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引いてもダメなら、押してみな。
ココんちのポストに入っていた広告の或るページです。
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キッチンと食卓関連のジャンキーなものが一杯。欲しいものばかりですけれど、その中でもここに目が行ってしまいました。

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台所で使う刃物が6種類入って、ぬぁんと 
3ユーロ95ッサンチーム でっせー、奥さん?
狂高騰し続けるユーロが171円@ユーロだとして、この包丁6本セットの値段を四捨五入して4ユーロとしても、

684円 どっぴゃくはちぢゅうよえん でっせ、でっせぇ?

こんな「もってけ、ドロボー」価格に魂を奪われるのは、そうわたくし、ま・ここっつぁん。天下無敵のドけちが店に飛び込まなくてどーするよ?すぐ頭から飛び込みに行って来ました。落下地点で手に取りましたのがこれ(↓)。こちら、現場です。
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ヾ(T▽T)ノ゙ 嗚呼、なつかしの 日本語 だらくぇえええ。ヾ(T▽T)ノ゙


プロの切れ味6点セット


な、なんて甘美な響きなのでせう。藤山寛美。.......見たひぃ、松竹新喜劇ぃ。
買ったところで不安になるほどの廉価ですけれど、買ってしまいましたんがな。
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ココんちに持ち帰り、中を見てみますと、和食のレシピまでついておりました。フランスでの調理ですが、ご高齢のマダムであればあるほど調理の基本はナイフとピーラーのみの二本使いで、その手さばきたるや達人でございます。ココんちでは包丁代わりにドイツのH社の包丁もどきを5年以上使っておりましたが、包丁の先端も欠けたこともあり、この激安6本セットを買ってみましたが、切れ味はもちろん、
ε= (´∞` ) Bof...悪い
どうしたものかと考えているうちに思い出したことが、確かのこぎりにおいて日本國と欧州では逆という話。つまり、日本國では確か手前に引くと切れますが、欧州では身から押し出した時に切れるという話です。長年使い慣れたドイツ製の包丁もどきを扱う時と逆を想像しつつ包丁を操ってみたら「切れる」ではありませんか。やってみるもんですね、はい。
それにしても、この包丁を推薦なさってる
島田源一 さんってどなた?

le 29 juillet 2008, Marthe

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by ma_cocotte | 2008-07-29 17:29 | 『?』なたわ言 | Comments(6)
よっ、空 ノ ム コ ウ 。
7月14日は革命記念日でしたので、深夜に恒例の打ち上げ花火です。
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おらが町では23時過ぎから花火の打ち上げが始まりました。

この日はフランス共和国中の主だった市町村で花火が打ち上げられるので、
宇宙から眺めるフランスはまるでお花畑のようかもしれません。

私も久しぶりに花火を、子供のような表情で仰ぎました。
今年は、母が向こう側から同じ花火を眺めているのかな。

江戸は新盆なので、この13日からお盆に入っています。
私の母にとって初めてのお盆でもあります。
この花、見えますか?
ふと、空に広がる花火を見て、そう思いました。
花火よ、花束となって天まで届け。


le 15 juillet 2008, Donald


花火を見終えて、深夜のカフェで軽く一杯。
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なんとなくだけど、キールを頼みました。
シロップを選べたので、桃のシロップを白ワインで割ってもらいました。
口に含んだら、母が好きだった日本酒のようなさわやかな香りがふわっと広がりました。
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by ma_cocotte | 2008-07-15 07:11 | 『夏』 Rien de special | Comments(4)
何事も買った私の責任なのよ。@ふらんす
19日、ポストに入っていました。(^_^)
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5月31日にAmazon.fr で注文したヒルデガルド・フォン・ビンゲン Hildegarde von Bingen のCD。恥ずかしながら、生まれて初めてワールドワイドだと聞く Amazon を利用して購入いたしました。「ちょっと日がかかりすぎぢゃねいか?」と思われますが、実は注文してすぐの確認メールに書かれていた到着予定日は6月9~11日の間でした。初めての買い物でもあったので11日になっても届かなかった時には不安になりました。翌12日にAmazon.fr からメールがあり、注文した三枚のうち一枚の入荷が遅れているせいで発送できないとありました。しかも、その一枚をキャンセルすることも、三枚キャンセルするのも可能だとのこと。そして、変更のタイムリミットまでに変更がなければ、二度に分けてお送りいたしましょう、とまでおっさる。こんな決め細やかな心優しい申し出をいただけるなんて、仏蘭西の現実世界では考えられないことでございます。例えば、お店で店員さんを通して買ったものを後日引き取ったり、配達を客であるわたくしが願ったとします。商品の現物引渡しの日に行かないのも客の勝手であり、現物が約束の日に届かずに文句を言わないのも客の自由であって、客に頼まれた業者はその約束当日に何らかの事情(到着遅延など)で商品を渡すことができなくても、その日に客の自宅に配達できなくても連絡しなかったりします。つまーり、客が店に足を運んだり、または、電話を店にかけるというアクションをしたことで、店側が理由を話してくれることもありますが、まず
謝ることはありませんっっ。
こういうことが常識だと思われるフランスという国に住んで数年経ち、インターネット販売とは言え、目に見えない「何か」にこうも親切にされるとホロっとしてしまいますわね。だって、Amazon.fr サマったら、発送した直後にその事実までメールで知らせてくださったのですよ。この実体なくともハートヲーミングな接客精神をフランス共和国内のナマの動く店員に沁み込ませるにはどーしたらよろしいのでしょうねっっ!?

そもそもこんなことでブツブツ言いたくなるのも、ちょっと聞いてくださいます、奥さま。
ほれ、先日、お話した リシュリュウ卿 のこと。そう、この世でもっとも美しい紫の薔薇と呼ばれるCardinal de Richelieu カーディナル・ド・リシュリュウ の苗を近所の演芸、いえ、園芸店で見つけたので買い求めましたのよ。蕾が出て、ふくらんで、ガクが割れたのはよろしいのですけれど、咲いた花が、どっからどう見ても
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白い薔薇

そこはかとなく紅をさしたような白さではありますが、仏蘭西びとはこれが紫色に見えるのでしょうか?もちろん買い求めたお店に苗鉢を持って行きましたが、同値段の別品種に交換するのは「客の自由」であって、客が求める「本物のリシュリュウ苗の仕入れ」の要求には応じないと返事されましたのね。「もしかしたら白い蕾がそのうち真紫になるかもしれませんよ」と言われながら。(●`皿´ ●#) キィーッ

ああ、もし青紫の美しいリシュリュウ薔薇が咲き、その香りの中でヒルデガルド・フォン・ビンゲンの音楽を聴きながらカモミール茶をすすりつつ、ケルゴナン les moniales bénédictines de Kergonan の女子修道院で作られる 薬膳ビスキュイ をつまめたら...。
私はどうなっちゃうんだろ?ヾ(`◇´)
エラそうな店員の愛想のない対応も赦せる広い心が持てるようになれるのかも。

le 20 juin 2008, Silvère
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by ma_cocotte | 2008-06-20 20:27 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(14)
この紋所が目に入り始めたら、
サッカーも面白いけれど、紋所(エンブレム)からいろいろな方向へ興味が広がり始めました。
先日語った ロシアチームのエンブレム の不気味さというか威圧感ですが、1917年の革命後ソヴィエトという社会共産主義時代を経た後、ロシアという民主国家を(建前上)名乗っているはずなのに、エンブレムのほとんどが帝政ロシア時代のロマノフ家の紋章そのものだということがわかりました。
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なぜだろう?この紋章を見たら、パチンコに行きたくなったというか・・・例えば、聖アンドレのところに球が入ると、ダヴィンチの絵みたいに動くのかなあ。赤い部分に描かれている人物が聖ゲオルグだということも知りました。馬に乗っている聖人というと、どうしても聖マルチノを思い出してしまう私ですが、拡大して見ると、馬上のヒトが悪魔を槍でツンツンしているので、「馬に乗った聖ミカエルか?」と思いきや、聖ゲオルグさんですと。フランス語で呼ぶところのヂョルヂュだにゃ。どんなヒトなのか聖人伝を探してみよう。
それにしてもロマノフさんちの双頭のワシさん(↑)ですが、ココんちの近所のモザイクなジーザっさん(↓)と所持品が同じようです。
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さて、昨晩の試合がこれまた妄想ワクワクな取り組み(お相撲?)で、ドイツvsオーストリアでした。ゲルマン対決、いや、ハプスブルグ?脳裏にはアルプス越えをするタラップ大佐一家が・・・。ヴァスイストダスのアフトゥングで、アウフヴィーダーゼーエンのゲーエンガンゲンゲガンゲン。脳内運動会が止まりません。予選だというのに、観客席にはドイツの女帝アンジェラ Angela Merkel さまが ドドンとお出まし
試合をきっかけに、オーストリア・チームのロゴを調べたら、こんなん出ました(↓)。
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¢( ・_・) アヤヤ? カマトン、鎌にトンカチですか・・・・いえ、トンカチではなく斧でしょうか。オーストリアというと、神聖ローマ帝國やら、女帝マリア・テレジアにシェーンブルグ宮殿、「マリア・アントニア王女しゃま、僕の妻になってくらしゃい。@7ちゃいのヲルフガング」という妄想域に私は突入してしまいますが、カマトン、カマオノ。どちらかというと、ロシアのワシがカマトン&オノを持ち、21世紀に入って極右が強くなっているオーストリアの鳥さんが真の王権のタマコロを持っていた方がピンと来ますが。しかも、両足を鎖につながれているとなると、このオーストリアの鳥さんのお名前は
ぺ.....ペ ト ロ
ロマノフに続きまして無知晒しまくっているま・ここっつぁんであります。教えて、エラいヒト。

こうして見ますと、おフランスのかのブルボン家の百合の紋章って単純に思えますが、王家と皇帝家では身分の違いから表示する条件が違うのかしら?知りたくなって参りましたね。 
紋章を見ていて思い出したのが、ココんちの近所のキャラメル会で展示されている石碑(↓)。
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おもちゃカメラと素人であるミーによる撮影なので申し訳ございませんが、上方に目ぇをこらしますとうっすら二つの紋章が左右に見えます。この石板、1675年3月14日にこの土地の上にカルメルの女子修道院が築かれた時の石(Pierre de fondation)だそうで、1880年に見つけられた当時の記録がこれ(↓)になります。
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すごくないかい?

しばしば日本國の学び舎の壁に「定礎」と石がはめ込まれていますが、同じ意図になりますでしょうか。UがVの文字が散見されるので、ラテン語ですよね。ぱはっぷす、めいび。

せんろっぴゃくななぢうご年って、サンキン、三金いや、Sun King、太陽王の御世ぢゃ。

紋章3つのうち、真ん中のロゴはきょうびキャラメル会で好んで用いられているトレードマークだと思いますけれど、三金(ひつこい!)、いや、太陽王の時代に既にあったとなると、近未来を予見したようなスマートさ。おっされ~。おぬしもやるよの。(わけ、わからん)


今宵はここまでにしとうございますのも、ほれ、イタリア対フランスの試合ぢゃけね。

昨晩は地の利でオーストリアに勢いがあったとは言え、ドイツが無難に一点ゲッツで勝利。
ドイツの試合というのは品行方正なので安心して観戦していられたりしますが、どうも毎回、ドイツの監督さん Joachim Löw がテレビ画面に映るたびに、なぜこんなにも「恭兵柴田」にお似ましなのか。ウリが二つではござらぬか。そのことばかりが気になってならないのです。次回のドイツ戦はシュークルートを食べながら観戦しましょうかね。

le 17 juin 2008, Hervé
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by ma_cocotte | 2008-06-17 21:41 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(12)
寒い冬でなくても、求められ、求めよう。
ココんちを出てから26時間。
夜10時過ぎに実家に到着し、翌日の午後2時過ぎから母の納棺の「儀式」でした。それが葬儀屋さんによる提案なのか、浄土宗の習慣なのかも知らぬまま、その時間になってしまいました。葬祭会館のスタッフの方々が拙宅にいらっしゃる少し前、母の妹二人と義妹がやって来て、母の棺に納めるものを見繕ってくれました。長いこと、男(=父)の一人暮らしだったこともあり、荒れ果てていると言っても過言ではない両親の寝室ではありましたが、叔母たちが母の枕元からまだ仕付け糸がついたままの色留袖を見つけ、それを棺に入れることにしました。母が私がいつか結婚したら披露宴で着ようと考えていた着物だと記憶しています。まもなくスタッフの方が脳を献体したことでガーゼに包まれたままだった頭髪を整え、私のせいで何日も巨大なドライアイスを乗せられてコチコチになった母からパジャマを脱がせ、寝たきりになる直前までお気に入りだった服に着せ替えてくださいました。お化粧もして、母の鏡台の引き出しにあったお気に入りの口紅も唇に乗せることができました。棺に母を納めてから、おそらく三途の川を渡るための諸道具を次々と納め、清めた水を含めたコットンで母の手や足を拭くよう促されました。母の手は両肩に乗っていたドライアイスのせいでかちこちで冷たかったけれど、母の足はつめたくてもまだふっくらしていたこと、今もよく覚えています。
この時、母に服を着せ、色留袖を足から腰のあたりまでかけましたが、天国に行って困らないように洋服や着物にあう靴や草履、バッグなどを棺に入れようとしたら、最近の火葬で禁じられているものばかりで棺に納めることができませんでした。眼鏡も入れられませんでした。おしゃれな母なので、あちらで完璧なおしゃれのお披露目ができないこと、気の毒に思いました。

母の葬儀が済んだところで、いつまでもぼーっとしていられませんでした。私の実家滞在は一か月ほど。役所などの諸手続は父と手分けできましたが、どうしても母の身辺整理は娘であり、同性である私に一任されてしまいました。母の葬儀の翌日だったと記憶していますが、まず三面鏡の整理から始めました。ひきだしを掃除していると、お粉や口紅などのにおいがまざって「母の香り」がしました。使いかけの化粧品も母が触らなくなって数年経つので、ほとんどの化粧品を潔く捨てるしかありませんでした。「ママ、ごめんね」とつぶやきながら、ひとつひとつゴミ袋に入れました。今では滅多に見ることのなくなった美しい革や石をあしらった携帯お粉のためのコンパクトが見つかった時にはすぐ自室に持って行きました。母の愛用のオーデコロンもこれからは私が身にまとうことにしました。

三面鏡の整理を終え、続いて母の洋服の整理に取り掛かりました。
母は着道楽でもあったので、洋服棚、箪笥、押入れからどれほどの服が出てきたか。それらの服を着れるもの、着れないものにまず分けました。着れない服が入ったゴミ袋は20以上軽くありました。着れる服を私が着れるもの、その他の服を季節ごとに更に分け、季節別にした服を更に色別に分けて数箱に収めました。この仕分け作業の時も、繰り返し「ママ、ごめんね」とつぶやいていました。洋服を広げては汚れなどの確認をしましたが、洋服をきっかけに思い出すことがいっぱいありすぎて、ありすぎて。第三者が私のその様子を見たら「この子は働いていない」と思ったことでしょう。母が棺の中で着ていた服のベルトがこの最中に見つかり、母に悪いことをしたと泣けたりもしました。

そこまでの作業を数日かけて終えたところで、叔母に電話をしました。叔母からすぐさま古着は誰も引き取らないから清掃センターに電話して、こちらが料金を払って引き取ってもらうように言われました。

正直、ショックでした。

私がまとめた服を叔母が確かめて、欲しいと思ったものは一着ぐらいは形見として受け取ってくださるかと思った私が甘かった。正直、素直にそう思いました。電話を切って、箱に収められた母の服を見るとどうしてもゴミとして出す勇気が持てませんでした。

母の服を見ているうちに、結婚直後、夫婦揃って体格がよくなりすぎたため着れなくなった服を私の中学時代の恩師が働いていているボリビアに送ろうと思い立った時のことを思い出しました。母校にメールでその旨を話したところ、「貴女の気持はありがたいが、無事に着くか確証できないほどの土地であり、今一度貴女のまわりに目を向けて欲しい」と返事をもらいました。 cf. ボリビアはコチャバンバの話
その後、われらが地元の赤十字に服を持って行きました。確か木曜午後が受付時間で、その時間にあわせて行くと、既に赤十字の門前には複数の移民さんがいました。私の車を見つけると、今すぐここで品を見せて欲しいとおっしゃる。なぜなら、その頃、赤十字が古着を引き取る側からも会費を募るようになっており、彼らはそれを惜しんでこうして門前で待ち伏せするようになったのです。結局、私が持って行ったものは全て赤十字の敷地の中に入る前に引き取られてしまいました。叔母の話で行き場のない母の服を見つつ、あの時の品物を調べる人々の真剣な顔、喜ぶ顔を思い出し、母の服を彼らなら喜んでくれたかもしれないと思いましたが、今の自分は南米でもなければフランスでもなく日本にいるのです。まずは日本で誰かに喜んでもらえないだろうかと考えてみました。

母の服は40代以降の女性なら着ていただけると思いつつ、ふと日本國にも私服の修道女が多々いらっしゃることを思い出しました。脳裏に思い浮かんだ修道女会はふたつありましたが、学生時代から現在に至るまでお世話になりっぱなしの先輩が卒業された学校のシスターが私服だったこともあり、すぐ先輩に電話をすると、先輩が二つ返事で同窓会担当のシスターにお話を持って行ってくださいました。シスターからのお話では送料を出せないこと、内容を確かめてシスター方がおめしになれない服(=派手な服)は、その会が関わるその先の団体に委ねることさえ受け入れていただければ、とのこと。それを伺っただけでも母の服が再生するという喜びに私は満たされ、父にその旨を話すと永遠に「カト無視」の父でさえ喜んでくれました。その後、母校にも連絡したところ、母校のシスター方は制服であっても、同窓会とローマ本部直轄の活動団体が市井のフリーマーケットなどで販売し活動費用にあてることができるので引き取りたい、と返事を下さいました。なんという助け!母の洋服をもう一度箱から出し、今度は修道女方がおめしになれそうなものとそれ以外に分け、段ボール箱2箱をシスター方へ、ひと箱を母校に送りました。先輩から介護が必要なほどご高齢なシスター方もいらっしゃると伺ったこともあり、未使用のパジャマや介護用下着、靴下なども箱に詰めました。

その週末、たまたま母校に伺い、応接室でお茶をいただいている最中に私が送った箱が届くという偶然があり、シスター方が大きな箱をご覧になっただけで大喜び。母校には福祉施設もあるので、定期的に品を探しにいらっしゃる外部の方もいるとか。
更にその翌日の早朝、2箱送った先のシスターからも電話をいただきました。初めての会話なのに、先輩を介していることもあってか、母の帰天のことも含めて慰めになる言葉をたくさんいただきました。中でも、
しばらくしたら、あなたはおかあさまをたくさんご覧になるわよ。
という一言には泣けました。修院のシスター方がみなさんで母の服をおめしになってくださると。シスターが「でも、おばあちゃまばっかりでごめんなさいね」とおっしゃったことにはこちらが電話に向かってお辞儀してしまいました。母がどれほど喜んでいることでしょう。私の母は派手好きというか個性ある服を選ぶヒトだったので、シスター方にどこまで派手目の服を受け入れていただけるかが私の心配でもありました。その不安を母校のシスターにも話したところ、この私服着用が認められている修道女会のシスター方は小学校低学年の目を養うためには修道服より私服が良いとカトリック校会議でおっしゃったそうで「心配に及ばず」と励ましていただきました。

私としてはたとえシスター方におめしいただけなくても、その先で有効利用していただけるならそれで満足すると決めていたので、兎に角、私が母ダッシュであるシスター方をたくさんこの目で拝見することができる、という言葉だけでどれほど救われたことか。

次回の帰国では前回の帰国で時間がなくて手をつけることができなかった和装箪笥の中の整理をしなければなりません。着物をおめしになる修道女方っていらっしゃる?

それにしても、母の代わりに私ができること、天国の母に喜んでもらえることをひとりで考えるのは寂しいです。

le 15 juin 2008, Germain

【 余 談 】
相談申し上げた先輩に我が母校のシスターが制服を着用していると話したら、
ええっ!? お金かかるでしょ?
とすぐさま叫ばれた。こちらは同時に (@。@) キョットーン でしたが、制服の方が私服より経費がかかるのでしょうか?母校の場合、その昔は在校生の制服もシスター方の縫製によるものだったそうです。最近こちらのドキュメンタリー番組でヴァチカンの内情が放映されたけれど、あの中は何から何まで手作りだんべよ。特に布地はシスター方の手による縫製と刺繍のみです。手縫いの制服の方が私服よりは経費がかからないというのは私の思い込みだったのかも。先輩がそう叫んだ瞬間、わが脳内スロットマシーンと化し、チーン!と出てきたのが、母校のシスターの制服が以前は冬は黒、夏はオフホワイトだったのに、現在は一年中、ねずみ色だということ。一年中同じ制服ならばそれだけでも節約になるのかもしれません。私の時代の校長様が鬼太郎のねずみ男とウリフタだったんですが、制服がねずみ色になってしまったら本当に本物ですよ。

いや、そうではなくて、制服って維持が大変なのかなあ。
 
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by ma_cocotte | 2008-06-15 22:33 | 『?』なたわ言 | Comments(40)
寒い冬には着物がない。
エキサイトブログのログインページを開くと Africa Mission 2008 への誘いが見られるようになって一か月以上が過ぎたと思います。時をほぼ同じくして、5月28日から30日まで、第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)が横浜で開催されたこともありますし、来月7月7日から9日まで北海道は洞爺湖でG8サミットが開かれることなど、これらの各行事が互いに強め合って、大きな実行力と化す働きをしているかと拝察します。

フランスでも近年のG8サミットが環境問題を主テーマにしているという前提で、サミット数か月前になると大統領閣下のおんお口から環境問題に関わる発言が増えることもヲッチャーから指摘されていたりもします。
G8サミットまで一か月となり、この6月3日からローマでFAO(食糧サミット)が開幕したためか、6月に入った今週、フランス国内の地上波各局のニュウス番組で「食料危機 Crise Alimentaire」についての特集を流すようになりました。
TF1 : La faim, un fléau qui touche 860 millions de personnes
France 2 : Sommet de la FAO à Rome
このFrance 2 の特集記事の右サブメニュウのVIDEO欄の上から3つめのビデオ『La crise alimentaire en Egypte エジプトにおける食糧危機』ですが、数度、テレビ画面でも拝見しましたが、脳ツルの一凡女は矛盾を感じてなりません。ウルトラ大金持の一家が登場しますが、はっきりと「食糧問題は大したことではないし、それを考えるのは政府であって、自分は責任者ではない」と断言していたりします。施し月にしか施せないイスラームが増えたことは、イスラーム学者の著書でもかなり前に拝読しました。ラマダーンが施し月でそれが信者の義務だからラマダーン中にしか哀れみを持たないという思想の表れがこのエジプトのビリオネアーの発言だとするなら、なんと
ε= (´∞` ) Bof
でありましょう。期間限定なんぞしないで、今の私たちにできることは何なのか?できないことを無理にしなくとも、できることなら他人に失笑されようが「小さな善行」として捧げられるものではないでしょうか。例えば、シラク前大統領夫人が創設された Pièces Jaunes ピエス・ヂョオヌ という活動はピエス・ヂョオヌという愛称があるサンチーム(=1ユーロ以下の金額コイン)コインの寄付によって高齢者や児童病棟の援助を行う活動です。度々、灰色告発が世間を賑わしますが、それでも続いている慈善事業だったりします。
ヒトとして何かできる、何かする。
さて、自分は何をする?
そんなことを考えさせられるここ数日を過ごしていたりしますが、ブログ散歩中に或る言葉を見つけて、ぶったまげました。こんな言葉です。
典礼がなし崩し的に陳腐化される状況に憂慮しています
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
私はしばらく前から改めてグリゴリオ聖歌とラテン語に
立ち帰ることにしています

cf. おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々「荘厳な 教皇様のミサ
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/407/
今時、言う と思いますよ。この広い世界なら。日没後の砂漠がどれほど冷えるか、日本國より北にある北朝鮮も寒いでしょう。日本國よりはるか南でも高山地帯なら寒いし、空気も薄い。どれほど身体に負担がかかるでしょうか。

この「寒い冬には着物がない」という一文、読むなり「ちいさなひとびとの」という新しい聖歌の歌詞だとわかりました。黒革聖歌集で育った私には「新しい聖歌」という感覚です。確かに子供の頃、この聖歌を初めて朝礼時に習った時、私の心にも違和感がありました。世間知らずだったからです。成人して海外に出ることができ、市井を眺めたら、寒い冬でなくても路上で大変な思いをしている人をたくさん見ました。この歌詞の言葉とおり受け止めて、他の現実(それこそ飢餓)を指しているのではないという反論があるかもしれませんが、日本語の聖歌だから、この詞を失笑して、ラテン語聖歌を賛美できるというのも矛盾しているかと思います。神戸や新潟の震災、自宅に戻れず、硬い床の上で寒さと空腹と自然災害の恐怖でどれほどつらい思いをされた方がいるでしょう。いえ、「された」という過去形ではなく、現在もそのトラウマでご自分と向き合って闘っている方だっているのです。

フランス共和国の守護聖人のひとりにSaint Martin サン・マルタン、日本語とラテン語で表現すれば聖マルチノがいます。西暦317年、ハンガリーに生まれた彼が軍人となってフランス駐留になったのが338年、酷寒のアミアンで馬上のマルチノは寒さに震える乞食を見つけてしまった。が、何も持ち合わせていないマルチノは咄嗟の思いつきで自分のマントを刀で真っ二つに裂き、半分を乞食に与え、その場を去りました。その夜、同じ半分のマントを羽織ったキリストがマルチノの夢枕に立った・・・この精神を賛美するフランス人はたくさんいるというか、仏蘭西共和国内で Martin という町名が一番多いこと、Martin という苗字が常に上位にいることで、いかに仏蘭西びとにとっての「目標、誇り」であるかは言わずと知れたことだったりします。

聖マルチノは乞食の空腹を満たせなかったけれど、寒さを少しでも凌げるように自分のできることをしただけです。聖マルチノが実行したことは「寒い冬には着物がない」から「自分ができることをした」のです。その善行は日本語の聖歌で唄って失笑されるものですか?ラテン語聖歌やらラテン語のみのミサを決めたエラい方々だって聖マルチノの精神を常に胸に置いていたでしょう。

そもそも教会博士である聖ヒラリオ Saint Hilaire がアリウス派を否定したことで東方に長く滞在し、そこで聖歌の素晴らしさを知って、仏蘭西はポワチエに持ち帰ったのですよ(ニケア・コンスタンチノープル信条を持ち帰ったのもヒラリオだにゃ)。その後、ヒラリオはマルチノと出会い、マルチノにポワチエ郊外のリギュヂェという土地で修道生活なるものを始めるよう持ちかけたのです。西暦4世紀の西欧でのキリスト教礼拝はユダヤ教礼拝に近い形、もしくは円陣集会であり、典礼言語は必ずしもラテン語ではござらん。キリスト教なるものに2000年の歴史があり、その間に典礼所作やら典礼内に用いられる所作の改革はいくらでもありました。聖歌が用いられたのだって聖ヒラリオが東方に行かなかったら現代のカトリックで唄われていたかどうかだってOnly God knows だったりします。が、聖マルチノの善行が嘘か真か夢枕であれキリストに喜ばれたという事実は今もいつも世々に至るまで、キリスト教世界では目標とされる逸話でしょう。例えば、かの有名なマザー・テレサもその実践者であり、エマウスの創始者ラベ・ピエールもそう。ですが、名前が公表されなくても、賛美されなくても、実践するのは私たちひとりひとりではありませんか。

この歌詞「寒い冬には着物がない」が聖歌であることとカトリック典礼の問題点はリンクづけできます?TB先のブログ主さんご本人のご意見ではなく更にその先のご意見なので確かめようがございませんが、拝察するにグレゴリオ聖歌の曲調に、ラテン語に訳して「寒い冬には着物がない」と乗せたら差し支えありませんか?くりかえさせていただきます。
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
いまどき、言いますよ。これからも言います。この地図(↓)に食糧危機国がひとつもなくなるまで、誰かが世界のどこかで言い続けますよ。たとえあなた方が言わなくても。
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こういうことをおっしゃる方、B16が繰り返される「カリタス」の精神はどこにあるのでしょう?

それとも、ご自分が好まれるごミサ「だけ」でこういう歌詞内容を唄ってくれなければいい、ということでしょうか?宗教の枠組みを越えて、貧富の差に関係なく、カリタスの精神は心に宿っているものです。日本國内のカトリックだけが「今時言うか!」と国境を越えた他のカトリック諸国にさえ「我、関せず」を表明するなら、日本のカトリックなるものはそういう傲慢な、他者を思わない、自分の希望ばかりを主張するエゴイストな宗派なのでしょう。

....私が知るカトリックと違う。残念です。
マリアさま、できることは何でもします、よろこんで。

le 5 juin 2008, Igor
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by ma_cocotte | 2008-06-05 18:51 | 『?』なKTOりっくん | Comments(219)
「南欧系」とはどちらのどなた?
日曜日の朝だと言うのに、気になる記事を目にしました。
こんな見出し「世田谷殺害 犯人母は南欧系?」にまず引っかかり、その記事から先のソース先を拝見しました。私が引っかかりを覚えたのは事件の内容ではなく、この記事にちりばめられたキーワーズです。

<忘れない>世田谷一家殺害 DNA鑑定、狭まる犯人像
5月25日2時31分配信 毎日新聞
 東京都世田谷区で00年12月、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)一家4人が殺害された事件で、警視庁成城署捜査本部が犯人の血液を詳しくDNA鑑定したところ、父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた可能性が強まった。捜査本部は、遺留物などから、犯人やその近親者が海外渡航していたとみており、ICPO(国際刑事警察機構)を通じ外国捜査機関に協力を求めている。

◇父はアジア系 母は南欧系
 犯人は、自分が持ち込んだ柳刃包丁で宮沢さんらを刺したが、自分の手もけがをし、包丁の柄の部分にA型の血痕を残していた。捜査本部はDNAの塩基配列などから出身を探る鑑定を進めた。▼その結果、父親は日本、韓国、中国などのアジア系で、母方はヨーロッパの地中海北側の民族の特徴を持ち、アジア系とは明らかに異なっていた。▼明治時代以前には、日本や韓国、中国ではヨーロッパ系との婚姻がほとんどないことから、捜査本部は、母親か祖母の代の可能性があるとみる。

◇外国機関に協力要請
 しかし、中央アジアでは歴史的に欧州系民族との婚姻があり、日本でも江戸時代に交流が一部あったことなどから、曽祖母以前の婚姻もありうる。このため、犯人の国籍の特定は難しく、「先入観を持った捜査は、かえって犯人からそれる可能性もある」と指摘する捜査幹部もいる。▼(中略)▼(中略)▼(中略)▼これまでに、韓国と中国に指掌紋の照会をし、欧米にも協力を求めているが、回答がない国もあるという。

(後略)
全文:http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/20080525k0000m040095000c.html


不肖わたくし「脳ツル凡婆」が引っかかったキーワーズをで抜いてみました。
朝一番で私がまず目にしたタイトル「世田谷殺害 犯人母は南欧系?」で、「そもそも南欧系とはナニ?」という疑問がフツフツしました。まず「南欧系」という語を見てツルツル脳で連想したのが、手前勝手になりますが、フランス共和國の真ん中より少し上を横断して流れるロワール川より下のフランスかスペインのヒトです。ポルトガルは民族が違うので私においては「抜き」です。更にロワール側より下と言っても中央山脈、ピレネー山脈のオード川より西から大西洋沿岸までを抜きます。つまり北はアルプス山脈より下、西は中央山脈まで、(フランス国内において)南はオード川より東、ここから地中海までの土地が私において「南欧」というイメージになります。スペインは地中海沿岸と南スペインのイスラーム文化融合域が「南欧」にあたるのではないでしょうか。
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地球全体で眺めれば、イタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、ポルトガル、旧ユーゴのアドリア海沿岸諸国が私における「南欧」のイメージです。国際連合ではこのような区分(↓)でおぢゃる。
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はっきりとした黄緑色の国々が「南欧」です。が、フランスは国連においては「西欧」となり、南欧には入っておりません。もし「国」という単位で区分されても、フランスの地中海側はイタリア系、スペイン系や地中海系が多いのは苗字でもわかり、他のフランスとは生活文化も異なります。「南欧」と聞けば「ラテンの血が騒ぐ」だの「ラテン文化と言語」を連想したりもしますが、ラテンを出すとギリシャやアドリア海諸国は別の文化域になります。


で、次に思い起こしたのが、フランス国内でしばしば聞くメディタレーニアン méditerranéen=地中海人と呼ばれる人々でしょうか。フランス国内においても地中海側に多くいますが、肌がカフェオレ色で、黒髪、漆黒またはグレーの目を持つ人々です。が、地中海人は地中海沿岸東西南北満遍なく存在しています。「南欧系」の話題で地中海人を取り上げてしまうならば、スペイン系ジプシーであるヂタン Gitans もノマドとは言え、彼らこそ本物の南欧系ではないでしょうか。そして、フランスからスペインにかけての地中海沿岸にはカタルーニャびと Catalogne (定着民)がおり、彼らも独特の生活文化と独立言語を持っています。きょうび21世紀のフランスにおいては欧州系だけでの混血もあったり前なので、彼らの血で国籍鑑定や民族鑑定はまずできません。

となると、日本國で報道された「南欧系」とは何をもって「南欧系」と断定するのでしょう?

まあ、そんなことを思いつつ、ソース先の新聞記事(↑)を拝読いたしました。すたら、あーた、
母方はヨーロッパの地中海北側の民族の特徴
ですと。私のこれまでの妄想は大ハズレになります。私は「南欧系」と読んで「ロワール川より下、フランスの縦割中央より右側(=東側)で地中海沿岸まで」の土壌しか思い浮かべていなかったのに、「地中海北側の民族」というKWがあることで、我が顎をぐーんとあげなくてはなりません。で、これまた手前勝手に話を進めますが、いわゆる「地中海北側」と聞いて思い起こす国はイタリア、ギリシャ、トルコ、キプロスですわね。フランスとスペインは地中海北側ではなく西岸の国々になります。が、「地中海北側の民族」と言っても、イタリア人とギリシャ人は同じ人種ではござらんよ。一目でわかる。というか、イタリア国内だけでも先祖代々ローマのヒトビトにとっては隣国ギリシャどころかナポリもサルディーニヤもコルシカもシシリアもチロルも「私たちとは違う」とハッキリ断言します。むしろギリシャ人とトルコ人はパっと見、似ているかもしれません。

トルコ人が南欧系にあたるのか?うみゅうううううう。もし地中海北側の民族のひとつにボスポラス海峡より東のトルコびとを入れるなら、ボスポラスからスエズ運河までの地中海東岸のパレスチナ系も一考した方が良いですし、もしパレスチナ系を入れるなら血統ユダヤ人やスエズ運河からジブラルタル海峡までのマグレブ系(ベルベル人やカビル人など)も考えねばならないでしょう。
あ、スペインに戻ったね。
マグレブについてはイスラームの西方遠征の際にアラブびとと混血した人々が「マグレブ・アラブ人 Maghrébin Arabe 」と呼ばれていたりします。結局、「南欧系」を探すにはと地中海一周ですわな。というか、
「南欧系人」って存在します?
こうして一般紙に掲載するとしても「南欧系」のキーワードのみでは欧州に興味のない方々には変な先入観しか持てなくなるかもしれませんし、偏見や誤解が生じかねません。それとも、なんだな、ボスポラスから時計回りでジブラルタルまでに関わる方々に気でも使ってらっしゃいますか?(今の欧州では ムハンマドさま風刺画事件 なんてありましたから気ぃ使ってらっさる方もおりますよ)
欧米にも協力を求めているが、回答がない国もあるというのは、回答できない国の警察や憲兵隊が日本國の優秀な警察に比べると遥かにポンコツなどという問題ではなく、日本國から答えを求められたところで返答できない質問をされたからかもしれません。結局、「南欧系」というキーワードが書いてあっても、当事国では指紋の照らし合わせしかできません。だったら「南欧系」というキーワードは何なのか。もそっと具体的に読者に教えてくださらないと協力もできません。現段階では、トルコをアジアとするならば、「地中海北側の民族である南欧系」はイタリアかギリシャ、アドリア海沿岸諸国でよろしいのかしら?

le 25 mai 2008, Sophie
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by ma_cocotte | 2008-05-25 16:44 | 『?』な日本國 | Comments(4)
彼らはこんなことをして、何を、直に、見たいのだろう。
フランスでも先週から今週にかけてのトップニュウスは ミャンマーでのサイクロン中國は四川省での大地震 という天災についてでありますが、それらに続くニュウスで、私が注目しているのは25年ぶりの勃発になるかもしれないレバノン内戦についてです。これは天災ではなく人災でしょうか。連日の報道、実に考えさせられてしまいます。
以下はTF1ニュウスで流れたレバノン内戦に関連する主だったビデオです。
【5月9日】 ヘズボラによる宣戦布告と空港・海港閉鎖。
Les violences font plusieurs morts à Beyrouth
ベイルートで死傷者が出るほどの暴行
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845231,00-violences-font-plusieurs-morts-beyrouth-.html

Poursuite des affrontements à Beyrouth
ベイルートにおける継続中の対立
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3844929,00-poursuite-affrontements-beyrouth-.html


【5月10日】 開戦後第4日目
Timide retour au calme à Beyrouth
ベイルートでの鈍い沈静化
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845418,00-timide-retour-calme-beyrouth-.html


【5月11日】 レバノン北部トリポリの様子
Les affrontements se poursuivent dans le nord du Liban
レバノン北部における継続中の対立
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845553,00-affrontements-poursuivent-dans-nord-liban-.html

Au Liban, la crise est loin d'être terminée
レバノン、危機の収拾までには程遠い道程
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845626,00-liban-crise-est-loin-etre-terminee-.html


【5月12日】
Calme très précaire à Beyrouth
ベイルート、あまりにかりそめな静けさ
http://videos.tf1.fr/video/news/monde/0,,3845765,00-calme-tres-precaire-beyrouth-.html

5月10日、11日の目を覆いたくなるような映像は日本國ではあまり流れない現実かもしれません。【註】URLの都合上TF1ニュウスのみを掲載しましたが、国営放送 France 2, France 3 でももちろんレバノン内戦について報道されております。
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↑ こんなお気軽な格好で銃を持っちゃあいけません。↑
Miliciens du courant du Futur à Tripoli (Reuters)

親シリア派というか、レバノン西方の国イラン&シリアが「真の親分さん」のヘズボラ Le Hezbollah なる団体ですけれど、既にベイルート西部を制圧なさったとか。で、この方々は母国を戦場にして何を目の当たりにしたいンでしょうかね?理想のイスラム原理イラン&シリア盲目贔屓主義国家ですか?レバノン人の多くがイスラームだろうがキリスト教徒だろうが彼らの国内破壊行為にウンザリしていること、なぜその事実に向き合えないのでしょうか?真の親玉ズがレバノン国内の被害を目の当たりにしていないからでしょうか。

フランスはレバノンと縁がある国なので、この内戦勃発以前からテレビの報道番組ではレバノン内情についてしばしば触れられてきました。

b0070127_1673867.jpgメイ・シディアク May Chidiac というレバノン人女性をご存知でしょうか。彼女はレバノンで売れっ子のニュウスキャスターで2005年9月25日、テロに遭い、左足を失いました(左手も重症)。彼女が生還したのは奇跡だと言われており、フランスでも2006年9月に入院先のフランスからレバノンに戻り、再度の報復テロに怯えるどころかレバノンの現実に立ち向かう彼女についてのドキュメンタリーが流れました。私もそれを見ており、感動し、考えさせられました。このメイ・シディアク嬢はクリスチャンであり、レバノンのキリスト教系放送局で大活躍、大人気のキャスターでありました。事件当日は終業後、車後部座席に乗り、運転手がエンジンをかけたと同時に車が爆破、大破しました(右の写真下のごとく、ドライバーは即死)。彼女が身体の一部を失ったとは言え、今こうして生きていることは「奇跡だ」と多くの人から言われています。フランスに移送され手術、闘病、リハビリを終えてレバノンに戻った勇気だけでもチキンやらウズラハートの大衆を驚かせたのに、彼女はレバノンで再び日曜日の礼拝に堂々と通い始めました。帰国後の彼女は外出時には常時ボディガードがついていますし、誰もが再び起こり得るだろう彼女への暗殺を恐れて彼女が礼拝に通うことを止めたにも関わらず、「礼拝に通うこと」が彼女にとって暗殺未遂犯人に対する確固たる意思表示なのだそうです。
私が見たTF1の報道番組 7 à 8 セッタユイット のビデオは見つかりませんでしたが、YouTubeで彼女に関するドキュメンタリー番組を見つけることができましたので、以下、ご覧くださいませ。
May Chidiac - Lebanon
http://www.youtube.com/watch?v=1LKgqNqsbUU
このメイ・シディアク嬢のドキュメンタリーの中でも取り上げられていたのが、レバノン国内でのキリスト教信者の立場でした。現在のレバノンでキリスト教信者はマイノリティになりますが、レバノン国内における彼らのほとんどが中上流階級にあたり、これがマジョリティであるイスラームの一部から過激なほどの攻撃理由になっているというのです。

このドキュメンタリーを見たことで、レバノン国内事情に関する報道に注視し続けましたが、現在のレバノンにおいてキリスト教信者への差区別が日毎ひどくなっているのも事実です。政府が彼らに何をしているのかと言えば、勤労・就職妨害です。昨年11月はじめ、私はニュウスでこのようなものを見ました。
L'exode des chrétiens du Liban
キリスト教徒、出レバノン記
http://www.dailymotion.com/video/x3hiht_lexode-des-chretiens-du-liban
フランス語でレクソド L'exode という単語を用いる時、旧約聖書のレクソド、つまり出エジプト記を連想するような状況を指します。この報道によりますと、既にレバノン国内に住む約50000人のキリスト教徒が「迫害」によって欧州、オーストラリア、カナダへの移住を決めたということです。確かにこのビデオに登場する男性も脳神経外科医という職業にあり、レバノンでも中上流に属する方と拝察します。が、彼らの言い分は信仰が理由で母国なのに居心地が悪くなっている、だから移住に踏み切ったのです。ビデオの冒頭に登場するマロン派の教会もこの礼拝が最期の礼拝で、この礼拝を限りにこの教会は閉鎖されたそうです。

もし彼らがイスラームに改宗すれば母国レバノンにいることが「できる」のですよ。

「だったら改宗すりゃあいいぢゃんか」という意見も多々あるのかもしれませんけれど、そういう意見は欧米ではあんまり通じない意見だったりします。それこそ「宗教は毒」と言いながらなぜかイスラームとだけは仲の良い政治思想団体の方々が同意するでしょうけれど。

嫉妬が先立ってテロったところで目に見えるものの破壊や崩壊しか目にすることはできません。先に登場のメイさんではありませんが「左足が義足になっても私の魂は同じ魂だ」です。中上流階級のキリスト教徒を国から追放したところで、その職の器に値しないものが就任して、脳神経をいぢったところで治療にも快気にも至りません。
そんなこともわからないのが問題なのです。
彼らの中には邪魔者を追い払えば、その椅子に座れると単純に考えている人もいます。自分のタレントを忘れているのです。

私個人は同級生がレバノンからの帰国子女で、彼女から何度もベイルートはかつて「東洋のパリ」と言われていたのに内戦でその美しさを失ってしまった、と何度も聞かされていたし、フランスに住むようになってからもイスラームのレバノン難民一家と交流したり、改宗してカトリックのドミニコ会修道女となったシスターにもお世話になりました。レバノンは私にとって遠いようで近い国のひとつです。信仰先が違えど彼らレバノン人の思いは母国レバノンに平和が戻ることです。青い空と海、赤い土と白いローマ遺跡と西欧風建築に緑の木々と人々の穏やかな笑い声。彼らが懐かしい母国を語るとすぐ、美しい灰色の瞳に涙のヴェールがかかります。こうして移民した今、母国に再び定住するのは簡単には行きませんが、それでも平和であれば、いつでも、たとえ短期間であっても戻れるでしょう。早くそういう状況になりますように。廃墟は虚しい、虚しすぎる。

今年はじめ、地元の外国人向けフランス語講座に参加したら、クラスメートのひとりがシリアで育ったパレスチナ難民女性でした。彼女は完璧にヘズボラ贔屓で、私たちが西側メディアに騙されているのだと毎日力説しました。このフランスで職を得て、いかに自分達が被害者であるかという真実を伝えたいんですと。自分から被害者になって、既に被害者でないのに、被害者のままであり続けたいがために理由をこぢつけているようにしか見えません。この彼女が希望する職は公立校のアラビア語講師なんですけれどね。「マダムのおっしゃるとおりです。奪還するまでガンガン、中東でテロろーぜ」という生徒に巡り合えるのでしょうか。
私はこのフランス語講座に行くのを止めました。ψ(`∇´)ψ
平和を手に入れる方法が違いすぎ。
彼女が強く主張するように、彼らを被害者と私たちが認めてあげても平和は訪れません。本当に平和を願うなら、破壊した建造物を直して、キリスト教徒だろうがイスラームだろうがそこに住んでいた住民が再び住めるようにしてくださいよ。砂漠の夜は寒いと確か聖書のどこかに書いてあったよ。

le 14 mai 2008, Mathias
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by ma_cocotte | 2008-05-14 04:13 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(25)
別に私はどこでも構わないのですよ。
祈ることができ、
この世における我が身の使命が果たせれば。
と、ダライ・ラマ Dalaï-Lama 師はおっしゃりたいのでは、と、この2か月の彼にまとわりつく騒動を傍観していて私は妄想したりしています。

先日、ベルトラン・ドゥラノエ Bertrand Delanoë 氏が長上のパリ市議会において、ダライ・ラマ師がパリ名誉市民になることが可決 されましたが、それは今回の事件をきっかけにパリ市長が大統領&首相府を挑発したわけではなく、既に2003年にダライ・ラマ師がパリ市を訪問したことでその種は撒かれていたのだと表向きにはそう言われています。

日本國ではエイメリカに向かうダライ・ラマ師が日本を経由しただけで大騒ぎになりましたが、フランスにおけるダライ・ラマ師の扱いというのはあまり仰々しいものではないように拝察しています。というのも、おらが町にも数年前、ダライ・ラマさんがお出ましになってるだね。
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↑ おらが町の名物、川下りを楽しまれるダライ・ラマさん ↑
ちなみに左側の僧侶はフランスにおけるチベット仏教の最高責任者さん。

このダライ・ラマさんご訪問を私が記憶しているのも、このご訪問直前に私がこの町に来て、現在住んでいる家の入居契約をしたのですね。その時、建築主であるマダムが私に向かって、この町にはこの春ダライ・ラマ師が来るので、この町は仏教にもアジア人にも優しく、心開く町なのだ、と差別発言をなさいました。マダムにしてみれば思いやりなんでしょうけれど。それを聞いて平行ドンビキした私が「私は日本人ですし、日本の主だった仏教はチベット仏教とは異なりますんで、はい」と返答し、マダムが豆鉄砲フェイスになったのもリアルに覚えております。フランスにおいては田舎であればあるほど日本は中國内にあると思い込んでいるフランス中華思想者が多すぎるでござる。

この時のダライ・ラマ師ご訪問のきっかけは、その数年前におらが町の市長さんがインド北部のダラムサラ Dharamsala でダライ・ラマさんにお目にかかり、おらが町で「チベット市」を開く計画があることを話したところ、ダライ・ラマさんが市長さんの目の前でご自分のアヂャンダを開き、何やらメモされたのだそうです。すたら、あーた、本当にその予定にあちらからお気軽極楽にいらしてしまったんですな。
ダライ・ラマさん、イイヒトでーす。(T_T)
しかも、ダライ・ラマ師の講演会の日にゃあ、こんなに人が集まった。
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この頃、フランスでは「ダライ・ラマは金集めが上手」と口にする人も結構いました。それはかつてマザー・テレサに対しても同じことを口にしている人がいたことを思い出させることですが、こういうことを言う方々は中道左派より左突き当たりまで「宗教信仰者=泥棒」、「宗教=集金手段」という単純刷り込みによる発言に過ぎません。おらが地元も揺ぎ無いPS居城として現在は知られています。

なぜ「現在は」なのかと言うと、今は中道左派で徹底政教分離で同性愛者も好んで引っ越してくる「おらが地元」ですが、かつては血みどろ中世史の舞台の中にあり、続いて太陽王ルイ14世 Louis XIV の愛妾妃がこの町に生まれ、その太陽王がこの町周辺に住む新教徒に旧教改宗を命じたところ彼らが応じなかったので虐殺してしまったり、フランス大革命においては革命政府からカトリック棄教を命じられた聖職者、修道者、市民がそれに逆らったがために殺されてしまったり、前世紀にはヴィシー政権が市役所乗っ取りをしユダヤ人迫害も行っている過去があります。宗教や人種で大量の赤い血が路地やら川面を流れた町なんですよ。こんな過去があるから、多くの人が先祖になんらかの形で虐殺された者を持っているから宗教アレルギーとなり、フランス社会党よりヒダリがこの町では愛されているとさえ言われています。今になって、この町に住む中道左派でありながら共産党より手前に座す「われこそは真の善良」と称す市民が「私共の町は仏教も、アジア人も受け入れます。ダライ・ラマ師がいらっしゃるくらいだから」と喧伝したところで、ダライ・ラマなる方が訪問する市についての予備知識も携えずにノコノコやってくるとは思えません。つまり、ダライ・ラマ師はフランスがどういう過去を持っている国か重々承知であり、そんな自慢できない過去を抱えた自称人権先進国が、ご自分が生きている今、こうして平和に迎えてくれるなら
それでいいぢゃないか
という、心の中の整理やら割り切りができているのではないでしょうか。現に、フランス共和国は 大革命当時のカトリック王党派への虐殺 については現在も多くを語らないままです(語れるわけがない)。肉体的にも霊的にも命に関わるほどの制約が在りすぎるチベットに今は戻れませんよ。帰還は悲願であるけれど、帰還のためには段取りも必要というのは所違えどイスラエル建国の前例でわかりすぎていることです。

さて、ダライ・ラマ師ですけれど、今年8月にはナント Nantes におみ足を運ばれます。
http://www.dalailama-nantes2008.fr/
今回のダライ・ラマ師の来仏も国賓扱いではないようです。
ダライ・ラマ師は8月15日から20日までいらっしゃり、講演会や仏教の生活文化指導などなさるようです。ノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ師の講演会はともかく、こんなはるか遠方の異教異文化の指導にフランスびとが集まるんか?と思ったりしちゃいますが、フランスにおけるチベット仏教の浸透度は日本國よりはるかに広く深く染み入っております。

b0070127_17551218.jpgなにを隠そう、ココんちのフランスびと♂もチベット仏教の修行をコートダヂュール某所で行い、得度し、名前までいただいています。証拠写真(→)ね。左がチベット仏教の得度証明書。このフランスびと♂と知りあって間もない頃、エクサンプロヴァンスのはずれの獣道の先にあるチベット仏教の隠遁所にも連れて行ってもらったことがある私です。
そういうナマな世界に接することがなくても、毎日曜日の朝8時過ぎにうっかり国営放送France 2 にチャンネルを合わせれば、仏教番組 Sagesses bouddhistes (仏教の智慧)が流れておりますわね。今のフランスにとって、チベット生活文化はフランスの普通の人々の普通の生活に浸透できる土台が日本國よりはるかに整っているように見えます。
cf. Union Bouddhiste de France http://www.bouddhisme-france.org/
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↑ チベット仏教のお祈りだそう ↑

きょうび21世紀、目に見える距離、人種、文化だけでは他者との関係の重さを計れないかもしれません。日本がそれらをあげてフランスに自らはチベットに詳しいと言ったところで、そりゃ、どーかな?です。第二次大戦後、政治亡命者、移民受け入れを積極的に行っているフランスにはチベット難民もいれば華僑もいるし、欧州系の人々の中にはチベット生活文化通もいれば、中國ヲタクもいます。そういう過去やら思考やら嗜好を持つ各個人が自由に爆発して意思表示できるのも現代フランスだからなのでしょうけれど、場合によってはヨソの国から派遣された第三者によって導火線に火をつけられているように見えます。だから、気味悪いのだな。

ダライ・ラマ師はチベット仏教の最長上さまであるのだからして、ご自分の思いを語れば、それはご自分の霊的兄弟の思いを代弁していると取られてしまうでしょう。ですが、この世にいながらにして世捨て人でもある僧侶が、この世で何を果たさねばならないのか。それはこの世のどこであっても祈ることでありましょう。それが、今のチベットではできない。今のフランスでは自由に祈ることができても、この先、自由に祈れるかどうかは誰にもわからんぞ。

この世には桃源郷はないのだろうか、ふとそう思いました。

le 10 mai 2008, Solange
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by ma_cocotte | 2008-05-10 17:03 | 『?』なたわ言 | Comments(10)
その一言で、彷徨える魂。
こんにち5月1日は Ascension アサンシオン(昇天祭)と呼ばれるキリスト教のお祭り日(ただし、移動祝祭日)でありました。

フランスでは朝9時から12時5分まで国営放送France 2 ではEmissions religieuses 宗教番組と称して、9時から正教会、10時からプロテスタント、11時からはカトリックの礼拝(ミサ)の生中継が放映されました。

そんな番組をぼーっと眺めながら、きょうはキリストが天に昇った日なのか、とあらためて思いつつ、今年の昇天祭は昨年とはちょっと違う思いが自分の心を過ぎっていることも確認しました。その違う思いを持ったのも2月の終わりに帰天した母がせいです。母の葬儀を終えてからも一か月実家にいたので、そこには母の骨壷があったので、母が小さくなってしまったのは目に見えてわかっても、不思議なもので母がいない寂しさを実感できないままでした。実家を離れ、フランスの家庭に戻り、母の骨壷に毎日手を合わすことができなくなってしばらく経ったところで、ようやく母が同じ大地にいない寂しさを実感し始めました。この頃は肉体を離れた母の魂がどこにいるのか、とふと思うようになりました。他人さまからは「神さまのそばにいる」、「あなたのそばにいつもいる」、「まだ煉獄かもしれない」などいろいろなお話も伺いました。私はお通夜や葬儀でお坊さま方から伺った母が極楽にいる、というお話を伺ったこともあり、それがなんとなく私の心も落ち着いていられるな、と思いつつも、まだ心が揺れ動いているのか、母を探し求めていたりします。生前、『銀ブラ』が大好きだった母でもあるので、いろいろな方の慰めの言葉を拝聴しつつ、母がどこに寄り道しようともいずれは極楽だか天国で落ち着いてくれれば、と思ったりもしています。

こうして昇天祭を迎えて、ふと思い出したのが、3月に或る方から「天国なんてないかもしれない。この世は楽しい。良いところだ。」と言われたことでした。その言葉を聞いたのは母の帰天から二七日(になのか、=14日)を過ぎてまもなくで、私は葬儀でのお坊さまがおっしゃった「母が極楽で待って、いずれ再会できる」という言葉に慰められていたし、子供の頃に耶蘇女学校で学んだとおり「私たちは死んだら、煉獄という場所で清めをし、いずれ天国に行き、永遠の休息に入る」ことも母がそうであればいいと内心思っていました。が、この「天国なんてないかもしれない。」云々を私に話した人がカトリック聖職者だったから、この言葉を聞くなり、私の母の霊魂はいったい今はどこに?と不安になってしまいました。母の帰天から二週間が過ぎ、天国だか極楽に母が既にいるなら娘の私としては安心ですし、もし母がまだ煉獄という場所にいるならば、かつて「煉獄にいる魂は自分のために祈れないから私たちの祈りが必要だ」と学んだので、毎日、母のために手を合わせるのがこの世に残る父と私の務めだと思います。実際、私が実家にいた一か月、私は母の身辺整理やら事務処理で動きっぱなしでしたが、看病を終え、母を見送った父はどこか気が抜けたまま、起きてから寝るまで母の骨壷と仮位牌の前で線香をともす、手を合わせる、言葉をかけるの繰り返しで、まるで坊主のようでした。生前の母が父の名前が「坊主臭いほど道徳的な名前」と失笑していたのを思い出しつつ、名は体を表はす、とはこのことなり~と思ったりもしましたが。

兎に角、キリスト教というか、カトリックならヒトには輪廻転生もなく、胎に生命が宿った瞬間から神秘が始まり、死なるものもこの世における最後の神秘のうちにあり、魂が身体から抜け帰天することで身体は朽ちるのだと私は思っていました。そして、カトリックの聖職者や修道者はこの世に生がありながらも、既に心身共に神に捧げ、この世に未練なんぞ最早ないのだと
....それって、勘違いだったのかな? ¢( ・_・) ? 
小学生の頃学んだ「宗教」という授業で、数多くのカトリック聖人伝を聞いたけれど、多くの聖人が「罪を犯すくらいなら死を」と祈って殉教したそうです。きょうび日本国内の聖職者も修道者も殉教を想定するような状況にはおかれていませんが、それでも日々の祈りの中で「一日も早く天国に招いてください」と凡人の私には理解に苦しむ祈りを捧げている方々が数多いらっさると漏れ聞いていたのですが。目に見えて楽しすぎるこの世に未練があって、他人に「天国がないかもしれない」と言う司祭。

あの日、神父さまから「天国はないかもしれない」と聞いた瞬間に、帰天してまもない母がどこかで迷子になっているのでは?と不安になりました。神父さまから「この世は楽しい」と聞けば、日本人女性の平均寿命が85歳だというのに73歳の若さでたったひとり天国に旅立った母がもう少しこの世にいた方が良かったのかな、とも思ってしまいました。そう思ったところで、この一年の母は寝たきりで思うように動けもしなければ、話すことさえ出来なかったけれど。そこに天国があるなら、母の魂は今頃、苦痛もなく、自由で幸せなのだろう、と思えますが、もし天国や極楽がなかったら私の母は今どこを彷徨っているのでしょうね?誰かが私に話してくれたように、母は今も私のそばにぴっとりと一緒にいるのでしょうか。それとも死んだら何もかも終わり、無なのでしょうか。

無ではないと思うな。
だって母の遺体を目の当たりにした時、魂がそこにないことがひっしりわかったもの。
それは心臓音や息遣い、ぬくもりとは関係なくて、魂が抜けているのがわかるのです。だから、魂なるものは「ある」と母の死を境に前にも増して強く実感しています。

死後、ヒトはどうなるのか?
こればかりは自分が死んでみなければ確認できないことですが、私は霊魂が永遠に憩える天国だか極楽なる場所があった方がいいと思うし、できればいつか私も母と天国で再会したいと思うのですが・・・・もし天国がなかったら、肉体と共に昇天したキリストや聖母は今、どちらにいらっしゃるのでしょうね?この世での使命を終えた魂が安らげるのが死でありましょうに、休む先がないというのは死してなお疲労するイメージしかわかなかったりします。
死んでも疲れるなら死にたくないかも。
誰にぶつけているつもりでもありませんけれど、ボヤいてみました。

le 1er mai 2008, Jérémie

TF1 のニュウスで流れたモン・サン・ミッシェルの様子です。
Le Mont Saint-Michel fête ses 1300 ans (4月30日@TF1)
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3837794,00-mont-saint-michel-fete-ans-.html
Le Mont Saint-Michel fête ses 1300 ans (5月1日@TF1)
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3837884,00-mont-saint-michel-fete-ans-.html
A chaque touriste son marchand フランス風門前町の様子(^_^)
http://videos.tf1.fr/video/news/0,,3837888,00-chaque-touriste-marchand-.html

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by ma_cocotte | 2008-05-01 23:04 | 『?』なたわ言 | Comments(12)