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ああ、勘違い -Land of Hope and Glory-
少女の頃から気分が落ち込んだ時に聞いていたりなんかします。
エルガーの「威風堂々」 Land of Hope and Glory by Edward ELGER
きょうびYouTubeがございますので、お天気やら世知辛いことで気分が滅入ったら、
これ ↓ (どうぞ画面をクリック!)を見るようにしています。




ど、アホや、エゲレスびと....
今日の今日までこの勘違いが受け継がれてエゲレスびとは生きているンだなあ。
この映像を見るたびに、
留学先でハメをはずすのはエゲレス人とドイツ人
という定説を思い出し、この目でしかと英國人についてはそれが事実であると確認するのであります。実に幸せそうに、楽しそうにみんなでぴょこぴょこ、みぴょこぴょこしてますよね。パピヨンにタキシードをお召しなのに両こめかみにユニオン・ヂャックをはためかせたら、赤塚富士夫の世界になっちゃうんですけれど...。
それにしても気になるぞ、最前列のヴァチカンの国旗。
気持ちよく大きく振ってらっしゃる方のお首元がパピヨンではなくて白一文字のローマンカラーだったら大爆笑ですけれど、この自己中心的、独善の「ああ、勘違い」な雰囲気、

好きだわぁああああ。


まここっつぁんの夢は死ぬまでにこのロイヤル・アルバート・ホールの特上席に、頭の天辺から足のつま先までぬかりなくめかし込んで、日の丸持って、上下にぴょこぴょこすることでさーね。

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このぉ、身の程知らずめがっっ!


b0070127_1873021.gif単なる夢でごぜぇます、どうかおゆるしを。

もしこの夢の日を迎えるとしたら数日前から徹底的禁欲をしないと、同じ場に集う大英帝國民とはひとつになれないまま「夜明け前のハイド氏」になっちゃいそうざます。偽善はこういう愛国心ソングで発散しちゃうとよろし。他人が見ると「愛国のあまり発散しているんだ」にしか見えないという、ああ、勘違い。脳内便秘をすっきりさせるにはめかし込んではじけちゃいましょう。

le 17 janvier 2009, Roseline

さあ、みんなたち。はじけきっちゃいましょー!
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by ma_cocotte | 2009-01-17 18:50 | 『?』な大英帝國 | Comments(2)
開けたいけれど、
開けられない。
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なぜなら、こんなに愛らしく包まれたモノをほぐす気持になれないのです。
日本國に住んでいた頃ならば丁寧な包みは私には当たり前で、時に破り開け、リボンや包装紙をポイっとゴミ箱に捨てました。でも、今の私にはリボンも包装紙も貴重で、ましてこのように丁寧に美しくおめかしした物体はそのものが私には飾り物です。

実はこの包み。昨年末、クリスマス直前に近所のBIOショップで私が私のために買い物したのに、店員さんからこんな時季でせっかくなので包ませて欲しいとせがまれ、私がそれを聞き入れたことで、このような仏蘭西のド田舎のド庶民生活では滅多にお目にかかれない貴重な包みがココんちにやって来たのでした。

確か中学時代の公民の授業と記憶していますが、紙の価値について習いました。特に各国の紙幣を見ればその国の紙の価値と貧富の程がわかる、と。仏蘭西では今も庶民の生活で普通に見るお札は50ユーロ以下のお札でしょうか。その50ユーロのお札さえ、何の気なしに店員さんに渡すと真偽のほどを確かめられたり、時には拒まれたりもします。自分はお札を丁寧に扱っているつもりでも、買い物の釣銭でセロハンテープでつなげた5ユーロ札が手渡されることもあります。日本びとの私はそれを受け取ったところで、別のところで使用を拒まれそうな気がして、この運命に憂鬱になることもあります。日本國のお札がここまでヨレヨレだったりセロテープでつなげられた状態で動いていることは滅多にないと思います。
こんなヨレヨレの怪しい紙幣が出回ったり、価値のあるお札を手に取ったら真偽を疑われたりする国で、文房具売り場にふらっと行けばノートにしろ、コピー用紙にしろ日本の同等のデザインのものに比べたらべらぼうに高いことも実感します。かわいい!なんて思わず叫んで手に取れるようなデザインなんてまずなくて、実用的なスタビロ(蛍光ペン)が日本びとの視覚にはたまたまかわいいツボにはまる程度ぢゃないでしょうか。消しゴムなんて臭いをかいぢゃダメよ。

そんな仏蘭西共和国ですから、日本びととサルコぢ一家が喜んで飛び込むような高級店以外で紙を惜しげなく使った包装なんてしていただけることは滅多にございません。てか、店員もそんなことは「私の仕事から外れたこと」という意識が強かったりします。こちらが買ったものはビニール袋にポン!と買った私が入れることさえございます。ほんと、時節柄、店員さんご本人にモチベーションがない限り、こんな「お包みしましょうか?ぜひ私に包ませてください」なんて申し出はありえなーい。

でも、こうして仏蘭西の日常から物資が豊か過ぎるわが母国日本國について私なりにわかることができたこともこういう時代だからこそ幸運、好運なのかもしれません。先日も外国滞在者向け通販で買い物をし、丁寧に梱包された商品が日本からココんちに届きましたが、上質のダンボールも封筒も、商品を守るために包んだパッキンや発泡スチロールも今の私には宝石のように見えます。こちらでは簡単に手に入らないものなので、折りたたんで、いつか私から何か発送する時に使えるよう押入れにしまいました。
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1月も16日。早くも半月を過ぎたので、いい加減、リボンをほぐしてパッケージを開けた方がいいですね。仏蘭西びとみたいにビリビリなんて私にはできないや。
そんなことを思いつつ、リビングのクリスマスの飾りつけの片づけをしました。

le 16 janvier 2009, Marcel
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by ma_cocotte | 2009-01-16 18:52 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
ヒトを分けるヒト。
新年第一日目、ココんちあたりはそれはそれは寒い一日でありました。
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Photo par AFP


ここまで空気が冷え込んだのも、年末恒例の大統領から共和国民へのメサーヂュ Les voeux du Président の内容が冷え冷えした内容だったからでしょうか。「まもなく迎える2009年は厳しい年になります。今から我が臣民も覚悟のほど」って、あーた。その内容以前にこの恒例の挨拶が録画で流れることの方がまず31日の朝からニュウスで繰り返し流されていました。録画できる時代であっても、これまでの大統領は生放送で画面の向こうの臣民とお目目が合うように語りかけるスタイルが恒例だったのに、これまた賢愚帝サルコぢによる伝統破壊です。しかも、31日夜に流れたビデオはたった一時間前に撮られたものとされています。内容も暗いけど、サルコぢのドーランも妙に黒いと思ったのは私だけでしょうか。

この賢愚帝サルコぢ一世が週明けにイスラエルに行くそうです。
今回に限ったことぢゃござんせんが、ノーベル平和賞にちびっとでもつながりそうな件にはどこでも「仲介役ならお任せを」とすっ飛んで行くサルコぢ大統領閣下ですね。ナリワイが弁護士だからでしょうか。ただ賢愚帝は国際読みが天才的に音痴なんで、日中関係につきましては日本贔屓のシラク氏から大統領候補権を奪いたいがために日本國をけなして中國サマに取り入り、おん自ら中国サマの犬になりました。で、今はチベットというキーワードで必ず起爆する中國サマに嫌がらせを受けているサルたんです。それにしてもサルコぢって病的にタイトル&勲章が好きだよね。


........あ、ここで思い出した。
大統領はクリスマス前後を真夏のブラジルで今のところ寵愛中の妃カルッラちゃんと過ごしたんだっけ。クリスマスを仏蘭西の国父母陛下が国外で過ごすのも伝統破壊だったりする。


前回の大統領選挙戦 を振り返ると、ニコラ・サルコぢは代々フランス人であろうと移民であろうと働いて、税金を納め、順法すればフランスにいられるのだ、と、共和国で成功を収め裕福になった移民一世、二世の有名人を前後左右に従えて主張しました。対するフランス社会党側はもしセゴ姐が共和国大統領になったら国籍を持っていない長期滞在者にも選挙権を等しく与える、なーんて党員を使って噂を流しました。ココんちあたりは社会党が強いので、もちろん私の耳にも届いて、というか、はっきり選挙権のない私にセゴ姐を選ぶように勧められたンですが(爆笑)、そんなことが実現したら国が亡くなるともわかってねーのか、おい!と内心怒りつつ、ちびサルを選ぶしかないのかとガイジンの私でも思わざるを得なくなりました。結果としてサルが賢愚帝になんかなって、二度目の年末を迎えてよーくわかったことはサルコぢが欧州びとも移民も等しく「できるヒト」と「できないヒト」に選り分けてしまったことです。「働けるヒト、働けないヒト」「買えるヒト、買えないヒト」などなど、賢愚帝サルコぢが望んでいることを「自分が望んだことを実現できないヒト」はサルの目にも入っていません。入ったところでごみ同様に目薬の助けを借りて涙と一緒に落とされるだけ。それなのに、ついにいきなり選り分けた共和国民をひとつに束ねて「2009年は全員覚悟しろ」って。だったらブラジルで公務を終えたらすぐ戻ってらっしゃいませよ。この異常な寒さで連日凍死者数がニュウスで発表されるほどなのに。寝ずに彼らの生命を守るために奉仕する共和国民の活動がテレビ画面に映し出されているのに。共和国内は大統領の役目でなく首相一任だとするなら、年末の挨拶も伝統破壊して、フィヨン首相が共和国民へ語りかける挨拶番組をナマで流していただきたかったっす。

なんだか日本びとの私には喪服をお召しに見えるドス黒い大統領閣下をお見上げ申し上げながら、閣下の臣民への言葉を拝聴して一夜明けてのニュウスが「パスポート作成費用がこの2009年1月1日付で60ユーロから89ユーロに値上がりします。」
がっくーん。凄い値上がり率ぢゃああありませんか。
「この金額では共和国民も今まで以上に海外旅行が遠のきますね」とつぶやいたニュウスキャスターがいましたね。欧州国内でもっとも海外旅行をしない民を抱えているのが仏蘭西だそうですけれど、海外旅行さえ「できるヒト」と「できないヒト」に選り分けられてしまいました。ああ、おヴぁかんす無しでは生きていけないよう飼い馴らされた共和国民が海外に出なければ、国内でヴぁかんす先を選び、国内でお金を落としてくれるから税収が上がるか・・・なーるほどー。

そういえばサルコぢが自ら手に入れた権力を利用して引き上げた大統領給与を世界的不景気を理由に元に戻すなんて、サルコぢは思いつきもしないのでしょうか?

そもそも賢愚帝サルコぢ一世ご自身が移民二世であります。社会共産主義革命の波を受けて母国にいられなくなりウヰーン経由で仏蘭西に入国したハンガリー貴族の父ポル・サルコぢ・ド・ナぢボサ Paul Sarközy de Nagy-Bocsa (この名は仏蘭西国籍取得時の登録名、本名は nagybócsai Sárközy Pál)と、数世代前から仏蘭西に住むテサロニケに祖を持つスファラディ系ユダヤんの母アンドレ・マラ Andrée Mallah の間に生まれたのがニコラ・サルコぢ(本名:Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa)。父親の母国の習慣でサルはカトリックの幼児洗礼を受けたものの、サルコぢが4歳の時、父親は家庭を捨て、別の女性と住み始めますた。つまり、カトリックとしてのサル父は立派な信者ではありませんでした。「仏蘭西外人部隊に入隊した特権で仏蘭西国籍を得た父とユダヤ人の母の間に生まれ、自分の才でのし上がった移民二世のサルコぢ」を共和国民は「先祖代々仏蘭西びとで、親戚一同お国の要職にあり、カトリック宗旨生活を守る家庭に育ったものの、成人後、実家と絶縁してまで社会主義者となったセゴ姐」より信じました。

でも、大統領になった途端、サルコぢは変わりました。
サルコぢが初めて大統領としてエリゼ宮に入る時「ケネディの再来」と生中継の進行役に叫ばせました。かつてエイメリカヲタだった私には似ても似つかないので「けっっ」でしたが、ドメスティックな仏蘭西の庶民の中にはその言葉も信じた者もいました。就任式典では伝統に従わず、夫人の曽祖父であるユダヤ系西班牙びとイザアク・アルベニスが作曲した曲を共和国憲兵隊オーケストラにつまびかせました。サルコぢ大統領の誕生で新しい時代の波が次々と仏蘭西に押し寄せてきた・・・けれど、まもなくサルコぢは二度目の離婚をし、離婚したにもかかわらず何食わぬ顔でヴァチカンに行き、仏蘭西大統領ならばもらえる勲章をもらった。教皇謁見の際は、仏蘭西国内で奇抜なことで知られる司祭と下ネタで知られる芸能人を教皇さまに紹介 しました。そして、まもなく、赤い旅団事件におののいてパリの別宅に移住できるようなウルトラ大金持一族の一員であり、離婚&不倫歴あるイタリア女性(元モデル、現在歌手活動を続けているカルラ・ブルーニ Carla Bruni)とサルコぢは再再婚しました。捨てるも選ぶもサルの思いのまんまざんす。

今、共和国民は単純に知恵と運によって国家元首となった人物が栄華と権力を手に入れたことで、いとも簡単に、自分の好き勝手で「臣民の選り分け」を楽しんでいることにただならぬ不安を感じているのです。もちろんそれが自らの過ちでもあることを共和国民もわかっています。サルコぢは自分の父親、母親がかつて経験した恐ろしい「選り分け」を、なぜか今、自らが楽しんでいるように見えます。

栄華と権力を手に入れた知恵ある者が大きな世界でも、小さな世界でも独善で選り分けを楽しむ。これはあまりに愚かと言うもの。フランスのマスコミがサルコぢに「仏蘭西の良心」という冠をかぶせて既に1年。輝かしい御世を後世に残す計画が、今、世界的不況で自分の思うように進まなくなっている賢愚帝サルコぢ一世。栄華の翳りは共和国民のせいに擦り付けないでいただきたい、真の神聖皇帝ならば。

le 2 janvier 2009, Basile
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by ma_cocotte | 2009-01-02 22:11 | 『?』なサルコぢ屋 | Comments(4)
去るのは、わたくし。
2009年は丑年だそうで。

今は昔、2004年12月3日。
マルセイユは6区、ユダヤん商業区近くで見つけた牛、うし、ウシ、うっしっし。
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ヒトが作ったウシですし、ショウウインドウの向こうですもの。
臭くありません。


一寸先は闇。
今のココんちの東100m先の牛たち。
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整髪したスコットランド牛みたいな牛です。
よーく目を凝らすとはるか向こうに環状道路を走る車たちが見えます。この道路の近くには白黒のホルスタインがいつものんびりしています。


そして、ココんちとは旧市街を挟んで反対側の遊歩道の水辺で会う牛たち。
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たぶんシャロレ Charolais 牛。食用牛です。本当に美味ですが、こういう姿を見てしまうと食べられなくなりもす。


ココんち近所のウシも、ココんちから旧市街挟んで向こうのウシも神さまが作ったウシですから臭いです。風向きによってはココんちまで天然の田園の香り smell of country が届いたりもします。私の友人、英國びとは田園の香りが良い香りだと言います。一緒に北イングランドとスコットランドを旅した時、車窓から入るアノ臭いに鼻が気付いた途端、彼女は深く吸い込みました。「ああ、いい香り」と言いながら。私にとってアノ牛馬羊の臭いはたとえ飼い葉の香りが混ざっても匂いではなく臭いであり、深く吸い込む気持にはさらさらなれません。今も、いつも、おそらく残りの人生においてでも、です。けれど、この臭いを自分の知覚に届かないようにと空まで届く壁やら覆いなんてヒトには作れません。

仏蘭西の街づくりは基本的に旧市街から同心円状に広がっていく形です。同心円と同心円の外円の間は森であり、林であり、草原で、たいていは農作物を作る畑と放牧地になっています。ほら、モン・サン・ミシェル。あそこはモン・サン・ミッシェルの同心円と隣町の同心円の間が潮の満ち引きが激しい海沼があり、羊が放牧されていることで有名です。大西洋の海水で育った雑草を食んで育った、このモン・サン・ミシェル手前の沼地の羊の肉はこの上なく美味なのだそう。

話し戻って、ココんちはまさしく或る市の最も外円にあるのでたった100mほど先に赤毛のウシがぼーっといたりするのです。南の獣道の突き当りには猟犬の訓練所があり、南西の草原にはロバがいます。道路にはしばしば車にはねられたハリモグラが転がっていたりもします。風向きでどうしたって神の創造物の落し物やら体臭が届いてしまうし、犬の切ない遠吠えが耳に入っても来ます。春も過ぎれば周りは草原だから気持悪いほどのかたつむりがそこら中にうぢょうぢょとなります。一番外円だったココんちの先に家が二軒建ったし、なんと牛の放牧地のまん前にも小さなおうちが10軒近く建ちました。放牧地のまん前だと知って買ったり借りたりするのでしょうけれど、ココんちの場合は800kmも遠くから近所の様子も知らぬままココに引っ越してしまいました。今更不満を持ったところで、先住権というものがあるのなら引っ越すのは私ですね。

南仏にいた頃はやかましいセミの声、プロヴァンスとかげとコオモリが地上5階のココんちによく入り込んだものです。ああ、春先の数メートル連なる毛虫のパレード。あれは凄かった。

それでも、闇夜が訪れると降るほどの星を眺められます。
セミの騒音も、牛馬羊の臭いもどうやら美しい空を曇らせるものではないようです。
理想郷はこの世のどこにあるのでしょう? ...ありませんよ。
エクサンプロヴァンスに住んでいた頃、「摩天楼が見えないところに私は住めないわ」と言った渋谷のド真ん中に住む女子留学生の言葉を思い出しました。
互いに互いを哀れに思っているのか、羨んでいるのか。

le 2 janvier 2008, Basile
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by ma_cocotte | 2009-01-02 01:55 | 『?』なたわ言 | Comments(7)
刻々と、
迫る、その日。
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きょう12月24日は母の月命日にあたります。10か月経ちました。この月日は長いようでもあり、短いようでもあり、よくわかりません。ちょうど 一か月前の24日 はルルド Lourdes という小さな町で母の供養を私なりにしてもみました。他人に勧められての旅でしたが、行って良かった、行けたことに今は感謝しています。この旅を終えてまもなく、我がブログ友達のぱぴよんさんが天国に一人旅に出ました。昨日、久しぶりにぱぴよんさんのブログに行って 一年前の12月のエントリー をおさらいしていたら涙腺が脆くなってしまいました。ぱぴよんさんがその日その日を懸命に生きている!生きていた!

齢のせいか、「去年の今頃は・・・」と自分についても、他者についても振り返ることが多くなりました。私の母についても去年の今頃を振り返って、まさか母本人も二か月後に天国に旅に出るとは思いもしていなかったのではないだろうか、と想像してみたり。私の母のように思いも寄らず2か月後に旅立つのも、ぱぴよんさんのように余命を宣告されたことで旅支度を整えつつ旅に出るにせよ、死ばかりは究極の神秘であって、その旅立ちの瞬間までは誰もが「生きている」のですよね。いえ、「生かされている」のかな?だって死ばかりは自分の予定どおりにはまず行かないのだもの。だとしたら、「生きるように」ともらった生命は大切に。
で、「生きる」とはどういうことなんでしょう?今更、そんなことを考えて、「今を生きる」、「今、この瞬間をどう生きる?」なんて御題が季節外れの運動会のごとく脳内滑走しています。
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ご慶事の前日にそのようなことに思い巡らすのも傍から見ればどうかしているのかもしれませんが、偶然にも母が亡くなったのが24日なのだから、月に一度の特別な日が重なっただけです。ご慶事の直前だからこそ深く思い考える時間があって良いのかも。
今年からひとつの生命の誕生を祝うだけでなく、このご慶事に前後して胎に生命が宿る神秘、死の神秘をひとりの人生の一本道の上の歩みとして考えられる12月24日になりました。そのように考える種を24の付く日に蒔いてくれた母に、ありがとう。

ところで、天国ってこんなところでしょうか?
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教皇さま揃い踏みなんてこの世では決してお見上げ申し上げられないざます。はっはっは。

le 24 décembre 2008, Adèle

【深夜ミサ@ヴぁちかん】
以下のURLで生中継される予定です。2時間15分ほどだそう。
DIRECT DE ROME
Messe de minuit

http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00042395&vl=video_nouveautes
Les trois photos par ma_cocotte@Lourdes
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by ma_cocotte | 2008-12-24 00:32 | 『?』なたわ言 | Comments(8)
何事も、すぴりと・さんと Spirito Santo なのだ、まる
数日前、ネット散歩をしていたら、リヨン大司教区 le diocèse de Lyon に二人目の補佐司教が置かれたことを知りました。二人目の補佐司教さまはヂャン・ピエール・バテュ Jean-Pierre Batut とおっしゃる。
....はて、このお名前、どこかで聞いたことがあるぞ。
と、我がツル脳の中をたどって出てきたのが、花の都はお巴里は9区にござるサン・ユヂェヌ-サント・セシル la paroisse Saint-Eugène Sainte-Cécile 教会の主任司祭であるバテュ師であります。ここの教会ですが、1988年夏、ヴァチカンからエクレジア・デイ Ecclesia Dei なる公文書が発せられたとほぼ同時に当時のパリ大司教であったリュスティヂェ Jean-Marie Lustiger 師から1962ミサと呼ばれる背面ミサを行う認可が下された教会です *、**。このバテュ師はもちろん1962典礼を完璧に司式される司祭としても知られていますが、リヨン大司教であるフィリップ・バルバラン Philippe Barbarin 枢機卿も1962ミサの司式からフォークロックミサに至るまで応用自在で身も心もやーらかい枢機卿で知られるタンタン Tintin グッズ収集家、いえ、カトリック司祭です。
以下URLをぜひともクリック。トーク番組にご出演のカーディナル・バルバランであります。http://the-ou-cafe.france2.fr/index-fr.php?page=emission&id_rubrique=98
途中、ニュウスが流れますが、その後、番組が再開しますので。
バテュ師をリヨンに取られてしまったサン・ユヂェヌ-サント・セシル教会の皆さまの胸中は複雑でもあるらしいですが、これも教皇さまが決められたこと、教会ホームページには"adieu à Monseigneur Batut” なんて永遠の別れの言葉が用いられています。

それにしても、リヨンだからこそ旧典礼を良く知る長上さまがもうひとり必要だと教皇さまが考えられたのでしょうか。リヨンはいいなあ、リヨンは
この事実を知って、ま・ここっつぁんが思い出したのは10月終わりにココんち地元の神父さまとの雑談で聞いた話です。それはボルドーの下、バスクとの国境に近いバイヨンヌ、レスカ・エ・オロホン教区 Le diocèse de Bayonne, Lescar et Oloron に新しい司教さまが置かれた、と。まあ、そこまでは世界中どこのカトリック教会でも永遠の繰り返しであり、教区長(司教)が空席になれば聖職者のどなたかが教皇さまにより選ばれてその席に着くなんでありますが、神父さまがおっしゃるには教皇さまが置かれたこの司祭の所属がおもしろいよ、と。まずはトラディショナリストとおっしゃったので、まっさか創立二十周年のペトロ兄弟会 La Fraternité Sacerdotale Saint-Pierre からの選出ですかよ~、と驚いたら、「それよりちょっと手前のコミュノテ・サン・マルタン Communauté Saint Martin の所属なんだよ」と神父さまがおっしゃる。「知らない?」と問われたので「知らない」と返答したら、1976年に創立され、現在もパウロ6世時代の生き方を続ける司祭団なのだ、と教えてくらしゃいました。トラディシオナリストと聞いたところで、鍵となる時代がひとつ(例えばひとつの「第二ヴァチカン公会議」)ではないようで、まだまだ私には知らないことがある、喜び~でありますが、この団体は小さいながらも宣教活動も行い、中高教育に携わり、神学校も持ち、巡礼者のための宿泊施設も持っており、なぜ今この団体の、地中海側の修道院から一司祭を選んで大西洋側に教皇さまが置かれたンでしょうね?・・・・と、つぶやいたら、「聖霊が決めたことだから、そうなんです。それが疑いのない「正」です。」と神父さまがおっしゃいました。つまりこの事実を受け止めるのみで詮索は一切、ご自分はなさらない、ということ。

時は流れ、先の11月30日にバイヨンヌでは新司教さまの着座式が行われ、当日の写真 を拝見しますとこれまたどこかで見たお顔。はい、ミシェル・アイオ・マリ michelle Alliot-Marie 内務大臣が参列なさってたのですね。昨日は爆弾をしかけられたプランタン・パリに颯爽と現れた共和國警察長上のアイオ・マリ女史ですが、きょうび共和国内のカト的儀式の担当もアイオ・マリたんだよねー。すっかり定着。
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それにしても、二連発でトラディシオナリストの司教さまが着座されたフランス共和國のカトリックざます。教会人事において教皇B16さまの真のお考えはいったい・・・・(って、それを考えちゃいけないンだってば。聖霊の働きなんだからぁ。)
ココんち地元のデカ鼻の大司教さまも2年後には定年ですので、後任にはどのような方がお座りあそばしますのか、実は気になっていたりなんかする私(単に私ゃ、この土地に寄生するヲッチャーなんですけれど)。司教座のお椅子には「ここに座す者は必ず社会司牧に没頭し、伝統打破するンである」なんて掘り込まれてはいない...と思う。そりゃ、第三代教区長は東方からニケア信条と聖歌歌唱という新しいもんを持ち込まれたんで、それを伝統打破と言うのなら~、ベベンベンベン。....妙に空しい。

le 17 décembre 2008, Gaël

註*: リュスティヂェ師はこの教会以外に2教会(Sainte-Odile,Notre-Dame du Lys)、すなわちパリ旧市街の計3教会に1962ミサ典礼を継続する認可を出しており、この3教会は現在に至るまでそれを継続しています。
註**: 現在、パリ大司教区では1988年から以上3教会に加え、更に2教会に1962ミサについての認可を出しました。cf. http://catholique-paris.cef.fr/379-Messes-celebrees-selon-le.html


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by ma_cocotte | 2008-12-17 16:40 | 『?』なKTOりっくん | Comments(11)
久しぶりの、「...またか」
この金曜日の朝からテレビのニュウスからインドはムンバイでの事件についてカルティエ・ヂュイフ le quartier juif 、=ユダヤ人街というキーワードが聞こえてくるようになりました。短絡的に要約すれば「イスラーム過激派がユダヤ人街内の複数施設で命がけの立て籠もりをしている」ことになりますが、 どうも日本語報道の記事をざっと眺めますとミュぢゅるマン(musulmans, =イスラム教徒)が立て籠もった建物をピンポイント扱いで「事件現場」とし、そこがたまたま「ユダヤ教施設」であるという記事が多いようです。日本國向けにはこれくらいの浅い説明でいいのでしょうか。が、ユダヤ教の、それもその一帯にウルトラオーソドクスまで住んでいるとなると彼らの生活形態から考えれば「ユダヤ人居留区」内での多発事件と頭の隅っこに置きつつ今回の事件を眺めた方がいいように私は思います。オーソドクスのウルトラ度が増せば増すほどシナゴーグが徒歩圏内にあるところにしか彼らは住まいを持ちませんからして。事件現場となったホテルズもユダヤ人居留区内にあるか隣接しているのではないでしょうか。

このような国際配信になるほどの事件は久しぶりにしても、この手の宗教上のいざこざについては地球上の其処此処彼処でよくあることで滅多にないことではありません。これまでの礼拝堂の放火やら破壊、墓荒らしなどを思い出しつつ、私が「またか」とつぶやいてしまうのは事件の流れの中に「金曜日」が入っていることです。金曜日はユダヤ教にとってもイスラム教にとっても一週間のうちで特別な日です。へ?ユダヤ教の特別な日は土曜日でしょ?とつっこみたくもなりますが、ユダヤの暦では日没から日が変わるので金曜日の日没からシャバート(安息日)が始まります。フランスでも金曜日のユダヤ人街を覗けば、キッパを頭に乗せている人が関わっているお店は金曜昼までの営業で、しかも他の週日より早めの店閉いだったりします。かのイスラエルでは金曜日の日没直前から黒服黒帽くるるんもみあげの方々がシャバートを迎える喜びの踊りを路上でなさったりもする、それが世界中のユダヤびとの金曜日です。日没後、シナゴーグに足早に向かう人々を見かけるのもフランスでもそこここで見かける金曜の夕暮れと土曜午前の日常であります。一方、イスラームの金曜日も特別な礼拝日です。わが地元のイエメンびと♂は金曜の授業は礼拝出席のため来ることはないと教授に宣言していたほどです。この金曜日の意識はユダヤんにとってもミュヂュルマンにとっても信仰生活に熱心であればあるほど強いものでもありましょう。

なのに、なのに、です。
世界の一神教の三大派閥、ユダヤ教、キリスト教、イスラームにおいて、時に「三位一体などという空論などありえるわけない、神は唯一の神のみ」とユダヤ教徒とイスラームが手を取り合ってキリスト教を省いて仲良くしているにも関わらず、今回のような事件も起こり、しかも何が心の起爆剤になっているのかあまりに残虐な事件になってしまったりします。宗教違えど同じ唯一の神を信じる者同士、互いにとって特別な金曜日を互いに静かに喜びのうちに迎えられるようにできないものなのでしょうか。なにも金曜日という日に、通りどころかゾーンで火煙もうもう、血が飛ぶほど暴れなくても。

漏れ聞けば、事件があった地区はカルティエ・ヂュイフのうちでもカルティエ・ヂュイフ・オクシデント Quartier juifs occidentaux、つまり欧米系ユダヤん居留区で、必ずしもスファラディやミズラヒばかりではなさそうです。ああ、だからウルトラ・オルトドクス(超正統派)というキーワードが出てくるのですね。インドとは言え、この界隈にはアシュケナヂ系の方々が多くお住まいなのでしょう。Nariman House のキーワードで調べたところ引っかかったのがこちら。http://www.chabad.org.in/index.htm 左サブメニュウのムッシュウから拝察して、もしかしてウルトラオルトドクスと報道されているものの、ユダヤでは新興であり、世界中で布教活動をしているルバヴィッチの方々?
11月27日夕方、France 5 の生討論番組C dans l'air のテーマが
Bombay : les enfants terroristes ボンベイ:テロリストの子供たち
cf. http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1027
でした。この番組の冒頭で論客であるインド人女性が事件が勃発したあたりがボンベイで最も治安が良く、欧米人が多く集う華やかな場所であると説明しています。それに加え、欧米系ユダヤ人居留区であるならば、確かに国境を越えた人脈やら金脈で目に見える富やら繁栄が漲っているでしょう。が、それを力づくで破壊したところで世の中の美は醜に、きらびやかなものは単なる灰やら炭やら愚塊に変化するだけで、自分の身には何らかの変化が生じるかもしれませんが、自分の心や魂についてはいったい何が変わるのでしょう。

インドにもユダヤ系がいます。
数年前に漏れ聞いた話ですが、ユダヤ系である自分が生まれた国の政情が不安で、イスラエルの帰還法を頼りに例えばインドやイランで生まれたユダヤ人がイスラエルに永住を求めても、時に政府からあてがわれる住まいはかのウェストバンクに接する地区だそうです。「ユダヤ人」というレッテルだけで中の選り分けを見ずにユダヤ人でない者がアタックするのは短絡的ですし、目に見える繁栄や豊富な物資だけでユダヤ世界に関わらない第三者に選り分けられた欧米系ユダヤ人をターゲットに攻撃するのも なんだかなあ です。ユダヤ系であることで生まれ育った国でこんな生命に関わる恐ろしいことを経験し、だからと言って帰還法を頼りに本当の祖国に戻ったところで決して桃源郷を見れるわけではないという運命。この事実は宗旨違えど同じ国土で生まれ育った人々が互いに思いやることができ、こうして生れ落ちたインドで国民が世界中の誰よりも幸せになろうぢゃないかと前向きになれたりしないのでしょうか。(・・・・とココまで書いて、ヒンドゥの教えだと難しいのかな・・・とふと思った)。
フランスも土着宗教からキリスト教改宗、やがてカトリック国となったものの、現在は社会主義寄りの政教分離共和国で、現状から眺めると今世紀中にイスラームとの内戦があるだろうと予想されていたりもします。今のところ、その戦を防ぐ見えない盾は1905年のライシテ(Laïcité, =徹底政教分離法)でしょう。
Jésus/Mahomet : les frères ennemis 
イエズス/マホメット:敵対する兄弟
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1014
ヒトというものは敵がいないと生きていけない弱い生物なのかもしれません。
数日前もニュウス番組の中で同じインド国内のオリッサ州で起こったヒンドゥ過激派によるキリスト教徒居留区への無差別襲撃の傷跡について見たばかりです。こうもこのような宗教対立が続くと、脳裏に「弱肉強食」「下克上」などの単語が徒競走を始めてしまいます。ヒトが決めた国境の中でマヂョリティとなった宗教にとって、マヂョリティが不安になるほど急激に信者数を増やしている異教はやはりつぶさねばならない存在なのでしょうか。

フランスでは最近聞くようになったかもしれませんが、日本でしばしば耳にするのは「ライバル」です。「ライバル」は競り合うために存在するのか、それとも叩きのめしたり、つぶしてまでライバルを消し去り自らが唯一のモノにならなければならないと誰か決めたのでしょうか。掌に乗れる大きさの物を手を握ることでつぶすのは簡単ですが、ヒトには思考する喜び、対話できる力もあるのにそれを使わずに最短安直に他者を消すことで心が満たされるというのはいかがなものでしょう。
Les talibans menacent la France フランスを脅すタリバン
http://www.france5.fr/c-dans-l-air/index-fr.php?page=resume&id_rubrique=1025

この世における究極の人類の救済はイスラームで生きることだとしても、この21世紀、誠意を尽くした対話の中で新しい理想の形を発芽でき、その芽を宗旨を超えて喜びあえれば良いのですが。

le 29 novembre 2008, Saturnin
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by ma_cocotte | 2008-11-29 17:24 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
仏 蘭 西 的 新 盆 - Défunts -
きょう11月2日は仏蘭西の暦で Défunts デファンと言い、死者を思う日であります。今年はたまたま日曜日になりましたが、例年何曜日であろうと11月2日には教会でミサがあげられ、仏蘭西の場合だとミサの中(たいていは共同祈願)で、各教会においてこの一年の間、葬儀をあげた方の全氏名が読み上げられて、全参列者がそのみ霊のために祈ることになっています。

私の母も今年2月24日に亡くなったので、フランスならばきょう11月2日が日本で言うところの新盆のような日でした。遠い異国で異教の葬儀で送られた母の名前を読み上げていただけはしませんが、母を知る者が二人、母を思ってミサにあずかりました。母にその気持だけは届いていれば、と思います。

きょう11月2日が「仏蘭西での母の新盆」という潜在意識が私にあったせいでしょうか。母が亡くなってから、私が目を覚ましても覚えている夢において初めて母が現れました。どうも実家のようなところに「いつもの母」がいました。母が私に「またね」と言うのではなく、なぜか私が飛行機の時間に遅れるとか言いながら母に「またね」と言ってその場を離れました。母は私に「行かないで」と言うわけでもなく、笑みを浮かべていました。そのあたりでなんとなく目を覚ましました。母が黙って私を見送ってくれたのは長期滞在という形で初めてフランスに向かう日から以降とこの夢でしょうか。フランスに長期滞在を決めるまでの私について母は過保護のように行き先を気にしたり、私の帰宅時間にも神経を尖らせていました。ですから、今朝の夢で母に黙って見送られたのは、目が覚めて今に至るまで少し変な心持であったりします。ただ、母が何等特別なことも真新しいこともなく、私が知っている、私が子供の頃から見ていた「普段の母」だったこと、そんなことになぜか安心できた気持にもなりました。

le 2 novembre 2008, Malachie

「死者の日」も近くなると、ニュウスでも「人の死」に纏わる話題が取り上げられたりします。昨晩11月1日の夜はココんち地元の地方局ニュウスで医学部への献体と献体方法について放映されました。大学の解剖実習の授業の様子が流れ、布がかぶせられているもののご遺体の足が映りました。教授が縫合を教えている場面ではご遺体の左腕が画面に出ました。ちょっとドキっとしました。解剖学教授のお話、外科の先生の話、医学生の感想も流れ、最後に毎年この時季に教授と医学生が献体者のお墓に黙祷する場面が映し出されました。
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フランスの埋葬事情ですが、土葬が今も多く、確か一番廉価な契約ですと約10年後に埋葬場所を掻き回されてしまいます。「家」という単位でのお墓はイタリア風の形でほうぼうの墓地で見かけはしますが、フランスでは墓の単位が「家」というより「個人」単位であることが多く、庶民なら 地元の自治体の墓地に埋葬 です。例えば配偶者の死後、引っ越してしまったら、配偶者とは別のお墓に埋葬される可能性も高いのです。それゆえ、墓地を散策すると荒れ果てた無縁墓がかなりあります。きれいなお墓は修道会のお墓だったりします。
そんな仏蘭西におけるお墓の行く末の現実を見てしまうと、魂の抜けた自分の身体を献体し、年に一度、医学生に墓前で思ってもらえた方が幸せかな、と思います。昨晩の報道を見て、新たにそう思いました。
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by ma_cocotte | 2008-11-02 22:10 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
『死、それは人生で最も美しい日です。』
10月20日に帰天したスール・エンマニュエル Sœur Emmanuelle が生前、常々口にしていた言葉だそうです。
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Photo Ouzounoff/Ciric

99年と11ヶ月というスールの人生におかれましては喜怒哀楽はもちろん、悲喜こもごもの出来事が多々お身近にあったかと思いますが、どんなにうれしくても、どんなに楽しくても、スールにとってはその嬉楽に感謝しながらもご自分が天に呼ばれる瞬間こそが最も美しく、喜び溢れ、その思いはその瞬間の一度しか味わえないものであるという確信があったのですね。そう思えるなんて、
凄いなあ、マ・スール。
私は人生のターニングポイントを過ぎた今も尚、死が怖いです。恐怖です。自分の死の瞬間を想像すると、この世への未練で「死にたくない」と醜くもがくに違いないとわかっています。私の母は看護士さんが見つけた時には既に息を引き取っており、母が果たしてもがき苦しんだのか、眠るように亡くなったのかも誰も知りません。できれば後者であって欲しいと思います。なぜなら元気だった頃の母がそう願っていたから。が、死ばかりは死ぬ本人にしかわからない何かがあり、それが何なのかは自分が死ぬ時が来ないとわかりません。死こそ我が神秘よ、輝く光なら、ま、いっか?

スールは生前から
«La mort est une très grande bénédiction.»
死はとてつもなく大きな天からの恵みです。
ともおっしゃっていたそうです。だからでしょうか。スールは日曜日から月曜日にかけて、すーっと旅立ってしまわれました。死そのものがプレゼントだとするなら、子供がお誕生日プレゼントの箱に駆け寄るように、スールの魂も身体から抜けて天に向かっていったのかもしれません。

冒頭の«La mort, c'est le plus beau jour de la vie»はスールが奉献生活を送られたシオンの聖母修道女会の創立者であるテオドル・ラティスボンヌ Théodore Ratisbonne 師(カトリックに改宗したユダヤ人)が残した言葉の一部だそうです。全文はこう。
“La mort, mes sœurs, c’est le plus beau jour de la vie parce que, enfin, nous allons voir Celui que nous avons tant aimé. Nous allons être face à face avec Lui...” C’est merveilleux ; ça, c’est la porte qui s’ouvre tout à coup. Seulement, avant, il y a cette terrible agonie qui me fait trembler. Mais avec l’aide de la Sainte Vierge, je l’accepterai...
なんだ、神父さまがおっしゃりたいことは決して死を快楽的に美化した話ではありません。死の瞬間、震えるほどの断末魔があるけれど、聖母がそこから助けてくださる、だから私は死を受け入れる・・・・んだと神父さまはおっしゃっております。死の瞬間、自分の目の前で天国の門が突然開かれるのだそうだ。本当かなあ。開いたところでよくて煉獄Uターンですからね、わたくしは。・・・・なんて思いついちゃうから、死の瞬間に私がもがくのは確定であります。だーめだ、こりゃ。いつになったら悟れるんだか。

le 24 octobre 2008, Florentin

来月16日に100歳のお誕生日を迎えることになっていたスールは、その日にサルコぢ閣下にお目にかかることにもなっていたらしい。このお誕生日を目前に控え、多くのマスメディアがスールとのインタビュウを既に行っておりました。Lisez-les.
parismatch.com : Sœur Emmanuelle : sa dernière interview à Paris Match
Le Figaro : «La mort, c'est le plus beau jour de la vie»
そうだ、スール・エンマニュエルの告白録が10月23日に発売されまして、ちょっとフランスの世の中で中騒ぎ中です。
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LES CONFESSIONS D'UNE RELIGIEUSE

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by ma_cocotte | 2008-10-24 03:05 | 『?』なKTOりっくん | Comments(10)
『75歳』と決めたのは誰なのか。
母のことがなければまずこの時季に帰国することはありませんでした。偶然とは言え、この時期に帰国したことで、麻生新総裁、首相誕生までの経緯を眺めることができました。

生まれたてほやほやの首相に解散総選挙を迫る会議場の様子というのは久しぶりに傍観する私には異様そのもので、こんなことをやらかせるのも日本國だからなんだろうなあ、と思ってしまいました。状況判断もしなければ、ロジックをつなげてから発言するという術も知らずに、自己だか自分が所属する団体を中心に放射状に要求を他者に強いるというのは、フランスだと或るイデオロギーにがんじがらめになった自分で事象を考えられなくなった人がすることであって、考える自由を与えられた人がまず行いません。日本の場合、きょうび驚くべきことは国会内で行われるような討論が普通のテレビ番組に招かれた国会議員と国会で発言権のない「識者」という箔がついた単なる有名人を交えて行われることですね。そりゃ、名も無い一般ピーポーにしてみれば有名人が自分の思いを代弁し、国会議員のハツをちくちくしていることに快感も得られるでありましょう。が、普通、テレビやラジオにおける暗黙の掟には「発言者の声がダブらない」というものがありますが、どうもこの手の番組を見ていると与党議員の発言中にその発言をまったく聞かずに自分の思いを大声で「ボヤく」方々がおり、そのボヤきが視聴者各自が持つ悪心をかきたて同意させるような魔を秘めているのです。もちろんこの魔術を持つ美容整形オバ、いや、野党議員の方々は国会議場でも同様で、答弁中も自分の席から隅々まで届くような声でボヤき続けています。言っちゃなんだが、他人の言うことに聞く耳を持たずに自分の主張ばかりする成人の意見に同意できますか?こういう自己欲求表現って乳飲み児ですから、乳首をくわえさせるしか黙らせる方法がないのでしょうか?フランスだと公衆で泣き喚き始めた乳飲み児の口に親が自らの指をくわえさせて黙らせたりしますがね。こういうマナーのない議員を黙らせることができるのは同じ党にいる「コンパトリオット的親兄姉」だろうし、それができないなら「親も親なら子も子」と他人に失笑されてもしかたないですね。

里帰りの一ヶ月中、気になったことのひとつに「後期高齢者医療制度の見直し」というものがあります。75歳を区切りに高齢者の立場を二分する制度です。偶然にも私の父が今年12月に75歳を迎えることで、この問題の真っ只中に父がいたりします。私が帰国したのは9月の彼岸の入り頃でしたが、父が私に今月末に期限がくるのに、それ以降の健康保険証が(自分がかつて勤務した)会社から届かないこと、更に12月に父が75歳になるからもう今月で打ち切られているのか、という不安も話してきました。たった3か月だとしてもそういう打ち切りは私にはひどい話に思えました。結局、10月に入って数日後に10月1日から12月の、父が75歳を迎える誕生日の前日までが期限の健康保険証が会社の健保組合から郵送されてきました。数日の遅れなんてヒトによっては些細なことかもしれませんが、ヒトによっては心臓が搾れるほどの不安材料だったりするのですよ。

75歳まで生きた日本國民は、75歳の誕生日を迎えると同時に国民健康保険に登録し、登録条件によっては年金から健康保険料が天引きされるようになっているそうです。この手続きが市町村によってはうまく行われずに二重請求された高齢者も既にいるようです。

今回の滞在中に、もうひとつ気になった父の発言がありました。それは年金のひとつが75歳をもって振り込まれなくなることでした。父がぼそっと「まあ、75歳まで生きたのだから満額もらえたということだよね」と私につぶやいたンですが、つまり75歳以前に死んでしまったら満額もらえなかったのだから自分はよしとしよう、という父なりの父自身の心への慰め文句でもあるのかもしれません。が、この現実は高齢者の父なりに「頼りにしていたもの」が減額されるのですから、ポジティヴに父本人が考えなければ限りなく受給者に不安を与える材料であったりもします。

他にも今回の滞在中、私は高齢者の緩やかに進行する病気についての入院が「限度40日」であることもあらためて知りました。一方で、研修医が派遣される病院について研修医が自由に選べる制度が作られたことで医師も研修医も集まり難い病院が閉鎖に追い込まれていることも知りました。このままで日本國は大丈夫なんですかねぇ。それぞれの欲求を満たすことが最優先されたら、世の中の流れはなくて、ひとりひとりの存在が炭酸水の泡になってしまうことになぜ日本政府が気づかないのか不思議です。水は流れるから浄水であれるのであって、よどんだ水はにごるばかりなのにね。

誰が『75歳を境に75歳未満は前期高齢者、75歳以上は後期高齢者』なんて決めたのか知りません。おりしも、緒形拳氏が帰天されたことで、テレビ画面に何度か映画「楢山節考」のラストシーンが流れました。この映画の素は私たちが子供の頃に読んだ「姥捨て山」の話ですよね。きょうび日本國で年老いた男女を山に捨てるなんてことはできませんが、行動では老人を山に捨てるなんてことは法で裁かれるからできなくても、国や若いもんが精神的に、心理的に高齢者を山に放置するがごとく追い詰めていないかということです。この現状では75歳を迎えた高齢者が「長生きしすぎた。75歳前に死んでいればこんな不安を知らずに済んだ」とボヤきかねません。戦前に生まれ、戦中を生き抜いて戦後をなんとか向かえ、成人した途端に高度経済成長とやらのために家庭も顧みずに働いてきた世代にこういう不安を与える日本國政府っていったい何考えてンでしょうかね?日本国内に住む高齢者全員が国会議員になって優遇生活を送れるわけありませんし、そもそも昔の国会議員は給金ももらわずに自己の財産を削って地元民のために中央で働いたものです。

少し前、こちらでダーウィン研究を続けるドミニコ会修道士であり神学者でもある方の講演を拝聴しましたが、会場に溢れた無神論である高等教員に向かって「ヒトの先祖がオランウータンでもなくゴリラでもなくサルであると決めたのはダーウィンであって神ではない」と断言した途端、高等教員たちがひるんだあの瞬間を思い出しつつ、75歳を境に高齢者を二分するなんて決めたのは神ではなくヒトなんだ、とあらためて感じ入りました。

先日、99歳で帰天したスール・エンマニュエルについて誰が75歳から24年も長生きしたとみなすでしょうかね。こういうくだらない計算なんか、ヒトの生き様に必要あるのでしょうか。神仏信仰がないことが強者のように扱われ、命を軽んじる行為(自殺、他殺)が毎日のように報道で流れる日本國において、「75歳までに死にたい」なんて善良な国民にさえ思わせること、危険だと思います。が、こんな日本國の現状ならば、75歳までに死ねるものなら死にたいですよね、はい。

le 22 octobre 2008, Elodie
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by ma_cocotte | 2008-10-22 16:27 | 『?』な日本國 | Comments(41)