供だったのかあらためてわかりました。

モノを探すのも、掃除するのも億劫になってしまう私ですが、今回は鉛の腰を持ち上げて動いたところで押入れが玉手箱に代わったようなうれしい勘違いをしつつ楽しんで作業することができました。

le 2 octobre 2008, Saints Anges Gardiens
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by ma_cocotte | 2008-10-02 08:32 | 『旅』 Rien de special | Comments(20)
白い日、赤い日、黄金の日
まもなく半年振りに東の果て、日出づる國に向かいます。
母のせいだか、おかげだか、今年は二度も里帰りすることになりました。

母の足腰が弱って、それまで二階の寝室に寝ていたのに、一階のリビングに介護用ベッドを入れ、母はそこで寝起きし、やがて寝たきりになってしまいました。父は添い寝はせず、二階の寝室で寝起きしていましたが、父が二階に向かう時も母がいる部屋の照明は薄明るくつけたままにして、決して消灯しませんでした。
母が今年2月24日に帰天して、私が26日夜10時過ぎに帰宅すると母はリビングで両肩に重たいドライアイスを抱えてカチコチになって横になっていました。脳を検体したことで、頭にはガーゼが巻かれ、更にりんごを保護するようなネットをかぶされていました。なんでも家を出るまでお線香を絶やしてはいけないそうで、渦巻状のお香が焚かれていました。その時も父から母が横たわっている部屋の電気を決して消さないでくれ、と言われました。翌々日、母は骨壷に入って実家に戻り、棺に入れられて家を出るまでと同じ部屋にしつらえられた仮仏壇にちょこんと置かれました。日が暮れて、各自が寝室に戻る時間になったら父が母の骨壷が置かれている部屋の電気を消さないでくれ、と言ってきました。3月の終わり、私が実家を出る日までそれは守られ、私がまもなく帰宅してもそれは守られていて、納骨の日まで守られるでしょう。でも、母の骨壷がお墓の下に収められたら、もう夜間に電気をつけておくことがなくなってしまいます。浄土宗では仏壇の中央に掛け軸のようなものをかけるそうですが、納骨の時、そのかけじくも持参して入魂(?)もしていただくそうです。(お盆にちょうちんをお墓に持って行き、お墓の前で火をいれて持ち帰るようなものでしょうか?)

納骨をしてしまうと、母が本当に実家から離れてしまうような気がして気持複雑だったりします。納骨の日まで、身体の自由が母の思うようにならなくても、おそらく母の健全な心は毎晩、一階でひとりぽっちになってしまっても薄明るい光が点っていたから、娘(=私のこと)が子供の時のように真っ暗が怖くて泣いたりせずにいられることを父に感謝していたかもしれません。ふと、日没後のお墓は真っ暗で母が寂しい思いをしないかな、と心配になったりします。日中は、母の葬儀でお経をあげてくださったお坊さまや他のお坊さまが入れ替わり立ち代り墓地のお掃除をしているそうです。お坊さまはハンサムな青年でしたから、お昼間は母も母なりに楽しめるでしょうけれど。(ああ、なんだか「もーれつア太郎」ちっくな話だ)

母の死から約一ヶ月、私は実家にいたものの、再び10000kmも離れた住まいに戻ってしまったこともあり、動かない母も、骨になった母もしっかりと自分の目で見たのに、ふとまだこの大地をつたって行けばどこかで母が元気にしているのでは?と思ったり、わがままなもので実家を出て10年近くなるのに母の味が恋しくなってどうしても食べたくなったりしまうけれど、母から料理を習ったこともないのでそれは叶いません。母はどこにいるのかなあ?ココんちの近所の神父さまは母は既に天国にいて光のように輝いているんだ、と慰めてくださいました。母校のシスターは私の母が10年近く闘病し、晩年は寝たきりでこの世で既に煉獄を知ったからもう天国ですよ、とおっしゃいます。でも、娘の私は母のわがままや毒っ気な部分を知らなくもないので、今もまだ母が煉獄にいるのではないかと疑ったりしてしまいます。煉獄滞在中の魂は祈れないそうだから、祈りを配達しないといけませんね。

で、これ(↓)、ご存知ですか? 江戸の下町の耶蘇教会の聖堂出入り口で見つけました。
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う よ し ま り 祈 に 為 の 魂 霊 の 獄 煉

と書いてあり、額の下方の右側のポケットに数字が書かれた玉がたくさん入っており、無意識にひとつひき、番号を確認して、額に書かれている意向を読んでひと祈りを捧げ、玉は左側の箱の穴の中に戻します。ちょっと寄って見ましょう。
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どうやら煉獄の魂のために祈る意向は80種類あるようです。日本語の表現からして昭和20年代のものでしょうか。玄関先なのでつい引いてみたくなっちゃうし、煉獄滞在中の魂も知らない人からの祈りの花束を喜んでいることでしょうね。
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母は今どこかなあ?

どうもまだ不安。私のこんな複雑な思いに安らぎを与えてくださったのは9月12日から15日までフランスに滞在された教皇さまの説教でした。「聖母に向き合い、聖母を愛しましょう。聖母は私達みんなの母なのですから」と。それが本当なら聖母は私の母の母でもありながら、私の母でもあります。この世で母を見つけられなくなってしまった私も母である聖母に甘えて愚痴れるのかもしれません。私の母は母で、天国で既に聖母といつも一緒なら幸せでしょう。教皇さまに慰められました。畏れ多いことです。

13日のパリ・アンヴァリッドのごミサでは白の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040858&vl=video_nouveautes
14日、ルルドのごミサは赤の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040861&vl=video_nouveautes
15日のルルドのごミサは金色の祭服、
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00040884&vl=video_a_la_une

でした。どのごミサも説教で感動し、泣けました。
この4日間で私も「みんなのお父さん」B16をますます好きになりました。

以下がフランス滞在中の教皇さまの関連ビデオ一覧です。だうぞ。
http://www.ktotv.com//cms/pape_france
13日夜ルルドでの 光の聖母行列 ←クリック! や14日午後の 聖体顕示式 ←クリック! もぜひ。超ウルトラ感動。
щ(゚Д゚)щ 香炉が4つだよーん。
ではでは、あとでね。
 
le 16 septembre 2008, Edith
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by ma_cocotte | 2008-09-16 04:43 | 『?』なたわ言 | Comments(31)
天の門が万民に開かれる日に。
こんにち8月15日は天国の門が万民のために開かれる日なのだそうです。
フランスはこの日が国定祭日で、どこのカトリック教会でもミサがあげられます。天気にも恵まれたので、自転車を漕いで近所の教会のごミサに行ってみました。
聖堂に入って奥、真正面のステンドグラス。
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聖母の戴冠 だにゃ。

ミサが始まる前、先唱者がきょうの被昇天の聖母の祝日には天の門が開門するということを説明しました。聖歌322番の歌詞に「あめのきさき 天の門 海の星と 輝きます」とありますが、もしかして「天の后=天の門=海の星」という並列の一格だったのですね。ようやく気づきました。生きているうちに知れて良かった。

この話を聞いてすぐ、今年2月の終わりに旅立った母の魂がまだ天にたどりついていないのなら、ぜひきょうの開門に飛び込んで欲しいと思いました。ただ、私の母はヒトが押し寄せるところが苦手ですから、こういう時に限ってへそを曲げたり躊躇したりするので、天の門の向こう側にいらっさる聖母に母を導いていただけたら、と、祈りましたよ。

偶然にもきょう は日本國では第二次大戦が終わった日でもあります。
日本のカトリックでは8月6日から15日までを「平和旬間」と定めていて、各自が祈りつつ平和を考える期間でもあります。この間、歴史においては広島、長崎の原爆忌がありますし、暦を眺めればアウシュヴィッツで帰天したエディット・シュタイン Edith Stein (9日)やマキシミリアノ・マリア・コルベ Maximilian Marie Kolbe 師(14日)の名前もあります。彼らの生き様や歴史を振り返りつつ心にうつりゆく思いを祈りに変えながら15日を迎えますが、日本にもゆかりあるコルベ師が囚われの身となる直前、最後のごミサの説教でこのようなことを述べていたことを知りました。
兄弟のみなさん、本当の成長とは何でしょうか。
キリストを信じる者の成長は目には見えません。魂の成長なのです。
わたしたちの仕事が全部できなくなる時が来ても心配ありません。
主イエズス・キリストを信じる心さえあれば、必ず大きな実を結びます。
皆さん、今、平和が押しつぶされようとしています。
でも、私達は神さまが望まれる平和を守って生きていきましょう。

本当の平和は毎日あなたがたの心の中に生まれ、育てられるのです。
自分の幸せのためではなく、人々への平和のために、自分自身を捧げましょう。

日々の行いを通して、私達はキリストに近づくことができます。
これこそ本当の成長であり、最高の喜びです。

心にしみいるというか、深いですよね。
現在、グルジアとロシアの間で戦争が行われていることもあって、コルベ神父さまがおっしゃる「今、平和が押しつぶされようとしています」以降のお話は私達に何ができるのか教えてくださっているように思えます。カトリックにおいて「神」なる存在は「愛」そのものですが、「平和」は各自の心で育てる、つまりひとりひとりが「平和」なんですよね。愛と平和は同じものではないけれど、切っても切れないお友達とでも申しましょうか。文章内の「神」と「愛」という語を互いに置き換えると「愛が望まれる平和を私たち各自が守って生きていく」のですし、「人々(各自の心の中の)神と平和のために自分自身を捧げてみる」と私たちがキリストに近づけるとコルベ師がおっしゃっています。なーるほど。敵の存在の中にも神を意識すれば殺める気にもなりません。何よりまず、自分の中で平和をはぐくめば自ずと幸せを感じるでしょうから、それで終わらせるのではなく、同じ幸福感を他者にも感じてもらうようにすれば、平和の鎖がつながっていく。

簡単のようで難しいから戦争になるのでしょうが、そこには野心や利権があるのも誰もが知るところであり、功名で得る幸せは本当の幸せでも平和でもないのでしょう。

ここ数日、ニュウスでグルジアの様子を見るたびに永井隆氏が残した言葉「「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」を思い出します。魂はないけれど建造物が破壊され、魂が抜けて色が変わった遺体をいくつも見ました。魂が抜けた身体が朽ちるのは時間の問題のみですから、本当に「滅び」ですね。爆薬を吸った大地から産み出される作物も食べたところで死につながったりもします。

フランスでは今日8月15日の祭日について正教で盛大に祝われる大祝日なのだと必ずと言って良いほど説明に付け加えられています。グルジアもロシアも正教国なのだから、もしこの大祝日に休戦をしているのなら、当事者ひとりひとりが自分の心の平和を育て、平和を望んでいる愛を喜ばせてくださいよ。

le 15 août 2008, l'Assomption

きょう8月15日、フランスでは電気とガス料金が一斉値上げとなりました。ガスが5%、電気が2%の値上げですって。きょうくらい出血大サーヴィスの無料にして、明日から値上げすりゃあいいのに。やっぱりサルコぢが神なんてあり得ない。平和(=共和国民)に愛を感じない。けっ。


そうそうそう、そうだった。もうひとつ。
昨晩、映画「薔薇の名前」がFrance 3 で放映されたので観ましたが、もちろんフランス語吹替版でしたが、ラテン語の部分で字幕が出ない・・・・これってなぜ?知ってて当然なのか、知ってる奴しか見ないと思われているのか。謎だ。

【追 記】
TF1ニュウスで紹介されたこの夏のルルドの様子です。
Les pèlerins se pressent à Lourdes
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3943836,00-les-pelerins-se-pressent-a-lourdes-.html
14日夜の行列と15日午前に行われた野外ミサ。

Déjà 15.000 pèlerins en chemin pour Lourdes
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3940911,00-deja-15-000-pelerins-en-chemin-pour-lourdes-.html
ルルドでのボランティアについて。

【追 記-その2】
16日13時のTF1ニュウスで紹介されたコルシカ島の聖母行列です。
La Vierge, sainte patronne de tous les corses
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3944266,00-la-vierge-sainte-patronne-de-tous-les-corses-.html
コルシカ島そのものの守護聖人が聖母なので、各市町村で聖母行列が行われるのが伝統だそうです。映像はバスチア市で、銀で作られた聖母像。マンマとかマードレとイタリア語がフランス語に混ざるのがいかにもコルシカです。

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by ma_cocotte | 2008-08-15 22:03 | 『?』なたわ言 | Comments(9)
仏 の 来 仏 。 ホトケノライフツ。
この月曜日、 ほとけ さまが蘭西にいらっしゃいました。
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Photo par © RAVEENDRAN / AFP

ダライ・ラマ Le dalaï-lama 師、73歳。
ニュウデリィからパリのロワシ(=シャルル・ド・ゴール)空港まで6時間、この日から24日まで共和国内に滞在されます。かの北京オリンピックが24日までの開催ですから、ダライ・ラマ師は北京オリンピックが閉会するまで共和国内にいらっしゃることになります。

仏蘭西ではダライ・ラマ師の今回のご来仏について、「非暴力の世界的象徴 figure mondiale de la non-violence 」による「本質的に宗教色濃い12日間の訪問 une visite de 12 jours à caractère essentiellement religieux 」と位置づけられており、蘭西の聖皇帝サルコぢ一世サマにおかれましてはこれを理由にダライ・ラマ師とは会談しないそうでございます。が、サルちゃん以外の内閣やら国会議員ズはダライ・ラマ師と会合を持たれることになっておりますし、サルちゃんの奥さん(流行歌手のカルラ・ブルニ Carla Bruni さん)は8月22日、南仏はラングドック地方エロゥ Hérault 県ロクルドンドゥ Roqueredonde でのお寺 Le temple Bouddhiste de Lérab Ling (↓)の落成式に出席されます(歌は唄わないと思います。奥さんのニウCD、良かったら買ってあげてね)。
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時の流れが前後いたしますが、ダライ・ラマ師はこんにち12日はヴぬ・え・さぶろん Veneux-les-Sablons という巴里南東はセーヌ・エ・マルヌ Seine et Marne 県内にある町の複数のお寺を訪問することになっております。600人ほどの信者と共に私的宗教行事が行われるとか。24日までダライ・ラマ師の共和国内滞在中の主な日程は以下のとおりです。
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気になるのはこのAFP の図の中にもこんな一文があります。La visite sera principalement consacrée à des themes religieux 、つまり、主に宗教的テーマについて捧げられた訪問予定 とでも申しましょうか。AFPに限らず今回のダライ・ラマ師の来仏に関する記事を眺めるとこれに似たり寄ったりな一文が必ず出てきます。なんちゅーか、マスコミを掌握し切れていない神聖皇帝サルコぢサマから各社に送られた要望の妥協点がこの一文ではないのかとついうっかり思っちゃって書いちゃったりなんかして。
cf. http://www.tibetan.fr/?La-presidence-du-Senat-interdit-a

もちろん今回のダライ・ラマ師のご来仏におかれましては、駐仏中華大使からもコメントがありました。こんなことをおっしゃってる。
"Le Tibet est une affaire purement chinoise et le dalaï-lama quelqu'un qui a une double face et un double langage."
チベットは全くもって中國の内政問題であり、
ダライ・ラマなる人物は二つの顔と二枚舌を持った人物である。
と。まあ、おっしゃったことは承っておきますが、こんなことを発言したら国土面積と人口だけで超大国である中國大使閣下の徳のなさが露見されるに過ぎませんけどねー。なんだな、中國さまにおかれましては抜本的にダライ・ラマ師と歩み寄るつもりなんかサラサラないということがこの発言からも臭い立っているに過ぎないかもしれません。そんな次元のことはダライ・ラマ師にしてみれば「中國で祈れないなら戻れません。戻りません。」なんでしょうけれど。

政治的次元を横において、仏蘭西におけるチベット仏教について眺めてみますと、1960年に布教が始まり、今年で48年目を迎えました。大きなお寺はもちろんですが、フランス語でルフュッヂ refuge と呼ばれる仏教の集会場を含めて共和国内を眺めると驚異的な発展を遂げているのではないでしょうか(約400箇所)。マスコミに登場することが多いマチュ・リカール Matthieu Ricard 師を共和国内の長上として仏蘭西びとの得度者もかなり存在します。おそらくチベット仏教という枠に限定するならば、日本國より仏蘭西の方がチベットを身近に感じられることが多くあります。それはダライ・ラマ師がたびたびお気軽に仏蘭西におみ足を運ばれることでもわかります。1982年以降、ダライ・ラマ師のご来仏は10回以上になるそうです。
仏蘭西に移住したのは仏僧侶ばかりではありませんから、既に確固たるコミュニティ La Communauté Tibétaine も存在します。アジア系移民を中心に現在、共和国内で仏教を宗旨としている国民は約770.000人になります。どうかひとつ仏教の抜本的根本思想を元に動いて、和平のために各自が動いていただきたいものです。

ダライ・ラマ師が訪れる共和国内の町々に平安がもたらされますように。

le 12 août 2008, Janne-Françoise de Chantal

以下、昨晩(11日)、TF1 の20Hニュウスで流れたビデオです。来仏直後のダライ・ラマ師の様子もご覧になれます。
Le bouddhisme, une religion qui monte
http://videos.tf1.fr/video/news/france/0,,3938486,00-le-bouddhisme-une-religion-qui-monte-.html
ほえー、約150,000の仏蘭西びとが仏教に改宗したそうですよ。ほえー。
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by ma_cocotte | 2008-08-12 17:15 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(6)