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11月20日には投票所へ、ガウっっ!
昨日のお仏蘭西は国定固定祭日でした。第一次世界大戦終戦(休戦)記念日。そして、暦の上では聖マルチノ(仏語だとサン・マルタン Saint Martin)のお祝い日でした。世界中のマアチンやらマルタン、マルチ~ノさん、おめでとさんでござんす。

今年の11月11日は金曜日でしたから、今日の土曜日はいつもならば動いているところでも休業して連休にしてしまっていたりします。それでも、ココんち旧市街の朝市はいつもの土曜より幾分小さめながら営業。でも、天気予報では生憎の雨模様らしいです。きょうの朝市に行こうか行くまいか悩みつつ、行ったところで朝市の出入り口に例の人々がビラ配りしているのだろうなあと思うと、大根足がいっそう重くなります。例の人々というのは来年に選挙を控えている共和国大統領選挙で中道右派政党 レ・レピュブリカン Les Républicains (=和訳すると共和党)の党員でもあるアラン・ヂュペ Alain Juppé の 支援者さんたち です。 彼らはこの夏の終わりくらいから土曜の朝市の出入り口に立ち、敬愛するアラン・ヂュペが次期大統領になれるよう熱心に支援を求めるビラ配りをし続けています。ココんちあたりはアラン・ジュペが長年市長職にあるボルドーから北に向かって車で3時間ほどの所ですので、もしかするとココんちあたりにもジュペ贔屓がかなり潜伏しているのかもしれません。

昨晩は寝ぼけ眼でテレビ画面を眺めていたら、その中道右派(レ・レピュブリカンとキリスト教民主党)の大統領予備選立候補者7名の人気投票で現在のところ、第一番の人気がアラン・ヂュペで36%、第二位がニコラ・サルコぢ Nicolas Sarkozy 前大統領で26%、第三位がフランソワ・フィヨン François Fillon が20%なのだそう。この状態で11月20日の中道右派大統領候補決定選挙になるのか、それとも、まだ7候補の順位逆転はあるのか。

この順位を見たココんちの仏蘭西びと♂が突然、「ボクは11月20日、フィヨンに投票してくる」とつぶやきました。それを聞いて私は「あら、あーたはレ・レピュブリカンの党員でもなければ、支援者でもないぢゃないの!それでも投票するの?」と苦笑いしたら、彼曰く「IDカードを持参し、2ユーロを払えば誰でも投票できンだよ」とのこと。へぇえええ、そうなんだ。

ま、この時点で彼の口からヂュペに投票するなんて出ようもんならば、家庭崩壊(と言ってもココんちには彼と私しかヒトはいないンだけれど)でしたら、フィヨンに投票するならば、私は三軒家万智のごとく彼に向かって「ガウっっ!」ひゅるるるるるぅ です。なぜなら、私は昔からフランソワ・フィヨン贔屓だからです。一方、私が昔っからアラン・ヂュペを毛嫌いしているのは(ただし、サルコぢよりヂュペの方がかなりマシです)このブログでも明白で、先月から活発化している共和国大統領予備選ネタで常に1、2位をヂュペとサルコぢが争っている点は変わらねど、この二か月ほどで人気四位あたりだったフィヨンが第三位につけていたブルノ・ルメール Bruno Le Maire と逆転したのは吉報に思えます。

私はたまたま仏蘭西共和国に長期滞在しているガイジンですので選挙権を持っていませんし、新しい大統領が「黄色いお前はとっとと出て行け」と命じてきたら、とっととこの国から出て行くので、今度の大統領選挙でも私は員数外の傍観者に過ぎません。

ただこうして眺めていると、第二位のニコラ・サルコぢは悪役、ヒールのダークサイドにしか私には見えず、この下品なサルコぢをはさむ二人が天から指す光で輝いているように見えるのです。一位のアラン・ヂュペはシラク大統領時代の首相経験者であり、三位につけているフィヨンはサルコぢ大統領時代の首相経験者なので、どうしてもフィヨンの方にサルコぢの影がかぶりがちなんですな。でも、実際はサルコぢとヂュペの方が「おぬしも悪よのぉ。ぶゎははははは」仲間なんだけれどさ。

そのフランソワ・フィヨンの本拠地はサルト Sarthe 県で、ほれ、あの有名な24時間耐久レースの開催地ル・マン Le Mans がある県で、フィヨン本人も趣味のひとつが車のレース。ココんちあたりとル・マンはココんちから北に向かって車で3時間弱なので、ええと、ココんちあたりを中心にすればボルドーもル・マンもほとんど同距離なんですわ。なのに、旧市街ではアラン・ヂュペ応援団ががんばっている・・・というのが現状の現実ですかね。ふぅうううむぅううう。

余談、西方教会との関係はヂュペよりフィヨンの方がハニーです。
そりゃ、そうだわな。ヂュペと西方教会は不動産の一件で裁判沙汰になり、西方教会が勝っておりますけんw

11月20日の投票まで8日となり、ココんちの貴重な一票はフィヨンさんに投げられるので家内安泰。
ですが、私の友人、知人はかつてのサルコぢストが複数おりまして、彼らが今回、誰を応援しているのか未だ私は知りません。カト(=西方教会)的観点ならば、フィヨンぢゃろ、おい!なんですが、あんまり政治の話をしたくないしなあ、あたし。

私個人は員数外ながら次期大統領にフィヨン、その後継にブルノ・ルメールでどうかひとつ、と夢見ています。寄留民にも、夢ぐらい見させろよw



le 12 novembre 2016, Josaphat

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by ma_cocotte | 2016-11-12 15:37 | よっ、大統領!2017 | Comments(2)
われらがオバ美がいるではないか!
そうだ。
そうだった。
われらがオバ美が次期大統領候補に選ばれますように。
The Internet Really, Really Wants Michelle Obama to Run for President in 2020 @TIME

木曜日の朝、いい目覚めになりました。
まるで闇に一筋の光が差したかのよう。でお・ぐらあしあす。


le 10 novembre 2016, Léon



私はずっと前からオバ美の大ファンなのでした。うふ。
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by ma_cocotte | 2016-11-10 15:00 | 『?』なエイメリカ | Comments(0)
あの世から大橋巨泉さんや植木等さんが降臨してきそう
な事態ですわよね、奥さん?

そう、エイメリカの大統領選挙の結果です。まぢ、はらほろひれはれ。びっくりしたなーもー。
あんれま、ダアナルド・トゥランp Donald Trump が勝ってしまったでゎないですか。

トゥランpの当選を知ったと同時に私の脳には、トゥランp最初の業はワシントンDCのポトマック河畔のどこかに、過去のいずれの大統領の像よりも大きな自分の像を置くのではないかという妄想でいっぱいになりました。かつてのソヴィエト&コメコン国、イラク、中国そして今の北朝鮮のように。それはいつか首に鎖をつながれたまま倒れ、大地にぶつかり粉々になる運命・・・なんてなw

しばらく前に私のFBヲールに複数の日本人からトゥランp候補がもし大統領になったらばこれまでの米国にはびこっていた学歴偏重の伝統を覆し、多くの機会が万民に与えられることになるという意見が届いていたので、それ(だけ)については「なるほどな」とまず思ったけれど、エイメリカの学費諸々知らなくはないので、トゥランpが大統領になったところですぐに万民に出世の機会が与えられることは夢のまた夢だと私ゃ考えました。

それに、トゥランpの何かがニコラ・サルコぢの何かと合致しているという私の勘違いが拭えないので、私はトゥランpを「毛嫌い」しているに値します。

本当にほうぼうで飛び交っていますが、9歳児でもよくわかる語だけでトゥランpは多くのエイメリカ国籍者を魅了したのも否定できません。今回の選挙結果地図を眺めると、確かにヒラリ・クリントンが勝った州は高学歴者が集う街が点在しているし、世界に名だたる大学がある州でもあります。一方のトゥランpが勝った州は商業よりも農業立国が中心ですな。

私がトゥランpを毛嫌いしたきっかけになったのは、トゥランpのこれまでの女性蔑視やいやらしい話です。あれを見聞してもなお、トゥランpに貴重な一票を投じるヒトの気が知れないとボヤきたいくらいです。変態サルコぢくらいが手を取り合うであろうトゥランpの口から出る下品な話を見聞しても見ない振り、知らない振りができるってどういうことよ?と。
でも、涼やかにエイメリカを眺めれば、それが事実なのだから、ああいう下品な話をなんとも思わないひとが多く住んでいるのだろうな、と想像するしかありません。

今朝は午前1時から午前4時頃までFrance 2 の米大統領選特番を「ながら視聴」していましたが、投票権を持つ移民二世(=つまり米国で生まれた成人)がもしトゥランpが当選したら、選挙権を持たない親は国外追放になり、自分と離れ離れになる、一家離散だと発言していたことにもらい泣きでした。トゥランpのこういう、移民難民に向けての酷な提案もどこかサルコぢにつながるので吐き気がします。

あれだけの夢想としか思えない公約をどれだけ実現するのでしょうかね。
日本から米軍が撤退する。
ロシアと手を結んで、シリアやイラクで「イスラム国」に戦いを挑む。← 外交音痴の域をはるかに超えたパーですわな。エイメリカがアサド支持になるンですか?

私はトゥランpはあくまでも共和党の踊り子であって、彼を踊らせるブレインズが肝なのだと見ています。彼らがもし存在しないのならば、トゥランpの時代に第三次世界大戦が始まるかもしれないし、寝ぼけたトゥランpがうっかり核のボタンを押すかもしれません。

おそろしい時代が近づいているなあ。


le 9 novembre 2016, Théodore



嘘か真か存じませんが、今朝、こちらのテレビ画面でブッシュ家のみんなが白票を投じたと流れました。大統領選で白票を投じるってどうゆう? 多くの共和党員がもしかして白票を投じたのでしょうか? なんだかな、もう。
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by ma_cocotte | 2016-11-09 20:10 | 『?』なエイメリカ | Comments(0)
10月4日+暦の上では大聖人フランチエスコのお祝い日
きょうの朝一番、顔本からの知らせで昨日10月4日、われらがパァパ・フランチエスコ(ここでうつむきがちに十字を切る)が8月24日に深刻な地震に見舞われたアマトリ~チエ Amatrice を訪問したことを知りました。

毎年10月4日はカトリック教゛会の暦やら西欧の旧教由来の国々の暦でフランチエスコのお名前記念日です。(詳細で表すならばカトリック典礼暦ではアシジの聖フランシスコ、旧教国ではそれぞれの言語に基づく表し方で、たとえば英語ならFrancis, 仏語だとFrançois)

そう、われらがパァパ・フランチエスコの「フランチエスコ」は、彼が教皇に選出された直後に提示した名前で、アシジの聖フランシスコからいただいたものと伝えられております。つまり、昨日は今上教皇ご本人にとりましては年に一度の霊名記念日だったのであります。ならば、そのお祝い日にほうぼうから祝賀の訪問者やら、洗練された食堂での正餐を妄想しがちの庶民でありますが、パァパ・フランチエスコは年に一度のお祝い日にヴァチカン宮殿を離れ、今もなお瓦礫のまま、村民のほとんどが仮設所で寝起きしているアマトリ~チェに行き、被災者や地震犠牲者の遺族と連日、救済復興活動に勤しむ消防隊はじめとするひとびとを慰められたとのこと。

いんやー、教皇さま、たいしたもんだと思いました。

ご自分のお祝い日に受身になるのではなく、おん自ら動いて、その日の善につとめることが耶蘇としての奉献であり、感謝につながると。羊の群れをたばねる羊飼いたる者、こうして見本を示すのが筋道であり、道筋なのでしょう。


le 5 octobre 2016, Faustine

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by ma_cocotte | 2016-10-05 17:17 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
小さき花の、
こんにちは10月1日。

首都圏ですと「東京都民の日」です。
私は東京都民ではありませんのに、学び舎が東京都内に在ったので園児、児童、生徒、学生と毎年10月1日が休日でした。そんなことどうでもよいことです。耶蘇教゛界では同じくこんにち10月1日は小テレジアの祝日です。
「小テレジア」って誰よ?
小テレジアとは「小さき花のテレジア」ですよ。
「え?誰、それ?」
ええと、小さき花のテレジアは「幼きイエスのテレジア」ですよ。
小テレジア=小さき花のテレジア=幼きイエスのテレジアなるお方は、この方 ↓ 。
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フランス共和国の中ですと、「幼きイエスのテレジアって誰よ?」と質問してくる仏人が結構いるので、「ほら、ノルマンディはリジュウ Lisieux のテレーズよ」と返答したところで、理解に至る仏人はこの10年で五割を切ったあるね(失笑。たぶん、日本語で表すところの「テレジア」はラテン語で、共和国内での「テレーズ」は Thérèse で、IDが仏蘭西で生まれ育ち亡くなった彼女の本名に含まれる Thérèse と同じになります。

日本國国内ですと、きょうび「幼きイエスのテレジア」で彼女を指すことにほぼ統一されたように思えますが、昭和を生きたカトちゃんやらあたしのような昭和の耶蘇学校在学者には「小さき花のテレジア」もしくは「小テレジア」の方が脳内でピンと反応するかもしれません。

「小テレジア」と彼女が呼ばれるのは「小さき花のテレジア」を略したわけでなく、彼女が奉献生活を送った女子カルメル会の創立者の名前がラテン語で表すと同じく「テレジア」であり、彼女もまた聖女であるので、彼女については「大テレジア」という愛称があるのです。ちなみに大テレジアのお祝い日はこんにちから二週間後、10月15日でごわす。もしお友達の名前がテレーズやテレサだったら大小どちらにゆかりがあるのか伺ってからお祝いした方がいい場合もありますし、聞いたところで「そんなの知らない」と返答されることもきょうび21世紀の仏蘭西だったらよくあることです(むしろこの反応がマヂョリティ)。

そして、「小さき花の」の冠も、昭和に育った日本婦女子にはどこか懐かしい響きで、当時は同じ冠の幼稚園などが各地に点在していたものです。もし昭和時代に耶蘇学校や教会学校に通っていたら、同級生やお仲間の女の子の洗礼名が「小さき花のテレジア」だったケースが多々あると思います。当時は女児の幼児洗礼で人気の名前のひとつが「小さき花のテレジア」だったのですね。今の人気のおクリスチャンネームは何なのかしら?

こんなことでも昭和は遠くなりにけりざます。

どうぞ良い週末を。


le 1er octobre 2016, Thérèse de l'Enfant-Jésus

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by ma_cocotte | 2016-10-01 16:20 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
これまでの30年、これからの30年
そうそうそう、思い出しました。
22日の日。
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陽光に当たり、そよ風に吹かれながら、麦酒を気分良くいただいている時にふと腕時計を見たら、何かおかしいことに気づいたのです。

時計はきちんと動いているのですが、何せ時計盤に分刻がないと好きになれない私なので、些細なことだけれどもんここに「今、何時?きょうは何日だっけ?」と質問。時計が正しい時刻をさしていることに安心して、龍頭を巻いたら、龍頭がきつく閉まらないのです。あれ?今朝、時刻と暦を合わせた時は龍頭はゆるくもなり、閉まりもしたのに・・・と、ここで30年近く愛用の自動巻き腕時計が壊れているのではないか?ということに気づきました。自動巻きなので電池要らずのマイ腕時計、この30年近くまったくの異常無しで、初めて私にSOSを示したことになります。

食事の帰り道に旧市街の時計屋さんに持参し、龍頭がおさまらないことを話しましたら、これは本社工場に送って全点検ですね、とヒトで言うところの入院を宣告されてしまいました。すぐさま、見積もりを伺ったら、なんと、450ユーロくらいではないですかねぇ、と涼やかなお返事。どへ、あんた、そりゃ、新しい腕時計一本買うより高いでよ!と貧困に加え、超ウルトラスーパーどけちの性(さが)を持つ私の心の声が怒髪天突いたンですが、お店の方が「ですが、奥さん、新品状態で戻ってきますよ。今まで30年故障知らずならば今後30年故障知らずです」と。

・・・あーた、お商売上手ね...

と、口に出さずに心ン中でつぶやきつつ、とり合えず正確な修理費用が本社から連絡あるまで委ねることにしました。もちろんその動作中、私の脳内は450ユーロを30年で割ったりかけたり、なんぢゃろね、マトリックスの黒字に緑の縦横ビラビラみたいな感じ。麦酒とワインをいただいた後で脳が働いただけでもたいしたもんです。

それが22日で、こんにちは29日。
一週間になりますけれど、未だ旧市街の時計屋さんから何の連絡もありません。
あたしの腕時計、人質に取られたような気分ざます。返せ、こんにゃろめ。



・・・・って、こういうネタ、10年くらい前だったら「ヂャウ・ハランバン夫人」シリーズでエントリーしたよね、なんてことを思い出した。思い出せたことも奇跡だな。


le 29 septembre 2016, Michel

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by ma_cocotte | 2016-09-29 16:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
今年の犠牲祭 イード・アル=アドハー
今朝、メールボックスを覗いたら、外務省関係のお知らせが届いていました。
表題は「注意喚起:犠牲祭期間」。
犠牲祭というのは年に一度行われるイスラームの大切な儀式で、当然イスラーム暦に基づくので、ラマダン同様、年々ずれることになります。今年は来週の9月12日から9月15日頃だそう。「頃」というのがミソだなあと思います。日没をさすのか、それとも16日の夜明けまでをさすのか、ちょっとわからん。

この犠牲祭ですが、イスラームになじみのないヒトにはかなりキツい儀式で、画像検索なんぞ私個人は決して勧めません。もし行うなら、それなりの覚悟をお持ちあそばせ。で、犠牲祭について文章に表すとするならば、外務省からのお知らせを引用するに
イスラム教徒は,神(アッラー)への捧げ物として,
羊,牛,山羊などを屠り,貧しい人々と分け合うことが習慣
となります。この「屠る」行いが元気な動物の頚動脈をナイフで切るスタイルでして、これはもちろん日常のハラルでも同じで、イスラーム教徒はお肉をいただくにしても動物の血を完全に抜くことが義務なのですね。それをこの犠牲祭の間は市井で業者ではなく一般の男性信徒によって行われることになるわけです。

フランス共和国においては新生児の7割がイスラム教徒という話題が数日前にマスコミを飛び交ったこともありますが、そうかと言って、フランスの土壌は未だイスラームに変化し終えていません。ですから、この犠牲祭の知らせで思い出したことは、隣村に住む私の知人宅の隣にイスラーム教徒の方がお住まいで、庭で犠牲祭にささげる羊や山羊を飼育し始め、知人(欧州系の元パリジエンヌ)が困惑していたことです。飼うのは妥協するにしても、隣の庭で動物を屠るのは心理的にキツいと繰り返していました。

うぅうううむ。

そして、もうひとつ思い出したことはイスラーム原理教条過激派の、いわゆるテロリストと呼ばれるひとびとが異教徒の処刑に頚動脈を切る、首を落とすという行為を選ぶのはこの犠牲祭につながるロジックがあるらしいという説。つまり、イスラームとしての人生において大切な犠牲祭で神にささげる動物を上手に屠るために、異教徒を「練習に使う」という感覚です。信じがたいですけれど、彼らにとって「人間のくせにイスラームとして生きられない」人間は神にささげるための動物より「以下」、「低い生き物」なんですね。そういう思考回路はおぞましく思えるのも、自分自身が何の宗教であれ原理教条主義の過激派ではないからです。でお・ぐらあしあす。

兎にも角にも、犠牲祭の期間中にイスラーム原理教条過激派の方々が変な気を起こしませんように。

参ったな・・・ブツブツブツ。


le 8 septembre 2016, Nativité de la Vierge Marie

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by ma_cocotte | 2016-09-08 18:00 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
9月に入って、ぼそぼそぼそ。
私にとって9月 長月は嫌いな月ではありません。
8月の終わりになると9月が待ち遠しくなり、オフコースのI love youや竹内まりやのSeptemberやらEarth Wind and Fire のSeptemberが壊れたジュウクボックスのごとく繰り返し繰り返し鼻歌になって出てくるのが毎年恒例です。

今年の9月を迎えて7日となりましたが、ココんちあたりは今週に入って酷暑のぶり返しです。連日午後になると35度前後ですからアスファルトの温度がどれだけ上昇していることか。犬の散歩もよくよく考えて時間を選ばないと、犬が散歩の途中でおかしくなってしまいます。こんな異常気象を毎日午後遅くなって感じながらも、午前中と来たらかなり涼しく、寒いに限りなく近い体感です。一日の間にこれだけ極端な温度差があるせいか、身体が追いつかないように思います。気をつけなくっちゃね。

と、家の中で避難中の午後。
昨日は「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」と「マツコの知らない世界」のおいなりさんを視聴しました。極端な午後だったわw 「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」はこの夏のドラマで私個人は1、2位に位置づけです。もうひとつは「伝七捕物帖」だから、甲乙つけられない。そりゃ、よよよい、よよよい、よよよいっよい、めでてぇなあ。いや、ちょっと違うか。兎にも角にも、昨晩は「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」の最終回を視聴しつつ、さすがに吐き気をそこはかとなく催しましたがな。映像的には最終回はソレまでに比べりゃ目を背けたくなるようなもんではなかったように思うのですが、なんぢゃろね、台詞にやられての吐き気だったのかなあ?不思議。でも、しっかり最後まで視聴し、それなりの〆だったので、続編やらスピンオフを見たくもなりました。感想として残すならば、脇役さんについてのストーリーのつめが甘かったように思えてしまうのが残念かなあ。中途半端に消えてしまった気がしてなりません。

そして、犬の散歩をしてから、マツコさんのおいなりさん。
私個人においては歴史に残したい回、テーマでした。
今度の里帰りの時にどれだけ紹介されたおいなりさんを味見できるか・・・これが課題だ。と言える位、私はおいなりさんが好きなのでした。

と、以上、どうでもいい話でした。

一日も早く酷暑が去ってほしいです。ほんと、つらいわ。

そうでした、ココんちのいちじく。
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50は軽く実ったものの、小粒のまま熟しません。
酷暑と水不足が災いしているのだと思います。
いくつでも構わないからふっくらと熟してくれるとよいのですが・・・
期待薄いかも。



le 7 septembre 2016, Reine

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by ma_cocotte | 2016-09-07 19:44 | 『夏』 Rien de special | Comments(2)
大聖女の功罪なのかもしれないけれどさ。
昨日は午前十時から仏国営放送総合(France 2)で生中継されたコルコタの(マザー)テレザの列聖式とそれに続く主日ミサを私は毎度のごとく「~ながら視聴」しました。こんぴーたにおいてもYouTubeのヴァチカン公式チャンネルからライヴ中継されていたので便利でした。コレ ↓ ね。デオ・おグラアシアス。


おフランスでは一週前の日曜の午前にマザーテレサの生前についてドキュメンタリー番組が放映され、その翌日からコマアシャルで次の日曜日の午前十時から列聖式生中継放映と繰り返されていたせいか、傍観していると現実でもテレビ画面の中でもどこか多くのひとびとがヒステリー状態になってしまっているのではないかと想像するほどでしたが、こうして列聖式のライヴ中継を見たら、参列者はサンピエトロ広場内に納まっていたので想像より参列した一般人が少ない。現実に目を覚ますことができました。やっぱヴィジュアルって大事だね。聞いただけぢゃ妄想が災いします。

まあ、昨日は「これをもってマザーテレサは聖人になりました、まるっ」程度の締めくくりの心持だったのは私だけではないと思うし、一方で今もって「とうとうマザーテレサは聖人になったのだ」と興奮が冷めないままのひとびとも世界中にたくさんいらっしゃるのだと察します。

昨日はたまたま「マザーテレサ」で検索したらマザーについての批判文書が上位を占めていたのでちょいとヴぃくーりもしましたし、私個人の彼女への冷めた、ドンビキの感覚の理由の根と比べ、その批判が私のソレとはツボ違いに思えたのでちょっと安心したりもしました。

私のようなおば(あ)さんが未成年時にたまたまカトリックミッションスクールに籍を置いたことで、はるか昔のマザーテレサの来日やその後の各国訪問、ノーベル平和賞受賞の前後もライヴで知ってはいました。当時の批判の素は単純に2点だったと記憶しています。それは彼女が集金上手であることと、臨終洗礼がマザーテレサが有名になって以降減ったことです。

集金上手については私としては19世紀の天才がドンボスコなら、20世紀の天才がマザーテレサ程度にしか想像つきません。で、それの何が問題なのかもよくわからん。というのも、きょうび列聖審査や会議には必ず列聖にネガティヴな立場の人物が委員に存在しているので「福者某は金集めに熱心で、祈りに欠けていた。清貧から見ていかがなもんだろ?」と問う者が複数いるわけです。そういう反論者からの意見も含めて最終的に列聖が決定し、教皇がお認めするわけですから、世界に散らばるシモジモがブーブー言い続けるのは愚。意外と列聖認定は「お友達サークルでわいわい」としか概念にないひとびとが列聖について疑いと教会批判を延々と述べまくるのが世の常だったりしますね。

次に臨終洗礼については、むしろこちらの問題の方が「お金集めの天才」の話題より重要なことなのかもしれません。
昔だったら、政教一致の国においては、国民の生から死までカトリックが包括していたわけで、病院で誕生した赤ん坊がすぐ病院内の聖堂で洗礼を受けることも当たり前、孤児院に引き取られた子供が洗礼をすぐ授けられてしまうのも当たり前でした。が、これは「政教一致の、カトリックが国教の国」だからであり、宣教先の異教国の場合はどうなのだろう?と一呼吸置くのが考察する道筋の出始めではないかと思います。

マザーテレサが生涯のほとんどを過ごしたのはインドであり、インドにおいてキリスト教、カトリックはマイナー宗教です。ヒンズー教の生活文化ゆえか、インドは貧富の差が大きい国でもあるので、世界中のキリスト教新旧あらゆる派閥の団体が宣教師をインドに派遣しました。マザーテレサも最初は富裕層の女子を教育する学園に派遣されたカトリックの宣教女のひとりでした。彼女はインドで日常を過ごすことで、インドには「生まれながらに死ぬために存在する階級」が存在することや障がい者として生まれた赤子を捨てる習慣もあることを、インド国内にありながら富に恵まれた学園、修道院を囲む塀から飛び出したことで現実を知り、塀の外の広い世界でそのような枠に追い込まれた弱者たちへの救済の思いがどんどん心の中で強くなり、最後には彼女が奉献生活をしていた修道会から一度出、新たにインド巷の貧困者を救済するための修道女会の設立となったわけです。

日本ではどういう理由、心理なのかマザーが創立した「死を待つ人の家」についてばかりクローズアップされますが、おフランスではなぜか「死を待つ人の家」より路上に置き去りにされた乳幼児、障がい児の施設について強調されることが多いです。

個人的に思うに、ですが、カトリックの慣習からして、もし乳幼児の施設に引き取られた乳幼児や障がい児には洗礼が授けられているでしょうが、死を待つ人の家に引き取られた成人男女には洗礼を必ずしも授けておらず、彼ら本人の意思と意志を引き取った側の施設職員が何より尊重するというベースです。乳幼児と成人を分けて考える。もちろんわれわれがカトリック信者ならば死にゆくひとを前に愛があればあるほど天国に直行してもらいたいから臨終洗礼を授けたくなる気持ちは当然、自然です。が、おそらくマザーテレサの判断は引き取った成人がもし意識清明ならば本人の宗旨を尋ね、そのご本人が信じる宗教を尊重して「死に行く人の死」を見送り、その方のこの世の人生を締めくくられていたのだと思います。これがもし、マザーがご自分の施設に運ばれた死にいくひとびと全員にまず必ず洗礼を授け、洗礼を授けられた者のみが施設の敷居をまたげ、治療をはじめとする恩恵にあずかれるといたならば、ネットで批判をしている人物の数が幾分減ったのかもしれません。(つまり、乳幼児施設で行っているであろうことだけれど、このcan、can、canな文章に吐き気を催すわい。特権の押し付けぢゃんね。)

ここまでの話でもカトリックを知らないとよくわかんない話ですが、さらによくわかんない話を進めると、カトリックにおいて死んだひとの葬儀の形式はたいした問題ではないのです。なぜなら葬式は亡くなった本人とって秘跡ぢゃないんです。でも、ひとの死の前にいただく秘跡は死に行く本人にとってとても重要で、それは今の時代だと「病者の塗油」と呼ばれるもので、一昔前だと死の直前に一度だけ受ける秘跡でした。(余談、ルルドの聖母出現で有名な聖女ベルナデット・スゥビルは危篤時にこの秘跡を受けた後、元気に生還し、この不思議を二度繰り返し、3度目の病者の秘跡をいただいた後、帰天したのでした。これについて二度の生還時にベルナデット本人が笑い話にしていたそうです。)この病者の秘跡には通常、ゆるしの秘跡(告解)と聖体拝領がトッピングされるわけでして、異教国においてはどうしても死に行くひとを見送るために、そのひとが異教徒であるならば先ず臨終洗礼、続いて聖体拝領、告解、病者の塗油で「A Dieu、A Dios」となります。この臨終洗礼について、意外や布教国(=いずれの御時にかカトリックが国教国だったフランスのような国)の教区司祭だと「そんなこと、神学校で教えてもらってませんよ」なんて平気でおっしゃることがあるのが現実でして、司祭であるにもかかわらず彼らの概念に臨終洗礼そのものがまったくなかったりするので、宣教国からフランスはじめカトリックおマヂョリティ国に宣教国から移住しているカトちゃんズはこの点に「お気をつけあそばせ」だったりします。彼らは素直に、ご自分が病院に呼ばれるのは既に幼児洗礼を受けた人物が人生最後の告解、聖体拝領、病者の塗油を司祭であるご自分が司るから、と捉えています。そもそもフランスの公立病院では司祭にこれが許されていても、病室域において入院患者に宣教すること、洗礼を授けることは禁じられているのですから臨終洗礼の概念が植えつけられたところで病院ではそれを実行するのが限りなく難しいとなります。これまた余談ですが、フランスでは年々成人洗礼者数が増加しているという現実があるので、臨終洗礼について教区司祭も知る時期に入っていると思います。死を前にして希望するフランス人はひとりやふたりいることでしょうし。もちろん毛嫌いし、神やらカトリックについて口汚い言葉を止めずに息絶えるフランス人も何百人、何千人と存在します。

で、話戻って、インドにおいて、マザーテレサが引き取った死に向かっているひとびとに臨終洗礼を授けなかったことについて私個人はそれでいいのではないかなあと思います。ご本人が望んでいないのに無理に水をぶっかけてもねぇ。ですが、もし自分と血がつながっているひとで、ほうぼうのカトリック信者さんから「臨終洗礼を授けた方がいい。これは特例だから世俗のあなたが授けてもかまわないのよ」とルルドの水が入ったプラスチック壜を握り締めさせられたら、自分の死に行く身内を思って水をぶっかけるかもしれないし、その人物個人のキャラから考えて動かないかもしれないし、もし意識が既にないのならぴゅっぴゅっぴゅっと動いちゃうかもしれないけれど、それが果たして私個人の思いなのか、聖霊の働きなのか
わかんない
この「わかんない」は実はマザーテレサも同じ気持、考えだったンではないですかねぇ。はい。祈りに祈って出た見解が、死に行くひとご本人の意志を尊重するので、あたしは無理やり彼(女)に水をぶっかけない、なんでしょう。

それはたぶん、もしマザーテレサご自身がイスラム主義国で死に行くひととなり、イスラームの施設で終末を過ごすことになり、お世話してくださるムスリム、ムスリマから「イエス(=アラビア語だとイーサー)は神の子ではなく、ムハンマドさまより下位の預言者だと誓いなさい。誓わなかったらあなたを救いません」と言われたら?マザーテレサご自身が信じ、唱えるクレド(信仰箇条)の文面と矛盾してしまうではありませんか。これを仮定すると、ご自分の施設に次々と運ばれてくるひとびとに正論を独善で押し付け、うなずかせていいものかどうか。

臨終洗礼についてもし小教区に知らせがあれば受洗者リストに載り、年度末に統計の人数に加算され、数値が増えることになるけれど、その数を強く意識するのもいかがなものでしょう。その数だけで自ら安心できるというのも一種、病気だと私は思う。信仰というのはそういう目に見えるものの上に「ある」なんだろうし、数字で悲喜こもごもというのはちょっと、かなり「天国は遠い」気ガス・・・w

それに洗礼を受けてようが、いまいが、死んだ直後の私審判についてこの世に生きている最中のわれわれが正しく確認できないわけで・・・。そうかと言って、洗礼の有無に関係なくすべての霊魂は天国に入るという万民救済を説かれるわけわかんねー聖職者もきょうびいるし、その説教に魅了されて洗礼を受ける羊もいるし。

知らないよねぇ、そんなの。
自分が死ななきゃ真実はわからんぜよw
でも、自分がどんなパーな話を信じようが信じまいが真理にブレはなんら無しですぜ。


le 5 septembre 2016, Raïssa




しゃべくりついでに、ヴァチカンが問題視しているのは「マザーテレサ教」ですよね。ほれ、「パードレ・ピオ教」もそのひとつ。列聖した人物が信仰対象になって神についてはその聖人が信じていたし、私たちにも信じるよう勧めたので「あたしもカトリックを信じる」というヤツ。


それ、違うから。
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by ma_cocotte | 2016-09-05 18:25 | 『?』なKTOりっくん | Comments(3)
さよなら、ヨハネ。さよなら、夏。
そうでした。
こんにち8月29日は典礼暦において「洗礼者ヨハネの殉教 Martyre de saint Jean-Baptiste」の記念日でした。新約聖書だとマルコの6章17-29節にその様子が述べられています。
そのとき、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
この箇所を読んでいたら、2011年に行ったアルザスはオディール山の修院の渡り廊下を埋める洗礼者ヨハネについての古びた壁画を思い出しました。こんなところ。うすぐらー。右の牢の中でうなだれているのがヨハネ。
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この壁画 ↓ は【少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」】と尋ねているシーンだと思います。確か、少女の名前はサロメ。
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そして、首を落とされる直前のヨハネ。
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洗礼者ヨハネの斬首について、子供の頃から何度も聞かされてはいても、どうにも納得行くようで行かない話です。母親の言いなりのサロメもひどいし、ヨハネの首をねだったサロメに「それはできん」と言えなかった王もひどい。これではサロメの母親であるヘロディアが一番強い者ではありませんか。恐ろしい現実ですね。


le 29 août 2016, Jean-Baptiste



余談。
先週から日曜までひどい酷暑で、とんでもありませんでした。
ココんちの犬が熱射病症状を起こしたほどです。
が、日曜日のお昼頃から気温が平常に戻り、ヒトも犬も快適に過ごせるようになりました。
もう目の前に9月が迫っていますし、先の酷暑が最後でありますように。
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by ma_cocotte | 2016-08-29 23:26 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)