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寒い冬には着物がない。
エキサイトブログのログインページを開くと Africa Mission 2008 への誘いが見られるようになって一か月以上が過ぎたと思います。時をほぼ同じくして、5月28日から30日まで、第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)が横浜で開催されたこともありますし、来月7月7日から9日まで北海道は洞爺湖でG8サミットが開かれることなど、これらの各行事が互いに強め合って、大きな実行力と化す働きをしているかと拝察します。

フランスでも近年のG8サミットが環境問題を主テーマにしているという前提で、サミット数か月前になると大統領閣下のおんお口から環境問題に関わる発言が増えることもヲッチャーから指摘されていたりもします。
G8サミットまで一か月となり、この6月3日からローマでFAO(食糧サミット)が開幕したためか、6月に入った今週、フランス国内の地上波各局のニュウス番組で「食料危機 Crise Alimentaire」についての特集を流すようになりました。
TF1 : La faim, un fléau qui touche 860 millions de personnes
France 2 : Sommet de la FAO à Rome
このFrance 2 の特集記事の右サブメニュウのVIDEO欄の上から3つめのビデオ『La crise alimentaire en Egypte エジプトにおける食糧危機』ですが、数度、テレビ画面でも拝見しましたが、脳ツルの一凡女は矛盾を感じてなりません。ウルトラ大金持の一家が登場しますが、はっきりと「食糧問題は大したことではないし、それを考えるのは政府であって、自分は責任者ではない」と断言していたりします。施し月にしか施せないイスラームが増えたことは、イスラーム学者の著書でもかなり前に拝読しました。ラマダーンが施し月でそれが信者の義務だからラマダーン中にしか哀れみを持たないという思想の表れがこのエジプトのビリオネアーの発言だとするなら、なんと
ε= (´∞` ) Bof
でありましょう。期間限定なんぞしないで、今の私たちにできることは何なのか?できないことを無理にしなくとも、できることなら他人に失笑されようが「小さな善行」として捧げられるものではないでしょうか。例えば、シラク前大統領夫人が創設された Pièces Jaunes ピエス・ヂョオヌ という活動はピエス・ヂョオヌという愛称があるサンチーム(=1ユーロ以下の金額コイン)コインの寄付によって高齢者や児童病棟の援助を行う活動です。度々、灰色告発が世間を賑わしますが、それでも続いている慈善事業だったりします。
ヒトとして何かできる、何かする。
さて、自分は何をする?
そんなことを考えさせられるここ数日を過ごしていたりしますが、ブログ散歩中に或る言葉を見つけて、ぶったまげました。こんな言葉です。
典礼がなし崩し的に陳腐化される状況に憂慮しています
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
私はしばらく前から改めてグリゴリオ聖歌とラテン語に
立ち帰ることにしています

cf. おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々「荘厳な 教皇様のミサ
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/407/
今時、言う と思いますよ。この広い世界なら。日没後の砂漠がどれほど冷えるか、日本國より北にある北朝鮮も寒いでしょう。日本國よりはるか南でも高山地帯なら寒いし、空気も薄い。どれほど身体に負担がかかるでしょうか。

この「寒い冬には着物がない」という一文、読むなり「ちいさなひとびとの」という新しい聖歌の歌詞だとわかりました。黒革聖歌集で育った私には「新しい聖歌」という感覚です。確かに子供の頃、この聖歌を初めて朝礼時に習った時、私の心にも違和感がありました。世間知らずだったからです。成人して海外に出ることができ、市井を眺めたら、寒い冬でなくても路上で大変な思いをしている人をたくさん見ました。この歌詞の言葉とおり受け止めて、他の現実(それこそ飢餓)を指しているのではないという反論があるかもしれませんが、日本語の聖歌だから、この詞を失笑して、ラテン語聖歌を賛美できるというのも矛盾しているかと思います。神戸や新潟の震災、自宅に戻れず、硬い床の上で寒さと空腹と自然災害の恐怖でどれほどつらい思いをされた方がいるでしょう。いえ、「された」という過去形ではなく、現在もそのトラウマでご自分と向き合って闘っている方だっているのです。

フランス共和国の守護聖人のひとりにSaint Martin サン・マルタン、日本語とラテン語で表現すれば聖マルチノがいます。西暦317年、ハンガリーに生まれた彼が軍人となってフランス駐留になったのが338年、酷寒のアミアンで馬上のマルチノは寒さに震える乞食を見つけてしまった。が、何も持ち合わせていないマルチノは咄嗟の思いつきで自分のマントを刀で真っ二つに裂き、半分を乞食に与え、その場を去りました。その夜、同じ半分のマントを羽織ったキリストがマルチノの夢枕に立った・・・この精神を賛美するフランス人はたくさんいるというか、仏蘭西共和国内で Martin という町名が一番多いこと、Martin という苗字が常に上位にいることで、いかに仏蘭西びとにとっての「目標、誇り」であるかは言わずと知れたことだったりします。

聖マルチノは乞食の空腹を満たせなかったけれど、寒さを少しでも凌げるように自分のできることをしただけです。聖マルチノが実行したことは「寒い冬には着物がない」から「自分ができることをした」のです。その善行は日本語の聖歌で唄って失笑されるものですか?ラテン語聖歌やらラテン語のみのミサを決めたエラい方々だって聖マルチノの精神を常に胸に置いていたでしょう。

そもそも教会博士である聖ヒラリオ Saint Hilaire がアリウス派を否定したことで東方に長く滞在し、そこで聖歌の素晴らしさを知って、仏蘭西はポワチエに持ち帰ったのですよ(ニケア・コンスタンチノープル信条を持ち帰ったのもヒラリオだにゃ)。その後、ヒラリオはマルチノと出会い、マルチノにポワチエ郊外のリギュヂェという土地で修道生活なるものを始めるよう持ちかけたのです。西暦4世紀の西欧でのキリスト教礼拝はユダヤ教礼拝に近い形、もしくは円陣集会であり、典礼言語は必ずしもラテン語ではござらん。キリスト教なるものに2000年の歴史があり、その間に典礼所作やら典礼内に用いられる所作の改革はいくらでもありました。聖歌が用いられたのだって聖ヒラリオが東方に行かなかったら現代のカトリックで唄われていたかどうかだってOnly God knows だったりします。が、聖マルチノの善行が嘘か真か夢枕であれキリストに喜ばれたという事実は今もいつも世々に至るまで、キリスト教世界では目標とされる逸話でしょう。例えば、かの有名なマザー・テレサもその実践者であり、エマウスの創始者ラベ・ピエールもそう。ですが、名前が公表されなくても、賛美されなくても、実践するのは私たちひとりひとりではありませんか。

この歌詞「寒い冬には着物がない」が聖歌であることとカトリック典礼の問題点はリンクづけできます?TB先のブログ主さんご本人のご意見ではなく更にその先のご意見なので確かめようがございませんが、拝察するにグレゴリオ聖歌の曲調に、ラテン語に訳して「寒い冬には着物がない」と乗せたら差し支えありませんか?くりかえさせていただきます。
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
いまどき、言いますよ。これからも言います。この地図(↓)に食糧危機国がひとつもなくなるまで、誰かが世界のどこかで言い続けますよ。たとえあなた方が言わなくても。
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こういうことをおっしゃる方、B16が繰り返される「カリタス」の精神はどこにあるのでしょう?

それとも、ご自分が好まれるごミサ「だけ」でこういう歌詞内容を唄ってくれなければいい、ということでしょうか?宗教の枠組みを越えて、貧富の差に関係なく、カリタスの精神は心に宿っているものです。日本國内のカトリックだけが「今時言うか!」と国境を越えた他のカトリック諸国にさえ「我、関せず」を表明するなら、日本のカトリックなるものはそういう傲慢な、他者を思わない、自分の希望ばかりを主張するエゴイストな宗派なのでしょう。

....私が知るカトリックと違う。残念です。
マリアさま、できることは何でもします、よろこんで。

le 5 juin 2008, Igor
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by ma_cocotte | 2008-06-05 18:51 | 『?』なKTOりっくん | Comments(219)
「南欧系」とはどちらのどなた?
日曜日の朝だと言うのに、気になる記事を目にしました。
こんな見出し「世田谷殺害 犯人母は南欧系?」にまず引っかかり、その記事から先のソース先を拝見しました。私が引っかかりを覚えたのは事件の内容ではなく、この記事にちりばめられたキーワーズです。

<忘れない>世田谷一家殺害 DNA鑑定、狭まる犯人像
5月25日2時31分配信 毎日新聞
 東京都世田谷区で00年12月、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)一家4人が殺害された事件で、警視庁成城署捜査本部が犯人の血液を詳しくDNA鑑定したところ、父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた可能性が強まった。捜査本部は、遺留物などから、犯人やその近親者が海外渡航していたとみており、ICPO(国際刑事警察機構)を通じ外国捜査機関に協力を求めている。

◇父はアジア系 母は南欧系
 犯人は、自分が持ち込んだ柳刃包丁で宮沢さんらを刺したが、自分の手もけがをし、包丁の柄の部分にA型の血痕を残していた。捜査本部はDNAの塩基配列などから出身を探る鑑定を進めた。▼その結果、父親は日本、韓国、中国などのアジア系で、母方はヨーロッパの地中海北側の民族の特徴を持ち、アジア系とは明らかに異なっていた。▼明治時代以前には、日本や韓国、中国ではヨーロッパ系との婚姻がほとんどないことから、捜査本部は、母親か祖母の代の可能性があるとみる。

◇外国機関に協力要請
 しかし、中央アジアでは歴史的に欧州系民族との婚姻があり、日本でも江戸時代に交流が一部あったことなどから、曽祖母以前の婚姻もありうる。このため、犯人の国籍の特定は難しく、「先入観を持った捜査は、かえって犯人からそれる可能性もある」と指摘する捜査幹部もいる。▼(中略)▼(中略)▼(中略)▼これまでに、韓国と中国に指掌紋の照会をし、欧米にも協力を求めているが、回答がない国もあるという。

(後略)
全文:http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/20080525k0000m040095000c.html


不肖わたくし「脳ツル凡婆」が引っかかったキーワーズをで抜いてみました。
朝一番で私がまず目にしたタイトル「世田谷殺害 犯人母は南欧系?」で、「そもそも南欧系とはナニ?」という疑問がフツフツしました。まず「南欧系」という語を見てツルツル脳で連想したのが、手前勝手になりますが、フランス共和國の真ん中より少し上を横断して流れるロワール川より下のフランスかスペインのヒトです。ポルトガルは民族が違うので私においては「抜き」です。更にロワール側より下と言っても中央山脈、ピレネー山脈のオード川より西から大西洋沿岸までを抜きます。つまり北はアルプス山脈より下、西は中央山脈まで、(フランス国内において)南はオード川より東、ここから地中海までの土地が私において「南欧」というイメージになります。スペインは地中海沿岸と南スペインのイスラーム文化融合域が「南欧」にあたるのではないでしょうか。
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地球全体で眺めれば、イタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、ポルトガル、旧ユーゴのアドリア海沿岸諸国が私における「南欧」のイメージです。国際連合ではこのような区分(↓)でおぢゃる。
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はっきりとした黄緑色の国々が「南欧」です。が、フランスは国連においては「西欧」となり、南欧には入っておりません。もし「国」という単位で区分されても、フランスの地中海側はイタリア系、スペイン系や地中海系が多いのは苗字でもわかり、他のフランスとは生活文化も異なります。「南欧」と聞けば「ラテンの血が騒ぐ」だの「ラテン文化と言語」を連想したりもしますが、ラテンを出すとギリシャやアドリア海諸国は別の文化域になります。


で、次に思い起こしたのが、フランス国内でしばしば聞くメディタレーニアン méditerranéen=地中海人と呼ばれる人々でしょうか。フランス国内においても地中海側に多くいますが、肌がカフェオレ色で、黒髪、漆黒またはグレーの目を持つ人々です。が、地中海人は地中海沿岸東西南北満遍なく存在しています。「南欧系」の話題で地中海人を取り上げてしまうならば、スペイン系ジプシーであるヂタン Gitans もノマドとは言え、彼らこそ本物の南欧系ではないでしょうか。そして、フランスからスペインにかけての地中海沿岸にはカタルーニャびと Catalogne (定着民)がおり、彼らも独特の生活文化と独立言語を持っています。きょうび21世紀のフランスにおいては欧州系だけでの混血もあったり前なので、彼らの血で国籍鑑定や民族鑑定はまずできません。

となると、日本國で報道された「南欧系」とは何をもって「南欧系」と断定するのでしょう?

まあ、そんなことを思いつつ、ソース先の新聞記事(↑)を拝読いたしました。すたら、あーた、
母方はヨーロッパの地中海北側の民族の特徴
ですと。私のこれまでの妄想は大ハズレになります。私は「南欧系」と読んで「ロワール川より下、フランスの縦割中央より右側(=東側)で地中海沿岸まで」の土壌しか思い浮かべていなかったのに、「地中海北側の民族」というKWがあることで、我が顎をぐーんとあげなくてはなりません。で、これまた手前勝手に話を進めますが、いわゆる「地中海北側」と聞いて思い起こす国はイタリア、ギリシャ、トルコ、キプロスですわね。フランスとスペインは地中海北側ではなく西岸の国々になります。が、「地中海北側の民族」と言っても、イタリア人とギリシャ人は同じ人種ではござらんよ。一目でわかる。というか、イタリア国内だけでも先祖代々ローマのヒトビトにとっては隣国ギリシャどころかナポリもサルディーニヤもコルシカもシシリアもチロルも「私たちとは違う」とハッキリ断言します。むしろギリシャ人とトルコ人はパっと見、似ているかもしれません。

トルコ人が南欧系にあたるのか?うみゅうううううう。もし地中海北側の民族のひとつにボスポラス海峡より東のトルコびとを入れるなら、ボスポラスからスエズ運河までの地中海東岸のパレスチナ系も一考した方が良いですし、もしパレスチナ系を入れるなら血統ユダヤ人やスエズ運河からジブラルタル海峡までのマグレブ系(ベルベル人やカビル人など)も考えねばならないでしょう。
あ、スペインに戻ったね。
マグレブについてはイスラームの西方遠征の際にアラブびとと混血した人々が「マグレブ・アラブ人 Maghrébin Arabe 」と呼ばれていたりします。結局、「南欧系」を探すにはと地中海一周ですわな。というか、
「南欧系人」って存在します?
こうして一般紙に掲載するとしても「南欧系」のキーワードのみでは欧州に興味のない方々には変な先入観しか持てなくなるかもしれませんし、偏見や誤解が生じかねません。それとも、なんだな、ボスポラスから時計回りでジブラルタルまでに関わる方々に気でも使ってらっしゃいますか?(今の欧州では ムハンマドさま風刺画事件 なんてありましたから気ぃ使ってらっさる方もおりますよ)
欧米にも協力を求めているが、回答がない国もあるというのは、回答できない国の警察や憲兵隊が日本國の優秀な警察に比べると遥かにポンコツなどという問題ではなく、日本國から答えを求められたところで返答できない質問をされたからかもしれません。結局、「南欧系」というキーワードが書いてあっても、当事国では指紋の照らし合わせしかできません。だったら「南欧系」というキーワードは何なのか。もそっと具体的に読者に教えてくださらないと協力もできません。現段階では、トルコをアジアとするならば、「地中海北側の民族である南欧系」はイタリアかギリシャ、アドリア海沿岸諸国でよろしいのかしら?

le 25 mai 2008, Sophie
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by ma_cocotte | 2008-05-25 16:44 | 『?』な日本國 | Comments(4)
彼らはこんなことをして、何を、直に、見たいのだろう。
フランスでも先週から今週にかけてのトップニュウスは ミャンマーでのサイクロン中國は四川省での大地震 という天災についてでありますが、それらに続くニュウスで、私が注目しているのは25年ぶりの勃発になるかもしれないレバノン内戦についてです。これは天災ではなく人災でしょうか。連日の報道、実に考えさせられてしまいます。
以下はTF1ニュウスで流れたレバノン内戦に関連する主だったビデオです。
【5月9日】 ヘズボラによる宣戦布告と空港・海港閉鎖。
Les violences font plusieurs morts à Beyrouth
ベイルートで死傷者が出るほどの暴行
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845231,00-violences-font-plusieurs-morts-beyrouth-.html

Poursuite des affrontements à Beyrouth
ベイルートにおける継続中の対立
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3844929,00-poursuite-affrontements-beyrouth-.html


【5月10日】 開戦後第4日目
Timide retour au calme à Beyrouth
ベイルートでの鈍い沈静化
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845418,00-timide-retour-calme-beyrouth-.html


【5月11日】 レバノン北部トリポリの様子
Les affrontements se poursuivent dans le nord du Liban
レバノン北部における継続中の対立
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845553,00-affrontements-poursuivent-dans-nord-liban-.html

Au Liban, la crise est loin d'être terminée
レバノン、危機の収拾までには程遠い道程
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845626,00-liban-crise-est-loin-etre-terminee-.html


【5月12日】
Calme très précaire à Beyrouth
ベイルート、あまりにかりそめな静けさ
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845765,00-calme-tres-precaire-beyrouth-.html

5月10日、11日の目を覆いたくなるような映像は日本國ではあまり流れない現実かもしれません。【註】URLの都合上TF1ニュウスのみを掲載しましたが、国営放送 France 2, France 3 でももちろんレバノン内戦について報道されております。
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↑ こんなお気軽な格好で銃を持っちゃあいけません。↑
Miliciens du courant du Futur à Tripoli (Reuters)

親シリア派というか、レバノン西方の国イラン&シリアが「真の親分さん」のヘズボラ Le Hezbollah なる団体ですけれど、既にベイルート西部を制圧なさったとか。で、この方々は母国を戦場にして何を目の当たりにしたいンでしょうかね?理想のイスラム原理イラン&シリア盲目贔屓主義国家ですか?レバノン人の多くがイスラームだろうがキリスト教徒だろうが彼らの国内破壊行為にウンザリしていること、なぜその事実に向き合えないのでしょうか?真の親玉ズがレバノン国内の被害を目の当たりにしていないからでしょうか。

フランスはレバノンと縁がある国なので、この内戦勃発以前からテレビの報道番組ではレバノン内情についてしばしば触れられてきました。

b0070127_1673867.jpgメイ・シディアク May Chidiac というレバノン人女性をご存知でしょうか。彼女はレバノンで売れっ子のニュウスキャスターで2005年9月25日、テロに遭い、左足を失いました(左手も重症)。彼女が生還したのは奇跡だと言われており、フランスでも2006年9月に入院先のフランスからレバノンに戻り、再度の報復テロに怯えるどころかレバノンの現実に立ち向かう彼女についてのドキュメンタリーが流れました。私もそれを見ており、感動し、考えさせられました。このメイ・シディアク嬢はクリスチャンであり、レバノンのキリスト教系放送局で大活躍、大人気のキャスターでありました。事件当日は終業後、車後部座席に乗り、運転手がエンジンをかけたと同時に車が爆破、大破しました(右の写真下のごとく、ドライバーは即死)。彼女が身体の一部を失ったとは言え、今こうして生きていることは「奇跡だ」と多くの人から言われています。フランスに移送され手術、闘病、リハビリを終えてレバノンに戻った勇気だけでもチキンやらウズラハートの大衆を驚かせたのに、彼女はレバノンで再び日曜日の礼拝に堂々と通い始めました。帰国後の彼女は外出時には常時ボディガードがついていますし、誰もが再び起こり得るだろう彼女への暗殺を恐れて彼女が礼拝に通うことを止めたにも関わらず、「礼拝に通うこと」が彼女にとって暗殺未遂犯人に対する確固たる意思表示なのだそうです。
私が見たTF1の報道番組 7 à 8 セッタユイット のビデオは見つかりませんでしたが、YouTubeで彼女に関するドキュメンタリー番組を見つけることができましたので、以下、ご覧くださいませ。
May Chidiac - Lebanon
http://www.youtube.com/watch?v=1LKgqNqsbUU
このメイ・シディアク嬢のドキュメンタリーの中でも取り上げられていたのが、レバノン国内でのキリスト教信者の立場でした。現在のレバノンでキリスト教信者はマイノリティになりますが、レバノン国内における彼らのほとんどが中上流階級にあたり、これがマジョリティであるイスラームの一部から過激なほどの攻撃理由になっているというのです。

このドキュメンタリーを見たことで、レバノン国内事情に関する報道に注視し続けましたが、現在のレバノンにおいてキリスト教信者への差区別が日毎ひどくなっているのも事実です。政府が彼らに何をしているのかと言えば、勤労・就職妨害です。昨年11月はじめ、私はニュウスでこのようなものを見ました。
L'exode des chrétiens du Liban
キリスト教徒、出レバノン記
http://www.dailymotion.com/video/x3hiht_lexode-des-chretiens-du-liban
フランス語でレクソド L'exode という単語を用いる時、旧約聖書のレクソド、つまり出エジプト記を連想するような状況を指します。この報道によりますと、既にレバノン国内に住む約50000人のキリスト教徒が「迫害」によって欧州、オーストラリア、カナダへの移住を決めたということです。確かにこのビデオに登場する男性も脳神経外科医という職業にあり、レバノンでも中上流に属する方と拝察します。が、彼らの言い分は信仰が理由で母国なのに居心地が悪くなっている、だから移住に踏み切ったのです。ビデオの冒頭に登場するマロン派の教会もこの礼拝が最期の礼拝で、この礼拝を限りにこの教会は閉鎖されたそうです。

もし彼らがイスラームに改宗すれば母国レバノンにいることが「できる」のですよ。

「だったら改宗すりゃあいいぢゃんか」という意見も多々あるのかもしれませんけれど、そういう意見は欧米ではあんまり通じない意見だったりします。それこそ「宗教は毒」と言いながらなぜかイスラームとだけは仲の良い政治思想団体の方々が同意するでしょうけれど。

嫉妬が先立ってテロったところで目に見えるものの破壊や崩壊しか目にすることはできません。先に登場のメイさんではありませんが「左足が義足になっても私の魂は同じ魂だ」です。中上流階級のキリスト教徒を国から追放したところで、その職の器に値しないものが就任して、脳神経をいぢったところで治療にも快気にも至りません。
そんなこともわからないのが問題なのです。
彼らの中には邪魔者を追い払えば、その椅子に座れると単純に考えている人もいます。自分のタレントを忘れているのです。

私個人は同級生がレバノンからの帰国子女で、彼女から何度もベイルートはかつて「東洋のパリ」と言われていたのに内戦でその美しさを失ってしまった、と何度も聞かされていたし、フランスに住むようになってからもイスラームのレバノン難民一家と交流したり、改宗してカトリックのドミニコ会修道女となったシスターにもお世話になりました。レバノンは私にとって遠いようで近い国のひとつです。信仰先が違えど彼らレバノン人の思いは母国レバノンに平和が戻ることです。青い空と海、赤い土と白いローマ遺跡と西欧風建築に緑の木々と人々の穏やかな笑い声。彼らが懐かしい母国を語るとすぐ、美しい灰色の瞳に涙のヴェールがかかります。こうして移民した今、母国に再び定住するのは簡単には行きませんが、それでも平和であれば、いつでも、たとえ短期間であっても戻れるでしょう。早くそういう状況になりますように。廃墟は虚しい、虚しすぎる。

今年はじめ、地元の外国人向けフランス語講座に参加したら、クラスメートのひとりがシリアで育ったパレスチナ難民女性でした。彼女は完璧にヘズボラ贔屓で、私たちが西側メディアに騙されているのだと毎日力説しました。このフランスで職を得て、いかに自分達が被害者であるかという真実を伝えたいんですと。自分から被害者になって、既に被害者でないのに、被害者のままであり続けたいがために理由をこぢつけているようにしか見えません。この彼女が希望する職は公立校のアラビア語講師なんですけれどね。「マダムのおっしゃるとおりです。奪還するまでガンガン、中東でテロろーぜ」という生徒に巡り合えるのでしょうか。
私はこのフランス語講座に行くのを止めました。ψ(`∇´)ψ
平和を手に入れる方法が違いすぎ。
彼女が強く主張するように、彼らを被害者と私たちが認めてあげても平和は訪れません。本当に平和を願うなら、破壊した建造物を直して、キリスト教徒だろうがイスラームだろうがそこに住んでいた住民が再び住めるようにしてくださいよ。砂漠の夜は寒いと確か聖書のどこかに書いてあったよ。

le 14 mai 2008, Mathias
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by ma_cocotte | 2008-05-14 04:13 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(25)
別に私はどこでも構わないのですよ。
祈ることができ、
この世における我が身の使命が果たせれば。
と、ダライ・ラマ Dalaï-Lama 師はおっしゃりたいのでは、と、この2か月の彼にまとわりつく騒動を傍観していて私は妄想したりしています。

先日、ベルトラン・ドゥラノエ Bertrand Delanoë 氏が長上のパリ市議会において、ダライ・ラマ師がパリ名誉市民になることが可決 されましたが、それは今回の事件をきっかけにパリ市長が大統領&首相府を挑発したわけではなく、既に2003年にダライ・ラマ師がパリ市を訪問したことでその種は撒かれていたのだと表向きにはそう言われています。

日本國ではエイメリカに向かうダライ・ラマ師が日本を経由しただけで大騒ぎになりましたが、フランスにおけるダライ・ラマ師の扱いというのはあまり仰々しいものではないように拝察しています。というのも、おらが町にも数年前、ダライ・ラマさんがお出ましになってるだね。
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↑ おらが町の名物、川下りを楽しまれるダライ・ラマさん ↑
ちなみに左側の僧侶はフランスにおけるチベット仏教の最高責任者さん。

このダライ・ラマさんご訪問を私が記憶しているのも、このご訪問直前に私がこの町に来て、現在住んでいる家の入居契約をしたのですね。その時、建築主であるマダムが私に向かって、この町にはこの春ダライ・ラマ師が来るので、この町は仏教にもアジア人にも優しく、心開く町なのだ、と差別発言をなさいました。マダムにしてみれば思いやりなんでしょうけれど。それを聞いて平行ドンビキした私が「私は日本人ですし、日本の主だった仏教はチベット仏教とは異なりますんで、はい」と返答し、マダムが豆鉄砲フェイスになったのもリアルに覚えております。フランスにおいては田舎であればあるほど日本は中國内にあると思い込んでいるフランス中華思想者が多すぎるでござる。

この時のダライ・ラマ師ご訪問のきっかけは、その数年前におらが町の市長さんがインド北部のダラムサラ Dharamsala でダライ・ラマさんにお目にかかり、おらが町で「チベット市」を開く計画があることを話したところ、ダライ・ラマさんが市長さんの目の前でご自分のアヂャンダを開き、何やらメモされたのだそうです。すたら、あーた、本当にその予定にあちらからお気軽極楽にいらしてしまったんですな。
ダライ・ラマさん、イイヒトでーす。(T_T)
しかも、ダライ・ラマ師の講演会の日にゃあ、こんなに人が集まった。
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この頃、フランスでは「ダライ・ラマは金集めが上手」と口にする人も結構いました。それはかつてマザー・テレサに対しても同じことを口にしている人がいたことを思い出させることですが、こういうことを言う方々は中道左派より左突き当たりまで「宗教信仰者=泥棒」、「宗教=集金手段」という単純刷り込みによる発言に過ぎません。おらが地元も揺ぎ無いPS居城として現在は知られています。

なぜ「現在は」なのかと言うと、今は中道左派で徹底政教分離で同性愛者も好んで引っ越してくる「おらが地元」ですが、かつては血みどろ中世史の舞台の中にあり、続いて太陽王ルイ14世 Louis XIV の愛妾妃がこの町に生まれ、その太陽王がこの町周辺に住む新教徒に旧教改宗を命じたところ彼らが応じなかったので虐殺してしまったり、フランス大革命においては革命政府からカトリック棄教を命じられた聖職者、修道者、市民がそれに逆らったがために殺されてしまったり、前世紀にはヴィシー政権が市役所乗っ取りをしユダヤ人迫害も行っている過去があります。宗教や人種で大量の赤い血が路地やら川面を流れた町なんですよ。こんな過去があるから、多くの人が先祖になんらかの形で虐殺された者を持っているから宗教アレルギーとなり、フランス社会党よりヒダリがこの町では愛されているとさえ言われています。今になって、この町に住む中道左派でありながら共産党より手前に座す「われこそは真の善良」と称す市民が「私共の町は仏教も、アジア人も受け入れます。ダライ・ラマ師がいらっしゃるくらいだから」と喧伝したところで、ダライ・ラマなる方が訪問する市についての予備知識も携えずにノコノコやってくるとは思えません。つまり、ダライ・ラマ師はフランスがどういう過去を持っている国か重々承知であり、そんな自慢できない過去を抱えた自称人権先進国が、ご自分が生きている今、こうして平和に迎えてくれるなら
それでいいぢゃないか
という、心の中の整理やら割り切りができているのではないでしょうか。現に、フランス共和国は 大革命当時のカトリック王党派への虐殺 については現在も多くを語らないままです(語れるわけがない)。肉体的にも霊的にも命に関わるほどの制約が在りすぎるチベットに今は戻れませんよ。帰還は悲願であるけれど、帰還のためには段取りも必要というのは所違えどイスラエル建国の前例でわかりすぎていることです。

さて、ダライ・ラマ師ですけれど、今年8月にはナント Nantes におみ足を運ばれます。
http://www.dalailama-nantes2008.fr/
今回のダライ・ラマ師の来仏も国賓扱いではないようです。
ダライ・ラマ師は8月15日から20日までいらっしゃり、講演会や仏教の生活文化指導などなさるようです。ノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ師の講演会はともかく、こんなはるか遠方の異教異文化の指導にフランスびとが集まるんか?と思ったりしちゃいますが、フランスにおけるチベット仏教の浸透度は日本國よりはるかに広く深く染み入っております。

b0070127_17551218.jpgなにを隠そう、ココんちのフランスびと♂もチベット仏教の修行をコートダヂュール某所で行い、得度し、名前までいただいています。証拠写真(→)ね。左がチベット仏教の得度証明書。このフランスびと♂と知りあって間もない頃、エクサンプロヴァンスのはずれの獣道の先にあるチベット仏教の隠遁所にも連れて行ってもらったことがある私です。
そういうナマな世界に接することがなくても、毎日曜日の朝8時過ぎにうっかり国営放送France 2 にチャンネルを合わせれば、仏教番組 Sagesses bouddhistes (仏教の智慧)が流れておりますわね。今のフランスにとって、チベット生活文化はフランスの普通の人々の普通の生活に浸透できる土台が日本國よりはるかに整っているように見えます。
cf. Union Bouddhiste de France http://www.bouddhisme-france.org/
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↑ チベット仏教のお祈りだそう ↑

きょうび21世紀、目に見える距離、人種、文化だけでは他者との関係の重さを計れないかもしれません。日本がそれらをあげてフランスに自らはチベットに詳しいと言ったところで、そりゃ、どーかな?です。第二次大戦後、政治亡命者、移民受け入れを積極的に行っているフランスにはチベット難民もいれば華僑もいるし、欧州系の人々の中にはチベット生活文化通もいれば、中國ヲタクもいます。そういう過去やら思考やら嗜好を持つ各個人が自由に爆発して意思表示できるのも現代フランスだからなのでしょうけれど、場合によってはヨソの国から派遣された第三者によって導火線に火をつけられているように見えます。だから、気味悪いのだな。

ダライ・ラマ師はチベット仏教の最長上さまであるのだからして、ご自分の思いを語れば、それはご自分の霊的兄弟の思いを代弁していると取られてしまうでしょう。ですが、この世にいながらにして世捨て人でもある僧侶が、この世で何を果たさねばならないのか。それはこの世のどこであっても祈ることでありましょう。それが、今のチベットではできない。今のフランスでは自由に祈ることができても、この先、自由に祈れるかどうかは誰にもわからんぞ。

この世には桃源郷はないのだろうか、ふとそう思いました。

le 10 mai 2008, Solange
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by ma_cocotte | 2008-05-10 17:03 | 『?』なたわ言 | Comments(10)
その一言で、彷徨える魂。
こんにち5月1日は Ascension アサンシオン(昇天祭)と呼ばれるキリスト教のお祭り日(ただし、移動祝祭日)でありました。

フランスでは朝9時から12時5分まで国営放送France 2 ではEmissions religieuses 宗教番組と称して、9時から正教会、10時からプロテスタント、11時からはカトリックの礼拝(ミサ)の生中継が放映されました。

そんな番組をぼーっと眺めながら、きょうはキリストが天に昇った日なのか、とあらためて思いつつ、今年の昇天祭は昨年とはちょっと違う思いが自分の心を過ぎっていることも確認しました。その違う思いを持ったのも2月の終わりに帰天した母がせいです。母の葬儀を終えてからも一か月実家にいたので、そこには母の骨壷があったので、母が小さくなってしまったのは目に見えてわかっても、不思議なもので母がいない寂しさを実感できないままでした。実家を離れ、フランスの家庭に戻り、母の骨壷に毎日手を合わすことができなくなってしばらく経ったところで、ようやく母が同じ大地にいない寂しさを実感し始めました。この頃は肉体を離れた母の魂がどこにいるのか、とふと思うようになりました。他人さまからは「神さまのそばにいる」、「あなたのそばにいつもいる」、「まだ煉獄かもしれない」などいろいろなお話も伺いました。私はお通夜や葬儀でお坊さま方から伺った母が極楽にいる、というお話を伺ったこともあり、それがなんとなく私の心も落ち着いていられるな、と思いつつも、まだ心が揺れ動いているのか、母を探し求めていたりします。生前、『銀ブラ』が大好きだった母でもあるので、いろいろな方の慰めの言葉を拝聴しつつ、母がどこに寄り道しようともいずれは極楽だか天国で落ち着いてくれれば、と思ったりもしています。

こうして昇天祭を迎えて、ふと思い出したのが、3月に或る方から「天国なんてないかもしれない。この世は楽しい。良いところだ。」と言われたことでした。その言葉を聞いたのは母の帰天から二七日(になのか、=14日)を過ぎてまもなくで、私は葬儀でのお坊さまがおっしゃった「母が極楽で待って、いずれ再会できる」という言葉に慰められていたし、子供の頃に耶蘇女学校で学んだとおり「私たちは死んだら、煉獄という場所で清めをし、いずれ天国に行き、永遠の休息に入る」ことも母がそうであればいいと内心思っていました。が、この「天国なんてないかもしれない。」云々を私に話した人がカトリック聖職者だったから、この言葉を聞くなり、私の母の霊魂はいったい今はどこに?と不安になってしまいました。母の帰天から二週間が過ぎ、天国だか極楽に母が既にいるなら娘の私としては安心ですし、もし母がまだ煉獄という場所にいるならば、かつて「煉獄にいる魂は自分のために祈れないから私たちの祈りが必要だ」と学んだので、毎日、母のために手を合わせるのがこの世に残る父と私の務めだと思います。実際、私が実家にいた一か月、私は母の身辺整理やら事務処理で動きっぱなしでしたが、看病を終え、母を見送った父はどこか気が抜けたまま、起きてから寝るまで母の骨壷と仮位牌の前で線香をともす、手を合わせる、言葉をかけるの繰り返しで、まるで坊主のようでした。生前の母が父の名前が「坊主臭いほど道徳的な名前」と失笑していたのを思い出しつつ、名は体を表はす、とはこのことなり~と思ったりもしましたが。

兎に角、キリスト教というか、カトリックならヒトには輪廻転生もなく、胎に生命が宿った瞬間から神秘が始まり、死なるものもこの世における最後の神秘のうちにあり、魂が身体から抜け帰天することで身体は朽ちるのだと私は思っていました。そして、カトリックの聖職者や修道者はこの世に生がありながらも、既に心身共に神に捧げ、この世に未練なんぞ最早ないのだと
....それって、勘違いだったのかな? ¢( ・_・) ? 
小学生の頃学んだ「宗教」という授業で、数多くのカトリック聖人伝を聞いたけれど、多くの聖人が「罪を犯すくらいなら死を」と祈って殉教したそうです。きょうび日本国内の聖職者も修道者も殉教を想定するような状況にはおかれていませんが、それでも日々の祈りの中で「一日も早く天国に招いてください」と凡人の私には理解に苦しむ祈りを捧げている方々が数多いらっさると漏れ聞いていたのですが。目に見えて楽しすぎるこの世に未練があって、他人に「天国がないかもしれない」と言う司祭。

あの日、神父さまから「天国はないかもしれない」と聞いた瞬間に、帰天してまもない母がどこかで迷子になっているのでは?と不安になりました。神父さまから「この世は楽しい」と聞けば、日本人女性の平均寿命が85歳だというのに73歳の若さでたったひとり天国に旅立った母がもう少しこの世にいた方が良かったのかな、とも思ってしまいました。そう思ったところで、この一年の母は寝たきりで思うように動けもしなければ、話すことさえ出来なかったけれど。そこに天国があるなら、母の魂は今頃、苦痛もなく、自由で幸せなのだろう、と思えますが、もし天国や極楽がなかったら私の母は今どこを彷徨っているのでしょうね?誰かが私に話してくれたように、母は今も私のそばにぴっとりと一緒にいるのでしょうか。それとも死んだら何もかも終わり、無なのでしょうか。

無ではないと思うな。
だって母の遺体を目の当たりにした時、魂がそこにないことがひっしりわかったもの。
それは心臓音や息遣い、ぬくもりとは関係なくて、魂が抜けているのがわかるのです。だから、魂なるものは「ある」と母の死を境に前にも増して強く実感しています。

死後、ヒトはどうなるのか?
こればかりは自分が死んでみなければ確認できないことですが、私は霊魂が永遠に憩える天国だか極楽なる場所があった方がいいと思うし、できればいつか私も母と天国で再会したいと思うのですが・・・・もし天国がなかったら、肉体と共に昇天したキリストや聖母は今、どちらにいらっしゃるのでしょうね?この世での使命を終えた魂が安らげるのが死でありましょうに、休む先がないというのは死してなお疲労するイメージしかわかなかったりします。
死んでも疲れるなら死にたくないかも。
誰にぶつけているつもりでもありませんけれど、ボヤいてみました。

le 1er mai 2008, Jérémie

TF1 のニュウスで流れたモン・サン・ミッシェルの様子です。
Le Mont Saint-Michel fête ses 1300 ans (4月30日@TF1)
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3837794,00-mont-saint-michel-fete-ans-.html
Le Mont Saint-Michel fête ses 1300 ans (5月1日@TF1)
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3837884,00-mont-saint-michel-fete-ans-.html
A chaque touriste son marchand フランス風門前町の様子(^_^)
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3837888,00-chaque-touriste-marchand-.html

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by ma_cocotte | 2008-05-01 23:04 | 『?』なたわ言 | Comments(12)
そう簡単に別れられない事情。
先の4月21日の夜、France 2 で放映された検証番組 Complément d'enquête のテーマは『北京オリンピック開催まで100日:邪魔されたオリンピック』というものでした。
ビデオはこちら(↓)
J -100 : des Jeux olympiques qui dérangent
mms://a988.v101995.c10199.e.vm.akamaistream.net/7/988/10199/3f97c7e6/ftvigrp.download.akamai.com/10199/sgv/diff/videotheque/info/videosemissions/videocomplement/43BC2_complement-enuete_20080421.wmv?
かなーり 面白かったです。

約一時間半強の番組の中でさらに4テーマのルポが紹介され、一本目が中國から、二本目がフランスから、三本目がメキシコとエイメリカから過去にボイコットしたことでの元選手のトラウマについて、四本目が2014年に冬季五輪が開催されるロシアからのレポートで、特に前半の二本が私個人としては興味深かったです。

一本目で紹介されたのは中國にフェンシング種目の監督として雇われたフランス人の話でした。当初、妻帯で中國に引っ越し、中國側が用意したすばらしい宿舎に住み始めたものの奥様は半年でフランスに帰国、現在、このコーチは単身で中國に残り、選手を育て続けています。画面前に披露された契約書には中國選手が金メダルを獲得した際の成功報酬についても明記されていました。この監督の中國ライフについてのルポの中で、ビデオでは開始後16分あたりで中國フェンシングチームの選手たちの生活ぶりが流れますが、中國某所にある巨大オリンピック選手養成訓練施設に缶詰になっている女性選手二人の寄宿生活が映し出され、テレビも見放題、インターネットも使いたい放題だとまず紹介はされますが、撮影スタッフが選手にチベットで何があったか知っているかと質問すると「海外遠征に行っていたので知らない」、続いてルームメイトである別の選手の発言が
Pour te dire que Ça me interesse pas. 
ぷる・とぅ・でぃいる・く・ さ・む・あんてれす・ぱっ!

この際言っとくけど、私、興味がない の。
щ(゚Д゚)щ こう、出たかぁあああああっっ! と、思いました。(・_・)
チベットで起こったことは「興味がない」で片付けられちゃうんだ。中國びとが言う「中國がひとつ」が本当なら、今回のチベット暴動はあきらかに動乱状態なんだから、海外遠征中だったとしても「真の中國びと」なら興味がわいちゃうンぢゃないの?ロジックが壊れてまへんか。いきなりブルヂョワが目の前でひけらかされていることを「見とーない、聞きとーない」と背中見せているような態度を取るとはゴルゴダの道のペトロで十分ぢゃなかろうか。あ、中國は真の政教分離国家だからこういうリンク付けは受け付けないンだった。
中國政府がオリンピック参加選手に与えている使命は「メダルを取ること」のみで、その理由付けはまったく選手の脳にインプットしていないそうです。彼らはメダルを取るなら何だってしちゃうし、メダルを取るのに邪魔なことは関わらないマシーンと化しているのだな。

さて、番組の二本目のルポルターヂュ。
こりは個人的にはワクワクするほど面白すぎでした。
なんてったって「国境無き記者団 Reporters sans Frontières(RSF)」の三人組が命綱もつけずにエッフェル塔にのぼり、例の黒手錠旗を掲げるまでのビデオが流れます。見ているこっちまでハツがドキドキ、息がハァハァしちゃう、まさに「事件は現場で起こってるんだ」であります。上のビデオでは開始後26分45秒あたりからRSF@パリについて流れ始めます。
....これ、下りる時の方がめっちゃくちゃ怖いよね。(((゜Д゜;;)))
お三方ともご無事で何よりでふ。
この「国境無き記者団 Reporters sans Frontières(RSF)」ですけれども、今回のチベット暴動がきっかけで北京オリンピック・ボイコットを騒ぎ始めたのではありません。彼らは1980年台から既に中國の報道のあり方について訴え続け、2001年7月13日、オリンピック委員会が2008年夏季オリンピックの開催地を北京とすることを宣言したと同時にボイコット活動を開始しているので、この3月は偶発的にチベット暴動が勃発したと言えます。この団体の長上であるロベール・メナール Robert Ménard 自身、1953年アルジェリアはオランで生まれたピエ・ノワール、つまりアルジェリア独立戦争でフランス本土に戻った「動乱の経験者」でありますが、彼が現在に至るまで中國に関して訴え続けていることは1980年に活動を開始してから、中國の独裁がなんら改善されていないことにあります。なぜこの国境を越えたRSFという組織が日本であまり知られてもいなければ発展しないかというと、国境なき記者団が日本國の記者クラブ制度を「排他的かつ報道の自由を阻害している」という鋭い主張をし続けているにもかかわらず、日本國の主要マスコミが無視し続けていることにあるらしいです。
___φ( ̄^ ̄ ) 恥ずかしいかも、ニホーン。
で、この国境なき記者団@おフランスと中道から左二番目に位置する全国紙おリベラシオン Libération さまが北京オリンピック開催日から遡ること6ヶ月前の2008年2月8日からオリンピック開会式の8月8日まで共同キャンペーンを続けており、毎週始めのおリベラシオンさまに国境なき記者団を支持する有名人が掲載されることになっております。その第一週目に登場された方がこの方(↓)
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きゃろる・ぶけー Carole Bouquet
Photo par AFP

写真は今年2月8日、キャンペーン開始初日、ポスター掲載初日にパリで中國人と一緒に撮影したものです。国境なき記者団のHPで毎週、新しいポスター掲載が更新され続けておりますがhttp://www.rsf.org/article.php3?id_article=25196、第二週に登場のヴァンサン・ペレス、第7週のエマニュエル・ベアール、第9週のヂェーン・バーキンあたりは日本國でもハツが高鳴る方が多いかと存じます。が、彼らはフランスでは左派系人道主義者で有名だったりします。聖火リレー当日にチベット市民支持集会にヂェーン・バーキンが参加していたことは誰もが知るところですが、エマニュエル・ベアールが大活躍しているのはチェチェン難民救済運動ですね。キャロル・ブケーに至っては、彼女は移民救済運動で首相府に拒まれたもんだから大統領府に直談判しちゃうほどの活動家だったりします。http://www.dailymotion.com/video/x4gzbt_envoye-special-carole-bouquet-sans_politics

私は今週まで14枚のポスターの中では第一週のキャロル・ブケーさまが一番好きでっす。
( ̄ε ̄)b  あ、その話ではありまへんでした。
パリの聖火リレーはオリンピック関係者のみでのリレーで、長野のように芸能人などの参加はありませんでした。国際だろうが内政だろうがヒトにまつわる諸問題についても日本國とフランスでは芸能人の関わり方が大きく異なると、今回のチベット暴動を境にあらためて実感した私でした。

そして、フランスと中國の関係は、神聖皇帝サルコぢサマのポケットがなぜか同時膨張する中國への偏愛だけでなく、中國内にフランスから出稼ぎに行って、中國政府に管理されている「人質」が多すぎかもしれません。カラスの行水のごとく安直に撤退は今のフランスにはできませんね。現在、フランスに寄生する中國からの大量の移住者に「フランスの自由を悪用するな」と厳しく主張する民間人は数多いますが、その逆はありません。中國内に住むフランスびとが中國に不満を持ってもそれを表明する自由はありません。先日、生討論番組 Ce soir (ou jamais!) に登場したパリでの中國人留学生による中國に賛同しないフランス人に対しての不満を表明するデモを主催した中國人女性は現中國が真の民主国家で自由を愛していることは貴方が中國に来ればわかる、と言っていました。自分達の世代が中國の政権を握った時に更なる理想が開花することを楽しみにしてくれ、とも。

チベット問題研究家のおぢちゃん(ヂャン・ポル・リブ Jean-Paul Ribes 氏)に「ああ、もういい。自分の言葉で語ってくれないか」とぼやかれてましたけれどね。私もそう思いました。北京の大学を卒業してからパリに留学できるほどの才を持つこの女性にはすこぶる暗記力はあっても、語句の意味がまるでわかっていません。
興味ないから なんでしょうね。

le 28 avril 2008, Valérie
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by ma_cocotte | 2008-04-28 23:50 | どろりんぴっく2008北京 | Comments(12)
やっぱり私は我が侭だから。
明日は4月24日です。
母が2月24日に帰天して2度目の24日、最後に入院してから丁度一年の日にあたります。一か月前の3月24日はまだ実家におりましたが、なぜかはるか昔のように感じたりもします。

仏蘭西は2月23日の深夜近く、日本國は24日の夜明けを迎えてまもなく、父から母が帰天した知らせをもらい、その直後からあらためて帰国準備に入りました。「あらためて」」と言うのも、その3週間ほど前に私は既に帰国計画を立てており、本当ならば2月27日の飛行機で帰省することになっていました。今振り返ると、24日日曜日は奇跡的に要領よく事務的に自分が動いていたと思います。

実家には26日の22時頃着きました。玄関を開けるとお香の香りとひんやりとした風を感じました。居間の介護用ベッドに横になっている母の両肩に大きなドライアイスが乗っていたことで室内まで冷蔵庫のように冷えていたようです。母はしばらく総合栄養流動食を摂っていたので、私が母に最後に会った時よりもふっくらしていました。でも、頭部は脳を献体したためガーゼとネットで覆われていました。

翌日午後2時過ぎに納棺でした。母はパジャマ姿で横になっており、父はこのまま納棺し、その上に洋服を乗せればよいという意見でしたが、母がおしゃれだったことを思うとパジャマ姿での旅立ちは可哀想で、母が気に入っていた洋服を着せていただき、その上に母が袖を通さないまましつけ糸の残ったままの色留袖を乗せました。昔ならば愛用の眼鏡やら、洋服に合わせた靴や鞄も納められたのに、今は火葬の都合で棺に入れることができませんでした。葬儀センターの方に勧められるまま、納棺の儀式を済ませました。ガーゼで母の身体を拭きましたが、母の足が冷たいとはいえふっくらしていたのがなぜかうれしかったことでもありました。

母の通夜と葬儀は近所の葬祭センターで行いました。お坊さまは父方のお寺のお坊さまが遠路はるばるいらしてくださいました。「父の妻」である母の葬儀だから「父方のお寺のお坊さま」がいらっしゃるのは当たり前の話ですが、実は母が生前、父方の家族を嫌って、実家そばのお寺にお墓を買っていました。父と母の間には私が生まれる前に男児がひとりおり、生後すぐ亡くなったものの初めての子だったので荼毘にふし、戒名もいただいていました。母は常々私にいずれ兄のお骨を自分が買ったお墓に移したい、と話していました。

恥ずかしながら、私は人生の半分過ぎた年齢になっても葬儀というものにあまり関わったことがなく、喪服さえ持っていません。当初、葬祭センターで借りるよう勧められましたが、母の喪服を着たら、太った今の私には丁度良いサイズでした。もしかしたらスカート丈が少し短いのかもしれませんが、膝が十分隠れていたので、母の喪服を着、自前の黒のカメリアのブローチを襟にそえてみました。

お経は浄土宗のものでした。遺族席の最前列に座るなんて私にとって初めての経験でしたが、お坊さまの所作を拝見したり、これほどお経に耳を澄まして聞き入ったのも初めてでした。不謹慎かもしれませんが、お経の御文が美しいと素直に思いました。いつかぢっくり自分の目で読んでみたいとも思いました。式の最後にお坊さまから母に与えられた戒名の説明と参列者へのお話があり、母が今は「お浄土」におりいずれ私たちは母に再会できると教えてくださいました。なんとなくこの考え方は、私が耶蘇女学校で学んだ死後の話と似ていると思いました。仏教について何も知らない私はこのお話を伺うまで仏教はどんな宗派も輪廻転生を信じているのかと思っていたので、母がお浄土に行ったままでこの世に戻ることはないというお坊さまのお話には驚きさえ感じました。

お通夜が終わり、お清めも済み、親戚も次から次へと帰宅し、父の二人の弟夫妻が葬祭センターの別室に泊まって、母の線香が途切れないように見守ってくださるということで、父と二人で実家に戻りました。父と私の間に母がいない私の実家になりました。

翌日は午前10時過ぎから葬儀でした。お通夜とは別のお坊さまがいらっしゃいました。若いお坊さまですが、声が良い、所作が美しい、お経の最後に歌を唄われたので驚きました。火葬場までもご一緒してくださり、母のことを待つ間、父と私の前にお坊さまが座られました。前夜、伺った「お浄土」のことを質問してみました。キリスト教と違うのは、浄土宗では輪廻転生の最後が「今の私たち」であって、この人生を最後に極楽浄土に行くのだそうです(もし間違っていたらごめんなさい)。
極楽浄土とは何(お浄土→極楽浄土)
浄土のもともとの意味は、仏国土つまり仏さまの国、世界ということであり、そこは清らかな幸せに満ち、そこに生まれるとどんな苦しみもないところで、例えば薬師如来の東方浄瑠璃世界、大日如来の密厳浄土など、いろいろな仏さまがそれぞれに浄土を築き、そこで説法していると説かれている。その中で極楽浄土は、西方浄土ともいわれ、他に極楽界、安養界(あんにょうかい)(土)などともいわれている。阿弥陀仏が仏になる前の法蔵菩薩の時に、「命ある者すべてを救いたい」と願って四十八の本願(ねがい)をたて、その願いが成就されて築かれた世界である。すなわち、阿弥陀仏が人々を救うためにお建てになった世界。どんな人々であろうとも、 念仏を唱えるならば、命終ののち生まれる(行きつく)ことができる永遠のやすらぎの世界。けがれや迷いが一切ない、真・善・美の極まった世界であるが、単に楽の極まった世界であると考えてはいけない。
われわれは浄土において、仏になるために菩薩行をつみ、やがて仏になることができるのである。 四十八の本願の第十八番目が「念仏往生の本願」といい、南無阿弥陀仏を口にとなえるものは、皆極楽に往生できると説かれている。『阿弥陀経』には、西方十万億土の彼方にある国と記されている。

cf. 浄土宗ホームページ http://www.jodo.or.jp/
その後、母方の大叔父に「ママはいずれどこかに別の形で、あなたの前に現れるかもしれないよ」と慰められましたが、それを聞いた私はちょっと考えて「それより、母が向こうで手を広げて待っていて欲しいと思います。」と返事しました。通夜の日、葬祭センターの方から銀色の折り紙を渡され、私から母への手紙を内側に書いて鶴を折ってください、と頼まれました。母の棺に入れる千羽鶴の千羽目が私の手で折った鶴なのだそうです。手紙には「いつか、いつものように、大きく手を振って、満面の笑顔で私の名前を呼んで抱きしめてください」と書きました。そうなりますように。私が折ったいびつな銀の鶴は母の首元に置かれました。

葬儀の翌日だったか、父は母が買った墓所があるお寺に母が亡くなったことと、母の骨を自分の先祖の墓に入れる旨を報告しに行きました。このお寺は真言宗で、父からの話を聞いたご住職はなぜ葬儀前に知らせなかったのだと激怒されたそうです。が、母はお墓を買い、お布施を振り込む用紙が来れば振込み続けていましたが、真言宗を信じてもいないし、真言宗の中身を知ろうともせず、結婚するまで母の実家で拝んでいたお経を唱えつつ、毎朝晩、仏壇に手を合わせていました。そんなことを知っている娘としては浄土宗にも真言宗にも申し訳なく思ったりもします。生前、母が望んでいた兄のお骨を移すにしても、浄土宗のお寺でまず拝んでいただき、その後、真言宗のお寺で拝んでいただかなければお骨を移動することも納めることもできないのだそうです。

まだまだ私には知らないことがいっぱいあります。

一か月間の実家滞在中は、目が開いていれば常に「次に何をしなければならないのか」ばかり考えていました。もしかしたら睡眠中も考えていたかもしれません。逆に済ませたことを確認する余裕がなく、今になって思い出せることも断片的で自分の精神がいかに浮遊していたのか実感しています。特に実家滞在4週目に入る頃は、不思議の国のアリスに登場するウサギさんのように「時間がない、時間がない」という言葉しか口から出てきませんでした。心のあり方を上手に表現できませんが「時間はあるのですが時間がない」という感覚です。焦りでしょうか。いや、あと一週間あればなんとかなりそうだ、という目測はたてられたので焦りではありませんね。過去に秘書職なんぞ勤めたせいか、計画を立てられても、それを要領よく遂行できなかった私に非があります。できなかったことは次回帰国で必ず、と父に言い訳して実家を出ました。

こちらに戻ってからデジカメの中を確認すると、無礼にも通夜の晩、私が撮った母の祭壇の写真が2枚出てきました。当日はきれいに祭壇を設えていただいたことに感動して、写真に納めたのでしょうが、今になって写真には母が納まっていた棺まで映っていることに気付き、正面から見る勇気もありません。このお棺も、中にいた人も、今はもう何もないのだと思うと胸が締め付けられる思いがしますし、今更、母が献体した脳がどうなっているのか心配になったりもしています。先日、遊びに行ったおうちに暖炉があり、そこに紅茶の箱が投げ入れられて燃える様を見るくらいつらいことはありませんでした。

先の4月13日は四十九日にあたりましたが、父が母の遺骨と仮の位牌と作りたての位牌を持って、お寺に行き、供養していただきました。本当ならこの日に納骨ですが、墓を直している最中なので納骨は秋を迎える頃になります。遺骨をお寺に預けることもできますが、父は納骨まで母には実家にいてもらいたいのだそうで、その日までは父における喪中なのだそうです。毎週日曜日、こちらの早朝に父から電話がありますが、20日の電話で、私が滞在中に済ませた香典返しの手配が四十九日を過ぎたことで無事届けられていることも知り、ひと安心しました。香典返しについても私は無知で、母が愛していた百貨店を訪ねて、専門とされる方から何から何まで教えていただき、なんとか非礼なく済ませることができ...たと思います。

「次にしなければならないこと」ばかり考えていた私も、四十九日近くなったあたりから、台所に自分が立って調理しているとふと母が料理を作っている姿を思い出したり、母が病気になってから既に無理だとわかっているのに帰天してもなお母の手料理をもう一度食べてみたくなる衝動に駆られることが多くなりました。町を歩けば、ああ、母が横にいてくれたら、母にこのウインドウを見せたい、とふと思ってしまったりもします。そして毎晩、床に就けば、丸い地球の上をいくら歩いても、泳いでも、同じ大地に母がいないことを実感し、子供のようにメソメソしてしまうようになりました。何もかも私の我が侭ですよね。今、こうしてタイプしていても涙が出てしまいます。もしかしたらそろそろ「泣く時期」に突入したのかな。私にとって初めての経験ですから、身をもって知るしかないのでしょう。

生まれてから現在に至るまで私が泣けば頭ごなしに「泣くな!」としか言わなかった父のもとで育った私が、今は「泣け、泣け」と言う夫と暮らしているのも不思議な気がします。

私が「次にしなければならないこと」を見つければ、泣く暇もなくなるし、叶いもしない我が侭な思いを浮かべることもなくなりますね、きっと。

le 23 avril 2008, Georges
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by ma_cocotte | 2008-04-23 15:26 | 『?』なたわ言 | Comments(21)
次は7月のシドニーだな。___φ( ̄^ ̄ )
そして、その次の次は9月のルールドォ。ヾ(o゚ω゚o)ノ゙ ヾ(o゚ω゚o)ノ゙ヾ(o゚ω゚o)ノ゙ ヾ(o゚ω゚o)ノ゙
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これまた、加工まで時間の問題であります「手のひらビームなB16」 Photo/getty

ローマ教皇B16の外遊計画でございますね。9月とは発表になっていても、日付が未発表なのです。妄想X-dayは8日、14日なので、月の前半の2週どちらかなんでありまふが。8月15日ご訪問と固ゆで卵どころかピータン状態で確信していたので、9月というKW爆弾で脳内真っ白になっての再妄想です。昨年12月末にバチカンまで勲章欲しさに訪れた神聖皇帝サルちゃん が9月のルルド巡礼の際にB16がパリに寄られるよう畏れも知らずに話したそうなので、B16がパリに上られる可能性もあるかもしれません。

ま、それは9月のルルド巡礼についてはひと夏超えた向こうのことなので横に置いておいて、昨日までの「赤い靴を履いた男の子 ヂョゼフ」のお話。
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Photo par AFP/Tim Sloan

主人公ヂョゼフが白いケープの上に白いケープをまとっていたこともヂョゼフを語る上での忘れてはならないことです。
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Photo par The Catholic University of America

このダマスコ絹にホワホワ毛皮フリンジ、背後から眺めれば黄金の巻きロープが一本のお召し物はモッゼッタ Mozzetta と呼ばれるもので1960年代後半以降、教皇さまがお召しにならなくなったそうです。(そういや、赤いモッゼッタをお召しのハンプティダンプティJXXIIIのお写真をどこぞで見た記憶がおぢゃる)。このまま行くと教皇冠・・・いや、それはないだろう。
cf. Catholic Encyclopedia (1913)/Mozzetta

昨晩はインターネットでヤンキーズスタヂアムでの主日ミサのナマ中継をヲッチ。前回のB16外遊までは KTO (←カテオまたはカトと呼ばれている)というフランスのHPでヲッチしていましたが、なんと改悪(つーか、リュスティヂェさんが帰天して、リカールさんから23(=Vingt-trois)に仏国内長上の座が譲られてから、インターネット上のカト関連HPが全て改悪されていたりなんかするのですが)されてしまったので、今回の外遊は ETWN を主にヲッカケさせていただきました。

かつて耶蘇女学校におりました頃、英語の授業前に必ず英語で祈ることになっていたので、卒業して半万年過ぎようと英語での祝詞を聞いているうちに自然に一緒に唱えられることにヴぃっくりしたりもしましたが、In the Name, of the Father, of the Holy....に続いて、私が Ghost とつぶやいたら、B16が Spirit とおっしゃった。Σ( ̄△ ̄; アイヤー。

...ビンゴできませんでした。そんな前世紀の遺物な私ですけれど、
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Photo par Getty

こんな写真(↑)を見っけ。19日土曜日の聖パトリック大聖堂近くでイカが豊漁だったようです。素人には時代設定の難しい一枚ですな。100年の誤差では見定められまい。(大げさ
聖パトリック大聖堂でのごミサも ETWN でヲッチしましたけれど、B16が到着してまもなく聖堂を抜ける際に流れたのが「くりすとぅす・ヴぃんちと Christus vincit 」というラテン語合唱聖歌でしたけれど、オーケストラが奏でるとヘンデルが作曲したかのような、どこか勇ましい勢いを持った雰囲気を醸し出すものですね。閉祭では「われ神をほめ(聖歌集12番)」が唄われていました。これは聖歌集を開かなくても2番までなら唄えるかも。画面を眺めていたら、黒スータンに白エプロン(=スルプリ)の男性がガッツポーズですばらしい垂直飛びを繰り返していたり、保守的な装いのシスターが護衛の横からスライディングで教皇さまタッチするなんぞ男女共に体育会系な様子を拝見しておりますと、エイメリカのローマン・カトリックは諸々の問題があっても、まだ勢いがあるように見えました。

ま、向き合わなくちゃならない問題があります。その問題に立ち向かうにしても山の裾野を廻るような楽を選ばず、苦があっても山を登り、下っていただきたいですね。フランスのニュウスで流れた関連報道を見て、そう思いました。
Victimes de prêtres pédophiles américains, ils témoignent
http://videos.tf1.fr/infos/media/jt/0,,3825731,00-victimes-pretres-pedophiles-americains-ils-temoignent-.html
約3000人のカト司祭が告発されているってぇのは・・・いやはや。( ̄人 ̄)

le 21 avril 2008, Anselme

20日で萌え尽きましたけれども、しばらくは装束研究でもすっかな。
ココんちの近所でこんな肖像画をめっけますた。
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水色のモッゼッタってなんなのーっっ!?  (;`O´)o

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by ma_cocotte | 2008-04-21 19:44 | Vive le pape! | Comments(2)
あなた、どこの誰? D'où venez-vous? Where do you come from? 
4月12日から5月5日まで、共和国内はABCの3ゾーンで2週間ずつに分け、春休みに入っています。花の都おパリとその周辺のお子たちはこんにち19日から春休みが始まります。
この一か月、フランス国内で話題になったのは共和国内各地で催された中高生による、教育制度改正反対デモでした。
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2008年4月15日パリ市内の中高生デモ Photo par TF1/LCI

この一か月、私の小耳に挟んだ教育改革は、高校の修業年数を目的の違いなく3年に統一すること(現在は2年制高校が存在)、もうひとつは9月の新年度から教員数を削減することです。政府側の話では生徒数が減少した故、教員11,200人(このうち8,830人が中高教員)を削減するという計画です。ま、これにご不満な中高生がデモという形で意思表示をしたのですね。フランス共和国においてデモを行うのは共和国民に平らに等しく与えられた権利ですので、事前に開催日や規模などを地元警察に申請すればデモれます。こんにちまでの3週間でニュウスになるほどの中高生による大規模デモが行われたのは6回になります。共和国内の主だった高校生組合によりますと l'Union nationale lycéenne (UNL)の発表では40,000人が参加、la Fédération indépendante et démocratique lycéenne (FIDL) では50,000人が参加したと発表しています(ただし、これらの数字に対し警察は13,000人規模であったと発表)。

フランス政府が発表した改正案を知ったことで、フランスに納税しており、フランスの恩恵を受けている者が喜怒哀楽をデモにして手続やら段取りを踏んで表現するというのは共和国内の誰もが納得することです。循環ロジックになっております。

ですがね、先日のアノ話。

そう、パリ市内で行われた聖火リレーです。2週間近く経った今でも相変わらず尾を引いたままで、中國ではパリでの聖火リレーが上手く行かなかったのはフランスの責任という理由でフランス系庶民向け百貨店6店舗での不買運動が始まったとか。
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中國国内でのフランス批判デモ Photo par AFP

19日お昼のニュウスでも中國国内のインターネット利用者による不買運動街頭抗議行動の様子が流れました。なぜまたネット利用者とアピールせねばならんのでせうかね。おフランスのナレーターが中國では国民によるデモが認められていないのに、こうしてデモができるということはどういうことなのか考えて欲しいと言っていました。
¢( ・_・) ハテ?

.......しばし。


( ̄口 ̄;)!! あ、政府がさせてるデモってことね? 

ε= (´∞` ) アホクサ。註:日本の新聞では中国内のデモは許可制と書かれていたりします。
しかも、胡錦濤さまは2005年4月の反日デモ同様、無秩序な破壊につながる大規模デモを全力で封じ込めるとおっしゃっているとか。そんなことをおっしゃりながら、フランス大使館前に、「チベットは中国のもの」と中国語、フランス語で書かれたステッカーを貼った車両約15台が通り、沿道の窓からは五星紅旗が振られて国歌斉唱。主張させてから抑えるってか。そこまでのシナリオができているのかもね。出演料はいくらなんだろう。ε= (´∞` ) ぼふぼふ。

そもそも4月7日、花の都はおパリで聖火リレーの沿道を陣取っていたみんなたちですが、
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このヒトたち、どこから来て、どこに消えたンでしょうか?
写真ぢゃわかりませんね。
今一度、ビデオで見てみます?
La flamme olympique fortement chahutée à Paris par TF1
http://videos.tf1.fr/infos/media/jt/0,,3809774,00-flamme-olympique-fortement-chahutee-paris-.html

Les militants pro-Tibet s'invitent sur le parcours de la flamme par TF1
http://videos.tf1.fr/infos/media/jt/0,,3809782,00-militants-pro-tibet-invitent-sur-parcours-flamme-.html
ココはフランスなのに、なんで目に入るものも耳に聞こえてくるものも英語なんでしょね?
で、この警察に引き摺られつつ咄嗟の判断で英語をしゃべる人たちがデモに参加できるよう役所の手続したのは誰なんでしょね? 
ちなみに上のビデオ二本目のタイトル"Les militants pro-Tibet s'invitent sur le parcours de la flamme" を訳せば、「聖火リレーの沿道に呼ばれないのに押しかけるチベット贔屓の闘士(活動家)たち」となります。お呼びでないのか。こりゃまた失礼しました。

しかも、聖火がフランスを去ると同時に、英語をしゃべる彼らも消えちゃったぢゃないの?

フランス語を話す連中だって怪しいもんです。
中國内の大学でフランス語を専攻するおにいさんもおねいさんもさぞかし楽しい修学旅行だったでしょう。フランス語が流暢な中國の方々も使命を果たしたことで、共和国内のそれぞれの持ち場に戻ったようです。お疲れさまですよね、サルコぢがご贔屓の中國サマと技術&商業提携している各企業に、中国語が堪能ということで在仏中國人留学生がそのまま就職し、こんな自分をフランスに行けるように、長期間住めるようにしてくださった「愛する本国」から出張の命令連絡があれば喜んで馳せ参じるんですもん。cf. やっと来れたので帰らない中國姐たち

長野での聖火リレーは1週間後、26日です。

全国の中国留学生、長野に集結計画 聖火リレー応援で
2008年04月18日18時44分

 長野市で26日にある北京五輪の聖火リレーに、日本全国から大勢の中国人留学生らが応援に駆けつける計画を立てている。全日本中国留学生学友会などの呼びかけで、すでに500~600人が参加を申し込んでいるという。
 同会によると、参加するのは全国の100前後の大学の中国人留学生やOB・OGらで、最終的には約2千人の参加を見込んでいる。東京など首都圏からはバスを借り切って長野に向かい、日中の国旗や五輪の旗を振って聖火リレーを沿道から応援するという。
 同会の李光哲会長(36)は「五輪の平和の理念を広め、中日の友好を促進するための活動」と強調。反対派などと衝突しても暴力は避け、「日本の警察当局にゆだねる」と述べた。
 一方、別の在日中国人の団体も大阪、京都、広島などから長野に向かう計画を進めており、千人以上が参加する予定という。


http://www.asahi.com/national/update/0418/OSK200804180058.html



どっかで既に繰り広げられた事実と似て遠からぢなお話ですけれど、愛国心の大波が長野に押し寄せることになるのでしょうか。英語が上手なプロちゃんも日本ならば日本語で叫ぶのかなあ。フランスぢゃバレちゃったもんね。こちとら、デモ慣れしてんだよっっ。ヾ(`◇´)
日本國内とは言え、治外法権下での主催国の好き嫌いに日本人が精一杯気を使った聖火リレーになるかもしれません。中國に関わる皆さま方に日本國でのショウに満足していただけたら、現在フランスがされているようなことを中國内で日本國(関連企業、役所)がされることはないでせう。国境も時空も超えてピョンピョンお気軽に飛んで騒いでいることだけが現代を感じる話です。中國内?暗黒の中世時代のようなもんだーね。

le 19 avril 2008, Emma

【ついでに】 国営放送France 5 で繰り返し放映されている Pekin 2008, Double jeux というスイスメイドのドキュメンタリーですが、中國内での北京オリンピック関連報道規制の様子の隠し撮りなのですよ。抜粋版ですが、コチラ。面白いですよ。どうも”Human Rights”というKWで難聴になるみたいです。どはははは。ご笑覧くださいませ。
http://www.dailymotion.com/video/x4v3hu_doubles-jeux-extrait_news
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by ma_cocotte | 2008-04-19 21:44 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(8)
21世紀から8年経っても、公私混同。
先日、ココんちに日仏夫婦が来ました。
双方の留学先であるエイメリカで出会い、恋に落ち、子供を産み、フランスに戻ってきた二人であります。英語学を主に言語&音声学の片割れとこんぴーた関係の専門家であるもう片方です。こんな田舎にそんなのがいるのか!? いたりするのがフランスです。都会に住めない、住みたくないフランスびとって多いのです。「なぜ田舎がいいの?」と質問したところで「それはフランスが美しいからさ」と返答してきます。

昨年末からどうもココんちのこんぴーたの調子が心身共に悪いのです。こんぴーたの「身」は箱でありますが、どうも箱の中身に納まっているハツ(心)もよろしくない。画面に変な情報ばかり紹介してきやがったりします。しかも私が専門としていることでも画面から提供される情報で脳内便秘状態になっていたので、ここぞとばかりにこの夫婦にずずずいーっと話してみました。話してみるものですね。私にとって難しいことも、彼らにとっては取るに足りないことなのです。ココんちのこんぴーたの前でお二人がかわりばんこにピコチコいぢられて、こんぴーたの問題も、私がわからなかったことも画面の向こうに叩きつけていました。「ま、2、3日様子を見ることです。相手の反応を待ちましょう」と医者のようなことを言って彼らは帰って行きました。相手の反応次第で次の対応をするそうです。
先生、ありがとうございました。
わからないことは知ったかぶりしないで師と仰ぐ、先輩と慕う人に話せば済むことですね。ああ、すっきり。そこに愛があれば必ずや力になってくれるものです。今日、まい・こんぴーたの画面が反応を知らせてきましたが、どうも先生の投薬は効き目がなかったようです。また先生に荒い治療してもらわねばなりません。敵は毒。根こそぎ溶かすのがいいような気もいたします。

そんな治療をまい・こんぴーたにお二人で行っている間に、我らが地元の話題になりました。

私が一か月ほど日本にいた間に共和国内で統一地方選挙が行われました。3月9日だったと思います。私は選挙権を持たないガイジンですし、ココ新天地はフランス社会党が絶対の地盤で無敵ということもあり興味がありませんでしたが、どうも市長が代わり、前市長と同じフランス社会党(PS)党員の女性議員が新市長となったそうです。前市長は選挙直前にいきなり社会党から推薦を断られたんだって。...知らなかったねー。ココんちの夫Pからメールで「選挙はくだらなかった。ぼふ。」と報告があり、母のことで精一杯だった私は彼に突っ込みも入れないまま忘れ去っていたのです。(●`皿´ ●#) キィーッ 何で教えてくれなかったのよっ!と叫んでみたところ、「ほら、大統領選の時だったかウチの呼び鈴を鳴らしてビラを置いていったマダムが市長になったんだよ」とポツリ。ええ、あの人があ?

で、雑談。
今週になって、この女性新市長が突然、町外れに建設中の市営サッカー場の工事を中止すると発表したのです。理由は お金がない。
そうだと思います。というのは、このサッカー場はもし2012年にパリ・オリンピックが実現したら予選会場のひとつとして使用される予定でした。ところが、パリは落選し、ロンドンがオリンピック開催地となりました。だから期待していた予算が入らなくなってしまったのでしょう。こんな小都市ではその埋め合わせは難しいです。それも世界中で注目されるようなフランス一部リーグを抱える都市ならともかく、なんだかヨレヨレのひなびたしょぼしょぼサッカーチームですし、そのチームを養っているのだって市なんですからして。

ところが、話はまだありました。そのヨレしょぼサッカーチームのホームグラウンドにはある人物の名前が掲げられていますが、この新市長さんと同じ苗字なのです。そう、二人は親子。彼女のパパもかつてこの市の市長であったので名前がサッカー場に冠されたのです。
( ̄ε ̄)b  はっはーん。そういうことかあ。
どういうことかというと、建設予定の新スタヂアムには新しい名称があり、市長の父親の名前が冠されるわけではありません。新しいスタヂアムの建設は前市長から引き継がれた借金事業であり、ここらで一発、お金がかかる引継ぎは早期切捨てにして市民にまわすわよ!と宣言した方が投票時の人気を一日でも長く維持できるし、なんてったって愛するパパの名前がついた現在のスタヂアムが使用され続ければパパは市民に愛される日向のパパのままであります。娘としては市長になる前からスタヂアム建設は面白くなかったわけだ。


しらーーーーーーー。


こういう話、私は苦手です。20世紀に飛鳥時代な政治屋だったマルコスで十分。ところが、意外にもフランスびとというのはこの手の人情話にウルウルしたりします。「市長はパパ思いなのねー」。十戒に「父母を敬えってあるもんね」。それでも頷けねーなー。こんな話、地位を得たがために公私混同しているどっかのサルコぢと同じです。所属政党は違えど、共和国の統領がああだから、ココの市長もこうなのきゃっ?
ココんちは市の最も外環に位置しており、目の前の草原も今週から更に外環を広げるために工事が始まりました。分譲住宅と道路が建設されることになっています。その草原の果てにはスタヂアム建設のために使用されている大クレーンの長い首が見えますし、ココんちのそばに造られる道路はスタヂアムに真直ぐ続く道だという説明も聞いていました。それが新しい市長の一存でドボチョンです。この計画変更は国営放送の地方局ニュウスにしっかり流れました。あの建設途中の状態のまま放置されるのでしょうか。

こんないとも簡単に計画をへし折れるなんて、むっかーし都庁でなかったっけ?
あれは選挙公約だったからよろしなのかしら?
新市長の決断にムッとした私に更にムッとする話を教えてくれたお客さん。
それは今回の統一地方選であのアラン・ジュペ Alain Juppé がまた当選し、ボルドー市長の椅子に座ったこと。ボルドー市民、どうかしていませんか?56,62%で当選とは言え、当選は当選です。横領したおっちゃん以外に誰かいないの?いるよねぇ、フランスの5大都市のひとつでしょう? cf. 誰がジュペを思わざる。ヽ(`Д´)ノ

シラク前大統領の裏献金話も本人の健康状態が理由でモヨモヨのままですし、サルコぢ大統領の御世になって11か月、どうもフランスが歴史を逆行しているように思えてなりません。あの日、チューしていたサルコぢとセシリアちゃんも今は新しい伴侶と新しい生活に入っているのにね。私たちはこの国のエラい人たちの私事都合で好き勝手にこねくり回されています。
ほんと、日毎、住みにくくなっています。
この頃は「サルコぢ」と誰かが言えば「あの嘘つき」と返答する会話をよく耳にします。彼の人気は尽きても任期は残り4年です。強い対抗馬が出ないままのボルドーみたいなことになりませんように。

le 18 avril 2008, Parfait
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by ma_cocotte | 2008-04-18 04:55 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)